織田信長の正室と側室について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net

1人間七七四年2016/04/09(土) 07:01:01.12ID:Lh1c2RtC
タイトル通りです。

2人間七七四年2016/04/09(土) 12:34:31.78ID:6F1S0N+K
重複

3人間七七四年2016/04/10(日) 06:16:15.62ID:o+qhuewL
>>3
どこに重複スレがあるの?

4人間七七四年2016/05/15(日) 07:50:10.34ID:pgpxEuiY
どの様な人物だったのかな?
母性が強い人達だったのか?

5人間七七四年2016/05/17(火) 18:12:20.97ID:OQ7tMa1E
正室って道三の娘と生駒どっちだっけ?
でもどっちも身分はイマイチの気がする。あんま出生とか気にしなくなってきた時代なのかな

6人間七七四年2016/05/17(火) 20:16:33.69ID:kZi49zaH
道三の娘の帰蝶だろ
ドラマとかでは本能寺で共倒ればかりだが、実際没年は不明 生駒は信忠を産んだから正室に近いけど
不思議と信長も秀吉も正室に子はなかったんだよなあ

7人間七七四年2016/05/18(水) 16:48:04.55ID:AtdvYZuf
ブス専

8人間七七四年2016/05/18(水) 18:08:05.08ID:G/3yuMy3
ブス専ww
言い過ぎw

9人間七七四年2016/06/21(火) 20:59:38.61ID:ckqZQMOL
信忠と信雄の生まれた日が近すぎるので信忠の母は生駒ではないという説が
有力。それと武功夜話が近年偽書としてほとんど確定したので生駒の正室云々
は創作でしょう。

10人間七七四年2016/06/23(木) 21:33:53.41ID:5cJ9sHoc
信忠が正室の養子になったとしてるのが勢州軍記と津島大橋記だったか

11人間七七四年2016/06/25(土) 00:46:02.12ID:zoHfYIdN
有名なのは肉壷ワッショイ事件だな。

12人間七七四年2016/07/10(日) 02:42:45.64ID:I2UYZr71
これかw

 『言継卿記』  永禄十二年七月廿七日
故一色義龍後家壷可為所持、
可被出之由信長連連被申、一乱之刻被失云々、尚於責乞者可自害云々、
然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、國衆大なる衆十七人、
女子之男以上卅余人可切腹由也、仍中分失弗に治定、今日無事に成了。

『言継卿記』  永禄12年7月27日
故斎藤義龍の後家が持っていた名器の壺を、
信長は「よこせ。よこせ」としつこく要求したが、
後家は「私の壺は稲葉山城の落城のときに失われました。
なおも責められるのであれば私は夫の後を追います」と答えた。
そうしたら、濃姫とその姉妹16人がこれに同情して一緒に自害すると
言い出し、姉妹の縁者(有力者)17人を加え計30余人が切腹すると言い出した。
信長は貴重な壺がこれ以上失われることを恐れ、泣く泣く16人の要求を
呑んだという。 そして、それは本日無事終了したという。

美濃美女一族の肉壺コンプリートにあと一歩というところで、
名器に目が眩み強引に迫った信長の悪事が、正妻である 帰蝶に
ばれてしまい、美濃の姉妹16人(壺攻略済み)によって、
しばらく監禁されたというお話。

13人間七七四年2016/07/10(日) 21:21:52.96ID:+QMs6cxv
(信長が一色義龍の後家に斎藤家伝来の壺を所持しているだろう)それを出せといろいろと
言った。義龍後家は永禄十年の岐阜城落城の時に、失くした。なおもあなたが私に現存しない
壺を出せと言うのであれば、私は自害します。であれば、信長本妻(道三娘)とその兄弟十六人も
一緒に自害するでしょう、と言った。

道三の娘(濃姫?)が出てくる貴重な史料ですね。

14人間七七四年2016/07/13(水) 01:09:25.68ID:T2ycHAWq
>>13
その訳、よくよく見るともの凄い滅茶苦茶だな。
2〜4行目の誤訳が致命的に酷い。どこから持ってきたの?

15人間七七四年2016/07/13(水) 01:15:49.18ID:T2ycHAWq
ヤフー知恵袋のコピペか。
岐阜城(時代違い)、兄弟16人(兄弟女子十六人)、言った(の位置)とか、
原文と合わなさ過ぎてびっくりした。

16人間七七四年2016/07/13(水) 01:20:47.18ID:T2ycHAWq
ちなみに「斎藤家伝来の壺」って、斎藤道三家みたいな格調低い家の壷じゃなー。
浅井か六角の壷なんじゃないのw

17人間七七四年2016/07/13(水) 11:45:23.37ID:fJJ4e/g0
>>15 具体的に言わなきゃ始まらないよ。
【故一色義龍後家壷可為所持、 】
 故斎藤義龍の後家が持っていた名器の壺を、
【可被出之由信長連連被申】
 信長は「よこせ。よこせ」としつこく要求したが、
【一乱之刻被失云々】
(稲葉山城の)落城のときに失われました。
【尚於責乞者可自害云々】
 なおも責められるのであれば自害します
【然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害】
 濃姫とその姉妹十六人が一緒に自害すると言い
【國衆大なる衆十七人】
 縁者(有力者)十七人を加え
【女子之男以上卅余人可切腹由也】
 三十余人が切腹すると言い出した。
【仍中分失弗に治定、今日無事に成了】
信長は失われることを恐れ、呑んだ。 本日無事終了した。

18人間七七四年2016/07/13(水) 12:40:00.10ID:QLlby6HL
そんなに姉妹がたくさん居たのか

19人間七七四年2016/07/13(水) 14:06:26.45ID:latMNqUG
これ本当に貴重なエピソードだわな

20人間七七四年2016/07/13(水) 14:22:49.19ID:fJJ4e/g0
妻の実家を滅ぼしたからな。
斉藤家のせめてもの一矢報いた反撃?か。

21人間七七四年2016/07/15(金) 00:14:55.92ID:4QRvvC10
斉藤家って江戸時代に新しく生まれた苗字だから戦国時代には存在しないぞ。

22人間七七四年2016/07/15(金) 00:20:42.80ID:4QRvvC10
ほぼ文字についてだけのブログ
http://tonan.seesaa.net/article/75457762.html
江戸時代になるとさらに略されて、「齋・斎」とは別の字種の「斉(齊の略字)」と字体が衝突する。

23人間七七四年2016/07/15(金) 07:22:54.97ID:wNqh77gK
>>21じゃあ、六角文書にて斉藤氏のことが載っていたのはどう書いてあったのかな?
ぐぐってみた。

一彼斉治身上之儀 祖父新左衛門尉者、京都妙覚寺法花坊主落にて、西村与申、
長井弥二郎所へ罷出、濃州錯乱之砌、心はしをも仕候て、次第ニひいて候て、
長井同名ニなり、又父左近太夫(斎藤道三)代々成惣領を討殺、諸職を奪取、
彼者斉藤同名ニ成あかり、剰次郎殿(土岐頼充)を聟仁取、彼早世候而後、
舎弟八郎殿(土岐頼芸)へ申合、井口へ引寄申、其外兄、事に左右をよせ、
生害させ弟、或ハ毒害、或ハ隠害にて、悉相果候、其因果歴然之事。
 一斉治父子及義絶、弟共く生害させ、父与及鉾、親之事取候。如此代々悪逆之体、
恣ニ身上成あかり、可有長久哉。


彼者斉藤同名 などの斉藤の記述があるが、原文の写真を見ないとわからないな。
単に斉藤という略字は当時使われなかったという指摘か?

24人間七七四年2016/07/15(金) 22:04:33.87ID:G6X6zFy0
「六角承禎書状」で画像検索すると原文(写しだけど)見れるよ
そもそも斉は斎の略字じゃないという指摘だろ

25人間七七四年2016/07/16(土) 00:50:59.15ID:/mcEOa0u
>>23
原文画像を見ると斉治の部分は、全部「斎治」と書かれている。
彼者斉藤同名ニ成の部分も、何かの文字の上に「斎」と重ね書きされているね。

26人間七七四年2016/07/16(土) 05:10:04.15ID:f6UxgIwt
>>23
昔は斎号というのがあって斎は身近な漢字だった。
それを「柳生石舟斉」なんて略して書いた日には、斎号の意味から分って無い事がばれてしまう。
六角氏みたいな名門が、そんな略字を使うとは考えにくい。

27人間七七四年2016/07/16(土) 05:23:36.80ID:f6UxgIwt
斎藤氏を斉藤氏と略すのは、江戸時代から。
次に斎藤氏と無関係な生粋の斉藤氏が、戦国時代に存在したかどうか。

その場合「セイトウ」氏と呼ばれるべきだけど、そんな一族の話は全く聞いたこと無い。

28人間七七四年2016/07/17(日) 14:37:38.07ID:e/nwO21Q
ぶっちゃけどうでもいいことだがなw
道三の末裔とされる池田家に仕えた信五の直系家系は
ずっと斎藤(史料上でも略字なし)
同じく道三の孫とされる信長養女を嫁にした池田之助の孫の一人が
蜂須賀家に仕え斎藤姓を用いたけどこっちも斎藤で略字なし。

29人間七七四年2016/07/17(日) 15:10:48.01ID:TFMlF5yz
斎治は、斎藤治部大輔義龍の略。父は左近太夫。祖父は新左衛門尉か。

30人間七七四年2016/07/17(日) 20:33:41.66ID:MSIPPKVT
>>28
斎と斉は元から別の字なんだから略字とかいう次元の話じゃない

31人間七七四年2016/07/17(日) 22:01:05.89ID:m9u2qC6G
本来、「森」を「林」と書くようなものだからな。

中国や台湾の人の場合でも、
齋はzhāi、齊はqíと読むから、齊藤の読みが理解困難だそうな。

32人間七七四年2016/07/17(日) 22:01:48.88ID:m9u2qC6G
齋はzhāi、齊はqi

33人間七七四年2016/07/17(日) 22:06:59.84ID:m9u2qC6G
別に現代日本人に対してどちらの字を使おうとどうでもいいけど、
中世史の話をしていて斉藤義龍、斉藤道三とか出てくると、この人の知識相当危ないなと思ってしまうw

34人間七七四年2016/07/18(月) 02:00:59.60ID:OnuFHZJo
つうか>>25氏が原文記述では修正(?)含め斎となっていると
書いてくれているのだからこの話題は決着がついていると思うのだが

>>28
大石内蔵助を援助していた人か
池田やめて斎藤にしたのってやはり蜂須賀だからかね

35人間七七四年2016/07/25(月) 22:08:24.44ID:WmP4OHnV
>>34
それも本当かどうかはわからん
なぜなら・・・当時生きてた人物が今現在いないからだ

36人間七七四年2016/07/26(火) 22:05:00.11ID:kMLL0q1s
字体が衝突するのが江戸時代なんだからありえないだろ

37人間七七四年2016/07/28(木) 20:03:01.62ID:8m0+zopY
世の中には普通に考えたらわかることをどう考えてもわからない人がいるのです

38人間七七四年2016/09/09(金) 22:22:00.34ID:ExnJqOjX
信長正室、側室とも史料が乏しいし、ドラマではほぼ信長正室のみであります。
故に想像でしか語れません。

39人間七七四年2017/04/26(水) 03:00:01.25ID:g1LshY0G
保守

40人間七七四年2017/07/29(土) 23:54:16.33ID:gz2wEx5R
お農としの

41人間七七四年2017/07/30(日) 16:47:42.59ID:Sr/amujS
正室と側室の対立も興味深い

42人間七七四年2018/02/10(土) 15:40:50.61ID:5NhJTZqJ
信忠の母ちゃんは濃姫?

43人間七七四年2018/02/17(土) 07:54:25.13ID:N5QYzo+U
確か大分以前に濃姫の墓発見か?というのがあったと思うが
その後どうなった?

44人間七七四年2018/02/17(土) 09:51:00.72ID:w9uKUZfC
>>42
濃姫でない別の女性と思われるが詳細は不明
一般に信雄と同じ生駒氏とされるが、生物学的に辻褄が合わないとか

45人間七七四年2018/02/18(日) 12:41:12.32ID:3UasShZx
信忠と信雄の誕生日が近すぎるとかそれぞれの生母の戒名や菩提寺が違うとかで
異母兄弟なんでは?という見方が強まってる

46人間七七四年2018/02/18(日) 12:45:19.35ID:K2T7C7tP
まーじで?!

47人間七七四年2018/02/25(日) 08:28:34.36ID:nqHnTgLZ
同じ母から生まれるのは無理
というほど誕生日近くはないと思うけど
その考察の詳細が知りたいな
双子じゃなくても上の子と下の子が同学年
って兄弟も可能だし実際にいるけど

48人間七七四年2018/03/02(金) 08:27:24.89ID:zx1gSJnD
信忠の母が誰なのかを示す記述は一次資料にはない
一次資料ではないが比較的成立年代が早いとされる勢州軍記にも妾腹の出とあるだけ
(ちなみに信雄や信孝は生駒氏や坂氏が母と書かれている)
生駒氏所生と言われるようになったのは信雄系織田家に生駒家が接近するようになった江戸中期から後期以降

49人間七七四年2018/03/07(水) 02:31:57.25ID:Jh6C4zQY
>>47
信忠→1557年生まれ(生まれ月不明)
信雄→1558年3月生まれ

生駒類(吉乃)が寡婦になったのは1556年9月だから信雄が産まれた1558年3月まで
18か月しかないことになる
単純計算で人間の妊娠期間は10か月×2でこの期間に二人産むとなると妊娠期間だけでも
最低19〜20か月は必要で出産後すぐに妊娠は可能とはいえ生理が戻るのに早くても
3週間は要するので込み込みで考えるとかなり厳しい
あと当時の慣習的に出産は重い穢れということもあり農民でも床上げ(21日間)は
守られていたから武家ならなおなので生物学的と民俗学両面で考えるとこの期間に
2人産むのはかなり厳しいと思われ

菩提寺云々は割愛するけど個人的に信忠は側室腹なら斎藤家縁の人で多分信房と
同腹かもしくは二人とも実は生母が濃姫だったような気がしなくもない
ついでに池田之助と信忠双子だったんじゃね?話も興味あり

50人間七七四年2018/03/07(水) 10:54:42.88ID:NtbjBPZ8
松永久秀の本に人質だった久秀の娘を濃姫が気に入って三好長治と破談になった後
伊勢貞為(濃姫の妹の息子)に嫁がせたという記述があったんだけど
だとすると濃姫は少なくとも1570年位まではちゃんと生きてたってことになるのかな

51人間七七四年2018/03/07(水) 18:18:53.78ID:T4o24mLo
>>49
生駒家はその辺をどう認識しているんだろう

現当主は武功夜話を始めとしたいわゆる吉乃ネタアンチの急先鋒だったけど
最近は生駒夫人は信忠の生母ではないのでは?という説が広まってるせいか
信忠信雄五徳三兄妹の母は生駒夫人であるというアピールに必死になってるっぽいが

52人間七七四年2018/03/09(金) 06:44:38.47ID:7diGCMto
わからないけど塩川家と同じで信忠との縁が切れるのは
嫌なのが本音なんじゃないかなーと

53人間七七四年2018/03/09(金) 07:02:46.76ID:7diGCMto
>>50
少しずれるけど松永の娘が嫁いだ相手の姉か妹は逆に池田之助の継室になり
由之を産んでいるのだが継室にと乳母の養徳院が信長に頼んだ時に御台が
之助ならいいのではというので快諾したらしいんだわ
(池田サイドの史料なんで実際の経緯はわからんけどw)
そうなると由之が天正5年(1577)生だからこの御台が濃姫なら確かに1570年位は
生きていたってことになると思われ

54人間七七四年2018/03/29(木) 15:46:59.59ID:C+AVckir
>>49
忌み嫌われ産婦当人も批難の的になることが多かった畜生腹故に
子供はいないことにされたのかな

55人間七七四年2018/04/04(水) 02:36:13.32ID:3+LKhxP4
そういえば双子の戦国武将とか
戦国武将の子供で双子の子供がいたって話はあるのかな?

56人間七七四年2018/04/04(水) 03:20:52.33ID:T/4ONXTX
まこと君

文面を読んでもらえない

つらいのう

つらいのう

57人間七七四年2018/04/04(水) 03:21:23.83ID:T/4ONXTX
と、オレ様は言った

58人間七七四年2018/04/05(木) 03:15:01.78ID:Z33OO3F0
>>55
54氏が書いているような事情で記録には残らないから
史実確定は難しいと思うが双子説なら結城秀康が有名だね
他に家康、忠輝とか秀忠、森坊丸力丸が噂レベルって感じかなあ…

そういえば当時の考え方では双子は先に生まれた方が露払いとして
弟とされて最悪殺されたんだと…。

59人間七七四年2018/04/09(月) 09:47:03.40ID:WjGNUe+2
>>52
最近では信忠の側室とされるその塩川家女と池田元助側室は
実は姉妹ではなく同一(つまり下賜)じゃないのかという噂が
出始めているんだよね
研究が進んだ兵庫のお寺の文書なんかの記載からなんだけど
元助の二男の生年から逆算すると天正8年中には元助側室になっているから
三法師の生母じゃないことにもなるし元助次男はなぜか一条家で養育されていて
池田家に戻ったのは関ケ原の後という不思議
このあたりから本当は元助の胤ではなく信忠の胤だったのかもみたいな話も
あるみたいだよ。時期が老人雑話の信忠と松姫のくだりや甲江和与と重なるだけに
かなり興味あるけど書いてあった本のタイトル忘れてしまい残念

60人間七七四年2018/04/09(月) 22:58:31.54ID:OfsZYIm/
その元助次男はその後どうなったんだ?
武士?

61人間七七四年2018/04/09(月) 23:19:49.08ID:WjGNUe+2
天城池田家(元助嫡男)の家臣で岡山藩士みたい

62人間七七四年2018/04/10(火) 19:07:59.54ID:WDLo/zh6
>>61
ありがとう
もし信忠の胤だったら藩士ってどうなんだろうと思いつつ
秀信みたいなことにならないだけましだったのかな

63人間七七四年2018/04/11(水) 12:13:40.37ID:TCNLwSNI
信長が生きていた時代で考えれば確かにどうなんだろうになるが
変に偉くしていらん睨みや嫌がらせをくらうより良かったんじゃね?
藩士といっても大身外様で江戸期通じて安定しまくっていた岡山藩だし
藩内では宗家一門に列せられて優遇されていたっぽいぞ
(一説に信房の子供と言われる鳥取藩士も鳥取藩内でやはり準一門みたいな
扱いだったらしい)
一見藩士という上下でいえば下だけど結果的には大身の門閥藩士として過ごして
よかったんじゃないかと思うわ

64人間七七四年2018/04/11(水) 12:58:39.85ID:5AxTTiyJ
原田直子なんて実在する人物なの?
信正なんて、実在しなんだろ?

65人間七七四年2018/04/11(水) 14:46:45.54ID:Ql/e+D0S
信雄信孝が同母兄弟じゃね?

66人間七七四年2018/04/12(木) 01:16:16.26ID:QGIh5FNx
流石にそこは母親違いだろう
個人的には信忠・五徳・勝長(信房)と信雄・永姫がそれぞれ同母なのではないかと予想してる

67人間七七四年2018/04/12(木) 04:39:38.78ID:aeVTu7K1
五徳は違うような気がするな
信忠や信房なら氏直の許婚の方じゃないかと
もろもろ考えるとね

68人間七七四年2018/04/13(金) 23:36:14.68ID:6AGmhrOJ
五徳も信忠と同じく後付けで生駒氏腹ということにされた可能性が高いんだっけ

69人間七七四年2018/05/09(水) 13:15:23.57ID:9pKi7kY8
原田直子って実在する人物ですか?

70人間七七四年2018/05/10(木) 07:01:54.18ID:DsRY9ncd
帰蝶さんは磔好きの信長さんに

『槍を刺したままにするなら竹槍で良いでは御座いませぬか』

と進言したそうだ。真槍と竹槍では全く価値が違うからな。
凄い女性だわ。所で濃姫には子はいない。
信長の子は全て側室腹じゃ。

71人間七七四年2018/05/11(金) 02:01:12.73ID:6pxUGtNn
信忠が正室腹なら流石に三郎名乗ってただろうから側室腹であろうとは思う

72人間七七四年2018/05/12(土) 06:52:22.45ID:BFZXDAi9
>>71
塙直政の妹が生母か?

73人間七七四年2018/07/13(金) 21:34:27.02ID:a9DqS290
>生駒家文書によれば信忠の嫡男織田秀信は、岐阜城落城の直後に小折城(生駒屋敷)に身を寄せ、
>その後に生駒家と縁のある知多へ移ったとされる(信長長女五徳も、次男信雄も同じように生駒屋敷に移った後に知多に赴いている)。
>このことから秀信と生駒家は縁戚であると考えられ、信忠は生駒の方の子であったと考えられる。

Wikipediaの信忠のページの出生の項目にこんな文章が追加されてたけど詳しいこと分かる人いる?
出典元が生駒家文書って時点で信憑性は微妙な気もするけど

74人間七七四年2018/07/13(金) 22:56:39.22ID:eTaWnhO5
詳しいって何にさ?

秀信は生駒屋敷に寄ってから生駒と縁のある知多方面に移った
と生駒家文書にはあるから秀信と生駒は縁戚と考えられるんで秀信の父
信忠は生駒腹と思われる

それ以上でも以下でもないんじゃねーの?

秀信預かりの寺の記録なんかだと岐阜城落城後家康の怒りを憚って
(それだけ家康は怒ってた)手を差し伸べようとする人間がいなかった中で
池田輝政は家康の怒りなんのそので秀信の預かり先を探しまくってはみたものの
なかなか見つからず困り抜いていてダメ元で嫁の督姫も巻き込んでもう一度この寺に
懇願して(土下座したという噂もある)受け入れてもらったらしい
だからかこの寺は池田家から寄進受けてる
因みに協力しない寺が多かったのは家康がスルーしろと影で言ってたという噂

75人間七七四年2018/07/14(土) 06:54:41.35ID:OnXHBgVE
>>74
どんなネタを振られようがいつも必ず力技で池田家の話に持って行くあんたのその強引さは嫌いじゃないw

76人間七七四年2018/07/14(土) 07:39:31.26ID:c+X4dJIQ
誰と混同して勝手に認定しているのかわからないが前半は引用された
Wikipediaに対する解釈で後半は秀信が岐阜落城後どうなったのかについて
通説と岐阜に行った時に寺に聞いた話を書いただけで力技でもなんでもないだろ
生駒家文書の秀信のそれについて考察するなら通説と対比させないと
ただの言いがかりにしか読めないが言いがかりつけたかったのならすまんな

77人間七七四年2018/07/16(月) 02:24:09.84ID:T+GHwifP
>>73
生駒屋敷に身を寄せたというだけで縁戚だと断定するのはやや厳しいように思う
しかも秀信が滞在したのはほんの数日だけみたいだし
それと知多と生駒家ってどんな縁があるんだ?

78人間七七四年2018/07/20(金) 18:24:32.42ID:PZwmChLa
>>76
質問内容を具体的に書けないクレクレ野郎にはマジレス厳禁でっせ
いい勉強したと思って次から気を付けなはれ

79人間七七四年2019/02/27(水) 14:52:19.61ID:BQVvAkky
>>51
直系の人のサイトでは信忠信雄徳姫の母親と家系図に書かれている。武功は生駒古文書と秀吉関連の本からの創作。本を書くときの約束らしい。

80人間七七四年2019/02/27(水) 14:56:28.68ID:BQVvAkky
>>53
継室は正室と別れたり死別したあとにもらう奥さんの事

81人間七七四年2019/02/28(木) 03:38:17.63ID:xcBftviz
池田家の史料でも判然としない部分があるがとりあえず
恒興についてとりまとめた池田家史料では由之の母親は
継室であってるぞ

・正室→義龍の娘
・継室→伊勢の娘(由之母)

なぜ元(之)助の嫁が道三の血筋に拘るような感じなのかは
わからんが池田スレにあった信長の庶子疑惑、史板にあった信忠と
双子疑惑(生母は濃姫ないし斎藤家由縁の女)そして他方になるが
信長が信忠、信雄、信孝に対してお前らも元(之)助のような働きを
するよう見習えよ!と元(之)助の働きを賞嘆して喝を入れたたという
逸話なども考慮すると信長の子だった可能性が高いんでさもあらんって感じ

82人間七七四年2019/03/02(土) 01:25:06.99ID:pwsuPwjW
いまだに生駒寵愛と書いてるブログなどあるしなんでそんなに寵愛にしたいんですかね? 
不思議で仕方ない。吉乃の時点で武功ネタだとわかるし。それが歴史専門サイトだったりするし。調べれば矛盾がわかるのに。

83人間七七四年2019/03/02(土) 03:03:23.66ID:qJ+JY/ik
「だがこの通説には疑問が残る」で有名なセンゴク(桶狭間戦記)の影響もあると思う
自称「最新の戦国時代研究を踏まえた作品」なあの漫画が吉乃こそが信長最愛の女性などの
武功夜話そのまんまなエピソードをやったおかげでそれを信じ込んでしまう人が増えた

84人間七七四年2019/03/02(土) 12:22:56.39ID:LjXx+XUg
>>44
信長は母親方を息子の側近にすることが多い。信雄は生駒 信孝は坂氏など。信忠の側近は濃姫の弟など美濃。濃姫かも知れないが濃姫に近い美濃の女性と考えた方が無難かな。

85人間七七四年2019/03/06(水) 23:29:26.43ID:XpW3FmcI
信長は吉乃の事を寵愛していて本能寺にも連れていって二人で手を取り合い亡くなったと書いてあるブログを見つけた。思わずお茶を吹いた(笑)

86人間七七四年2019/03/07(木) 22:58:37.80ID:SFnmIWiR
今更ながら思うことなんですが、なぜ濃姫に関しては幸せであってはいけない風潮になっているんでしょうか。
様々なサイトを見ていても必死んだ、殺された、離縁されたなど書いてあります。なにか発見されると〇〇だから違うと書く。
必ず生駒の方が寵愛だと書かれてあります。本当に不思議で仕方ありません。

87人間七七四年2019/03/08(金) 00:12:02.91ID:Lf/rVPH8
子供が出来なかったから言いたい放題言われているだけやろ

88人間七七四年2019/03/08(金) 06:53:32.88ID:ZotBtKbw
濃姫に関しては全くと言っていいほど記録が残って無いからなぁ
寵愛されてたならもっと記録が残ってる筈なんだが
ねねも小梨だが記録は多く残されてるから子供のいるいないは余り関係ないかと

89人間七七四年2019/03/08(金) 10:28:59.73ID:fDyNMKVL
そうは言っても、濃姫に限らず戦国期の女性については正妻すら記録が殆ど無い。正妻が誰だったかわからんような
武将もいっぱいいる。ねねも官位を得て公的な存在に成ったから記録が残ったようなもの。

90人間七七四年2019/03/08(金) 14:17:42.52ID:+5340sQk
>>81
そうなるとやはり信忠と双子かね~
当時は忌み嫌われる双子故に妾腹とされ畜生腹と
される生母も子供がいないことにされたと…
他方では跡目争いの種にされたくない、しかしスペアも
必要ってことで乳母の家の池田に預けられたと…
本来スペアになるべき弟も養子に出してるし辻褄はあうな

91人間七七四年2019/03/08(金) 15:21:57.28ID:ND/gACEA
濃姫が養子にしてた信忠系の家がずっと残ってたら
もっと濃姫の記録も残ってただろうに

92人間七七四年2019/03/08(金) 18:08:27.25ID:JM5UDWpk
歴史学者の小和田さんはいまだに武功は正しいって言ってるのね。生駒側が創作だと言ってるのに。正室で信長が涙を流してたのも本当だと。濃姫が嫌い何だろうな。この人。

93人間七七四年2019/03/08(金) 18:19:56.36ID:JM5UDWpk
>>91
信長もさぞかしビックリでしょうね。残ったのお前?みたいな。

94人間七七四年2019/03/08(金) 23:52:29.74ID:eNEEvL0k
ねねは実家(杉原→木下家と浅野家)がそこそこの名家として残ったのも大きいと思う
斎藤家も一応家系自体は残ったらしいけどほぼ没落したに等しいからな

それはそうと来年の大河が楽しみ
沢尻エリカは好きな女優さんだしどんな濃姫を演じてくれるのか期待

95人間七七四年2019/03/10(日) 00:23:22.46ID:K39KeEPT
Wikipediaが変わった。通説では正室とされるになってた。

96人間七七四年2019/03/10(日) 04:32:40.70ID:SRTYLfbu
Wikipediaは編集自由だからなあ…

97人間七七四年2019/03/10(日) 11:26:54.22ID:K39KeEPT
>>96
えっ?プロが書いてるんじゃないんですか?編集自由なんだ。

98人間七七四年2019/03/10(日) 13:42:41.58ID:SRTYLfbu
自由だよ
ログインすれば(IP抜き&晒しされるけど)編集も異議ありも
好きに書き込める
だからWikipedia側は出典史料の明記やない場合は要出典など論証に
なり得るものを出すように施したり注意喚起したりして
信憑性を高めようとしたりしている
けど史料の信憑性無視しての自論展開場になっているのも否めないんで
(あまりにも好き勝手やっていて叩かれているのもいる)全くのデタラメでは
ないにせよ鵜呑みは危険なんだが鵜呑みにする人が多いのも事実で史学に限らず
困っている人も多い

今回も信長公記や勢州軍記などを無視した形になってるからそのうち誰かから
指摘くらうはず

99人間七七四年2019/03/11(月) 11:15:13.51ID:cWahdazc
歴史学者とか専門の知識がある人が書いてる物だと思ってました。ありがとうございます。Wikipediaを鵜呑みにするのは危険ですね。

100人間七七四年2019/03/11(月) 14:36:01.73ID:j+VzClr0
いまだに武功夜話をもとにして書かれてる織田信長本があるんですね。立ち読みしただけだけどほとんどそうだった。だから生駒氏最愛説が消えないんですね。

101人間七七四年2019/03/11(月) 17:18:27.03ID:irMFAqpq
【911、311】 46分、旅客機激突、46分、大津波発生
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/airline/1552206681/l50

102人間七七四年2019/03/12(火) 01:49:27.68ID:1M3jUJls
信長の正室は道三の娘と思われてきたが実は御ツマキ?という人だった?

御ツマキは光秀の妹。


御ツマキは生駒氏よりも想いが強い愛妾で本能寺の変はこの人が死んだことにより起こったらしい。と何かで読みましたが本当?

103人間七七四年2019/03/12(火) 03:10:30.63ID:UdNGOi8Q
光秀はいつから斎藤道三のご落胤になったのだ?

104人間七七四年2019/03/12(火) 12:50:22.52ID:PlTRnm3Z
>>102
ツマキは妻木氏

105人間七七四年2019/03/13(水) 21:29:13.00ID:VMG4588h
信長の屏風に貼ってある書状が本物とされてましたね。濃姫関連の資料出てかないかなぁ。

106人間七七四年2019/03/17(日) 14:51:58.50ID:zDQPmnG3
>>50
今更だが「松永久秀と下克上」だろうか
1568年に久秀の娘が祝言と称して織田家に行く
1570年にその娘が信長養女として三好家に嫁ぐ約束
後に濃姫の希望で縁戚の伊勢貞為に嫁ぐ

あと気になって調べてみたら
貞為と久秀の娘の第一子が1580年生まれだった
(続群書類従の伊勢系図)

107人間七七四年2019/03/18(月) 16:57:54.42ID:GqAwHG39
>>106
50だけど、私が初めてこのことについて読んだのは金松誠氏の実像に迫るシリーズです
(松永久秀と下剋上にもそのあたりの記述がありましたね)
結婚後すぐに死んだとか史料がないとか言われている濃姫の1570年代の事が書かれていたので
結構心に残ったんですが、一次資料的なものは読めないので、ここで聞いた次第です

108人間七七四年2019/03/18(月) 19:10:49.99ID:FWDJ2v0n
伊勢の娘が濃姫養女になって池田嫡男に嫁いだって話もあるし
濃姫らしき消息ってちょこちょことあるよね

109人間七七四年2019/03/19(火) 07:35:07.75ID:MXKMgNog
信長妹が道三の側室になってたり濃姫妹が信長家臣の嫁になっていたりちょこちょこと痕跡はあるんですよね。

あの本が出てくるまで信長の女関係なんかほぼ興味がなかったから側室寵愛説が出てきた事がきっかけになったのは皮肉ですが。

あの本が出てきてから何十年も経つけど吉乃お鍋しか出てこないのは信長の奥関係は乱れた事なく運営されていて信長自信も正室と側室の線引きをきちんとしていた結果なんだろうね。


今ある資料を最初から調べたら何かもっと出てくるんじゃないかと思う今日この頃です。

110人間七七四年2019/03/24(日) 12:47:28.95ID:UFEUIyya
秀頼側室で国松の生母である阿古御局も伊勢氏なんだが
宮仕えしていたところを淀殿に熱心に乞われ秀頼の侍女となり
参内する秀頼の車に同乗し公家から無官の武家女がと咎められたのを
天皇から小松殿(平重盛)の子孫だからと許された逸話のある女性で
大坂の陣では秀頼と淀殿と共に自決した侍女の1人
秀頼と近しい間柄なのは女官時代の能力を買われてかと思ってたけど
淀殿が斎藤を介した織田の親族として取り立てた可能性もあるのかな
当時の淀殿は豊臣の中枢に織田関係者を取り立ててるし

111人間七七四年2019/05/26(日) 03:44:09.12ID:iDtqgn6Q
桶狭間も吉乃のおかげで勝ったんだとすごいね。

112人間七七四年2019/06/07(金) 23:10:17.43ID:QU4VaTaw
濃姫みたいな個性的でアクの強い女が
本能寺まで生きておいて何の逸話も残さない
ってのはちょっとおかしいな!
やはり道三が義龍に殺された際一緒に自殺したか、義龍に殺されているかどっちかだな?

113人間七七四年2019/06/07(金) 23:23:37.29ID:kP+nQ6CI
>>112
いいか、信長に嫁いだ斎藤道三娘がどんな個性の持ち主だったかという記録は、一切存在しない。

114人間七七四年2019/06/08(土) 04:26:07.57ID:ELJqqltl
吉乃はもっとクローズアップされてもいいよね
実際信長が一番愛した女性だし
息子三人も産んだのに
なぜか昔から正室というだけで濃姫ばかり
濃姫だってほとんど何の資料や逸話もないのにな

115人間七七四年2019/06/08(土) 08:02:49.30ID:fidMTakv
ここでは信忠母は吉乃じゃない説をどう捉えてるん?

116人間七七四年2019/06/08(土) 18:41:12.18ID:hinhiDKG
ここの総意ではなく個人的な意見だが科学根拠になり得る生物学的に
疑問というか不可能に近いのであれば違うでいいんじゃないかなあ
なんでも科学的根拠を求めるというのは好きではないが人間の生殖サイクルが
生駒だけ別物というのは非常に無理があるわけだしな

>>113
改易数回くらったら改易前までの記録なんてほとんど残らねーぞ
まして女なら残る確率はぐっと低くなる

117人間七七四年2019/06/09(日) 15:02:41.83ID:m08UVRhY
>>108
>>110
室町幕府末期の足利と三好の争いで立ち位置を間違えた伊勢貞孝が討死にして没落して
生き残りも織田時代に明智光秀の組下に入ったから本能寺の変で没落
教育を受けている伊勢氏の子女は戦国時代に貰い手が多かったんだろう

没落してた影響かいくつかの系図でこの頃の系図上の親子関係に混乱が見られるけど
伊勢貞孝や息子達の誰かの娘や妹が各所に散らばってる
二人が書いてる阿古御局や濃姫の姪(道三の娘=濃姫の姉妹が伊勢貞孝の息子に嫁いでる)とかね

あと阿古御局のWikipediaの見たけど御陽成院と陽光院(誠仁親王)を間違えて書いてる

118人間七七四年2019/06/09(日) 16:11:23.15ID:kMHkpexZ
何を今さら(笑)

吉乃(類も)は創作の人物であって実在しない。生駒の子孫でも名前は分からず久庵と呼んでいる。

わかっているのは生駒の娘が清洲で信雄を産んだ、これだけ。これをどうやってクローズアップしろと?濃姫の方が生駒よりはあるね。

武功夜話は偽書ではなく歴史小説。歴史小説として発売することが当初から決まっていたこと。それがどういう訳か一次資料扱いとなり現在に至る。それを大声で否定しない生駒も腹黒い。


吉乃に至っては武功をよく読みもせず最愛の女という文句に撃ち抜かれ様々なブログなどで知った事を勝手に脚色して書く。そして吉乃は信長が一番愛した女だしなという人が増える。


正室も側室も信長を支えた。それで良いと思うけど。最愛の女なんて信長しか知らんわ。



荒そうと思って書いてるんだと思うんだけどさ。

119人間七七四年2019/06/09(日) 17:08:44.49ID:kMHkpexZ
>>115
1555年産まれなら良いけど1557年確定だからちょっと厳しいよね。前夫が9月に戦死しているのなら帰ってきて翌年5月に信忠が産まれるのはちょっと厳しい。そして翌年3月に信雄を出産する訳だから。どちらも未熟児。現代なら生きれるけど戦国時代では無理でしょう。
信忠、信雄の母親の戒名の違いもある。似てるけどね。
信忠が生駒の子であるならなぜ亦妾人の腹にと書いたのかも疑問だし。吉乃が産んだのなら信雄と同じく信忠卿も生駒の娘の腹也で良いのに。

120人間七七四年2019/06/09(日) 17:47:04.09ID:kMHkpexZ
>>114
恥ずかしい奴が出てきたな話(笑)
無知丸出し。
5ちゃんの信長正室やまむしの娘を見てこい。
吉乃なんていないぞ。

121人間七七四年2019/06/09(日) 20:21:56.50ID:kMHkpexZ
>>114
次男信雄生駒ノ息女之腹也、永禄元年戊午誕生

これが生駒の方に関する資料。
これだけで最愛の女だと言えるあなた凄い。
あなたが知らないだけで吉乃がクローズアップされてた時代もあった。大河も何もかも吉乃だったね。でもよくよく調べたら吉乃は作り話だった。

今では吉乃最愛と言うのが一人歩きして俗説になってしまっただけね。武功夜話の信長編は生駒屋敷で愛を叫ぶのは物語であって史実ではない。

122人間七七四年2019/06/09(日) 21:37:48.90ID:pocPCixM
濃姫 『信長殿は生駒殿の事ばかり気にして帰蝶を蔑ろにしているではありませんか!』
ノブ 『生駒は儂の嫡子奇妙を生んだのじゃ。粗略にはできぬ。だが本心から想うておるのはそちだけじゃ』

生駒の方 『信長殿は帰蝶殿の事ばかりで生駒を蔑ろにしているではありませんか!!』
ノブ 『帰蝶は実の兄に親父殿と弟達を殺され故郷にすら帰れぬ身じゃ。憐れとは思わぬか?だが本心から想うておるのはそちだけぞ』


これが真実であろうw
まぁ信忠は生駒の方ではなく濃姫が生んだのではないかと思われる節が多々あるが

123人間七七四年2019/06/09(日) 22:21:33.49ID:GSO460SP
秀吉に処刑された側室いたよな

124人間七七四年2019/06/09(日) 23:07:53.38ID:kMHkpexZ
信孝の母だったような。坂氏だっけ?
武功夜話が偽書だと確定したから信長の女関係は振り出しに戻った訳だ。
信長は誰とでも気軽に話す人だったみたいだしそれでも女関係の話があまり出てこないのだから無いんじゃないの。
ねねに宛てた書状のように正室と側室の線引きをきちんとしていたのだと思う。
真面目で優しい人だったみたいだし信長は。

125人間七七四年2019/06/09(日) 23:13:21.43ID:hwQ6Bi9R
ただまあ側室は多かったか、そういうい印象を強く持たれていた事はあったらしいな。
本能寺の後、秀吉とかにも信長が側室多かったことネタにされてるし。

126人間七七四年2019/06/09(日) 23:24:08.54ID:pocPCixM
相当なプレイボーイだんだろうなぁ

127人間七七四年2019/06/10(月) 09:41:02.60ID:qqSKXBTt
信忠が正室腹だと三郎ではなく勘九郎を名乗った理由がわからなくなる

128人間七七四年2019/06/10(月) 11:22:28.48ID:5nFjnliy
正室腹だと言えない理由があったとか。当時の織田、斎藤の関係で。
正室腹でなくても美濃(斎藤)の関係者だと思うんだけど違うかな。
織田信長関連の本を(名前は忘れた)読んだときに信長は実父よりも義父を尊敬していて道三の手法などをかなり真似てる。信忠が勘九郎なのは道三に敬意を示して新九郎の九郎をとって勘九郎としたとか書いてあってありうるかもなぁなんて思った記憶がある。
そんなわけねーじゃんとか責めないでね。本に書いてあった内容だから。

129人間七七四年2019/06/10(月) 12:14:38.50ID:cyPXtNL7
信忠の側近を美濃人で固めてるし、美濃縁の人である事は確実だと思う。
周囲に遠慮して妾腹と発表したが俺は濃姫だと思うけどな

130人間七七四年2019/06/10(月) 21:45:14.17ID:1wpfpOTK
江戸初期史料に「信忠を正室の養子にした」って記事あり
あと江戸中期史料に「信長御台出産」の記事

はて真相は・・・

131人間七七四年2019/06/10(月) 22:30:52.01ID:NjtMkJF5
>>128
道三が後ろ盾になってくれた事で信長は地盤を固める時間を稼げた訳で恩義は感じていた筈
あと道三も若い頃は勘九郎を名乗ってたらしい

132人間七七四年2019/06/11(火) 15:58:15.69ID:fUg/3avt
>>130
生まれた長男を濃姫の養子にした話は勢州軍記だね
「嫡男信忠は妾腹だ。弘治三年生まれ。濃姫の養子にした。次男信雄は生駒氏の腹だ。三男信孝は坂氏の腹だ。二人は同年同月に誕生した。日数は信孝のが先だと言うことだ。」

養子の話ともう1つ気になる書き方をしてる
信忠は生駒氏以外の側室の子だと読める
だから近年の「信忠の母親は生駒氏ではない説」の論拠の1つになってる
ちなみにこの後の記述は信孝が生まれた時に坂氏は熱田で出産したけど使者がいなくて報告が遅れて信雄が次男になったって話が続く

133人間七七四年2019/06/12(水) 01:21:41.34ID:G6RVqA2G
>>128
その理由については史板にあった信忠と池田元助が実は双子なんじゃね?
という仮説がなんだかんだで一番しっくりくるように思える
レスが分散しているから要約すると当時の慣習から生母が畜生腹と罵られるのを
憚って側室腹として本来なら殺されることが多い片割れだが哀れんだのか
スペアとしたかったのかはわからんが乳母の家である池田に預けられ恒興の子として
育てられたって感じ

以下史板にあった補足関係
信忠と元助は2歳差、名乗りも共に九郎が付く、最近では摂津塩川家菩提寺文書や
池田家&摂家一条家史料から元助側室の塩河女は信忠側室徳寿院と同一ではないか
という噂が出だしている、元助の働きを賞賛し信忠、信雄、信孝に対してお前らも
元助のように働けよ!と信長は序列無視なことをしたという逸話ありなど

134人間七七四年2019/06/13(木) 11:27:37.39ID:xDjEPZCN
そういや池田って輝政が産まれた時のことは具体的な内容が
伝わっているが本来の嫡男だった元助の時のは不思議とないんだよな
嫡子長男だったにも関わらず…
小牧で死んだ時元助の子供が幼少だったとはいえ二男の輝政が残っているなら
嫡男として20代まで生きて一時家督を譲られていた節もある元助だって普通は
何かしら伝わっていてもおかしくはないはずなんだが
こうして言われるとなんか怪しく思えてくる

135人間七七四年2019/06/14(金) 10:25:33.96ID:cEhW+z7y
>>133
甲江和与や老人雑話あたりから引っ張って松姫が輿入れしてくることを
見込んで信忠が下賜した可能性があると推測しているのもあるんだっけ
信長公記によると信長が塩川に金渡したのが天正7年頃と言われているから
下賜の詫び金かもな
三法師が産まれる前だから三法師を産んだ褒美とは思えんし…

136人間七七四年2019/06/19(水) 11:12:31.21ID:8odovLBn
というか塩川自体系図が尾張と摂津を混同して書かれてあったり
一条内基(後の摂家一条)の大政所と政所を姉妹でそうであったと
書かれてあったり(家格的にこれは絶対あり得ないんだと、内基の跡を
継いだのが天皇の皇子なんだが義母であってもこっちも家格問題ありとか)で
どこまで信用していいのかかなり疑問らしい

137人間七七四年2019/06/20(木) 08:45:16.20ID:Q3Pl9U+T
摂家一条側の史料では内基に大政所はいなかったと思うのだが…
そもそも戦国末期の頃の大政所は宣旨を受ける形を取っているけど
あの頃にそういう宣旨を出したという記録ってあったかなー?

138人間七七四年2019/07/07(日) 11:23:51.74ID:BaGqrHEc
その頃に宣旨がでた大政所と北政所は秀吉の母と嫁ぐらい
以外に宣旨がないから(次の政所系宣旨は江戸中期)政所系を
称するというのはかなり不自然に思える

139人間七七四年2019/07/25(木) 13:40:57.67ID:fJEiO9pw
結局堂々巡りしてるよね
濃姫とおぼしき信長妻や斎藤家女の記録はあるけど濃姫だと比定できない
信忠は妾人の腹だけど一般的に「吉乃」が母とされちゃってる
吉乃最愛説を唱える人はなんで同時期に側室だったことが確定してる坂氏をスルーなのか

140人間七七四年2019/07/26(金) 00:33:13.17ID:ZzlLmNj/
仕方ないよ。信長の女関係のは本当にわからない。濃姫は吉乃よりはわかっているかな。
吉乃最愛を言う人は濃姫よりも愛されてる吉乃が全てな訳です。
多分 坂氏が子供を産んでいるからスルーなんだよね。同時種付けだったなんて受け入れられないのだと思う。

141人間七七四年2019/07/26(金) 09:37:53.38ID:DZamqasv
自分は生駒氏(吉乃じゃなくてね)が産褥に陥ったのは永姫出産のときのことで永姫の生年はもっと早いんじゃないかと思ってる
信忠や五徳じゃなくて信雄と永姫が同母なんじゃないのかな

142人間七七四年2019/07/26(金) 11:16:47.09ID:B7jv/5ED
永姫の事は良く言われてるよね。私も永姫は生駒腹だと思っている。吉乃は架空の人物だから武功の全てが作り話な訳よ。
だから信忠の母が生駒氏でも構わないのよね。
私は信忠 徳川の嫁だった徳は正室腹もしく
正室に近い人が産んだ子だと思っている。
だから信雄と生駒家は二人と同腹を強調したのかななんて。

143人間七七四年2019/07/26(金) 19:23:15.34ID:D35Y5kbE
信雄って結局どういうつもりだったんだろう
生母が秘されてる信忠と同腹だとアピール(あくまでも側室腹)したい
信忠は生母がわからないけど信雄は家中に知れてるから同腹だっていうなら信忠も生駒腹じゃないとおかしい
結果的に二人とも生駒氏が母ということになった?
それとも「信忠と一緒に育った」とアピールすることで自分も正室の養子になってるかのようにミスリードしたかった?

144人間七七四年2019/07/27(土) 01:41:29.18ID:o0MTjNA0
信長の跡を継ぐ正当性を強調したかったんじゃないのかなー
秀信は関ケ原の戦後処理で流刑になり死亡しているから
織田弾正家を復帰させる上で正当性が必要だったように思う
その為には信忠と同腹にした方が都合がいい
五徳は本当に同腹だったように思う

個人的には正妻ないし正妻に近い人が生母なのは信忠、信房、氏直許婚
だったように思っている
徳川より格上の北条に対して徳川の嫁より格下の娘を出すとはとても思えないし
徳が嫁いだ頃でいえば本当に生母がそれなりなら徳川より武田に出すと思うよ
信長ってそういうの結構気にするタイプだったらしいし

145人間七七四年2019/07/27(土) 01:49:15.20ID:heGmLc+j
お市の方はやっぱり実妹ではないのだろうな。じゃないと信長の浅井へのあのぞんざいな扱いを理解できん

146人間七七四年2019/07/27(土) 09:10:12.86ID:Z98i6Fnh
>>144
氏直許嫁も特定できてないよね?
武田には養女を出してるけどこの養女も濃姫の手元で育ったんじゃないかって言われてるし
信長生前は明確に序列があったのかな

147人間七七四年2019/07/27(土) 14:00:05.79ID:odjwQrWu
次男だから信忠がいなくなれば 後継者は自分だと思っていたのに 清洲会議でも自分の名前はあがらず信孝と信忠の庶子だった訳でしょう。だからなおさら 信長に認められた信忠と同じ血筋だと強調したかったんじゃないかと思う。

148人間七七四年2019/07/27(土) 14:00:42.51ID:odjwQrWu
次男だから信忠がいなくなれば 後継者は自分だと思っていたのに 清洲会議でも自分の名前はあがらず信孝と信忠の庶子だった訳でしょう。だからなおさら 信長に認められた信忠と同じ血筋だと強調したかったんじゃないかと思う。

149人間七七四年2019/07/27(土) 23:27:38.64ID:tXceYviM
というか信忠の母が生駒氏とされた初出って何なんだろ?

150人間七七四年2019/07/28(日) 01:47:41.68ID:t/RueKG3
もともと信雄系の資料と生駒の資料(だけ)には信忠の母は生駒と書いてあって
武功夜話が出てきて決定付けられた感じ
いまだに吉乃が一番愛した女で3人子を産んで
信長は泣いたのよなんて知恵袋で答えてるやつもいるしね。

151人間七七四年2019/08/02(金) 19:00:02.00ID:sD90YoZt
江戸期まで生き残った家は、家系図を盛りまくってるし
嫡流ではない信雄系織田家と生駒家が、信忠と同腹って事にして家格を上げ
五徳は徳川家との繋がりを重視で家系図に入れて
前田家に子孫を残さなかった永姫を外して入れ替えたと予想w

152人間七七四年2019/08/02(金) 20:01:39.41ID:tV2YF9oP
生駒家の子孫の人は生駒屋敷歴史文庫として活動してる
ネットでも自分たちの考察を発表してる
現代の生駒さんの言い分だと前野家文書(いわゆる武功夜話などが含まれる)に書かれた「吉乃」という名前は創作だと主張してる
武功夜話についても徹底的に否定している

でも武功夜話には「信忠が生駒屋敷で生まれた」という表現がある
これは他の史料にはない
だから武功夜話の恩恵を一番受けているのは生駒家だったりする所が複雑な関係性になってる

153人間七七四年2019/08/02(金) 21:59:19.21ID:L/r4wodL
生駒家といえば荒木村重室のだしが吉乃の娘説ってどこから出た話?

154人間七七四年2019/08/04(日) 09:06:42.64ID:oNWTyX32
>>153
吉乃の段階で他から出てくる可能性無くないか?

155人間七七四年2019/08/04(日) 12:49:38.47ID:usOM17n2
>>154
いや初出がどこかなってこと
生駒家子孫の方が主張してるのは吉乃の先夫は三宅弥平次(明智秀満)説だよね
これも当時の家格とか考えたらありえる話?
なんか武功絡みはどの説を前提にしても矛盾するから変な感じだ

156人間七七四年2019/08/05(月) 04:27:09.28ID:eah1KMJl
>>153
かなり昔にそういうエピソードのあった小説を読んだ記憶があるけど
タイトルも作者も覚えてないな
武功全盛期の頃の新聞小説だったような

157人間七七四年2019/08/05(月) 08:51:29.68ID:zzAWRvoN
お鍋の方も小倉氏か高畑氏かはまだ決着ついてないんだよね?
信長の奥向きは本当にわからんことだらけだ

158人間七七四年2019/08/12(月) 17:51:14.74ID:70a3FNt/
ないからこそ武功が使われる訳で ないからこそ言い放題。

159人間七七四年2019/08/22(木) 18:36:25.85ID:lwpLvlZI
そもそも、武功のとおり生駒が正室待遇だったんなら清洲会議で信雄を推す家臣がいなかったのはおかしいだろう
清洲会議自体近年では織田家のことについて確認するだけで喧々囂々とはしなかったとされてるが
武功を信じた人らはそういうところを不思議に思わなかったんだろうか

160人間七七四年2019/08/25(日) 13:47:54.94ID:krGHJJns
>>159
確かに、信忠の側室腹の子供より正室腹次男の方が正統性があるわ。
武功を信じる人のほとんどは信長&生駒のLOVEストーリーが主だから。その他の矛盾など関係ないのよ。あれだってよくよく読めばおかしな所だらけだけどね。信長を調べてる専門家は最初から相手にしていないし。

161人間七七四年2019/08/26(月) 08:39:38.68ID:+ouTHfh8
微妙にスレチかもだけど信房母が織田信次娘ってどこが出典なんだろう?

162人間七七四年2019/08/26(月) 14:19:08.63ID:c94MD1Td
マルチよくない

163人間七七四年2019/08/26(月) 14:24:45.09ID:c94MD1Td
>>161
勝長スレにレス入れたよ

164人間七七四年2019/08/29(木) 09:50:21.93ID:e3MWeSjo
今やってる信長アニメも帰蝶と吉乃だね
他の同時期の側室も出せばいいのに

165人間七七四年2019/08/29(木) 16:20:38.00ID:jY/GlaRR
>>164
よくある現代人が過去にワープして戦国にいくファンタジー作品じゃなくて桶狭間以前の信長の話なんだな
女性向けではあるみたいだけど織田信次の話とか男向けの作品でもあまり出てこないのにw

166人間七七四年2019/08/30(金) 00:36:35.30ID:1NolYpnf
有名どころの側室で吉乃を出してきたんだろうね。
鍋はずーっと後だし。
坂氏とか出しても誰だそれ?になるから。

167人間七七四年2019/08/30(金) 12:52:51.03ID:6jX0yeI9
小説で有名だからね

168人間七七四年2019/08/31(土) 14:19:46.78ID:I8tGhqw/
吉乃だけを出すから三角関係ぽくなっちゃうのがなあ
他の側室もずらっと出せばなんか壮観だと思う

169人間七七四年2019/09/20(金) 15:02:50.73ID:YL/x5D1W
日本史版の信長の正室スレでは鍋まつり開催中だね。

170人間七七四年2019/09/20(金) 17:55:46.80ID:L5+F4TbG
>>169
なんだろうねあれ
自演?

171人間七七四年2019/09/20(金) 19:38:15.19ID:YL/x5D1W
>>170
とりあえず鍋が正室格の御台で無ければダメな
人たちがたくさんいるね。

172人間七七四年2019/09/21(土) 00:08:36.68ID:dfhXCg+S
生駒氏が厳しいなら小倉氏って感じだな
斎藤氏はさした記録もなく子供もおらずなのに正室として
認知されているのがよほど気に入らないのかもしれん
(かまってちゃんのような気もするがw)
ぶっちゃけ史板で指摘されていたように昭和天皇が娘を降嫁させたような
池田家ですら恒興正室についてまともな記録がないのだから斎藤氏の
記録がなくたってそれも然りなんだし信長を少し特別視しすぎなんじゃねーの

173人間七七四年2019/09/21(土) 12:38:00.43ID:43HvOt2/
新しい資料が出たのかと思ったら。違うのね。
信長の側室って少ないと思われがちだけど実際にはかなり多いんだよね。秀吉にバカにされるぐらい。
小倉氏も側室時代の事はわかっていないのにあれだけ盛り上がれるね。

174人間七七四年2019/09/21(土) 13:09:21.43ID:dbMCORs3
数は多いけど表の仕事には関わらせなかったようだからな
その辺が妻妾や女官達を一種の女性官僚として重用した秀吉や家康との違いで
織田家の奥向きの記録があまり残らなかった理由でもあると思う

175人間七七四年2019/09/21(土) 14:34:40.24ID:s50I5sMe
あおり運転は無視するに限る。だな。

176人間七七四年2019/09/29(日) 20:10:10.84ID:BoGo4BwD
アンチが増えてるね。なんでかんで濃姫は信長に冷遇されていたとしたいらしい

177人間七七四年2019/10/02(水) 06:41:25.14ID:LQCDKtvu
>>176
事実

178人間七七四年2019/10/02(水) 13:22:14.36ID:rDpFLNBz
こっちにも来たか。

179人間七七四年2019/10/02(水) 19:55:49.71ID:UnSDa/vK
今度は濃姫黒幕説はでお祭り状態。
自作自演なのかな。
吉乃がダメで鍋でも相手にされなくて
今度は濃姫黒幕(笑)

見てて面白いけどね。
いまだに鍋押しがいるのは驚いた。

180人間七七四年2019/10/02(水) 19:55:50.24ID:UnSDa/vK
今度は濃姫黒幕説はでお祭り状態。
自作自演なのかな。
吉乃がダメで鍋でも相手にされなくて
今度は濃姫黒幕(笑)

見てて面白いけどね。
いまだに鍋押しがいるのは驚いた。

181人間七七四年2019/10/02(水) 23:43:47.14ID:mp6IOT+5
ホントに濃姫が冷遇されてたら信忠の家臣団を美濃人で固めたりしないやろ
ただ、ほとんど記録が残っていないのは気になる
敵対した家の娘だからあまり表には立てなかったって事情はあるにせよ

182人間七七四年2019/10/02(水) 23:50:55.13ID:Xsl4MlKj
つか信長に限らずこの時代の女性は大名の正妻であっても記録が残っている方が珍しい

183人間七七四年2019/10/03(木) 01:05:43.30ID:DaSkkmfh
それが理解できないんですよ、アンチ濃姫は…
何かと条件が揃っている池田家を例にあげている人も
いたけどわけわからんことで悪態ついて終わったというw

184人間七七四年2019/10/03(木) 07:44:18.13ID:KDYozNGa
>>182
秀吉妻寧々
利家妻まつ
残ってるので

185人間七七四年2019/10/03(木) 11:20:32.04ID:EPkCNTiA
>>184
そのへんもう戦国じゃねーしな。アホか。
三好長慶の妻についての記録がどれだけ残ってると思う?
そういう意味でも時代の分岐点

186人間七七四年2019/10/03(木) 13:57:04.89ID:KDYozNGa
>>185
秀吉とモロに時代被ってるが

187人間七七四年2019/10/03(木) 18:58:18.77ID:tA7I0b70
そりゃ残るよね。秀吉、利家のような妻が表に出なきゃ成立しなかった家。

188人間七七四年2019/10/09(水) 21:41:30.66ID:SVRy8/Mw
家康の正室もほとんど記録ないし…

189人間七七四年2019/10/10(木) 08:59:28.57ID:D8FXT0c4
家康の側室は数多く記録にある
秘書的な存在も記録されてる側室もいる
後半の未成年の側室も記録されてる

190人間七七四年2019/10/10(木) 11:33:41.96ID:6oB8WiqO
それは天下人に成って政権の継続が確実な環境に成って、そういう記録が必要という
状況ができて初めて記録されるように成っただけだな

191人間七七四年2019/10/10(木) 13:38:18.33ID:D8FXT0c4
伊達政宗妻も前田利家のまつも資料に残ってる

192人間七七四年2019/10/10(木) 13:46:42.16ID:6oB8WiqO
そのへんも体制が安定して相続のための記録が必要かつ残りやすい環境になった後のことって
わからないかな?

193人間七七四年2019/10/10(木) 15:43:11.10ID:yMQXKWs0
185の書き込みから一個も進歩ないなこのスレ

194人間七七四年2019/10/11(金) 07:18:52.25ID:OOu+SdaB
>>192
信長とほぼ接触なかった濃姫と思わない?これだけ資料が少ないって
伊達政宗妻は人質経験あるらしいが

195人間七七四年2019/10/11(金) 09:11:43.91ID:IjTsPv/p
母性の強い人たちだったんだろうな

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