なぜ織田家はあっけなく滅びてしまったのか

1人間七七四年2012/03/29(木) 10:04:00.94ID:PtmCKu8A
本能寺で信長親子が殺されると
織田家が皆好き勝手に行動し、二度と織田家として機能せず一気に瓦解する
畿内で勢力を広げた織田家がなぜここまで没落・実質滅亡してしまったか論じよう


・・・・というifスレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1331542607/73

2人間七七四年2012/03/29(木) 10:08:24.01ID:PtmCKu8A
関連スレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180257020/l50
【報いを待てや】織田信孝【羽柴筑前】

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192629955/l50
【三法師】清洲会議を語る【天正十年】

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309145931/l50
武田厨と織田厨が争うスレ

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1328637941/l50
信長公記の捏造マンセーを一つずつ暴いていくスレ

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1328312352/l50
【みんなの】だがを見守るスレ【アイドル?】

3人間七七四年2012/03/29(木) 10:13:53.97ID:PtmCKu8A
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1313811216/l50
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る4

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1325028957/l50
織田信長は過大評価されすぎ10

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1285927268/l50
伊達政宗、島津義弘>>>織田信長

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1331892546/l50
★政宗VS氏康VS信長VS元親VS宗麟を語るスレ★


4人間七七四年2012/03/30(金) 08:33:12.53ID:WbYbFBu/
信長の負の遺産のせいで信忠も孫も滅亡そして信成も転倒

5人間七七四年2012/03/31(土) 04:13:13.90ID:EJLU6R0Q
まあ実質的当主と跡継ぎの現当主尚且つ中枢の側近が一度にやられたら
どんなお家でもボロボロだろ。
徳川家なら家康と秀忠、土井利勝等の側近がやられたようなもんだし。

勿論それだけではなく信長の負の遺産というのもあるけどさ。

6人間七七四年2012/03/31(土) 15:09:48.95ID:KbUmUigW
信長というキツいタガが外れたんだから織田家という桶がバラバラになって当たり前

7人間七七四年2012/03/31(土) 16:30:56.20ID:ZSJSEEQd
滅んでなくないか
家としては信雄がしぶとく残したぞ

8人間七七四年2012/03/31(土) 21:22:54.75ID:EJLU6R0Q
まあ滅んでいないけど結局嫡流は途絶えて織田政権は呆気なく滅んだ。

9人間七七四年2012/03/31(土) 21:33:03.71ID:T5inP4eL
そもそも織田家ってまとまり良かったのか?
あんまりそんな印象ないんだが

10人間七七四年2012/04/01(日) 11:55:57.40ID:tLAcbRCT
防衛がヘタ

11人間七七四年2012/04/01(日) 13:59:07.69ID:oSEv2uDc
>>7
秀吉に改易されて秋田県の北方へ流罪にされて断絶してる。
その後、さらに四国へ島流し同然にされてる信雄さんw

12人間七七四年2012/04/03(火) 22:51:05.03ID:Aa27p+Ak
そら秀吉からすれば一度刃向った信雄よりも従順で慕ってくれる秀信の方がいいもんな。
それが仇になって秀信は関ヶ原後に改易されたけど。

13人間七七四年2012/04/03(火) 23:16:12.49ID:tf0l6zmX
織田家が雑魚すぎたから滅んだだけ
圧倒的国力の弾正忠家を継ぎながら連戦連敗、
ついには丹波一国人の赤井に大敗するような戦下手の光秀に奇襲されて滅んだカス

14人間七七四年2012/04/06(金) 00:21:29.08ID:ryR3sTYS
山一證券や三洋電機が消滅したのと同じ理由だろう

15人間七七四年2012/04/12(木) 21:55:59.05ID:necFyMDc
まあでも最終的に家康が信雄に五万石をやってお家を存続させている。
秀吉は織田家を簒奪した上に事実上織田家を崩壊させているけど
今度は家康に同様の事をやられて滅亡させられているからなあ。。。
因果応報という言葉がこれ程しっくりくる例もめずらしい。

16人間七七四年2012/04/19(木) 18:36:40.23ID:McY9FLgr

17人間七七四年2012/04/24(火) 23:36:20.26ID:tZZpVidc
>>1
織田が雑魚すぎたから

18人間七七四年2012/04/25(水) 10:42:50.73ID:0FnCw4pf
自演スレ 空しくあげる アスペだが

19人間七七四年2012/04/25(水) 17:09:43.59ID:RK5KGkEr
柏原だか小幡だったか忘れたが。
織田は幕府から三万石ながら国主格の待遇を受けたことで満足すべきだった

20人間七七四年2012/04/25(水) 20:20:04.85ID:0FnCw4pf
さすがにやしゃごの代までは責任取れんよ
宇陀藩から柏原藩に移転しても大名扱いはされてたしな

21人間七七四年2012/04/27(金) 07:42:43.30ID:Hyfb/Apo
>>15
まぁ、家康も豊臣家を簒奪して、滅ぼしているけどな

22人間七七四年2012/04/28(土) 03:29:39.88ID:jCnCkb3f
家康はその後250年の天下泰平の世を築いているから、変な言い方だけど
滅亡させてもお釣りが来るというか。
家康は豊臣家滅亡させた時「主家(織田家)を蔑ろにしたむくいだ」と言っていた
という史料が幾つも残ってるけど「お前が言うかなあ」だよね。

23人間七七四年2012/04/28(土) 06:31:45.69ID:dyMsrFBh
まぁ、家康は秀信というか、織田嫡流を取潰しているしな。
高家みたく残しておくことすらしなかったし、
お前も織田を蔑ろにしてるじゃんと、思う。

24人間七七四年2012/04/28(土) 11:48:50.44ID:3JHs0yy+
秀信は秀吉に洗脳されて頭がおかしくなっていた
家康は秀信の洗脳を解くために一時的に高野山で修行をさせていただけ
残念ながら修行途中に病死してしまったがきちんと洗脳解除に成功すれば復帰させていただろう

25人間七七四年2012/04/28(土) 13:24:40.85ID:jCnCkb3f
秀信君は仕方ないだろう。
明確に西軍の将として戦いに参戦しているのだから処罰しない
わけにはいかない。
長生きしていたら何らかの形では取り立てて貰えたと思うけどね。
一説には秀信は自殺じゃないかと言われているんだよな。

26人間七七四年2012/05/11(金) 22:12:45.24ID:FkN/g6Pj
織田と豊臣は残しておくのは危険と判断したんじゃね?

27人間七七四年2012/06/26(火) 21:58:08.73ID:0ZvK16gC
>>1
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28人間七七四年2012/07/11(水) 09:51:59.79ID:EVr5BNDw
人望がゼロだから

29人間七七四年2012/07/11(水) 12:17:59.79ID:QHRXlnNv
信雄が勝手に戦線離脱したから

終了

30人間七七四年2012/07/16(月) 04:41:23.73ID:NvXHDQC7
滅亡? 傍流が小藩としてのこらなかった?

31人間七七四年2012/08/23(木) 17:37:22.27ID:4cgiEJma
織田嫡流家滅亡

32人間七七四年2012/08/23(木) 21:18:15.68ID:pmf1POAm
だがホイホイ

33人間七七四年2012/08/24(金) 19:52:52.66ID:CNMCCXM0
強制出家させられ秋田に流罪の北畠信雄が、
秀吉のわがままで還俗させられた時に、
織田を自称したんだよな。
でも偽織田の北畠信雄は家康に改易されちゃうんだよな。

34人間七七四年2012/08/25(土) 08:35:59.33ID:I0/HTHn8
在日のだがはどこいった

35人間七七四年2012/08/28(火) 10:47:34.10ID:hnff96gp
そもそも伊賀を攻めて大敗した北畠信雄は信長から
親子の旧離許容すべからず候
と信長から親子の縁を切る宣言まで出されているしな。

36人間七七四年2012/08/28(火) 15:01:42.25ID:+GqSO7mE
秀吉という獅子身中の虫(簒奪者)が居た為だよ。

奴が妙な野心を起こさず、信孝を主に据えて家臣一同が合力出来ていればな。

37人間七七四年2012/08/31(金) 11:43:52.26ID:FewJxgdL
人心が離れていたから。
安国寺がすでに天正元年末の時点で
織田は一気にひっくり返り転落すると喝破してたじゃん。

38人間七七四年2012/08/31(金) 17:18:22.59ID:FewJxgdL
信長の場合は家臣の謀反でたった一日で嫡子まで死ぬなんて愚かな大名はなかなかいないわ。
しかも別の家臣の秀吉に織田は乗っ取られ
(多聞院日記「おおむね羽柴がままの様なり」と信長死後
たった『25日後』には完全に秀吉が清洲会議を支配し織田乗っ取り開始www)
家康には甲斐・信濃を横領され
森長可は信長の遺命を無視して団の岩村の領土を襲撃横領w
斎藤利堯なんて岐阜城を占領して自立するべく勝手に
安堵状を発給しまくる始末www
信長がむちゃくちゃ『厚遇していた織田信澄』を勝手に殺しちゃったり
興福寺も信長死んだ途端に葬儀すらやらずに領地分捕りに熱心とか
これじゃダメ過ぎだろ…などと呆れ果ててるから
織田なんて家臣謀反で遅かれ早かれ崩壊予定だった。
本能寺の変を聞いて魚津から撤退中に宴会やる北陸軍
柴田が光秀射ちにいくよってやる気なしポーズで体面を飾ると、
利家は信長娘婿の息子を持つ立場なのに
無理だな。どうしてもってんなちょっとだけ兵送るけどなどと信長への冷酷態度。
明智光秀とお前らつながってたんじゃないかと思せる鈍さ。
前久も榊原康政に京の情勢は内輪之申事共と信長殺害を織田家臣の内輪揉めと発言してるし
天正14年に大徳寺が信長の位牌所になりたいと頼んだら、
利家は「いやそんなのやらなくていいから俺のオヤジを祀れ」
って言ってオヤジの絵画を作らせ飾らせてる。実は利家って信長嫌いだったろw
みんな信長死んだ途端にめちゃくちゃに振舞ってるじゃんwww

39人間七七四年2012/08/31(金) 20:06:33.48ID:BQrPWuMb
ID:FewJxgdL

書き込んだスレッド一覧
人間七七四年
【疑問】スレ立てるまでもない質問 9【戦国時代】
長篠・設楽原合戦の真実 part3
*  織田信忠 その2 *
織田軍団ってイメージで凄いと思ってたけど…
武田信玄上洛成功part2
悪逆大名
なぜ織田家はあっけなく滅びてしまったのか
織田信長は過大評価されすぎ11
下克上された暗愚な暴君
信玄・謙信・宗麟・輝宗・晴久
【軍神 上杉謙信 毘沙門天 越後の龍】


08/31(金) 10:16〜〜08/31(金) 17:46の間に合計25レスwwwwww


40人間七七四年2012/09/01(土) 21:22:56.53ID:/7lrvdfI
信長って人望ゼロっすねwww

41人間七七四年2012/09/01(土) 23:57:40.21ID:IzKcB5xq
あきらかに信長はアスペでパワハラだからなぁ。
織田家は超ブラック企業

42人間七七四年2012/09/02(日) 13:31:53.09ID:yJ7zIxCa
コンプライアンス?笑わせんな。

43人間七七四年2012/09/05(水) 18:07:50.42ID:gsAywUoD
しっかり天下を統一し、しっかり後継者もいたのに影も形も無く滅んでしまった豊臣家よりはマシ

44人間七七四年2012/09/06(木) 16:42:10.42ID:K3fOx+iA
>>43
言われてみればそうだわ。。。。

45人間七七四年2012/09/08(土) 12:09:26.29ID:BqRfVJvJ
>>43
統治をひっくり返されるような爆弾抱えたまま放置しといてしっかり天下統一もクソもないがな
形だけ首輪つけた虎を放し飼いにしてる状態だし
唐入りで絶好の戦力を削ぐ機会があったのにわざわざ宿敵の主力を温存させ
味方になりそうな配下の戦力を悪戯にそぎおとす不手際もいただけない
とりあえずポーズでも臣従してくればいいよ〜なんて生易しい判断でなく全力で徳川は潰すべきだった
死ぬ間際の三成はそう思っただろうよ

46人間七七四年2012/09/08(土) 21:49:19.39ID:sl/mhg1R
家康と利家は明攻め用に温存していただけだけどな。
まあ利家は南部らを引き連れて秀次らと渡海する計画があったが、
実行されなかった。
これは秀次が死ぬ原因になった。

47人間七七四年2012/09/08(土) 22:46:30.50ID:GtcuCDoP
>>46
国内で大封与えた家康を、更に大陸での封土与えてどうすんだって。
巨大化させた家康とのバランスをとるためにも、家康の渡海は絶対にない。

秀吉は唐入りに絶対の自信をもってたので、国内統一戦の成功体験そのままに、
大陸を恩顧の大名連中の草刈場にしたかっただけ。
そんなオイシイ「漁場」を敢えて家康にくれてやる必要はないし、そのつもりもない。

学者の一部には、家康は「賢明にも」敢えて無謀な大陸侵攻に軍は出さず、戦力を温存させ、
それが後の天下に直結したため、よって家康の智謀を褒め称えているが、単に大陸侵攻軍に編成されなかっただけ。

そもそも関東への国替えを強いられた家康には、もはや秀吉の命令に逆らう力はない。
秀吉に大陸に行けと命じられれば、行かざるを得ない立場。

48人間七七四年2012/09/09(日) 01:56:18.07ID:/TKVNgFD
なんで秀吉はそんなに唐入りに絶対の自信を持ってたんだ?
フロイスも無謀だと書いているし、どっかの坊さんは稀代の不思議
と日記に書かれているのに。

49人間七七四年2012/09/09(日) 09:55:35.61ID:dTcnBZrx
>>48
看羊録によれば
統一されたとは言っても大名達はまだ戦国時代の気風が冷めやまず
隙があれば乱を起こす気満々だったし、
刀狩りしたところで、元国人達も猛々しさが残っていて
隙を見せれば加賀が一揆の国になった前例もあるので警戒が必要だったため
朝鮮出兵は国内で変事を起こさせないように
外征させ兵を消耗させる意図があったと書いてある。
絶対権力で不穏分子を海外へ出しているわけだ。
伊達も朝鮮出兵に行ってる間に
豊臣政権によって伊達領国の検地を強制的に施行されてるように
出兵中に検地などを施行して国内統治体制を強化し
在地と武士を切り離し、転封を通じて上下の離間を図っていた。
家康は明攻めに使う予定で温存してただけだし。
中央集権化のために朝鮮出兵を利用していたわけだ。
大坂陣の頃になると、戦国時代を知る下克上的気風のある大名は
老衰または死去しており乱の発生要因が大幅に消えており
刀狩の効果も十分に現れてきており国人の帰農も安定期を迎えていたため
江戸幕府は時の経過が多くの問題を解決させ安定を望む方向に向かっていた。大名たちも一発御家改易の危険性が生じる博打打ちのような選択ができるほどな戦国の豪胆なものはおらず
今で言う祖父や父は豪腕だったが今では
孫社長や3世議員のような京や江戸に在住し
遊びで酒をかっくらう世代に移り変わっていた。

50人間七七四年2012/09/09(日) 10:13:56.55ID:D1CVi5qE
>>49
家康は明攻めに使う予定で温存してたって、何を根拠にそう言える訳?
文禄・慶長の役で家康は一度も渡海していない史実が全てを物語ってるのだが。
朝鮮を支配できないのでは明攻めどころではない。

51人間七七四年2012/09/09(日) 13:42:30.43ID:/TKVNgFD
>>49
なるほど、ありがとう。
こういう記述を読んだら唐入りも仕方なかったのかなと思う部分もある。
結果論にはなるけど失敗したから「何故?唐入りを?」と思っちまうけど
それなりに理由はあったんだな。

52人間七七四年2012/09/09(日) 18:20:21.72ID:DX/26ZPt
将軍本人の武力経済力がまともになかった上,全国を義満以降実質的に
戦国時代化させた超他人頼り足利より遥かにマシ。更に残虐度ではまだ嫁入りしてない
最上の娘を張り付けとか賤民あがり秀吉よりマシ。セックス40人とかやって子供無しとか異常。しかも指6本。

53人間七七四年2012/09/09(日) 21:40:52.26ID:8juAr3MH
多指症差別までやり出すキチガイ織田厨…

54人間七七四年2012/09/10(月) 09:38:47.03ID:57g/VNdo
>>43
確か豊臣家滅亡した日が信孝の命日なんだよね。
家康が側近にそういう話をして豊臣滅亡は主家を蔑ろにした報いを受けたのだ
と語っている話が幾つかの資料にあるけど(お前が言うなだけど。。)
単なる偶然ではあるが非常に意味深。

55人間七七四年2012/09/10(月) 20:41:12.23ID:xN6Vkhst
江戸住み大名は安定を望み、
江戸の文化を楽しむ一方で、
明治維新を推進した
島津や毛利の殿は江戸に住んだことがなく、
江戸に愛着が無かった。

56人間七七四年2012/09/10(月) 21:03:57.99ID:mot+I6VL
じゃあ西郷さんって江戸を焼き払うのにためらいなさそうだけど
強固に反対したってのはどんな理由?

57人間七七四年2012/09/11(火) 07:18:39.28ID:5hpEuG3T
島津斉彬が江戸に西郷呼んでるじゃん

58人間七七四年2012/09/11(火) 14:07:24.08ID:cl7YPNjp
独裁者が統治体制とまともな後継者を残さなかったからだな。

信長はどっちもなかった。秀吉は体制はつくったが後継者は残さなかった。
家康は体制と後継者が落ち着くまでしっかり生きてた。

59人間七七四年2012/09/11(火) 15:24:29.10ID:Fj7whMON
足利尊氏がさんざんトラブルの種蒔いて後始末せずに無責任に死んでも、なんだかんだで15代続いちゃったから、一番大事なのはまともな後継者だろうな。

60人間七七四年2012/09/11(火) 15:54:37.90ID:fseZpXNs
当主と後継者が同日に討たれる事例なんて前代未聞だからなぁ。
それに羽柴が忠義の士だったならばああまで瓦解しなかっただろう。

61人間七七四年2012/09/11(火) 17:47:49.14ID:vZFCpGG+
秀吉が織田に義理立てしてたら勝家とともにのぶおよりまだマシな方の信孝を立てていただろうから
筆頭の勝家と対立せずに形の上では瓦解せずにすむ…はず
勝家がヤダヤダ秀吉なんか嫌だいと仕方なくのぶおと組んだ場合は知らん
主筋を立てるなら信雄→信孝→三法師の順に継承していけばいいんだが
二男三男がそれぞれに「俺が織田家の棟梁だ、あいつは家臣だ」と変な自負心持ってると家中が割れる

62人間七七四年2012/09/11(火) 18:51:54.20ID:f3l0iDxr
信長は自身の経験から跡継ぎとそうではない兄弟はくっきりしっかり
区別して育てたがそれが思いっきり裏目に出た。

>>59
まともな後継者もそうだけど一番は野心のある有能な家臣がいない事が大前提だと思う。
秀吉や家康のように。

>>60、61
まあ秀吉は思いっきり報いを受けて、自分の死後だけど家は滅亡、跡継ぎ死亡だからね。
豊臣滅亡は悲劇だけど因果応報という感じの終わりで個人的にはすっきり感はある。

63人間七七四年2012/09/12(水) 01:33:40.23ID:gQk/IlZ6
信雄はともかく信孝が野心ムキムキだったからな

64人間七七四年2012/09/12(水) 04:20:21.87ID:PZHjs4xH
信雄と信孝、どちらが先に生まれたかが問題になるほど年が近接、兄の方が「凡庸」と言われるなど不仲、対立要因満載で、それが秀吉などに利用されている。
ところで、この二人の次の弟、秀勝(秀吉養子)と信房(勝長ー元武田家人質)は10歳ほど離れていて、やはりどちらが先に生まれたのかが両論ある。
まさか信長が趣味でやったことではないだろうが、変な符合だ。

65人間七七四年2012/09/12(水) 06:33:52.39ID:gYFBikzQ
戦国は実力あるものが統率するのが当たり前。
嫡男相続なわけが無かろう。

66人間七七四年2012/09/12(水) 21:53:43.59ID:ySUe5Aqc
ケースバイケース

67人間七七四年2012/09/13(木) 07:36:10.22ID:WgBD0IgV
子の母…妻の実家の権力次第だろ。

68人間七七四年2012/09/13(木) 14:11:07.75ID:/s+TvHgl
信長・信忠だけでなく、内政・軍事の奉行衆もまとめて死亡したからな。
織田家の中枢がそっくり無くなったんだから。

ところで織田家の中枢がまとめて京にいて何をするつもりだったのかと。
もしかして・・・やはり・・・

69人間七七四年2012/09/13(木) 17:14:21.33ID:qNsdwmg2
色んな意味で最悪の状況が出来上がったという事か。
徳川家で言うのなら家康、秀忠と土井利勝等の側近がまとめて死亡したような
もんだから揺らぐわな。

70人間七七四年2012/09/13(木) 21:40:31.53ID:FO73lA51
織田重臣や家老は健在だったじゃねぇか

71人間七七四年2012/09/13(木) 22:16:33.98ID:9tLeosSR
現代は総理と官房長官ほか長官クラスが軒並み死んでもとりあえず国は回るけど
この時代いっきに瓦解してもおかしくないな

72人間七七四年2012/09/13(木) 22:19:50.10ID:jOt7JT8I
織田家総帥、織田家当主、中央勤務の重臣達が一気に死んだのに
織田家が大名家として残ったのは奇跡中の奇跡

73人間七七四年2012/09/19(水) 01:40:49.27ID:Uc4q0vpz
ゲームの信長は人間が出来すぎている。

突然、プレイヤーに殴りかかってきたり
何年も前のことを言い出して、役目御免になったり
そんなリアルな信長ゲームがしたい。

74人間七七四年2012/09/19(水) 05:33:57.56ID:3Iam2c72
成人した息子がおったのにあっけなく歴史舞台から消えたな

75人間七七四年2012/09/19(水) 09:08:32.32ID:yhU9Q6dJ
社長と専務ほか役員陣が突然いなくなって
課長がドラ息子と組んでゴタゴタすればそりゃあ基盤も弱くなるわ

76人間七七四年2012/09/20(木) 00:57:58.91ID:3jW7kzq3
武田滅ぼした手腕とか、後継者として問題ない能力だったのにな

77人間七七四年2012/09/20(木) 21:15:50.35ID:kaJcqpzI
>>70
その重臣たちは信長に抑圧されてたから信長いなくなった途端、勝手なこと
やりだした。

>>56

・皇族関係者の必死の降伏嘆願
・江戸焼くと上記皇族関係者に危害が及ぶ可能性があり
・外国の介入する理由を与える(神戸事件 堺事件)
・自藩の兵力温存

78人間七七四年2012/09/20(木) 21:17:22.42ID:kaJcqpzI
>>76
一種の出来レースだろあれは。
武田が自滅崩壊したに乗じただけ。

79人間七七四年2012/09/20(木) 23:02:58.49ID:00GcMZhs
勝手なことやりだした重臣は野心を現した秀吉だけ。

80人間七七四年2012/09/21(金) 00:26:01.02ID:Hs0xZBEZ
>>45
それは失敗した結果論ジャン
秀吉としては朝鮮支配は成功するつもりだっただろ
子飼いの武将に手柄をたてさせ、それら武将の領地を増やすつもりだったんだろ
一方、家康は国内に置いて手柄をたてさせず領地も増やさない

81人間七七四年2012/09/26(水) 09:23:36.60ID:fmy+3rkw
>>80
秀吉が海外領土拡張が無理だと気がついた時には、家康は国内安定のためにもはや不可欠な存在になっていたからな。
秀吉が唐入りの泥沼にハマればハマるほど、家康の立場は強化されていった。

82人間七七四年2012/11/03(土) 19:12:49.50ID:fTPHEJyW
>>73
おいおいw

83人間七七四年2012/11/08(木) 23:07:51.12ID:RaJAkLSP
信忠が生き延びたとしても明智から逃げただけじゃやはり立場は弱くなる。
それじゃ信孝信雄と変わらない。

84人間七七四年2012/11/09(金) 03:12:50.79ID:SJFr4Vow
>>43
三国志の曹操w

85人間七七四年2012/11/09(金) 07:14:01.41ID:WiWpe2xV
>>79
秀吉以上に信孝の自滅が酷い
何がやりたいのかわからんまま死んだ
秀吉どころか他の織田一門にも嫌われとる

86人間七七四年2012/11/09(金) 09:19:29.37ID:mAf/WuhP
辞世の句もえらい下品な怒り方だし
その辞世の句ですら捏造説があるし

87人間七七四年2012/11/09(金) 12:16:16.90ID:IPkXZ/QA
報いを待てや羽柴筑前!
こんなことしたからにはお前もろくなことにならんぞ

88人間七七四年2012/11/12(月) 22:12:01.12ID:e57b+Mj/
>>85
>他の織田一門にも嫌われとる

誰に何と言われて嫌われていた記録があるの?

89人間七七四年2012/11/14(水) 00:11:25.44ID:YgLqz89Q
信忠が後継に指定されていたのも、おそらく一番マシだったからなんだろうなあ
後々の状況からするとどうも信雄も信孝もダメだったろうし

本能寺本戦よりも二条城での損害が酷いから、おそらくそこまで考えた上での襲撃だったんだろう

90人間七七四年2012/11/25(日) 23:35:40.98ID:2XwBvwz2
>>88
織田有楽斎と織田信包、あとは藤左衛門家の織田信張などは皆信雄の味方
織田家一門で信孝に味方した人間はほとんどいない

>>89
信孝はともかく信雄は余裕で行ける
元々立ち位置わきまえてたし
信孝は武田勝頼の二の舞になって家滅ぼすだろうな

91人間七七四年2012/11/27(火) 21:49:10.16ID:B3gekdQj
信孝は嫌われていたのか

92人間七七四年2012/11/27(火) 21:51:42.28ID:/gAGb3HT
>>91
嫌われていたというより、家康の結城秀康なんかと一緒で、母親の身分が低く、そのため最初から庶流としての
扱いだったようだ。なので信孝がおだけを次ぐなんて、常識的に考えて全くありえない話だった。

93人間七七四年2012/11/27(火) 22:10:36.65ID:CCwSDPR3
確かに織田一門の席次の中で、信孝は明らかに一歩下の扱いだったようだね
信長の弟を挟んで常に四番手として置かれるってことはそうなんだろう

94人間七七四年2012/11/28(水) 13:33:27.73ID:nst73xd7
清州会議後なら信雄・秀吉に勢いがあるのは明らかで、機を見るに敏な保身の巧い者ほどそちらに付く。
信孝・勝家が「嫌われていた」などという好悪の話ではない。

95人間七七四年2012/11/28(水) 13:34:55.76ID:m8rfHk5/
秀吉はともかく信雄なんて完全に忘れ去られていたじゃないか
領地問題で弟にいちゃもんつけられるし完全に舐められてる

96人間七七四年2012/11/28(水) 14:33:25.23ID:2owKRwHq
勝家が明智を伐ってればこんなややこしい事態にはならなかった

97人間七七四年2012/12/01(土) 19:10:04.87ID:T5N+Lmzo
>>83
兵力差は明らかなのだから、一旦逃げるのは恥でも何でもない。
もし信長が明智軍の包囲を破る術があったら、120%一時的に逃げ延びている。
実際、家康は堺から領国へと逃げているのだから、何ら問題ない。

98人間七七四年2012/12/01(土) 20:13:03.77ID:OQM83l9Q
真面目な二代目イメージではあるな
確かに逃げる最中に土民に殺されたら恥だけど、そういう事を考える段階で若いというか治世の武士の発想
メンツもあってここで死ぬって言いはる殿を強制的に連行する部下に恵まれなかったのかな

99人間七七四年2012/12/01(土) 23:48:23.40ID:yksj0suH
明智が事を起こしたのだから逃げ場はない
ならばここで華々しく切り死にする!→死亡

なお包囲は本能寺だけで二条城は割りと手薄で逃げようと思えば逃げられた模様
死因、信忠の思い込み

100人間七七四年2012/12/02(日) 18:01:54.22ID:sAKS4Vze
急速すぎた膨張が招いた結果だろう

101人間七七四年2012/12/05(水) 03:00:53.02ID:bVdX9Pyz
織田家に関することで重要人物である光秀がなぜ出てこないんだ?

102人間七七四年2012/12/12(水) 08:00:43.30ID:PZaT3svq
>>99
包囲がしょぼくてもまわりみんな明智領じゃあな
もともと京は北側全て山で南から軍勢来られるとほぼ逃げ場なくなるし
数少ない西側は明智領丹波、東側は明智領近江坂本

103人間七七四年2013/02/22(金) 01:50:38.48ID:c+Cbvnm2
信孝の母の出自は、商人出の上の兄たちよりずっといいよ
伊勢鹿伏兎氏の庶流坂氏
信雄生母より出自のいい母から生まれた自分が格下扱いされるのが嫌だった可能性もある

104人間七七四年2013/06/11(火) 20:50:40.42ID:Jxxl/jMj
>>98
信忠が自身の能力をわきまえすぎていた

これだとなんか贔屓の引き倒しだなあ

105人間七七四年2013/06/25(火) 11:36:48.67ID:Kz28lOZH
概算で600万石以上も持ってた家が10年後にはただの一大名っていくら何でもどうなのよ
しかも豊臣みたいに明確な意思で潰されたわけでもなく建前上は家臣に尊重されてたわけだろ

106人間七七四年2013/06/25(火) 13:40:55.91ID:OSymjV9p
その600万石の代表であって所有者ではないから

107人間七七四年2013/06/25(火) 15:29:36.73ID:twTFIHmq
別に滅んではいないだろw

108人間七七四年2013/08/06(火) NY:AN:NY.ANID:Tclnp7eu
>>23
1年以上前のレスに返すのもアレだがw
嫡男信康の件とか、清洲同盟時代言い方は悪いが
都合よく利用されたから、心の奥底に色々と溜めてたんだろ

109人間七七四年2013/08/17(土) NY:AN:NY.ANID:lsP3cQhf
財力が他の追随を許さぬくらい隔絶して日本一だったのは事実。
しかし傭兵は細川と筒井が堺で調達してきた鉄砲隊くらいで(武士は槍働きで目立つ功を立てたい)
職業軍人と傭兵なんてもんは存在しない。
装備にしても織田家は本人の努力で調達するもので、前田利家や佐久間信盛など蓄財ケチが織田家では一般的な常識。
なので、その配下のものが本来、利家らが負担しなければならない負担が押付けられる形になった。
これは兵数にも表れ、蓄財のために指揮官級の者がケチるため兵力不足のまま配下が突撃することが一般的。
そのかわり配下の者達には侵略地や占領地では女子供を問わず殺戮し、金・米など生活物質を略奪・強奪が奨励されていた。
この織田のやり方を一国平均・一国亡国と呼んで諸国の国人達や寺社や公家が恐れていた。

指揮するやつはことごとく超馬鹿だが
一兵卒レベルになるとむちゃくちゃ優秀って言う大東亜戦争における大日本帝国の軍隊と同じだな。

110人間七七四年2013/12/08(日) 17:21:22.26ID:dVoVpmBD
織田秀信の場合、
岐阜城が落され捕縛された時に
福島正則が死一等を免じるように嘆願して命拾いしたが、
高野山に幽閉され、5年満ずに22歳で夭折してんだから
家康が死に追いやっているのは明らかだろ。
武徳編年集成に至っては高野山に憂死スとまで書いてるし。

111人間七七四年2013/12/10(火) 00:11:44.82ID:cnXWiFxC
三谷幸喜の『清洲会議』見てきたが、なんだかなぁ〜って感じの駄作。
まず、基本的な時代考証が全然なってない。
信長の敬称は『上様』なのに『お屋形様』って・・・。バカか。

秀吉と勝家が集団で砂浜で駆けっこやってるのも意味不明。無駄なシーンだ。

秀吉が利家に天下狙いの心中を打ち明けるのも有りえない。三谷レベルの小物ならではの発想か。
狡猾な秀吉がそんなに迂闊かよ。

信雄役が妻夫木聡って、ミスキャストも甚だしい。
信雄はデブでだらしない顔だったのだから、伊集院光以外には有り得んだろ。

112人間七七四年2013/12/10(火) 03:54:05.10ID:07CgtR8+
叔母を秀吉に嫁がせて、自らも嬉々として「羽柴中納言秀信」と名乗って、
西軍の主力級の人間だったんだから家康からすれば当然邪魔な存在。
三成や毛利ら西軍主力がポカやらかさなければ一致団結して家康を攻撃していた

113人間七七四年2013/12/10(火) 22:04:44.04ID:zqrfVU9p
Wikipediaの織田秀信の記述詳しすぎだろw
信忠より充実してるw

114人間七七四年2013/12/12(木) 08:27:00.63ID:7NbDdC9k
.       ,、r‐''''''''''''''''ー 、
      ,r'         `' 、
     /             ヽ
.    / ,             ヽ
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、    俺は嫌な思いしてないから
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|     それに織田豊臣徳川らが糞味噌に叩かれようが俺の知った事ではないわ
   l:,;'"`'、,     ‐=・-;  -・=‐ ;〈     だって全員俺が嫌いな連中だし      
.   ';i l :::i;;,, ::'   ` ̄,:     ̄´ .:゙,   大袈裟に言おうがそいつらが無能でもなんとも思わん
    l;゙、',.::l;;;i     ゚人,,__,,人:..   l,   それは俺の頭の中では信玄公こそ戦国最強の存在だから
    l;;;;`‐;;;;;ヽ     , __ij..__ 、:  l;;;,,  つまり日本人なら武田信玄公を崇めるべき
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ    `Zエlフ'´ , !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン" ` ̄´´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
:.:.:.:|  ゙、゙、       `''''''''"",ノ l l  .|  |             菅沼 遼太

115人間七七四年2013/12/17(火) 19:54:17.71ID:zJ2nQ2F5
市が勝家じゃなく秀吉に再嫁してれば織田没落も防げたと思うけどね。
市が傍にいれば秀吉も信孝や信雄にあまり強く出られないだろうし、
もし市が男子を生んだならますます秀吉は市の思うが儘になって
織田からの天下簒奪なんて出来なくなる。
秀吉もそれが解ってたから敢えて市を勝家に譲ったんだと思う。

116人間七七四年2013/12/18(水) 20:11:04.53ID:v8vKD0Nk
>>115
あの程度で簒奪なんてw
奴隷化しすぎw

117人間七七四年2013/12/18(水) 22:25:20.45ID:PdL62WHB
まんま簒奪じゃん。

118人間七七四年2013/12/18(水) 22:27:06.28ID:x+oT/VO/
棚ボタ火事場ドロといった方が即してるかもな

119人間七七四年2013/12/19(木) 21:26:59.03ID:+Btxt4I5
本当に簒奪だったら織田家は跡形もなく消し飛んでるだろう

120人間七七四年2013/12/19(木) 23:49:54.98ID:z2YfSLWH
ほとんど跡形もなくなったじゃん。
信雄秀信は利用されまくって改易
信孝信忠は死亡

121人間七七四年2013/12/20(金) 01:07:12.89ID:6kvLDRMf
光秀討死前にすでに家康も三法師を秀吉同様に擁立する動きを見せるなど
なぜか織田家内ですでに信忠の兄弟ではなく側室腹の三法師を後継にする合意が存在する謎。
秀吉が三法師を廃止し坂本城へ幽閉し事実上織田嫡流家断絶。
木造家の傀儡北畠信雄政権樹立
秀吉の意を執行する家臣を信雄が殺したので信雄にいちゃもんつけて攻め込む
(ちなみに信雄の昇進は朝臣北畠国司と言う名家を継ぐゆえ)
小田原陣後に信雄を出家させた挙句に小姓1人だけしか付き添いを許さず秋田へ追放し傀儡北畠政権滅亡。
秀吉が朝鮮役での大陣容を見せ付けたいがために旧主筋だった出家中の信雄を呼び出し
息子に秀の名を与え羽柴秀雄(幼名三法師)と称させ4万5000石の領地を与える。

秀吉が信雄を追放した時に旧主への優越感から再興させた羽柴秀信13万石と(白紙期間が長く信忠の子と同一人物か全く不明)
秀雄4万5000石は関が原の戦い後に改易(どちらも秀吉により断絶を経験しておりもはや織田は継続性の無い秀吉の遊び道具化)
秀信は高野山からも信長の所業を理由に拒絶され野たれ死に
秀雄は1602年に野たれ死にそうなのを聞いた徳川秀忠の好意により蔵米3000俵を恵んでもらったが栄養失調のため27で死去。
困窮した信雄はどうしようもなくなり大坂城で生活保護を受けることになる。
大坂陣の1614年に家康により買収されて大坂落城後の1615年に7月に大和国宇陀郡、上野国甘楽郡で加増を受け織田家復興。

小幡藩の悪政ぶり
領民たちは織田信就の領土から幕府の直轄領に変えてくれと嘆願するほどで
上野国でもっとも貧しく上毛ならぬ不毛の地と揶揄された。

山県昌景の子孫で甲斐出身の山県大弐は(現在は尊王論者の神として山県神社で祭られている)
織田家の小幡藩で明和事件を引き起こし上野小幡藩主織田信邦
(高家旗本織田信栄の四男・ちなみに信栄に正室はいない)
に蟄居隠居を強要し、高家から普通の旗本に降格とし
官位剥奪の上(2度と従四位下へなれなくなった)鍛冶橋門内の江戸上屋敷も没収。
織田信長の子孫と言うことで認められていた国主格の待遇も廃止。
(信長のおかげで国主格だった・・・これは表向きの理由で実際は信雄4男の信良の長女松孝院が
1623年に将軍徳川秀忠の三男・忠長(不和だった家光により自害に追い込まれる)
と結婚していて徳川の外戚になっていたと言うのが本当の理由で
宇陀崩れや明和事件を契機に国主待遇は廃止された)
小幡藩改易に伴い信栄五男である織田信浮が継いで出羽入りしたが
天明の飢饉の災禍によってボロボロになり
明和事件で失った家格と旧領の回復を願うばかりで失意のうちに死去。
ちなみに信栄の次男の信憑は柏原陣屋の織田信旧養子となっている。
結局、織田の系統は山県昌景の子孫の謀略で
高家旗本から降格させられただの旗本になってしまった信栄系に乗っ取られた。

122人間七七四年2013/12/20(金) 01:08:02.44ID:k4qOstO2
米沢藩 表高 15万石 実高 33万石
上杉氏は実高で水戸徳川家(20位)や越前徳川家(18位)を抜いており石高ベスト20内に入る大藩。
一方、浅井三姉妹との親戚関係だけと言う理由で大名家の家格すら失いながら
お情けで再興を許され命脈を繋げていた乞食の醜態を晒す恥さらし織田陣屋家は?

柏原陣屋      3万石未満    2万石とされる。 
兵庫県丹波市 織田信包系だったが慶安3年に改易し天領。
信雄系の宇陀藩で信武が発狂し宇陀崩れを起こして宇陀藩が改易されたことから
元禄8年に柏原藩が再興され信武の子が入る。
大名ではないので当然に城もなく陣屋。もちろん幕府に遠慮して城を作らなかったわけでもない。
信長以来の名族という理由だけで城主格にしてもらった為に
現代ではここを藩と呼称することもあるが
そもそも藩という言葉自体が明治以降の造語。
年貢軽減愁訴・百姓一揆・打ち壊し騒動が頻発する超絶貧困藩


天童陣屋       1万石未満    2万石とされる。 
山形県天童市 信雄系 「裸足で紅花さしても織田に取られて因果因果」
で有名な奥羽で南部藩と1、2を争うの超絶貧困藩 天保元年に城主格にしてもらう。
上野国小幡藩時代の不祥事で信長以来の名族としての特権を全て剥奪されて出羽へ飛ばされた。


芝村陣屋   1万石未満  9000石とされる。
奈良県桜井市 有楽斎系 百姓が死ぬ覚悟で藩を大批判したいわくつきのキチガイ藩で
藩の借金が銀2693貫と言う途方もない額に膨れ上がる始末。城主格にしてもらう。


柳本陣屋      1万石未満    まったく不明
奈良県天理市 有楽斎系 陣屋
他の織田系と同様に嘉永5年に信長以来の名族ということもあって城主格にしてもらう。
重税の末に武器を持たない百姓の叛乱に対してガチで織田軍が絶滅戦争をした地獄の超絶貧困藩

信雄は秀吉のオモチャにされて 栃木や秋田や愛媛に流罪に次ぐ流罪でしかも小姓1人しか御付人いなかったし
こんなブザマな状態だったのを救ったのは市が懐妊したからだし家康にオモチャにされた時はコジキになって細川や前田らに押しかけ居候して捨て扶持を催促して
親子が食い繋いでただけだしそれでも栄養失調で上の息子3人は早死に追い出され最後はプライド捨てて大坂城で生活保護。
こんなブザマな状況を救ったのはお江が次男駿河大納言徳川忠長との縁組を計画したからだし。
おかげで残った食い扶持減らしで仏門行だった下の息子3人を呼び戻して陣屋主とその家臣にしただけ。
それでも家光に忠長が遠ざけられると 織田家への待遇も地に堕ちたしな。

123人間七七四年2013/12/20(金) 02:09:39.05ID:JYxQpwXS
跡形もなくなってないじゃん
織田一門が滅亡したわけでもなければ、無一文になったわけでもない
跡形もなくなったってのは、一族ほとんど殺されたり、まともな領地貰えずに誰からも庇護してもらえないくらいはないと
まあどこの誰とは言わないけどさw

124人間七七四年2013/12/20(金) 02:15:26.80ID:MzKiyx90
上杉は藩として存続したけど
織田は武田とおんなじで高家じゃねーかw
実質滅亡してんだよ。

しかし上杉は30万石を維持したのに較べて
織田は旧主だからと、朝鮮出兵陣の壮大さを
見せびらかせたい秀吉に家を再興してもらって
滅亡からおこぼれ復興させてもらっただけの
大名ですらなく、コジキ衰微高家だもんなぁ。
織田信雄系→2700石
織田信高系→2000石
織田信貞系→700石
もう、目も当てられないわ。

125人間七七四年2013/12/20(金) 02:18:50.32ID:k4qOstO2
信長の嫡孫は野垂れ死んだじゃん。
嫡子系以外を持ち出したら後北条は氏規の孫の氏盛が、
後北条本家とは縁もゆかりもない河内国で狭山陣屋1万石で継続したから、
後北条は滅亡してないと見苦しく強弁することと変わらん。
なぜ織田好きは織田だけは特別扱いの例外と妄想するんだ?気持ち悪い。

126人間七七四年2013/12/20(金) 02:25:23.09ID:mbG1ZnRp
2つIP使ってまで必死の弁明してるけど何か嫌なことでもあったのかい菅沼遼太君?
ああもしかして、武田信玄の弟や息子や孫が大嫌いな織田にぶっ殺さまくって
日本の地すら踏ませなかった劣悪環境に武田の子孫を置いた三英傑が許せないのかな?w


秀吉政権下の織田

織田秀雄:敦賀4万石
織田秀信:美濃12万石
織田信包:丹波柏原3万石  計19万石

家康政権下の織田

織田信雄:大和宇陀5万石
織田信包:丹波柏原3万石
織田長益:美濃野村4万石 計12万石

こういうところだけ上杉を出すあたりがわかりやすいけど、上杉当主はその後どうなりましたか?

127人間七七四年2013/12/21(土) 07:02:30.98ID:IeewGBka
馬鹿?
上杉の名前と織田の名前を同格に扱ってどうすんだ?
大名として残った上杉なんて謙信を輩出した長尾の血統じゃないだろ。
織田なんて家が残ってるだけでもたいしたもんだ

128人間七七四年2013/12/21(土) 10:00:55.91ID:4hHbcmoh
当初の戦国時代からずっと大名で存続できた家はほとんどないからな
例外的に東北はあまり覇権争いしてないこともあってかなりの家が江戸時代まで生き残っているが
四国や畿内、中部あたりは激戦区でほとんどの大名家が滅亡し再興を見ずに家名失墜してるしな。

129人間七七四年2013/12/22(日) 08:23:36.74ID:pMq+cn5X
信雄は秀吉に改易させられた時、小姓1人しか付いていくことを許されず
強制出家の上で流罪にされた時に官位も剥奪されてる。
秀吉が朝鮮陣での大軍勢を見せびらかして旧主家への優越感に浸るために
嫡男に秀を与えられて秀雄に与えるということで再興を許されたが
関が原で家康により、また信雄親子は改易される始末。
2度も改易されたアホの信雄w
しまいには大坂城で生活保護の身分にまで零落して
大坂陣を前に、武功ではなく大坂から逃亡したと言う
しょーもない功で大坂陣終結の翌年に家康に再興を許されたアホ。
徳川秀忠の三男・忠長と、信雄の孫娘が婚姻してたが
1631年前後になり秀忠が体調不良になり家光により忠長が圧迫されるようになると
早くも冷遇されたバカ藩。
結局、織田の系統は山県昌景の子孫の謀略で
高家旗本から降格させられただの旗本になってしまった信栄系に乗っ取られた。

米沢藩 表高 15万石 実高 33万石
実高で水戸徳川家(20位)や越前徳川家(18位)を抜いており石高ベスト20内に入る大藩。
柏原陣屋      3万石未満    2万石とされる。 
兵庫県丹波市 織田信包系だったが慶安3年に改易し天領。
信雄系の宇陀藩で信武が発狂し宇陀崩れを起こして宇陀藩が改易されたことから
元禄8年に柏原藩が再興され信武の子が入る。
大名ではないので当然に城もなく陣屋。もちろん幕府に遠慮して城を作らなかったわけでもない。
信長以来の名族という理由だけで城主格にしてもらった為に
現代ではここを藩と呼称することもあるが
そもそも藩という言葉自体が明治以降の造語。
年貢軽減愁訴・百姓一揆・打ち壊し騒動が頻発する超絶貧困藩
天童陣屋       1万石未満    2万石とされる。 
山形県天童市 信雄系 「裸足で紅花さしても織田に取られて因果因果」
で有名な奥羽で南部藩と1、2を争うの超絶貧困藩 天保元年に城主格にしてもらう。
上野国小幡藩時代の不祥事で信長以来の名族としての特権を全て剥奪されて出羽へ飛ばされた。
芝村陣屋   1万石未満  9000石とされる。
奈良県桜井市 有楽斎系 百姓が死ぬ覚悟で藩を大批判したいわくつきのキチガイ藩で
藩の借金が銀2693貫と言う途方もない額に膨れ上がる始末。城主格にしてもらう。
柳本陣屋      1万石未満    まったく不明
奈良県天理市 有楽斎系 陣屋
他の織田系と同様に嘉永5年に信長以来の名族ということもあって城主格にしてもらう。
重税の末に武器を持たない百姓の叛乱に対してガチで織田軍が絶滅戦争をした地獄の超絶貧困藩

遠い江戸への参勤交代あるし、織田は相当に貧困だったろうね。

130人間七七四年2013/12/22(日) 08:25:32.63ID:pMq+cn5X
光秀討死前にすでに家康も三法師を秀吉同様に擁立する動きを見せるなど
なぜか織田家内ですでに信忠の兄弟ではなく側室腹の三法師を後継にする合意が存在する謎。
秀吉が三法師を廃止し坂本城へ幽閉し事実上織田嫡流家断絶。
木造家の傀儡北畠信雄政権樹立
秀吉の意を執行する家臣を信雄が殺したので信雄に無理矢理いちゃもんつけて攻め込む
(ちなみに信雄の昇進は朝臣北畠国司と言う名家を継ぐゆえ)
小田原陣後に信雄を出家させた挙句に小姓1人だけしか付き添いを許さず秋田へ追放し傀儡北畠政権滅亡。
秀吉が朝鮮役での大陣容を見せ付けたいがために旧主筋だった出家中の信雄を呼び出し
息子に秀の名を与え羽柴秀雄(幼名三法師)と称させ4万5000石の領地を与える。

秀吉が信雄を追放した時に旧主への優越感から再興させた羽柴秀信13万石と(白紙期間が長く信忠の子と同一人物か全く不明)
秀雄4万5000石は関が原の戦い後に改易(どちらも秀吉により断絶を経験しておりもはや織田は継続性の無い秀吉の遊び道具化)
秀信は高野山からも信長の所業を理由に拒絶され野たれ死に
秀雄は1602年に野たれ死にそうなのを聞いた徳川秀忠の好意により蔵米3000俵を恵んでもらったが栄養失調のため27で死去。
困窮した信雄はどうしようもなくなり大坂城で生活保護を受けることになる。
大坂陣の1614年に家康により買収されて大坂落城後の1615年に7月に大和国宇陀郡、上野国甘楽郡で加増を受け織田家復興。

小幡藩の悪政ぶり
領民たちは織田信就の領土から幕府の直轄領に変えてくれと嘆願するほどで
上野国でもっとも貧しく上毛ならぬ不毛の地と揶揄された。
これですら、天童藩に較べればまだマシだったのだからお笑いであるwww
この時代に将軍お膝元の関東で貧困地獄だったのは織田だけと言うスペシャルぶり。

131人間七七四年2013/12/22(日) 08:26:37.45ID:URu6rsW8
直系などとアホなことを持ち出す低脳織田厨・・・
純血主義など日本には存在しない。先祖を祀り家を存続させるために養子を入れるのは
古来から盛んであり、先祖を祀れなくなることが不孝不忠とされた。
そして現在まで続く高家旗本武田家は武田信玄から数えて第16代(信玄次男の武田竜芳系を継ぐ家)として
武田神社崇敬会総裁(山梨県甲斐の国大使でもある)を勤めている。

純血主義などを持ち出した場合の卑しい織田家は下記。

文明14年7/13に清洲城で日蓮宗と六条門徒の宗論に奉行として
立会い連署証文を発給した中に登場する織田良信?=西巌と同一人物???→信貞→信秀→信長
つまり信長の曽祖父からして、すでに遡れない怪しい家系が弾正忠家。
織田全体でみても劔神社の神官(忌部氏?)と本当につながりがあるかまったく不明だし
もともと斯波氏の元で尾張守護代を勤めていたのは甲斐氏だし
1393年6/17付け書状の藤原信昌・将広親子が劔神社の修理興行に勤めて課役免除した書状から、
劔神社との関わりから織田家かも?と妄想を膨らませ
「将」とは斯波義将の偏諱なので、織田家は斯波氏に仕えてた事実から
これが織田家の先祖に違いないと願望を持ち出すキチガイっぷりw
しかしそうなると織田は忌部氏でなく藤原氏だとするトンデモ論に変更を余儀なくされる。
だがこの妄言には落とし穴があり1392年の斯波氏の相国寺供養の随伴名簿に織田氏が存在してないため、
そもそもこの時点では織田氏はいまだ斯波氏の被官ですらなかったのではと指摘され反論不能に。
つまりどこの馬の骨かさっぱりわからんのが織田氏。どう考えても比較的新しい家であり歴史伝統など皆無。
これが名家名門の純血主義思想から来るクソ織田の血統。

132人間七七四年2013/12/22(日) 11:39:09.94ID:1plKlFEO
どこの馬の骨かもわからない織田を誰もが認知する家に押し立てた信長
一方甲斐源氏という天皇子孫で屈指の名門である武田を衰退させたのが信玄勝頼

大体赤の他人の養子が実家の先祖ではなく養子先の先祖を祀るなんてレアケースにもほどがある
武田子孫の末裔も大半が信玄の血を引いておらずほとんどが武田と全く関係のない家
しかも武田旧温会は武田信玄だけではなく柳沢吉保にも「公」の字を当てており
これは現武田当主であり武田旧温会最高顧問の「武田邦信」の先祖が柳沢吉保だから。

つまり武田子孫は完全に「柳沢」の家系に家を乗っ取られた存在。
柳沢の先祖供養をするために武田を形式上ダシに使われているだけw
これでどうやって武田の先祖を祀るのか理解不能w

133人間七七四年2013/12/22(日) 12:55:11.25ID:1RFhliqs
>>132
>武田信玄の血を
「武田」にとって信玄の血自体はどうでも良いだろw
甲斐源氏の嫡流は安芸に一度は移ったんだしw

織田と武田を同列に語れる時点でいかに信玄勝頼が無能で
信秀信長バカトリオが有能だったかがわかるだろ

134人間七七四年2013/12/22(日) 13:49:29.06ID:WqeRRP6y
武田に対して柳沢云々と批判しているようだが、
唯一、何とかつなげてきた信雄系天童藩も相馬家に乗っ取られてる事実はどうなるんだw

135人間七七四年2013/12/22(日) 13:55:49.56ID:rvcShwbp
天童藩が相馬の血筋になったのは1901年の後なんだが
その頃に藩ってあったのか?w
しかもその理屈だと大和柳本系を織田信雄の血筋が乗っ取り
現代まで男系子孫直結で繋がってるわけだが・・・

136人間七七四年2013/12/22(日) 14:03:41.54ID:rvcShwbp
ちなみに付け加えておくと、織田家天童藩系当主は
相馬系の織田信恒が相続しているが、これは先々代の織田信学が
相馬の血を引いていることに由来する。
そして例の人が発狂しそうだが、この織田信恒の嫁さんが信雄子孫である織田信敏の娘だ
そして現在はその2人の子供である織田信正が当主扱い。
・・・まあこれ以上は言わなくてもわかるだろうw

137人間七七四年2013/12/22(日) 14:05:29.81ID:rvcShwbp
あ、現在は織田信正の弟の織田信昭か。大して変わらんけど

138人間七七四年2013/12/22(日) 17:01:22.84ID:JZFBrGQj
カンタンな話、天童藩知事家はもうほぼ相馬家に乗っ取られたってことだろ。
言い訳は、何とか女系で織田の血がってるって慰めてるに過ぎなくてさ。
織田信学と相馬娘の子である織田信敏
織田50%相馬50%

織田信敏と松前娘の子である織田栄子
織田25%相馬25%松前50%
栄子に養子をもらう事になり、
祖母の実家相馬から婿信恒入り
相馬50%戸田50%

その子は織田12.5%相馬37.5%松前25%戸田25%
女系織田って言っても、戸田や松前より薄いし、
祖母の実家である相馬の意向が反映するだけだろ。
ほとんど織田じゃないね。

139人間七七四年2013/12/22(日) 18:03:21.92ID:rvcShwbp
柳本系は男系全て織田だから50%以上あるし
相馬系で12.5%織田なら十分に織田だろw
少なくとも血縁0%で全く入っていない武田と同列に語ることはできないし
素直に「天童藩以外の織田が存続しているなんて知りませんでした」っていえばいいじゃんw
>>134の口ぶりからして失念してたんだろ?w

140人間七七四年2013/12/22(日) 23:35:14.30ID:WP0D/V6h
柳本陣屋って1万石未満じゃんwww
しかも有楽斎の血筋から天童が本家の信雄系に乗っ取られて有楽系は断絶してるし。
そんなゴミを持ち出して必死過ぎワロタw

141人間七七四年2013/12/23(月) 04:45:18.42ID:ReJgyJnw
信雄系の話をしてるのに有楽系が断絶したとか言われてもな
つうか織田は近代現代に直系子孫を送り出してるのが全て信雄系だし
ついでに言うと武田は何万石でしたっけ?www
直系子孫いましたっけ?www
柳沢に乗っ取られて金儲けの道具にされている武田w

142人間七七四年2013/12/23(月) 10:45:31.89ID:nil7TAS9
嫡孫織田秀信が野垂れ死んだ後の織田は、
秀吉や家康から改易を喰らった北畠信雄の天童が実質本家扱いだろ。
なんだよ相馬に乗っ取られてんじゃんwww

143人間七七四年2013/12/23(月) 13:17:13.00ID:StlloG33
相変わらず織田厨がボコられてて胸がすっとした ありがとう先生方

144人間七七四年2013/12/23(月) 14:20:24.56ID:LJmHV+Da
織田嫡孫家滅亡後は、
人気取りの下心で明治政府が指名しての建勲社が天童藩邸と天童に作られたから、
やはり伊勢国司北畠氏後裔が織田の保護をしているんだろうねぇ。
信包や有楽の家は
絶えて北畠信雄の後裔に簒奪されているし。
最も、城のない陣屋だから、
後北条滅亡後に河内国で狭山1万石で北条氏規の家系が生きながらえたとは言え、
それを以って小田原北条は滅亡していない!とは誰も強弁しないわけで、
やはり嫡孫秀信死亡で社会的には織田は滅亡してんだよ。
織田厨は結局、屁理屈をたれているに過ぎないんだな。

145人間七七四年2013/12/23(月) 14:56:56.56ID:ReJgyJnw
プププ織田秀信が嫡孫だってWikiでも見て学習してるのかなだがチョンはw
日本国で「嫡男」と言えば一般的には正室の子供を指し、
側室の子供なら「前当主による『後継者』認定」を貰わなきゃいけないのに
織田秀信はそのいずれの手段も経ておらず
暫定的に当主にされただけにすぎない「庶子」なのもわからないだがチョンw
事実、信孝や柴田が好き勝手した後は秀吉丹羽池田家康の手で織田信雄が代理当主にされるありさまw
これは織田秀信が「正統なる嫡男」であるなら全くもってあり得ない話で
いかに織田秀信が暫定的に選ばれた立場の弱い当主であるかを証明している
しかも織田秀信はその後で「羽柴」の姓を使い始め豊臣一門としての立場を強める。

織田の嫡流なんて二条城で織田信忠が死んだ時点で既に断絶しているのも知らない教養不足のだがチョンw
別に嫡流が存在しなくても家は継げるんだがなw
後小田原北条が滅亡したなんて発言しているがソースはどこだ?まさかWikiなんて言わないよな?w
滅亡ってのは一族のほとんどを殺されて領地もなくなった武田のようなことをいうんだぞw

菅沼遼太は武田のことになるとムキになってすぐ自演するが、そんな暇があったらもっと教養を磨くべきだなw

146人間七七四年2013/12/23(月) 15:06:50.00ID:ReJgyJnw
織田信雄(織田信良、織田高長)、織田長益、織田信包と3系統も大名家を輩出させた織田とは異なり
武田は甲州征伐で一族のほとんどを皆殺しにされた挙句一族の再興すら許されなかった超冷遇を受けている

織田北条上杉と多くの有力大名が衰退しつつも家を残す中武田の子孫で信玄の孫でもある武田信道は
伊豆大島へ追放されてしまい、この事を武田子孫末裔(と言っても、信玄の血筋を継ぐ人間はいないがw)が集まる
武田旧温会では、「ぬれ衣により伊豆大島へ配流」との見解を出しており、明らかに徳川家康を恨んでいて、さらに
助けてくれた柳沢吉保に対し「武田信玄」を中心に使われる「公」の字を柳沢吉保にも冠するという状態。

もとの血筋だけ見れば織田豊臣徳川上杉北条なんてゴミみたいに見える、清和天皇の子孫甲斐源氏の血筋を
その辺の乞食や素浪人レベルにまで落とし込んだ武田信玄や勝頼に対する恨みは深かったんだろうねw
事実武田旧温会で勝頼は信玄の息子にも拘らず「公」の字をつけられていないし、当時でも不甲斐ない先祖を恨みまくっていたのが容易に想像できる。
なんせ柳沢に家を明け渡して武田の血筋を断ってまで家を存続させているくらいだしなw

暗に信玄勝頼の血を拒否って柳沢を持ち上げているのが現代の武田なのに
それにすら気づかず正当な直系子孫でつなげてきた織田に文句を垂れる菅沼遼太w
あるいは気づいてるから文句を垂れるんだろうかw

147人間七七四年2013/12/23(月) 15:11:40.43ID:MtnD7uR7
名門出身の守護大名なんて皆衰退期に入ってて次々新興勢力によって倒されてる時代に
元の血筋とか何の価値もねーよ
腐敗した家臣構成を抱えて崩壊した両上杉がいい例じゃねぇか

148人間七七四年2013/12/23(月) 15:12:56.37ID:U0mFC2gL
守護が下克上されないように守りねく難易度の高さは異常
守護大名は家臣の専横と傀儡化した大名の権力といった腐りきった権力構造抱えてたからな
新興勢力は逆に子飼いの家臣や自分が好きで登用できるような連中一杯持てた時点で有利さが全然違う。
両上杉と北条、大内尼子と毛利なんかがいい例

149人間七七四年2013/12/23(月) 15:13:50.56ID:5XDD4BBP
厳密に言うと在京守護である武田信虎とかは
家臣の掌握なんてまったくできてなかったからね。
しかも在京生活費を甲斐から搾取してるだけだから恨みすら買ってた。
同じ在京守護でも越後守護上杉房定などは在京を止めて越後へ帰国し
守護代長尾邦景・実景父子を攻め、邦景は自害させ守護権力を回復させ、
息子の上杉顕定を関東管領にし事実上の関東王状態になってるからね。
守護でも現地に滞在してるタイプはまだマシ。
ではなぜ、守護が在京を止めたのかと言うと、これは室町幕府が全国支配を放棄したから。
幕府は公田段銭賦課方式を止めて、一国ごとに百貫を賦課する一国百貫賦課方式へ変更。
これは百貫さえ幕府に納めれば、あとはいらないから好きにしろというもので、
守護による一国支配の可能性を開いたものだった。そこで守護は在京を止めて
権益確保のために任国へ下向する者が現れていった。
そして実質的な支配をして税をネコババしていた
守護代と国人の癒着の関係から現地対立が生まれていく。
上杉房定は速攻で守護代を排除して守護による支配を確立。

在京守護やってたら尼子や武田がやりたい放題荒らし回って、在京打ち切りするハメになった大内義興。
三管領の一人として在京やってた斯波氏も畿内と任国との距離が遠かったので速攻で崩壊。
と言うか斯波氏は行政府自体を任国に作ってすらいなかった。
尾張は織田、越前は朝倉、遠江は今川にやりたい放題され、
最後は今川氏親に斯波義達が捕虜にされ、事実上崩壊。
斯波には公銭方や段銭方と言った任国の守護行政府が存在しなかった為、
簡単に下克上が出来て国が盗めた。
国人たちが重視する家格の差もあって守護代が守護権力を凌ぐことが出来ず、
守護代などが下克上に失敗敗北する長尾為景や斎藤道三や近江国人連合や長尾景春といった東国でよくあった、
いくら家格を上げようと必死になっても結局、権威で守護行政府を上回れず、下克上に失敗することによる困難に直面することが織田や朝倉には無かった。
言わば管領家の守護代が、家格をあげる努力をせずに割と簡単に主を傀儡に出来ることは特質だろう。
畿内近くに任国があるものでさえ、細川には三好、畠山には遊佐などいずれも家格上げ努力などしておらず明らかである。

150人間七七四年2013/12/23(月) 15:14:21.32ID:PXXsKO6C
なるほどね〜武田晴信や長尾景虎のスタートのキツさは壮絶を極めてるなあ。

151人間七七四年2013/12/23(月) 15:19:10.71ID:TcTFP/d8
日本は中国や朝鮮みたいに血縁重視じゃないし。
先祖を祀る為に家を絶やさないように養子を取るのは当たり前。
それは日本が一夫多妻制の文化にあまり積極的じゃなかったことにより、
不妊妻と娶ったリスク管理でもあり、
愚藩主を家臣団が押し込めて、養子に継がせることも可能だったように、
あくまで家の存続を重視した藩コミュニティの生存戦略でもある。

152人間七七四年2013/12/23(月) 15:20:34.25ID:TcTFP/d8
中国人や朝鮮人は先祖代々の家系図を必ず持つ程、血縁重視主義。
しかし日本人は三代前の先祖の名前すら知らない程で養子でも何でも良いから家の存続を重視なんだよ。
朝鮮人が先祖を貴族階級に捏造するのも家系図重視してるから。
だから苗字も似たようなものばかりになる。
日本人の苗字にバラエティがあるのも血縁重視じゃないから。
とにかく先祖を供養する為に養子を取るのが重視されるのが日本人。
家系図重視=血縁重視だぞ。
朝鮮人なんて庶民レベルで家系図を持ってるし
庶民レベルで両班貴族の先祖にしてしまう家系図改竄屋商売が成立してるほど。
それはなぜかといえば、血縁先祖が誰につながっているか
これで現在進行形で差別が生まれるから。だから苗字も大族のものばかりになる。
ここまでしないと差別されるほど血縁社会であり男尊コネ社会。
それというのも儒教によって家系図を常に作り血縁先祖崇拝・大家族家長主義・身内しか信用しない社会が肯定されているから。
しかし日本人は家格が高い家くらいしか家系図を作らなかったし、戦国大名など下克上組も先祖なんてほとんど不明な者だらけ。
現代でも、自分の祖父の名前がかろうじて知ってるレベルが一般庶民で、先祖の由緒なんてはっきり言って日本人は関心を持たない。
ただ死んだら自分を供養してもらいたいと言う願望があるので、家を絶やすことが不孝とされ、養子斡旋業者も戦前まではいた。
そして名門の家を絶やして、先祖を供養する者がいなくなった家を復興させたり、絶えそうな名門家を絶やさないように配慮するのが
為政者の徳や度量と言う意識があり、養子として家のを継ぎ復興をしていたのが信玄だし
秀吉がやった御伽衆だし、家康がやった高家認定だし、家の重代の家宝の相続をした者であれば血縁が無くても構わず、正式に認めるのが日本人。
後宮システムや一夫多妻制に消極的である時点で、日本人が血族重視ではないのがわかる。
本気で血族重視の男尊社会なら、是が非でも男児を欲しがり、
数十人の妾を侍らせるし、双子だろうと関係なく、血縁を残す確率から厚遇される。
しかし日本は双子兄弟と言うのは忌むべきものとして、歴史の表舞台から消されるし、
決して子種が多くない家族ですら、せっかくの兄弟を仏門に入れてしまうケースも多い
これは、家族の中で誰か一人が仏門に入れば、先祖や家族が供養されるとする考えがあったからで
血族男子が生まれる可能性よりも、先祖が供養されることを重視したからに他ならない。

153人間七七四年2013/12/23(月) 15:21:43.30ID:TcTFP/d8
関東管領山内上杉が家臣筋の長尾に家督相続させたり、
伊勢氏が北条を名乗ったり、
血縁無視しているのは朝鮮人だからなのか?
世間的に受け入れられているのは朝鮮人だらけだからなのか?
そうじゃないだろ。日本人は血縁ではなく、家を重視し、別人が住む土地の元領主の名を継ぐなんて事もやってる。
本気で血縁重視なら、最も家康嫡男に近い血の者を将軍にするはずだが、
そんなことを気にしてないどころか、
時を経ると遠い者を将軍にしたりしてるのは、
日本人が曽祖父の名前すら知らないのと同様に、
親子の情がせいぜい三代までなのが現れてる。
大名や藩など公的組織となると、家臣の存続にも関わるので、
家の存続のために血縁にこだわっていられないから。
そして妾、側室の文化が容認されずらかったのは女系社会だったからだ。
男尊女卑ではなかったから、女性大名もいたし、立花宗茂みたいな血縁外への相続も可能だし、
龍造寺から鍋島への相続も可能。

154人間七七四年2013/12/23(月) 15:21:46.67ID:+6l7mJEQ
現代の織田家子孫に伊勢国司北畠の血筋は一滴も入ってないしねぇ。
織田信雄の著名な息子のうち、北畠氏出身の母親を持つ息子は2人いるが
この2人(織田秀雄も織田信良)が起こした2家は江戸時代初期に早々に滅亡しちゃったもんなぁ
結果織田家の子孫は織田信雄の息子の織田高長系に完全に絞られてしまい
しかもこの高長は母親が北畠ではないという状況だから北畠は名実ともに過去のものになっちゃった。

もとの血筋がないのに、敬われてもご先祖様は嬉しくないもんなぁ
赤の他人と言っていい適当な庶民が、政治家お大尽の先祖を祀ったところで
どこの馬の骨が祀ってるんじゃと不信感をあらわにするだけだし
ましてや武田のような先祖が華々しく高貴な家柄では当然自負や矜持も強いわなぁ
天皇に準じかねない家格の武田が、まさかポット出の幕臣に乗っ取られるとは
武田開祖の武田信義も思いもしなかっただろうなぁ。草葉の陰で泣いてるわ

155人間七七四年2013/12/23(月) 15:29:02.39ID:U0mFC2gL
子孫を誇るなら完全に後継がはっきりし、 従三位武田家十六世当主武田邦信は
代表取締役兼国連UNHCR協会の役員で山梨観光大使に正式任命されてる武田家の方が明らかに勝ち組じゃねぇかよ。
米沢藩上杉家の16代当主上杉邦憲は宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部教授だし。
現在の織田の後継って誰だよ?まったくきまってない曖昧なままじゃん。あぁ?完全に負け組じゃんよw
織田家も現在で繋がっているのは女系のみだな。男系は明治維新まで直系で繋がっているが
それ以降は相馬家の人間が継いでいる。女系を経て繋がっているのは有楽系の傍流

公称で3万石となってた熊本藩の分枝の宇土陣屋の細川行芬の三男を迎えて
1836年に丹波柏原藩第8代の織田信敬www 細川本家じゃなくて貧乏陣屋同士www
柏原藩の重臣は織田家の血を引く鶴姫に再度婿養子を迎えることを考えてたが、鶴姫に拒絶されてるしwww
やむなくまた養子に迎えた黒田長元の四男の織田信民は福岡藩の分枝の公称5万石の秋月陣屋からの養子www
織田信雄系直系子孫からしてこんなぼろぼろの家系じゃん。

ただの茶道の先生の長功って柳本陣屋1万石の末裔だろ。
そもそも有楽の家系を信雄の家系が乗っ取った下克上事件だし誇れるもんじゃないだろ…
ただの茶道のおっさんだから、有楽流の後継である長益の茶説もまとめた貞置流すら名乗れないんだろ。

現代に織田なんて嫡孫家すらいないのが事実。 いるのは、ただの親族家だけ。 だから織田に〜代目当主なんて存在はいない。
上杉も武田もいまも領民に慕われてるけど 織田って愛知県民からまったく慕われてないよな。
天童市ともケンカ別れしてるしな。 天童の相続も織田家ではなく、相馬・・・・ 相馬秀胤が朝日新聞に入社して
織田小星となって日刊アサヒグラフで4コマ漫画の正チャンの冒険の原作者になった人だよな。これ有名。
ちなみに相馬秀胤の父は東京府癲狂院に入れられ家督を乗っ取られた疑惑が生まれた相馬事件で有名な人
上杉や武田や伊達同様に相馬も地元で慕われてるしな。 相馬市名誉市民相馬家32代当主相馬恵胤(日本馬主協会連合会第8代会長)
ttp://www.city.soma.fukushima.jp/profil/meiyo.html

156人間七七四年2013/12/23(月) 15:31:54.43ID:+6l7mJEQ
現代の武田旧温会で、武田信玄と同じく現当主の「武田邦信」の先祖である柳沢吉保も
「公」の字を冠されて敬われている時点で、先祖供養なんて武田には存在しないも同然だからねぇ
本来武田にとって柳沢なんて一緒にするのも烏滸がましいくらいの余所者下賤の家なのに
武田と柳沢が同格に置かれているのは現代に生きる自称武田子孫による格付けだからなぁ。

元の武田直系が生きていれば、自分の先祖と余所者が同格なんていうことは
絶対に起こりえないはずなのに、挙句武田は家臣がどうのなんて考える「藩」ですらないし
よっぽど本家武田の血筋が憎くて仕方なかったんだろうなぁ。
現代で言えば安倍晋三の跡継ぎが、赤の他人のサラリーマンのレベルだし
しかも本来武田先祖を祀るはずなのに、柳沢の先祖と金儲けのためだけに存在する会まで作られてるし。

近代に武田の正統は誰だなんて揉めまくったらしいけど、金儲けが中心で先祖供養なぞ二の次なのはこの事実だけでわかりきってる話だなぁ
これで「生存戦略だ」とか「家格を上げるためだ」って言われてもなぁ
武田なんて本来天皇に準ずる家なんだから、幕臣の柳沢なんてむしろ家格下げちゃってるし・・・

157人間七七四年2013/12/23(月) 15:32:26.99ID:TcTFP/d8
また天正壬午の乱の時甲斐に入った家康が真っ先に甲斐の人々に約束したのは
勝頼の菩提寺の建立&恵林寺の再興
強豪である武田旧臣を味方につけたい願望とともに
完全に織田の悪政を完全否定してますね。
信長を否定し、武田を肯定することで
家康は翼が生えた獅子のように強くなった。
武田家の神格化しその擁護を表明したこと。これが天下統一の足掛かりとなった。
武田家臣団が有能だったから徳川家に併合されたからだろ。
織田なんて徳川から羨ましいとも思われず吸収されんどころか、
家光が祖父は浅井長政とか言っちゃうレベルだからなw
井伊の赤備えこそが、徳川の先陣と神君家康公より許されておる!
例え親藩の水戸徳川家であろうと出過ぎた真似は許しませんぞ!
真田の赤備えと井伊の赤備え どれも武田の魂だわな。

信玄が育てあげた武田家臣団は徳川幕府を支える人材として重宝された。
家康が最も可愛がった武田信吉 武田万千代丸
常陸国水戸25万石に封ぜられ、旧穴山家臣を中心とする武田遺臣を付けられて武田氏を再興した。
慶長8年(1603年)9月11日、生来病弱であったらしく、わずか21歳で死去した。
徳川の先陣役譜代筆頭家 実は家康の隠し子? 大政参与 井伊直孝
1603年慶長8年頃? 井伊谷以来の井伊家の家臣は直勝に、武田氏の遺臣などは彦根藩の直孝に配属された
大久保長安 慶長18年(1613年)4月25日、卒中のために死去
武田信正 元和元年(1615年)に伊豆大島に配流され、同島の野増に居を構える。
今信玄と呼ばれ警戒された駿河大納言 徳川忠長
元和2年(1616年)甲府23万8000石を拝領し、甲府藩主となる。
のち信濃の小諸藩も併合されて領地に加えられた。藩主就任に際し、
朝倉宣正や郡内地方を治めていた鳥居成次ら附家老を中心とした家臣団が編成され、
のちに武田遺臣や大久保長安配下の代官衆らがこれに加えられた。
寛永元年(1624年)7月には駿河国と遠江国の一部(掛川藩領)を加増され、駿遠甲の計55万石を領有した。

158人間七七四年2013/12/23(月) 15:41:18.93ID:+6l7mJEQ
真田や保科といった旧武田家臣だけが成長して
本家の武田当主は醜い有様だからなぁ

本来天皇に準ずる家格を持つ武田が
まさか織田徳川みたいな新興勢力に無残な扱いを受けて
しかもその後再興を許されないなんて本来ありえないことだしなぁ
それこそ、その気になれば武田の跡を継ぐのなんて皇族や同じ源氏の佐竹とかでもよかったのに
よりにもよって綱吉時代に頭角を現した超新興勢力の柳沢とはなぁ

もはや皇族も源氏も関係なくて、人間であればだれでもいいってレベルに落ちぶれちゃってるもんなぁ
まあ武田がせっかく日本本土に帰還したというのに、旧武田家臣であるはずの真田や土屋などは一切保護せずに見捨ててたもんなぁ
そんな中で柳沢が手を差し伸べたら、なんでもしてあげたくなるのもやむを得ない話だなぁ
彼らの中では手を差し伸べてくれた柳沢の方が、無様に武田の家名を失墜させた信玄勝頼よりありがたい存在だったんだろう
だから柳沢の人間を迎え入れて武田の血脈を断絶させたんだろうなぁ・・・

159人間七七四年2013/12/23(月) 16:17:10.01ID:SoN30hBV
また悪政織田家による法性院機山信玄公への嫉妬やっかみかよ…相変わらず醜いな。
信玄公が民衆から慕われ、武田神社へ行くのがそんなに羨ましいのかよ。
それから群馬県甘楽郡小幡や山形県天童市の民衆に文句を言えよ。
せめて米沢や仙台くらい織田を民衆は敬えよって。

160人間七七四年2013/12/23(月) 18:05:19.52ID:MtnD7uR7
名門出身の守護大名なんて皆衰退期に入ってて次々新興勢力によって倒されてる時代に
元の血筋とか何の価値もねーよ
腐敗した家臣構成を抱えて崩壊した両上杉がいい例じゃねぇか
守護が下克上されないように守りねく難易度の高さは異常
守護大名は家臣の専横と傀儡化した大名の権力といった腐りきった権力構造抱えてたからな
新興勢力は逆に子飼いの家臣や自分が好きで登用できるような連中一杯持てた時点で有利さが全然違う。
両上杉と北条、大内尼子と毛利なんかがいい例

厳密に言うと在京守護である武田信虎とかは
家臣の掌握なんてまったくできてなかったからね。
しかも在京生活費を甲斐から搾取してるだけだから恨みすら買ってた。
同じ在京守護でも越後守護上杉房定などは在京を止めて越後へ帰国し
守護代長尾邦景・実景父子を攻め、邦景は自害させ守護権力を回復させ、
息子の上杉顕定を関東管領にし事実上の関東王状態になってるからね。
守護でも現地に滞在してるタイプはまだマシ。
ではなぜ、守護が在京を止めたのかと言うと、これは室町幕府が全国支配を放棄したから。
幕府は公田段銭賦課方式を止めて、一国ごとに百貫を賦課する一国百貫賦課方式へ変更。
これは百貫さえ幕府に納めれば、あとはいらないから好きにしろというもので、
守護による一国支配の可能性を開いたものだった。そこで守護は在京を止めて
権益確保のために任国へ下向する者が現れていった。
そして実質的な支配をして税をネコババしていた
守護代と国人の癒着の関係から現地対立が生まれていく。
上杉房定は速攻で守護代を排除して守護による支配を確立。

在京守護やってたら尼子や武田がやりたい放題荒らし回って、在京打ち切りするハメになった大内義興。
三管領の一人として在京やってた斯波氏も畿内と任国との距離が遠かったので速攻で崩壊。
と言うか斯波氏は行政府自体を任国に作ってすらいなかった。
尾張は織田、越前は朝倉、遠江は今川にやりたい放題され、
最後は今川氏親に斯波義達が捕虜にされ、事実上崩壊。
斯波には公銭方や段銭方と言った任国の守護行政府が存在しなかった為、
簡単に下克上が出来て国が盗めた。
国人たちが重視する家格の差もあって守護代が守護権力を凌ぐことが出来ず、
守護代などが下克上に失敗敗北する長尾為景や斎藤道三や近江国人連合や長尾景春といった東国でよくあった、
いくら家格を上げようと必死になっても結局、権威で守護行政府を上回れず、下克上に失敗することによる困難に直面することが織田や朝倉には無かった。
言わば管領家の守護代が、家格をあげる努力をせずに割と簡単に主を傀儡に出来ることは特質だろう。
畿内近くに任国があるものでさえ、細川には三好、畠山には遊佐などいずれも家格上げ努力などしておらず明らかである。

161人間七七四年2013/12/23(月) 18:05:48.08ID:TcTFP/d8
なるほどね〜武田晴信や長尾景虎のスタートのキツさは壮絶を極めてるなあ

162人間七七四年2013/12/23(月) 18:07:23.75ID:U0mFC2gL
日本は中国や朝鮮みたいに血縁重視じゃないし。
先祖を祀る為に家を絶やさないように養子を取るのは当たり前。
それは日本が一夫多妻制の文化にあまり積極的じゃなかったことにより、
不妊妻と娶ったリスク管理でもあり、
愚藩主を家臣団が押し込めて、養子に継がせることも可能だったように、
あくまで家の存続を重視した藩コミュニティの生存戦略でもある。
中国人や朝鮮人は先祖代々の家系図を必ず持つ程、血縁重視主義。
しかし日本人は三代前の先祖の名前すら知らない程で養子でも何でも良いから家の存続を重視なんだよ。
朝鮮人が先祖を貴族階級に捏造するのも家系図重視してるから。
だから苗字も似たようなものばかりになる。
日本人の苗字にバラエティがあるのも血縁重視じゃないから。
とにかく先祖を供養する為に養子を取るのが重視されるのが日本人。
家系図重視=血縁重視だぞ。
朝鮮人なんて庶民レベルで家系図を持ってるし
庶民レベルで両班貴族の先祖にしてしまう家系図改竄屋商売が成立してるほど。
それはなぜかといえば、血縁先祖が誰につながっているか
これで現在進行形で差別が生まれるから。だから苗字も大族のものばかりになる。
ここまでしないと差別されるほど血縁社会であり男尊コネ社会。
それというのも儒教によって家系図を常に作り血縁先祖崇拝・大家族家長主義・身内しか信用しない社会が肯定されているから。
しかし日本人は家格が高い家くらいしか家系図を作らなかったし、戦国大名など下克上組も先祖なんてほとんど不明な者だらけ。
現代でも、自分の祖父の名前がかろうじて知ってるレベルが一般庶民で、先祖の由緒なんてはっきり言って日本人は関心を持たない。
ただ死んだら自分を供養してもらいたいと言う願望があるので、家を絶やすことが不孝とされ、養子斡旋業者も戦前まではいた。
そして名門の家を絶やして、先祖を供養する者がいなくなった家を復興させたり、絶えそうな名門家を絶やさないように配慮するのが
為政者の徳や度量と言う意識があり、養子として家のを継ぎ復興をしていたのが信玄だし
秀吉がやった御伽衆だし、家康がやった高家認定だし、家の重代の家宝の相続をした者であれば血縁が無くても構わず、正式に認めるのが日本人。
後宮システムや一夫多妻制に消極的である時点で、日本人が血族重視ではないのがわかる。
本気で血族重視の男尊社会なら、是が非でも男児を欲しがり、
数十人の妾を侍らせるし、双子だろうと関係なく、血縁を残す確率から厚遇される。
しかし日本は双子兄弟と言うのは忌むべきものとして、歴史の表舞台から消されるし、
決して子種が多くない家族ですら、せっかくの兄弟を仏門に入れてしまうケースも多い
これは、家族の中で誰か一人が仏門に入れば、先祖や家族が供養されるとする考えがあったからで
血族男子が生まれる可能性よりも、先祖が供養されることを重視したからに他ならない。

163人間七七四年2013/12/23(月) 19:03:56.12ID:QtwXluNn
>>159
おいおい北朝鮮かナチドみたいなこと言うなってw
大半の人間が本人のこと知らないのに敬うわけないじゃん
戦国から500年近く経って心の中から先祖を敬えるのは子孫だけだw
それ以外の人間は大半が金儲けだ
稀に某家のように子孫が先祖で金儲けするような場所もあるがなw

164人間七七四年2013/12/23(月) 19:16:29.18ID:QtwXluNn
大体、武田神社なんて武田からすればむしろ恥に近いじゃんよ・・・
武田の子孫と縁のゆかりもない神社の連中が
武田信玄を食い物にして、拝観料をがめつく取って生活しているのが実態で
しかも紅葉が金色になるから「金運」のご利益があるとか、もはや完全に信玄関係ないし
そんなのをドヤ顔で誇るのは、真に信玄を祀り敬わない人間が多い証拠じゃんよ
宗教でも大して信仰心の篤くない人間ほど、派手なパフォーマンスしたり何かを催したりして
敬虔な信者に迷惑をかけるのが世の常じゃんよ・・・

165人間七七四年2013/12/23(月) 20:52:51.31ID:iIwYDsjp
信長のワンマンでやっていたから、信長がいなくては何も動かないんだよ。結局後継者を決めるのも織田の親族ではなくて、
家臣たちが勝手に決めたんだよ。信長が生きていたら家臣たちが主君を決めるのは恐れ多いが、信長がいなくなってしまえ
ば誰も決められないから、家臣たちがのさばってきたんだよ。

166人間七七四年2013/12/23(月) 21:05:44.74ID:KeahNsaH
信長の子孫はスケートでも高転びだもんなぁ 

167人間七七四年2013/12/24(火) 07:05:26.35ID:N8vSqjn8
家系図出せない完全な偽子孫じゃん
織田無道みたいなもんよ

168人間七七四年2013/12/24(火) 11:46:12.22ID:vdjNCM2E
>>159
結局そこなんだよなあ。
住民が現代に至るまで支持してきたかどうかなんだよ。
山形県民にしたって米沢市の上杉への支持の他に、
山形市の最上再評価の動きがあるわけだし。
そういう動きが面白くないから織田厨って執拗に粘着して非難してんだよね。

169人間七七四年2013/12/24(火) 14:07:39.86ID:dZIlgLo+
織田なんて金儲けの手段でしか無いからなあ。
織田を慕う民衆なんていないだろ。
まだ八丈島の秀家の方が慕われてるわ。

170人間七七四年2013/12/24(火) 15:39:11.21ID:N8vSqjn8
織田信長を主神とする建勲神社は明治天皇自ら建立を指示した由緒ある寺で
現代でも境内見学自由、拝観料を取ったりすることなく粛々と信長を祀り上げているんだよね
邪な金儲けを企むことなく、信長を真に祀り上げているのがわかる。

一方武田神社は拝観料を厳しく取り立て、その鬼畜っぷりは年端もいかない小学生からも金を取る有様
まるで信玄様の遺徳に触れられるのだから感謝しろと言わんばかりの高圧的態度
当然そこで取られた拝観料含む資金は武田と何の関係もない神社の連中が使うわけで
こんな金金金と金づくしの状況で武田信玄が崇拝されているとか失笑モノにも程がある
挙句「紅葉が金色になるから『金運』のご利益があるよ」とここでも金
こんな拝金主義の人間ばかりが群がる武田信玄を真から祀る人間なんていないんだろうなぁw
所詮お金になるから形式上奉っているだけなのは、自称子孫の会である武田旧温会でもわかることだし
それを「武田信玄は日本人から敬われている」なんてドヤ顔で言っちゃう菅沼遼太の知能にはもはや憐みすら感じるなぁw

171人間七七四年2013/12/24(火) 15:53:29.59ID:N8vSqjn8
明治以降の近代日本では今までの日本国に対し特に功績があった人間を祀ることが行われていたが、なかでも
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康前田利家上杉謙信という錚々たる人物が国を挙げて祀られる「別格官幣社」に認可され
これは日本で最も著名な神社である「靖国神社」と同格の扱いだからなぁw

一方、武田信玄を祀る武田神社は県社の扱いで、国から大した扱いをされていないんだよねw
しかも武田信玄の場合は、ライバル格とされる上杉謙信が「別格官幣社」と国から大々的に祀られる存在になったこともあり
「武田神社も別格官幣社にしろ」という運動がかなり積極的になされたのに、結局国から「功績がなく認可するに値しない」と突っぱねられているし
さらに創建の時期も大正時代とかなり遅く「知名度の高い英雄は全て祀ったから手頃な奴から行くか」と言わんばかりの数合わせ的存在w

国から大して崇拝されないんだからそりゃ金儲けに走るしかないよなぁ武田はw

172人間七七四年2013/12/24(火) 16:10:48.14ID:yoNVHeNv
行ったことある奴ならわかると思うけど山梨県って本当に何もないからな
富士山ですら静岡が有名だし只々山に囲まれたド田舎というイメージしかない
愛知や東京、大阪京都は他にも主要産業や名所にも恵まれてるけど
山梨県は本当に何もないから武田くらいしかアピールするのがないんじゃね?
なんか韓国の李舜臣と持ち上げられ方が似てるな。希望がほしいんだろうな

173人間七七四年2013/12/24(火) 16:45:24.10ID:nuHfdARU
昇仙峡と湯村温泉は結構良かったけどな
山梨はむしろ観光客には恵まれてるでしょ、南関東から日帰り出来るのは大きい

174人間七七四年2013/12/24(火) 17:31:24.14ID:hD3lwMlD
>>171
官幣社ならまだしも、
別社じゃ何の意味もねぇよw
建武中興十五社と
幕末維新関係の藩主の社と違って、
戦国時代の人物は秀吉以外は全く正統性なんてないじゃんよwww
秀吉だけは明治天皇が大阪行幸において、
自ら秀吉は天下を統一したのに幕府を作らなかった尊皇の功臣として豊国神社再興の布告を出してるし。
織田のあれは天童知事だった織田信敏が必死だっただけじゃんw

175人間七七四年2013/12/24(火) 17:32:06.11ID:hD3lwMlD
>>171
官幣社ならまだしも、
別社じゃ何の意味もねぇよw
建武中興十五社と
幕末維新関係の藩主の社と違って、
戦国時代の人物は秀吉以外は全く正統性なんてないじゃんよwww
秀吉だけは明治天皇が大阪行幸において、
自ら秀吉は天下を統一したのに幕府を作らなかった尊皇の功臣として豊国神社再興の布告を出してるし。
織田のあれは天童知事だった織田信敏が必死だっただけじゃんw

176人間七七四年2013/12/24(火) 17:37:45.73ID:hD3lwMlD
武田神社は明治天皇が山梨に来た時に、信玄ゆかりの社寺保存のために保存金を下賜してくれたわけだが。
それで民衆の浄財が集まり再興の熱意からできてんだよ。
明治天皇と一緒にきた三条実実も信玄夫人三条氏のことを想い太刀を寄進してるし。

177人間七七四年2013/12/24(火) 19:20:51.66ID:s/gBp5N8
菅沼遼太の教養力不足が露呈したなwww

官幣社は大社〜小社に至るまで皇族と国や土地の守り神を祀るための神社であって
国の功臣や英霊を祀るのは別格官幣社扱いなのも知らないとかw
事実靖国神社をはじめ、功臣を祀る神社がほとんどじゃんw

そもそも織田や上杉や毛利が明治天皇から別格官幣社として国から祀られる存在となっていたのに
武田は何をしていたんじゃんよw仮に「別格官幣社」が適当に選別されているのなら
武田も「別格官幣社」にして貰えればよかった話じゃんw
それどころか明治天皇の時代には創建してもらえず、ライバル格の上杉謙信が「別格官幣社」として
国から手厚く祀り上げられているのに嫉妬して「上杉が別格官幣社なら武田も別格官幣社も認定しろ」と
積極的な運動をしたのに、最終的には「功績がないから認めません」と突っぱねられている有様w

結局織田や毛利や上杉、そして豊臣徳川前田とかと違って、信玄は国が祀る英雄にはふさわしくないと認められた証拠じゃんよw
まあ、先祖顕彰もできず「誰が正統な子孫か」なんて醜い内ゲバしていた家に
明治天皇もさすがに呆れ果てたんだろうなw血縁上正当な子孫は存在しないわけだしwww

178人間七七四年2013/12/24(火) 19:29:14.94ID:s/gBp5N8
武田信玄が近代日本で大して敬われなかったのは常識中の常識じゃんよw
近代日本では没後になって功臣や偉人に位階を追贈するのが多かったが
武田信玄が追贈されたのは従三位で、波多野や津軽あたりと同格という有様。
それどころか、同時代の有力勢力である伊達政宗や上杉謙信よりも低く、
正一位を追贈された信長、元就、秀吉とはもはや比較にすらならないじゃんw
結局武田なんてその程度の扱いなんだから誰も敬わなくても決して恥ではないんだぞ
功績ない奴を敬えという方がおかしいのであってなw

179人間七七四年2013/12/24(火) 19:49:17.52ID:s/gBp5N8
大体、自分の言うことを自分で否定したら世話ないじゃんよw

>>174 >>織田のあれは天童知事だった織田信敏が必死だっただけじゃんw

>>131 >>古来から盛んであり、先祖を祀れなくなることが不孝不忠とされた。

まさにこれが「先祖を子孫が祀る」典型的なパターンじゃんw
子孫が先祖をきちんと祀り、ちゃんと家格のある子孫を国が知り、
国がその子孫から先祖父祖を慮って、その父祖先祖の功績や偉業を知り、崇拝畏敬することになるんじゃんよw

上杉も毛利も、直系子孫が生存していて、しかるべき地位を持っていたから、「別格官幣社」という手厚い崇拝、待遇を
得ることができたんであって、直系子孫が存在しない武田が、「別格官幣社」という待遇を受けられないのは当然のことじゃんよw
先祖父祖をきちっと祀ることをせず、利権のために「己が正統な子孫だ」とガメつく揉める奴の先祖なんざ、誰が尊敬するって言うんだね。
しかも直系ですらない赤の他人なんだから、ハナっから結論なんざ出てたといってもおかしくないわけ。

家名を失墜させ、先祖もロクすっぽ祀れない・・・武田信玄が大して祀られないのは、ひとえに子孫や当人達の努力が足らなかったせいだろうなw

180人間七七四年2013/12/24(火) 19:55:29.07ID:HELvinnn
>>179
基地外
上杉の直系子孫って誰の子孫のことだ?

181人間七七四年2013/12/25(水) 06:48:32.60ID:Y1U/ewqr
>>180
藩祖の景勝でしょ
尤も別に子孫がいなくてもいいんだよ
だって秀吉は子孫いないんだし
秀吉くらい万人が認め浸透している真の英雄みたいに功績をガンガン立てていたらいいだけでw
信玄はそれもなかったから不適格だっただけだから、落ち込む必要はないよw

182人間七七四年2013/12/25(水) 10:22:06.93ID:rsfdII22
>>177
あなたはかなりの文盲だね。
官幣社ならまだましだよ。
しかし別社は建武の中興や明治維新の功績など朝廷に忠義を尽くしたことが条件なんだよ。
だから秀吉と違い、上京を焼いて虐殺してまわり、勅命和睦をガン無視した信長なんてもともと別社の資格何てないわけ。
だから天童は織田本家に認められたくて必死こいて別社にしてもらおうとしたし、
朝廷も天皇に歯向かう謀反人信長とするより、
信長も天皇の支配下だったとする歴史観の方が都合がいいからって言う政治的な理由しかない。
元就が祭られたのは明治政府の薩長の力によっていただけで、
大内の方が忠勤を励んでいたのに別社資格無しにされるなど政治的。
武田の場合も家譜がないから、
忠勤の事績を収集してきてないから史料散逸してたことが大きい。
しかし現在では信玄の西上そのものが朝廷への忠勤のために織田を討つ行動だったのが判明してるしなw
今からでも織田の別社は資格なしで剥奪しても良いくらいなんだなwww

183人間七七四年2013/12/25(水) 10:37:07.27ID:LXU+4ZGH
>>178
信長は生前、朝廷の位官を辞し朝廷の枠外に出たために、
朝廷は恐怖し位官につけようと必死だったが、
信長は天皇が退位し、
信長が後見する親王に譲るなら考えると脅迫した挙句に殺されている。
そんな信長が別社を許されたのは織田の天童の土地を提供するからって必死さもさることながら、
実際、秀吉のおかげなんだよな。
秀吉は信長の葬儀を大徳寺でやるにあたり、
朝廷に働きかけて従一位太政大臣の追贈に成功し、
朝廷の功臣として信長の葬る形を整えた。
信孝らはそれに不満だったようだが、
秀吉は謀反人信長をこういうことにして丸め込むことで朝廷の信頼を集めた。
朝廷としても信長を操れていたとした方が都合がいいからね。
平将門みたいな存在を歴史に残すことは、
朝廷存続に危うい未来を残すから。

184人間七七四年2013/12/25(水) 10:59:09.13ID:tmTuCBqk
>>180
織田半島人が基地外なのは、
三河物語の解釈などで、自分の都合によって同じ事象に対する意見が180度変わるところからもわかる。
関東管領山内上杉からして、
越後上杉から養子をもらったりと複雑な上に、
戦国中期には府内長尾上杉や
上田長尾上杉や
幕府高家吉良や
秋月から来た上杉鷹山など、
いろいろな相続の形を取って家の存続を図ってきたのが名門上杉。
鷹山が養子になった時点ではまだ上杉治広は生まれてないしな。

185人間七七四年2013/12/25(水) 11:18:53.81ID:tmTuCBqk
あと別社格に関しては、
信玄が神仏界トップの大僧正になっていた為に、
俗世界における格上げにそれほど熱心では無かったって言う理由がある。
別社みたいに国から予算を貰わずともやっていけるだけの寄付があったからね。

186人間七七四年2013/12/25(水) 23:54:13.79ID:Y1U/ewqr
織田信長が当時から広く慕われ、
明治近代になってからも人々が崇拝していたから
別格官幣社になったわけで
そもそも別格官幣社は戦国の天下人である家康、秀吉と同格だから
恥どころかむしろ名誉なことですらあるし(天下人と同等の扱いを受けているといえる)
逆に武田信玄は誰からも慕われず、子孫すら己の利権のために
「俺が正統な家だ」と別に血がつながっているわけでもないのに揉めまくる無様っぷりを
晒し、功績も全く皆無だから英雄に値せず、ライバル格とする上杉謙信よりも官位が低く、
謙信と同じ「別格官幣社」の地位を与えられず、如何に武田信玄が日本にとってどうでもいい存在だったかを証明しているのを
自演連投までして必死に否定したがる菅沼遼太w

187人間七七四年2013/12/26(木) 09:51:54.16ID:R5qxUMwM
織田信長が当時から広く慕われ、

はっ?ソースは?

188人間七七四年2013/12/26(木) 12:49:53.93ID:hQPdJjUp
慕われていなかった武田が最終的にどうなったか見ればわかるだろw
本来武田の跡を継ぐはずだった武田信玄の次男信親の息子である武田信道に
正統な武田継承権があったにもかかわらず家康の息子が家を継いで早死。
すると家康は信吉が早死したのは武田のせいと考えたのか武田を復興させることはせず、
本来武田を継ぐべきだった信道に武田の家督と当主権を一切引き継がせなかった。
挙句の果てには北条や今川ですら行われた再興を許すどころか、武田旧温会曰く「無実の罪」で伊豆大島へ配流。
これに異議を唱える人間がいないばかりか、60年後に許されて武田信道の息子が帰ってきても誰も見向きもしなかった。
乞食同然に落ちぶれた武田を憐れんだ柳沢がようやく拾ってやったのも束の間、武田家を乗っ取ってしまう

こういうのを、俗に「慕われていない」と言う

189人間七七四年2013/12/26(木) 14:06:33.88ID:UgXRM41w
キチガイに慕われた織田…



織田軍の残虐行為の証拠隠滅行為から逃れるために 
当時の人々が瓦の裏に後世の人々へその犯罪行為を告発しているほど 

「後世の方はどうか語り伝えて下さい。 
5月24日に一揆が起こり、 前田利家が千人を生け捕りにした。 
磔、釜茹で、その有様を書き留めておきます。」 

またフロイスも日本史において 
荒木の謀反の時は、荒木の妻、二人の娘、兄弟、彼女の兄弟姉妹、すべての従兄弟たち、甥、近親ら36人を 
市中引き回しの上、斬首(市中引き回しは名誉を重んじるので死ぬことよりも甚だしい恥辱と不面目を信長は与えた) 
荒木の城から取っていた貴婦人120名は磔(赤子も母の胸に縛りつけて串刺しにして母親を一層苦しめるやり方をした) 
これを見た群集は殺された者が赤の他人であっても肝を潰し幾日も放心状態になる人たちばかりだったほどで、 
このまったく罪なき人々に対して前代未聞の過酷さと残虐に京の群集が恐怖したのもつかの間、 
今度はさらに残酷で非人道的かつ恐怖を比較にならぬほど煽ったのが、 
4つの平屋を作り、そこへ514名が入れられ(380名が女性)外から火をつけられ全員を生きたまま焚殺した。 
彼らが発する悲鳴や叫喚の声は、彼らが受けている残忍極まりない苦しみが、京都を恐怖で覆った。 
このように荒木のみが受けるべき罰を、多数の無実の人々が受けた。 
苦悩の涙と尽きることがない慟哭だけがずっと聞こえてきた。 


これが信長のやり方で、異常な暴君以外のなにものでもなかった。

信長は日本史上、唯一の恐怖と虐殺を礎に王朝を築き上げようとした 
大陸中国人的専制独裁君主なんだよな。 
だから猜疑心が異常に強く、 
行き着いた終着駅はカルト宗教の神になって崇拝を強要し権力だけでなく新たな権威を備えようとした挙句に自滅。 
朝廷も異常なまでに恐怖し、家格も前例も段階も踏まずに一気に位階官職を引き上げようとしてるくらい媚びへつらい朝廷存立の危機感を持ってたが、 
それすらも拒絶して朝廷秩序の枠外に出てしまった日本史上、唯一の暴君。

190人間七七四年2013/12/26(木) 14:50:08.09ID:hQPdJjUp
一揆を起こして殺害されるのは至極当然の話なのにそれを無視する菅沼遼太
現代ですら政府にケンカ売ったテロ組織なんざ殺害されて終わり
武田信玄は勝沼や義信といった自分にケンカ売った人間にも
さぞ慈愛の精神で恩赦したんやろなぁw

191人間七七四年2013/12/26(木) 16:28:35.01ID:pK1jM5Vr
>>190
違うのか?
公開処刑したんだっけか?
死を「与える」なんて穏便だろ

192人間七七四年2013/12/27(金) 08:39:05.85ID:f+9wisLQ
勝沼信元が殺されたのは甲陽軍鑑のネタだって何度も指摘されてんのにお前はアルツハイマー病かよwww
息子殺したのは家康であり、信玄は息子を殺してないのに勘違いすんなとも、
何度も指摘されてきたのにお前はキチガイかよ。
お前こそ一次史料も出さずに誹謗中傷してるだけの低脳じゃんwww
織田チョンはガチで議論する価値すらねーわw

193人間七七四年2013/12/27(金) 19:27:55.83ID:+wRqCXil
菅沼遼太みたいな基地外と議論という名のたたき合いなんて誰も望んでないだろw

194人間七七四年2014/01/15(水) 17:07:35.16ID:ABr7dkE+
確かそのフロイスの書簡で義信は父に殺されたってあったな
否定するなら一次(ry

195人間七七四年2014/01/15(水) 18:46:12.95ID:TPombuGQ
残念ですが、宣教師は甲斐に行ったことはありません。

196人間七七四年2014/01/15(水) 19:59:25.32ID:uOesagrU
それを証明する一次史料は?

197人間七七四年2014/01/15(水) 20:49:51.41ID:TPombuGQ
>>196
お前、新しいタイプの面白い超絶アホだな。

198人間七七四年2014/01/15(水) 21:09:09.71ID:VPAUmUr4
suganuma ryouta

199人間七七四年2014/01/15(水) 21:09:51.77ID:VPAUmUr4
ttedare? yuumeizinn?

200人間七七四年2014/01/16(木) 15:47:11.57ID:sv0Qbucl
清盛が死んで平家がすぐに滅んだのと同じ

201人間七七四年2014/01/18(土) 14:23:16.89ID:nEA1oOzk
信忠が超絶バカだったからなー。
岩村城で苦戦して全く落とせない愚将ぶり。
仕方なく家康がうちの信康を派遣するからって言われて、
信長が信康に落とされたらやべえって佐久間信盛を派遣して、
しかも信盛をうまく活用出来ずに落とせないw
結局、勝頼が自ら岩村城の援軍に出撃したのを知ると、
安全に撤退する為に和睦交渉を岩村城に申し出て、
人質交渉しにきた秋山を騙して奪うという
天下に徳を失う愚人ぶり。
武田征伐でも川尻や滝川の後見無いとダメな無成長ぶり。
森や団らすらまともに統御出来ないバカぶりで、
森らは信忠の命令違反しても、
武功をあげて信長に訴訟すりゃあいいやwって高を括り、
案の定、信忠の指揮が拙いから、
森や団は罰せられるどころか領地を貰い褒賞を受ける始末。
佐久間や滝川や川尻もガッカリした愚人信忠は、
本能寺の変で自爆する最上級のアホ

202人間七七四年2014/01/18(土) 15:58:33.11ID:+d5QFYo+
流石武田を滅ぼした張本人にはこれでもかと罵倒しますなぁ菅沼遼太君w

203人間七七四年2014/01/18(土) 17:23:42.67ID:qMRb0UBo
圧倒的有利な状況になったにもかかわらずあっという間に滅ぼされ
運だけでもってたのがバレて発狂する織田厨w

204人間七七四年2014/01/18(土) 17:36:15.45ID:+d5QFYo+
おや日本語が支離滅裂になってますがどうしたんですかな菅沼君w
ああ失敬、武田は信忠が滅ぼす前に
既に諏訪勝頼によって乗っ取られていたと言いたいんですかな?w
これはこれは失敬なことをしたw
諏訪勝頼は悪くない、悪いのは耄碌したバカ信玄だと
信忠は関係ないよとおっしゃりたいのですなww

205人間七七四年2014/01/18(土) 18:59:10.45ID:qMRb0UBo
信忠はそもそも独り立ちもしてない童貞w
親父の後ろ盾がなければ光秀にぬっ殺される
というかクソ親父の巻き添えでくたばったんだっけか

206人間七七四年2014/01/18(土) 20:33:43.73ID:IIrX9VLJ
童貞がコンプレックスなんですか?

207人間七七四年2014/01/19(日) 03:18:42.75ID:C4Sab8Rk
子供がいるのに童貞とはもしや菅沼は童貞なのか?w

208人間七七四年2014/01/19(日) 05:55:03.22ID:ItjwLKoU
童貞織田厨が発狂してんなw

209人間七七四年2014/01/19(日) 08:20:38.28ID:C4Sab8Rk
>>205 信忠はそもそも独り立ちもしてない童貞w

童貞(どうてい)とは、一般的には性行為を経験していない男性を指す言葉。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E8%B2%9E

→ >>206 童貞がコンプレックスなんですか? (疑問で返す)
→ >>207 子供がいるのに童貞とは(織田秀信、織田秀則)
      もしや菅沼は童貞なのか?w (疑問で返す)

→ >>208 童貞織田厨が発狂してんなw (誤魔化しの煽り)

ここからわかる菅沼遼太

・実は童貞が何を指すのかわからなかった(=日本語が拙い)
・うっかり罵倒するのに童貞という言葉を使ってしまった(=菅沼遼太童貞説)

どっちに転んでもダメだなぁ・・・

210人間七七四年2014/01/19(日) 09:03:24.93ID:q462d3g3
屁理屈だけはいきがいいな 織田厨

211人間七七四年2014/01/19(日) 09:08:22.12ID:NJWQGq0j
勝頼の死と信長の死が三ヶ月くらいの差しか無いんだから五十歩百歩で大して変わらんじゃんw
むしろ自分の部下の家臣に火刑で生きたまま焼かれて炙り殺される末路に比べたら、
勝頼みたいに自刃した方が名誉が守られて良いわな。

212人間七七四年2014/01/19(日) 10:45:56.09ID:1oRBC+KJ
名誉守れてないじゃん
日本でも超がつく名門甲斐源氏が
江戸時代にはロクスッポ再興されず
最終的には柳沢みたいなコバンザメに乗っ取りくらって血脈滅亡
日本の皇族に連なる人間がその辺の下級武士の出に家を乗っ取られる前代未聞の出来事の
引き金になったのは無能信玄勝頼が信長家康に敵対していたからだしw

213人間七七四年2014/01/19(日) 10:49:14.62ID:1oRBC+KJ
菅沼は鷺と鷲の区別もつかない低学歴だし
アマゾンレビューで中学生のテキストを
買っていたくらいだから
まともに高校出ていたかも怪しい
恐らく>>205では童と言いたかったんだろうな
頭に血が上りすぎて
童貞であることを吐露してしまったんだろう

214人間七七四年2014/01/19(日) 16:52:09.82ID:GXQXae7s
ノブオは大阪の陣の総大将に推挙されたんだけど
引き受けると見せかけて慌てて徳川方に逃げ込んだんだよね。
その結果が織田信成氏に連なる織田家の繁栄の基礎となった。
豊臣は10万石もらって徳川に臣従すべきだったのにせずに滅びた。
織田と豊臣は明暗分けたね。
ノブオの外交手腕は非常に優れてるといえる。

215人間七七四年2014/01/19(日) 18:02:59.28ID:/7qSyypA
信成は織田無道みたいなもんだろう
それ以外は然りだが

216人間七七四年2014/01/19(日) 23:16:55.03ID:+M5JddD6
>>214
全然繁栄じゃry

217人間七七四年2014/01/20(月) 04:10:15.15ID:2nw5RsTj
一時期は天下人と目された三好細川や、今川武田朝倉の有力大名の末路を考えれば
まあ繁栄とも言えなくもないんじゃないかな。織田自体かなりの新興勢力だし

218人間七七四年2014/01/20(月) 10:29:19.50ID:QWLKWu5u
まあ信玄の大小切りの善政の遺徳で、
甲斐国民が信玄崇拝してたし、
天才信玄の武田兵法が江戸幕府の兵法になってたように、
武田復活は幕府の仮想敵だったから警戒されて甲斐は幕府直轄領になっていた時期も長かったし。
結局、薩長軍は東海道で攻めあぐね、
中山道を進んだ土佐軍の乾退助が、
朝廷の策で武田旧臣の板垣に復名したら、
甲斐国民が歓迎し幕府軍最強の新撰組を破らせ、
武田旧臣で構成された八王子同心組も帰順し、
江戸城開城に導いたからね。
結局、西郷隆盛ら東海道組は箱根関封鎖を恐れて逡巡してる間に、
武田旧臣板垣氏によって江戸城開城に追い込んだし。
やはり武田によって幕府は滅ぼされる危惧が当たったんだわ。

219人間七七四年2014/01/20(月) 15:38:19.89ID:MEdflRQ9
毛利はフランス外人部隊
前田は太平洋戦争で戦死
徳川はベトナム女と駆け落ち
これらに比べたらスケート選手というのはまあまあいいんじゃないかな

220人間七七四年2014/01/20(月) 16:30:43.32ID:BBQM8+Jd
柳沢は甲斐源氏の一条氏だから武田一門じゃん。
甲斐や駿河や信濃の一部を与えられ今信玄と呼ばれた末に
恐れられ改易にされた家光の弟だった徳川忠長の家臣となっていたり、
その後に徳川綱吉の政権を指導する大老として働いていたし
文治主義の元で天和の治と称えられ、元禄の大景気活況など幕政を安定化させた。
そして幕府大老として武田信玄百三十三回忌を執行するなど、
幕府の信玄公への恐怖と畏敬と尊崇は最高潮に達してたもんなあ。
そりゃあ武田氏復活などありえんわな。俗世界ではなく、もはや伝説級の崇め方だったから
こんなバケモノを再興したら幕府がひっくり変えるかもしれないという恐怖しかないわ。

221人間七七四年2014/01/20(月) 20:20:15.40ID:FuxBOLsZ
どんな人間でも500年1000年経れば高貴な先祖にたどり着くよ

222人間七七四年2014/01/21(火) 08:23:32.35ID:22CY+OOf
日本人を大虐殺した信長と家康をマンセーして、
秀吉や三成や信玄や謙信が大嫌いな織田チョンの先祖は、
朝鮮人罪人で島流しにされた人だけどな。
戦後の混乱に乗じて、
パスポート無しでボロ舟で日本に不法入国した。

223人間七七四年2014/01/21(火) 08:44:12.07ID:vLAwpNY1
朝鮮土下座外交を行った今信玄繋がりで
「武田信玄は朝鮮侵略なんて信長秀吉みたいな
野蛮な所業は絶対計画しないニダ」
とわめいている菅沼遼太さんですか?w

224人間七七四年2014/01/21(火) 14:41:52.14ID:mF0GM0OT
幕府大老として武田信玄百三十三回忌を執行

幕府にこんなことしてもらった戦国大名って、
東照宮の神君家康は別として信玄だけだよね。
やっぱり武田はレジェンド枠だな。

225人間七七四年2014/01/21(火) 14:59:58.06ID:vLAwpNY1
子孫でもないのに法要の主導権を握られて
ただ武田子孫を迫害しているだけなのに
地位のある人間の行動には
すぐにすりよる菅沼遼太w

226人間七七四年2014/01/22(水) 08:31:23.05ID:glvWqjzI
>>225
悔しくて涙出てるぞw

227人間七七四年2014/01/22(水) 10:02:18.97ID:HWXb1gd9
煽りでしか返せない奴が時々出てくる

228人間七七四年2014/01/22(水) 12:32:08.77ID:Dx8J1qTD
どこに悔しがる要素があるんだよw
先祖供養を他人が取り仕切るとか
先祖に一番不孝なことしてるだろ
現代でいえば
自分の家の法要を
近所のおっさんおばさんが
勝手にやるようなもんで
むしろ憐れみすら感じるわw

229人間七七四年2014/01/22(水) 15:07:42.09ID:xLiOeWgh
>>228
え?関東管領山内上杉氏は養子でつなぎまくったけど無問題だよw

230人間七七四年2014/01/22(水) 17:38:03.30ID:Jpqwe3cE
子孫を誇るなら完全に後継がはっきりし、 武田家十六世当主武田邦信は
代表取締役兼国連UNHCR協会の役員で山梨観光大使に正式任命されてる武田家の方が明らかに勝ち組じゃねぇかよ。
米沢藩上杉家の16代当主上杉邦憲は宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部教授だし。
現在の織田の後継って誰だよ?まったくきまってない曖昧なままじゃん。あぁ?完全に負け組じゃんよw
織田家も現在で繋がっているのは女系のみだな。男系は明治維新まで直系で繋がっているが
それ以降は相馬家の人間が継いでいる。女系を経て繋がっているのは有楽系の傍流

公称で3万石となってた熊本藩の分枝の宇土陣屋の細川行芬の三男を迎えて
1836年に丹波柏原藩第8代の織田信敬www 細川本家じゃなくて貧乏陣屋同士www
柏原藩の重臣は織田家の血を引く鶴姫に再度婿養子を迎えることを考えてたが、鶴姫に拒絶されてるしwww
やむなくまた養子に迎えた黒田長元の四男の織田信民は福岡藩の分枝の公称5万石の秋月陣屋からの養子www
織田信雄系直系子孫からしてこんなぼろぼろの家系じゃん。

ただの茶道の先生の長功って柳本陣屋1万石の末裔だろ。
そもそも有楽の家系を信雄の家系が乗っ取った下克上事件だし誇れるもんじゃないだろ…
ただの茶道のおっさんだから、有楽流の後継である長益の茶説もまとめた貞置流すら名乗れないんだろ。

現代に織田なんて嫡孫家すらいないのが事実。 いるのは、ただの親族家だけ。 だから織田に〜代目当主なんて存在はいない。
上杉も武田もいまも領民に慕われてるけど 織田って愛知県民からまったく慕われてないよな。
天童市ともケンカ別れしてるしな。 天童の相続も織田家ではなく、相馬・・・・ 相馬秀胤が朝日新聞に入社して
織田小星となって日刊アサヒグラフで4コマ漫画の正チャンの冒険の原作者になった人だよな。これ有名。
ちなみに相馬秀胤の父は東京府癲狂院に入れられ家督を乗っ取られた疑惑が生まれた相馬事件で有名な人
上杉や武田や伊達同様に相馬も地元で慕われてるしな。 相馬市名誉市民相馬家32代当主相馬恵胤(日本馬主協会連合会第8代会長)
ttp://www.city.soma.fukushima.jp/profil/meiyo.html

231人間七七四年2014/01/23(木) 09:17:38.04ID:6b1QFxzk
幕府に申請許可の後継藩主というチェック機関が失われた明治以降は、
実際に血筋がつながっているか怪しい末裔が多い。
つか、まだ後継継承決まってないが、
徳川宗家19代徳川家廣からして妻がベトナム人だしな。
織田チョンの純血主義がいかに非現実的なものかわかる。
純血主義にこだわる蒙昧野蛮な紀元前儒教狂い朝鮮人思考なんて、
家を断絶する結果にしかならんわ。
日本には後代に継承すべき家々の知識があるからな。
養子を取るなんて戦前までは当たり前にやってきていた。
織田チョンのキチガイ思考は日本人には無い。

232人間七七四年2014/01/23(木) 10:30:34.78ID:SD5dG8Qq

233人間七七四年2014/01/23(木) 14:05:32.31ID:Cwb3fROa
>>218
幕末に長州征討の幕府軍を破った高杉晋作の父は、
元々は甲斐源氏武田氏支流の大井氏族の武藤氏の出。
そういや真田昌幸も武藤氏を継いでいたな。
そして高杉氏は安芸武田氏の一族。
幕府を倒す為に幕末毛利を指導していたのは武田氏なんだな。

234人間七七四年2014/01/23(木) 14:42:59.37ID:t3mzAW1P
当人と血の繋がりがない1000年前の先祖くらいしか共通点のない遠縁を
勝手に功績にするあたりが韓国人そっくりだなw
イチロー韓国人説や王貞治韓国人説と同じような感覚で
武田氏説をゴリ押しする菅沼遼太らしい末路と言える

235人間七七四年2014/01/24(金) 14:28:11.42ID:k0StZAeb
北畠信雄が織田家を滅ぼしたからなあ。

236人間七七四年2014/01/24(金) 22:19:23.48ID:+zgltoqh
で、それを証明するソースは?www
例えばどこぞの家のように先祖伝来の通字を否定したとか
血縁上の関係が一切ない下賤の人間に家を譲り渡したとか
そういう目に見える証拠はどこかな菅沼遼太君?

237人間七七四年2014/01/24(金) 23:15:59.05ID:StypLkqt
北畠信雄は、
織田信孝を殺し、
織田秀信を廃して、
織田家を滅亡させたじゃん。
秀吉が秀信を取り立てて北畠信雄を改易して罰したけど。
結局、家康が秀信を幽閉して死に至らしめたし。
秀吉は藤原姓徳川家康を源姓徳川家康にして、
源姓北畠信雄を平姓北畠信雄にして、
藤原姓関白秀吉の元に源平を支配した構造を作るなど面白い構想を考えたもんだなあ。

238人間七七四年2014/01/25(土) 13:48:54.24ID:edocVoPl
まーた菅沼遼太君は懲りずに妄想垂らしてるのかw
北畠当主で平姓名乗ったのは信雄ただ1人で
そもそも羽柴徳川のような豪族連中とは異なり
北畠は賜姓皇族だから勝手に姓を変更するなど北畠に対する愚弄でしかないw
諏訪勝頼のように武田の先祖伝来の通字である「信」の字を否定して
諏訪家伝来の「頼」の字を使ったような所業なら乗っ取りと言えるが
信雄はむしろ織田家の通字である「信」の字を使い
それどころか信長信忠といった父兄の菩提を弔っているのに
北畠具教、具房父子は完全無視w

甲斐源氏武田家が痴呆信玄のせいで
諏訪夫人とその影響を受けた勝頼に乗っ取られたことを
未だに怨んでいるらしいなw

239人間七七四年2014/01/25(土) 16:20:26.00ID:SDYPz0wt
しかし1741年に吉宗に献上された幕府公式家康伝記には、
北畠大納言信雄従ニ位に叙するって書いてるしなあ。
江戸幕府は信雄系を北畠家として扱ってるのは明白だしな。
家康の娘である振姫の娘である琴姫が開基したのをキッカケに、
1633年に赤坂で創建の雲巌院で編纂された内府公維公記にも北畠ヲ大納言ニ被成候
などと書いていて、
幕府が270年の江戸幕府統治期間に三介信雄をどう認識していたかはハッキリしてんだよね。
それに対して反論も何一つないままだったし。

240人間七七四年2014/01/25(土) 19:48:49.29ID:edocVoPl
赤の他人がどう思っていたかなんて全く関係ないもんなぁ
おまけに系図纂要や寛政重修諸家譜などでは完全に織田扱いされてるし
北畠夫人と木造夫人から生まれた織田秀雄や織田信良も生涯
「北畠秀雄」や「北畠信良」とは名乗ってないもんなぁw
まあ織田の本家は北畠の血を引いていない織田高長が継いだからあまり関係はないけどw
織田信雄本人が織田に心を置いていたのなら織田家の人間だし
逆に諏訪勝頼が諏訪に心を置いていたのなら諏訪家の人間だわなw

諏訪勝頼は生涯武田の通字の「信」の字を継いでないばかりか
信玄以前の武田家の伝統である「信」の法則を悉く打ち破ったもんなぁ
逆に己の名前である「勝」の字を新たに通字にしようと考えていて
信玄旧来の武田の伝統を悉く破壊しているんだから
そりゃ穴山や信廉が勝頼に貢献せずに見捨てるのも当然だ
まあ全ては武田の伝統を組んで臆せずに金言した義信を
罪人同然に廃嫡した痴呆信玄が悪いんだからしょうがないよなw

241人間七七四年2014/01/25(土) 19:49:42.07ID:edocVoPl
組んで→汲んで

242人間七七四年2014/01/25(土) 20:20:25.74ID:RPBcmaaK
武田信玄は永禄八年に
息子の武田義信を幽閉廃嫡した後
まるでそれを喜ぶように
諏訪社に莫大な金をかけて
復興事業を開始するんだよね
明らかに諏訪氏の後を継いだ
諏訪四郎勝頼の影響力があるのは
まるわかりで、武田家臣達には
まるで勝頼や亡き諏訪氏に心移りした
信玄が籠絡されているようにしか
見えなかったんだろうな
甲陽軍鑑では一次史料と違って
勝頼の取立てが義信を謀叛の道に
進ませたなんて書かせてあるくらいだし
この時期の信玄は嫡男の
義信に謀叛未遂されて
完全にノイローゼ気味の
ボケ老人としか思えず
当初は信の字をやらんくらい
どうでもいい存在だった
勝頼を愛でることで
自分自身を誤魔化したかったんだろう
こうして本来諏訪を乗っ取り
意のままに操るはずが
諏訪氏とその間に生まれた
勝頼による埋伏の復讐劇が
最後の最後で信玄に救いの道すら
残さないような武田家乗っ取りに
繋がるんだよなぁ・・・・・

243人間七七四年2014/01/26(日) 00:32:29.23ID:D/zMflkH
で、
「織田秀雄」や「織田信良」と名乗っていたとする一次史料は?

244人間七七四年2014/01/26(日) 04:10:56.66ID:aUgEjNzg
結局北畠が乗っ取った、と言うソースはなしかよ
都合が悪くなると質問攻めを繰り出すのはいつもの
菅沼遼太らしい末路だな
しかも織田秀雄を聞くのがまた馬鹿らしい。継がずに死んでるのにな
ちなみに小幡藩の人間は織田様御代々覚書と言う形で織田の姓を使われてるし
菩提も弔うのは全て織田の人間で織田姓で名前も残っている
せめて諏訪勝頼くらい信憑性がないと
馬鹿にされるだけで終わりだよ朝鮮疑惑の菅沼遼太君w

245人間七七四年2014/01/26(日) 09:07:54.66ID:yGOUsDW1
で、
「織田秀雄」や「織田信良」と名乗っていたとする一次史料は?

246人間七七四年2014/01/26(日) 09:21:31.95ID:FxEj5y9I
各家が提出した自称記録を元に編纂した寛政重修諸家譜なんて1812年に完成だし、
系図纂要はその内容から流用してるだけだし。
江戸幕府前期には北畠と呼ばれていたのを、
11代将軍徳川家斉時代になってから隠蔽しただけだろね。

247人間七七四年2014/01/26(日) 09:23:47.58ID:C7ZL4J6s
継いでないやつが名乗ったことを示して意味があるのか
それを示してから要求したまえ

248人間七七四年2014/01/26(日) 09:30:43.88ID:9mIv0qoW
つか、そもそも寛政重修諸家譜自体が、
武徳編年集成からの流用だからね。
それを改竄して事実を曲げた結果だろう。
もう当時を生きた人々はいないからわからんし。

249人間七七四年2014/01/26(日) 09:40:27.09ID:9mIv0qoW
武徳編年集成が作られた徳川吉宗時代時点では、
明らかに北畠家と認識されてんだよな。
じゃなきゃ歴史好き吉宗が間違ってるだろって激怒するだろ。
しかも神君家康の業績をマンセーする公式史書で、
間違いなんてあっちゃならない。

250人間七七四年2014/01/26(日) 14:18:41.65ID:cwmQnTaO
菅沼遼太君また自演失敗した?>>248>>249
しかも徳川家の記録で継いでもいない北畠w
早く信良や高長が北畠姓を名乗っていた根拠を出せよw
子孫が信玄公、勝頼と区別して諏訪勝頼に乗っ取られた武田の話を逸らす菅沼w

251人間七七四年2014/01/26(日) 15:47:42.82ID:BefNo0qH
信長と濃姫との間に男子が産まれていたら
祖父や親父以上のチート大名になったかもしれんなあ
本能寺の変を防ぐか逃げ延び天下統一して中央集権国家作り
日本軍総動員で大陸侵攻出来ただろうに
3代連続で裏切りくらうかもしれんけど

252人間七七四年2014/01/26(日) 17:43:53.60ID:nwk0fZD3
結局、
「織田秀雄」や「織田信良」と名乗っていたとする一次史料は全く無いのかよ…

寛政重修諸家譜なんて守護代や清洲三奉行ら織田一族すべて無かったことにして、
信秀の血筋だけを清盛流平家とか、
むちゃくちゃ書いてるキチガイ本じゃねーかよwww
そんな捏造大会本を例に出すなよwww

253人間七七四年2014/01/26(日) 18:30:39.62ID:jlHyts63
で、北畠秀雄と北畠信良を名乗ったとする史料は?
一次じゃなくてもいいから、出してよ早くw

254人間七七四年2014/01/26(日) 19:04:20.10ID:C7ZL4J6s
>>252
お前みたいな恣意的引用しか頭にないやつと違って、まともな教授連は参考資料として用いる
自分に都合が悪いとキチガイ本呼ばわり
低俗さが滲み出てるな

255人間七七四年2014/01/26(日) 21:38:14.28ID:NkmlMYhk
>>254
寛政重修諸家譜が参考文献に引用されてんのなんて昭和の時までだろ。
あれは大老や五大老という言葉を作り出して歴史改竄した捏造本で、
輝元や景勝や利家の清華成を6年も遅くズラすなど嘘を書いて、
天正16年から秀吉が構想してきた組織を、
あたかも秀吉が死に臨んでの急場しのぎの即製でつくられたもので、
家康が五大老筆頭で政治を任されたかのように誤認させる洗脳書だから信用性ゼロだし。

浅野家の捏造秀吉遺言覚書と共に二大改竄に数えられてるからな。

256人間七七四年2014/01/26(日) 21:51:01.28ID:MIxl0yRR
気に入らない史料は因縁をつけてねつ造認定する朝鮮思想の菅沼遼太が本領発揮w

257人間七七四年2014/01/26(日) 23:25:24.57ID:7cf8Gu5j
>>256
それ事実だよ。
秀吉は実権無いお飾りの清華成に祭り上げられた外様大名メンバーを奉行と呼び、
譜代の三成ら実務を担当して政治を動かすメンバーを年寄と呼んでいたからね。

258人間七七四年2014/01/27(月) 01:22:37.72ID:u20DkwSj
255
昭和でもまともな教育受けてないお前の金言よりまし

259人間七七四年2014/01/27(月) 02:11:08.09ID:XBmOohM4
>>257
ほーん
で、それを唱えているのは菅沼遼太君以外にいるのかなー?w
>>255>>257だってのはわかってるから、逃げずに答えてねw

260人間七七四年2014/01/27(月) 07:47:07.52ID:kZSdSTes
豊臣政権研究を専門にしている三鬼氏とか矢部氏がそう書いてるね。

261人間七七四年2014/01/27(月) 09:37:57.26ID:h9kcZ9V2
>>242
勝頼が信玄も落とせなかった高天神城を落として武名を轟かせ始めた時に、
小笠原氏助に弾正小弼信興と名乗らせて得意の絶頂に浸ってたじゃん。
官途名+信のセットなんだから、
勝頼は信を重要視してるし、
通字を家臣に与える当主権を行使してる。
息子にも引き続き信を与えているし。
お前のいうように諏訪復興を果たそうとするなら諏訪氏の通字を与えないで、
信を与えている時点で矛盾してる。
諏訪大社復興事業を開始したのは、
信玄の信濃支配が安定し、
往時のように諏訪大社復興に信濃一国役が国人達に課せれるようになったからだアホ。
信濃国の一宮の諏訪大社の為に税を信濃全域に課せる警察行政権=正当な信濃支配者が武田という意味がある。
武田に信濃支配確立というゴールを意味してるだけだ。

262人間七七四年2014/01/27(月) 12:21:17.70ID:u20DkwSj
徴税と警察行政権とやらの関連がイミフなんだけど、説明・・・無理か!
ごめんごめんw

263人間七七四年2014/01/27(月) 16:50:15.40ID:AADiQxxv
>>261
はぁ?w
武田の通字である「信」は
武田家にとって由緒正しい
伝統的なもので他人にポンと
与えることなんざ
本来考えられない所業w
勝頼の父親である晴信は
「信」の字を家臣に与えるなんて全くしておらず
実父が「信」の字を使っている馬場などを例外として
信玄存命期に信玄が「信」の通字を与えたのは
他ならぬ武田一門達だけなのに
勝頼時代になるとその辺の有力家臣にすら「信」を
与え始めるという、むしろ「信」の通字を軽んじているじゃんよw
一方で諏訪氏の通字である「頼」は諏訪一門以外
使っている人物が見受けられず、
諏訪家の通字である「頼」が
武田家の通字である「信」よりも
稀少な通字であることを体現した諏訪勝頼w
息子の信勝の「信」は信長を
意識したものだから全く関係なしw
自身が「信頼」だの「頼信」だの
名乗らなかった時点で
勝頼はそれほど「信」の通字に
伝統的なものを感じなかったんだろうなw
庶子であると言われる勝親には
信玄以前の伝統である
「武田一門は庶子にすら信を与える」という
法則を完全に崩しているしw
諏訪社の復興なんて
守矢のお金くれコールから
活発的に投資している時点で
諏訪の意を汲んだ人間に
乗せられてやっただけの所業じゃんw

264人間七七四年2014/01/27(月) 19:44:35.27ID:xGjIH4Fv
本能寺の変の真相は「琵琶湖水運利権」
のぶが琵琶湖周辺を直轄してようとしたら数したのです
ちなみに大阪まで繋がる大運河構想があったのです
巷では本能の寺の変の黒幕は云々ばっかで辟易してたのです

265人間七七四年2014/01/28(火) 01:27:40.76ID:YnKRyg5g
263
武田一門の信が晴信のそれだという証明、よろしくぅー

266人間七七四年2014/01/28(火) 02:42:33.59ID:Y68ecwl6
は?w菅沼遼太君さ
もう少しまともな言い訳できんのけ?w
信玄の一門たる息子を全て纏めると
武田義信:母親は三条夫人、通字なし。奥方は今川夫人、通字は「氏」
海野信親:母親は三条夫人、通字なし。奥方は海野夫人、通字は「幸」
武田信之:母親は三条夫人、通字なし。奥方なし
仁科盛信:母親は油川夫人、通字は「信」。奥方は武田夫人と仁科夫人。通字はそれぞれ「信」「盛」
葛山信貞:母親は油川夫人、通字は「信」。奥方は葛山夫人、通字は「氏」
安田信清:母親は禰津夫人、通字は「直」。奥方は平田夫人、通字は「範」。安田氏の通字は「義」。
となり、特に通字を持たない公家の出である
三条夫人から生まれた三人の信玄の息子は
明らかに武田家を継ぐべき存在として
武田代々の通字である「信」を
受け継いでるのを誤魔化しまくる菅沼遼太w
油川夫人の実家である、油川家の
通字を取ったとも言える盛信や
還俗後に同じく出家して同じ師匠を持った
兄の信親の基盤を継いだ信清なんかは
厳密には信玄以外の「信」と言えなくもないが
それ以外の義信、信親、信之、信貞は
完全に信玄が武田伝統の「信」の通字を
譲り渡しているのが見え見えで
そもそも信玄こと晴信の「信」が
完全に甲斐源氏の嫡流たる武田家伝統の
「信」の通字であり、油川家や大井家など
武田家庶流でも本家伝統の
「信」の通字を使っていたが
諏訪勝頼は武田一門ではない諏訪氏の
母親を持っていたため、母親筋からの
通字が武田家伝統の「信」ではなく
勝頼自身、武田に気持ちがなかったから
「信」の通字を生涯名乗らなかったのは
明白なのに、あることないこと
とにかくふっかけて誤魔化す菅沼遼太w

267人間七七四年2014/01/28(火) 02:44:26.41ID:Y68ecwl6
おっと訂正、
三条氏は一応「公」「実」が通字相当と
言っていいかもしれんな
「信」が武田家伝統という
結果は変わらんがw

268人間七七四年2014/01/28(火) 10:15:22.23ID:4HJl0voC
>>263
お前、本当のキチガイだなw
全く一次史料による根拠が皆無で、
完全にお前の悪意だけで妄想されたレスで気持ち悪過ぎる。
恨にも似た不可解だが、ひょっとしてお前は薬やってんの?
この執拗な悪質な粘着ぶりは精神病院に通院しないとならないレベルだぞ。

269人間七七四年2014/01/28(火) 10:42:19.22ID:5rGQWaTs
信玄の幼名の勝千代から取られてるから、
勝頼はその勝の字を大切に思ってただけだろ。
むしろ勝頼が父信玄を慕い敬ってた証拠でしかない。
信玄が勝頼に後は任せたぞって家督を譲った時、
よほど勝頼は嬉しかったんだろう。
しかも勝と言う字は慶字だから廃するのも凶だし。

270人間七七四年2014/01/28(火) 12:58:37.28ID:ktE+gEB9
>>263
つか、頼の字が希少な文字を体現とかバカ過ぎるwww
諏訪一族しか頼をもらって嬉しいやつなんていねーし、
勝親なんて架空人物だろ。
だいたい信勝の信が信長からとかただのこじつけだろwww
信長が信を与えたとする一次史料あんのかよwww
信長を恐れて媚びて信を使ったとかトンデモ解釈に根拠無いし、
そういう習慣も当時には無い。
信長から与えた形なら偏諱になり、
武田の信を与えたなら通字になるのも知らんとか無知にも程があるわwww
もう言ってることが意味不明でむちゃくちゃw

271人間七七四年2014/01/28(火) 14:11:19.61ID:cElGwyWR
織田朝鮮人
「晴信の信の字は織田家を恐れた信虎が媚びて織田の通字を名付けたニダ」

272人間七七四年2014/01/28(火) 17:22:17.20ID:Y68ecwl6
プププ菅沼遼太君は
なんとか諏訪勝頼が
武田家から寵愛されていただの
武田家のために尽くしただの
あることないことふっかけるのが
好きだねぇw
諏訪勝頼の「勝」が
信玄の幼名からなんて
甲陽軍鑑にしかないでっち上げだし
事実一次史料では、信玄は
「勝千代」なんて呼ばれていないw
信勝の「信」が信長由来なのは
信長養女を母親に持つ信勝の出生と
勝頼が信勝元服当時織田と和議を
進めていた事実からも明白
「信虎」や「晴信」といった
武田家由来の伝統を維持したいのなら
勝頼自身が「信頼」だの「頼信」だの
名乗ればいいし、既に諏訪家は
頼忠や頼豊が継いでいるんだから
いっそ自分が「勝信」と名乗ればよかったわな
信玄が人質に取っていた信長五男を
タダで返却するくらい勝頼は
織田を恐れていたんだから
信勝元服も完全に対織田外交を意識
しているのは馬鹿でもわかるし
しかし信長から偏諱を与えられたわけではなく
勝手に意識してつけた名前だから
信長との友好関係が得られなかっただけ
だから信長五男をタダで返却するという
積極策に出たんだろうな
つうか、仮にも本家の当主が
その家の伝統的通字を使わず
よその家の伝統的通字を使っている時点で
勝頼がどちらに気持ちを持っていたかなど
火を見るより明らかなのに
とにかく武田のことになると
意地でも誤魔化す朝鮮右翼思想の菅沼w

273人間七七四年2014/01/28(火) 17:40:07.46ID:Y68ecwl6
挙句自演してまで言いたいことが
「当時の習慣にないから」とか馬鹿すぎるだろ・・・
当時の習慣にないからありえないというなら
そもそも当時の習慣にないからありえないというなら
武田家当主が武田勝頼という存在自体が否定されるわな
仮にも本家の当主が、その家の
伝統的通字を使うことなく、
よその家の伝統的通字を使うとかありえないし
事実武田家は、勝頼を除いて当主に
「信」の通字を使わなかった人間はいない
勝頼だけが武田家当主の例外であり
この時点で既に慣習を破っていると言ってもいい。
また勝頼は降伏させたばかりの小笠原に
武田家の通字である「信」の通字を与えているが
これも信玄以前の武田家には考えられないことで
武田家の一門親族などを除き
基本的に全く血縁のない家の家臣に
武田家伝統の「信」の通字を与える
なんていうことはされていない
また勝頼は自分の息子である
信勝に「勝」の字を与えているが
これも武田家では例外中の例外で
嫡男当主候補の息子に「信」
以外の自分の名前の字を継がせる
という事例もこの信勝が初めて
つまり勝頼は武田家の慣習伝統を
3回も破っていることになり
この時点で慣習だの伝統だのを
振りかざす論法は通用しないわなw
そしてそれは勝頼が非常識な
人間だったのではなく
母方の諏訪氏に気持ちがあったから
武田の伝統を軽んじたということに
他ならないw
事実甲州崩れの時に
武田家一門で組織的抵抗したのは
弟の盛信だけだし叔父の信廉などを
見るに潜在的なところでは
武田家当主と認識されていなかったのだろう
武田のニセ子孫が集まる武田家旧温会でも
「信玄公」「勝頼」と区別されてるしw

274人間七七四年2014/01/28(火) 17:40:57.48ID:Y68ecwl6
当時の習慣にないからありえないというなら  → コピー消し忘れ

275人間七七四年2014/01/29(水) 08:31:48.23ID:uM4xCvGO
キチガイ織田厨がまた妄想を垂れ流してるのかよw
根拠皆無の話をよくそんなに必死にレス出来るなw
かなりの粘着ストーカー気質を感じる。
これはもうふられた腹いせに、
脳内妄想被害者意識で怨嗟の手紙や留守電を入れる執拗な狂人レベルだな。

276人間七七四年2014/01/29(水) 10:12:48.22ID:z4/PzyKs
偏諱と通字が理解出来てなかったアホ無知織田チョン…

277人間七七四年2014/01/29(水) 15:54:35.00ID:YD9UkmJ8
結局そこにたどりつくのか、菅沼くん

278人間七七四年2014/01/29(水) 17:51:30.29ID:bpZOQ+Nz
自分の敬愛する
武田信玄がまさか
側室と息子に裏切られてたなんて
言う事実を信じることができず
ついに妄想人格否定に走った
菅沼遼太君w
むしろ父親を追放して
嫡男を幽閉するような
非人道的な信玄に何を
期待していたのか
現代でいえば
年老いた父親を老人ホームにぶち込み
息子にネグレクトするような
代表的キチガイ毒親じゃんw
そんな父親を見た息子勝頼が
はたして父親を尊敬する
清廉な人間になるのかな?w

279人間七七四年2014/01/29(水) 18:02:41.45ID:bpZOQ+Nz
大体普通に考えればわかる話よな
武田勝頼が、なぜ頑なに武田家伝統の
通字である「信」の字を生涯
使わなかったかなんて
菅沼遼太みたいに
「勝頼は父親である信玄を敬愛していたはずだ」
なんて妄想や夢物語を抱いてる奴は
「信の通字が恐れ多かった」だの
「勝頼は正式な当主じゃなかった」だの
史料から大きく外れた妄想にズレていく羽目になる
最初から「勝頼は信玄や武田など糞くらえと思っていた」と
仮定すれば、勝頼が生涯信の通字を
名乗らなかったことも、武田家滅亡時の
武田一門(穴山、信廉など)のあまりに早い逃亡劇も
長篠以降の織田との融和路線も全て解決する。
だからこそニセ子孫の武田家旧温会や
信玄を敬愛する山梨県民などは
勝頼を「諏訪勝頼」だの「勝頼」だの言いたて
「武田信玄公」などと区別して
あくまで武田を滅ぼしたのは
もともと武田と縁がなかった諏訪勝頼だとして
なんとか信玄公を擁護する方向で見解を出してるし
まあその勝頼を当主に据えたのが
他ならぬ信玄だから擁護できてるかも怪しいがw

280人間七七四年2014/01/29(水) 18:08:30.52ID:r6jkD0KS
全く根拠を出さず、悪口中傷しか書いてない信長厨の悪辣さは偽計業務妨害で逮捕レベル

281人間七七四年2014/01/29(水) 18:14:07.75ID:bpZOQ+Nz
おまえ偽計業務妨害の意味わかってないだろw
虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、
人の業務を妨害すること、これが偽計業務妨害だw
諏訪勝頼が、実は父親である武田信玄を
くそくらえだと思ってました、なんて
どこの誰が困るんだ
むしろ、信虎や義信に嫌われ
いざこざ起こしててるんだから
当然の成り行きじゃないかw
あ、菅沼遼太君って敬愛する
武田信玄をマンセーするのが仕事なんか?w

282人間七七四年2014/01/29(水) 18:16:02.68ID:bpZOQ+Nz
起こしててる→起こしてる

283人間七七四年2014/01/29(水) 18:17:36.15ID:bpZOQ+Nz
はーそれにしても怖いなw

           W'`´‘`´‘火ソ
          .ノ..____ l
          l | ⌒  ⌒ | ミ  信長厨は信玄の悪口を書いた
          ヾ.ノ-■--■-|ミ    偽計業務妨害で逮捕する
           l,l   ∪   l,l
   ∧、      ヽ  ー―  /
  /⌒ヽ\   /ヽ___/\
  |( ● )| iノ ̄:::::::ヽ></::::::::: ̄へ\
  \_ノ ^i:::::::::::::: く H Y:::::::::::::::::そ |
   |_|,-''iつ::::::::::::: ヽ | | / :::::::::::::::::::《l
   [__|_|/〉:::::::::::::::::::::V V::::::::::::::::::::::::|
   [ニニ〉::::::::::::::::::::::::ヽ/:::::::::::::::::::::::::::|


ププw

284人間七七四年2014/01/29(水) 21:38:27.81ID:CcEcdtn/
>>269
というと勝千代の勝を使わなかった子は親父を敬遠してたのか
ナルホド、七人のうち勝を使ってないのは・・・ 六人!
どんだけ嫌われてんだよ・・・信玄

285人間七七四年2014/01/29(水) 23:12:10.54ID:bpZOQ+Nz
そもそも信玄が勝千代なんて
幼名をつけられていた根拠が
甲陽軍鑑の後付にしかないからな
武田家では基本、太郎義信、
四郎勝頼、次郎信繁のように
○○郎や○郎が基本だし
ましてや信玄は嫡男。
同時代の一次史料でも
信玄は基本太郎と言われている
軍艦では勝千代と言われる人間が
もう1人登場していて
信玄の外孫で穴山信君の息子である
穴山勝千代がいるのだが
こいつの存在を利用して
「勝頼の勝は信玄幼名から取った」
というアリバイ作りのために
甲陽軍鑑が捏造したとしか思えん
一次史料に皆目ない勝千代を
そうまでして捏造したってことは
やっぱり信玄−勝頼の関係の薄さは
武田家中の人間もわかってたんだろうな

286人間七七四年2014/01/29(水) 23:13:36.70ID:bpZOQ+Nz
×軍艦
○軍鑑

287人間七七四年2014/01/30(木) 09:24:46.35ID:1SHQ3n0a
織田厨ってアホ底辺だなあ。

288人間七七四年2014/01/30(木) 09:26:50.47ID:vVsnryKh
これはこれは偽計業務妨害の意味を
完璧に間違えて過去にも
鷲と鷺の区別がつかなかった
朝鮮右翼疑惑のある
菅沼遼太さんじゃないですかw
で、信玄を敬愛していたという
史料か何か見えましたか?w

289人間七七四年2014/01/30(木) 09:46:17.35ID:vVsnryKh
まあ菅沼遼太君が否定できないのも
無理はないでしょうなぁw
なんせ勝頼は信玄の四男で側室腹
常識的に考えりゃ、本来武田家を
継ぐような人間じゃないし、
他家を牛耳って武田に尽くして
くれれば御の字の存在
だから一次史料には勝頼の
幼年時代が全くと言っていいほど
書かれておらず、母親の諏訪氏に
至っては死んだ年すらわからない
義信をはじめ多くの子供を産んだ
正室の三条夫人と比べても
あまりにも惨め不憫な扱いだよなぁ
社会背景や勝頼の地位を考えれば
信玄は勝頼の元服までまともな
対面をしたかどうかすら怪しいし
義信が信玄に理不尽な目にあわされるまでは
勝頼にとって武田家当主なんて
雲上の地位だったんだから
母方の諏訪家に帰属意識が
強かったのは至極当然のことだろう
そう育てられてきたわけだしな

290人間七七四年2014/01/30(木) 12:47:45.88ID:rQqd+tnw
幼少期は諏訪家惣領、長じては伊那郡代で、自身当主になることを想像もしないまま成長したとしか思えん
上野での戦いっぷりも総大将としてではなく、武田家譜代の武将と競争してのことと思われ

291人間七七四年2014/01/30(木) 18:40:38.99ID:eGTB6BFl
いつの間にか、ただの罵詈雑言の落書きレベルの書きこみだけになってるな…

292人間七七四年2014/01/30(木) 21:12:11.12ID:oiVFYghm
菅沼遼太の否定ぶりがどんどん落ち込んでるのが笑えるw
>>290
義信が嫡男のまま生存していたら
武田家中の序列もしれてるからね
信親、信之も健在だったとすると
せいぜい義信、信親、信之、信豊(信繁嫡男)、信廉
よくてこの次くらいだろう

293人間七七四年2014/01/30(木) 21:15:16.97ID:oiVFYghm
ついでにage

294人間七七四年2014/01/30(木) 21:22:55.59ID:cyfN5uL0
※根拠が無い話しか書いてない織田在日。

295人間七七四年2014/01/30(木) 21:35:20.96ID:oiVFYghm
わざわざ毎度IDを変えて
それで単発自演がバレてないとでも
思っているのかな菅沼遼太君
ところで勝頼が信玄を敬愛していた
ことを証明する史料はまだかな?w

296人間七七四年2014/02/01(土) 22:35:46.40ID:BG24YfEQ
菅沼遼太君史料マダー?ww

297人間七七四年2014/02/01(土) 22:55:03.49ID:Q5jn5hBX
途中までみんな忠実で、武田滅ぼした当たりで

織田信行、足利義昭、浅井長政、佐久間盛政、林貞勝、松永久秀、荒木村重、高山右近、中川清秀、明智光秀

こいつら全員が一斉に裏切ったらどうなってたかな?

298人間七七四年2014/02/02(日) 13:02:52.79ID:sWXoivRX
そいつらがどれくらい勢力があったかによる

299人間七七四年2014/02/07(金) 08:20:19.19ID:dOjoB/wf
根拠ゼロの話では妄想が根拠なので、
織田チョンは元気だなwww
悪口中傷繰り返しリピートwww

ところで北畠信雄の息子が織田を称していたとする一次史料はまだなのか?
静観してずっと待ってるんだけどな。
やっぱり織田なんて称して無いんだよ。

300人間七七四年2014/02/07(金) 13:21:21.97ID:leIpaAhw
>>253>>247から逃げといてよく言うわ

301人間七七四年2014/02/07(金) 14:39:09.18ID:tzwuFROJ
あららガチで織田厨は偏諱と通字が理解出来てないのなワロタw

>>261
高天神で小笠原、沼田城では用土新左衛門に藤田信吉の名前を名乗らせるなど、
信の字は重要拠点奪取という局面でのみ与えられるもんだな。

つか勝頼の名前に信が無いから正当じゃないとかお門違いな批判をしているようだが、
わざわざ名前を改める必要性がない上に、
勝頼は信玄と同化してるように振舞ってるから、
勝頼は天正8年8/24に始めて印文を勝頼とした朱印を使い始めるまでは、
信玄の形見の晴信朱印を愛用して、自身を信玄と同一視していたんだし、
家臣もそれに違和感を感じてないし。
天正8年に入り我が子信勝の元服が行われているので、
思い切って勝頼朱印を作って信玄離れをしたのだろう。

302人間七七四年2014/02/07(金) 15:28:57.02ID:leIpaAhw
やっぱ逃げ回るんだな

303人間七七四年2014/02/07(金) 16:29:53.63ID:tzwuFROJ
>>302
織田厨得意の鸚鵡返しで逃げまわってるだけじゃんw
つまり織田を名乗っていた史料が一切ないと言う結論が出たと言うことを意味している。

はい終了。

304人間七七四年2014/02/07(金) 16:59:16.57ID:mdlyF+gX
遼太くんは強制終了かね

305人間七七四年2014/02/07(金) 17:03:04.20ID:1+cXe7e6
勝頼が小笠原や藤田に信の字を与えたことを
できる限り矮小隠蔽しようとする
涙ぐましい努力にわろたw
そもそも信玄以前はそんな有力家臣にすら
「信」の通字が与えられず
武田宗家と親族縁戚にしか「信」の通字が
適応されない、門外不出の伝統があったにも
関わらず、全く血縁のない人間に与えたこと
そのものが既に武田のタブーを起こしているのも
理解できないとかw
しかも「名前を改める必要がない」などと
寝言を言ってるが、勝頼の「頼」は諏訪家の
通字なんだから改める必要がないなどと
言うのは伝統を介さない馬鹿の言うことw
先祖伝来の通字を使わないだけでなく、
よその家の通字を私情だけで使うなんて
当主にしてはあるまじき振る舞いだし
それだけで武田を軽んじているのは
誰が見ても明らか。
晴信朱印を使っていたとか
話にもならん根拠だしそもそも
信玄の死没年は当時の武田家では
天正4年のこととされているし
しかも天正3年には勝頼独自の
獅子朱印がさっそく使われ始め
既に信玄が死んで間もないまま
脱信玄路線が築かれている有様w

306人間七七四年2014/02/07(金) 17:20:42.82ID:1+cXe7e6
>>302
彼の理論を使うと
織田高長の存在が
全く意味不明になるからね
信雄が北畠姓を通し、
彼の子供である秀雄や信良も
北畠姓を使い続けたというのが
彼の主張だけど、高長は父親も
母親も北畠の血筋を引き継いでいない
つまり高長が北畠姓を名乗る必要は
何一つないわけだね。
そして小幡系の信昌の早逝で織田宗家は
この高長の家系のみが生き残るのだから
北畠の血筋なんて全く入らなくなる。
ちなみに細川家記によると
「信友ハ織田信雄の二男也、豊前ニ御呼被成、
 藪内匠か壻ニ被成、妙庵主御卒去後竜王城
御預被置候処、今度御立退、無程公儀ニ被召出、
織田出雲守(一ニ出羽守)高長と改、
従四位下侍従ニ叙任、弐万石被下候」とあるから
織田高長は当初長岡姓を称していたんだろうね
しかし長岡との血縁はないんだよなぁ・・・

307人間七七四年2014/02/07(金) 17:41:33.29ID:Ufw/4KYt
そもそも織田信雄が北畠家に気持ちがあったら具教は死んでないし信雄なんて名乗りは使わないだろ

308人間七七四年2014/02/07(金) 19:17:30.78ID:X9aD4ick
>>307
それはどうだろう?
北畠時代は信雄を名乗ってないんじゃなかったか?

309人間七七四年2014/02/07(金) 19:21:20.56ID:ObMO2BFY
北畠時代は信意じゃないかな、あまり変わらないね
具豊って名乗ってた時期もあったけど改名した時点で

310人間七七四年2014/02/08(土) 09:29:11.01ID:vIVtevXy
高長は信の通字をわざと捨てた男だしなー。
よっぽど織田を恨んでいたんだろうね。
高長の母は一次史料で誰だか証明できないから、
北畠や木造と関係あったとしてもおかしくないし、
そもそも細川からの養子って説もあるからなー。
ちなみに細川家記なんて明智軍記の内容をパクってたりとクソ本だからまったく役に立たないから。

311人間七七四年2014/02/08(土) 10:47:41.13ID:rh3Ug5RY
織田の場合は武田と違って
「信」が通字として使われたのは
かなり後だしなぁ。
信長以前の織田一族には
「信」の字を使っていない人間も
多いし、庶子や一門にすら「信」を与えて
「信」を伝統的通字としていた武田と違って
織田家の場合は「長」の字や「秀」の字も
多くみられるからなぁ
高長系が「信」の通字を使い始めるのは
高長の実兄である信良の家系が
断絶し始めてからだし
織田長益などのように本家の人間に遠慮して
「信」の通字を使うことはせず
代わりに信長の「長」を使うことで
織田一門として一段下がった地位を
維持していたんだろうな。
信良系の後継者に高長四男の信久が
入ってからは、高長系は「信」の通字と
「長」の通字を子孫で使いまわしてるから
むしろ信長を尊敬しすぎて
若干気持ち悪いレベルにすら
達しているともいえるが
まあ晴信だの信虎だの
先祖の名前を全く使わずに
逆によその家の通字をありがたがるような
勝頼みたいな人間が当主になるよりはマシだろうなw

312人間七七四年2014/02/08(土) 10:54:19.67ID:rh3Ug5RY
母親が一次史料で全く証明できないとか
高長の母親はよほど身分が
低かったんだろうな
信雄正室の北畠氏や
継室の木造氏なら
こんなことは絶対にありえないし
傍目には誰が母親かわからなかったんだろうな
まあ諏訪勝頼のように
下手に高貴な血を引く人間を
側室に無理やりさせて
その側室に子供をマインドコントロールされても
困るし、諏訪氏が管轄する諏訪社を持ち上げすぎて
本来別家であるはずの諏訪が本家を乗っ取るなんて
ことにされてもなぁ
穴山や信廉がどれだけ苦心したかも
わかるってもんだね

313人間七七四年2014/02/08(土) 14:08:44.62ID:TMFIJ5dW
信友の名前を捨てた高長は織田家じゃないから信を捨てたんだろ。
織田良信、信定、信秀、信長、信忠•信雄•信孝と続いているのに、
わざわざ信の字をみずから捨てるなんて、
普通は考えられないよな。
俺は細川じゃなく前田の子だと思う。
まつは子をかなり生んでるからね。

314人間七七四年2014/02/08(土) 14:28:26.43ID:rh3Ug5RY
織田家じゃないから信を捨てたねぇw
織田長益や織田長利や織田良信以前の
織田家当主は織田家の人間ではないと、
これまた朝鮮疑惑の菅沼遼太君に
恒例の珍妙奇天烈な説だねぇw
武田のように庶子や一門傍流にすら
「信」の通字を与えまくる家なら
まあ筋が通りそうなもんだがねぇw
しかも高長は「信」の字を遠慮はしても
「長」の字は名乗りに使っていて
両親を考えるとこの「長」は信長以外
ありえないんだよねぇw
さらに言うに事欠いて前田の子供ねぇw
高長の生年は1590年のはずだが
なぜ西軍についたわけでもないのに
前田家の家督を継げなかったんだろうねぇw
本当に諏訪勝頼が信玄のアホさに
つけこんで家を乗っ取ったことを
誤魔化すために
織田信雄も織田高長も
ウジテレビの妄想番組レベルで
素性を菅沼遼太に書き換えられてて
まるで文禄慶長の役を
Wikipediaで必死に工作して
朝鮮の勝利ニダとねつ造する
朝鮮人そっくりで失笑だよw

315人間七七四年2014/02/08(土) 14:49:14.98ID:rh3Ug5RY
しかし皮肉だねぇ
織田家や上杉家など
よその家と比べれば
比べるほど、諏訪勝頼の
先祖不孝っぷりが浮き彫りになるもんなぁ
信玄の遺体を何年も放置したり
庶子ですら与えられる武田家伝統の
通字である「信」よりも
滅んで傘下に入った諏訪家伝統の
通字である「頼」を好み
しかも武田一門門外不出だった
「信」の通字を血縁のない家臣に
ポンと与えてやったり
自分の名前を息子にあげたりと
武田のタブーを悉く破ってるよなぁ
仮にも武田宗家の当主が
伝統を無視しまくってたら
別家の人間は心底穏やかじゃないよなぁ
まあ勝頼の場合はそもそも
痴呆信玄が息子を幽閉廃嫡しなけりゃ
武田宗家なんて縁のない存在だったし
全ての原因は痴呆老害の信玄にあるんだよなぁ
と言っても信玄も父親を追放したり
暴虐の限りを尽くしてるから
この親にしてこの子ありなんだろうなw

316人間七七四年2014/02/08(土) 15:28:57.01ID:L7Va2rbx
織田家は滅びず信雄が受け継いでるじゃん

317人間七七四年2014/02/08(土) 15:58:29.72ID:rh3Ug5RY
菅沼遼太理論だと滅んだことになってるらしいよw
織田信包や織田長益とかは関係ないらしいよw

318人間七七四年2014/02/09(日) 09:49:10.12ID:SfWxybBl
そもそも織田良信以前の当主なんて名前すらわからねーのも知らんとかwww織田厨は無知だなw

319人間七七四年2014/02/09(日) 10:35:34.57ID:QOlgX5R3
つまり>>310の下りは
口からデマカセだったわけだ
武田の伝統を軽んじた
諏訪勝頼の擁護は大変だね

320人間七七四年2014/02/09(日) 21:09:25.24ID:WTCb8CHq
秀信で織田嫡子家が滅亡したからね。
信を捨てて長を使うのは、
織田本家がすでに滅亡していることを示している。
織田家はすでに滅亡しているということ。

321人間七七四年2014/02/09(日) 21:59:27.92ID:eVR/RuMg
嫡男は本来前当主の公認が必要なのに
信忠が不意に死んだから
秀信はそもそも嫡子ですらないよなぁ
しかも嫡流が死んだから=滅亡なんて
朝鮮人理論は初耳なんだがソースは
どこなのかなぁ、妄想?w
それなら武田家は義信と信玄が死んだ時点で
武田家は滅亡なんだから
勝頼が乗っ取ったというのが
厳然たる事実になるよなw
やっぱり勝頼は体裁上でも
内面上でも痴呆信玄から
武田家を乗っ取った
極悪人ということだね
しかも先祖子孫が仲良く
弔われてる織田家と違って
武田の連中は皆別々w
死後までも仲良くできない家とはいったいw

322人間七七四年2014/02/10(月) 08:38:39.29ID:Bsu4lsFk
えっ?ふつうどんな本でも小田原陣で北条滅亡って書いてるよな。
まさか狭山北条陣屋があるから、
北条滅亡していなかったなんて書いてる本は見たことない。
織田も滅亡してんだよ。

信長は天下統一寸前とか、
足利幕府を滅ぼしたとかアホなことばかり主張するのが織田朝鮮人。
そもそも天下統一どころか畿内すら統一出来ずに死んだし、
足利幕府を滅ぼしたのは秀吉。

323人間七七四年2014/02/10(月) 08:59:46.88ID:Bsu4lsFk
でさ、武田の伝統とやらのソースを教えてくれないか?
そんな馬鹿な伝統は一切聞いたことないんだが?

324人間七七四年2014/02/10(月) 12:30:11.36ID:239oRsUZ
小田原北条が滅亡したのは
五代氏直が死んだ後で
北条家一門の誰1人大名家を
維持できなかった状態が
あったから滅亡認定されてるだけじゃん
これは武田が勝頼死後も子孫が
江戸時代まで続いたにも関わらず
誰1人大名になれなかったから
天目山で滅亡したと書かれているのと同じ
織田は小幡、宇陀、柏原、野村、戒重、柳本と
6つも大名勢力があるんだから
「滅亡しました」なんて書けるわけがない
別に跡取りなんて息子じゃなくて弟でもいいし
そんなのは徳川幕府ですらやってること
しかも天下統一とか話にならん
「天下」=日本本土の概念が確立されたのは
徳川幕府の時代からだし
かの源頼朝が幕府を開いたときに「天下」と言う
呼称を使っているがこの時点では
まだ畿内はおろか京すら満足に支配できていないレベル
時代の流れとともに天下の領域も
変わってるんだから徳川幕府の概念を
そのまま持ってくるあたりが
菅沼遼太の馬鹿さ加減を反映している

325人間七七四年2014/02/10(月) 12:38:45.38ID:239oRsUZ
>>323
はぁ?w
武田の当主がほぼ全て
「信○」の形を名乗っているのが
武田の伝統ではないとか
馬鹿すぎて日本人かどうか
疑われるレベルだろw
明らかに初代の武田太郎信義の
風を受け継いでるし、それが
何代も続いて通字とされてるんじゃん
しかも武田の場合は庶流や一族にも
「信○」の人間が多く
通字とはいえここまで
子孫が共通させるのは
むしろ他の大名家ではあまり見られない
レベルで珍しいくらい
武田家全体で伝統を固く守ってるじゃん
それをポシャったのが諏訪勝頼であり
武田一門を不遇においやった痴呆信玄じゃんw

326人間七七四年2014/02/17(月) 11:07:33.51ID:uOoRFMZo
織田家の詰みは信長が各地で虐殺を繰り返しまくった頃だと思う
あれで一気に人望がうしなわれた

327人間七七四年2014/02/17(月) 15:15:48.96ID:sfBLOspd
相模本領を失った時点で北条滅亡。
岐阜を失った時点で織田滅亡。
織田に復姓した信孝が自刃して織田は滅亡した。
支流が生き残っているくらいなら北条だって残ってるし。

328人間七七四年2014/02/17(月) 20:31:01.42ID:IX4ddELT
>>324

つか菅沼遼太理論だと徳川幕府は4代家綱以降嫡流じゃないから
徳川幕府は4代将軍までで滅亡したってことかw

329人間七七四年2014/02/17(月) 21:01:15.82ID:ZORaqAV2
実際に嫡男だけが問題なく
家を継いでいる家系なんて
まず存在しない
そもそも徳川からして
嫡男は信康なんだから
4代どころか初代でもう
滅亡していることになるし
武田信玄も死後勝頼が継いでるから
武田家もこの時点で滅亡
もっと言えば天皇家すら
断絶の憂き目にあっている
まあ菅沼君は朝鮮右翼疑惑があるから
恐らく日本の人ではないのだろうが

330人間七七四年2014/02/17(月) 21:41:40.77ID:rncxA6qT
家康は攻め殺されてないけど?
本領三河失ったってのは屈辱だろうけど、
加増転封だからね。

331人間七七四年2014/02/17(月) 22:13:56.45ID:ZORaqAV2
織田も別に攻め殺されてはいないが
そもそも復姓した信孝なんて
織田の家督をあわよくば
奪おうとした強奪者じゃん
そんなこと言い出したら
織田勘十郎が信長に殺された
時点で織田家は滅亡とかいう
わけのわからない理屈が成立するし
もっと言えば徳川家は
嫡男の徳川信康が攻め殺された時点で
滅亡したという理屈も通る
そして家康以降徳川嫡流は
存在しないんだから
菅沼の理屈では徳川は滅亡

332人間七七四年2014/02/18(火) 08:31:27.52ID:SJi8RkoB
北畠信雄に美濃の織田信孝は攻め殺され嫡流三法師は北畠信雄に廃され
織田家は滅亡してしまった。
義昭が京を追放された時点で足利幕府は滅亡と主張する癖に往生際が悪い織田在日。

333人間七七四年2014/02/18(火) 08:39:19.31ID:UiOq/84p
勝手に他人の主張を変えるのは
頭の悪い証拠だな
信長が滅ぼしたのは
室町幕府であって
足利幕府ではない
これは日本の教科書なら
どこにでも記載があり
なぜなら鞆幕府は
室町にはないから当然のこと
そしてこれまた当然のことだが
本家を継ぐのは嫡流だけという
仕組みは日本には一切なく
嫡流だけで家を存続させたケースもまたない
嫡男ではなく次男三男や弟が
家を継ぐケースは天皇家に始まり
枚挙に暇がなく
織田家も例に漏れず
織田信雄や織田信包や織田長益が
存続させている
ただし内実では元の家の先祖を
敬わなかったり、菩提を
まともに弔わなかったりするなど
先祖を人とも思わぬ所業を行い
半ば乗っ取りと言われるケースもあり
その例では信の通字を無視して
諏訪家伝来の通字を用いるなど
家の伝統を打破しまくった
諏訪勝頼などが該当する

334人間七七四年2014/02/18(火) 08:52:34.41ID:UiOq/84p
そもそも諏訪勝頼と織田信雄を
同一視するなど朝鮮人レベルのいちゃもん
諏訪勝頼は信玄の死後遺体を
3年間も土屋邸で放置し続けるなど
とても実父を思っていたとは思えない所業をはじめ
本当に武田の実子であるか怪しいくらいの
脱武田路線を掲げていて、甲陽軍鑑が
信玄の幼名や勝頼の出生まで一次史料にはない
話を捏造しなければならないほど
信玄ひいては武田との関係が
希薄であったのに対し
織田信雄は信長の「信」の字を
しっかり受け継ぎ、
実兄の信忠の菩提まで弔っている
さらには養父を幽閉して養祖父を暗殺してまで
北畠家のお家乗っ取りに貢献している
未練がましく諏訪の家を
存続させた勝頼とは雲泥の差である
やはり心は諏訪にありだったから
諏訪社を崇拝したり諏訪家を存続させたり
あの手この手で諏訪を優遇したのだろう
実際、甲州崩れ当時に諏訪家は
勝頼の数少ない味方として善戦している

335人間七七四年2014/02/18(火) 09:12:09.22ID:vo7OPpB8
実兄の信忠の菩提まで弔っているって?
一次史料頼む。

つか北畠信雄は木造系北畠氏の傀儡政権だから、
北畠を滅ぼして木造の下剋上が成功しただけでしょ。

336人間七七四年2014/02/18(火) 09:34:24.61ID:UiOq/84p
はぁ?w
信長の野望のやりすぎて
知恵おくれでもしてるんじゃねーの?w
木造氏は信雄体制下ですら
ほとんど重用されておらず
信雄が軍事行動する時も
内政関与する時も
全く名前が記載されておらず
事実織田信雄による
北畠具教殺害の際に
協力者として名前がないなど
明らかに北畠具教の弟として
織田信長や織田信雄から
警戒されまくっているのが
明白なくらいだし
そんな人間が
信雄を当主と思わない傀儡政権など
打ち立てればすぐにぶっ殺されるのがオチw

337人間七七四年2014/02/18(火) 09:43:06.53ID:UiOq/84p
確かに信長の野望では
信雄の家臣は北畠旧臣しかいないもんな
そして諏訪勝頼はさも当然のごとく
信玄の後継者として
登場するからまさか勝頼が
信玄と関係性が希薄であるという
史実を見ずに突拍子もない
主張をしてしまうんだろうな
まあ中華ツールのある
信長の野望くらいしか
朝鮮人には理解できないのかもしれん

338人間七七四年2014/02/19(水) 21:04:19.93ID:yMsMH2q6
秀吉が北畠信雄を改易したら、
木造らは新しく秀信を傀儡にしてるよな〜。
実権所持する木造らにとっては神輿は誰でも良かった。

339人間七七四年2014/02/20(木) 01:08:03.91ID:Qu+CGzyk
傀儡にするどころか
命乞い同然のタダ働きで
全く重用されていないのが現実なんだよな〜w
そもそも織田秀信の領地は
豊臣秀勝の遺領を引き継ぐ形で
相続されているから
家臣も豊臣秀勝や旧美濃領主の
織田信孝の旧臣ばかりで
信雄旧臣なんて末端もいいとこなんだよな
しかも秀信が美濃領主になってから
信雄長男の秀雄が復活しているのに
木造氏は招聘すらされないという
避けられっぷりだしw

340人間七七四年2014/02/20(木) 18:47:29.38ID:2VRSYr1K
当時の当主は北畠具房(具教の嫡男)であり
まず北畠具教と木造具政(晴具三男・具教の弟)の内訌において
木造が織田の力を借りて内訌を有利に運ぼうとしたことが挙げられる。
北畠に苦戦した織田は義昭の和睦調停において茶筅を人質に出して安全撤退した。
(北畠は人質を出してない)その時に茶筅の安全を守るため織田家から津田一安が付けられ、
木造からは滝川雄利(木造一族)と拓植三郎左衛門(木造重臣)が警護に付けられた。
さて成長し茶筅が「具豊」と名前を改めて文書発給を開始したのは天正元年9/20が初見。
大湊中に宛てたものだ。これは長島一向宗攻撃のために伊勢水軍に桑名派遣を命じてる。
そこには「本所よりも固く御申し付けあるべく」とあり、本所とは具教もしくは具房を指しており
信雄より先に本所からも命令文書が発給されているのがわかる。
そして具教や具房の奉公人である山室氏(9/16・10/13・10/14・10/16・10/29)や
鳥屋尾氏(10/13・10/16・10/19・10/晦)によって大湊への軍事動員書状が発給されてる。
9/20頃に伊豆の敵船が大湊入り津田一安が現地入りして糾明に乗り出し大湊諸衆と交渉してる。
しかし大湊の船主たちが軍事動員に反対して拒絶している姿が山室氏の書状で判明する(太田家古文書)
つまり大湊の船主の総意は織田に従いたくないという大前提が見て取れる。
また天正元年11月15日に山田三方中と北監物に信雄は文書発給しており
大意としては両御所様御同前に北監物(伊勢大神宮御師)の息子の
福島左京亮(皇大神宮御師)の跡職相続を認めたもの。
これも9/16・9/22・10/22に山室氏から奉書が発給済みのもの。
天正元年の信雄の具豊名での発給文書はこの3通のみ。
このように信玄が死去し義昭が追放された後になってやっと信雄の発言力が多少向上してるに過ぎない。
ここに至っても伊勢水軍が織田に服属してないのが理解できる。

341人間七七四年2014/02/20(木) 18:48:10.45ID:2VRSYr1K
つまり天正2年はまったく書状を発給していない。
よって7月の伊勢長島一揆討伐の軍事動員も具房らが主導していると見てよい。
ではなぜ天正3年から発給が開始されるのか?そして「具」ではなく「信」が使用されるのか。
それは多聞院日記6/24から信雄が家督相続して田丸城に入城してるのが判明する。
そして7月に代替わり徳政令を発布しており、津田一安が添状を発給している。そして越前一向宗殲滅戦に向かう。
津田らは茶筅と書状で呼んでおり、滝川一益の取り次ぎで信長へ書状を出している。
天正4年11月に北畠・長野・坂内・大河内らを信雄が粛清することになるが、
原因として挙げられるのは天正4年から義昭が鞆幕府を設立し、
多聞院日記には具教もしくは具房が信雄の家督相続の時期に北畠氏の大和領へ入国していたことが挙げられる。
大和宇陀一揆ら反織田勢力との合流の風聞であり、これが破滅への道となった。
天正4年12月には津田一安が滝川雄利と拓植三郎左衛門らの讒言で誅殺され
伊賀攻めで拓植三郎左衛門が討死すると木造一族の滝川雄利の独裁体制が敷かれ、
織田信包などに指示を出すほどの権勢を持つようになる。
これにより当初からの目標であった木造氏による北畠氏の乗っ取りが完了し、信雄は傀儡化されてしまうのである。
本能寺の変とともに伊勢が混乱状態になり、明智討伐などできず精彩を欠いたのは
信長の内政丸投げにより、土着権力が独自に主従を形成する弊害がモロに出てしまい
織田氏は名目上の主にしかならず、事実上の木造氏のよる支配下にあったからである。
つまるところ天正3年6月に信雄が北畠家督と継ぎ、天正4年11月に反織田で面従腹背の北畠氏粛清するも、
12月には木造氏による支配が完成してしまい、信雄の傀儡化という歴史的推移が見て取れる。
信雄は天正2年はまったく書状を発給していないことに着目し
信雄が織田家に突っ返されてしまったとする考え方もある。そして天正3年6月に再度、伊勢入部したとする。
その後、8月の越前一向宗殲滅戦には信雄はなぜか大和衆を率いる塙を部下としているように見え
(塙の大和支配もあくまで信雄の配下としての行動に過ぎないのではないか)
滝川一益や津田一安は信長の命に従っているように見え、信雄とは別系統とも思える。
伊勢衆は信雄の統制下にはまったく置かれてない独自行動してるのがわかる。
北畠は結局、兄弟内訌で滅んだだけだしね。
木造具政は織田を利用して兄の北畠具教を滅ぼして戸木御所を自称してた張本人で
信雄を傀儡擁立にした木造家本家を継いだ首脳人物だからね。外様なわけが無い。
(息子は木造長政・具康・長正・長忠など別名多数)
吉村は単に史料が大量に遺されていただけの話で、
しかもその内容は家康や信雄から「前線の様子の報告ありがとう」な内容の書状ばっかりで
正直、内容も書かれてないので役に立たない書状ばっか。これで首脳とかありえないから。

342人間七七四年2014/02/21(金) 04:45:28.01ID:iyD4cBfU
気に入らない情報があると見るや妄想コピペに走り
知識は信長の野望程度しかない菅沼遼太であった

343人間七七四年2014/09/16(火) 22:11:01.52ID:p2W9pc/s
信雄系が大名として残ってるから滅んでない

344人間七七四年2014/09/17(水) 00:08:24.93ID:JlHf+Ef3
デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね
デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね
デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね
デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね
デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね
デブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ねデブ豚死ね

345人間七七四年2014/09/17(水) 01:35:05.49ID:aQ4KoxpI
内乱で自滅寸前の上杉相手に大苦戦
これが織田が滅んだ真の原因

346人間七七四年2014/09/17(水) 07:25:39.13ID:+FuuvP3K
>>343
一応信包系も長益系も残ってるぜ

347人間七七四年2014/09/18(木) 21:39:17.76ID:fDtBQAVg
天下統一後なら1つの家が暴れて天下人を殺しても
赤松みたいに討伐されて適当な後継者を選んで収まるだろうけど
天下統一途上で皆、功名心が強くて何人もの家臣が
数万もの兵権を持ってたのも災いしたのかも。

とりあえず明智・羽柴・柴田の3者、誰が勝者でも織田家自体は衰退。
明智:謀反の張本人。まあ、娘婿くらいは生かしたかも。
羽柴:歴史通り。
柴田:かつてのマスコットだった信勝を信孝に置き換えただけ。

徳川・滝川・丹羽らが変後の勝者であったらどうかな...。

348人間七七四年2014/09/18(木) 21:56:39.35ID:2WlXuSY8
徳川:助勢を装い織田領になだれ込む
滝川:上野・信濃・甲斐・木曽ぐらいもらって関東平定にまい進する
丹羽:信孝を立派な主君に据えて、自身も権力をふるう

349人間七七四年2014/09/18(木) 23:26:15.64ID:9YD8+jTP
明智以外は正直あんまり変わらんと思う

350人間七七四年2014/09/19(金) 22:52:51.66ID:J+9/+P29
織田信塚さんは大坂の陣で大将に抜擢されたのに
逃亡してしまったからな。

351人間七七四年2014/09/20(土) 01:54:17.66ID:9b1pws6k
清洲会議での分配で織田の領土が激減しちゃったのが痛いな

352人間七七四年2014/09/20(土) 04:31:07.00ID:2RpaxlOS
カリスマ経営で指導者あぼーん
強引な経営手腕で他所から嫌われ、秀吉と講和したら家康に
愛想疲れた。

353人間七七四年2014/10/14(火) 17:42:26.17ID:q2PUs9EG
織田は、そこそこ生き残った方でしょう。江戸時代まで
当初は石高こそ少ないものの国主扱いだったわけだし、

354人間七七四年2014/10/14(火) 17:54:18.04ID:PkdYXQKF
信雄がうまく立ち回れば大老になって太閤の死を迎えられたと思うけどな
秀信の関ヶ原もそうだけど当主の判断ミス

355人間七七四年2014/10/24(金) 10:21:19.83ID:m8bvBMvZ
群馬の小幡に織田家累代の墓があるけど織田家は完全放置。
自治会の人達が好意で掃除したり管理している。
墓石を見つめていると諸行無常の響きありって平家物語のフレーズが思い出される。


https://www.youtube.com/watch?v=3YnDHYCqelU&index=3&list=PL8798991C7C4BB834

356人間七七四年2014/10/24(金) 21:39:26.16ID:jZQPHqRe
むちゃくちゃマジレスすると、織田家は元神官家だからじゃないの?
神官(公家も含む)ってのは昔、死を穢れと考えて親の葬式もおざなり墓参りもおざなりだったらしいじゃん。
べつに親不孝ってわけじゃないんだけど、かつての習慣が今も抜けきれず放置状態とか。

357人間七七四年2014/10/25(土) 22:16:24.16ID:vKPpDJN5
織田信雄は伊勢での育ちが悪かったんだな

358人間七七四年2014/10/26(日) 07:49:51.41ID:qQUISC2F
村井や菅谷が生き残っていればね。

二条城で信忠と一緒に信忠の奉行衆まで全滅したのが痛かった。

信忠の奉行衆が生き残っていたら清州会議の結果もかなり違ったんじゃないかな。

359人間七七四年2014/10/26(日) 23:14:39.72ID:viVwJXTM
難しいところだなあ…。
信忠配下には美濃衆が多くいたから同じ美濃つながりの利三と
土岐説とれば明智絡みで因縁つけられて凶に出たとも限らない。
あとは池田と丹羽だが池田は金や領地以前に由之の絡みもあるから
史実どおり秀吉に付かざるを得ないだろうが。

360人間七七四年2014/10/26(日) 23:39:00.87ID:bXA34Eo+
あああ

361人間七七四年2014/10/27(月) 20:45:10.55ID:5/jg5Azu
>>359
本能寺の変の最大の敗者は美濃衆だな

362人間七七四年2014/10/28(火) 02:05:30.91ID:CV86Nvvx
>池田は金や領地以前に由之の絡みもあるから
>史実どおり秀吉に付かざるを得ないだろうが

金や領地につられた説より時期的に由之関係の方が説得力あるなあ

363人間七七四年2015/04/18(土) 14:37:28.29ID:Dw+ji1Nc
まあ織田家は高長の次男が信良の息子の後を継いだからこれが嫡流みたいだね。武田家は信玄次女と柳沢吉保によるところが大きいけど、
信玄の子孫が絶えたから遠縁である吉保の曾孫を養子にして継がせたのは事実。信義の子孫であることは変わりないんだそうな。
勿論吉保がワンマンになったから土屋や真田も口出しできなかったし、武田家を厚遇出来たのだが。
宇喜多家は明治維新まで血統は続いたため、阿部信行などと同様に前田藩士として扱われるようになった。
ちなみに相馬家こそが実は両上杉の血統なんだよな。これに対し佐竹は両上杉とは別の血統になりつつある。
>>151-163たけど皇室は中韓と同じ血縁重視主義状態だぞ。公家もこれに近くて、南北朝時に断絶した家を江戸期に再興したりしている。

364人間七七四年2015/04/18(土) 16:28:47.22ID:EpRzH8OB
冷静じゃなかったのはわかるが、信忠も可能なら切腹とかしないで信雄と一緒に家康や勝家と共闘して家を守る選択肢あっただろうに
そうしたら秀吉に織田を乗っ取られる屈辱はなかった

365人間七七四年2015/04/18(土) 17:42:42.38ID:SKb4ijS0
>>364
まさか有楽や玄以らがあっさり逃亡できるとは思わなかったのだろうさ
あの時点で正しい状況判断ができるようならそもそも明智が来る前に逃げてる

366人間七七四年2015/04/18(土) 22:02:32.57ID:sIlt/2lu
「織田の五郎左?(有楽)がお腹召せ召せ申されて」なんて唄も残ってるらしいから、
有楽叔父さん、大事な甥っ子に殉死を勧めちゃったんじゃないの?
で、叔父さん殉死の光景目の当たりにしビビって逃亡

367人間七七四年2015/04/18(土) 22:40:52.62ID:v/9qBRCk
詐欺師光秀に騙されたから、これが一番大きな原因
本能寺の変さえなければ、天下は信長のもので
その下に家康や柴田や秀吉が仲良く存在していた

368人間七七四年2015/04/21(火) 17:56:41.84ID:f5vSceEa
>>366
信忠の切腹を実際に見てから逃げおおせたのならそれはそれで凄いぞw

369人間七七四年2015/06/29(月) 06:47:52.99ID:Zq8u0VC0
>>1
本能寺の変で、信長だけでなく
後継者の信忠までもが、一緒に殺されてしまったからな。

秀信は、まだ小さいし、これではどうしようもない。

370人間七七四年2015/06/29(月) 09:44:28.47ID:bg/BmMDE
嫡男の信忠は見込みのあった人物なのですか?

371人間七七四年2015/06/29(月) 17:46:16.33ID:p4f7p7in
織田政権においては官僚組織が微妙だったのが崩壊の最大の原因だろうね
豊臣政権は織田政権よりも官僚組織を構築してたがそれが上手く機能しなかった
徳川幕府の長期の統治は官僚組織の重厚さが最大の要因でしょうねぇ

鎌倉幕府も官僚組織が構築されていたので
北条家による執権政治もそこそこ上手く機能しましたね
室町幕府も官僚組織が構築されていたけど三管四職の身内での争いで機能マヒに陥りましたわな

アレクサンドロス大王の死後ディアドコイ戦争になるのも
拡大路線に官僚組織の充実が追いつかなかったのが要因ですわな

372人間七七四年2015/06/29(月) 19:30:22.35ID:waBZHfjx
>>370
武田を速攻で潰して信長が驚いたくらい

373人間七七四年2015/06/29(月) 20:27:12.49ID:G5XdeXWM
本能寺の変431年目の真実
というヒット作の本によると、家康の優秀さや将来性について
危険視した信長が、家康を本能寺で暗殺する計画を立てた。明智が実行犯を命じられて、
光秀は反論したが、信長に足蹴りされる。
光秀は、軍勢を率いて本能寺に向かい、家来たちには「家康を討つ」と説明していたが、
じつはこっそり家康に内通していて、光秀は信長を討ち取ってしまう。
家康は、信長に裏切られて腹を立てており、本能寺の変の直後に、甲州や信濃に出兵して
織田家の領土を分捕りしはじめた。だから、本能寺の変直後から、織田家はあっけなく衰弱してしまう。
秀吉に至っては、光秀を討って、惟任退治記という本を緊急出版して宣伝に努めたのだが、
その本の中で、「信長は本能寺の中で美女どもを多数集めて淫楽にふけっていた。だから滅んだのだ」
と、悪口言い放題(美女集めて淫乱は秀吉自身だろうが、というツッコミはなし)。
秀吉は、信長のことをじつは嫌っており、その本の中では信長のことを全然敬ってない。秀吉も
織田家の土地を分捕りに熱心。比較的、律儀なのは柴田ぐらいかな。

374人間七七四年2015/06/29(月) 20:59:08.39ID:G5XdeXWM
>>371
家康による組織作りは上手いよね。
豊臣政権だと、秀長は過労で鬱病になるし、利休は処刑とか、学級委員タイプの石田三成は
不良武将どもにリンチに遭いそうになる有様。

375人間七七四年2015/06/30(火) 03:56:15.20ID:ZuEzvX8S
>>369
そもそも秀信は側室腹だから認知されてたかどうかも怪しいな
親父の信忠みたいに正室の嫡男が生まれず、消去法後継者にはなれるかもしれないが
当時2歳とかじゃ織田家での認知度なんてお察しだし


まあなんだかんだ豊臣みたいな末路辿らなかっただけマシなんじゃね?

376人間七七四年2015/06/30(火) 22:16:45.94ID:XcjfiY+e
自分は織田の周囲なら勝家、利家、一益、家康、信雄、長宗我部、光秀が好きで
晩年の秀吉、黒田、子飼い、毛利、景勝、直江があまり好きじゃないので本能寺後は信雄と勝家と家康が四国勢や関東勢味方にして秀吉潰してほしかった
梅雪いたら武田残党も全て抱き込めるし、やる気ない前田は裏切らないし、上杉嫌いな北条も必ず味方になると思う
秀吉政権の連中よりずっと織田旧臣や関東勢のが人間出来てるんだよ

377人間七七四年2015/06/30(火) 23:00:41.26ID:oXtga0eC
宣教師が信長や明智のことについて意外なことを言っている。

明智はおべっかが上手くて、信長は奇妙なくらいに、光秀をひいきにしていた、というのだ。

信長は実力主義だという評判だが、実際の姿は、ゴマスリをする武将を優先する男だというのが
真実。
口答えするような部下は、佐久間みたいに追放されてしまう。実力よりも、信長の気分優先。
光秀は、信長の気分を良くする特技を備えていた。だから、最も引き立てられていた。
だから他の部下たちからは、光秀は嫌われていた。宣教師がそう記録に残している。実力よりも
ゴマスリ優先したから、信長は死んで4ヶ月後には秀吉は、悪口を文書に明らかに書いて
他の大名にくばっているほどだ。

378人間七七四年2015/07/01(水) 00:33:44.09ID:baP0Ro8j
まぁ今も昔も、大身になればゴマスリに弱くなる
あまりに周囲から毎日チヤホヤされるんで感覚が麻痺し、自分を肯定してゴマスリしてくれない人を許せなくなり、部下に意見されると逆切れする
そういう病気の人は今も日本中にいる。信長ですらそういうタイプの経営者だとしても何の不思議もない

379人間七七四年2015/07/01(水) 07:08:04.36ID:KhKwygdT
>>378はよくわかっているじゃないか。日本中にいるよね。
オイラは信長と池田大作はよく似ていると思う。天才性があって、好戦的かつ組織拡大に
精力的に努めるところも。反対意見は認めないところもな。だから潜在的に敵を自ら作っている。

380人間七七四年2015/07/03(金) 14:56:17.17ID:4IjFHu/c
本能寺の変のあと、
家康が、甲斐と信濃を占領したが、
清洲会議で秀吉らが、家康にその領地の返還を迫った様子は、無い。

秀吉や勝家らが、織田家から預かった領地を、それぞれ自分の領地として取ってしまっているから、
家康のことまでは言えなかったのだろう。

381人間七七四年2015/07/04(土) 20:59:04.21ID:pv1r/VQr
家康の領地は信長と共に出陣して武田に勝って、信長から直々に認められた固有の領地
預かってたわけでも、泥棒したわけでもない
立場が家康より下の秀吉や勝家が、徳川の領地に難癖つけるなんて厚顔無恥な真似は出来ない

382人間七七四年2015/07/05(日) 16:57:38.46ID:vdqpgMDy
明智光秀のせいで信長の評判はがた落ち
死んでからも信長への口攻撃をしたのが明智一族で
今もその工作継続中

383人間七七四年2015/07/06(月) 01:19:43.89ID:/Nj2FKuF
>>381 家康は、信長から駿河をもらっただけだぞ。

384人間七七四年2015/07/07(火) 13:51:59.59ID:dPKxXOSz
>>371
確かにその通りでしょうね
信忠に家督を譲ってはいたけど信長中心の体制に変わりはなかったしね
信忠の下に強固な官僚組織を作ってなかったってのは痛かった

385人間七七四年2015/07/07(火) 17:25:33.99ID:v7lGm/b8
>>384
先代・当代が側近もろとも壊滅では官僚組織作ってあっても同じだったと思うよ
安土や岐阜の留守居に宰相クラスが残留してたら別だったろうけど

386人間七七四年2015/07/07(火) 23:30:27.07ID:dPKxXOSz
>>384
そのために徳川幕府は御三家を作ったのよね
織田政権は官僚組織が構築されてなかったから人材が死ぬと転んだわけさ

豊臣政権が関ヶ原後も延命したのは豊臣政権では官僚組織が織田政権よりはあったからよ
だから関ヶ原後徳川家康は豊臣政権の枠内で戦後処理を大阪で行い
五大老筆頭の地位をもって自分に有利なように采配をふるったわけね

豊臣政権の悲劇は徳川家康によってそのまま豊臣政権の官僚組織をいいように使われたことね

387人間七七四年2015/07/12(日) 21:35:12.25ID:xTwvWQ6o
>>385
残そうにも宰相クラスが存在しない。
甲斐侵攻前なら河尻秀隆が三法師を擁して美濃・尾張2国を掌握できる人材だろうけど、
それでも羽柴、丹羽に対抗できるかどうか微妙。史実どおり美濃・尾張を
信孝、信雄により解体されそう。

388人間七七四年2015/07/21(火) 17:51:41.07ID:GjhdLYm+
佐久間や林が改易され、
関東に左遷された滝川は地獄に落ちたと畑柳平氏文書の書状の中で悲嘆してる。
北条に敗れて逃げ帰るというイメージがあるが、
本人はやっと信長が死んでくれたから関東からおさらば出来ると喜んだだろう。
光秀が信長を殺し、勝家や秀吉や池田や丹羽らが織田家を排除し後継体制を勝手に決める専横をしたのも、
このままだと左遷されるのが分かっていたから。

389人間七七四年2015/07/21(火) 18:22:15.38ID:/WNN956s
幕府を開くと長持ちするんだよな
織田も豊臣も一代限りみたいなもんでカワイソウ

390人間七七四年2015/07/22(水) 06:38:29.99ID:zUFrugqr
信長も織田幕府開けば良かったのに

391人間七七四年2015/07/22(水) 10:41:17.60ID:kcd8YkO4
何の地盤もなく謀叛歴すらある柴田はともかく
丹羽や池田や秀吉が左遷されるわけないだろw
畿内守る家臣いなくなっちゃうわ

392人間七七四年2015/07/22(水) 17:31:20.61ID:lffodQ/b
>>389-390
仮に幕府開いた後で本能寺だったとしても鎌倉みたいに早い段階で重臣に乗っ取られそう

393人間七七四年2015/07/23(木) 11:14:08.20ID:+Dd/cXzF
結局、織田一族以外はすべて排除される結末しかないからな。

394人間七七四年2015/07/23(木) 11:30:23.02ID:b6c7JPlu
393みたいなのを被害妄想というw

395人間七七四年2015/07/23(木) 15:38:22.90ID:pVbXpnqo
まず信長は家臣から人望あったのか無かったのか、そこがわからない

396人間七七四年2015/07/24(金) 15:35:15.91ID:gCwpgTdP
池上裕子や日本史史料研究会が
信長の方針を研究した結果
織田一族以外は排除されていくという結論を出してるのも知らんとは。
尾張衆の厚遇→佐久間や林排除→織田一族の厚遇→光秀ら排除と
政権の方針が変化している。

397人間七七四年2015/07/28(火) 14:20:37.39ID:7NtfYhNi
この様子だと秀吉や丹羽や池田は織田一族だったということを知らなそうだなw

398人間七七四年2015/07/28(火) 19:56:55.26ID:AVTlPziB
織田軍の秀吉軍団→一職丸投げにより秀吉家中の形成への道が切り開かれる。
養子織田秀勝が成長し天正8年になると長浜近辺で判物・掟書を秀吉に代わり発給するようになり
長浜から秀吉権益が奪われ始め、最終的に養子にすべて持ってかれる道筋がたつ。
天正10年3月ついに秀勝が初陣し権力移譲が徐々にはじまる。

秀吉の自己防衛対抗策
織田軍団から秀吉家中形成による藩閥自勢力化。
但馬では弟秀長、因幡では宮部へ権力分掌し分国形成と支配強化。
天正8年には黒田へ秀吉が宛行状を発給するなど信長を通さず直接の封建的主従関係構築。
摂津の中川と兄弟の契りを結んだり、池田と秀吉甥の秀次の婚姻同盟。

信長生前における養子による全権剥奪に対抗しての秀吉分国自立化への動きは
信長死後において後継者となった信雄ではなく、秀吉から知行宛行を取得する事例が続発する結果を招いた。
これは信雄が信長から付随された津田一安を粛清する一方で木造氏の滝川雄利の家中支配を容認したため
信雄政権が信長時代に形成された所領・地位などを保障する主体として問題があり、
織田家中から十全な支持を得られなったのである。

399人間七七四年2015/07/29(水) 09:35:08.43ID:Mq2YTg1/
養子を送られていない佐久間や林ら織田家老がまず排除され
次に養子を送り込まれた信長直参が排除される。
これが猜疑心の強い信長の破滅を早めた。

400人間七七四年2015/07/29(水) 15:36:07.20ID:Pb0iGu8l

   ̄ヽ、   _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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   l:,;'"`'、,     ‐=・-;  -・=‐ ;〈           
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    l;゙、',.::l;;;i     ゚人,,__,,人:..   l,      と思う菅沼遼太であった
    l;;;;`‐;;;;;ヽ     , __ij..__ 、:  l;;;,,  
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ    `Zエlフ'´ , !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン" ` ̄´´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
:.:.:.:|  ゙、゙、       `''''''''"",ノ l l  .|  |        

401人間七七四年2015/07/31(金) 01:07:37.54ID:+rssXwjt
古いAA何度も貼られると飽きる。

402人間七七四年2015/07/31(金) 16:24:45.70ID:lrtIvbzS
菅沼遼太板やぞ

403人間七七四年2015/08/01(土) 06:29:33.13ID:Tjt0XNFY
菅沼文太くんちーすw

404人間七七四年2015/08/03(月) 02:24:34.25ID:S8AcI9BN
菅沼遼太個人情報漏れてるぞw

405人間七七四年2016/03/16(水) 21:51:44.84ID:ZUwdgY5T
息子が傍系込みで20人以上居たのに使えんの長男だけで他全部ダメだったてのも凄い

406人間七七四年2017/02/24(金) 05:39:22.41ID:KMfJ/fNs
保守

407人間七七四年2017/03/04(土) 15:48:47.19ID:n5K6NOLq
江戸幕府は大名の絶妙な家格バランスがよかったんだろうなあ
高家とかつくったりしてさ

408人間七七四年2018/03/27(火) 20:11:42.64ID:1jK2GK2e
天皇の血筋の由緒正しき名門武田家(+諏訪大明神)を滅ぼした天罰
寛大に赦してやれば滅びなかったかもな

409人間七七四年2018/05/21(月) 01:10:54.17ID:a4myAYvy
津田も千人斬りとか婦女暴行とか
一族ドキュンすぎ

410人間七七四年2018/05/21(月) 16:01:17.13ID:7B3EdYSB
>>396
池上裕子とか、的外れな「織田信長」書いたことで有名な自称専門家ババアやないか。あのババア信長に何か恨みがあるのかくらい酷い著書を人物叢書「織田信長」で書いていたな。

411人間七七四年2018/05/24(木) 01:35:27.95ID:B+ni0C2R
信忠に赤子がいたからじゃね?

412人間七七四年2018/05/24(木) 12:35:18.31ID:HRVYnEo8
いや全然滅びてないし
甘楽郡の藩主で上野国の国主だったろ

413人間七七四年2018/05/26(土) 20:53:46.90ID:T/yvxJbq
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

414人間七七四年2018/09/09(日) 00:03:10.04ID:t2Mgb+SB
良スレ

415人間七七四年2018/11/28(水) 01:01:54.91ID:EAVDl/5D
信長が能力主義だったせいで家臣もそれを踏襲してしまった

416人間七七四年2018/11/28(水) 07:52:16.46ID:2qjrd89t
武田だってどこだって能力主義だよ

417人間七七四年2018/11/29(木) 14:49:14.45ID:DGnJ2Eck
>>1
守護代の織田本家ならともかくその家来の弾正忠なんて糞以下を残す理由が無いから

418人間七七四年2018/11/29(木) 19:52:37.24ID:d8CxqHNZ
>>389
頼朝は

419人間七七四年2018/11/30(金) 20:53:54.03ID:noEhmV/x
織田家って高家になってるから滅亡はしてなくね?
それに信雄は長生きしてるやん

420人間七七四年2018/12/18(火) 06:22:12.32ID:7rrA9RMe
>>419
高家どころか普通に大名だよ
織田信雄が5万石、織田有楽斎が3万石、織田信包が3万6千石、
足して10万石以上貰ってる。これに高家旗本の系統が合計4700石貰ってるからな
武田信玄の子孫が高家旗本の1つだけ、しかも500石なの考えたらかなり恵まれてるわ

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