【米五郎左】丹羽長秀、長重ら丹羽一族 2【惟住】

1人間七七四年2011/12/08(木) 19:03:15.11ID:5/EOy5Mu
かかれ柴田に木綿藤吉 金冠十兵衛 退き佐久間、そして米五郎左……。
地味だけど過小評価されすぎな丹羽長秀や、
実は優秀な息子・長重ら丹羽一族を語れ。

■前スレ
丹羽長秀  
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164615623/

■武家家伝_丹羽氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/niwa_k.html

2人間七七四年2011/12/08(木) 19:16:13.66ID:ClsVNs56
関ヶ原では長重が前田に陥れられたという説。

3人間七七四年2011/12/08(木) 21:58:51.35ID:ZUCXwf4l
越前、若狭、美濃120万石から、小松11万石に大巾に減棒

4人間七七四年2011/12/09(金) 01:12:36.38ID:+KuwqPhG
過去の当主に「長○」がいるから、長秀の長は織田信長の偏諱じゃなくて、
丹羽家の通字であるかもしれないのな。

5人間七七四年2011/12/09(金) 03:22:41.37ID:59sv2u0/
棚倉、二本松など、城をつくりご奉公した丹羽長重

6人間七七四年2011/12/09(金) 23:35:34.10ID:1HJHERue
>>5
光重では?

7人間七七四年2011/12/20(火) 07:04:27.41ID:bdRO9HyA
長重は子供の内に優秀な家臣ぶっこ抜かれるわ大減封喰らうわで秀吉にいびられて哀れ。

8人間七七四年2011/12/20(火) 08:25:30.43ID:1oWeDEBN
嫌われた理由って何かな。

9人間七七四年2011/12/20(火) 08:55:12.79ID:0Intz7WC
庭には二羽長秀がいる

10人間七七四年2011/12/20(火) 09:57:04.75ID:Wxqz8fwF
なんか可愛いw

11人間七七四年2011/12/20(火) 13:13:58.74ID:pXvehF7r
俺、名字は丹羽だけど丹羽氏と無関係の家紋

12人間七七四年2011/12/20(火) 22:15:45.30ID:nFD63OYd
>>7
結構有名になった連中が多いよね>元家臣

>>11
名字も家紋も誰かからもったりするからな。
家紋は特に「これカッコエー」なんて理由で改編したり、昔の人はしてたw

13人間七七四年2011/12/21(水) 02:09:44.31ID:iEYhq88V
勝ち組    負け組
前田      丹羽
池田      佐々

14112011/12/24(土) 20:42:39.60ID:tGAYPtnp
>>12
ちなみにウチの家紋は目結紋なんだ
いや、まあどうでもいいか

15人間七七四年2012/01/01(日) 21:34:41.47ID:rafzYYOh
丹羽は勝ち組だろ。

勝ち組    負け組
前田      羽柴
池田      柴田
蒲生      佐々
森       滝川
丹羽      堀
稲葉      毛利
水野      河尻
         長谷川
         佐久間
         氏家

16人間七七四年2012/01/03(火) 18:38:00.79ID:S/daD5t8
丹羽長秀時代は秀吉にもっとも重用されてたかも知れないな
柴田勝家の旧領ももらったので100万石をはるかに超える大封だったろう
長秀が死んで息子の代になると一気に減らされてしまった
当時はホントに実力主義で、餓鬼に大封、大軍を与えてもしかたないって
雰囲気だったのだろうか

17人間七七四年2012/01/03(火) 21:10:48.17ID:ZBrVSD9D
長秀さんには織田家臣としての長年の借りもあるけど、
(少なくてもほかの人よりは秀吉を好意的に見てくれた)
子供さんにはない、って感じなんじゃないの?

18筒井順慶2012/01/03(火) 21:55:31.18ID:FtSiNovc
秀吉の考え方は、あくまで武将個人への加封であった子には与えない姿勢だったもよう。
だからこそ大量の浪人が生まれた

19人間七七四年2012/01/03(火) 22:43:30.34ID:izHbZ/sJ
蒲生も氏郷が死んだら宇都宮へ。

20人間七七四年2012/01/06(金) 21:54:03.43ID:1LTGKXXd
蒲生も丹羽も前田利家の数倍は有能だったのに。
巡り合せとは不思議なもんだなー

21人間七七四年2012/01/07(土) 03:14:35.43ID:E8OcvRu7
惟住長秀は、三七信孝とともに、大坂、堺、住吉、岸和田に集結させた兵を糾合し、厚みを増して四国に渡海する直前に本能寺の変を知ったわけだが、動揺して逃散する兵士たちを抑えられず、逆に自分らが動転し、津田信澄を慌てて謀殺しただけに終わった

22人間七七四年2012/01/23(月) 12:01:03.61ID:WzRTfJFK
全然伸びねえなwこのスレw
さすが俺の五郎左だな

23人間七七四年2012/01/25(水) 16:12:48.07ID:REPIzGSg
サムライゴロー

24人間七七四年2012/01/27(金) 01:30:36.94ID:ctXjc2Ap
丹羽長重って前田利長に異様なライバル心を持ってたみたいだね

25人間七七四年2012/01/27(金) 03:07:04.05ID:vgBObwAa
中町奉行丹羽近江守長守は子孫

26人間七七四年2012/01/27(金) 11:41:52.41ID:VpivOAs9
>>24
それって関ヶ原以前から?

27人間七七四年2012/01/27(金) 14:09:40.35ID:8r2LiT8a
丹羽は見せ場が無いからなあ

28人間七七四年2012/01/29(日) 00:40:12.55ID:Csgc3heU
安土城を作ったぞ

29人間七七四年2012/01/29(日) 01:12:20.43ID:9j70Ape4
てか丹羽レベルで見せ場なしとか言ってたらほとんどの武将は見せ場ない事になるな

30人間七七四年2012/01/29(日) 09:53:16.64ID:OdKq2OtD
庭には2羽ニワトリがいる

31 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 2012/01/29(日) 10:03:47.30ID:/Y6jmAGF
時々戦国関連の書物で関ヶ原で西軍について改易された将から大名に復帰した例として
立花宗茂を「唯一」の例として取り上げるのを見かける度イラッとする

32人間七七四年2012/01/29(日) 10:11:16.48ID:OdKq2OtD
なんか過大評価だよね 宗茂は
たぶんこの武将知ってる奴はツウみたいなところがあって、
誰もが一度はかかってしまう熱病みたいなものなのかな

33人間七七四年2012/01/29(日) 11:05:50.58ID:mAzYnkiZ
>>31
旧領に復帰できた例としては立花は唯一だな。
西軍に属して改易され、後に復帰できた武将というと、この長重や
滝川、新庄なんかもいるし

34人間七七四年2012/01/29(日) 19:56:03.19ID:CA+5T5/Z
長重は親父ほどでないにしても有能なほうだと思うが評価低いな
秀吉にいいようにされたのが効いてるんだと思うが、まだ子供と言っていい年齢で全盛期の秀吉相手じゃ仕方ないわな

35人間七七四年2012/01/29(日) 23:22:43.30ID:2+EDy5iT
長重は苦労したよな
俺も評価されてもいいと思う

36人間七七四年2012/01/31(火) 21:02:54.04ID:IHv2hncK
親父が大封もらいすぎなんだよなあ

37人間七七四年2012/01/31(火) 21:07:22.21ID:QRDuOZq3
>>35を皆で評価してあげてください

38人間七七四年2012/01/31(火) 22:55:33.67ID:pvlgmhUo
>>35
お前はもっと評価されていいぞ!!

39人間七七四年2012/02/01(水) 13:02:41.10ID:oBKYKIdC
>>35
(`ェ´)ピャー

40352012/02/01(水) 18:46:09.17ID:WynlV3Ef
あー、そうかw
何書いてんだ俺はw顔が熱い(´・ω・`)
俺なんて書こうとしたんだろうw
消したい(´;ω;`)

41人間七七四年2012/02/01(水) 19:34:56.57ID:kdUErsLX
丹羽長重の苦労に思いを馳せた>>35を皆評価してるよ

42人間七七四年2012/02/01(水) 22:53:32.87ID:dRZLOL0i
>>40
「評価されてもいいと俺も思う。」の語順だったら弄られなかったのにね。
でもそんな恥じ入る程の事では無い。笑い話にして終わりにしろ。

43人間七七四年2012/02/03(金) 00:21:17.68ID:tjVR2hpS
バカにされてはいないよー キニスンナ

44人間七七四年2012/02/04(土) 03:02:10.01ID:47PEYtdk
ここは>>35を讃えるインターネットですね

45人間七七四年2012/02/04(土) 14:54:05.97ID:r+L+VGxg
>>35を評価しにやってきますた

46人間七七四年2012/02/11(土) 00:55:41.57ID:Ih6QcPGZ
KOMEGOROZAというイタリア料理店とか出してほしい

47人間七七四年2012/02/11(土) 21:58:10.52ID:vdFSJO5I
SAKONも大概間抜けに思えたけどさらに気が抜ける感じだな

48人間七七四年2012/02/12(日) 01:10:26.23ID:XRDfLAWx
本能寺の変のとき、一番近かったのは丹羽軍団だったんだよなあ

49人間七七四年2012/02/12(日) 02:01:42.65ID:f5zFFoyV
あの時点でのベストな行動って一体どんなもんだったんだろう

50人間七七四年2012/02/12(日) 02:58:33.70ID:GX+2ALtx
>>49
信孝を叱咤激励して手勢をまとめ、光秀を討つ。

51人間七七四年2012/02/12(日) 04:46:55.05ID:Z1CeE8KP
紀伊や伊勢とか集めた傭兵の大半は逃げちゃったからな。

52人間七七四年2012/02/13(月) 01:42:44.04ID:gE0siAi+
>>49
光秀を攻撃するまではいかなくとも、信孝と共に
京都により近い所に布陣をして光秀の動きを牽制するとかかな。
ただ、そうやったとしても、大して戦後は変わらなさそうだ。
秀吉が一頭抜抜きんだのを覆すことは無いだろうな

53人間七七四年2012/02/13(月) 19:33:50.58ID:XfUIvp6A
同じ状況に立たされたとして兵の離散を防ぎつつ適切な行動を取れそうなのってやっぱ軍団長の中でも秀吉しかいなさそうな気がする

54人間七七四年2012/02/13(月) 21:08:01.78ID:wE+Wx8R6
やっぱどんな組織でもリーダーの力量ってのは大事なんだねえ

55人間七七四年2012/02/13(月) 22:43:16.39ID:B/3SjTFG
あと、手を打つ前に何か異変があった事が知れるとどうしようも無い。
密使を捕まえて首脳陣が対策を考える時間が取れた秀吉は運が良かった。

56人間七七四年2012/02/14(火) 01:09:35.12ID:QiaOmQv3
全くもって仰るとおり

57人間七七四年2012/02/15(水) 00:37:00.01ID:VF5yy2QX
秀吉の家来にはなったが十分だいじにしてもらったし、100万石を超える大封を
もらってた これをうまく子供に相続させてりゃ前田家や池田家よりも
よっぽど大きな大名家になってたろうに 下手こいたなあ〜

58人間七七四年2012/02/16(木) 00:31:16.04ID:JEVJ9Oa5
長秀は若死したからなー。
堀直政みたいな強力な家臣が居れば違ったかも。

59人間七七四年2012/02/16(木) 01:26:35.19ID:CBQy6uNA
>>58
有能な家臣は複数いたが、長秀死後に秀吉直参に召し上げされてたな。

60人間七七四年2012/02/17(金) 10:59:01.57ID:5hkOAV++
本願寺の直後に家康さんすぐそばで大軍持ってる丹羽さんをなんで頼らなかったんだろ

61人間七七四年2012/02/17(金) 19:27:24.54ID:R/wZ2azV
津田信澄が居たから

62人間七七四年2012/02/21(火) 00:23:09.54ID:2BGPupF7
信澄殺した判断ってどうだったのかよくわからない

63人間七七四年2012/02/22(水) 07:59:52.35ID:LykJ0/pA
長重の上って息子いなかったの?
光秀みたいに放浪してたわけでもないのに随分遅い子供だな

64人間七七四年2012/02/22(水) 10:05:09.06ID:EVEu3+mf
http://www.suki-radi.com/
丹羽長秀をテーマに語ってるラジオ

65人間七七四年2012/02/22(水) 19:08:20.63ID:d1AeySLR
>>64
ありがとう、聞いてみるわ

66人間七七四年2012/02/22(水) 20:00:15.83ID:tmaLIdh8
>>63
秀吉や柴田さんはこどもいないし、織田家有力武将は
忙しくて子供作れなかったか、子供ができにくくなるくらい過酷だったんじゃない

67荒らされたので、住人誘致中2012/03/17(土) 21:37:51.38ID:AnkonT8h
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10

68人間七七四年2012/04/25(水) 20:59:15.77ID:qvo5tsqe
丹羽長重って結構有能だよな。
秀吉はどうも人を見る目が無い。

69人間七七四年2012/04/25(水) 21:00:17.25ID:0FnCw4pf
だって減封する時に幼少だったし

70人間七七四年2012/04/27(金) 08:49:46.21ID:di+Xg+tO
1

71人間七七四年2012/05/04(金) 09:28:19.77ID:bUEz5mU/
庭には二羽丹羽長秀がいる

72人間七七四年2012/05/13(日) 20:34:56.70ID:Tf55RneT
丹羽長秀は秀吉のもとで越前、若狭、美濃の一部総計100万石を得たが、秀吉の露骨ぶりに往々と楽しまざる日々を、送り、ついに越前北之庄で憤死をとげ、腸を木下に送りつけた

73人間七七四年2012/05/30(水) 14:21:17.19ID:YUf7sR+l
信長の信任が一番厚かった長秀

74人間七七四年2012/05/30(水) 18:42:20.20ID:DJ0+mGl3
>>72
それって逸話じゃなかったっけ?
そんな気概が長秀にあれば秀吉が織田家を簒奪過程
で阻止しようと動いたはず。
何もしてないのだから違うだろ。

75人間七七四年2012/06/08(金) 10:06:35.67ID:9jjvP390
>>74 逸話なら事実じゃん

76人間七七四年2012/06/08(金) 11:00:52.89ID:3vEiLSoj
逸話=噂話

77人間七七四年2012/06/15(金) 00:59:12.00ID:WDEKDICc
>>62
・光秀の娘婿&本能寺後も嫁健在
・叔父と従兄弟が殺されてるのに大坂滞留
これで内通の疑いありとの名目で倒したんだろうけど、
大義名分として打倒光秀があってのその前の信澄な訳で、
そのまま独力で光秀まで持っていかなければならなかった。
だがそれができず、結果として信澄襲撃は大義を失い、
下衆な家督争いしただけの扱いで終了。

光秀を倒す力(+気概)がなければ、
内通の確たる証拠がない限り、信澄に手を出すべきではなかったと思う。
完全に勇み足。

78人間七七四年2012/07/05(木) 11:59:23.61ID:wH4CqKkr
通称:五郎左衛門尉、羽柴越前守
渾名:鬼五郎左、米五郎左
別名:惟住長秀

79人間七七四年2012/07/05(木) 17:22:43.44ID:vpSM+lVa
>>77
傭兵主体だったから混乱が広がり、長秀の努力虚しく軍団が崩壊した。
織田家の弱点がモロに出た。

80人間七七四年2012/07/21(土) 00:45:45.94ID:o1r/k7k3
織田四天王のわりには具体的な功績が史書に見えない、、

81人間七七四年2012/07/22(日) 14:57:14.01ID:Irn+rzFe
丹羽さんは他の四天王に比べて地味だよね。

しかし長重は気の毒だな。
父親の丹羽長秀が秀吉が織田家簒奪するのを黙認した形で手に入れた
大領土なのに、長秀が死んだら減封されまくるわ、家臣は引っこ抜かれるわ、
本来東軍につくつもりだったのに利長への対抗心から西軍について改易。
まあ後に復活は出来たけどね。


82人間七七四年2012/07/22(日) 22:10:27.43ID:E7AS7NHk
秀吉は蒲生氏郷の子も改易したし、本能寺の変の時に世話になった堀秀政の子も改易しようとしたし、
いつもの事だな。

83人間七七四年2012/07/23(月) 00:43:39.72ID:h5HEaa8y
改易ではなく減封しようとしたんじゃなかったっけ?

秀吉が織田家簒奪の過程で協力したお家で当主が亡くなったのは丹羽、池田、森家
だけど、秀吉は池田や森家は厚遇してんのよ。
信長存命中に丹羽長秀は織田四天王の1人で、池田恒興や森長可よりずっと
貢献度は高いのにあの仕打ちは気の毒だと思った。

84人間七七四年2012/07/23(月) 10:26:04.95ID:UzYXIHh2
長重ってずっと徳川派だったのに関ヶ原ではなぜか西軍についちゃったんだよな
目の前の前田が東軍についたんだから、前田と一緒に行動すればいいのに
そうすれば戦後も加増されてただろ
前田を一方的に憎んでいて戦いたかったのか知らんけど
いきなり西軍につくとか無茶すぎるだろ、それで改易されてるし



85人間七七四年2012/07/23(月) 12:35:09.28ID:7/Isjtd3
>>83
その通り。減封でした。

86人間七七四年2012/07/23(月) 14:24:31.20ID:h5HEaa8y
>>84
すごい前に読んだ資料だからうら覚えだけど、それには同じ信長の娘
を持つ前田利長へ対抗意識があったんじゃないかと。
信長存命中は丹羽家は織田四天王の一角だったし、前田家はそうでもないけど。
確か家康の長重に利長の命令?を聞くようにと言われてそれに反発したようである。

87人間七七四年2012/07/23(月) 15:18:14.77ID:h5HEaa8y
訂正

信長の娘を嫁に持つ
家康が長重に

88人間七七四年2012/07/26(木) 00:55:45.67ID:1b4/tubx
長秀が利家より10年早く死に、長重が利長より10年遅く生まれた。
これがすべてだと思う。

89人間七七四年2012/07/26(木) 15:54:08.05ID:KAgpl+WI
長秀が長生きしていたら豊臣政権でどんな待遇だったんだろう。

90人間七七四年2012/07/27(金) 10:49:44.75ID:pF2sr1Pu
蒲生の会津は奥羽鎮護兼家康牽制の実質豊臣奥羽探題みたいな特殊職だから
実力あるもんじゃないと無理。
氏郷の子は家中を纏めることすらできんかった。
堀のところにはそこそこ優秀な堀直政がいたから改易されずに済んだ。

91人間七七四年2012/07/27(金) 14:24:29.66ID:R5KQP1Hs
蒲生氏郷は家臣思いでそういったエピソードが幾つも残っているけど
家臣を優遇し過ぎというか、その為に彼らのプライドが高くなり過ぎて
争いが絶えなかったんだよね。
氏郷の息子は家康の娘を貰っているんだから早死にしなければ池田家並になれたろうに。
氏郷以降の蒲生家は何かに呪われているじゃないかと思う位の不幸続き。

92人間七七四年2012/07/27(金) 15:31:25.77ID:qPTtNF4U
秀吉は 織田時代に自分より上だった者 には厳しい
柴田滝川明智佐久間みんな潰されたりしてる
優遇はほとんどされてない
長秀が長生きしても結局潰されてた可能性が高い
徹底的に秀吉に従うなら100万石として残れたかもしれんが
でも長秀はそれはできんだろう

93人間七七四年2012/07/27(金) 17:41:25.63ID:R5KQP1Hs
>>92

その中で秀吉に潰されたのは柴田滝川じゃない。
明智は敵討ちという感じだし。

94人間七七四年2012/07/27(金) 22:33:02.98ID:R0gPhu0u
>>91
そうしたら会津若松城も姫路城みたいな規模になってたろうか。

95人間七七四年2012/07/29(日) 11:13:12.67ID:bQCh8446
そもそも賤ヶ岳の前、丹羽長秀が大阪の秀吉のところに出向いて挨拶行った段階で、長秀は秀吉に臣従したと
世間的にも捉えられている。

96人間七七四年2012/07/30(月) 01:01:16.77ID:33Axb38P
信ファンとしては丹羽さんには織田家を簒奪する秀吉に対抗
して欲しかったけどね。
織田家の女性を妻にし、息子は信長の娘を嫁に貰らって織田家とは縁が深い。
信長の幼馴染でもあったんだから。

97人間七七四年2012/08/19(日) 10:31:53.77ID:TujlpDKI
賤ヶ岳の前の大坂って池田恒興の所領なので、秀吉がいるはず無いだろ

98人間七七四年2012/08/19(日) 13:38:46.45ID:PNjuB3Oi
中国大返しで姫路から京へ向かう途中、尼崎(大阪じゃなくて)も通ったらしい。池田や中川清秀、高山右近には
事前に書状などで取り込み工作をしただろう。
丹羽は四国征伐のために大阪に居たが摂津富田に居る秀吉の元へ駆けつけた。

99人間七七四年2012/08/19(日) 19:30:42.52ID:j8tKh6YL
まさか中国大返しのときに丹羽が秀吉に臣従したと考えているのか?

100人間七七四年2012/08/19(日) 20:08:56.68ID:PNjuB3Oi
>>99
臣従したと書いた95は俺じゃない。俺は「駆けつけた」と書いたんだ。

101人間七七四年2012/08/22(水) 08:52:54.67ID:SMXsc1nW
それはわかっているけど、>>95の流れで書いた理由は何?

102人間七七四年2012/08/22(水) 17:14:00.17ID:k6ovFP6f
大阪は池田の領地だから秀吉が居る筈が無い、という事は言えない事をはっきりさせたかっただけ。

103人間七七四年2012/08/22(水) 22:19:00.18ID:gIVvrAPU
まさか丹羽長秀が人気キャラになる日が来るとは…

104人間七七四年2012/08/23(木) 07:20:53.21ID:AgZof4in
中国大返しのときであっても秀吉は大坂へ行ってはいないと思うよ
>>95のときの秀吉の居城は宝寺城だからね
大坂城が秀吉の居城になるのは池田が大垣城へ移ってからだよ

105人間七七四年2012/08/23(木) 15:23:35.18ID:PL7Mo6J5
織田信奈の野望の丹羽長秀が美し過ぎる

106人間七七四年2012/09/01(土) 10:02:50.13ID:eWA0Nf07
”丹羽長秀”の画像検索結果がどんどん大変なことに…

107人間七七四年2012/09/02(日) 23:16:30.20ID:ASu5Bnf2
とっくにあんな感じの武将も多いがまさか長秀がこうなる日がこんなに早く・・・

108人間七七四年2012/09/02(日) 23:20:21.48ID:y7y5CLrr
勝家の画像検索は相変わらず濃厚なオッサン臭が漂ってるのに。

109人間七七四年2012/10/08(月) 23:13:15.63ID:FFSObvHG
三谷が監督する映画「清州会議」の原作が売っていたが、
当然主要人物の一人になっていた。

110人間七七四年2012/10/27(土) 23:24:21.08ID:KC0wwh8a
Googleの画像検索で、丹羽長秀を検索したんだけど・・・
何だこれは・・・?

111人間七七四年2012/11/08(木) 23:02:52.29ID:viKwy3Bh
万千代といえば井伊だったのに、今では丹羽長秀さんしか思い浮かびません

112人間七七四年2012/11/30(金) 01:41:32.24ID:/i/GYiyG
>>110
女体化戦国アニメの影響か

113人間七七四年2012/12/31(月) 22:07:33.01ID:R0i3ZAG+
ワロタw

114人間七七四年2013/01/01(火) 12:43:29.39ID:8ryPYFjw
でもああいうのって歴史ヲタじゃなくてアニヲタとか対象だからマイナーキャラは容赦なくスルーされるわけだし
長秀はメジャー認定されたようなものよ

115人間七七四年2013/01/01(火) 17:42:12.06ID:s5reeLma
>>15
蒲生家も最終的には取り潰されてるしなあ

116人間七七四年2013/01/02(水) 20:58:36.74ID:+Rk8lJPh
>>115
そういう意味では幕末まで続いた滝川は水野と同様勝ち組側かも

117人間七七四年2013/01/02(水) 23:33:05.27ID:dBz426PX
蒲生はあんなデタラメ家中を残した氏郷がどう考えても悪い。

118人間七七四年2013/01/03(木) 10:02:46.89ID:bsdpBNq9
>>117
宇喜多直家批判に通じるものがあるなw

119人間七七四年2013/01/08(火) 21:39:33.91ID:rZnWw/LO
元々は宇喜多直家の同僚やその子供だろ
好き好んで雇ったわけじゃないから
で、いったい何人毒殺すればよかったと?

120人間七七四年2013/01/10(木) 21:42:08.30ID:k+kW97Vv
>>77
激亀だけど62ですが初めて納得いく考察を目にする事が出来ました
本当にありがとうございました

121人間七七四年2013/01/22(火) 23:25:36.00ID:A09/nKPt
>>120
こちらも激遅ですが、そう言ってもらえると嬉しいです。
同じ名字ということもあって、この方々の本を目にしたら
買って読んだりしていますので。

あと話がずれて申し訳ないけど、名字といえば、
小学5年時の担任の名字が佐久間先生で、同学年には
木下さんや林くんや前田さんや森さんがいたなぁ。
前田さんは何となく苦手で、あまりしゃべらんかったw

122人間七七四年2013/01/24(木) 01:30:11.14ID:G2Xdxc5u
イイハナシダナー

123人間七七四年2013/02/21(木) 23:08:40.74ID:ViWdN3YB
保守

124人間七七四年2013/04/23(火) 06:55:08.33ID:bNpPGiSl
ほしゅ

125人間七七四年2013/05/09(木) 17:22:08.28ID:9AEPD+e5
娘とかいたのか?

126人間七七四年2013/11/02(土) 10:14:56.56ID:pFavMQOA
清須会議で小日向文世さんが演じてる

127人間七七四年2013/11/02(土) 19:34:15.51ID:WaNA8Y02
三谷幸喜「柴田・丹羽・羽柴・池田の中で丹羽に最もシンパシーを感じる」
      「丹羽が従来の映像作品でその他大勢扱いされているのに納得いかなかった」

128人間七七四年2013/11/03(日) 09:00:55.00ID:Wdq/2LsY
あげ

129人間七七四年2014/02/28(金) 20:00:28.74ID:NHuH7iOr
センゴクの丹羽はここから羽柴方にも柴田方につく感じはしない公平な清洲会議の丹羽だった

130人間七七四年2014/03/01(土) 01:53:46.15ID:r+TdgD6z
勝家→ブラウンシュバイク公
長秀→リッテンハイム侯
秀吉→ラインハルト
光秀→グリーンヒル大将
昌幸→ヤン・ウェンリー准将
幸村→ユリアン・ミンツ

131人間七七四年2014/03/11(火) 01:20:13.42ID:eXBNSm36
そういや長秀ってなんで1575年に任官しなかったんだろうね。
よく秀吉とかに差を付けられていたから、って言われてるけど、簗田広正より下とは思えないんだよね。

132人間七七四年2014/03/11(火) 18:46:49.63ID:1WiNGMWd
柴田佐久間任官と同時に左衛門尉に任官説を唱えてみる

133人間七七四年2014/08/02(土) 09:55:34.32ID:yOSgodKv
信長が丹羽にもそれ相応の知行を与えれば良かったのにな

134人間七七四年2014/08/16(土) 12:59:55.42ID:aSNvLpJr
>>133
野戦指揮官としては?だったから知行与えなかったんではと思う

内政家、特に築城や民政には優れていたが。

135人間七七四年2015/06/02(火) 20:47:05.61ID:g8/gZGIT
「丹羽長秀の血を引く男」万能DFの丹羽、初選出に“武者震い”
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150602-00000079-spnannex-socc


>祖父や、その父も(長秀ゆかりの)愛知県。
二本松系統ならともかく、愛知に長秀の子孫っていたか?
巨人の”真田幸村の子孫”並の、なんかアレな予感。

136人間七七四年2015/06/02(火) 23:00:51.29ID:IY6dMtGA
俺も怪しいと思う。
一色氏系の丹羽ではないか?

家紋を調べればわかるのだが。二本松系なら、筋交い、三つ木瓜。
一色系なら、扇だろう。

137人間七七四年2015/06/03(水) 01:07:48.93ID:2vL4vplw
愛知県の丹羽さんはおおよそ、一色丹羽氏だよ。
大名になった一色丹羽家系以外の出世し損ねた一色丹羽諸家。

仮に児玉丹羽氏だとしても、
長秀の子孫であるわけがないわな。
長秀の直系子孫は愛知にはいない。

138人間七七四年2015/06/03(水) 21:18:05.59ID:uyTF4+Tg
福島さだって、丹羽の殿様の子孫なんていねぇのに
愛知に長秀さんの子孫がいるわけねーべ

139人間七七四年2015/06/14(日) 18:45:06.84ID:9YHPXFOG
>>138
昭和の時代に丹羽某という衆議院議員が愛知県の春日井周辺を
地盤としていたが、関係ないのかな?

140人間七七四年2015/06/16(火) 23:03:19.01ID:q9n7DGFv
そ、そこまではわかりません。すいません。
でも、二本松藩現当主の方は、度々菩提寺の大燐寺を参拝されているよ。
こちらではよくニュースになる。

年寄りが「丹羽さま」と言っているのを聴いた事があるし、節分のときも
「鬼は外」と言わない。「お丹羽は外」に通じるから。

141人間七七四年2015/06/17(水) 05:34:23.06ID:vDfG5OQ5
とおもったら今も愛知6区では丹羽秀樹という議員がいるではないか。

この人の祖父が平成初期まで議員やってた丹羽兵助

最後は妻と息子が選挙違反でパクられた上に、暴漢に刺されて死んじゃったけどな

142人間七七四年2015/06/19(金) 23:55:20.91ID:G88wy6yN
突然だけど、丹羽長秀が大坂城の縄張りやった話って出処は何?

143人間七七四年2015/07/19(日) 15:28:33.87ID:VatREnzD
文面をきちんと読んでいるというのなら、よほど国語力がない反論であり、
不明晰な部分や論理の空白がありすぎる。
それらを踏まえて
(文面を読んではないと思ってはいたが、ここまでとはな)
と、思った。

144人間七七四年2015/12/22(火) 18:14:46.37ID:dS7BPhVR
http://ninkyou.blogspot.jp/?m=1
ヤクザグッズ!任侠グッズ!極道グッズなら当店にお任せ下さいませ。
指定暴力団体代紋バッチ各組織出品中!!
画像を御覧くださいませ!!

145人間七七四年2016/03/14(月) 19:12:00.88ID:pFuxgQqk
丹羽丹羽丹羽丹羽長秀がいる

146人間七七四年2016/07/14(木) 01:37:36.00ID:4WmW4IOL
>>84
家康に前田の監視を頼まれてたから長重それ守ってたけど、前田が日和って東軍についたから知らず知らずのうちに西軍になっちゃった
家康はこれを良いことに丹羽潰した
関ヶ原の前には前田と丹羽の婚約も徳川に届け出てたらしいし、それが消えて前田は徳川から正室迎えてるから、前田と徳川に嵌められたというのは違うのかな

147人間七七四年2017/02/18(土) 01:00:08.82ID:WAmdHMdQ
そうかもしれないね

148人間七七四年2017/04/04(火) 06:58:22.70ID:2eG4f87v
age

149人間七七四年2017/04/12(水) 10:48:39.42ID:EXXTQLkw
>>133,>>133
丹羽長秀の所領の若狭及び北近江は織田政権の中でも重要な位置だよ。

日本海と琵琶湖から京、安土、大阪への海運を握る重要拠点です。
当時の米生産は日本海の方が盛んだから日本海側の海運は超重要
津島や熱田からの伊勢海運で財政基盤を作った信長がそんな大事なとこを
任せてるって視点が抜けてる人が多いと思う、軍事力だけが国造りじゃないし

軍事力にしても方面軍団長に劣るかといえばそうじゃないし、
位置づけとしては方面軍団長が支店長だとすると丹羽長秀は本社の常務取締役ってイメージ

本能寺の変で長秀が遅れをとった理由としては、丹羽与力の若狭衆(武田元明)らが
光秀側に走ったことや本拠地から分断されて孤立してしまったことだと思います。

150人間七七四年2017/04/12(水) 10:57:25.77ID:EXXTQLkw
丹羽長秀を常務取締役と仮定したのは

代表取締役会長 織田信長
代表取締役社長 織田信忠
専務取締役   織田信雄
専務取締役   織田信考

の次くらいってイメージです

151人間七七四年2017/04/12(水) 17:27:37.22ID:EXXTQLkw
流通の視点で織田政権を考えるとするなら、初期の近江統治での佐和山の位置の重要性がわかると思う。

その後、安土に拠点が異動し琵琶湖水運での北近江の重要性、さらに本願寺討伐後の瀬戸内水運を考えた時の大阪の重要性。

常に織田政権の最重要拠点の主将にいるのが丹羽長秀。地方軍ではなくて、信長の近衛軍の主将って位置付けだと思う。

武田攻略前の瀧川も伊勢水運と伊賀交通の要衝の桑名に拠点を持つことから、瀧川と丹羽は地方軍司令官より上位者の位置付けなのではないでしょうか

152人間七七四年2017/04/12(水) 18:43:58.27ID:QGmPw1x2
姻戚関係で見ても丹羽家は信長に相当重視されてるよね
二代に渡って織田家の娘を妻として貰っているんだから

153人間七七四年2017/04/12(水) 22:22:37.53ID:QTSU+o0F
柴田と羽柴は、さして重要じゃない辺境に配置されて結果出しただけなんだよな
丹羽、明智、滝川、蜂谷あたりは、中央に近い重要拠点に配置されてた。

154人間七七四年2017/04/13(木) 10:34:20.92ID:NEk7DHI9
>>153
その通りですね。
羽柴秀吉にしても本質は織田秀勝軍の陣代って位置づけだと思います。
信雄や信孝、信包を後見してる瀧川のようなものかも、有能が故に磯野みたいに追放される可能性は低いとは思います

155人間七七四年2017/04/13(木) 10:48:24.96ID:NEk7DHI9
>>152
御由緒家というよりは一門、準一門の位置づけですよね。
羽柴秀長の養子も丹羽長秀の息子なので羽柴軍の次期主将と筆頭家老が織田秀勝と丹羽高吉にとの意図かと思います。

156人間七七四年2017/04/16(日) 13:03:20.86ID:Z+jppJtw
>>153
滝川は最後に関東に飛ばされて嘆いてるだろ
明智も中国に飛ばされる所で謀反

157人間七七四年2017/04/16(日) 13:28:26.60ID:NvkhTGhG
そもそも柴田羽柴も滝川明智も最初は中央に近い重要拠点に配置されてるし
戦線が前進し中央が安定するにつれて優秀な大身家老は方面指令として中央から離れる運命

158人間七七四年2017/04/16(日) 19:45:00.67ID:c+DCkdyA
>>153
さして重要ではないw
中国地方統一して九州、四国、畿内に迫る動きを始めた毛利との最前線。
上洛の動き見せた北越の大大名謙信、その後継者景勝が通るのを盾になって防ぐ最前線。

これ秀吉、勝家以外に任せられる奴が中央に残った奴の中にいるか?w
それこそのちに同じように辺境地に飛ばされたという滝川や明智ぐらいだろ代わりが務まるのは。

159人間七七四年2017/04/18(火) 11:16:28.78ID:ygZx7MHv
>>158
中央に主力軍団がなかったかのような目線ですね。

上杉家とまともに戦ったのは手取り川くらいでしょ?

手取り川の戦いの規模は東海道戦線の長篠の戦と同程度の規模の動員数であり、
柴田軍の動員数は所領越前50万石から計算するとせいぜい12000程度、

柴田が主将となってるけど丹羽、滝川、羽柴の中央主力軍の後援を得ての動員数。

景勝の時代の上杉は御館の乱の影響で謙信時代の上杉ではもうないよ。

秀吉にしても播磨侵攻時の1576年はまだ大阪本願寺が健在であり、大阪城包囲網の一翼、
大阪方面軍の遊撃隊的な扱いだと思います。そこで結果をだしたのは秀吉の優秀さもあります。
秀吉が他の軍団長より恵まれていた点としては、弟の秀長が部隊長級(前田、佐々クラス)の
動員力を持っていたことと同じく部隊長級の宇喜多や宮部との関係が良好だった点かと。

中国方面軍の主将となるのは1579年に秀勝を養子にして以降かと思います。

160人間七七四年2017/04/18(火) 12:42:30.62ID:Y+nJaw58
遊撃転戦部隊が主力の軍隊って歴史上あったか?w
荒木謀反のタイミングが織田家にとって一番難しい時期だったのは間違いないけどそれも北陸、山陽方面から更なる進入あったら本当に詰んでたと思うぞ

161人間七七四年2017/04/18(火) 13:45:11.48ID:ygZx7MHv
いやいやむしろ逆でしょ?

最前線に主力が張り付いてる国家なんて歴史上ないでしょう?

むしろ最大の敵は補給が出来るか否かなので

方面軍しかない国家とかありえないんじゃないのって話してるんだが
方面軍の軍団長が優秀なのはいいとして、主力軍の主将が劣るって
認識してる人たちが多いのが納得いかないのよね。

それから村重の反乱は御館の乱以後ですし、三木合戦に関しては主力の安土駐留軍や
織田信忠軍(岐阜軍)が支援してるから成立してる

ちゃんと時系列を追って軍団編成等考慮して検証したら一目瞭然なのだが
ゲームや時代小説の印象と現実は違う印象がします。

162人間七七四年2017/04/18(火) 14:23:48.42ID:PeTjb8V4
柴田は越前に移動だけど羽柴は近江、滝川は伊勢に領土持ったまま切り取りしだいだぞ。
羽柴は播磨但馬因幡はもち宇喜多が傘下だから備前美作もある

163人間七七四年2017/04/18(火) 15:02:21.45ID:ygZx7MHv
切り取り次第は後世(江戸時代)の創作

但馬の羽柴秀長、因幡の宮部継潤は羽柴軍団といっても過言ではないくらい近い関係ですが
任命権はあくまで信長が持ってます。形式上は与力です。宇喜多にしても与力扱い。

秀吉の行動は堀秀政が信長の軍監として常時報告しています。

164人間七七四年2017/04/18(火) 15:04:33.17ID:PeTjb8V4
羽柴というか当時は木下だが1569には木下は二万という当時の織田家の三割ほどの軍で山名攻めてるぞ。
方面軍というか派遣軍が最大規模は普通だろう

165人間七七四年2017/04/18(火) 15:14:52.54ID:PeTjb8V4
>>163
秀長は弟、宮部は秀次を養子にもらっている、堀は元秀吉家臣で、清洲会議の後一番早く羽柴姓もらう。
全員秀吉派じゃねーか

166人間七七四年2017/04/18(火) 15:33:05.29ID:+OlrNiwr
遊撃軍が主力というのは構造としてあり得ないからな
基本戦略があってその戦略を助けるのが遊撃軍
特に村重謀反の段階では織田包囲網は崩れていない
兵站が大事なのは間違いないけど各方面からの侵攻に対しまず手を打ってそれから畿内からの輸送を考える
そこで村重が謀反したからこれが石山本願寺や毛利と連携すると内だけでなく外への対応もできなくなる
だから前線から秀吉とか呼び戻してでも対応した

中央ありき、遊撃軍主体で話組み上げるから突っ込まれるんだよ

167人間七七四年2017/04/18(火) 15:39:56.99ID:ygZx7MHv
>>163
弟だからといって15万石級の領地を陪臣が治めるとか組織として不自然ではありませんか?

当時の秀長配下にはのちに秀次家老となる中村、山内、堀尾、前野らの岩倉織田氏の旧臣が
与力として付けられています。

私見ですがこれら岩倉織田旧臣は秀勝の付家老として信長から派遣されたものかと、
あくまで主将は秀勝で陣代が秀吉であるという意見です。

宮部の養子縁組に関しては織田家では家臣同士の養子縁組が非常に多いので
特別なことではないと思います。

例としては、佐久間盛次の息子が柴田、佐々に、丹羽長秀の息子は蜂屋、羽柴秀長へ
準一門で秀吉派とはいっても全員が秀吉の家臣ではありませんよ。

168人間七七四年2017/04/18(火) 16:09:26.97ID:dsYxiw4L
高吉に関しては本能寺後だから秀吉による長秀懐柔策の一環で
信長の構想ではないんじゃないの

169人間七七四年2017/04/18(火) 16:26:49.12ID:PeTjb8V4
>>167
信長の直臣であることと秀吉の家臣であることは矛盾しない。
豊臣政権でもにたような奴はいた

170人間七七四年2017/04/18(火) 16:32:18.51ID:ygZx7MHv
高吉に関しては認識不足でした。

中央軍の存在についてですが、1581年の馬揃(軍事パレード)の様子が解り易いと思うんですよね。

1番 丹羽長秀
2番 蜂屋頼隆
3番 明智光秀
4番 村井貞成
連枝衆 織田信忠(美濃衆・尾張衆)
連枝衆 織田信雄(伊勢衆・滝川)
公家衆
越前衆 柴田勝家
安土軍 織田信長

序列には意味がありますので方面軍と近衛軍の線引きをどこでするか?
連枝衆をただの飾りと観るか主力軍と観るかで見方が変わると思います。

171人間七七四年2017/04/18(火) 18:01:55.89ID:IAwQXuIx
岐阜に拠点がある間は美濃と尾張が近衛軍
畿内は方面軍でいんじゃないのかな
んで安土に拠点を移してから近江にいる大身連中を徐々に地方へ飛ばすつもりだった
ここで本能寺

172人間七七四年2017/04/18(火) 18:22:03.30ID:ygZx7MHv
>>171
連枝衆は近衛軍で主力ってのは間違いないかと思います。
武田領を制圧した部隊ですので、武田制圧後の再編成する間に本能寺

1番隊から4番隊の近江衆が方面軍なのか中央軍なのかで認識が別れるとは思います。

仮に秀吉軍(播磨衆)家康軍(三河衆)が馬揃に参加としたら、越前衆の後に並ぶかと

公家衆より前が中央軍(現代の会社機構でいうとこの本社)にあたると思います。
越前衆、三河衆、播磨衆は現代の会社機構でいう支社扱いかなと思います。

173人間七七四年2017/04/18(火) 19:30:47.32ID:ygZx7MHv
>>164
気になったので調べてみたけど、但馬平定軍に木下秀吉が参加していたのは確かみたいだが主将が誰なのかは解らなかった、

1569年当時は森可成、坂井尚政らが健在であり、佐久間や滝川、柴田、丹羽といった部隊長よりも上位の森、坂井を差し置いて木下が主将として
織田軍の大部分を率いるのは不自然かと思います。

ウィキペディアでは木下秀吉がとなっていますが、出典が明らかではないので疑問ですね。

174人間七七四年2017/04/18(火) 19:46:32.98ID:PeTjb8V4
上洛した時点なら森、坂井より羽柴(木下)の方が上ですよ。
当時は京都奉行で京都の治安維持の為大軍で駐留してますし、京都の政務、朝廷や西国大名との取次でかなりでかい権限を持ってます。
ていうか坂井や森が総大将でも別に同じ事だろ。

175人間七七四年2017/04/18(火) 21:00:22.39ID:PIqRYXqz
>>167
秀長が信長の直臣であるが、
その四人は与力じゃなくて普通に秀吉の家臣。
秀吉の与力は竹中とか仙石とかで、彼らは秀吉子飼いに当たる。
俸禄や領土も普通に秀吉から与えられている。

176人間七七四年2017/04/18(火) 22:26:43.57ID:BSPxQXUc
>>174
村井らと共同の京都奉行にそこまでの軍事的な権限は無いな

177人間七七四年2017/04/18(火) 22:30:34.75ID:PIqRYXqz
当時の京都奉行は秀吉丹羽明智の三人で、
書状や安堵状などで秀吉単独が一番多い事から、ほぼ一手にやっていたと思われている。
そしてのちの京都奉行と違って、当時の京都奉行はGHQみたいなもんで軍権ももってるぞ。

178人間七七四年2017/04/18(火) 22:57:18.07ID:o3hPKT0Z
細川とかに指示して南山城の国人衆だか一揆だかを討たせたり三好氏に着いてた地侍懐柔したりしてたみたいだな

179人間七七四年2017/04/18(火) 22:59:23.83ID:o3hPKT0Z
幕末の京都守護職だった松平容保に行政権待たせたイメージが近いか

180人間七七四年2017/04/18(火) 23:32:17.37ID:BSPxQXUc
×一番多い
○一番多く残っている

181人間七七四年2017/04/18(火) 23:44:13.81ID:BSPxQXUc
谷口克広の著書によると、
1568年に京都に残ったのは佐久間、村井、丹羽、明印、木下の5千(多聞)
その後、
1568年〜1569年4月
A柴田、森、坂井、蜂谷、佐久間(軍事)
1569年4月〜1570年5月
B丹羽、木下、明智、中川(行政)
1570年5月〜
琵琶湖南岸に宿将配置

182人間七七四年2017/04/18(火) 23:52:53.74ID:BSPxQXUc
どのみち永禄年間の京都奉行は、足利義昭政権の行政の手伝いに過ぎない
権威が無いから遠征できるほどの軍権は無いだろう
そもそも、永禄12年(1569年)の但馬侵攻の存在を証明する出典史料は確かなのだろうか?

183人間七七四年2017/04/19(水) 12:55:55.92ID:cux8qGfE
秀吉の山名征伐は複数の当時の史料にある話
また山名だけじゃなくて、播磨伊勢若狭にも侵攻してる。
越前侵攻したときに浅井と物別れした。

184人間七七四年2017/04/19(水) 21:40:21.06ID:B5ubntEb
>>181
秀吉は京都で政務しながら、近隣に派兵して征伐してるので、
当然軍権もってるよ。
そもそも上洛戦で箕作城を一日で陥落させたようにそれなりの兵を率いる立場の人間。

>>182
将軍を担いで室町幕府を運営していたのが当時の織田家。
信長は根拠地の岐阜に帰る事も多かったので、その分京都奉行の仕事は多かった。
権威がないから軍権はないとかでたらめにもほどがある。
権威を高める為に軍を派遣して、将軍(織田)に従わない大名を征伐して回っていたんだよ。

185人間七七四年2017/04/20(木) 11:09:07.82ID:QfqZaW0C
1569年の京都近隣の派兵はいい勉強になった。

義昭が信長と決裂する前の義昭の保有戦力がどの程度が解らなかったけど、
三淵藤英、一色藤長、細川藤孝、和田惟政、池田勝正、伊丹親興、
松永久秀、三好義継、畠山昭高等、義昭があてにしたであろう戦力が解った。

これに織田本体と徳川軍、淺井軍が加わると総兵力としてはなかなかのものですね。

186人間七七四年2017/04/20(木) 11:41:48.98ID:yMbqKsED
1569年前後の秀吉の動員力は2500から3000程度なので、丹波攻め3万の軍の主将となると違和感しかなかったけど、織田足利連合軍と考えると納得いくかな。

187人間七七四年2017/04/20(木) 20:50:03.12ID:o9lz9py7
>>183
当時の複数の史料とは?
曖昧すぎて逆に信用が無くなったかも

188人間七七四年2017/04/20(木) 20:57:51.91ID:o9lz9py7
>>184
箕作城攻めも、秀吉単独説は捏造だし、当然、佐久間、丹羽らを秀吉が率いていたわけでも無い

189人間七七四年2017/04/20(木) 22:26:49.40ID:YtVU9hT0
と、根拠もなく言い張ってるアホ

190人間七七四年2017/04/21(金) 00:17:50.54ID:COX4kvND
というか丹羽って基本的に秀吉の手下だよな。
上洛戦でも信長公記では佐久間木下丹羽とあり名前の順番的に基本的に最後。
他の所でも一緒に戦っている時は秀吉より後に名前が来る。
長篠だと滝川羽柴丹羽
越前一向一揆戦だと佐久間柴田滝川羽柴明智丹羽
家臣の序列がわりとわかりやすい。

191人間七七四年2017/04/21(金) 06:18:52.43ID:K0a1y46t
>>190
陣立と序列を混同してない?

茶席の席次や新年の挨拶、式典とかが序列に影響されるものですよ。

寄親と与力間には命令権がありますが、軍団長級の寄親同士には命令権はありませんよ。

手取川の戦い前に秀吉が柴田と衝突したのがいい例かと

192人間七七四年2017/04/21(金) 16:05:58.92ID:i8eSz2yB
いやいや無断撤退で秀吉蟄居させられただろ

193人間七七四年2017/04/21(金) 20:10:42.04ID:K0a1y46t
無断撤退の理由が判明してないから柴田との確執くらいしか想像できないけど、方面軍団長の柴田では信長直属の軍団長の羽柴の抑えが効かないってことなのでは?

信長の勘気を被り、謹慎して、詫び入れて、最前線送りになったが結果を残し、秀勝を養子にして、方面軍団長に格上げって流れだと思うんですが如何でしょう。

194人間七七四年2017/04/21(金) 20:23:07.21ID:K0a1y46t
信長の一門衆を養子にすることがどれほど厳しいかは、磯野、長野、神戸、北畠、三好等を見るとよくわかると思うけど秀吉の詫びの入れ方は凄いとは思います。

195人間七七四年2017/04/21(金) 21:51:48.02ID:OgscW/PJ
>>190
興味深いけど、大田牛一は丹羽長秀の与力だったり、
完成時に徳川、豊臣、前田が大大名だったりという背景があるからな

書状やで判断すると、丹羽長秀は秀吉より序列上位(三雲文書等)

つーか、永禄12年(1569年)の但馬侵攻の存在を証明する出典史料、早くだせよ

>秀吉の山名征伐は複数の当時の史料にある話 (キリッ)

とか言っといて、この後もずっと逃亡し続けるつもり?

196人間七七四年2017/04/21(金) 22:12:38.79ID:K0a1y46t
>>195
まあ、いいんじゃね?
別に言い争いしても意味がある訳ではないですし、考察と検討を楽しめればいいかと思いますよ。

丹羽の歴史は敗者の歴史なので、勝者の秀吉や家康の改竄がどの程度あるのかを検討して丹羽長秀の実態を想像するのが楽しいんだとは思います。

197人間七七四年2017/04/21(金) 22:21:30.45ID:OgscW/PJ
自分で探したわ
朝山日乗や今井宗久が関連しているみたいだけど、
書状の年代比定あってるのだろうか?
同年8月に、播磨侵攻、但馬侵攻、南伊勢侵攻が起きていることになる

198人間七七四年2017/04/21(金) 22:22:13.43ID:reIungtM
>>195
>完成時に徳川、豊臣、前田が大大名だったりという背景があるからな

なら佐久間や柴田、滝川を羽柴より上位に書く必要性はない。
書状や状況で、当時の役職などで判断する限り、史料に秀吉が現れてから、丹羽が秀吉より上位にいた事はないよ。

佐久間は畿内、柴田は北陸、滝川は伊勢でのちに武田から東国、羽柴は中国とそれぞれの方面軍を担当している。
佐久間が失脚した後は羽柴の一つ下であった明智が畿内軍を統括した。
丹羽は四国攻めでやっと方面軍司令官だ、一応上には信孝がいるけどな。

>秀吉の但馬進攻
山名家譜
史実も認められないとは愚かだな、これは議論や解釈の余地がある説ではなくて、確定している通説でありほぼ史実だぞ。

199人間七七四年2017/04/21(金) 22:31:30.94ID:reIungtM
>>196
太田は長生きで、信長公記が書かれたのは江戸時代に入ってから。
誰が改ざんするんだよw家康が改ざんしたのかよw
そしてせっかく改ざんしたのに、佐久間柴田滝川の下に秀吉をおいた意味はなんなんだ?

>>197
秀吉は播磨から但馬に侵攻しているのでそれでいい。純粋な播磨進攻をやっていたのは池田と別所。
秀吉は十日で18の城を落として半月たらず京都に凱旋して、帰ったら即座に伊勢攻めの先陣やっているだけ。
ただ当時は暦がまちまちで、下手すると一月くらいずれている事があるからひょっとすると一月くらいは幅がある可能性はあるがね。

200人間七七四年2017/04/21(金) 22:55:25.84ID:K0a1y46t
>>199
歴史の改竄は普通にあることですよ。
時の政権に遠慮して記録を残すとか、なので伝承や軍記物は歴史に興味を持たせるのにはいいものだと思いますが、何があったのか検討するには差し引いて観る必要があると思います。

信長公記に関しても牛一がメモとして残していたものを後にまとめた書物だったかと思います。牛一の性格が正確さを求める几帳面な人物だということで信憑性の高い一級品ですが、信長の呼称にしても、上様だったり、殿様だったり、呼び捨てだったりと一貫していないそうです。

家康の改竄は結構笑えるレベルだとは思います。三河衆の忠誠心とかも疑問ですし、三河衆があてにならないから浜松に居城を移して自前の近衛軍団を無理矢理作ったんだと思っています。

201人間七七四年2017/04/21(金) 23:05:59.27ID:reIungtM
>>200
改ざんしたり神格化することはあるが、
当時はすでに秀吉は死んで、家康ば幕府開いている時期であり、
太田が改ざんする動機がない、また改ざんしたとしても、
佐久間や柴田などすでに亡くなっている家に配慮する意味もない。
よってこの時の序列は正確だと思われる。

そして信長死後であるなら上様でも殿様でもない呼び捨ては普通。
秀吉も普通に信長と呼び捨てにしている。
当時においてはわりと普通、むしろ諱をそのまま使うのは敬意を表しているとする説もある。

202人間七七四年2017/04/21(金) 23:34:21.99ID:OgscW/PJ
よりによって、「家譜」を当時の史料と言って出すレベルなのか
史料批判は19世紀に提唱された概念なのに…

203人間七七四年2017/04/21(金) 23:41:24.24ID:reIungtM
>>202
秀吉にボコボコにやられて、逃走しましたというのを山名家の家譜に書いているのは信用できないと?
自分の家を卑下する家譜ねえw史料批判って何の事だかわかっているのかね君は。

秀吉が自分を賛美するために綴ったものを信用できない、史料批判が足りない。
というのはわかる。
だが秀吉にやられたほうが秀吉に負けましたと綴ってあるものは信用できない、史料批判が足りない。
ということにはならんよ。史料批判とはなんなのかを少しは理解してから書き込め。
つか秀吉の山名征伐は当時の記録に幅広くある。
その中でやられた側の山名の記録以上に信用のおけるものがあるかね?

204人間七七四年2017/04/21(金) 23:47:19.95ID:OgscW/PJ
でも無いよりマシか
山名氏だから改竄の余地も少なさそうだし

205人間七七四年2017/04/22(土) 00:07:17.71ID:Y0PoorJG
下記を鵜呑みにして永禄12年の但馬出兵が本当だと信じるとすると、
坂井政尚と共同だから、それを差し置いて、秀吉が主将の可能性は低そうだな
益田家什書を見ないと、どうやって政尚と確定したのかわからんが


史跡名勝天然記念物:山名氏城跡  此隅山城跡  有子山城跡
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/explanation.asp

206人間七七四年2017/04/22(土) 00:35:30.77ID:NvnJAWjR
主将は秀吉だぞ。この時にはもう秀吉のほうが立場上だからな。
京都所司代で軍権ももってる。

207人間七七四年2017/04/22(土) 01:28:51.04ID:Y0PoorJG
木下くんは凄い偉いんだなw

208人間七七四年2017/04/22(土) 07:39:54.15ID:esigzgtx
少なくとも明らかに坂井よりはえらいな。
秀吉がと書かれているのがほとんどであり、その下の武将までは書かれていないし、
書かれていても秀吉の後に書かれている事がほとんど。この場合は主将は秀吉にあたる。

手取り川では柴田が大将で、秀吉は滝川の後に名前が書かれており、柴田が大将であることがわかるようにね。
こういうことすら読み取れないのはちょっとどうかと思うね。
布陣や陣立ての順番で書かれている事もあるけど、そうでもない場合は基本的にこうなる。
蜂屋は秀吉と前後することはあるけど、坂井が上に書かれている事はないよ。

209人間七七四年2017/04/22(土) 07:59:31.02ID:esigzgtx
坂井は重臣ではあるが、上洛したあたりで秀吉よりもえらいかどうかは疑問である。
また信長の場合は地位が低い人間であってもその人物を主将にして、その下の与力に編成することが多々ある。
これを不服に思って謀反になる事もよくある。
荒井松永別所堀波多野などはそれが理由ともいわれる。
荒井なんて摂津を統括し、与力あわせて二万は兵力をもち明智よりも上位であった時もあるのに、
天王寺で寡兵での先陣を嫌がった後は、秀吉や明智の下につけられた事で謀反につながった。

定説ではこうで史料にもそう書かれているが、他の史料をみると地位はこっちが上のはずなんだからこいつが主将だろう。
とか言っているアホがたまにいるがそれは信長という人間がわかっていないだけ。

210人間七七四年2017/04/22(土) 08:49:33.11ID:VKQQrLqy
アホはいらなかったな

211人間七七四年2017/04/22(土) 10:14:28.66ID:1D2PcFw2
丹羽の業績を検討する上で、四国方面軍の軍団長補佐っていう認識だと思いますが、軍備に片寄った考察かと思います。

丹羽の位置付けは大阪城在番になるのではないかと思います。
瀬戸内水運から海外貿易を司る流通の要衝であり、経済及び軍需の拠点となるものです。
街道や水道のインフラ整備を重視した信長の政策の一環です。
畿内の領地を召し上げられて地方に飛ばされる方面軍団長とどちらが政権の中枢にいるのか検討しないといけないとは思いますよ。

212人間七七四年2017/04/22(土) 10:26:23.41ID:esigzgtx
羽柴も滝川も機内の領地はそのままなんだけど。

213人間七七四年2017/04/22(土) 10:50:01.15ID:g+1MITFZ
1581年には長浜の支配は秀勝に委譲されており、
将来的に羽柴家は織田家一門に編入されるのが規定路線です。

滝川は養徳院の義弟であったり、信雄の準一門って位置づけかと思います。

214人間七七四年2017/04/22(土) 16:25:25.34ID:IRXn2WhA
>>213
そりゃ秀吉は遠征中なんだからそんなことする余裕ねーよ。
それを委譲というのは無理がある。

215人間七七四年2017/04/22(土) 21:49:21.77ID:rZZt9ycU
そもそも天下布武を掲げる織田は軍事に偏った政権
その政権で前線を任されず、いつまでも後方にいる武将にどれほどの価値があるか

216人間七七四年2017/04/22(土) 22:27:37.96ID:SkrQxZLY
>>215
>どれほどの価値があるか
米のように欠かせない。

217人間七七四年2017/04/22(土) 22:50:34.46ID:1D2PcFw2
>>215
>そもそも天下布武を掲げる織田は軍事に偏った政権

織田の旗印は永楽通宝

218人間七七四年2017/04/24(月) 20:01:54.54ID:GiAmOqK5
>>215
信長は後半はあまり前線に出ず築城や左義長みたいなお祭りみたいなのばかり
やってたから軍事はそれほど好きじゃなかったんじゃないか?

219人間七七四年2017/04/24(月) 20:11:11.27ID:GiAmOqK5
>>209
なかなか面白い主張だな
ちょっと見直したわ
で、但馬遠征で坂井じゃなくて「木下が主将」だったという根拠は?
坂井が主将、坂井と木下が並立、木下が主将と最低3ケースあるけれど、
どの史料に基づいて他のケースを削ったのか

220人間七七四年2017/04/24(月) 20:15:17.88ID:GiAmOqK5
>>208
朝山の書状に木下、坂井の順番で書かれているということかな?
2次史料は、後に秀吉が天下人になったという事実による強烈なバイアスが
かかっている可能性があるから根拠としてはかなり弱い

221人間七七四年2017/04/24(月) 20:47:22.03ID:eerj3xG/
山名家の家譜によると羽柴筑前とある。坂井の名前はない。
この名前を名乗っていたのは中国攻めをしていた最中だから、
その頃に編纂されたものだろう。まだ天下人ではないよ。
坂井はもう死んでるから割愛されたのかもしれんがね。

222人間七七四年2017/04/24(月) 20:51:41.54ID:eerj3xG/
>>260
織田家では大身だからといって保身に走ってると首になるんだぞ。

223人間七七四年2017/04/24(月) 20:52:12.45ID:eerj3xG/
あ、誤爆したすまん

224人間七七四年2017/04/24(月) 21:13:30.02ID:CR+iFwwB
>>221
筑前守は1575年〜1584年だから、但馬遠征後、良くて6年、下手したら25年も後の記述になる
新説を出すという事は通説に戦いを挑むということ
その根拠では木下主将説が即死する
朝山日乗の書状は確認してないの?

225人間七七四年2017/04/24(月) 21:18:06.93ID:CR+iFwwB
訂正
25年→15年

226人間七七四年2017/04/24(月) 22:23:56.38ID:eerj3xG/
>>224
何を言っているのか知らんが、秀吉が主将というのが通説なんですが?
これは中世の中国史においてはほぼ定説となってるんだよ。

227人間七七四年2017/04/24(月) 22:56:57.36ID:CR+iFwwB
>>226
また、いい加減な奴だなー
秀吉が主将というのが通説という根拠は?それが正しいという根拠は?
もしかして山名家譜しか持ってないのか?

228人間七七四年2017/04/24(月) 23:05:17.21ID:eerj3xG/
改めてみるということがコロコロ変わっているなこいつ。
>>220で天下人になったから配慮したんだよ、とか言っていたのに、
のちに木下でも関白太閤でもなく、羽柴筑前という中国攻めの時の名前で書かれている事を示したら、
10年くらい後に編纂されたものだから信用できないだとさ。
んなこといったら信長公記をはじめとした多くの史料が信用できないになるだろうが。
つかクソ坊主も秀吉の活躍であっという間に征伐されてしまったとか書いているのに何を言っているのやら。

229人間七七四年2017/04/24(月) 23:09:04.91ID:eerj3xG/
>>227
当時の史料においては秀吉の名前しか書かれていないのが一般的。
書かれていても秀吉の名前の後にある場合しかない。
このケースで後ろや滅多に書かれていない名前が主将である事はない。
また研究者においてもそう書かれている。

否定する奴はアホの子だけですよ。
金ヶ崎で池田が主将だったんだ!とか言っている奴くらい痛い。

230人間七七四年2017/04/24(月) 23:46:29.50ID:CR+iFwwB
>>228
後世に書かれた多くの史料は信用できないのは当たり前だろ
信長公記の信用度が高いのは、一次史料の記載との一致率が高いからであって、
全ての記載が盲目的に信用されているわけじゃないぞ

そもそも10年くらい後に編纂されたものだから信用できないというか、
編纂時期が10年後で済むかどうかも疑わしい

山名氏としては坂井に破れたというより、後の天下人に敗れたと述べたほうが
見栄えが良いという動機もある

この程度の反論は出て当然だと思うが

231人間七七四年2017/04/24(月) 23:51:02.39ID:CR+iFwwB
>>229
>また研究者においてもそう書かれている。
また、始まったな
その研究者の名前は?その記事が書かれた本の名前は?その研究者の主張が正しいという根拠は?

232人間七七四年2017/04/25(火) 21:36:21.88ID:+M1lzwnP
>>230
ん?どこか矛盾点でもあるのかね?矛盾点があるから信用できないならわかるが、
どこも矛盾する所はない。
そして10年以上後だったら、秀吉の呼び方が太閤になってるだろ。羽柴筑前と書かれているなら、
そう名乗っていた時期に書かれたと考えるのが妥当。

ちなみに信長公記が成立したのは江戸時代な。それ以前のメモなどをもとにしているから、登場人物の呼び方が違ったりする。
>>231
山名氏の研究者なら渡辺だろ。

否定する根拠があるなら出してみろよ。

233人間七七四年2017/04/26(水) 12:58:51.19ID:LgP2E3U6
横からだけど自身の主張を肯定する根拠を出さずに否定する根拠を出してみろは草

234人間七七四年2017/04/26(水) 16:10:03.77ID:QE86nX42
>>233
山名攻めの事実があったかなかったかはあった、との結論が出てて、出典を求められてるのは羽柴が主将の根拠ってことでないの?

>>232が1569年段階で羽柴が3万の軍の主将だと断定していて、根拠が山名家譜、それに対して>>231は朝日日乗の書状だと羽柴主将がおかしい。って話の流れだと思います。

個人的には1569年段階の羽柴の動員力や畿内の情勢からみて、山名攻め3万は織田足利連合軍の軍事行動で羽柴が先鋒のが納得しやすいかな、断定はできないけど羽柴主将には違和感を感じます。

235人間七七四年2017/04/26(水) 18:22:57.22ID:DzWkgrva
京都奉行で京から近いところに出兵する連合部隊の最高指揮官というのは特に違和感感じないけどな。
京都奉行になったのはいつなの?

236人間七七四年2017/04/26(水) 18:35:43.59ID:K2qhle/J
なってないでしょ。上級裁判なんかみんな幕臣がやってるし

237人間七七四年2017/04/26(水) 18:37:41.44ID:Z4wcCdP0
>>235
信長の上洛で義昭が将軍になったのが1568年の10月、木下、明智、丹羽、(鉢屋も?)が京都奉行となってます。
各地の大名に将軍謁見を促して、来なかった大名を討伐してた頃。
3万って数字は100万石級の動員数なのですよ。

森や坂井等の宿老も存命ですし、木下はまだ、横山城の城代でもない時期ですのでね。

238人間七七四年2017/04/26(水) 18:55:22.73ID:K2qhle/J

239人間七七四年2017/04/26(水) 19:00:48.58ID:Z4wcCdP0
京都奉行でも京都代官でもいいけど

当時の情勢からいくと信長陣営のNo.2は浅井長政かもしれないw

浅井主将説でも検討してみようかしらw

240人間七七四年2017/04/26(水) 20:40:57.92ID:OJzbWQac
>>233
肯定する根拠は複数だされている。
否定する根拠は一切出されていない。

241人間七七四年2017/04/26(水) 20:49:15.29ID:OJzbWQac
>>234
俺は三万なんて言っていない、俺がいったのは二万>>164
朝日日乗は秀吉の後に坂井の名前も記載しているだけで、坂井が主将なんて書いてない。
それどころか、秀吉が素早く付け城つくって包囲しているから、すぐに山名は降伏するだろうと残している。
この内容で坂井が主将とみるのは無理がある。
>>237
畿内の幕府(織田)についている諸豪族がついているのでそのくらいは余裕。
信長の上洛戦は六万だったのが、上洛したあとはさらに膨らんでいるからね。
松永以外にも波多野や赤井、池田や別所なども従っている。
まだ浅井などの離反は起こってないし、当時の織田家はかなりの大大名だよ。

242人間七七四年2017/04/26(水) 20:54:31.31ID:OJzbWQac
つか本筋からずれているんだよな。
俺は畿内の近衛兵団のような連中よりも、遠征軍のほうが多い事がある事例としてあげたわけで、
複数の史料とは矛盾するのでありえない話だが、坂井が主将であっても同じことなんだよ。

前線が遠くなり敵が敵が強大なら遠征軍のほうが強くなることは普通にあるだろうに。
丹羽の軍は本能寺の変で大半が離散してしまった。
信孝や丹羽は畿内に総動員をだして四国攻めの兵をかき集めていたからそうとういたはずなんだけどな

243人間七七四年2017/04/27(木) 00:46:36.27ID:+vwG+obW
>>234
>>241
朝日日乗の書状にどう記載しされているか、誰か確認したの?
どの順番で、どういう名前での記載だったの?

244人間七七四年2017/04/27(木) 03:00:57.40ID:CRU3C3YV
>>242
その論理でいくなら大兵団を要する遠征軍の主将が序列下位でも問題無いってことですよね?

丹羽軍の崩壊は本拠地の若狭から切り離された点と与力の武田元明が明智に走ったこと、織田信澄を明智方と疑い殺害したこと、変から距離が近く部隊内の情報統制が取れなかったこと等があり謀反に対して即応できなかったと思います。

羽柴軍は本拠地であり、遠方で情報統制もしやすく、毛利との戦線も膠着状態で停戦も容易な状態、運が良かった感じがする。

私が丹羽と羽柴の配置で考慮するのは、単純に大阪城と姫路城では流通や経済的にどちらが重要かってこと。
常に最重要拠点にいるのは丹羽でしょ?

245人間七七四年2017/04/27(木) 20:52:00.71ID:bp4A2fkw
>>243
史料の確認くらいしろ。
>>244
勿論問題はない下位の人間を抜擢して大権を与えるのが信長だからな。
それに不満をもって謀反を起こしたとされる事例も多い。
ただ当時の丹羽の地位は、そんなに高くもないし、そこまでの大権を与えられているわけでもない。
佐久間畿内軍(失脚)>柴田北陸軍>滝川東征軍>羽柴征西軍の下であり、
佐久間の畿内軍を受け継いだのは丹羽ではなくて明智。
丹羽が方面軍の司令官になったのは四国攻めからであり、しかもそれは信孝の副将という地位。
方面軍の主将をやっている他の軍団長よりも地位は低いと思われる。

また丹羽の領地は近江の一部と若狭であって大阪じゃないぞ。
摂津河内和泉などは池田や中川などがもっており、彼らは明智の与力だ。
池田や中川などが丹羽の指揮下に入っていれば、山崎は丹羽が起こせたのだが、
彼らは秀吉の軍の所に集結し秀吉の指揮下に入った(一応名目は信孝だが、彼も秀吉の所に集結している)

246バロン曽志崎2017/04/27(木) 21:15:29.24ID:WZI+9t+P
「益田家文書」の永禄十二年八月十九日付日乗書状案の下条でいいのかな?

一、為雲伯因三ヶ国合力、則木下藤吉・坂井右近両人ニ、五畿内衆二万計被相副、
日乗為検使罷出、於但州、為始銀山、子盗垣屋城、十日之内十八落去候。

247人間七七四年2017/04/27(木) 23:40:06.42ID:oSKrYisc
>>246
ありがと。
これで秀吉に指揮権があったといえるか?
両人ってこれ同格じゃない?

248人間七七四年2017/04/27(木) 23:44:07.01ID:oSKrYisc
それに朝山日乗は周防から京都に来た人間で、織田家の内情に詳しく無いから、
京都奉行である秀吉の方にだけ面識があって、坂井右近の前に書いたのかも
ていうか「木下秀吉」って呼び捨てに見えるけど、何なんだろう???

249人間七七四年2017/04/27(木) 23:47:22.06ID:bp4A2fkw
同格の大将が率いる軍などない。少なくとも織田家においては主将がいる。
そして秀吉が付け城により敵の城を包囲したことも書かれており、
指揮をしているのが秀吉であることも書かれている。
播磨にも秀吉与力の木下兄弟が派遣されていたりしており、
当時の毛利との連携が秀吉主導で行われているんだよ。

250人間七七四年2017/04/27(木) 23:51:14.35ID:bp4A2fkw
京都奉行で毛利との取次もしている秀吉が坂井よりも下なんてねーから。
この時の毛利との連携は秀吉主導で行われている事であり、
坂井なんて刺身のつまみたいなもの。

251人間七七四年2017/04/28(金) 00:30:55.22ID:lFnRBKqE
>>245
明智が佐久間の畿内軍を受け継いだって事は無い
和泉と河内は蜂谷、摂津は池田に渡されている
織田家で最も強大だったのは塙直政や佐久間信盛の地位で明智は全然違う

明智は、蜂谷、丹羽、滝川と似たような立場
信長は近場には死なれたら困る優秀な丹羽、蜂谷、明智、滝川を配し、
最前線には死んでもいい優秀な柴田、羽柴、細川、簗田を配した
終盤になると伊勢や若狭、丹波も安定し、滝川等は御役御免で最前線へ送られた

252人間七七四年2017/04/28(金) 10:08:07.72ID:mAFcMfZl
信長は尾張統一の過程で頼りになる一門衆が居なくなったから、優秀な子飼いを抜擢してきたのかなと思います。

残った弟達は幼かったした、期待してた信興は森と共に討死、他の一門衆も長島で多く失ってるし、息子世代が成人しだした頃からようやく一門衆の旗頭が揃ってくる感じでしょうかね。

歴史検証でifは禁句ですが、本能寺の変の頃には、信長は信忠世代の構想を描いてるとは思います。

253人間七七四年2017/04/28(金) 12:44:19.33ID:MXjXBVuy
そらそうだろw
当時50になれば子は30ぐらいで一番上の孫は元服するかどうかぐらい。
いわゆる大御所体制作って60ぐらいで完全に嫡子に政権渡す。
後継者指名せず家中に後継者争いの火種残すほど信長はアホじゃないんだから。

254人間七七四年2017/04/28(金) 14:53:33.83ID:mAFcMfZl
>>253
ですよねぇ

火種を残す訳がないよね。家督は既に信忠に譲ってるのでいいとして、信忠を補佐する者と害になる者の選別は始めていると思われますし、庶子の身の振り方とかも検討していることでしょう。

補佐する者としては、森、堀、池田、生駒、塩川、蒲生、丹羽、前田等若手が出てきてます。

羽柴には有望な直系若手は居ません。

羽柴が信忠政権になった場合にどの程度の所領を任せられるかみてみたかった気もします。

255人間七七四年2017/04/28(金) 15:38:07.72ID:WPgFeVRW
羽柴は信長の子をもらってる

256人間七七四年2017/04/28(金) 16:57:23.54ID:mAFcMfZl
>>255
ということは、羽柴家は織田家に吸収されて消滅でok?

257人間七七四年2017/04/28(金) 18:22:58.22ID:FvdpOGvk
既に壮年過ぎ実子なく家を継ぐ嫡子を主家から貰えれば立場は固まるからな。
主家の織田からしても家中屈指の家臣の家に庶子送り込んで嫡子相続が続けられない時の養子バンクにできる。
お互いに取ってメリットがある。

258人間七七四年2017/04/28(金) 18:42:01.16ID:YQ0W8HgO
>>1
進むも退くも滝川が入ってないやり直し

259人間七七四年2017/04/28(金) 19:46:28.15ID:WPgFeVRW
>>256
消滅はせんだろ。復姓して名前は消えるかもだが羽柴織田家として残る

260人間七七四年2017/04/28(金) 20:28:54.53ID:iZX7P/Bj
>>250
毛利の取次ぎって、それ朝山じゃん
朝山と秀吉が先陣きってて、坂井は目付役というのが正しいんじゃね?

261人間七七四年2017/04/28(金) 20:47:37.61ID:iTuJapSo
>>251
池田や蜂屋などは明智の与力。そして塙の序列は明智よりも下だな。
越前攻めの時の並びがあるが、明智よりも下であった。
まあ下の人間が司令官になったりすることもあるのが織田家なので、本願寺攻めの時一時的に明智の上司になったことがないとは言わんが。

そして滝川がお役御免で最前線に遅れられたとするなら、丹羽や信孝もお役御免で最前線に送られた事になるんだが。

262人間七七四年2017/04/28(金) 20:52:52.53ID:iTuJapSo
>>253>>254
なので佐久間や林、安藤などの有力豪族を改易して追放したら、明智が謀反して親子そろって殺され、
清州会議では重臣がそろって傀儡の幼君を担ぐ事を決めて、
織田家を重臣が食い物にして、最後には秀吉に乗っ取られるわけです。

家臣の粛清に入った君主に重臣がついていくわけがないのです。

263人間七七四年2017/04/28(金) 21:19:38.12ID:iTuJapSo
>>258
甲斐武田を短期間で滅ぼした滝川は名将と言っていいだろう。
丹羽よりもよっぽど高位。
丹羽は下手すると滝川の与力にすぎん川尻よりも下かもしれん。

>>260
朝山日乗は僧侶であって武将じゃないぞ。目付というならまだ朝山日乗が目付だ。

264人間七七四年2017/04/28(金) 22:07:30.94ID:nW54u9HV
戦闘そのものが主になるような長島、伊丹の荒木対応とかが多いよな滝川の持ち場。
地域の国人衆を懐柔したり、敵方に内通者作ったりという浅井、朝倉、播磨〜中国地方攻略は秀吉を重用。
この辺りのさじ加減は信長はさすがというか本当に人の使い方の上手さが現れてると思う。
前線には状況把握と状況に的確に判断を下し適切な方法を取れる人を配置。
中央で信長の戦略に沿った段取りをする能力に長けたタイプを側近にという基準なんだろう。

265人間七七四年2017/04/28(金) 22:24:14.00ID:mAFcMfZl
>>263>>264
武田の最前線は信忠。

滝川の所領の桑名は伊勢水運と伊賀交通の東海道の要衝、軍事だけに偏る思考は如何なものでしょうね?

津島から起こり熱田港を抑え、伊勢水運を重視し、上洛時も琵琶湖水運の草津、中山道と東海道の宿場であり京都へ通じる草津、それに堺港を抑え、街道整備も重視した信長。

信長陣営を語る上で流通の視点がないと信長の本質を見誤ると思いますよ。

266人間七七四年2017/04/28(金) 22:26:46.79ID:iTuJapSo
信忠は四国征伐における信孝みたいなもんだよ。
おかざりの総大将。
実質的な指揮官は滝川。

267人間七七四年2017/04/28(金) 22:30:03.26ID:WPgFeVRW
それはない

268人間七七四年2017/04/28(金) 22:37:23.33ID:mAFcMfZl
>>266
それは流石にちょっと勉強不足だと思いますよ

269人間七七四年2017/04/28(金) 22:39:55.32ID:iTuJapSo
実際その通りだから仕方ない。
滝川が全軍を統率し、信忠はおかざりの司令官。
そのままじゃだめだと思って高遠とかで頑張ったりしていたけど、
滝川の補佐あってだ。

270人間七七四年2017/04/28(金) 22:46:54.37ID:mAFcMfZl
明智の序列にしても、足利家と良好な時期は幕臣なので、信長の陪臣より上位に書かれると思いますが、信長直属となってからの序列は違うと思います。

271人間七七四年2017/04/28(金) 22:58:18.04ID:CUxq9vRv
>>265
嫡子と武将を序列で比べるのはどうかとw
流通や治国などを低く見ているような書き込みもないと思うけど。
それぞれに向いた仕事を与えたなという話であって。
序列云々言い出して、どこが重要とか間違った引用や怪しい根拠だしてるのはむしろ君だと思うけど違うかな?
信長にとって嫡子は特別な存在なのは間違いないだろうけど、司令官クラスの人選やその時々の官位などはボーナスや期待値込めたものであって信長自身は役に立つ奴、適正のある奴に任せているということしかないんじゃないかな?

272人間七七四年2017/04/28(金) 23:52:59.45ID:iZX7P/Bj
>>263
毛利の人間が織田軍の目付け?
マジで言ってるのw

273人間七七四年2017/04/29(土) 00:13:33.69ID:wPyJl/K4
山名進攻は毛利家の要請で行われた事、毛利家から監視が来るのは当然なんだが。

274人間七七四年2017/04/29(土) 00:27:07.49ID:EqywI4L2
>>273
つまり、言いたいことはこうってことだな

坂井右近 織田家の目付け
朝山日乗 毛利家の目付け
木下秀吉 先鋒

秀吉が一番下っ端になったな

275人間七七四年2017/04/29(土) 00:42:37.23ID:wPyJl/K4
目付が偉いなら、毛利征伐の総大将は堀になるな。
すげえ説がでてきたなあW

276人間七七四年2017/04/29(土) 00:46:42.06ID:EqywI4L2
>>269
河尻が居るのに滝川が全軍を統率できるわけが無い
滝川が全軍を指揮した形跡も一切無い
若い信忠が指揮官で河尻、滝川が補佐

277人間七七四年2017/04/29(土) 01:03:49.13ID:EqywI4L2
>>275
では、秀吉が総大将か、下役の先鋒かはともかく、
坂井は秀吉の目付けってことは問題無いということだな

秀吉は信長に呼び戻されて伊勢に行き、
坂井は但馬に残っているから坂井のほうが信長に信用されていた(上位)だろう

278人間七七四年2017/04/29(土) 01:03:56.40ID:xpK8tien
なんで日乗が毛利家になってんだよwなんだよここw

279人間七七四年2017/04/29(土) 01:12:18.86ID:EqywI4L2
>>278
朝山日乗は毛利方と言っていいほど便宜を図っている
毛利と織田が敵対関係に移行すると、存在感も消えていった様にも見える
毛利家は言いすぎかもしれんが、ほぼ毛利方だろう

280人間七七四年2017/04/29(土) 09:42:56.32ID:5axR5rMb
>>271
私が怪しい根拠を出してるのは間違いなねw

現状の歴史認識に感じた疑問を自分なりに検討して感想を述べてるに過ぎないので、私の意見が正しいとは思ってないです。けど、現状の歴史認識が必ずしも正しいとも思ってないです。

こんな意見もあるけど、どう思う?っ感じかなw

281人間七七四年2017/04/29(土) 11:14:34.96ID:Y1dC42Im
>>280
意見としての書き込みなら史料ではこうあるのでこういうことだったのでは?という投げかけの方が良いと思うけどね。
君の文書の書き方だと史料に基づいた史実ですという断定をしているような印象になってしまいやすいかと。
それが他の人から突っ込まれまくる原因じゃないかな?w

まあ匿名掲示板でそんなに細かいことまで気を付けて書き分けしたくないとかもあるだろうけど。

282人間七七四年2017/04/29(土) 11:50:22.38ID:+aqQ+bza
いい加減スレち

283人間七七四年2017/04/29(土) 11:51:13.89ID:5axR5rMb
>>281
歴史研究者の学者さんって組織経営に関して疎い気がするんだよね。

サラリーを貰う立場の人間と払う立場の人間では組織の見方も180度変わるし、信長や秀吉とかを経営者として見て面白いと感じる。

お金も物も人も無限に湧いてくる訳じゃないし、ヒーローが一人いたくらいで組織が劇的に変わる訳でもないしね。

284人間七七四年2017/04/29(土) 11:53:17.32ID:5axR5rMb
>>282
スレ違い失礼しました。控えます。

285人間七七四年2017/04/29(土) 12:02:10.02ID:76iLgHO/
>>261
>池田や蜂屋などは明智の与力。そして塙の序列は明智よりも下だな
>>263
>丹羽は下手すると滝川の与力にすぎん川尻よりも下かもしれん

これの史料は?
天正9年2月の京都御馬揃えで、丹羽、蜂谷、明智の順番だったから、全く違うと思う
どの史料のどの部分を見てそんな変な説を思いついてるの?

286人間七七四年2017/04/29(土) 12:15:31.93ID:xpK8tien
京都御馬揃えの行進順は別に政権内の序列じゃないだろ

287人間七七四年2017/04/29(土) 12:18:28.87ID:76iLgHO/
>>264
滝川は津田一安や滝川雄利を通して北畠家内の内政も監督していたし、
北条との取次ぎもしている
戦闘も内政ができて、秀吉や光秀に近いタイプ
天正元年の越前は、秀吉、光秀、一益が3人で仕置きをしたし、
天正8年の大和は、光秀、一益が2人で仕置きをしている

288人間七七四年2017/04/29(土) 12:23:12.44ID:76iLgHO/
>>286
序列は当然大きく考慮されている
序列以外の要素で大きいのは信長の心証くらいだと思う

289人間七七四年2017/04/29(土) 12:29:55.75ID:xpK8tien
じゃあ信忠より丹羽はえらいってことで・・・ってんなことあるかいw

290人間七七四年2017/04/29(土) 12:43:59.35ID:76iLgHO/
>>289
その一人ボケツッコミ面白いねw

291人間七七四年2017/04/29(土) 12:47:04.02ID:a6fxSyMm
>>289
爆笑www

292人間七七四年2017/04/29(土) 12:48:15.96ID:Y1dC42Im
結局相撲の番付みたいなイメージで序列云々言い出すと難しいんだよ。
俺様信長、その嫡子信忠、庶子と一門衆、大軍の司令官、その与力ぐらい大雑把にしか信長は序列みたいなもんを考えてなかったと思うよ。
下手を打ったり、気に食わなければ一門衆や大軍司令官だって粛清。
あまりにも能力がなければ実子や実弟でも国人クラスの家に放り込んで捨て扶持貰いにしかせん。

本人がそういうタイプなのに後世の人が序列どうこう語ることにそれほど意味はないんじゃないか?

293人間七七四年2017/04/29(土) 12:52:33.93ID:xpK8tien
ぎりぎり間に合った越前組が遅れたからかお客様扱いなのかで後ろに回されてる以外は
近畿の外周からうちに並んでる純軍事的な戦闘序列だよあれは。軍事パレードだからね
まぁ結果的に偉い人ほど後ろに来ることが多いから政権内の序列を表してるとも言えなくもないが
真逆になっちゃうねぇそれでもいいならいいけど

294人間七七四年2017/04/29(土) 13:00:56.34ID:76iLgHO/
>>292
信長は大軍の司令官というポジションも積極的に作る気は無かったと思うんだよね
その場その場で対応してたら、佐久間、柴田、羽柴、滝川と勝手に成長していってて、
おっと俺様の子孫ヤベーな、まず佐久間は粛清、四国はもう信孝にして。みたいな

295人間七七四年2017/04/29(土) 13:05:47.32ID:76iLgHO/
>>293
先鋒と大将の関係を考えてないから、いつも面白いボケになるのかなー

296人間七七四年2017/04/29(土) 13:07:06.27ID:xpK8tien
何時も抽象的なことしか言えんのね

297人間七七四年2017/04/29(土) 13:23:42.52ID:76iLgHO/
>>293
柴田が先頭になる可能性があったと?
19日信忠、20日信長、24日柴田着で馬揃えが28日だから、
もしそれなら十分間に合ってたようにも見える

どちらにせよ丹羽や蜂谷が与力なら、柴田と不破、前田みたいな記述になるから、
丹羽や蜂谷が、明智の与力という説は、信長公記から十分に否定できるし、
与力説を肯定できる材料も無いな

298人間七七四年2017/04/29(土) 13:30:46.90ID:xpK8tien
番隊任せられてる武将が与力なわけ無いだろ

299人間七七四年2017/04/29(土) 13:37:49.21ID:76iLgHO/
>>285に戻る

300人間七七四年2017/04/29(土) 18:52:57.45ID:Hhysjyzf
>>285
原田の事は261で書かれてある通り、馬備えは光秀のしきりでやっており、
武田攻めにも積極的には関与していないが、畿内衆を率いて後詰に向かっている。
この時池田の息子は明智の指揮下に入っている。

馬備えば家臣の序列じゃないから。
川尻は甲斐一国与えられ、石高的にも丹羽より上で、
史料に書かれる並びも丹羽より上位だったりする事があるから、信忠の後見人やってるし、
四国征伐の時は実質的な方面軍司令官なので、この時は丹羽のほうが上だったかもしれないけど、
そのあたりはよくわからん。

301人間七七四年2017/04/30(日) 13:23:11.79ID:2DkVvK0Q
河尻の地位はよくわからないものがあるよな
次期当主付きの筆頭で、最前線の岩村城主、後に統治最難関の甲斐一国だから
ある意味、柴田、羽柴なんかより遥かに信頼されていたように見える

302人間七七四年2017/04/30(日) 16:00:04.60ID:GhUJMftS
世代が違うことは大きな意味があるかと

303人間七七四年2017/04/30(日) 16:26:09.88ID:mluaN2l7
後の用語でいう付家老だろな。池田恒興と河尻秀隆は

304人間七七四年2017/04/30(日) 17:59:49.18ID:kOtjqRtY
林秀貞とどっちが偉いの?
何となくイメージでは信長への近さは林佐久間池田柴田>丹羽滝川羽柴明智なんだけど

305人間七七四年2017/04/30(日) 18:46:16.30ID:IY+m8JdZ
林平手は信長の付家老
佐久間河尻柴田滝川は信長よりも世代が上
丹羽池田は若い古株

306人間七七四年2017/04/30(日) 20:14:30.14ID:EtVGSQ8p
信長における平手
信忠における川尻、丹羽、池田もかっていう立ち位置かね?
あまり大きな領地与えられる役割ではなく信忠を側近くで支える役割なのかな

307人間七七四年2017/04/30(日) 20:24:32.07ID:mluaN2l7
丹羽は関係ない

308人間七七四年2017/04/30(日) 20:47:02.11ID:vZCQChLr
庭には二羽のビワハヤヒデがいる

309人間七七四年2017/05/01(月) 21:10:39.51ID:5Xfu+q3e
>>306
酷い無茶苦茶な分析だな
丹羽以上の大きな領地貰った重臣の拝領年を並べてみたら

310人間七七四年2017/05/02(火) 21:37:10.98ID:GjSB58cK
>>300
>畿内衆を率いて後詰に向かっている。この時池田の息子は明智の指揮下に入っている。

まあ、ありえないな。史料は?

311人間七七四年2017/05/03(水) 15:59:37.31ID:lJf0XnV8
一色丹羽氏のほうが好き

312人間七七四年2017/05/08(月) 20:52:44.86ID:cIfqbBrV
信長の視点からすると、若狭、桑名、堺、大津みたいな京都に流れ込む物流拠点には、
信頼できる丹羽、滝川、佐久間、蜂谷、明智みたいな重臣を配置して、
備前や越前みたいな遠方は、外様系の猛者で十分みたいな気分だったと思う

313人間七七四年2017/05/09(火) 13:33:00.46ID:eGchzkKM
柴田が外様で滝川が外様でないのか意味分からん

314人間七七四年2017/05/09(火) 13:51:22.02ID:i2gULWey
丹羽押しもいいけど基本的な知識が足りん感じやねぇ

315人間七七四年2017/05/09(火) 21:08:23.80ID:SRPYSuwI
柴田は信勝といっしょに信長を見捨てた帰参組だからね
こういう重臣は信頼するのが難しい

316人間七七四年2017/05/10(水) 00:31:38.63ID:L4Z5oBBQ
松永は信頼されていたのかされてなかったのか

317人間七七四年2017/05/12(金) 19:57:44.39ID:l1DIUdhj
>>312
秀吉は普通に北近江も領地として持ってるけどなw

318人間七七四年2017/05/12(金) 20:02:46.06ID:YkPPtUM9
三谷幸喜の清州会議の丹羽長秀はかっこよかったな

319人間七七四年2017/05/13(土) 11:27:17.99ID:B9L7yH1y
>>318
でも、信長、信勝を裏切った真っ黒な柴田、真っ白な丹羽なんだよな

320人間七七四年2017/05/13(土) 12:53:27.43ID:nW4X/RcH
勝家って明智討伐なにもしてないのに、長浜もらったりお市もらったりしたんだよな

321人間七七四年2017/05/13(土) 14:02:53.12ID:B9L7yH1y
>>320
強欲な男
もう長光寺城は持ってなかったのか

322人間七七四年2017/05/13(土) 20:57:08.61ID:SL2cSXZ/
むしろ勝家は政治力はあったんだよな。
滝川が間に合わないというミスがあったが、
明智討伐した羽柴丹羽池田の三人が明智領をそのまま占領しており、
そのままになると柴田などは何も得られない所だったのを会議で上手く領土をせしめた。
羽柴などは明智領の追認をされたのでもちろん損はしていないわけだけどね。

323人間七七四年2017/05/23(火) 02:21:05.44ID:YGY8E8JH
>>313
滝川は外様かどうか怪しい
少なくとも信長に仕えた時期が普通に考えて1555年以前なので、柴田や羽柴より古株
>>314
おまえがなw

324人間七七四年2017/05/23(火) 05:29:44.68ID:3dLfVhmQ
外様かどうかと新参かどうかは関係あるのか

325人間七七四年2017/05/23(火) 10:46:22.28ID:hID7BNOQ
そもそも外様の意味を間違えてるからねぇ

326人間七七四年2017/05/24(水) 21:45:10.62ID:bHMYFGKT
永禄末期の書状だと、
佐久間信盛・坂井政尚・森可成・蜂屋頼隆・柴田勝家の順で、
初期の柴田は意外に序列が低い。

327人間七七四年2017/05/25(木) 11:30:27.27ID:srt88Vyf
その1か月後の書状だと
柴田勝家・坂井政尚・森可成・蜂屋頼隆・佐久間信盛の順で、
初期の柴田はやっぱり序列が高い。ってかw


複数奉行人時代の織田家連署状並べてみればわかるだろうけど
毎回署名順入れ替わっており次席に厳密というわけではないので序列の考察には使えませんよ
かろうじて柴田佐久間はだいたい署名の最初か最後か次席かに署名してるから
両人だけはちょいと特別だった事がわかるくらい

あとこの場合は完全には当てはまってないけど基本的には書状の署名順は後ろに行くほど偉いということもこれを機に覚えておくといいと思うよ

328人間七七四年2017/05/25(木) 11:48:55.16ID:srt88Vyf
あと署名じゃなくて宛名の場合は普通に先頭の方が偉い
自分達の署名は気にしなくても相手に対しては気を遣うから序列を知りたかったら
宛名を見る方が正確だったりする。数は少ないが

329人間七七四年2017/05/25(木) 15:39:28.66ID:+qbNAreN
信長はジョブローテーションやらせてどー考えても戦闘指揮向いてない奴に司令官任せてみたり、反対に計数苦手そうな奴に奉行任せたりしてるからなあ。
奉行にしても兵を率いて戦闘指揮官やる時期あったりもするし一つの書状の名前の順番だけで細かい序列まで確定するのは無理があるだろう。

330人間七七四年2017/07/05(水) 17:18:19.82ID:3uj3Pd4f
>>31
だいたい旧領地にって書いてあるからそれは立花のみで正解だろ
政治云々じゃなくて宗茂の人柄(と田中氏のあれやこれや)だけで返り咲いたようなもんだし特異な例だよあれは

331人間七七四年2017/08/22(火) 23:44:16.68ID:9MZD5UqB
長秀は後瀬山城も改修していたのか

332人間七七四年2018/05/11(金) 23:24:49.92ID:7U/SL3cz
功刀俊宏・柴裕之編『丹羽長秀文書集』(2016年12月刊、全149頁、頒価1,500円)
 織田権力の形成・発展期、豊臣権力への移行期に活動した丹羽(惟住)長秀の文書集成。
初見文書が確認される永禄6年(1563)から、死没する天正13年(1585)まで、丹羽長秀の発給文書・受給文書、長秀家臣の発給文書・受給文書、長秀の関係文書、合計305点を収録する。

安いな

333人間七七四年2018/05/12(土) 00:42:23.23ID:mOXyBGzg
なにそれ欲しい

334人間七七四年2018/05/12(土) 03:41:23.16ID:PxRM0b4f
第三者を演じて、必死になって、ハッキングを否定する姿と
多忙にハッキング、遠隔操作を繰り返すまことの姿のギャップは大きい

335人間七七四年2018/05/13(日) 19:46:18.51ID:QcGXFZ1v
なんで長秀は秀吉の家来になったの?

336人間七七四年2018/05/13(日) 20:05:52.31ID:qgvaAMHP
>>335
他にどうすれば良かったと?

337人間七七四年2018/05/13(日) 20:14:47.50ID:QcGXFZ1v
>>336
毛利みたいに対等に付き合えばいい
元同僚(元上司)なのに家来になる必要ない
ましてや羽柴越前守を名乗るなんて恥ずかしい

338人間七七四年2018/05/13(日) 21:00:36.73ID:/cHPqge0
毛利は外様だろ

339人間七七四年2018/05/13(日) 21:02:34.26ID:/cHPqge0
つか輝元も羽柴安芸中納言やでなぁ

340人間七七四年2018/05/13(日) 21:05:37.51ID:Z/rMS/kA
秀吉には敵わないと思ったんじゃないのかな
それに結果的に言ってしまえば、秀吉によって統一されるんだから臣下になっておいて正解でしょ

341人間七七四年2018/05/13(日) 21:25:06.80ID:qgvaAMHP
>>337
家康くらい力があればそれも良いが、下手をこけば勝家のように滅ぼされる。
それよりは早めに味方になって恩賞をたっぷり貰ったほうがお得だろう。

342人間七七四年2018/05/27(日) 04:40:26.99ID:ZLr2fcgC
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

343人間七七四年2019/04/29(月) 01:03:14.61ID:/UbH92mm

新着レスの表示
レスを投稿する