【泰皇】周の後半春秋戦国4【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net

1陝西富平人@無断転載は禁止2017/05/19(金) 18:30:26.25ID:+IlyX3Ww0
前前々スレ
戦国春秋
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161616606/

前々スレ
【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1326989163/

前スレ
【西帝】周の後半春秋戦国3【東帝】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1421609428/

2陝西富平人@無断転載は禁止2017/05/19(金) 18:32:59.88ID:+IlyX3Ww0
■関連っぽいスレ
【呉越】     春秋       【五覇】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170514550/
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1184771837/
春秋戦国時代名宰相二十四選
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1397601291/
【春秋時代】晋の六卿について語ろう
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170418381/
戦国四君
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1168690847/
【墨攻】墨子を語るスレ
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170415494/
屈原を語るスレ
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1411721022/
なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1342817972/
春秋戦国ファンタジー漫画 キングダム
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1305116242/

3名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/19(金) 18:36:00.60ID:kuRxnbLW0
>>1
乙です。

4名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/19(金) 18:41:46.81ID:UhX1LJ/C0
>>1封乙,為諸侯。

5名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/19(金) 19:27:08.12ID:kRMiG0S30
乙国乙邑

6名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 05:02:29.36ID:EFsBGe1u0
>>1
次スレは多分、春秋五覇だな

7名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 07:26:35.45ID:z3LbRMlV0
平凡に
【五覇】周の後半春秋戦国5【七雄】
でもいいんじゃね。

8名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 22:01:22.00ID:rMspiyBO0
勢いを失い過疎りながらも春秋戦国総合スレはとうとう4スレ目まで来たか。
中国英雄版全体が死滅するなかよくがんばってるアッパレじゃ!!
>>2次があれば関連スレに周の前半も加えてあげてくれ。

殷〜西周こそ熱い時代!!!!!
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1422786910/

9名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 23:47:16.06ID:usZ3scv+0
春秋の初めに戻るんなら、スレタイは

【幽王】周の後半春秋戦国5【狼煙】

これでどうじゃ?

10名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/20(土) 23:50:53.07ID:usZ3scv+0
>>1乙忘れていた

11名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/21(日) 08:52:01.45ID:/hHXpXBh0
前前々スレ 戦国春秋
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161616606/
前々スレ 【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1326989163/
前スレ 【西帝】周の後半春秋戦国3【東帝】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1421609428/
■関連っぽいスレ
【呉越】     春秋       【五覇】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170514550/
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1184771837/
春秋戦国時代名宰相二十四選
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1397601291/
【春秋時代】晋の六卿について語ろう
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170418381/
戦国四君
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1168690847/
【墨攻】墨子を語るスレ
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170415494/
屈原を語るスレ
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1411721022/
なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1342817972/
春秋戦国ファンタジー漫画 キングダム
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1305116242/
殷〜西周こそ熱い時代!!!!!
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1422786910/
春秋戦国名君二十四選
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1491144716/
諸子百家で一番使えると思う学派、人物は誰よ?
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163357287
全部matsuriに書き換えたほうがスマホで見やすいので。

12名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/21(日) 17:30:52.15ID:1pEVtGv30
殷〜西周スレ以外は事実上稼働停止状態だが一応乙
(分散は得策じゃないから関連スレは次はもう貼らなくてもいい希ガス)

13名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/21(日) 21:46:21.19ID:/hHXpXBh0
ここに集合させる目印にも成り得る。

14名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/22(月) 23:59:05.40ID:UolB+RPc0
そろそろ前スレ終盤の如く賑やかにいこうぜ

15名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 01:55:55.85ID:1+rt+Myi0
978辺りから急ピッチでスレが埋まったな(いい意味で)

16名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 17:58:21.85ID:NpqceOIa0
>>14
それなら話題カモン!

17名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 19:23:06.39ID:RX5fQq0M0
前スレの最後辺りなんの話してたっけ
類似エピソード?

18名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 19:47:19.05ID:RX5fQq0M0
自己解決
夫差・白起・魏冄・楚王か

19名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 20:59:02.53ID:D9kgn2aQ0
周王に最も近い出自をもつ鄭にはもっと頑張ってほしかったわ

20名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 22:38:07.77ID:1+rt+Myi0
>>19
荘公死後20年くらいのゴタゴタが痛すぎたな。
昭公が何事もなく治世を全うして、
その間に周と和解するという展開が一番幸せになれそうかな?

21名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/23(火) 23:47:26.42ID:O8AER4gm0
>>16
諸子百家の議論はなぜ万学の祖の域に至れなかったのだろうか?
ダムスレでちょっと紀元前中国文明が語られるのを見物しててふと気になった

>>17
そっくりさん逸話を列挙すると面白そう、荘王と威王とか

22名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/24(水) 00:18:26.89ID:SYb/5QuD0
>>21
>諸子百家の議論はなぜ万学の祖の域に至れなかったのだろうか?
春秋戦国の頃は学問の自由があったけど漢の国学となったことで儒家が強くなりすぎて
他の学問ができなくなったからだろう。

23名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/24(水) 16:22:09.33ID:OOJTui9M0
墨家「・・・・」

24名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/24(水) 20:00:07.31ID:AmMLZS1b0
そら単純に春秋戦国が後進文明だからでしょ
諸子百家の言論はとてもアリストテレスを出せるレベルに達してない
そもそも体系的&専門的に科学を追求する性質を持った諸子/学派皆無

25名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/24(水) 22:04:10.36ID:OOJTui9M0
>>8
初代スレが立ったのが2006/10でそこから5年以上かかって使い切ったのと、
3代目が2年半たたないうちに使い切ったのを考えると、これは特筆すべき奮闘だな!

26名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/25(木) 22:51:56.49ID:WTVnx3990
戦国諸子百家は「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」
を絵に描いたような連中だし戦国続いてても大して変わらんと思われ

27名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/26(金) 23:54:29.20ID:lmcDc1Qx0
同時代文明比べるとこれ位の差がある。
オリエント(鉄器時代入って千年以上)>>戦国中華(鉄器クルー?)>弥生時代後期(青銅器文化)

自由に政治思想や人間観を主張させてたら官民が儒教と道教に染まった。
国学化したから儒教が強くなりすぎて他の学問ができなくなった、というのは的外れ。

28名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/28(日) 18:48:44.74ID:bZjw8+Tj0
>>22-27
反応サンキュー
文明発祥からの時間が短く科学的知見の蓄積が不十分だったのが原因ってところかね
もしくは方向性の違いか
>>24
後世君主の憧憬の対象で在り続けた大英雄アレクサンドロス大王の師がアリストテレスだった影響はデカそう
>>27
国家権力や君主はむしろ道教推してみたり仏教推してみたり民間の儒教勢力に抗ってる節があるな

29名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/28(日) 19:18:17.91ID:dkorr8/R0
祖沖之とか張衡の存在を知っていればとても儒学の影響で自然科学が抑圧されたなんて感想は出てこないと思うのだが

30名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/28(日) 20:25:44.35ID:Ww2Zy62b0
諸子百家に関しては基本的にウヨサヨリベラルの争いみたいなものでベクトルが違う。
29の言う通りむしろ統一王朝以降になってから自然科学分野で注目すべき人物が出るようになる。
東アジアは東アジアでマイペースに進んでいた。トップでなかっただけ。

>>29
司馬史観(確信)

31名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/28(日) 21:00:05.09ID:Z752gYEf0
>>26
切磋琢磨する中でレベルが向上するということはなかったのだろうか?

32名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/29(月) 02:25:06.90ID:NmrWwxBC0
たんにルネッサンスがあったかなかったかだけのちがい

33名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/29(月) 18:53:15.47ID:ucDTlqrD0
>>31
切磋琢磨、レベルアップした結果が儒教(道教)じゃないかね?
自由競争を勝ち抜くために論敵を攻撃同化するスキルを磨き圧倒的成長を遂げたからこそ儒教の覇権がある

>>32
なんだかんだビザンt東ローマ帝国が1000年間踏ん張ったおかげですよ!

34名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/29(月) 19:03:34.46ID:KPfIBtT90
図書館で詩経パラっと目にしてみたがあれ読むのしんどいな

35名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/29(月) 20:51:57.10ID:9owhpmsz0
イスラーム帝国における自然科学の発展を忘れてはならぬ

多数派工作に長じ利権争いに最適化された儒教が戦国の時点ですでに社会各界に浸透し大勢を占めてた
オープンな環境で殴り合ったら墨家みたく特徴的な集団は死ぬ

36名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/31(水) 21:21:11.47ID:XQc9NLag0
やっぱり儒家が弁論強かったのかな?

37名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/01(木) 00:49:36.25ID:SBULyfh50
>>33
儒学者「漢以降の儒教アンチは日本の中国史ビギナーにしばしば見られる現象だけれど」
(類似症状:中国のピークは春秋戦国、稀に戦国が続いていれば西欧列強みたくなったとかいう西洋コンプ丸出し史観も)

儒学者「先進世界宗教仏教の精緻な思想に歯が立たず次第にローカル迷信宗教の様相を呈した道家改め道教よりはイケてると思うの」

38名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/01(木) 00:57:26.85ID:SBULyfh50
>>36
儒家が強いというか他が弱いというか・・・

・創始者の偶像化→神格化
・古典の占有(儒教化)
・司馬遷による歴史的お墨付き(孔子世家)

いや、やっぱつえーわ

39名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/01(木) 07:02:50.75ID:ULMuzbd90
>>37
まあ本職の学者が孔子おちょくった本出したりするし嫌儒教ムードは根強いね。
春秋戦国ピーク論(後世の中華帝国sage)は保守NTUY界隈にもリベラル左翼にも都合が良いロジック故に需要がある。


ところでおまいら唐突だが屈原ってどうよ?(先月末は旧暦端午の節句)

40名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/01(木) 11:07:18.25ID:3YiNylqG0
偉大なる詩人

41名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/01(木) 13:17:25.65ID:n153qf5k0
忠誠心だけでは大業をなしとげられなかったんだなぁって....
相手が悪かったというべきか。

42名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/01(木) 15:11:47.66ID:SBULyfh50
旧暦か、新暦で生きてるせいかピンとこない
政治家屈原は小物やね

43名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/02(金) 19:23:44.86ID:9lbqSbrr0
春秋戦国の政治は只今政治史の専門家が絶無に近いぐらいアレな暗黒分野なんだぜ?
屈原が政治的に小物か大物かなんて判定不能。

44名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/02(金) 21:42:32.95ID:Txe90YaV0
屈原非実在を聞いたことがあるけど、どうなんだろーねー

45名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/03(土) 00:11:15.53ID:Tw+E/UP/0
>>43
せやろな、屈原の時代は列伝はもちろん秦本紀&六国年表さえも信頼できないし

46名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/03(土) 20:24:01.75ID:1MI7kdQY0
>>39
>春秋戦国ピーク論(後世の中華帝国sage)は保守NTUY界隈にもリベラル左翼にも都合が良いロジック
現代中国叩くためのダシに使われてるなんてな・・少々悲しい使われ方だな。

47名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/04(日) 14:05:12.67ID:Oc6b+dQo0
>>45
何であの時代だけガバガバなんだろうね

48名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/05(月) 11:22:29.11ID:wVNRvqWn0
急にスレの勢いが衰えたな。

49名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/05(月) 21:11:51.85ID:tLvKp9gg0
そら一言二言の内容のない書き込みをしてはageまくるレスばかりじゃ
「あーまたあの人か〜」ってなるでそ

50名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/06(火) 13:04:21.00ID:2M8VrWDk0
言うほど無内容のレスばかりか?

51名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/06(火) 19:35:25.57ID:JMM0d8xC0
スレの勢いダウンを気にする人がこの板の彼方此方で無内容に近いレス返し(sageない)を繰り返す傾向がある
もうちょっと工夫した方がいい希ガス
またいつもの人だってなるもの

>>47
あの時代だけガバガバってこたぁねえけど、紀元前三・四世紀の境界はなぜか大混乱してんなー
孟嘗君相秦と懐王関係の真偽不明の作文多数に混乱した編纂者がテキトーに記事を並べてしまった感

52名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/06(火) 20:15:11.88ID:Q16Dhc6A0
>>48>>50
がほかのスレでしたレスをコピペして来れば簡単に証明できるな!

53名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/06(火) 23:59:14.47ID:HtnDg2N80
盛り上げようとするのは良いんだが
勢いがなくなった〜とか短文レス多投しても
「必死だな」になってしまうからねぇ…

ただ相当に知識がないと発展性のある話題を提供できない時代だから致し方無い面もある(かくいう俺も)

54名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/07(水) 00:55:18.77ID:L3OATIuc0
>>21
月並みだけど妾を献上して王の後継者を生ませる呂不韋と春申君のエピソード、商鞅変法と胡服騎射の論戦

>>51
孟嘗君といえば、宮城谷小説で屈原と会話してたっけな、戦国名臣列伝でも、屈原は、名臣の一人に数えられている
ただ、伝統的に不動の佞臣小人キャラであるはずの、屈原を迫害した側に同情的な記述が見受けられ、少々意外だった

55名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/07(水) 01:08:03.49ID:zOW+uX040
戦国名臣列伝の屈原は悲劇的な最後を遂げた経緯に紙面が割かれていて
屈原がどんな功績を残したのか、どういう名臣だったのかについてはあまり書かれてなかった気がする

56名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/07(水) 06:55:11.93ID:ckcOrbQ10
中英板の春秋戦国成分の半分ぐらいは宮城谷昌光、困った時は先生の著作を頼るべし。

屈原は屈原の列伝と楚辞関連以外で名を見かけないのが致命的だね。
親斉反秦派という触れ込みなのに同世代と考えられる逸話製造機孟嘗君&ビン王と全く絡まないステルス外交官っぷりはまずい。

57名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/07(水) 07:58:54.55ID:KKfJrO5U0
屈氏自体は名家なんだからもう少し記録があってもいいのにな。
よほど不都合な事実があったのか、それとも司馬遷が変なことしたのか・・
>>56
今ちょうどその宮城谷先生の「孟嘗君」読んでるところなんだけど、
楚の宣王が「虎の威を借りる狐」の故事で登場してワロタw

58名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/07(水) 14:39:12.86ID:TVyfbFQF0
宮城谷孟嘗君はすっごい良い人すぎるよね
史記読んでギャップにびびったわ

59名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/07(水) 21:58:53.54ID:mo5Uwh+30
宮城谷孟嘗君は持ち上げすぎて、自分が死んだ後どうなるかくらいは
簡単に予想できただろうに対処方法を全く考えていなかったのか、
なぜ何も手を打っていなかったのかが説明できないんだよなぁ
子供達がまとまらず滅ぼされたのは史実だから仕方ないけど

60名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 03:44:52.72ID:n+rBAylA0
金のなる木である自分が描くキャラ(題材)を持ち上げない大物作家など存在しないのよ
キングダムなんてモブ史実キャラだろうが死にかけの六国だろうがハイパーインフレさせまくった結果意味わからんことになってるぜww

まぁリベラルチックな方向の思想をまとったキャラは民主的インフレ、反対者は低評価する宮城谷戦国時代小説の世界観は無理あるけど

61名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 21:54:16.23ID:uFfJmTTQ0
まあ良し悪しどちらのベクトルでもいいから誇張しないと商売にならんのは確か。孟嘗君はわりと史記戦国策通りの描き方だと思うよ。謙虚さや能力の高さをアピールする逸話に大半が費やされ晩年の下降線はスルーでしょ?

>>57
伝統ある名家を破壊しまくりその残骸の上に新時代を建てたのが春秋戦国秦楚漢という時代やねん。

62名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 22:21:28.67ID:quUZeA6n0
斉の高氏が後の渤海高氏になったりして支配者層に返り咲いているのはかなり珍しいケースなんだろうな

63名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 22:29:55.90ID:nCUGymsq0
ちょっと前に高氏と渤海高氏を調べたことあるけど
正直、隋唐で流行った、昔の漢人名族に無理やり系図を接続した典型的パターンで
斉の高氏と渤海高氏に連続性はないと思うよ

64名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 22:58:06.40ID:quUZeA6n0
そういうものかね
清河崔氏とか渤海高氏とか春秋斉の流れを汲む名族だと思っていたが

王莽が田斉王家の子孫なのは確実だよね?

65名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 23:13:31.42ID:nCUGymsq0
少なくとも漢書ではそうなってるね
王莽が自身の系図を制定した、という体になってるから、どこまで信憑性があるかは俺には分からんけど
楚漢戦争期の済北王田安の後裔を名乗るメリットがあるように思えないから、確実と見てもいいんじゃないかな

66名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 23:49:03.48ID:n+rBAylA0
確実と言うほどの信憑性は当然ないが
とんでもない雑さの子供騙しにもならん世系表を大真面目に載せてる中国王朝正史や現在流布する出鱈目民間家譜よりは遥かにマシだろうな

67名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/12(月) 08:28:36.34ID:YokYsVEG0
三国時代の魏の国淵って青州出身だけど、これは春秋時代の斉の国氏の流れなんかな

68名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/12(月) 21:44:18.51ID:lA331Jkd0
七雄「封建秩序の担い手(抵抗勢力)である伝統的な卿大夫知識層を殲滅したからこそ、皆さんお馴染みのメインランドチャイナが出来たんすよ。」

69名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/12(月) 23:58:27.85ID:8UFXeEcp0
>>67
確認しようがない、連続性を

70名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/14(水) 07:59:26.12ID:PkiOTiHB0
やむを得ない話だよね。

71名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/15(木) 20:51:00.27ID:KooJmxmo0
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72名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/16(金) 00:09:15.00ID:9m1BrVsb0
>>68
39を思い出す

73名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/16(金) 01:31:17.59ID:KAzlHTGA0
項羽「まあ俺たちの戦いにあまり知性が感じられないのは認める」
劉邦「マナーは足りないけど悪知恵にはちょっと自信あるゾ」

74名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/16(金) 06:20:00.10ID:PfJ6piZ90
エテ公!エテ公の楚人じゃないか!! by史記の「楚人は沐猴にして冠するのみ」 ←地味にヒドス(´・ω・`)


項羽も劉邦も、とりあえず殺し焼き奪い犯し宮殿破壊とまあ色々やったけれど、、、だがそれがいいのよ
これも秦が春秋戦国の秩序を破壊し尽し、哀しみを抱いて入水自殺する様なお上品旧貴族連中を取り除いたおかげ

75名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/16(金) 23:55:22.94ID:KAzlHTGA0
全盛を極めた昭景と伝統的世族の屈氏が郢陥落を境に衰微しなければ項氏の台頭はなかったでせう

76名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/22(木) 22:10:11.84ID:fJ8VMH7j0
屈氏は春秋から見かけるけど、
昭景両氏はいつごろからいるんだろう。
昭氏は昭王の子が臣籍になったのかな

77陝西富平人@無断転載は禁止2017/06/23(金) 19:03:06.36ID:orV0vzXo0
昭景両氏の来源は確言できませんね

屈:旧世族,初見は楚武王の公子瑕です
昭:昭王(邵王)→坪夜君(平夜君)を昭氏(邵氏)の祖とする説に従うと,昭氏の出現は戦国初年頃?
景:不明,平王(景平王)の後裔?

>>57
確たる根拠のない推察になりますが
屈原の功績が不明瞭な原因は,頃襄王政権と魏冉政権の急接近し秦楚関係が好転する時代背景にありそう

78名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/23(金) 21:02:46.29ID:kAw49lgW0
なんだかんだ懐王の寵臣で青年〜中年は発言力が強く見せ場が多かったけれども
本来脂の乗る壮年期に王が代替わりして次世代に主導権が移り――
・・・国内外ともに都合が悪い環境になったら政治家やってられんわな

まあ大国ゆえに国境を接する敵が多く秦よりむしろ斉や魏を宿敵としてきた
楚にとって本当に屈原の在り方はプラスだったかどうかも定かでないけれど

79名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/26(月) 00:31:40.42ID:EHeeZE610
>>77
屈氏の古さヤベェな。。。

80名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/26(月) 03:26:50.70ID:r6SaAdAb0
>>79屈氏の古さは楚でも屈指だな

81762017/06/26(月) 08:06:30.20ID:OFDi/vCC0
>>77
なるほど。やはり確実なことは言いにくい感じか

82名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/26(月) 19:27:22.89ID:8oyvPq830
起源が古いのは別に凄くないけれども、五百年ほど臣下の立場で、高位高官を世襲した氏族は貴重だね。
我が国や他の文明圏には、ごく普通に存在するが、中国史では滅多にみない。

83名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/27(火) 10:58:07.67ID:BTpf1e1e0
晋が翼とガチャガチャやってたり鄭荘公が中心だった頃からすでにいたわけか

84名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/27(火) 17:17:15.66ID:frop5rK80
楚武王の公子瑕って軍事でドジって自殺したんだっけ?

85名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/27(火) 21:35:13.05ID:3nut5Wfc0
>>78
屈原の時代(懐王の晩年)にズタズタになったことを考えれば外部環境を安定させた頃襄王初期の外交は合格点あげれますね…

86名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/28(水) 23:42:57.98ID:A32vm+Uo0
懐王の晩年って張儀に騙されたアホという印象しかないんだけど・・

それを言っちゃおしめーよって奴か

87名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/01(土) 22:50:08.11ID:l/2+V9JY0
鄭の荘公てなんか惜しいよね

88名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/02(日) 00:34:10.43ID:S/ilcQOI0
跡継ぎの件?

89名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/02(日) 01:26:12.09ID:Vepu4E/S0
斉の桓公と管中という春秋最強タッグがお隣さんとか、正直難易度インフェルノ過ぎて震える

90名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/02(日) 03:40:39.21ID:vMPXhHC7O
魯の荘公かな?

91名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/02(日) 20:27:21.32ID:RK8t2unq0
>>88
それもそうだし宋とゴチャゴチャやったり泰山の信仰やめたり

92名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/02(日) 22:08:36.41ID:pw5A/kYD0
>>89
桓公&管仲が特別能力高かった訳やないで
中原の覇者やった鄭がこけたおかげで覇権が回ってきた

93名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/03(月) 14:16:00.20ID:E6xcjyNa0
斉はご先祖様の段階で既に小覇を唱える実力を備えていた強国

94名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/03(月) 19:16:27.76ID:HBRp2XYa0
斉の僖公も小覇扱いされてるみたいだな

95名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/03(月) 20:58:13.11ID:uGakUYFr0
>>94
それの出典が見当たらないんだがどこなんだい?

96名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/03(月) 22:04:12.15ID:HBRp2XYa0
>>95
岩波文庫『春秋左氏伝』の列国大事索引の
斉の項目に@僖公小覇とある
何を根拠に小覇としてるかは不明

97名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/03(月) 22:29:17.42ID:E6xcjyNa0
710 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/10/09(日) 22:53:59.07 ID:JAkI4Tz30
鄭の荘公はわかるんだが斉の釐公が小覇とされてるのがよくわからん

711 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/10/10(月) 07:14:05.89 ID:BDGDr8nQ0
>>710
斉の釐公が小覇とされてるなんて初めて聞いたけど、
誰がそんなことを言ってたの?

712 : 邯鄲人2016/10/10(月) 20:59:26.94 ID:gL5biNep0
>>711
(出典は国語です)左丘明さんかな?


既視感を感じたゆえ前スレを引用してみる

98名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/04(火) 07:06:42.42ID:AoCugGcx0
答えが違っててワロタ

99名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/05(水) 00:32:11.51ID:VaH8NrpQ0
>>91
魯と領地交換も失策ぽいよな

100名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/07(金) 01:14:50.67ID:d1ittTxt0
釐公よりむしろ襄公が小覇だと思うがね
>>99
許とかいう不倶戴天の敵を生み出したからか

101名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/07(金) 12:34:17.34ID:ysfHtfzJ0
>>100
150年かかっても従わせられないなんて、
当時は思わなかっただろうな。

102名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/08(土) 21:02:35.95ID:7CN9OCUb0
鄭も魯も大変よな、でも鄭の貴族の家には生まれたくないなぁ
終始、晋楚に挟まれて穆系じゃないと這い上がれないし

103名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/11(火) 23:45:44.94ID:+EEEKWKG0
>>102
逆に生まれるならどこの貴族がいいんだろうな。斉かな

104名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/12(水) 19:59:49.10ID:ycbXh+pk0
このスレsageたらいかんルールでもあるのかってくらいsageないね

>>103
最終的にデン々されるうえに他と同じくしょっちゅう首都で内戦粛清やってる斉もなかなかの地獄ゾ

105名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/12(水) 21:35:09.46ID:XP+zWme/0
こんな過疎板でsageる意味なくない?
(と言いつつsageる俺氏)

106名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/12(水) 21:56:14.36ID:rWR9Vm/A0
過疎だからとにかくスレ上げるいつもの人のやりとりが際立つだけよ

斉は著名な覇者・斉桓公期でさえ国内の不穏さが目立つし生まれたくないなw

107名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/13(木) 14:26:02.93ID:9QE2XuAF0
ageるのは3日に一回とか決めれば、
こんなくだらんことで揉めなくていいんじゃない?

108名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/13(木) 19:18:45.09ID:Apc0rkVE0
春秋期の燕や秦内紛少なくて平和かな?
>>107
じゃあ今日はsageとく?

109名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/14(金) 14:33:51.08ID:hw79SrzH0

110名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/14(金) 15:28:49.67ID:VFOeNqHa0
>>108燕に関しては記述が少なすぎて判断つかないな
春秋時代は北燕と南燕があったが、どちらか一方は滅んだみたいな話を聞いた事がある

111名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/14(金) 22:05:10.59ID:o7hblBJB0
孫林父の靴を舐めて過ごす方が楽かもしれんな

112名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/14(金) 22:50:05.05ID:mXyY0eDm0
強大な権力の靴を舐めれるのは幸せなことだよ
衰退する衛にそんなものはないが

113名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/20(木) 06:10:23.66ID:/q/HrPyn0
身も蓋も無いが、わりかし暗黒時代やからねぇ…
各国の黄金時代に在位した代表的な名君連中でさえ盛大に内戦・粛清・後継体制火達磨やらかすしぃ

114名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/20(木) 20:30:48.01ID:/RLjlD2G0
衛の黄金時代って武公の時なんだろうか

115名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/20(木) 20:51:43.38ID:O96sGa1V0
まるで、暗黒時代じゃなければ
内戦・粛清・後継体制火達磨が無かったかのような言説やね(遠い目)

116名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/21(金) 07:39:52.14ID:hzaJRCYL0
>>114
兄殺して即位したんだっけ?

117名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/22(土) 00:10:19.17ID:8gPIEpgU0
>>113
>>115
(綱紀)粛清は国家社会にとってマイナスとは限らんので除外する

東周王朝期の各国って
・後継体制への安定的政権移譲の確率が大変低い
・小型版応仁の乱みたいな都が戦場と化す動乱頻発

という時代なんで
大陸を軍事的政治的に統一した政権の安定期とは雲泥の差があるよ

118名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/22(土) 01:50:56.89ID:inJaXvb/0
>>116主君である兄を死なせるという不忠行為を行ってるのに名君ってのが武公は凄いわ
しかも史書の記述を見る限り兄の共伯に落ち度は無いのに

ただ周王朝が正常に運営されてる時期、あるいは覇者がいた時代なら武公はすぐに誅伐を受けていたかもしれん

119名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/22(土) 06:26:15.73ID:nIb6fMla0
>>117
清朝「東周期は、お家騒動が酷すぎる」

120名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/23(日) 16:17:00.84ID:XYSRT+Oi0
爽やかな風

121名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/23(日) 22:32:04.06ID:9NqOggPs0
>>118
うーん、本当に不思議な君主だなあ。

122名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/24(月) 19:37:06.97ID:wbkd/l220
>>121
そうか?
未成熟で荒っぽい時代だから、家族の殺害は特別珍しくないし、武公の数少ない事績である尊王攘夷にしても
晋とかいう悪逆無道、傲慢不遜を絵に描いたような覇権の得意技が勤王である事を思えば、そこに不思議はない希ガス

123名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/24(月) 20:01:24.31ID:T9eOurEs0
>>118
>主君である兄を死なせるという不忠行為を行ってるのに名君ってのが武公は凄いわ
>しかも史書の記述を見る限り兄の共伯に落ち度は無いのに
李世民もそうだろう。

124名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/24(月) 22:45:47.49ID:AEp9ZAwP0
その手の身内殺しリーダーの成功例は世界中にあるな
本邦の中世だけでも相当数に上ろう

もう一ついえば武公の実像を知る手掛かりはゼロに限りなく近く
本当に名君らしい名君なのかさえわからん
暴君でも不都合がなければ直系の後継者たちは称える

125名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/25(火) 00:43:46.42ID:4CaB+csD0
>>122
周王朝的倫理と秩序に叛きまくり、非道卑劣は日常茶飯事
そんな晋が幹事長やってる東周連邦

大義名分がどこにもねェ……春秋に義戦なしとはよく言ったもの

126名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/25(火) 08:06:42.81ID:ZIrNErGL0
兄殺しスタートでも名君になれるなんて、
夢のある話だなって

127名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/25(火) 17:23:08.67ID:4CaB+csD0
オスマン「弟は幽閉するもの」
千年帝国「名君なんぞ虚構よ」

128名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/25(火) 18:17:16.27ID:gqp4YWfK0
オットー1世「反乱と暗殺かましてきた弟を幽閉するもママンのとりなしで二度も赦した俺を讃えろ」

129名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/25(火) 20:56:32.29ID:Ov6I3dsg0
>>125たまに周王朝が斉に密命を下すのは晋の覇者体制に不満があったからなんだろうな
周王朝的倫理と秩序を守っているのって文公とか悼公のような名君ぐらいか?
まあ文公は結構ルール違反な事やってるが

130名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/26(水) 07:40:27.11ID:bwJ+yMl90
悼公のころに周の霊王と斉の霊公が接近したりしてるし、
元々周と晋は相性が悪かったのかな。

131名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/26(水) 12:34:34.16ID:CkOyp3yo0
曲沃の頃は敵だったし、その名残かな

132雄安新区2017/07/26(水) 16:12:37.84ID:zWio7oDw0
晋悼公には、自らの権威を高め、諸侯の宗主たる天子を蔑ろにしたのではないか?
と推測できる記述が散見する。斉に接近したくなるかもしれませんね。

133名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/26(水) 20:47:03.16ID:m6TSJyiH0
悼公はあと十年長生きしていたら先代と同じく有力者の排除粛清に動いた気がする

隣接する晋と周は東周王権が分権的で足元の畿内でさえ諸侯が常時割拠する状態でなかったら
優れた周王と強大な晋公が激突する歴史が展開されたやろな衰えたりとはいえ中堅国クラスの領域を保持する周は侮りがたい

134名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/26(水) 20:51:56.05ID:m6TSJyiH0
>>129
同姓とはいえ元々近しい関係ではないし色々限界がありそう
おまけに同姓不婚とかいう中国伝統倫理の壁で関係は疎遠になる一方・・・

文公はアレなところは多いが父祖のアレさ加減を思わばカワイイもんやし勤王でチャラ
曲沃政権って現存資料から窺える僅かな歴史からでさえ代々武田信玄並の外道オーラ放ってるダークサイド国やし(笑)

135名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 17:21:27.80ID:6f7NA7mF0
なんだかんだ前の暗君が楚のヘゲモニー&お上に僭越を働く有力臣下を潰してから逝ったので
ある意味やり易い環境で即位することになった悼公

136名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 17:35:13.07ID:6//79Fg/0
弟にあんな名前を付けた親父がわるいわ
てか時代的には成師と公叔段って同時期だっけか

137名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 17:57:06.17ID:6f7NA7mF0
桓叔成師の晩年と被ってるけど世代的には二、三世代前の人という感じ

138名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 19:02:58.24ID:6//79Fg/0
>>137
ありがとー、成師の方が大分前か

139名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 19:05:12.34ID:NUyD0aT70
なんやかんやで盛り上がってるね。

140名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 20:18:01.09ID:WPw6+OmM0
俺が20日からほぼ毎日連投して人呼んだおかげやぞ褒めて

141名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 20:20:08.12ID:WPw6+OmM0
>>136
文侯「曲沃プロパガンダ乙。正当化しようたってそうはいかん。つか成師のくせに敗戦してるじゃねーか!!」

>>138
生まれは約半世紀差と大分違うが封建されたのは大体同時期という

142名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/27(木) 22:03:03.95ID:Y25tRGRS0
粘り強さって大事なんだなって。
>>133
確かに長生きが欲しいところだったな。
人事が上手かったみたいだから先代のような半端な粛清もしないだろうし、
跡継ぎももっとうまく教育できたかも・・

143名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/28(金) 00:36:20.99ID:y3Jig5/i0
>>135晋のレイ公はエン陵の勝利の後すぐに死んでたら名君と呼ばれてたかもな
本格的に暴君となったのもエン陵の後だし
エン陵の勝利も苗賁皇や郤至の献言をレイ公が聴きいれた事によるものだし

144名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/28(金) 19:15:19.76ID:5tcSsBSz0
悼公の覇権とバランス(妥協)人事は、楚を破り国際環境を好転させたものの世族弾圧を果たせず死んだ急進的先君の発展的継続と修正、先送りした臣下との対決はいずれ再燃する。

145名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/28(金) 22:58:25.36ID:8hTr9qrc0
>>143
即位から戦いまでのエピソードがあまり知られてないよね。

146名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/29(土) 07:36:52.75ID:9K77yCAH0
粛清をせぬまま30前後で死んだ悼公は、
臣下にとっては都合がよかったので後世名君扱いされた・・というのは
さすがに空想が過ぎるな

147名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/29(土) 14:06:48.69ID:EJADrss60
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148名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/29(土) 19:22:13.13ID:HcPj6mbb0
↑×2
要素の一つではあるかと
後に内乱を度々起こし最終的に公室を抑え覇権国家晋を解体に導く諸氏は悼公治世下で勢力を蓄えましたし
この頃矛盾が表面化せず彼が覇者&最後の名君とされるのは丁度実力者の交代期にあたり君権が安定したからでしょう

149名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/31(月) 07:44:32.09ID:COhefWl50
なぜ安価が付けられないのか・・

150名無しさん@お腹いっぱい。2017/07/31(月) 16:27:42.26ID:cJc4eyS+0
唐突だが、ラン書(とその子孫)って地味に晋滅亡A級戦犯クラスの畜生だと思う
暗君乱臣に満ちた資料上の逸話の中ではそこそこ格好良くそれなりに徳のある名臣みたいな顔してるけど

151名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/02(水) 11:51:26.16ID:/6M2z/S90
あの君主は殺す必要はなかっただろうな。

152名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/02(水) 14:38:16.24ID:iDL9YHb30
趙氏「許された!」

153名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/02(水) 20:50:06.19ID:lVivRze70
三郤「」
胥童「」

胥臣「・・・・・」
郤缺「・・・・・」

154名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/03(木) 09:36:48.32ID:jCAutfet0
>>152
一族のDQNが勝手にやったのと、総領が他家も巻き込んでやったのとでは大差だしな。
史官がどう書くかは別として。

155名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/03(木) 20:17:46.56ID:ikaQ6Ami0
欒書「腹黒士氏の讒言でうちが族滅するとは参ったね」

156名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/04(金) 15:42:32.47ID:TAXFN43Y0
欒書は君主を弑逆したけど、子の欒黶は父の傲慢な部分ばかりをより肥大させて
受け継いだ様な格好だな
的外れな恨み方で士氏と軋轢を深めるし、こいつが欒氏滅亡の引き金を引いてる感じ
せめて欒盈が欒書の孫でなくて子だったらまだ違ったのかもしれん

157名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/04(金) 20:03:35.99ID:HKVOSCvX0
士鞅の言葉通りの解説だね。

158名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/04(金) 22:39:27.22ID:rAq+lGYi0
実物は知らんから勝手なイメージになるけど傲慢さはいい勝負じゃまいか?ベクトルが異なるだけで
せっかくのリスクヘッジ婚姻を感情的行為で台無しにするあたり欒家が肥大化ぶんお気楽になった感じ

159名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/05(土) 14:41:03.53ID:t86Yujie0
>>157
士鞅、そんな事を言ってたっけ?
しばらく左伝も読んでないせいかど忘れしてるな

160名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/05(土) 22:38:17.39ID:AO0jBEwX0
>>156の解説には既視感を覚えるのでたぶん宮城谷作品っぽい。

161名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 10:13:22.57ID:1/s4U9Wa0
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170418381/323-332
晋の六卿スレでこの件についての議論があったな。

162名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 16:38:35.67ID:ciyBlx/v0
子産のおかげで士カイはわりとセーフな扱いなんかね

163名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 17:20:28.78ID:Jut8JTto0

164名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 17:43:23.78ID:tEhOndwz0
石虎の遼東遠征って海路も使って侵攻しているし
規模は小さいけど隋唐の高句麗遠征の雛形と言える戦役かもしれない

遼東・朝鮮半島は中華王朝にとって正しく鬼門だな

165名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 17:47:24.60ID:tEhOndwz0
誤爆した

166名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 18:19:01.06ID:KkyU6mTX0
唐の太宗李世民も遼東・朝鮮で少なくない犠牲者を出して敗北やからな〜

167名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 18:28:02.14ID:1/s4U9Wa0
なぜ誤爆に構ってしまうのか?w

168名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 18:43:35.67ID:tEhOndwz0
殷代から燕のあたりが開けているのは結構不思議
孤竹とかどうやって建国されたんだろ(軌道修正)

169名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/08(火) 22:03:08.12ID:cFfemUkx0
フェニキア人「古代人の植民力舐めんなよ!」
ギリシャ人「同上」


孤竹の伝承はおそらく虚構だと思われ

170名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 21:07:39.67ID:SPMT+GMV0
地中海世界やオリエントと比較すると東アジアは全体的に後進だが
東周時代ぐらいになるとユーラシア大陸から海を隔てた日本列島も青銅器時代に入るし
中原から遠く離れた周辺地域とてなかなか侮れない

171名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 21:16:09.26ID:EtBU26uN0
楚国って横死、反乱多すぎない?名君でも余裕で晩年悲惨だし

172名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 21:24:03.26ID:3PR3xoL20
「日本では弥生時代に鉄器と青銅器がほぼ同時に伝わったと言われており、青銅器は祭器として
のみ利用され、青銅器時代を経ずにそのまま鉄器時代に移行したと考えられている。」

173名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 17:04:47.57ID:gQTi/XU40
日本は地域によるね、かなり早い時期に青銅器の使用が始まった場所もあるし
ま、なんにせよ新発見が相次ぐ流動的な分野だから確定的なことは言えないけど

>>171
周〜春秋を勝ち抜け戦国列強に名を連ねた強国楚は最もマシな部類だぞ

174名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 20:30:26.46ID:EqBno+hz0
当たり前のことだが
国家政権が担当する面積や人口が大きければ大きいほど乱は数多く発生する
楚国にその手の事件が多いのは事実でしょう
だからと言って楚が他国に比べて不穏という訳ではないけど

175名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 20:33:04.70ID:EqBno+hz0
史書の関心が一部の国に偏向し情報の偏在が極めて激しい時代だからなんとも言えんわ

176名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/12(土) 09:39:15.38ID:DzRhyv6G0
晋が分裂しなかったら・・・
若しくは再統一していたら・・・

177名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/13(日) 20:10:24.76ID:HdlX8IIU0
平凡社の春秋左氏伝買おうと思って図書館で試し読みして見た
黄色本は絶版だからあのデカイ奴だけど字が小さすぎてキツすぎる
kindleか黄色本の再販しないかなあ

178名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/22(火) 22:49:44.61ID:zQe13gdc0
西周を滅ぼした申はいつの間に楚に滅ぼされたんだろうか

179名無しさん@お腹いっぱい。2017/10/26(木) 21:53:20.85ID:GqXpsN2M0
各国による自国こそ中国中原でお前ら夷敵だの証明面白かった

180名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 11:35:55.84ID:aY7ex3Zk0
中国の周ー春秋における週の王の実態はなかった。
これは徴税、上下の意味で

そもそも考古学的証拠上商は人口3-5万の集落、周は10-15万が限界の集落群に過ぎなかった。
そして他国の歴史がそうであるように、ただの古い集落、首長国でしかなかったのが実態

ここで王政、中間の支配、上下礼儀は存在してなかった。つまり王でも中間帝でもない

ただ最古の集落、大首長的崇敬、ルーツ的崇敬は持たれてたようだが、中原全国は周の支流民族、部落ですらない。
諸王も血縁者というのは無理のある創作

これは幼稚かつ安易な起源論の曲解で、戦国各国は別のバラバラの民族、部族であり、各首長と諸王の混血性、外交性は歴史上存在しない。
その部分は単に構成の三項ごていのような神話的ルーツとして作られただけで、完全に別別で部族が存在する。

もっとも秦などの内陸部は塩の入手のために周より後発的に集落が発達した。
塩商人であろう周人の立場が少々強かったくらいだが、周自体に上下支配を作れる力はなかった。

181名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 11:48:41.92ID:aY7ex3Zk0
そして戦国といいつつ、これ事実上秦VS蘇の二大国VS北部連合の二国史ないし三国志だった

そしてこれ西安平原穀倉帯の秦は人口大国で古き王国
蘇は沿岸野蛮人で文化的に同時期のたいわん、フィリピン、大和のマレー系原住文化と告示しすぎてて、その類型と分かる
そして北部は周というのが最初から最後まで王らしいイニシアチブを発揮せず、バラバラの部落連合であり
「最初から周王の実態はなく周首長国だけがあった」ことを裏付けてる。

そして実質的に民族的には北部5雄と蘇の秦以外はすべて沿岸マレー系部族文化集団であり
西部の秦だけ唯一王国として違う歴史と文化を持ってる

そして秦はあの時代の技術水準でもっとも農地に適した穀倉帯で、たいして他の6国は農地以外の狩猟採集の比率が大きいから人口少なく、ただの集落的社会しか作れなかった。

だから基礎人口+農業科で秦が優位で農耕の延長で真っ先に王国システムを作り上げた。
そして全土を支配できた。

たいして他の国はまともな対策や連携とれなくて、所詮少数部族、首長国だったことを裏付ける。
そして後の中国は西安長安穀倉帯をベースに、長江沿岸→黄河沿岸に穀倉帯を発達させていく

これが今日の中華のルーツ

この古代史は憶測と創造加筆でかかれたしきなどを固着化して、考古学的検証全然できてないの。
そして考古学より共産党が優先して「ただただ古く作る」だけで、古いだけのつまらない作為で歪みまくってんのが古代史

182名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 12:03:15.99ID:aY7ex3Zk0
ようは中華は
BC1000年中華は北部商周連合が華北にいてこれは25万の典型的な周大首長連合を作った

そして全土を探検して内陸塩交易を行って、内陸農業開発ができる産業地盤を作った。
周系は黄河流域、蘇のルーツ文化はおそらく周華北文化よりも古い文化として長江流域に塩交易を行った

しかしこの2つの文化は塩と漁業文化が中心の日本、台湾、フィリピンにもともとあるスタンダードなマレー系文化、集団の延長で農業大人口を要しなかった。

ところが塩交易が発達した時代、内陸西安でも農業拡大が(塩を買えるから)可能になり、ここに少数系としてBC2000年頃からルーツのあるインド系?インドシナ(ベトナムタイ系,?)らしき部族が
おそらく夏とされる雲南系?などの集団の延長としていついた。

そして塩が手に入ればせいあんは当時の鉄や銅じゃなく素手と木具中心の農耕開発で用意に農地拡大できたため大穀倉+大人工化を達して、農業社会型王政、王国を先に作れた。
その時系列は秦史どうりである

たいして他の戦国7国は塩交易と秦交易による農業収入(但し輸送しゅだんが限られるので輸入量は少ない)
沿岸漁業などの収入と、交易+狩猟採集があったことと、沿岸部、北部は当時の技術では農耕開発に適さない
ないし小規模の領域しか開発できないから、農業科+農業大人口化+農業大人口化に遅れた

それこそ銅器があろうと、中国の人口はBC1000年まで全土50-100万と周辺日本、インドシナ半島の総人口と大差ないくらい開拓されてなかった。
しかし秦は一国で大農業科+人工拡大をおこなって単独で100-200万の大人口集中圏を作った。
はたは単独で他6雄=日本=インドシナ半島級の人口を要した

これで真っ先に先進大国となってアジア古代王国としてのルーツを作る。いわば秦は始帝国にして、アジア初王国でもあった。

そして大農業+穀倉+人口+王国化を一方的に成し遂げたからこそ、ごく短期間で中原を征服した。
この局地的な農業集約社会、ないし王国が一方的に集落を征服するのは、東アジアに限らず世界史のスタンダードである

むしろ世界史のスタンダードからすれば、1王の征服が正しい歴史で複数王の相克パターンがマイナーな事例である。
よって秦のみ1強国、1大人口穀倉帯で自然的に覇者として勝利したというのが正しい歴史解釈

そもそも漢意向ですら人口と農業は秦にあたるせいあん、長安が中心、中間で、その沿線的に長江沿岸、黄河沿岸が発達する。
たいして北部や沿岸は少人工しか要さず発達が遅い
これはもともとその地域は農耕が不適切で穀倉帯、農業集約に適さないことの裏付け
すなわち「他6国は滅んだんじゃなく、最初から、半狩猟採集文化で農業発達せず人工は少なかっただけで、秦→漢以後も人口少なかった」ということである。

183名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/14(水) 17:42:53.84ID:evFrqCGl0

184名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/14(水) 18:49:31.91ID:n9hU+eNB0
楚だねー

185名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 19:30:56.68ID:88tgIdqO0
>>182
河東の岩塩にすら触れられん、駄文だなw

食貨志読んで出直せw

186名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/26(土) 20:42:58.83ID:duhox+eN0
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187名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/28(月) 23:01:51.88ID:sCZ1AVXo0
どういしゆ

188名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/30(水) 02:21:51.43ID:Hzqc8fCE0
>>82
覇者はそうなんじゃね
征夷大将軍みたいだ

189名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 22:42:23.14ID:cZ6mKy/c0
楚って元々殷のことなんだっけ

190名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 23:03:08.29ID:ZzBLO8c00
元が殷(商)は宋

191名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 23:05:49.47ID:d7vNnVQx0
楚は南方の異民族で野蛮人だから周王の権威とか知らんと言って王号を称した。

192名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:03:26.82ID:56sAjAqD0
項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?

清華大学所蔵戦国竹簡「楚居」の研究を元に、「楚」はもともと南方一帯を指した蔑称であり、西周時代以前は一つの国家のことでは無かった。北方から南下した「商」(殷)集団(殷そのものでは無い)が、楚王の祖先だと考えられる。

193名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:04:10.24ID:56sAjAqD0
西周から見て、イバラが生えてる未開の地が「楚」。
しかし、その楚は、長江流域に対しては「商」(殷)として接した。

194名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:04:35.68ID:56sAjAqD0
楚」と、「殷」(商)「周」の関係

中間にある「上洛・商県」は、殷末の周から「楚」と呼ばれた(周で出土した周原甲骨文より)

しかし、西周時代の周は、漢水の南側を「楚」(イバラだらけの未開の地)と呼んでいる(西周の青銅器の銘文より)

だが、その頃、楚王の祖先は商県にいた!

195名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:05:23.20ID:56sAjAqD0
殷末の周原甲骨に出てくる「楚」は、商県にいた「楚王室の祖先」を指している可能性がありますが、次の西周時代に討伐対象になった南方の「楚」は、たぶん別の国です。

196名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:06:05.06ID:56sAjAqD0
従って「楚」は蔑称ですが、戦国時代の遺跡から出土した竹簡の歴史記録「楚居」には、楚王室の祖先が帝王切開で生まれ、殷の名医がイバラで母体を縫合したので、「楚」と呼ばれたという楚人の理解が記されていました。
この話も、これまで全く知られておらず、世紀の大発見でした。

197名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:06:55.14ID:56sAjAqD0
そこで気になるのが、春秋戦国の「楚」の祖先集団が、殷周時代には「商」(弘農郡商県、上洛県)の地にいたと主張している『楚居』の記述なのです。
殷王盤庚(ばんこう)の孫娘と結婚し、「京宗」という理想的な土地で暮らしたという故事からすると、「楚」だと思っているものの正体は「殷」(商)だと

198名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:07:26.81ID:56sAjAqD0
春秋時代の楚は、南方の蛮夷の勢力に対しては「中原の国家」(殷系勢力)として臨んでいたが、

中原の国家に対しては「蛮夷の勢力」(だが、周との深いつながりがあると主張)だとして、介入を受けないことを第一としていたように思います。

199名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:08:02.87ID:56sAjAqD0
「楚」は、西周側がある方面の集団に対して用いた蔑称だとすると、途中で蔑称だった「楚」を自称に変える動きがあったと考えられ、
そうすると、西周時代の対外戦争に登場する「楚」と、春秋戦国の楚国の祖先は別の集団だった可能性も出てきそうですね。『楚居』の記述を肯定して、西周金文を尊重すると

200名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 22:49:45.26ID:Qu41ud4v0
片山晋呉ってすごい名前だよな
この時代を意識して付けられたんだろうか?

201名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 03:20:39.60ID:OLtm6zBv0
三国時代末「破竹の勢い」の故事からかもしれん

202名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 02:28:34.91ID:OYMiTotd0
晋と呉ならそこもか
五代十国の後晋と呉はほとんど交わりないか

203名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/16(土) 07:58:52.42ID:QMyVAjao0
資治通鑑読んでるんだが戦国四君はけっこう辛辣な評価されてんだな。
とくに孟嘗君は斉ビン王と同じ評価って

204李侯2018/06/18(月) 11:21:56.36ID:IE7l8pdz0
平原君とか人間味があって好きだけどなあ

205名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 13:04:08.47ID:cumxvhrj0
【天竜人だな、皇族″】 日本軍が敵国のアメリカから燃料を買っていた事実、なぜ教科書に載せない?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529288795/l50

天皇は、国民ではなく、国賊の象徴だろwww

206名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/19(火) 17:10:47.35ID:eU8vT5L10
俺だったらこっちを選ぶな
https://goo.gl/fjwkS3

207名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/20(水) 00:02:01.45ID:p57bzw350
>>204
わかる、エロ本の場所暴かれた中2の気分だわ

208名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/20(水) 23:08:43.68ID:XDHdos0g0
中国古代史を学びたかったが
良いのが東大とか早稲田と言われると何だかなあ

209名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/22(金) 12:30:39.01ID:OW/RjJXB0
古代史は面白い

210名無しさん@お腹いっぱい。2018/07/24(火) 22:20:13.57ID:qKzswfGE0
韓国の教授 「劉邦が漢をたてる以前三千年間、中国は韓国の一部だった」
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1532351516/

211名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/26(日) 01:12:55.12ID:b/vwGToC0
西周と東周に分裂した頃について知りたい
(質問しても違うって言っても東周時代のこと言われる)
(幽王の時代じゃなくて戦国末期の頃が知りたいのに)

212名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/26(日) 02:32:29.12ID:neeOqnr60
紀元前441年 31代 考王が弟の姫掲を河南に封じ西周の桓公とした。(西周公)
紀元前368年趙の成侯は韓とともに周を攻めて周を分割した。
この時西周公の末弟 公子班を東周公として封じて周の領土を削ったらしい。
この時の西周公が恵公で東周公も恵公なんでややこしい。
3分された周はますます弱体化した。最後の周王 赧王は自立を諦めて西周の
武公を頼って西周に遷都した。王都だった成周は東周のものになった。

213名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/27(月) 18:44:19.13ID:OfTvUpf00
>>203
司馬光の戦国期人物評は司馬は司馬でも司馬遷とかなりノリが違ってて面白いね、俺は結構好き。
一番好きなのは春秋戦国の著名人を軒並み無能&ゴミカス認定する韓非史観だがw

214名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/28(火) 01:28:06.89ID:VIT7OvFV0
元々周本来の領土は大きくないってことなのかねえ
周の領土を削って作ったのは鄭ぐらいかね

215名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/28(火) 02:24:39.66ID:TalSe1Gk0
???

216名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/07(金) 03:55:16.87ID:BXnOwDTP0
東周は春秋時代の初期に
放棄した首都を取り返そうとかしなかったんだろうか

217名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/07(金) 13:58:24.82ID:2owJwID30
楚を滅亡寸前まで追い詰めた、伍子胥と孫武ってやっぱりすごいな

218名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/07(金) 14:17:15.72ID:2owJwID30
>>210
韓国朝鮮人て本当に世界一劣ってるよな 無知無能無礼無学

219名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/09(日) 11:55:42.90ID:Ggry1Zuk0
いつもの連投さん、ほとんど荒らしと化してるな〜
(好意的に見て)無理矢理中英版を盛り上げようとしていると考えても稚拙すぎる

220名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/09(日) 15:50:28.91ID:P20AwBOY0
>>216
宗周近辺が遊牧民の手に落ちていて、放棄せざるをえなかった
秦への切り取り次第委任という形にしたのは現実的な判断

周六師を支えた内諸侯も徐々に姿を消し、殷八師はそれよりも前に実体を無くしていただろう
晋/鄭の助力なくしては最早成り立たず、鄭の勢力削減にも失敗したから
もうお手上げ状態で、むしろ戦国末期までよく生き延びたものだ

221名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/09(日) 23:37:14.40ID:Ggry1Zuk0
内諸侯や○○師は多少齧ってる人じゃないと意味わからんよ
まあそもそも圧倒的資料不足故にまともな解説は不可能な質問だけどね

222名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 00:28:59.08ID:4H6crhGt0
東周初期は平王派と携王派に別れて20年近く争い、
諸侯の加勢でやっと平王が王朝を再統一できたという有様
王朝内部の混乱による人材の喪失と組織の崩壊、
諸侯への褒賞や、敵味方による収奪が多数あったことは想像に難くない
それらの負債を払い終えた頃には、鄭のような大諸侯とはいえない国にすら敗北を喫している

東周初期の王朝の実力は既に並の諸侯程度、
宣王期ですら敗北続きの異民族に勝っての関中回復など夢物語だったろう

223名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 00:51:02.35ID:dWoihnJE0
216氏は携王平定後の東周王朝が宗周王畿(関中)を取り返そうとしたか否かを聞いているのでは?
想像上の現実的判断云々ではなく

224名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 05:48:24.50ID:75NGHJBM0
20年もやっていたのか
伯服に長男という意味の名前をつけているから他の子に愛情ないんだろうな

225名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 08:46:19.44ID:VDIA9L2P0
史料少なすぎて想像多めになるだろ

226名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 12:24:33.48ID:dWoihnJE0
もちろんその通りだけど、想像の方向も見当違い気味ですし

また想像を支える資料が極めて貧弱なのでちょっとでも新発見があればすぐに覆ってしまう
夢物語に終わったとはいえ東周王朝には各方面の経略を試みた形跡がある
さっさと故地回復を諦めて放棄したと断定するのは危険だと思うよ

227名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/12(水) 23:19:17.22ID:oKb0G8SQ0

228名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/12(水) 23:21:15.54ID:xQLRst1u0
諸侯の力を借りたとはいえ東周王朝を建ててある程度まで勢力は維持できた平王はなかなか凄いのではと思えてきた

229名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/13(木) 03:40:49.57ID:LJnzXgVI0
父祖が励んでいたであろう王朝の中原支配が思わぬ形で功を奏したと言えるかも
なんとか王権が安定し得る空間が存在した?のはデカい

君主に気概があっても応仁の乱後の足利将軍みたく王城の地にヤバい奴しかいない状況ではどうにもならん

230名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/13(木) 23:18:46.64ID:prOytI3n0
確かに凄いですよね
でもそのおかげで楚に呉とその呉を滅ぼした越を認識させ、後に越を攻め滅ぼして楚の領土が広がる事に…
その領土が広がり国力を増した楚の首都を陥落し二度も遷都させ、領土国力を半減させた白起もとんでもない
秦の統一って陶侯白起の頃に他国を削りまくったおかげなんですよね
始皇帝・王翦が美味しいとこをいただいただけな感じが…楚はすでに国力半減、韓魏は度々連合ごと白起に滅殺され韓は三晋時の領土を失い旧鄭のみ、魏も領土を削られ続け国力低下
趙は長平の大敗で兵力激減、斉は合従軍に滅亡寸前まで追い込まれた後遺症で弱体化、燕は楽毅を追い出し趙に負け続け
合従は陶侯時代の事で、実質燕以外の五国は陶侯白起に弱体化されていた
強国秦の基は商鞅の改革だけど、陶侯白起が五国を弱体化させてなければ後の王翦の活躍も始皇帝の統一もあり得なかったように思う

231名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/13(木) 23:54:56.24ID:LJnzXgVI0
派手に勘違いしてんぞ
楚の平王ではなく周の平王の話ですよ

232名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/17(月) 19:08:09.94ID:CEQlzRqe0
周の平王はいまいちどういう人格か見えてこないから語りづらいんだよな
鄭の荘公とのエピソードを見てると諸侯に気をつかってる苦労人なイメージがあるけど

233名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/19(水) 00:42:42.73ID:Db4DrolM0
そりゃ諸侯のおかげで王朝存続できたんだから

234名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/05(月) 20:00:10.40ID:e/v8SBZB0
晋が分裂せずにそのまま大国として残ってたらどうなっていたんだろうか

235名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/06(火) 22:19:31.14ID:NA+VaG3I0
ソ連が崩壊せずそのまま超大国として残ってたらどうなっていたんだろうか

236名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/07(水) 19:14:53.53ID:arzPW9700
結果的に晋は楚と休戦した事は失敗だったように思う
そのせいで覇者としてのアイデンティティを失ってしまった

237名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/07(水) 20:53:23.84ID:O3jtvnGx0
よくある話で、外敵がいなくなったことで国内の権力闘争に専念してしまう

ただ楚としても呉の台頭でもはや晋と戦争している余裕がなくなったから
休戦は時代の流れだと思う

238名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/07(水) 21:51:10.44ID:0kWCurwv0
そこだけ見れば、和平を必要とするのは楚なので
名高い晋の卿大夫連中よりも、評判のよろしくない康王霊王平王期あたりの楚外交の方が仕事したことになるな

239名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/07(水) 22:13:05.94ID:arzPW9700
康王はそこまで評判悪くないんじゃない?

240名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/07(水) 23:55:55.75ID:0kWCurwv0
そこまで悪くないけど
最も有名なエピソードが評判最悪の二王と大差ない人物扱いのアレですので…

241名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/08(木) 01:45:02.02ID:hu8qVkbr0
共王の方が仁徳者だけど
晋に敗れて覇権を失った共王よりも
晋と和平して南北覇者体制を作った康王の方が君主としては上かなと思う

242名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/08(木) 05:43:43.93ID:m9E2r/ef0
いくつかの逸話から思い浮かぶ共王のイメージは弱い君主像だなぁ
君主らしい指導力を発揮しないまま退場した印象

情報欠乏ゆえ実際の優劣は皆目見当がつかないけれど

243名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 19:03:40.92ID:hsVYxs380
鄭の荘公って春秋期でも五指に入る戦上手?

244名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/10(土) 22:32:28.10ID:m4hrgt6+0
戦績いいから戦上手、とは限らないし
タイムマシンで軍事活動全般をじっくり観察、比較検討してみないとわからんゾ
観察してもわからんかもしれんが

245名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/11(日) 21:50:24.12ID:5oL/yZMd0
>>237弭兵の会盟により諸侯が和平を結んで対外戦争の回数は減少していくけど
代わりに各国で内乱が勃発するようになるからなぁ

246名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/12(月) 11:56:30.90ID:uWLaYEhV0
その頃になると叔向と晏嬰が憂いてた様に、どの国も大臣が力持っちゃて内輪もめに
忙しくなってくんだもの
その叔向の羊舌氏だって後に祁氏共々臣下共に潰されて領地も勝手に山分けなんて結末

247名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/12(月) 17:08:21.56ID:S2xgkBMK0
晏氏も瞬殺されたゾ
晏嬰の人徳が足りなんだか…

248名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/12(月) 17:44:58.64ID:hNYlI9O30
晋も斉も失望しました、七穆のファンになります

249名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/12(月) 19:40:01.35ID:S2xgkBMK0
七穆となって鄭を専制支配するゲームやりたい

250名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/13(火) 01:15:00.05ID:WSIhOXpN0
七穆が似たような名前ばっかで分けわからんようになったりする
宮城谷先生の「子産」もそこんとこ苦労した

251名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/13(火) 04:35:36.38ID:JWZavfEL0
似てるのは名前だけじゃないからな
世代は変わっても鄭の国内外の情勢はそこまで大きく変わらないから活動も似る

252名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/14(水) 22:11:22.92ID:S9+Fu6ll0
鄭は春秋時代後期から戦国時代初期にかけてどのように衰退して滅んで行ったのか良く分からんのだよな
韓に滅ぼされたのは分かるが

253名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 00:50:57.82ID:nDdwFvF10
(よく分からん、、、加害者名のみ分かるって)それ他の国も一緒や!!!

ただ末期になっても韓に反攻する力はあったっぽいのでそこまで衰退していなかった可能性も考えられる
鄭地に居座ろうと押しかけてくる強敵がいたら春秋中頃の鄭でも防ぐのは難しいだろうし

254名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 01:21:37.74ID:FHLY86S20
春秋時代と違って助けてくれる晋もいないからなぁ

255名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 01:23:50.45ID:rQKu5UVI0
>>252
20年くらい前に、駟子陽の圧政とそれに続く駟氏の鄭君弑殺が起きたけど、それも一因なのかな

256名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 02:33:32.57ID:nDdwFvF10
時期的に因果関係ゼロはないだろうけど
みんな大好き駟氏(子陽)と鄭君の実力や立ち位置が分からんのでなんとも言えないね

257名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 17:05:30.84ID:OEuAqjJk0
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258名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/15(木) 21:47:25.54ID:jfz/jM9J0
うぜえ ハゲルサンチマンサル

259名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/16(金) 01:28:53.99ID:xgtC8Okk0
子産の改革のおかげで鄭は寿命が延びたのだろうか

260名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/16(金) 07:28:08.34ID:AxCjQphK0
延びたかもしれん縮んだかもしれん大差なしかもしれん
鄭と改革の実態がわからない、検証不能ですわ

261名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/16(金) 19:32:05.90ID:WBmBzKxO0
孟子て読んだことなかったけども読みやすくていいね面白いし
韓非子や荘子など3ページで挫折した身には心地よい

262名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/18(日) 23:01:17.91ID:WRKi+FIN0
サイチョがなあ
妻をねどった君主なんか殺してもいいじゃんと
それにサイ氏は元々君主の兄の家柄なのに、、、

263名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/18(日) 23:04:17.18ID:WRKi+FIN0
考王が弟の姫掲を河南に封じ西周の桓公とした。
なぜ?

孟子は綺麗事いう奴だからなあ
親は子を愛しているものだと思っていそう

264名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/23(金) 21:43:07.70ID:JLdGtpGK0
戦国時代初期は史料が少ないのが残念だ

265名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/24(土) 00:28:24.86ID:oOO39nCr0
>>264
秦以外「気にするな、初期も中期も後期も晩期も壊滅的だ」

266名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/25(日) 21:07:01.22ID:6ZIiDhih0
戦国時代の史料を見てると春秋時代は左伝があって本当に良かったなって思う

267名無しさん@お腹いっぱい。2018/11/30(金) 08:25:58.40ID:ujJ6d3Xj0
燕なんて何代か君主さえ不明って

268名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 00:48:55.02ID:X+jjj3bZ0
魏とか趙とかはまだマシじゃないか。田斉や燕はひどいな。

269名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/17(月) 01:10:54.16ID:ZRfMpjCB0
そりゃ燕よりはマシだが五十歩百歩
魏も趙も偏りが激しく、盛られてる一時期以外はスカスカ

270名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/24(月) 22:03:46.85ID:snxF24RM0
呉越の地ってもうほぼ楚?

271名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/24(月) 22:53:51.24ID:AApis+uy0
戦国時代はほぼ楚に占領されてるんじゃない?
越は楚に滅ぼされたし

272名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/18(金) 00:47:12.82ID:jUdgDlcT0
越は勾践の死後どう衰退していったのかイマイチ分からんのだよな

273名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 00:44:49.82ID:vHTlpFHU0
勾践生前すらよく分からんので・・・
つかホントに衰退したのか? これさえ定かではない

274名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/24(木) 16:53:38.24ID:cppKFNp10
越は史料が少なすぎる

275名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/25(金) 05:53:45.96ID:av0SLVlz0
春秋の覇者に数えられる国だが
史料的には邪馬台国レベルやな

276名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/25(金) 18:23:11.32ID:eKCnvO/10
この時代 記録残す文化持ってたの魯とか一部の国だけで
それに関わってこない限り何も記録されないんやろな
邪馬台国もそんな感じだし

277名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/25(金) 19:22:32.00ID:av0SLVlz0
説話はそこそこあってもリアルタイムの実録っぽいのはごく僅か
まあ中華の宗家たる周王朝史がこのザマなんで仕方ないけれど

記録少なくとも中南米の文明や古墳時代の大和くらい重厚な遺跡が残存してたらまだマシなんだが
越王墓クラスの遺跡ですらそこまで資料出ないし厳しいな

278名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/25(金) 21:57:07.15ID:zvYKVhAl0
軽く見積もって2200年以上前なんだから残存状況はまあなあ
それでも燕召王の槍が出てきて、召王の即位事情がようやく判明したりしてるしね

279名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/25(金) 22:31:35.40ID:av0SLVlz0
あれでかの戦国屈指の知名度を誇る故事は大きく崩壊してしまったが
即位事情判明ってのはちと気が早いような

280名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/27(日) 00:59:49.45ID:8al10bl60
ポンペイのように保存状態完璧な春秋戦国中原諸侯の都市遺構が丸ごと出てきたらどんなもんだろうな?
越じゃあまり期待できないかもしれないけど

281名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/27(日) 19:45:09.61ID:k19YS5wE0
基本、土城やからなぁ…

282名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/01(金) 07:14:47.31ID:KI8VHf3n0
秦始皇帝って、エイ政だけど、趙で生まれたから趙政とも言われてる…みたいな説明をみかけるんだけど
秦の君主って初代からエイ姓趙氏じゃなかったっけ?

283名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/01(金) 21:00:39.93ID:lUwUEDMu0
初代って襄公のことか?
秦襄公個人の氏を明示する資料は現状ないと思われ

284名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/02(土) 07:30:42.39ID:jFA9cjLZ0
普通に考えて最初に秦に封ぜられた非子が初代じゃないの?
非子は趙氏だって史記秦本紀に書いてたような

285名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/02(土) 17:00:26.27ID:j0WjW2XF0
現代だと氏姓の区別が曖昧な上に、
当時は氏を割とカジュアルに変えちゃうせいで混乱しやすい奴だ……

286名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/02(土) 18:23:24.47ID:pS+WGm6p0
初代襄公ってのもなかなか普通やで?

確かに西周時代の秦人も、趙城を与えられた造父と同じ姓趙氏になったと史記は主張していますね

287名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/02(土) 18:33:45.35ID:jFA9cjLZ0
史記秦本紀ざっと見たけど途中で氏を変えましたみたいな話は無い気がするけど
つまり全員趙氏でおkに思えるが
エイ政の代から趙氏になりました話には史料的ソースあるんかな

288名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/02(土) 19:20:37.76ID:JGtSiF5J0
伝説によれば帝舜に仕えた伯翳または大費という者が鳥獣をよく馴らして褒められて舜から
エイ姓を賜ったのがエイ氏の始まりである。殷に代々仕えて紂王の時には蜚廉(飛廉)と悪来の
親子で仕えていた。蜚廉の下の子季勝の子孫から造父が出て趙氏の祖となった。造父は馬を
操るのが巧みで周の穆王の御者を務め寵愛されて趙城に封じられて趙氏となった。
それにあやかって同族は皆趙氏を名乗った。その少し後の孝王の時に季勝の子孫から非子が
出て孝王のために馬を飼い増やしたので孝王は非子を秦の地に封じてご先祖様の伯翳を
祀るように言った。そこで非子の子孫はエイ姓に戻して秦の地を治めた。

289名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/02(土) 19:34:22.53ID:pS+WGm6p0
>>287
もちろん変えた話はないけど趙氏を称している例もないのでちと弱い

趙城封建と活動期間がかなり接近している非子は西犬丘に居住していたとあり
そもそも趙城の趙氏と秦の一族にどれだけの関係があるのか…

290名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/13(水) 00:10:29.32ID:wUcJ8g2a0
越は勾践の後8代位は続いたんだよね
最後の君主が斉に攻めこんだら斉の謀臣に「うちを攻めるより楚に攻めこんだ方が美味しいですよ」と言われ矛先を楚に変えたら返り討ちにあって滅亡したんだっけ
それで東は呉越の地から西は蜀までと楚史上最大の領土になった…が張儀におちょくられた懐王が秦に攻めこみ返り討ちにあい漢中を失い、司馬錯に蜀を奪われ、白起に首都の郢を陥落させられてあっという間に領土が半分以下に

291名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/13(水) 01:11:27.10ID:E0ua69uM0
楚の最盛期って領土だけ見たら戦国時代初期あたりなんだよな
他国への影響力考えたら春秋時代の荘王の時代なんだろうけど

292名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/13(水) 03:52:46.84ID:lI8aQCWp0
清華簡とか見ると、戦国初期でも三晋はそれなりに結束して楚に対抗してる感あるな。

293名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/13(水) 07:38:26.83ID:pAND7Rtl0
戦国時代初期が最大領土とな?
信頼できる世界地図とかある時代じゃないから確たることは言えないけれど、
ふつう懐王の頃、すなわち戦国中期が最大版図かと

294名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/13(水) 16:37:20.57ID:hmizoAUw0
楚って戦国時代はパッとしない。
改革出来ずに貴族が実権握ってたからかな?

295名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/15(金) 18:57:45.19ID:AXIPSrQS0
家陳須無、陳無宇の次代から田乞、田恒呼びで良いのでょうか?

296名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/15(金) 19:33:17.85ID:AXIPSrQS0
>>295
陳須無の前の家は誤りです。すみません。

297名無しさん@お腹いっぱい。2019/02/16(土) 07:44:23.62ID:ahZMBZVq0
特に拘りがなければ全員「田氏」で良いのでは?
田敬仲完世家は田氏で通していますよ。

298名無しさん@お腹いっぱい。2019/03/08(金) 15:40:37.41ID:cKMGwzNs0
元の陳があっさり春秋時代で滅んで
亡命公族が乗っ取った斉が大国になるのは皮肉なもんだな

299名無しさん@お腹いっぱい。2019/03/08(金) 15:44:41.43ID:zfnXbma60
フェニキア本国より植民都市カルタゴがブイブイ言わせてたようなもんか

300名無しさん@お腹いっぱい。2019/03/08(金) 17:37:52.90ID:84oFj2Ay0
小国陳と大国斉じゃね。

301名無しさん@お腹いっぱい。2019/03/12(火) 03:35:57.43ID:oKJntmBB0
清華簡「繋年」23章に出てくる陳疾目って、田斉の人なの?

302名無しさん@お腹いっぱい。2019/03/14(木) 19:29:33.03ID:bb9DVpDQ0
強く否定する材料はないかと

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