【信長のシェフ】戦国時代の食文化を議論するスレ

1人間七七四年2014/08/03(日) 17:41:21.13ID:4qmYxFLX
現代の料理人がタイムスリップして、織田信長に仕えたという
「信長のシェフ」が大人気!!

これにちなんで、戦国時代の食文化を議論しよう!!

信長のシェフ
http://www.tv-asahi.co.jp/nobunaga/

2人間七七四年2014/08/04(月) 01:25:04.49ID:JNCCpEnp
醤油とか味噌汁とかの歴史とか結構わかってないから面白い

3人間七七四年2014/08/04(月) 22:16:14.64ID:GSIxqELX
鮑が贅沢品

4人間七七四年2014/08/05(火) 02:16:59.22ID:3nCAdOE4
酒は濁り酒だったは常識かな

5人間七七四年2014/08/05(火) 17:59:29.09ID:vO8lA4E0
家康は麦飯ばかり食べてた

6人間七七四年2014/08/06(水) 00:18:38.84ID:gTgXFLXO
http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/bunka31.html

日本人は日に三度の食事をする。毎回少ししか食べない。
肉はわずかしか食べない。但し鶏は食べない。
それは鶏は家に飼っているから食べないそうである。

日本人が食べるのは米と豆とムンゴ
(インド地方で木の実を言う)山芋と麦。
また麦をどろどろに煮て食べるようである。
日本人がパンを作るのを見なかった。
米から作る酒と身分の別なく飲む酒があり、
酩酎すると日本人はすぐに眠ってしまうので
酔っぱらいは見たことがない。
豆で作るチーズを食べる(豆腐)私は食べたことがないので
其の味はしらない。

7人間七七四年2014/08/06(水) 00:21:35.14ID:gTgXFLXO
http://blog.livedoor.jp/kenko856/archives/50642688.html


『戦争絶ゆることなきを以て、地は物を産せざれども、
本来甚だ豊沃(ほうよく)にして、僅かに耕作することにより、
多量の米を得、即ち当国の主要な食料なり。
 また麦、粟、大麦、空豆(そらまめ)、
その他豆類数種、野菜は大根、蕪(かぶら)、茄子(なす)、
ちしゃの実。また果物は梨、石榴(ざくろ)、
栗などあれど甚だ少なし。
肉は甚だ少なく、全国民は肉より魚類を好み、
その量多く、また甚だ美味にして佳良なり。』
   〔注.ちしゃ(原文は漢字)はサラダ菜類です〕

 パードレ・ガスパル・ビレラはフランシスコ・ザビエルの後に
活躍したポルトガル人の宣教師です。

8人間七七四年2014/08/06(水) 04:45:23.32ID:AugAYfyf
この手のは宣教師の記録が大活躍だな

9人間七七四年2014/08/06(水) 21:12:54.12ID:StrAilZg
芋茎の縄みたいな携帯口糧には興味がある

10人間七七四年2014/08/07(木) 15:17:07.41ID:RkzM1N5M
あれ、どこかで日に3食の風習は江戸時代に入ってからと聞いた覚えが。
戦国期は通常2食、戦争時3食+夜食ではなかったか。

どのみち油が貴重品だったので炒め物、揚げ物が出来ない。
この時点で現代人の口には合わないだろうね。

思いつきで書くと家康が中ったといわれる鯛のテンプラ
現代人は鯛の鮮度とか寄生虫に思考が行くけど、油が古かったのではと今思った。

11人間七七四年2014/08/08(金) 13:41:23.07ID:3+rQ6dya
1日3食は応仁の乱以降 定着したのは江戸時代

12人間七七四年2014/08/09(土) 00:20:48.34ID:nwfIH3Cr
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%81

16世紀に朝鮮が日本から伝来した唐辛子を使ったことで、
キムチは辛くなった

13人間七七四年2014/08/09(土) 15:04:08.68ID:nwfIH3Cr
しかし日本料理は中国韓国の料理と全然違うな

麻婆豆腐とかカニ玉とかエビチリとかビビンバとか北京ダックとか、
全然日本に輸入されなかった

14人間七七四年2014/08/09(土) 15:49:00.04ID:VrpheoOQ
かなり入ってきてはいるのだが、そのままでは使わないからな
改良に改良を重ねて原型を留めなくなってくる
そして、新しいもの好きだから他の地域のものも取り入れて
戦国時代以降は欧米とその植民地の食文化も大量に入ってきた事で
益々中国料理とはかけ離れた

15人間七七四年2014/08/10(日) 01:10:54.06ID:hovubLBP
しかし仏教の戒めで4つ足は食べないというが、
中国じゃ豚肉や牛肉は食べられていたと言う

16人間七七四年2014/08/10(日) 18:39:11.02ID:rdUu05jc
伝来しても肉や魚料理を知ってたのはごく一部の上流階級だけで
庶民は仏僧等からの、布教から広まった精進料理が発展したのでは?

17人間七七四年2014/08/10(日) 21:51:53.06ID:y0ator/U
長崎の郷土料理である卓袱料理に中華とオランダの影響が見られるんじゃなかったっけ?

18人間七七四年2014/08/11(月) 13:09:58.26ID:ON1VFU+L
江戸時代の都市部では今と変わらないぐらい様々な料理が発展していたが
戦国時代はよく分からない
とりあえず、松茸とか鯛とかは昔から高級品であったようだが

19人間七七四年2014/08/13(水) 03:37:54.77ID:OohdeqJC
>>18
鯛を珍重するようになったのは江戸時代だな。戦国期の高級魚は鯉

20人間七七四年2014/08/13(水) 11:01:51.71ID:jq+KLVXr
大河ドラマが全然料理については詳しくやってくれない
みんな酒だけ飲んでる

21人間七七四年2014/08/13(水) 13:26:17.12ID:OohdeqJC
これ読め

贈答と宴会の中世
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33858.html

22人間七七四年2014/08/14(木) 13:14:57.01ID:7lk8sBB+
本能寺の変の原因と言われる「ふな寿司」を忘れちゃいかん
寿司は江戸時代に普及したから、ふな寿司こそ寿司の古典かもしれん

23人間七七四年2014/08/14(木) 17:27:03.90ID:qd/I3Leq
南都諸白のような酒米と麹の両方に白米を使う酒が生まれたのもこの頃だよな
当時と同じ手法で作った「醍醐のしずく」という酒があるが飲んでみたいもんだ

24名無し募集中。。。2014/08/15(金) 00:51:04.29ID:pCCa4wjB
信長のシェフ

三方が原で多くの家臣を失い意気消沈の家康
ここでシェフが「コンソメスープ」を家康に飲ませて、家康は元気100倍となった

25人間七七四年2014/08/15(金) 02:14:30.95ID:QUnhFur7
>>15
それでいう4つ足は牛と馬のことで豚は関係ない。
日本では古来から牛や馬は神聖な動物ともされていたことや
牛頭馬頭思想もあってそうなっていったんでは?とも言われている。
なんで牛や馬以外は案外と食べられていたらしいよ。

26人間七七四年2014/08/15(金) 09:52:28.78ID:D+zxlL16
明治初期の日本中の村の記録を読むと
  人口 世帯 石高 牛頭数 馬頭数
が記載されている。
牛、馬は農機として裕福な農家だけがもてる財産だったみたいだから食べてないと思うよ。

27人間七七四年2014/08/16(土) 07:07:22.60ID:/jfnI7nE
別に禁止されていた訳ではないが、やはり肉食はゲテモノ食いの様に見られて一般的ではなかったな
地方では肉食忌避の風習が昭和40年代ぐらいまで残っていたし

28人間七七四年2014/08/16(土) 09:21:32.00ID:aQjyz8HP
まあそれでも百獣屋とかそれなりに繁盛してたんじゃないの?
それに井伊家なんかは牛肉の味噌漬けを作って売りさばいてたらしいじゃん

29人間七七四年2014/08/16(土) 11:33:21.41ID:u4jvSQE2
紀州藩の武士だっけか
友達から鍋借りて豚鍋したら、臭いがとれないと文句言われたのは

30人間七七四年2014/08/16(土) 15:16:14.25ID:kOVFLHqc
いろいろと戦国時代の小説を読んでいるが
どれもこれも食い物といったら湯漬けしか出てこない
あれでよく戦国武者はクソ重い甲冑背負って戦えたもんだ
それとも夜は獣肉喰いまくってたのかな?

31人間七七四年2014/08/16(土) 17:50:07.51ID:dYO4MtDk
>>30
魚や鴨や鶴とかは割と食べてたみたいだけど
ただ百姓や雑兵の類いは米に味噌や塩だけとか
行商から購入した僅かな干物や漬物位しか口には出来なかった様だ

32人間七七四年2014/08/16(土) 18:24:16.56ID:zDCn1JD6
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12114860462

大坂夏の陣について

「米五升、干鯛一枚、並びに糒樽、その外味噌、鰹節、香ノ物、右の通相応に持たせ参るべし。
此外は少も持参つかまつる間敷」(武辺咄聞書)

「今度は手間もいるまじく候間、惣軍小荷駄も無用につかまけり、
三日の腰兵糧ばかりにて罷り出づべし」(大坂御陣覚書)

前述した逸話を見ると徳川家康は大坂夏の陣は短期決戦と踏んで出陣しているようです。

33人間七七四年2014/08/17(日) 04:14:53.41ID:S+M53Loi
>>30
>>31
米や味噌だけど、
その量が半端じゃない。

もちろん長期戦で足りなくなって来る事もあるけど、
一日で玄米五合食うレベル。
大豆自体が貴重だから雑兵は戦さでもなければ味噌は食えない。
普段は塩汁、糠味噌汁。
戦場では塩分、ミネラル初め消費される大量のエネルギーを
大量の玄米と味噌で補給する。
ついでに言うと、大河の官兵衛でも中国大返しで
兵を走らせながら「味噌は必ず舐めよ」と絶叫してた。
経験上熱中症やエネルギー補給に関して何が必要か熟知してる。

すごーく大ざっぱに言うと、
ほぼ百姓の雑兵は米、味噌食えなきゃ戦さなんてしない。

34人間七七四年2014/08/17(日) 19:47:01.40ID:9i3r8aw5
>>33
末端の兵達には一度に米を配給すると直ぐに酒(濁酒)にしてしまうから
面倒でも一食分ずつ小分けして配れって言われてたけどな
なので実際は米を大食い出来る機会は戦に勝った後だけだった
多少餓えてる方が略奪にも身が入るしな

35人間七七四年2014/08/17(日) 21:47:50.00ID:VLUFKBwO
>>32
干鯛って美味しいのかな?聞いたことないがw

夏の陣で干鯛食って豊臣を滅ぼしたから、
翌年に鯛の天ぷらが当たったのか? すごい縁だなw

36人間七七四年2014/08/17(日) 22:03:55.97ID:TrSz7JO7
タイは身が締まって脂が少ないから
干物にすればカチカチになって日が経っても酸化する脂が少なく保存が利くんだよ

いま考えた説だけど

37人間七七四年2014/08/18(月) 00:31:03.14ID:kYV8dANv
>>36
それに近い事を海原雄山が言ってた。

もちろん美食対決だから
山岡さんがそれに近いの持って来て
だから食えたモンじゃないってな(実際は旨かった)

ついでに言うと、大久保彦左衛門が病床の井伊直政を見舞った時に
鰹節の欠片を持って行ったと言う逸話がある

鰹節は栄養価の高い機能的な戦場食だったから
実際に病気見舞いと
ともに鰹節をしゃぶって戦場を駆け回った仲の懐旧と
立身出世していいモン食い過ぎたんだろうと言う
彦佐らしい皮肉もあったのでは。

38人間七七四年2014/08/18(月) 07:25:35.39ID:t1Fi46Di
例の大名の弁当の逸話を見るに
鯛より鮭の方が高級だったかもしれないな

39人間七七四年2014/08/18(月) 23:31:01.66ID:kYV8dANv
産地が限定されてるって事もあるかな。

鎌倉殿の好物ってのでも有名だけど

豊臣秀吉が毛利輝元を歓待した時も
地理的に毛利には珍しい鮭を使ったのは
秀吉らしいやり方と言われてる

40人間七七四年2014/08/19(火) 07:34:55.42ID:pw91Mj0H
今も昔も鮭は人気なんだな
江戸中期には村上藩で放流が始まったし
戦国時代にも佐竹家中で鮭を巡って配下の額田氏と石神氏が戦になったという逸話もあるし
相当に高価のものであったようだ

41人間七七四年2014/08/19(火) 12:43:34.63ID:ja1NqZsR
>>40
内陸までやって来る海の魚だから各地で珍重された様だな
内陸に存在する鮭神社は昔はその地域まで鮭が遡上してきた証拠

42人間七七四年2014/08/20(水) 15:57:12.12ID:xfcQpAaF
官兵衛「吉川様のそのお命、この官兵衛にくだされえええ!!!」

鮭弁当を差し出す官兵衛

鮭弁当食べて体調悪化した吉川元春

ぜひ大河でこの流れを

43人間七七四年2014/08/25(月) 22:45:01.49ID:aZU5gYdW
結局鮭は出てこなかったな

44人間七七四年2014/08/29(金) 17:01:26.57ID:lKDFZpT0
信長のシェフで、義昭にすっぽん料理を食べさせたのは面白かった

義昭がこだわっていた年号の「元亀」へのあてつけだと思ってたのが

45人間七七四年2014/08/29(金) 19:40:33.93ID:GbgsLNKG
大河の利家とまつで
浅野長政がそうめんを食べるシーンがあったな

当時のめんつゆとかどうだったんだろ

46人間七七四年2014/08/29(金) 21:11:56.44ID:lKDFZpT0
ウィキペディア先生によると、
奈良時代の長屋王の屋敷から出土した木簡に、
そうめんの記載があるらしいが、
室町時代から今のそうめんになったらしい

結構歴史があるんですなあ

47人間七七四年2014/08/29(金) 22:27:10.12ID:7t0m7ntB
>>45
酢と塩だろうね

48人間七七四年2014/08/29(金) 23:58:49.58ID:nkb4W7SD
ねーよwww煮貫きだろww

49人間七七四年2014/08/31(日) 15:19:49.72ID:AGA0WYgK
大河ドラマの時代考証は何をやってるんだ?
信長のシェフを見習って、当時の食事をちゃんと再現せい

50人間七七四年2014/08/31(日) 16:00:15.54ID:o0XbFA8/
めんつゆ
こんぶだしや鰹だしはずっと後なのか

51人間七七四年2014/09/01(月) 07:17:03.87ID:8Raj6Hj0
少なくとも室町時代には確認されているようだから、戦国時代にはあったろうな

52人間七七四年2014/09/03(水) 09:27:50.80ID:tjRNVZyt
そもそも醤油が江戸時代中期からだろ
戦国時代はにゅうめんみたいに味噌汁に入れて食べるのは有ったかも

53人間七七四年2014/09/03(水) 23:26:25.27ID:+LSGJqJr
永正10年 1513 臥蛇島より種子島氏へカツオ節5連、カツオ煎汁の小桶、綿18把(実際は9把)を上納。

と言う記録が有るみたいだから、
カツオ煎汁=カツオだし

はあったんじゃないかな。

54人間七七四年2014/09/04(木) 10:33:46.66ID:/IvtprRM
>>50
出汁はあった。
すでに鰹節の原型はあったよ。

ただ江戸時代の初めごろまでは、醤油よりも味噌のほうがよく使われていた。
そんなわけで水戸黄門が若いころ町の屋台でうどんを食べたり、後に自分で
打って家臣にふるまったときの汁は味噌ダレ。

55人間七七四年2014/09/04(木) 22:30:38.70ID:Ou2Rj+7o
醤油は信長のシェフにも出てこないね
戦国時代にはなかったと説明していたはず

それにしても信長のシェフが最終回とは残念だ
面白かったのに

56人間七七四年2014/09/05(金) 00:56:23.05ID:ocTeY7Rt
戦国時代なんて味噌味噌アンド味噌の頃
とはいえ大豆の万能性には恐れ入る

57人間七七四年2014/09/05(金) 07:19:06.32ID:49Jtgl6I
現代でも大豆の万能性には驚くよ
最近は消滅に瀕しているけど、ご飯、味噌汁、納豆、焼き魚という定番朝食とか
味噌汁は味噌(大豆)、豆腐(大豆)、油揚げ(大豆)
納豆は納豆(大豆)、醤油(大豆)
とか大豆だらけ
大豆に大豆の具を入れて大豆の調味料で味付け
日本人と言えば米だけど、実際は米と大豆と言うべきだな
江戸時代には豆腐料理だけでも数百種類あったらしいが
戦国時代にもそれなりにあっただろうね

58人間七七四年2014/09/05(金) 07:55:06.82ID:7ox6pl5f
米と大豆製品があれば日本人は生きていけるな

59人間七七四年2014/09/05(金) 11:50:03.43ID:r5eBfNQH
>>6-7の宣教師の記録にも豆や豆腐が言及されている
空豆を食べていたというのに、ちょっと驚いたが

60人間七七四年2014/09/06(土) 04:49:20.65ID:c7etwC9X
実際味噌と玄米さえ食ってれば必要栄養素は摂取できるとか聞いた

61人間七七四年2014/09/06(土) 07:22:13.61ID:jhGBqF2Q
白米に替わってから脚気が急増した裏付けがあるからな
その他の雑穀を混ぜるのは栄養補完ではなくコスト削減のためだし
蕎麦も同じように安物穀物扱いだった

ところで大豆は少なとも平安から使われているのは知っているが
救荒作物であることが判明したのはいつ頃だろうな

62人間七七四年2014/09/06(土) 22:02:42.23ID:Cmwt5x2E
正月に黒豆を食べる理由は、まめまめしくなるためにとかいうよね

63人間七七四年2014/09/07(日) 04:34:40.74ID:WH222Ntd
>>57
大豆を腐らせた=納豆
大豆を箱に納めて固めた=豆腐
なのだが、どこかで名前が逆になった説があるよね

64人間七七四年2014/09/07(日) 05:59:25.96ID:G19ltSST
枝豆は未成熟な大豆

65人間七七四年2014/09/07(日) 10:20:00.11ID:RySLBVEI
納豆は、戦国時代に行軍中とかで偶然出来てから広まったイメージがあるけど、豆腐はどうなんだろう、中国から入って来たのかな?

66人間七七四年2014/09/07(日) 17:40:58.63ID:FT6x63qp
確かに、中華料理ではぷるぷるした状態を「腐」という。
それでも中国の麻婆豆腐が存外カチッとしてるのは、ご存知の方も多いと思う。

67人間七七四年2014/09/07(日) 17:50:13.89ID:FT6x63qp
中国では、「腐」という字は腐敗菌で分解された(つまり腐って危険な状態)ことを意味するんじゃなくて、
単に柔らかいことを言っていたのかも。都の肉だし。
「老」という字が、もともと年輪や経験を重ねて立派になったことを意味していたのが、
日本では、いつしか機能が低下してよれよれになったことを意味するようになったように。

68人間七七四年2014/10/05(日) 22:40:06.23ID:ybJzdxl3
レストランじゃ豆腐と言わずに豆富というメニュー名になってきてるね

69人間七七四年2014/10/28(火) 06:57:50.91ID:xdcoo2HP
醤油が無かった時代、刺し身はなんで食べていたんだろうか?

70人間七七四年2014/10/28(火) 11:24:02.23ID:uNruor42
煎り酒

71人間七七四年2014/10/28(火) 17:51:54.68ID:i0fPB//t

72人間七七四年2014/10/30(木) 03:38:33.23ID:NVCwm5xb
塩かな?

おむすびとかもどうせ具はなかっただろうし、塩くらいは振ってたのかな?
個人的には味噌のおむすびが好きだけど

73人間七七四年2014/10/31(金) 02:19:35.76ID:7couTZhp
安土桃山時代は取り敢えず味噌というイメージ

74人間七七四年2014/11/02(日) 21:09:30.67ID:a5918MXS
210 439,583: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2014/11/02(日) 19:16:32.37 ID:ZWWSJUFb0
昔、ある田舎町にとっても繁盛しているホットドッグ屋があった。
経営しているのは老人だったが、いつも笑顔で愛想のいい店主であることも評判が良かった。

この老人が作るホットドッグは「全国一おいしい」と評判だった。
焼きたてのパンに具はボリューム満点で、申し分なかった。
店員の応対も感じがいい。
毎日たくさんのお客さんが来店した。

店内で1個ホットドックを注文して食べ、帰りにまた1個テイクアウトしていくお客さんも珍しくなかった。
毎日とても繁盛していた。

ところで、この老人には息子がいた。
ある有名な大学で経営学と経済学を学んでいた。

ある日、息子が帰ってきて老人の経営ぶりを見て言った。
「お父さん、今は景気が後退しているんです。経費の削減が必要です。
まず、従業員を減らしましょう。
店内の照明も明るすぎます。
広告もやめて宣伝費を浮かしましょう。
ホットドッグの具を減らし、安いパンとソーセージに変えるんです。」

老人は、学のある優秀な息子の言うことに従った。
あれほど美味しかったホットドッグはまずいものになった。
店内は暗くなり、従業員のサービスも行き届かなくなった。

次第に客足は減り、数ヵ月後、このホットドッグ屋は潰れた。

老人は言った。
「やっぱり息子の言う通りだった。確かに不況はやってきた」

75人間七七四年2014/11/30(日) 11:07:25.94ID:EyDwHNXh
>>74
まるで今の日本を見るような話。

76人間七七四年2014/11/30(日) 18:05:17.27ID:qP4w27BE
>>69
魚醤とかもなかったの?

77人間七七四年2014/12/01(月) 20:46:20.86ID:IUqGJzaW
時代は違うんだが御用牙で刺身を塩汁みたいなのにつけて食う話があったな

78人間七七四年2014/12/01(月) 21:01:58.42ID:N5JP6550
時々親戚から玄米が貰えるから、味噌つけて玄米だけ食べてみようかな。
それだけでいいなら、家計的に助かる。
ただ、頑張っても1日5合は食えん。

戦国時代は何から何でも人力だから戦のときでなくても今より運動量は多かった
だろうけど、よく5号も食べれたな。

79人間七七四年2014/12/02(火) 06:45:52.80ID:QQ6O/w83
おかずが少ないと食べられるものだよ

80人間七七四年2014/12/02(火) 12:17:58.64ID:lJVPFA+6
野菜も食わんとビタミンC不足で死ぬお

81人間七七四年2014/12/02(火) 12:58:55.81ID:hbaxEtCz
>>78
植物性食品だけで飯食ってるとすぐ腹が減るから
1日5合もいけそうな気がする

82人間七七四年2014/12/26(金) 10:22:21.63ID:NcTIcz0p
庶民が鉄の包丁や鍋を持っていたのかな?
貧乏人には錆びる金属包丁や鍋なんて維持するのも大変そう

83人間七七四年2014/12/26(金) 11:46:03.38ID:SfJuMxRa
>>82
室町時代には農具や包丁、鍋はたたら製の鉄のものが一般的になってたらしいから大変ってほどじゃないんじゃないかな?
砥石もあっただろうし

84人間七七四年2014/12/26(金) 14:04:34.85ID:XWwk4SsO
明の記録で、倭寇が好んで略奪していく物の一つとして鉄鍋が挙げられている。
まだ国内の需要に対して供給は不足ぎみだったんだろう。

85人間七七四年2014/12/27(土) 10:47:52.40ID:6J7Cy3nB
>>84
鉄鍋は大きい物が好まれたらしいから大きい物が不足してたんじゃね?
たたらの鉄で小型の物は広がってたけど、ふんだんに使った物は珍しかったんじゃね?

86人間七七四年2015/01/10(土) 10:09:42.72ID:nATNL8Yw
もてようとして鉄包丁を使っていた
男がいたんですよ
       / ∧__∧  
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( ´・ω) \/〇と_丿 
( つつ| ̄ ̄| Y 人  
し―(___)__| (__) J 

        な〜に〜!
         やっちまったな!
       / ∧ ∧  
,,∧_∧  /  (゚`□´゚)  
( ´・ω) \/〇と__丿  
( つつ| ̄ ̄| Y 人   
し―(___)__| (__) J  

         男は黙って!
          石包丁!!
     〃〃 ∧∧  
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( ´・ω) 从从〇と_ 丿 
( つつ| ̄ ̄| Y 人 
し―(___)__| (__) J 

87人間七七四年2015/01/24(土) 20:33:43.63ID:5vxntBtJ
織田信長生誕の地 勝幡城推定復元模型
http://mirai660.net/castle/shobatajyoh_model.html

88人間七七四年2015/04/21(火) 09:48:08.87ID:r5ltiz8u
なにか手軽にできる戦国料理の料理を作ってみたいな

89人間七七四年2015/04/21(火) 10:46:21.27ID:SYRoUstL
焼き味噌と湯付け

90人間七七四年2015/04/22(水) 11:46:30.12ID:JHqUEsxy
食材自体が変わってるから
味を再現するのはなかなか難しいかもしれない

91人間七七四年2015/06/04(木) 18:47:31.54ID:4a2AsVbv
戦国時代、農民や下級武士は赤米や黒米、雑穀、麦飯あたりが主食だったという。
そこで気になったんだが、年貢として領主に収める米は、全部ジャポニカ米だったのか?
薩摩藩は赤米まじりと聞いたことがあるが、混合していたのか区別していたのかが気になる……
それとも、戦国時代で言う白米とは赤米とかを精米したものなのだろうか

92人間七七四年2015/08/18(火) 03:44:19.92ID:GNcpA6Fp
保守

93人間七七四年2015/08/20(木) 02:24:05.42ID:22Xxluce
>>91
病害虫対策の品種改良で白米系が残っていくことになるんだけど、納めるのは赤黒白どれでも良かったらしいとどこかで見た
ブレンドはさすがにせんだろうが

94人間七七四年2015/09/17(木) 23:42:37.46ID:jGxaqNPi
米は食うものじゃなく納めるもの。あるいは売るものだからなあ
戦国時代の庶民が米を食えるのは戦での兵糧の支給くらいだったらしいし

95人間七七四年2015/09/23(水) 17:24:29.77ID:D2f3WnWC
>>94
大嘘。庶民も日常から米を食っていた

96人間七七四年2015/10/07(水) 21:57:07.31ID:4B09/V4Y
庶民の口に日常で米が入るようになったのは江戸時代からだぞ
平地に大規模な水田を作る技術が全国に広まり
戦のない太平の世になって米余りの状況が発生し
ようやく一般人が食えるようになった

97人間七七四年2015/10/22(木) 21:28:35.98ID:+FUKstTh
ホントかどうかはわからないけど、戦闘糧食には米が出るからそれ目当てに戦参加をする人もいたって話は聞くね。
あと、それでどぶろく作っちゃうので困ったって話も。
戦国時代の田んぼはほとんど湿田だったって話は聞いたことある。

98人間七七四年2015/11/21(土) 00:06:24.19ID:c2GWyhbb
江戸時代前は陸稲がメインだったからね

99人間七七四年2015/12/02(水) 12:28:41.22ID:EpkfVfE6
すいとんもかなり食べられてたと聞いたことがある

100人間七七四年2015/12/22(火) 11:32:56.72ID:Kau3oJF/
舶来もの好きの信長公が
中華をスルーしてたのはなぜか?

101人間七七四年2015/12/22(火) 17:36:33.41ID:G7kRm0rc
舶来物という印象が薄いからだろう

102人間七七四年2016/01/12(火) 12:29:14.61ID:UawgLDr9
信長公は食にはそう興味はなかったんじゃないかな
スリムだし

103人間七七四年2016/02/09(火) 00:08:05.59ID:lBjcgj4L
>>97
戦に行けば米が食えるぞぉ
肉も食える、酒も飲めるって
そんな唄があった様な・・・

104人間七七四年2016/02/13(土) 07:11:36.70ID:LhB6rSJd
>>102
柿や瓜を食いながら馬で移動したり
川で採れた魚をその場で膾にして食べたり
湯漬け飯を普段から好んだりとファストフード嗜好なのかも

105人間七七四年2016/03/18(金) 20:03:37.14ID:E6R+Tckk
グルメの代表格が政宗らしいけど、他にも美食家っていたのかな

106人間七七四年2016/03/29(火) 16:11:47.12ID:O8Ula7Tq
>>13
和食・中華食の間で違うメニューばかりを挙げているから
しかも近世に産まれたメニューばかり(文化交流が盛んだった宋までを無視)
炊飯、里芋の煮物、煮豆など、共通するメニューを除外するのは、
意図的にやっているのか?

>>15
中国での仏教普及率は、半分にも届かない

>>65
そのイメージは初耳
納豆は平安時代中期から

107人間七七四年2016/03/29(火) 21:53:58.35ID:sdC+3aDD
2年前のレスに反論しても
そいつ多分もういないからね?

108人間七七四年2016/03/29(火) 23:04:52.92ID:ldznlRBE
日本昔ばなしか何かであったなあ
戦にでた連中に藁に包んだ豆を届けたら暑さで発酵してたってやつ

109人間七七四年2016/03/29(火) 23:11:04.67ID:ldznlRBE
一般的な糸引納豆を資料上で探すと室町中期の精進魚類物語だそうだ

110人間七七四年2016/05/04(水) 01:18:44.67ID:tMVdOFJc
>>105
今更だが細川幽斎は美食家で料理名人だったはず

111人間七七四年2016/05/04(水) 08:18:09.91ID:vzUHUuRQ
忠興も食にはやかましかったそうだ
細川家の場合は料理まで詳しかったから台所方はやりにくかっただろうな

112人間七七四年2016/05/13(金) 00:13:03.31ID:oMDafI8+
デレのない海原雄山?

113人間七七四年2016/05/13(金) 02:30:36.47ID:Q9LipY8s
忠興の場合、当時最高の教養人の一人で利休七哲にも数えられたぐらいだから、単なる食い道楽じゃなくて、茶道の延長のようなもんじゃないか

114人間七七四年2016/05/13(金) 03:12:42.09ID:kt7LzU2e
細川勝元も鯉料理にうるさかったらしいし、一門の伝統みたいなものもあるんじゃないだろうか

115人間七七四年2016/05/13(金) 03:22:39.24ID:/2jWRyCV
お茶席で出す料理ってのは飽くまでお客の為ってのもあるし、腹を満たす食事ではないってのが一方にあって、ふだんのおかずに不服いうってのは武士にふさわしい態度とは言えないとかで、案外うまく折り合いはついてたんじゃないかな

116人間七七四年2016/05/13(金) 06:45:39.25ID:5o5Wqus/
逆に飯にハエとか入ってても素知らぬ顔で黙って食べた殿様もいたぐらいだしな
騒ぎになると台所方は下手すれば腹を切るハメになるから、気を遣って不味かろうが虫が入ってようが黙って食べた
家臣を大切にして文句言わずに黙って食べた大名と、口喧しく文句言って食文化を発展させた大名
どちらが大名として優秀だったのか微妙なところだ

117人間七七四年2016/05/13(金) 16:02:28.85ID:C2u/z6u+
倹約家で有名な鷹山さんでも現代から見ても
結構な料理毎食喰ってたからな、殿様レベルに
なると一般人の想像とは違う世界

118人間七七四年2016/05/13(金) 17:59:20.44ID:1oRELBji
殿様の食う飯は
黒い盆に米並べて一粒一粒選りすぐったりするんだよな

119人間七七四年2016/05/13(金) 19:21:35.58ID:8IFDHxc+
>>117

ようざん本人も倹約してたんじゃないの?
何食べてたの(ソースもプリーズ)

120人間七七四年2016/09/26(月) 02:44:55.91ID:7tEJbZUo
敗走中に、殿様に食事を出したら「カゴを担ぐ
兵に食わせろ。殿は腹を切るだけだから飯などやるな」
って言って、結局家来だけ食事をしたのはどこだっけ?
あんなとこは食文化が発達しないだろう。

121人間七七四年2016/09/30(金) 18:34:30.36ID:pKNa+RMn
関ケ原から逃げるときの薩摩っぽ

122人間七七四年2017/02/20(月) 05:41:37.39ID:sHcVikPG
age

123人間七七四年2017/10/15(日) 09:45:24.92ID:2JfKYhAf
sage

124人間七七四年2018/04/16(月) 19:28:37.92ID:E3JjTMLL
>>120
それって酷い話にも聞こえるが、切腹をする前には食事を取らないものだからな

125人間七七四年2018/05/31(木) 01:46:51.51ID:HlvE/3VQ
虎眼流ニ輪で見た

126人間七七四年2019/02/12(火) 14:40:24.01ID:GKDmxXJa
あげ

127人間七七四年2019/02/13(水) 11:57:43.15ID:vdeeB4UB
>>120
逃げるのも籠なんだ

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