【裏切り】朽木元綱【名将】

1人間七七四年2007/09/07(金) 16:19:42ID:WT0Ni3Mk
決して地味ではない語れ

2中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 2007/09/07(金) 16:42:39ID:3avDJSE8
地味ではないが、語ることもあまりないと思われ
関ヶ原の裏切りと信長の朽木谷(峠?)越えを助けたことしか
知らない

3人間七七四年2007/09/07(金) 16:56:57ID:pdAkyRZz
祖父・稙綱、父・晴綱は将軍家に忠義を尽くしたな。

4人間七七四年2007/09/07(金) 18:07:48ID:YVMSqeJB
元綱は山名豊国と似てるな
ショボいけど上手く時流を乗りきってる

5人間七七四年2007/09/07(金) 18:34:46ID:PayNiIWD
( ´゚ω゚` )

6人間七七四年2007/09/07(金) 21:15:25ID:e1X3x+bt
たいした将ではないな。

7人間七七四年2007/09/07(金) 22:11:35ID:WT0Ni3Mk
関ヶ原での裏切り後、近江2万石から9550石に減封されていますが、
9550石の詳細わかる人います?

8宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/09/07(金) 22:44:20ID:f6ZCRCof
>>7
『朝暉神社文書』『徳川実記』『義演准后日記』慶長5年11月2日条などを
参考にすると、近江佐和山城攻めの後家康に安堵されたのは、

高嶋郡朽木庄、針畑庄、三谷庄、高嶋本庄内二か村、広瀬庄内三か村、
音羽庄内一か村、山城国愛宕郡久多郷、 合計9595石とされている。

972007/09/07(金) 23:26:23ID:WT0Ni3Mk
宇喜多さん詳細な説明ありがとうございます。感謝します。
関係ないですが自分は朽木元綱みたいなあまり知られていない武将に興味があります。
よって朽木氏についても調べてみようと思ったのですが、
近江とは全く関係のない地方に住んでいる為、情報をネットぐらいでしか得られません。
戦国板の住人の中には自分と同じ悩みの人もいるでしょうし、
何か良い方法はないでしょうか。
やはり、地元の図書館にいくしかないでしょうか。

10人間七七四年2007/09/07(金) 23:29:26ID:pdAkyRZz
>>8
大名じゃなくなったのかな?

11宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/09/12(水) 17:34:14ID:reL9EHr1
>>9
やはり地元の図書館にいくのが一番と思われます。

12人間七七四年2007/09/13(木) 13:13:05ID:FDHJ9tWU
朽木の勢力範囲て今の朽木村の辺りだけなの?

13人間七七四年2007/09/17(月) 02:24:25ID:uDpYRIsn
この人の青年期って、織田信長を匿った事ぐらいしか知らない。
関ヶ原の合戦時にはもう52だし
何してたのかね

14◆nzdGjBH722 2007/09/17(月) 04:02:33ID:GQuoX81o
とりあえず三法師並に幼年から家督継いでたなw

15宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/09/17(月) 04:05:01ID:WEN45E6X
>>13
信長の朽木越え以前の元綱の動向。


1歳   天文18年(1549)、朽木晴綱の嫡子として誕生。
3歳   天文20年(1551)、三好長慶に敗れた足利義輝が、翌年正月まで朽木庄に滞在。
5歳  天文22年(1553)、再び、三好長慶に敗れた足利義輝が、永禄元年(1558)まで
    朽木庄に滞在。
7歳   天文24年(1555)、佐々木宮大神主重吉の「朽木竹松」宛ての神事銭請取状があり、
     家督を継いでいたと思われる。
18歳 永禄9年(1566)、浅井長政の高嶋郡侵攻に対し、人質を差し出す。
20歳 永禄11年(1568)、足利義昭から「名字地(朽木庄)」を安堵するとの
    御判御教書を得ている。
22歳 元亀元年(1570)、越前朝倉攻めから撤退中の織田信長を助ける。
   
これぐらいか。「近江朽木氏の研究」などを参照。

16宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/09/17(月) 04:08:08ID:WEN45E6X
>>15
大事なの忘れてた。
父晴綱が死去したのが、おそらく天文19年(1550)。元綱2歳の時。

17人間七七四年2007/09/17(月) 12:38:48ID:b2td5rwj
「綱」は佐々木氏だからか?

18132007/09/17(月) 17:32:40ID:uDpYRIsn
>>15
>>16
詳しくありがとう。
ググったら浅井氏に敵対してたり味方してたり、
微妙な立場だな。

19人間七七四年2007/09/21(金) 00:48:47ID:EjXRgrwT
波爾布神社
http://www.genbu.net/data/oumi/hanifu_title.htm

資料館 朽木越えなど通称鯖街道といってドライブには最

適ですが・・
http://www.city.takashima.shiga.jp/kankou/amidayama/

shiryo1.htm

専門書ですので高価です。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4840620261.html

ご教授願いたいのですが明智光秀丹波平定後、明智秀満と

藤木権兵衛が旧横山城改築後の福知山城城代となりました

が、その後の藤木氏はどのような活躍をしたのでしょうか

?彼も丹波衆一派だったようですが、山崎、関が原の活躍

など知りたくて。藤孝の家臣だとも。。その後朽木氏が

徳川幕末まで安定し、城主継承しましたが・・

朽木村で高齢の方であれば近江一帯すべて勢力を誇示してきたと

聞き及んでます。

20人間七七四年2007/10/12(金) 16:01:27ID:TNKIHFNB
>>17
始祖が義綱(佐々木信綱の曾孫)だからかな。
ちなみに歴代には氏綱 能綱 時綱 貞綱 稙綱 晴綱がいる。
稙綱 晴綱は偏諱だろうから 将軍家との近さがわかるね。
朽木谷。。

21人間七七四年2007/10/12(金) 18:01:46ID:kmTDvqyW
藤綱や輝綱、秋綱や昭綱はいないの?

22人間七七四年2007/10/12(金) 20:13:36ID:JkQFV8co
>>21
晴綱の弟に義輝から諱を賜ったらしき人物がいる

23宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/10/12(金) 21:12:46ID:tfddIaCf
>>21
朽木氏系図  (『朽木氏の研究』「室町中・後期における朽木氏の系譜と動向」参照)
          破線は推定


  貞高――――――┬貞武―――――――直親――――――┐
   満若           U 弥五郎            弥五郎         |    
   弥五郎         U 刑部少輔          材秀           |
   信濃守         U 貞綱                             |
   高親           U                                  |
                  U                                  |                          
                  └貞清                              | 
                     弥次郎                           |
                     歓喜                             |
┌――――――――――――――――――――――――――┘
|                                      
└――――――――┬稙綱――――――┬晴綱―――――――元綱
                  U 竹松           | 弥五郎         竹松    
                  U 弥五郎         | 宮内大輔       弥五郎
                  U 稙広           | 信濃守
                  U 民部少輔       | 河内守
                  U                | 牧斎 
                  U                | 十兵衛
                  U                |           
                  ├賢綱            ├藤綱――――――┬女
                  U 中務丞         | 弥六           |    
                  U 信濃守         | 刑部少輔       ├女
                  U                | 長門守         |
                  └弥七郎(直綱カ)     |                └弥次衛門
                              ├成綱
                              | 左兵衛尉
                              |
                              ├輝孝
                              | 弥十郎
                              |
                              ├興正寺
                              └兵庫助

24人間七七四年2007/10/13(土) 23:57:53ID:Ffj/ew6A
>>22-23
詳しい、レスありがとう。勉強になります。

あと元綱の元は、細川昭元からの偏諱かな?

25人間七七四年2007/10/15(月) 12:09:14ID:IDCyZxil
個人的に好きなスレだ

26人間七七四年2007/10/18(木) 02:49:51ID:KhUdDm7Q
>>4
子孫は旗本&大名だもんなぁ・・・勝ち組っしょ。

27人間七七四年2007/10/22(月) 03:19:06ID:G6oXl52q
昔の戦国板で一時期流行ったよね、朽木。
スレが立つ寸前まで盛り上がったんだが・・・

28人間七七四年2007/10/26(金) 00:13:34ID:Yls4GbIH

儒学者・岩渓嵩台の墓 整備され子孫らが参拝

ttp://www.ryoutan.co.jp/news/2007/10/1016haka.jpg
福知山藩の8代藩主、朽木昌綱(1750−1802)が福知山に呼び寄せ、藩士たちに儒学を教えた
岩渓嵩台(いわたに・すうたい)の墓が、福知山市下篠尾の円応寺にある。
その墓がこのほど、檀家たちの協力で整備され、15日に嵩台の子孫3人が訪れ参拝。
「きれいにしていただき、本当にうれしい」と喜び、江戸時代に描かれたとされる嵩台の肖像画の
掛け軸などを寺と市に寄贈した。

ttp://www.ryoutan.co.jp/news/2007/10/1016sutai.jpg
嵩台は、安永7年(1778)に、昌綱の招へいで福知山へやって来たとされる。最初のころは京都
から月1回通っていたが、その後、福知山の内記町に移り住んだ。
(以後略)
ttp://www.ryoutan.co.jp/news/2007/10/16/002383.html

29人間七七四年2007/10/26(金) 00:21:09ID:wOqwDUft
深夜アニメに「朽木(くちき)」なるキャラクターが出ていたw
このスレの朽木は「くつき」と読むんだよね?

30人間七七四年2007/10/28(日) 22:30:29ID:KLlZDbs4
ご長寿だったのに寛文地震で圧死しちゃうんだよね。。。

朽木 宣綱(くつき のぶつな、1582年(天正10年) - 1662年6月16日(寛文2年5月1日))は、
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。
朽木元綱の子。官位は従五位下兵部少輔。号は立斎。
はじめ豊臣氏、次いで徳川氏に仕えた。江戸幕府のもとでは6470石を領する旗本の一人として
仕えた。だが、後に弟の朽木稙綱が大名に取り立てられたために宗家としての地位は弱まった。
また、妻の名字である京極を称した息子の一人高通は、丹後峰山一万三千石の大名となる。
寛文2年5月1日、寛文地震に巻き込まれ近江国朽木にて死去した。
享年81、法号は崇玄。

31人間七七四年2007/10/29(月) 03:03:14ID:Ke21MygE
>>28
だいぶん前に歴史と旅で見たの思い出したんだが
現当主の方が昌綱の肖像画とそっくりなんだよ。
よくいう「ハンコいらない」のレベルw


32人間七七四年2007/11/04(日) 03:48:36ID:s4Q+VV19
朽木氏(稙綱系)は泉岳寺の筆頭檀家だったんだね。
今はどうなのか知らないけど。
ttp://sakuraoffice.com/P10006712.jpg

33人間七七四年2007/11/17(土) 15:08:11ID:FC7n2tI6
泉岳寺は外桜田にあったが寛永の大火で焼失
家光が毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転したそうだ

34人間七七四年2007/12/04(火) 15:05:17ID:NdWa2UB2
朽木谷といえば足利将軍が落ちる所。
地理的な意味があるのかな?

35人間七七四年2007/12/12(水) 02:24:16ID:fYAnwEry
>>34
山奥で三好もわざわざ追ってこないのかもw

36人間七七四年2007/12/13(木) 16:21:34ID:al0IiiUL
本気になれば攻められんでしょうがね=朽木谷

37人間七七四年2007/12/28(金) 16:32:42ID:ldn+JVfV
材秀 稙綱 晴綱(藤綱 輝孝もか)と来て 元綱。
元はどこから来たのだろう?

38人間七七四年2008/01/06(日) 21:09:03ID:CE2fujcw
>>37
晴元の子、細川昭元?

細川晴元
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150021673/

39人間七七四年2008/01/07(月) 18:34:50ID:X/qeTHIK
なるほどやはり京兆ですかね

40人間七七四年2008/01/25(金) 14:43:03ID:y1gmWCDc
晴元は義輝とともに朽木に二回落ちてますね。

41人間七七四年2008/01/28(月) 02:37:29ID:zB54yMYU
朽木氏
--------------------------------------------------------------------------------
隅立四つ目結
(宇多源氏佐々木氏流)
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/buke/sassa.jpg

佐々木氏の一族。信綱の次男忠信は高島郡田中郷を与えられ高島氏を名乗っていた。
その子頼綱、さらにその子義綱の代になってはじめて朽木氏を称するようになった。
朽木庄は、滋賀県高島郡にある山間の荘園で、俗に朽木谷といわれ、安曇川上流の渓谷に
沿う谷盆地となり、京都にも近いということと、若狭と京都を結ぶ交通路にあたっていたことも
あり、早くから開け、交通上の要衝としても重視されていたところだ。
朽木氏は朽木谷一帯を抑え、佐々木氏一族として重きをなした。
1528年三好元長が京都に乱入した時、足利将軍義晴は朽木谷に逃れ、そのころの当主稙綱
は義晴を厚遇した。その功によって稙綱はのち申次七人衆の一人に数えられることになった。
さらに1551年にも将軍義輝が戦乱を避けて朽木谷に逃れるということがあり、山間盆地という
地勢が将軍の避難所としての条件を持っていたことを示している。
朽木氏の歴代にあっては、稙綱と晴綱および元綱が特筆される存在で、晴綱の弟たちも将軍
家に多く仕えている。たとえば藤綱は後部屋衆に、成綱は告衆番衆に、輝孝は後部屋衆とし
て名がみえ、足利将軍家との関係の深さを示している。

42人間七七四年2008/01/28(月) 02:38:06ID:zB54yMYU
朽木氏の盛衰の跡を訪ねる
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kutuki/IMG_1922.jpg
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kutuki/IMG_1924.jpg
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kutuki/IMG_1929.jpg
●稙綱が将軍義晴のために建てた館跡、宣綱のとき秀隣寺となった。
 秀隣寺が移転したあと興聖寺となり現在に至っている。
●興聖寺本殿(右端)
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ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kutuki/IMG_1936.jpg
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kutuki/IMG_1937.jpg
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kutuki/IMG_1941.jpg
●江戸時代、朽木氏が所領支配の拠点とした朽木陣屋跡
●陣屋跡に残る土塁の一部(右端)
--------------------------------------------------------------------------------
元綱は、はじめ六角氏に仕え、次いで朝倉氏と結び、さらに足利義昭、次いで織田信長と転々
としているが、近江という政治情勢の変化の激しい地方の小戦国大名としては当然の身の処し
方だったといえよう。元綱はさらに豊臣秀吉、徳川家康に仕えている。関ヶ原の合戦では、最初
西軍に属し途中で東軍に通じている。その結果、減封措置ではあったが近江高島郡九千石を
安堵され、近世に生き残ることができたのである。
江戸時代に入って三男稙綱が若年寄にまで出世し、下野鹿沼で二万石の大名となった。この
稙綱の系統は、その後丹波国福知山に転じ、明治維新を迎えた。

43人間七七四年2008/01/28(月) 02:38:36ID:zB54yMYU
●朽木氏の紋
--------------------------------------------------------------------------------
福知山城の城跡に建つ、福知山朽木氏初代稙昌の父朽木稙綱を祀る朝暉(あさひ)神社。
本殿前の門には、神紋として朽木家の定紋「隅立四つ目結」が据えられている。
・右:隅立四つ目結
・左:朝暉(あさひ)神社
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/huk_zin.jpg
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/huk_mon.jpg

■参考略系図
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/kz/kutuki_k.jpg
(引用元)
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kutuki.html

44人間七七四年2008/01/28(月) 22:43:08ID:PExYJbr/
朽木元綱
ttp://www.ikedaya.com/images2/nobukatsus/bakufu/kutsuki-mototuna.jpg

45 ◆QqQquqqauQ 2008/01/28(月) 23:25:41ID:bo+0wY/o
権力者からの畏敬があったんだろうな。
血統にも家風にも。

46人間七七四年2008/01/30(水) 17:23:30ID:O92E9LOF
〜将軍避難所〜

長禄2年(1458)になると、足利義政が朽木貞高に朽木荘を安堵した。
それはその翌々年に室町幕府の御料所として、毎年100貫文を貢納させる下心があったからともとれる。
以来、朽木氏は応仁・文明の戦乱の打ち続く中で、ひたすら幕府に密着して終始した感があった。
まもなく、足利将軍はたびたびこの谷筋に難を避けることになる。
享禄元年(1528)12代将軍義晴は管領細川氏の失政によって孤立すると、はじめ六角氏の援助を求めて
近江に来たが、その分流の縁故から朽木稙網(たねつな)を頼って朽木谷に入り、同4年(1531)までここ
で政務を見た。朽木氏は居館を朽木陣屋内に設けて仕えた。
さらに13代将軍義藤(義輝)も、三好党に追われて坂本・穴太・堅田を転々としたが、三好党と六角氏が戦
うことになると、天文12年(1543)と同22年〜永禄元年(1558)の5年間を、2度にわたって難を避ける
ために滞在している。
永禄11年(1568)織田信長が近江に侵入して六角氏は滅びるが、その分流でありながら朽木氏はこの
時も独自の行動をとって、その所領を失うことがなかった。元亀元年(1570)信長が若狭からこの朽木谷
へ入って来た際も巧みに対応することによって、その支配に従った。
このようにして,天正18年(1590)の豊臣秀吉の天下になると、高島都の蔵入地900石の代官となり、
いわゆる太閤検地の奉行などを勤めたりしたのである。

47人間七七四年2008/01/30(水) 17:26:09ID:O92E9LOF
〜鯖の道〜

谷筋の街道には関所が置かれ、高島関といわれたようであるが、今日その場所は明らかでない。
長享3年(1489)幕府は朽木氏を関の代官に任じたが、なぜか朽木氏は断った。
しかし,朽木氏も京都へ出る場合は、関を通過しなければならなかった.延徳2年(1490)・明応6年
(1497)・永正3年(1506)などに、朽木氏の被官人500・馬50匹が荷物とともに京都へ出る場合、
その通過に差し障りがないようにと、幕府が各関所へ命じている。
なお、この街道の往来について、「朽木文書」の「庄下用帳」は京都へ上京する商人が通るとか、車5
4台に積んで貝鮑が京へ行くとかいったことまで記している。
この街道が俗に「鯖の道」と呼ばれたのは、若狭からの海産物が、盛んに運ばれた結果であろう。

48人間七七四年2008/01/30(水) 18:19:07ID:O92E9LOF
〜惣村と支配〜

中世末期になると、朽木荘には荒川・麻生・市・村井・椋川・地子原・雲洞谷・栃生といった
多くの惣村が成立した。
これらの運営は主として朽木氏の被官であった殿原衆が当たったが、その下には中間と呼
ばれる有力な農民と一般の農民たちがいた。
16世紀の初め頃の荘内各惣の10〜40軒の家から棟別銭を取り立てた。
時には各惣が強い対立を生じて争ったりもした。
永正元年(1504)に小川惣・平良惣が、椋川惣・荒川惣とはいっしょに心を合わせないとの
祈誓文などが残っている。
朽木氏は次第にその惣の内部支配を進めたが、一方「奥畑炭かま銭」「商人銭」「馬宿銭」
といったものを課しながら、林業・商業・交通など荘の経済力をしっかりとその手中に納めて
いった。しかし、針畑住民などが、能家の奥の中原に密かに隠し田を開いたりもしていた。

49人間七七四年2008/01/30(水) 18:21:43ID:O92E9LOF
<近世>
〜谷朽木〜

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に、朽木氏は途中から徳川方に味方をし、その結果さらに
この谷筋支配を保ち得た。
慶長6年(1601)朽木元綱が領有した範囲は、もとの朽木荘29か村をはじめとして、針畑荘・
三谷荘・本荘・広瀬荘・音羽荘・山城久多荘を含めると9,595石であった。
翌7年、村ごとの検地が行われた。
この朽木氏を俗に「谷朽木」とも呼んだのは、居所を朽木谷の野尻に定めたからであった。
家の格式は表向き1万右に満たなかったため、交代寄合に位置づけられ、その所領も朽木知
行所と呼ばれた。
しかし、実質は大名に準じて江戸にも参勤交代することになっていた。
そしてその家筋は、いずれも旗本として明治維新に至る。

50人間七七四年2008/01/30(水) 18:22:43ID:O92E9LOF
〜村数と年貢〜

江戸期を通じて朽木知行所内の村高には、なにほどの変化もなかった。
あっても100石とか、100石以下が大部分を占めたのは、もともと田畑が乏しい地理的条件
によったからであろう。
この時代の村数を「朽木文書」によってみると、

旧朽木荘(市場・岩神・穴ケ瀬・宮前・坊・野尻・上柏・下柏・古川・大野・村井・栃生・椋川・
麻生・横谷・轆轤・地子原・雲洞谷・平良・小川・荒川)21か村
旧針畑荘(能家・桑原・古屋・中牧・小林・生杉・庄屋・小入谷)8か村
旧三谷荘(角川・保坂・途中谷・山中・大杉・轆轤・天増川・梨ノ木・椋川・自在坊・六ツ石・
水谷・追分)13か村
合計42か村になる。

これらの村々は平地の村とは違い山林関係の生業の割合が強く、この傾向は特に麻生・
地子原・雲洞谷から西の村々で大きいものがあった。年貢は村高の40〜50%に及んだが、
自然条件に災いされることもあったから、川成などで差し引かれることが多かった。その他
山方年貢として四二寸米・川狩米・茶年貢・油草代米・薪代米・みそ米代などがあった。

51人間七七四年2008/01/30(水) 18:23:31ID:O92E9LOF
〜林業と木地屋〜

中世から引き続き、何といってもこの地域を特徴づけてきたのは林業であった。
しかし、安曇川を下る筏は琵琶湖への出口の南船木港(安曇川町)に材木座が置かれ、
木材を特権的に取り扱い、運上・座役銀などの租税・手数料に当たるものを取り立てた。
炭焼にも市場・岩神の問屋支配があり、これを、仲介しないと炭の売り立ては堅く禁じら
れていた。
なお、轆轤周辺は麻生木地山ともいった。
かなり古くから轆轤師(のちの木地屋)が集結して、朽木氏の庇護を受けながら椀・盆など
木器の木地を生産した。中世〜近世を通じての経歴は、著名な木地屋根元地と伝承され
る近江小椋谷の「蛭谷氏子狩帳」「大岩助左衛門日記」などに記録をとどめている。
岩神には数軒の塗師屋もあったが、そこで彼らの木地に漆工したのである。
朽木盆はその製品の中で、黒地に朱で十六菊を描いたものが、特に*「菊盆」*と呼ばれ
て著聞した。

52人間七七四年2008/02/03(日) 19:36:00ID:+zdGoOYm
>>49
>朽木知行所

知行所ということは旗本扱いですね。
事実、万石未満なのでそういう分類なのは当然ですが、一般に旗本は知行所における
行政監督をしない場合が多かったようですね。
幕府がそれを嫌ったというのが主な理由ですが、実際には代官が主にそれらを担当し
ていたようです。
その点から見ても、直接知行地の行政監督を行い、在地領主であり続けた朽木氏と
いうのはその枠組みからは外れていたのですね。

53人間七七四年2008/02/03(日) 20:52:51ID:E4YYH2oA
>>52
朽木家は参勤交代をする「交代寄合(大身旗本)」だね。

54人間七七四年2008/02/05(火) 08:16:11ID:AGMpB2U0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E4%BB%A3%E5%AF%84%E5%90%88
交代寄合の一覧
(須原屋版「文化13年武鑑」による)


[編集] 表御礼衆
菅沼家      三河設楽郡新城領主   帝鑑間詰 元丹波亀山藩藩主
竹谷松平家   三河宝飯郡西郡領主   帝鑑間詰 元吉田藩藩主
榊原家      駿河有度郡久能領主   帝鑑間詰 久能山東照宮門番 家督時に五位諸大夫任官 
                                 本家筋にあたる。
本堂家      常陸新治郡志筑領主   柳間詰
生駒家      出羽由利郡矢島領主   柳間詰  元高松藩藩主
山名家      但馬七味郡村岡領主   柳間詰  屋形号
松平(池田)家. 播磨神崎郡福本領主   .柳間詰.. 鳥取藩松平(池田)相模守家分家 
                                 元播磨山崎藩主・元因幡鹿奴藩主 初代松平
                                 (池田)輝澄は徳川家康娘・督姫男
平野家      大和十市郡田原本領主  柳間詰   賤ヶ岳の七本槍の家系
木下家      豊後速見郡立石領主   柳間詰  日出藩分家
山崎家      備中川上郡成羽領主   柳間詰  元丸亀藩分家
最上家      近江蒲生郡大森領主   柳間詰  元山形藩藩主・屋形号
戸川家      備中都宇郡撫川領主   柳間詰  元庭瀬藩藩主
竹中家      美濃不破郡岩手領主   柳間詰
溝口家      陸奥岩瀬郡横田領主   柳間詰  新発田藩分家
朽木家      近江高島郡朽木領主   柳間詰  福知山藩本家筋
近藤家      遠江引佐郡気賀領主   柳間詰  元井伊谷藩藩主
金森家      越前南条郡白崎領主   柳間詰  元郡上八幡藩藩主分家
五島家      肥前松浦郡富江領主   柳間詰  福江藩分家
伊東家      日向郡賀郡飫肥領主   柳間詰  飫肥藩分家

55人間七七四年2008/02/05(火) 08:16:44ID:AGMpB2U0
四衆
那須衆
那須家      下野那須郡福原領主   .柳間詰   .元烏山藩藩主
福原家      下野那須郡佐久山領主  柳間詰  . 那須衆
芦野家      下野那須郡芦野領主   .柳間詰  . 那須衆
大田原家    ..下野那須郡森田領主  . 柳間詰め  大田原藩分家・那須衆

美濃衆
高木(西)家    美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
高木(東)家    美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
高木(北)家    美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆

信濃(伊那)衆
知久家      信濃伊奈郡阿島陣屋領主  ..柳間詰   伊那衆
小笠原家    ..信濃伊奈郡伊豆木陣屋領主 柳間詰   勝山藩分家 伊那衆
座光寺家   .. 信濃伊奈郡山吹陣屋領主  .柳間詰   伊那衆
三河衆
松平家      三河加茂郡松平領主     柳間詰   松平家庶長子家 三河衆
中島家      三河渥美郡大崎領主     柳間詰   三河衆 備中松山藩板倉家類家

四州に準ずる家
米良家      日向児湯郡米良領主     柳間詰    無高  肥後菊池氏後裔・肥後
                                         .人吉藩主相良家の扶養

56人間七七四年2008/02/05(火) 08:17:26ID:AGMpB2U0
その他
須原屋版には、記載のない交代寄合

四州に準ずる家
岩松家      上野国新田郡新田庄内120石 新田義貞の末裔 明治の華族令で、男爵を授かる。

57人間七七四年2008/02/07(木) 18:22:39ID:Stp6E0BB
>>54-55
また微妙なお家柄ばかりですね。

58人間七七四年2008/02/08(金) 14:11:04ID:kB9SgvPY
よく調べたと思うよ>>54-55

59人間七七四年2008/02/11(月) 02:36:38ID:HmyIZDlg
朽木陣屋:滋賀県高島市                   平成19年9月探訪
旗本交代寄合、朽木家96百石の陣屋跡  江戸期を通して領有した

ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20074.jpg
陣屋址の中心へ
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20073.jpg
陣屋井戸
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20075.jpg
堀の一部
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20076.jpg
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20079.jpg
朽木家菩提寺の興聖寺
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20078.jpg
朽木街道界隈は東海自然街道になっている

ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/kutikijinya275igai.html

60人間七七四年2008/02/18(月) 00:32:53ID:hbUeZPHv
朽木家は鎌倉時代に桓武平氏直系である池殿家の所領を継承している。

61人間七七四年2008/02/19(火) 14:26:29ID:EUoJIIcO
池殿領は久我に流れたんじゃなかったっけ?

62602008/02/25(月) 00:32:51ID:tjPJoPvu
と東大の佐々木先生が言ってるよーん。

63人間七七四年2008/02/28(木) 15:42:48ID:o2lVYb7z
朽木家ってやたら分家が多いよね。

64人間七七四年2008/02/29(金) 16:17:49ID:XxoZSC2A
関ヶ原寝返り組みのうち、脇坂は事前に藤堂を通じて連絡があったみたいだけど、
元綱はどうだったんだろう?戦後、代官してた蔵入地を召し上げられてる。

65人間七七四年2008/03/01(土) 05:03:53ID:m+Jmq04C
とくになにもしてなかったよ

脇坂→事前通告で安泰
朽木→通告なしで召し上げられるも名家ヲタの家康の意向で復活
小川、赤座→わりとどうでもよかったのでまとめてあぼん

66人間七七四年2008/03/01(土) 06:43:09ID:K9zlCA3G
>>63
分家しておけば、一族断絶のリスクは減る。
どうせ、大名じゃない大身旗本なんだから。

67人間七七四年2008/03/01(土) 12:14:08ID:LEk4cK7s
>>65
逸話としては「あ?朽木なんていてもいなくても大局に影響ないし」みたいなことを
言われたというのがあったが、実際には家康の名門好きが影響したんだろうね。
小川みたいなやつは家康好きじゃなさそうだし。

それにしても、この4人は所領が残った2人はその後幕閣を輩出している一方、改易された2人は
直後に病死と溺死だもんな。明暗が分かれた感がある

68人間七七四年2008/03/02(日) 18:17:44ID:faS9i9wP
>>65
改易⇒家名存続という流れではないのでは?
単純に減封。
代官領+所領の一部を召し上げられたという話。

69人間七七四年2008/03/03(月) 18:40:02ID:HP1Fga1/
小川って微妙だよなぁ。
六角を裏切り、明智を裏切り、ついには西軍まで裏切ったのだから
家康に信用されるはずがない。
おまけに出自も不明。
こりゃ処分対象だわな。

朽木と祖を同じくする六角は、佐々木に改姓して幕臣になっているし、
(別に血統を違える藤原北家の六角氏が幕臣になっているが)
やっぱり宇多源氏の末裔、旧幕府奉公衆という格式がポイントだった
のかな。

70人間七七四年2008/03/04(火) 03:27:50ID:u3tfd9qj
はぁ?

71人間七七四年2008/03/05(水) 16:29:18ID:nB9aFwkK
信長の野望ならば、迷わず朽木谷館&朽木元綱でプレイ。
家臣ゼロの一城主から始まる戦国世渡り物語。
天下を穫るなんて夢のまた夢、時の権力に靡き続けるのが
朽木プレイの醍醐味。

72人間七七四年2008/03/07(金) 01:20:06ID:/xvBgTYo
>>71
山間の豪族だけど一応、幕府の奉公衆だったしね。

73人間七七四年2008/03/08(土) 04:56:36ID:1l6EeZqh
↓は妥当なのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――――――
朽木元綱(蒼天録データ)

重視/幕府・名声
思考/保守鳩派
出身/近江
出自/国人
兵科/足軽 長槍
特技/哀願
策戦/混乱 誘導
能力/政治58 統率37 知略62
義理/19
野心/57
――――――――――――――――――――――――――――――――

74人間七七四年2008/03/15(土) 18:36:00ID:is17D+JI
>>73
混乱はよく分からんな。
道案内=誘導?
三好軍に対して防戦したこともあるから統率は40台くらいでいいんじゃね?

75人間七七四年2008/03/16(日) 14:21:09ID:+K5m+650
前線に送るよりも内政・謀略向きだね。

76人間七七四年2008/03/16(日) 15:51:15ID:EBo78/Xb
>>71

隠岐氏とか宗氏でプレイできないんだっけ?

77人間七七四年2008/03/17(月) 03:06:04ID:sQOlcXHT
>>76
登場しないものはプレイしようがないですよね。
自分で登録する以外には。

78人間七七四年2008/03/17(月) 06:45:05ID:S68WhB5F
隠岐氏でプレイ→他国に攻め込まないままでゲーム終了

79人間七七四年2008/03/18(火) 03:33:10ID:bPnXCEWH
>>78
ちょっとこのスレの方向とは合わないんですが・・・。

80人間七七四年2008/03/20(木) 18:21:17ID:KQuhXRqb
>>73
何となく引き籠るにはちょうど良い能力って気もしますが。
幕府の奉公人なら使者の適性有りかも。

81人間七七四年2008/03/24(月) 05:14:37ID:f1fuIDBW
元綱、嫡子の宣綱と長命だよね。
宣綱なんて地震で倒壊した屋敷の下敷きにならなかったら、
さらに長生きしていただろうし。

82人間七七四年2008/03/28(金) 06:28:32ID:qhq2Fx5A
嫡流が分知を繰り返して5千石弱の交代寄合になったのに対して、庶流が大名家。
そういう事例って他にどれくらいあるのでしょうか?

83人間七七四年2008/04/08(火) 16:23:22ID:zviEJtsc
>>73
それほど武功があるわけじゃないし、特徴は捉えてるんじゃない?

84人間七七四年2008/04/09(水) 04:58:39ID:kapRpCjJ
松永弾正とはどういう間柄だったのかね?

85人間七七四年2008/04/10(木) 11:20:01ID:2/b1o248
三好時代どちからというと三好と朽木は敵対関係だろうな。

86人間七七四年2008/04/11(金) 22:45:53ID:fMSa34Up
去就こそ注目されたけど、元綱自身、永禄11年に三好一党が京都本圀寺の足利義昭を
攻めた際、信長軍が岐阜から到達するまで防戦した過去がある。
信長が義昭を奉じている限りにおいては敵対する理由が無い。
浅井に従っていたとしても、足利>>>>>>浅井という判断をしたのは当然のことでしょう。

87人間七七四年2008/04/24(木) 14:48:40ID:w7pLCVaH
誰が将軍の旗印を握っていたのか、だよね。

88人間七七四年2008/04/29(火) 12:46:31ID:lH/0zlc8
鯖街道age

89人間七七四年2008/04/30(水) 21:44:24ID:8ilNq9AY
味わい深いスレですね。

90人間七七四年2008/05/10(土) 23:59:22ID:EBubWHFM
>>69
俺も小川は冷遇する。
あいつはキリシタンか?

91人間七七四年2008/05/23(金) 02:53:10ID:TD9JVrz9
>>90
能力もそうだが、人格的にも裏切りやすいしな。
調略されやすいのも問題だ。

92人間七七四年2008/05/29(木) 12:26:37ID:UVJCm6AX
四将の中では

脇阪>>>朽木>>>(越えられない壁)>>>小川・赤座

になるのか?

93人間七七四年2008/05/29(木) 15:15:22ID:i4VUOfE8
小川のウィキは子孫が編集したオナニー捏造ばかりで吐き気がした

94人間七七四年2008/05/29(木) 20:59:30ID:j3xApcHE
>>67
なんだっけ、『風になびくススキ』だかなんだかだっけ?

95人間七七四年2008/05/29(木) 21:23:13ID:uUBcACK7
>>93
禿同 あれは酷すぎだと思う

実際小川って織田家ではどのくらいの扱いだったんだろ

96人間七七四年2008/05/30(金) 08:29:46ID:AdHU0vKy
いつの間にか小川スレにwww

97人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 14:19:28ID:ivkaTTwK

だがそれが(・∀・)イイ

98人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 19:02:01ID:oB1uQSp2
赤座は前田利長に仕え、7000石を給され、松任谷城代を勤めたが、越中大門の出水の検分の際、濁流を渡河中に落馬、溺死している

99人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 21:39:57ID:4cxEvzrF
>>98
大谷刑部の祟りだな。

100人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 22:00:17ID:/liSss8K
武士は祟らない。戦闘員だから、いついかなる場所で死んでも現世に恨みを残さない。
これが古来よりの武家の作法である。

もし大谷行部が祟るというのなら、彼は武士にあるまじき不心得者である、と言う事だ。

101人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 22:04:37ID:3qoIj2k/
死んだ者は祟らない。
死んだ者を恐れ祟りを生み出すのは生きている人間だ。

102人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 13:45:21ID:foXUd8LK
何のこっちゃ?

103人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 14:47:26ID:uPFcXl8E
宗教談義スレ?

104人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 20:57:53ID:1WqnlT24
武士が祟らないのは決まりごと。
101はその辺を理解出来ず陳腐な宗教論に転化している。

105人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/08(日) 00:20:42ID:tarJ/2SX
なんか嫌なことでもあったん?

106人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/08(日) 19:13:41ID:ixKNPD/+
朽木さんは何度か足利将軍をかくまってるね。

107人間七七四年2008/06/09(月) 15:34:24ID:6XgdX/Qx
義晴が享禄元年〜天文三年
義輝が天文二十年〜二十一年、天文二十二年〜永禄元年というところか

108人間七七四年2008/06/09(月) 16:01:20ID:+FYAIIOb
追い出している側も将軍を殺そうとはしていないよね、この頃は。

109人間七七四年2008/06/10(火) 12:15:50ID:eSCtX3LO
赤座って大阪の陣のとき豊臣方についたんじゃなかったか

110人間七七四年2008/06/10(火) 15:09:00ID:Dpl/BEs3
>>109
脇坂・朽木らと共に寝返り
→前田家臣

111人間七七四年2008/06/10(火) 15:11:56ID:eSCtX3LO
なるほど。しかし前田家も裏切り者をよく召抱えるな

112人間七七四年2008/06/10(火) 16:00:00ID:ScW7tn8m
「返り忠」も武士の習いだ。

113人間七七四年2008/06/10(火) 16:20:53ID:7AugmIPX
3回裏切ってこそ一人前の武士と言われた時代だしな。

114人間七七四年2008/06/10(火) 16:26:30ID:ScW7tn8m
まあ、主君でもなんでもない三成に対して、忠義を成せって言うのも変な話だしな。
それに前田も賤ヶ岳の時勝家を裏切ってるわけで。

115人間七七四年2008/06/11(水) 00:37:00ID:KLEKcvjl
>>109
慶長11年(1606)に溺死したんじゃないの?>赤座

116人間七七四年2008/06/11(水) 08:45:36ID:DVYdp7Lv
>>100 104
「武士」「祟り」で検索してもかなりの事例がヒットするんだが、
武士は祟らない、というのは何処の話なんだ?詳細希望。 

117人間七七四年2008/06/11(水) 17:54:51ID:nMSf9oQM
脇坂の末裔が同級生だった。少し好きだった

118人間七七四年2008/06/12(木) 04:02:49ID:q2NIcsuO
その人が悪いんじゃない。
時代が人をそうさせるのでは?

119人間七七四年2008/06/12(木) 10:46:27ID:ogzvB5/t
別に悪くはないだろ。誰が悪いかといえば敗色を濃厚にした西軍が悪い。

120人間七七四年2008/06/13(金) 01:16:30ID:49SIypQ2
>>117
スレ違いだが、高校の先輩に犬山城主のご子息さんがいたな。

121人間七七四年2008/06/13(金) 01:23:22ID:/xf4BHbr
>>120
君の先輩は戦国期に高校時代を送ったのか?

122人間七七四年2008/06/13(金) 01:40:17ID:Z2Xx4Yxj
>>121
君は日本語を読めない人間だな

123人間七七四年2008/06/13(金) 17:01:57ID:cZG4meL+
・犬山城は最近まで個人所有だったことを知らない。
・江戸時代ならいざ知らず、犬山城の所有者を「犬山城主」と呼ぶことに違和感がある。

のどちらかだろう。

124人間七七四年2008/06/15(日) 10:29:10ID:duuVRLtj
犬山城(家)の主(あるじ) = 犬山城主
江戸時代と違った意味で、犬山城主じゃない?。

125人間七七四年2008/06/16(月) 12:30:37ID:AAzJSweH
江戸時代は尾張徳川家の付け家老(準大名格)だっけ?

126人間七七四年2008/06/16(月) 13:51:01ID:5RKGIbKt
成瀬さんだっけ?

127人間七七四年2008/06/16(月) 19:28:55ID:sWHBmaw5
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%B1%B1%E5%9F%8E
>近現代
>明治の廃藩置県で廃城となったが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などが
>こわれたため、明治28年(1895年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。
>平成16年(2004年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城
>白帝文庫に移管されている。
>
>2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(43番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模
>の日本100名城スタンプラリーが開始された。

財団法人犬山城白帝文庫 理事長 成瀬 淳子
(第12代犬山城主成瀬正俊の長女)
ttp://www.inuyamajohb.org/gaiyou/images/dairi.jpg
ttp://www.inuyamajohb.org/gaiyou/index.html

128人間七七四年2008/06/18(水) 05:14:46ID:NbCvhmCH
>>127
世が世ならお姫様?

129人間七七四年2008/06/19(木) 12:09:13ID:nUQhdezg
>>127
可愛い、結婚したい。

130人間七七四年2008/06/20(金) 01:41:32ID:NxQqKpgv
>>129
結婚しても、財団化した以上は城主にはなれんけどね。

131人間七七四年2008/06/24(火) 01:42:09ID:qpiF/vWV
朽木宗家の御末裔はどこで何してるんだろうね?

132人間七七四年2008/06/29(日) 23:04:39ID:q9NMFd8a
>>131
福知山の朽木家は子爵に叙せられたが。。。

133人間七七四年2008/07/02(水) 04:13:08ID:S8rEVCU+
>>132
大名家の爵位は珍しくないっしょ。

134人間七七四年2008/07/05(土) 00:15:50ID:P+8g+q8t
朽木と言えば鯖のなれずし。
見た目は↓だが、けっこうクセになる。

135人間七七四年2008/07/09(水) 08:09:50ID:y2R/V9ee
見た目が↓?
それは俺のことか?(^^ゞ

136人間七七四年2008/07/13(日) 19:33:41ID:0eXG6aVc
元綱の武功ってどんなもの?

137人間七七四年2008/07/15(火) 05:15:19ID:LXto4UcS
>>136
信長不在を突き、三好三人衆が京の義昭を襲った際、防戦に努めた。
あとは関ヶ原か。

138人間七七四年2008/07/17(木) 18:01:53ID:ksLBRxxF
御料所age

139人間七七四年2008/07/17(木) 20:22:33ID:+40ZAqYm
足利将軍や信長を匿ったりしたよね
求められると嫌と言えない性格だったのかな〜

140人間七七四年2008/07/17(木) 20:24:07ID:q86cL6uf
>>139
> 求められると嫌と言えない性格

妙にいやらしい

141人間七七四年2008/07/23(水) 00:52:58ID:E8YLAs7n
狡猾だよね。
信長軍の朽木谷通過を許したのは、

@信長が足利将軍家の旗印を握っていた
A梟雄・松永弾正を使いこなす信長の器量を見込んだ

という2点が考えられる。

しかし、その判断力も関ヶ原ではやや鈍ったのかも知れない。
豊臣政権という絶対の存在、それに東西両軍の軍事的拮抗。
大谷吉継という抑え役が目の前に立ち塞がっていたこともあるのだろうが。

142人間七七四年2008/07/25(金) 02:26:54ID:vG4RfHPH
>>141
それでも、息子を徳川将軍家に仕えさせて幕閣にまでなってるんだから、
立ち回りと言う点ではかなりの才覚をもっていると思う。

143人間七七四年2008/07/25(金) 08:11:17ID:v5dv92iE
三成厨が朽木を批判するのを見ると笑えて仕方がない。

144人間七七四年2008/07/25(金) 21:06:05ID:agzlzgJ2
ぬる木ぽと綱

145人間七七四年2008/07/27(日) 08:40:49ID:BoKmNSCn
>>142
リカバリーが巧かったね。
しかし、家光に厚遇されたと聞くと……

146人間七七四年2008/07/27(日) 23:00:52ID:LzjjNjk0
>>143
どんな批判です?
別に「豊臣家に忠誠を誓う=三成に忠誠を誓う」ことではないのに。
寝返ったことが許せないなら、東軍大名は総じて批判されるべき。

147人間七七四年2008/07/27(日) 23:30:38ID:O9CAkoCd
>>146
読み違えしてない?

148人間七七四年2008/07/29(火) 01:51:25ID:JwCfgDIu
朽木氏といえば、足利義晴の内談衆を勤めていたりするな。

西島太郎氏の戦国期室町幕府研究や朽木氏の研究論文をまとめた
著書が出ているが・・・・・やはり高い。

149人間七七四年2008/07/31(木) 23:43:04ID:bb6adfe4
あの狭い朽木谷の高台の館に征夷大将軍が住んでいたとは驚愕

150人間七七四年2008/07/31(木) 23:56:39ID:qK6BraY+
一度将軍が逃げ込んで以来、そう言う変な「格」が出来たからね。

151人間七七四年2008/08/12(火) 17:53:16ID:El3kx9KP
>>148
『室町中・後期における近江朽木氏の系譜と動向』というやつですかね?

152人間七七四年2008/08/13(水) 05:11:36ID:b78rX89J
系図ヲタが投下してた。世代に疑問があるらしい。
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1200069092/782

153人間七七四年2008/08/14(木) 18:47:26ID:wksgVz1E
>>152
具体的にはどのあたりに疑問が存在するのでしょうか?

154人間七七四年2008/08/14(木) 20:59:46ID:soVqhp1H
朽木村。。。。
朽木ってそんなにすごかったの。
バスで高校やからド田舎やと思っていたのに
高島市には朽木高校が必要。
滋賀県の県庁所在地が朽木になってもいいのではないか。

155人間七七四年2008/08/17(日) 12:24:43ID:ES3qDQ7a
大袈裟なw

156人間七七四年2008/08/27(水) 15:21:27ID:H21+eIYP
やはり朽木プレイ

157人間七七四年2008/08/27(水) 19:08:09ID:mLdium+j
井野場

158人間七七四年2008/08/30(土) 13:46:56ID:bOxp4feu
ttp://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kukki.htm
>近江佐々木氏の一族で六角家の祖泰綱、京極家の祖氏信の兄高信が近江国高島郡高島を領し
>高島氏を名乗り、高信の次男頼綱の子頼信が同郡横山荘を与えられ横山氏を、氏綱が田中荘を
>与えられて田中氏を、そして末弟の義綱が朽木荘の地頭職を得て朽木氏を称したのにこの系統
>は始まります。

とありますが、田中氏というのは田中吉政に繋がるんでしょうかね?

159人間七七四年2008/08/31(日) 17:44:42ID:MbIDddJy
近江高島氏が俳優の高島忠夫につながってるのは有名だけど田中は知らないなあ。
田中なんてあちこちにいるから関係なさそう。

160人間七七四年2008/09/01(月) 19:47:25ID:5MLh1FVF
>>139
朝倉攻めには元綱の従兄弟(元綱の母は飛鳥井雅綱の女)にあたる
飛鳥井雅敦が同行していたからなぁ。
織田方がその血縁を利用したと考えられるよね。

161人間七七四年2008/09/03(水) 12:56:24ID:y9hP7v3Q
>>158
出自は相当怪しいみたいで一定しない。
芋百姓出身というのが正しいのでは?

162奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/04(木) 00:11:48ID:tAUZI6+I
芋かどうかはともかく、百姓でいいな。

163人間七七四年2008/09/04(木) 15:16:53ID:DmDFo5cv
>>162
そこに反応?

164人間七七四年2008/09/05(金) 14:03:27ID:PSVUdYIg
>>160
近衛前久もそうだけど、何で公卿ってのは何かにつけて従軍したがるんだろうな?

165奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 01:39:20ID:0g9FCRon
従兄弟→義兄弟扱いできる公家 を擁することで得られる官軍ポジション。

166奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 01:40:17ID:0g9FCRon
官軍ポジションを与えることで得られるのは経済的援助。

167人間七七四年2008/09/06(土) 22:15:22ID:heBOpChr
>>165
しかし、飛鳥井レベルで官軍になれますかね?

168奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 22:29:09ID:0g9FCRon
>>167
そこに将軍家が乗っかれば問題ないでしょ。

169人間七七四年2008/09/07(日) 04:45:21ID:zLg+tFuw
>>168
大義名分という点では、最初から足利将軍家の旗印を掲げた平定戦ですから、
わざわざ公家を介在させる理由は無いでしょう。
接待ゴルフではありませんが、レジャー半分の戦見物ではないでしょうか。

ところが、浅井が敵方につくという不測の事態に直面した際、陣中の誰かが
飛鳥井と朽木の婚姻関係に着目したと。
となると、その誰かというのは松永久秀あたりと思われます。

漫画だと木下藤吉郎が万が一に備えてネゴシエーションしていたという筋が
多いわけですが。

170人間七七四年2008/09/10(水) 00:00:29ID:q4JQeDWc
朽木さんは、勧農政策に熱心で、城から苗やら農具やら貸し与えてたそうな。
それで、朽木荘の住民は、領主との信頼関係を損ねると言う事で、徳政令が出ても
自分たちには適応しないでほしい、と、申し立てしてたりする。

171人間七七四年2008/09/10(水) 15:11:14ID:cskoEvRg
旗本身分でもそこは在地領主だからね。
知行地に足を踏み入れることの少ない他の旗本(知行取)に比べると
統治がきめ細かい。

172人間七七四年2008/09/13(土) 01:44:13ID:31RgzDSs
>>169
そもそも朝倉攻めは建前上、武藤友益を討伐するということで幕府、朝廷が許しを
与えているわけだが。
飛鳥井雅敦や日野輝資などが従軍したのもそのため。

173人間七七四年2008/09/15(月) 00:33:08ID:UB3AVUgq
飛鳥井宝光院

174人間七七四年2008/09/17(水) 23:14:30ID:BcvLBzNn
>>173
朝倉方でしたよね。

175人間七七四年2008/09/20(土) 15:52:37ID:qot11TNd
朝倉氏滅亡後はどうなったんだろ?

176人間七七四年2008/09/21(日) 22:22:32ID:rxaM+Zfm
分家のほうが家光の時代に若年寄にまでなって宗家を逆転してるんだね。

177人間七七四年2008/09/23(火) 04:14:43ID:nCR+AyEC
>>176
分家が本家を家格・石高で上回った例としては、飯野保科家の例があるね。
保科正之が会津に転封になる際、義兄・正貞に保科家累代の宝物類を引き渡し、
飯野保科家を宗家とした経緯があるので。

178人間七七四年2008/09/23(火) 11:35:45ID:PVmbkiBX
堀家もそうだな>分家が本家を

179人間七七四年2008/09/26(金) 00:23:58ID:brxhXxiH
>>177
>義兄・正貞

廃嫡されたよね、確か。

180人間七七四年2008/09/27(土) 13:35:12ID:q2E7kNJ6
駆け込み寺ならぬ
戦国駆け込み谷

181人間七七四年2008/10/01(水) 19:28:51ID:txrJ8etc
>>179
武田見性院と保科家の関係に加え、正直の後室が家康の異父妹という家系。
これは当然、利用されるでしょ。

182人間七七四年2008/10/01(水) 22:46:50ID:1Kbaflbf
「剣豪将軍義輝」という大変面白い小説があるのですが
その中に義輝の剣の師匠役として朽木鯉九郎という人物が出てきます。
実在した人物なのかはわかりませんがなかなかいいキャラです。

183人間七七四年2008/10/04(土) 01:20:48ID:WH76WNMm
朽木 鯉九郎

近江・朽木谷を領する朽木稙綱の子、次男・藤綱か四男・輝孝であろう
将軍・足利義輝に仕え御部屋衆となる、松永久秀・三好三人衆らに攻められた義輝と共に討死
ttp://kazusanosukede.gozaru.jp/busyou/busyouitiran-ka.htm

184人間七七四年2008/10/05(日) 01:57:29ID:OxfyhCov
「BLEACH」という大変面白い漫画があるのですが
その中に朽木白哉、朽木ルキアという兄妹が出てきます。
実在した人物なのかはわかりませんがなかなかいいキャラです。


185人間七七四年2008/10/05(日) 03:46:33ID:ByVI+pDC
>>183
その久秀とも元綱は通じているんだよねぇ。。。

186人間七七四年2008/10/08(水) 11:20:39ID:/p88S2Je
>>185
久秀云々というよりは信長軍の有する大義名分を重んじたんでしょう。
将軍家は越前出兵を是認しているわけですから。

187人間七七四年2008/10/15(水) 00:32:18ID:RuVhJhZU
状況的に浅井に味方しても得るところは少なかっただろうし。

188人間七七四年2008/10/15(水) 00:54:46ID:SoQqHFA0
結局佐々木一族で鎌倉以来の本領を守り切ったのは
ここだけか…厳しい世界だ

189人間七七四年2008/10/16(木) 09:06:38ID:e6UY54EV
それ故、名将と言うべきでしょう。

190人間七七四年2008/10/16(木) 11:50:37ID:vTBbecB2
史学関係者の間では評価高いね。
戦国期では三傑の次ぐらいの評価が定着している。

191人間七七四年2008/10/18(土) 01:10:15ID:KhnO9kjy
朽木白哉

四大貴族「朽木家」の二十八代目当主、護廷十三隊六番隊隊長
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%BD%E6%9C%A8%E7%99%BD%E5%93%89

192人間七七四年2008/10/21(火) 18:20:32ID:iMBw8At+
>>191
架空の人物はどうでもいいです。

193人間七七四年2008/10/24(金) 18:21:30ID:z5I6INbs
>>190
そんなバカなw

194人間七七四年2008/10/25(土) 03:31:52ID:Y5tZKOCW
>>190
そりゃ朽木文書のおかげでご飯食べさせて
もらってる史学界が評価しないのも
さびしい話ですな
特に応仁の乱で京都焼け野原なった
資料乏しい中世史はね

195人間七七四年2008/11/01(土) 23:48:55ID:bG73Y9R9
もう少し見直されても良さそうね

196人間七七四年2008/11/03(月) 00:41:24ID:RKVg9yMB
家康に関ヶ原後に「朽木なぞいてもいなくてもどうでもいいから
改易しなくてもいいよ」って言われたってのは本当なんかね?

197人間七七四年2008/11/03(月) 21:02:01ID:x6Je5ok7
>>196
戦力的には微々たるもの。
いてもいなくても大差は無いしねぇ。
但し、若狭と京を結ぶ街道筋を押さえていた土着豪族だけに
利用価値有りと判断したのでは?

198人間七七四年2008/11/03(月) 22:22:32ID:lGEO+S+l
家康の名家好き病がでたんだろう
信長・将軍たすけたり忠義厚いと判断したとか

199人間七七四年2008/11/03(月) 22:24:50ID:lGEO+S+l
この人めっちゃ長生きですな

200人間七七四年2008/11/03(月) 22:24:56ID:YCB29JZU
> 家康の名家好き病

誰だって天下安定させるためには、旧勢力もある程度保全しないといけなくなるっつーの。
家康が信長や秀吉以上に名家好きだって言う論拠が欲しいわ。

201人間七七四年2008/11/03(月) 23:37:32ID:x6Je5ok7
>>198
朽木氏って名家か?
だったら、本家筋にあたる佐々木六角氏を何故保護しなかったんだ?
という話になるしねぇ。
そもそも家康が名家(主に源氏)を高家として遇したのは、徳川政権の
「源氏の棟梁」という表看板と系図詐称の辻褄合わせでしょ。

木曾の山村氏のように、万石以下の在地領主(代官)として街道筋を
治めさせておくか・・・という程度の存在でしょ。
朽木氏は在地の交替寄合だったしね。

202人間七七四年2008/11/05(水) 22:25:54ID:i6Ea1ytk
ちょうど丹後、若狭に姻戚かつ与力の京極家を
配置させてるから多少の恩(鎌倉以来の本領安堵)を
売って街道筋の保全を勘案したんじゃないかな
下手に潰してしまうと後々災いの種になるし
山越えは土地勘ないと今でも遭難してるしさ

203人間七七四年2008/11/06(木) 02:52:07ID:clyEMUGw
>>202
信長時代から存在感としてはかなり薄めだったしね。
金ヶ崎の時には役に立ったけど・・・それだけという感じもする。

まあ、全国支配の段階になると街道の保全管理が重要課題になってくるので
とりあえず潰さずに使うか・・・と。

204人間七七四年2008/11/08(土) 21:26:36ID:3jfIMHyj
>>200
回答は無いようですね。

205人間七七四年2008/11/11(火) 22:59:44ID:5Jul7b7J
礼法、作法に通じた武家で
伝承できた家が重宝されたのかな
家康公将軍任官で配膳役してることから推測する

206人間七七四年2008/11/13(木) 03:52:17ID:0vIZayDF
>>205
意外なところに顔を出すものだな。

207人間七七四年2008/11/16(日) 03:49:15ID:k0V2lzWM
>>205
朽木元綱の嫡子・宣綱が、家康の太政大臣任官の儀式にて配膳役を務めているね。
征夷大将軍に任じられた時となると・・・誰?

208人間七七四年2008/11/17(月) 23:26:29ID:EwqcUGxk
将軍、大臣勘違いじゃないの?
ただ朝廷、公家とのやりとり作法は
江戸時代でもわざわざ高家取り立てて
指導してもらうくらいだから
稀少だったかもしれないね
室町幕臣系かなり明智光秀に与して悲惨な結果なってるし

209人間七七四年2008/11/18(火) 11:38:22ID:8009mpa2
>>208
明智と朽木の繋がりってのもよく分からないね。

210人間七七四年2008/11/18(火) 12:12:11ID:lqqeJdsw
>>209
明智と朽木に直接の上下関係はなかった(と思う)けど
所領がご近所さんだし、なにかと繋がりはあったんじゃないかな
こんな曖昧な繋がりじゃだめか^^;

211人間七七四年2008/11/18(火) 13:21:34ID:xybM7AhT
明智か…謎だらけでわかんないや(汗)
ただ幕臣奉行衆、奉公衆どうしの絆は強かったみたいだな
幕臣系いっぱい抱えた細川家も
参勤交代の折りは朽木に挨拶は欠かさなかったとか
どこかのサイトでみたんだけど…
細川家一流の交際術かもしれないけどね

212人間七七四年2008/11/18(火) 13:42:39ID:qYuSc1P5
>>211
次第にその価値も薄れたんだろうけどな。

213人間七七四年2008/11/18(火) 13:56:44ID:xybM7AhT
>>212
細川家も有数の貧乏大名で有名だし
幕閣との付き合いで
手がいっぱいだっただろうしね

214人間七七四年2008/11/19(水) 07:08:20ID:dVd8PmfR
朽木家も分知を繰り返したから、財政的には厳しかったんだろうね。

215人間七七四年2008/11/19(水) 19:01:21ID:X12q8jYO
大身旗下が実際は武士階級では
一番余裕があったみたいじゃない
交代寄合基本的に無役だし
吉原で身を崩すのはこの階層が多いよ

216人間七七四年2008/11/21(金) 10:59:30ID:k5z1uGQz
>>215
しかし、知行取というのは凶作で収入激減なんて事態もあり得るからね。
そのあたりは蔵米、切米取りの方が安定している。
それでも基本的にベースアップがない階層だけに、市場経済の前には無力だったはず。

217人間七七四年2008/11/22(土) 21:22:51ID:r85TmFn6
朽木の場合、山間で新田開発が難しいから
鯖街道の商業税と木材座からの運上なんかがメインか
ただ飛騨の匠を抱えた飛騨奉行がかなり蓄財できる
美味しいポストだったみたいだったから
朽木もそんなに悪くないと思うよ

218人間七七四年2008/11/23(日) 18:58:18ID:XUOATh7f
>>217
安定収入ではあるけど、といって生産性が劇的に上昇する性格のものでも
ないしねぇ。

219人間七七四年2008/11/23(日) 19:33:10ID:kC0H/L0f
気候温暖、土地が豊かで開拓余力が有り
物流の動脈拠点で物資が豊富
換金特産物にも恵まれた
豊かな領地なんてあったのかいな
何かしら問題は抱えてるじゃまいか?

220人間七七四年2008/11/23(日) 23:26:29ID:u7eUPSog
>>219
尾張〜駿河くらいまではなかなかそんな感じでは?

221人間七七四年2008/11/24(月) 17:20:49ID:1pqaF6yv
>>220
濃尾平野と異なり、三河〜駿河というのは山と海に挟まれた土地だからなぁ。

222人間七七四年2008/11/25(火) 23:40:01ID:RXUuETFk
東海、関東大名はいいよな
でかい治水工事なんてほとんど外様の大名に
外注してもらってんだから
本来ならもっと豊かになってないといかんが
そんな話聞いたことないな

223人間七七四年2008/11/27(木) 18:50:33ID:GtyGun5N
関東はまだしも三河、遠江あたりは農耕面積がそんなにあるわけじゃないしねぇ。

224奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/11/27(木) 23:42:39ID:zrioAXz8
なんだかゲームマップを見ながらの書き込みに見える。

225人間七七四年2008/11/29(土) 18:51:34ID:7TAN3Ir/
>>217
米が取れない地域は、それ以外の収入を増やすしかないからなぁ。
朽木谷の場合は街道の通行権、商業権、林業に対する課税だけに安定的だったのかな。

226人間七七四年2008/12/01(月) 22:29:03ID:czrcFTjv
京都様様だな
大都市近くはそれなりの旨味があるからね

227人間七七四年2008/12/02(火) 17:58:37ID:bMPsKUZr
>>226
当時の京はどれくらいの市場規模を持っていたのかな。。。

228人間七七四年2008/12/02(火) 17:59:29ID:Xw7C+ne+
江戸以前は日本唯一の十万都市じゃないの?

229人間七七四年2008/12/03(水) 01:37:35ID:C0HJSLTX
>>228
問題は江戸期だね。

230人間七七四年2008/12/03(水) 02:47:32ID:bAxKNm7T
寛永十一年の洛中は410,089。
その後微減していって正徳五年で三十万くらいになる

231人間七七四年2008/12/04(木) 14:05:03ID:h85b7aFv
>>230
市場としては縮小傾向だったのね。。。

232人間七七四年2008/12/04(木) 14:22:54ID:78PWIz5U
武家社会の恩恵が受けられるところじゃないしねぇ。
むしろ、なぜ大都市で居られ続けたのかがよくわからんくらいだ。
まあ、それでも朽木さんとこにとっては十分広い市場だったんじゃないかしら。

233人間七七四年2008/12/05(金) 06:32:16ID:UTVrxvV8
>>232
京だけでなくその周辺への流通もあるのでは?

234人間七七四年2008/12/07(日) 00:36:50ID:xqQ7HyBB
前に福知山城に行ったとき、城内の展示物や説明文を見ていたら、結構はっきりした口調で
「関ヶ原の恩賞で福知山に転封されてきた有馬氏は苛政を行い領民を苦しめた。
その後、数代を経て福知山城主となった朽木氏は善政を行い領内を発展させた。」
という意味のことが書かれていた。

朽木と京極は、近江の名家同士で豊臣期の所領も近いけど、つながりあったのかな?
関ヶ原で、当初は大谷の北陸攻めに加わり、機を見て東軍に寝返りと同じ経緯をたどっており、
京極の裏切りが朽木元綱に影響を与えたのかと少し思った。

235人間七七四年2008/12/07(日) 16:27:53ID:M61moVS1
近隣勢力同士、互いに影響し合うことはあるでしょ。
実際、元綱の嫡子・宣綱の室は高吉女(マグダレナ)だし、宣綱の次子・高通が京極高知の
女婿になっているくらいで。

236人間七七四年2008/12/12(金) 01:33:58ID:NcntzUJN
婚姻は年齢的に関ヶ原前?

237人間七七四年2008/12/15(月) 00:28:39ID:NtUdrOEo
元綱と言えば、関ヶ原の役後、嫡子・宣綱と共に瀬田橋の修造奉行に任命され、
これを無事成功させている。
父子が家康、秀忠に近侍できたのはこの瀬田橋の修造が評価されたからとも
言われている。

238人間七七四年2008/12/17(水) 12:57:39ID:wP5h2QQW
越前とか伊勢の太閤検地してたり
豊臣直轄領の代官してるから
民政に精通してたタイプだったんでしょう

239人間七七四年2008/12/18(木) 22:10:29ID:opQBxiET
>>238
あれ?罷免されなかったっけ?

240人間七七四年2008/12/22(月) 03:28:30ID:mFls7xd8
>>238
武功は聞かないなぁ。

241人間七七四年2008/12/22(月) 09:00:18ID:v0FMutYU
一族に三好三人衆に義輝が殺された時、討死したやついなかったっけ?

242人間七七四年2008/12/22(月) 16:04:59ID:rrwcNB2j
宮本昌孝の小説には朽木鯉九郎という人物が出て来るけど
モデルは晴綱の弟の直綱や輝孝辺りかな。

243人間七七四年2008/12/23(火) 17:16:18ID:EBa1vkON

244人間七七四年2008/12/24(水) 01:54:19ID:SS6ed8tx
>>240
三好勢が京の足利義昭を襲撃した際、防戦にあたったとされているが
それ以外はあまり聞かないね。
関が原後、忠節を示すために戦ったという記録はないのかな?

2452422008/12/24(水) 15:31:48ID:nbzakFlr
>>243
thx
>>241宛のレスのつもりでしたが、やはり三人の誰かがモデルなのでしょうね。

246人間七七四年2008/12/25(木) 20:04:58ID:PiCC4RgE
>>244
兵力が兵力なので。。。

247人間七七四年2008/12/28(日) 17:17:37ID:jfRSnrf3
佐和山城攻撃に参加しているが、果たして軍功と言えるものかねぇ。

248人間七七四年2008/12/31(水) 06:02:06ID:n0N53Yjp
関ヶ原での足取りと追うと・・・

伏見城攻撃に参加
     ↓
大谷吉継の軍勢に加わる
     ↓
京極高次を西軍に誘うも失敗
     ↓
関ヶ原本戦にて東軍に寝返り、大谷吉継を攻撃
     ↓
佐和山城攻撃に参加

何かフラフラしてますなぁ・・・

249人間七七四年2008/12/31(水) 07:00:47ID:4NSdVyME
近江にあって東軍につくってのは判断は、まぁ無理だよな
だからそこ京極は家康に手厚く迎えられたわけだけど……

250人間七七四年2008/12/31(水) 07:29:14ID:PCq7/6RT
むしろ東軍についた京極の方が英断ですわな。
しかも、あまり籠城戦に適さない大津城で集中攻撃に耐えなければならない。
朽木が同じことをしたらサッサと蹂躙されて終わり。
西軍に加わったのはある意味、妥当な判断ですよ。
脇坂のように裏工作をしていれば、本領の2万石をそのまま安堵されていたのでしょうけど。

251人間七七四年2008/12/31(水) 15:56:49ID:IBEKTPJH
「磯野家の野望」では、磯野家重臣ですよ>元綱

252人間七七四年2009/01/01(木) 01:19:56ID:wzvpWWWD
>>251
またマイナーな。。。

253人間七七四年2009/01/06(火) 02:26:16ID:DRDAzlZs
>>251
磯野の配下だった時期もあるしね。
俺は朽木プレイの時は京極さんは拾ってやるぞ、同族だしな。

254人間七七四年2009/01/06(火) 23:44:38ID:qnKNEzkc
>>253
六角、姉小路、尼子は?

255人間七七四年2009/01/07(水) 01:16:29ID:k7CsItco
群雄割拠の近畿にあって
明治の世まで残ったのは京極と朽木だけ。

256人間七七四年2009/01/10(土) 03:39:49ID:9YiZKpqH
朽木家の被官って殿原衆と呼ばれてたけど
殿原衆って禅を信仰する在地郷士も
そう呼ばれてたから
関係性あるのかい?

257人間七七四年2009/01/27(火) 01:16:25ID:Erzl4ojq
>>255
京極は改易された家もあるしねぇ。。。

258人間七七四年2009/01/29(木) 01:29:51ID:Sg6h2zQZ
京極高通

259人間七七四年2009/02/01(日) 01:50:05ID:FnUWgRJ6
>>258
それが何か?

260人間七七四年2009/02/01(日) 17:23:20ID:fJ+ir1q+
俺も先祖をたどっていけば

261人間七七四年2009/02/02(月) 12:38:03ID:+wS1/r6Q
>>260
百姓でしょ、どうせ。

262人間七七四年2009/02/06(金) 04:25:04ID:HGdrTgMN
「百姓」というのは氏も出自もある立派な身分階層だぞ。
江戸期に農民が基本的に自営農家になるまでは、百姓と言えば、下人を使って自分の農園を経営する
農村の上流階層。「百姓様」と呼ばれていた。

263人間七七四年2009/02/07(土) 21:55:42ID:NCN64zGa
>>262
君の場合は小作人でしょ?

264人間七七四年2009/02/07(土) 23:34:22ID:VbB5QbqY
先祖辿って小作人しかいないとか、それはそれで凄いことだと思うw

265人間七七四年2009/02/09(月) 14:02:18ID:+nb8y9Ml
>>264
今も小作人のようなものでしょw

266人間七七四年2009/02/10(火) 03:43:13ID:n3bkN3lB
ねえねえ、君ら、何の話してるの?

267人間七七四年2009/02/10(火) 04:06:14ID:5wOCLpOe
そういや京都に京極って友達いたな
やっぱり関係あるのかな?

268人間七七四年2009/02/11(水) 15:13:15ID:8EQgB9cz
朽木さんの子孫ってどこにいるんだろうね?

269人間七七四年2009/02/11(水) 23:52:44ID:N8riY1fr
いらっしゃるようです。

ttp://www.kisnet.ne.jp/~matikado/kutuki01.html
>朽木家研究のためにこのほど福知山市へ転居してきた朽木家直系子孫の
>朽木 彰さんから寄託を受けた新資料も一部展示した。

270人間七七四年2009/02/14(土) 16:15:51ID:zr+OyLO8
>>269
もう「○綱」ではなくなっているんだね。

271人間七七四年2009/02/14(土) 17:47:16ID:GZgReSWo
ここまで続くとかぶりまくると
ひこにゃんの実家筋の分家さんも
困ってたなぁ

272人間七七四年2009/02/16(月) 14:06:14ID:840lsEAP
朽木村って野生の鹿が多いよね。

273人間七七四年2009/02/17(火) 18:42:23ID:luPZKN1G
冬は多い

274人間七七四年2009/02/18(水) 03:39:39ID:b00R3fvU
>>271
名前もいい加減、ネタ切れするよね。

275人間七七四年2009/02/21(土) 02:46:46ID:33XdexhL
>>274
江戸時代の後半にもなると、結構変な字を当てた諱が増えてくるからね。

276人間七七四年2009/02/21(土) 08:53:14ID:0mcq+SyO
その時代の流行とかは……無いか。

277人間七七四年2009/02/25(水) 16:48:44ID:VeZTkEFI

278人間七七四年2009/03/01(日) 17:37:39ID:R5kUEMUb
しかし、朽木家って分知を繰り返し、やたら枝分かれしてるのね・・・
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kukki.htm

元綱━━━┳━━━宣綱━━━┳━━智綱
近江高島. ┃..    6,470石..  ┃   4,770石
9,950石..  ┣━━━友綱.    ┣━━高通
.       ┃..    3,010石.  ┃   (峰山藩)
.       ┗━━━稙綱.    ┣━━良綱 
...            (福知山藩).┃   1,000石
..                    ┗━━元綱
                          700石 

279人間七七四年2009/03/02(月) 01:35:09ID:YPaXxp1L
>>278
曾祖父、祖父と同じ名前を名乗ってるし・・・稙綱、元綱

280人間七七四年2009/03/02(月) 04:10:18ID:wjjCBI8h
>>278
高通って、通字の「綱」が無いね。
他家からの養子でも無さそうなのに不思議だな。

281人間七七四年2009/03/02(月) 17:37:04ID:Vzl8+eZ8
京極高知の養子になったからです。

282人間七七四年2009/03/03(火) 21:20:40ID:Z0zyuwAX
高知から見ると甥になるのかな?

283人間七七四年2009/03/03(火) 22:23:03ID:xQ3ArbLX
>>281
京極家に入る前の諱は何だったんだろ?

284人間七七四年2009/03/04(水) 04:24:10ID:A3Thhkje
>>283
不明。
幼少の頃に京極家に入ったのかな?
秀忠の小姓になっているけど、当時であれば朽木家の庶子でも秀忠に
近侍できただろうし。

285人間七七四年2009/03/04(水) 10:38:52ID:LPpgP+iw
嫡流は分知を繰り返して知行を半減させていったものの、
宣綱弟の稙綱、宣綱次男の高通と明治維新まで続く大名家を
派生させただけでも、並の交代寄合とは一味違うな。

286人間七七四年2009/03/05(木) 19:09:31ID:AHaYIq5N
高通と稙綱はほぼ同年配なんだね。

朽木元綱 1549〜1632年
  ┃
  ┣━━ 宣綱 1582〜1662年 ※寛文地震により近江国朽木にて死去
  ┃     ┃
  ┃     ┣━━智綱
  ┃     ┣━━高通 1603〜1666年
  ┃     ┣━━良綱        
  ┃     ┗━━元綱        
  ┃     
  ┣━━ 友綱 1599〜1662年 
  ┃
  ┗━━ 稙綱 1605〜1661年

287人間七七四年2009/03/05(木) 22:03:05ID:Plhrnb4y
元綱56歳の時の子か>稙綱
随分とお盛んなこった。

288人間七七四年2009/03/05(木) 23:02:18ID:oByePbhk
>>283
高綱だよ

289人間七七四年2009/03/06(金) 03:25:14ID:Q6F5VMCJ
>>288
「高」は京極家の通字なんだが、最初から養子入りすることでも決まってた?

290人間七七四年2009/03/06(金) 04:55:24ID:moCLrG8X
>>289
朽木家の嫡流は長子・智綱がいるし、それ以外の男子もいる。
分知するにしても宣綱自身、知行は6,470石しかない。
とすると、宣綱が妻の実家である京極家に働きかけ、京極一族として秀忠の小姓に
送り込んだのかも知れないね。

京極高知としても、秀忠治世下での厳しい大名統制を見るに、丹後一国の国持大名
の地位を保てるとは考えていなかったのでは?
高広、高三に秀忠の小姓であった甥の高通を加えることで、丹後を三分割し、リスク
の回避に努めたのかも知れない。

291人間七七四年2009/03/07(土) 23:31:09ID:3USZoqf9
>>290
他大名がドシドシ改易されていたしね。

292人間七七四年2009/03/08(日) 01:48:55ID:QI2KQEQw
丹後京極氏も宗家は改易されたしな。
後年、2,000石の旗本(高家)として再興してはいるが。

293人間七七四年2009/03/08(日) 13:13:06ID:3uEBNyzQ
高知も強かだからなぁ。
義父・毛利秀頼の遺領(南信・飯田)の大半を相続しているし。
秀頼の嫡子・秀秋は1万石を相続したのみ。
おそらく姉・松の丸殿と義姉・常高院の働きかけがあったんだろうけど。

294人間七七四年2009/03/08(日) 23:10:38ID:8xfhALQn
秀秋はその後、大坂の陣で豊臣方についてあぼ〜ん・・・

295人間七七四年2009/03/09(月) 16:40:41ID:vBbQwBq1
地味だが手堅いなぁ

296人間七七四年2009/03/10(火) 14:27:52ID:IPwy1u/8
元綱の肖像画って見たことないね。

297人間七七四年2009/03/11(水) 12:21:18ID:FZ6AQWu2
>>296
ttp://s3.amazonaws.com/cogolo_faces/%E6%9C%BD%E6%9C%A8%E5%85%83%E7%B6%B1/imgs/www.ikedaya.com/images2/nobukatsus/bakufu/kutsuki-mototuna.jpg

298人間七七四年2009/03/11(水) 20:48:42ID:g3Hmcfc9
>>297
顔グラやんけ。。。

299人間七七四年2009/03/14(土) 12:54:43ID:qG1hgtBS
>>286
>宣綱 1582〜1662年 ※寛文地震により近江国朽木にて死去

当時で81歳ってのもエラいご長寿だなぁ。
地震で死ななければどんだけ長生きしていたんだよ。

300人間七七四年2009/03/14(土) 13:05:01ID:9+glQ5G+
戦国から江戸時代生き残った武家は
長寿に恵まれた人物を輩出できたとこが
多いのよねん

301人間七七四年2009/03/14(土) 13:22:23ID:dcUZiu9M
血統値の高い保守派が居れば分裂しにくいし
上の代から認められた知行は貰った本人が生きてる間は取り上げにくいし

死んだら手をつけるかと思ってる方が先に死んじゃうからな

302人間七七四年2009/03/16(月) 01:18:16ID:EkZICQwf
>>300
逆に平和な世になると軟弱になっていく。

303人間七七四年2009/03/18(水) 17:20:43ID:We9P4seV
下級層ほど逞しい

304人間七七四年2009/03/24(火) 17:04:17ID:5xh04OHV
江戸期のブランド・朽木盆知って 
高島の男性、全国から100枚収集

ttp://www.kyoto-np.co.jp/static/2009/03/17/P2009031700054.jpg
各地を回り10年がかりで集めた朽木盆と石田さん(高島市朽木市場)

江戸時代全国に名を知らしめた高島市朽木の特産品で漆絵盆の「朽木盆」を収集している男性が同市にいる。
県外の骨董(こっとう)業者が買い集め地元にはほとんど残っていなかったが、「里帰りさせたい」と10年ほど
前から金沢や岡山、京都などの骨董店からこつこつと買い求め約100枚になった。
「朽木でも朽木盆は知られていない。できるだけ公開していきたい」と話す。
高島市教委朽木村史編さん室編纂監の石田敏さん(62)=同市朽木市場。朽木盆は、江戸時代、大名から庶
民までが愛用し非常に人気があった。
黒漆地の丸盆に朱漆で十六弁菊や草花模様を描いた盆が代表的で、1675(延宝3)年には松尾芭蕉が「盃の
下ゆく菊や朽木盆」と詠んだほか、名物茶器収集家として知られた松江藩主・松平治郷が1枚1650両で購入し
たとの記録もあるなど、江戸時代前期には全国ブランドになっていたという。朽木の木地師は明治中期に廃業し
たといわれる。
石田さんが初めて朽木盆に出会ったのは1978年。朽木中の担任として家庭訪問したとき、使われていた。
「これが朽木盆か。地域で観賞できるように戻したいと思った」。
朽木にはすでになく、岐阜、神戸、大阪、県内などの骨董店で買い求めた。
集めたものは直径が9−36センチ。菊文菓子皿も多い。石田さんは「江戸時代、卓越した技と斬新な絵で垂ぜ
んの的だった。今は、骨董ブームで何でも朽木盆の名で売られている」と危惧しながら、地元の歴史遺産の保
存活動を続けている。
ttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009031700054&genre=K1&area=S10

305人間七七四年2009/03/29(日) 19:42:11ID:JwoSZDmg
特産品も地味なのかw

306人間七七四年2009/03/29(日) 19:46:37ID:LGFoVp3W
>>297
うほっ、いい男。

307人間七七四年2009/04/02(木) 17:17:52ID:ONrF6Vs2
違うから。。。

308人間七七四年2009/04/09(木) 04:05:28ID:t/o8e9Ce
肖像画とか無いんでしょ?

309人間七七四年2009/04/10(金) 18:51:47ID:spSR4VF6
位牌はあるんじゃない?

310人間七七四年2009/04/11(土) 20:36:32ID:d4PZiR/g
菩提寺に行けば何かあるかも知れませんね。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
興聖寺(高島市朽木岩瀬)
ttp://www.aiai-work.com/hitoaruki/shiga247/img247/247_1.jpg

曹洞宗高巌山興聖寺の旧秀隣寺庭園を訪れた。
国の名勝指定の池泉回遊式庭園で、1530年、朽木稙綱(たねつな)を頼って室町幕府12代将軍
の足利義晴が滞在した際、作庭したとされる。
「本当ならば、足利庭園というほうがぴったりくるのですが」と副住職の森泰孝さん(56)。
国道沿いの看板にも、足利庭園と表示されている。
作庭当時は付近に秀隣寺があったため、先々代が旧秀隣寺庭園と名付けたそうだ。
秀隣寺がやや北側の朽木野尻に移転した後、江戸時代に興聖寺がここに移転してきた。
同寺の開基は朽木家の祖である佐々木信綱で、代々朽木家の菩提寺となっている。
ttp://www.aiai-work.com/hitoaruki/shiga247/shiga247.html

311人間七七四年2009/04/15(水) 21:28:10ID:1ZUJeFJi
朽木家というだけで萌えてくる。。。

312人間七七四年2009/04/29(水) 14:40:02ID:ICDS0Jzc
>>311
そうかな

313人間七七四年2009/05/05(火) 01:32:19ID:74kdJZ6M
足利家の従属大名として慎ましやかに暮らす。

314人間七七四年2009/05/06(水) 12:40:24ID:zEb0joSR
>>313
足利氏をかくまった家として有名なのだが。

315人間七七四年2009/05/19(火) 12:15:14ID:Zpr6Ixzy
だって将軍家の御料所を預かっていたわけでしょ?

316人間七七四年2009/05/28(木) 01:02:01ID:5R4kqFwV
足利家から離れるタイミングも絶妙

317人間七七四年2009/06/11(木) 18:27:33ID:HbE1upSO
裏切りなんて別にどうってことないでしょ。

318人間七七四年2009/06/12(金) 19:21:47ID:o1os9BSb
小豪族が忠義だの義理だの立てていたら生き残れないですよ。
生き延びた側が正義になる。

319人間七七四年2009/06/13(土) 15:48:04ID:DvSpjJiN
Kyoto Shimbun 2009年5月29日(金)
湖北ゆかりの新収蔵品公開
あすから長浜城歴博

ttp://www.kyoto-np.co.jp/static/2009/05/29/P2009052900081.jpg
下間家伝来の火縄銃(上)と大身槍(中)と朽木元綱にあてた片桐且元の書状(下)

滋賀県長浜市公園町の長浜城歴史博物館の「新収館蔵品展」が30日に始まる。
東本願寺の坊官を務めた「下間家」伝来の大身槍(おおみやり)や火縄銃、湖北出身の戦国武将・
片桐且元の書状など、昨年度に購入、寄贈を受けた17件、21点を紹介する。
「大身槍」(室町時代後期)は刃長が約50センチあり、鞘(さや)に漆塗り、柄に螺鈿(らでん)を施し
た豪華な造り。稲富流の火縄銃とともに下間家から寄贈された。いずれも石山本願寺と織田信長と
の合戦で使われた可能性があるという。

片桐且元書状は、豊臣秀頼の家老だった且元が1610年5月、近江出身の大名朽木元綱にあてた。
駿府(静岡市)で徳川家康や秀忠と面会した様子などが記されており、且元が徳川方との協議の折
衝役を担っていたことを示す史料として興味深い。
大通寺の第9代住職能満院達位が描いた「牡丹(ぼたん)図」(江戸後期)や、国友鉄砲鍛冶の国友
戸十郎が鉄砲伝来の経緯を考察した書物など、長浜ゆかりの資料がある。6月22日まで。
入館料は高校生以上400円、小中学生200円。
ttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009052900081&genre=I1&area=S20

320人間七七四年2009/06/13(土) 18:33:55ID:fismJE19
久々の登場ですね。

321人間七七四年2009/06/17(水) 14:46:03ID:3bts4XeB
且元と朽木元綱の繋がりってどんなもんなんだろ?

322人間七七四年2009/07/01(水) 07:11:35ID:xTakTh1C
知らんがな。。。

323人間七七四年2009/07/05(日) 01:13:35ID:gxMhLUXl
話題・・・変えます?

324人間七七四年2009/08/08(土) 12:58:06ID:346UPapB
良スレですね

325人間七七四年2009/08/13(木) 02:12:17ID:lgeyFYHb
>>269
福知山朽木家直系の人だね
血統的には慶喜の曾孫
しかも慶喜のクロスもある

本家子孫のことはなんかの本で読んだけど
題名とかわからない
朽木村近辺のゴルフ場勤めだとか

326人間七七四年2009/08/15(土) 18:36:48ID:Bi1xgVbh
>>325
本家の方は朽木家文書を所蔵されていたはず。
名前にも通字の「綱」がついている。

327人間七七四年2009/09/12(土) 07:52:57ID:3FSEZ9Ku
良スレ

328人間七七四年2009/10/18(日) 00:08:30ID:68xnLxy4
戦国の名家

329人間七七四年2009/10/18(日) 07:34:08ID:iTVzJ3GT
最低の武将

330人間七七四年2009/12/07(月) 18:30:04ID:06GQaX7a
元綱の「元」は、細川昭元からもらった?

331人間七七四年2009/12/07(月) 21:10:22ID:gSRA+HIS
巧木と新庄の本能寺の変の時の行動が解らん
解る方いますか?

332人間七七四年2009/12/07(月) 23:57:42ID:wm3wuHqr
朽木谷のある高島郡が磯野員昌の出奔で津田信澄に移った時に
元綱も信澄の寄力になってたはず
近所に光秀の本拠地があるから本能寺の時は厳しそうですよね
よく知らんけど
その後潰されなかったのは信澄の仇討ちで信孝相手に張り切ったのかもしれんね

333人間七七四年2009/12/08(火) 03:49:54ID:UXGzfjnC
>>331-332
四国攻めに参加予定で、信澄や信孝・丹羽と一緒にいたって事かな?

334人間七七四年2009/12/08(火) 09:10:19ID:ojunoXM1
金ヶ崎の退き口で信長を助けたのって史実なの?

335人間七七四年2009/12/29(火) 16:07:33ID:LV9Ann1Q
>>334
助けたというより抵抗しなかっただけじゃないの?

336人間七七四年2010/02/07(日) 01:05:10ID:E/UIweaX
朽木村の管理釣り場でニジマス釣って食ったことはあるけど
朽木元綱なんて知らんな。

337人間七七四年2010/02/07(日) 01:58:51ID:jjPY6Mif
ヘボい雑魚武将か

338人生七七四年2010/02/07(日) 12:49:54ID:8ScFxoKC
結局一番派手な場面が評価につながるのかな

339人間七七四年2010/02/12(金) 17:18:45ID:HwPinfNy
>>337
あの時代に生き残れただけでも並ではないと思うのだが。

340人間七七四年2010/02/13(土) 02:26:25ID:H9g4Kupn
>>339
しかもポッと出の織豊大名というわけでもなく、室町将軍の奉公衆をつとめた佐々木氏流の
名門だもんね

341人間七七四年2010/02/14(日) 20:16:59ID:9ozejsnr
というか武将ってのは兵を束ねて率いて戦う存在なわけで
それを雑魚とか言うのはそれをゲームのキャラみたいにしか見れてない証

342人間七七四年2010/02/21(日) 01:54:36ID:8sJuDnc/
裏切りや謀反の裏で罪無き人々が見懲らしの磔
にされているのを忘れてはならない。
尋常な殺し方ではないぞー
長い時間をかけ恥辱に塗れた嬲り殺しじゃー

343人間七七四年2010/02/21(日) 06:56:32ID:hK0LlGq4
1石が150kgで10kg2000円とすると
1万石で3億円くらい4:6としても1.2億円
当時の米の取れ高が2000万石これにいろいろ加味して
だいたい10倍をGDPとすると2億石に現在のGDP500兆円当てはめると
1石あたり 25万 1万石で 25億 4:6で 10億円
1万石で200人くらいの動員数と考えて、 

344人間七七四年2010/03/06(土) 19:51:56ID:Ht3AjzLj
>>340
じゃ、佐々木氏の流れを汲む連中がどうなったかと言えば・・・

345人間七七四年2010/03/07(日) 09:52:28ID:aJNaADJW
六角義治の系譜は旗本だろ?
但し、佐々木に復姓してはいるが。

346人間七七四年2010/03/13(土) 01:58:14ID:vqjUV4Lw
>>345
高家の六角氏は別物だったしね。

347人間七七四年2010/03/18(木) 14:52:24ID:DhGrwFnl
藤原流

348人間七七四年2010/03/20(土) 19:15:59ID:bcCu8EJ7
叔父たちって誰?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
生年:天文18(1549)
没年:寛永9.8.29(1632.10.12)
戦国時代の武将。父は晴綱。母は飛鳥井雅綱の娘。
三好長慶と対立した将軍足利義輝が天文20(1551)年より1年足らず,さらに同22年より4年余りを
朽木氏の本領朽木谷(滋賀県朽木村)で過ごした際,叔父たちがこれに近侍。元綱は義輝暗殺後
の永禄11(1568)年,足利義昭から所領を安堵された。元亀1(1570)年,越前朝倉義景を攻めた織
田信長が浅井長政の寝返りにあって退路を阻まれた際,朽木越えで京都に導くなどの功績をあげ,
信長,次いで豊臣秀吉に仕えた。文禄4(1595)年,高島郡蔵入地の代官を務める。慶長5(1600)年
の関ケ原の戦では最初石田三成方に属したため,朽木荘など9595石の安堵にとどまったが,その
後徳川方として大坂の陣に参加。中世以来の所領を維持し,近世大名への道を開いた。
(石田晴男)
http://kotobank.jp/word/%E6%9C%BD%E6%9C%A8%E5%85%83%E7%B6%B1
(石田晴男)

349人間七七四年2010/03/20(土) 19:36:01ID:kZCHWNVs
>>348
藤綱とか輝孝とか何人かいる模様。まあ、諱から察しはつきそうだな

350人間七七四年2010/03/27(土) 20:39:38ID:pvhoCW4n
しかし、地味ですなぁ。
幕府への貢献度は高いのに。

351人間七七四年2010/03/28(日) 18:50:19ID:Vfkr3Qv5
>中世以来の所領を維持し,近世大名への道を開いた。

維新まで父祖伝来の朽木谷を支配したのだから稀有な存在だよね。

352人間七七四年2010/03/31(水) 13:16:52ID:gH1u1IQ0
>>351
他は相馬や島津ぐらいか。

353人間七七四年2010/03/31(水) 13:41:47ID:g/wGZDkA
相馬は下総相馬荘、島津は日向島津荘を失っている

354人間七七四年2010/04/01(木) 18:18:49ID:4UHqMfzi
まあ、日向島津荘は島津荘の一部だし

355人間七七四年2010/04/04(日) 19:43:58ID:Sa3KmiUT
朽木宗家が交替寄合だったというのもあるのでは?
幕府は領主と領民の結びつきを嫌い、大身の旗本ですら生涯数回程度しか
領土に端を踏み入れられなかった。
交替寄合は参勤交代のある家柄。
といって大名ではないので転封の対象に挙がることもなく、島津家のように
軍事的脅威でもない。
微妙なところに根を下ろしたという印象。

356人間七七四年2010/04/14(水) 16:47:53ID:yWI+aBBg
多羅尾家もそうだね。

357人間七七四年2010/04/20(火) 23:54:31ID:UNRnM/Jj
山名禅高さんの家系も交替寄合

358人間七七四年2010/05/01(土) 17:40:31ID:JiZ0Qiac
山名家も7,000石弱の御大身ですからね。

359人間七七四年2010/08/15(日) 07:23:12ID:3pgvVkkS
保全

360人間七七四年2010/10/23(土) 01:08:17ID:KtXBL61P
保守

361人間七七四年2010/12/09(木) 13:51:34ID:zCgrehtg
関ヶ原では、元綱は最初から東軍に通じてたんだっけ?

362人間七七四年2010/12/09(木) 18:58:15ID:UYq10lam
大谷も4将が揃って裏切るとは思ってなかったろうに

363人間七七四年2010/12/13(月) 13:59:57ID:Ir0Vs+U4
>>361空気読んで裏切ったんだろ
小早川は15000も兵隊いるんだから
裏切りは保身からだろ

364人間七七四年2010/12/13(月) 20:42:53ID:ShF/h2/j
>>361
>>363
脇坂と朽木は事前に書状出してたようだ
http://blog.livedoor.jp/mansaku21/archives/50606786.html

365人間七七四年2010/12/13(月) 21:10:20ID:QjzWCrDE
このスレをたてた奴おれは嫌いじゃない

366人間七七四年2010/12/14(火) 01:16:18ID:luKfjtOE
元綱の叔父兄弟の子孫は?

367人間七七四年2011/07/10(日) 01:21:58.84ID:VGvQGR8/
沢山いるよ

368人間七七四年2011/09/15(木) 00:23:03.76ID:Y4wp/Bh5
おかんの旧姓がこれ。家紋も四目結。
じーちゃんは「うちは宇多源氏佐々木氏の末裔」ってよく言ってた。
熊本だけどね。www

369人間七七四年2011/11/03(木) 02:42:02.55ID:PnucCXXN
369

370人間七七四年2011/11/03(木) 07:04:41.78ID:g66xTW2q
近所の黒田さんとこが確か佐々木氏名乗ってたよね

371人間七七四年2012/01/09(月) 14:07:07.47ID:1UZx6cI9
>>368
関東や東北にもいるみたいだし、結構広がってるね。

372人間七七四年2012/06/11(月) 11:43:23.04ID:fvxs281x
元亀元年(1570年)の朝倉攻めにおいては松永久秀の説得を受けて織田信長の京都撤退
(朽木越え)を助けて、その後は織田家に仕え、信長麾下として磯野員昌、その追放後
は津田信澄に配されているが、天正7年(1579年)には代官を罷免されているので、信
長からの厚遇は受けていなかったようである。

373人間七七四年2012/06/11(月) 17:23:55.90ID:IxJGO6NY
幕府側用人朽木民部少輔あげ

374人間七七四年2012/06/13(水) 01:57:29.99ID:vQpNanRp
関ヶ原の戦いでは、当初は大谷吉継に従って西軍に属したものの、小早川秀秋に呼応して脇坂安治や小川祐忠、赤座直保らと共に東軍に寝返った。戦後、通款を明らかにしなかったとの理由により減封(9,590石)されたが、のち大名に復帰

375人間七七四年2012/06/13(水) 22:37:51.68ID:vQpNanRp
朽木元綱の死後、遺領は3人の息子に分割したために、朽木宗家は大名の資格を
失って旗本となった。後に末子の稙綱が3代将軍徳川家光の信頼を
受けて大名として取り立てられたために、嫡流よりも庶流のほうが所領が上回るという現象が起きている。

376人間七七四年2012/06/14(木) 22:41:59.89ID:BQ1uAtf3
朽木晴綱の子、母は公卿・飛鳥井雅綱の娘

377人間七七四年2012/07/01(日) 05:26:50.64ID:SVlSyARz
>朽木元綱の死後、遺領は3人の息子に分割したために、朽木宗家は大名の資格を
>失って旗本となった。

なんと勿体ない

378人間七七四年2012/07/16(月) 02:55:40.06ID:Ny3gx4oR
貧乏小大名より豪旗本×3の方が後々は勝ち組と言えたり

379人間七七四年2013/09/02(月) 21:36:35.22ID:FzM2hD3w
あけましておめでとう。

380人間七七四年2014/09/05(金) 13:34:02.72ID:1qnKptMK
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381人間七七四年2015/12/22(火) 00:41:56.51ID:byOHxhYO
元綱の父親晴綱はなして高嶋越中と戦ったの?討死って相当な激戦だったと思うけど
ついでに、この高嶋越中は佐々木越中氏嫡子家とは違う一族なんですか?

382人間七七四年2016/06/25(土) 23:55:32.38ID:cQ7IzWD7

383人間七七四年2017/04/03(月) 11:26:27.36ID:gMmjNMAY
age

384人間七七四年2017/04/29(土) 03:00:54.68ID:IJE3DRyy

385人間七七四年2017/04/29(土) 03:35:04.71ID:Fs4zwP0l
>>384
これ割とビックリしたわw信長政権下で気が気じゃなかったろなこの手紙が露見してたらって思ったら

386人間七七四年2017/04/29(土) 06:31:08.28ID:+Fj57PwH
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170428-00010001-fukui-l18

こっちのリンクだと意訳みたいなものも載っててもっと詳しくわかる

387人間七七四年2017/04/29(土) 14:33:28.94ID:IB2iwxox
朽木は代々将軍家を匿ってた家柄だから義昭蜂起に付き合うだろうなと思ってたわ
しかし凄いな

朝倉氏滅亡5カ月前の書状発見 朝倉義景、浅井氏らと「反織田信長」連携
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/120100.html
(福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館)

県外の個人蔵で、昨年同館に持ち込まれた。
書状は同館で4月29日〜5月31日に展示する。

◆朝倉義景の書状・意訳◆
将軍義昭様が織田信長に敵対されたことについて、あなた(朽木元綱)も従われるとの
こと、殊勝に思います。特に道中の通行の安全について御約束いただき大変安心しまし
た。そこで昨日11日に敦賀へ出陣しました。今後は浅井としっかり詳細を確認しながら、
義昭様の意向に従い行動します。問題のないよう皆で相談し道中の守りをしっかりとし
ましょう。詳しくは使者の鳥居兵庫助(景近)と高橋新介(景業)が申し上げますので、
よろしくお願いします。

388人間七七四年2017/04/29(土) 18:49:33.78ID:NGgRwBpc
松永爆弾嬢も元綱も幕臣はわりかし信長に楯突いてたんかな
しかし関ヶ原西軍→安堵の時より際どいなw

389人間七七四年2017/05/02(火) 17:56:07.61ID:yriTwDaQ
72年に湖西の高島越中、田中氏は信長にやられたらしいけど、その一年後に信長に反抗してたってかなり気骨ある

390人間七七四年2017/12/07(木) 12:12:05.79ID:KydhnfBA
なろう転生歴史小説で1位取った作品が
本になったらしい

https://www.amazon.co.jp/dp/4864726272

391人間七七四年2017/12/10(日) 16:19:39.23ID:ufdOiEGV
元のweb小説はこっち

https://ncode.syosetu.com/n9975de/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

392人間七七四年2017/12/10(日) 20:19:45.55ID:S9818gQg
>>390
興味ある
けど朽木の山奥って琵琶湖の海なイメージあんまねえよな

393人間七七四年2018/02/10(土) 23:54:17.45ID:1vaKM3Qz
藤堂高虎を通じて寝返りを約束。
陣中から家康に書状を送って寝返りを約束するも、戦後、家康に「いても、いなくても変わらん」と軽んじられて1万石減封。まあ、改易された赤座や小川に比べればマシか。

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