戦国時代のキリスト教について語る

1人間七七四年2010/11/08(月) 00:05:25ID:+YnwiE1/
戦国時代の日本に渡来して来た、キリスト教について色々語りましょう。

2人間七七四年2010/11/08(月) 00:06:43ID:sC8y4wwQ
この手のスレは荒れるこが多い。
小西行長とかのスレでも荒れたしな。

3人間七七四年2010/11/08(月) 00:07:47ID:xkOMCjHD
宣教師が「寺や神社を見たら放火しましょう」と信者に本気で教えてた。

4人間七七四年2010/11/08(月) 01:58:36ID:wZW+u66K
叡山焼き打ちの際のフロイスの喜び様はドン引き

5人間七七四年2010/11/08(月) 02:01:00ID:O4rsg0rZ
>>1
とりあえず彼らの著作物を持って来いよ

6人間七七四年2010/11/08(月) 10:46:37ID:k63bE4oe
ロドリゲス『日本語小文典』の第一部・第二部の睡眠導入率の高さは異常

7人間七七四年2010/11/12(金) 17:23:17ID:PcXV9XOf
イエズス会vsドミニコ会&フランチェスコ会&アウグスティノ会の信徒獲得マッチは
無効試合の上全員追放&処刑と相成りました

8人間七七四年2010/11/12(金) 19:45:02ID:KZJpC07f
残っている記録とかを見ると、宣教師って俗物だと思うよなぁ。

9人間七七四年2010/11/12(金) 20:38:12ID:O93WgZFE
お寺とかに放火してたりな…
ヨーロッパのやり方は野蛮

10人間七七四年2010/11/12(金) 21:29:21ID:Pcp9T+QH
宣教師はヨーロッパの進んだ医術で治療を行ない信者を増やした→ウソ
日本人は宣教師のもたらす最新の文化や文明に憧れた→ウソ


実際は
キリスト教の病院で働いていたのは日本人医師。当然医術も日本のもの。
キリスト教は「戦場での弾除けにきく」等の迷信そのものとして広まった。

11人間七七四年2010/11/12(金) 23:40:39ID:rgY24ZoY
最新医術が嘘っぱちってのはどっかで聞いたな
何かしらん聖水持ち出して「コレ病ニキクヨー」でボロい商売だったとか何とか

12人間七七四年2010/11/13(土) 03:58:05ID:aMgzOzw1
西洋文化=最進文化というのがこの時代には当てはまらないというのが正しいんだな
新しい異文化には違いないんだろうが過剰にほめそやすほどのもんでもないな
後の蘭学興隆の時代みたいに日本人が率先してむこうの学問を会得しようとする体勢ができれば良かったけど
宣教師はそういう学問を司祭志望の学生にしか教えなかったからね
まあ異教徒より人としてのレベルが上だと信じて疑わない連中がキリストへの帰依抜きでそんなことするわけないか

13人間七七四年2010/11/14(日) 04:31:15ID:Dspvzqj0
戦後の日本はキリスト教批評が実質許されていないというのは本当なの?

14人間七七四年2010/11/17(水) 01:32:47ID:DdMCpnr/
>>13
聞いたことないはなしだな

15人間七七四年2010/11/17(水) 01:45:20ID:n6eNo6Df
大友も小西も神社、寺を破壊・放火しまわった。
近い未来に両家一緒に取り潰し。

恐ろしい力だ…。

16人間七七四年2010/11/17(水) 10:35:43ID:j4p01pWh
そりゃ世界最大のカルトだからな

17人間七七四年2010/11/17(水) 16:49:59ID:OfS41wIa
いまだに歴史の教科書に創世記入れろなんて言ってるのは
どこだかの国の戦前教育とそのまんま一緒だからな

18人間七七四年2010/11/17(水) 22:11:28ID:DdMCpnr/
この時代のイエズス会士の情報収集能力の高さは異常
(かれらが到達しうる限りの)世界全体の社会情勢・文化等の情報を
収集・分析できた唯一の組織だろうね
後にロシア以外のヨーロッパ諸国が潰しにかけたのは納得だな

19人間七七四年2010/11/18(木) 06:26:48ID:gjggacBw
しかし、イエスズ会はいいこともしてるんだが。
奴隷解放を訴えりキリスト教に改宗した有色人種を保護したりで。

20人間七七四年2010/11/21(日) 10:06:56ID:VW3rOJbM
>>19
南米では布教した原住民と一緒にジャングル切り開いて都市建設したりしてるしな

21人間七七四年2010/11/21(日) 10:10:57ID:LgBzFlwJ
>>11
ロザリオくったら難病治った! ってなのはルイス・フロイス記録してるけど、
これって奇跡の記録だから医療技術とは違うな

でも治療(祈り)に金を取らなかった、ってのは確からしい

22人間七七四年2010/11/21(日) 10:19:34ID:djmKJfZM
>>21
その代金は奴隷商人が日本人奴隷を扱う神の許可を与えた対価としての喜捨でしたけどね。

23人間七七四年2010/11/21(日) 10:56:55ID:LgBzFlwJ
宗派にかかわらず人身売買は当時じゃ普通だったような、、、

当時西欧で人身売買が問題になったのは”信徒”だけで異教徒や捕虜は普通に取引されてるし
日本人”奴隷”も日本人が商品化?したわけで、それにイエスズ会の責任を問うのは酷じゃないかな

24人間七七四年2010/11/21(日) 11:14:06ID:djmKJfZM
>>23
カトリックは現地のキリスト教会のお墨付きがないと奴隷売買しちゃいけなかったんだよ。

25人間七七四年2010/11/21(日) 23:45:14ID:VW3rOJbM
>>24
じゃあ聖職者のいない土地で現地の人買い屋に商売持ちかけられたら
一々ことわってたの?そんなアホな

26人間七七四年2010/11/21(日) 23:46:59ID:djmKJfZM
>>25
売買する時その売買対象の奴隷が『キリスト教徒ではない』という教会からの保証が必要だった。

27人間七七四年2010/11/22(月) 18:13:00ID:iqg3mwng
イエズス会宣教師が見た日本の神々

↑の本には当時の宣教師が日本の軍事力情報を祖国に送っていたことやら寺社に放火して焼死させたりする悪行の記録がのっている。

28人間七七四年2010/11/22(月) 19:27:42ID:L6kTGQF9
宣教師はスパイ

イエズス会宣教師が見た日本の神々
という本には当時の宣教師が祖国に残した記録がたくさん紹介されている
寺社に悪魔を崇拝する施設だと火を放って、仏像を守ろうとして大火傷を負った人の事を「悪魔の偶像を守ろうとしたから罰が当たった」くらいに書いている。
一神教パワーが散々に炸裂している。




29人間七七四年2010/11/22(月) 21:13:52ID:N0BXd985
とは言うものの当時の寺社勢力も腐ってたのは事実
武力持った創価学会だぞ

30人間七七四年2010/11/22(月) 21:18:15ID:LDgAF04R
>>29
当時キリスト教が寺社より腐ってなかったとでもいいたいのかねキミ?w

というか具体的に寺社が腐ってたって、なんについて言ってるんだ?
変な信長の行動を正当化するプロパガンダベースじゃなくてさ、具体的な事実に基づいて
指摘してみ?

31人間七七四年2010/11/22(月) 22:36:49ID:L6kTGQF9
イエズス会宣教師が見た日本の神々

↑とりあえず彼等宣教師がみずから残した記録の数々を読んでみよう。
さすがに秀吉は先見の明があった。
世界中を恐怖のどん底におとしたツールであるキリスト教。
日本人ならキリスト教なんか敵視したほうが良い。
いまでもキリスト教は日本の祝祭日を排除し、信者には参加させないよう働きかけている。
国家のまとまり・枠組みを解体しようとしている。

32人間七七四年2010/11/22(月) 23:25:50ID:ZRnxrzAw
>>30
本願寺とか見てると流石に擁護できない部分もあると思うけどな

33人間七七四年2010/11/22(月) 23:26:23ID:LDgAF04R
>>32
だから本願寺の何をだよ?具体例を出せ具体例を。

34人間七七四年2010/11/22(月) 23:28:22ID:ZRnxrzAw
>>33
死ねば極楽に行けるとか言って農民を扇動した所

35人間七七四年2010/11/22(月) 23:34:10ID:LDgAF04R
>>34
本願寺はそんなこと一切言ってない。死ねば極楽なんてのは戦闘をしている
信者の方が言い出したこと。
本願寺は戦国当時からそう言う思想を否定していた。

これは顕如などが、信者のそう言う考えを批判している書状などが残っていることから
確かな話だ。

で、他には?

36人間七七四年2010/11/22(月) 23:55:17ID:ZRnxrzAw
>>34
顕如が残した書状ってどんなやつ?
顕如は織田信長に攻められそうになったら門徒に仏敵を討てって書状飛ばしてなかった?

37人間七七四年2010/11/23(火) 00:15:42ID:1C21UKU1
>>36
>>35の戦死すれば極楽に行けるってのを否定したのは顕如じゃなくて蓮如だな。
越中の一揆を批判したときの書状だ。

38人間七七四年2010/11/23(火) 00:25:05ID:qjXN56IS
何でキリスト教を叩いて、一向宗の肩を持つ?
奴らがDQNなのは間違いないぞ。
そもそも「本願寺はそんなことは言ってない、信者が勝手に言い出した事」なんて言い草は
オウムの麻原にそっくりだ。胸糞悪い。
「たとえ、信者がやったことでも宗教者の責任だ」くらいの謙虚さならともかく、
「信者が勝手にやったこと」と言い逃れるのは最低。

39人間七七四年2010/11/23(火) 00:31:23ID:1C21UKU1
>>38
つーか君が信じているのは実際の一向宗(これも江戸中期以降の言葉だ)ではなく、
織田政権が出したプロパガンダ上の本願寺勢力のイメージだな。

400年以上前のプロパガンダに躍らされるのはどうかと思うぞ。

40人間七七四年2010/11/23(火) 01:28:26ID:qjXN56IS
??39
は?
人を大上段から見下したような偉そうな奴だな。

41人間七七四年2010/11/23(火) 01:57:54ID:FAy3kkng
山科本願寺を焼き討ちした法華宗徒、延暦寺石清水八幡宮など代表とする大規模宗教荘園領主とか
そっちじゃなくて都ではメジャーじゃなかった2宗派で争ってどーする……

つか人身売買奴隷が正業だった時代にそれをとがめてどーすんだ?
現地報告がスパイあつかいなら天正遣欧使節とか支倉常長なんて極刑に値するね 

42人間七七四年2010/11/23(火) 09:35:17ID:StlG/InB
>41
スパイだったろう。
世界中を侵略するためのツールだった。
宣教師が行き、商人が行き、最後に軍隊が侵略する。
野蛮な白人が世界中を侵略し恐怖に陥れた

43人間七七四年2010/11/23(火) 09:37:54ID:StlG/InB
私も一向宗については信長プロパガンダしか知らない。
それは正しくないのだろうけど、もし正しいにしたって国内でやってるだけ。
他民族を奴隷変するためのキリスト教とは違う。
シナイという荒んだ地域で生まれた宗教は嫉妬と憎しみの宗教。
日本の歴史はキリスト教原理主義との戦いの歴史。
日本人がキリスト教を嫌悪するのは当然。

44人間七七四年2010/11/23(火) 19:23:14ID:qjXN56IS
>>43
で、あんた、結局、どうなればいいの?
日本人が世界を征服してキリスト教徒を全て棄教もしくは抹殺でもさせれば気が済むってことか?

45人間七七四年2010/11/23(火) 19:27:50ID:qjXN56IS
>>43
>日本の歴史はキリスト教原理主義との戦いの歴史。

んな事言ってるからWWUでボコにされたんだよ。

>日本人がキリスト教を嫌悪するのは当然。

そういう考え方自体が危ない宗教みたいで怖いぞ。
ユダヤーキリスト教の文化圏や人々とも共存共栄していけばいいじゃん。
なんのために「嫌悪」したり闘ったりしなきゃいけないんだか。
そもそも「憎悪」とか言ってる時点であんた自身の心が「憎悪と嫉妬」で凝り固まってるじゃん。
「憎悪」なんてのは誰かがどこかで歯を食いしばって断ち切らなくちゃいけないもんなんだよ。
別にその役目が日本人でもいいじゃないか。
皮肉なもんだなあ。キリスト教を糾弾してるつもりのあんたが
一番「憎悪」に凝り固まってるなんて。

なんだか、小西スレでも変な方向で荒れてるけど、
あんまり自分の偏った思想を他人に押し付けるのはやめて欲しいもんだ。
ここは2chの趣味スレなんだし、もっと楽しいスレにしたいよ。
あんたがそういう思想や考えを持っているんなら、
2chなんかに書いてないで、勝手に思想団体か宗教団体でも立ち上げればいいじゃん。

46人間七七四年2010/11/23(火) 19:38:54ID:wupSFLbx
>45
シナイ半島の歴史と地理を少しでも学べばキリスト教の土台が解りますよ。
また、戦国期に日本に来た宣教師が日本を軍事的に制圧するためのスパイ(工作員)であることは、あちらさんでは周知の事実です。
彼等が残した記録を読んでみたらいかがでしょうか。

47人間七七四年2010/11/23(火) 19:51:40ID:vYVv2s4j
よくそういう手口で侵略を進めてたといわれるけど、具体的に宣教師を先立てにして
征服された地域ってどこなの?

48人間七七四年2010/11/23(火) 19:52:02ID:qjXN56IS
>>46
土台やら過去がどうであろうとそんなことはどうでもいい。

そんなこと言ってたら、現代の世界を否定することになる。
アメリカやオーストラリアが昔、原住民に酷い虐殺して出来た国なのは誰でも知ってるが、
だからといって、それを理由に現代の彼らを否定していいわけではない。
現代の彼らと友好的にやっていきゃ良いだけだ。

そんなこと言ってたら、日本の天皇家も
武力的に強かった一豪族に過ぎなかったわけだし。

49人間七七四年2010/11/23(火) 20:00:26ID:qjXN56IS
あと「宣教師が世界のあちこちを支配する尖兵」って説もなあ・・・
「全ては緻密な計画されて宣教師が送り込まれた」というか、
「結果的にそうなった」というほうが多いと思うんだが。

50人間七七四年2010/11/24(水) 01:28:55ID:DBoeuh/C
718 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 20:11:52 ID:sgZykpBB0
コピペではないが秋田の某宗教グループのサイトトップ
http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/

真ん中へんに教祖らしい人が嫁とまぐわってる?複数枚の写真を堂々と載せてるw

51人間七七四年2010/11/24(水) 14:08:48ID:AzZw0qpp

韓流教会は、一般的なキリスト教の教義をベースにしつつ、それを巧みに歪曲して、
献金恐喝、階級差別、牧師崇拝、弟子訓練、苦行主義などの教義を付け加えてくる。
韓国由来で入ってくるのは、本来のキリスト教の姿とは遠くかけ離れたものである。

また、彼らは日本の法律規範や常識秩序、倫理道徳を守らないので、問題が起こる。
彼らは日本人に対して、人権概念、公序良俗に反したことを平気でやってのける。
キリスト教が反日宗教なのではなく、韓国人の自称キリスト教が反日的なのである。

52人間七七四年2010/11/24(水) 18:45:19ID:U63/J8Yg
まるで日蓮宗追い出されたなんとか学会みたいですな

53人間七七四年2010/11/24(水) 19:11:06ID:RInJpRGA
>48
>それを理由に現代の彼らを否定していいわけではない。

あなたは歴史に詳しいのだと思う。
人というのは歴史から逃げられない。
人の思考の核というのは変わらない。
今の彼等も似たり寄ったりです。
最近の一般的日本人は、やっと中国人の性質に気付いたようだが、欧米の連中の事は理解できていない。


>「結果的にそうなった」
とりあえず宣教師が自国に送った記録を読んでみたらいかがです?

54人間七七四年2010/11/24(水) 19:48:35ID:gU45wvG2
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、一部の大乗を除く仏教は、科学と哲学の発達に抗えずいずれ消滅する。
とっくに19世紀後半の時点で、キリスト教が論理的に真理でないことが確認され、
ニーチェは神の死を認め、知識人たちは神に「死亡証明書」を出した。

倫理と論理と真理の違いすら理解できない鈍い連中が、まだキリスト・アラー・阿弥陀如来は存在すると信じている。
真理とは非-価値なものであり、非感情的・非行動的なのにな。数式みたいなものだ。
この世界が存在しようと消えようと、「魂を研鑽」しようと、ゼロ。本質的には無意味だ。

それに気付いた人間は、正しい行動など存在しないこの世界で
便宜的に仮の価値観を持って生きることになるだろう。

55人間七七四年2010/12/07(火) 00:48:55ID:fgUbcoyO
あげ

56人間七七四年2010/12/07(火) 01:30:56ID:kXDPwo75
>>53
宣教師の報告は修道会に対してであって、それを当時政治的に有効に使った例ってあるの?

ルイス・フロイスのなんて本国じゃ忘れ去られてたじゃない?

57人間七七四年2010/12/11(土) 22:40:13ID:JU0z9oo2
ルイス・フロイスは誇張癖があり口が軽くて小心者で慎重さに欠ける奴だよ

58月孔雀2010/12/12(日) 06:19:09ID:CrDGZmX0
キリスト教の伝播は、西日本どまり?

上杉や北条まで、南蛮人は、来なかったのかな?

59人間七七四年2010/12/12(日) 07:25:43ID:amteqOK5
西国近畿での禁令(太閤)でてから江戸初期まで、東北蝦夷にも布教の宣教師がきたよ
松前藩なんて「うちは日本じゃないから布教いいよ」まで言ってる

北方探検記、っての読んでみると良いかも

60月孔雀2010/12/12(日) 08:20:43ID:CrDGZmX0
東国で、キリスト教が流行らなかったのは、何故か?

61人間七七四年2010/12/12(日) 08:23:34ID:NkFakL2T
ロザリオと一緒に埋葬されてた政宗も隠れキリシタンじゃん。

62人間七七四年2010/12/12(日) 08:47:25ID:t6wc3Jn0
>>60
流行らなかったというよりは流行った地域を考えた方が早いよ
当時のポルトガルはインド洋経由で極東に来るわけでどうしても西の方に来航し易い
東より西の方に布教の機会があったのはこのためだと思う

キリスト教に限らず新しいモノが根付くには共感する人、損得勘定、パトロンが背景にあると思う
九州では大友氏、有馬氏、大村氏など強力な保護者がいた
逆に島津氏は保護者になることはできなかった
中国でも宇喜多氏(明石氏)、畿内でも高山氏や内藤氏がいた
堺ではキリスト教に理解がなくても商売での利益が大きかった
さらに織田信長がミヤコでのキリスト教の布教を公認した
こうした人たちの存在が大きいと思う

織田信長によって日本の中心地であるミヤコに布教の拠点(珊太満利亜寺)を得たわけなので
まずはここから布教を進める方が理にかなっている

では東国ですが北条氏、上杉氏、武田氏、今川氏はどうかということになるが
武田氏の所領に海が無い、今川氏の早期滅亡、上杉氏の所領は太平洋に面してないなどの立地問題が大きいと思う
北条氏は海外との交易があるので布教の機会があったのかもしれないけど
上記の通り畿内で布教活動の力を入れているため関東に手がまわらなかったのが実情じゃないかと思う



63人間七七四年2010/12/12(日) 08:50:21ID:FKxORDkx
>>62
?織田信長によって
○足利義輝

64人間七七四年2010/12/12(日) 08:55:10ID:t6wc3Jn0
>>63
補足感謝
足利義輝の存在をすっかり忘れてた



65人間七七四年2010/12/12(日) 13:46:46ID:BOruVDhl
>>61
政宗は奥さんの愛姫と娘の五郎八姫がキリシタンだったし、
一時期スペイン人宣教師のソテロを侍らしていたので、その時感化されたんじゃないの

66人間七七四年2010/12/12(日) 17:16:21ID:15qCZMFp
Yahoo!掲示板の日本史にある『豊臣/●/吉/と/徳/川/●/康』というトピックと『●/康/公/の/時/代』というサイトのの掲示板(御/用/部/屋)のトピック「●康公とイエ●ス会」
をみてみろ。当時のキリスト教が最低最悪だったか解るぞ。

67人間七七四年2010/12/12(日) 17:21:58ID:TP9FZBk7
戦国キリシタン武将は数あれど、信仰は二の次で、西洋諸国との交易による利益目的がほとんどのなか、本当にキリスト教に信仰してたのは高山右近だけだな
まさに高潔、近いうちにバチカンから列福、列聖の称号が与えられるだろう

68人間七七四年2010/12/12(日) 17:27:34ID:15qCZMFp
>>67
高山右近なんてただのトンデモでしょ

69人間七七四年2010/12/12(日) 18:56:52ID:TP9FZBk7
>>68
確かに戦国武将として見ればトンデモかもしれない
だけど前にも書いた通り、他のキリシタン武将が戦での武器である火縄銃の入手を目的とする西洋諸国との己の利益を目的とした、偽りのキリスト教入信が大半を占める中
右近は純粋な気持ちでキリスト教に信仰し、徳川の世になりキリスト教禁令になってからも、他のキリシタン武将がキリスト教を棄教する中で、最後まで信仰を棄てなかったゆえ、結局フィリピンに追放されたんだけどね
キリスト教信者から見ればトンデモどころか、高潔な武将として尊敬に値するね

70人間七七四年2010/12/12(日) 20:29:03ID:amteqOK5
キリスト教徒だからって西欧から直に援助受けれたわけじゃないよな?
当時の記録は寄進の話ばっかり(他は寺壊したとか)実質なメリットは皆無だぞ
黒田孝高なんて、基督教の方が日本の神より戦に勝つから、って理由で洗礼うけたらしいけどね

つか隠居同然の右近なんかより基督教解禁のために豊臣側で粉骨した明石全登、思い出してやれよ……

71人間七七四年2010/12/12(日) 23:01:13ID:nV4EaisQ
宣教師は地位が高くて、商人は逆らえない。
メリットというか、「商売してほしければ○○シテクダサーイ」みたいに色々認めざるを得ない、という事はある。
そして火薬は日本国内ではほぼ手に入らない。
もうわかるよな?

72人間七七四年2010/12/13(月) 10:14:04ID:wa3wFaH9
まあ火薬を売ってくれって南蛮商人に必死に頼んでくるのも、
日本人を奴隷として拉致って南蛮商人に連行して来るのも日本人なのに何を言ってんだって話だけどな。
南蛮商人にとっては商売取引でしか無い。
宣教師は南蛮商人を紹介したりするが取引内容については直接タッチしてない。
例外は宣教師の布教に便宜を払ってくれたら、
その見返りにインド総督からその領主への無償援助をしてくれるように頼んでくれたりするくらい。

73人間七七四年2010/12/13(月) 14:36:37ID:5yQNZbVh
当時の硝石生糸は中国から来てたぞ
……中国人の貿易船も基督教関係あるのか?

74人間七七四年2010/12/14(火) 04:38:43ID:HVS9ZQrC
南蛮商人は硝石をインドからマカオへ運び込み
マカオでは銀で生糸を買って一緒に日本へ持って行く。
大内とかは南蛮商人に銀で支払ってた。
その銀で南蛮商人はマカオでまた生糸を購入して日本に運び込んだ。
それは中国では銀が信用されていたから。
しかし島津や龍造寺には銀を入手するルートは無いから拉致してきた女童を支払いにあてたろう。

75人間七七四年2010/12/14(火) 08:50:48ID:3FrniHhL
秀吉や家康がキリスト教をやめたせたので今日があるってこったな

76人間七七四年2010/12/14(火) 10:10:40ID:FV7iuIwa
>>74
…その20年前のテンプレみたいなのはちょっと……

当時の東アジア貿易の主役は中国人だぞ、南蛮人じゃない
南蛮人が来る前から”倭寇”と言う名前で金銀銅生糸など物流はあった
日本に来た南蛮商人だって頭以外はほとんど中国人クルーを雇ってたし、
アジア各地どころか鎖国した日本にも中国人街があるくらいだし

…あと島津も龍造寺も反キリスト大名じゃ??

77人間七七四年2010/12/14(火) 11:01:48ID:HVS9ZQrC
長崎や平戸や島原と言った天然の良港は次第に南蛮商人と関わる船舶を優遇するようになったから
純粋中国資本商人よりも南蛮商人資本傘下で貿易やってた。
そもそも硝石はインドから南蛮商人が運んできてるんだから中国商人は持ってない。
南蛮商人は商取引専門
宣教師達を守ってやるのはインド提督からの無償武器援助のヒモ付き

78人間七七四年2010/12/14(火) 11:17:29ID:S1SBfOqb
>>77
?そもそも硝石はインドから南蛮商人が運んできてるんだから中国商人は持ってない。

当時の日本に輸入された硝石は、中国の雲南が主要生産地だよ

79人間七七四年2010/12/14(火) 12:07:38ID:HVS9ZQrC
>>78
中国産は品質が悪くて高値にならないから
内陸部から陸路を長路わざわざ運んでくるメリットが無い。
インド産は欧州にまで運ばれてるし、香辛料と並んで肉の長期保存にも利用されてる。

80人間七七四年2010/12/14(火) 17:26:53ID:FV7iuIwa
>>79
普通は、品質劣悪=値段が安い、だろ、なんでそこで高くなる??
まぁ今じゃ鉄砲(と硝石)は倭寇(中国貿易)で伝わり広まった、ってのが主流説じゃないかな
ちなみにイエスズ会の記録には無償武器援助なんて無いけど、あるなら一次資料おしえて

<参考資料> 海外貿易から読む戦国時代 著者/武光誠
http://tig.seesaa.net/article/78885653.html

鉄砲伝来をきっかけに、種子島と倭冦(海商)の頭目、王直との取引が開始されたと思われる(略)
そして、種子島から運ばれた硝石の有力な買い手が織田信長ではなかったかと思われる。
種子島家は、鉄砲伝来の約百年前の種子島時氏の時に日蓮宗に改宗していた。(略)
信長は、日蓮宗と親しい関係を持ち続けていたわけだが、この日蓮宗の人脈を通じて信長は早い時期に鉄砲の有効性を知り、
種子島経由の硝石交易路と結び付いた。

81人間七七四年2010/12/15(水) 09:44:58ID:FtIbsd7Z
王直は最近過大評価気味
そもそもNHKの放送の日韓歴史統一事業の中で生み出された虚像だから。
韓国側が日本人海賊による半島への倭冦の襲撃に対して日本人は反省しろってな文脈で主張してくるのに対して
日本側があれは王直らの活躍を抜きにしては語れないと持ち出してきたことに起因してるだけ。
実際には王直については分からない事ばかりで書かれる内容の大半が想像に寄るところが大きい。
朝鮮側は足利義持時代に対馬侵略して焼き討ちしてたら反撃撃退されたのを
対馬の和冦根拠地征伐大成功と教育してるから和冦が憎き日本人じゃないと困る。
そもそも鉄砲と宣教師を載せた王直の船は難破して種子島に流されてきただけで
別に日本に鉄砲を売る目的で来たわけじゃないし。
それに日本海貿易を無視して堺が東端と主張してるがそうでは無く、
中国人だけで良質な硝石が入手できないから宣教師が進出してない日本海側経由の火薬輸出が不可能なだけ。
質の悪い火薬だったら元冦の時点で日本人は知っている。

82人間七七四年2010/12/15(水) 13:14:23ID:FtIbsd7Z
宗麟が宣教師を保護するから提督に援助を盛んに頼んでいるし大砲もゴア提督の無償援助。
有馬の大砲も提督からの無償援助で操作に熟練してたのも外国人。
例えば永禄10年9月の中国にいる司教ドン・ベルショール・カルネイロへの宗麟書状では
毛利を打ち破り山口に宣教師を赴かせ布教させる為にも
山口に硝石の輸出を一切止めて
代わりに自分のところに毎年良質な硝石200斤を対日航海指揮官カピタン・モールに援助して欲しい。
もしこの要望に必要とあらば100タイスまたは必要とする金額を払うと言ってる。
硝石に関して王直なんてまったく関係ない。

83人間七七四年2010/12/15(水) 15:39:18ID:FtIbsd7Z
ちなみに石見銀山開発で富を得て博多の豪商に成長した神屋寿貞の曾孫の神屋宗湛や島井宗室らと博多を支配していた宗麟は親しく
一族の神屋亀菊を左衛門尉に任じているなど主従関係があったとされる。
しかし王直なんて使い走りはまったく関わってこない。
当時、大友は中国と貿易したがっていたが拒否されており
王直が許されて明に帰ると聞いて、通商のツテとして使者を帰国に同伴させたが王直は騙されただけで、大友の使者は殺されそうになり逃げたが王直はのちに死罪になっただけ。
朝鮮とは通商したいとは思ってなかったようで、大友の名義を対馬の人間が勝手に使っていたようだ。

84人間七七四年2010/12/15(水) 16:06:34ID:XvXApRm9
ソース出せ

85人間七七四年2010/12/15(水) 19:45:23ID:LfXSh8R9
>>81
キリスト教無関係な日本最大の鉄砲傭兵団”根来衆””雑賀衆”はどっから硝石手に入れたんだよ??

86人間七七四年2010/12/16(木) 01:04:37ID:hymCl0X/
日本海貿易では手に入らない謙信は塩硝を製造していたんだよ。
鉄砲の虎の巻のような書籍を宗麟→義輝→謙信と譲られていたことも幸いしたと思われる。
ちなみに加賀藩は現在で言う富山県南栃市で土壌が製造に適した為に高品質の秘密塩硝製造基地があった。
このことから北陸一向宗→大坂本願寺→雑賀衆と塩硝技術が伝わったとも言われる。
南蛮商人→堺→信長と言う硝石ルートも
毛利と大坂本願寺による瀬戸内海貿易の独占により阻害されるようになっていく。
まただいぶ経ってから北条も現在で言う栃木市の辺りで税として塩硝を徴収している。

87人間七七四年2010/12/16(木) 08:35:57ID:EodLjKJT
>>86
鉄砲生産地の推移と塩硝生産地のソレが一致しない理由考えないと仮想戦記としては弱いぞ

ちなみに加賀の塩硝生産本格化は江戸時代
発祥の説は2つ、大阪本願寺が信長に対抗するために技術者を派遣(1570)
もしくは洲崎恒念が大阪・堺から技術を輸入(17世紀初頭)
開始が根来衆より時代が遅れてる上、伝承とは逆の技術移入などの齟齬も合わせて説明を考えるべき

あと根来衆では1549には鉄砲訓練の記録が残っているので
宗麟(1530-1587)義輝(1546-1565)謙信(1530-1578)そして根来、と時空を超えて伝わった”鉄砲の虎の巻のような書籍”も詳しい設定を決めないと……

88人間七七四年2010/12/16(木) 09:52:02ID:hymCl0X/
鉄砲伝来と言ってもてっぽうと呼ばれるモノと区別しなければならない。
元が北九州に攻め込んできた時に武士が驚いた火薬爆発物だが、
これは一説に元が攻める100年前には日本に伝わっていたとする説がある。
また天文年間に明への貢物を海賊から守るために松下五郎三郎が鉄砲で武装していたと言う。
1510年に唐から堺に鉄砲が伝わり享録年間に玉滝坊が購入して氏綱に献上。
また紀伊国根来出身の大藤信基が北条氏綱に鉄砲技術をもたした。
1524年に幼い氏康が鉄砲の音に怯えた。
ここら辺りはてっぽうであろう。
正確に鉄砲技術の伝来で言うなら
1543年明へ向かうはずの難破船が種子島に漂着し乗っていた宣教師から鉄砲伝来。
雑賀衆の鉄砲技術もてっぽうによるものが素地になっていると思われる。
続く1544年ポルトガル船で鉄砲鍛治師が種子島に到着したので早速学ばせた。
1559年に謙信が上洛した際に以前宗麟が義輝に献上していた「鉄放薬之方併調合次第」と言う秘蔵の巻物を義輝からもらっている。
これは明確に火薬技術が越後に伝わった一次史料であり現物の巻物自体が現存している。
富山県の東部は長尾為景が守護代であり父である長尾能景が一向衆に殺されて以来、謙信に至るまで戦っている地域であり鉄砲火薬技術との接点が無いわけではあるまい。
加賀藩は藩による本格的な増産をしているが、その素地がすでに越後経由で伝わってもおかしくない。

89人間七七四年2010/12/16(木) 11:16:08ID:EodLjKJT
>>88
とりあえず同時期の「てつはう」使用例だせる? なきゃ混同話は無意味だよ……

>松下五郎三郎
これは鉄砲記にある入貢船が難破して伊豆に流れ着いた種子島時堯配下が鉄砲のデモンストレーションやった話よね
関東に種子島がこれで伝来したのなら”日本海側経由の話と矛盾”しない?
ちなみに関東甲信越での鉄砲の記録は信玄の信濃旭山城の合戦(1555)なんだけど、今までの話で武田が出てこないよね、どーあつかう?

>1543年(略)宣教師から鉄砲伝来
鉄砲記によると天文12年(1543)漂着時に宣教師載ってた(もしくは布教)記録はないけど、それはどこから?

>雑賀衆の鉄砲技術も
ここまで”根来衆”がでてこないのはなぜ?
雑賀衆は根来衆から技術を習った記録があるから、そこらはちゃんと説明できないと……
(ちなみに根来のが種子島なのは鉄砲記の中に記載有)

>富山県の東部は長尾為景が
塩硝生産地で有名な”五箇山”は富山県の南西部の端っこ、白川郷のおとなりだ!すぐ地図で場所確認を


…とりあえず「そんな読者舐めきった話をするなんて、あんたは霧島那智の中の人か!?」とだけ
八切止夫クラスの仮想奇想は好きだけど、妄想はついていけんぞ

90人間七七四年2010/12/16(木) 11:48:04ID:hymCl0X/
あのね、お前なんか勘違いしてるようだが
俺は日本海側に宣教師が来てないから
良質な硝石が手に入らず
南蛮火薬技術を越後に導入した経緯を書いたんであって
雑賀衆の鉄砲生産技術能力の話はしてないし、
雑賀が鉄砲の組織的運用ができるだけの火薬精製技術が越後の南蛮火薬技術なのではないかということ。
越後から西への徐々の伝播があって富山県内でいきなり栃南市エリアから火薬精製技術が生まれたとは言ってない。
あくまで栃南市の土壌が最も精製に適していたので最終的にその地に落ち着いたと言っている。
それに雑賀と根来と大坂本願寺の地域密着度から堺からの技術流出も否定してない。
南蛮の火薬精製技術が越後へ伝わったが
その生産技術が伝わらないと鉄砲隊組織的運用が可能にならないのではと言っている。
品質の低い火薬なら中国商人から手に入るがそれはてっぽう技術発展系統のレベルであろうし紀伊から伝わったとする氏綱にまつわる話がそれであると言っている。
そして謙信の南蛮火薬精製技術流失と明国からのてっぽう技術が合わさって昇華されたのが戦国末期の大鉄砲隊の組織的運用につながったのではないかと位置づけただけ。

91人間七七四年2010/12/16(木) 11:52:46ID:NxzU8Gfu
ここはお前の仮説発表会場じゃねえ

ブログでやれ

92人間七七四年2010/12/16(木) 12:18:03ID:hymCl0X/
なんか王直が硝石の輸出の総元締めかどうかと
それに伴う火薬精製技術とその伝播の話を
突然に鉄砲生産と運用の話にすり替えてるようだけど、
そのこともあって経緯をみるため
ちょっと前のレスみた。
それでついでに>>80のリンクを読んでみたけどその話だと
堺を支配したのは信長が火薬を独占する為だと書いてるようだが、
ではお前は雑賀衆や本願寺が大量の鉄砲を使用できるだけの火薬をどこから調達してきたと主張するわけ?
リンク先の話だと信長以外は火薬を調達できないわけだよね。
だとすると生産するしか道は無いわけだが硝石精製技術はどこから手に入れたわけ?
>>82で書いたように中国にいた宣教師に良質な硝石を毛利に輸出するなと宗麟が頼んでいる件から、
王直の流通路と良質な硝石ルートがまったく関係ないのが明白だよね。
宗麟が硝石生産技術を義輝に伝えているからあるいは足利氏も南蛮火薬生産に取り組んでいる可能性はあるからそこから堺への技術流失もあるかもね。

93人間七七四年2010/12/16(木) 15:39:52ID:Acg6fO9g
【種子島】鉄砲と戦国時代
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292481572/

せっかくなので、鉄砲スレ立てたよ

94人間七七四年2010/12/17(金) 01:27:25ID:L5q7gGw+
まあ鉄砲記自体が伝来から60年後に種子島氏により編纂された二次資料だから
種子島本島で起きた出来事…南蛮人から鉄砲が伝来したとか大まかな話は事実だろうが
それ以外の記述に関しては眉唾な話が多い。

95人間七七四年2010/12/17(金) 14:54:17ID:ZAh+Oedv
>>92
…ちゃんとリンク先読んでるのか??

>ではお前は雑賀衆や本願寺が
根来衆雑賀衆が有名になったのは信長が堺支配する前だ!!
しかも南海道(航路)なら雑賀(紀州)は堺より中国に近いぞ?

硝石は中国人らの貿易(倭寇)から中国から日本に補給されていて、その最終貿易港が堺
”イエスズ会無関係”に自由に硝石は日本に入ってきてた(中国→種子島→近畿の通商路)
その倭寇の頭領として王直がいたわけで、つか、そのルートを君が認めないから王直無関係と言いだし、
さらに「硝石の自国生産」にこだわって日本海ルート主張してるとしか見えないんだけど……
(こだわらないと越後の出番無いしな)

>王直の流通路と良質な硝石ルートがまったく関係ないのが明白
大友宗麟は戦国時代九州の「負け組」なった事実は認識してる?
実際に宗麟の要請の効果がなかった(少なくとも近畿以東では全く影響ない)ことは、別ルートの存在を示唆してるとしかいえないよね?
…だいたい中国産硝石がダメでイエスズ会のインド産が良い言い出したのはあんたなのに、
「中国産の硝石とめろって宗麟が言ってた!」って言われても困るんだが……

つかね、”良質の火薬”と”良質の硝石”を混同してない??
君のいう将軍→謙信の”鉄砲の虎の巻”は火薬製方秘伝書、玉薬(硝石と硫黄と木炭)の調合の秘伝書、
ソレがなぜ良質の硝石輸入とか製造に関わってくるのか、まだわからないんだけど……

96人間七七四年2010/12/17(金) 16:13:22ID:pq4m/SiT
>>95
> 君のいう将軍→謙信の”鉄砲の虎の巻”は火薬製方秘伝書、玉薬(硝石と硫黄と木炭)の調合の秘伝書、
> ソレがなぜ良質の硝石輸入とか製造に関わってくるのか、まだわからないんだけど……

本人もわかってないだろうから聞いたって無駄だと思うよw
「牽強付会」の典型例だよなw

97人間七七四年2010/12/17(金) 21:40:37ID:L5q7gGw+
リンク先の王直の話はほぼ「〜と思われる」ばかりで著書の想像ばかりのように見えるが
王直と硝石の輸出に関する一次史料はどんなのがあるんだい?

98人間七七四年2010/12/18(土) 11:39:46ID:yQDzX8T6
そもそもその著者の武光誠自体が古代史の人で
尚且つ安いムック本で妄想を垂れ流す作家。
海外貿易でみる戦国時代って本も1万円近い価格で売ってるような学術論文集ではなく
PHP出版の700円ふぜいで売っていたトンデモ本で論文を書くような人は誰もそれを引用書籍として使わない。

99人間七七四年2010/12/19(日) 00:41:50ID:vTXG1r1b
アマゾンの通販を見たら
1円で売っててゴミ本過ぎてワロタw

100人間七七四年2010/12/19(日) 13:53:32ID:fpHKn7Nr
>>97
倭寇というのは”私貿易”なわけで、その積荷内容が完全に残ってるわけじゃない
もともと中国で火薬は普通のものだったしその材料(硝石)を特別視する意味がないし
”硝石貿易が独占された”前提は無理があるんじゃないかと

つか、当時の東アジア貿易(倭寇)の規模を過小評価する必要も無いでしょうに
公式な勘合船が止まっても京都の飾刀の生産は止まってないし、からもの輸入だって途絶えてないし
伝承でも種子島に鉄砲持ってきた南蛮人は倭寇の船客扱いじゃない?

なので、国内の鉄砲の伝達と生産と使用の例を探して、
種子島→根来→雑賀の伝来に伴って日本国内で硝石の消費地が増えたから
それへの供給は既存の貿易(倭寇)による、と考えるのは、そんなに無理があるかな?

>>98
だれも「武光誠個人を信じろ!」なんて言ってないんだけど?
ネットの引用なんて入り口にしかすぎないよ、真実は自分の手で探すべき

101人間七七四年2010/12/20(月) 00:58:06ID:z9nspW10
>>100
>中国で火薬は普通のものだった
火薬は明軍だけで、一般民衆は武器を持つことさえ許されず、火薬は普通のものではない。

火縄銃の場合は発射薬と口火薬と火薬を使い分けている。火器の種類により火薬の質は当然違っていて、その用途により調合割合、調合手法は異なる。
硝石の品質とは、硝酸カリウムの純度のことであり、品質が悪いと鉄砲薬としては不適(潮解性のため)である。そのため、発射薬としての黒色火薬は大砲用から発展した。しかし、日本では殆ど大砲は使われていない。
倭寇による用途に応じた火薬貿易ならば理解できるが、倭寇そのものが大砲をはじめ大々的に火器を使った記録が見当たらず、倭寇による硝石貿易には疑問が残る。

102人間七七四年2010/12/20(月) 01:33:53ID:n2y5dJB0
王直と硝石に関して一次史料がまるで無いばかりか
論拠として持ち出されたたかだか700円の俗書には
大量に「〜思われる」ばかりが書かれている時点で
全くお話にならないだろ…

103人間七七四年2010/12/20(月) 06:49:44ID:mo5jfbKx
>>54
思うんだけど、俺は昔はともかくとして、
今の西洋文明とか思想とか主義ってのは大好きだぞ。
そもそも、現代の日本自体も西洋文明・思想が中心だしな。
自由、平等、博愛とか民主政治、西洋式の生活、食文化、全部好きだし正しいと思う。
西洋も間違ったことをいっぱいしてきたので、その間違いわ省みることにより、
現代のこなれた西洋文化や思想が生まれたのは歓迎すべきだし、日本もそれを参考にすればいい。

逆に西洋文化を否定し古来の日本を取り戻そうみたいな事言ってる奴に限って、
天皇崇拝やら、男女不平等、非民主政治、日本人は何でも偉いみたいなことを言ってて好きになれない。
いや、古来からの日本文化や思想にも勿論、良い点はいっぱいあるが、
天皇がどうとうかとか男が上、女は下なのが日本の伝統とか言い出す奴には閉口する。
いや日本思想に限らず、イスラムとか原始アフリカとか、儒教思想は多くがクソだと思う。

104人間七七四年2010/12/20(月) 06:54:13ID:mo5jfbKx
まあ、現代の西洋文化にもどうかという点はあるけどね。
@ 捕鯨反対をはじめとした、現地人より動物を大切にするような、おかしな動物保護主義。
A トイレが風呂場にある。これはどうしても好きになれない。ついでに西洋式便器自体もね。マイトイレ専用ならいいんだけど。
B 死刑廃止論。まあそれを彼らが実施するのは勝手てだが押し付けるのはね。

105人間七七四年2010/12/20(月) 10:24:49ID:a15xPqLg
>>101
中国での火薬入り爆竹の伝承は、唐の時代麻石村で生まれた李畋氏が発明した、と言われてる
宋の時代には、今の鞭砲(爆竹を編んで連続爆発するようにしたもの)が発明され
まぁ16世紀には旧正月に爆竹ならす、ってのは一般的な中国の習慣だったんですよ

つまり硝石(黒色火薬)というのは当時の中国じゃ特別な品じゃない、ってことは良いでしょうか
日本でも材料の配合具合が”秘伝”とされた時点で、その材料が特別視された状況にあったとは言いにくいと思いますよ

>>102
そーですなぁ、倭寇の貿易品の記録なんて残ってませんからね
あなたの言われるとおり、「記録にないから倭寇(私貿易)なんて当時なかった」んですよ、たぶん?

…つか「イエスズ会が火薬独占してた」とか「日本海側火薬伝播説」とかの話で、
おいらもその”一次資料が無ければ云々”って同じ手法で追求してもいいのかなぁ……

106人間七七四年2010/12/20(月) 11:47:33ID:n2y5dJB0
>>103>>104
政治的な個人の思想信条は政治板で。
>>105
爆竹などに使われたレベルの火薬は品質が低い代物で到底軍事に使えるもんじゃない。
一次史料でみれば中国の宣教師への大友宗麟書状での良質な硝石の軍事的貿易統制要請や
当時の状況を克明に報告した一級資料のフロイスの日本史を読めば王直が大した人間じゃないのは明らか。
なんで根拠も無く王直をそこまで過大評価するのか理解不能。説明を求める。
そもそも中国の和冦討伐で中国国内の港から日本側へ逃げてきた男だし。
和冦の貿易を否定してないのに否定してると言い出すのも理解不能。
しかし軍事物質を中国内陸部から長駆、官憲の目を盗み運んできて
さらに太平洋を渡らせるなんて事が品質が低い硝石での輸送コストや利潤との兼ね合いの面でも
当時の中国の大陸どころか沿岸からも追放された和冦討伐隊の優勢下で可能なのか実に怪しい。
もしそれが可能ならそもそも宗麟が中国との通商国交ルートを開こうと何度も正式使節を送ってる理由がわからない。

107人間七七四年2010/12/20(月) 13:32:16ID:B/aJj5uQ
>>101
倭寇が大砲を使った記録はないの?
当時の明といえば非常に大砲を重視していて、年間1000門の青銅砲を生産してたと思う。
横流しや払い下げへの管理が厳格だったんだろうか?

明って火縄銃も青銅製なんだよな。
19世紀に入っても、大砲には鉄よりも青銅(真鍮)がベターだったけど、鉄砲に使うのってどうよ。

108人間七七四年2010/12/20(月) 17:59:09ID:k0X3Hxg2
昨日は26聖人殉教の日だったのか

109人間七七四年2010/12/20(月) 23:18:32ID:z9nspW10
>>82
1斤を600gとすると硝石200斤は120kgとなり、黒色火薬に合薬すると160kg(硝石75%の場合)になる。
これは160kgの物体を飛ばすことができる(発射弾と発射薬の比率を1:1と仮定)ことを意味する。
大友宗麟は石火矢(国崩し)を持っており、鉄弾の重量を5kgと仮定しても160kgは32発分にしかならず、硝石200斤は大友家の必要量を満たしているとは思えない(火縄銃での計算でも16,000発位分かな?)。
良質の硝石200斤の量で山口の領主毛利元就は領国を失うとは、倭寇が硝石を取り扱ったとする当時の硝石の品質が悪いことになる。倭寇でなければ国産となろう。

>>105
言い訳ではないが、私の示している火薬は軍用火器用の黒色火薬で、密閉できる花火用の火薬や助燃剤としての火薬とは異なる物である。
発射用の黒色火薬は、単に炭、硫黄、硝石を混合しただけでは実用にならず、硝石についても良質(高純度)でなければ安定した性能が得られないものである。

倭寇の貿易品の記録は残りにくいものではあるが、日本人が好んだ中国品について鄭若曾が書いた倭好商品に硝石が入っていないのはなぜでしょうね?

>>107
>倭寇が大砲を使った記録はないの?
残念ながら私はまだ見ていない。記録を知っている方が居られたら教えていただきたい。


110人間七七四年2010/12/20(月) 23:47:11ID:BopMtgB+
俺様はYHWHエロヒムエホバヤハウエ神様を信じたいです!?♪。

111人間七七四年2010/12/21(火) 00:26:58ID:PEdhLYSD
当時はまだ石火矢を大友は所有してないはず。
それに最初に無償提供してもらった石火矢は船が沈没して大友には届かなかった。
義輝から謙信への件は
さらなる詳細部分は口伝で説明するとしているのでトップシークレット部分は口伝。
当時、謙信の元にはてっぽう師がいて巻物はその人に譲渡された。
その人らの集団は堺方面から関東にてっぽうを盛んに教えに来てたらしい。
また1557年頃に元就が塩硝を作るので馬屋の土を所望と
1555年の武田は焔硝の移入使命を持つ彦十郎に1ヶ月馬三匹分の関税免除している。
ただこの手の資料はほとんど無いので抽出技術が低すぎて大規模生産は不可能だったと思われる。
だが謙信が硝石作成技術を知ってた可能性は高く、南蛮技術導入で双方技術の融合が図られたと考えられる。
よって抽出技術の未熟から小規模生産してはいたが良質な硝石は南蛮商人からの輸入。
南蛮商人からも大量輸入はまだ距離的な問題もあり難しい状態で国産に頼らざる負えなかった。
そもそも大鉄砲隊がまだ組織されてないから問題なかった。
中国の安価だが非常に質の悪い硝石を内陸部の雲南から陸路において官憲の目を盗み運び出すのは利益率的に疑問だし和冦の物品として資料が全くない。

112人間七七四年2010/12/21(火) 02:52:53ID:vS2qVJsg
>>106 109
「花火と戦争に使われた黒色火薬は違う」って……
調合具合だけでなく火薬粒の大きさで燃焼速度や威力が変わるのが黒色火薬(口伝はここの部分、燃焼速度左右するからね)
当時の日本でも、荷駄隊には硝石硫黄木炭別々で、玉薬も火皿に載せる点火薬も(燃焼速度が違う)同じ材料で現地(もしくは出かける前に)調合してた
さらに硝石(硝酸塩)は簡単に水を使って再結晶できる、いくらでも精製できる
(しかも再結晶精製法自体当時はよく行われていた、製塩なんかもそう)
だから当時(今もだけど)黒色火薬の扱われ方を見るに、”高純度な硝石だから云々”論議は無理があると思うんですがねぇ

それにもし中国で硝石の完全管理が行われてたなら、インド産の硝石も中国市場経由でくる(南蛮商人も船を中国で雇ってた)んだけど
当時の中国では質が悪い硝石は管理して高性能なブツはフリーってことになる
それってちょっと無理がある話じゃないかな

まぁ問題にしたいのは、要するに、玉薬(硝石)にイエスズ会の関与がある、って前提がおかしいだけじゃないか、って話なんですけどね
九州でキリスト大名大友と敵対し(そして勝った)龍造寺や島津や、キリスト教の敵である仏教徒の鉄砲傭兵団はどこから手に入れてたのか、無視すれば良いだけですけどね
ちなみに種子島が主力となった豊臣時代でも、一回の戦に携行する玉薬は20発程度(残りは荷駄)
消費される火薬量は少なく、1570ごろまでは全部イエスズ会完全管理下におけない量ではないとは思うんですけどね

あと鄭若曾の日本図纂って1561年刊行じゃなかったっけ 
和刀の話はあるけど鳥銃の話題がないから嗜好品(高く売れるもの)を主に記載してるようにみえるんだけど……

113人間七七四年2010/12/21(火) 05:46:40ID:PEdhLYSD
島津や龍造寺は南蛮商人から買ってたんだろ。
だから隆信も憎むべき宣教師をすぐに排除したい気持ちはあったが
万が一にも南蛮貿易に不利益が出ないように南蛮商人を少なくとも九州統一までは排除する気はなかった。
和冦から手に入るならとっくに隆信は宣教師なんざ排除してる。

114人間七七四年2010/12/21(火) 17:52:59ID:vS2qVJsg
>>113
島津は領地内でのイエスズ会の布教を受け入れてないですよ
龍造寺だって領地内のキリスト教保護なんてしてない、大友はキリスト教保護者でしたね
でも南蛮商人は全員に硝石売ったわけですね、どこに”イエスズ会の関与”があるんですか?

つか種子島で鉄砲量産化1543(ザビエル来日1549なのはおいといて)から翌年には仏教徒が近畿に銃を持ち込んでますよね
近畿の仏教徒が銃量産装備し始めた時点での硝石供給は誰がやったのでしょうか?
堺まで南蛮船きてませんよね??

115人間七七四年2010/12/21(火) 18:02:29ID:qPm52E8N
その対ポルトガル・スペイン貿易だけを特別視するのが間違いのもとだと思うが
そいつらがやってんのは結局対明や対東南アジアとの貿易に一枚噛んでるだけだし

116人間七七四年2010/12/21(火) 20:02:31ID:PEdhLYSD
塩硝など日本国内少量生産だろ。だから大規模なてっぽう普及がなかった。
信長の斡旋で大友と島津が和睦し、龍造寺が博多を焼き払った時期だが
隆信は有馬や大村に圧迫をかけながら
教会の友になりたいと申し出てたり
島津はヴァリニャーノやガスパル・コエリュに都から九州に戻ってくる時に国主を訪問して欲しいと伝言し
さらに豪華な使節団を派遣し親善関係を結びたいから島津国主の名でインド副王に馬と太刀を贈りたいし
鹿児島にに教会を立てる土地を与えたいと申し出てる。
ぜんぶポルトガルの定期船目的。
宣教師も信者を弾圧されたくないし
領主との交渉チャンネルは絶対に宣教師側からは切らない。
大村を屈服させ有馬を追い詰めた隆信に家臣が
「大村領のキリシタン壊滅させバテレンを追放し仏像礼拝しましょう」と進言したが
隆信は
「いましばらくはさもない風を装いバテレンにも表向きは丁重に接せよ」とマカオから日本に来るポルトガル定期船による利益を無視できない立場にいることがわかる。

117人間七七四年2010/12/22(水) 00:22:36ID:m9GYzYDY
>>111
>当時はまだ石火矢を大友は所有してないはず。
>それに最初に無償提供してもらった石火矢は船が沈没して大友には届かなかった。
硝石200斤を対日航海指揮官カピタン・モールに援助して欲しいという書状は、永禄10年(1567年)
「天文二十辛亥の年(1551年)、石火矢迚大筒二挺、南蛮の国より進物の由にて、大友義鎮公へ送りける一挺は、大の筒にて、筒の穴口四寸余有り。 一挺は些細き筒にて、口の指渡し三寸余有りけるとかや。」
宗麟は永禄3年(1560年) に石火矢を将軍義輝に献上。
>その人らの集団は堺方面から関東にてっぽうを盛んに教えに来てたらしい。
その根拠は?
>1555年の武田は焔硝の移入使命を持つ彦十郎に1ヶ月馬三匹分の関税免除している。
その出典は?

>>112
>さらに硝石(硝酸塩)は簡単に水を使って再結晶できる、いくらでも精製できる
>(しかも再結晶精製法自体当時はよく行われていた、製塩なんかもそう)
>だから当時(今もだけど)黒色火薬の扱われ方を見るに、”高純度な硝石だから云々”論議は無理があると思うんですがねぇ

製塩は水分を飛ばして濃度を上げて結晶化することが目的なので、純度は上がらなく、再結晶法と意味が違う。
製塩は海水(溶液)を煮詰め、水分を飛ばし(乾燥)、食塩(結晶)を造ること。
要するに、不良な硝石を水に溶かして(水溶液化)水分を飛ばせば、元の不良な硝石に戻るということである。

硝酸塩には、カリウム塩、ナトリウム塩、カルシウム塩などがあり、硝酸塩であれば黒色火薬はできる。
ただし、カリウム塩以外は吸湿性(潮解性)があり、良質の硝石とは高純度な硝酸カリウム結晶のことである。
硝酸カリウム単一の再結晶法では、溶解度積の原理により高純度の結晶を7割ほど回収できる。
しかし、不良な硝石の硝酸塩混液中から良質の硝石を採取するためには、@大容量の溶液で再結晶を繰り返すことと、A効率よく硝酸イオンを回収するためにはカリウムを添加して平衡状態を変え、イオン置換を起こさなければならない。

>キリスト教の敵である仏教徒の鉄砲傭兵団はどこから手に入れてたのか、無視すれば良いだけですけどね
織田信長と10年間争った仏教徒の鉄砲傭兵団を無視するとは、歴史の記憶喪失になったと言う事かな?
>あと鄭若曾の日本図纂って1561年刊行じゃなかったっけ
その後も否定されずに残っていることは、真をついた書物になるのでは?

>>114
>>116
意味が解らない。 もっと論理的に、具体的に書いてくれないと。

118人間七七四年2010/12/22(水) 00:36:18ID:WVI8AU8C
ID:PEdhLYSDこっちのスレで気持ち悪いアンチ家康書き込みして暴れてた

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/872
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/875

119人間七七四年2010/12/22(水) 01:34:04ID:MqhyzMXk
>>117
飽和溶液にして結晶化して精製するのが再結晶なので製塩も同じ手法だと思いますが……
とりあえずそれはおいといて、実際当時の塩硝製法は再結晶で純度あげてますよね、としか返しようが

つか糞尿に含まれる硝酸アンモニウムを炭酸カリウム(灰)と反応させ
(イオン交換やら塩基置換とはいうけどイオン置換って珍しい響きですね、専門用語?)
塩化ナトリウムと硝酸カリウムを温度による溶解度の違いによって析出させ精製する方法は
当時でも保存輸送するためにカリウム塩にするのが常識、だったことを示すのでは?
…なぜ他の塩が使われてた、と主張される意図がわかりにくいのですが……

鄭若曾で言いたいのは、日本の銃の参考にはならない、ってことです(銃の使用にふれてないから)

120人間七七四年2010/12/22(水) 20:13:08ID:m9GYzYDY
>>119
>飽和溶液にして結晶化して精製するのが再結晶なので製塩も同じ手法だと思いますが……
製塩は、いわゆる、蒸発法による精製である。海水の水分を蒸発させ、NaClの純度を上げるために灰汁(あく)取り、沈殿、濾過行程を行い結晶化させるのであるが、この方法ではMg、Caイオンを完全に抜くことはできない。
硝酸カリウムの再結晶法で他の成分が少ない場合、溶解度積の原理により超高純度の結晶(大きな結晶体)を7割ほど回収できる(残りは溶液中)。
混液での再結晶法で溶解度積に差が少ない場合、大容量で再結晶を繰り返すと高純度なものが得られる場合がある。

>とりあえずそれはおいといて、実際当時の塩硝製法は再結晶で純度あげてますよね、としか返しようが
大砲発射薬の場合、黒色火薬の粒子径大きくして表面積を減らして相対的に吸湿量を少なくすることができる。そのため、ある程度の純度の硝石であれば必ずしも純度上げを行う必要は無い。

>つか糞尿に含まれる硝酸アンモニウムを炭酸カリウム(灰)と反応させ
>(イオン交換やら塩基置換とはいうけどイオン置換って珍しい響きですね、専門用語?)
イオンの置換とは、カリウムイオンを添加して溶液中カリウムイオン濃度を高めると、相対的にカリウムと結合する硝酸イオン割合が増え、結果として硝酸カリウムの結晶が多く採取できる。

>塩化ナトリウムと硝酸カリウムを温度による溶解度の違いによって析出させ精製する方法は
>当時でも保存輸送するためにカリウム塩にするのが常識、だったことを示すのでは?
[ 将軍→謙信の”鉄砲の虎の巻”は火薬製方秘伝書、玉薬(硝石と硫黄と木炭)の調合の秘伝書 ]での焔硝(塩硝・硝石)精製には、炭酸カリウム(灰)添加が無いよ。

>…なぜ他の塩が使われてた、と主張される意図がわかりにくいのですが……
自然に産出する硝石は、色々な塩類や硫酸成分などを含む混合結晶物であり、用途によっては精製せずに利用できる場合がある。
「なぜ他の塩が使えたのか」の説明は、硝石中の酸素成分がガス発生量に関係し、Na,K,Caは関係ない。
Na塩であれば単位重量あたり硝酸成分の多い黒色火薬ができる(Naの原子量は23、Kは39、Caは40)。しかし、Na塩は吸湿性がある。

>鄭若曾で言いたいのは、日本の銃の参考にはならない、ってことです(銃の使用にふれてないから)
当時の中国(明軍)には小銃が正式に採用されていなかったようなので、鄭若曾が知らないのは当然だと思う。小銃そのものが中国(明)に無いのだから、銃の使用にふれようがないのでは?
その当時の倭寇についても小銃が使われた記録もなく(火攻兵器の火槍は使っていたみたい)、明軍が使っていない(所持していない)小銃を倭寇が使っていたとするのは不自然であり、「倭寇が鉄砲用の硝石を日本に輸出した」とするのも不自然である。
しかし、倭寇が医薬用やその他の目的で使うための硝石についての輸出ならば、ありえる話である。

121人間七七四年2010/12/23(木) 15:55:58ID:DqpA6k5a
>>120
…意味不明なまま化学系用語使って講釈されてる気がするので、それにはコメントしませんが……

もともとは「種子島の火薬に使われる硝石は、南蛮人の高品質なものだけで独占されていた」
という仮説に対して、ほかにも供給源(倭寇)があるだろ? って主張なので、そこらあたりを……

1)フランスでは王に任命された硝石採取人がカリウム塩(ケール硝石)を作ってましたが、
確かに品質はインドセイロン産には劣りましたが当時の主力原料として使われています
つまり西欧でも硝石の質が軍の強さに直結していたわけではないのです
ですから”軍(銃兵)の強さに硝石の品質で論ずる意味はない”とおもいます

2)黒色火薬だけを見た場合、少なくとも応仁の乱1468には火槍の記録があり使用はあったわけで、
その時点での硝石供給元は中国人(倭寇)としか考えられません
つまりもともと硝石(黒色火薬)の消費輸入は鉄砲伝来以前の日本からあったと見るのがよかろうかと

つまり当時の実情1)2)を鑑みると、南蛮人の高品質硝石が高額で取引されたにしても
「それしか種子島に使わなかった」理由はどこにもないわけで

122人間七七四年2010/12/23(木) 22:28:46ID:GkN/tAHe
>>121
>…意味不明なまま化学系用語使って講釈されてる気がするので、それにはコメントしませんが……
こちらの説明能力が低く、誤解を与えるような表現になっていてすみません。
私も「硝石の輸入は鉄砲伝来以前の日本からあった」と見ているし、硝石の国産化も早かったと見ていますが、『ほかにも供給源(倭寇)があるだろ?』は疑問があり不同意。

>>73
>当時の硝石生糸は中国から来てたぞ
日本での生糸産地は、塩硝製造で著名な五箇山は天文以前からであり、他にも産地はある。
証如の石山本願寺日記に五箇山の生糸受取が載っていることから、五箇山は、京・大阪・堺で生糸を販売していたようだ。

>>80
>(参考資料) 海外貿易から読む戦国時代 著者/武光誠
突っ込みどころ満載の書籍である。

>>86
>ちなみに加賀藩は現在で言う富山県南栃市で土壌が製造に適した為に高品質の秘密塩硝製造基地があった。
五箇山での塩硝製造法で土壌を使ったのは江戸中期以降である。それ以前は土壌とは関係が無い製造法である。

>>87
>ちなみに加賀の塩硝生産本格化は江戸時代
生産は加賀藩支配より前、五箇山が惣村であった時代から生産。たまたま、五箇山に史料が残っていただけで、他の地方でも生産していたのは当然である。
>発祥の説は2つ、大阪本願寺が信長に対抗するために技術者を派遣(1570)
>もしくは洲崎恒念が大阪・堺から技術を輸入(17世紀初頭)
どちらも根拠の無い、誤った仮説。五箇山の本願寺支配をこじつけるための仮説か?

>>89
>塩硝生産地で有名な”五箇山”は富山県の南西部の端っこ、白川郷のおとなりだ!すぐ地図で場所確認を
当時白川街道は、新潟・富山から京都へ抜ける最短距離の中世の道。朝倉が海上封鎖したときは大いに賑わったようだ。

>>92
>ではお前は雑賀衆や本願寺が大量の鉄砲を使用できるだけの火薬をどこから調達してきたと主張するわけ?
寺の由緒書きであるが、「五箇山の塩硝を買い集めて石山本願寺の鈴木に差し出した」とする記録がある。

123人間七七四年2010/12/24(金) 01:44:57ID:jtKKFyEp
>>121
和冦の頭目の王直が硝石の輸入に携わっていた一次史料を出せよ。
日本全国に種子島伝来以前と言うそんなに古くからの火薬需要があったなら
のちの鉄砲大量生産時代も含めてたくさん王直の硝石取引史料が出てくるはずだろ。

124人間七七四年2010/12/25(土) 02:06:36ID:eq4xQsUO

125人間七七四年2010/12/28(火) 18:19:49ID:iA9zB1w2
>>122
こちらこそ失礼しました、ただイオンは水溶液中の状態なので置換って言葉は違和感あります……

>「五箇山の塩硝を買い集めて石山本願寺の鈴木に差し出した」
室町時代以前から日本海側(加賀敦賀)での海外交易はあったわけですが
少なくとも五箇山は山中で海外交易の中心地にはなり得ないから、これは自国生産の話ですよね
五箇山の伝承ですら硝石生産開始は1570、それ以前に現地で生産があった仮定はちょっと無理があるのでは?

南蛮人が本格的に日本に商売きたのは1550年代以降(ザビエルですら49年に南蛮船ではなくジャンク船できたわけで)
しかも南蛮船自体は九州(平戸や長崎とか)までで、近畿(堺)への入港はありません
でも鉄砲伝来伝承は1543、数年で近畿では自国での鉄砲量産はじまり鉄砲傭兵が存在していたわけで、
硝石供給源を南蛮人交易商のみと仮定すると生じるブランクの説明の一つとして倭寇貿易を指摘しているわけで

南蛮船が優良な兵器を売りに来て日本の大名がどんどん購入したのなら”供給の独占”は成立すると思います
が、兵器数が自国産でどんどん増えてる状況があり、それに使う火薬の材料の独占の効果への疑問とか
まぁここらはなぜ日本で攻城砲が広まらなかったのか、あたりとも関係しそうな気はするんですが、
自分はまだちょっと良い仮説思いつかないのでナニですが……

>>123
近畿での火薬の使用は15世紀には記録されてる
前世紀から普通に輸入されてたものについて、しかも個人(?)の貿易記録だせ固執されても??

126人間七七四年2010/12/28(火) 21:27:56ID:uolVlS0x
>>125
>こちらこそ失礼しました、ただイオンは水溶液中の状態なので置換って言葉は違和感あります……
結晶体は水溶液ではない。イオン交換樹脂&イオン置換で検索を。

>室町時代以前から日本海側(加賀敦賀)での海外交易はあったわけですが
朝倉氏遺跡から多量の海外交易品が出土しているが、日本海側交易の詳細は不明。
>少なくとも五箇山は山中で海外交易の中心地にはなり得ないから、これは自国生産の話ですよね
自国生産だが、朝倉氏に負けた人々が五箇山に入り定着したようだ。
>五箇山の伝承ですら硝石生産開始は1570、それ以前に現地で生産があった仮定はちょっと無理があるのでは?
1570年の硝石生産開始は、まったく根拠の無い仮説で、伝承では無い。
>でも鉄砲伝来伝承は1543、数年で近畿では自国での鉄砲量産はじまり鉄砲傭兵が存在していたわけで、
1543年の鉄砲伝来は伝承であり不確実。近畿での鉄砲量産は家伝による。使用量からみて、他でも量産はしていたことは間違いない(開始の時期は不明)。
>硝石供給源を南蛮人交易商のみと仮定すると生じるブランクの説明の一つとして倭寇貿易を指摘しているわけで
なぜ南蛮人交易商のみと仮定するするのか判らない。だから倭寇貿易が出てくるのであって、仮定を再度検討されては。
>南蛮船が優良な兵器を売りに来て日本の大名がどんどん購入したのなら”供給の独占”は成立すると思います
>が、兵器数が自国産でどんどん増えてる状況があり、それに使う火薬の材料の独占の効果への疑問とか
>まぁここらはなぜ日本で攻城砲が広まらなかったのか、あたりとも関係しそうな気はするんですが、
南蛮船・倭寇が仮に硝石を日本に持ってきたとしても、短期間内に完売することができる日本国内での販売ルートが無ければならない。また、当然代価が必要となるが・・・。代価が入らないと船は自国に帰れない。
>自分はまだちょっと良い仮説思いつかないのでナニですが……
仮説を立てるにはネット検索や雑誌だけではなく、できるだけ図書館などで原典・原本に当たられては。


127人間七七四年2010/12/28(火) 22:20:03ID:V32SrUy9
和冦が硝石貿易をしてる証拠が無い以上は国産と南蛮人が供給源だろ。
そもそも和冦貿易なんて秘密裏にやってる以上は
流通量もごくわずかな高級芸術品の取引が大半だろ。
大量取引やってたら価格維持できず廉価になるだけだし。
南蛮人がやってくるコストに見合わなくなる。

128人間七七四年2010/12/29(水) 00:01:19ID:uolVlS0x
>>127
南蛮人が日本と硝石貿易をしていた証拠はありますか?
解らないのは、南蛮人とはポルトガル人限定でしょうか?
高級芸術品の意味が解りません。

129人間七七四年2010/12/29(水) 01:10:48ID:5mb8/5+B
そもそも倭寇を過大評価しすぎ。
倭寇は中国や半島の沿岸を荒らしまわって討伐を受けていた
下記に見られる海賊集団で、大規模な貿易船団を経営なんてしてない。
硝石流通ルートなんて押さえてるわけもない。

薩摩の国は日本の最果てなので中央の政庁ではまったく注目されつ事がない。
なぜなら昔から今に至るまで際立って貧困でなんら評価されるものがないためである。
ゆえに薩摩は自立できず、シナからの略奪だけが生活方法であった。
大型船を持つ者達は年間の大半をシナの海岸地帯での略奪行為で過ごし戦死し
小船しかない者は略奪へ行く過程でしばしば遭難した。

130人間七七四年2010/12/29(水) 01:34:34ID:49EFtK4O
>>129
16世紀の後期倭寇を誤解しているのでは?
偽倭の行為を考えなければならない。

131人間七七四年2010/12/29(水) 02:15:14ID:5mb8/5+B
1553年3月には早くも舟山群島の烈港を官軍に急襲され王直は日本に逃走して力を失ってるし
それ以後のいわゆる後期倭寇の活動はもっぱら
中国人数百人レベルでの散発的な江南地方での略奪祭りでしかない。
単に中国沿岸で略奪したものを転売してただけで
倭寇が硝石の貿易をしていたとかトンデモ話に飛躍しすぎ。
硝石の貿易については>>82に指摘されてるし
日本にいた王直が貿易においてなんの力もなかったのは>>83でわかるじゃん。

132人間七七四年2010/12/29(水) 08:54:15ID:49EFtK4O
>倭寇が硝石の貿易をしていたとかトンデモ話に飛躍しすぎ。>>131
ということは、鉄砲伝来倭寇説もトンデモ話となるのか?
もともと王直は、「鉄炮記」の鉄砲伝来の根拠として「五峰」と結び付けられた名前であり、今のところ王直の鉄砲貿易記録は無い。
>ゆえに薩摩は自立できず、シナからの略奪だけが生活方法であった。>>129
中国からの略奪品に硝石が含まれる可能性は低く、薩摩の硝石に対する関与も低い。
>和冦が硝石貿易をしてる証拠が無い以上は国産と南蛮人が供給源だろ。>>127
南蛮人をポルトガル人限定とすれば、当時はカピタン・モール制となっており、ボルトガル官許船は年間1〜3隻と限定され、それが貿易量の全てである。
今までのところ、この貿易記録には硝石・火薬の文字は無いので南蛮人供給源説には疑問。また、限定された貿易方法・貿易量内で日本の硝石需要を潤すのも疑問。
ポルトガル人以外の南蛮貿易はまったく否定はできないが、季節風による年間1航海、途中の海賊対応、日本での販売ルート、決済方法などから疑問。
諸大名の直接貿易も否定できないが、西海道・山陰道以外の東山道・北陸道などの守護大名については無理がある。

133人間七七四年2010/12/29(水) 12:00:29ID:90jVp0OA
鉄砲記自体が信憑性低いし。

134人間七七四年2010/12/29(水) 13:12:49ID:G8nGIPtZ
1日:SRbRt7/c
2日:yBuZd+3I
3日:o+o0gV/n
4日:rYPytEYc
5日:4unj3228
6日:HZyZHJuB
7日:Pr0BqS6o
8日:QZzSow+8
9日:dH21dwXm
10日:QhbdL8yu
11日:Fbumpij3
12日:NkFakL2T
13日:wa3wFaH9
14日:HVS9ZQrC
15日:FtIbsd7Z
16日:hymCl0X/
17日:L5q7gGw+
18日:yQDzX8T6
19日:vTXG1r1b
20日:n2y5dJB0
21日:PEdhLYSD
22日:FSYyFstb
24日:jtKKFyEp
25日:eq4xQsUO
26日:NNnl+Koa
27日:WwnFpB58
28日:N6fQfW6s V32SrUy9
29日:5mb8/5+B 90jVp0OA

135人間七七四年2010/12/31(金) 15:46:39ID:yibJp3Ld
>>58
>キリスト教の伝播は、西日本どまり?
>>60
>東国で、キリスト教が流行らなかったのは、何故か?

ポルトガルはトルデシリャス条約・サラゴサ条約が結ばれていたために東日本までは進出せず、結果的に東国でキリスト教が流行らなかったのではなかろうか?
スペインが東日本へ進出する前に、秀吉によりバテレン追放令が発せられた。ただし、「キリシタン信仰は自由であるが、大名や侍が領民の意志に反して改宗させてはならない」ことが明記されている。
当時、キリスト教の信仰は自由であったけれども、宗教の選択肢を多く持つ日本人の国民性により、旗振り(大名などの主導者・宣教師)を必要とするキリスト教は衰退し、「国民の大多数がキリスト教徒でない唯一の先進国」として今の日本があるのでは?
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080607
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon19.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1237988987
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432035044


136人間七七四年2011/01/01(土) 09:34:57ID:SCuxLW/A
>>135 に追加します

『世界史においては、日本は東西に分割され、スペイン領とポルトガル領になる取り決めがなされていたことになる。
もちろん、まさに「机上の空論」に終わったから、日本はどちらの領土になることも無かったが、ほんのわずかの運命のいたずらで、笑い話では済まなかったかもしれないのである。・・・・・
サラゴサ条約の境界線は、北海道をわずかにかすめる。つまり、この条約によれば、日本はポルトガルに帰属することに決まっていたらしい。
しかし、不思議なことに日本よりずっと西に位置するフィリピンはスペイン領となり、その後、長い植民地の歴史をたどることになる。』
http://mukb.medic.kumamoto-u.ac.jp/fukusei/oobangia/2007/070518.html

137人間七七四年2011/01/01(土) 14:35:23ID:wHmxKBOx
幕府がオランダ人以外と貿易しないようになるまでは
いろんな国から来てたぞ。

138人間七七四年2011/01/01(土) 16:34:14ID:3cgBAHOC
>>137
オランダ以外の西欧諸国とは貿易しないの間違いだろ唐人や朝鮮を忘れてちゃ困るがな
唐人屋敷が置かれる前まではタイやベトナムからも唐船入港してたし
とくにタイからはイラン人が唐船仕立てて来航していてペルシャ語の通詞もいたんだぜ

139人間七七四年2011/01/02(日) 13:46:45ID:1GUVMoUE
なんか意味不明な…噛みつき方してるな。
普通にスペイン人とかも来てたっことだろ。

140人間七七四年2011/01/03(月) 03:25:04ID:Dl/6X40q
美作三浦氏は大友宗麟から鹿介経由で塩硝を援助してもらい(1569年?11月19日の書状)

141人間七七四年2011/03/11(金) 03:46:37.46ID:QQTQ+bfY
仏教など多神を信ずる国民にとって、キリスト教はどの様に捕らえられていたものか?
仏陀や天照などと同列? 多神教の中で、キリスト教は本当に受け入れられたのか?

142人間七七四年2011/03/11(金) 03:52:50.94ID:F+fv4rdu
キリスト教は日本で布教するために宗教用語を仏教から採用したので、当初仏教の一派くらいにしか
思われていなかった。

のちキリシタン大名などに取り行って仏教や神道を弾圧するようになって初めて
それが異物だということに気が付き、激しく反発するようになった。

143人間七七四年2011/03/11(金) 04:47:04.13ID:nCr53VBy
キリスト教vs仏教ばっかり気になるようだけど、仏教vs仏教も当時は激しかったよ 
本願寺なんて何回も焼き討ちされ比叡山だって信長だけが焼いたわけじゃない

それにキリスト教徒の中にも過激派(大友とか)と穏健?派(黒田家とか)がいたわけで
すべてのキリスト大名が領国内の神社仏閣を燃やしたり弾圧したわけでもない

最終的に政治的禁令で領主の信者が無くなるとこなんかもみると
現在のキリスト教(新興宗教含めて)と似たような状況だったんじゃないかなぁ

144人間七七四年2011/03/11(金) 11:09:34.89ID:F+fv4rdu
>>143
戦国期の仏教対仏教、あるいは仏教対世俗勢力はそのほとんどが世俗領主敵対立であり、
個人の信仰を問題にしたものではない。

キリスト教はキリスト信仰以外を悪とし個人に対して信仰を強要した。
基本何を信仰していようと問題にしなかった日本仏教徒はこの根本的な部分で異なる。

一向宗でも比叡山でも法華一揆でも、非信徒も大量に存在していた。

145人間七七四年2011/03/11(金) 15:14:56.82ID:nCr53VBy
>>144
法華宗でも本願寺でも領主の信仰が基準でその被支配者の意志は無関係なんだから
キリスト大名とおなじじゃない? (高山友照だって配下領民が全員キリスト教徒てわけじゃないのに寺焼いた)

それに当時のキリスト教も「異教徒は悪」と認定してはないよ、教化されてない土地民は”豊かな大地”あつかい
で、布教を妨げたり弾圧するものを”悪魔”と呼んでる(それ故、他の宗教施設は悪魔の所行だから壊した)
でも、施設や拠点破壊は近畿の法華宗が一向宗に加えたものと比較してもどっこいどっこい、
それはキリスト教とやってることは変わらないけど??

つかどこの宗教も攻撃対象に”仏敵(悪魔)”なんてレッテルはるのは普通、
他の宗教に対して非寛容だっただった時代だからねぇ、ナニを信仰しても人間性(とその行動)は同じだよ

146人間七七四年2011/03/23(水) 05:47:45.12ID:8BamesrP
そもそも鉄砲を豊後の猟師が使用してるのを見て
それを学んだ薩摩商人の岸和田が創始した岸和田流の炮術があってだな、それを関東に広めていったと言われている。
また根来衆の杉房や二王坊という者もおそらく同時期くらいに関東に広めてると思われる。
ただ焔硝の製法である古土法だと大量生産ができずに普及が進まなかった(当時は明との交易は禁止されていた)
信玄なども1555年正月に焔硝について触れている書状がある。
1549年太原雪斎が信秀の安祥城を攻略した決め手も奇襲した際の鉄砲だと言われてる。
良質のインド産の焔硝をポルトガル商人から輸入できるようになってから大量運用が可能になる。
ちなみに信長が岐阜城を落したのと同時期に
宗麟が司教宛てに毛利への硝石の輸出禁止と
毎年良質な硝石200斤の大友への輸出を航海指揮官ピタン・モールに頼んで欲しいと依頼しているほどの戦略的な軍事物資。
信長が道三との会見で鉄砲を大量所持していたとしても
希少価値が高い硝石の在庫がそんなにあったのか疑問。
もしあったのなら尾張国に集まる経済力と富はとてつもないものだったろう。

147人間七七四年2011/05/03(火) 20:12:04.17ID:GiUWgUGo
信長に対して挙兵した義昭が二条城に籠城する際に灰木が献上されているので
二条城内で火薬製造しようとしていたのは確実とされる。

148人間七七四年2011/05/04(水) 01:28:24.61ID:ytuQtgrc
1557年頃に周防国須磨城を攻城中の元就が家臣に
「塩硝を作るのでその方の馬屋の土を所望する」
「塩を作る人が罷り越したので古い馬屋の土が入用なのでその方に調達を命ずる」
と書状で指示している。

149人間七七四年2011/05/04(水) 05:29:17.51ID:iT1UV+eJ
×須磨城
○須々万沼城

150人間七七四年2011/09/08(木) 19:25:05.40ID:vjfWC1g7
>>138
朝鮮とは国交はあっても貿易はしていない
清とは国交もなし

151人間七七四年2012/01/02(月) 12:03:04.38ID:ifXsqylc

1524432012/01/04(水) 23:14:34.87ID:EFm+4FKZ
イエズス会宣教師が見た日本の神々

↑の本には当時の宣教師が日本の軍事力情報を祖国に送っていたことやら寺社に放火して焼死させたりする悪行の記録がのっている。

153人間七七四年2012/01/15(日) 19:26:20.42ID:u2+mRcgO
イスパニアは、日本を植民地にしたかったでOK?

154人間七七四年2012/01/16(月) 00:17:12.65ID:uMx35wKq
>>153
無理。
というかスペインは、フィリピン総督から「日本人とは争うな」って命令出してるくらい。

155人間七七四年2012/01/24(火) 03:00:30.23ID:hKpG0aYS
>>154
いや、したいかどうかだから、答えは「したい」だよ。
で、できるかどうかと聞かれれば、そりゃ「不可能」。

156人間七七四年2012/01/25(水) 18:29:05.79ID:JdTtOPNg
>>155
なにいってんだ?したいかどうかってだけならどの国だって世界征服したいだろうよ。
不可能だからどの国もやらないだけだ。

言いたいことの意味がわからん。

157人間七七四年2012/01/25(水) 19:02:01.65ID:REPIzGSg
ならそう答えりゃいい話

158人間七七四年2012/01/26(木) 12:09:27.32ID:xbDYrh5F
>>154が勝手に文意取り違えて一人喚いてる図だな

159人間七七四年2012/01/26(木) 18:35:58.63ID:E0YGWTy2
イエズス会って今もあるんだよな。

160人間七七四年2012/03/06(火) 20:59:47.62ID:C4ZWBQqH
調査の結果、日本は民族全体が戦馴れ&最新鋭の銃器を多く所有し武装してるから侵略は難しい
むしろ日本人の背中を唆して明征服の尖兵として差し向けた方が理に適ってると本国に進言してる

161匿名希望2012/06/19(火) 12:41:56.40ID:iernItfO
群馬県稲荷台町
群馬病院
シダミヅホ
豊○の会
キリスト教団へ至急連絡希望

162人間七七四年2012/07/11(水) 22:54:07.64ID:L6+0TcQy
朝日新聞2007年5月19日土曜日13版6面

ブラジルを13日まで訪れていたローマ法王ベネディクト16世が、1492年のコロンブス到達以降の中南米でのキリスト教伝道をたたえたことに、先住民や歴史学者から「虐殺や奴隷労働の過去を無視している」との批判が出ている。

ロイター通信などによると、法王は司教協議会での演説で中南米での伝導について「先住民は聖職者の到来を歓迎した」として「いかなる時も、コロンブス到達前の文化の自主性を奪ったことはなく、文化の押しつけでもない」などと述べた。

421 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/05/31(木) 07:55:49.48 ID:hM4S8D5M
ブラジルのアマゾン地域の先住者コイアブ族の指導者は「教会に支えられたヨーロッパ人の
植民の結果、数百万もの先住民が虐殺や伝染病、奴隷労働で亡くなった」として、
法王の言葉を「高慢で無礼だ」と批判した。

ベネズエラのマルドナド先住民問題担当相も「スペインの帝国主義的侵略が中南米
に大規模な民族虐殺をもたらした」と指摘。リオデジャネイロ連邦大のゴメス教授(歴史学)
は地元紙に「教会自体が先住民や黒人を奴隷として使い、奴隷労働を正当化し、
先住民にキリスト教を押しつけた」とコメントした。

163匿名希望2012/10/14(日) 12:41:20.27ID:1NcESa/E
豊○の会。群馬病院。
日本キリスト教団と日本プロテスタント教団と野中拡務事務所と
河野洋平事務所と河野太郎事務所に至急連絡願います。
連絡先 mizu1615@d/como.ne.jp
↑追記 菱田の言質は全て嘘です。お調べになって下さい。

164人間七七四年2012/11/19(月) 05:13:30.87ID:hUVLrPP2

165人間七七四年2012/11/23(金) 15:55:26.88ID:jjet8cwz
>>160
秀吉の唐入りに宣教師達が関与してた可能性もあるのか

166人間七七四年2012/12/24(月) 20:59:33.07ID:bB3+fonw
マスコミは騒ぐのが仕事、トラブルイベント飯の種、興味関心注目を集める為なら誇張扇動捏造もする。十分なリテラシー教育を受けていない者ほど偏向思想デマ宗教に感化洗脳される。因みに史上最多発行トンデモ本は新約聖書/感情自己責任論

167人間七七四年2013/08/27(火) NY:AN:NY.ANID:Qca9aT++
>>165
ないね。
フロイス日本史では唐入りを「空中の楼閣」と呼んで、この企画が無理な理由をわざわざ挙げてるくらいだから。

168人間七七四年2014/01/28(火) 18:51:23.25ID:jYzTuwB8
統一教会もキリスト教絡みの別働隊
韓国は地政学的に日本の潜在的味方だったから
分断して統治しただけ
日本が弱ると韓国の存在意義もなくなるのに
愚かな話や
戦国からあんま変わってない。

169人間七七四年2014/05/11(日) 00:42:26.67ID:YxUsi9CY
>>103
とりあえずこいつが「西洋文明」をろくに理解してないことは分かった。
ベンゲルの言葉でも調べれば?

170人間七七四年2014/05/19(月) 22:51:41.70ID:ipQl5aOn
確かに>>54も大概だが>>103は駄目だな

171人間七七四年2014/05/25(日) 17:54:36.17ID:DJNfso0l
>>167
それはフロイスが関与してなかったことにはなっても、
他の宣教師の動向まで判断できなくね?
いや別に関与したって説を支持してる訳じゃないが

172人間七七四年2014/05/25(日) 18:20:23.50ID:xY+L2pib
小西の成功を褒めるね。

173人間七七四年2015/02/22(日) 05:23:00.15ID:afBQa09J
宣教師の間で争いになったことはありますか?

174人間七七四年2015/02/22(日) 18:22:45.54ID:NkKuTt2m
7で言ってる
>イエズス会vsドミニコ会&フランチェスコ会&アウグスティノ会の信徒獲得マッチ
これじゃないの?

あと自分が思い出したのはイエズス会のなかでの小さなケンカ。親日vs嫌日
でもこれはイエズス会の東アジア最高責任者が親日だったからあっさり解決。とかなんとか。

175人間七七四年2015/02/24(火) 09:56:59.63ID:yfJs0MDL
戦国時代、キリスト教の宣教師は、沖縄、中国、朝鮮で布教をしましたか?

176人間七七四年2015/02/26(木) 18:16:14.51ID:vEdJGQNA
私の記憶が正しければ…

沖縄→行かず仕舞い、そんな島があるらしいと記録に残すのみ
中国→鎖国状態でなかなか入国させて貰えず。
   やっとこさ入国出来た後は布教頑張ったがあまり成果なし。
朝鮮→日本行きの船が遭難して半島に流れ着いたことあるけど皆殺し食らう。
   そのため警戒して秀吉軍と共に初上陸。ちょこっと布教頑張る。

177人間七七四年2015/03/04(水) 23:15:07.34ID:v9lrQLug
ドイツ、フランス、英国、東欧、北欧出身の宣教師はいましたか?

178人間七七四年2015/03/06(金) 00:11:45.25ID:Nx2QDSVp
       |\           /|
        |\\       //|
       :  ,> `´ ̄`´ <  ′
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       八    、_,_,     八
.       / 个 . _  _ . 个 ',
   _/   il   ,'    '.  li  ',__朴と契約して慰○少女になってよ

179人間七七四年2015/03/08(日) 20:25:32.49ID:bfYI9o71
公家にキリスト教は浸透しましたか?

180人間七七四年2015/12/09(水) 18:46:19.91ID:4ed8NkfD
いいえ。

181人間七七四年2015/12/12(土) 18:47:30.10ID:7v2NDYZh
本気でバテレンを信じていたバカって
どの程度いたの?
オンナは別にして。

182人間七七四年2015/12/22(火) 17:50:32.49ID:dS7BPhVR
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183人間七七四年2016/01/02(土) 18:57:37.57ID:t00RUa6T
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。

184人間七七四年2016/01/10(日) 00:59:51.10ID:YVtkef7m
【大分】キリシタン殉教記念公園にある説明板、塗料かけられる ©2ch.net
http://daily.2ch. net/test/read.cgi/newsplus/1452349682/

185人間七七四年2016/01/10(日) 20:24:43.65ID:Cl1duCNt
切支丹すなわち阿片の持ち込み。聖書(新約、旧約)のどこを禁止してるんだよ。

186人間七七四年2016/12/30(金) 04:07:32.38ID:mGD3tP7A
保守

187人間七七四年2017/01/24(火) 17:16:15.98ID:ODF861Cn
>>65
へー同じ戦国時代のキリシタンなのに迫害される人とされない人がいるのは可哀想だね
姫様だからいいんだろうか

188人間七七四年2017/03/04(土) 10:03:30.31ID:P/xoDGEe
>>187
大友宗麟の娘で小早川秀包の妻だったマセンシアは
島原の乱の後も1648年に亡くなるまでキリシタンだったらしいな

189人間七七四年2017/07/03(月) 03:37:32.08ID:X3DpE5Yd
>>187
バテレン追放令は布教や大名の信仰はダメで個人としての信仰はオッケーだったからでは?
のちに彼女らは改宗してるっぽいけどね

政宗のロザリオは支倉のお土産とかオシャレアイテムとしてのクロスのペンダントだとも言われてるね

190人間七七四年2017/10/08(日) 21:00:26.93ID:s3g3mCIt
伊東マンショの肖像画のドキュメンタリーが思いのほか面白かった
ローマ教皇の即位式の壁画に少年使節も描かれてたとか知らない事ばかりだった

191人間七七四年2018/03/18(日) 02:50:55.55ID:bAeC2qd0
既存宗教が一部例外を除き金持ち権力者しか相手にしてなかったから
信仰と救済の対象外だった下民に直接宣教したからキリスト教一気に広まった
一般民衆に宗教的モラル(者の善悪と社会性の基礎)が浸透していない文明レベルが原始時代の戦国日本には簡単に布教できただろ

尚、一部例外が悪人正義を掲げて既存仏教の布教対象(富貴層)からこぼれ落ちた下民に積極的に教えを説いていた親鸞の子孫たちつまり一向宗

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