【佐竹・江戸】 常陸の戦国大名2 【小田・大掾】

1人間七七四年2011/11/23(水) 23:47:20.76ID:v6woXd9p

2人間七七四年2011/11/24(木) 15:29:51.78ID:ayW9895K
立った。

3人間七七四年2011/11/24(木) 19:32:24.30ID:0f9dObfp
あーあ、たてちゃった
せめて「常総の戦国大名」「茨城の戦国大名」にでもすればよかったのに

4人間七七四年2011/11/25(金) 00:41:54.93ID:bnnoQMIb
[     ]   源  高基(足利)
[  ]拾疋   源  義明(足利)
[ ]佰疋    源  義篤(佐竹)
弐百疋    源  政治(小田)
佰五拾疋   藤原通泰(江戸)
佰疋      藤原政朝(結城)
佰疋      源  勝貞(菅谷)
佰伍拾疋   平  宗幹(真壁)
佰疋      藤原政長(小山)
佰弐拾疋   平  忠幹(島崎)
佰疋      藤原忠綱(宇都宮)
七拾疋    多賀谷家重
伍佰文    源  治頼(土岐)
伍佰文    藤原治持(水谷)
伍佰文    平  由隆(岩城)

5人間七七四年2011/11/25(金) 01:11:10.67ID:dZErc4dS
国安氏って山入嫡流の生き残り?

6人間七七四年2011/11/25(金) 07:56:29.40ID:8DVWngTo
スレタイが何だろうと結城の話は絶対に出る。

7人間七七四年2011/11/25(金) 10:28:54.26ID:/90dCj26
トキ鯖 乙

8人間七七四年2011/11/30(水) 19:53:13.34ID:jpgL2+9A
早くも下野の方に差をつけられたな。

9人間七七四年2011/12/02(金) 13:31:22.09ID:uHi1YnEq
ま、佐竹や多賀谷の専門スレあるからね。
基本、小田、江戸、真壁はそれらでことが足りるから。

10人間七七四年2011/12/02(金) 20:55:04.00ID:MSq26OC+
こっちもがんばれ

>>9
大掾も入れてやれよwww

11人間七七四年2011/12/02(金) 20:59:13.90ID:6gM/Sdfu
何だか結城と旗下の話題を、ここじゃなくて下野スレでやってるしw
>>8-9の諸氏の中で、まともに史料あるの佐竹だけだからな〜

12人間七七四年2011/12/03(土) 19:43:31.69ID:AgNlK4Ku
>>9

江戸氏は旗本として生き残ったんだっけ?

13人間七七四年2011/12/04(日) 02:22:20.75ID:VlUtaLj8
いや、江戸宗家は小田氏と同じく越前松平氏の元に逃れた
あまり判然とはしないが越前松平氏の家臣になったようだ 

14人間七七四年2011/12/05(月) 13:36:49.95ID:TucyS98N
常陸で本領を安堵されたのは水谷氏くらいじゃない。
水谷ネタ、下野スレで盛り上がってるな〜。

15人間七七四年2011/12/05(月) 21:26:04.21ID:sBR9nOUE
越前松平はどれだけ常陸の滅亡氏族の受け皿になってんだ?

16人間七七四年2011/12/06(火) 00:25:06.71ID:VP5+8Lp0
岡見氏家臣の栗林義長って実在の人物なの?
もしいたとしてもぜったい孔明並みの活躍なんてしてないだろうけど。

17人間七七四年2011/12/06(火) 07:36:57.37ID:u4s8opXO
>>15

野村再生工場の先駆けだよ。

18人間七七四年2011/12/08(木) 22:30:07.77ID:40UUhySD
下野は佐竹スレみたいなのが他にないから伸びるんだろ。

19人間七七四年2011/12/09(金) 00:44:22.23ID:t4/IEXDW
>>11
ん?小田・江戸て戦国大名としては滅亡しても
お家が滅んだわけじゃないのに史料残ってないの?
越前松平とその分家には小田・江戸+春秋・多賀谷が仕えたはず

20人間七七四年2011/12/09(金) 03:07:55.11ID:nXjUnubi
越前松平は分割されちまったからな
あの混乱の中で三河系も北関東系もまともな資料残ってる家臣少ない

21人間七七四年2011/12/10(土) 23:25:16.73ID:icLN6mII
>>11
真壁文書が残ってる真壁氏は小田や江戸より大分マシでしょ。

22人間七七四年2011/12/11(日) 20:20:35.66ID:CwsRzgZB
佐竹=常陸太田
結城=結城
小田=筑波
大掾=鹿嶋
江戸=水戸

23人間七七四年2011/12/11(日) 21:47:22.55ID:MtCDVXbZ
越前家解体の中で皆様どこへ配属されたの?

24人間七七四年2011/12/11(日) 22:43:54.71ID:qBqphb5n
>大掾=鹿嶋

は冗談だよな?

25人間七七四年2011/12/12(月) 00:36:03.17ID:BQJexC+l
佐竹=常陸太田
小野崎=山尾
江戸=水戸
笠間=笠間
真壁=真壁
大掾=府中
鹿島=鹿島
玉造=玉造
小田=小田
菅谷=土浦
岡見=牛久
土岐=江戸崎
多賀谷=下妻
相馬=守谷

26人間七七四年2011/12/12(月) 05:51:32.85ID:O4FskaOS
>>25

> 相馬=守谷


ここは知らなかった

27人間七七四年2011/12/12(月) 13:16:57.62ID:wdMALhKY
>>25
下館のおうちはどうした?

28人間七七四年2011/12/12(月) 14:57:46.54ID:PnyNpGv5
水谷氏は天領となった笠間城も預かってたんだ。
結城家関連に、「水谷勝隆は笠間城を守り」とあったのを
下館城の間違いじゃない? なんて思っていたのだが…。

29人間七七四年2011/12/12(月) 15:05:41.00ID:fTFH0KuX
>>27
そういや下館も常陸だったか

水谷=下館
太田=片野
梶原=柿岡

30人間七七四年2011/12/12(月) 16:40:56.31ID:inznOwMq
>>28
> 水谷氏は天領となった笠間城も預かってたんだ。


それは知らなかったよ

31人間七七四年2011/12/13(火) 01:08:26.82ID:VcEFMte9
>>21
真壁は庶流の長岡だっけ?にも家文書が残ってるからいいね
江戸・小田は水戸やつくばの市史に蒐集されてないの?

32人間七七四年2011/12/13(火) 01:31:55.91ID:GfJjE8Jl
「史料ない」ってのは
「全くない」という意味じゃなくて「少ない」という意味だろjk

33人間七七四年2011/12/13(火) 08:16:25.20ID:slurqiGw
>>32
誰も全くないなんて文脈で話してないけど

34人間七七四年2011/12/13(火) 10:51:38.74ID:hQ6Dh96O
>>31
江戸氏や小田氏は宗家がどうなってしまったのか分からないのだよ
江戸時代初期に越前松平氏に仕えていたのは間違いないけど、その後どうなったのやら
文書は宗家が所有しているはずだから子孫がいるなら名乗り出て欲しいものだ

35人間七七四年2011/12/13(火) 13:56:01.07ID:/BamCpzw
>>28
寛永系図のなかに
「慶長14年に開かれた能に諸大名が招かれたが、
なぜか水谷家と皆川家が座る桟敷が用意されていない。
で、本多佐渡や大久保相模守が
『両家は笠間城の番も勤める、関東では欠かせぬ忠臣』
と慌てて席を作った」という挿話があり。
当時水谷家が笠間城を一時預かりしていたことが分かりました。

36人間七七四年2011/12/14(水) 01:17:05.90ID:F3baQ34d
茨城県史料の県外文書が福井や島根まで行くのを待ちますか
今のペースでも50年も待てばさすがに福井まで行くでしょうし

37人間七七四年2011/12/14(水) 11:41:49.55ID:Z5Q7gw8W
50年・・・
とても待てません('A`)
福井県資料に収録されていないのだろうか

38人間七七四年2011/12/15(木) 01:00:47.98ID:jGmliYb1
小田家伝来の具足どっかのサイトで画像見たような

39人間七七四年2011/12/15(木) 17:47:56.07ID:Xvx6L5de
小田関係で家記とか軍記の類は結構あるけど信頼性の低いのばっかなんだよな。

40人間七七四年2011/12/15(木) 20:57:43.69ID:sOBAxL7q
何故、我らが島崎氏=潮来を蔑ろにする。
島崎盛衰記、おもろいよ。

41人間七七四年2011/12/15(木) 23:35:34.66ID:xLUNoabZ
信頼性低くてもあるだけマシじゃないですか
語られもしない方々もいるんですよ!

42人間七七四年2011/12/16(金) 00:45:00.69ID:ccVer/3y
なにで読める?>島崎盛衰記

43人間七七四年2011/12/16(金) 09:34:42.86ID:MWWSMats
>>42
県立にも国会図書館にもないくせに潮来とか行方の市立図書館にあるのは知ってる。
俺も「行方軍記」共々いずれ見てみたいとは思ってるんだが。

44人間七七四年2011/12/16(金) 11:11:53.58ID:TG+TcXCd
江戸旧記、行方軍記、烟田旧記、島崎盛衰記、鹿島治乱記
何気にどの勢力も軍記持ってるよな

45人間七七四年2011/12/16(金) 11:43:45.79ID:MWWSMats
烟田旧記は軍記じゃないってば。

46人間七七四年2011/12/17(土) 17:30:16.75ID:6g+/cLFI
小田家だと配下の『菅谷軍記』とかもあるしな。結城家臣系では
『多賀谷旧記』『水谷蟠龍記』。江戸崎の土岐氏系はないな。

47人間七七四年2011/12/18(日) 00:55:00.27ID:hEnWOXDR
結城御代記
結城家之記
水谷蟠龍記
水谷家由緒書

48人間七七四年2011/12/19(月) 03:06:23.49ID:0SHk6VCK
小田家の軍記はせっかくの軍記なのに負け戦のオンパレード。

とにかく勝ち戦なんて無かったという事だなぁ。

49人間七七四年2011/12/19(月) 08:24:11.24ID:lR2hG7M5
でも軍記だと荒武者いっぱいで強そうではある。

ところで氏治の勝ち戦である三村の戦いの詳細ってどういう史料でわかる?

50人間七七四年2011/12/20(火) 21:37:15.65ID:w8zA25BN
何度かある小田城奪還成功を勝ち戦とするなら言われているほど負けばかりではない?

51人間七七四年2011/12/21(水) 17:43:35.35ID:1OuA0eTa
正面から軍事力で城を奪い取ったというわけでもないからな〜。

小田城を奪った佐竹や結城が占領軍を駐留させる余力がなく、
さらに農民が年貢を渡さなかったことから、
仕方なく撤退していったという観がいなめない。
特に結城家は結城合戦で一時家臣団が解散しているから兵力が
とにかく少なかったので、小田領維持は不可能だった。

52人間七七四年2011/12/21(水) 21:12:52.78ID:q1CLFUt4
それゆえ破却が望まれたのだな。

53人間七七四年2011/12/22(木) 00:51:59.41ID:5zzQVcGZ
むしろ真壁や太田親子に奪われたのが悲しい
あの辺りはせいぜい1〜2万石程度だろう

54人間七七四年2011/12/22(木) 00:56:21.90ID:LfcX9W4R
もっと小さい。数千石でしょ

55人間七七四年2011/12/22(木) 01:38:24.07ID:wBg2ZIHq
>>51

> さらに農民が年貢を渡さなかったことから、


なにげに頑張りを見せたんだな

56人間七七四年2011/12/22(木) 11:43:26.96ID:5zzQVcGZ
天庵様は自国の領民が1人殺されたら相手の領民10倍殺すぐらい領民思いだからね

57人間七七四年2011/12/22(木) 13:00:03.47ID:HWtk8qfg
>>55
東国の百姓は自主性が高かったみたいね。
多賀谷と北条との最前線となっていた村では
百姓が両家にそれぞれ半分ずつの年貢を納める
半手取りとしていたらしい。
しっかり略奪から守ってくれない領主には
年貢を納める義理はないってことだね。

>>56
だから小田城を本拠にしたんだろうね。
防御には向かないけれど、領土を治めるには
最適な土地に腰をすえ、領民を守ろうとしていた。

58人間七七四年2011/12/22(木) 16:18:27.56ID:g4C+RAJi
小田城は守りにくい地形のところにあるなあ。

行政のための役所おくには良いが、軍事要塞おく場所ではないかも。

59人間七七四年2011/12/22(木) 16:59:47.27ID:xqhaEGZW
>>53
>>54
真壁は義幹が入った柿岡を合わせて
四、五千石程度じゃなかったっけ?

60人間七七四年2011/12/23(金) 00:42:18.97ID:Ojw/TPHX
そういや小田領は何万石あったの?

61人間七七四年2011/12/23(金) 13:46:20.83ID:W/TlBg7s
100万石w
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ku4t-tkhm/odaichimonkafuutype2.html
数字は当てにはならんが宍戸他に比べるとでかいな

62人間七七四年2011/12/23(金) 14:08:50.78ID:SX2Gg+og
>>61
これは通算での話しだね
同時期にこれ全部が支配下にいた訳ではない

真壁の城領は4571石となっているな
小田は天庵様の家督時で洞中含めて20万石程ではなかろうか
太田親子や江戸崎土岐なども含めての話しね

63人間七七四年2011/12/23(金) 14:43:19.15ID:W/TlBg7s
まあネタ投入もかねて

64人間七七四年2011/12/23(金) 17:55:43.98ID:XfuaOXHi
>>61
真壁が二万五千石で過大だし、全体的に水増しだろうね。

65人間七七四年2011/12/23(金) 19:27:49.12ID:pdaSrKZ8
真壁は石高の割りには、軍事も外交もそこそこやる印象があるのだが。

66人間七七四年2011/12/23(金) 21:44:17.17ID:XfuaOXHi
久幹一代でかなり頑張った感じ。

67人間七七四年2011/12/24(土) 01:25:53.88ID:R61qLUmx
菅谷軍記
多賀谷旧記
結城御代記
結城家之記
水谷蟠龍記
水谷家由緒書
奥羽永慶軍記
長倉状
長倉追罰記
常陽四戦記
江戸軍記
後藤氏旧記
薗部状
徳宿軍記
鹿島治乱記
島崎盛衰記
行方軍記後世鑑
柄ケ崎軍記
常陽唐崎合戦
三十三館由緒書
井関氏由緒書
胤信筆記

68人間七七四年2011/12/24(土) 08:29:42.47ID:M7KKYZjJ
天庵「『常源譜略』『常東野語』が忘れられておる…」

69人間七七四年2011/12/24(土) 15:24:41.13ID:WfJlofUz
常陸北部の最大勢力は佐竹で決まりだけど、
南部は多賀谷ってことになるのかな?

天正年間あたりだと…。

70人間七七四年2011/12/24(土) 16:37:47.33ID:UTiw4GE/
天正17年頃になると
多賀谷>小田>大掾
と言った感じか

71人間七七四年2011/12/24(土) 16:54:18.57ID:xTJSKpNG
超マイナー質問
大じょうのじょうて漢字出し方わからない…

72人間七七四年2011/12/24(土) 17:01:33.75ID:UTiw4GE/
エンで出ない?
自分は大掾で辞書登録しとくよ

73人間七七四年2011/12/24(土) 17:29:45.51ID:xTJSKpNG
>>72
出ないすね。なんででしょ。似たようなのは出るんですが。

74人間七七四年2011/12/25(日) 20:45:18.55ID:YTRMeN2p
茨城ってひこにゃんみたいなのはいないのか?

75人間七七四年2011/12/25(日) 23:16:13.25ID:95+nqiKx
ハッスル黄門さま・・・

76人間七七四年2011/12/26(月) 15:06:30.94ID:0SgT5O4V
>>67

結城御代記をざくっと読んだけど、
資料として水谷家由緒書を多賀谷旧記を
参考にしているため、かなり両家に気をつかった表現になっているのが
おもしろかった。書かれた背景や目的によって、
家伝書は体裁がかわってくるんだと納得できた。



77人間七七四年2011/12/26(月) 15:41:33.47ID:eYKBQTtk
>>75
なんで茨城はハッスル黄門とかぼくでんとか爺ちゃんばっかりなんだよ?

というか水戸市の戦国大名といえば江戸氏だし、常陸の勢力ではかなり頑張った方だから
ハッスル重通にすべき。

78人間七七四年2011/12/27(火) 01:12:46.68ID:O1/dARaZ
>>77
重通とかハッスルし過ぎだろw

79人間七七四年2011/12/27(火) 08:50:28.49ID:40pxgbUa
確かに江戸氏はハッスルし過ぎて滅亡した感じだなw

80人間七七四年2011/12/27(火) 09:50:22.93ID:Y+UqI1ar
江戸氏は旗本となって生き残ったのではないか?

81人間七七四年2011/12/27(火) 12:46:21.45ID:O1/dARaZ
宗家は越前松平氏に仕えたけど詳細不明

82人間七七四年2011/12/28(水) 08:56:14.88ID:axc0ZHxP
難しいね。血筋さえ残れば滅亡ではない?

83人間七七四年2011/12/28(水) 09:08:57.50ID:qFyiZKB8
本貫の地を取られて落魄したら滅亡だろ
芦名も滅亡だし

84人間七七四年2011/12/28(水) 10:49:18.24ID:axc0ZHxP
>>83
それでいいんだよな。再起無理だし家臣団もいないし。

85人間七七四年2011/12/28(水) 12:21:46.23ID:dvdtkZFp
葦名はどうだろう
正式な大名ではなかったものの、内大名として存在していたし
家臣団も基本的に会津時代の家臣で構成されている
佐竹とは別に将軍に拝謁してるし、官位も受けていた
滅亡と言えるかどうか
まあ、大名としての葦名は間違いなく滅亡したけど

86人間七七四年2011/12/28(水) 12:35:58.22ID:EHC/zuKX
大名ではなくなったけど
寄合い旗本として幕政にもかかわっていた
水谷家も滅亡?

鬼平を陰から支えていたのも水谷家らしいけど

87人間七七四年2011/12/28(水) 13:01:20.65ID:Qd9BdOAI
>>85

「家」は残ったということだと思う。

88人間七七四年2011/12/28(水) 15:09:14.53ID:axc0ZHxP
>>86
どの辺が滅亡なの?

89人間七七四年2011/12/28(水) 16:59:34.89ID:EHC/zuKX
>>88
83の滅亡定説によるとそうなっちゃうのかなってこと。

でも、寄合い旗本は3万石、5万石の外様城持ち大名と
同等の家格だって説もあるんだよね 

90人間七七四年2011/12/28(水) 18:58:11.18ID:axc0ZHxP
>>89
家臣団が綺麗さっぱり離散したの?

91人間七七四年2011/12/28(水) 20:18:23.00ID:N5zE6yh5
>>86


滅亡ではないが、紅白歌合戦に出場したこともある往年の人気歌手が
地方都市のホテルのディナーショーで細々と稼ぐ光景に似ている。

92人間七七四年2011/12/29(木) 15:27:26.81ID:8JaLV6u6
人それを落魄という

93人間七七四年2011/12/29(木) 21:36:01.59ID:BG1/9aST
おいおいその認識は間違っているぞ!
地方のディナーショーの方が莫大な利益が出る
テレビ出演とかは宣伝になるが利益が出ない

往年の人気歌手はテレビ出演の旨味が無いのでディナーショーに力を入れる
北島三郎や松田聖子とか好例だな

94人間七七四年2011/12/29(木) 23:28:12.57ID:3E1LBdXb
ズレてるよ

95人間七七四年2012/01/02(月) 07:21:09.84ID:PfOPlzox
小田氏治
「100万回やられても、負けない」

96人間七七四年2012/01/02(月) 09:30:35.00ID:oChGtVwS
>>95
あんたは100万回やられ負けてるwww

97人間七七四年2012/01/02(月) 09:49:10.58ID:LbQ0kd7j
戦闘で負け続けてもなかなか滅亡しなかった大名もいるな。

九州では少弐氏とか。

98人間七七四年2012/01/02(月) 10:59:40.05ID:FOpYDHY9
手這坂合戦以降は領民の心も離れちゃったのかな?

99人間七七四年2012/01/02(月) 16:39:23.85ID:PfOPlzox
小田氏治
「100万回負けても、あきらめない」

100人間七七四年2012/01/02(月) 23:41:40.21ID:jZ2du/xK
>>98
いや、小田城は失ったけど5kmほど南東の土地に移ってしぶとく小田城奪還を狙ってた
小田原征伐のどさくさに挙兵して小田城に攻め込むのはさすが天庵様と言うべきセンス
しかも負けてるし

101人間七七四年2012/01/03(火) 14:22:07.97ID:oqe2HIF8
>>97
少弐ってほとんどの当主が戦死してるんだっけか
すごいよなあ

102人間七七四年2012/01/04(水) 00:24:05.70ID:WdknnRz+
小田家関係の史料ってまとまって残ってないの?牛久市史料とかである程度集められてるのは
見たことあるが、もっとあるだろうし見てみたい。

103人間七七四年2012/01/04(水) 00:51:11.72ID:4c95IugD
宗家がわからないって越前とその分家には小田も江戸も上級藩士で残らなかったてこと?

104人間七七四年2012/01/04(水) 01:06:43.49ID:aTl1jbPB
小田氏治
『はいあがろう「 負けたことがある」というのがいつか大きな財産になる』

105人間七七四年2012/01/04(水) 12:01:15.32ID:4mbH/XXE
>>103
江戸(水戸)氏は200石ぐらいで越前に残ったけど小田氏は不明
つくば市の寺には近代までの小田氏系図が残されているから恐らく筑波に戻って帰農したのではなかろうか

106人間七七四年2012/01/04(水) 13:06:01.89ID:b/CA3J+i
寛延三年に氏治子孫の成朝という人物が藤沢村の松岳寺で百五十年遠忌を行っているというから
そのときのかな?水戸家への出仕を希望したり小田旧領の神社に行ったり旧臣とあったりもしていたらしい。

107人間七七四年2012/01/04(水) 13:29:52.32ID:b/CA3J+i
ちなみに氏治の庶子友治の子孫なので宗家のことではない。

108人間七七四年2012/01/05(木) 00:39:00.87ID:jk7yszP3
なるほー
友治の子孫は史料もってないのかな

109人間七七四年2012/01/05(木) 01:05:43.83ID:YHr5r9o+
>>107
それとは別みたい
系図があるのは大島村の善照寺と言う寺らしいけど、そちらは守治の子孫
でも、そう考えると守治系も友治系も結局は常陸へ戻ってきたと言う事か
帰農する際に姓を変える事も割とあるから小田氏も姓が変わってるのかもしれないな

110人間七七四年2012/01/05(木) 09:03:47.98ID:kyb004sO
いや、友治の子孫は先祖ゆかりの地を訪ねただけで帰農していないよ。
父と同様に伊予松山藩で軍学(小幡家に学んだ甲州流)を教授したとのこと。
そのあたりについては『常源譜略・常東野語』の解説参照。

111人間七七四年2012/01/05(木) 17:46:56.80ID:FQdNO1Bz
教官なら中級藩士か

112人間七七四年2012/01/05(木) 18:11:39.82ID:kyb004sO
藩士ではないんだ。つか、小出しにするネタでもないからその辺りをまとめて引用しよう。

『常源譜略・常東野語」P83
「成朝はその頃小田太郎左衛門成朝と称し、たびたび旧領小田に行ったらしく、延享二年には
「天庵公尊像覚書」を藤沢村に残し、また小田村の牛頭天王の神主長(永)戸豊後や小田の旧家臣に
会ったりした。
 明和六年(一七六九)松山候の書籍師範として出入りし、出入扶持として十五人扶持を
もらい、同年参勤交代のお供をして伊予の松山に行き翌年帰府したが明和九年二月二十五日、
六十九歳で卒した。法号は大器院文翁貫道」

松山に行ったころは「物頭格軍師役仰せつけられ、二百石以上たるべき」という噂があったらしいが
結局それはかなわなかった。

113人間七七四年2012/01/05(木) 18:22:15.78ID:kyb004sO
おっと、その前の段も出しておかないと。

「しかし、水戸家出仕の運動は徒労に帰した。成朝は松平隠岐守をはじめ、南部候・毛利候などに
甲州流の兵学などを講じ、何がしかの扶持をもらっていた。
 寛保三年(一七四三)に「常東野語」を写し、延享四年(一七四七)に「常源譜略」を写し、
寛延三年(一七五〇)に、常州藤沢村の松岳寺で天庵の百五十遠忌を行っている」

114 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 2012/01/06(金) 10:20:34.06ID:nioxB9eC
先祖も子孫もパッとしない生涯だったんだねえ〜

115人間七七四年2012/01/06(金) 10:34:31.64ID:F29xZWMU
鎌倉〜戦国まで生き抜いただけでも大したもんだよ。

116人間七七四年2012/01/06(金) 22:13:31.26ID:5vrbMezQ
まあ、大概は戦国時代まで生き抜いたけど

117人間七七四年2012/01/06(金) 22:16:16.13ID:aw3DjCf9
そうでもないよ
南北朝で結構滅亡してる

118人間七七四年2012/01/06(金) 23:03:42.87ID:T4MCtFm7
結構と言うほどいたっけ?
那珂氏ぐらいしか思い浮かばないけど

119人間七七四年2012/01/07(土) 01:03:11.73ID:puLstlqy
八田(芳賀)友重の子孫か。

120人間七七四年2012/01/07(土) 05:51:05.46ID:U9VrA+99
パッとしなくても明治維新まで生き残った大名は立派だと思うね。

日向の伊東とか。

121人間七七四年2012/01/07(土) 08:29:35.94ID:nTCFJ3KK
氏治のせいで小田氏全体が過小評価されすぎだな。

122人間七七四年2012/01/07(土) 10:42:15.18ID:b+CPB13M
常陸三大勢力の1つなのにな
小田氏は室町政権下でも棟別銭の賦課など守護大名に近い権限を有していたし
大掾氏も同じく権限を有していて大掾職はいまだ健在だった
佐竹も守護大名に復帰していたが、守護の権限が及ぶのは奥七郡のみであり
常陸は大まかに見て三分支配されていた

123人間七七四年2012/01/09(月) 12:02:07.14ID:qmobpxVa
小田氏には客将として御世話になったので、
恩があります。

124人間七七四年2012/01/10(火) 02:02:17.43ID:RmwBm8Zt
太田氏乙

125人間七七四年2012/01/18(水) 00:36:19.79ID:U8p21gKJ
私の父は小田氏治の嫡男・小田友治です。
父友治は母が家臣・芳賀氏の女だったため、祖父に嫡腹の男子・守冶が生れると廃嫡されましたが
それを怒った外祖父並びに家臣に伴なわれて相模に赴き、北条氏康の庇護を受けて小田小太郎を名乗り、
母方の一族で北条氏に仕えていた垪和氏の婿になりました。
父は武勇にすぐれ、北条氏にあって祖父氏治や叔父守冶をよく助けましたが、
やがて北条氏も滅び祖父や叔父も所領を失いました。
祖父と叔父は旧臣の今田氏を頼んで秀吉公への仕官を試みたようですが、佐竹氏と敵対していたため叶わず
結城秀康様に召されたのち越前国で病死しましたが、叔父の息子・善治は出雲国松江にいるそうです。
私の父は秀吉公への仕官を母方の従兄弟速水氏を頼んだところ、小田氏の惣領に紛れもないと名跡を許され、
秀次公に召されて伊勢国員弁郡羽田村に所領を賜い、羽田に因んで八田左近と改名しました。
(略)
私には福島正則に仕える同腹の兄もありましたが、兄は先年広島で亡くなりました。
兄には子がなく、伝来の家宝や書物を大坂落城で失いはしたものの、家名だけは私が受継ぐこととなりました。
私は幼少のおり、北条氏の家臣・宇都宮氏の養子となって宇都宮氏を相続しましたが、
養父に実子が生れたため、義弟に家督を譲り小田に復しました。
関ヶ原・大坂両度の合戦では徳永寿昌に武具を借りて槍働きをしています。
詳しいことは後々述べさせてもらいますが、秀吉公にも認められた小田氏嫡流のこの私を、どうかお召抱え下さいますよう。
小田友重。

126人間七七四年2012/01/18(水) 00:37:34.14ID:U8p21gKJ
うそくさすぎて
友治の子孫が小田家の証文持ってないのも当然か

127人間七七四年2012/01/18(水) 23:05:17.23ID:BBy7Q1qX
前スレじゃあまり目立たなかった小田氏の話題が多いな。

128人間七七四年2012/01/19(木) 12:59:17.78ID:9vxn/2N/
中郡のあたりはどんな勢力図になっていたんだろう?
笠間家や益子家、結城家の出城が散在してるのは分かるが
何家が優勢だったのかが微妙に分からない。

特に岩瀬あたりは何家の勢力範囲だったの? 真壁家?

129人間七七四年2012/01/19(木) 22:41:47.52ID:/0ZssuFh
旧岩瀬町の平沢に佐竹家臣になった愛洲氏が入って平沢氏になったみたいだが、
それはさすがに戦国の後半だろうしなあ。

130人間七七四年2012/01/20(金) 13:45:32.96ID:AwQ7nPcv
>>129

あの辺りにも佐竹の家臣がいたんだ。
佐竹、結城、宇都宮がそれぞれにらみ合ってた地域だったのかな。
だったら、太田三楽と水谷正村の軍事衝突も実際にあったかもしれないね。

131人間七七四年2012/01/20(金) 17:28:22.55ID:fUc8YhzP
真壁が佐竹家臣となるのも文禄の頃よりだし、愛洲氏が入るのも
戦国というよりは文禄以降かもしれんね。

132人間七七四年2012/01/20(金) 22:01:24.18ID:rZ0GKlRC
多賀谷氏は常陸?下総?

133人間七七四年2012/01/20(金) 23:52:28.55ID:fUc8YhzP
下妻は常陸国。

134人間七七四年2012/01/21(土) 00:23:38.33ID:ZJkzXL7F
小田治孝・顕家・治算って実在したの?

135人間七七四年2012/01/21(土) 01:41:50.06ID:l3Ie9VtO
>>130
ちょうど岩瀬町の中間辺りで益子氏と笠間氏の領域に分かれていたようだ
両氏とも宇都宮洞中だけど独立性が高かったから戦が絶えなかった
すぐ南には真壁氏がいたけど、こちらは余り争った形跡がない

136人間七七四年2012/01/23(月) 19:03:31.63ID:vzRCBNgv
真壁家の家伝だと久幹のとき宇都宮氏らと境界争いがあって坂戸城(旧岩瀬町)などを
落としたようなことが書かれている。本当かどうかは知らないがね。

ややこしい地域であったには違いなさそう。

137人間七七四年2012/01/28(土) 00:25:27.16ID:M61oG27h
噂の!東京マガジンで牛久市、小坂城の土地取得問題を取り上げてた

138人間七七四年2012/01/30(月) 00:11:36.35ID:Lm7QWsaq
かすみがうら市のあの天守閣は何なの?

139人間七七四年2012/01/31(火) 13:00:05.54ID:/3iyTO0r
資料館だよ
出島城だろ?

140人間七七四年2012/02/02(木) 00:53:50.45ID:25zMXBXR
所有者が城地を数百万円で市に「買わないか」→市が断る→不動産屋に売却→市長の親族が不動産屋から2千万円(市長の親族ソース)で購入→市が市長の親族から6300万円で購入

141人間七七四年2012/02/02(木) 12:38:06.19ID:Hf85WnLA
>>140
本当なら大問題じゃん

142人間七七四年2012/02/02(木) 14:01:16.03ID:+FllKxNu
>>141
だから、テレビ番組や新聞報道になるんでしょ

143人間七七四年2012/02/09(木) 21:34:30.39ID:241Tctsw
益子氏配下に青柳氏っているの?
祖父が亡くなる前に本当なのか調べたいんだが なかなかヒットしない…
本家は岩瀬なんだが

144人間七七四年2012/02/10(金) 18:50:31.65ID:dIcKlm0w
>>143
『関八州古戦録』の巻十二の笠間氏の益子攻めのところで
青柳豊後守・同肥前守という武将が出てくるよ。

145人間七七四年2012/02/10(金) 19:08:26.25ID:dIcKlm0w
『常陽四戦記』にも「青柳豊後・同肥前」「両青柳」として同じエピソードに登場。
同輩の伊達出雲という人物が討ち取られる場面はあるけど両青柳氏の運命は不明。

つか、普通に検索したら本貫地らしいところが出てきたよ。
http://sakuragaworld.com/modules/tiny06/index.php?id=17

桜川市岩瀬の範囲だし、ここじゃないのかな?
http://maps.google.com/maps?q=%E6%A1%9C%E5%B7%9D%E5%B8%82%E3%80%80%E9%9D%92%E6%9F%B3&hl=en&ie=UTF8&geocode=+&hnear=Aoyagi,+Sakuragawa,+Ibaraki+Prefecture,+Japan&t=m&z=15

ちなみにこの合戦が行われたのはこの四つ榎神社の北だとか。
http://maps.google.com/maps?q=36.361621,140.134478&num=1&t=m&z=16



「玉陰橋の血戦」
http://sakuragawamj.com/?page_id=1946
>四ツ榎稲荷神社から北へ少し歩くと、磯部集落との境に幅三メートルほどの小川が流れ、玉陰の橋といわれる橋が架けられている。

>この橋は幅狭く、多勢では渡れないため、川瀬を退く味方を不甲斐なく思った富谷方の青柳豊後・青柳肥後の兄弟は、大音声に
「去年の今日も貴殿方の首を申し受けたり、今度もまたこの川を越えさせず皆殺しぞ!」と叫んだ。

146人間七七四年2012/02/10(金) 21:54:18.20ID:ekKpR9hw
>>144 145両氏
ありがとうございます
(m´・ω・`)m
うちのご先祖様らしいです
文献にでてくる青柳兄弟以外にも
青柳和泉守という方も先祖だというのですが…
青柳和泉守って佐竹氏の配下みたいです 益子氏と佐竹氏の手下だったっと言うことなんでしょうかね…
祖父が自分で調べた情報だとよくわからんのです

147人間七七四年2012/02/10(金) 22:35:06.71ID:dIcKlm0w
>>146
「佐竹家臣系譜」には青柳和泉は「名乗不知元来佐竹御譜代之由」とあって
元々佐竹に仕えていたようなので岩瀬の青柳氏とは別系統では?

http://www1.odn.ne.jp/~vivace/kakunodate/kbukeyashiki.htm
こちらには青柳和泉は元亀元年に佐竹義重の側近となったとあるが
前述の桜川の戦いは「古戦録」によると天正十二年五月。
ちょっと関係があるとは思えない。

この青柳和泉は水戸の青柳に土着した平姓の馬場氏庶流青柳氏の子孫でもないらしい。

148人間七七四年2012/02/11(土) 00:02:36.26ID:WI2b3Vx2
>>147
ありがとうございます。
祖父が調べた所でわかるのは
青柳氏の子孫
家紋は丸に笹竜胆紋 源氏の流れ
本家は岩瀬の青柳
現在の姓は天○谷
磯部稲村神社に繋がりがある

大叔父が独自で調べたのは青柳和泉守の子孫ってだけで何処からの情報だかも解りません

大叔父は既に故人でして詳細は不明です
上の方々殿
多大な情報ありがとうございます


149人間七七四年2012/02/11(土) 00:27:09.26ID:g7GQZWlD
ここの碑の写しに青柳和泉守の名があるわ。四十三代前の先祖だとすると
佐竹義重時代の和泉守とは別人ではなかろうか。

http://www.harusan1925.net/0204.html
昭和四十四年四月
           磯部稲村神社宮司    磯部 祐親
           青柳和泉守後裔四十三世 天○谷政男
           青柳区長        青木  茂  代建立   」

150人間七七四年2012/02/11(土) 00:55:44.09ID:WI2b3Vx2
>>149
おお!
正に親戚(本家)の名前です
佐竹氏の青柳とは別ですか(;^ω^)

酒飲む度に角館の主の子孫だと自慢してた大叔父が生きてたらショックをうけてたかもしれませんねwww


151人間七七四年2012/02/21(火) 11:24:59.52ID:nJwUqSfV
小田とか真壁とか、どうしてあの辺りは平城が好きなんだか?

152人間七七四年2012/02/21(火) 12:16:51.67ID:+kAK9iWF
篭城目的の要塞ではなく、治世のための行政府としての
機能を重視したからじゃないの?

それに山は曲輪を開くのが困難な筑波山系しかないし、 

153人間七七四年2012/02/22(水) 12:59:22.21ID:1qoOOWlA
常陸の城郭は古い時代の物が多いからな
防衛拠点と言うより居住・行政地である屋形(屋敷)として造られたものが多い
時代が下り南北朝などの騒乱が続くに連れて屋敷の周りに土塁や堀を増築していき城郭として体を為していったが
元々居住性を優先させた土地だから要害性は低い
それに他の土地にも言える事だが、本拠地より外で防衛するのが基本だから
居城から離れたら重要地点や国境線の要害の地に協力な城を建てて
本拠地は居住性を捨ててまで移転する事はなかったようだ
特に常陸下野陸奥辺りは本気の潰し合いが滅多になかったしね

154人間七七四年2012/02/22(水) 13:07:41.95ID:IzzI10hd
取られても奪還すればいいみたいな考え方あるんかね? 小田とかの話を読むと思うんだが。

155人間七七四年2012/02/23(木) 17:31:06.36ID:CA5DAOrH
多賀城の創造復元図を見たことがあるが
役所の建物と倉庫を策で囲っただけという感じだったな。

周囲に水掘をめぐらしているわけでもなく
あれは防御力低かったと思う。

156人間七七四年2012/02/23(木) 17:31:35.76ID:CA5DAOrH
木の柵で囲っただけ、の誤り。

157人間七七四年2012/02/23(木) 17:50:00.64ID:Qgeh2TFf
小田城って北朝方に包囲されても持ちこたえられるくらいの
防御力はあったわけだからそれと一緒にするのはどうかと。

158人間七七四年2012/02/23(木) 19:59:01.11ID:WFICJAEl
>>151
あのへんは中世は半湿地帯みたいなところだから、防御には堀を巡らせるのが一番なので、下手に高台に
城築くより平城のほうが防御力がある。

159人間七七四年2012/02/23(木) 20:09:11.82ID:CA5DAOrH
>>158

泥田の中にある小城は意外と攻めにくいというね。

160人間七七四年2012/02/24(金) 12:35:35.69ID:hx5vKRXl
でも小田城は微妙だよな
他の沼地や湿地に築かれた城の場合、主郭は高台になっている所が多いけど
小田城は高低差が殆どないし、逆に周りに高地がある
どう考えても北條の多気か平沢を本拠にした方が良かったと思うけど

161人間七七四年2012/02/24(金) 15:41:39.20ID:fCnc9hP5
>>160

> どう考えても北條の多気か平沢を本拠にした方が良かったと思うけど


そう思うが、当時は地形が現在と異なっていたのかもしれない。

162人間七七四年2012/02/24(金) 23:35:52.04ID:fxlZ+zqt
小田の名族意識が先祖代々の地を動くのを許さなかったのかもね。

163人間七七四年2012/02/27(月) 03:44:39.83ID:JilYzxxA
よく考えると戦国時代に本拠地移した大名はレアだな
常陸だと・・・思い浮かばん
割りと新しいのは江戸氏の水戸城進出か
あと、水戸を追い出された大掾の府中移転

164人間七七四年2012/02/27(月) 06:30:21.73ID:7sFSCBP4
郷土史こんろん書房の本で「水戸城は炎上したことがある」と読んだことがあるが、これは江戸氏時代のことかな?

165人間七七四年2012/02/27(月) 06:32:06.50ID:if+gjA3B
小田氏治が小田城を梶原政景に与えた例くらいしか思い浮かばない。

166人間七七四年2012/02/27(月) 12:29:37.63ID:ZCsWI/LS
与えたってw
しかしまあ、天庵様も憐れと言うか間抜けと言うか
梶原政景に柿岡城を与えたのに、逆に小田城まで取られてしまうとは
正に軒を貸して母屋を取られると言う奴だな

167人間七七四年2012/02/28(火) 13:41:11.18ID:QcB96pWC
あのね、うち下館なのね。
でさ、筑西市の婦人会に出かけたおふくろがさ、
「明野の人は下館の人を目の敵にする」なんて愚痴ってるの。
なんで、「明野は小田領だったから水谷領の人間を嫌うんじゃね」
とかテキトーに言ったら、後日「あんたの言ってたこと当たってたわよ」
なんていうわけ。いまも戦国時代の住民感情が残ってるんだ。
すげーって思ったよマジで。

168人間七七四年2012/02/28(火) 14:52:58.18ID:LRMH0eQy
小田の人も八郷・真壁・結城、あとは新潟から来る人のことを目の敵にしてたよ。

169人間七七四年2012/02/28(火) 22:22:53.87ID:ni5k3vLo
小田は常陸の国中は勿論のこと今の千葉・東京・埼玉から人々を強制連行してきて、
奴隷農民にして死ぬまで働らかせていたからな。

守護佐竹氏がいなかったら今ごろは・・

ところであの辺は春くらいしか行ったことがない実際小田より小野じゃね?

170人間七七四年2012/02/28(火) 23:19:17.10ID:iANAGq/b
>>167

南部と津軽はもっとガチ。

171人間七七四年2012/02/29(水) 09:48:16.68ID:YoAsJsRs
目の敵なんて大袈裟だろw
うちの辺りは天狗諸生で激しく戦ってたけど、今となっては微塵も関係ない
そもそも北部の人は佐竹とか名前も知らない人が大半だし
小田とか知ってる人は城下周辺ぐらいだろ

172人間七七四年2012/03/01(木) 09:56:45.41ID:7PJqu7Lx
>>167
うちも筑西だけど、そんな話聞いたこともないなあ
たまたまその人が昔の話にこじつけて御袋さんを苛めただけなんじゃね?

173人間七七四年2012/03/01(木) 10:16:31.50ID:SDL5RWcP
>>170
そりゃ戦国時代の対立関係を保ったまま江戸時代も国替えがなかったもんな。

174人間七七四年2012/03/02(金) 23:19:49.83ID:b0cE3vKa
近ごろ小田氏に様付けしている人がいるから気持ち悪いと思ったんだよね

175人間七七四年2012/03/03(土) 03:33:09.64ID:tRIyf/QI
どこも様付けはしてると思う
むしろ呼び捨てにするよになったのは最近かと
年寄りはだいたい様付けで呼んでいる

176人間七七四年2012/03/03(土) 10:04:16.41ID:eBY6lyRS
殿様は別格だからな。

177人間七七四年2012/03/03(土) 21:17:44.39ID:hhgwi742
鹿行地域は佐竹に対して今も悪感情があるってのは
本当かね?

178人間七七四年2012/03/03(土) 21:44:01.76ID:U+Hrgor7
そういう人がごく少数いるってのは本当だろうが、そもそも佐竹なんて知らない人ばかりだと思うw

179人間七七四年2012/03/03(土) 22:09:14.15ID:hhgwi742
知ってる人がいるとしても郷土の昔話とかを読んで知ってるとかそんな程度だと思うんだが。
先祖代々佐竹への憎悪を吹き込まれてきた人なんていないよねw

180人間七七四年2012/03/04(日) 00:25:19.18ID:+SJ6ZMP2
偏狭な小田厨は駅にだけは来ないでね
しゃれにならないから

181人間七七四年2012/03/04(日) 04:36:30.86ID:eHOh+UY+
そもそも殺された人の子孫でもなければどうでもいい話しだろう
大半が無関係なのに何で鹿行の住人がみんなで佐竹に憎悪抱かなきゃならんのだという話しでw

自分は実家が那珂郡だけど、先祖は小田原北條氏の配下だった
北條氏没落後に佐竹氏の配下になって、転封の際に常陸に残って水戸徳川氏の支配下に入った
佐竹と北條と言ったら仇敵だけど、当時でさえ別に敵だから憎いという事でもなかったのだろう
まあ、よく考えると敵側に仕官するなんて珍しくもない話しだな

182人間七七四年2012/03/04(日) 04:40:01.85ID:/u/ROfGb
先祖は○○だった、という人は物凄い数いるよな。

183人間七七四年2012/03/04(日) 04:40:47.08ID:/u/ROfGb
なんかそれだけで盛り上がれる人は幸せだよね。

184人間七七四年2012/03/04(日) 07:12:45.36ID:hwB1rn7l
盛り上がる話もない幸せじゃない人か。

185人間七七四年2012/03/04(日) 08:54:31.34ID:iHArO4eO
いまでも恨み辛みを持ってるとかいったら、幕末の強硬派と穏健派の報復合戦のほうが凄いんじゃないの?

186人間七七四年2012/03/04(日) 09:45:47.13ID:qxWA4L1i
スレチなんだけど、ぼくおじゃまさせてもらいます m(_ _)m

今、ぼく行方不明中なんです・・・
ぼくのことを心配している人たちも頑張っているのだけど、
もっと、もっと、沢山のひとにしってもらわないと見つからないんだって・・・
ぼくの動画もあるんだよ・・ttp://youtu.be/IERsFdY104E


かわいいチラシもあるんだよ。とっても見やすいの・・見てください。
      ttp://sakuraweb.homeip.net/uploader/src/up175653.pdf
ぼくのことを検索してほしい・・みつけてほしい・・おねがいします・・・

                   行方不明中の九州盲導犬協会所属 盲導犬アトムより

 
 ★「盲導犬とのよりよい暮らしを考える会のブログ」 で、署名活動をしています。
   ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
    ttp://ame※blo.jp/mo※udouken※-yori※yoi-ku※rasi/

  直接URLを貼るとはじかれてしまいました。
  ※を省略していただけませんでしょうか。
  重ねがさねお手数をおかけしますが宜しくお願い申し上げます

187人間七七四年2012/03/04(日) 12:37:23.18ID:8rKEon4S
美浦村の木原城を見てきたけど、なかなか良い城だ
小幡城と木原城は常陸屈指の城郭だな
小田城も復元が進んでいるようで完成が楽しみ
茨城町も小幡城を復元すればいいのに

188人間七七四年2012/03/04(日) 17:28:12.14ID:vUMiwvHe
随分マイナーな中世城郭(家臣の城)のジオラマだ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html

189人間七七四年2012/03/04(日) 18:38:31.54ID:Jctq25KB
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10

190人間七七四年2012/03/06(火) 12:40:33.08ID:8mJBR2hD
>>187

> 茨城町も小幡城を復元すればいいのに


ジオラマだけでも復元してほしいよな。

191人間七七四年2012/03/08(木) 14:34:13.84ID:8v4/xxuv
石垣も天守閣もないんだろ。大した城じゃないじゃん。

192人間七七四年2012/03/10(土) 01:32:50.65ID:TvT6eKe5
歴史マニアは石垣や天守が見たいわけではない
城が見たいのだ

193人間七七四年2012/03/10(土) 09:13:48.68ID:OAz8Cnd0
土塁があればそこそこは戦えるはず。

194人間七七四年2012/03/15(木) 15:16:17.82ID:LU3mDTm1
模擬天守より遺構にハァハァできれば一人前

195人間七七四年2012/03/16(金) 10:18:50.59ID:LcOfVQ7f
やはり城と言えば土塁と堀だな
土塁の美しさは格別だ
山地に行くと田んぼや畑の土手でも思わず見とれてしまう

196人間七七四年2012/04/08(日) 00:30:27.95ID:yms0Kcha
朝日新聞プロメテウスの罠で青森県がむつ地方の再開発に失敗して
核燃料再処理基地になる過程を追っていて
青森県の失敗に対比して茨城県鹿島の再開発が成功例として触れられていた。
岩上二郎って知事さん。

197人間七七四年2012/05/07(月) 00:32:10.69ID:FOsv8Rfb
天庵様のお膝元が酷い有り様だね(´・ω・`)

198人間七七四年2012/05/07(月) 10:23:31.87ID:jhRkyVcL
>>197

小田氏は気象兵器を開発していたんだな。

199人間七七四年2012/05/07(月) 11:39:13.50ID:XqaTWPt3
>>198
自分の領地を破壊してどうするの(´・ω・`)

200人間七七四年2012/05/07(月) 11:54:47.41ID:FLEbu7Iu
天庵様じゃなくて天災様だな

201人間七七四年2012/05/07(月) 11:59:11.24ID:+/coc1a7
筑波北條氏は小田に反抗的じゃなかったっけ?
軍記物では真壁・太田・梶原あたりと組んで小田と戦ってるが。

しかしひどいことになったもんだ。文化財級の古いお屋敷も大分やられたんだろうな。

202人間七七四年2012/05/07(月) 20:48:40.07ID:FLEbu7Iu
あの辺は割と新しい住宅街や工業団地だから
文化財級はなかったんじゃないかな。

そういえば水戸の徳川光圀の墓は
去年の震災で 地 盤 ご と 移動していたんだと

203人間七七四年2012/05/07(月) 21:57:38.89ID:+/coc1a7
正直、自分の中でさらに上の神郡と混同してたフシがあった。
北條にも古いお宅結構あるんだけどね。
http://magok.cool.ne.jp/tsukuba.html


黄門さまのお墓は大地全体が動いただけなので影響はない(キリッ
って感じかな。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/news/etc/20120421-OYT8T00269.htm

204人間七七四年2012/05/08(火) 01:35:25.41ID:1oXZrRWY
テレビで見たら結構壊れてた感じだけどな>光圀稜

つくばの辺りも結構旧家があるからなぁ
破壊されるのは惜しい
小田も家が密集してるけど、あれってやはり小田の旧臣の家が多いのだろうか

205人間七七四年2012/05/10(木) 00:59:05.25ID:Sn8k9+zj
中世にあんな竜巻きたら

206人間七七四年2012/05/10(木) 16:15:13.50ID:4AUaOF3F
昔は掘っ建て小屋だから瞬殺だろうね(´・ω・`)


軍記物読んで知ったけど
車丹波って胡散臭いけど、戦では大活躍してるのね

207人間七七四年2012/05/10(木) 21:28:04.75ID:Y3fpaxpz
軍記物だからね

208人間七七四年2012/05/11(金) 15:10:54.61ID:GcFl8uGn
車一揆で有名になることがなかったら到底あんなに活躍した武将として
描かれることもなかった程度の人じゃないかと思うが。

209人間七七四年2012/05/12(土) 02:06:33.96ID:YkepNdFL
だが、インパクトは強い
変な行動してるし

佐竹→浪人?→佐竹→岩城→佐竹→蒲生→岩城→上杉→佐竹?

210人間七七四年2012/05/12(土) 11:27:37.17ID:BP072O82
いくら戦国でも不審すぎるなw
困ったら佐竹に戻ってるのかスパイなのか。

211人間七七四年2012/05/13(日) 15:51:14.48ID:6j0HsMxR
人材派遣?

212人間七七四年2012/05/19(土) 15:04:55.29ID:hpWtw/Dd

213人間七七四年2012/05/21(月) 13:31:48.85ID:dB/EDi+J
今月の歴史群像は笠間城だね

214!ninja2012/05/26(土) 07:34:47.66ID:IyGYIKYt
>>205
あれを自由自在に操れてたら天庵様も常勝不敗の軍神として、後世に名を残してただろうな

215人間七七四年2012/05/28(月) 09:00:28.72ID:cgtqA9Ta
そんな天庵様は天庵様じゃないやいw
やっぱり領民の「守ってあげたい」心をくすぐる、
情けないけど憎めないお殿様でいて欲しい

216人間七七四年2012/06/06(水) 21:36:05.46ID:QPmvRWkV
大掾貞国ってなんで幹の通字が入ってないんですかね?

217人間七七四年2012/06/07(木) 00:50:30.99ID:BGXVvgBY
庶家出身

218人間七七四年2012/06/07(木) 11:51:40.65ID:8FIdDnS8
大掾慶幹の嫡子ってのは庶家出身なのかあ

219人間七七四年2012/06/08(金) 02:08:10.33ID:st0r280p
状況から見ると慶幹の嫡子とは考え難いけど、実際のところはどうなのやら
どうにも貞国はよく分からん

220人間七七四年2012/06/08(金) 09:18:04.63ID:EbG5XhOH
鹿島氏の末期というか治時以降の当主は通字やめちゃってるんだよな。
あれはもう一族としての結束グダグダだからか。

221人間七七四年2012/06/09(土) 01:08:56.71ID:VXXmPVzK
慶幹の没後、義昌が嗣子になったが
三村にいた貞国が義昌を府中から追い出して、代わりに府中に入った
どうしてそんなことになったのか
「慶幹の嫡子」を押しのけて義昌を嗣子にするような明確な乗っ取りが行なわれたの?

222人間七七四年2012/06/09(土) 01:46:27.22ID:rNrQBBjq
いや、恐らく慶幹が亡くなった時点で貞国が家督を継いでいる
佐竹義昭の府中入りについては諸説あるけど
義昭が貞国の妹を継室として娶り、佐竹家の家督を義重に譲って自らは府中へ入り
名代として大掾家を取り仕切っていた事は間違いなさそうだ
佐竹家譜では、貞国が病により政務が取れなくなって妹婿である義昭に名代を頼んだのではないかとしている

223人間七七四年2012/06/09(土) 02:04:43.25ID:rNrQBBjq
義昭と慶幹の娘との間に生まれた子供を大掾氏の当主としようとしていたのではないか、と言う説もある
義昭は府中に入り、世継ぎが生まれるまで名代として大掾家を取り仕切っていたが
病を得て嫡子の誕生が難しくなった為に、弟の三郎を昌幹(後、義昌)と名乗らせて大掾氏の嫡子にしたが
義昭の死後、貞国らの反発にあって太田へ戻ったと言う説

この説だと、貞国は庶家か庶子の人間でないと辻褄が合わないが

224人間七七四年2012/06/10(日) 22:47:36.64ID:+wQHPgqX

225人間七七四年2012/06/15(金) 11:03:38.34ID:qR+hvwR1

226人間七七四年2012/06/15(金) 18:30:04.59ID:xVheIxNm
佐竹氏って大砲持ってたの?鹿島城を攻めるのに使ったとか何かで見たが。

227人間七七四年2012/06/15(金) 22:09:13.36ID:DToKJQgb
大鉄砲の事じゃないかな
割りと地方大名も持っていた

228人間七七四年2012/06/16(土) 12:49:51.73ID:OGl9BuAi
http://www.fhaj.jp/archives/1016
>構造的な特徴として初期の砲は後装式で一つの砲に5つの子筒があり、
それを後部の箱状のくぼみに上から装填し、楔で固定し発射した。
従って弾丸は銃腔より小さいかバックショットのように小玉を固めたものだった。
大友家だけでなく佐竹家でも造られた。(上は道元流流派の絵図)

229人間七七四年2012/06/24(日) 21:45:34.81ID:FoLBkLQj
ぐぐると確かに鹿島城攻略に大砲を使ったと書くサイトはいっぱいあるけど
どうも出典が明らかじゃないな。

230人間七七四年2012/06/28(木) 23:32:52.27ID:kqEJ/Uy/
南方三十三館を全部書き出してくれよ。

231人間七七四年2012/06/29(金) 00:10:45.39ID:ThvfvtCP
ぐぐれ

232人間七七四年2012/06/29(金) 00:54:26.67ID:7QukC/sw
鹿島

233人間七七四年2012/06/29(金) 12:10:27.62ID:nBiaDhco
ほんとに三十三もあるのかよ?

234人間七七四年2012/06/30(土) 03:38:16.40ID:tfMgfSOw
あるんじゃない?
茨城には1000ヵ所以上の城館がある訳だし
鹿行なら30や40ぐらいあってもおかしくないかと

235人間七七四年2012/06/30(土) 10:39:55.29ID:Nn8Wh2Df
鹿島も行方も大して広いわけでもないのにひしめき合いすぎだな。
大掾氏系だけでもいっぱいなのに武田とか下河辺とか他姓の一族まで
入ってきてるし。

でも徳宿氏みたいに三十三舘仕置以前に佐竹に下ってた一族も多少いるでしょ。

236人間七七四年2012/07/01(日) 01:13:30.42ID:Q5FM1rLt
山方篤定の謀略で殺害されたのが15人ぐらいだったと思う
半分ぐらいは佐竹に従ったと言うことだろうか

237人間七七四年2012/07/01(日) 11:10:59.42ID:n8fBmdUm
この人猫好きなのか?イメージには合ってるけど。
戦国武将小田氏と法雲寺展ってのだと実物見られたのかな?

http://blog-imgs-29.fc2.com/i/i/w/iiwarui/20100922204503f1d.jpg

238人間七七四年2012/07/04(水) 17:14:12.55ID:t+S7vE++
あれは猫ではなくて虎だな。越後の虎も天庵様にかかればこのとおり、という意味が込められている。

239人間七七四年2012/07/18(水) 14:38:33.54ID:+TNCNHn1
鬼義重に対抗して猫氏治とかあだ名があればまた史実も変わっただろうな

240人間七七四年2012/07/18(水) 22:52:02.31ID:oTvtESP9
肖像に描くからには何らかのシンボルというか意味があるんだろうけど。
まさか戦国武将がネコ好きだからという理由でこういう絵を残すとは思えんw

241人間七七四年2012/07/19(木) 02:17:40.68ID:+0oFzYzT
巻物と何か手に持ってるし、猫も意味はあるのだろうけど
現代の感覚では、単に猫好きなオッサンにしか見えないなw

242人間七七四年2012/07/19(木) 14:58:37.66ID:q/i7Pa72
左手は数珠かな?学問を好み信仰を厚くし猫が好き?

眠る猫ってことで禅語の「牡丹花下睡猫児」とかと関係あるかねえ?

243人間七七四年2012/07/22(日) 15:20:50.73ID:wldFquG9
どんなにキリってしても傍らで猫が安眠できちゃうくらい
殺気とか覇気がない人だった…

てことでは。

244人間七七四年2012/07/22(日) 15:41:54.83ID:/MynnBJo
氏治さんが現代人から見ても意外とイケメンな猫好きのオッサン、って
ことはよくわかった。

245人間七七四年2012/07/22(日) 16:56:53.35ID:pq1wKT2f
思ってたイメージと違うな
もっとショボいオッサンかと思ったら
案外イケメンで渋いおじ様であった
見た目からすると無能そうには見えないね
でも、横でトラ猫が寝てる辺りが愛敬あって、やはり天庵様だなと思う

246人間七七四年2012/07/23(月) 13:49:40.37ID:X4XhOZwu
そのうち悪ノリ系の戦国ゲームとかに猫耳天庵が登場しそうで怖いです。

247人間七七四年2012/07/24(火) 03:48:07.17ID:bx36N1ih
そういや萌えキャラ化にはもってこいだなw
喧嘩っ早いがすぐに負けるヘタレキャラで「はわわ」とか言って逃げる

248人間七七四年2012/07/24(火) 10:28:26.31ID:GfaPs2Sj
>>237の渋いオッサンに猫耳がついたキャラか。

249人間七七四年2012/07/24(火) 14:35:09.73ID:Oawhv4Ed
甲斐の虎 武田信玄 デデーン
越後の龍 上杉謙信 デデーン
常陸の猫 小田天庵 ミャー

250人間七七四年2012/07/25(水) 17:48:30.50ID:O0B62dkN
越後には狛猫もいるな
狛猫ww

251人間七七四年2012/07/25(水) 20:18:47.97ID:VTGlhGek
ぬこ神社作った島津さんに匹敵するかも。

つか天庵さんの人気に嫉妬…


252人間七七四年2012/07/27(金) 18:29:32.58ID:9s4d7E7Z
犬派の太田三楽に分が悪いのは当然と言えよう。

253人間七七四年2012/07/28(土) 03:26:27.94ID:PLoDJ+CP
そういや三楽斎は犬好きだったな
天庵様と不仲なのは当然だな

254人間七七四年2012/08/05(日) 01:12:50.19ID:DL4+Q3WR
佐竹知事も猫派
プーチンに贈った秋田犬の返礼にシベリア猫を贈られた

255人間七七四年2012/08/09(木) 18:43:26.22ID:qZWphtxv
天庵様学院甲子園で久々の勝利

256人間七七四年2012/09/17(月) 00:47:34.63ID:dI1rorPC
玉造順一水戸市議

257人間七七四年2012/09/17(月) 15:37:33.24ID:6+6LsD1e
>>245

> 見た目からすると無能そうには見えないね


軍事的才能はともかく、他の才能はあったと思う。

258人間七七四年2012/09/17(月) 18:56:31.60ID:/71iBqIL
芸道に通じていた氏真みたいな感じなのか?
何かその方面で名前が残ってるの?

259人間七七四年2012/09/18(火) 02:53:49.02ID:a2mSXENG
このように何度追われても地元では人望があり、地元民の協力を得つつ、
土浦城の菅谷勝貞・政貞(子)・範政(孫)の菅谷一門やその他家臣団に支えられながらその後も
何度か小田城を奪い返すも、永禄12年(1569年)には佐竹義重と手這坂の戦いで敗れて居城の
小田城を再び失い、藤沢城に逃れた。
以後、小田城が氏治の居城となることは無かった。


          ↑


ウィキペディアにこうある。劉備や劉邦みたいな感じで、軍事的才能はともかく内政の才能はあったのではないか?

問題は劉邦と違って良い軍師がいなかったことかも。
まあ日本の片田舎だからそういう人材が見つからないのは仕方ないのだろうが。

260人間七七四年2012/09/18(火) 08:02:30.05ID:UjM3VurG
具体的な内政の功績が残っていないとなんとも。
古くからの名門はたとえ本人に魅力が乏しくとも家臣団や領民が
支えようとするし。

それに氏治は「強み過ぎの大将」と形容されるような血気にはやって家臣の話を聞かないタイプなんだから
軍師がいようとその軍師の話を聞かないだけだろ。ただでさえ十分家臣団には恵まれていたんだから。

261人間七七四年2012/09/26(水) 00:23:29.01ID:pLtk9syg
『伝真壁道無像』とよく似ている

262人間七七四年2012/09/26(水) 08:32:59.40ID:GXndkLMp
確かに似てるかもな。どーむさんらしき人の方が体格がいいけど。

263人間七七四年2012/09/26(水) 12:13:18.23ID:szvU9yKf
似てるな
実は道無ではなく天庵様だったり

264人間七七四年2012/09/29(土) 09:13:41.06ID:Ueo1cJtF
伝承では狐の血を引いた今孔明が菅谷家中におったのにな
てか、いったい何人の今孔明が戦国期におったんじゃろうな

265人間七七四年2012/09/29(土) 10:05:09.52ID:wucbXId2
>>259

小田城は守りにくい城のように思う。

柳川城のような名城に住み着いていたら関が原までは粘れたような気がする。

266人間七七四年2012/09/29(土) 11:56:51.69ID:pUO08SA6
栗林義長は菅谷じゃなくて岡見家中だろ。
伝承というか誰かが拵えた軍記物だけど。

267人間七七四年2012/09/29(土) 14:04:44.15ID:5lb1RNID
>>265
小田城は余りにも平坦過ぎるね
周りが湿地といえども、忍城とかと違ってすぐ近くに山があるから付城造られちゃうし
絶対に北条の方が立地が良いとおもうのに何故小田に拘ったのか不思議

268人間七七四年2012/09/29(土) 16:13:35.00ID:XDPTIQW4
平時の政庁としては使いやすかったんじゃないかね、小田城

269人間七七四年2012/09/29(土) 19:33:01.03ID:tLlasNH6
>>268

そう思う。交通も至便だしね。


270人間七七四年2012/09/30(日) 15:47:58.85ID:vTMMevbN
乱世の奸雄にはなれなかったけど治世の明君になる素質はあったんだね♪

271人間七七四年2012/10/01(月) 11:43:56.62ID:frabjOHZ
どうだろう
統治状況が分からんから何とも言えない
どちらかと言うと、謙信に奴隷として売り飛ばされたり佐竹や太田に焼き討ちされたりで酷い目に遭ったから
その反発で天庵様に支持が集まったのではなかろうか

2722612012/10/02(火) 00:18:50.54ID:GgCFRnxo
描かれた人物が同じってんじゃなくて画の流派的なもんが似てるってね

273人間七七四年2012/10/02(火) 22:07:48.58ID:jgnIy6wq
http://www.city.sakuragawa.lg.jp/index.php?code=574
>この時期の関東地域には小田政治像、小田氏治像、武田信玄像など、伝真壁道無像と共通する技法がみられる。

そういや真壁家の覚書には武田信玄が真壁道無について語った話とかあるんだよな。

274人間七七四年2012/10/03(水) 01:31:11.55ID:QzNhCKJq
>関東地域に…武田信玄像
だれがなんのために描かせたんだろう

275人間七七四年2012/12/07(金) 17:26:30.48ID:YYGMKk7c
http://ibarakinews.jp/news/movies.php?f_jun=13547932397956&m_id=tSxeB2_xKdQ&n_vd=1
小田城跡・本丸南側の区画で虎口、土塁跡を発見
つくば市教委は6日、同市小田の国指定史跡「小田城跡」の本年度発掘調査で、
本丸南側の区画で虎口(出入り口)跡と土塁跡を発見したほか、史跡の南東端でも
堀で区切られた新たな区画を発見した、と発表した。市教委文化財室は
「小田城の歴史を知る上で重要な発見」としており、8日に市民対象の現地説明会を開く。

276人間七七四年2012/12/26(水) 01:12:08.33ID:96zTa6az
>>275
県南最大の城はこれでもまだ中居城?

277人間七七四年2012/12/26(水) 20:56:39.52ID:6dQxf3gr
中居城ってそんなにでかいの?

278人間七七四年2012/12/28(金) 12:16:18.72ID:+l/IWTwh
俺も思ったw
行ったことないから分からないが、木原城や小田城よりも大きいのだろうか

279人間七七四年2012/12/30(日) 01:43:14.86ID:wt+qOvRG
小田城が1000m×700m、中居城が1500m×600mで江戸崎城が1000m×1000m
そうか木原城か

280人間七七四年2013/01/15(火) 20:33:37.89ID:s7lPKAO3
天庵様の地元だけどどうせゲームには出てないんだろ?

【イベント】『戦国BASARA』と土浦市立博物館がコラボ! “婆裟羅たちの武装-戦国を駆け抜けた武将達の甲冑と刀剣-”開催決定
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1358249300/

281人間七七四年2013/01/24(木) 00:37:00.52ID:hLtjMmz5
塚原卜伝、地上波でもやるじゃん(最初と最後以外常陸と関係ないが)

282人間七七四年2013/01/24(木) 19:05:55.37ID:IRTiQs+C
ちょくちょく鹿島の情勢は出てたよ。

283人間七七四年2013/01/25(金) 01:16:15.37ID:gwJ/otli
忘れてた

284人間七七四年2013/01/25(金) 10:22:29.80ID:T7dqBHUL
来週凄く面白そうです
空飛んでるし
そしていつもの逆井城

285人間七七四年2013/01/25(金) 13:31:41.13ID:0aCNSkuA
地上波で評判いいと続編が作られる?

286人間七七四年2013/01/28(月) 10:06:36.96ID:tOmGNjZJ
まず無いだろうね

287人間七七四年2013/01/31(木) 11:38:07.48ID:hPmvBDQs
あのぐらいの尺が一番良いんだろう

大河でも50話なんて無理がある主人公とかいるからな。
北条時宗、前田利家、宮本武蔵、篤姫、直江兼続も15話〜半年ぐらいだったら面白かったかもね

288人間七七四年2013/02/05(火) 07:45:59.31ID:aEE0xSEf
>>284

逆井城は、規模の割りには攻めにくかったのではないか?

289人間七七四年2013/02/05(火) 12:03:41.06ID:o8HFUjRd
逆井って今見ると、ちょっとした台地に造られた小綺麗なサッパリした城で防御力低そうだけど
昔は周囲が広い沼だったから攻めるの難しかったろうな

290人間七七四年2013/03/03(日) 01:52:20.94ID:OQrd6XBW
ダニは漢字で壁蝨と書く
先頃話題になったマダニ、カンのいい人はわかったろうけど
漢字では真壁蝨と書く

291人間七七四年2013/03/25(月) 02:09:25.78ID:G+U+9ixh
荒川静香の父親が秋田出身と聞いて、あの荒川氏かなとおもったり

292人間七七四年2013/03/25(月) 12:09:53.65ID:adtdozZM
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130325-OYT1T00225.htm
政宗「密書」、被災土蔵で発見…裏切り促す

東日本大震災で損壊した茨城県ひたちなか市の土蔵から、
戦国大名・伊達政宗の起請文(きしょうもん)(誓約書)が見つかった。

対立する佐竹氏につく常陸(ひたち)(茨城県)の武士に、佐竹氏を裏切るよう促した「密書」とみられる。
関東に送られた政宗の起請文が見つかったのは初めてという。

被災した土蔵などにあった文化財が建物ごと処分されないよう活動する
ボランティア団体「茨城史料ネット」が確認した。

壁や瓦が崩れた蔵の所有者家族が、片づけ中に「政宗」と読める文書に気づき、
昨秋、ニュースで活動を知った同ネットに連絡した。

代表の高橋修・茨城大教授(日本中世史)によると、起請文は1589年(天正17年)、
常陸の大名・佐竹義宣の配下にあった小野崎昭通(あきみち)に宛てられた。
「中川北ニ江戸領之内(中略)可宛行(那珂川以北の江戸氏の所領をあてがう)」と記され、
近隣の江戸氏に打ち勝てば、その領地の一部を与えると約束している。
佐竹氏からの離反を条件としていたとも読み取れる「其元事切候以後(お前が手切れした後)」との記述もあった。

(2013年3月25日09時22分 読売新聞)

293人間七七四年2013/03/27(水) 09:10:10.46ID:mdmBmGIU
額田の小野崎照道か?

294人間七七四年2013/03/27(水) 22:57:57.08ID:GMkIW3Cj
額田城主
照通=従通?

295人間七七四年2013/03/28(木) 03:23:13.41ID:6/HKNbUT

296人間七七四年2013/03/29(金) 01:26:50.93ID:kH2koJtE
あ゙?

297人間七七四年2013/04/05(金) 01:09:38.07ID:FlnP7Jjy
よく分かんないよねえ>篤通→従通→昭通(照通)
義篤→義昭からなら篤通→昭通だろうに一世代ずれるんだよな

298人間七七四年2013/04/14(日) 20:54:30.67ID:SMU+eu0F
従通と照通って同じじゃないの?

299人間七七四年2013/04/15(月) 05:15:39.91ID:QM1az9Q2
恐らく

300人間七七四年2013/04/17(水) 01:43:43.88ID:Mddkgu+I
従通と照通が同一人物?じゃ北条氏照あたりからの偏諱なのか

301人間七七四年2013/04/19(金) 01:11:48.96ID:sacQZi65
二階堂照行(?〜1564)
 芳賀高照(1521〜1555)
   北条氏照(1540〜1590)
   大石照仲(?〜?)
    大石照基(?〜?)
    狩野照宗(?〜?)
     小野崎照通(?〜?)
      中山照守(1570〜1634)
      一色照末(?〜1607)

小野崎照通はどうだろう

302人間七七四年2013/04/27(土) 02:00:27.34ID:HIBsmUSW
   岩城重隆(?〜?)
       亘理重宗(?〜?)
       伊達盛重(?〜1615)
       佐竹義重(1547〜1612) 岩城重隆外孫
       真崎重宗(?〜?)
        江戸重通(1556〜1598)
          枝川重氏(?〜?)
          春秋重元(?〜1624)
      谷田部重胤(?〜?)
        谷田部重元(?〜1590)
          真壁重幹(?〜?)
        益子重綱(?〜1589?)
        伊王野資重(?〜1600)
        桐生重綱(?〜?)
多賀谷家重(1480〜1554)
  多賀谷重政(1502〜1566)
        多賀谷重経(1558〜1618)

303人間七七四年2013/04/27(土) 11:31:49.76ID:Lo4acF+I
・佐竹義重┳真崎重宗
┣江戸重通
┣枝川重氏
┣春秋重氏
┗真壁重幹

このあたりは一字拝領だな

304人間七七四年2013/04/28(日) 02:21:33.55ID:sHG1ka/f
枝川・春秋は江戸重通からじゃない?

    安東舜季(?〜1554)
  芦名盛舜(1490〜1553)
    松本舜輔(?〜?)
    山内舜通(?〜?)
佐竹義舜(1470〜1517)
        烏子舜通(?〜?)
     里見義舜(1525〜1578) 義弘の初名
        北条氏舜(?〜?)


  新小萱篤綱(?〜1560?)
   松野篤通(〜1561?)
佐竹義篤(1507〜1545)
   小野崎篤通(?〜?)

305人間七七四年2013/04/29(月) 01:36:04.69ID:jqvMRw0N
重通の重は義重から貰ったものだから、それを与える訳にはいかないのではなかろうか

306人間七七四年2013/04/29(月) 01:57:12.63ID:zyEXqjx6
でも江戸配下の陪臣格にやるかな

307人間七七四年2013/04/29(月) 03:26:18.73ID:jqvMRw0N
結構、他の家の家臣にも与えているよ
集権化の一環かと思われる
でも逆のパターンもあるんだよな
北家とかが宗家の旗本に一字与えたりとか
そう考えると単に緩かっただけのようにも思える

308人間七七四年2013/04/30(火) 07:02:30.10ID:4qAsGUBm
佐竹商店街についても語ろう!
http://www.satakeshotengai.com/

309人間七七四年2013/05/03(金) 01:28:31.05ID:SxAfxEk0
偏諱の偏諱もなくはないんじゃないかな
足利義晴→足利晴氏→簗田晴助
足利義晴→長尾晴景→柿崎晴家
足利義晴→武田晴信→甘利晴吉・秋山晴近
足利義輝→上杉輝虎→長尾輝景・海野輝幸
足利高基(〜1535)→那須高資(〜1551)→大関高増(1529〜)

310人間七七四年2013/05/21(火) 20:48:08.22ID:WZFuWLrv
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【ラッキーAA】 このAAを見た人はコピペでもいいので 10分以内に3つのスレへ貼り付けるお そうすれば2日後から好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事だお

311人間七七四年2013/06/09(日) 21:54:34.30ID:zyYvOv+M
渋滞回避に裏道とか走るといつの間にか城跡とか古戦場跡とか通ってたりするな。
この間はあの小田氏治公が歴史的な勝利を上げた三村とか知らずに通って驚いたぜ
木田余とかも通った。近くに菅谷ってところもあったけど、あれが小田家臣菅谷氏の
本貫地なのかな?

312人間七七四年2013/06/14(金) 01:40:40.35ID:XlOsHvMb
佐竹って基本、家臣が一門庶子家だから一字書出しが通字の「義」なんだよな
これが北条だと代々当主から偏諱を受ける家が2,30あるんだけども

313人間七七四年2013/06/16(日) 10:21:59.21ID:7fOiYIi5
確かに元々義の字持っている家が多いから一字拝領やりにくいね
同じ名前になっちゃうしw

314人間七七四年2013/06/27(木) 01:13:58.01ID:RcDBqA3I
>>313
これも北条になるけど、氏直から従弟・氏盛(氏規嫡子)への一字書出状が残っているので
おそらく、通字にみえる一門庶子家の義が一字書出しなんだろう

通字「氏」を授かる家・・・宗瑞の子孫、当主の女婿
偏諱「綱・康・政・直」を授かる家・・・その他の上級家臣

通字「義」を授かる家・・・源義光を祖に持つ同族一般
偏諱「篤・昭・重・宣」を授かる家・・・その他の上級家臣

315人間七七四年2013/06/30(日) 17:04:33.07ID:zTKN6RSS
>>311
菅谷から北へ1〜2kmいった辺りの宍倉と言う所に本拠地を置いていたそうだから
恐らく菅谷の辺りが菅谷氏の元になった菅谷原だろうね
自分も学生の頃、土浦に住んでいたから木田余の辺りはよく通ったけど
あんな所に城があったなんて夢にも思わなかったわ
見渡す限り蓮田で何も残ってないもんね
でも昔は霞ヶ浦と繋がる湿地帯だったろうし、確かにあそこに城があったら攻めにくい場所だわ

316人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:q9fjRmy6
>>315
ああ、やっぱり菅谷氏の本貫はあの辺なんだ。
木田余はマジで常磐線からよく見てた蓮田地帯の辺りなんだよなあ。
小田よりも北なのに本城が取られた跡もしばらく拠点にできるんだから
堅牢だったんだろうな。

317人間七七四年2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:koAe6shh
今月の群像は常陸小幡城だね
あの城は良い
保存状態が素晴らしく、 戦国時代の土の城の雰囲気が良く出ている
周囲の外郭群の調査と復元が行われてくれたら最高なのだが

318人間七七四年2013/07/12(金) NY:AN:NY.ANID:skaiEYSF
そういや小幡城の学術レベルでの調査ってどの程度行われてんのかな?
郷土史家や城マニアは結構入ってるだろうけど。

319人間七七四年2013/07/30(火) NY:AN:NY.ANID:CTn0QcWg
小幡のあたりは古代の埴輪製作遺跡とかあるけど交通の要衝で
物流に便利だったんだろうか
街道と涸沼水系を両方押さえられるし

320人間七七四年2013/07/30(火) NY:AN:NY.ANID:I7O0Y5BN
佐竹氏が戦国大名から近世大名への脱皮を果たした契機は、常陸の土豪たちを偕楽園に一同に集め、誅殺したことにある。
誅殺された土豪の中に、梶山がおり、梶山静六官房長官

321人間七七四年2013/07/30(火) NY:AN:NY.ANID:CTn0QcWg
偕楽園って常陸太田にあったんだっけ
つか、江戸以前にあったんだ
知らなかったそんなの

322人間七七四年2013/07/31(水) NY:AN:NY.ANID:MpKp72iB
あるわけないw

323人間七七四年2013/08/01(木) NY:AN:NY.ANID:Zl9RFwV1
三十三館仕置きから逃れて常陸太田から離れた場所で殺されたり
逃げて土着した人の子孫がいるとかの話を聞くと、一箇所に集めての
皆殺しではなかったっぽいね

324人間七七四年2013/08/03(土) NY:AN:NY.ANID:JzFxxB+f
関係者全員集められるわけ無いだろ。
主要な人間を集めて殺して後は掃討ってことだ

325人間七七四年2013/08/04(日) NY:AN:NY.ANID:fzO6LzJJ
ちなみに>>323で言ってるのはその主要な人間だったり主要な一族のことなんだけどなw
>>324の人にはわからない話しちゃってごめんなさいね

326人間七七四年2013/08/04(日) NY:AN:NY.ANID:3HEU4L+/
国人とはいえども数千から数万石の領主だし、少なくとも10人や20人は供回りを連れてきただろうね
10人としても三十三館主で330人
一度に殲滅するのは難しい人数だ
一同会してから誅殺したのではなく、随時面会して誅殺したのだろうか
それで途中で勘づいた一部の領主が逃走したとか

領主の33人だけ城内に招いて、配下は城下にそれぞれ分散させて待機させる
城内の33人を誅殺すると共に城下の宿所を襲って殲滅
と言う策だったのかなと思っていたけど
領主らしき人物も数人が太田から西の方で討たれているんだよな
資料には太田に招いて誅殺したとしか書いてないから、今となっては詳細は分からないが

327人間七七四年2013/08/06(火) NY:AN:NY.ANID:ySStPCqz
>>320
梶山いる?
>鹿島父子、中居・沼里主従、烟田兄弟、島崎父子、札、玉造兄弟、小高父子、手賀兄弟、武田、相賀

328人間七七四年2013/08/06(火) NY:AN:NY.ANID:4hWKMMHn
そもそも梶山静六の家って太田だし、士分だったとしたら佐竹の家臣だろ
鹿島氏の一族に梶山氏がいるけど、茨城県北部にも多い姓だ

329人間七七四年2013/08/07(水) NY:AN:NY.ANID:IjddpYRp
佐竹氏って全国どこにでもいるのな?
すげー大族じゃんかよ。
http://8257.teacup.com/satake/bbs?reverse=0

330人間七七四年2013/08/07(水) NY:AN:NY.ANID:Db7kVu6C
全国にいるけど半分以上は常陸佐竹氏とは関係ないだろうな

331人間七七四年2013/08/09(金) NY:AN:NY.ANID:X7aex3PU
>>323
鹿島兄弟は常陸大宮の山方家に居て事を知って嘆願橋とか言う所まで逃げたが
逃げ切れないと悟って自害したそうだ。近くの常安寺って寺に供養塔があるそうだ。

332人間七七四年2013/08/10(土) NY:AN:NY.ANID:2/aCVqx6
山方って、この策の発案者じゃん
何でそんな所にいたんだw

333人間七七四年2013/08/11(日) NY:AN:NY.ANID:POu9FNiV
鹿島"兄弟"?

334人間七七四年2013/08/11(日) NY:AN:NY.ANID:DsKgwg52
>>333
貞信・清秀の鹿島兄弟だったと思った

335人間七七四年2013/08/12(月) NY:AN:NY.ANID:QkmxKXVa
戦国末期の鹿島氏の系図っていまいち良く分からんね

336人間七七四年2013/08/12(月) NY:AN:NY.ANID:O5rXEP+V
>>335
資料が少ないらしいね。鹿島近辺の豪族は軒並み粛清されちゃったからかねぇ

337人間七七四年2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:6mM5yJai
貞信って死んでなかったんだ
清秀(兄)で貞信(弟)?
貞信(又七/千葉)→通晴(又拾/江戸)→清秀(又六/千葉)

338人間七七四年2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:KyIwk4hl
鹿島清房?う〜ん

幹光
氏幹(千葉派)
義清(江戸派)
幹通
又六郎清秀(千葉派)
又七郎貞信(千葉派)
又拾郎通晴(江戸派)

1569年10月日 氏幹、暗殺
1570年4月日 義清、鹿島惣大行事に補任
1572年5月日 義清、鹿島惣大行事に補任
1574年9月日 義清、鹿島惣大行事に補任
1575年11月日 義清、鹿島惣大行事に補任
1577年4月日 義清、鹿島惣大行事に補任
1579年1月日 鹿島家臣・津賀、江戸を頼る
1579年3月日 鹿島家臣・額賀、千葉を頼る
1581年月日 義清、暗殺
1581年月日 清秀・貞信、下総に落ちる
1582年3月日 通晴、鹿島惣大行事に補任
1585年11月日 通晴、鹿島惣大行事に補任
1586年2月日 清秀・貞信、鹿島に入る
1586年11月日 貞信、鹿島惣大行事に補任
1589年7月日 清秀、鹿島惣大行事に補任
1591年2月日 清秀・伊勢寿丸、暗殺

339人間七七四年2013/08/29(木) NY:AN:NY.ANID:w9gLdIaa
家康もケチだな
鹿島家なんてせいぜい3万石ぐらいだし、大名復帰させても良かったと思うのだが
戦国期にはあれだけ内訌でぼろぼろだった鹿島家中だけど
鹿島神宮と水運ネットワークでそれなりの権威と収入があったのだろうか

340人間七七四年2013/08/30(金) NY:AN:NY.ANID:VJx4FnoL
>>339
武家として徳川への手柄があるわけでもないししょうがないとは思うが
でもあの近辺地域が神宮領やいくつもの旗本領入り混じったグジャグジャな状態にならず
一つの領域としてそのまま藩になってるというのは魅力だね
だけど大名だと転封あるからなあ

341人間七七四年2013/09/22(日) 14:58:39.78ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/

342人間七七四年2013/10/26(土) 01:04:04.14ID:lBQN08Jv
(小田政治)
鹿島治時┳鹿島幹光
      ┣鹿島氏幹(足利義氏)
      ┣鹿島義清
      ┣鹿島幹通(江戸重通)
      ┣鹿島貞信(大掾貞国)
      ┣鹿島通晴(江戸重通)
      ┗鹿島清秀(大掾清幹)

家督順からこう考えてたけど兄弟の長幼が仮名の通りなら
大田原から貰うとも思えないし鹿島義清→鹿島清秀・大掾清幹になるのか
宇都宮国綱は大掾貞国・由良国繁・足利家国の何れからか

343人間七七四年2013/10/30(水) 14:41:19.91ID:vCXS9f6h
江戸通泰の正室が芳賀高経の娘って年代合わなくね?
高経より通泰の方が年上だし、高経の娘は忠通よりも年下だと思われ

344人間七七四年2013/10/31(木) 00:43:48.57ID:8NMChIj+
>>342
宇都宮家は下野守を世襲、関東八屋形の家柄だから
格下の由良・大掾からは貰わないだろう。
特に縁があるという感じでもないし。

足利高基は宇都宮成綱の外孫だが、足利家国と宇都宮国綱くらいになると
もう縁が薄くなってる感じ。
あまり関係ないかと

345人間七七四年2013/10/31(木) 01:52:39.53ID:AucmfRJk
大掾と宇都宮って普通に姻戚関係
格下の行方と宇都宮も姻戚

346人間七七四年2013/11/02(土) 01:59:24.32ID:l9oZp2Jt
竹原二番メ若仔江戸刑部大輔御名代ニ御越候、甲甲其角宿金用不叶日也、同とし十月十八日竹原殿御閑居被成候、

これ竹原義国の次男と世田谷吉良氏の娘の婚儀で吉良氏の重臣・木田見頼忠が竹原に入り、後日、義国が隠居したってこと?

347人間七七四年2013/11/06(水) 14:08:44.98ID:K/Zkl+GD
小田氏治の通称“常陸の不死鳥”てwwwwwwwwwwwwww
カッコ良すぎワラタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

348人間七七四年2013/11/08(金) 10:02:35.00ID:62iu5yP2
秋田知事、先祖返り“佐竹の殿様”役でCM出演 縁深い龍角散
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131108-00000520-san-soci

349人間七七四年2013/11/08(金) 10:35:07.57ID:Sst9+FAj
>>348
佐竹義宣の武具を着て出演してくれ!

350人間七七四年2013/11/08(金) 17:29:18.04ID:oDjzOEm9
>>347

東国の四獣

武田信玄:甲斐の虎
上杉謙信:越後の竜
北条氏康:相模の獅子
小田氏治:常陸の不死鳥

天庵様が信玄謙信氏康と同等評価されるなんて嬉しいね

351人間七七四年2013/11/11(月) 18:59:42.17ID:5v/uk2Kx
氏治も謙信が出張ってこなきゃもうちょっと勢力として粘れたし
運命も違ってたんじゃないかな?
実力の違う遠国の相手から標的にされたのが痛すぎるだろ

352人間七七四年2013/11/12(火) 23:40:49.72ID:6h9k5NSr
>>351
謙信が小田原城から越後に引き上げた後、相模に近い関東諸将は氏康を恐れて寝返った
成田長泰・佐野昌綱・小山秀綱・結城晴朝・小田氏治といった面々
だが謙信は再び越山して成田・佐野・小山・結城を片っ端から攻撃して降伏させた

次の標的が小田なのは明白だったが謙信攻めてきたら北条に救援頼もうと思ってた
小田は当時相当強かったから自信あったんだろう、常陸南部支配して兵力5000騎以上あったはず
だが謙信が猛スピードで攻めてきて小田家の全兵力集められず3000騎程度
北条の援軍は当然間に合わず、しかも格好つけて野戦しちゃったから大損害で大敗
これ以前佐竹に攻められ続けつらい日々を送るのであった・・・

353人間七七四年2013/11/13(水) 09:36:45.56ID:tuAXh8gT
謙信がその後も関東に強い影響力を保持し続ければ、服従した小田も
逆にそれにすがる形で存続できたかもしれないが最終的に何も関東に残さなかったからなあ
越相一和なんかやらかして越山を要請していた三楽斎たちすら呆れるし

台風みたいに遠くからやって来て一過性かつ無計画に大暴れする天災レベルの相手にピンポイントで
狙われた小田こそまさに災難だわ

354人間七七四年2013/11/13(水) 18:58:42.63ID:RdZ3jC64
上杉につけば北条に攻められるし、北条につけば上杉に攻められる
係争地になると悲惨だわな
もう少し北か南に寄っていればもう少しマシだったろうに

355人間七七四年2013/11/14(木) 00:00:43.57ID:YwLvE+SH
しかも八田知家以来の名族として知られてるせいで余計に目立つ

356人間七七四年2013/11/14(木) 13:54:12.93ID:iixbMlTN
守護職に任じられていた経緯もあって常陸南部に一定の影響力を保持していたからね
関東でも有数の勢力だったと言える
北條側にしてみれば佐竹らの南進を押さえる防波堤として味方にしておきたいし
上杉側にしてみれば常陸や下総の豪族と共同作戦を取るのに真ん中で居座られると目障り極まりない
と言う訳でよってたかってボコボコにw

357人間七七四年2013/11/14(木) 16:30:25.61ID:7G18sy1o
古河公方・関東管領・関東八屋形が一致団結してりゃ北条に飲み込まれず済んだのにな
まぁ無理かな

元々公方足利と関東管領上杉仲悪かったし、上杉家中でも山内と扇谷仲悪かったし
山内・扇谷・足利が潰されたあと関東八屋形が団結してりゃ良かったが、まず北条に近い結城・千葉が裏切った
次に小田・小山も寝返り少しずつ潰されていった
最後まで北条に屈しなかったのは佐竹くらいか
佐竹は北条から一番遠かっただけで義重は恵まれてただけかもな
氏治は謙信にボコボコにされてなきゃ義重並みの名将だったかもしれない

358人間七七四年2013/11/14(木) 18:11:54.47ID:JhUE4Mbc
勢力があったころも結城の代替わりの混乱に付け込んで攻めたはいいが撃退されてるし
やはり氏治にあまり軍事的才能はなかったんじゃなかろうか

佐竹は南部進出するまで北条の直接的な影響を受けなかった上、
奥州も望める位置にいたから恵まれてはいたよね

義重は傑出した当主の一人ではあったと思うが

359人間七七四年2013/11/15(金) 00:44:05.68ID:nDymLsTF
>>344-345
常陸大掾平重幹・常陸大掾平氏幹が誰かよくわからないが宇都宮や武茂の系図にこうある

         大掾重幹
           ‖――――大掾氏幹――女子
        ┌女子                 ‖――――武茂綱家――宇都宮持綱
宇都宮公綱┤                  武茂氏泰              ‖
        └宇都宮氏綱┬宇都宮基綱―宇都宮満綱―――――――女子
                 └女子
                    ‖
                  行方勝幹

360人間七七四年2013/11/15(金) 01:23:57.32ID:nDymLsTF
永禄十年 中居孫殿御祝言御座候。同年十九日札より御祝言の御書中始て被仰越候

天正二年五月二十日 府内より上様来被候、日は甲午、用は月用也。いちのとりうたい候て、御祝言彼此被成候也。

天正九年七月二十二日 竹原二番メ若仔江戸刑部大輔御名代ニ御越候、甲甲其角宿金用不叶日也、同とし十月十八日竹原殿御閑居被成候、

天正九年辛巳十二月小二十八日戌牛 金用 府内御屋形様真壁殿御むこ二被成候也、その御たい様御越候、

天正十一年未十二十八丙寅、竹原殿御りうにん、あうか殿へ被越候、土用之内ニ候、五年の内ニのかれ候て、ひとりすミニ候

@1567年・中居秀幹×?
A1574年・烟田通幹×江戸通政女?
B1581年・竹原義国次男×吉良氏朝女?
C1581年・大掾清幹(9歳?)×真壁氏幹女
D1583年・相賀詮秀×竹原義国女
Bが不釣合いすぎるがこうでいいのかな

361人間七七四年2013/11/15(金) 03:17:21.08ID:2xGzZdyP
義昭が南郷進出と小田攻略の途中で没した事で
義重も家督相続時は葦名・白川結城と小田に挟まれて苦戦したし、決して恵まれていた訳ではないよ

362人間七七四年2013/11/15(金) 16:12:59.04ID:yIpGS90P
>>358
結城家代替わりに結城城攻めた時は結城晴朝&小山高朝連合が相手だったからなぁ
後に結城晴朝・多賀谷政経を平塚合戦で撃破したのは大したもんじゃないかな

363人間七七四年2013/11/17(日) 11:38:47.95ID:f8ERLCD2
天庵様は太田親子と真壁にやられてるからな
いくら三楽斎が名将と言っても三人合わせて2万石ぐらいしか国力ないだろアレ

364人間七七四年2013/11/21(木) 00:38:36.20ID:9LGpimis
平塚原の戦いってのはどういう史料に出てくるの?
軍記物オンリー?

365人間七七四年2013/11/21(木) 15:48:25.61ID:msyCzNzg
氏治が三楽斎・真壁に負けたのは二度の謙信襲来で小田が壊滅した後だよ
それ以前は小田と佐竹は互角で義昭は謙信に救援要請までしてる

366人間七七四年2013/11/22(金) 23:04:44.53ID:pKGsZJQl
最後がみじめすぎるせいで小田という勢力自体が過少されすぎだとは思う

367人間七七四年2013/11/23(土) 01:42:07.69ID:hWcpT/nx

江戸通泰・・・芳賀高経女(?)
江戸忠通・・・佐竹義舜女、芳賀高経女(?)
江戸通政・・・大掾慶幹女
江戸重通・・・小山高朝女
江戸宣通・・・佐竹義重女
婿
江戸通雅・・・岩城由隆、鹿島景幹、宍戸政里
江戸通泰・・・宍戸政家
江戸忠通・・・小田氏治、額田篤通
江戸通政・・・鹿島義清、烟田通幹
江戸重通・・・結城秀康


小田成治・・・女、菅谷隠岐守(貞次?)女
小田治孝・・・
小田政治・・・
小田氏治・・・江戸忠通女、芳賀貞利女
小田守治・・・
婿
小田知久・・・結城氏広、真壁某(治幹?)
小田成治・・・宇都宮興綱、佐竹義篤
小田治孝・・・鹿島大膳大夫
小田政治・・・信太範宗、芳賀政春、豊田某(治親?)
小田氏治・・・結城晴朝(養女)

368人間七七四年2013/11/23(土) 11:07:54.40ID:QQnPVs2L
小田は鎌倉>南北朝>室町>戦国と時代が下るごとに勢力弱めてるからなあ

369人間七七四年2013/11/26(火) 18:59:47.35ID:6UAuAV5m
伊達家からの調略文書残しておくなよw

370人間七七四年2013/11/27(水) 01:37:40.11ID:JneRiwps

佐竹義舜・・・岩城常隆女
佐竹義篤・・・小田成治女
佐竹義昭・・・岩城重隆女、大掾慶幹女
佐竹義重・・・伊達晴宗女、那須政資女
佐竹義宣・・・那須資胤女、蘆名盛隆女、多賀谷重経女
婿
佐竹義治・・・石塚義親(姉)、石塚義親(妹)、小場義積、小野義高
佐竹義舜・・・岩城成隆、江戸忠通
佐竹義篤・・・佐竹義廉、石塚義慶、大山義勝
佐竹義昭・・・宇都宮広綱、岩城親隆、石川昭光
佐竹義重・・・江戸宣通・高倉永慶、宇都宮国綱(養女)

佐竹は違うな

371人間七七四年2013/11/27(水) 01:39:12.58ID:JneRiwps

大掾高幹・・・
大掾常幹・・・
大掾慶幹・・・薗部兼彦女
大掾貞国・・・
大掾清幹・・・真壁氏幹女、薗部河内守女
婿
大掾清幹・・・芹沢秀幹
大掾高幹・・・
大掾常幹・・・
大掾慶幹・・・江戸通政、佐竹義昭
大掾貞国・・・


土岐原景成・・・
土岐原・・・
土岐治頼・・・
土岐治英・・・
土岐治綱・・・
婿
土岐原景成・・・
土岐原・・・芹沢定幹
土岐治頼・・・
土岐治英・・・岡見治広
土岐治綱・・・

落差が

372人間七七四年2013/11/28(木) 00:24:36.42ID:LmpScUso
韓国

新米

航空

入曽

公演

373人間七七四年2013/11/29(金) 23:57:04.76ID:pr6WGaFf
佐竹と小田は永禄年間はほぼ互角
謙信が佐竹援助して流れ変わった

374人間七七四年2013/12/06(金) 01:28:46.80ID:L8tVz/DO

結城氏広・・・小田知久女
結城政朝・・・宇都宮成綱女
結城政勝・・・水谷勝吉女
結城明朝・・・
結城晴朝・・・小田氏治女(養女)、水谷正村女
婿
結城氏広・・・
結城政朝・・・宇都宮尚綱
結城政勝・・・水谷正村
結城明朝・・・
結城晴朝・・・那須資晴、由良国繁(養女)


小山成長・・・
小山政長・・・
小山高朝・・・
小山秀綱・・・成田氏長女(北条氏政養女)
小山政種・・・
婿
小山成長・・・
小山政長・・・
小山高朝・・・江戸重通、石川時通
小山秀綱・・・那須資晴、岡本禅哲
小山政種・・・那須資景

375人間七七四年2013/12/07(土) 01:08:19.17ID:Y7c/Y0t0
三浦氏員×伊勢宗瑞女
太田資高×北条氏綱女
北条綱成×北条氏綱女
足利晴氏×北条氏綱女
堀越六郎×北条氏綱女
吉良頼康×北条氏綱女
葛山氏元×北条氏綱女
臼井守胤×中田加賀守女
今川氏真×北条氏康女
太田康資×遠山綱景女(北条氏康養女)
高城胤辰×遠山綱景女
北条氏繁×北条氏康女
太田氏資×北条氏康女
木田見頼忠×間宮康俊女
豊前氏盛×間宮康俊女
千葉親胤×北条氏康女
吉良氏朝×北条宗哲女(北条氏康養女)
足利義氏×北条氏康女
千葉邦胤×北条氏政女
小山秀綱×成田氏長女(北条氏政養女)
臼井久胤×清水康英女
宅間規富×遠山直景女
上杉氏憲×北条氏繁女
里見義頼×北条氏政女
武田勝頼×北条氏康女
山中大炊助×北条氏照女
木田見朝忠×間宮綱信女
正木邦時×北条氏尭女(於万の方の生母、遊女とも)
吉良頼久×小笠原康広女
三田守綱×遠山利景女
皆川勝照(広照長子)×茂呂又十郎女(北条氏照臣)
皆川隆庸(広照嫡子)×中御門宣綱女(北条氏政養女)

376人間七七四年2013/12/08(日) 02:40:46.15ID:gGfoOqzU
横浜湖

長明

川崎

入曽

山田

あぼーん

あぼーん

あぼーん

あぼーん

あぼーん

382人間七七四年2013/12/13(金) 01:28:34.39ID:riS/ufpz
まちがえた
皆川広照×中御門宣綱女(北条氏政養女)

ついでに茂呂氏の姻戚関係
茂呂因幡守×赤井照光女(妙印尼の姉妹)
茂呂利資×佐野豊綱女
茂呂又十郎女×皆川勝照

383人間七七四年2013/12/17(火) 20:23:37.85ID:jltAgbJH
宇都宮氏の婚姻関係
宇都宮正綱×石塚義親女(佐竹氏庶流)
宇都宮成綱×那須資親女
     ×小田成治女
     ×上杉顕実女
宇都宮忠綱×不明
宇都宮興綱×不明
宇都宮俊綱×結城政朝女
宇都宮広綱×佐竹義昭女
宇都宮国綱×東義久女

参考:下野宇都宮氏の婚姻関係 江田郁夫著

384人間七七四年2013/12/18(水) 13:00:52.75ID:sJZp8Qo0
韓国

新米

航空

入曽

公演

385人間七七四年2013/12/18(水) 13:15:07.78ID:/oqfIthx
すまん誰か教えてほしい。

天羽源鉄

あもう、あまは、あまはね  読み方がわかりません。

386人間七七四年2013/12/19(木) 09:31:15.59ID:30anUEo8
一部軍記物以外で名前を見ない人だな
本貫地がはっきりしているとかなら
まだ読みようがあるがなんとも言いようがない

387人間七七四年2013/12/20(金) 06:47:44.37ID:5SPjH3Y6
大阪

板橋

横浜湖

品川

飯田橋

388人間七七四年2013/12/20(金) 16:21:14.68ID:6x0Ai9Nl
氏治にそんなすごい軍師がいたなら手子生城にまで追い詰められる前になんとかしてただろ

389人間七七四年2013/12/21(土) 09:18:56.24ID:ADw1B/C+
>>388氏治公がちゃんと言うこときくとは思えないけど。
会社の無能な上司にそういう人がいくらでもいるとおもう。

優秀がどうとかでなくて読み方知りたかっただけなんだ・・・。

390人間七七四年2013/12/21(土) 19:08:46.08ID:CdG6Zn19
じゃあこの際お前が名付け親でいいよ

391人間七七四年2013/12/21(土) 21:20:48.79ID:0uuSyrvZ
同時代の小田家文書見ても出てこない名前なんだよな
関東古戦録の作者かそのネタ元がでっちあげたんじゃないの?

392人間七七四年2014/01/03(金) 09:00:47.79ID:VCnSPRyX
高校の時につくば市辺りの出身で天羽と言う人がいたな
その人は「あまは」だったと思う

393人間七七四年2014/01/06(月) 12:04:38.10ID:sc9EH2BV
>>392
貴重な情報ありがとう!

394人間七七四年2014/01/06(月) 13:30:34.69ID:/hez+Z3h
某アニメ化した某エロゲーの先輩の苗字だからすんなり読めてた俺

395人間七七四年2014/01/16(木) 00:35:03.43ID:UM0pffSd
烟田氏重臣の井川氏って元阪神のあの井川と同族?

396人間七七四年2014/01/18(土) 01:01:32.28ID:p9Z3Z3TL
ノブヤボ新作の常陸勢どうだった?

397人間七七四年2014/01/18(土) 01:23:27.64ID:qG4ktDHn
>>396
義重筆頭に下げられてんよ
正規分布だとかアホなオナニー仕様のせいで高い能力が増えるほどバランスの為に下方されてく
最下層の能力とかネタじゃないのって見てて哀れ

398人間七七四年2014/01/18(土) 22:35:48.05ID:jTbHyNa8
大名家は佐竹と小田の二つ(ただしプレイヤーが選択できるのは佐竹のみ)
江戸は浪人
大掾は佐竹家臣
多賀谷は結城家臣
ってところか。
雑魚扱いですぐ滅びる。

399人間七七四年2014/01/19(日) 02:19:09.18ID:D5GbQF9N
一回の野戦で撃破→三ヶ月ほど城包囲→滅亡
小田も那須も佐野もこんな感じで簡単に滅ぼしてくんだよな
51年に至っては同盟結んでない宇都宮を半年以内に潰して本城Get
リアリティ路線らしいがこのスピードじゃ全くリアリティを楽しめん

400人間七七四年2014/03/10(月) 12:09:20.83ID:ozS2BT4R
>>399
スピードもそうだけど関東の混沌を表現して欲しかったよ。小田家にしてもせめて土浦城くらい欲しかった。
空白地だらけだから表現は可能だとは思う。

401人間七七四年2014/03/19(水) 19:05:57.30ID:uOJTLNIQ
>>347
> 小田氏治の通称“常陸の不死鳥”

フェニックス一輝みたいでかっこいいな。
ヨロイに羽くっつければもっとかっこいいな。

402人間七七四年2014/03/19(水) 19:08:09.48ID:uOJTLNIQ
>>396

ノブヤボ最新作はパワーアップキットが発売されてから購入する予定。

403人間七七四年2014/03/20(木) 00:49:16.19ID:DrOGKlUr
>>402
今回はアップデートで小刻みにPUKに近付いてってるよ
しかも今だけ無料コンテンツってのもあるから今買わないくらいならむしろ次回作まで見送った方がいいレベル

404人間七七四年2014/09/12(金) 09:54:47.42ID:wUWouBzq
この県は豊臣時代には全国7位の石高を誇った大名がいる割に
戦国時代の史料が少ない気がする

405人間七七四年2014/09/12(金) 15:29:40.76ID:jBx4b4vm
特に大掾(←ガラケーだと一発変換出来ないw)
戦国末期まで残ってたのにね

406人間七七四年2014/09/13(土) 06:28:19.55ID:8ADFu8TV
>>404
佐竹関連は結構豊富だよ
他は滅亡したから当然少ない

407人間七七四年2014/09/13(土) 08:35:22.37ID:s/k4oZcK
>>406
そういや佐竹の軍役状とかあるかな?

408人間七七四年2014/09/13(土) 17:00:24.16ID:6Xkq53ZT
>>407
あるにはある
ただ、佐竹ら関東や南東北の大名は洞という体制をとっていたから
戦国大名のように配下の領地を検地して軍役を課す事は出来なかった
直轄地に関しては集権化が進められていたが
だから基本的に軍役状は豊臣時代以降のものになる
よく引用されるのは佐竹義久だかが南郷(現福島県棚倉町、塙町、矢祭町)周辺に出した軍役状
これは戦国末期か豊臣初期のものと思われる

409人間七七四年2014/10/03(金) 05:06:26.46ID:lxgAmWEs
常陸江戸氏や真壁氏は、名目上は佐竹氏の家来だが、事実上の「半」独立勢力。

ただし「半」独立勢力なので、戦場では佐竹の指揮下に入る。

こういう解釈でいいだろうか?

410人間七七四年2014/10/15(水) 16:17:48.50ID:Shm5LB+V
下位同盟者って感じだな

411人間七七四年2014/10/15(水) 16:57:27.23ID:2V3bxkyq
>>410

織田と徳川みたいなもんだな。

ただし形式的には家康は信長の家来ではなかった。

412人間七七四年2015/02/03(火) 06:29:30.39ID:lwWv2TR+
賀正

413人間七七四年2015/06/07(日) 00:21:07.75ID:r1kIsHq/
浅野長政は酷い奴だw
佐竹氏まで改易しようとしてたんだな

 論説 「豊臣期関東における浅野長政」 (PDF)
  
  第一章  浅野長政による取次大名の囲い込み
   第一節 滝川一益と東国領主の関係
   第二節 浅野長政による宇都宮氏の囲い込み

  第二章  浅野長政による囲い込みの弦かい
   第一節 浅野長政と佐竹氏の関係
   第一節 浅野長政と伊達政宗の関係
  https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/1847/1/shigaku_49_18_32.pdf

414人間七七四年2015/06/10(水) 06:18:42.39ID:lauLR8Qn
>>4
これって、ドラマ「塚原卜伝」で見たんだが、
創作なのか、元になる文書があるのか?

415人間七七四年2015/07/22(水) 17:04:33.62ID:ay+OBnVp
うむ

416人間七七四年2015/08/23(日) 06:20:13.10ID:C08i3PDz
テスト

417人間七七四年2015/09/09(水) 16:45:03.54ID:HFqMasYX
保守

418人間七七四年2015/10/02(金) 04:07:47.74ID:da497Oxz
革新

419人間七七四年2016/03/30(水) 20:29:08.81ID:A59HFDD8
凄いサイトを見つけてしまった

420人間七七四年2016/04/24(日) 15:32:19.51ID:WemUg+2v
>>413
石田らと政権争いをしていたからな
自陣への取り込みに躍起だったけど、言うことを聞かない大名は讒言して潰しにかかっていた
だから奴は嫌われ者だった

421人間七七四年2016/04/28(木) 17:38:59.77ID:9EvDOwlB
>>413
面白かったです、ありがとう

422人間七七四年2016/07/02(土) 22:00:04.02ID:X688W0fx
島左近の新発見文書が江戸大掾族滅に関与してそうだな

423人間七七四年2016/07/02(土) 23:31:12.59ID:BADtWmmx
島左近が茨城まで来ていたのか。
江戸大掾族滅は、佐竹が江戸氏も水戸城を1日で奪取。翌日には石岡の大掾氏を
奪っているから、前々から周到な準備してたな。

424人間七七四年2016/07/03(日) 06:51:15.22ID:/PAPx/0m
時期的に勝手な戦争や仕置きは絶対に出来ないし
豊臣政権の指南を受けながら常陸内の仕置きを行った事は間違いないと思っていたが
今回の書状発見で明確になってきたね
でも小田原攻略時点で佐竹や宇都宮は浅野の指揮下に入っていたが、やはり石田の指南も受けていたんだな
そうなると浅野と石田の争いは既に常陸や下野で展開されていたのだろう

425人間七七四年2016/07/03(日) 08:08:51.06ID:nITY6s5q
毎日の記事には大掾が人質を渋ってると書いてあり、朝日の画像で大掾殿の文字が確認できる
アホやな
人質出してれば最低限佐竹家臣として生き残って平安以来の大掾氏と常陸国庁の文書が伝わったんじゃないか

「猛将」嶋左近の書状2通 大阪で見つかる
ttp://mainichi.jp/articles/20160702/k00/00m/040/058000c
滋賀)嶋左近の書状2通見つかる 大阪府の民家で
ttp://www.asahi.com/articles/ASJ6Z76B7J6ZPTJB00Y.html
19日付書状
ttp://www.asahi.com/articles/photo/AS20160701002062.html
25日付書状
ttp://www.asahi.com/articles/photo/AS20160701002066.html
石田三成の重臣・島左近の直筆か、書状2通発見
ttp://www.yomiuri.co.jp/culture/20160701-OYT1T50164.html

426人間七七四年2016/07/03(日) 08:53:37.28ID:nITY6s5q
北条方だから討たれたって旧来の説は完全に消えたな

427人間七七四年2016/07/03(日) 10:37:12.60ID:YIK5ojUf
その家臣になるのが嫌で人質を出すのを渋っていたのだろう
江戸氏もそうだろうし

428人間七七四年2016/07/03(日) 17:26:01.97ID:8VTwqhUL
要するに平安以来とかいうチンケなプライドのせいで滅んだのよw

429人間七七四年2016/07/03(日) 20:22:03.69ID:5YvZF10s
江戸氏は佐竹の家来ではない。同盟相手だ。
一応、佐竹がちょっと上だが、佐竹はグループ内のリーダーみたいな存在であって、
佐竹と江戸氏は上司と部下という立場関係ではない。

大掾と江戸氏は人質を渋ったり小田原参陣に行かなかったりで、佐竹に滅ぼされてしまうのだが、
北条に人質でもすでに預けてたか?。
つーか、南方にいる北条はものすごい強国に見えてたわけで、さらにその向こうから秀吉とか
いう武将の率いる軍勢が来るとかかんとか、なんてのは警戒して、すすんで人質を出したり協力
するのは気が進まなかったのかもな。それを島左近がぶち切れ気味で秀吉にチクリか。

430人間七七四年2016/07/03(日) 21:31:35.82ID:x4Z7lFHX
北条滅亡を見てなお秀吉に人質送るのを渋るとか現実見えてなさすぎる
1590年時点で秀吉政権に独立領主として人質を要求されていながら勿体無い、といのは現代人の視点か

431人間七七四年2016/07/04(月) 07:34:50.11ID:tYWA/91Q
これ見出しがミスリードになってるけど
この当時の島左近は豊臣秀長の家臣だよな?

432人間七七四年2016/07/04(月) 10:47:44.49ID:5ok/EczM
じゃあこの頃から石田と島は知己だったんじゃない(適当)
だから秀長没後石田家に仕官したんだよ

433人間七七四年2016/07/04(月) 13:38:59.60ID:x+ehfemp
中央での動きに(常陸の国の中では比較的に)敏感だった佐竹氏は、
金銀などの贈り物をこのあとは盛んにするようになっていく。それで60万石を得たから
成功したとはいえるだろうけど、地元への税の要求は段々ときつくなっていって
税が払えない村があったら「根こそぎ殺害してでも差し出せ!」とキツい命令書を送りつけて
この文書が現存している。

434人間七七四年2016/07/04(月) 20:38:39.18ID:CqdarCfM
ぐぐっても翻刻はまだないなー特別展で公開されたら拝観した人があげてくれるかな

大掾氏攻略は義宣と三成の謀略とかいわれてたけどなんてことはない
秀吉への人質を出し渋って取り潰されただけだったという
これで大掾清幹は戦国一凡愚な男に躍り出たんではないか

435人間七七四年2016/07/04(月) 20:53:22.95ID:CqdarCfM
以前は寛政譜を見ていて由良や大田原の次男三男が秀吉に仕えて兄より先に叙任してるのを嘘臭いと思っていたけど
所領を安堵され、京大坂に屋敷地を賜い、目に止まれば取り立てられる、これこそが人質の実態なんだろうな

436人間七七四年2016/07/04(月) 23:25:49.96ID:x+ehfemp
人質というと印象は悪いけれども、実際には
誓約の証人であり、本国と連絡をするための外交官でもあるからな。人質とはいえ
身分は高い。

437人間七七四年2016/07/05(火) 08:15:39.20ID:SERn/wXY
戦国時代末期の足利時代は官位は献金額によって決まるけど秀吉時代は秀吉との個人的な距離で決まるからな

438人間七七四年2016/07/24(日) 22:07:57.91ID:HPSR/xdb
公家成大名 侍従(四位)
  佐竹義宣
  里見義康 
公家成大名 侍従(五位)
  宇都宮国綱
諸大夫成
佐竹東家の佐竹義久など

真田丸スレから抜粋
大人しく人質出してりゃ五位侍従くらいにはなれたかもしれないのに

439人間七七四年2016/07/25(月) 11:44:55.35ID:yFDPg3Ct
人質どころか、秀吉や三成に金銀を大量に贈与しつづけなければ
待遇は上がらないよ。京都からの手紙では
常陸への領地への金銭の催促は年々厳しくなるばかり。文句を言う領民は処刑。
それでも侍従(四位)だからね。

440人間七七四年2016/07/28(木) 22:24:16.94ID:PoRJk7BQ
それは唐入りの時の話だよ
戦費を賄う為に年貢のうち三分の一を臨時に徴収しようとしたが、国許では思いのほか徴収が進まず
陣所は逼迫して焦った義宣は繰り返し催促をしたが、それでも送られて来ないから次第に強硬な姿勢に変わっていった
これは佐竹に限らず出兵を命じられた他の大名も同じ状況であったけど
命令に従わない者は厳罰に処するよう豊臣家からも通達が各大名にまわっていた事も強硬姿勢にシフトした背景になっていただろう
もっとも、最後まで催促が続いていた事から見ても結局は義宣の指示は守られなかったようだが
元々、唐入りは各大名家も乗り気ではなかったし、義宣が役人に責任があると怒っているように
そもそも配下が手心を加えて徴収に消極的だったからどうしようもない

441人間七七四年2016/08/06(土) 00:24:50.70ID:CFE9dNO3
>>440 そのときの佐竹の石高は60万石ぐらいあったはずだが、
財政に余裕があるどころか、大藩は負担の量も大きいな。
常陸藩から送られた年貢が、唐入りのために朝鮮まではるばるとコメが送られていった
というよりは、「戦費を賄う為」という文言をみると、換金したうえで現金だけを西国まで
送って、そこで買い付けしたという意味のようだね。

配下が手心を加えて徴収に消極的、というのはやや変な印象がする。本当に無いから
出すことができなかった、のだろう。
それにコメを作ると、一等米もあるが病変や虫害で二等米、三等米というのもかなり出る。
一等米は年貢に出すとしても(他にタネモミにもする)、さらに徴収しようとしても
三等米とかクズ米が増えるばかりで、あまりお金にもならない。5公5民にしてB級品は
農民の手元に残しておいた方がまだましだが、戦時中は無茶な命令がどうしても多いねえ

442人間七七四年2016/08/28(日) 09:26:14.83ID:wv8wTcSG
常陸大宮市の石沢地区で新しい城郭が発見されたそうです
元々、古代の住居群の遺跡があって調査をしていたところ堀が発見され
堀の形状から戦国時代のものと推定されました
石沢館と命名され今後も調査が進められていく予定です
今まで常陸大宮市の市街地に確認されていた城郭は3つでしたが、全て久慈川に面した東側(常陸太田方面)に築城されていました
しかし今回発見された石沢館は西側に位置し、小場城へ向かう街道筋にあります
この城の意味するところは非常に興味深いですね

443人間七七四年2016/12/29(木) 06:08:26.62ID:dJpNIaKt
今某史料でググってたら安得虎子の原本見つかっ(て)たって18日付けのニュースが
写本にはない巻もあり、県立歴史館のデジタル写真帳で公開される予定とも

444人間七七四年2016/12/29(木) 13:10:01.77ID:CwUBYX1R
>>443
マジ須賀小六。
県立歴史館て秋田?茨城?

445人間七七四年2016/12/29(木) 20:11:49.37ID:ZCUG+BhM
茨城やね

446人間七七四年2016/12/29(木) 20:13:55.73ID:ZCUG+BhM
今まであった写本が6冊で原本は欠巻あるけど7冊が新確認てパないな

447人間七七四年2016/12/30(金) 00:26:10.08ID:FOdIEGxm
>>444
マジ須賀小六わろた

448人間七七四年2017/01/05(木) 21:25:32.76ID:89r4JQD4
画像見つけたから書き起こそうと思いつつ面倒臭くて2か月放置。いざやると小一時間かかり、やっぱり面倒だった

小貫頼久宛て島清興書状
大掾殿我等かたへ被参被申様者、御女房衆京へ上被申事、行衛(ママ。行方ヵ)も可然ニも不相構、手前之調難成候間、/
義宣様御手元ニ被置様ニ御詫言有度との事候、中々成間敷事ニ候間、早々上被申可然と申候へ共、/
是非我等より書状を相副候之様ニ達而被申候条、乍恐如此候、如何思召候哉、/
先井清(今井清右衛門尉ヵ)へ御談合候て、治少(石田三成)へ申候て見可申と被申候者、先可被仰候乍哉、是も御分別次第候、/
先々家中へハ用意之儀、急度被申越候て可然と申事候、然者早昨夕御触以後、夜中より其まゝ被申越候との事候、/
即使被進之候間、御存分被仰聞候て、可被成御返候、恐々謹言、
 七月十九日(天正十八年)  清興(花押)
 小大蔵殿(小貫頼久)
      御陣所

449人間七七四年2017/01/05(木) 22:04:58.15ID:qeu6RMtY
乙だ

450人間七七四年2017/01/05(木) 22:47:55.00ID:89r4JQD4
今井清右衛門だと今清だから井清は井上清左衛門かも

451人間七七四年2017/01/08(日) 21:48:52.52ID:6SP7mzxD
左近と三成に引きずられて三成領の代官今井清右衛門尉にしたけど
大和田の日記にも出てくるらしい井上清右衛門(珍阿)でFAなのかな

452人間七七四年2017/03/03(金) 07:34:09.18ID:HNYfj4mQ
デジタル写真帳って館内だけで使える系?

453人間七七四年2017/03/09(木) 21:31:38.31ID:Rn+tzH86
土岐原氏は原氏

真壁長岡氏、行方鳥名木氏、鹿島烟田氏、鹿島宮崎氏
同時代他氏の例をみれば分かりそうなものなのに
こんな単純なことを今まで知らなかった

454人間七七四年2017/04/09(日) 23:01:51.73ID:pwhVrDq+
秋田知事選、現職・佐竹敬久氏が3選決める
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170409-00050083-yom-pol

455人間七七四年2017/05/14(日) 21:29:16.23ID:EufZAoJh
安得虎子刊行されたけど情報が無さすぎて手が出せない
所収文書の他の史料集との出入り、新出史料がどの程度あるのかさっぱりわからんし
体裁の見本に1ページ画像かpdfであげてくれるかしてもいいんじゃないか

456人間七七四年2017/05/21(日) 10:01:36.42ID:8k7mShln
歴史館史料叢書20安得虎子入手したよ。
情報欲しいなら質問はよ

457人間七七四年2017/06/05(月) 22:14:51.04ID:DTA73X2u
新発見の文書どのくらいありますか?
その内、常陸や北条氏に関わる物の量など

458人間七七四年2017/06/10(土) 21:07:08.47ID:qg1/bffw
安得虎子
まず所収巻数は1.2.3.4.5.6.7.10.11.12.13.15の十二巻。
このうち新発見新規公開巻は2.4.7.12.13.15の六巻。
8.9巻はまだ未確認。14巻は系図のみということで割愛されている。

2巻 烟田旧記の写本あり。鉾田町史の烟田旧記とは異なる記載もある模様。13ページと結構な分量。今川義元・氏真の武藤氏宛判物一通づつ。
4巻 常陽下妻香取宮円福寺記録(多賀谷と後北条の戦関連記録多し)。石川氏文書(大掾氏。応永頃の文書多し)など。
7巻 烟田文書。芹澤文書。鹿嶋護摩堂文書。鹿嶋根本寺文書。
12巻 雑多過ぎて書くの面倒くさい。戦国関連で有用なものはあまりない感じ。
13巻 吉田社文書。吉田薬王院文書。ともにほぼ社領関連の検注・譲り状など。
15巻 12巻と同じで戦国期関連の情報少し。

459人間七七四年2017/06/15(木) 22:11:46.77ID:oFZsFcuk
ありがとうございます
重複多そうだしやっぱり保留かなあ
系図入れてくれないと素人は手を出しにくいなあ

460人間七七四年2017/06/23(金) 02:25:10.87ID:/ZhzrQ0p
>>458
4巻 常陽下妻香取宮円福寺記録での北条方で名前があがるのは
岡見・土岐氏や氏照あたりでしょうか?
他にどんな名前があがりました?
よろしければご教授お願いいたします。

461人間七七四年2017/06/23(金) 18:05:05.29ID:Jkd0S04Q
>>460
ごめん、間違えてた。『円福寺記録』にはほとんど北条方の名前はなかった。
一応元亀二年(1571)の岩井・下妻城合戦について、
北条が来寇したことだけは書かれている。

ワイが円福寺記録だと思っていたのは、『多賀谷譜』で、
こちらには上記の岩井合戦、関宿城合戦、沼尻合戦などが書かれているものの、
内容は『関八州古戦録』の抜粋程度のもの。
抜粋程度なので武将の名前みたいなのは殆ど無いし、
しかも『古戦録』のパクリかパクられなので名前も年月もいい加減にデタラメ。

462人間七七四年2017/06/24(土) 00:19:02.70ID:j4uEsiDR
>>461
おぉぉ返信ありがとうございます。
いえいえご丁寧に教えていただき重ね重ねありがとうございます。

463人間七七四年2017/09/14(木) 23:01:18.32ID:xYVzwl/a
知事がドワンゴ出身に代わったけど一定期間経過した絶版紀要等をネット公開してくれないかなあ

464人間七七四年2018/01/14(日) 20:45:56.35ID:K0xfCqjh
高野山清浄心院(笑)

465人間七七四年2018/05/26(土) 20:54:23.87ID:T/yvxJbq
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

466人間七七四年2018/06/13(水) 07:20:25.07ID:x5XYQHWd
ヒストリアで天庵様のおこぼれに預かれるかな?

467人間七七四年2018/06/13(水) 18:02:30.55ID:D3Sxk6xy
様付け&無能君主持ち上げw

468人間七七四年2018/08/17(金) 22:09:32.66ID:WbFBnXSh
東寺百合文書の平成幹(丹波大山庄)と平義幹(伊予弓削島庄)って両方真壁氏?

469人間七七四年2019/05/03(金) 00:16:12.49ID:pLzw3dXG
こんばんは

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