【名門】戦国今川氏を語る【花倉の乱】

1名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 04:53:40ID:J10T+iCs
義元、氏真に限らず、戦国今川氏全般について語りましょう。

関連スレ
今川氏真 (゚∀゚
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150623242/
【今川】2万5千で上洛【義元】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152318781/
桶狭間の合戦の真実について
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962872/
【新説】本能寺氏真陰謀説提唱
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153313316/

2名無しさん@お腹いっぱい。read.cgi/sengoku/115331332006/11/25(土) 04:57:06ID:Z/3lDNNk
歴代当主では氏輝が一番優秀だと思う。

3名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 10:26:07ID:bjjjKDhO
他の大名はあったけど、ついに立ったね今川氏スレ
今日は書けないけど後で書き込みさせてもらいます

4寿桂尼2006/11/25(土) 11:24:39ID:chuof6ts
庵原、この中に裏切者がおる。
裏切者が首刎ねよ、そしてその首に問うのじゃ
腹黒き胴体から首切り離せば、まことの事、申すであろう。

氏真、裏切者が首刎ねよ、義元が仇。

5名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 18:01:16ID:ohJbVisz
( ´゚ω゚` )

6名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 18:23:40ID:azoP5tw9
>>4
わしは掛川へ引くと決めたのじゃ!

7庵原安房守2006/11/25(土) 20:00:12ID:5YGdwzSC
それはなりません!
いま、お屋形様がこの駿府をお捨てにならば
国捨てる事にて、我が軍勢総崩れになります。

8名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 20:26:35ID:8pzVgceX
裏切り者に囲まれて戦うことできぬ・・・

9名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 21:10:48ID:8pzVgceX
戦だけが国造りではありません・・・

10名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 22:30:08ID:msMvoRJS
武田信玄などと同盟すべきではなかった。
早い年代に北条と共闘して倒しておけばよかったな

11名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 08:15:12ID:cmsCR1Va
その前に信長をつぶせよw

12寿桂尼 2006/11/26(日) 09:05:27ID:a0nErBJS
最早、我が今川家の命運、尽きたも同然じゃ。
滅びる、何もかも、滅びる。

13名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 09:23:36ID:oW9LGUbZ
信ヤボの氏親の能力高いね

14名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 09:32:46ID:JlajKSL0
今川氏は代々親北条、反武田だったけど
何で義元はその逆を執ったんだろう?

15名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 09:41:34ID:RFenGsLl
武田信虎が怖かったから

16太原雪斎2006/11/26(日) 16:04:17ID:Ur1CuzT/
>>10 分かってないな〜 私の天才的な天下三分の計を

17名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 22:25:37ID:5Fj9pmLd
なりきりはふさわしいスレでやりなさい

18名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/27(月) 16:56:27ID:YGyk1PZL
大内もそうだけど今川も内訌が多い
花倉の乱もそうだけど、範政の後とか義忠の後とか
その割りに守護家として弱体化しなかったけど

19名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/29(水) 15:52:28ID:AAHGYc9C
美濃斎藤氏を出奔して氏真に仕えた日根野?って武将いたっけ?

20名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/02(土) 22:59:59ID:E+/d+BVk
>>16
お前がもうちょっと長生きしてくれれば…

21名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 15:15:11ID:C6DVSwIZ
日根野弘就は美濃斎藤家の家老で、稲葉山城落城後に一時今川の家臣になったんじゃ

22名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/13(土) 19:29:27ID:zlp16JWf
福島正成を討ったことから滅亡への道を歩んだような。

23名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/13(土) 22:55:53ID:V+kPYLb3
息子は北条綱成だよね。何で北条家臣になったんだろう?
花倉の乱の時点では北条は義元支持だったはずだが。

24名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 16:09:44ID:ppc/i+yr
福島氏の領地は没収されて、
義元支持派で戦功もあった小笠原氏の領地に編入されてるね。

高天神城が武田勝頼に降伏・開城したときの士官名簿の中に福島姓があるけど、
残された福島一族は小笠原家臣に組み込まれてたということだろうか。

25名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 18:50:01ID:W/wtUTtR
花倉の乱の最中から急速に義元が武田に近づいたのも大きいと思われ。
当時の武田は、親戚筋の上総守護武田家との関わりから、
関東進出を目指していたから、武蔵南部を制圧していた北条と対立していた。
今川と北条が対立し始めた状況なら、流れるにはちょうどよかったんじゃないか?
その先見の明を評価して、氏綱も自分の養子にしたのかもしれない。
氏康の代わりに跡を継がせようとしただの、それがあったのに氏康も重用したことを考えれば、
綱成自身が人から好かれやすかった面もあるのかもしれないが。

26名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/17(水) 15:19:38ID:qe4wgyQh
大河ドラマ、いきなりきな臭い話になったね。
そろそろ花倉の乱・・・

27名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 03:09:09ID:RLg0gENF
次週が楽しみ!

28名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 03:54:54ID:TlpKb0VF
足利が絶えれば吉良が
吉良が絶えれば今川がってなんだったけ?

29名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 13:24:32ID:ZqbbQ0kQ
>>28
征夷大将軍の位/幕府トップの座

30名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 16:51:24ID:/Rpea3Ni
出展の話では?

詳細は不明ながら
御所が絶えれば、吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐという、室町期の俗伝

31名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 23:43:48ID:YHvbfWHG
吉良、今川って三管領家と家格はどっちが上だったんだろう?

32名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 09:23:25ID:mZcOoPm6
>>31
宗家との血の近さなら斯波>吉良=>畠山>細川です、確か
但し、斯波も吉良も義詮の頃に、足利の名乗りを許されなくなりますので、
あまり意味はないかも知れません

幕府内では管領が一番上でしょうね

難しいのは官位的にですが、さらっと調べましたところ
例えば同時代の斯波義淳は従五位下、細川持之は従四位下、
畠山持国は従三位、吉良俊氏は従四位下、今川範忠は従四位下
ここらへんは、試しに他の時代も調べてみては如何でしょうか

33名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 13:18:46ID:oLzoPqdJ
大河では、氏輝と彦五郎なる人物とが同日死亡という説を基にしてるね。

個人的には氏輝=彦五郎説を支持したいが。
名前の記述に違いがあったため、一人の人物が二人の人物と誤認されたという説。

34名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:59:56ID:5W+qE9dK
たしかに五郎・彦五郎は今川歴代当主の仮名だし
彦五郎(仮)の生年って玄広恵深と同年だから
いろいろごっちゃになったと考えたほうがスマートかも

35名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:29:52ID:aQce6gRt
>>29
>>30
有り難う。無知で申し訳無い

36312007/01/30(火) 21:38:20ID:UIpHoFwt
>>32
ありがとうございます。調べてみます。

37名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 22:58:00ID:MxWV/oWK
>>33
氏輝の嫡子だった可能性もあるかも。
今川家嫡子なら彦五郎と記録されていてもおかしくない。

38名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 23:15:28ID:5W+qE9dK
没年23歳で元服した嫡子がいるというのはちょっと微妙
ギリギリ不可能ではないかもしれんが

39名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 23:26:51ID:MxWV/oWK
幼名が伝わってなくて今川代々の嫡子の名である彦五郎で記録した、
もしくは氏真と同じで幼名が五郎だったのを彦五郎と誤って伝わったとか?
少なくとも弟彦五郎説はないだろうな。

「今川家譜」に尊氏の遺言として、
「室町殿ノ御子孫タヘナバ吉良二繼セヨ、吉良モタヘハラ今川二繼セヨト被仰置タリ」
と載せてますですよ。

41名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/31(水) 13:49:07ID:2ixSunJ5
氏輝の名乗りは「五郎」だったと伝わっている。
それは正式には「彦五郎」だったけど、略して「五郎」と称していたため、
記録に混乱が生じたのではなかろうか。

という、割と納得しやすい説ですぜ。

ちなみに幼名は竜王丸らしい。

42バロン曽志崎2007/02/01(木) 21:08:32ID:2gH+jfEe
「為和卿集」
四月十七日氏輝死去廿四歳、同彦五郎同日遠行。

「高白斎記」
[四月]十七日今川氏照(輝)同彦五郎同時ニ死ス。

「妙法寺記」
天文五年、(略)、此年四月十[七]日駿河ノ屋形御兄弟死去被食候。

43名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 00:41:16ID:kPCsFs17
>>42
同時代史料の時点で誤解の余地がないほど弟だな

44名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/03(土) 14:55:55ID:ZkCNI5oF
これは俺の推測だなんだけどさ、氏輝は病弱か性的不能で子供が作れないことが公知の事実
だったんじゃないのかな。

そこで子が出来ないことを前提に、不測の事態に備えて(今川家は過去にも家督を巡って争いが起きているので)
次の弟を後継者と定め、嫡子の名乗りである「彦五郎」を名乗らせたのでは?

45名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 22:36:04ID:K/VCQpqv
氏輝と彦五郎が別人ならやはり暗殺か?

46名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 23:05:22ID:+OMlQ6S0
今年の大河なかなかいいじゃないか
今後千年はこういう扱いないな

47名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/05(月) 02:51:15ID:xZChbvil
>>46
でも謙信が・・・・・

48名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/05(月) 10:03:26ID:0rdIiyf2
笑わないしボソッと喋るから使い方によってはかなりはまるかもだぜ

49名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/07(水) 17:08:38ID:Cr3PMcxV
玄広恵探役が柔弱な言動を演じたのが意外だった。
曲がりなりにも大名家の家督を狙う野心家だけに、
もっと豪胆なイメージがあったのだが・・・

負け組だからそんな扱いになるのだろうか

50名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/08(木) 05:13:50ID:dvctusPQ
大河では二人の兄の死は梅岳承芳が黒幕なんだそうな。
脚本には放送には無い寿桂尼が承芳を疑うシーンがあって、
初登場シーンで承芳やった谷原は実兄殺しを意識して演じたらしい。

51名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/10(土) 19:15:22ID:stSE2doW
今度発売の別冊ヤングマガジンで、『センゴク外伝・桶狭間の戦い』をやるらしい
今川義元は一体どう描かれるのだろうか

52人間七七四年2007/02/25(日) 14:26:29ID:lWk+HgM+
岡部正綱の生年は1542年らしい。
その弟とされる岡部元信は、正綱とは年子説が有力で、従って1543年生まれとしてみる。
第二次小豆坂合戦(1548)で岡部元信が活躍したことになっており、
いくら今川家に重用されていた岡部家の子弟とはいえ、
6歳そこそこで一部隊の指揮を執ったとは思えない。
同名の別人かね?

53人間七七四年2007/03/02(金) 02:00:46ID:3OEK+g3h
>>52
岡部元信と岡部正綱は兄弟ではないとする向きもあるみたいだ。
岡部元信の場合、長教→元信→真幸と名乗りを変えているみたいだし、
義元と同年代かちょっと年下くらいの世代だと思う

54人間七七四年2007/03/02(金) 05:33:13ID:7i4EDiir
青春18きっぷでの快速電車&普通電車乗り継ぎプラン概略。 3/18改訂版
【東海道線乗り継ぎプラン】
姫路←15〜30分間隔→米原←30分間隔→大垣←15分間隔→豊橋←20分間隔→浜松
浜松←20分間隔→島田←10分間隔→興津←20分間隔→富士←10〜20分間隔→三島
三島←一時間に三本はある→熱海←一時間に4本はある→東京

まあこんな感じだな。
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1170917195/l50
青春18きっぷだな 。
JRは3/18にダイヤ改正を実施します。静岡探索にいかがですか。

55人間七七四年2007/03/02(金) 09:03:52ID:WRCZGGuh
にわかですまん
尼子の新宮党とまではいかなくても大国にはそれを支えた精鋭部隊がいたと思うのですが今川の場合はどうなんでしょうか?
諸外国、家中での評判なりで知られていたのはありますか?
もう少し崩して、例えばいつも先陣はこの部隊だったとかでもいいです。個性で言えば武田の小山田隊は石投げてたとか有名ですよね。
今川を支えた軍事面でのそんな話を聞いてみたいです。
三河勢がいつも先陣やらされてた、水軍を所有していた、朝比奈、朝日奈、岡部このへんが武勇の将なのかな?ぐらいなにわか知識で申し訳ありません。
また、なにか良い本でも紹介して頂けると嬉しいです。

56人間七七四年2007/03/04(日) 09:54:52ID:3dNYB+cn
精鋭部隊って馬廻衆じゃないかな。
名門今川の名・豊富な資金によって、全国から人材を集めたり、優秀な教育者
に馬廻衆になった重臣達の子弟を育てたりしたと思うから。

飯尾乗連は、いろいろな前線にて軍奉行として指揮いるので、最も信用された
人物だったのかと思う。
他には安祥城攻めで配置されていた朝比奈泰能・鵜殿長持・岡部元信
三浦義就・葛山氏元・松井宗能という将が武勇の将になるのかな。

部隊としては、天野一族が1番だと思う。

57人間七七四年2007/03/05(月) 20:21:40ID:yfrvjcWg
岡部元信は、
岡部正綱の弟 じゃなくて
岡部正綱の父の弟 だと、年代とか、いろいろ符号が一致するんじゃないか?

58人間七七四年2007/04/04(水) 10:46:41ID:cbg5soKx
>>57
ちょっと調べただけでは、ピンときませんが、どういうことでしょう?

59人間七七四年2007/04/20(金) 19:40:38ID:nReK5tqA
ちょっとした疑問。

小和田哲男の『今川氏の研究』って本に
「氏輝の遺言としては承芳への相続ということであったらしく」
ってあるんだけど、何が出典になんだろう。

これが本当なら、氏輝はどうして彦五郎を指名しなかったんだ?
彦五郎は氏輝よりちょっと早いタイミングで死んだってことかなあ。

60人間七七四年2007/04/20(金) 21:22:55ID:/OJ6AezM
あ!本当だ。
氏輝は、北条が祈祷する位だから、急死では無い。
遺言をする時間は有っただろう。二人は同日に死んでいるから、遺言する
時には、まだ彦五郎は生きていたんじゃないだろうか。
となると、氏輝と彦五郎との間の関係は、遺言で指名しないほど悪化して
いたりして。

61人間七七四年2007/04/21(土) 00:59:33ID:AGNSy3dA
>>60
ありがとうございます。

彦五郎って特異だと思う。寿桂尼の子供としては、扱われ方が異常。
義元は氏輝の7回忌とか13回忌とかやってるけど、彦五郎の存在は
ほとんど無視でしょう。真珠院っていう彼を祀る寺があるようだけど、
花倉の乱に関わったとかで由緒が失われてるらしい。名誉回復?もされて
いないってことだよな。
氏親の葬儀の記録にも名前が見られないみたい。母が先代の正室で、準嫡子とも
目される次男が父親の葬式に出席してないっていうのはおかしな話だ。

彦五郎が実は氏輝より年上の庶長子だったっていう可能性は無い?
もしくは養子。寿桂尼に氏輝以下が生まれたので廃嫡されたとか・・・


確たる根拠は・・・無いんだけどね。。。すんません

62人間七七四年2007/04/21(土) 01:10:10ID:I5Sf+dna
庶長子で思い出したけど北条新九郎(氏康長男)は正妻今川氏の子供じゃないんだってね
今川彦五郎も本当は先妻の子というのはありうる話かも

63人間七七四年2007/04/21(土) 07:12:16ID:1JX2cHIF
織田信長の息子のところでもそれはあるものな。
信雄が次男、信孝が三男だが、現実には、信孝の方が信雄よりも
20日生まれたのが早かったと言う説もあるようだからな。
もっともそれには異説も唱えられていて、本当に順番は間違っていない可能性もあるようだが。

64人間七七四年2007/04/21(土) 13:27:23ID:AGNSy3dA
氏輝って氏親が40歳前後に生まれた子でしょう。
それ以前に本当に誰も男子が居なかったのか、と考えるとどうもねえ。
>>62-63さんありがとうございました

65人間七七四年2007/04/21(土) 21:24:31ID:YKnoimjv
氏真は、彦五郎に関係有る藤枝円良寺に、寿桂尼の亡くなる数日前に遺言により
書状を出しているので、寿桂尼の子と思っていたけど
先妻(可能性として烏帽子親足利政知に関係有る女性か?)の子という気にもなってきました。

桶狭間の戦いに名が有る、久野氏忠は義元の甥、その父親久野宗衝は江尻城主
江尻親良は今川一族とあり、なんとなく庶子の影が…。

66人間七七四年2007/04/22(日) 04:04:24ID:/txUYbvC
>>64
彦五郎(五郎)は今川嫡子の通称だから氏輝と彦五郎を同一人物とする説もある。
二人が同一人物なら氏輝が後継者に指名しなかったことも、同時期に亡くなった不自然さも簡単に説明がつく。

67人間七七四年2007/04/22(日) 10:02:01ID:S/lf5SSy
>>66
同一人物説では、>>42-43はどう解釈されているのでしょう?

68人間七七四年2007/04/22(日) 14:57:08ID:lOe+lSvo
>>66
円良寺文書の中にも、彦五郎に当たるとされる「定源院殿」という
人名が見えるようですが、この人物も彦五郎ではないということになって
しまいますよね。

69人間七七四年2007/04/27(金) 09:43:45ID:RzjNpLU1
死んだという記録だけで、生前はどんな人物だったのかという資料はないの?
>氏輝と同じ日に死んだ彦五郎

70人間七七四年2007/04/28(土) 15:08:40ID:h5rEJNE7
>>69
無いっぽい。
『高白斎記』『為和集』など極めて当時性が高い日記類の史料には
名前が出てくるのに(でも死亡記事のみ)、『今川記』とか「今川氏系図」
などは彦五郎についてふれていない。特に後者は、普通ならその人となり
を伝えていてもおかしくはない史料だろうに。謎だ。

「彦五郎=○○」という疑念が出てくるのも仕方がない状況ではある。

71人間七七四年2007/05/03(木) 18:31:42ID:82lFRbIz
一つの説。
・泉奘は、没年から義元の兄にあたる。
・氏親の葬儀に名が無い。
・義元の兄なので、どこかの寺に入れられていただろうに、恵探の居た
 遍照光寺に、天分8年になって始めて入ったとある。
実は玄広恵探は自害していなく。名を象耳泉奘と変え生き残った。

72人間七七四年2007/05/04(金) 18:06:13ID:yoGG8N2f
>>303
大畑安次っていう人の説らしいな。
小和田哲男氏らは以下のように反論してるみたい。

・恵探=泉奘だとすると、恵探は既に住持をつとめていて泉奘が二度
受戒したことになり、不自然。
・「南山北義見聞私記」の奥書という史料からも、やはり二人は別人
であると思われる。

(『今川氏の研究』P.303)


・・・要約するとこんな感じ。あ〜あ全く何が何やらw難しいな

73人間七七四年2007/05/04(金) 18:08:13ID:yoGG8N2f
ごめん、ミスった。>>303じゃなくて、>>71だった。
お手数ですが訂正キボン

74人間七七四年2007/05/04(金) 23:29:13ID:+V6mVAW3
>>72
そうなんだけど、泉奘は氏輝が死んだ年には19歳で、義元・恵探と同じく寺
に入っていなかった事に、恵探=泉奘説は捨てがたく思う。

75人間七七四年2007/05/05(土) 19:02:17ID:kh3+DQWi
成程・・・確かに、年齢を考えるとどうも引っ掛かるものがあるな。

つか密集しすぎだな。6人の男子の年齢差がそれぞれ1歳違いとか2歳違い。
氏親室がもう何人か多く確認されてるならそれも不思議ではないだろうけど
寿桂尼と福島氏しか登場してこないから尚更怪しくなる。どうしても、誰かと
誰かの混同を疑わざるを得なくなるケースだなこの問題って。


せめて寺なんかに入れないで、城主として各地に配置すれば、
人物の記録も残りやすくて、分かりやすかったんだろうけどなあ。
内紛防止の為なのは分かるけどさあ

76人間七七四年2007/05/06(日) 08:02:45ID:0aCiThj2
>>75
そんな未来の歴史家に配慮した人事やってどうする。

でもその点では、当時は客将だった後の小田原北条氏は
一族の団結が上手く行っているだけに、この頃の今川を反面教師にしたんかね?

77人間七七四年2007/05/16(水) 21:19:38ID:5DLPBvAt
昨日の「なんでも鑑定団」で今川義元に関するものが紹介されたのですか?

78人間七七四年2007/05/17(木) 10:29:13ID:i8j3XQfG
日立市の方だったな、テレビがついていてちらっと見ただけだが、自筆の書状だったかな

79人間七七四年2007/05/17(木) 10:48:24ID:1OxVE5Wl
tp://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/documents/imagawayosimoto_000.pdf#search='%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%8F%B3%E9%A6%AC'

80人間七七四年2007/05/27(日) 01:02:27ID:HbM3104L
水戸徳川家ゆかりの人から譲られたとか言ってたな。
「寺部城の合戦」で敵を撃退した事への感状で松平家の家臣宛て。
花押と筆跡が一致する点から全文直筆とか。当主の弟が戦死したそうだから
気を使ったらしい。
「寺部城の合戦」は神君の初陣だそうで、特に大切に伝えられたのか?

話が出来過ぎなので、偽物だと思ったんだけど、
鑑定結果は本物で700万円。



81人間七七四年2007/06/03(日) 20:53:34ID:/0zTRey2
静岡人のオレはその鑑定団を今日の昼見たよ。
伊豆などの東部はテレビ東京リアルタイムで見れるんだろうけど。

82人間七七四年2007/06/15(金) 12:48:03ID:GeNWy/2c
今川義元史上最強論
ttp://www.geocities.jp/rekishi_chips/saikyo1.htm

上のサイトはかなりくわしく書いてあったよ。
かなりの良将として今川義元を説明していた。

83人間七七四年2007/06/15(金) 18:36:18ID:pWC2qsfS
>>82
厨房でもこんなバカじゃねーよwww

84人間七七四年2007/06/16(土) 02:54:02ID:XMulnFUy
>>82

信玄や氏康に匹敵する有能な戦国大名だったのは間違いない。
だけど、歴史が彼に割り振った役目は
「信長の引き立て役」だったんだよね。

85人間七七四年2007/06/18(月) 05:39:28ID:mY2JBGVt
>>83
つーか、おまいの一行レスの方が、どう考えても・・・だろ?
今川義元は、武田信玄に勝るとも劣らない有能な大名だよ。
歴史なんてものは、所詮勝者が作ったもの…

86人間七七四年2007/06/20(水) 10:47:25ID:bAFkF8Xa
>>82
読んだよ!義元かっこいいじゃん!こういう解釈のしかたもありだな。
もともと今川義元は、有能な大名だと思ってたけど、ちょっとファンになったw

87人間七七四年2007/06/20(水) 11:51:22ID:ciH4jgPb
義元は有能ですが、度重なる外征で家臣団に不満が出始め、桶狭間以後の家臣団の離反の一因を作ったとされている

これは甲斐武田にも同じ事が言える

88人間七七四年2007/06/20(水) 20:54:44ID:COemyrWq
義元時代の度重なる外征の例を挙げてみてくれ。
義元の外征ってほとんど思いつかん。
防衛戦・制圧戦・共同作戦・威圧進軍ばっかのような気がする。
本格的な外征って永禄三年の尾張侵攻戦ぐらいじゃねーの?

89人間七七四年2007/06/23(土) 18:34:05ID:L1wBCbNR
・東三河侵攻。
 太原崇孚指揮であっさり進出を果たして片付いたけど。
・第二次河東一乱での出兵。
 第二次は義元側の自発性により、後北条領に対する「外征」ともとれないか。
 (でも、武田軍も出兵した為に単独作戦ではなく「共同作戦」として見做されがち?)

敢えて挙げても、このくらいか。確かに「度重なる」って程多くはないな。

90人間七七四年2007/06/24(日) 01:15:42ID:wzerezpq
家臣団が不満をもったのは、軍事行動そのものではなく、
「コストに見合う成果が上がらなくなった」、
つまり勝てなくなったからでは?

織田家や豊臣家で、「度重なる外征で家臣団に不満が出た」なんて
話は聞いたことがない。

91人間七七四年2007/06/24(日) 03:07:13ID:+NY67IOS
それ以前にさ、桶狭間合戦以後離反した今川家臣ってほとんどが三河衆・遠江衆なわけで。
奥平・菅沼・井伊・戸田とかが家康に内通しているが、元々義元時代に戦った連中だし、
離反とかそーゆー話ではない気がするw
こいつら自身、自分らが今川家の家臣だなんて思ってないんじゃないか?w

1568年以降武田信玄が駿河に攻め込んで今川家臣団は崩壊するが、
これを離反ととるのは酷だろう。
確実に離反した今川家臣っていうと、氏真の派遣した兵と戦った飯尾連龍ぐらいか?

92人間七七四年2007/06/25(月) 16:20:09ID:1vy7IL9H
そもそも、三河・遠江、特に三河に関しては、今川による支配が
安定した時期なんて無いに等しいんじゃないか、とも思えてくるわ。

93人間七七四年2007/06/26(火) 21:55:11ID:NJAFKa+8
後継者が無能だと、どんなに優れた統治も無意味ということか?
「今川の崩壊は、氏真の責任」という結論でいいのかな?

94人間七七四年2007/06/28(木) 11:00:01ID:oAsxw6a7
遠州崩れといいバタバタと内応離反する者の数が異常すぎる
それに関わる武田と徳川の挟撃
徳川の独立といい武田侵攻といい今川の力がいまだ健在ならできないわけで
三河へ鎮圧しに行った軍勢も負けてたりと、桶狭間敗戦後氏真は何をしたらよかったんだろね
勝頼のように国力を疲弊してでも外にでて内をまとめようとする力はあったのだろか
疑心暗鬼になったりひいきな家臣を寵愛したりと離反の原因もあるのだけれどもあまりにももろすぎる
にわかなチラシの裏ですいません

95人間七七四年2007/06/29(金) 12:19:31ID:5wCb4PjZ
何をしても無理
上杉が勢力を結集して城を攻めたが落とせず、以降関東での影響力が減少したように、桶狭間は物凄い痛手

96人間七七四年2007/06/29(金) 23:11:42ID:9Ac3J9+6
桶狭間は長篠みたいに野戦戦力や多数の中堅指揮官を失った
わけではないから、「物凄い痛手」というは疑問。



97山形2007/06/30(土) 00:51:33ID:88VX0vqV
【名器】戦国今川氏のヒャッハーについて語る【股ぐらの乱】

98人間七七四年2007/06/30(土) 05:40:35ID:c99NqjPP
>>96
当主を喪失したのは物凄い痛手じゃないか?
無能な当主が戦死して有能な息子が継ぐパターンじゃなく、
有能な当主が戦死して無能な息子が継ぐパターンだからな・・・。

氏真はひいきの家臣を重用するのはともかくとして、
それ以外の家臣に懲罰を与えるというひどい面があったのが致命的。
数人を駿府に呼びつけて殺害してりゃ、家臣の心も離れるわ。

99人間七七四年2007/06/30(土) 07:39:40ID:w2DxMCdW
>>96
二万五千の一割喪失して敗戦、当主が討たれ、また国人の頭も多くが討たれて物凄い痛手でないと?
これが遠州錯乱の遠因でもあるのに?

100人間七七四年2007/06/30(土) 14:52:00ID:8g60pArg
桶狭間時点で今川家督は既に氏真。特に駿河支配はほぼ氏真に委譲されていたらしい。
一方、三河・遠江の仕置は「大殿」義元が氏真に代行してやっていた状態だったわけで。
氏真による支配が確立されつつあった駿河の混乱が三遠両国に比べて小さかったことを
見るに、三遠の支配についても、義元が氏真の名前で執り行っていれば比較的混乱少なく
済んだんじゃないか?とも思える。朝比奈とか岡部とか、生き残った連中をまとめて
駿河を中心として立て直すことだって出来たかもしれん。結果論に過ぎないが。

でも、義元にしてみればまさか自分が死ぬことになるなんて思ってなかっただろうし、
やむを得ないことかもな。。

101人間七七四年2007/06/30(土) 15:24:31ID:nkXuPXI2
桶狭間で義元だけじゃなく名だたる国人当主が死に混乱状態
徳川も着々と支配を固めていく中でそれに同調、呼応するように三河や遠州の国人らも叛旗を翻ようとする
氏真も鎮圧に乗り出し成果をあげるも曳馬の飯尾だけはなかなか鎮圧できず
徳川頼りだったが一向宗に忙殺され飯尾は一旦講話する、そして駿河にて氏真は飯尾忙殺に成功
井伊などは徳川内応疑われて等、今川はどんどん体力を失っていく
そして武田の駿河侵攻

102人間七七四年2007/06/30(土) 15:46:27ID:nkXuPXI2
薩た山に一万五千の兵で迎えうつも瀬名や朝日奈、三浦、葛山らが後退
この辺りが熱いね、氏真の為に奮闘する者と寝返る者が

103人間七七四年2007/07/01(日) 15:03:44ID:XQQlxuZO
>>98

当主を喪失したのが痛手でないとは言わんが・・・・
無能な息子が継いだ事のほうが「物凄い痛手」じゃないのか?
だとしたら、戦死でも病死でも同じだろ。
後継者が有能なら再起可能だと思うんだが。

104人間七七四年2007/07/01(日) 15:17:17ID:XQQlxuZO
>>99

一割喪失と言っても戦死したのその一部で残りは勝手に逃げただけ。
織田は追撃していないし、退路も解放されている。
大きな人的損害がでたとは思えない。
国人の頭と言っても本当に信用できるのはほんの一握り。
つまり、代わりはいくらでも・・・・。

105人間七七四年2007/07/01(日) 15:46:53ID:HS4Rcj6B
戦国大名家における有力国人領主との人的関係の重要さをわかってるんだろうか。
ゲームなら単なる数値の減少で済むけどなあw


106人間七七四年2007/07/01(日) 18:54:25ID:gwk317/z
>>103
>無能な息子が継いだ事のほうが「物凄い痛手」じゃないのか?
103が「物凄い痛手」と捉えるのならそう取っておけばいいと思うのだが。
別に98は無能な息子が継いだ事を「物凄い痛手ではない」と言ってるわけじゃないだろう?

107人間七七四年2007/07/02(月) 01:14:34ID:zvidittZ
>>105

「有力国人領主との人的関係」が、領国支配の要だというのは理解するが、
それは義元=領主個人の関係なの?
どちらかというと今川家=領主一族の関係じゃないの?
というか、「こいつが死んだから今川支配が吹っ飛んだ」と言える奴を
指摘してくれないとなんとも言えん・・・。具体的に誰かいるのか?

108人間七七四年2007/07/02(月) 01:28:05ID:zvidittZ
>>106

誤解があったもしれない。要は今川の崩壊は氏真の無能が
原因で「桶狭間で勝っても義元が病死すれば結果は変わらない」
のではないかと言いたかったのですよ。


109人間七七四年2007/07/02(月) 07:38:57ID:j1y9LDJq
氏真無能を連呼してるやつが一人いるがなんかなあ。結論ありきで語られてもって感じする。
でわどうしたらよかったのか書いてくれないか?
無能の一言で片付けてしまうんじゃ幼稚園児でもできるしおもしろくもない。

110人間七七四年2007/07/02(月) 07:43:39ID:gIFVoV8a
信長がいなかったらスレにいた奴か。あっちでも無知をさらしてたけどこっちでも
同じとは。

111人間七七四年2007/07/02(月) 07:47:12ID:gIFVoV8a
>>109
いっても無駄と思うよ。この人は碌な知識ももってないから。

112人間七七四年2007/07/02(月) 13:47:22ID:Xf6C2Dk9
>>104
一割が戦死だとおもってたが
大軍を擁して侵攻したにもかかわらず、失敗だけじゃなく当主まで討ち死に、国人まで討ち死に
これが痛手じゃないってどんな思考してるんだ
>大きな人的損害がでたとは思えない。
国人の頭が多く討たれって読めなかった?平仮名で書いたらよかったかな?
>国人の頭と言っても本当に信用できるのはほんの一握り。
どの大名もそうだが?
それをつなぎとめるための権威であり、軍事力であり、政治的影響力なんだが
>つまり、代わりはいくらでも・・・・。
信長の野望じゃそうなんだろうね
でも俺が言ってるのは現実のことだから

>>107
>どちらかというと今川家=領主一族の関係じゃないの?
違う
仮にそうであっても、その今川家が大打撃を受けてるわけだが
>というか、「こいつが死んだから今川支配が吹っ飛んだ」と言える奴を
>指摘してくれないとなんとも言えん・・・。具体的に誰かいるのか?
いつ、誰が個人の死が今川衰退の理由としたんだ?
上杉政虎がそうであったように、軍事的失敗から求心力の低下につながる
桶狭間の場合それに加えて、国人の討ち死にも加わってくる

>>108
それを具体的に示してくれ
どういったことから、どういう風に考えられ、だから無能だというようにな

113人間七七四年2007/07/03(火) 03:03:03ID:N8NxW2wI
>>112

どうも、桶狭間の戦いに関して認識が違うような気が・・・
戦死者が1割、つまり、2500くらいということか?
その場合、負傷者も考えると1万近い損害が出てるわけで
そりゃ、どんな大名でもつぶれる大打撃だと認めるけど。

しかし、いくら信長でも4000程度の攻撃でそんな大戦果が
挙げられるのか?(迂回奇襲説は信じていないよな?)

114人間七七四年2007/07/03(火) 03:11:58ID:N8NxW2wI
>>109

では、「氏真有能」の熱い書き込みを期待。いやマジで。

115人間七七四年2007/07/03(火) 03:12:58ID:N8NxW2wI
>>110

そいつは別人。

116人間七七四年2007/07/03(火) 03:15:16ID:N8NxW2wI
>>111

碌な知識ももってないからこそ、反論に期待している。

117人間七七四年2007/07/03(火) 06:51:20ID:DNsL7QU1
>>113
>どうも、桶狭間の戦いに関して認識が違うような気が・・・
>しかし、いくら信長でも4000程度の攻撃でそんな大戦果が
>挙げられるのか?(迂回奇襲説は信じていないよな?)
>>116

おちょくってんのか?
真面目に相手して損した

118人間七七四年2007/07/03(火) 15:41:49ID:rQK/wMjI
ID:N8NxW2wI
彼が氏真無能と連呼してる人かな?

119人間七七四年2007/07/03(火) 21:13:27ID:N8NxW2wI
>>117

おちょくるつもりはまったくない。

最近再評価されている武田勝頼のように、
今川氏真も世間で言われているほど無能ではないという意見が
あれば、喜んで拝聴(拝読か)する。

書き込みがやや挑発的だったかもしれないが、
個人攻撃はしとらんし、ここは2ちゃんだろ?

まあ、今川については義元公からして信長教信者によって
不当に貶められているから・・・・・・
最近、評価が良くなったとはいえ、世間ではいまだに
「お歯黒軟弱大名」だし。

信長教信者とは:織田信長は全てを見通し、あらゆることを完璧に
計画し、その行動はわずかな誤りもあり得ない、神の如き存在で
あると信じる人々。

120人間七七四年2007/07/03(火) 21:32:33ID:DNsL7QU1
>>119
それがおちょくってるって言うんだよ包茎

121人間七七四年2007/07/03(火) 21:39:04ID:N8NxW2wI
>>112

釈迦に説法かもしれんが・・・・・・
「戦場で2500の兵を失う」と「2500の兵が戦死する」
というのは全く別だと理解しているよな?
「戦場で2500の兵を失う」ということは、戦死、戦傷の他、
逃亡、意図的な戦線離脱、指揮系統の混乱等、軍事力として
掌握できなくなることすべてがを含まれるぞ。



「そんな当たり前のことをわざわざ書きこむな」的な反論を期待。


122人間七七四年2007/07/03(火) 21:42:12ID:DNsL7QU1
>>121
で?無能だという論拠は?
人には提示させといて自分はほっかむりなんてしないよな?
あぁ、馬鹿だから出来ないか

123人間七七四年2007/07/03(火) 21:43:49ID:2hMMPE3S
ゲームから入るのはいいとしても少しはなあ

124人間七七四年2007/07/03(火) 21:50:19ID:N8NxW2wI
>>120

「氏真無能」と連呼されるのは気に入らないが、
さりとて、「氏真有能」とは書き込めないわけだ。
それって、「今川愛」が足りないんじゃ・・・・

氏真殿に馳走しようという武士はおらんのか?

125宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/03(火) 21:58:22ID:3pdTdky2
北条氏康と結んで甲斐武田への塩止め作戦はなかなか。
武将としての氏真は有能とは思わんが、この策は惜しかった。

126人間七七四年2007/07/03(火) 21:59:09ID:N8NxW2wI
>>122

あれだけの領土を引き継いでおきながら、
まったくいいところなくつぶされたという
歴史的事実以上になにか必要なのか?
勝頼、景勝、輝元、みんなはるかに善戦してる・・・

あの慎重な家康にあっさり見限られてる点からも
反論には相当の説得力が必要だと思うが?


127人間七七四年2007/07/03(火) 22:03:39ID:N8NxW2wI
>>123

今のゲームってそんな錯覚しちゃうほど出来がいいの?
その手のゲームとは10年以上縁がない。

128人間七七四年2007/07/03(火) 22:07:15ID:2hMMPE3S
知らないという人間がよく評価なんてできるなとも思うな。

129人間七七四年2007/07/03(火) 22:20:51ID:DNsL7QU1
>>124
ずっと無能無能言ってろ
相手にできんわ

130人間七七四年2007/07/03(火) 22:29:14ID:N8NxW2wI
>>128

どのくらい知ってれば評価していいのかな?
「今川氏真鑑定士」の資格が必要?


131奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/07/03(火) 22:34:41ID:tNP5HoMY
今川氏真初段くらいでいいと思う。

132人間七七四年2007/07/04(水) 12:35:18ID:HwyhN0LO
かなり話が進んでるんだなwオレから言わせてもらえば氏真が無能だから、で話を終わらす彼に
それじゃつまんねーだろ と、ああだこうだやりとりがおもしれーのに と。そのやりとりができそうなんで期待しとるんだけどね
オレの中で知れば知る程、単なる蹴鞠大名てイメージが崩れてきてて、連呼してた彼に無能な事をたくさんあげてもらってどこまで氏真擁護できるかしてみたくてさ
ま、頼むわ

133人間七七四年2007/07/04(水) 14:10:57ID:PXPOwyng
ならお前がやれよ

134人間七七四年2007/07/04(水) 23:52:31ID:houYnW4j
>>126

>あれだけの領土
領土と言える領土は駿河一国、大きく見積もっても駿遠二国だけだと思うんだが。

>まったくいいところなく
確かに、大名として能力を発揮する機会には恵まれないまま終わった。
でもそれは、あの時勢により仕方の無いことだったんじゃない?
かえって、そんな中で命を保ち家名を守り伝えたことは偉業だと思うぞ。


氏真が領国を長く保ち得なかったことは、一門の家臣がほとんどいなかった
ことも原因として大きいと思う。

135人間七七四年2007/07/06(金) 01:25:41ID:WOWWWeOy
>駿河一国、大きく見積もっても駿遠二国だけ

贅沢なことを言うなあ〜。泉下の義元公が聞いたら泣くと思うぞ。
先進的な分国法のオマケ付なのに・・・・

>そんな中で命を保ち家名を守り伝えたことは偉業だと思うぞ。

それについては、まったく同意。危機的状況で頼るべき相手を
間違えないのは、優れた判断力の証明。
その点、武田勝頼はだめだった。


>一門の家臣がほとんどいなかったことも原因として大きいと思う。

すぐれた指導者が存在する間は、表面化しないんだけどね。
消えたとたん、迷走が始まる。




136人間七七四年2007/07/07(土) 10:18:05ID:LaASPb0N
>>132

>単なる蹴鞠大名てイメージ

個人的な氏真のイメージは「戦国のマラドーナ」かな。
(なにをやっても、「彼じゃしかたがない」と周囲に思わせる)

137人間七七四年2007/07/07(土) 13:22:40ID:8pIti+OP
今川彦五郎の生年は、ネットで見たら載っているけど、あれはどこから持ってきた情報なんでしょう?

当主が病弱だから、跡継ぎ候補を残しておいたってのも変ですよね。
どちらも嫡系なら、最初から彦五郎を当主にすればいいし、僧籍にして念のため領国内に置いておいても非常時の跡継ぎ候補になる。
氏輝が若年でも母親の後見で問題なかったわけだから、氏輝相続のとき、年上の氏輝ではよくて、より幼少の彦五郎では不味かったとも思えない。


138人間七七四年2007/07/31(火) 00:31:24ID:oTVfJoBZ
氏真無能説は信長いなかったスレでも書かれていたことだが
大敗の影響というのを軽く見過ぎているからじゃ。
沖田畷の敗戦後の竜造寺は豊前筑後に筑前肥後も放棄することになったのに
氏真ほど無能とは言われていない、
九州の大半を支配していた大友宗麟でさえ耳川の敗戦後はほとんど何もできずに
数年で豊後と他少しになっている。
まあ中には例えば信長みたいに親が美濃で大敗三河で大敗して、一族離反という状態で
継いでおきながら勢力拡大したり
三好長慶みたいに親が戦死して阿波に逼塞する羽目になっても勢力盛り返したりする
者も存在するから、氏真も有能とはいえないだろうけど

139人間七七四年2007/07/31(火) 07:25:11ID:aqx8Q0mK
今川家の忍びてのはなんて呼ばれてたとか、どこの忍びの者てのがわかる方いらっしゃいますか?

140人間七七四年2007/07/31(火) 09:26:50ID:Fu54A1uf
浅間信仰の御師たちが忍者を兼任してたという話は聞いたことがあるが、
小山田氏との繋がりは有名だけど今川氏とも繋がりがあったかどうかは知らない
ただ今川も浅間社には結構寄進とかしてたから繋がりはあったかもね

141人間七七四年2007/08/30(木) 11:30:57ID:zS7TZ7dZ
花倉の乱で検索したところ、当スレが掛かったので、ここへ来ました。

今川家中や傘下豪族を巻き込んで二分したお家騒動だったはずですが、
有力者たちがそれぞれ、どちらを担いだのかを整理中なので、情報をご存知でしたら追加お願いします。

・玄広恵探支持派
福島氏・・・敗亡、領地喪失。当主討死? 嫡流は北条家へ亡命。残された一族の末端は小笠原家に組み込まれる。
堀越氏・・・勢力を削がれたと云う。領地を部分的に取り上げられたということか?
朝比奈氏・・・どこの朝比奈氏だろう?
篠原氏・・・消息不明
斎藤氏・・・消息不明
飯尾氏・・・堀越氏同様、勢力を削がれたと云う。

・梅岳承芳支持派
小笠原氏・・・功により、福島家が築いた高天神城と遺臣を与えられる。
岡部氏・・・今川家中での発言力が増した様子。
新野氏
瀬名氏
孕石氏

恵探支持派扱いといっても、当初に推しただけのことであり、
実際に交戦が行われる以前に雪斎に説得されて翻意したかもしれない。
経緯もよくわからんので、最後まで抵抗した福島氏・罰せられた堀越氏以外はアテになりません。

142人間七七四年2007/09/02(日) 14:13:06ID:zp3GNW4p
今川一門の前島氏が、恵探派で乱後、武田領に逃げている。
匿った武田家臣前島一門が、信虎に討たれている。

143人間七七四年2007/09/02(日) 17:42:26ID:5Yc002uV
>>141
新野氏があるのに何故井伊氏がないの?

144人間七七四年2007/09/02(日) 20:31:15ID:UsK9BgSg
>>139-140
今川の忍びはなんと呼ばれてたかは明確ではないんだけど
(スッパという話もあることはある)
行っていたのは村山修験者(村山浅間神社/鎮座地_富士宮市村山を
中心に活動していた修験者)と言われている。

図式で言うとこんな感じかと。
【今川】
主/今川氏ー取りまとめ惣領/富士氏ー主な情報収集人/村山修験者(御使)
【武田】
主/武田氏ー取りまとめ惣領/小山田氏ー主な情報収集人/北口修験者(御使)

145人間七七四年2007/09/03(月) 11:50:35ID:sAKVykMl
天野氏が堀越氏を攻めて、当主を討ち取っている。

従って、天野氏が梅岳承芳派でおk

146宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/09/03(月) 20:17:19ID:kXxvwxAp
>>145
天野小四郎と孫四郎か。

147人間七七四年2007/09/04(火) 18:48:00ID:LE21BacB
>>144 
地元富士だけど村山よりもう少し東側の大渕の上の方や今宮あたりは 
武田滅亡後家臣が落ち延びて開墾した場所と言われていて 
それにちなんだ町名もあるよ。確定ではないけどその家臣は 
小山田や秋山関係者という話もある。 
昔の富士山麓は今と違って大宮の富士氏を中心として 
浅間神社独自のネットワークが充実してたともいうから 
案外時には小山田が村山の逆に富士が北口のと情報共有して 
おいしいところどりをしていたかもしれんよ。

148人間七七四年2007/09/06(木) 13:38:23ID:DnV6ryFq
花倉の乱で寿桂尼が恵探派だったという説については皆さんどう思いますか。
『静岡県史 通史編2 中世』(1997年)を最近読んでびっくりしました。

引用すると
「従来寿桂尼は義元の実母という立場から雪斎と並んで義元擁立派の中心的な存在と
思われて来た。ところが近年、武田方で記された『高白斎記』の中の「氏照(輝)の老母、
福島越前守の宿所へ行く、花蔵と同心して」という記述と、岡部親綱が義元から受けた
感状に書き添えた「大上様(寿桂尼)、御注書(義元の感状には「住書」とある)を取り、
花蔵へ参りなされ候」という文言などから、寿桂尼は恵探派についていたとする見解が
示されている(有光友學「今川義元の生涯」『静岡県史研究』九号)。これに対して、
「同心して」の文言は「味方して」ではなく、「妥協が成って」と解釈し、寿桂尼が合戦を
回避するために恵探派に妥協案(注書)を持ち寄ったのであろうとの反論もある
(小和田哲男「『花蔵ト同心シテ』をどう読むか」『静岡県地域史研究会報』七六)。
わずかな文言の解釈をめぐる大きな論叢であるが、武田方の日記と、今川方の感状と
添え書き、という異なった性格の史料でありながら、それぞれ文言を字義通りに読めば
有光説の通りとなろう。ことが義元の生母の動向に関するだけに、これが事実だとしたら
花蔵の乱は、より根の深いところから生じた今川家の内訌となるわけだが、現段階では
寿桂尼が恵探派に与さなければならなかった理由を明らかにすることはできず、今後の
大きな課題となっている」
(県史799頁、前田利久氏執筆)

確かに文言からいえば同心は味方という意味だとは思うんですが、彦五郎が死んだのも
事情が不明な上にこの謎が加わっては解明は不可能?

149人間七七四年2007/09/06(木) 14:00:58ID:Yhq7x0I1

性急に「恵探と福島越前守を滅ぼしてやりましょう」とする武断派に対し、
「まあまあ、わらわが説得に行ってみますからお待ちなさい」と、
恵探方を擁護かのような行動があったとする描き方は、昔からあったと思うが

150人間七七四年2007/09/07(金) 21:47:00ID:L0p0iRYp
同心を普通に読めばいいと思う。
氏輝・彦五郎を殺して、家督を手に入れようとした義元を許せなかった。
こんな理由じゃないかな。

151人間七七四年2007/09/08(土) 11:39:32ID:MgHSfZDW
義元が氏輝と彦五郎を殺したと。
確かに一番の受益者ですが、氏輝は北条が平愈の祈祷をしているから急死ではないので
氏輝まで含めるのはどうか。『静岡県史』では氏輝時代の花押が同時期でも形が揺れている
ことから、(花押も書けずに代筆させたなどで)氏輝はやはり病気だったんじゃないかという
説を紹介しています。

152人間七七四年2007/09/08(土) 12:52:26ID:OBllxkVm
それじゃ氏輝は抜いて、彦五郎だけ殺して、家督を手に入れようとしたという事で。
だが、義元は、後の行動を見ると兄氏輝を歯がゆく見ていたと思うな。

153人間七七四年2007/09/08(土) 18:47:03ID:QiEjsED6
氏輝と義元で、今川家の対外政策は大きく変化しているからね。

154人間七七四年2007/09/08(土) 21:10:38ID:Xl3d72Rw
でも寿桂尼が反義元派に組するような、義元派が氏輝を(または彦五郎のみでも)殺したと周囲がはっきり認識するような事件があったら
記録に残っているんじゃないのかな?

当時の感覚からしたら(周辺諸国での記録も含めて)義元の名前を無理に隠蔽する必要はない気もします。
親子兄弟での家督争いはめずらしくない時代だし。


155人間七七四年2007/09/08(土) 22:42:41ID:OBllxkVm
国が病死ですと公式発表したら、今でも逆の証拠を見つけるのは難しい。
同心と残っている記録の読み方で意味が分かれるんだよね。
僧という立場の人間が、兄を殺す事はめずらしいことだろうか。

156人間七七四年2007/09/08(土) 22:46:59ID:4LvU4ROG
ソウソウないだろ

僧だけに

157人間七七四年2007/09/08(土) 22:48:59ID:QiEjsED6
>>155
出家のものが、自分の子供を殺す(死においやる)例なら甲斐にあるじゃん。

158人間七七四年2007/09/09(日) 09:14:09ID:KL8xwXOI
>>155
国内なら公式記録上は隠すことは不可能ではないと思うんだけど。
日記の記述や、国外への情報流出を完全に防げるかな?
武田信玄の病死の噂があっという間に信長の耳に入ったように。
恵探派である福島氏の残党は北条氏に保護されているわけだし、国外に情報は流れておかしくない。

それにその当時は隠したとしても、事実を知っている人間が義元死後に口を開くってこともありえる。
義元敗死は兄殺しの因果応報なんて風に、坊さんや徳川氏あたりが大喜びで宣伝しそう。
まあ逆に考えると生母がはっきりと反対派に付いたなんて事実があれば、それも記録されているでしょうね。
恵探派からすれば、寿桂尼の支持は大義名分として大いに利用できるはず。



159人間七七四年2007/09/09(日) 11:22:37ID:bkUFWlyo
彦五郎の場合、暗殺が考えられるが、事実を知るのは、ほんの一部の人間
だろうから、寿桂尼が口を開かなければ残らないだろう。

恵探派が大義名分を使う前に、1ヶ月足らずで鎮圧されたんだともいえる。

完全には防げないから、同心という記録が残っているんだろうね。
ただ、今川家の場合、父親氏親が、先代小鹿氏10数年の長い記録を、
国内・国外問わず、完全に近いほど抹殺している実績が有る。

160人間七七四年2007/09/27(木) 04:20:08ID:ppzTSM4W
>>153
義元と言うよりも、雪斎のせいでは?

161人間七七四年2007/10/11(木) 01:28:28ID:HzmBeWdw
えたんが、勝ってたら、その後の今川家の運命はかわってた?

162人間七七四年2007/10/20(土) 17:22:12ID:G40tJY11
義元はなかなかの武将だから、よくは変わらないかもね

163人間七七四年2007/10/26(金) 10:22:03ID:4heTfK6z
花倉の乱の勝因は何?

164人間七七四年2007/10/28(日) 11:56:17ID:gFdWrl92
武田を味方につけたこと?

165人間七七四年2007/11/06(火) 17:45:54ID:ujPGQbFR
正直寿桂尼が恵探につく理由などないだろう。
岡部宛の義元書状や、駒井の日記などについては、個人的には小和田氏の
見方が一番しっくりくる気がする。たしか、ミネルヴァの
「今川義元」にその解釈があったはず。

166人間七七四年2007/11/22(木) 13:57:18ID:fbzKkhfv
>>163 福島正成の勢力拡大を、家臣たちが嫌った側面もあるね

167人間七七四年2007/11/23(金) 04:04:38ID:JVwKxBAa

168人間七七四年2007/12/10(月) 16:02:57ID:GwoOzmVF
義忠討死→氏親が持ち直し→氏輝急死・花倉の乱→義元が勢力拡大
と なかなか波乱万丈だ。

169人間七七四年2007/12/28(金) 15:54:46ID:ldn+JVfV
氏親はなかなかだね。
検地に仮名目録に安倍金山(梅ヶ島 井川 大河内 玉川)開発と。

170人間七七四年2008/01/16(水) 16:01:14ID:tPJvcOJW
家臣筆頭といえば何家かな?

171人間七七四年2008/01/23(水) 13:45:51ID:6saNGULt
朝比奈とか

172駿河朝比奈氏2008/02/01(金) 10:25:14ID:mbVImLdV
|ω・`)ノシ

1732008/02/08(金) 05:00:28ID:6r1Z2Fjc
小和田哲男 今川贔屓のキチガイ静岡人。

義元、実はすげえ、言い出したキチガイ学者。

静岡のイメージ向上が目的だろ。

1742008/02/08(金) 05:22:34ID:6r1Z2Fjc
どう考えても、氏親>>>義元。

氏親は、家臣が北条早雲だし。

三河を勢力圏にしたのも、氏親の時代から。

北条の領土の相模・伊豆〜三河までが今川の勢力圏だった。

松平の台頭も抑えているし。

今川氏親の勢力拡大は凄い。

義元は、アホ。北条と敵対する。武田の台頭。松平を残存。織田に大敗。
家臣も雪斎以外は雑魚。

175人間七七四年2008/02/08(金) 05:25:02ID:LDdonMTT
誰だよ、こいつを病室から出したのは?

176人間七七四年2008/02/08(金) 06:41:48ID:wcrdgnDQ
すみません。
直ぐに座敷牢に戻します。

177人間七七四年2008/02/08(金) 15:41:10ID:h8o9TCLG
 まあ宇喜多直家のように祖父を謀殺されて一族凋落の憂き目から
 一国の領主になったような香具師もいるし氏真はがんばりが
 たりんと言えば足りんな>>138

178人間七七四年2008/02/08(金) 21:45:38ID:6r1Z2Fjc
小和田哲男 今川贔屓のキチガイ静岡人。

179人間七七四年2008/02/09(土) 14:43:53ID:Jff7NhoL
氏真は、信玄がこいつ相手なら駿河を取れると思って反対する
息子すら殺したほどなんだから、同時代人jからもその程度の評価
だったんだろう。家康もすぐに見限ったわけだし。

180人間七七四年2008/02/10(日) 05:42:45ID:3xrnDy5Y
>>179
まあ人間的にはともかく、大名の器ではないわな。

181人間七七四年2008/02/14(木) 13:55:01ID:wEq95FMs
>>170
今川仮名目録では三浦と朝比奈

182人間七七四年2008/02/14(木) 15:50:11ID:sPAodwFw
すごいな三浦、一万六千石か

183人間七七四年2008/02/19(火) 09:29:13ID:esUsX72J
今川氏豊って何者?本当に義元の弟?

184人間七七四年2008/02/19(火) 15:54:44ID:QKMvkJGe
@氏親が斯波義達を破った時に 末子を尾張に送りこんだ。
Aいや 今川仲秋子孫の尾張今川氏だよ。
B@の時にAの家に氏親が末子を養子に出した。

などなど。

185人間七七四年2008/02/21(木) 11:36:50ID:CH5Yy9wr
名古屋に今川竹王丸なる人物がいたことは確実のようなのでありえるのはAかな
氏豊と言う名前の出所はなんだろ
あとググったら親父が今川氏豊に仕えていたって言う奴がいたんだが生まれたのが1544年
どうなんだろ?

186人間七七四年2008/02/21(木) 15:06:29ID:H+X1JPFM
「名古屋合戦記」らしいね、信憑性はわからないけど
それによれば永正十四年(1517)に斯波義達を氏親が破り、
大永二年(1522)頃那古屋築城、天文元年(1532)に信秀が奪ったことになっているらしい

一方「言継卿記」では天文二年(1533)七月二十三日〜二十七日に、竹王丸が勝幡城に招かれて
飛鳥井雅綱の蹴鞠の門弟になっている記述がある、時に十二歳だったとか
(上とは年代が矛盾)

1544年生年の家臣はないでしょうね

187人間七七四年2008/02/21(木) 20:02:07ID:zdiw+/dc
今川の名字は、将軍義教の命令があってから、嫡流限定だったのでは?
尾張に今川の支流がいても、今川とは名乗らないのではないでしょうか。
遠江の支流が堀越とか瀬名と名乗ったように。

あー、でも氏親の息子だとしても、当主じゃない息子は今川と名乗らないのかな、決まりどおりなら。
尾張は駿河今川家の勢力圏外ということで、その辺いいかげんだったとか?



1882008/02/21(木) 22:55:58ID:7sii/2lq
今川氏親時代は、名古屋〜小田原まで、東海道全域が、今川勢力圏。

義元時代に没落。

尾張守護の今川氏。三河は、足利今川の発祥で、同族の吉良とか友軍多数。

1892008/02/21(木) 22:58:27ID:7sii/2lq
今川氏豊が、尾張支配していたが、信秀にやられた。

今川氏親の息子らしい。今川の勢力圏でかすぎ。

家臣が北条早雲で、伊豆、相模も勢力圏だろ。

190人間七七四年2008/02/22(金) 00:14:22ID:ecYn0Kx8
氏親息子説はもう何年も前に否定されていたはずだが。

1912008/02/22(金) 08:01:10ID:imfRMbIS
今川義元の過大評価に成功した静岡人の小和田哲男の正体?学者ではなく、政治家?NHKへの影響力。

江戸時代初期に既に大名の松浦氏に偽書と断定されていた甲陽軍鑑の支持者。そして、武功夜話に飛び付いた人→後に偽書と判明。

1922008/02/22(金) 18:24:19ID:imfRMbIS
言継卿記に今川氏豊って、あるんだよ???わかる厨房くん?

193わたし2008/02/25(月) 23:49:57ID:BQh9SBj+
花倉

194人間七七四年2008/03/02(日) 04:30:00ID:gyM9mSpl
未だに分からないのだが、義元に天下への野心があったのかな?
将軍家を戴いて上洛とか。

195人間七七四年2008/03/02(日) 04:36:33ID:lBrNb/86
>>194
信長を滅ぼして尾張を獲れば、無論次は天下、と言う風には行ったでしょうな。

196人間七七四年2008/03/02(日) 15:28:10ID:6d3gXX1s
信長の後は斎藤・六角・三好松永か。今川を止められるのは
いそうにないな。

197人間七七四年2008/03/02(日) 16:46:01ID:8SSkTXA0
>>194
尾張まで行ってたら義昭の逃亡先の候補には上がるんじゃないかな?
ただ大内型の上洛になってたかも。

198人間七七四年2008/03/02(日) 23:28:15ID:lBrNb/86
まあ、今川が上洛すれば、信長よりは抵抗なく天下が取れただろうね。
その分統一国家としての集権化はあまり進まなかっただろうけど。

199人間七七四年2008/03/03(月) 02:06:22ID:zI9AXnra
話の腰を折って申し訳ないんですが、昔
今川義元が桶狭間に出陣する際、その通り道で寿桂尼や
太源等(もしかしたら関係無い幽霊?うろ覚えスマソ)に出会った。
が、義元は気にも留めずに、桶狭間へと向かっていった。
という怪談チックな話を聞いたんですが、詳細についてご存知の方いらっしゃいますか?

200人間七七四年2008/03/03(月) 02:49:26ID:fzWx9p1r
>>199
雪斎ではなく、良真(玄広恵探)の亡霊を見たという話。
良真が、西へ向かう義元の夢枕だかに立って、義元の尾張出陣を
止めるようにいったが(自分を滅ぼしたはいえ、自分の家の暗転を
見るに忍びないとかいう理由だったような)義元は軽くスルー。
ところが、現実はご存知の通りになってしまったという話だったはず。
ちなみに、寿桂尼は今川氏滅亡直前まで生きてます。

俺も出展が気になる。

201人間七七四年2008/03/05(水) 01:21:34ID:01aIgoM7
おぉ…全然違ったw
てっきり雪斎かと思ってました。
良真でしたか…。
詳しい話かたじけないです。

202人間七七四年2008/03/22(土) 16:04:37ID:aobQpzIr
出典じゃないが「駿河の戦国時代」(黒澤 脩 明文出版社)に載ってるらしい。

203人間七七四年2008/04/07(月) 15:27:38ID:phuRxcLb
了俊流の瀬名氏と堀越氏も、江戸期は旗本になってるんだね

204人間七七四年2008/04/21(月) 15:31:03ID:tGGMeK0u
瀬名は三百石か。

205人間七七四年2008/05/02(金) 11:46:12ID:4T7jhCPg
ゲームで義元の扱いがこんなにいいのは初めてかもしれない
いろいろアレだが
ttp://www.heiwanet.co.jp/latest/sengoku_otome2/

206人間七七四年2008/05/04(日) 23:22:09ID:NyEU1POk
>>205
アレすぎだろw

207人間七七四年2008/05/04(日) 23:24:39ID:lFXrpQP9
今川義元は女の子スレでも立てるのか

208人間七七四年2008/05/06(火) 23:24:34ID:gMA8HNhU
>>205
なんか調べたらこれ電撃大王で漫画化とか出てきたんだがマジかよ

209人間七七四年2008/05/17(土) 16:03:00ID:D+8LUKOE
>>205
「公家風」からこう飛ぶ発想は無かった

210人間七七四年2008/05/31(土) 14:00:40ID:1blhkz2p
将軍家の親族なのに 室町期の今川の位置づけは特殊だよね。
幕政に参画したわけでもなく 鎌倉府を助けたわけでもなく。
やはり鎌倉府の監視を託されたのかな。

211人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/01(日) 03:47:56ID:/INGsCLy
>>210
鎌倉府の監視ってのは当たってるかもな。
上杉禅秀の乱・永享の乱・結城合戦では討伐側に参加してる。
享徳の乱でも反成氏方として武蔵に軍勢を派遣してるし。

212人間七七四年2008/06/14(土) 01:01:33ID:xYR/8ti/
伊勢盛時の小鹿範満征伐は、当時の将軍義尚の六角攻めと連動したものだと言われているな。
今川軍を六角攻めに使うつもりがあったのかもしれないな。

213人間七七四年2008/06/14(土) 03:31:17ID:W7eF8YF6
>>212
単純に小鹿範満の庇護者が弱体化したからじゃね?
範満が攻め殺された1487年11月っていうと、太田道灌の死の翌年で、
下野勧農城での戦いを嚆矢とする長享の乱の勃発とほぼ同時期。
範満の外祖父で扇谷上杉定正の盟友でもあった上杉政憲の自害も1480年代。
政憲の死は茶々丸と潤童子の後継争いが昂じてのことで、家中は分裂中。
扇谷上杉・堀越公方という二大バックが範満どころじゃないっつーんだから、
早雲にとってもこれは好機だろ。
文句をつければ今川家を敵に回すことになるわけだしな。

214人間七七四年2008/06/17(火) 00:40:06ID:U6AFz888
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411372094
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011810755
たまたまググってたら出てきたんだが…
やっぱり今でも世間一般では義元は雪斎に頼りきりな公家かぶれの馬鹿殿
そして武田信玄は戦国最強!ってのが一般イメージなのかねぇ

215人間七七四年2008/06/30(月) 15:36:15ID://ru9Y10
>>210-211の流れかるすると、堀越公方と今川との関係が近くてもよさそうなんだけどね

216人間七七四年2008/07/01(火) 22:47:27ID:2hmRJlEm
永享期までの今川氏はことに嫡流宗家の立場が微妙なんだよな、庶流の力に
大いに左右されているから。

>>210
>幕政に参画したわけでもなく
関東分国と幕府分国の国堺にあったことが大きいな。有事に備えてなかなか
国を離れるわけにもいかなかったみたい。でも、守護の代わりに庶流の「今河
遠江入道」(=仲秋。万里小路に邸宅があったらしい)が京都に伺候している。
庶流が代表として幕政に多少関与していたみたいだな(主に満済を通じて)。
>鎌倉府を助けたわけでもなく
具体的な実態が不明なだけだと思う。『鎌倉大草紙』によると範政と公方持氏
の間には誼があったらしい。

>>211
でも、扇谷上杉に今川泰範の子が養子に入ったと伝える話があったり、
禅秀の乱―永享の乱―結城合戦と、一貫して鎌倉府方に属した今川庶流が確認
(←鎌倉公方の奉公衆的なものかなあと考えてます)されたり、ということ
があるんだよな。こっちでは別の庶流が鎌倉府方で働いている。
こういうのを見ると、鎌倉府の監視も討伐も、今川氏一体となっての立場とは
なかなか言い難いように思われるな。駿河今川氏の立場、として区別した方が
良いかも・・・?

・・・にしても、この庶流連中を範忠(足利義教信者w)が上意を奉じて
切り捨てていなかったら、戦国時代の駿遠は下剋上の嵐だったかもな。

217人間七七四年2008/07/03(木) 18:41:59ID:yaoQdvAw
公家のまねばっかして、歴史のヒーロー信長に首とられたバカ殿義元

218人間七七四年2008/07/03(木) 21:17:57ID:wYO0yP9Y
と、未だに>>217のような時代遅れの認識を持っている方がいることが
日本の歴史教育の問題なわけです。

21911111111111112008/07/03(木) 22:57:04ID:oAZQQRqJ
 静岡に生まれりゃ解るけどあそこはマジで微妙な位置なんだよ

 東京に近いでも遠いでもない

 大阪(京都)に近いでも遠いでもない

 かと言って貧乏でも無い 海産物の宝庫

220人間七七四年2008/07/04(金) 05:16:02ID:NdHY5zMm
公家と戯れることしかできなかった義元の戦闘能力はザコレベル

221人間七七四年2008/07/06(日) 12:36:09ID:YQWdn2jZ
>>220
>公家と戯れる
いつ義元が他大名と比べて公家と多く接触したと言えるんだ?まさか公家風にしているということを言いたいのか?
もしかしてお歯黒=公家とか、お歯黒大名は義元一人なんて考えてるのか?
220はお歯黒は昔多くの人間、大名、武将がしている事なんて知らないんだろうなあ
デブで輿に乗るしかなかったとかを信じてるんだろうなあ・・
デブで身動き鈍い奴が、襲ってきた奴を道連れにして一生のこるような傷を浴びせたことに何の疑問も感じないおめでたい奴なんだろうなあ

222人間七七四年2008/07/06(日) 12:54:08ID:K5CrtqJ/
>>221
>>220は「戦闘能力」とか言ってる時点でもう、救いようのないタイプの人だろう…

223人間七七四年2008/07/06(日) 14:04:36ID:SHwxZQay
晩年の大内義隆とか、朝倉義景とかを公家大名というならある意味違和感ないのにな
今川って小京都と呼ばれてる街築いていなかったよね?

224人間七七四年2008/07/17(木) 14:18:53ID:vdgJE7dc
ちょっと毛色が違うんじゃないかな。

225人間七七四年2008/07/29(火) 20:34:46ID:AARMxq1A
義元はもちろん短命だった歴代今川当主は守護大名から
戦国大名に転じた有力者だろ、分国支配も大内なんかとは
比べものにならないくらい(無理やりなところもあるが)整備されていたし。

どうも公家風を批判するのは戦国武将が武人だと思っているのではないだろうか。
江戸時代の武士と違って名高い戦国武将は文武両道、高い教養が求められてきたし。
もちろん文に溺れるのはよろしくないが義元の治績を見ればそうだとは言えないなあ。

226人間七七四年2008/07/30(水) 02:17:01ID:0kuNQbt6
静岡が繁栄するのは、江戸時代以降だろ。静岡=今川じゃねえだろ。

227人間七七四年2008/07/30(水) 02:47:41ID:tttmKepD
>>225
ミネルヴァ日本評伝選の副題にもなっている「自分の力量をもって
法度を申し付く」という言葉が、当時の今川氏(義元)の実力を
示していると思う

>>226
宗長が駿河に滞留した記録や、各地の商人が行き来していたことを
示す史料がけっこう残っているが。

228人間七七四年2008/07/30(水) 04:59:44ID:+mFXniOq
今時義元を公家の真似ごとして死んだとか言う奴は化石だろ

229人間七七四年2008/08/08(金) 15:08:46ID:orGxZg1g
武家だよな。

230人間七七四年2008/08/09(土) 17:27:51ID:qD1xigvo
そういや、ついに人物叢書『今川義元』(有光友學氏)出たな。

面白かったので買った。

231人間七七四年2008/08/15(金) 00:34:50ID:szrASU23
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


232人間七七四年2008/08/15(金) 01:40:08ID:4TWC3mKV
>>231
手っ取り早くwikipediaで徳川家康のノート見てくるといい
俺個人の意見としては大筋であれと変わらない

233人間七七四年2008/08/15(金) 01:49:38ID:Gq/+CqTA
>>232
こいつは有名なキチガイだから相手にせんほうがいいよ。
ここだけじゃなくて、yahooの知恵袋とかにも同じような書き込みしてる阿呆。

234人間七七四年2008/08/15(金) 01:54:23ID:4TWC3mKV
>>233
おっと、ありがとさん

しかしいい加減一般層に再評価されねえかな。特に末の二代は単なる愚昧な君主としか思われていないのが悲しい
NHKでも民放でもいいから今川家舞台のドラマやってくれんもんかな

235人間七七四年2008/08/15(金) 16:27:23ID:Gq/+CqTA
>>234
大河ドラマでは、わりと切れ者として扱われることが多い。
だけど、民放だと、アホの子扱い(最近の、テレ朝の時代劇で六平直政の演じた義元はまんま馬鹿殿)
されることもしばしば。

236人間七七四年2008/08/16(土) 02:43:46ID:4Jwemw9i
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


237人間七七四年2008/08/16(土) 13:35:09ID:AA700o5Z
「海道一の弓取り」とは嘗て今川義元が呼ばれていた異名だが、
20数年を経てそれは家康のことを指すようになった。
家康も感慨深げだ。

こんな感じに軽く考えておいた方が面白くね?なんか異名を引き継ぐって
カッコいいじゃん。背番号10みたいで。

238人間七七四年2008/08/18(月) 18:39:19ID:wGkEq0cU
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


239人間七七四年2008/08/30(土) 15:52:22ID:xyHxPVS5
実力はあったけど不運だったんでしょ

240人間七七四年2008/08/30(土) 20:42:17ID:FovNstUF
しかしさ、義元って武人って言うより、内政官というか、治世の上手い人だった
ってのが俺のイメージなんだけど、実際武人としてはどうだったんだろうね。
まあ、今川くらい巨大な所だと、戦略とか大勢を見る事がお仕事で、大将が
自ら刀ふるうなんて滅多に無いことなんだろうけど・・。
そう言う意味では運が悪いというか何というか・・。

241人間七七四年2008/09/02(火) 17:10:45ID:ECqTNNUD
そこらの雑兵よりかはよっぽどの手練れではあるだろうな

242人間七七四年2008/09/03(水) 06:13:51ID:RGznkm6T
嗜み程度の武術なら当然やっていただろう

243人間七七四年2008/09/16(火) 15:06:50ID:q+Q3o6AX
馬に乗れなかったとかそういう逸話は聞かないよね

244人間七七四年2008/09/19(金) 16:29:57ID:SLO0sQJV
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


245人間七七四年2008/09/21(日) 21:53:27ID:MpfdfQIR
東照宮何とかの方が捏造かもしれないって言う考えはうかばなかったの?

246人間七七四年2008/10/02(木) 14:24:51ID:MWovnlTG
>>239 そう思うな

247人間七七四年2008/10/11(土) 14:13:54ID:NGmbrce9
将軍になる気はあったのかな?

248人間七七四年2008/10/12(日) 06:02:57ID:LjcTxaYy
将軍職が見えてきた状況など一度もなかったはずだが
それでも将軍になりたかったというなら、桶狭間の敗戦も実力だったんだなと納得できる

249人間七七四年2008/10/17(金) 21:25:16ID:nsCljwsl
今日の読売新聞に特集があったお。
今川義元ってお歯黒デブで性格は最悪、おまけにブザマな最期ってのが通説だったけど
最近は戦国武将として見直されつつあるのか、最近はなかなかカッコよく描かれてる。

250人間七七四年2008/10/18(土) 03:27:41ID:cLZznptt
>>247
足利将軍をぬっころす?wwwww
お気を確かにwwwwwwww

251人間七七四年2008/10/18(土) 22:49:08ID:KsV9UYrc
教科書とかだとたまに仮名目録制定したのが義元になってたりするから萎える
いや義元好きだけどさ、氏親の立場がなあ…

252人間七七四年2008/10/20(月) 12:23:10ID:7AGVM/S7
今川義元の男系子孫って残ってないの?
品川氏なども養子が入っちゃってるけど

253人間七七四年2008/10/20(月) 13:43:24ID:016wI+mm
氏親の頃に、駿東の連中を勝山城にたて込ませた戦があったね。甲斐の信直(信虎)が
手を焼いたヤツ。

254人間七七四年2008/10/21(火) 14:08:13ID:vlVmFiCg
>>252
図書館に行って三男と四男の系統調べてくるよ。

255人間七七四年2008/10/21(火) 16:38:39ID:vlVmFiCg
三男西尾の幕臣系統は途絶えてる様子。
品川は幕臣に二家あるが本家から百俵を与えられているだけで正式に独立した御家人ではない模様。
但し他家に召し抱えられている可能性は捨てきれない。
つか品川は男系交代してるか。

ネットに流布してる田代まさし系図がどこまで本当かわかればある程度は探れそうだが。

しかし南部図書館は資料が少ないな。
おまけに床のカーペットの柄が執権北条の3つ鱗ときた。

256人間七七四年2008/10/21(火) 16:40:50ID:vlVmFiCg
補足
品川は分家の話ね。
つか本家も途絶えてないしね。

これじゃ全然参考にならんわ。

257人間七七四年2008/10/21(火) 17:02:04ID:1GB1y0LJ
幕末の若年寄、今川範叙。

258人間七七四年2008/10/21(火) 20:25:36ID:KaLTOWUa
今川の祖って源氏だったんやね。

あまりよくわからんのやが今川貞世が九州を追われて、駿河に移ったんやね?

259人間七七四年2008/10/21(火) 20:37:47ID:vlVmFiCg
>>258
源氏の中でも繋がりの明確さは屈指ですよん。
貞世は元々遠州にいて九州探題解任後にまた遠州に戻ったの。
そもそも今川氏の発祥は三河だしね。

260人間七七四年2008/10/21(火) 21:39:11ID:1GB1y0LJ
今川は吉良の庶流

261人間七七四年2008/10/21(火) 22:19:32ID:mPIV4Dgs
>>255
わざわざ調べてきてくれてありがとう(^o^)
これからも分かった事があったらよろしくお願いします
因みに四男ってどうでした?

262人間七七四年2008/10/21(火) 22:37:52ID:JhqA/bG9
>>261
四男って澄存のこと?たしか出家してたはず。

263人間七七四年2008/10/21(火) 23:19:38ID:vlVmFiCg
>>261
>>262の通り


西尾の子孫の養子先ともなると静岡の図書館じゃ関係する資料がないだろな
そのうち目ぼしいのを取り寄せてもらうか

264人間七七四年2008/10/21(火) 23:56:55ID:mPIV4Dgs
では義元男系の可能性があるのは西尾家と品川家の分家って事ですね
期待してます

265人間七七四年2008/10/22(水) 02:21:58ID:oCYg0y9A
今川氏は女系だとむちゃくちゃいっぱいいるのになw

266人間七七四年2008/10/22(水) 08:40:57ID:uv51fFlY
ウィキに松平を称してるのが載ってるけどあれはなんだろ?
養子だとわからないし、松平多過ぎで面倒だから調べなかったけど

267人間七七四年2008/10/23(木) 23:59:08ID:YiRDEjxF
〉259

ありがとう


確か、初代足利の子供が吉良と名乗ってその子供?が今川を名乗ったんやったけ?

268人間七七四年2008/10/24(金) 03:10:04ID:RpLUrAiA
>>267
三代目の足利義氏からの別れですね。
それ以外は当たりですよん。

269人間七七四年2008/10/24(金) 12:59:24ID:+jaBfipF
今川範主の子で、松平勝秀の養子に入ってる松平勝文のこと?

松平勝秀は久松松平家の松平勝以(旗本→下総多胡藩初代藩主)の弟。
旗本だろうかね。

270人間七七四年2008/10/24(金) 20:39:44ID:QREnd+/c
永井路子の『姫の戦国』読んで興味がわいたんで、色々逸話集とか見てみたけど、
色々想像を掻き立てられる大名家なんだな。
氏真とその嫁さんは仲が良くて羨ましい。

271人間七七四年2008/10/24(金) 23:25:37ID:RpLUrAiA
>>269
d
>>270
今川は敗北主義のロマンがあって良いよ
それもただの武家じゃなくて名門で、家康が直臣、秀吉が陪臣だったんだから
近隣も競合揃いだし

明治に途絶えたのは残念だけど、現代で普通に生活する様は見たくなかったな
どっちやねん><

2722692008/10/25(土) 21:50:38ID:9YEBpowj
>>271
googleとかwikiだので検索する程度ですまない。
松平勝秀という人物はほかにもいるらしい。

品川信方
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E4%BF%A1%E6%96%B9

養子縁組をすることを考えると、こっちの「松平勝秀」(佐貫藩主の子、旗本)かもしれない。

1           2
品川高久 ――― 品川高如
              ┃               3
              ┠―― 松平重治 ―┬― 品川伊氏 ―┬― 今川範高  ┌― 今川範彦
              ┃   (勝隆養子) |  (高如養子)  |           |
松平勝隆 ―――   女            |           ├― 今川範主 ―┼― 松平勝文
(下総佐貫藩主)                 |          │  4        |
                           |          └― 品川範増  └― 今川義泰
                           |  
                           ├― 松平勝秀 
                           |  5           6
                           └― 品川信方 ――― 品川氏如

273人間七七四年2008/10/26(日) 22:17:45ID:u31HWFvr
〉268

ありがとう

274人間七七四年2008/10/26(日) 23:01:03ID:KEcxyjzc
>>272
能見松平の五百石の旗本か。
豊後の大名の方と同じ家紋でいいのかな。
また調べに行ってみるか。

275今川善右衛門  2008/10/29(水) 15:09:22ID:sL1Q05+C
今川善右衛門は???

276人間七七四年2008/10/29(水) 21:35:26ID:qR/LLkiP
今川義元の男系子孫が現存している可能性が出てきたね

277人間七七四年2008/10/31(金) 13:46:04ID:PayfnYFJ
古代、中世の貴族、大名の子孫って現代でもどうして代を重ねるに連れすごくなっていくのでしょうか?関白というおじゃる丸や管領というぜんまいざむらいの子孫は現代では近衛総理大臣や細川総理大臣といった化け物。

278人間七七四年2008/11/01(土) 15:58:14ID:NkgcilWq
>>275
今川橋の地主の人か。

279人間七七四年2008/11/06(木) 11:14:25ID:si1q9C6/
>>272
旗本人名事典に本姓能見で500石の松平文九郎広徳がいる。
出雲守勝隆末、団之助勝秀末とあるから家系はばっちり続いてるようだな。
あと本姓能見で500石の松平大隅守勝武(出雲守勝隆末)は重治の別の子(重宗?)が改易前に分家した系統かな?

280人間七七四年2008/11/06(木) 20:57:29ID:3m6rjyO3
つまり今川義元の男系子孫は松平と名を変えて存在していると?

281奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/11/06(木) 23:33:30ID:9OWMa4Ul
何分の一か知らんが、父系で武士なんて珍しくないからさ。

282255=266=271=274=2792008/11/07(金) 01:24:57ID:cWcPj1cx
>>280
その可能性あり


>>272の勝秀であってそうだね。
勝隆┳重治勝秀勝文勝興(=広徳)
┗勝制勝周勝武
引用元
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/takamine/rekisi/shosizoku/daimyou/tokugawa/keizu_2/nomi.htm
図書館帰りに携帯での書き込みだったから旧字が出なくて括弧書きの広徳の方を書いたけど、
勝秀の孫勝興と同人です。
勝武は重治の義弟?勝制の孫だけど、重宗系統が養子になったりはしてないだろうか…

明日っていうか今日の昼間にでも県立図書館行ってくるかな。
田中藩士の名簿も見たいし。
貞世の遠州今川なら庄屋や郷士で残ってるらしいしそれも調べたいなぁ。

283人間七七四年2008/11/07(金) 01:30:14ID:cWcPj1cx
ウホッ…系図ずれた…
これでどうだっ!
勝隆
┣━━┓
重治 勝制
勝秀 勝周
勝文 勝武
勝興

284人間七七四年2008/11/18(火) 13:10:09ID:rSEDC+ye
品川高久は氏真の次男なんだ

285人間七七四年2008/11/28(金) 14:29:28ID:R+r0yjKZ
品川名乗ったんだったね。

286人間七七四年2008/12/09(火) 14:08:42ID:w9NoNpM5
弥二郎は関係ないよ。

287人間七七四年2008/12/10(水) 13:32:59ID:7uro9PtK
浮上

288人間七七四年2008/12/10(水) 16:51:54ID:Rr298zrH
織田弾正忠信秀に那古野城を追い出されたのは一族ですか?

289人間七七四年2008/12/10(水) 17:15:55ID:YiL/2eI3
不明です

290人間七七四年2008/12/10(水) 22:39:49ID:Hil2OKf+
>>288
今川竹王丸(氏豊?)は今川流那古屋氏ではないかと考えられている。
一般的にはwikiにもあるように、今川氏親が斯波氏を撃破した際に、
かつて今川氏の所領であった那古屋に城を築いて氏豊を入れたとする。
が、今川氏親の子に竹王丸の存在は見えず(氏親の子とするのは後世の記録のみ)、
竹王丸が駿河今川氏と直接的な血縁関係があったかどうかは非常に疑わしい。
尾張今川氏は奉公衆にも名を連ねる名門であり、那古屋氏を称している以上、
那古屋城を領していた竹王丸はその一族であると考えるほうが自然。
とはいえ、詳細は不明とするのが現在のところは一番いいかもしれんw

291人間七七四年2008/12/11(木) 09:08:20ID:nHnCbxcn
今川氏豊だね、那古野城主は。弾正忠(織田信秀)が仮病を装い、
城内へ入り気を許した氏豊を捕らえ、追い出したと書く本もあるよ。

292人間七七四年2008/12/11(木) 10:02:01ID:HIajrCIQ
この時代にたくさんあった、せこくて泥臭い城盗りの代表例だよねw
きらいではないがw

293人間七七四年2008/12/24(水) 15:28:41ID:QY1CP5jn
守護斯波や守護代織田両家が押さえ切ってないから、今川が尾張にいるわけかな

294人間七七四年2008/12/25(木) 19:29:47ID:ARd4tozG
こんな過疎スレでsageるなんてバカなの?死ぬの?
>>293
そう思うと桶狭間後にすぐ再侵攻しなかったのが惜しまれる…

295人間七七四年2008/12/25(木) 19:57:32ID:d/LovgxV
【事件】小学生がドアに黒板消しの代わりに挟んだカボチャで担任教師(32)重傷
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/yasai/1223375038/

296人間七七四年2009/01/01(木) 21:11:40ID:y4PZh6EI
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。


297人間七七四年2009/01/03(土) 01:22:12ID:E/gFKKIr
武田はさきの長篠城攻めでの疲弊、かなり強固な陣城への雨でぬかるんだ地面のなかでの突撃
、さらには大量の鉄砲やかなりの数的不利といった相当不利な状況のなかでの敗戦だけど
これだけ不利な状況で所々柵を破れ、長時間戦える武田軍は強すぎる

298人間七七四年2009/01/05(月) 06:33:58ID:9m2ARbSj
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。


299人間七七四年2009/01/17(土) 15:18:43ID:wF2SbY8r
品川弥二郎ですか。

300人間七七四年2009/01/17(土) 16:29:06ID:X/T6Dl89
遠江今川氏

301人間七七四年2009/01/18(日) 11:38:03ID:aHF05A2K
>>297
そんな不利な状況で戦った時点で武田上層部は大戦中の軍部並の頭だな。

302人間七七四年2009/01/24(土) 09:44:37ID:efSkF8CG
>>301
一人しか荒らしが来ないこんな過疎スレでsageるなんて大戦中の軍部並の頭だな。

3032009/01/24(土) 13:34:21ID:yXJUXjIF
>>302
一人しか荒らしが来ないこんな過疎スレで6日前のレスにレスするなんて大戦中の軍部並の頭だな。

304人間七七四年2009/01/31(土) 15:54:50ID:rmKjZAYK
尾張今川氏

305人間七七四年2009/02/05(木) 03:56:30ID:o+l3bhrl
今川氏康

306人間七七四年2009/02/16(月) 16:09:45ID:F4Zc+Sji
いそうでいないね。氏はもともとは足利義氏(古河公方じゃない方)から来てるのかな。

307人間七七四年2009/02/27(金) 15:19:33ID:QNOR0pWN
初代の国氏からだね

308人間七七四年2009/03/01(日) 03:44:36ID:j3r29YkH
今川義忠って優秀な人物だったんですか?

309人間七七四年2009/03/01(日) 23:14:37ID:GscP3q3F
義忠さんは小夜道を恐れ南路をとって塩買坂で遠江豪族横地・勝間田連合に
諸将共々やられたというから作戦ベタということかな。
勝利の帰路、一揆の流れ矢で落名とかになっているが今川側が後に記した
ことだから真実はどうだろうか?
おまけにそれが後北條の成り上がりの起因となってしまったんだから。

310人間七七四年2009/03/01(日) 23:20:22ID:PnLNiH/e
> 勝利の帰路、一揆の流れ矢で落名とかになっているが今川側が後に記した
> ことだから真実はどうだろうか?

それを覆す資料が出てから言え。

311人間七七四年2009/03/02(月) 00:46:42ID:yeeChep9
横地氏はその後も存続していたと思うのですが、そちらの記録には違った内容が記されているのでしょうか?
あと、北条の隆盛を義忠の咎とするのは流石に乱暴ではないですかね?

312人間七七四年2009/03/03(火) 16:56:44ID:g511ODlO
ここは今川シンパの巣窟だ撤退しよう。
武田さん、徳川さんお願いやつけてよ!

313人間七七四年2009/03/03(火) 17:30:54ID:jZg+iIXu
今川氏スレなんだから、今川ファンが集ってて当然だろw

314人間七七四年2009/03/03(火) 22:33:23ID:qPTe6V9y
久々にワロタ


福島正成は一万二千で甲斐に侵攻したというけど、
なんでそんな数が動員出来たんだろう

315人間七七四年2009/03/03(火) 23:03:23ID:C7/w0xqc
>>314
>福島正成は一万二千で甲斐に侵攻したというけど、
一瞬福島正則が何をとち狂って家康に刃向ったのかと思ったよ

316人間七七四年2009/03/04(水) 17:09:31ID:UezhNqz+
>>310 資料、武田が攻めてきたんで逃げる途中兵糧枯渇したんで
日銭稼ぎに古紙回収業者に渡しちゃった。ゴメンネ大事なものを。

317人間七七四年2009/03/04(水) 18:13:25ID:Dwu50Ttz
生き証人かよw
でもそれだと結局今川の記録じゃね?

318人間七七四年2009/03/06(金) 15:20:20ID:JJia6W6h
>>314
公称1万2千、実際は3千とかだろ。

319人間七七四年2009/03/06(金) 17:13:59ID:LixUx5z3
まあ軍勢3千でも、賦役の人間合わせたら1万くらいいくかもな。

320人間七七四年2009/03/17(火) 15:02:12ID:FerD5uTL
公称だから

321人間七七四年2009/03/27(金) 15:42:20ID:dz+W8eOY
駿遠って意外と石高少ないよね。

322人間七七四年2009/04/03(金) 13:08:04ID:gA58cPjk
駿河国内の敵ってどういうのがいたの?

323人間七七四年2009/04/10(金) 15:20:14ID:SAQiMyHx
室町初期は狩野氏なんかが南朝方でいたよ

324人間七七四年2009/04/14(火) 05:46:04ID:4n4NU/X6
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

325人間七七四年2009/04/14(火) 13:11:07ID:A+Sf5OAJ
駿河伊達氏

326人間七七四年2009/04/14(火) 13:27:12ID:TLrzZ5EO
駿河遠江って農耕地が少なめで石高は低いけど、商取引、港湾収入、
海道からの関銭、金山収入で潤ってたし流入人口もありそうで石高よりも
動員兵力がありそう。

当時の漁獲状況はどうだったのだろうか。

327人間七七四年2009/04/14(火) 13:32:46ID:TbYrmc4H
今川焼元

328人間七七四年2009/04/15(水) 03:55:29ID:GYf2CtzF
まあ、武田や後北条よりは懐事情も良かっただろうな。

329人間七七四年2009/04/15(水) 09:39:47ID:HueM2ONq
定住者は少なかったのでは

330人間七七四年2009/04/16(木) 05:28:50ID:99FBqk7K
今川って嫡流は絶えたけど、品川のような傍流は現在も残ってんの?

331人間七七四年2009/04/16(木) 12:42:22ID:SAxUd3D/
ここで聞いていいのかわからんが
戸田康光はなんの勝算(好条件)に乗って竹千代を信秀に引き渡したんだろうな
ちなみに康光は今川義元の怒りを買い、直ちに攻め滅ぼされた

332人間七七四年2009/04/16(木) 15:55:21ID:BQ0kCI6T
当時の信秀は同時進行で奥三河衆や吉良氏へも調略を図っていたし

「俺の一手で松平党が織田方になればいけ好かねえ牧野の奴ら
を残してそっくり塗り替わるんじゃね?」

と言う期待があったんじゃないか?しかし広忠が今川派を貫いたので
孤立してフルボッコ。

333人間七七四年2009/04/16(木) 19:54:30ID:gfGNnYZ6
広忠から自発的に竹千代を人質をだそうとしたという説もあるらしいけど
広忠はなんで今川派を貫いたんだろう?
もし広忠が織田に下ってたらどうなってたのかな

>>331
品川は東京で自転車屋をやってるというレスを見たことがある
あと、氏真の三男の系譜が田代まさしに続いてるっていうのもあったが否定されていた。
「今川氏と観泉寺」には、三男については没年しか書いてなかったけど
この三男だけは母親が早川殿って確定されてないんだね

334人間七七四年2009/04/17(金) 02:47:47ID:fZrz7i/L
>>333
じゃあ一応今川の家系は現在にも残ってるのか。
誰か血を引いてる方復姓すれば良いのに。

335人間七七四年2009/04/18(土) 01:26:43ID:BFBsmrw9
>>326
金山収入は、ウソ。

家康が大御所駿府在城時代に、もっとも金山が開発されていた。人口も多かった。

今川がでかいというよりも、織田、徳川、武田、北条が小さすぎただけ。

今川が、斉藤、朝倉、浅井、六角、北畠、三好・松永に勝てるとはおもえん。

武田甲斐23万石。北条伊豆6万石相模19万石。徳川三河29万石。

織田尾張56万石だが、内戦状態にあったため力が落ちていた。

今川、駿河15万石、遠州25万石、合わせて40万石。三河くわえて、69万石。

畿内や中国、北陸の大名に比べると落ちるが、東日本では肥大化した勢力。

朝倉なんかも楽に2万くらい動員してるし。北陸一向衆なんか、一説に30万???

畿内も人口多いから、楽に5万くらいは動員できるだろ。織田も6万の大軍で上洛してるし。

中国地方も、山名、大内、尼子、毛利など複数国支配する勢力だらけだし。

東日本が台頭開発された時代が、戦国時代。

336人間七七四年2009/04/18(土) 07:08:34ID:hCB1rI97
>今川が、斉藤、朝倉、浅井、六角、北畠、三好・松永に勝てるとはおもえん。
という事は、武田や後北条もこれ等の勢力には勝てないって事か。
武田も後北条も国力では今川より劣ってるだろうからな。

337人間七七四年2009/04/18(土) 08:55:59ID:KxWAtydl
甲斐の虎だの東海の雄だの関東の覇者だのと言われて持ち上げられてるが、
所詮井の中の蛙。武田・今川・北条では毛利や三好相手だと厳しいだろうな…

そもそも最大版図が今川義元100万石で武田信玄120万石って本当なのか?
東海や甲信ってあんまり豊かじゃない気が…

338人間七七四年2009/04/18(土) 09:18:15ID:BFBsmrw9
六角、三好、大内は上洛して天下を制している。

大内は、北九州〜山陽・瀬戸内。

六角も近江を支配し、管領代。

三好は、四国・近畿を支配し、堺を押さえる。

三重県なんか、長島一揆、伊賀忍者一揆、国司北畠氏、神戸氏、長野氏など
多数勢力がおり、信長が伊賀を制圧したのは最後のほうだし。

紀伊国なんて、24万石しかないのに、雑賀、根来、高野山を降伏させたのは、
信長を通り越して秀吉時代だし。

339人間七七四年2009/04/18(土) 15:21:07ID:oGD57SMZ
石高で推測できるのは継戦能力であり、動員兵力は人口に
よるんじゃないか?

340人間七七四年2009/04/18(土) 22:12:06ID:iK5wE2GY
>>335
>金山収入は、ウソ。
ウソではねーだろ

341人間七七四年2009/04/19(日) 02:59:13ID:xeaxmg4i
ところで、そもそも義元は尾張のどれくれいの地域を押さえてたんだ?
知多半島とかは今川の勢力圏だったの?

342人間七七四年2009/04/19(日) 03:13:27ID:niu0Nm+v
半田出身だけど今川の話なんて聞いたこと無い
小学校の郷土の時間では
水野とかいう人が勢力伸ばしていて
織田と結んだとか何とか言ってたような気がする

343人間七七四年2009/04/19(日) 06:32:42ID:KNlXFxJL
>342

半田で水野家か…家康の母親於大の方が水野家の出だったな。
織田方に付いたので今川方の松平広忠に離縁されたんだ。
これが戦国の辛酸を嘗め尽くす家康の人生の始まり・・・。

344人間七七四年2009/04/20(月) 16:20:01ID:MYIyFahE
>>341
三河の国全域と大高・鳴海等の主要部が今川に取られた、つまり桶狭間直前ということでいえば、
今の愛知県の中区(今の名古屋城のある所)まで食い込まれていた。
清洲は愛知県の中でもどちらかと言うとかなり北西部にあたるので

愛知県の形を「左側に飛び跳ねている羊」と例えるなら、
前脚と頭の部分以外を今川が侵食していたと言ってもいいと思う。

345人間七七四年2009/04/20(月) 21:51:30ID:GIVgqgAF
曳馬城主・片山さつき

346人間七七四年2009/04/22(水) 04:55:10ID:ZDZn4YOt
今川氏は親後北条だったのに、なんで義元は親武田に転換したんだ?
花倉の乱の時に、義元は信虎から支持を得てたとかあるんだろうか。

347人間七七四年2009/04/22(水) 15:10:57ID:AH2n0FDl
>>346
花倉の乱のとき武田は恵探派に同調しなかったため、義元派と取れる。
但し恵探を擁した福島氏はかつて甲斐に何度も攻め込んだ家であり、
武田にとって憎むべき直接の敵であったから、義元有利としたかったのではないかな。

武田の北条今川離間策にはまった気もしないでもない。

348人間七七四年2009/04/22(水) 15:50:16ID:RuSB7YL5
つーかそもそも福島氏が親北条派だから

349人間七七四年2009/04/22(水) 16:34:01ID:oorBnXx+
従来は北条の過剰な救援活動が今川を警戒させて武田に近づいたと考えられてきたようだが
有光氏だったかな?雪斎が積極的に武田とつながったという説もあるね
氏によると甲陽軍艦がネタになるが乱直後に今川氏のとりもちで信玄と三条夫人の
婚姻が成ったとあり、本当なら乱前からつながりはあったのでは?という考えらしい

花倉の乱自体結構わからないことも多くて面白いね
氏輝・彦五郎の死の謎とか、寿桂尼の動向とか福島氏と北条氏とか
個人的に寿桂尼が息子の義元と対立するか?とは思うけど

350人間七七四年2009/04/24(金) 03:51:57ID:yDvTPrgN
確かに氏輝・彦五郎の急死は最大の謎だな。
一部で囁かれてるように義元(承芳)一派が暗殺したんだろうか…
それともそれは只の陰謀論か?

351人間七七四年2009/04/24(金) 09:34:53ID:g+oUpncH
片方が普通死でもう片方が事件死と見るのが妥当じゃないかね

352人間七七四年2009/04/24(金) 16:56:22ID:CV2Rp2Jq
氏輝は病死っぽい記述があるけど彦五郎は死んだとしか書かれていないね
恵探側の福島がやったのか、あるいは義元側の誰かがやったのかわからないけど
二人が死んで家督が相続できるとみられていたのは義元だろうし、やるメリットが
あるのは義元側かなあ?

353人間七七四年2009/04/24(金) 22:16:23ID:5a7Q1Ly9
案外単純に兄彦五郎の死に衝撃を受けてショック死したのかもしれんぞ。
あるいは兄の訃報を聞いて動揺し、落馬したとか失神したとかで、
倒れ落ちた際に打ち所が悪くてすぐ死んだとか。

彦五郎は義元の実の兄なわけで、兄殺しなんて寿桂尼が黙っちゃいないだろう。
彦五郎自体氏輝の実子という説もあった気はするが。
もし義元派が暗殺したのだとしたら恵探に利するだけだしな。
むしろ義元も恵探も全く関与しなかった死に方(単なる事故死だわな)をしたからこそ、
互いに我こそが継承者だという主張が可能だったのかもしれん。
それに暗殺したとかいう噂があれば軍記や地誌など俗書の類が採用しないはずがないと思うし。

354人間七七四年2009/04/25(土) 14:55:13ID:8mZ33aiq
彦五郎が氏輝を殺害後、自害

…我ながら無理がありすぎる

355人間七七四年2009/04/25(土) 23:39:07ID:C2K9Kz+Y
>寿桂尼が黙っちゃいないだろう
隠蔽や偽装は無理…かな?

356人間七七四年2009/04/26(日) 00:20:20ID:WQZvVzEg
うーん、無理ってこともないと思うけどな。
誰が殺したか寿桂尼や周りの人たちも知らないでいる可能性もあると思うし。

寿桂尼が、彦五郎を義元派が殺したことを知って恵探側についたとも考えられないかな?
その後、母親ということで命は助かったが、もう家中のことには一切口を出せなくなったとか…
義元の家督相続以降は寿桂尼の表立った行動はなくなるし(当たり前といえば当たり前だが…)

あと、彦五郎が氏輝より先に死んだ可能性もないのかな?

357人間七七四年2009/04/26(日) 02:16:10ID:PJkvOXB3
有光氏の著者は恥ずかしながら人物叢書しか知らないが、
義元政権において寿桂尼が重きを置いてなかったという説は結構衝撃だった

358人間七七四年2009/04/26(日) 22:03:33ID:+4uZ4pFx
>>357 読むべきですかね?
章立てや頁数からみて、義元の人物をしっかり書いているのは、
小和田氏のミネルヴァ書房本だという印象なのですが、
ミネルヴァ書房本はちょっと年月経ってしまっていますからねぇ。
どちらがいいですかね?

359人間七七四年2009/04/26(日) 22:59:59ID:WQZvVzEg
>>358
357ではないけど、私は2冊とも持ってますよ。
他スレでも言われてたけど、比べて読むのもいいのでは?
特に花倉の乱とか寿桂尼に対する考え方が結構違っていて興味深かった。


あと、有光氏の本に山科言継の日記に「太守下戸たりと雖も、十余盃受用せられ了」
とあり、本当に下戸かはおいといて義元の唯一の人柄を示す史料としていて意外と
人柄を示すものってないんだなあ、と思った。
義元って肖像画も無いみたいだし(氏真とか寿桂尼はあるのに)

360人間七七四年2009/04/27(月) 04:40:01ID:uHAUbhTl
>その後、母親ということで命は助かったが、もう家中のことには一切口を出せなくなったとか…
>義元の家督相続以降は寿桂尼の表立った行動はなくなるし(当たり前といえば当たり前だが…)
でも寿桂尼は氏真期にはまた政治に関わるようになったと聞いたけど…
そんな経緯があるなら、普通孫の代でも口出しできなくないか?

361人間七七四年2009/04/28(火) 19:07:33ID:aS7Tg7+e
>>360
自分も寿桂尼が氏真を後見していた、という話を聞いたことはあるんだが
氏真時代の寿桂尼の事跡は残っていないようなので、あったかもしれないけど
というような、あくまでもと想像の域を出ない話だと思う。

寿桂尼が政治に関わったと言われたのは、寿桂尼の死後すぐに武田の侵攻で今川が
大名として滅んだから、寿桂尼が今川を切り盛りしていたともとれることから
と考えているんだが、違うかなあ

362人間七七四年2009/04/28(火) 20:55:17ID:yXdvcqR1
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。


363人間七七四年2009/04/29(水) 15:38:32ID:Ghfe4d3Z
氏真時代に寿桂尼名義で出された文書や、
寿桂尼が家政に関わっていたという明確な史料はないのか……

364人間七七四年2009/05/02(土) 13:57:06ID:kG7blnLe
人物叢書今川義元でほんの少ししか触れられてなかったけど、氏親の弟惣持院心範の死が不気味で印象に残った。
系図に死因が記されていただけで本当のとこは分からないのかもしれないんが、「為氏輝入水」の意味を色々考えると…

365人間七七四年2009/05/02(土) 21:20:05ID:8CM9kPTs
>>363
氏真時代の寿桂尼の印判状は63、64年発給されたものが2枚ずつある。
ちなみに義元時代にも数枚発給しているし、氏輝時代前半は生前の氏親が毎年発給していた
位の数を発給している。(戦国期の印章・印判状の研究・岩田書院より)

>>364
有光氏は心範が氏輝の為に入水自殺したと解釈してるね。
本当だとして、どうして自殺しなきゃいけなかったんだろう。
義元の家督相続は、本当に謎が多い。

366人間七七四年2009/05/03(日) 08:56:12ID:/JlMFE7+
やっと小和田氏のミネルヴァ書房本を購入出来た…

>>365
という事は寿桂尼はやはり義元・氏真時代にも多少は影響力を
有していたという事か。大河ドラマの「武田信玄」や「風林火山」とかだと、
寿桂尼は氏輝成年後や義元・氏真期も発言しまくりで、場合によっては
当主達よりやり手な感じに描かれてたが、実際の所どうだったんだろう?
積極的に政治の一線に関わり続けてたのか、政治からはほぼ退いてたのか…
その発言や意見にはどれくらいの影響があったのか…

367人間七七四年2009/05/03(日) 11:44:34ID:qX0uYGmD
寿桂尼の義元・氏真時代の発給文書がどんな内容のものかにもよると思うんだけど、
彦五郎の供養のために朱印状を発給したことがあるみたいだが、そういうのは政治には関係なさそう。
小和田氏は本を見る限り、義元・氏真時代も寿桂尼の影響力があったとみているようだが
有光氏は小和田氏が考えているほどの影響力があったとは考えてないみたい。
素人の勝手な想像だが、実際の所永井路子の「姫の戦国」みたいに氏親・氏輝時代は
二人の代理として政治に関わり、義元・氏真時代は積極的には関わってないと思う。

368人間七七四年2009/05/04(月) 14:11:17ID:ufqlHYK1
人物叢書は、領国経営(経済政策、法治など)をしっかり書いてあって、ちょっと難しい印象が。
三国同盟の話あたりに頁を十分割いているミネルヴァの方が読み易くないですか?
ただ、ミネルヴァはもう5年前の発刊で、その後の研究の進展が反映されていない、
というような問題点はないですか?
どちらか片方を選ぶとしたら、どちらが良いですか?

369人間七七四年2009/05/05(火) 07:56:30ID:/WSEkJPs
義元ってあまり自分が直接出陣はしてないよね?何でだろ?
特に主な戦場だった三河・尾張方面は桶狭間まで全く出てないように思う。
小豆坂の戦いとか安城合戦も大将は雪斎だし。
河東一乱の時は出陣してたみたいだけど。やはり戦は不得手だったのか?
それに初陣とかっていつなんだ?花倉の乱の時かな?

370人間七七四年2009/05/05(火) 10:09:53ID:pe3Nu8+d
義忠戦死後は早雲とか総司令官立てて
当主は最前線にあまり立たないようにしたんじゃない
桶狭間の時の当主は氏真

371人間七七四年2009/05/05(火) 13:23:12ID:z/ileQC9
自身が直接出陣しない方が、何か大物感あっていい。
政治・外交のそう。義元−雪舟、上杉景勝−直江兼続のような執政方式最高!
漏れもそういう万事任せられる部下が欲しいわ。

372人間七七四年2009/05/05(火) 13:38:47ID:9h4C7BJy
>>369
河東の乱で逆襲する時はノリノリだったみたいだね

373人間七七四年2009/05/05(火) 14:26:31ID:0OZPDqcx
義元はどっちかというと政略とかで勝つタイプにみえる。
戦は自分でおこなうより雪斎に任せてるのが多いし。
河東の乱は義元と雪斎一緒に出陣もしている。
この時代主を支えた僧がたくさんいたが、雪斎ほどなんでも
できた人物は珍しかったんじゃないかな。

374人間七七四年2009/05/05(火) 18:08:36ID:z/ileQC9
>>371 雪舟ってww

375人間七七四年2009/05/06(水) 09:16:40ID:thjfzRw2
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。



376人間七七四年2009/05/06(水) 15:16:37ID:F2ZfryPQ
「高白齋記」は信頼できますからね

377人間七七四年2009/05/06(水) 16:10:06ID:F8R9INc9
>>375
これなんなの?

378人間七七四年2009/05/06(水) 16:22:57ID:yEBcdHaM
コピペ。

379人間七七四年2009/05/06(水) 17:30:38ID:F8R9INc9
>>378
目的がわからん

380人間七七四年2009/05/07(木) 00:05:22ID:qJSQ+fGs
>>379
今川系のスレでは大抵見るな。多分「海道一の弓取り」は義元ではなく
家康だと言いたいんじゃないの?記憶違いかもしれんが、以前どっかで
その事が議論されてた時にそのコピペが持ち出されてたような気がする…

ところで義元には氏真以外にも長得という次男がいたと聞いたんだが
どんな人物だったんだ?氏真や武田義信室とは異母弟らしいけど。
やはり幼少時の義元のように出家させられてたのか?
あと、その2人以外には男子はいなかったのかな?

381人間七七四年2009/05/07(木) 00:09:01ID:k/n8VGhu
>>379
目的は「俺が好きなストーリーこそが真実の歴史!」と主張すること。

「海道一の弓取り」と言われたのは家康であって義元ではない!と主張したい奴で、ときどき発生する。
なるほどコピペからは「家康が“海道一の弓取り”と呼ばれたこと」が論証できるが、
「義元が“海道一の弓取り”とは呼ばれなかったこと」は論証できない。

ほかのバリエーションでは、小和田哲男教授叩きもある。
いわく、小和田氏は静岡人だから地元の今川を賛美するために歴史を捏造してるらしい。なんという静岡陰謀説!
もちろん小和田説にもいろんな評価はあり、史料を検討した上の批判は当然なんだが、
コピペがやりたいのは罵倒と所信表明だけ。自分にとって都合のいい史料のつまみぐいしかしない。

wikipediaで執拗な豊橋叩き・自説混入をしてる奴とたぶん同一。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%B3

382人間七七四年2009/05/07(木) 00:48:43ID:71Sg4b24
コピペの人は時々小和田氏のスレにも書き込みしてるねー

>>380
長得の幼少時については嫡男の氏真でさえほとんど不明なのでなんとも言えないが
寺で修行しているようなので出家させられてたんじゃないかな。氏真の葬儀もやったようだし。
あと、義元の男子についてなんだが、今の所わかってるのはこの二人だけで、
義元弟の泉奘が最近まで義元の子供だといわれていたみたい。
長得の母親については、「今川義元のすべて」に義元の正室と側室についての
項があったはずなので調べたらわかるかな…

383人間七七四年2009/05/08(金) 22:04:33ID:rXYrHjEk
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。


384人間七七四年2009/05/09(土) 03:13:44ID:tL5716me
>>373
あくまでイメージだが、軍事・外交は主に雪斎で、内政は義元って感じに
分担してたように見える。
まあ、軍事は河東一乱では義元が出陣してるから関東方面(対後北条)が
義元で三河方面(対織田)が雪斎だったのかも知れんが。
実際、河東一乱や仮名目録追加制定の際は、雪斎が三河での活躍ほどの働き
をしたとはあまり聞かない気が…

>>382
そういや義元は正室との仲や、側室・衆道相手とかの話しは聞かないな。
創作すら無いし…

385人間七七四年2009/05/09(土) 04:19:02ID:rt245k/9
定恵院は19で嫁いで結婚生活13年かー。

義元と定恵院のあいだには氏真・嶺松院(武田義信室)・隆福院の1男2女。
隆福院は6〜8歳くらいで夭折したらしい。

386人間七七四年2009/05/09(土) 15:55:48ID:jzkn/UhL
そうなのか

387人間七七四年2009/05/09(土) 19:06:39ID:ejwK6WyU
>>384
側室に井伊氏の女がいて、その後関口氏の誰かに義元の妹として与えたらしい。(拝領妻?)
一説によるとその女が築山殿を生んだらしいが、そうだとしたら関口義広に嫁いだのかな?
衆道は寺にいたときはあっても不思議じゃないが、衆道相手については聞いたことないな。
強いて言えば雪斎位か?

>>385
斜め読みなので間違っているかもしれんが、「今川義元のすべて」では、定恵院が義元に
蔑にはされた形跡はないし、義元に大切にされたのでは?と推測されていたよ。
まあ、義父もいるしねw
氏真も嫁さんには恵まれてるなあ

388人間七七四年2009/05/10(日) 15:32:17ID:zz9GpWYz
「人物叢書」は、寺社や僧侶の名前が一杯出てきて、それぞれとても覚えられませんよw

389人間七七四年2009/05/11(月) 20:34:56ID:VxIr2QN7
今川家で一番優秀な武将だれ?大原以外で。
朝比奈か岡部になんの?

390人間七七四年2009/05/11(月) 22:32:15ID:rF1iyOtC
いわゆる花蔵の乱の構図論だけれど、
一次資料の読み解きをみると、「人物叢書」の有光説が説得力ありますな。
寿桂尼の「同心」については、小和田説の「妥協」くらいの意味では?とも思うところがありますが、
少なくとも北条・武田の立ち位置は従来の見方を転換すべきでしょうな。
この点に関しては、小和田氏も前田氏も今では有光説に賛同しているということはないのですか?

391人間七七四年2009/05/12(火) 04:24:06ID:e6Zgr3Bf
結局義元の子は嫡男の氏真、仏門に入った長得、義信に嫁いだ嶺松院、
夭折した隆福院の四人だけ?

>>389
松平元康。


…と言うのはあまりにも面白味が無いか…。
やっぱり言う通り朝比奈泰能や岡部元信辺りになるかなあ。
朝比奈は雪斎に次ぐ重臣筆頭格で小豆坂で副将、広忠死後の岡崎城接収と
かなり重要な役目をこなしてるし、岡部は小豆坂・桶狭間・武田時代になるけど
高天神城とかで活躍してるしなあ。

392人間七七四年2009/05/12(火) 07:41:34ID:4y3ZxVqD
>>389
大原資良
…大原以外でしたね

393人間七七四年2009/05/12(火) 07:49:20ID:jPagyO9i
義元が桶狭間で討ち死にせず、武将として松平元康を活用していればどうなったか、
色々夢が膨らむ話ですな。

394人間七七四年2009/05/13(水) 16:54:34ID:qmcJFZRE
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

395人間七七四年2009/05/14(木) 06:50:39ID:HHYPQCDz
義元って尾張を切り取ったら次はどうするつもりだったんだろう?
三国同盟は破らんだろうから、やはり美濃か?
伊勢侵攻を目指していたという説もあるみたいだが…

396人間七七四年2009/05/15(金) 20:22:16ID:Y3lR279R
>>395
信長と同じ道を辿るしかないだろ。
北勢を攻めて後顧の憂いをなくしてから美濃を攻略。
義元と信長は近江制圧まではほぼ同じ進行をすると考えるのが妥当かと。

397人間七七四年2009/05/19(火) 20:20:03ID:5UZWEZJ5
夏に「戦国大名 今川氏の興亡」という講義が開かれるな

398人間七七四年2009/05/19(火) 21:52:57ID:f6Fit6pX
>>397
これか

第6回短期歴史講座「戦国大名今川氏の興亡」
http://www.at-s.com/bin/even/EVEN0030.asp?event_no_i=K524873301

いってみたいが、静岡かー。

399人間七七四年2009/05/19(火) 23:32:45ID:5UZWEZJ5
>>398
おお、それそれ
俺は駿河在住だから受講するけどね
このスレに静岡県民はどのくらいいるのか

400人間七七四年2009/05/20(水) 00:13:05ID:MCVfuD0Z
行ってみたいがさすがに遠いなあ…
一週間連続とかなら良かったんだが

401人間七七四年2009/05/21(木) 04:10:49ID:bShU6tlF
義元の子は氏真・長得・嶺松院・隆福院のニ男二女だけみたいだが、
だとすると当時としては結構少ないんじゃないか。
近隣の武田信玄や北条氏康、織田信秀とかには10人以上子供がいた訳だし。
父の氏親だって遅くに子供が出来始めたのに5人以上いる(とされている)し。
それらと比べるとどうしても…。
やはり正室が早くに亡くなり、更に自分も討死して天寿を全う出来なかったからかな?

402人間七七四年2009/05/21(木) 15:20:29ID:yJCNqXFc
氏親は息子5人、娘5人いるみたい。
養女の可能性がある娘もいるけど、結婚が遅いことを考慮してもそれなりにいる感じ。
義元の場合、自身が兄弟と争って家督を継いだこともあり、無用な争いを避けるためにも
嫡男の氏真と長得の二人以外は無理に作る気がなかったのかも。
今川自体家督争いの絶えない家のようだし…

ところで、今川義元のすべてが読めたんだが、正室のことしか書いてなかった。
側室は長得を生んだ女のほかに、井伊の娘くらいしか伝わってないし側室自体もあんまりいなかったのかな。

403人間七七四年2009/05/23(土) 19:51:38ID:R7suzh4j
1日24時間、仕事をしている間も他の何をする時も、義元のことが頭から離れません。

404人間七七四年2009/05/24(日) 00:21:43ID:+uxRpF++
氏親は19まで元服できなかったんだっけ?

405人間七七四年2009/05/27(水) 03:20:09ID:HVJM6pB/
遠江今川氏の嫡流は堀越氏?それとも瀬名氏?

406奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/05/27(水) 03:38:20ID:Nv20r+Fx
品川じゃあかんのかい。

407人間七七四年2009/05/29(金) 17:56:21ID:XbAg4tFL
http://www.at-s.com/bin/even/EVEN0030.asp?event_no_i=K524873301

久保田昌希 小和田哲男

今川マンセーのキチガイ双璧。。。。。。。。。。。。


408人間七七四年2009/05/29(金) 19:05:06ID:SmpNXIzL
>>406
品川は駿河今川氏だろw

409奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/05/30(土) 06:32:49ID:cUpbxHaP
>>408
ごめん、酔っ払ってて妄想書いてた。

410人間七七四年2009/06/04(木) 23:10:37ID:0+YlwpvH
臨済宗妙心寺派に帰依したいです。

411人間七七四年2009/06/05(金) 00:25:19ID:u1Sy29HF
>>398
行きたいけど春に駿河から伊勢へ配流されまして…
駿州人には伊勢神宮なんかより御穂神社と三島神社が合ってるわい('A`)

412人間七七四年2009/06/05(金) 22:37:54ID:JqnFbq8X
江尻、清水、興津、吉浦・西浦、これらの湊・津を暴れ回りたい。

413人間七七四年2009/06/06(土) 02:25:47ID:GcXFNiTA
>>412
それなんて金嬉老?

414人間七七四年2009/06/06(土) 11:31:49ID:WS42v7M5
俺の会社の上司は朝比奈さんです

415人間七七四年2009/06/06(土) 13:36:31ID:n4oFmyho
み、み、みらくる!

416人間七七四年2009/06/06(土) 19:15:09ID:GcXFNiTA
朝比奈長門藤原某

417人間七七四年2009/06/06(土) 20:29:56ID:3zTPYZwJ
庵原姓の家に婿入りしたい。

418人間七七四年2009/06/07(日) 00:03:26ID:flmzUdg0
>>417
武者震いがするのぅ!

マジレスすると御家人だった庵原さんなら知り合いだわ。
あと朝比奈、梶原、仙石と松平を数人知ってる。仙石ちゃんは可愛くていい子。
水戸と久松松平はいい奴だったけど、某松平と先祖話になった時にうちを陪臣風情と小バカにされたお陰で徳川嫌いになりましたとさ。

419人間七七四年2009/06/08(月) 16:51:43ID:+wyjaTqa
信長も下立つて、若武者共に先を争ひ、つき伏せ、つき倒ほし、
いらつたる若もの共、乱れかゝつてしのぎをけづり、鍔をわり、
火花をちらし火焔をふらす。然りといへども、敵身方の武者、
色は相まぎれず。爰にて御馬廻・御小姓衆歴々手負・死人員を知らず。
服部子平太、義元にかゝりあひ、膝の口きられ倒伏す。毛利新介、
義元を伐臥せ頸をとる。
おけはざまと云ふ所は、はざまくみ、深田足入れ、高みひきみ茂り、
節所と云ふ事限りなし。深田へ迯入る者は所をさらずはいづりまはるを、
若者ども追付き追付き二つ・三つ宛手々に頸をとり持ち、御前へ参り候。
頸は何れも清須にて御実検と仰出だされ、よしもとの頸を御覧じ、
御満足斜めならず。もと御出で候道を御帰陣候なり。
世はぎょう季ニ及ブト雖モ、日月未ダ地ニ堕チズ、今川義元、
山口左馬助が在所へきたり、鳴海にて四万五千の大軍を靡かし、
それも御用に立たず。千が一の信長、纔か二千に及ぶ人数に扣立てられ、
迯死に相果てられ、浅猿敷仕合、因果歴然、善悪二つの道理、
天道恐敷候なり。

420人間七七四年2009/06/08(月) 23:26:21ID:d1io59VO
三条西、正親町三条、中御門、冷泉家などと交流したい。いや、そのような家に生まれたかったorz

421人間七七四年2009/06/10(水) 07:03:04ID:uL9pBuL5
名門名門言うけど斯波や畠山と比べたらどっちが名門だったの?

422莫邪 ◆Bakuya.ugA 2009/06/11(木) 00:21:47ID:wt1aGeRL
斯波、畠山(細川も)は管領職を持ち回りする家
吉良、今川は足利が途絶えたら将軍を輩出可能な家

今川

423人間七七四年2009/06/11(木) 22:22:32ID:qFCnmmKv
毎年1月13日に歌会始を主催したいお

424人間七七四年2009/06/12(金) 00:15:31ID:4Jrd5PKG
422の足利→吉良→今川は今川記に記述があるが、
それは、あくまで当時の噂のようなもので実際はそこまでの血筋
でもない、と本で読んだことがあるような…。
実際に副将軍になった人はいるよね。
今川は当時の足利一門のなかでは力(というと語弊があるかもだが)がある家だったのかな?

>>423
今川家の歌会始ってすごく豪華そう

425人間七七四年2009/06/12(金) 00:30:32ID:VgwURC9i
吉良が絶えれば今川って言うけど
この吉良ってのは武蔵吉良氏まで含んでたんだろうか?

家格としては今川よりも武蔵吉良氏が高い気がするが

426人間七七四年2009/06/12(金) 01:24:46ID:CWNU5gZ4
>>425
京で将軍「御一家」として仕えた、西条吉良氏でしょ。

427人間七七四年2009/06/12(金) 19:16:45ID:4Hnn8Mjt
>>426
>武蔵吉良氏 ま で 含んでたんだろうか?
西条吉良なのは大前提の上での疑問だろJK

428人間七七四年2009/06/12(金) 19:48:37ID:t9uIcZGS
戦国美麗姫図鑑 実在の姫100人
http://news.walkerplus.com/2009/0612/12/photo01.html

429人間七七四年2009/06/13(土) 06:34:06ID:PB6oI2ot
そういや武蔵吉良氏は遠江今川氏(堀越氏)から養子取ってるわけだが
これも吉良が絶えれば今川が継ぐのひとつと見れなくもない

430人間七七四年2009/06/19(金) 15:42:23ID:ptQKDdPm
水戸の副将軍と同類じゃないかな

431人間七七四年2009/06/22(月) 21:01:48ID:RRFQq7MR
>>422>>424
中央の役職は臣下が就くもので将軍の継承権がある今川は就かなかったとかいうアホな話を前に何かで読んだが、
今川が京で重職についてないのは駿河が室町方直属国の東端で関東公方への抑えとして期待してたから在国を勧めてただけであって、
将軍の継承権なんぞ一切関係無いし、もちろん無いだろうな。
足利家に跡継ぎが居なくなったら決めるのは中央の重臣だろうし、
関東足利や斯波、細川、一色が軒並み滅亡しない限り今川の出る幕は無いだろう。
鎌倉の例に倣って宮将軍が誕生するかもな。

432人間七七四年2009/06/27(土) 15:09:33ID:qaqwMPfu
関連スレ

六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50

4333992009/06/28(日) 13:21:02ID:LAISkWtq
やってまいりました
詳細>>398

434人間七七四年2009/06/28(日) 16:25:29ID:Xme6ERv2
内容はどうだった?
レジュメUP!

435人間七七四年2009/06/28(日) 18:03:10ID:kHCnlXfy
あただいま俺も今その講座行ってきたとこ
180人もいたけどレキジョなんていなかったよ
誰だ若い女性に戦国が流行ってるなんてデマ飛ばしたやつ

おじいさん 5割
おっさん  3割
お兄さん  1割
おばさん・婆さん 1割

ざっとこういう感じ

436人間七七四年2009/06/28(日) 18:26:24ID:LAISkWtq
講座内容を3行で言うと
氏親パネェ
宗瑞マジパネェッスw
でも一番パネェのは寿桂尼

437人間七七四年2009/06/28(日) 19:53:35ID:8tw2Ux/e
最後の興国寺城の質問、長っ!

438人間七七四年2009/06/28(日) 20:50:19ID:LAISkWtq
あれは結局
「北条早雲(伊勢宗瑞)は伊豆攻略に興国寺城を拠点にしたのか?」
と聞きたかったのか?

439人間七七四年2009/06/28(日) 21:11:20ID:Xme6ERv2
別の城の説が根強くあるからかい?

440人間七七四年2009/06/28(日) 21:44:51ID:LAISkWtq
まあ俺にはよくわからんのだけれど
というかあの人滑舌悪かったから何言ってるか半分も聞き取れなかった

441人間七七四年2009/06/28(日) 21:50:55ID:kHCnlXfy
>>437
空気嫁おじさんだったな
俺は結構聞き取れたけどスピーカーのせいじゃない?
ていうかこのスレ行った人は3人か

442人間七七四年2009/06/28(日) 22:01:16ID:kHCnlXfy
あ「あの人」は興国寺おじさんのことか
はやとちり
質問てのは今日の講義に関連して質問しろよなって思った

443人間七七四年2009/06/28(日) 22:02:22ID:Xme6ERv2
あまり素人を責めないでw
その話面白いけれどw

444人間七七四年2009/06/28(日) 22:19:58ID:gzicG08J
>>436
ほほー
ありがとう

田舎に帰りたくなったぜ
旧武家東海はどうなってるだろうか

445人間七七四年2009/06/28(日) 22:39:05ID:kHCnlXfy
今川って静岡人が忘れたアイデンティティだよねなんか
家康と慶喜が終の棲家を構えちゃったものだから
で県中部の政財界って慶喜家系の人が多いのかな実際のところ

446人間七七四年2009/06/28(日) 23:10:03ID:+01SrhGo
>>445
今川範国が駿河守護になったのが1336年、氏真が駿河追い出されたのが1568年。
230年ほど。

それに対して徳川支配は、1582年から1868年。途中10年ほど離れているから
計280年ほど。

まあ、これだけ時間があれば今川の色も消え去っておかしく無いですな。

447人間七七四年2009/06/28(日) 23:22:25ID:NTEUqzEE
今川色とは違うが、静岡に臨済宗の人が多いのは
雪斎と義元の政策の影響らしいね
いつか臨済寺の一般公開に行ってみたいが一年に一回なんだよな…

448人間七七四年2009/06/28(日) 23:24:16ID:gzicG08J
>>445
慶喜の子孫は東京や茨城にいるし現在ではあまり関わりが無い模様。
徳川絡みは旗本御家人の知り合いならたくさん居るがせいぜい小さい地主。牧之原で農家やってる人も一人だけいたな。
家を買ってすぐに離婚して手放した人がいたが、徳川の世なら一門の旗本だったのに諸行無常を感じるよ。
子供は全員母方についたし途絶えちゃうんだろうなぁ。

449人間七七四年2009/06/29(月) 00:21:48ID:MtEPKT26
>>447
以前、臨済寺一般公開に行ったが 手紙が掛け軸にしてあって
手の触れられそうな距離に掲げてあったり、竹千代手習の間という部屋を
真近で見れたりとなかなか良かった。

450人間七七四年2009/06/29(月) 00:24:05ID:pZAbnaCb
静岡には、少年時代と晩年の家康が、存在としてまだ生きているね。

451人間七七四年2009/06/29(月) 01:50:26ID:m7qhWink
>>449
昔、学校の調べ学習臨済寺を見学させてもらい、義元像や
手習いの間を見せてもらったことがあるけど、なかなか感慨深かったな。

>>450
駅前には竹千代と家康像が最近できたし、やはり静岡というと家康という
感じだな。

452人間七七四年2009/06/29(月) 03:27:04ID:pZAbnaCb
>>451
ttp://shizuoka.u-ch.org/ieyasu/ieyasu-02.jpg
ttp://shizuoka.u-ch.org/ieyasu/ieyasu-04.jpg
これですか。家康像は駿府城の物と違って采配を持っているのですな。
少年竹千代は実に賢そうだ。

453人間七七四年2009/06/29(月) 17:18:53ID:difIIaUh
>>452
おお、いつの間に…
そんな無駄な物を作るくらいなら紅葉山庭園を拡張整備してくれ…

454人間七七四年2009/06/29(月) 18:27:56ID:MtEPKT26
オレもあの像はどうかと思う。
場所が悪いな。
観光客とかの目に留まらない。

でも、像の作者は駿府公園内本丸跡にある像の作者の
御子息のようだ。

455人間七七四年2009/06/29(月) 19:11:31ID:SK5hEwBX
像なんて気付かなかった
今度行ってみる

456人間七七四年2009/07/01(水) 08:17:40ID:KOv9L9RC
家康を人質にしておきながら、帝王学叩き込んだし最前線任せるほどの
人材に育てた。家臣の娘を嫁がせてるのも、将来に期待してた表れでしょう。

俺は氏親や太原が好きだがw

457人間七七四年2009/07/02(木) 00:27:53ID:ihVQPHyp
氏親や雪斎なくして三河支配化,尾張侵攻による版図拡大は
なかったわけであり、のちの大御所家康は誕生してなかったであろう
から、雪斎はスゴイ。
雪斎を梅岳承芳の養育係にした氏親も同じく。

458人間七七四年2009/07/02(木) 00:30:15ID:38aE4AcM
その今川氏親は伊勢宗瑞なくしてありえなかったのだから、
北条早雲が一番偉い。

459人間七七四年2009/07/02(木) 00:59:17ID:9JQ2+MyJ
早雲も今川なしにはありえないんだが

460人間七七四年2009/07/02(木) 01:17:07ID:38aE4AcM
じゃあ今川に嫁いだ宗瑞の姉の北川殿が一番偉い。

461人間七七四年2009/07/02(木) 01:17:37ID:4D/FYp/U
よし、つまり義忠が一番すごいってことだな?

462人間七七四年2009/07/02(木) 01:20:41ID:38aE4AcM
義忠を殺した流れ矢が一番すごかった。

463人間七七四年2009/07/02(木) 02:46:53ID:T4grdB3y
遠州国人が一番凄いのか…

464人間七七四年2009/07/02(木) 07:15:48ID:azYS7BVK
バンビパンマンが継いでても雪斎は登場し得たかもしれん

465人間七七四年2009/07/03(金) 20:05:20ID:DSMOU9EZ
>>456
将来的には家老職だったろうな

466人間七七四年2009/07/03(金) 20:10:20ID:Rie1/bl7
武田信玄から見た真田昌幸
徳川家康から見た井伊直政
大内義隆から見た毛利隆元

そんな感じだね

467人間七七四年2009/07/03(金) 22:09:28ID:T+RS0Faa
恐ろしい事に織田信長は森長可をそう見ていた節が有る(将来の織田軍団長)

468人間七七四年2009/07/04(土) 07:48:40ID:HOWzUmWw
バンビパンマン?

469人間七七四年2009/07/05(日) 00:45:22ID:bv1bATRq
>>468
たぶん小鹿範満のことじゃね?
バンビ → 小鹿 は想像に難くないが、あとは464のセンスでしょ。
オレは意味わかったんでスルーしたけど。。。 

470奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/05(日) 07:43:06ID:fXmsf4bp
丁寧な説明を旨とする立派な御仁がおられると聞いてご挨拶に参りました。

471人間七七四年2009/07/05(日) 09:20:51ID:wn8AyQ9G
丁寧な説明

小鹿→バンビ
範 →パン
満 →マン

472人間七七四年2009/07/05(日) 09:22:29ID:5Pr0laan
>>464
雪斎は登場したかもしれんが、戦国大名としての今川家が出現したかどうか。

473人間七七四年2009/07/05(日) 11:05:24ID:wn8AyQ9G
ごめんバンビパンマンて書いてみたかっただけなんだ

474人間七七四年2009/07/14(火) 17:19:00ID:ln8gJyyC
中々面白いですな。

475奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/15(水) 07:34:29ID:PSChHRPG
では戦国板において「丹羽さん」「鮭様」に並ぶ呼称として「バンビパンマン」を認めるということで。

476人間七七四年2009/07/16(木) 18:29:22ID:rpxftjEB
今日は今川講座ではなくて
公民館で駿河歴史塾の日
ぼちぼち行ってきます

477人間七七四年2009/07/18(土) 13:19:57ID:lrrnVZ4P
だが今日は今川講座第二回目

478人間七七四年2009/07/18(土) 16:13:31ID:ixmw4+RY
講座から帰ってきたど。
なかなか話が聴きやすい先生だった。
『三国同盟の意義 ― 今川・武田・北条氏』

479人間七七四年2009/07/18(土) 16:58:51ID:lrrnVZ4P
寿桂尼の行動が読めないなあ
花倉の時に恵探に味方する理由があったんだろうか
そして乱集結の後、義元を支え、未だ権力を持ち続ける寿桂尼…

北条氏綱が過剰に義元を支援した、というのと
福島綱成が乱集結の後、氏綱のもとに身を寄せた、というのも矛盾を感じるし

480人間七七四年2009/07/18(土) 17:47:35ID:7mVviW3C
俺も今帰宅
駅の回転魚がし寿司で一杯飲んで31アイス食ってきたよ

ど素人だからジュケーニが北条方だったなんて説聞いて
素直に驚いてきた
面白いねえ

このスレ住民で受講してるのは3人?
オフしようか(笑)

481人間七七四年2009/07/18(土) 17:54:45ID:ixmw4+RY
今までは実子である栴岳承芳側に付いたというのが定説と思った
のだが、恵探に付いたというのは衝撃だったな。
氏輝らを亡き者にして実権を握ろうとした企みに気付き、
反雪斎陣営に付いたのか?

幼少より寺に預けられており、母の情が薄れていたのだろうか?

482人間七七四年2009/07/18(土) 18:13:37ID:8fAq6P8f
今回の話は、寿桂尼の花倉の乱の時の動向だったもあったの?
寿桂尼が恵探派だったという説は有光氏からだよね
何か新しい証拠でも見つかったんだろうか?

>>479
有光氏は寿桂尼は義元時代以降影響力はなかったとしてたけど
どうなんだろう?
そこらへんの寿桂尼についての言及もあった?

いいなー、自分も是非聞いてみたい

483人間七七四年2009/07/18(土) 18:35:14ID:7mVviW3C
そうそう去年刊行の有光さんから引用っていう図が載ってて
その説を説明してくれた感じだったと思う

甲斐の駒井高白斎の記録と岡部家宛て義元の軍功状を
根拠資料に説明してくれた

484人間七七四年2009/07/18(土) 20:06:44ID:lrrnVZ4P
天文五年の今川義元書状には
「大上様御注書お取、花倉へ被為参候処、葉梨城責落、御注書お取進上仕候」
とあるから、寿桂尼が「御注書」を持って恵探を直接説得しようとしたが
岡部親綱が無理矢理諫めたと取れなくもないかもしれない

まあ、高白斎記には「氏輝ノ老母(中略)花倉ト同心シテ」とはっきり書かれちゃってるけどね
高白斎記の信憑性の高さが判らんけど

485人間七七四年2009/07/18(土) 20:35:50ID:EHxxDyXs
>>484
ミネルヴァから出てた『今川義元』では、小和田氏は寿桂尼が
恵探を説得しようとしたのではないか、と岡部宛の義元書状を
解釈していたよね。

486人間七七四年2009/07/18(土) 20:52:52ID:lrrnVZ4P
>>485
それは拝見したこと無いけど
なるほど、小和田先生もそのような解釈を…
やはり、この時代の常識として正室が庶子を支援するのはおかしいと思うんだよなあ

487人間七七四年2009/07/19(日) 01:26:23ID:pyMaGf9z
このスレでは、やはり寿桂尼が恵探側に付くのは
理解に苦しむといったところか…

それでは北条氏綱が、福島氏が支援する恵探側に兵を向けたことと、
地黄八幡の綱成が北条一門であるということの矛盾も確かに
>>479の指摘の通りである。
もっとも綱成が氏綱に仕えた時期も諸説あるが、氏綱の行動に
一貫性があるのだろうか?

488人間七七四年2009/07/20(月) 08:48:14ID:hWP5U38b
小和田氏の著作(題名は忘れたが、著作集だったかな?)で
綱成の親と、北条に行った時期について言及されてたが、
北条に行った時期も綱成の親が誰かも確実にはわかってない
みたいだね。

>>486
有光氏は本で福島氏と寿桂尼の繋がりを指摘してた。
あと、親武田派の雪斎との確執も考察されてた。
ただ、それだけで庶子の支援とは思えないが…
花倉の乱って氏輝・五郎の死の謎や北条のこともあって
思う以上に謎が多いなあ…

489人間七七四年2009/07/20(月) 10:10:18ID:AssG4lrn
北条綱成の父とされている福島正成は、信虎との戦いで戦死していて、
花蔵の乱で殺された正成とは別人だという向きもあるそうだ。

490人間七七四年2009/07/20(月) 13:15:34ID:YliOVTsR
三国同盟結んだ戦国屈指の今川・北条・武田が滅亡するとは・・・
連戦連勝の頃の日独伊三国同盟に被るよな?

491人間七七四年2009/07/20(月) 13:57:24ID:xQs+Dh86
その家臣団の多くが徳川に吸収されている。
徳川は三国同盟諸国の力を結集して天下を取った。

492人間七七四年2009/07/20(月) 14:15:11ID:t1AfxSmh
まったくそのとおり
今川・北条・武田の家臣団は徳川家で生きているんだなあ

493莫邪 ◆Bakuya.ugA 2009/07/20(月) 21:33:27ID:pBpkjebG
新説
雪斎は武田氏の息が掛かっていた


これなら
花倉の乱以降、雪斎主導の今川氏が親武田に近づくのも
信虎が家臣を粛清してまで今川との関係を重視したのも
信虎が甲斐を追放された後、今川氏にかくまわれたのも
頷けるんじゃないか?

494人間七七四年2009/07/20(月) 22:42:42ID:xQs+Dh86
雪斎が今川家でそこまで大きな存在になったのはもっと後だろ

495莫邪 ◆Bakuya.ugA 2009/07/20(月) 23:59:21ID:pBpkjebG
主の守役ってのは影響力大きいと思うが
守役って表現は我ながらしっくり来ないがな

496人間七七四年2009/07/21(火) 16:24:42ID:mnUey/rR
じゃあ挿しつ挿されつした仲

497人間七七四年2009/07/24(金) 22:32:09ID:gKjIuMF7
義元時代(だけ)は、実は寿桂尼は政治的影響力を発揮していない。
こう考えるのが、寿桂尼−花倉方説のポイントですね。賛同します。

498人間七七四年2009/07/24(金) 23:20:39ID:p95+cEUn
さあ明日は第3回講座だね

499人間七七四年2009/07/25(土) 12:31:01ID:QaMXR1Dp
先に言われた

500人間七七四年2009/07/25(土) 15:39:05ID:QaMXR1Dp
うーん…今回の人はなあ
氏輝病弱については無理矢理否定してるように思えるなあ…

501人間七七四年2009/07/25(土) 16:22:29ID:yXFfqRA4
『今川黄金期の形成 ― 氏輝・義元・氏真三代の時代』

確かに蹴鞠が当時の大名のたしなみの一つであることはわかったが、
氏真が弔い合戦の姿勢を起こさなかったことで、どうしても暗愚という
レッテルを貼られても当時としては仕方なかったと思う。

502人間七七四年2009/07/25(土) 16:33:27ID:nw1QGHEE
織田信長が三河に関心を示さず美濃に専念したから今川氏真もこれ幸いだったのだろう
そんな今川氏真も徳川台頭には目を逸らすことができず佐脇・一ノ宮合戦で敗退
今川領の三河・遠江を守ろうとした奮戦は世間ではスルーというのが実情

503人間七七四年2009/07/25(土) 17:30:56ID:b5PMIKD9
帰宅

病弱とはいえないだろう
暗愚とはいえないだろう

で終わってしまってなんかこう「だから何」感が残る話だった

前回の人なんかは
テーマ → 資料 → 解釈 の順で話すからスッキリだったけど

テーマうやむやなまま
資料 → 解釈 でついていきづらい上に結論の説がモヤっとしちゃって

504人間七七四年2009/07/25(土) 17:31:59ID:b5PMIKD9
あああと最前中央イビキおじさんは2週連続なにしに来てるんだろう・・・

505人間七七四年2009/07/25(土) 18:07:07ID:cMyJA6ZY
「宣教卿記」は、天正3年4月3日に信長が氏真の蹴鞠を見物。
翌日信長も蹴鞠をした。
「人数前衆也」とは、信長と氏真が一緒に蹴鞠をしたという意味なの?

506人間七七四年2009/07/25(土) 18:16:41ID:yXFfqRA4
イビキはオレんところも聞こえてた。 目障り耳障りだな。

先日、『駿府城天守閣建設可能性検討委員会』に行ってきたが、
駿府公園の駿府城跡整備化が市の計画に基づき着々と進んでおり、
天守台の石垣を復元しようという流れには喜びを感じつつも、
その下に眠る今川館に思いを馳せると複雑になるなぁ・・・

JR静岡駅前に家康・竹千代像を設置するとか 家康をフューチャー
し過ぎて『今川』という歴史財産が埋もれてしまっている感は
どうしても否めない・・・  もったいなくもあり哀しい。

507人間七七四年2009/07/25(土) 18:42:45ID:5JHKjVo4
何人来場していたの?

508人間七七四年2009/07/25(土) 18:46:29ID:yXFfqRA4
150人くらい。

509人間七七四年2009/07/25(土) 18:59:52ID:5JHKjVo4
150人のうちで3人ぐらいがここに書き込みしてるのかw
ROMも想定すればこちらは二次会場みたいだな。

510人間七七四年2009/07/25(土) 19:32:42ID:j0IMVu1+
駒井の日記は信憑性随一!

511人間七七四年2009/07/25(土) 22:18:12ID:QaMXR1Dp
よう見たら彦五郎と義元の間に「象耳泉奨」とかいるのな
義元の実兄にあたるわけだが花倉の時は何してたんだろう

512人間七七四年2009/07/25(土) 22:24:12ID:QaMXR1Dp
あと、蹴鞠の人は第1回の興国寺の人と同じものを感じた
結局何が聞きたいんだっていう

513人間七七四年2009/07/25(土) 22:32:29ID:yXFfqRA4
今川五郎の事?
あの質問は先生は大人の対応してたな。
オレは若干イライラしてたが。

514人間七七四年2009/07/26(日) 00:07:27ID:ecG++97d
三郎おじさんは
うちは先祖代々三郎だって言いたかったんだよ

>>511
結構優秀な坊さんの人だっけ
かなりな規模の寺の門主とか座主とかそんなのやってるよな

515人間七七四年2009/07/27(月) 23:01:50ID:WAArb9Yp
そういえば結局
寿桂尼と氏輝の文書交互発給の理由はなんだったんだ

516人間七七四年2009/07/27(月) 23:51:20ID:OwwJkGrj
結局とか言われても、そんなもの推論しか出来ないし、結論なんて出ないよ。

517人間七七四年2009/07/28(火) 07:19:12ID:KQh6ctg3
ああごめんごめん
土曜の講座の人の病弱というわけではなかったかもしれん・・・
で終わっちゃって「じゃあなんだよ」って理由いわないから
ちょっと出きらないうんこ気分だったんだ

518人間七七四年2009/08/05(水) 15:43:47ID:KPVS3AK3
講座が流行ってるんだ

519人間七七四年2009/08/07(金) 23:26:45ID:Xjk0XNZE
>>518
そうそう。 
明日も第4回目の講座があるよ。

520人間七七四年2009/08/08(土) 07:35:43ID:eRZ145f7
前田先生って加賀藩の前田さんなの?

521人間七七四年2009/08/08(土) 10:41:00ID:mpbAAGvH
前田先生って
慶次の養父で、利家に家督を譲ったあの前田利久と
同姓同名だね。

522人間七七四年2009/08/08(土) 11:06:22ID:eRZ145f7
ううう体調悪い
休みたくないけど俺今日休む

523人間七七四年2009/08/08(土) 13:08:27ID:pnWfH8Hp
4回目ですよー
「戦国三大文化―今川氏が遺したもの―」

524人間七七四年2009/08/08(土) 13:17:33ID:pnWfH8Hp
資料パラ見したけど「伊井家」てww

525人間七七四年2009/08/08(土) 16:33:08ID:mpbAAGvH
帰ってきた。
最初と最後に言ったのが一番言いたかったことだな。
『静岡(駿府)は“家康”じゃなくて、その幼少の家康を育てた
 今川文化あってのものだと。』

駅前に新たに作られた2体を含め、市内に同じ人物が3体、
それも幼少・壮年・晩年と成長が見れるのは他の所ではなく
『珍百景』に認定してもいいなんて。
これには笑ろた。。。

526人間七七四年2009/08/10(月) 17:34:58ID:ZgHFafPn
義元の墓は、
 ・豊川にある大聖寺(胴塚)
 ・豊明の伝桶狭間古戦場(供養塔)
 ・静岡 臨済寺
 ・静岡 富春院(旧天沢寺跡)
とあるが、岡部が持って帰ってきた首があるのは
菩提寺の天沢寺が廃寺になった今、臨済寺なのか富春院なのか判らん。
部将の墓参りが好きなオレとしては気になるが、誰か知ってる?

527人間七七四年2009/08/11(火) 05:53:06ID:AW3VdtFH
台風と地震のダブルパンチです!
みなさん、大丈夫でしたか?

528人間七七四年2009/08/11(火) 10:11:02ID:AW3VdtFH
みなさん、一大事です!
駿府城の石垣が崩壊しました!

529人間七七四年2009/08/11(火) 11:40:20ID:a11mnrqR
質問ですけど崩れた石垣拾ってきたら犯罪なんですかね?
今川の家紋彫ってある石垣欲しい。
人柱や刀などないか調査してもらいたい!

530人間七七四年2009/08/11(火) 11:43:11ID:cl69/uks
ノブヤボで氏真で天下統一したお!
一番初めにとったのが岡崎の松平なんだけど
その瞬間松平軍団に様変わりww

氏真・今川家臣は使えねぇ〜ww

531人間七七四年2009/08/11(火) 13:21:24ID:AW3VdtFH
>>529
犯罪になると思う。

写真撮影に行ってきたけど内堀の崩壊だけ撮影しました。
外堀の方はタッチの差でブルーシートをかけられてしまいました。
こんな時だけ動きがいい行政は納得できません。

532人間七七四年2009/08/11(火) 17:06:24ID:PrbhV8RA
いや、誉めとけよ

5335222009/08/11(火) 21:49:39ID:2dK6m7wT
休んだらレジュメ郵送してくれるんだな
意外と親切だ

びっくりするほど揺れた@小鹿

534人間七七四年2009/08/11(火) 21:52:08ID:Gk7ap0wp
>>533
何はともあれ大事にならなかったようで何より

535人間七七四年2009/08/11(火) 22:44:07ID:HH/rqMbz
前田先生と行く今川史跡ツアー、オレは回避する。
行ったことあるとこがほとんどだし。

536人間七七四年2009/08/11(火) 22:49:44ID:2dK6m7wT
>>534
ありがとう
体調も寝て回復したし地震も本棚の最上段が落ちて
花瓶がわりのワインボトルが割れたくらいだ

レジュメ見ただけでわくわくする内容だね
あー聞きたかったあああああああああって思った

バスツアーは俺もいかないな多分

537人間七七四年2009/08/17(月) 14:36:03ID:N48jKGbk
今川→徳川→武田→北条と渡り歩いた
天野景貫について質問です。(最初は今川だしここで質問していいかな?)

wikiによると、天野秀藤の子、とあるのですが
「武田信玄大事典」(新人物往来社)によると
天野虎景の子で、一般には景貫として知られるが、正しくは「藤秀」である(天野文書)とあります。

・天野秀藤と天野虎景は同一人物ですか?(時代・資料によって名前が違うとか)
もしくは別人ですか?
・景貫の正しい諱は「藤秀」である、というのは正しいのでしょうか?
父は秀藤と名乗ったとして、その子が字を逆さにした藤秀と名乗るというのはよくある事なのでしょうか?

538人間七七四年2009/08/17(月) 14:43:31ID:VHV5GTIg
岡崎城がこれから伸びるに50000モナー

539人間七七四年2009/08/17(月) 22:54:00ID:vMUkwXOQ
>>537
>天野秀藤と天野虎景は同一人物ですか?
戦国期の天野氏に秀藤という人物は知らないが、藤秀という人物なら確かにいる。
そして藤秀と虎景はまったくの別人である(詳しくは後述の文書を見るといいかも)
>景貫の正しい諱は「藤秀」である、というのは正しいのでしょうか?
正しい可能性はあるが、藤秀と景貫が同一人物であるという傍証は今のところ見たことない。
>父は秀藤と名乗ったとして、その子が字を逆さにした藤秀と名乗るというのはよくある事なのでしょうか?
一字拝領や主君との同字・同訓を避ける目的で改名でもしない限り、普通は無い。

wikiはたぶん何かの事典の表記を丸写ししただけだと思う。典拠も明示していないし。
だから合ってるかどうかの検証はまったくされていないはずなので信用できない。
単純に藤秀を秀藤と書き間違っただけのような気もする。

「武田信玄大事典」は典拠名が書いてあれば別だけど、
書いてない場合は深読みしすぎている可能性も否めない。
>正しくは「藤秀」である(天野文書)
この部分の典拠史料は多分コレ↓
「永禄5年2月24日付(天野)小四郎宛今川氏真判物」(天野文書)。
文章をよく見るとわかるけど、藤秀と小四郎が同一人物とは書かれていないので、
虎景を父とする小四郎=藤秀であるとは断定できない。
また藤秀の子が小四郎だと読めないことも無い(これも深読みしすぎかと)。

以上、参考になれば。

540人間七七四年2009/08/18(火) 12:56:20ID:xwzBCmGA
なるほど、参考になりました。ありがとうです

541人間七七四年2009/08/22(土) 09:52:38ID:uWLSnFNP
今日は今川講座ファイナル『今川氏はなぜ滅亡したか』
講師は小和田哲男先生。

真打ち登場ですな。

542人間七七四年2009/08/22(土) 11:54:47ID:vMv5M2+B
当直明けでかなり眠いです
小和田先生実物見るのは初めてだ
コーヒー飲んだらおしっこ行きたいし悩む
今30分と思って眠ったら寝過ごすだろうなあああああ

543人間七七四年2009/08/22(土) 18:37:58ID:uWLSnFNP
永禄3年の義元自ら大軍を率いての行軍は、従来の上洛説ではなく、
“尾張国を織田から奪取する”という説を小和田先生は唱えておられた。
ま、このあたりが無難だろうか。

あと桶狭間で休息する義元本隊にどうやって織田方が近づけたかには、
鷲津・丸根両砦を落とし戦勝ムードで『乱取り』に乗じて近づいたとの
説にはなるほどと思ったが、やはり気の緩みがあったことは否めまい。

544人間七七四年2009/08/22(土) 18:42:57ID:aEDnlTZB
いくらなんでも乱取りに紛れて近づくなんて出来るのかね?

545人間七七四年2009/08/22(土) 18:43:46ID:vMv5M2+B
小和田先生はワイシャツの左袖にネーム入り
微妙な金のかけ方だなと感心した

546人間七七四年2009/08/22(土) 19:00:02ID:uWLSnFNP
裏側ではなく堂々と左ポケットの上にネーム。
イニシャルでなく『小和田』  さすがだ。
今まで生きてきて初めて見た。

547人間七七四年2009/08/22(土) 19:49:29ID:5NEzYWp/
戦に勝つと乱取りが出来るということでした。でも信長が健在なのに勝ったということに?
それで思ったのが「信長降伏説」
信長全勢力は尾張四分の三の30万石×250人=7500人(武士は十分の一と仮定)
信長は中島砦(鷲津砦・丸根砦・向山砦等からも含めて集まった5千人)から今川方に降伏。
「天理本信長記」の見物人が合戦に負けたので急ぎ帰った
という所から、信長が3千人の百姓を帰らせたのを見た今川方は、
戦に勝ったと思い乱取りを始める。
そこを、信長(500人の武士+1500人の百姓)が、
義元本陣(500人の武士+4500人の百姓)を襲った。と考えました。

548人間七七四年2009/08/22(土) 23:15:44ID:Xt8hTxbd
ウェキに「今川家が将軍家を継ぐ格式を持つ証拠として管領・所司になってないから」
なんていう書き込みしてるヤツってオカシイヤツじゃないのか?。
管領・所司どころか駿河守護になってるじゃないかw
守護は家臣の仕事だろ?
駿河守護初代の今川範国って引付衆なんだから評定衆(管領)以下の家柄なんだよ、違うか?

549人間七七四年2009/08/22(土) 23:30:36ID:Xt8hTxbd
朝廷から貰う官位も低いしな

こんなんで将軍家が継げる訳ないじゃないw

550人間七七四年2009/08/23(日) 03:27:43ID:gC7rr66y
徳川期で言うところの、家康の血は引いてるけど松平姓の大名、ってくらいの格式だろう。
まあ事と次第によっちゃあ継げないこともない。

551人間七七四年2009/08/29(土) 12:53:29ID:Ynu8LcPG
継ぐとすれば血が近い順だよね。

552人間七七四年2009/08/30(日) 02:12:07ID:ra7KFnd1
江戸末期に、宗家、御三家、御三卿、越前津山系が死に絶えて会津が将軍になるくらいの話かな

553人間七七四年2009/09/01(火) 12:01:58ID:Rb3Rt2Kn
>>552
そういえば今の徳川宗家当主は、会津家からの養子だな。

554人間七七四年2009/09/01(火) 12:10:11ID:OU7B1EuK
しかも分家のな

555人間七七四年2009/09/09(水) 16:14:52ID:WBeMf/eM
水戸家の血筋だよね。

556人間七七四年2009/09/14(月) 15:39:45ID:XC2Anjtq
高須藩だっけ

557人間七七四年2009/09/18(金) 15:34:15ID:1zIhVEFF
尾張の分家だね

558人間七七四年2009/09/23(水) 18:05:38ID:m+8I+ZkQ
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/09/20090923t15020.htm
今川周防たる人物と伊達家が文通してたソース発見されたぞ

559人間七七四年2009/09/23(水) 19:24:38ID:2WeONLL3
>>558
こっちの方がいいんでは
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000000909230004

しかし今川周防って誰じゃろ

560人間七七四年2009/09/23(水) 20:17:41ID:dBR9xyWK
時代的には氏真に関係のある人物だろか?

561人間七七四年2009/09/24(木) 01:18:18ID:J4nfLOwV
基信が中野氏より離れたのは1570年とされるから、
駿河今川氏と関連があるなら「今川周防」は氏真に関係する人物だろうね。
但し駿河今川氏とも限らないから、今のところは不明としか。
せめて中身がわかればなぁ。

562人間七七四年2009/09/24(木) 20:50:27ID:rPlTQzbH
駿河今川氏の場合家臣に今川姓を名乗らせた例は見た事ないな
その場合一門の誰かということになるんだろうか

駿河以外の今川姓の分布ってどうなってるんだろう?
現代の今川さんは基本的に地名に因る物らしいけど

563人間七七四年2009/09/24(木) 21:09:03ID:ZuX1sm1n
今川滅亡直後だから、今川の家督をもらった氏直が誰かに今川姓を譲ったとか?
だとしたら北条家内部の人間になるのかね。

564人間七七四年2009/09/24(木) 21:24:22ID:rPlTQzbH
あまり北条に詳しくない俺は北条で周防ったら多目元忠しか思い浮かばん

565人間七七四年2009/09/25(金) 09:24:50ID:LzLINd9g
天下一苗字って一般市民には関係ない話?

566人間七七四年2009/09/25(金) 15:46:58ID:Mqj2ZqUL
現代の?
当時の?

567人間七七四年2009/09/26(土) 23:21:09ID:+9ex6/xf
関東に居た庶流連中が本家の没落とともに再び今川姓を名乗った、とかは?

568人間七七四年2009/09/27(日) 18:56:10ID:1wS84HV/
>>567
素性がはっきりしてるなら記録には残るはず。

今川橋の名の由来となった17世紀末の名主今川善右衛門も、
駿河今川氏との関わりについては不明だったような気がする。

569人間七七四年2009/09/28(月) 11:00:54ID:9BSkI+q+
今川嫡流が名主になるのは可能性が低すぎる。
おそらく出身地が同じ、または他の今川地域の出身か?

570人間七七四年2009/09/28(月) 11:04:00ID:9BSkI+q+
今川善右衛門とはどんな経歴の人なのだ?

571人間七七四年2009/09/28(月) 19:47:48ID:sYLZ5VTq
伊達家=奥州探題
今川=足利
足利繋がり?

572人間七七四年2009/10/05(月) 16:24:06ID:+EjU7bkv
今川橋、今川焼もか

573人間七七四年2009/10/05(月) 21:38:46ID:m6X1MS3V
>>570
当時の名主ぐらいしか経歴はわからんっぽい。
今川氏の陣屋や屋敷、領地があった場所から離れてるから、
駿河今川氏とはほぼ直接関係はないと思われる。
まさか家臣や一族に今川姓を下賜したとは思えないし、
「今川」を称する分家があったとしても、
名主(地位的には領主の下、旗本クラスの下)になるとは考えにくい。

574人間七七四年2009/10/14(水) 14:53:17ID:S/sfC/vf
堀越さんとかは

575人間七七四年2009/10/19(月) 16:13:17ID:WUJzUyW2
駿河今川が遠江守護も結構出してるんだね。

576人間七七四年2009/10/20(火) 00:44:56ID:zfKWwBQf
三河で発祥して、代を経るにつれ 遠江→駿河と出てきたからね。
>>575 意味違った?

577人間七七四年2009/10/21(水) 21:21:01ID:UvVg2NQv
センゴクの桶狭間戦記はどう思います?

578人間七七四年2009/10/22(木) 00:42:50ID:i3umiml6
静岡の臨済寺に行きたいのですが
秋の特別参拝の日程がわかりません
どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?

579人間七七四年2009/10/22(木) 01:37:24ID:vJVe2Yzv
>>577
マンガとして?物語として?それとも歴史描写として?

580人間七七四年2009/10/29(木) 15:49:11ID:xpd7rNOK
>>578 10月15日だったんじゃ
ttp://www.at-s.com/bin/even/EVEN0030.asp?event_no_i=H962088283

581人間七七四年2009/11/02(月) 02:29:20ID:3yRMe0Hw
ありがとうございます
もう終わってしまったんですね
残念

582人間七七四年2009/11/02(月) 09:46:41ID:GjojH4Cs
ヘタレ名門家

583人間七七四年2009/11/10(火) 15:10:24ID:OEbZT7FW
うまく守護から戦国大名にはなったんだけどね。

584人間七七四年2009/11/15(日) 14:02:28ID:3GHDSV1U
保守

585人間七七四年2009/11/25(水) 16:08:32ID:cHMk97PG
一つの戦が切欠で転がり落ちる例はいくつかあるね

586人間七七四年2009/12/16(水) 12:56:23ID:tHGc+cUB
日本農業新聞で今連載してる時代小説が今川メインだな

587人間七七四年2009/12/31(木) 13:54:53ID:DfSUZFK1
内容どうでした?

588人間七七四年2010/01/18(月) 05:06:20ID:DM0mEafB
今川記、今川家譜、駿国雑志。今川三大偽書。。。。。。。。


589人間七七四年2010/01/18(月) 09:22:18ID:XOGyf0Bq
subちゃん、ほどほどにな

590人間七七四年2010/01/25(月) 00:50:10ID:aMJjohcI
>>586
情報プリーズ!タイトルは?

591人間七七四年2010/01/25(月) 03:42:56ID:MSDsrb/3
義元公の嫡男氏真は、武将としてはまったくダメな男であった。
次々に今川を離反する武将達から預っている人質達を、見懲ら
しの串刺し刑に処す事だけに血眼になっていた。
俺なら、同じ串刺しにするなら、敵の武将の城まで攻めて行き
その前で堂々と裏切った報いに人質どもを串刺しに架けてやる。
義元の弔い合戦を一つも行なわず、弱い女達ばかりを虐殺して
いては誰も付き従わないのは当たり前の事だ。アホな奴です。

592人間七七四年2010/03/07(日) 11:44:34ID:YDWaVbbL
駿府博物館だより
本年度の講座開催のお知らせ来た
早速仮申し込みしてきた

593人間七七四年2010/03/28(日) 10:54:56ID:wHN/EDSJ
いいね

594人間七七四年2010/04/14(水) 09:22:15ID:xXkcNoQ+
今川義忠の長男と娘は有名だけど、次男の心範は一切表舞台に出てこないな。
幼い時期に亡くなったのか?

595人間七七四年2010/05/04(火) 11:20:41ID:tORzBJFa
結局おまいも串刺しにするんかいw

アホにアホ呼ばわりされて氏真公カワイソス(´・ω・`)

596人間七七四年2010/05/30(日) 19:57:56ID:G94jz4kS
今日、静岡市文化財課主催のシンポジウム
『桶狭間の戦いから450年 今川再考』に行ってきた。
ようやく市も重い腰を上げて今川氏について動き始めた感じ。

色々な先生方がいたが、個人的には今川研究の第一人者 有光氏が
桶狭間の今川行軍についての新説を唱えておられたのが興味深かった。

氏親の六男(義元の弟)で尾張今川家に養子に出されていた氏豊が、
織田信秀によって那古野の地を追われ、駿河藤枝に隠棲していたのを
義元が再び旧領に戻すために行軍を起こしたのではないかと。

なるほど、そういう見方があるのか…
もはや上洛説に否定的な考えが大半であるが、
諸説にあれこれ思いを巡らすのも歴史の醍醐味でいいね。

597人間七七四年2010/06/05(土) 18:10:32ID:E/pv+rAY
ただいま
今年はもうスレ違いかしら
http://orange.ap.teacup.com/sansyou3/60.html

598人間七七四年2010/06/05(土) 21:20:31ID:fkr43Na6
>>596
聞きたかったな。申し込むと定員がいっぱいだからと断られてしまった。

599人間七七四年2010/06/05(土) 23:48:16ID:WPzra+QM
>>18
源氏の伝統

600人間七七四年2010/06/19(土) 18:45:51ID:3aPhcK5p
眠かった
で友野氏とは何ぞやってとこがいまいちボケてるし
なんていうか素人相手に話すの慣れてないんだな院生たん

601人間七七四年2010/07/19(月) 21:08:05ID:0Zwycc4J
早川殿みてーな良妻がいる時点で氏真公は真の勝ち組。
そんな彼のテーマはハルヒの「God knows…」だとおもふ。

602人間七七四年2010/07/24(土) 20:33:42ID:glGpTX/i
小野田嫁の講義が死ぬほどつまらなかった
誰だ今年の講師選定したのは

603人間七七四年2010/08/12(木) 22:46:30ID:M6wjEhwh
花倉の近く行ってきた
ていうか藤枝の博物館行ってそのあと温泉入って帰ってきた

604人間七七四年2010/09/07(火) 16:27:06ID:zoLLXSrF
歴史の教科書

信長に滅ぼされた大名に 朝倉 浅井 今川 武田 がいた
今川は武田と徳川じゃなかったっけ…?

605人間七七四年2010/09/07(火) 19:59:32ID:CwOJ8dKh
そうだね。でもまあ、桶狭間が本当にもう壊滅的な打撃だったんで
(従えていた国人の当主レベルもほとんど戦死)
事実上、織田が滅ぼしたようなもんだよ
その後、離反が続出しながら何とか数年も持ち堪えた氏真を評価してやらんと

606人間七七四年2010/09/07(火) 20:53:20ID:gNKSribw
桶狭間の戦い=永禄3年(1560年)5月19日
掛川城開城=永禄12年(1569年)5月17日

壊滅は武田の駿河侵攻のせいだろ
桶狭間は精々が弱体化

607人間七七四年2010/09/08(水) 20:44:23ID:1l2rz6eN
その弱体化が半端なかったんだけどね
率いていった有力国人層の当主レベルがほとんど討ち死にするわ
家康は独立するわで、家としては全壊に近い打撃だから。

608人間七七四年2010/09/08(水) 22:28:13ID:RXb2UPmi
どうしても信長のせいにしたいのかね信長厨は
家督も氏真に移譲済みだったのに

609人間七七四年2010/09/09(木) 00:13:17ID:0pSnr2gn
別に信長が滅ぼしたとも思ってないし
信長がすげえ、とも思ってないよ。
ただ、あの戦いは今川側からしたら、立ち直りが効かない程の大敗になってしまった、というだけの話。
何故それが信長スゲーって話になるのか理解に苦しむが。
戦国の世ですから、1回の大敗で屋台骨がグラつくようなことなんて日常茶飯事でしょ

610人間七七四年2010/09/09(木) 01:08:27ID:Gx6u+sX2
戸次川の戦いの長宗我部のように次世代の人材が消えてしまったようなもの?

611人間七七四年2010/09/09(木) 02:50:05ID:AyKozAkw
>事実上、織田が滅ぼしたようなもんだよ

確かに信長とは書いてないね

612人間七七四年2010/09/09(木) 04:51:46ID:0pSnr2gn
>>610
次世代というか、次世代を出す前の全盛期の当主が軒並み戦死した。
当然、氏真の求心力も弱まるし、統率力も無くなった。
みんな自分のとこを立て直すので手一杯だったから。
桶狭間は義元が死んだってだけじゃなく、支配下の国人層の当主クラスもバタバタ死んだっていう
戦国でもレアケースの大敗だから。

613人間七七四年2010/09/10(金) 15:33:57ID:Dl234vdD
支配下の国人層の当主クラスもほとんどが生きのこったよね。
もともと打撃を受けたのは吉本の馬廻り連中くらいで、
今川は氏親以来、当主はほとんど実戦をしない。
つまり今川の馬廻り連中はほとんど非戦闘員みたいなもの。
一方代々今川軍の中核を担って戦慣れしていた朝比奈とか
岡部とかの有力豪族たちの多くは無事帰還した。

614人間七七四年2010/09/10(金) 20:49:11ID:EnsTWPfq
>>613
井伊氏は?

615人間七七四年2010/09/19(日) 00:20:18ID:ThO7CJi5
>>613
側近が軒並み戦死して国人領主層が生き残ったから統制が利かなくなったってこと?

616人間七七四年2010/09/19(日) 09:54:23ID:AFn8lWm7
>>615
そもそも大名が従属下の国人を大動員して戦に挑むってのは
新しい領土を求めて戦に出るわけで、
それで領地を得ることなく被害だけ莫大に出したら
その大名家の求心力は一気に弱まるし、みんな独立性が高くなる。

ワンマン社長が全てのフランチャイズ支店長に
「この戦略で営業利益を上げるぞー!」って打ち出した企画が
大失敗して、各店舗に莫大な負債を与えたようなものだから

617人間七七四年2010/11/18(木) 14:47:36ID:r/U2EuLy
海道@の弓取り

618寿桂尼2010/11/20(土) 11:16:26ID:SUQ+wyCU
腹黒き胴体から首を引き落とせば、真の事を申すであろう。裏切り者はたれか?

619人間七七四年2011/01/02(日) 16:49:14ID:LeMGfruQ
今川氏親を匿った小川の法永長者って後世の火盗長谷川平蔵と関係ある?

620人間七七四年2011/01/27(木) 15:30:03ID:uxRUMpCn
義元や桶狭間関連の書籍は増えてきたが氏親関連が無いのは残念だな

621人間七七四年2011/01/27(木) 17:15:30ID:RuAv67pa
氏輝関連が出ることは絶対にないだろう

622人間七七四年2011/01/27(木) 17:41:45ID:p9M+kSr5
微妙だからな>氏親。

嫁と息子と北条(伊勢)に相当持ってかれてる。

623人間七七四年2011/01/27(木) 17:47:17ID:u9s4yGT3
静岡の郷土漫画なら結構ページ貰ってるんだけどなあ>>氏親

624人間七七四年2011/02/13(日) 14:08:41ID:6i/5m3wa
今川氏豊が義元の子っていうのは、
どの程度信憑性があるの?

625人間七七四年2011/02/13(日) 23:42:11ID:JNke7Xaa
え?氏親の子で統一されてんじゃないの?

626人間七七四年2011/02/14(月) 01:17:33ID:n//9V5gq
>>619
小川と長谷川全然違うじゃん

627人間七七四年2011/02/17(木) 20:59:15ID:PAvwyHZn
法永長者ー元長ー正長ー宣次ー宣元ー宣重ー宣就ー宣安ー宣尹ー宣雄ー平蔵

628人間七七四年2011/02/20(日) 05:43:22.56ID:4HDV7qsn
>>625
あれって系図上だけでしょ。

629人間七七四年2011/03/07(月) 18:08:48.25ID:TKOsswDm
今川家の二大重臣といえば三浦と朝比奈らしいが三浦って良くわからんね
義元時代では誰が該当するんだろう?義鎮て実在で本当にそんなに有力家臣だったの?

朝比奈氏も又太郎は弥次郎泰能とは別人で系統も備中守系と肥後守系で違うとか言う話もあるし

630人間七七四年2011/03/07(月) 23:17:04.48ID:byAcwyVJ
三浦次郎左衛門範時かね
遠江や三河担当の朝比奈は織田や松平との絡みで有名だけど
相模方面担当の三浦は地味やね

631人間七七四年2011/06/27(月) 09:58:55.20ID:mBtDnLQj
今川義元の体重はどれぐらいだったのでしょうか?

632人間七七四年2011/07/18(月) 22:07:16.86ID:fsCVF6t5
BSのTHEナンバー2って番組に、太原雪斎でたんだが
雪斎そんなに知名度低かったのか

633人間七七四年2011/09/01(木) 02:04:16.77ID:YDkSPVnw
イマガーやきって美味しいね

634人間七七四年2011/09/03(土) 23:16:03.18ID:jB3Zk5sQ
義元と雪斎に衆道関係は無かったの?

635人間七七四年2011/09/25(日) 04:02:09.33ID:V+aJjgEz
>>484
いまさらだが、寿桂尼が次男についたなんてありえんでしょ。

おおむねこんなとこが真相です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1438129619

636人間七七四年2011/09/25(日) 05:11:58.80ID:AcEpqxiq
次男は義元が殺しているよ

637人間七七四年2011/09/25(日) 08:52:28.32ID:V+aJjgEz
寿桂尼は次男に調停か説得に行ったが、
失敗して抑留されたっての真相だろう。

638人間七七四年2011/09/27(火) 08:43:18.53ID:WBab53gt
庵原氏の家紋って何?
「舞鶴に巴、または三つ引両紋」って書いてる所あるけど典拠はどこなの?

639人間七七四年2011/10/04(火) 08:44:41.26ID:qDtzv1tZ
今川義元は かなり剣の腕の立つ人であった様です。
その嫡男の今川氏真は 父親以上に運動神経が良く 剣の腕前は父以上であったよ様です。
この為 己の武勇に自信を持ち 武を以って支配しようとする傾向があり
その事を今川義元は 懸念していた様です。
氏真は 武勇においてはむしろ武田家の気風に近く 母方の気質を受け継いだのではないでしょうか。
今川氏真は凝り性で 蹴鞠等と共に剣術にも執着し それが高じて塚原卜伝に弟子入りしています。
今川義元も塚原卜伝と面識があり 剣術の心得について学んだ事がある様ですが 氏真程に没頭する事はありませんでした。
結局 氏真は武を以って配下の国人領主を押さえつけ様とした為 次々と離反し勢力を弱めていったのだと思います。
知恵や策略をも以って人心を掌握する今川義元程の政治手腕 万人を惹きつける今川義元程の魅力は持っていなかったよ様です。
戦国時代個人的な戦闘力 即ち武芸に優れ武芸に頼る人達は 信濃守護の小笠原氏をはじめとして
勢力を拡大する事が出来ず 没落していった様です。

640人間七七四年2011/10/04(火) 10:18:23.08ID:p3tuVgTv
寿桂尼お婆ちゃんがしっかりしてれば・・・

641人間七七四年2011/10/06(木) 19:49:11.79ID:ByiHl5hu
>>640
でも、武田・徳川が侵攻したのは彼女が死んで半年後だし、一応、影響力はあったんじゃないかな。

>>639
うーん、今川親子だけではなく足利義輝、北畠具教、朝倉義景もそうだが、
そういう当時の剣術家にとって有名人に剣術を教えたというのは非常に宣伝になったんだよね。
だから、優先して剣術教えたり免許皆伝したりした。
現代でいう健康グッズとか健康食品の広告の「私も使ってます」とかいって
有名人のコメント載せるのと同じなんじゃないの?

もしも、彼ら有名人が地位も名誉もないただの男だったら、
塚原卜伝も剣術教えたり免許皆伝したりしたか疑問。

642人間七七四年2011/10/18(火) 17:19:22.53ID:+0oSAbNv
富樫倫太郎著  信玄の軍配者 謙信の軍配者を読んだが
義元が馬鹿殿扱いなのが気に入らない
ほんとにそうなら雪斎死亡後武田が黙っちゃいないと思うが
姫の戦国の後に読んだから余計にそう感じるのかも

>>641
姫の戦国では寿桂尼をはばかって
彼女の生前には手をださなかったということになっている

643人間七七四年2011/10/18(火) 21:21:41.94ID:B8AZOTq4
晩年は寿桂尼もボケちゃったのか、余計な粛清をして敵を増やしたイメージがある。

644人間七七四年2011/10/18(火) 22:56:21.48ID:hoy5A7Nh
>>641
氏真は戦とか家臣の粛清で結構斬ってるから個人的には弱いイメージはないわ

>>642
宮城谷昌光の三河物語も義元を大名っていうより文化人の面を強調してた気が
戦争自体は雪斎がやってることも多かったから仕方ないかもしれないが
定着しちゃったイメージって簡単には払拭できないよね
その点で風林火山とか桶狭間戦記は新しい義元像が描かれて良かったと思う
勿論それが真実とは思わないが今までのイメージが悪すぎなのが多かったから

義元死後の寿桂尼の影響力って実際の所どれだけあったか資料がないからわかんないよね

645人間七七四年2011/11/09(水) 22:25:05.25ID:TE2ZK6at
先月の臨済寺の一般公開に行った人いない?
正恵院の位牌に別人の名前を書いた説明書き貼ってあったり
義元の位牌は隅に無造作に置かれていたと思うんだが・・・
俺の知識不足か、はたまた寺の勉強不足か?

646人間七七四年2011/11/21(月) 02:21:54.08ID:GtvTFvH9
今川氏豊って北条一族なの?

647人間七七四年2011/11/21(月) 03:55:39.46ID:rQ65mqGu
>>646
「太平記」-「灘太平記」-「勝田氏物語」-「掛川誌稿」-「静岡県史資料編」とか
相模→駿河→三河→尾張のラインで順に辿ってみると尾張今川氏自体は
名越流北条氏だろうけど竹王丸は今川氏からの養子じゃね?

小夜中山合戦で今川頼国が3万の軍勢を率いた敵軍大将の名越式部大輔高邦(名越高邦)を討つ
高邦は名越高家の長男で頼国の従兄弟でもあり頼国は、名越高邦の武勇を称えて手厚く葬る
「勝田氏物語」 (今でも掛川市にその高邦を葬った鎧塚がある)

その後、名越高家の次男で高邦の弟高範を名児耶(那古屋)氏に改姓させ
今川氏として引き取るも今川頼国も戦死。 「灘太平記」

名児耶高範の子、名児耶三郎は足利(斯波)尾張守家氏の正室が直系の名越朝時の娘で
斯波家と名越家は親しい間柄で名児耶三郎は那古野荘の守護を任され
将軍家奉公衆一番衆へ、名児耶氏から那古屋氏に改姓、尾張今川(那古屋)氏を名乗る。

那古屋三郎の後当主は今川下野入道、今川兵部大輔、今川大夫判官と記録がある。
「文安年中御番帳」「永享以来御番帳」「東山殿時代大名外様附」

その後今川義忠の家臣那古屋蔵人高信(名越高範の玄孫)が那古屋当主なり竹王丸(氏豊)を養子に迎える。

"織田信秀"に那古屋城乗っ取られ、氏豊は女系の親族を頼って京へ亡命。
城内に取り残された家臣達は蔵人の実子"那古屋隼人"の交渉の末
"那古屋蔵人"の娘を信秀の室に入れ、城を明け渡す事を条件に
古橋七郎右衛門重次・中村弥右衛門元親・大屋右京亮穐重・中野又左衛門重次、
大穐十郎左衛門・山田兵庫助信益・戸部新左衛門・城戸内蔵助 以下二番衆などの家臣が助命。
「塩尻」「尾張人物志略」

那古屋家は隼人の嫡男"那古屋因幡守敦順"が継ぎ、氏豊の家系も京で生き伸びて
氏豊の実孫"今川氏秋"は信長の小姓として本能寺の変で戦って亡くなった。 「塩尻」

648人間七七四年2011/11/21(月) 04:35:52.00ID:rQ65mqGu
江戸時代旗本になった岩佐氏(元名児耶氏)もこの当時の名越氏の縁戚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E4%BD%90%E6%B0%8F
>かつての主君である高家今川氏家中にも名児耶氏がおり、これと通婚関係があった

649人間七七四年2011/11/23(水) 17:21:16.69ID:zEkfQJ9a
今川貞世が足利氏や今川氏の記述内に
今川流那古野氏の記録残してくれてるから親子関係や家は辿れるらしいね

氏豊「女方の縁を便にし京へ上られける」って駿河じゃなくて京に
逃亡したのが今川氏親の子じゃない説の一つなってるんだっけ?

650人間七七四年2011/11/26(土) 01:59:34.06ID:0CRvChRG
今川氏親

651人間七七四年2011/11/26(土) 11:42:18.37ID:vtHvU6TG
「氏親」という名前を見て思ったが今川氏って案外通字しっかりしてないな

652人間七七四年2011/11/28(月) 01:18:30.21ID:3VSCpikq
「範」系 範国 範忠 範氏
「忠」系 義忠 範忠
「氏」系 国氏 基氏 範氏

おおまかにこんな感じけ?

653人間七七四年2011/11/28(月) 02:32:04.60ID:0Fc9KTxo
>>652
かなあ

義元は何故義氏とか義範と名乗らなかったのか

654人間七七四年2011/11/28(月) 13:36:39.81ID:3OrtQZit
氏親の氏は、堀越公方足利政知が関東に入ってから名乗った「氏満」の氏だとか。
堀越府との強いつながりを表明したものだろう。

>>653
義元は義元の名乗りの前に「氏元」と名乗っていたという説がある。

655人間七七四年2011/12/11(日) 14:52:27.64ID:IcPJHtAY
将軍の偏諱を貰ったのは義元だけなのか

656人間七七四年2011/12/11(日) 21:24:01.65ID:d5zFfg7X
言われてみれば氏輝まで編諱らしい偏諱は見ないな

657人間七七四年2011/12/11(日) 21:45:44.48ID:MtCDVXbZ
上杉や武田もだな
境界の大名はどちらかと濃くなるの嫌がった?
義元輝虎晴信

658人間七七四年2011/12/11(日) 22:04:16.00ID:2AkCNLlq
義晴、義輝

659人間七七四年2011/12/12(月) 01:03:23.90ID:WccinQ+F
義忠ががっつり将軍偏諱やがな。

660人間七七四年2011/12/27(火) 02:14:13.51ID:EGEO6zje
那児谷今川氏は名越北条氏末裔なの?肥前今川氏系の?鎌倉期分家なの?

661人間七七四年2011/12/30(金) 01:09:46.85ID:yhPDMGLl
義元はただただただただただただただただただただただただ不運だっただけで能力は歴史上最高だったってことでいいの?

662人間七七四年2012/01/03(火) 09:44:22.82ID:SGusIHMB
能力が最高ワロタ

663人間七七四年2012/01/08(日) 01:53:47.46ID:DYo/Koi2
今は違う地域に住んでいるんですけど、俺ん家んの家系図の始まりが、今川義元家臣駿河
国出身、氏真「黄母衣衆」ってなっているんですけど、今川家の「黄母衣衆」
ってどんな感じなんですか?

664人間七七四年2012/01/09(月) 09:02:14.12ID:PsW+U6LO
というと
黄色のホロをつけた伝令係
という以上のことが知りたいのですねもちろん

であれば
存じません

665人間七七四年2012/01/09(月) 23:15:15.81ID:+6w73CKQ
黄母衣衆といえば豊臣家のことだと思う。
ご先祖さんは青木一重のように、はじめ氏真に仕え、後に豊臣の家臣となって
黄母衣衆に選抜された。こんな感じだったんじゃないだろうか。

666人間七七四年2012/01/11(水) 11:14:20.72ID:IIMQaiRK
>>660
↑の方にあるのとたいして変わらんけど
那古野氏の初期を知りたいなら今川貞世の記録(灘太平記)がオススメ
中期を知りたいなら醍醐寺中興の祖で有名な満済の記録(法身院准后記)がオススメ

北条高家と今川国氏の娘の子から始まった家だから名越嫡流の流れを組む今川国氏の外孫の家
斯波の外戚だから今川家の尾張国領地拡大や斯波との兼ね合いに一役買ってる

久我畷の合戦で北条高家が戦死した後、中先代の乱で北条高家の長男
名越高邦が北条時行軍として従軍 今川頼国と対決した結果 名越高邦戦死
名越高邦の死を憐れんだ頼国が残された高邦の母(頼国の伯母)と弟高範(頼国の従弟)を引き取って
名越高範に起こさせたのが今川那古野氏と貞世の記録にある。

満済の記録なんか呼んでると駿河国と尾張国である程度距離が離れてるお陰かどうか判らないけど
歴代当主同士交流が盛んで仲が良いなぁって思うわ

667人間七七四年2012/01/25(水) 10:12:58.78ID:cGkmX1Ok
今川義元は今川家9代当主なのか11代当主なのかどっち?
ウィキには両方とも書いてあるし本もバラバラだし何で?
今川家11代当主で、駿河今川家9代当主とかなの?

668人間七七四年2012/01/25(水) 16:34:29.62ID:GvPk9EPE
>>667
そう。守護大名今川家当主としては今川範国から9代目

669人間七七四年2012/02/15(水) 05:04:29.15ID:V2VnNnyp
今川氏親と斯波義達の戦いは結構面白いと思うけど誰も取り上げてくれないのが悲しい。

670人間七七四年2012/02/24(金) 17:44:40.23ID:0fXjd1ox
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

671人間七七四年2012/03/02(金) 21:31:03.70ID:Em6rm1qt
『今川時代とその文化』読んだことある人いますか?
内容とかどんな感じなのか知りたいです。

672人間七七四年2012/03/28(水) 21:26:22.02ID:dRi5qtSD
今川氏

673人間七七四年2012/04/18(水) 21:56:09.57ID:yy4aTklq
孔明先生

674人間七七四年2012/04/29(日) 13:17:44.81ID:RXWwJ76f
今川家

675人間七七四年2012/04/29(日) 13:20:58.75ID:RXWwJ76f
今川幕府

676人間七七四年2012/05/02(水) 21:50:31.47ID:vTar57cK
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677人間七七四年2012/05/15(火) 01:11:46.83ID:gsc4Hgcj
今川パンだ

678人間七七四年2012/12/10(月) 01:03:36.65ID:7j3LNdFo
河東の乱はどうみても北条氏綱が難癖つけて、
今川領を攻めているように見えるのになぜ北条厨は否定するのか?

679人間七七四年2013/08/24(土) NY:AN:NY.ANID:CzAivzM/
戦国時代だから攻められる方が悪い。

ってことでしょ。

680濱名正光2013/08/25(日) NY:AN:NY.ANID:3g6EJ26M
今川の戦国武将・源姓浜名氏は太田氏と同じ様に源頼政の子孫なんだが
浜名氏初代の浜名頼氏は伊豆韮山多田氏の支流なんだが
つまり系図的にはこういうことだろうか?

源三位頼政─源兼綱─源頼兼─多田頼貞─多田政国─多田政義─浜名頼氏─浜名清政

681人間七七四年2014/09/08(月) 23:28:39.77ID:lD1n2r46
彦五郎は氏輝の息子

682二俣城2014/09/19(金) 10:50:48.44ID:c2u3CixM
二俣城跡の曲輪に石垣 21日に現地説明会
市が調査で新たに確認した石垣=浜松市天竜区二俣町で

 浜松市は十八日、戦国時代に築かれた二俣城跡(浜松市天竜区二俣町)西側の曲輪(くるわ)群に、
石垣が使われていたことが分かったと発表した。文化財課によると、
当時の曲輪は土壁で囲むのが主流で石垣は珍しい。
二俣川や天竜川を行き交う舟からよく見える場所に、権勢の象徴として築いた可能性があるという。
二十一日に現地で説明会がある。

 曲輪は壁に囲まれた兵の待機所で、確認した石垣は高さ六メートル、長さ十三メートル。
石は地元産の緑色片岩や石灰岩とみられる。

 市が昨年、五百メートルほど離れた鳥羽山城(同)を調べた際、川からよく見える本丸周りに
百七十メートルにわたり石垣を設けていたことが判明し、
二俣城跡でもあらためて今月三日から調べていた。

 豊臣秀吉は一五九〇年、徳川家康を関東に移封するとともに、浜松城主に重臣堀尾吉晴を任命。
吉晴の弟宗光を二俣、鳥羽山の両城主にした。宗光は十年ほど住んだ。

 市文化財課の担当者は「石垣は、堀尾一族が城を大改修した際、経済の要衝であった
二俣の領民を心服させることを意識して、石垣を築いた可能性がある」としている。

 説明会は申し込み不要で、二十一日午前十時と、午後一時半から現地で。小雨決行。
       中日新聞

683人間七七四年2014/09/20(土) 22:30:28.68ID:+4D5MAaq
>>678
伊勢氏(北条)を芽のうちに潰して伊豆、相模を攻める選択肢は無理だったのかね?

684人間七七四年2014/10/13(月) 16:10:23.24ID:Fsr7slq2
今川のよっちゃんは内気な子♪
腕白大将に負けちゃった♪

685人間七七四年2014/11/13(木) 00:16:45.14ID:BePk11Uq
安祥城から桶狭間までの間って義元は戦してたの?

686人間七七四年2015/02/08(日) 14:50:08.27ID:bqQqu268
戎光祥出版から「駿河今川氏十代」って本が出たみたいだけど、
出来はどんな感じ?

687人間七七四年2015/10/14(水) 17:59:29.00ID:FrpF2mC1
>>683
史実では
今川は(初期)伊勢の庇護者じゃなかったか?
伊勢がいなきゃ、鎌倉なり関東管領に粛清されてたんじゃね

688人間七七四年2016/02/10(水) 05:33:56.76ID:ijhC9ro3
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足アイフォン貸出)

https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田

689人間七七四年2016/11/19(土) 16:24:49.49ID:XmZWdVVY
花倉の乱は寿桂尼の勝ちでおk?

690人間七七四年2017/03/03(金) 15:27:37.42ID:whxJjtX+
今川頼国の仮名って太郎と三郎どっちなの?

691人間七七四年2017/04/09(日) 18:12:48.71ID:0lWxjBf4
今川PAにGSとコンビニ開店
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20170408-OYTNT50088.html?from=tw

 行橋市の東九州自動車道今川パーキングエリア(PA)に、ガソリンスタンド(GS)
とコンビニエンスストアが開店した。西日本高速道路によると、東九州道での開店は
いずれも初めて。

 GS、コンビニとも7日、上下線にそれぞれ開店した。GSはセルフ式で、営業時間は
午前8時〜午後8時。コンビニは24時間営業で、地元の観光PRなどに使える多目的
スペースを備えている。

 山口県方面から高速道で宮崎県方面に向かう場合、これまでは山口県の中国自動車道・
王司PAから大分県の大分自動車道・別府湾サービスエリアまでの125キロにGSが
なかった。

 西日本高速道路は「今川PAに開店したことで、燃料切れの不安解消につながる」とし
ている。

692人間七七四年2017/04/28(金) 20:05:35.96ID:dWKSVeX5
Wikipediaで、今川氏親の娘欄に「大谷鬼神門守吉秀のち弥兵衛室」ってのがあるけどなんだありゃ

693人間七七四年2017/04/29(土) 22:11:06.71ID:hBzKUkCO
頼朝以来の家だから仕方が無いが葛山氏もよくわからんな
氏綱弟の葛山氏広は河東の乱以後も北条についたろうが
次代の氏元は義元重臣だな、つーか義元偏諱でしかも下の字を貰った烏帽子親パターンじゃない?
氏広は追放か殺されちゃった?

694人間七七四年2017/04/30(日) 02:03:27.76ID:J2qb3x6Y
それなら元の字を上にもってくるんじゃ?

695人間七七四年2018/03/25(日) 00:18:04.99ID:ts9xhRH1
眠い・・・

696人間七七四年2018/04/26(木) 08:55:27.36ID:ZxGruEvZ
今川氏滅亡 304ページ 大石泰史 5月18日発売決定 角川選書
第一章 戦国大名今川氏の登場
 第一節 氏親以前の今川氏
 第二節 「戦国大名」氏親の登場から死没
 第三節 氏親に関する考察

第二章 寿桂尼と氏親
 第一節 家督継承者と「家督代行者」
 第二節 寿桂尼の位置づけ

第三章 義元の時代
 第一節 義元の栄華
 第二節 領国西方の維持

第四章 氏真の生涯
 第一節 ”通説”今川氏真
 第二節 離叛する国衆たち
 第三節 離反する国衆と残る国衆――遠江西郷氏の検討

第五章 今川領国の崩壊
 第一節 氏真の実像を探る
 第二節 氏真の発給文書
https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000031/

武田氏滅亡が751ページだからそれに比べればコンパクト

697人間七七四年2018/05/21(月) 20:02:23.22ID:gA1qUUKx
>>696
発売age

桶狭間とあわせてきたのもあるだろうな

698クバの化身2018/05/26(土) 06:42:19.66ID:qpfBmqIh
結局のところ、まことの悲劇は、永いニート生活の
自己管理の欠如にある

699人間七七四年2019/04/19(金) 07:48:45.33ID:jdoaUPBX
県内なので花倉城見てみようと行って見たものの文字がかすれた小さな看板が一つだけ
入り口から細い急な坂道が見えて原付カブだと雨上がりなのと非力で上がれるか不安で断念しちゃった
山城てのはわかってたけど富士山5合目のような想像を勝手にしていた
入り口脇に空き地はあったのだけれども無断で止めるわけにもいかず
後から調べたら登っていけば駐車場があるらしいけどまたいつか挑戦してみたい

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