戦国時代における騎馬武者の実像とは 2騎目 [無断転載禁止]©2ch.net

1人間七七四年2016/06/13(月) 19:13:23.12ID:oQV1xa1J
戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。

戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?

前スレ
戦国時代における騎馬武者の実像とは
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/

2人間七七四年2016/06/13(月) 19:15:27.27ID:oQV1xa1J
今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の関東の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。

敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。

関西では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、関東の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。
(雑兵物語)

3人間七七四年2016/06/13(月) 19:18:53.33ID:oQV1xa1J
片岡愛之助の解明!歴史捜査

2015年06月18日
21:00-22:00
戦国頂上決戦!長篠の合戦の真実! ※アンコール放送

木曽馬に92キロの鎧武者(人間62キロ+甲冑・武器30キロ)を乗せ100m走のタイムを計った。
結果は12秒。かなり速い。
木曽馬とアメリカ馬との混血は11秒前半。それほど変わらない。
それとは別にアメリカ馬よりも小回りが利くという実験結果も得られました。

また『雑兵物語』などを例に東西における戦い方の違いについても指摘。
関東武士は馬上戦をよくし、関西武士は馬から降りて戦うそうな。

4人間七七四年2016/06/13(月) 19:21:32.48ID:oQV1xa1J
上野のところは下野(延喜式)

平安時代の国別・馬の価格(束)
http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/img/part7/834.jpg
 産地     上  中  下
陸奥     600 500 300 青森、岩手ほか
常陸上野  500 400 350 茨城、群馬(栃木)
信濃出羽  500 400 300 長野、秋田、山形
甲斐相模  400 350 300 山梨、神奈川ほか
薩摩日向  400 300 200 鹿児島、宮崎
三河遠江  350 300 250 愛知、静岡ほか
伊勢美濃  350 300 200 三重、岐阜
尾張出雲  350 250 200 愛知、島根
伊賀近江  300 250 200 三重、滋賀ほか
石見紀伊  300 200 150 島根、和歌山ほか
畿内     250 200 150 京都、大阪、奈良ほか

5人間七七四年2016/06/13(月) 20:45:08.64ID:quDoYRb9
騎馬突撃はあった
その証拠が刀
直刀に反りを入れるってのは突きと返し技が難しくなる
あえて反りを入れるにはそれなりの理由が必要となる
その理由が騎馬突撃

6人間七七四年2016/06/13(月) 22:00:12.00ID:gnlLAF+L
まだやるの?

7人間七七四年2016/06/14(火) 01:28:46.53ID:lc1x4fWh
結論が出てるのけ?

8人間七七四年2016/06/14(火) 03:04:51.60ID:CENBV94C
前スレでも話し蒸し返してるおかしな人以外は特に話すことも無かったような

9人間七七四年2016/06/15(水) 01:59:11.86ID:1QS5Qurj
結論が出てるらしんだが誰もその内容を教えてくれない
どうなちょる?

10人間七七四年2016/06/15(水) 08:15:29.24ID:FHpEJYOd
>>9
騎馬武者の突撃が無いって証拠もない。
少なくとも源高氏の時代までは騎馬武者が騎乗のまま戦闘に参加してた。
だから、好きなようにすれば良いんじゃね

11人間七七四年2016/06/15(水) 11:50:50.10ID:+PpGCBH0
前スレ読んで理解できない人には今改めて説明しても理解されないから無理

12人間七七四年2016/06/15(水) 13:14:51.85ID:CgqVjkck
日本在来馬は東アジアの馬の標準サイズですね


近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。

13人間七七四年2016/06/15(水) 13:15:43.96ID:CgqVjkck
◇和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。

ttp://www.marvellouswings.com/Kattyuu/Reviw/Review.html

14人間七七四年2016/06/17(金) 07:23:01.94ID:ux2I9Id5
>>13
その写真では、甲冑がフル装備とは程遠い簡素なものである点が問題。
夏なんか、フル装備では暑くて人間のほうがぶっ倒れるが…

何処まで走り続けられるかの実験をすれば、たいていのところ馬の体温上昇が隘路になっているから
息が荒くてすごくしんどそうな馬をどんどん蹴り足していると…お尻の下から凄くしんどそうな感触が伝わって来るのがすごい快感と思う人もいます…
そのうちいきなりぶっ倒れて二度と立ち上がらなくなる
…空冷バイクのエンジンが焼き付いたようなもの…
危険が大きいので、
こんな実験は多分できません

15人間七七四年2016/06/18(土) 08:28:20.82ID:1yP+1Tlv
平山優を読むといい

16人間七七四年2016/06/18(土) 08:39:45.63ID:Fk/cJHb9
>>14
甲冑こそ、日本の武者なら臨機応変なんじゃね?
山岳戦に赴く、自分の嫡男が、フル装備している姿を見て、「バカが自殺しにいく」って嘆いたって逸話もあるくらいだし

17人間七七四年2016/06/18(土) 08:46:25.97ID:1yP+1Tlv
>>14
とりあえず、近藤、長塚孝あたりの本を読むべし
人間+甲冑、武装、馬具を含め100kg前後を想定している

18人間七七四年2016/06/18(土) 10:18:14.99ID:I3TDYR5F
なんでぜんぜん調べようともしないでこの話題を続けたがるかねぇ

19人間七七四年2016/06/19(日) 19:37:54.92ID:dZLB7u6D
猛暑の中、時間貸の馬を時間一杯ノンストップ駈歩で騎乗すると、馬というものは意外なほど持久力がないという事がすぐわかると思う。
桶狭間の奇襲も一気に攻め込まず途中でいったん休憩して馬を休ませなければならなかった理由に納得できる。

20人間七七四年2016/06/19(日) 19:42:10.08ID:kXnN9rK5
また訳分からんこと

21人間七七四年2016/06/20(月) 10:42:46.72ID:M0a87jVa
当時の馬は、農耕や物資輸送、人を乗せての移動などに常に使用され、
””訓練されていたから””、
牧場で牧歌的な日常を送っている現在のポニーとでは比較すべきもない

22人間七七四年2016/06/20(月) 21:59:47.59ID:6NDDeId1
そんな話何回目だよ
堂々巡りしてるな
どうせこの後軍馬やポニーがどうたらこうたらとか言う話に持っていくんだろ

23人間七七四年2016/06/21(火) 07:17:49.04ID:76stLzrU
>>21
物資輸送なら、馬が走ると荷崩れを起こす。速度は制限される。
人を乗せるほうも、人は単に乗っかっているだけで縛り付けられているわけではない。馬が走ればたちまち転げ落ちる。
曳き馬では、常歩が限界。
走るためには、曳き馬でなく騎手が馬を御し、人馬一体となってバランスを取りながら騎乗することが必要(練習が大変)。
そんな乗り方をされる馬は極めて少数派(信長の馬?)で、殆どの馬は常歩専門で使われていたに違いない。


現代のポニーこそ、
120kg程しかない小さいポニーに60kgはしっかりある大人が毎日乗る…なんてのもあります。

24人間七七四年2016/06/21(火) 07:54:55.58ID:EUoWOEQm
犬追物なんかもそうだが、それ用のもの人も馬も昔から訓練してるっての
同時代なら矢代勝介みたいな例もあるし

鈴木眞哉のずるいのはあいかわらず「ポニー」という言葉を使っていること
だから聞きかじりの馬鹿が勘違いする

25人間七七四年2016/06/21(火) 23:05:15.68ID:JhLOfvAi
◇本朝食鑑
大抵参州・遠州以東から奥州・夷にかけては、馬が多く牛は少ない。
それで、耕耘運転には皆馬を用いる。
尾州・濃州以西より海辺の国にかけては、牛が多く馬は少ない。
それで、耕耘運転には皆牛を用いる。
就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はんしょく)する。

馬は関東の産が上い。
したがって奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。

近代九州に稍良い馬がある。就中薩洲の産が高大強捷で関東の産に劣らない。
あるいは、古来よりこのようであったともいわれている。

26人間七七四年2016/06/23(木) 07:15:52.06ID:fAQ5Rq6v
馬は比較的乾燥した気候/牛は湿潤な気候を望む。畑主なら馬/田んぼ主なら牛が好まれるのは当然

荷物運びの馬は必要以上に大きいとかえって不便。農園にミカン運びが主な仕事なら、一番小さい野間馬だ妥当なサイズ
一人乗りが主用途なら、大きくても小さくてもどうせ一人しか乗れない。
そのくせ大きいとエサ代もかかるし世話も大変。大きいほうが多少スピードアップするとは言ってもコストに見合った効果とは言い難い。野間馬で十分
陸地が小さい(海岸・琵琶湖までの距離が短い)畿内・中国・四国地方では舟運主/陸運従 大きい馬はいらない
陸地が大きい中部地方/比較的大きい東北・九州なら大きな馬の価値もある

現代の競馬や馬術と違って、
昔は軍馬専用に(不経済には目をつぶって)大きな馬を飼っておくゆとりがなかった/乏しかったのでしょう

27人間七七四年2016/06/26(日) 09:03:03.58ID:au1q4yHe
南部馬はたまにデカいサイズが生まれるようだし
そういうのを集めて騎馬隊を編成し、
斥候や遊軍をやらせてたと聞いたことがある

28人間七七四年2016/07/06(水) 09:54:52.24ID:ZXR/bgBm
>昔は軍馬専用に(不経済には目をつぶって)大きな馬を飼っておくゆとりがなかった/乏しかったのでしょう

騎馬の軍役の対象となる軍馬が荷駄や農耕に使われてたなんて話はどういった史料に裏付けられているんだろう

29人間七七四年2016/07/08(金) 19:05:30.44ID:IMiMl9Jr
戦車を、ブルードーザーや荷物運びにも使うようなものだな。
もったいない。
当時の騎馬武者が使うウマは、大変高価なもの。現代でいえば高級車クラス。
高級車で宅配や農機具運びには使わないわな。

30人間七七四年2016/07/08(金) 22:22:24.47ID:m8S/z/91
>>29
どちらにも使用してるんだが>戦車をブルドーザーや輸送用

31人間七七四年2016/07/09(土) 12:23:28.91ID:zj2drtQ4
M1エイブラムスにつけたブルードーザは、建設工事するためじゃなくて、
埋まっている地雷を砂ごとどかすためな。
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/M1_assault_breacher_
vehicles%2C_assigned_to_the_U.S._Marines_with_the_2nd_Combat_Engineer_Battalion%2C_wait_prior_to_the_beginning_of_Operation_Black_Sand_in_Shukvani%2C_Helmand%2C_Afghanistan%2C_Aug_110804-M-VI276-010.jpg
戦艦大和も輸送船代わりになって陸兵を運んだ記録がある。

32人間七七四年2016/07/09(土) 12:28:55.61ID:zj2drtQ4
山内一豊が妻のヘソクリで騎馬を買ってもらったのは有名な逸話だが、この馬ははるか遠い
東国から来た。東国では馬の産地だったからだが、これは推測すれば
東国や東北では馬の繁殖は行われていて、日常生活でも輸送や農耕に使われていたが、
とくに良い子馬が産まれたときは、騎馬武者用の軍馬として、関西まで運んで売りに出した
といえる。
なお、馬の背中に乗るのは、馬自体も日頃から乗られていないと慣れないとのことなので、
雑用もいくらかはやっていただろう。酷使はしないだろうけど。

33人間七七四年2016/07/09(土) 13:12:16.50ID:bYXrIv7h
>>32
推測って・・・

34人間七七四年2016/07/09(土) 15:20:30.81ID:GGx5yPiG
>>33
推測であってるんじゃね?
戦国時代のはるか以前までは、肥後日向でも軍馬の生産をしてたという資料があった記憶もあるが
戦国時代の軍馬生産地の資料なんてあるのか?
このスレはピンポイントで戦国時代の騎馬武者の実像なんだろ?
戦国時代の資料以外を利用する限りは推測の域を出られない

35人間七七四年2016/07/09(土) 18:53:01.60ID:zj2drtQ4
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の攻め者にて、是れ又、馬入るべき行にて、
推し太鼓を打ちて、懸かり来たり     信長公記より。

関東衆(群馬のあたり)、馬上の攻め者 という表現から馬の産地であることがうかがえる。
「是れ又、馬入るべき」と、「これまた」という表現があるから他の部隊もまた騎馬突撃
をかけていたことがわかるけどな。

36人間七七四年2016/07/11(月) 00:52:43.68ID:SS/JWJDP
関西産の軍用馬は東国、九州産の駄馬以下

37人間七七四年2016/07/11(月) 09:46:01.83ID:EKvZ1Uei
関東地方というか、関東平野というのは
実際には低地と台地の2段構造になっている。東京の山手は台地な。
低地は谷間であり谷津であり、田んぼにするが、台地の部分には河川が
なくて畑作にするしかないんだ。飲み水くらいなら井戸掘ればで間に合うが
台地には田んぼは作れない。
で、そんな台地に馬の放牧場が作られた。「●牧」とか「●原」という地名
が残っている。馬の広大な放牧場だ。馬は谷間の低地などには不向き。
そういう場所は牛の方が合う。九州でも都井岬の野生馬は、火を入れて草原を維持してる。
または関西なら舟の方が合う。関東衆は舟が全然ダメ。
地理的な制約のためだから、どうしようもない。

38人間七七四年2016/07/13(水) 23:36:25.37ID:u4CGB1mb
奥羽、坂東、中部、鎮西…良馬の産地は強兵の産地でもある。

39人間七七四年2016/07/14(木) 07:52:57.77ID:gsTyxJTG
桶狭間合戦のとき、信長が騎馬に乗って大活躍しているんだよな。信長公記に
信長と馬の使い方が詳しく載っている。

合戦当日、信長は鎧を付けてから馬に乗って、一気に10キロほど進む。他の武士も馬か?
10キロも徒歩で駈けたら疲れてしまうと思うが。

熱田神宮で集結。信長は馬に乗ったまま、海岸の砂浜まで行って、大高城の方面で黒煙が
上がっているのを見て、砦2つが落城したことを知る。
砂浜沿いの道は満潮だったので、山沿いの道を馬で進んで、中島砦に到着。馬上から皆に号令する。
「あの今川の兵どもは徹夜で疲れている・・・云々」
信長の家老たちが徒歩で、信長の馬の首のあたりに取り付いて、口々に引き留める。
無視して突き進む。背後から黒雲と強烈な追い風と横殴りの雨が発生。
晴れ間が見え始めたので急ぎで、ここで突撃命令。信長も馬を降りて、ヤリで敵兵を突き殺す。

40人間七七四年2016/07/14(木) 10:43:52.64ID:3+jGo4Dy
>>35が信長公記なんて出したからだな

41人間七七四年2016/07/14(木) 13:13:09.35ID:iCygyOKr
その信長公記に「馬上より数多切り捨て候なり」なんて表現もあるから
太田牛一は騎馬戦闘については織田家中でも状況に応じて行ったことを認めているぞ

しかも>>39の桶狭間は直筆本が伝わっていない「首巻」の内容でしばしばその
信憑性に疑問がつけられるけど、↓の長島一向一揆の収録されている部分は
太田牛一直筆本にもある内容だからな

「信長公記」
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、
一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。

42人間七七四年2016/07/14(木) 14:51:28.71ID:gsTyxJTG
逃げる一機勢を、馬に乗ったままの追いかけ回して
切り捨てていったという印象だな。

モンゴル兵が大平原の戦いでこれと同じことやってる。10万の中国軍が攻め込んだが
1万のモンゴル騎兵が包囲?して、総崩れを起こした中国軍を追撃して馬上から
首を切って回って大殺戮。大草原では、歩兵と騎兵では機動力で勝負にならない。

43人間七七四年2016/07/14(木) 17:01:46.13ID:lIajyNh1
渡河を阻止しようと川沿いに展開してる一揆勢に対して馬で渡河してそのまま突っ込んでる感じじゃないか

44人間七七四年2016/07/14(木) 17:08:15.89ID:3+jGo4Dy
>>42
モンゴル騎兵が一万人も揃ったら、そりゃあ、強いだろうけど
いつの時代?

45人間七七四年2016/07/14(木) 17:14:08.56ID:gsTyxJTG
>>44 うろおぼえで書いたが、
サルフの戦いだね。1619年だから、大阪夏の陣のほんの数年後だ。
秀吉の大軍を押し返した明軍だったが、巨大な明帝国が
ちっぽけな騎馬民族に完敗して滅んだ。

46人間七七四年2016/07/14(木) 17:52:15.68ID:BNFrQVV+
明の滅亡は李自成の乱によるものだぞ…
清は明を滅ぼしてはいない

それに以下にあるように秀吉の大軍を押し返したという認識は彼らにはない

『明史』
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)

47人間七七四年2016/07/14(木) 21:05:16.26ID:rMIuL6Yt
>>36
関東も関西も大して変わらない。
軍馬の育成で重要なのは冬の寒さ
ベルクマンの法則ってものがあって冬の気候が厳しい
陸奥のような北国ほど馬は巨大になりやすい

48人間七七四年2016/07/14(木) 22:33:06.46ID:B6UpVGTH
>>47
上野のところは下野(延喜式)

平安時代の国別・馬の価格(束)
http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/img/part7/834.jpg
 産地     上  中  下
陸奥     600 500 300 青森、岩手ほか
常陸上野  500 400 350 茨城、群馬(栃木)
信濃出羽  500 400 300 長野、秋田、山形
甲斐相模  400 350 300 山梨、神奈川ほか
薩摩日向  400 300 200 鹿児島、宮崎
三河遠江  350 300 250 愛知、静岡ほか
伊勢美濃  350 300 200 三重、岐阜
尾張出雲  350 250 200 愛知、島根
伊賀近江  300 250 200 三重、滋賀ほか
石見紀伊  300 200 150 島根、和歌山ほか
畿内     250 200 150 京都、大阪、奈良ほか

東北
上馬→乗用馬500〜600束
下馬→駄馬300束

関東
上馬→乗用馬400〜500束
下馬→駄馬300〜350束

上方
上馬→乗用馬250束
下馬→駄馬150束

49人間七七四年2016/07/15(金) 06:53:55.44ID:wNqh77gK
ざっと見て、東国産の馬は1.5倍の価格だな。

50人間七七四年2016/07/15(金) 09:49:33.59ID:wuUMCPeH
>>47
北国スウェーデンの軍馬が日本在来馬より小さめなのはどういうわけなんだろうな

51人間七七四年2016/07/15(金) 15:08:32.50ID:MaLg0lel

52人間七七四年2016/07/15(金) 15:46:48.26ID:wlIykoZ8
そもそも人為的に持ち込まれた家畜である馬はベルクマンの法則に従うのかという問題が

53人間七七四年2016/07/15(金) 18:16:23.96ID:siWLPYk+
紀元前からモンゴルの騎兵に悩まされてる中国も軍馬の改良はずっと続けてたけど上手くいかなかったし
気候は大事な要素何じゃないかな

54人間七七四年2016/07/15(金) 20:51:17.39ID:SNuD3sL0
>>47
小国だから。軍馬の育成と改良は金と時間と手間が掛かる
ヨーロッパの強国の軍馬はでかい

>>52
巨馬の遺伝子を受け継いだ馬は冬は容易に超えるけど
夏は逆に乗り越えられない。馬は暑さに弱い動物

55人間七七四年2016/07/16(土) 21:13:39.11ID:37zkjvzv
大きな馬はコストが非常に高い。
餌の量が違うだけでなく、餌の質が違う。
木曽馬・道産子クラスなら草だけでも飼えるが、大型馬は草だけでなく穀物も必要…そもそも馬の品種が違う。人間と食料が競合する
そのくせ一人しか乗れない…荷物運びの馬なら積める荷物の量が違うが、乗用馬ならどうせ一人乗り
小国では費用的に飼えないのも当然

56人間七七四年2016/07/17(日) 13:35:08.03ID:+cuo3tbV
ブレジンスキー著「グスタヴ・アドルフの騎兵」ではスウェーデンの小型の馬については
「寒冷な気候と冬季に牧草が不足することも、良質の馬を育てるうえで障害となり、
国内では小型の馬しか育たなかった」と気候に原因を求めているな

57人間七七四年2016/07/17(日) 18:50:25.19ID:JId7a0hS
北欧なら、トナカイに乗った方がいいんじゃね?

58人間七七四年2016/07/17(日) 19:07:13.00ID:HEcgjTIT
なんで?

59人間七七四年2016/07/17(日) 22:15:17.43ID:Wm/h9Zwb
サンタクロースの国だから?

60人間七七四年2016/07/18(月) 08:13:34.33ID:smVtlRxu
上記58と59は同じ人物かねえ?。
56を読まずに質問してて馬鹿っぽい

61人間七七四年2016/07/18(月) 08:15:39.62ID:smVtlRxu
あっ、馬と鹿(トナカイ)だ。馬鹿という言葉は、馬と鹿を混同したからだという。

62人間七七四年2016/07/18(月) 11:13:20.21ID:uu/EkZrs

63人間七七四年2016/07/19(火) 19:16:42.78ID:AH0+4xX8
               【増田寛也】   核汚染と水俣病   【小池百合子】


増田寛也はこんなヤツ
■前日まで東電取締役
■舛添もびっくりのファーストクラス出張三昧
■岩手県知事を務めた12年の間に公債費を1兆2000億円強に倍増させ岩手を捨てて逃げた
https://twitter.com/kitahamamikiya/status/754484014552010753

「いま都知事選の候補者である小池百合子は、水俣病の患者切り捨てをした人間だ」ということを、水俣病の患者さんに話しましたら、
みな「そうだ、そうだ。トンデモナイ人間だ」と怒っていました。
https://twitter.com/tok aiama/status/755195613298384896


                   窪塚洋介【前より、バタバタ逝くぞみんな】

チェルノブイリのお爺ちゃんが言ってたっつってました。諦めた奴と、無知な奴から死んでったって、順番に。
もう死ぬのすぐ近くだから、前より、バタバタ逝くぞみんな、だから覚悟して腹決めて、OK?。
だれも守ってくれません、むしろ殺しにかかって来てるくらいの感じだと思っています、俺は。
減ったほうがいいんじゃん、癌になったほうがいいんじゃん、癌センターが儲かるから、ムカつくなぁーあいつらマジで!
投票しないほうがいいんじゃん、あいつらが好きにできるから、ファックユー! 投票行くっつーの! おまえらの好きにさせねーぞっつってんの。
https://www.youtube.com/watch?v=5mFtsQ-3QaE


週間AR     「自分を『負け組』と考え、反原発を主張することで正義の味方を演じ・・・」山本太郎の事かと思った。
https://twitter.com/aka shicr/status/592255976788504577
開沼博      良識派ヅラした偽善者の傲慢に付き合うな。コメンテーターの室井佑月が(略)あたかも自分が正義であるかのように語り続けていました。
https://cakes.mu/posts/7862
名無し      食べて応援で人が何人死んだみたいな無茶苦茶なこと、福島県の人に対してよく言えるな…。見苦しい。
https://twitter.com/tok aiama/status/720726309240836097

64人間七七四年2016/07/19(火) 19:29:12.72ID:aWJyMslS
>>60
このスレは、というかこの話題はほとんど同じ人が延々と同じ話題を繰り返してるだけだよ

65人間七七四年2016/07/19(火) 21:42:40.28ID:FmS3rBJY
気が済むまで言わしてあげろよ。
枯れ木も山のにぎわいというし。

66人間七七四年2016/07/22(金) 22:40:19.11ID:wx9WNuPx
常に馬に乗ってるわけじゃないだろ

・馬は消耗品でもあり高級品でもあるのでそんなに数は多くない
・歩兵相手には降りて戦っていた (馬に攻撃を集中されるので)
・敵陣の薄くなったところがあれば馬に乗って突撃をかけた
・馬に乗ったまま戦うのは突撃のとき、奇襲のとき、敵も馬乗りだった場合

とかいう話だろ

この突撃が強烈な攻撃力だったらしいので
馬乗りはエリート揃いであることと存在そのものは疑う余地がない
騎馬武者は一人もいなかったとか言うやつもおるでな

67人間七七四年2016/07/23(土) 07:57:34.68ID:Yklevkyu
>>66
無理に纏めようとしなくても

>歩兵相手には…
じゃ馬に乗る必要ないじゃん
騎兵に対して歩兵が強いなら、歩兵だけで良いだろ?

書き込んでる奴なんて、みんな無駄話を楽しんでるんだけなんだからほっとけば良い

68人間七七四年2016/07/23(土) 08:37:58.31ID:1EpqFkUa
敵陣に乗り込んだら、どうしても速度が遅くなるので下馬

69人間七七四年2016/07/23(土) 10:52:34.85ID:CyfSxpKt
>>66の言うとうりじゃん

70人間七七四年2016/07/23(土) 12:45:45.84ID:Q5mqvJEI
常に馬に乗ってるのは、
馬上射撃やる弓騎馬か伊達に代表される鉄砲騎馬隊じゃねえの

騎馬隊は数が少ないので、ドドッと敵足軽に来られると不利

イーブンもしくは少し多いくらいならずっと馬上からでもいいだろうが

71人間七七四年2016/07/23(土) 13:13:47.54ID:Q5mqvJEI
騎馬の持ち味、突破力を活かした突撃というのは
そもそもいきなりやって効果のあるものではない
不意を突けば奇襲にはなるが、対陣してからではもう無理

突撃というのは相手の「隙」に全力で叩き込むものなんだ
その隙を作るのが数で勝る足軽隊であって、隙ができるまでは騎馬隊はあまり見せ場はない
一度隙を作ったら騎馬隊の独壇場

速く、上からの威圧感もある騎馬突撃と足軽の突撃ではまったく違う
隙に食らってしまったら敵は浮き足立ってしまい、場合によっては一気に潰すことも可能だったろう
騎馬は攻撃の要になることは間違いないんだ

72人間七七四年2016/07/23(土) 13:53:23.40ID:eA5hpafb
騎兵なんて世界中で「攻撃力最高、防御力クソ」みたいな認識だしな
もし突撃止められたら囲まれて死ぬから、じゃあどこでどうやって使うかっていうのを延々試行錯誤してきた

73人間七七四年2016/07/23(土) 17:43:26.43ID:CyfSxpKt
立派な鎧兜つけていながら徒歩で参加していたなら、みっともない。騎馬はステータス。

74人間七七四年2016/07/26(火) 23:39:02.41ID:BjVQ2mFb
>>72
長槍部隊の側面を衝く場合は絶大な効果を発揮したらしいぞ
長さに頼る武芸が未熟な足軽部隊に時速40キロで襲いかかると
長槍部隊は急激な方向転換も出来ず、蜘蛛の子を散らすように
逃げたらしいから

75人間七七四年2016/07/26(火) 23:42:14.43ID:/hySK1Qb
時速40kmはないわー近代の騎兵の速度じゃないか
戦国時代ならいいとこ30kmくらいだべ
それでも十分脅威だけど

76人間七七四年2016/07/27(水) 07:06:30.59ID:+jAUqd1W
馬に随伴する歩兵(足軽)が付いていけなくなるから、そんな高速は出せないよ。
騎馬1騎につき、馬の左右に足軽が一人ずつ付くんだから。

77人間七七四年2016/07/27(水) 07:19:09.22ID:TK3LmO0P
時速30キロなら100メートル12秒くらいだからそんなに早くない
駆ける距離を100メートルくらいと考えても足遅い奴でも3秒後位には追いつく

78人間七七四年2016/07/27(水) 20:23:09.26ID:AgzhRg5/
馬は、それなりに速い。でも、思ったほどは速くないのもまた事実。

超短距離(100b程度以下)なら差が小さいのは当たり前。
人も馬も地面を蹴って動くものである以上、地面との摩擦係数で最大起動加速度が決まってしまうのは原理的に当然(超短距離ではこれが支配的
差が小さいどころか、スタートの合図を受けてから動き出すまでに2個体分の反応時間が必要な分だけ馬がむしろ不利になってしまうこともある。

中距離なら、馬のほうが大抵有利。
中距離だと馬本来のスピードが生きてくるし、
ドスンと乗って蹴るだけで走る馬はありがたい。

が、長距離(10km以上)になってくると馬の持久力が問題で、
普段鍛えている人には追い付かれてしまう…らしいいです。
どこかに、
・ウマは、最大gallop速度7.8 m/sを持ち、10km走ではヒトより速い。
・しかし、10-15分以上ではgallop速度は劇的に減少する。
・長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。
という文章がありました。

79人間七七四年2016/07/30(土) 10:18:06.03ID:cAlTAT4t
>が、長距離(10km以上)になってくると馬の持久力が問題で、
>普段鍛えている人には追い付かれてしまう…らしいいです。

ちなみにそれは同じ装備をした人が走った場合と馬に乗った場合なんですかね

80人間七七四年2016/07/30(土) 12:39:20.30ID:pLESF3RX
騎馬の移動速度は足軽と同じ
ただし突撃時には全力疾走すると思われる
あとは敗戦で逃げるときだな

81人間七七四年2016/07/30(土) 12:45:37.35ID:iuD3R/Av
>>79
まともな馬が残ってない→西国はそうだが東国は違う→西国には騎馬武者がいないって前スレからやってなかったか?

82人間七七四年2016/07/31(日) 21:09:40.53ID:yzm9L0zP
西国には騎馬武者がいない
って、それは言い過ぎだろう。

83人間七七四年2016/07/31(日) 21:44:07.04ID:/kJloSKm
>>82
で振り出しに戻る(笑)

84人間七七四年2016/08/01(月) 09:17:12.27ID:8WDscTbR
>>81
ずっとこんな感じ
>>8
>>64

85人間七七四年2016/08/03(水) 06:51:13.90ID:BYhSj+HJ
短足チンチクリン という意見もありますし
武将の足がつきそう という意見もありますし
持久力が強い といっても サラブレッドと持久走競争をすれば負けるし
・・・・完全に振出しに戻っております

86人間七七四年2016/08/03(水) 14:58:50.23ID:EfhapXJ/
持久走の話なんか出てたっけ?
そりゃトラック内のレースならサラに勝てるはずがないだろうし
サラは粗食に耐えるとか頑丈だとかの特性はあったっけ?

現代人が和式馬術で在来馬に乗っても足がつかないのに
武士の足がつきそうって当時の武士はどれだけ足が長かったんですかね?

87人間七七四年2016/08/03(水) 16:09:35.76ID:EfhapXJ/
だいたい日本在来馬で乗り手の足がつきそうなのなら
同サイズの蒙古馬でも同じだろうし
何しろ東アジアの馬の標準サイズだし


近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。

88人間七七四年2016/08/03(水) 18:09:29.55ID:eNZe9cWa
ポニーサイズといわれてミニポニーを思い浮かべるから足がつくなんてへんてこな発想になるんだ

89人間七七四年2016/08/03(水) 21:10:20.42ID:BYhSj+HJ
人間の眼なんて土台不正確

ミニポニーに大人が乗ったポニー競馬は珍しくない。
ミニポニーでも見る人が見れば足がつくにはまだ十分余裕があるように見える。

が、与那国馬でも見る人によってはいかにも足がつく寸前に見える。

90人間七七四年2016/08/03(水) 22:21:17.99ID:naFf5lRi
与那国馬って日本在来馬の標準サイズなんだっけ?
東アジアの標準サイズの馬である日本在来馬で足がついちゃうなら
同じサイズの蒙古馬なんかもダメだろうし

近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。

91人間七七四年2016/08/03(水) 22:34:39.87ID:F3huENQu
>>85
お前の頭がちんちくりん
体高百三十センチ前後の在来馬に乗って足がつきそうとか、どこの世界の巨人だよ

92人間七七四年2016/08/04(木) 01:39:59.96ID:iYyedEN5
きっと>>85の頭の中の戦国時代の人間は身長が160センチくらいで股下が150センチくらいなんだろう

93人間七七四年2016/08/04(木) 06:08:47.32ID:mmt61NKR
西日本では、与那国馬くらいが標準サイズであることは否めない

94人間七七四年2016/08/04(木) 07:16:05.54ID:kfD42Jl/
与那国馬と聞いて、ちっさ、と連想するが、信長も秀吉も意外なくらいに小男だからな。
織田信長170cm、豊臣秀吉150cm。
ただ、6尺5寸殿と言われた斎藤義龍は約195センチ。浅井長政182cm、豊臣秀頼197cmとか
検証が必要な大男もいる。

95人間七七四年2016/08/04(木) 07:21:03.04ID:VVItbMXr
東アジアの標準サイズガァって
戦国時代の乗用馬の標準サイズを知ってる人間っているのか?
最強(笑)武田騎馬軍団のいる甲斐で体高130cmの死骸?が発見されただけじゃなかったか?
足がつくって妄想は流石だが
戦乱でひたすら騎馬武者を消費し続けた(鎌倉幕府末期から戦争しっぱなし)の日本で
東アジアの標準サイズ(軍馬としての使用下限)がどれだけ残ってるんだ?
資料があるのか?

96人間七七四年2016/08/04(木) 07:47:01.29ID:/D1Eh6V2
>>94
でかいと言えば藤堂高虎

97人間七七四年2016/08/04(木) 08:33:40.46ID:kfD42Jl/
自転車のサイクリング車によくのっていたが、両足は当然ながら付かない。
でも乗ってみるとわかるが、足がつきにくい高さの乗り物というのは、じつは使いづらい。
馬では三角乗りをするわけにもいかないからな。三角乗りって何?という人はググれ。

よって、足がつきやすいように、小さめの馬を選んで乗った方がいい。
とも考えられる。
騎馬用として使うだけでなく、坂道の上りのときは、カゴに乗ったままだと傾いて不便なので
会津に秀吉が行ったときは、峠ではカゴを降りて、馬に乗って峠を登っている。

98人間七七四年2016/08/04(木) 09:34:13.83ID:ilS/2Qw6
>東アジアの標準サイズ(軍馬としての使用下限)

1622年と1623年の装備品目録によるとスウェーデンの騎兵用の馬は
113センチ〜133センチだけど

東アジアの標準サイズである130センチ程度が軍馬としての使用下限だというのは
一体どういった根拠に基づいているの?
具体的に示してほしい

99人間七七四年2016/08/04(木) 13:48:55.90ID:yynzq09P
小柄な秀吉でも足がつきやすい馬ってどんだけ小さいんだよ
停止時は自分の足で支えないと倒れる自転車と自分で立っていられる馬を一緒にすんなよ

100人間七七四年2016/08/04(木) 13:59:11.68ID:VVItbMXr
>>98
蒙古兵に一蹴される屑欧州騎兵を基準にされてもな
せめてポーランド騎兵くらいもってこい

101人間七七四年2016/08/04(木) 14:27:11.14ID:YG3PHhEb
>>100
まともに答えを用意してなくて話をずらそうとしてるのかな?

もう一度尋ねるが東アジアの標準サイズである130センチ程度が軍馬としての
使用下限だというのは一体どういった根拠に基づいているの?
具体的に示してほしい

102人間七七四年2016/08/04(木) 16:09:48.02ID:kfD42Jl/
>>99 あぶみで足を固定するからね。自転車によってはつま先を固定する器具もあるが
確かに自転車を停止した時は、4つ足と違って2輪では立ってられないから困る。

なお、NHK大河ドラマの秀吉で、竹中直人はサラブレッドの馬が高すぎて、リハーサルでは
何度やっても一度も乗る事ができなかった。とうとう本番撮影になり、一発で乗りこんで
馬をあやつったのは、奇跡だろう。高い馬は乗り込むのも一苦労の実例な。

103人間七七四年2016/08/04(木) 16:12:35.82ID:kfD42Jl/
朝青龍がモンゴル馬に乗り込んで、皆と一緒に馬競技をやっている動画があったが、
見つからないなあ。体重100kgはあったが軽々と走ってたぞ。馬は小走りだが。

104人間七七四年2016/08/04(木) 16:21:49.18ID:kfD42Jl/
日本人女性がモンゴルの馬に乗っている写真
http://yuuma7.com/wp-content/uploads/2016/04/P1050865-1000x751.jpg
モンゴルの馬はサラブレッドよりも2回りも小さい。女性も小柄なので秀吉も
このくらいだったろう。人間の足が地面に付く云々は、オレの間違いである。すまん。

ここの9行目に「乗る時に非常に苦労するが、モンゴルの馬は小さいので非常に楽に乗る事が出来る。」
とある。
http://www.forumone.co.jp/club/merumaga/dai41gou0904/satousi0904gou.html
小さい人間には小さい馬の方が楽に乗れる、という実例な。

105人間七七四年2016/08/04(木) 16:44:11.78ID:yynzq09P
乗馬経験がほとんどない人間がいきなり大型の馬に乗るとなるとそりゃ苦労するだろうし
大型の馬より小型の馬のほうが楽に乗れるだろうが
現代でも小柄なの人が多いジョッキーが大型のサラブレッドにホイホイ乗ってるだろ
訓練次第でどうにでもなる、という実例な。

106人間七七四年2016/08/04(木) 21:24:12.29ID:mmt61NKR
>>105
サラブレッドは普通の体格の日本人には大きすぎるので、素人は踏み台を使うのが普通。
ミニポニーなら、大人なら乗り降りは楽だが子供には大変なのは同じこと。やっぱり踏み台が要る。
素人は踏み台、
競馬の騎手は訓練次第というより、サラブレッドが自力で乗り降りできないのなら騎手免許は与えられない…だけの話でしょう。

時代劇の馬はサラブレッドでなく一回り小さいクォーターホースが普通。
リハーサルの時の馬はサラブレッドだったのなら、本番になっていきなり乗れるようになるのも当然。

107人間七七四年2016/08/06(土) 08:55:36.97ID:CFE9dNO3
撮影日当日の本番撮影直前のリハーサルで
乗馬に成功しなかったのに、いざ本番では別の馬に差し替えられたから
乗れて当然、とは、なんとまあ都合のいい想像だこと。珍説だな。

108人間七七四年2016/08/06(土) 16:44:53.15ID:bAz0AU9v
女性が在来馬で流鏑馬やってるところもあるな

109人間七七四年2016/08/06(土) 20:34:18.65ID:CFE9dNO3
パルティアンショットかと思ったら、日本の流鏑馬そのまんまだった。
パルティアンショットというのは、後ろ向きに矢を放つ。
http://blog-imgs-46.fc2.com/a/s/a/asamipeace/20100730142847965.jpg
ヒットエンドランだ。
モンゴルの人は視力が6.0ぐらいあって、夜中だろうと昼と同じように見えるので、
夜襲でもかけられようものなら、ひとたまりもない。
弓を放ってくるモンゴル兵の姿は見えない。向こうはこちらが見える。
というわけで、ひづめの音は聞こえるだけで一方的にやられて、パニックを起こす。

110人間七七四年2016/08/07(日) 14:09:56.47ID:89BfGScm
>>94
山縣昌景は140センチだったはず

111人間七七四年2016/08/07(日) 14:12:13.30ID:89BfGScm
おまいら忘れてるが武士は遠乗りやらで騎乗の鍛錬はしてたんだよ
要は訓練しだいで乗れるってこった

112人間七七四年2016/08/07(日) 15:43:49.44ID:IbWqzhts
立派なヨロイカブトを装着しながら、馬に乗れずに徒歩でいたら
みっともないだろ。

113人間七七四年2016/08/07(日) 15:54:45.36ID:mpDK3z46
石の上にも三年・・・
自力では登れな人は、騎手が乗る時だけ馬が背中を下げるという事を覚えてくれるまで頑張ります。

何時までも上達しない人に乗られ続けた馬は、
人形になり切ってドスンと乗っているだけの人を落とさないように走ることを覚えます。
曲がるときはラジコンのオートバイの人形になり切って曲がりたい方向に体重を掛けます。

114人間七七四年2016/08/07(日) 18:48:53.59ID:zhK3q7p1
パルティアンショットだったら日本では押し捩りといって
流鏑馬で行われた動画もあるな

大鎧 押し捩り
https://www.youtube.com/watch?v=_Z5WIO7fFes

115人間七七四年2016/08/08(月) 08:25:23.73ID:RkHuCDT7
>>114 押し捩り(おしもじり)を見てみた。やや変ではあるが動画で実現できただけでも
マシというべきか。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/genpei/bugu/bu_pict30.html

116人間七七四年2016/08/08(月) 18:41:08.76ID:/gy45aMo
>>111
>武士は遠乗り
戦国時代にそんな武士階級がいないってのが、このスレの前提じゃないのか?

117人間七七四年2016/08/08(月) 20:54:28.60ID:RkHuCDT7
戦国時代に馬で遠乗りもしない武士なんているのか?
>>116のそんな前提なんか聞いたこともないわ

118人間七七四年2016/08/08(月) 21:01:26.61ID:RkHuCDT7
朝青龍の乗馬
http://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/print.aspx?id=20030212000296
朝青龍は伝統的な民族衣装姿で白馬にまたがると、手慣れた様子で手綱を引いて一気に疾走。

その他の乗馬シーン
http://blog-imgs-23.fc2.com/m/i/s/mistico/asashoryu2.jpg
何が言いたいかというと人が重くて馬がポニーサイズでも走れるということ。

119人間七七四年2016/08/09(火) 07:02:20.73ID:VdpjGyST
この程度のものなら珍しくない

20111008安曇野草競馬(ポニーレース)
http://www.youtube.com/watch?v=mVux869Or7E

120人間七七四年2016/08/09(火) 07:45:48.28ID:G/ZdjdOL
>>119 いくらなんでも小さ過ぎるんじゃねえか?
でも身長150センチくらいの当時の武者が
重装備で騎乗すればそんな感じだろう。

つーか、当時の馬はポニーサイズで重すぎて騎馬突撃はなかったという説が
極端に行き過ぎただけ。

121人間七七四年2016/08/09(火) 08:27:39.05ID:4RoLGsAT
>この程度のものなら珍しくない

どこでは珍しくないの?
世界ではってこと?
日本在来馬の成長した馬と比べると随分小さいけど

122人間七七四年2016/08/09(火) 23:13:03.59ID:EsdXfYKs
>>120
>でも身長150センチくらいの当時の武者が

そんな小さい訳ないだろ

123人間七七四年2016/08/09(火) 23:45:20.73ID:EsdXfYKs
戦国時代の日本人男性平均身長はどんな統計でも158又は157
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1231S.jpg

124人間七七四年2016/08/10(水) 00:02:42.51ID:GVKjmEBJ
155センチから160センチの間だね。ちょうど現代の女子の大きさとほぼ同じ。

女子の中には170cmを超えている人もいるが、浅井長政もそんな感じかな。

125人間七七四年2016/08/10(水) 00:06:16.74ID:hNKXS3Ej
身長は成長期の栄養状態が大きく影響する。
当時は現在より栄養状態が悪かった。
ただし騎馬武者はある程度身分が高いから平均身長はもう少し高かったんじゃないか。

126人間七七四年2016/08/10(水) 07:09:01.54ID:GVKjmEBJ
当時は、子供ができても
立派な騎馬武者になるまで成長するどころか、
成人するまでに半数の子供が死んでしまうありさま。

武士なら栄養状態がマシだがそれでもかなり高い幼児死亡率だ。
兄弟たちの病死の多さに比べれば、討ち死にや切腹にしても、武士としては相当マシな方。

127人間七七四年2016/08/10(水) 07:20:09.90ID:GVKjmEBJ
赤ちゃんから幼児のうちは、病気にバンバンかかるのに
天然痘など伝染病などに子供が罹患しても、当時は医学的にどうすることもできず、
まったく無力。

栄養の良いものを食べさせることぐらい。

はしかなどにかかってなんとか治っても、後遺症が残ることが多かった。
他の兄弟たちは死んでしまったのが多いことは思えば、身体障害者で不自由
になろうとも、まだマシだった。

こんなことが言えるのは、徳川15代の将軍たちを見れば、将軍といえども子供の
死亡率の高さや身体障害などの高さを思えば、騎馬武者というのは本当の数少ない
エリートだということがわかる。

128人間七七四年2016/08/10(水) 11:45:35.56ID:1OO2tt6K
「日欧文化比較」
ヨーロッパ人の肉体は繊弱なので、治癒が非常に遅い。日本人の肉体は
頑健なので重傷、骨折、膿瘍および災厄からも、われわれ以上に見事に、
しかも一層速やかに快復する。


前スレでおなじみの「日欧文化比較」を見るとヨーロッパ人はその日本人よりも
遥かに弱々しい人たちだったようだな
>>127の理屈でいうならヨーロッパでは騎兵なんて日本よりも一層数少ない
エリートだったということか

129人間七七四年2016/08/10(水) 12:25:04.71ID:GVKjmEBJ
ルイス・フロイス (1532年〜1597年)
武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。 多くは菜食主義で、
下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ
暑さや寒さに強かった。 武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を
駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、
体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬しても
それで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び
騎乗し直すことができた。刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、
傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議
なくらいであった。
彼らの文化、風俗、習慣の多くの点で、スペイン人よりまさっている。
ヨーロッパ人の肉体は繊弱なので、治癒が非常に遅い。日本人の肉体
は頑健なので重傷、骨折および災厄からも、われわれ以上に見事に、
しかも一層速やかに快復する。

どこまで本当なのやら。なお現代のヨーロッパ人は炎天下で帽子も
かぶらず、氷点下近くても胸元が開いた服を着たりして、日本人より
もすこぶる頑丈・丈夫である。

130人間七七四年2016/08/10(水) 12:41:16.25ID:wv/5O+Bz
逆選別を明治以降太平洋戦争終結まで続けた日本人が脆弱なのは当たり前
生物の常識だろ

131人間七七四年2016/08/10(水) 13:21:09.59ID:+ecLWcK7
>>129
というか健康云々どころかそのものずばり騎馬に乗って戦ってる記述があるんだが

132人間七七四年2016/08/10(水) 15:46:52.92ID:ffx2R2DP
現代人が勝手な思い込みでどうこう言っても史学には影響与えないが
戦国時代の日本に長期滞在した人間が残した膨大な記録は今大いに活用されているからな

それにしても「日欧文化比較」と聞いてネットで文章拾ってくるしかできないあたり
ほんとに手元にまともな情報源持ってない人なんだな
「日欧文化比較」なんて文庫版すら出てるのにそれ買う金すらないんだろうか?

133人間七七四年2016/08/10(水) 18:42:30.54ID:LPaduY5P
>>129
ヨーロッパ人は寒さには強い。代わりに高温多湿だと死ぬ。

134人間七七四年2016/08/10(水) 18:43:28.72ID:GVKjmEBJ
>>132 まともな情報源持ってて本を飼う金すらあるのに、
そうやって君は他人を見下す、という悪癖をなぜ
身につけるようになったのか?。心が卑しくなったのは
勉強や収入のためではないという、教育失敗の実例だね。

135人間七七四年2016/08/10(水) 18:45:11.82ID:GVKjmEBJ
>>133 なるほど。
ちなみに関東地方が昨日今日で35度の猛暑で、
同じ日のロンドンは昼間の最高気温は15度であった。夏なのに寒いわ

136人間七七四年2016/08/10(水) 18:54:36.93ID:GVKjmEBJ
>>135補足 ロンドンの気温をブログじゃなく、ネットで正式な気象データを確認したら
昨日で最高気温19度、今日が18度だった。
一応、オランダも見ると、17度。真夏なのに寒過ぎる。
ポルトガルなら暖かい?だろうと、リスボンを見ると30度。まあまあ暑い。
スペインのマドリードは?。今日は24度だが、昨日は16度。最高気温で。
ヨーロッパ諸国は夏は暑くないね。高温多湿とは無縁だろう。

137人間七七四年2016/08/12(金) 07:49:24.70ID:G89Za5yN
ドイツじゃ、気温が30度になったら学校や職場は休みになるんだって

138人間七七四年2016/08/12(金) 07:54:47.02ID:eswPGGR2
スペインは暑いところは40℃くらいあって気温差が激しいですね。
調べてびっくりした

139人間七七四年2016/08/12(金) 17:09:20.81ID:DJLU8aR4
ヨーロッパって緯度だけで見ると日本より大分北にある地域だからね
青森、ナポリ、マドリッドが大体同じくらいの緯度
フランス南部にあって温暖そうなマルセイユですら札幌より北になる

140人間七七四年2016/08/12(金) 17:17:36.67ID:L4aIZth1
何のために気候や身長の話をしてるんだ?

141人間七七四年2016/08/13(土) 05:48:19.42ID:Zmm8AKoR
飽きたから

142人間七七四年2016/08/14(日) 07:58:32.16ID:w/6yApQA
馬というのは、ステップの草原地帯に適した動物。
高温多湿には向かないのだから、
騎馬武者について調べるなら、気候についても知る必要があるだろうよ。

143人間七七四年2016/08/14(日) 09:12:22.12ID:R+sYtyWh
いくら高温多湿に向かないと言っても実際に馬は居るのだし騎馬武者に関する記述もあるのに理論上は日本は高温多湿だからそんなはずは無いとでも言うつもりか?

144人間七七四年2016/08/14(日) 11:04:19.95ID:j+FZS25J
>>134
本当に文庫本買う収入すらないのかお前は…

145人間七七四年2016/08/14(日) 16:55:28.70ID:9Nzp4FF3
猛暑の中、暑さに喘ぐ馬をどんどん蹴ってノンストップ駈歩で騎乗するのは爽快
…と言いたくなりますが、
日本甲冑も西洋甲冑も風通しが悪いのが特徴。
たちまち熱中症になる。

146人間七七四年2016/08/14(日) 19:04:53.97ID:ZE9O1Tm+
今より温暖だったとも言われる平安〜鎌倉時代に大鎧を着込んで馬に乗って戦ってた坂東武者ってすごかったんだな

147人間七七四年2016/08/14(日) 19:37:18.14ID:9Nzp4FF3
確かにすごかった。
軟弱な現代人なら熱中症でばたばたおれる(相馬野馬追の熱中症が絶えない所以

148人間七七四年2016/08/14(日) 19:59:02.76ID:ZE9O1Tm+
今より温暖な時代の日本で騎馬武者が活躍できたんだから
今より寒冷な時代だった戦国時代なら余裕で騎馬武者が活躍できるな

149人間七七四年2016/08/14(日) 21:59:55.05ID:fDFWUh4L
戦が始まる直前まで甲冑着けないのは基本

150人間七七四年2016/08/14(日) 22:51:59.41ID:O5afYSli
それでは敵の奇襲受けたら無防備

151人間七七四年2016/08/15(月) 04:58:09.05ID:DlFE2Kvq
それは行軍における状況で語られるべき話であって、
常時甲冑を身につけることを強いられるような行軍、
ということだな

要は自らの勢力範囲から遠ざかるにつれそうなるってことだ

152人間七七四年2016/08/15(月) 17:28:12.87ID:SxS+exQ+
敵は前ばかりにいるとは限らないからな。

153人間七七四年2016/08/15(月) 23:51:06.59ID:gs0FA5F2
>>152
NAOIE「まったくだ」

154人間七七四年2016/09/09(金) 16:46:54.54ID:zylLaXUR
奔売るための逆説ブームのおかげで
戦国ロマンが汚されたね。。。><

155人間七七四年2016/09/09(金) 16:47:34.95ID:zylLaXUR
奔 ⇒ 本 すいません

156人間七七四年2016/09/09(金) 23:02:14.36ID:HGFU4uH1
まだやってるの?w
だから騎馬隊の突撃なんて空想だっての
騎馬は高価なものだから旗本クラスじゃないと維持できないんだよ
鎌倉時代の騎馬武者の騎馬隊の数とか多くて数十人の集団だった
源平の合戦とか両軍合わせて5000いるかも怪しい。下手したら3000程度。
つまり日本の歴史で数千騎馬隊を運用したとかありえないから
騎馬はあくまで旗本の移動手段と荷物の運送手段

157人間七七四年2016/09/10(土) 08:31:15.99ID:XsvohDCy
ふーん。次

158人間七七四年2016/09/10(土) 09:52:15.22ID:sv3nYiaT
>>156
これらの数は具体的にはどういった根拠によって確定したんだろうか?

159人間七七四年2016/09/10(土) 20:19:13.40ID:XsvohDCy
自分で調べろよ。

160人間七七四年2016/09/10(土) 23:16:56.39ID:Hcrz6RCx
勝手な数字を出しておいてその根拠は出せないとか面白い人だなw

161人間七七四年2016/09/11(日) 05:03:02.87ID:c9ScvbRd
じゃ自分も数字出せばいいんじゃないの?w
出せないってことはこの数字が正しいことになる

162人間七七四年2016/09/11(日) 07:42:32.93ID:wnjKrJ1P
本当に足がつく馬はこれ、
https://youtu.be/xwBsCp4NXvw

163人間七七四年2016/09/11(日) 15:02:04.30ID:sNovD8la
>>161
最初に勝手な数字出しておいてその根拠は出せません
でも相手が数字出してこないので正しいってどんな理屈だよ

根拠はどうしたんだって聞いてるんだよ
ここで出せないんならもうないってことだからな

164人間七七四年2016/09/11(日) 22:28:18.51ID:c9ScvbRd
>>163
だからおまえも数字もってきて反論すればいいだけなんだよ
数字がおかしいと思うのなら自分で調べて反論すればいい

文句だけならアホでもできる
反論するなら根拠となる数字をだして叩けばいいだけ

おまえのレスはスレを汚しているだけ
もうソースだせとかもう飽きたんだよ
おまえも自分の意見をだしてお互い正しいかどうかを議論する
このスレはこういうスレだろ
できないのなら来るなボケ

165人間七七四年2016/09/13(火) 08:59:23.40ID:TpMIdp4R
馬ナシのままだったら、立派なよろいかぶとを付けた武者が
徒歩で移動しなければならなくなる。見栄えが悪い。
戦闘の最前線ぐらいだったら降りてもいいが。

166人間七七四年2016/09/15(木) 08:34:53.79ID:UYTefg22
指揮をするなら味方から見やすい位置にいる必要もあるしな

167人間七七四年2016/09/19(月) 07:19:28.08ID:6pd5ka0f
動く台座だな。

168人間七七四年2016/09/23(金) 00:00:27.46ID:yeAroypA
鈴木の主張を鵜呑みにするとこういうイメージを抱く
http://amd.c.yimg.jp/amd/20160922-00000094-mai-000-2-view.jpg


<愛馬の日>ポニーとともに直線ダート疾走 東京・馬事公苑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160922-00000094-mai-soci

169人間七七四年2016/09/23(金) 09:48:08.39ID:qsYU9wHo
>>164
結局最後までソース出せないところに本気で笑ってしまったww

170人間七七四年2016/09/23(金) 10:45:24.57ID:3dXI7QLT
>>169
そもそもソースが必要とするほどの内容か?
ほとんど出尽くした情報でしょ

171人間七七四年2016/09/24(土) 06:14:53.71ID:MebFjYs2
長篠の戦いで有名だな。
織田の馬防柵と、武田軍の陣地は300メートルほど離れて向き合っていた。
鉄砲の有効射程距離は100メートルほど。
武田軍の背後から、鳶の巣砦を攻略した織田の迂回部隊が鉄砲を打ちながら接近していき、
武田軍は前に押し出されていく。
1番隊、2番隊、と突撃が開始されるが、これまた馬で乗り入れようとかかっていったので、
300メートルの距離のうち200mぐらいは馬上のまま、供回りの足軽とともに突進した。
武田の鉄砲隊の援護射撃のもとである。その後、柵を乗り越えて押し込むが、ここでは
馬を降りて、柵を超えている柵は2列目3列目と互い違いにあるので、ここで押し合いへし合いの
乱戦で敵味方の煙だらけ。

172人間七七四年2016/10/24(月) 12:01:09.96ID:iJlt5tTq
騎馬隊の突撃があったのは事実

たった30の騎馬が、2000に横から突っ込んで行き
横からブチ当てられた部分の崩壊を基点として一気に瓦解していった

173某研究者2016/10/24(月) 15:29:04.90ID:sY3IU1vc
>>129
足軽も装甲は
https://twitter.com/katchusi/status/616437816453509120
上の物な佩楯が装備された物も有るが
戦国末期には軽量化されているだろうが
騎馬武者が落馬してもやられないのは
装甲の重量差や動作性の差故なのかだが

174某研究者2016/10/24(月) 15:55:16.94ID:sY3IU1vc
http://images.metmuseum.org/CRDImages/as/original/DP244723.jpg
上の室町初期の秋夜長物語絵巻の
陣笠の様な兜の有る兵は足軽的な兵なのかだが
http://images.metmuseum.org/CRDImages/as/original/DP244724.jpg
上の陣笠的な兜の有る兵の脛当は
大立挙式であるから
こちらは下位の騎馬武者の可能性も有るのかだが
前の画像の兵も同様の可能性も有るのかだが
http://images.metmuseum.org/CRDImages/as/original/DP244715.jpg
上の兜の無い兵が足軽的兵と言う事なのかだが
戦国中期迄の足軽も似た様な装備なのかだが
中央に奪った騎馬武者の物を装備したのか籠手・袖の有る鎧を着た歩兵も居るが
こうした者は少数なのかだが

175某研究者2016/10/24(月) 23:22:59.52ID:sY3IU1vc
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049551
上の15世紀末に書かれた結城合戦絵巻の左側の
小型の袖を装備している兜の無い兵は
足軽なのかだが
下位の騎馬武者の可能性も有るのかだが

http://blog-imgs-47.fc2.com/o/m/o/omorokouji/20100820080358d95.jpg
上の1524年成立の真如堂縁起絵巻の
兜と鎧の袖の無い兵は足軽と見て良いのかだが
http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/191029-osaka-biombo/img-04kinsei-byobu/aw084-055sekigahara380w.jpg
1612年迄に成立の津軽屏風でも
袖・兜の無い徒士の兵は足軽なのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#/media/File:Hiyawajyu02.jpg
http://shigebu.minibird.jp/img/kit2_img/kap-55.JPG
大阪の陣直後に書かれた
大阪冬の陣図や黒田屏風では陣笠が突然装備されるが
(装備していない旗足軽等も書かれているが)
津軽屏風の段階では未だ陣笠は無いのかだが

176人間七七四年2016/10/25(火) 16:57:06.25ID:KFsiPSQH
陣笠は、確か鉄製のはず。

煮炊きにも使ってたような。

177某研究者2016/10/25(火) 17:56:57.09ID:A/MN8TmB
https://twitter.com/tanomin/status/609729818838437888
上の様な立花家の古い桃形の貸し兜が有る様だし
http://images.metmuseum.org/CRDImages/as/original/DP244723.jpg
これは上の秋夜長物語の一枚シコロの兜にも似ているが
桃形では無い一枚シコロの古い貸し兜も有った可能性も有るのかだが
陣笠は果たして大阪の陣前に有ったのかだが

178人間七七四年2016/10/25(火) 21:24:44.64ID:91b9HNsk
173-177
何だこの人は軍事板のコテさんか

179某研究者2016/10/25(火) 23:14:11.22ID:A/MN8TmB

180某研究者2016/10/26(水) 11:15:32.01ID:PcXf5+Wz
>>179
陣笠の様な兜は
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0082227
上の平治物語絵巻のカルタ金の様なシコロの有る兜や
http://blogs.yahoo.co.jp/taptior/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fblogs.c.yimg.jp%2Fres%2Fblog-5d-cd%2Ftaptior%2Ffolder%2F1321457%2F22%2F53387322%2Fimg_2%3F1373613840&i=1
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242411472
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242411478
上の春日権現験記絵・後三年合戦絵詞の鎖かも知れぬシコロの有る兜
(此れが帽子兜と見做される場合も有るが)の発展形の可能性も有るのかだが

181人間七七四年2016/10/26(水) 11:39:17.57ID:LuM/CjkR
>>178
今までは軍板で隔離スレみたいのがあって、そこで延々一人でブツブツ言ってるだけだったんだけど
そのスレを削除人がスレストしたせいで、軍板を飛び出してあちこちに迷惑かけてるのが今の状態

182人間七七四年2016/10/26(水) 13:34:27.59ID:1+VsbzHs
かれこれ15年くらい前に見たな
その名前と喋り口調

183某研究者2016/10/26(水) 18:20:22.60ID:PcXf5+Wz
http://photozou.jp/photo/show/1849954/101057769
上の14世紀の法然上人絵伝には
吹返の無い下散じころの有る兜が書かれているが
此れも帽子兜の一種なのかだが

184某研究者2016/10/27(木) 17:12:03.01ID:SRJCY61S
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=4651&m2=res
>法光にしても著者は数回手にしているが、その重量は一四キロ近いものの、実際に
>持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。 むろん振り回すことは
>難しかろうが、「三度逢三度別」という記述からも察せられるように、打物戦とは
>一撃戦であり、一撃戦ならば使用は十分に可能である。

一撃離脱と言うのは馬上打物戦の話なのかだが
下馬時に14kgの刀等は使用したのかだが
先端が重いハルバードよりは扱い易いと言う事は無いのかだが
槍の様に柄が斬られる事は無いだろうが
刃は余り厚くは無く
金棒等で刃が叩き折られる危険は有るのかだが
槍や薙刀の鉄の茎が入る部分も金棒で叩かれば
曲がる或いは折れる危険は有るのかだが

185某研究者2016/10/27(木) 18:37:05.00ID:SRJCY61S
http://blogs.yahoo.co.jp/takedasingen21/3281890.html
永禄12年(1570年)の武田軍には
既に指物は有ると言う事なのかだが

1570年の姉川合戦時には指物は何処でも有るとすれば
http://photozou.jp/photo/show/1849954/241440185
現実に上の姉川合戦図の様に
真柄直隆等が指物を装備している可能性は有るだろうが
複雑な構造の物は有るのかだが
旗しか無いと言う訳でも無いのかだが

186某研究者2016/10/28(金) 11:27:11.17ID:1czvN0F9
馬鎧も薄い革であるなら
近距離では矢でさえ馬が致命傷を負い得ると言う事なのかだが
https://twitter.com/katchusi/status/616437816453509120
銃が出る前から上の様な馬鎧は有るが
遠距離からの矢を止めるのが主目的なのかだが
騎射戦等での近距離の矢を受ければ致命傷と成るか或いは
馬の動きは相当に鈍る可能性は有るのかだが

187某研究者2016/10/28(金) 14:22:12.57ID:1czvN0F9
http://petitclimber.blog69.fc2.com/blog-entry-1195.html
真田幸村の銃は発射速度を早めたと言うが
ホイルロックを使用しないのは遅発式で精度が低いからなのかだが
此れの馬上での射程は50mも有るのかだが

188某研究者2016/10/29(土) 18:28:26.93ID:Tk2fnH4P
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1442033644
南北朝期の園太暦には
女騎馬武者の大集団(此れは最大数百人規模か)が
存在した可能性も記述されていると言う事なのかだが
こうした例は多くは無いと言う事なのかだが

189某研究者2016/11/01(火) 13:07:37.52ID:/YqtXsbl
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633914
右の様な騎馬武者の銃の馬上の装填迄は
戦国期に有るのかどうかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633920
右の騎馬武者の手盾も此れで銃弾を防ぐと言うのは
現実的なのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633926
左の騎馬武者の馬上筒は
果たして空のホルスターに入っていたのかだが
短筒用のホルスターの可能性も有るのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633907
こうした紐を付けての銃の携行は
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046179
上の雑兵物語にも有るが
騎馬武者がこうした携行はしたのかだが

190某研究者2016/11/01(火) 15:40:53.20ID:/YqtXsbl
https://twitter.com/katchusi/status/295497225981788160
馬上筒より大きいこのサイズの銃を
騎乗走行中に射撃していた可能性も有るのかだが
近距離かつ騎馬武者限定と言う事なのかだが

191人間七七四年2016/11/05(土) 09:53:38.19ID:hKXlrjBb
>>190
馬が小さすぎでは?
普通の馬=一馬身3m、その馬=一馬身は人間の身長と同じくらい。
大人が乗ったらかわいそうな子供専用ミニポニーみたいな代物。

192人間七七四年2016/11/05(土) 11:37:59.76ID:fAfIaz2G
ただの絵画表現だぞ

193某研究者2016/11/10(木) 14:55:53.75ID:BHVZ5rgd
ssl-stat.amebame.com/pub/content/8265872137/user/article/unknown/unknown/236094271617875166/f91561e8e254da57a28eebc88e64b71b/cached.jpg?option=crop&width=700
上の真田丸の幸村の馬に有る様な布の様な装具は
現実の戦国期には無いと思ったが

http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/242908856?size=1024#content
上の1524年成立の真如堂縁起絵巻の
左下の騎馬武者の馬に似た様な物が有る様にも見えるが
厚総は真田丸の物の様に少ない様に見えるが
詳細な構造は不明だが
此れの下に有る灰色の部分は布では無く鎧の可能性も有るのかだが
鎖鎧或いは革札の鎧の上に
布を被せた物の可能性も有るのかだが

左上の騎馬武者の馬は
鬣・尾が黄色い尾花栗毛の馬と言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0b888548ad1c7398c9a5866c254c714b)

194某研究者2016/11/10(木) 17:56:38.38ID:BHVZ5rgd
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/242908856?size=1024#content
>上の1524年成立の真如堂縁起絵巻の
>左下の騎馬武者の馬に似た様な物が有る様にも見えるが

この馬は良く見ると頭部の房が2色(赤・灰)に成っているし
赤い厚総の下に灰色の布が有るのでは無く
厚総が2色であると言う事の様に見えるが果たしてどうなのかだが
他に2色の厚房が書かれている江戸期以前の絵は有るのかどうかだが

195人間七七四年2016/11/11(金) 19:48:58.01ID:+gdWRlGW
某研さんまだ生きてたのかw数年ぶりに見たわw

196某研究者2016/11/11(金) 23:38:34.03ID:R9s7hnlV
http://matsu-reki.jp/schedule/%E7%A5%96%E7%88%B6%E3%81%AF%E5%AE%B6%E5%BA%B7%E3%81%A8%E7%A7%80%E5%90%89%E3%80%80%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E8%97%A9%E4%B8%BB-%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E7%9B%B4%E6%94%BF%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%80%80-2?mc_id=698
上の松平正直の変わり兜は結城秀康考案の物なら
1607年には有ったのかだが
http://blogs.yahoo.co.jp/rowmoment_boy/26233914.html
上の猿面の兜も大阪の陣には有るなら
此れ等と同程度の複雑さの変わり兜は
同時期に多数有ったのかだが
江戸期の物もこうした物と同程度の複雑さの物も多いから
そうした物は戦国期の模倣品が一部有る可能性も有るのかだが

197某研究者2016/11/11(金) 23:46:48.62ID:R9s7hnlV
http://ameblo.jp/certyblog/entry-12104662909.html
>六十二間小星兜、室町時代。  

此の蛇の前立は江戸期の物なのかだが
こうした物は他に見ない訳だが

198某研究者2016/11/12(土) 14:04:30.49ID:/qHkGKwk
https://iwiz-chie.c.yimg.jp/im_siggZ7ypctTsPqd_pJUho4TYqQ---x320-y320-exp5m-n1/d/iwiz-chie/ans-163466677
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/shiseki/kensinkabuto.html
上の上杉謙信の具足の飯綱権現等の複雑な形状の前立は戦国期にも恐らく有り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E7%94%B0%E5%85%83%E7%A5%A5#/media/File:Masuda_Motoyoshi.jpg
上の益田元祥の龍の前立も現実に恐らく有る訳なら
同程度に複雑な形状の前立も戦国期に有るのかだが
https://twitter.com/boukenkyuu/status/797300904038797312
後三年合戦絵詞の源義家等の龍の頭立も巨大で複雑であるが
この種の物は戦国時代初期にも有ったのかだが

複雑な形状の吹返や袖は戦国期には無い様に見えるが
果たしてどうなのかだが

199某研究者2016/11/12(土) 22:14:21.02ID:/qHkGKwk
精鋭長巻兵や力士隊と言うのは
騎馬武者の可能性も有るのかだが

200某研究者2016/11/12(土) 23:49:27.08ID:/qHkGKwk
http://photozou.jp/photo/show/1849954/96175461
津軽屏風の家康付近に書かれる長巻兵は
籠手・脛当が無いから騎馬武者では無いだろうが
具足は装備しているから槍足軽以下の雑魚兵では無く
精鋭歩兵の可能性も有るのかだが

201某研究者2016/11/13(日) 17:07:38.76ID:gYsWIfik
津軽屏風の家康の付近に居る歩兵は籠手・脛当が無いから
徒武者と言う事なのかだが
黒田屏風だと籠手・脛当・袖・兜迄装備しているが
兜以外全員ほぼ同じ格好であるから
騎馬武者では無く高級品の貸具足を装備した徒武者と言う事なのかだが
秀忠の周囲の歩兵は袖は無いし全員同じ胴・篠籠手
兜もほぼ全員同じであるから
やや格の低い貸具足を使用していると言う事なのかだが

202某研究者2016/11/15(火) 13:48:15.82ID:V1dNKDEb
http://p.twipple.jp/K3kIh
槍や薙刀等の鍵の形状は上に有るが
上が全てなのかだが
鍵の登場は十文字槍が出る1550年代以降と言う事なのかだが
四方に鍵が出ている武器は西欧にも無いと言う事なのかだが
実用性はどうなのかだが
ポールアックスでスパイクが側面にも出ている物等は有るが
鍵としての機能は無いと言う事だろうか

http://arms.cybrary.jp/db/longhandle/polearms/kagiyari.html
>関ヶ原や、それ以降の大阪冬夏の陣では8〜9割が鍵槍になったと言われているが、  

とは言え鍵槍は最大4mであるなら
足軽は鍵の無い長柄槍をほぼ全て使用し
騎馬武者が鍵槍をほぼ全部使用と言う事なのかだが

日本の槍・薙刀等に複雑な形状の鍵は無いのかだが
https://karatehistorique.wordpress.com/2015/11/28/les-armes-du-kobudo-lepieu-quillon-svastika-nunti/
>Fig.0215-Répertoire des 18 lances / manuscrit japonais十八槍の種類より.

此れの左側の部分に複雑な鍵の付いた槍・薙刀が有る様に見えるが
この様な物は戦国期に有るのかだが
>Fig.0190。18伝統的な中国のhastの武器中国古代兵器展十八般兵器。
上の中国の槍の複雑な形状の鍵を参考として作られた物も有るのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/218479349
http://photozou.jp/photo/show/1849954/219517867
上の毘沙門形十文字槍は敵の槍を受けると同時に
敵を引っ掛ける事も可能なのかだが
果たして戦国期には使われたのかだが

203某研究者2016/11/15(火) 14:02:06.50ID:V1dNKDEb
https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E9%8E%A7-35134
14世紀の明徳記に
金鎖の馬鎧と言うのが有るが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/209294830
上の物の様に馬の全体を覆う様な物では無いのかだが
弓が止まる様な物では無いなら
厚総の下或いは
http://photozou.jp/photo/show/1849954/187730238
上の大阪冬の陣図の馬鎧の様に
厚総の無い部分に装備された可能性も有るのかだが
戦国期には果たして有ったのかだが

204某研究者2016/11/15(火) 14:51:28.17ID:V1dNKDEb
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046156
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046174
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046182
17世紀の雑兵物語の騎馬武者の馬には
全て銃とホルスターが装備されるが
この銃は通常の馬上筒より小型に見えるし
西欧のピストルを模した短筒なのかだが
ホイルロック式では無く火縄式なのかだが
戦国期に此れは有ったのかだが

205某研究者2016/11/21(月) 19:58:26.60ID:z9//9B/c
http://tukitodora.exblog.jp/18008931/
>この時 島津軍はみな 腰さし鉄砲を用意していた その数 数千挺

此の銃は
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046179
左の雑兵物語に有る騎馬武者用の左の銃の様な腰に差される物なのかだが
この銃も
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046175
上の足軽用の銃よりやや短い様にも見えるが
6匁程度の筒では有るのかだが

206某研究者2016/11/26(土) 12:02:23.00ID:4NTNr3NO
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%BC%93#/media/File:The_bow_of_the_Kamakura_period.JPG
合戦図等に有る白い弓は現実には無いと思ったが
一応白が多い物は有るのかだが

207某研究者2016/12/01(木) 20:36:39.01ID:ab9wbXNX
photozou.jp/photo/photo_only/1849954/243659117?size=1024#content
http://photozou.jp/photo/show/1849954/243659130
鈎縄は騎馬武者自身が装備する物なのかだが
此れが忍者の様に騎馬武者や歩兵の戦闘用に使用された可能性は有るのかだが

208某研究者2016/12/04(日) 11:54:08.80ID:oSzeIz83
Duplex bulletproof armour | Royal Armouries
https://royalarmouries.org/what-we-do/research/analytical-projects/duplex-bulletproof-armour#.WEOErXwg_Hg.twitter
佐竹義宣の30kgの二重胸甲は一枚板の西欧鎧より耐弾性は低い等と言う意見も有ったが
果たしてどうなのかだが

209某研究者2016/12/21(水) 19:25:12.70ID:EEjUp7GL
http://www.photo-make.jp/hm_2/kuniyoshi_rokuka_5.html
左の国芳の山本勘助の絵では
太刀は鞘から先端部が出ている様に見えるが
こうした物は戦国期には有るのかだが
山本勘助の舌が出ているのは何か意味は有るのかだが

210某研究者2016/12/21(水) 19:40:34.27ID:EEjUp7GL
歌川芳勝 甲越武勇伝のうち 山本勘助
http://pin.it/TeX8pq9
兜の上に僧頭巾がこうした形で
装備される例は戦国期には有るのかだが

211某研究者2016/12/21(水) 20:51:57.50ID:EEjUp7GL
pin.it/GFIFRbL
この歌川国芳の上杉謙信も兜の上に僧頭巾が有るが
江戸初期の合戦図にはこうした物は無い訳だろうか

212某研究者2016/12/23(金) 22:10:54.45ID:srQoP5sI
https://twitter.com/boukenkyuu/status/812268646735036416
此れは江戸期の洛中洛外図・船木本だが
左のかぶき者の肩から出ているのは孔雀の羽根なのかだが
此れは実戦用甲冑には有る物なのかだが
右の甲冑の肩も妙に張り出しているが此れは装甲では無く布製の物なのかだが
具足の下の満智羅の大型の肩部と言う可能性も有るのかだが

213某研究者2016/12/23(金) 22:20:07.83ID:srQoP5sI

214人間七七四年2017/01/13(金) 15:59:35.91ID:Nfe0NVCj
相変わらず知恵袋には騎馬戦術否定論者が蔓延っているな。

・馬は甲冑武者を乗せて走れません(>人<;)
・馬は貴重なので実戦には参加しません(>人<;)
・馬上で得物は振り回せません(>人<;)
・そもそも騎馬武者は指揮官なので突撃しません(>人<;)
…などなど。
フゥ〜…見ていて呆れるわ。

215某研究者2017/01/17(火) 10:45:01.63ID:f/C2rTRM
>馬は甲冑武者を乗せて走れません(>人<;)

短距離なら高速突撃も騎士の馬(此れも体高は140程度以下と言うが)同様に
可能と言う事だろうか

>馬は貴重なので実戦には参加しません(>人<;)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13147156783
大型の南部馬の高級な物では無く
体高130cm前後の馬なら
日本でも数は多数居たと言う事なら
此れを騎士の様に数を揃えて大量に使い潰すと言う事も有り得たのかだが

>・馬上で得物は振り回せません(>人<;)

日本の場合馬上で立てる鐙も有るし
両手持ちの長物が振るえ
イスラム兵も同様の鐙で両手持ちで長物を振るっているが
立ち乗り出来る鐙の無い西欧兵は此れは余りやらない訳だろうか

>・そもそも騎馬武者は指揮官なので突撃しません(>人<;)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%A5%B2%E6%9D%A5%E7%B5%B5%E8%A9%9E#/media/File:Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
蒙古襲来絵詞で騎馬武者が密集突撃している場面も有るが
戦国末期の絵巻(津軽屏風・黒田屏風等)だと
騎馬武者は追撃・逃走時に乗馬している例が多いが
この時点でさえ必ずしもそれだけなのかどうかだが

216某研究者2017/01/17(火) 15:09:29.85ID:f/C2rTRM
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0055233
上の春日権現験記絵が成立した1309年には少なく共
馬上で長物は使用されていたと言う事なのかだが
蒙古襲来絵詞に下馬してだが薙刀を使用する騎馬武者が書かれているが
この時点での馬上での長物利用は
大太刀以外は無いと言う事なのかだが

217某研究者2017/01/18(水) 15:52:57.24ID:6QnyMGYg
https://twitter.com/boukenkyuu/status/821609942557818885
蒙古襲来絵詞には沢瀉縅の鎧が複数有るが
右下の物だけ草摺が逆沢瀉縅に成っているが
こうした形式の物も現実に有るのかだが
肩部は此処に有る様な逆沢瀉縅の物しか
鎌倉期には無いと言う可能性も有るのかだが

218人間七七四年2017/02/26(日) 08:35:11.28ID:rDSL63Lm
>>215
>>馬は甲冑武者を乗せて走れません(>人<;)
こんなのこそ、評価次第/言い方次第/実験次第
分速150mで10分でバテるが仮に事実であったとしても、
これで「走った」と評価する人と
これでは足軽に追いつかれる-->とても「走った」うちに入らないと評価する人に分かれるのは当然

馬の調教も問題。
普段走るように使われている馬なら朝青龍が乗っても走る
普段走らせないように使われている馬なら走らない/どんなに追ってもせいぜい速歩なのもまた当然
馬は常歩専門で良ければ割と簡単に乗れるが走るとなれば急に練習が難しくなる。素人用観光馬は常歩専門であってしかるべきでやたらに走っては危険。
普段観光馬として使われている木曽馬を借りてきて実験したのであれば走らないのがむしろ当然。

甲冑のかわりに砂袋なら砂袋の締付も問題。馬が走ればたちまち砂袋が荷崩れを起こすのであれば馬は走れない。

結局、ちゃんとした調教の馬にちゃんとした甲冑をつけて乗れば時速20キロは出る…が結論みたい。
(が、フルマラソンとかの距離になれば馬がへたばってしまって足軽/忍者に追いつかれる…忍者に追われると騎馬では逃げきれない…という意見を否定するだけの根拠は見つからない。

219人間七七四年2017/03/01(水) 12:30:07.15ID:B/PEA2di
そこまでやっても馬に備わるのは人を乗せて走るだけ
軍馬にするには、合戦での人の声や鉄砲の音に慣れさせないといけないから、それが一苦労

220人間七七四年2017/03/04(土) 01:49:06.18ID:7KPtKl4I
去年あたりにBSでやってたけど
例の木曽馬に総重量102キロの重しをつけて50m6秒78
ぬかるみで8秒46かな

ちょっとメモしただけなので詳細は忘れた

221某研究者2017/03/11(土) 23:47:14.31ID:g7mTzi9E
騎乗しては具足を外しても足軽に追い付かれる程に
木曽馬・南部馬の長距離移動能力は低いのかどうかだが

222人間七七四年2017/03/12(日) 08:38:23.77ID:mFeXZWmL
「具足」は戦国期になれば30`以下くらいしかなく、全体の重量の中に占める割合はそんなに大きくないので支配的とまでは言えない。

具足がなくても、ヒト と ウマ の種としての能力差がそんなに(思ったほどは)大きくない。
大きな馬は力はあるが、自分の体も運ばねばならないので、長距離走は思ったほど速くない/航続距離が短い(すぐ電池が無くなるようなイメージ。電池が無くなって足軽に追いつかれてしまう)。
騎手がどんなに軽くても長距離走はあまり(思ったほどは)得意ではない。朝青龍が乗っていてももはや五十歩百歩でしかない。
おまけに、この種の話は 選りすぐった名馬ys精鋭足軽 や 平均的な馬ys平均的な人 の比較ではなく 色々な馬ys精鋭足軽(忍者など) の比較だから、
追いつかれてしまう馬もでるのは当然の話でしかない。
※凡人は、馬と人間を比べるときに自分の脚を基準にせず一流マラソンランナー(世界記録級)とかを基準にするものである

223人間七七四年2017/03/12(日) 13:26:57.35ID:b2oy7thr
そもそも長距離走で人間に勝てる四足獣なんていないんだよなあ・・・

224人間七七四年2017/03/14(火) 21:06:59.62ID:1BfDBLR9
人と馬の競走は、(本当は)馬の辛勝位だったように思う。

・人間のランナーはしんどいのは自分だからぶっ倒れる前にリタイヤする
・馬は自分の意志ではリタイヤできない。下がすごくしんどそうに走っているのを意地でもリタイヤせず乗り続けるのはすごい快感…なんてことにすぐなる。
これではかわいそうだから(人間のランナーには医師の診察はないにも拘らず)馬には獣医検査を設けて馬をいじめすぎると失格…の如くなっているのが平均的な競走。これでは馬は勝てない

225某研究者2017/03/15(水) 15:47:38.83ID:1zbSY+n7
http://www.jahou.net/ebisuzaki/index.cgi?no=151
ウマは、最大gallop速度7.8 m/sを持ち、10km走ではヒトより速い。しかし、10-15分以上ではgallop速度は劇的に減少する。
長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。
ヒトと同程度に長距離を走る哺乳類はいるが、暑い条件下で高体温症にならずに長距離を走ることができない。

とは言え馬も低速なら一日20kmと言う事は無いだろうし
https://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/70.html#id_8ae14f3a
モンゴル帝国の馬は換え馬を利用し一日で100km移動も出来ると言う事だろうが
人ではどうなのかだが

226某研究者2017/03/15(水) 16:04:06.44ID:1zbSY+n7
https://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/70.html#id_8ae14f3a
>戦国時代の歩兵の軍勢の1日あたりの移動距離は20〜25kmだそうですが。

https://togetter.com/li/959483
>江戸時代の東海道だと成人男性で40〜50km/日、参勤交代でも30〜40km/日だそうですから、
>46km/日は道路と天候がよくよく統制された精鋭隊の行軍なら強行ってこともないかと
>最盛期のローマ軍団で平均20〜30km、大休止をいれない強行軍でほぼ60kmを24時間で走破した記録もあるので、
>携行荷重の適正化と行軍隊列、あと路面状況次第ではあると思うけど40kmはけして無茶ではないかもとは

中国大返しは一日20km程度でしか無いが
一日100kmは流石にどうなのかだが

227人間七七四年2017/03/15(水) 22:18:01.89ID:Jn9phLIl
>>225
ウマは、最大gallop速度7.8 m/sを持ち…では、普通の競馬の半分以下のスピード。
木曽馬とかだとサラブレッドよりは遅いが、いくらなんでもこれよりは速い。
どんなウマで実験したのか?よほど小さいポニーに大人が乗ったのか?
>長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。
は、可哀そうだからこれくらいでやめておきました・・・という意味に他ならないです。
自分なら、完全に動かなくなるまで叩いたに決まってる・・・なんて思えてしまうような文章。
実験する人の主観が結果に影響しすぎ。

228某研究者2017/03/15(水) 23:52:34.03ID:1zbSY+n7
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q145602739
木曽馬は最大時速50kmと言うから秒速は13m程度だろうが

>長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。

此れは果たして事実なのかだが

229某研究者2017/03/16(木) 00:00:38.07ID:H+aiJSuI
騎兵は替え馬を使えば一日100km移動出来るが
歩兵は50km程度が精々と言う事なら
騎兵を歩兵が追撃するのは現実的なのかだが
騎兵が敗走時等で替え馬を使えない状況ならどうなのかだが

230人間七七四年2017/03/16(木) 21:29:30.63ID:BLMcltn1
>>228
ウマというものの一般論としてなら、かなりダウトと言わざるを得ないです。

マズ、
「長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。」には
騎手が下手なだけではないか?というツッコミが入ります。
5.8m/sというは馬術の普通の駈歩です。
上級者(というほどではなくても、ある程度乗れる人)なら、この速度なら楽で気持ちよいですので、力を抜いてドスンと乗って20kmくらいノンストップで乗り通すに決まっております。
が、初級者なら駈歩は両足に力を入れて馬体にしがみつきながら騎乗…なんてことになり、とても疲れるので20kmノンストップ騎乗は無理です。頻繁に馬を止めて(人間の)休憩が必要です。
だから『繰り返し』走なのだ!
すると、「それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。 」は、
本当は人間が疲れたのが理由にも拘らず、馬の疲労を口実にしているだけ…と評価せざるを得ない。
(騎手が下手だと上手な騎手に比べて馬の負担は格段に大きいので、馬もかなり疲れているには違いないです)

或いは、
ある程度乗れる人が騎乗しているのだが、実験用には初心者用練習馬を借りてきたのかも。
初心者用練習馬なら、おとなしい替わりに年老いた老馬なんてことが多く、
・最大限暴走しても、普通の駈歩+α程度の速度にしかならない。スタートダッシュは余り速くない
・普段のレッスンでは、駈歩はせいぜい1〜2分くらいしか続けない。その癖がついていて駈歩はすぐ止まる…繰り返し走になる所以
・叩いて「自分の時だけは持久走」と教えてしまえばすぐ覚える。が、体力がないのは如何とも出来ない
初心者用練習馬なら、休ませながらでも1日計20kmが限界…は妥当な数字かも?
でも、これでは一般論としてウマを語るには不適切。まともなウマならもっと走れる!

231人間七七四年2017/03/16(木) 21:31:25.93ID:BLMcltn1
>>229
一日当たりの移動距離なら、駅馬なら確かに速いが、並走の替え馬では大差がないのでは?
馬はカラ馬でも自分の体重を運ばねばならないので、騎手が乗っていても差は小さくなるはず(騎手が下手であればこの限りではない
本来並走の替え馬は、一か所にとどまって何日も戦争をつづけるとき毎日乗る馬を換えられる…というものであったはず。

232某研究者2017/03/18(土) 18:51:51.48ID:onRlXHt9
http://www.gachi-kaccyu-kassen.com/article/442222424.html
>人間の体重を60kgとし、装備や甲冑などで40kgとしても100kgである。

戦国時代では男の平均体重は50−60kg程度かも知れぬが
木曽馬の体重は350ー420kgであるから
馬の体重の最大2割程度は重くは成るだろうし
具足や馬鎧を装備して行軍すれば更に重く成ると言う事だろうが
馬鎧以外の装備は当世具足+刀槍なら20kg程度では無いのかだが
大鎧だと大鎧の25kg以上に南北朝時代以降には大鎧の下の金胴や小具足
大太刀等の重い武器の重量も加わると言う事だろうか

233某研究者2017/03/18(土) 19:02:53.10ID:onRlXHt9
http://news.livedoor.com/article/detail/10370331/
>しかし、出土した馬はその骨格から、まさに当時としては異例なほどの大型で、高さが170センチメートルはあるアラブ系の馬と推定された。

アラブ馬も此処迄大型の物は戦争用では無く
乗馬・試合用かも知れぬし
通常は150−160cm程度だろうが
197cmと言う豊臣秀頼の体格に合わせた軍馬の可能性も有るのかだが
アラブ馬では無く大型の南部馬等の可能性も有るのかだが

234某研究者2017/03/18(土) 19:27:10.06ID:onRlXHt9
http://www.gachi-kaccyu-kassen.com/article/442081023.html
>鎌倉時代末期の遺跡から128 頭の馬骨が出土した。
>この馬骨の調査結果では平均体高は約130cm で、最も高いものでも140cm であった。
>推定体重は280kgから360kg。

此れは可成り小型の馬も含まれる様に見えるし
荷馬や
http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f4-9a/hehualu2000jp/folder/1360647/80/36953080/img_3?1148594361
上の伴大納言絵詞の右に居る様な
馬足軽的な騎兵のやや小さな馬も含まれている可能性も有るのかだが

235某研究者2017/03/18(土) 20:27:18.49ID:onRlXHt9
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Takezaki_suenaga_ekotoba_2-1.jpg
上の蒙古襲来絵詞でも
胴丸装備の騎兵の馬は大鎧装備の物より
若干小さい様にも見えるが
果たしてどうなのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
去勢されていない日本馬は密集突撃が出来ない等と言うが
上の蒙古襲来絵詞では密集突撃しているのかだが

236人間七七四年2017/03/19(日) 12:04:02.87ID:d2sE71XD
長篠屏風や大阪夏の陣屏風に普通に騎馬武者出てくるしなあ

237某研究者2017/03/19(日) 17:26:01.34ID:2qQYmaH1
http://photozou.jp/photo/show/1849954/187730238
馬鎧も上の大阪冬の陣図の物は正面が厚総だが
実用性は何処迄有るのかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/101075299
室町期の二人武者絵の馬鎧は正面は小札製だろうが
此れは矢や刀槍を止める実用性を考慮したのかだが

238人間七七四年2017/03/27(月) 14:34:16.69ID:N9kA39SP
目撃者が関わっている大坂夏の陣屏風であれだけ騎馬武者いるんだから
実在したと思うな
徳川方兵士の大坂民衆への酷い狼藉まで描かれてるんだから

239某研究者2017/03/27(月) 23:03:54.47ID:8C/5tnkh
blog.goo.ne.jp/raruraru2003jp_1955/e/3ed8bc260dabf0c1f7c61bd7ceb1ad46
>長政が甲冑の上から陣羽織として着用したと伝える豪華な衣服。 

此れは狩衣を一部模しているのかだが
狩衣を下腹巻の様にして
当世具足の上に装備していた例は有るのかだが

240某研究者2017/03/27(月) 23:10:42.44ID:8C/5tnkh
楠木正成の連結式の盾は騎馬武者を止める為と言うし
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
此れは上の蒙古襲来絵詞に有る様な
密集突撃に対応する為と言う事は無いのかだが

241某研究者2017/03/27(月) 23:28:15.39ID:8C/5tnkh
http://kikyo.nichibun.ac.jp/heijiemaki/html/
上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻には
ほぼ騎馬武者同士の集団戦が書かれている様に見えるが
此れより大規模の騎馬武者主体の兵の集団戦も有ったのかだが

242某研究者2017/03/27(月) 23:53:28.52ID:8C/5tnkh
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202125062
一番上の刀の鞘に弓を掛けている例は
https://twitter.com/boukenkyuu/status/846373697040482304
上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻に有る騎馬武者に有るのかだが
単に白兵戦前に弓を手放し落下させている訳では無いと言う事なのかだが
戦国期に同様の方法で弓の携行はしていたのかだが

243某研究者2017/03/28(火) 14:41:54.90ID:wEcsOqWJ
http://kikyo.nichibun.ac.jp/heijiemaki/html/
>上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻には
>ほぼ騎馬武者同士の集団戦が書かれている様に見えるが

上の様なほぼ騎馬武者のみでの集団戦と言うのは
戦国時代前期では廃れたと言う事なのかだが
弓歩兵が射撃戦後騎馬武者が乗馬突撃と言うパターンは
銃が出る前は割に多用されていた可能性も東国では特に有るのかどうかだが
http://www.yamada-kouji.com/nihonshi/japan_beau/yamato/emaki_soushi/15c_yuuki/15c_yuuki.html
結城合戦絵詞の時代(15世紀後期)では未だ乗馬突撃は多用されていたのかだが
http://www.do-natteruno.com/con_c/c303/ounin%20no%20ran2.jpg
1524年成立の真如堂縁起絵巻の時代では未だ騎馬弓兵は相当数居たのかだが
乗馬突撃も弓歩兵の射撃戦後と言うのが東国でも基本なのかだが
乗馬突撃時に騎馬弓兵に弓を持たぬ騎兵がやられている例は多かったのかだが

244某研究者2017/03/28(火) 16:28:01.07ID:wEcsOqWJ
http://photozou.jp/photo/show/1849954/209363473
室町期の絵に帽子兜らしき物を装備した騎馬武者が居るが
戦国時代後期でも騎馬武者はこうした兜を使用したのかだが
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/242051518?size=1024#content
上の秋夜長絵巻等に居る軽装の兜を装備した下馬兵は
脛当の有る者は騎馬武者の可能性も有るのかだが

245某研究者2017/03/28(火) 17:05:27.68ID:wEcsOqWJ
銃の時代の騎馬武者の乗馬突撃はどうなのかだが
フサリアの様な散開しての突撃は無いが
スウェーデンの騎兵の様な敵の歩兵の陣形を崩してからの
乗馬突撃なら東国では多用されていた可能性も有るのかだが
三方ヶ原でも最終的にはこうした乗馬突撃で
徳川軍がやられた可能性も有るのかだが

246某研究者2017/03/29(水) 11:58:45.55ID:IvIN05KP
https://twitter.com/boukenkyuu/status/846910372653088768
此れは平治物語絵巻の一部だが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202125062
上の一番上の騎馬武者と異なり
弓が肩の上に有るのは地上の障害物との干渉を避ける為なのかだが
右前で刀を振る分には邪魔では無いかも知れぬが
乱戦では此れでも弓は邪魔と成るなら武家奉公人に預けるか投棄したと言う事なのかだが
歩兵で弓と長物を同時装備した例は有るのかどうかだが

弓を装備する騎馬武者が下馬した際に長物を振るう例も
有り得るだろうが
其の際は歩兵の様に弓は肩の上に置いたのかだが
左前で使う槍や薙刀の場合は此れとの干渉を避ける為に
右肩に弓は置いた可能性も有るのかだが

247某研究者2017/03/29(水) 12:25:47.88ID:IvIN05KP
http://photozou.jp/photo/show/1849954/218713891
上の下絵だと左肩に弓が有るが
刀の鞘に掛けるよりメリットは何か有るのかだが
肩はやや動かし難いが
直ぐに弓を構えられると言う可能性も有るのかだが

248某研究者2017/03/29(水) 13:51:43.16ID:IvIN05KP
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/263 
>この武士は装具から判断するに、中級の侍頭クラスであろう。  

此れは草摺の下に迄佩楯の装甲が有る様にも見えるが果たしてどうなのかだが 
徒士侍用の草摺の隙間を埋められる様な
短い佩楯と言う事なのかだが
装甲は革製と言う事なのかだが

249某研究者2017/03/29(水) 14:33:02.76ID:IvIN05KP
甲冑を着ている宮本武蔵と着ていない宮本武蔵が槍や刀で白兵戦をしたら
後者が勝つ可能性は無いのかだが
装甲が無ければ銃や弓でやられる危険は有るだろうし
宮本武蔵も石で負傷しているが
飛び道具が飛んで来ない状況なら素肌武者の様な格好に成った方が
達人は強い可能性は無いのかだが
そうした事を考慮して装甲を外した素肌武者等も居るのかだが

250某研究者2017/03/29(水) 14:37:42.38ID:IvIN05KP
>>249
とは言え新撰組や赤穂浪士も飛び道具を防ぐ為に鎖を装備していた訳では無いだろうし
狭い場所で多数を相手に戦う場合
同時多数の敵の攻撃から逃げられぬ場合も多いから
こうした状況では装甲が有る方が良いのかだが

251某研究者2017/04/05(水) 11:48:48.94ID:ekFUqUa+
南北朝期以降の大鎧25kg+此れの下の鉄板札・伊予札の金胴或いは胴丸5kg
+佩楯+籠手+喉輪+面頬と成ると35kg以上には成る可能性も有るのかだが
此れに近い装備は15世紀の二人武者絵でも有るが
大鎧の下に金胴や胴丸は無い可能性も有るから
装甲は30kg程度で収まっている可能性も有るだろうが

本小札製の胴丸は20kg以上有る物も確か有るだろうし
銃登場前は何処迄軽量化されていたのかだが
騎馬武者が鉄伊予札の5kg等の胴丸を装備した例は
銃登場前は無いと言う事なのかだが

252某研究者2017/04/06(木) 09:33:28.44ID:UMUhPUJi
南北朝期の場合騎射戦後
騎馬武者は一旦後退し歩兵と合流して長物に持ち替え
再度乗馬突撃していたのかだが
この時点で騎馬武者は射撃を受けたら 
一部の絵に有る様に弓も携帯していた者は弓を放つが
合流した弓歩兵の援護も有ったのかだが

銃登場前なら平地の多い東国では
依然こうした騎馬武者主体の戦闘が行われていた可能性も有るのかだが

253某研究者2017/04/06(木) 11:14:27.01ID:UMUhPUJi
戦国期の日蓮聖人註画賛等に多数出て来る大太刀も
大概は刃長は四尺(121cm)程度以上は有る様に見えるが
どの程度が標準サイズなのかだが
五尺(151cm)は流石に無いのかだが
騎馬武者用の九尺(272cm)の槍のリーチは左手で中央を持つ故に136cmであるなら
槍に対抗する為にこの程度の刃長(四尺五寸程度)が有る物が標準の可能性も有るのかだが
とは言え槍が突きを入れた際は当然リーチは更に長くは成る訳だろうか

254某研究者2017/04/06(木) 11:40:48.08ID:UMUhPUJi
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2008/nihontou/06.html
>山金造黒漆蛭巻大太刀(号・柏太刀)日光二荒山 蔵 重要文化財。
>「刀身」136.6cm(4尺五寸五分)反り 4.6cm 拵え 194cm 柄長 51.1cm 南北朝時代。

此れは136cm程度の刃が有るが
此れが当時の大太刀の標準サイズなのかだが

255某研究者2017/04/06(木) 12:17:30.12ID:UMUhPUJi
https://twitter.com/boukenkyuu/status/849822759580450816
上の日蓮聖人註画賛の歩兵が持っているのは大太刀なのかだが
柄の長い長巻或いは中巻野太刀の可能性も有るのかだが
騎馬武者の持ち物の可能性も有るのかだが

256某研究者2017/04/06(木) 12:34:56.91ID:UMUhPUJi
>>255
柄の上端部には模様が有る様に見えるが
此れは中巻野太刀の刀身に巻かれた布である可能性も有るのかだが 
刀身の方が柄より長い事を考えると
長巻では無く中巻野太刀の可能性が高いのかだが

257某研究者2017/04/29(土) 17:31:55.25ID:gzmvUWsQ
https://blogs.yahoo.co.jp/kattyuukoube/20508567.html
上の織田信雄の具足の産佩楯には
上部に鎖が入る可能性も有るのかだが

258某研究者2017/05/03(水) 20:33:12.01ID:y+NINMVb
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%A3%E5%BD%A2%E5%8F%B2#.E4.B8.AD.E4.B8.96.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.99.A3.E5.BD.A2
>旗持が前列で左右に展開し、二列に鉄砲隊、三列に歩兵、その左右に騎兵  

騎馬武者は戦闘時には備の側面に居たのかだが
此れは備の側面を敵が奇襲せぬ様に防護していたのかだが

259某研究者2017/05/04(木) 12:46:20.72ID:4wFolEF+
側面に配置された騎馬武者も
射撃戦時には前に移動するのかだが
一部は奇襲警戒の為に側面に待機している可能性も有るのかだが
白兵戦時にも此れは残る可能性も有るのかだが
或いは徒武者が側面に配置される可能性も有るのかだが

260某研究者2017/05/04(木) 13:19:15.11ID:4wFolEF+
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%A3%E5%BD%A2%E5%8F%B2
>戦国期に徹底した武装の指定を行ったのは、武田・上杉・北条氏といった東国大名達であり、西国の織田氏はむしろ動員人数すら定めておらず  

西国では山が多い事も有り
備は使用されていない可能性も有るのかだが
大阪夏の陣図では旗持ち・銃兵の列の背後に乱雑に騎馬武者と歩兵が並んでいる例が多いが
此れは西国の陣形なのかだが

261某研究者2017/05/04(木) 14:38:25.28ID:4wFolEF+
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/217577181
上は大阪夏の陣図の一部だが
騎馬武者の集団が下馬戦闘しているのかだが
右上や左下に足軽らしき手足に装甲の無い陣笠を装備する兵が交じるが
雑兵物語に有る様に騎馬武者が先に突撃するが
一部戦意の高い足軽も此れに加わる可能性も有るのかだが

262人間七七四年2017/05/09(火) 17:59:31.66ID:puDlX50X
某研究者とかいうのはなんでエキサイト翻訳みたいな書き方なんだ

263人間七七四年2017/05/10(水) 09:09:00.47ID:Z5feHJZ9
頭がちょっとアレな人だからだよ
あと自称してるだけで別に研究者でも何でもないからね

264某征夷大将軍2017/05/10(水) 20:07:28.17ID:Kn4rPJ8E
夜の顔を見忘れたか?

265某研究者2017/05/19(金) 15:08:18.33ID:eToJbwEd
note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n262524  
>後北条氏の北条氏直が岩付衆に宛た御朱印状に槍600、騎馬500、歩者250、小旗120、鉄砲50、弓40という部隊編成が記されているそうです。  

飛び道具が余りに少ない様に見えるが 
騎馬武者も銃・弓は下馬し使用していたのかだが

266某研究者2017/05/19(金) 17:31:36.91ID:eToJbwEd
http://photozou.jp/photo/show/1849954/224295391
上の川中島合戦図では
騎馬武者は側面の弓・鉄砲足軽の背後にも配置されているが
此れは弓・鉄砲足軽が襲撃された場合に騎馬武者が前に出て
後方に下がる迄の時間を稼ぐ故と言う事なのかだが
正面は槍足軽と後列の騎馬武者が支えるのかだが

267某研究者2017/05/22(月) 13:46:20.21ID:NOxAnSCk
騎馬武者も下馬して山を高速で移動し
側面から地形を利用しつつ飛び道具を放つと言う様な事は
何処迄行われたのかだが
機動性を確保する為に素肌武者がこれを行った例は有るのかだが

268人間七七四年2017/05/22(月) 17:58:20.49ID:GiaQdOOY
何を言いたいのかわからないのかだが

269人間七七四年2017/05/24(水) 09:28:04.81ID:Q/sXcTC1
>あと自称してるだけで別に研究者でも何でもないからね

なんで研究者自称してるんだろう
願望なのかな?

270某研究者2017/05/31(水) 11:52:12.66ID:S/mGk5Q/
南北朝期の戦闘では
垣盾を並べ騎馬武者も下馬して射撃戦後
騎馬武者同士が先ず打物を持ち乗馬突撃
後方から歩兵が続き
追撃・逃走時は騎馬武者も残っていた矢を利用して
馬上射撃もすると言う方向なのかだが
銃普及後では射撃戦後の騎馬武者の乗馬突撃は
西国では無いと言う事なのかだが

南北朝期でも楠正成は射撃戦後の乗馬突撃はせず
敵騎兵は連結した垣盾で阻止し衝撃力を止めた後
歩兵・下馬した騎馬武者が馬を攻撃していたと言う事なのかだが

南北朝期であれほぼ騎兵単独での迂回奇襲攻撃と言うのも
東国では特に行われたのかどうかだが

271某研究者2017/05/31(水) 12:02:47.31ID:S/mGk5Q/
大阪夏の陣図(黒田屏風)でさえも一部の騎馬武者は弓を携帯しているだろうし
此れは下馬しての射撃だけでは無く
敵の追撃・逃走時の馬上での射撃にも
大阪夏の陣段階でさえ使われたと言う事なのかだが

272某研究者2017/06/05(月) 21:33:15.55ID:McoDZPuy
敗走する歩兵を騎馬武者・馬足軽が追撃し
銃で狙撃と言うのは有り得たのかだが
銃での反撃を恐れて追撃しない可能性も有るのかだが
銃を持たぬ孤立した歩兵が狙撃される
或いは持っている者も奇襲でやられる例は有るのかだが
すてがまりの様に逆に歩兵に追撃部隊が奇襲狙撃されている例も有る訳だろうか

273人間七七四年2017/06/09(金) 13:50:08.47ID:GP3PQQon
マジキチ

274人間七七四年2017/06/09(金) 17:05:40.23ID:GxyIBQJs
マジキチなのかだが

275某研究者2017/07/29(土) 18:56:51.46ID:mAsVZddF
薄い鉄札よりは皮を何重にも膠で貼り付けた後叩いて固める
練革の方がコストが掛かると言う意見も多いし
鉄が無いから練皮を使用している訳では
偉い人間の鎧にも練皮が多用されている事を考えると
無いと言う事だっただろうが
足軽の陣笠も鉄より皮の方が高級品と有るが
衝撃吸収力は厚みが有れば薄い鉄と同等なのかだが
雑魚兵の鎧も薄い鉄伊予札や鉄板札が主体であり
練皮は草摺の下端部だけか全体に
使用されていると言う事だっただろうか

276某研究者2017/07/29(土) 18:58:10.15ID:mAsVZddF
馬を利用出来ぬ様な山の多い西国の地形で
下馬して移動し銃撃戦に有利な位置を
出来るだけ早期に確保すると言う戦術を多用するなら
越中流具足の様な物は有用と言う事なのかだが
弓の時代でも軽量な胴丸・腹巻が西国では同様の理由で
南北朝期以降は多用された可能性も有るのかだが

277某研究者2017/07/29(土) 23:44:43.57ID:HRSYDEWq
https://twitter.com/Count_Down_000/status/807959987012050944
鉄盾では近距離の
標準的な2.5匁筒の銃撃にも抗し得るのかだろうし
車竹束でもどうなのかだが
竹束に石や土を詰めた物は車でも
まともに移動可能なのかだが
石での撹乱突入は雑兵物語でも見ないが
現実には有るのかだが

278人間七七四年2017/07/30(日) 12:08:44.31ID:CHy1ZQoD
もうちょっと日本語を勉強したらどうかなのかだが

279某研究者2017/08/01(火) 12:16:23.17ID:eSNlOq6x
槍の戦いであれ軽装甲で機動性の高い兵に包囲された側は
壊滅する可能性も高い訳だろうが
(敵の正面側に居る兵は防御に徹して
 側面や背後に居る兵は攻撃もさせると言う方向で
 此れは良いのかだが)
立花宗茂の足軽は兜しか無いだろうが
此れは基本的に山で銃撃戦に有利な位置を
出来るだけ早期に占める為の物なのかだが
加藤清正の足軽は装甲も無く槍の装備も無い訳だろうか

280某研究者2017/08/01(火) 22:43:26.25ID:eSNlOq6x
https://www.youtube.com/watch?v=RTtEYeqousA&t=6s
現実に真田軍と伊達軍が馬の入れぬ様な場所で下馬戦闘したら
伊達軍の五枚胴より恐らく具足が軽量な
真田軍が伊達軍を機動力を利用し
包囲する等して勝利するのかだが
騎兵戦では機動性の差は何処迄出るのかだが

281某研究者2017/08/01(火) 22:45:48.15ID:eSNlOq6x
>>280
包囲されぬ様な地形に伊達軍が布陣した場合は
真田軍・伊達軍何れが勝利するのかだが

282人間七七四年2017/08/01(火) 22:55:42.35ID:FqwVfGb3
自分のブログでやりなされ

283某研究者2017/08/19(土) 12:49:50.33ID:FotWnMxc
騎馬鉄砲等使いようが無いと言う意見も多いが
機動力を活かし敵の側面等から奇襲し
遠距離で一発放って射程外や地形の影に離脱すると言う様な
戦術ならどうなのかだが
追撃が無ければ再装填後
再度奇襲射撃も行い得ると言う事なのかだが

284某研究者2017/08/19(土) 16:45:59.36ID:FotWnMxc
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>騎乗した火縄銃兵が残余のフランス騎兵を包囲し潰走させたが、

騎馬鉄砲や騎乗した鉄砲・弓足軽が
こうした事をした例は有るのかどうかだが

285某研究者2017/08/19(土) 20:05:26.86ID:FotWnMxc
bushoojapan.com/scandal/2015/10/15/61130
>実際に合戦再現を行うと、全体の指揮や意思の伝達が思うようにいかない。
>そんなときに最も効果的だったのが法螺貝(ほらがい)である。太鼓の音より良く聞こえハッキリと認識。  

太鼓では銃砲の音と 
紛れる可能性も有るのかだが
トルコや西欧では此れを使用していただろうが
トランペットもローマ時代から使用されていたと言う事だろうか

286某研究者2017/08/20(日) 00:01:30.85ID:DQiTlu3h
https://www.pinterest.jp/pin/396176098444352396/
https://www.pinterest.jp/pin/739434832539965562/
16世紀テルシオ前列のパイク兵は上の様なハーフアーマー装備だろうが
此れを打ち砕くのは容易なのかだが
ハルバード兵やドッペルドルドナーも何処迄切り込めたのかだが
槍足軽の場合上から槍で殴っても何処迄打撃を与えられるのかだが
打撃でバランスを崩した所に
草摺の後部等の隙間や足等を突くと言う様な
方向が多く成るのかだが

騎馬武者が此れに短い槍で斬り込む訳にも
後列の槍に突かれる危険が有るので困難かも知れぬが
足軽の長柄槍を借用して打撃を与え
崩れた所に刀等で突入すると言う方向も有るのかだが
此れも後列の槍・剣での反撃も可成り有り得る訳だろうし
スウェーデン軍がした様にテルシオは銃でアウトレンジして
混乱させた後
騎馬武者等が突撃するのが良いのかだが

287某研究者2017/08/20(日) 11:09:08.74ID:VWvMBLYv
弓騎兵も津軽屏風・大阪夏の陣図にさえ居るが
銃が出る前の方が数は可成り多かったのかだが
http://www.do-natteruno.com/con_c/c303/ounin%20no%20ran2.jpg
上の真如堂縁起絵巻の様な比率では居るのかだが
http://www.nishijin.or.jp/site/_common/_img/history_img02.jpg
上の鹿の角の様な前立ての有る弓歩兵は
下馬した騎馬武者なのかだが
乗馬時も弓を使用するとは限らぬ訳だろうか

http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
結城合戦絵巻では弓を持つ騎馬武者は一人だが
鍬形の有る弓歩兵は弓を持つ騎馬武者の可能性も有るのかだが
乗馬時には弓を使用しない可能性も有るのかだが

銃が出た後は既存の弓騎兵の大半は
此れを使用したと言う事なのかどうかだが

288某研究者2017/08/20(日) 11:22:21.36ID:VWvMBLYv
http://www5b.biglobe.ne.jp/~karate/html/sub_html.htm/study-busido/rekishi-4.htm
>平家物語によると、富士川の合戦の前日に平家の総大将の維盛(これもり)が関東にくわしい斎藤別当実盛を呼び寄せ
>「関東の武者の弓は三人張り・五人張り(注一)、矢の長さは十四束・十五束(注二)です。矢継ぎ早に射出す一矢で、二,三人射落し、鎧の二,三領を射通します。
>大名は部下五百騎以下の者はおらず、その中にこうした強弓の者二,三十人はおりまする。

http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120506/1336314040
3人張りは張力60−90kg
5人張りは120ー150kgなのかだが
後者は現実的なのかどうかだが
3人張りなら関東武者は可成り多かったのかだが
他地域では1−2人張り(30−60kg)が標準なのかだが
戦国期でもこうした腕力の有る者は東日本に集中したのかだが

289某研究者2017/08/20(日) 15:26:26.93ID:VWvMBLYv
http://signboard.exblog.jp/25783146/
>長年は五人張りの強弓を引き、一矢で二人の敵兵を射抜いたとの伝説があります。

歩兵の薄い鉄伊予札だけの鎧を貫通し
同様の鎧を装備する後ろの歩兵にも致命傷を負わせる程度なら
至近距離なら或いは出来るのかどうかだが
鋼鉄製鏃では無いと困難と言う事は無いのかだが

290某研究者2017/08/20(日) 15:29:56.50ID:VWvMBLYv
体重150kgや200kgの人間なら
五人張りの弓を引ける可能性は有るだろうが
そうした者が馬には乗れるのかどうかだが

291人間七七四年2017/08/20(日) 15:44:11.75ID:VWvMBLYv
http://www.syaho.com/sb.cgi?eid=222
竹林坊が引いていたと言われる伝説の剛弓(霊弓)は外竹が少しはがれていましたが、飴色に輝き、400年のつやとこくがでており、弓を手に取ってみて感動しました。
弓は幅も厚さも約一寸二分(約36mm)あり、真四角で恐ろしく太いもので、私では指が届かず握れません。よほど手の大きい人でも握れない太さであります。
弓の強さは幅に比例し、厚さの3乗に比例します。私の弓は幅が28mm、厚さが六分(約18mm)で強さが約20キロですので、この弓は推定約200キロ以上の強さとなり、
おそらく史上最古にして、最強の弓でしょう。しかしここまでになると実際に引くのは無理のように思われるので、これは実際に使っていたものではなくて、奉納されたものが伝説の弓となったのではないかと想像されます。


此れは源為朝が使ったと言う弓に近い
八人或いは十人張りの弓の可能性も有るのかだが
体重250kg等の人間が引いていた可能性は無いのかだが

292人間七七四年2017/08/20(日) 17:59:15.98ID:lcloYL1E
ほとんどの人が思い浮かべる馬はサラブレッドで、これは明治になって輸入されたもの
戦国時代に国内にいた馬はロバに近い種で、サラブレッドよりずっと体が小さく人間が乗って走り回れるものでは無かったことがハッキリしている
よって明治以前に騎馬武者だの騎馬隊だのは妄想に過ぎない

293人間七七四年2017/08/20(日) 18:23:35.18ID:Ad2pi3x/
鎌倉時代の地層から体高130cmくらいの馬が発掘されてなかったっけか
現代のサラと比較しても10cm強低いだけで人を乗せて走り回れないはないだろう
まあ江戸期の島津みたいに改良するつもりがどんどん体高を低くさせた珍しい家もあるみたいだけどさ

294某研究者2017/08/21(月) 23:23:09.78ID:N2ys3HMe
http://blog.livedoor.jp/sangokuken/archives/51713266.html
グスタフアドルフのスウェーデン軍は騎兵の長剣突撃で有名だが、
そのスウェーデン軍の装備目録によると、騎兵用軍馬の体高は112〜133cmと日本馬より体格が小さいそうだ。
前列が短銃で斉射したあと、長剣を振りかざして突撃するという戦法で活躍した。
(昭和28年に、新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は129.5cm)
これほど体格の小さい馬でも突撃は十分可能である。

また、モンゴル軍の軍用馬の平均体高は120〜130cm程度で、
モンゴル人はこの小型馬に乗り戦闘を行なったわけだ。

スウェーデン馬ほど小さくないとはいえ、
中世ヨーロッパの馬もせいぜい130cm台で、max142cmといったところ。
>>24で言った鎌倉攻めの戦没者遺跡からは140cmの馬も出土している。
出土した中でもっとも分布数が多かったのは126〜136cmだった。

中世と言ってもいつ頃のことかはわからないから何とも言えないが
現在残ってる15世紀頃の騎馬用の甲冑から騎士の軍馬は160〜170cmあったと考えられている。

295某研究者2017/08/21(月) 23:30:42.42ID:N2ys3HMe
>>294
>出土した中でもっとも分布数が多かったのは126〜136cmだった。

此れは荷馬や
http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f4-9a/hehualu2000jp/folder/1360647/80/36953080/img_3?1148594361
上の伴大納言絵詞の右に居る様な
馬足軽的な騎兵のやや小さな馬も含まれている可能性も有るのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Takezaki_suenaga_ekotoba_2-1.jpg
上の蒙古襲来絵詞でも
胴丸装備の騎兵の馬は大鎧装備の物より
若干小さい様にも見えるが
果たしてどうなのかだが
この兵は馬足軽或いは下位の騎兵なのかだが

>中世と言ってもいつ頃のことかはわからないから何とも言えないが
>現在残ってる15世紀頃の騎馬用の甲冑から騎士の軍馬は160〜170cmあったと考えられている。

とは言えトーナメント用のデストリア種のみ大型で
戦場ではやられるのを考慮して小型の馬の物量で勝負していたと言う
意見も有っただろうか

296某研究者2017/08/21(月) 23:34:26.91ID:N2ys3HMe
25kg以上等の大鎧の重量
戦国期東国の22kg等の五枚胴等は
此れを装備する騎馬武者は
乗馬戦闘が主体である故と言う事なのかどうかだが

297某研究者2017/08/22(火) 13:51:52.74ID:2lD9PyAF
人間の反応速度は0.2−0.1秒が限界と言う意見も多いが 
秒速60mの矢を10−5m等の近距離で放たれれば 
此れを回避や迎撃は出来るのかだろうし 
盾や大袖・地形での防御が必要と言う事なのかだが
大袖で防げるのは正面方向だけだろうから
包囲されて至近距離で矢で胴等を貫通され
やられた例も多いのかだが

298人間七七四年2017/08/22(火) 16:50:03.45ID:D2XXYyua
>>292
未だにこんな奴がいるんだな

299某研究者2017/08/23(水) 14:32:17.61ID:OdtKXwvT
戦国期の山が多い西国でさえ馬鎧が使用されていると言う事は
西国の騎兵戦も只の逃走・追撃時だけでは無く
乗馬突撃が行われた証拠なのかどうかだが
装備率は100%で無いと言う事は
乗馬突撃は鎧を装備した騎兵だけの限定的な物だったのか
或いは突撃時の最前列の馬だけ装備した可能性も有るのかだが

300人間七七四年2017/08/24(木) 05:05:57.30ID:Ex4udcYP
>>298
大河ドラマのような運用法はしなかっただろうが
騎馬武・騎馬隊自体は普通にいたっていくらでも物証あるのにな

301人間七七四年2017/08/24(木) 05:06:12.82ID:Ex4udcYP
騎馬武者・騎馬隊自体は

302某研究者2017/08/24(木) 19:38:49.88ID:S2lWgsh6
スウェーデン騎兵の様に歩兵の射撃で敵の陣形を崩してから
乗馬突撃と言うのは東国では特に多用されたのかだが
騎馬兵が側面等から奇襲し弓や銃を一発放って
射程外や地形の影に離脱を繰り返す例等も有るのかどうかだが


下馬した騎馬武者の鈎装備の槍は
乗馬騎兵に対しては馬を突くのが先決であり 
鈎で騎兵を落馬させるのは二の次の可能性も有るのかだが 
鈎は歩兵を転倒させるのに使用される方が多かった可能性は無いのかだが

歩兵も鈎で騎兵を掛けるより鈎で騎兵の槍をかわした方が
効果的と言う可能性も有るのかだが 
歩兵に対しては鈎での引き倒しも有効なのかだが
此れはウェルシュフックやロングソードの鍔・鈎槍の鈎の様な
直線的な鈎でも欧州の武術書を見れば
十分出来る可能性も有るのかだが

303人間七七四年2017/08/25(金) 11:29:01.38ID:5iNIDfMq
上野の博物館で日本の在来馬見たけどでけぇじゃねーか
確かに肩高が147cm以下だから分類としてはポニーになるんだろうけど肩は人間の胸まであって頭を含めたら人間より頭2つはでかい
あんなんが数十騎纏めて突進してきたら千人程度の歩兵ならあっさり蹴散らされそう

304人間七七四年2017/08/25(金) 13:24:13.49ID:XzDChW9N
ポニーっていうけど、あれひ人が乗って時速30キロで突っ込んできたら脅威以外の何者でもないな
ヨーロッパではもっと低い体高の馬で騎馬突撃してたから、理論上は突撃可能だし

305人間七七四年2017/08/25(金) 16:16:37.19ID:bS75rnaH
馬との接点が少ない現代人に、シェトランドポニーやミニチュアホースみたいな体高100にみたないようなのを連想させるためにポニーって言葉をわざと使ったんじゃないの?

306人間七七四年2017/08/25(金) 16:55:46.86ID:gVrWOLDc
逆だろ
昔の人間はペルシュロンとかシャイヤーみたいな重種も馬車引きで目にしてたから
こんなデケーのじゃねーよ的に言ったんだろ

307人間七七四年2017/08/25(金) 18:57:56.14ID:bS75rnaH
>>306
ポニーみたいに小さいから乗って突撃なんて出来ないよってお話でしょ?
重種は関係ないんじゃない?
てか、日本って頻繁に目にするほど重種を入れていた時期ってあるの?

308某研究者2017/08/27(日) 15:03:41.96ID:hg7JoEu6
https://twitter.com/katchusi/status/741963704581791748
この種の戦国期の母衣も使番専用と言う訳では無いのかだが 
使番が銃でやられる例も多かったのかだが 
歩兵の弓を警戒すると言うより 
追撃して来る弓騎兵に弓を連射されるのを恐れたのかだが 
後方に装甲が無い馬がやられる例も多かったのかだが
使番も逃げ足を早くする為に
装甲が軽装化されている可能性は無いのかだが

309某研究者2017/09/03(日) 19:12:11.34ID:If47fLEm
http://photozou.jp/photo/show/1849954/239712468
上の騎乗クロスボウ兵の様に騎馬武者が馬上で大太刀を足に挟んで 
弓や銃を射撃した例は有るのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561186645/
左の様に槍・薙刀を足に挟んで弓や銃を使用する例は有るのかだが 
金砕棒・鉞迄はどうなのかだが

310人間七七四年2017/09/03(日) 22:26:16.05ID:X7LjxQNY
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

311某研究者2017/09/05(火) 17:09:07.36ID:EbnCsRdI
photozou.jp/photo/photo_only/1849954/157760115?size=1024#content
十二類合戦絵巻では伊予佩楯が書かれていると言うが 
雑魚兵の鎧同様に鉄伊予札製の物は有るのかだが 
カルタ金を表現している可能性は無いのかだが
四幅袴に佩楯が装備されている様に見えるが 
http://image.tnm.jp/image/1024/C0049550.jpg
結城合戦絵詞には佩楯の無い四幅袴を装備した騎馬武者も居るが 
実際は袴には佩楯は付いていたと言う事なのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E5%B0%9A#/media/File:Ashikaga_Yoshihisa.jpg
左の足利義尚肖像画では佩楯を装備した四幅袴の上に 
直垂の袴を装備しているのかだが 
https://kotobank.jp/image/dictionary/nipponica/media/81306024002266.jpg
左の南北朝期の騎馬武者は通常の直垂の袴に佩楯を装備している様に見えるが 
現実には両方有ったのかだが

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b272820718
こうした八重鎖の帷子でも足軽胴並みの重さが有るのかだが 
具足の下には重量軽減の為に満智羅+鎖袴の様な物が装備される例も多いのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560225762/
上の様な具足の下に装備する草摺の様な物で
動作性の高い満智羅にも有る鎖製の物等も有るのかどうかだが

https://www.pinterest.jp/pin/468304061230192724/
西欧の板金鎧でも腿から下は鎖は無い様にも見えるが
腿後部迄完全に板金で覆われている様な絵も有るが
トーナメント用以外では現実には使われたのかだが

312某研究者2017/09/05(火) 17:26:28.26ID:EbnCsRdI
https://i.pinimg.com/736x/ba/01/85/ba0185a33b6c412b120c7397517807ad--current-location-th-century.jpg
http://i.imgur.com/gvnjbWU.jpg
西欧の板金鎧の下の腿後部が鎖で覆われる例も
上に有るが
現実は果たしてどうなのかだが
日本にも鎖袴は有るが重量は可成り有る訳だろうし
銃の時代には東国でさえ
後期には有るのかどうかだが
満智羅は銃弾の衝撃吸収にも役に立つなら
綿や皮の物等が西国でも
装備されていた可能性も有るのかだが

313某研究者2017/09/05(火) 17:38:48.74ID:EbnCsRdI
http://paomaru.dousetsu.com/file/02_kibamusya_011.html
>上杉謙信が城を救うために40数騎で敵中突破した際、その内の十六名の鹿角兜をかぶった兵士が大太刀を肩に粛々と進んだと記録にはあるそうです。  

この大太刀を持つ兵は騎馬武者と言う事なのかどうかだが


http://d.hatena.ne.jp/deku_dec/20150625/p1
>馬の尾の付け根は急所で、心得のある武士はそこを叩いて馬を棹立ちさせて相手を落馬させることを狙う。そのため、そこを防御する馬甲部もあるようだ。 
http://img-cdn.jg.jugem.jp/9d1/140426/20070119_228172.jpg 
馬鎧に確かに尾に装甲は有る様だが
とは言え皮甲では何処迄打撃が止まるのかだが 
西欧や他国の馬鎧に尾を防護する装甲は無い様にも見えるが 
尾を叩いて敵を落馬させる戦術は無いと言う事なのかだが

d.hatena.ne.jp/deku_dec/20150625/p1
>素肌武者、具足をつけない武士のことで裸と言う意味ではない。着物は着けているし、『汗止めの鉢巻や肩籠手程度は身につけていたと想像される。  

籠手迄は果たして
装備していたのかどうかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a)

314某研究者2017/09/06(水) 12:38:57.03ID:MrK+FQGS
http://www.geocities.jp/bane2161/igauenojyou.htm
>大坂冬の陣で3人と鎗を合わせて1人を突き倒して首を取ろうとした時、股を矢で射抜かれて斃れましたが、
>深手にも屈せず奮迅の働きをしたので、敵味方にその名を高めました。

此れは近距離から放たれた矢が命中した様にも見えるし
雑兵物語に有る様に白兵戦開始後でも近距離から
現実に矢を放っていたと言う事なのかだが
銃はどうなのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561594154/
この吹返は大阪の陣時点の物としては大型かも知れぬが
果たして当時の物なのかだが

315人間七七四年2017/09/06(水) 12:51:25.78ID:MrK+FQGS
http://enjoy-history.boso.net/book.php?strID_Book=0004&strID_Page=015&strID_Section=01
仏胴胸五枚胴具足
富津市・鳥海文也氏蔵
伝吉原玄審助所用 戦国時代

此れも吹返はやや大きいが
戦国期の物なのかだが

316某研究者2017/09/06(水) 14:54:10.26ID:MrK+FQGS
http://blog.livedoor.jp/sadosado_4hi/tag/%E6%96%B0%E7%99%BA%E7%94%B0
朝倉國景は義景の嫡孫で、新発田藩主席家老溝口伊織家の初代である。
この具足は元和元年大阪夏の陣で着用したもの。

朝倉義景の孫等が大阪の陣に居たのかだが
具足は同時期の物なのかだが

317某研究者2017/09/06(水) 15:04:33.89ID:MrK+FQGS
http://mag.japaaan.com/archives/45247/gusoku
上の本多政重が関ヶ原で使用したと言う具足は
面頬が妙に平たく口も大きいが
実戦用の物なのかだが

318某研究者2017/09/06(水) 15:16:52.83ID:MrK+FQGS
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561595811/ 
草摺に紋柄縅では無く 
蒔絵で大きな紋が入る例も有るが 
此れは戦国期の具足なのかだが

319某研究者2017/09/06(水) 18:24:52.08ID:MrK+FQGS
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561596486/
この種の銃弾を逸らす為の廻鉢も 
回転する鉢部に立物を付ける事は基本的に 
回転力が低下するので無いのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561498644/
上の兜も廻鉢の様だが 
前立は回転しない眉庇部に有る可能性も有るのかだが

320某研究者2017/09/07(木) 12:54:08.37ID:k350lO3B
船槍等の敵を掛けるタイプの槍は 
両手で敵を引く必要が有るなら 
管槍では無いと言う事なのかだが 
パワーの有る人間ならその限りでも無いのかだが 
敵を掛けた直後に左手が管では無く柄を持つと言う様な可能性は有るのかだが

321某研究者2017/09/08(金) 12:19:12.70ID:3dR11fQY
en.wikipedia.org/wiki/Polish_hussars#/media/File:Karacena.JPG
上のポーランドのスケイル鎧は耐弾性は有ると言う意見も有るが 
大型マスケット銃の衝撃は果たして止まるのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561014609/
https://www.pinterest.jp/pin/425801339748942000/
日本の戦国期の伊予札の胴も厚みは有ると言うが 
主力の2匁クラス筒の衝撃なら何とか成るのかも知れぬが 
其れ以上ではどうなのかだが
腹前部は体とのスペースが有るし
胸板・脇板は鉄板札であり此れの直下の小札は割に固定され
衝撃を吸収出来る鎖や皮の亀甲金の有る
満智羅でも着ればそうした部分も衝撃は止まるのかどうかだが

322某研究者2017/09/12(火) 17:37:07.71ID:j/S8o1oW
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561679874/
>岡崎市の博物館所蔵の「栄螺成兜」。これは本田忠勝の陪臣であった多門信倍という武士が徳川家康から拝領したものだそうです。
信倍はこれを着用して長篠の合戦に参加し武功を挙げたとか  

1575年時点でこの様な物が
果たして有るのかだが

323某研究者2017/09/14(木) 12:11:39.82ID:HC8RK/7a
満智羅の語源はオランダ語のマンテルと言う意見も有るから 
此れはオランダ船が日本に来た 
17世紀初頭以前は無い可能性も有るのかだが 
そうでは無いなら
西欧甲冑を模した可能性の有る初期の仏胴が出来た1570年台或いは
此れの前にも西欧の綿入れを模して作られた可能性も有るのかだが

324某研究者2017/09/14(木) 17:14:16.02ID:HC8RK/7a
http://nagahama-hikiyama.or.jp/news/news173.php
猿の有る陣羽織も有るが 
戦国期に同様の物は有るのかだが 
http://www.osakacastle.net/specials/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B1%95%E3%80%80%E3%80%8C%E6%A1%83%E5%B1%B1%E3%81%AEtakumi%E2%80%95%E6%84%8F%E5%8C%A0%E3%83%BB%E6%8A%80%E5%B7%A7%E3%83%BB%E5%B7%A5%E5%8C%A0%E2%80%95%E3%80%8D
上の桃山期のテーマ展に出ている 
猿の蒔絵の入る具足は 
戦国期の物なのかだが

325某研究者2017/09/14(木) 20:29:17.61ID:HC8RK/7a
http://www.ninpo.org/militaryhistory/weapons/nanbanbo.html
江戸期の南蛮棒を使用している動画も有るが 
戦国期に果たして此れは有るのかだが

326某研究者2017/09/15(金) 12:40:24.20ID:zTfDmEjS
下馬戦闘の多い西国では胴丸・腹巻が銃が出る前からも増えたかも知れぬが 
東国では大鎧が銃が出る迄は多い可能性も有るのかだが
銃が出る前に騎馬武者が胴丸・腹巻を使用しているのは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%BE%84%E5%85%83#/media/File:Hosokawa_Sumimoto.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E8%88%88#/media/File:%C5%8Cuchi_Yoshioki.jpg
上の細川澄元・大内義興像を見る限り
確実であると言う事なのかだが
双方共西国の武将である訳だろうが
南北朝期から騎馬武者の胴丸・腹巻装備は行われたと言う意見も有るが
現実にはどうなのかだが

http://image.tnm.jp/image/1024/C0049550.jpg
結城合戦絵詞で乗馬戦闘をしている騎馬武者は
大鎧装備の者だけだが
鍬形の有る歩兵で胴丸装備の者も居るし
彼等は騎馬武者の可能性も有るのかだが
http://image.tnm.jp/image/1024/C0049548.jpg
結城合戦絵詞の上の騎馬武者は草摺を見る限り
胴丸を装備している可能性も有るのかだが

327某研究者2017/09/15(金) 13:38:52.16ID:zTfDmEjS
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87%E9%98%B2%E5%A1%81#/media/File:Takezaki_suenaga_ekotoba_bourui.jpg
蒙古襲来絵詞の時点で
袖の無い胴丸装備の騎兵は居るが
此れは騎馬武者では無く馬足軽的な兵の可能性も有るのかだが
東国でもこうした兵が戦国期迄残って胴丸を装備して騎乗戦闘迄していた
可能性も有るのかだが
胴丸に袖が追加された鎧を装備した騎馬武者が出現したのは
どの時点からなのかだが

328某研究者2017/09/15(金) 13:41:54.04ID:zTfDmEjS
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87%E9%98%B2%E5%A1%81#/media/File:Takezaki_suenaga_ekotoba_bourui.jpg
蒙古襲来絵詞の胴丸装備の騎馬兵も
歩兵と異なり靴や脛当てらしき物を装備している例も有るから
騎乗戦闘をしていた可能性が高いのかだが

329某研究者2017/09/17(日) 13:51:56.08ID:z+c8CDXt
革縅の鎧の革の色は 
紺か白しか無いかと思って居たが 
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/156521
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_tenjiannai_06tokubetsu001.htm  
赤や緑系の色も有ると言う事なのかだが

330某研究者2017/09/19(火) 12:02:05.70ID:1p0Z3li3
日の丸胴 二本差合当里 朱銘あり /// 甲冑 武具 鎧 兜 刀 鍔 鞍 鐙 弓矢 縁頭
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n230192775

此れは指物が二本装備される胴なのかだが 
1本の指物の先端が2つに分かれる物が
装備される方が多いと言う事なのかだが

331某研究者2017/09/19(火) 22:05:05.95ID:1p0Z3li3
http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/031cd7768d9ba84400ada72689c431d6
ある武将の家臣団に「力士隊」
というのがいて(「剛力隊」だったかも)、その者どもが大太刀を振り
回したら敵兵は誰も近寄れず、林が畑になってしまった、というのが
あった。

此れは実際は長巻兵かも知れぬが
力士等足も遅いだろうし
槍衾を突破して士大将に突入して来た
主に乗馬した騎馬武者の馬を
(東国の兵なら乗馬突撃も多いだろうが)
長巻で斬る為に居るのかだが
腕力が有るなら敵の騎馬武者が乗馬突撃して来ないと見た場合は
大筒を大量に装備して白兵戦時の近距離でも
此れを放っていた可能性は無いのかだが
(上杉軍は力士隊が有るし
 15kg等の30匁筒を大量に使用していたと言うから
 力士隊が此れを使用していた可能性も有るのかだが
 同時に長巻も使用していた者は居たのかだが)
長巻や大太刀で槍衾を切断しての突撃はしていたのかだが

332某研究者2017/09/20(水) 12:03:14.56ID:64jyeD+H
https://senjp.com/yagyuu/
真田隊が家康本陣に深く斬り込むほどの乱戦で、岡山の徳川秀忠本陣も攻め込まれ秀忠自身が槍をとって戦うありさまだ。
混戦の中、たちまち馬まわり衆は敵と切り結んで、秀忠の護衛は宗矩一人となった。
このときを逃さず、大坂方・木村重成配下の木村主計(かずえ)率いる鎧を付けない軽装の赤槍隊35人が襲撃を仕掛けてきた。

宗矩は秀忠の馬前に立ちはだかり、赤槍隊の先頭武者を脳天から槍もろとも斬り下げ続く2人も倒したところで秀忠を振り返って主人に声をかけた。
「上様、ご安堵あってご見物を。人を斬るとはこうするものでございます。」
秀忠は、宗矩が7人を斬り倒すのを数えた。
7人斬って呼吸も乱れない宗矩に恐れおののいて、残りの敵兵は逃げ去った。
剣豪で知られた宗矩が人を斬ったのは、将軍秀忠の危機を救ったこのときが最初で最後だったとされる。


この赤槍隊と言うのは騎馬武者なのかだが
同時に7人を刀で斬ったのかだが
槍衾に斬り込み槍を封じた後極短時間で7人を
倒した可能性も有るのかだが

333某研究者2017/09/20(水) 14:11:35.47ID:64jyeD+H
>中でも鶴津丹波守、或る時大船に敵數百人取り乗せ、鶴津の沖(現高岡郡四万十町大鶴津)へ寄せ來る。丹波守、居城の上の山より、例の大弓を持ちて、八町(約873m)計沖の船の腹を、
横樣に射抜きければ、潮入りて忽(たちまち)に沈み、船中の者一人も殘らず死したり。昔の八郎爲朝に異ならず。是よりして時の人、今爲朝と申しけり。
出典
土佐物語 巻第十三

通常の鏃では此れは出来るのかだが
板を割る鏃と言うのが確か有るだろうが
此れを使用しても果たしてどうなのかだが

334某研究者2017/09/24(日) 14:23:20.70ID:3hLk7Uqh
雑兵物語では関東の騎馬武者30騎が
同時に乗馬突撃したと有るが
この際に弓や鉄砲を持つ者も居たと有るが
各1名ずつと言う可能性も有るのかだが

騎馬武者の馬上筒の装備率に関しては
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3047381.html
>1617年の津和野城の城付き鉄砲の中に、61挺の馬上筒が含まれていたそうです。

津和野城に61もの備(有るとすれば兵力は最低でも18000程度か)は無い可能性も有るだろうから
この時点では一つの備の騎馬武者に
馬上筒を持つ者は複数人居た可能性も有るのかだが
他地域ではどうなのかだが
上の物は乗馬戦闘は基本的にしない西国の兵の馬上筒だが
敵の乗馬追撃時や
乗馬しての逃走時に使われたと言う事なのかだが

335某研究者2017/09/24(日) 14:32:38.11ID:3hLk7Uqh
>>334
>この際に弓や鉄砲を持つ者も居たと有るが
>各1名ずつと言う可能性も有るのかだが

この者は馬足軽の可能性も有るだろうが
果たして乗馬して銃や弓は使用したのかだが

336某研究者2017/09/25(月) 18:10:15.52ID:v4lilbW6
http://pin.it/RZ1yV9z
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561855686/
此の牙は面頬に有る物としては 
最長クラスの物なのかだが

337某研究者2017/09/29(金) 14:35:46.99ID:TXypu9H8
http://plaza.rakuten.co.jp/sengokulily/diary/201401110000/
>大身槍 長船祐定 紀州徳川家に清正の槍として伝えられた。別に250cmの青貝螺鈿の柄が 付属している。  

刃長が二尺四寸四分(約73cm)も有る此れを清正が使用したと言う説も有るが 
果たしてどうなのかだが

338某研究者2017/10/06(金) 14:18:30.57ID:jbX6cDWs
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11122525166
>硫黄は、鉄鉱石に起因するものです。
製鉄するときに、硫黄があると刃物以外の用途でも、好ましくありません。
銑鉄から、鋼を作る工程で、炭素量の減少とともに、硫黄、ケイ素などの不純物も、同時にの除かれます。
しかし、砂鉄から作った鋼と比べて、鉄鉱石から作ったものは、硫黄成分が、多く残ってしまいます。

大きな違いはチタンの量。
砂鉄にはチタンが多く含まれており、鉄鉱石には少ない。
結果、これらから作った鋼のチタン量も差がある。

純粋な鉄は軟らかい。そこで炭素を侵入固溶させる。
炭素は原子半径が小さいので、陽子の密度が増加し、
鉄に超高圧をかけたような状態となって硬くなる。
しかし、一定以上炭素を入れようとすると、
鉄と炭素が引き合い、互いの配列が周期的に揃う
(炭化鉄になる)。

配列が周期的に揃うと、鋼が脆くなる。
チタンは鉄よりも炭素を引き付けるので、
チタンが多いと、より多くの炭素を入れても
鉄と炭素が化合物を作らなくなる。
結果、粘りのある硬い鋼を作ることが出来る。


甲冑の場合砂鉄の硫黄の少なさや
チタンの多さと言うのは意味は有るのかだが
玉鋼製の甲冑も伊達政宗の鎧等一部有ると言うが
包丁鉄に比べ不純物は少ないかも知れぬが
強度に何処迄影響するのかだが

339某研究者2017/10/06(金) 14:28:16.82ID:jbX6cDWs
http://nihon-no-katchu.proboards.com/user/2/recent?page=34
>THE METALLURGY OF JAPANESE PLATE ARMOUR
Results of analysis
This section of armour is of composite construction, comprising an outer face of steel
(shown as the dark-etching phase in the micrograph above) and an inner lining of pure iron (the bright phase, ferrite).
The steel is distinctly harder and tougher which would help prevent the penetration of projectiles,
whilst the softer iron behind is ideal for absorbing the energy of the impact.
The content of slag inclusions is exceedingly low compared with other traditionally produced ironwork and the ferrous plate is protected from corrosion by numerous coats of lacquer.

Significance
This armour has clearly been constructed from two different carefully chosen and skilfully worked materials, such that even with a thickness of about 1mm the armour would provide the best possible level of protection for the wearer.
A piece of cheaper armour, examined at the same time was constructed entirely of soft iron containing many slag inclusions so the quality of armour may be very variable.

日本の鎧の場合表の面だけ固い素材を入れてて
弾命中時に割れるのを防いでいる物も有ると言う事なのかだが
(此れは日本刀の硬軟二重構造を
 参考とした可能性も有るのかだが)
西欧の鎧ではどうなのかだが
こうした処理がされているのは
精鋭騎馬武者用のスラグの無い玉鋼使用の鎧に限られるのかだが
雑魚兵は非玉鋼製の(包丁鉄等の)複合素材では無い鎧を装備していると言う事なのかだが
玉鋼使用だからと言って全て硬軟複合素材の鎧なのかだが

340某研究者2017/10/07(土) 12:11:40.74ID:4RFptFsO
http://www.tumagijyou.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=20
2m近い妻木家頼が使う具足も有るが 
日本最大の鎧の可能性も有るのかだが

341某研究者2017/10/07(土) 12:26:04.58ID:4RFptFsO
https://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33738192.html
佐藤伊勢為信の巨大な御幣前立は1591年迄の物なのかだが 
八幡座の弾痕と言うのは補修された可能性も有るのかだが

342某研究者2017/10/07(土) 17:54:03.47ID:4RFptFsO
http://datehaku.blogspot.jp/2010/09/blog-post_01.html
上の伊達宗贇の具足は着用者は180cm程度の様だが  
http://best-times.jp/articles/-/2645
上の巨大甲冑は其れ以上は有ると言う事なのかだが

343某研究者2017/10/07(土) 21:50:27.66ID:4RFptFsO
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562018717/
上の様な障子板の配置では 
首を回転させると面頬の垂が干渉する可能性は無いのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562018746/
上の場合はやや外側には有るが
此れでも干渉するのかどうかだが

344某研究者2017/10/08(日) 14:27:43.33ID:f8mmSIXY
陣羽織は糸の減った当世的鎧の鉄板が日射で加熱するのを防ぐ為に 
夏場は着用されると言う意見も有るが 
大阪夏の陣図でも装備していない兵が多いが 
鉄板の上の皮や紙の上に漆が塗られている例も多いから 
こうした事は熱対策も考慮しているのかどうかだが

伊予札甲冑は基本的に皮包であるし
熱対策及び弓対策で此れは装備されたのかだが

345某研究者2017/10/08(日) 14:31:35.25ID:f8mmSIXY
草摺や佩楯は皮も多いし 
兜は受張が有り袖の下にも布が有り篭手とのスペースも有るから 
この部分は熱対策は考慮していないと言う事なのかだが
鉄製の草摺の場合上に皮や紙が有ったり
糸が多くされている可能性も有るのかだが
鉄製佩楯も糸が多い物も有るが
上に皮や紙が有る例も有るのかだが

346某研究者2017/10/08(日) 20:47:58.05ID:f8mmSIXY
http://pin.it/1GmL1Jy
卍鍵槍の現物と言うのも有った訳だろうか

347某研究者2017/10/08(日) 20:52:30.77ID:f8mmSIXY
茨城県立歴史館で展示されている徳川家康の甲冑=4日、水戸市
http://pin.it/zbSdu7j  
上の具足は 
http://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/shiteibunkazai/siteibunkazai/kurenaiitoodoshidoumarugusoku.html
岩井与左衛門の銘が入るし
与左衛門は家康の歯朶具足も作成しているから 
此れは家康の物と見て良いのかだが

pinterest.jp/pin/343610646562027701/
上の 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562027641/
ヴェルサイユ宮殿の天井画に有る甲冑も 
岩井与左衛門の作と言う意見も有るが 
果たしてどうなのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562029387/
上の英に徳川秀忠が贈った鎧も 
岩井与左衛門製と言う事なのかだが

http://pin.it/Xp8_ubA
上も岩井与左衛門の制作の具足なのかだが 
籠手に蒔絵の有る具足は戦国期には無いと言う意見も有るが 
岩井与左衛門の具足は基本的に戦国期の形式と言う事では無いのかだが

348某研究者2017/10/08(日) 21:42:33.11ID:f8mmSIXY
Kikko katabira.
http://pin.it/QT-cuun
鎖が下で亀甲金が上の方に有るのは 
亀甲金の方が防御力は上と見ている故なのかだが 
具足の下にこうした物は装備されたのかどうかだが

349某研究者2017/10/09(月) 19:45:17.56ID:0vLfqTdW
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562045848/
上の様な巨大な紋の入る脛当は 
http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F1287476&contentNo=13&outputScale=1
平治物語絵巻等には有るが
戦国期には有るのかどうかだが

350某研究者2017/10/11(水) 18:39:35.57ID:Ev+9NYTm
五人張り等の弓なら近距離では装甲の無い足軽を 
3人程度同時に貫く例も有るのかだが 
装甲の有る足軽も足を狙い同時に多数貫通させれば 
戦闘力は低下させられるのかどうかだが 
こうした攻撃なら雁股鏃を使う方法も有るのかだが 
対人用に此れが使われる例は有るのかだが

351某研究者2017/10/12(木) 19:49:50.28ID:Wrzag0LU
最高級品の矢羽根と言うのが
どう言う物なのか分からないが
http://ncode.syosetu.com/n9630dg/11/
>最高級品の「大鷲、尾羽、石打」ともなると美術品に近く、とてももったいなくて矢羽根には使えません。

と有るから
大鷲の石打で良いのかだが

http://yashi.a.la9.jp/nichiyouyashi_013.htm
>上下の写真とも大鷲の尾羽根です。
>個体の差が大きいので、数を見ていないと、
>なかなか何の鳥なのか判りにくいかと思います。

上の大鷲の尾羽根には黒い部分が有るが
http://pds.exblog.jp/pds/1/201402/23/41/b0309841_22141561.jpg
大鷲の幼鳥の尾羽根には黒い部分が有るが
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/8d/bf24cc2e521590676b890713c85178bb.jpg
成鳥には無い様にも見えるが
成鳥の物の方が高級と言う訳でも無いのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

352某研究者2017/10/14(土) 15:56:58.94ID:lWmxNMh2
集団で乗馬突撃して来る関東や立花道雪等の騎馬武者に 
側面等から馬の脚に向けて雁股矢を発射し脚を大量に射切って大混乱させると言う様な例は果たして有るのかだが 
銃ではどうなのかだが

353人間七七四年2017/10/15(日) 17:45:57.29ID:gZE48d2J
誰得?なぐらい狼藉が生々しい大坂夏の陣屏風にすら騎馬武者がいるのだから史実だろう

354人間七七四年2017/10/16(月) 14:06:07.17ID:YRHkTZ7S
戦国時代の馬ってポニーだったらしいじゃん

長槍の方が強くない?

355某研究者2017/10/16(月) 14:25:45.75ID:xXZ7PD3a
日本の槍衾の密度はテルシオより無いし
350kg~420kgの木曽馬或いは其れ以上の体重の南部馬が
20ー40km/hで突入して来たら
厄介と言う事なのかだが


信長公記に石山合戦で信長が先頭に立って足軽と共に戦った例も有るが 
此れは信長の本陣備が先頭に出ていたと言う事であり 
信長がこの備の最前列に居たと言う事では無いと言う事なのかだが
とは言えこの備が乱戦と成れば信長が武器を取った可能性は
有ると言う事なのかだが

356某研究者2017/10/16(月) 14:46:04.68ID:xXZ7PD3a
http://ncode.syosetu.com/n1685bu/3/
>このことから、平安末期から鎌倉全期にわたって、郎党や下級武士は130cm前後の馬に乗り、一般的な武士は135cmから140cm前後の馬で、
有力者や総大将などは145cmクラスの日本馬としては規格外の馬に乗っていたのではないでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC#cite_note-15
>^ 『続日本紀』養老5年(721年)3月9日条に、馬の所有数に関する記述があり、「五位の者は四匹、六位以下庶民までは三匹」とあり、一般的な武士は三匹が限度であり、
源義経の乗りかえ馬が四匹なのは、義経自身が五位の為である。従って、乗りかえ馬が三匹か四匹かの差は、位の高低の違いである。

義経の様な指揮官級だと145cm等の馬を
4頭所有していた可能性も有るのかだが
戦国期ではどうなのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

357人間七七四年2017/10/17(火) 01:25:44.98ID:SdXb6+ko
>>354
当時世界中ポニーだから
ポニーは体高147p以下の馬の総称でしかなく、まるで当時の日本の馬だけポニーであったかのような言い回し自体おかしいんだよなぁ。
学者と違い何処にも所属しなくとも名乗れる“研究家”の説にはぶっ飛んだ説もあるから注意が必要、当時存在しなかったサラブレットと体高の高さを比較対象にしたりテレビ番組の無茶苦茶な実験を鵜呑みにして日本在来馬を貧弱馬にしたがるからやべーよ。

日本馬はアラブ馬に匹敵するくらい優秀だとオランダ人が評価し、国王が日本馬の入手を切望していた記録が残り。
そればかりか享保年間にオランダから献上されたアラブ馬と日本馬を遠乗りに出したところ日本馬が早く、アラブ馬を二、三里引き離して到着している記録など藤氏前掲論文や学者の平山氏が挙げてるんだぜ。

358某研究者2017/10/17(火) 11:00:34.86ID:IEe+nTvm
山岳地帯及び高温の状況では
欧のアラブ馬より日本の馬の方が上と言う可能性も有るだろうが
平地の競馬でも
https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%96/
サラブレッドより高速な南部馬盛号等も居るが
151cmと言う体高は南部馬でも巨大な方なのかだが

359某研究者2017/10/17(火) 11:39:21.52ID:IEe+nTvm
http://ncode.syosetu.com/n1685bu/3/
>まずは1732年にプロイセンで開発されたメクレンブルガー種です。
 軽馬種のサラブレッドに重馬種のサーフォークパンチを掛け合わせた彼らは、軽馬種並みのスピードを持ちながら斤量で120kg程度までを乗せ疾走することが出来ます。
 最高速度は50キロ前後です。

 1735年にはハノーヴァー種がイギリスやハノーヴァーの共同開発で生まれます。
 これはホルシュタイナー種や旧サラブレッド種(三大始祖の血とは別)のような温血と、クリーブランド・ベイ種という馬車馬を掛け合わせた強靭な馬です。
 このハノーヴァー種も120kgを乗せて最高50キロ程度を出すことが可能です。

 この二種の近代軍馬は1740年のオーストリア継承戦争には数が揃いませんでしたが、1756年の七年戦争では敵対したフランスやオーストリアの騎兵を散々に打ち破り、プロイセンやイギリスの軍事的な成功の一助となります。

亨保年間直後には欧ではこうした馬も数が作られるが
山岳地帯では日本の馬の方が未だ上の可能性も高いのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

360某研究者2017/10/17(火) 11:46:16.93ID:IEe+nTvm
http://ncode.syosetu.com/n1685bu/3/
>マワーリー騎兵の馬は体高が147センチから152センチのアラブ種やバルブ種がメインで、馬まで鎧で覆うと駆け足程度が限界速度になります。
 しかしそれに対するクシャトリヤ騎兵は、体高が150センチから160センチ、体重が500kgから650kgのマールワリ種やカーティヤワール種に乗っていたのです。
 そのため馬鎧を着せていてもかなりの速度を維持できました。
 結果として、突撃力も持久力も全てにおいてクシャトリヤ騎兵が勝ったわけです。

 そしてイスラム勢力はそれ以降250年もの間、北インドに侵入できなくなってしまいました。

 ラージスタンの戦いで敗れたイスラム勢力のウマイヤ朝は、その後に権力を失いアッバース朝に取って代わられます。アッバース朝イスラム帝国の誕生です。

こうしたイスラム騎兵でも勝てない様な
印の大型馬も山岳地帯では日本の馬より
必ずしも優秀では無いと言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

361某研究者2017/10/17(火) 14:44:59.44ID:IEe+nTvm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E9%A6%AC
>木曽馬
山間部で飼育されていた為、足腰が強く、頑強である。
後肢がX状になっている。また、蹄は外向姿勢である。そのため横への踏ん張りが効き、山の斜面の移動も苦にしない。
蹄が堅い。農耕に使役する程度なら蹄鉄を打たなくてもよい。
草のみでも飼育可能。木曽馬の盲腸の長さは洋種馬に比べ30cm程長く、太さも2倍ほどあるため。

木曽馬も
蹄は硬く山岳地帯への対応性もペルシャ系馬より上なのかだが
軍用馬は草だけでは飼育されず
大豆も使われていたと言う事だろうか

362某研究者2017/10/17(火) 14:50:09.60ID:IEe+nTvm
馬は去勢しないと集団突撃には使えない等と言うが

>十三世紀中ごろ第六次の十字軍の際、「トルコ兵やサラセン兵はすべ
>て雌馬に乗っていたのに、フランク兵はすべて去勢しない雄馬に乗っ
>ていたので、十字軍の騎兵の雄馬は敵の雌馬を求めて、ときどき味方
>をすてて敵の軍に接したので、フランク兵は非常に困ったといわれて
>いる」(加茂 1980)この時、フランスのワルター卿の牡馬は、サラ
>セン軍馬の牝馬に興奮したため、卿は落馬してしまいます。
(「騎馬民族は来なかった」(佐原真) p20)

十字軍の馬も去勢はしていないし
上の様な問題は生じたとしても
アルスフの戦いでは密集突撃して勝利はしている訳だろうが

蒙古襲来絵詞には騎馬武者が集団突撃している場面も有るし
モンゴルも去勢しない馬を確か多用していたかも知れぬが
モンゴル馬や木曽馬は一部を除いて気性は荒くは無いと言う意見も有るから
別段去勢等せず共問題無い可能性も有るのかだが

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1379053203
>明治に入って北清事変の時でも、日本とともに出兵した欧米諸国が、日本軍は馬の格好をした猛獣に乗っていると酷評されています。
未調教の上、去勢されておらず、気性は荒く、音にも驚いて兵士たちを大いに手こずらせたといいます。

此れは20世紀初頭頃の話だから
純粋な日本馬では無く
未去勢のペルシャ馬の血が入る馬が暴れたと言う可能性も
高いのかだが
音への訓練は戦国期から有るのでは無いのかだが

363某研究者2017/10/17(火) 15:01:38.76ID:IEe+nTvm
http://military38.com/archives/48127620.html
>だいたいモンゴルでも去勢馬なんて女子の乗り物、男は乗らないんだよ
本場でそうなのに、同じく去勢してない日本で同じ集団運用はできない、って結論は出しにくいと思うよ、、、

モンゴルの少なく共軍用馬は
体力や攻撃性を保つ等の理由で去勢は無いと言う事なのかだが


>蒙古種の馬は基本、忍耐強くて大人しいそうな
絶滅した日本の名軍用馬たる南部馬も、気性は大人しいと伝わっている
(みちのくの 尾駮の駒も 野かうには 荒れこそまされ なつくものかな)
で、これが去勢ありのモンゴルとなると、冊に繋いでおくと、何時間も動かないそうな
(日本在来馬が凶暴と書いたのは司馬遼太郎だっけ?)

蒙古系馬を去勢等したら
軍用としては使い物に成らない可能性さえ有るのかだが

>モンゴルだって必ず去勢するぞ。
去勢しない馬を使うのは先頭を率いるリーダー格だけや。

ケシクテン等の精鋭部隊の馬は基本的に
去勢は無いと言う事なのかだが
軍用馬全般の可能性も有るのかだが

364某研究者2017/10/17(火) 15:54:00.23ID:IEe+nTvm
https://twitter.com/Hatashirorz/status/888665433250844673
>ところで、今回は書けなかったけど、ヨーロッパ騎兵も北清事変のときの日本騎兵を笑ってたくせに去勢馬(せん馬)の軍事導入は遅れてるんだよね。モスクワ国家よりも遅れてる。

騎士という誇りある戦士にとって、荒馬を乗りこなすことが名誉。牝馬なんぞは女や僧侶が乗るもので、去勢馬は威厳と勇気に欠けて、騎士が乗るもんじゃないってのが15世紀まで。
ドイツ騎士団なんかは、輸精管を不能にする処置で、半去勢馬を使ってたけど、これも敵に良質な馬の種を渡さないための措置で、牡馬の攻撃性とか猛々しさは極力残そうということ。

16世紀に軽騎兵を重視した際の
アラブ馬導入時に去勢技術もイスラムから入ったと言う事なのかだが
16世紀のピストル騎兵が大量に出て重騎兵が衰退する前は
去勢技術導入は無かった可能性も有るのかだが

365某研究者2017/10/17(火) 16:03:01.41ID:IEe+nTvm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%83%BC
西欧でも遅く共上の1580年から大量に出て来たリピツァーナでは
去勢技術は導入されていたのかだが

366某研究者2017/10/17(火) 16:06:00.21ID:IEe+nTvm
https://en.wikipedia.org/wiki/Gendarme_(historical)#/media/File:Gendarmes.jpg
去勢等されていない16世紀前半の馬でも
上の様な極度に密集した突撃は出来たと言う事なのかだが

367某研究者2017/10/18(水) 15:58:00.40ID:x5Qnklqf
https://twitter.com/katchusi/status/919379860841046016
>面具の打ち出しというのは甲冑の板金の中でもなかり難しいもので、一枚の鉄板を飛び出している所だけを叩かないように時間をかけて厚みが均一になるように叩くのです。
銅板なら柔らかいので伸びるのですが、普通の鉄板ですからなかなか伸びません

下位の騎馬武者は加工に手間の掛からぬ単純な構造の頬当や 
凹凸の少ない隆武面を主に装備していた可能性も有るのかだが

368某研究者2017/10/18(水) 22:06:20.30ID:x5Qnklqf
https://pin.it/Nh-uEdd  
こんな丁番の付いた脇引も有るが 
腕の動きが制限される可能性は無いのかだが

369某研究者2017/10/19(木) 00:04:30.88ID:pzw9Plp/
pin.it/CCR98on
上腕下部が筒籠手の前腕部の様な構造の籠手だが 
銀色であるから西欧甲冑の影響は有るのかだが 
戦国期にこうした物は有るのかどうかだが
此れに 
http://jada.j-armor.com/page_d.html  
上の天正4年(1576年)の物かも知れぬ前田利家の具足に有る様な 
板金的な板袖を装備すれば 
防御力は可成り高く成るかも知れぬが 
戦国期にこうした組み合わせは有るのかだが

370人間七七四年2017/10/20(金) 12:07:26.00ID:ThvCkble
水軍スレも火縄スレも某研究者の連投で
ほかの人が全然書き込まなくなった自重してくれ

371某研究者2017/10/27(金) 12:19:11.10ID:OymQc/i7
一番先に槍戦をする騎馬武者が疲労した場合は
後列の槍足軽と入れ替わるのかだが
騎馬武者が二列に成り入れ替わると言う例も有るのかだが
早期に一列目の者がやられてこの穴を埋めた
二列目の騎馬武者が疲労した場合
槍足軽が投入される可能性も有るのかだが

372人間七七四年2017/10/28(土) 06:22:32.82ID:Akm1Shts
『日本史』第四巻
上方武士の戦争は馬から降りて戦う(笑)

373某研究者2017/10/28(土) 17:02:31.60ID:2/ObDXIo
遠距離での射撃戦時に馬の上等に居れば狙撃されるだろうが
射撃戦から下馬での白兵戦に移る前も下馬して移動しているのかだが
銃の射程は300m等と言う意見も有るから
こんな長い距離を15kgの具足を着て
歩行して移動するのかどうかだが
足軽が先に移動して近接戦をし敵の長距離射撃を封じた後
乗馬して前線に移動し下馬戦闘或いは
敵が崩れていればその侭乗馬突撃していた可能性も有るのかだが

http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/224295391
上の川中島合戦図では騎馬武者が乗馬した侭
鉄砲・弓足軽を支援しようとしている様にも見えるが
この絵の正確性は必ずしも無いと言う事だっただろうか

374某研究者2017/10/28(土) 17:57:02.16ID:2/ObDXIo
http://welcome.city.ena.gifu.jp/contents/html/0304007.html
この様な模様の多い錦包の具足が 
大坂の陣で使われたのかだが 
松平の様な可成り高位の者専用なのかだが
篭手上部は鎖が妙に多いが

https://pin.it/3NT--MR
この喉輪側面の板札は 
肩上部を防護する為の物なのかだが 
この板札は皮と言うから弓を止める為の物なのかだが

https://pin.it/I7eendr
この籠手は肘後部に迄篠が有るが 
鉄板札がこの部分に使われる例は有るのかだが

pin.it/0xXfQrg
この籠手は上腕部に迄筒籠手の前腕部の様な部分が有るが 
皮製と言うから動作性に問題は余り出ないと言う事なのかだが 
鉄でこうした物は有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562192796/
こうした目庇から伸びる金具が有る場合
面頬は同時装備されたのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562192805/
このシコロは固定式なのかどうかだが

https://www.town.yorii.saitama.jp/site/rekishikan/23syunki.html
此の面頬の垂の鉄板札は妙に幅広だが 
大型の一枚板の物は流石に有るのかだが

https://pin.it/wHgqWRk
こう言う形状の吹返も何処かに有る様な気もして居たが
何を模しているのかだが 
戦国期に同様の物は無いと言う事なのかだが

http://welcome.city.ena.gifu.jp/contents/html/0304007.html
この様な模様の多い錦包の具足が 
大坂の陣で使われたのかだが 
篭手上部は鎖が妙に多いが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)

375人間七七四年2017/10/29(日) 02:02:35.26ID:O5ZPDuwa
詳しい人教えてほしい。
以前に戦国日本と欧州の軍隊編成を比較しているスレがあって、
日本は諸兵科金剛した数百人程度の備を基本単位として重層的に備を重ねた陣を組み、単兵種のみでの部隊運用が無いのに対し、
欧州では単兵種のみで部隊を構成して分離配置して陣を組んだものと大別されていた。
そのスレではどちらが優れているの議論が盛んだったのだけど、騎兵の出自に注目している人がいなかったんだ。

日本の騎馬武者は武士の主従関係の中で上位のものが自前か貸与の馬に乗ったもので、
一つの備は全員同じ主従の中にあるわけで、身分の上下はあっても混在することには何の心理的抵抗もなかったのではないだろうか。

だが欧州の騎兵はもともとが封建制度の領主貴族・騎士やその食い詰めた末裔で構成されていたと認識している。(んだけど、これは正しい?)
なので当然、ほとんどが傭兵や徴兵・徴募された平民である歩兵や砲兵とは混在して部隊を組むのには抵抗があったと思うんだな。
騎兵だけの大集団を縦横に走り回せていた西欧の軍隊と日本の戦国軍隊が戦ったら騎兵の集団突撃で蹴散らされる、
なんて意見があって結論が出なかったのでこんなことを書いたんだけど、
案外、軍事的な有効性や合理性からは混在させたかったけど騎兵のプライドが邪魔して出来なかったという可能性もあるんではないかな〜と思ったのです。

376某研究者2017/10/29(日) 22:25:35.88ID:H3EUFYY3
英の騎兵は主に下馬して弓兵を守り
マクシミリアン1世は下馬してパイクを構え或いは砲を撃ち
仏の重騎兵には貴族では無いかも知れぬ
軽騎兵も随伴していたかも知れぬが
下馬戦闘は余り無いと言う事なのかだが

377某研究者2017/10/30(月) 14:04:05.52ID:PVYK5yDX
>騎兵だけの大集団を縦横に走り回せていた西欧の軍隊と日本の戦国軍隊が戦ったら騎兵の集団突撃で蹴散らされる、

日本の銃普及後の16世紀中盤以降では西欧も槍騎兵は衰退し
ポーランドやスウェーデン等の一部を除いて
集団白兵突撃等は無いと言う事だろうか
銃普及前なら日本軍も歩兵及び下馬騎兵が弓を放った後
打物を持つ騎馬武者が集団で一斉に乗馬突撃していた可能性も有るのかだが
応仁の乱以降は歩兵が多くは成ったが
弓射撃後の集団乗馬突撃は銃登場迄は
していた可能性も有るのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA
>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、
自分が発案した「早込」(「早合」ともいう。1発分の火薬を詰めた竹筒の束を鉄砲隊の肩にかけさせる工夫)を用いて
二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、
続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、

銃が出た後の西国でも乗馬突撃は長尾懸かり等が有るが
どの程度の規模の集団乗馬突撃なのかだが
同時期の東国の乗馬突撃を模した物の可能性も有るのかだが
雑兵物語でも騎馬武者の30名程度の同時乗馬突撃は有るが
此れは相手が崩れたと見たからの物の様だが

378某研究者2017/10/30(月) 15:08:02.74ID:PVYK5yDX
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0009.jpg
平治物語絵巻・六波羅合戦巻の上等は
騎馬武者のみで戦闘がされているのかだが

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0014.jpg
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0015.jpg
上もほぼ騎馬武者のみで集団戦が行われている様に見えるが
南北朝期には武器は弓から打物と成ったが
同じ様な騎馬武者の大規模集団戦は残った可能性も有るのかだが

379某研究者2017/10/30(月) 15:33:55.47ID:PVYK5yDX
http://www.emuseum.jp/detail/101303/001?word=&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=&region=&era=&cptype=&owner=&pos=233&num=5&mode=detail&century=
1517年成立の清水寺縁起絵巻上巻では
騎馬武者が集団戦闘しているが
この時点では大鎧は無く
打物の比率はもっと多いのかだが

http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
15世紀後期成立の結城合戦絵詞
http://www.do-natteruno.com/con_c/c303/ounin%20no%20ran2.jpg
1524年成立の真如堂縁起絵巻では
歩兵も混じった乱戦をしているが
騎馬武者単独での集団一斉突撃が無いと言う事を意味する訳でも無いのかだが

380某研究者2017/10/30(月) 18:08:25.03ID:PVYK5yDX
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562322779/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562322780/
上の1510年迄成立の日蓮聖人註画賛の
日本軍とモンゴル軍の戦闘場面では
大鎧装備の恐らく騎馬武者が下馬戦闘を可成りしているが
当時の現実を反映した物なのかだが
南北朝期等でも大兵力に対しては
騎馬武者は地形等を利用し下馬戦闘する事が有ったと言うから
通常は一斉に集団乗馬突撃するが
こうした戦術を用いている可能性も有るのかだが

381某研究者2017/10/30(月) 18:12:22.32ID:PVYK5yDX
>>380
>上の1510年迄成立の日蓮聖人註画賛の

https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E8%93%AE%E8%81%96%E4%BA%BA%E8%A8%BB%E7%94%BB%E8%AE%83-1192772
>現存本では,1536年(天文5)勧発師安立院日政,画工窪田統泰による京都本圀(ほんこく)寺本が最古で,のちにこれを模写したと考えられるものが5本ある。

と有るから
此れは1536年成立の間違いと言う事なのかだが

382某研究者2017/10/30(月) 18:30:35.45ID:PVYK5yDX
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.A8.8E.E5.85.B5
>『軍法侍用集』にも騎馬を集結運用する陣形が登場しており、馬、槍、鉄砲の運用について言及した長宗我部元親の文書や『雑兵物語』などの当時の文献でも、その様子を伺い知る事が出来る。

先述のフロイスの記述もあくまで少数だった和田勢が多勢の敵に対し密集して挑む為に下馬して戦ったまででその方が理に適っていたからである。

(戦場の地形が騎乗戦闘に適していたかも考慮しなければならない)
また戦国後期になると各兵科毎に集めて部隊を組む事も行うようになっており(戦国遺文後北条氏篇第3巻、
1923号には北条氏直が武蔵岩附衆に当てた書状にて小旗、鑓、鉄砲、弓、歩者、騎馬の兵科毎に奉行を置き
総勢1500人程の岩附衆がそれぞれの兵科毎に奉行に率いられて戦う様に書かれている)後期には兵科分けが行われた。

この兵科分けと言うのは北条以外も同様なのかだが
長篠でも織田軍の銃兵のみが前方に抽出されているが
この時点で騎兵が抽出されていた可能性は有るのかだが

383人間七七四年2017/10/30(月) 21:27:22.31ID:RuJoKaJm
某研究者自重して
ここはおまえの落書き帳じゃねえんだ

384人間七七四年2017/11/03(金) 20:15:42.22ID:BKq0t3U3
武田の馬は小さい目。東日本で標準的な木曽馬は135p350`とかだが、武田の馬は120cmほどでしかない。
ttp://www.sengokushi.com/sengokushi/?p=308

これでも、鞍馬寺の山門から本堂までの標高差160mを登るのを楽をするというような目的には十分だが
…馬力重量比が物いいう使い方だが、大きな馬は自分自身も運び上げなけばならないので馬力重量比的にはあまり有利にならない。小さい馬のほうが小回りが利く分むしろ有利になり易い…、
標準的な馬の3分の2(相似比の3乗)の重さしかない=突撃力が弱いし、下が軽くて上が重いのでは安定性が悪くちょっとぶつかっただけですぐ落馬 騎馬戦闘にはまるで向いていない。
主たる用途が山登りなら小さい目になるのは当然だが、弓矢を打ち合う戦闘ならこれで十分としても、源平合戦の時代ならともかく戦国時代では時代遅れ。

385人間七七四年2017/11/03(金) 20:29:50.46ID:MjoP67EC
釣れますか

386某研究者2017/11/08(水) 14:21:33.29ID:Y7DjHvga
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p579876449
此れの薙刀は拵迄古刀期の物なのかだが 
戦国期の薙刀は
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/217577181
黒田屏風に有る様に
こうした槍と同程度のサイズ(全長250−60cm)程度が多いのかだが 
刃長もこの程度なのかだが

387人間七七四年2017/11/08(水) 19:06:47.48ID:7gWvw4qo
>>384
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11125269356
>江戸時代初期ごろにヨーロッパで騎馬による突撃戦法を確立したスウェーデン騎兵の使用した馬の平均馬高が120cm程度と日本の馬より更に一回り小さいからです。

体高120cmの馬を使用するスウェーデン騎兵は平地で
衝撃騎兵として利用されただろうが
山岳移動用の武田軍の馬は筋肉量が多いだろうから
スウェーデン騎兵よりは使えると言う事は無いのかだが

388某研究者2017/11/08(水) 21:28:49.92ID:7gWvw4qo
草摺? *兜鎧甲冑武士戦陣弓刀鞍鐙鍔目貫縁頭大名侍
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b282950664
>高級具足に見られる、二重になった草摺の内側でしょうか。   

二重の草摺等と言うのは今の所見ないが 
戦国期には有るのかだが

389某研究者2017/11/08(水) 22:41:30.39ID:7gWvw4qo
http://niccorin.com/lite/archives/47922562/comments/6184346/?p=5
>なんかデストリア挙がってるがデストリアは普通の軍馬の7倍から酷きゃ700倍も価格の幅がある超高級馬だぞw
中世ヨーロッパでもデストリアは馬上試合に用いるのが主で、戦争での主力は小型の馬。
体高の高さと戦闘能力はイコールではないし、六割山間で平地は湿地の日本で運用考えると粗食に耐えれず傾斜に弱い大陸馬は不適格だろ。

日本の在来馬もオランダ人からアラブ馬に匹敵すると評され、国王が入手を切望していた記録があるくらいなんだがなぁ。
またオランダから献上されたアラブ馬と遠乗りさせたところ、日本在来馬の方が早くアラブ馬を二、三里引き離して到着した記録など残ってる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E9%A6%AC
>王立武器博物館所蔵の現存するホースアーマーの分析は、元来15 - 16ハンド(60 - 64インチ、152 - 163センチメートル)の馬[47]、あるいは、おおよそ現代のフィールド・ハンター(英語版)か普通の乗用馬の大きさと骨格にこの装備が着けられていたことを示している[15]。
文学、絵画、考古学の史料を使用したロンドン博物館(英語版)で行われた研究は、14 - 15ハンド(56 - 60インチ、142 - 152センチメートル)の軍馬を支持し、大きさではなく、その強さと技能で乗用馬と識別した[48]。


1580年にリピッツァナーが出る前の16世紀の欧の通常軍用馬は
体高150cm台或いはそれ以下が大半なのかだが
とは言えサイズはモンゴル馬よりは大型だが
モンゴル系の馬と異なり
粗食には耐えられないと言う事だっただろうから
オランダも長距離の耐久性と粗食に耐えられる事を狙って
導入を目論んだのかだが

390某研究者2017/11/08(水) 23:23:32.86ID:7gWvw4qo
http://ncode.syosetu.com/n1685bu/3/
>最後に騎士の馬についてです。
 斤量のところでもお話しましたとおり、騎士の馬は中世ペルシュロン種、シュバル・ド・オーヴェルニュ種、リモージュ種、アルデンヌ種、ホルシュタイナー種などです。
 これらの馬は軽い重馬種か重い軽馬種で、当時の体高はどれも150センチ前後、体重は軽馬種で500kgから550kg、重馬種で600kgから650kgです。
 ちなみに一番人気だったのはシュバル・ド・オーヴェルニュ種で、オーヴェルニュの馬といえば最高の贈り物のひとつとして数えられました。
 そんなシュバル・ド・オーヴェルニュ種は、現代でも平均体高が145センチで平均重量が630kgであり、写真で見ると驚くほどガッシリとした馬です。
 体高でみれば大き目の木曽馬と同じようなサイズですが、体重はサラブレッドより100kg以上重いのです。こんなに重いポニーが居てたまるか、といった重量ですね。
 またシュバル・ド・オーヴェルニュ種の産地であるオーヴェルニュはフランス中央山塊に位置しており、彼らはどちらかといえば跳ねる馬です。
 600kgを超える体重でありながら足首は太く柔らかで、戦列に何度突っ込んでも無事に帰ってこれる馬でした。
 以上のことから、中世騎士の馬はとにかくガチムチでマッチョな馬が求められていたことがわかります。
 西アジアや中央アジアと違ってたくさんの替馬を用意するような余裕がありませんから、当たりが強く頑健で怪我をしにくい馬ほど良い馬だったわけで、スピードは二の次三の次でした。

騎士の馬も体高は無いが
体重は630kgも有ると言う事なのかだが
https://en.wikipedia.org/wiki/Auvergne_horse#The_old_Auvergne_horse
>It stands 143 to 147 centimetres (14.0 to 14.2 hands) at the withers, and weighs 450–650 kilograms (990–1,430 lb).

147cm・630kgが果たして平均値なのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/73/Nemo-auvergnat-1.jpg/1200px-Nemo-auvergnat-1.jpg
木曽馬より腹は出ていないが
足は太い様に見えるが
古い種と同様なのかどうかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

391某研究者2017/11/10(金) 14:26:49.32ID:XU5mHgs+
http://niccorin.com/lite/archives/47922562/comments/6184346/?p=5
>なんかデストリア挙がってるがデストリアは普通の軍馬の7倍から酷きゃ700倍も価格の幅がある超高級馬だぞw
中世ヨーロッパでもデストリアは馬上試合に用いるのが主で、戦争での主力は小型の馬。
体高の高さと戦闘能力はイコールではないし、六割山間で平地は湿地の日本で運用考えると粗食に耐えれず傾斜に弱い大陸馬は不適格だろ。

日本の在来馬もオランダ人からアラブ馬に匹敵すると評され、国王が入手を切望していた記録があるくらいなんだがなぁ。
またオランダから献上されたアラブ馬と遠乗りさせたところ、日本在来馬の方が早くアラブ馬を二、三里引き離して到着した記録など残ってる。


衝撃騎兵としては体重650kg等の西欧の馬が
木曽馬・南部馬より上かも知れぬが
当時西欧で主力のピストル騎兵ならカラコール戦術の為
長距離を持続して移動する事と
粗食に耐える事の方が有用と言う事なのかだが

392某研究者2017/11/10(金) 17:53:13.67ID:XU5mHgs+
taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1235629  
>一枚の板なのにまるで小札を連結したかのように見せる切付小札が、関ケ原合戦の前後から流行り始めたのです。 
ところがこの切付小札、曲がった時にパキッと割れて、上に盛った漆やパテが剥がれないよう、0.5〜0,8mmくらいの鉄板を使います。

切付小札も出て来たのは関ヶ原直前辺りなのかだが 
鉄板を使用したのは遠距離の防弾を重視した故なのかどうかだが

393人間七七四年2017/11/13(月) 21:04:06.33ID:cMHTFIgS
>>391
馬は乗物としてつかうのなら小さい目のほうが合理的。兵站の負担が小さい/平素の維持費も安い。
でも、戦場で戦う時は大きいほうが有利(兵站の負担は重い
どちらを重視するか…の問題(兵站の問題でもある

394某研究者2017/11/13(月) 22:26:27.78ID:/Bvx6Jz8
西欧の重騎兵の軍馬も16世紀前期の様に
甲冑を装備してパイク兵を押し潰すなら
体高150cm・650kgの馬も
有用では有ると言う事なのかだが
騎馬武者の馬の場合は鎧を装備して槍衾を
突破する事等は考えず
長距離の逃走・追撃の為のアラブ馬を凌ぐ様な
長距離走破能力が重視されている訳だろうか
唐の騎兵の馬鎧が消えたのも
歩兵に撃退され敗走する騎馬民族の馬に鎧を装備する
重騎兵を追撃する為だっただろうか

395某研究者2017/11/13(月) 22:39:52.65ID:/Bvx6Jz8
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562359469/
平安・鎌倉期の上の平治物語絵巻の様な騎射戦では馬に装甲が有る方が有利な可能性も有るだろうが
現実には片方或いは双方が地形や垣盾等の障害物を利用して戦い敵が敗走した後
騎兵で追撃と言う例も多かったのかだが
弓を限定的に止められると言う厚総は上の絵では
割に多いだろうか

396某研究者2017/11/14(火) 13:32:00.53ID:irtINazS
>体高150cm・650kgの馬も

この種の馬の突撃は楠木正成が使う様な
垣盾を金具で連結した物でも防げるのかだが
銃が無い場合でも
馬鎧を矢で深く貫通して動きを鈍らせられればだろうが
近距離で無いと困難と言う事は無いのかだが
正面の板金の厚さは最大1.5mm程度だが
5人張り等の強弓を使う者ならそう遠く無い距離でも
足を鈍らせられるのかだが
https://i.pinimg.com/originals/8f/8c/d7/8f8cd7c9ad08e115e2fa7189d1ee7718.jpg
上の様な馬鎧では首部に鎖或いは何も装甲は無い例が多いし
此れは銃が防げないから胸を主に狙うパイクを
阻止しようと考えた故なら
日本軍の弓が余り防げない可能性も有るのかだが
https://www.pinterest.ie/pin/558164947553054325/
https://i.pinimg.com/736x/f7/e3/1f/f7e31f81f5a7fe9c7e7ebbfc1c6fb473--horse-armor-royalty-free-image.jpg
https://www.pinterest.ie/pin/558164947553586101/
上の様に首に板金が有る例も有るが
絵ではほぼ見ないから果たして実戦用なのかだが

http://c8.alamy.com/comp/ENWHN5/armor-for-combat-plate-armour-for-man-and-horse-europe-metropolitan-ENWHN5.jpg
正面からでは馬の首は余り露出しない様にも見えるから
装甲が施されていないと言う可能性も有るのかだが

397某研究者2017/11/15(水) 12:34:55.16ID:hGIUmfxK
15世紀ー16世紀中期迄の
銃が大量に装備される前の日本軍も歩兵の射撃のみで
地形無しには突撃する騎士を
阻止出来るのかと言う事は有るだろうし
http://www.do-natteruno.com/con_c/c303/ounin%20no%20ran2.jpg
https://images.metmuseum.org/CRDImages/as/original/DP244721.jpg
16世紀前期の真如堂縁起絵巻・秋夜長絵巻等にも有る様な
一部残る騎射可能な騎馬武者で歩兵突入前に早期に
射撃を開始する必要は有るかも知れぬが
騎士にも弓を使う者は一部居るだろうが
英以外はクロスボウだろうから遠距離では命中率は低下し
発射速度も低い訳だろうか
16世紀或いは其れ以前でも一部の騎士は
https://www.pinterest.jp/pin/94646029639434718/
https://pbs.twimg.com/media/DEqrRYmUMAAJBnv.jpg
上の様な騎兵銃を装備しているかも知れぬし
此れの精度はクロスボウより低下している訳だろうか

日本軍も15世紀ー16世紀初期なら
槍の比率は歩兵以外ではそう多くは無いかも知れぬし
槍を持つ騎乗した騎馬武者は真如堂縁起絵巻や
結城合戦絵詞でも居ない訳だろうが
騎馬武者の薙刀や大太刀・金砕棒・大鉞等の打物は
騎士に十分打撃を与えられると言う事だろうか

398某研究者2017/11/15(水) 12:54:15.39ID:hGIUmfxK
とは言え15−16世紀初期の戦闘では
騎馬武者が先には戦闘はせず
下馬した一部の騎馬武者と歩兵が垣楯の背後から先ず射撃後
打物を装備した騎馬武者が乗馬戦闘・歩兵が此れを援護と言うパターンが
多いかも知れぬが
騎乗して弓を使用する騎馬武者も
此れに一部交じると言う事なのかだが
この戦い方では余程兵力差が無い限り
地形無しには馬に装甲の有る騎士の突入を
完全には阻止出来ないだろうが
下馬した打物を装備する騎馬武者が
騎士を可成り阻止出来る可能性は有るのかだが
一部の歩兵も雑兵物語の様に至近距離から射撃をやる可能性も有るのかだが
一度戦闘して歩兵の弓だけでは突撃を阻止出来ないと判断すれば
地形を利用する或いは
騎馬弓兵での早期の迎撃を試みる可能性も有るのかだが

399某研究者2017/11/15(水) 13:49:27.54ID:hGIUmfxK
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/File:Luzerner_Schilling_Battle_of_Grandson.jpg
1476年のグランソンの戦いの絵でさえ
パイク兵を意識している筈のブルゴーニュ騎兵には
馬鎧は無い様に見えるが
現実には装備されていたのかだが

https://bildsuche.digitale-sammlungen.de/index.html?c=viewer&bandnummer=bsb00103106&pimage=00418&lv=1&l=de
https://de.wikipedia.org/wiki/Schlacht_von_Wenzenbach#/media/File:Behamisch_facht.jpg
16世紀では馬鎧の装備率は高まるが
此れは銃は防げないだろうから
パイク対策なのかどうかだが

https://www.historisches-lexikon-bayerns.de/Lexikon/B%C3%B6hmische_S%C3%B6ldner
上のボヘミア傭兵の盾は鎖で連結されていると言うが
此れは重騎兵の突撃は何処迄防げたのかだが
楠木正成の使用した様な金具で連結される垣盾ではどうなのかだが
スイス傭兵やランツクネヒト等の
クロスボウ兵や銃兵の盾は
スペイン軍等に大型マスケット銃が配備された後は
これを防げず廃れたと言う事なのかだが

400人間七七四年2017/11/15(水) 20:48:22.02ID:h0Jn4T2w
甲斐、越後=天下一の軍士

今度上様(織田信長)東国御出馬付、当国(大和国)衆自昨日上洛
(中略)
甲斐、越後之弓矢天下一之軍士之由風聞、一大事之陣立也
(奈良県興福寺『蓮成院記録』天正十年三月)


上方=弱敵の国ども

東武士は大方強敵どもなり
筑紫の奥は奥州衆により申候
上方の弓矢すえになりたる国ども、(中略)五畿内中国の町人に相似たる侍ども、(中略)弱敵の国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
関東の敵馬上の戦ひよくして、馬を入乗きり、足軽上手なれば
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。(中略)三方ヶ原御合戦に、討死の三河武者下々迄、勝負を仕らざるは一人もなく候。
三河国、日本六十余州にて、人のかぞゆる侍の、武篇かせぐ国なれば
たけき武篇の家、和朝に上杉謙信・徳川家康なり。
(『甲陽軍鑑』)

401某研究者2017/11/17(金) 15:45:02.67ID:P4hMcVX+
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562554538/
この盾の厚さは大阪城に有る物と同様の4.8cmは無い様にも見えるが
古い物なのかだが

402某研究者2017/11/17(金) 16:01:04.23ID:P4hMcVX+
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562554619/
上の様な9kgの袖型の盾は実在する様だが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561343380/
上と同様の物なのかだが
板札が固定式では無いのは銃弾の衝撃を逸らす為と言う事なのかだが
6匁筒が至近距離で止まる様な物なのかだが

403某研究者2017/11/17(金) 19:05:44.69ID:P4hMcVX+
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562554933/
上の鎖付き袖絡は捕物用の様だが
海戦用の物に鎖が付いた物も有る可能性は有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562555645/
十手と刀の二刀流も有るし
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562555364/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562555640/
戦国時代の十手も有るが此れは両手用なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562555362/
上の鉄刀と十手の中間の様な物は戦国期の物なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562555356/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562555365/
上の鎖の付いた十手が刀と二刀流で使用される例は
戦国期に有るのかだが
仕込み十手迄は有るのかどうかだが

404某研究者2017/11/17(金) 20:24:59.96ID:P4hMcVX+
室町期に始まる堤宝山流に
契木の内部に分胴を仕込む振杖が有るが
此れは江戸期からの登場の可能性も有るのかだが
こうした構造の十手も同時期からの登場なのかだが

https://wing-auctions.c.yimg.jp/sim?furl=auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0306/users/4/1/6/8/amtj_h211-img500x334-1497474760iskr3m32254.jpg&dc=1&sr.fs=20000
分胴鎖の付いた江戸期の仕込み杖も有るなら
此れは分胴と刀の二刀流を考慮しているのかだが

405某研究者2017/11/19(日) 13:11:25.14ID:k1psgo0o
https://blogs.yahoo.co.jp/mutuhaya01/32806305.html
>・1584年、に、 徳川家康氏は、
大勢の伊賀の者らを派遣したが、
75名が、途中で撃ち殺された。

・徳川家康氏は、 鉄の盾を装備するように、
言い渡した。

此れは大阪陣で使われた物と同様の
30kg等の鉄盾なのかだが

406某研究者2017/11/24(金) 19:10:33.16ID:Cou8V3YZ
https://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/59102446.html … >日本の鞭の端には必ず輪が付いています。
>前回 Blogで打根を紹介いたしました。
何故筈が付いているのだろう??と疑問に思っていました。

中国の鞭箭というのが紹介されていました。
銅の棒の先に輪が付いていてそれに筈を引っ掛けて溜子にして放す。と説明されています。
昨年のWTAFで何処かの選手が矢を棒の先に引っ掛けて飛ばしていたのを思い出しました。
もしかしたらそれと同じではないでしょうか?
日本の鞭の端には必ず輪が付いています。
輪に筈を引っ掛けて鞭で押し出して飛ばしたのでは無いかなと考えました。  

打根は基本的に騎馬武者用であると言う事なのかだが 
歩兵は矢筈が無い手突矢・手突槍使用の可能性も有るのかだが

407某研究者2017/11/24(金) 22:58:35.47ID:Cou8V3YZ
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562645916/
上の打根は矢筈は無いが 
螺鈿等が有るから歩兵用では無いと言う事なのかだが

408某研究者2017/11/24(金) 23:15:51.81ID:Cou8V3YZ
弓足軽も矢が尽きれば接近して打根を投げていたのかだが
弓で飛ばして紐で回収していた可能性も有るのかだが
弓を使用しても全長は最大54p程度なら引きは弱く成るのかだが
とは言え投げるより威力は高い可能性も有るのかだが
54pより長い物も或いは有るのかだが
格闘レンジに敵が入れば弭槍や
刀を使用したと言う事だろうか

409某研究者2017/11/24(金) 23:26:07.03ID:Cou8V3YZ
5人張り等の強弓から放たれる打根なら
引きが小さくても脅威かも知れぬが
刺さり過ぎて回収出来ぬ危険も有るのかだが

410某研究者2017/11/26(日) 15:13:39.37ID:Xu2vAvIr
ttps://twitter.com/yoroi_gurui/status/934416077005529088
>RT
>いわゆる「南蛮鎖」の発生について西洋由来という通説を再考すべきかもしれない籠手が出てきたな。

この篭手と言うのは 
https://twitter.com/imamu_land/status/895284293273960449
上に有る物なのかだが 
鎌倉期の物なのかだが 
この南蛮鎖は(ケルト起源では有るだろうが)
中国の鎖を参考として作られた物の可能性も有るのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562412874/
鎖の装備位置は男衾三郎絵詞の物に似ているが
13世紀末のこの時点で南蛮鎖の有る篭手や鎖帷子も有るのかだが
可成り指先の方迄板金が有るから
指に鎖が有る篭手が出て来る
南北朝期の物の可能性は無いのかだが

戦国時代も初期からこうした南蛮鎖が使用された
鎖帷子や篭手・佩楯・甲懸等が使用されていた可能性も高いのかだが

411某研究者2017/11/26(日) 15:50:04.05ID:Xu2vAvIr
>>410
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/documents/maibun17.pdf
南蛮鎖の有る篭手は上を見る限り 
13世紀後半迄の物の可能性も有るのかだが 
年代は特定されていないと言う事なのかだが
http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/toku/kamachu-list.html
>大倉幕府周辺遺跡群出土籠手部分 パネル展示 原品鎌倉時代 鎌倉遺跡調査会

上の鎌倉期の物と見られている篭手だろうが
年代は確定しているのかだが

戦国後期には南蛮鎖の篭手や佩楯・鎖帷子等が西欧の鎖の影響で
数が増えたと言う可能性は有るのかだが

412某研究者2017/11/26(日) 19:40:07.95ID:Xu2vAvIr
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562625906/
上の伊達実元の具足には甲懸が有るが 
果たして1587年迄の具足の物なのかだが

413某研究者2017/11/26(日) 19:51:59.01ID:Xu2vAvIr
http://japanese-armor.org/jpn/archives/5960
>またヨーロッパはアキレス腱を防御することが考えられたが、
日本は足の甲を守る防具の甲懸(こうがけ)ではアキレス腱を防御できず、幕末にいたるまでアキレス腱を防御することが行われなかったとの指摘もありました。

https://www.pinterest.jp/pin/7881368070158965/
鎖なら後部を覆う物も有るし
https://i.pinimg.com/564x/d9/bb/63/d9bb631b28af15b443f0084ba02760c1--samurai-armor-armures.jpg
https://i.pinimg.com/236x/31/32/6b/31326b7cbd021026b9c5e8988fb8fcb2--samurai-armor-geisha.jpg
https://www.pinterest.co.uk/pin/322781498282481342/
板金主体の物も後部を鎖と組んで覆う物が有るだろうか

414某研究者2017/11/29(水) 13:18:05.69ID:hRQ/XWDC
漫画等で兜を装備せず面頬を付けて戦闘する騎馬武者等は 
リアルでは無いと言う意見も有ったが 
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/242051720
上の秋夜長絵巻ではそうした格好をしている者も居る様に見えるが 
特に長距離の射撃戦では兜を邪魔と見る兵も
居たと言う事だっただろうが

上の兜無しで面頬を装備する兵の甲冑には袖が無い様に見えるから 
高位の騎馬武者では無いと言う事なのかだが 
後方に兜・面頬を装備せず射撃をしている高位の騎馬武者らしき者も居るから 
こうした者が面頬を装備して射撃と言う事は有り得るかも知れぬが

とは言え銃が出た後は 
此れは弾も見えず弓より直射距離が長い事を考えると 
長距離での射撃戦でも安易に兜を外す事は 
矢は兎も角銃弾を見て回避する訳には行かぬから 
無くなった可能性も有るのかだが

415某研究者2017/11/29(水) 15:18:58.14ID:hRQ/XWDC
19世紀の武学拾粋にのみ
攻城戦用の仕寄具足の記述が有ると言うが   
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0281-005501&IMG_SIZE=1000%2C800&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E6%AD%A6%E5%AD%A6%E6%8B%BE%E7%B2%8B%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=114
此れは上の部分なのかだが 
http://blog-imgs-64.fc2.com/n/a/n/nanbokuchounikki/201408052031204ae.jpg
上の大鎧の脇盾と同様だが
左脇に装備する追加装甲も有る様だが 
此れは脇盾同様に草摺装備かも知れぬし 
草摺の側面の隙間を埋める事も狙っているのかだが

越中具足で左側の草摺を連結して 
隙間を塞いでいる例も有る様だが 
此れは攻城戦時限定と言う可能性も有るのかだが

仕寄具足の追加の胴も 
http://www.ninja-museum.com/ninja-database/?p=4386
上の忍者の鎧の様な正面だけの形式の物かも知れぬし 
此れに更に 
http://blog-imgs-64.fc2.com/n/a/n/nanbokuchounikki/201408052031204ae.jpg
上の大鎧の脇盾に似た物が 
左脇に追加されたと言う可能性も有るのかだが

恐らく射向方向を槍等から防護する為の 
仕寄具足の脇盾の様な物に草摺が有るとすれば 
鉄板札で揺糸部分も 
鉄板札で埋められている可能性も有るのかどうかだが

416某研究者2017/11/29(水) 15:30:14.50ID:hRQ/XWDC
>>415
とは言え下位の騎馬武者は 
攻城戦時でも替え具足の胴を今着ている胴の上に装備するだけかも知れぬし 
これの草摺が取り外し式なら 
左側の草摺の隙間を埋める様に位置を変える程度と言う可能性も有るのかだが
草摺が取り外し出来る戦国期の鎧は余り見ないが

http://www.kjclub.com/UploadFile/exc_board_53/2010/04/08/127072142693.jpg
上の家康の兜のシコロは横に開いているし 
下シコロ迄有るから
実際に参加する訳では無いが 
攻城戦を意識している可能性も有るのかどうかだが

https://i.pinimg.com/736x/ac/d4/82/acd482f816ffe744b7e8a8fa6201bcf8--samurai-helmet-samurai-armor.jpg
上の上杉景勝の兜のシコロもやや開いているし 
http://www.sendai-c.ed.jp/~bunkazai/shiteidb/image/12.jpg
上の伊達政宗の兜もそうだろうが 
他の具足は開いていない物も多いから 
此れは攻城戦を想定した替え兜なのかだが
攻城戦用の大袖と言うのも
白兵戦も想定して湾曲した物の可能性も有るのかだが 
https://pbs.twimg.com/media/Cd_53YbUkAA90zG.jpg
上の内藤如安の具足の袖の様な物の可能性も有るのかだが 
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/132137/0/1
上の様なサイズの物は果たして有るのかだが 
当世袖的に湾曲はもう少し抑えられている可能性も有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/405464772681659172/
上の上杉景勝の具足の袖は妙に大型であるし 
攻城戦用の袖の可能性は無いのかだが

http://www.uenokosyu.com/swfu/d/s_120705-070.png
上の天海和尚の具足の袖も妙に大型だが 
攻城戦用なのかだが

417某研究者2017/11/29(水) 15:45:19.71ID:hRQ/XWDC
livedoor.blogimg.jp/sadosado_4hi/imgs/c/e/ce9431dc.jpg
上の佐竹義重の具足の袖も大型だが 
此れは攻城戦用では無く
古い大袖の形式が残る物と言う事なのかだが

https://twitter.com/sendai_shihaku/status/812858078404046848 
上の片倉重長の具足の袖は大型であるし 
大阪冬の陣で使われた物なら 
仕寄具足の袖の可能性も有るのかだが 
http://livedoor.blogimg.jp/yoshidenki/imgs/2/7/27938265.jpg
上の伊達政宗の具足にも同様の袖が有るが

blogs.yahoo.co.jp/rowmoment_boy/17173327.html
上の白石宗直の具足にもやや大型の袖が有るし 
大阪冬の陣で使用された仕寄袖の可能性も有るのかだが

http://storage.kahoku.co.jp/images/2017/06/14/20170614kho000000095000c/002_size4.jpg
上の伊達成実の具足の袖はそう大きくは無いが 
大阪陣に参戦している武将であるから
仕寄袖の可能性も有るのかどうかだが

wakayamacity-bunkazai.jp/shitei/3662/
上の徳川頼宣の大阪陣で使用した具足の袖も大きいが 
此れも仕寄袖の可能性も有るのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562635018/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562635133/
上の藤堂高虎・秋元泰朝が大阪陣で使用した具足の袖も大きいが 
此れも仕寄袖なのかだが

418某研究者2017/11/29(水) 15:53:26.97ID:hRQ/XWDC
pinterest.jp/pin/343610646562635189/
上の島原の乱で使用した可能性が有ると言う 
立花忠茂の具足の袖も大きいが 
此れも仕寄袖なのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562635143/
上の同様に島原の乱で使用された鍋島勝茂の具足の袖は 
余り大きくは無いが 
仕寄袖では無いと言う事なのかだが

http://kougeikan.otemo-yan.net/e471246.html  
上の加藤清正の具足の袖も大形だが 
仕寄袖なのかだが


https://www.pinterest.jp/pin/343610646562672428/
上の草摺は紐で縛って固定するタイプであるし
左右にずらす事も可能だろうから
攻城戦時に通常の草摺の上下に装備して隙間を塞ぐ事にも
使用された可能性は有るのかだが

419某研究者2017/12/01(金) 16:41:32.98ID:5SC8IAZh
http://myrp.maruzen.co.jp/press/eastwest/v13/index.html 
>中国に派遣されていたエドワード・バーリングトン・ド・フォンブランク(1821〜95)は、日英修好通商条約締結(1858年)の2年後に軍用馬を調達するため日本を訪れた。
大切に育てられた日本馬の優秀さが西欧にも知られ、イギリスやフランスが買付けを始める。イギリス側は「3000〜4000頭必要」と要求するが、幕府は簡単に応じられない。

日本馬も衝撃騎兵では無く軽騎兵としての用途なら
長距離のアラブ馬を上回る走力や
粗食に耐えると言う事が
19世紀でも有用と見做されていたのかだが

420某研究者2017/12/01(金) 16:50:41.75ID:5SC8IAZh
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B1
中央アジアのアハルテケも粗食に耐え 
長距離の持久力も有るのかだが 
モンゴル系馬とどちらが軽騎兵用途としては上なのかだが

421某研究者2017/12/01(金) 16:57:02.98ID:5SC8IAZh
アハルテケもトルクメニスタンの砂漠に適応した色をしている様だから
砂漠や平地では兎も角
山岳地帯での運動性は日本馬程には
高くは無いと言う事なのかだが

422某研究者2017/12/01(金) 18:23:34.94ID:5SC8IAZh
pin.it/2a6bwbcozuxzkg
此れは仕寄具足の追加の胴部では無く 
鎖帷子に追加する防弾用鎧と言う可能性も有るのかだが

423某研究者2017/12/01(金) 23:07:28.66ID:5SC8IAZh
室町期も銃が出る前でも
騎馬武者は基本的に騎射戦はせず 
騎射をしているのは一部の騎馬武者の追撃・逃走時だけなのかだが 
下馬して盾で矢を止めるなら装甲は軽量で良いと言う事かも知れぬが 
逃走・追撃時の騎射時は袖で矢を止めていたと言う事なのかだが
現実には雑兵物語に有る様に 
白兵戦突入後も足軽は近距離で矢を放っているし 
此れでやられる騎馬武者も多かったのかだが 
袖で幾らか矢は止められたのかだが 
足軽の弓であるから近距離でも威力は低いと言う可能性も有るのかだが
騎馬武者の高威力の矢を追撃・逃走時に袖では無く鎧で受ければ
近距離では致命傷共成り得たのかだが

424某研究者2017/12/02(土) 12:59:41.38ID:yFLCfHoi
銃登場後は白兵戦突入後も足軽が銃を近距離で放ち
追撃して来る騎馬武者も銃を使う様に成ったから
矢を防ぐ為の大型の袖は廃れたと言う事なのかだが

425某研究者2017/12/02(土) 13:02:57.71ID:yFLCfHoi
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E5%B0%9A
上の足利義尚の肖像画を見る限り
1487年迄は大鎧は使用されていたのかだが
将軍等の極一部に限られていた可能性も有るのかだが

426某研究者2017/12/02(土) 13:28:18.41ID:yFLCfHoi
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
15世紀後期成立の結城合戦絵巻では騎馬武者は基本的に大鎧装備であるし 
http://www.do-natteruno.com/con_c/c303/ounin%20no%20ran2.jpg
1524年成立の真如堂縁起絵巻でもそうだろうが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%BE%84%E5%85%83#/media/File:Hosokawa_Sumimoto.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E8%88%88
細川澄元や大内義興の肖像画には大鎧は無い訳だろうし 
遅く共1520年代には大鎧の実戦使用は無い可能性も有るのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E5%B0%9A
上の足利義尚の肖像画を見る限り
1487年迄は大鎧は使用されていたのかだが
将軍等の極一部に限られていた可能性も有るのかだが

427某研究者2017/12/02(土) 14:28:40.75ID:yFLCfHoi
http://www.do-natteruno.com/con_c/c303/ounin%20no%20ran2.jpg
真如堂縁起絵巻では騎馬武者風の巨大な鹿角の立物の有る兵が
下馬して白兵戦時に弓を放っているから
強弓を持つ者が一部白兵戦時に弓を近距離で放つ可能性も有るだろうし
此れを袖以外で受ければ軽量化された胴丸装備では
致命傷共成り得るのかだが

http://image.tnm.jp/image/1024/C0090835.jpg
15世紀中期の十二類合戦絵巻では
前立を装備した騎馬武者的な者が胴丸を装備しているが
前立装備の者は大鎧装備の者も多い訳だろうか

428某研究者2017/12/02(土) 15:27:12.36ID:yFLCfHoi
pin.it/4qxtjlrkssi3kw  
十二類合戦絵巻に大鎧装備の者が 
短い袴に縫い付けられた佩楯を装備している様な描写も有るし 
http://image.tnm.jp/image/1024/C0049550.jpg
上の結城合戦絵巻等の騎馬武者の短い袴には 
実際には佩楯が装備されている可能性も有るのかだが

https://pin.it/sijxd7tbyjuh46  
上の15世紀中期成立の 
十二類合戦絵巻には宝幢佩楯も有り 
膝頭を覆う様な長い佩楯も有るのかだが

429某研究者2017/12/02(土) 21:10:07.30ID:yFLCfHoi
https://pin.it/5hrg7e7dxooij2
柏書房 日本甲冑大図鑑では太平記の金胴は 
鉄板物製の腹当と言う解釈なのかだが 
草摺の無い正面だけの物なのかだが 
胴丸形式の物も有る可能性は無いのかだが
遅く共戦国期には此れは胴丸形式と成り
最上胴化したのかだが
室町期に甲冑が軽量化された際に
こうした物が既に使用されていた可能性も有るのかだが
弓に対する防御力が低いので
上に薄い革小札鎧を装備した可能性も有るのかだが

430某研究者2017/12/02(土) 22:18:31.16ID:yFLCfHoi
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki11-20/taiheiki-14-3.html
>野木与一兵衛入道頼玄とて、大力の早業、打物取て世に名を知られたる兵有けるが、同丸の上にふしなはめの大鎧すき間もなく著なし  

太平記に胴丸の上に大鎧を装備している 
野木与一兵衛入道頼玄も居るから 
草摺装備の金胴が大鎧の下に装備された可能性も有るのかだが

431某研究者2017/12/03(日) 15:09:31.63ID:8iesMN4B
kotobank.jp/word/%E6%98%8E%E5%BE%B3%E8%A8%98-141142
1392-96年成立の明徳記に 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562759872/
足利尊氏が胴丸を装備している記述が有る様だが 
この時点で大鎧が完全に廃れたと言う訳では無いのかだが

室町期の胴丸が軽くなったと言っても 
革札は3mmから2mmと成ったが
鉄小札が増え土を混ぜた漆が厚く盛られたなら 
余り軽くは成っていない可能性も有るのかだが 
歩兵鎧の伊予札の比率が増えた可能性は有るのかだが
地形的に下馬戦闘が多い時のみに胴丸が使用されていた可能性も有るのかだが
攻城戦ではどうなのかだが

pin.it/ky3zywasu34qds
この恐らく16世紀前期の肖像画の小笠原朝経は 
錦包胴を装備している様だが 
鉄板札が仕込まれた金胴の可能性も有るのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562760092/
上を見る限り兜のシコロも錦包と言う事なのかだが
喉輪はよく見ると錦包では無く
通常の毛引縅形式である訳だろうが 
此れは面頬に直結しているのかだが

432某研究者2017/12/03(日) 15:32:34.26ID:8iesMN4B
kotobank.jp/word/%E6%98%8E%E5%BE%B3%E8%A8%98-141142
1392-96年成立の明徳記に 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562759872/
足利尊氏が胴丸を装備している記述が有る様だが 
この時点で大鎧が完全に廃れたと言う訳では無いのかだが
地形的に下馬戦闘が多い時のみに胴丸が使用されていた可能性も有るのかだが
攻城戦ではどうなのかだが

室町期の胴丸が軽くなったと言っても 
革札は3mmから2mmと成ったが
鉄小札が増え土を混ぜた漆が厚く盛られたなら 
余り軽くは成っていない可能性も有るのかだが 
歩兵鎧の伊予札の比率が増えた可能性は有るのかだが


pin.it/ky3zywasu34qds
この恐らく16世紀前期の肖像画の小笠原朝経は 
錦包胴を装備している様だが 
鉄板札が仕込まれた金胴の可能性も有るのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562760092/
上を見る限り兜のシコロも錦包と言う事なのかだが
喉輪はよく見ると錦包では無く
通常の毛引縅形式である訳だろうが 
此れは面頬に直結しているのかだが

433某研究者2017/12/03(日) 16:37:48.56ID:8iesMN4B
park1.aeonnet.ne.jp/~yari-iai/  
佐分利流の斬るタイプの槍の穂先は 
二尺一寸(約63cm)も有るが 
此れは当時の薙刀の刀身のサイズを意識している可能性も有るのかだが 
両鎬の笹穂槍の大型の物で 
同程度のサイズの物は有るのかだが 
笹穂槍の蜻蛉切は平三角で40cm程度だっただろうか

434某研究者2017/12/05(火) 21:17:37.41ID:rq2Y7Byd
https://www.pinterest.jp/pin/447967494157072408/
上の様な馬鎧の札を利用した佩楯は 
騎馬武者用でも有り得るかも知れぬが 
胴の場合は古い劣化した馬鎧札を利用した様な
雑魚兵用の物なら有り得るのかだが 
劣化した鎖を再利用した様な雑魚兵用鎖帷子・籠手・帽子兜等は有るのかだが

伊予札の佩楯と言うのも室町初期から有ると言う意見も有るだろうが 
此れが劣化した物を 
https://archive.fo/wXVNO/a5b3d86128266103a3450b0d9ef599e5cc2dc37d.jpeg
上の様な伊予札の胴の様な形として 
雑魚兵士が着ていた可能性は有るのかどうかだが
革包胴の中にサイズの違う革伊予札が混在された可能性も有るのかだが

https://kotobank.jp/word/%E9%8E%96%E5%B8%B7%E5%AD%90-55153
>正月24日付(寛永15)書状に「一たゝみ具足、又くさりかたびらは数可有之候」  

畳具足と言うのも上の記述でしか戦国期に近い物を見ないが 
カルタ金の佩楯を再利用した様な 
雑魚兵用の畳具足等も使用された可能性は有るのかだが

435某研究者2017/12/05(火) 21:18:30.82ID:rq2Y7Byd
pin.it/36hnyjiyqaw6a7
こう言う二色の引廻は 
戦国期には無いと言う事なのかだが

436某研究者2017/12/05(火) 21:58:22.56ID:rq2Y7Byd
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562789315/
古い騎馬武者用具足のカルタ金の袖が有るなら
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562789112/
上の様な馬鎧札を利用した様な物は無いのかだが
戦国期の面頬の垂で馬鎧札を利用した物は有るのかだが
脛当の立挙・満智羅・小鰭に馬鎧札が利用された物等は有るのかだが

437某研究者2017/12/05(火) 23:22:27.19ID:rq2Y7Byd
https://i.pinimg.com/236x/9c/fe/46/9cfe46152ac979aa14ceac70d9858d97--samurai-armor-tatami.jpg
こうした首や肩に馬鎧札を利用した具足が有るなら 
馬鎧札を使用した満智羅や 
騎馬武者用具足の小鰭が有る可能性も可能性も有るのかだが

438某研究者2017/12/06(水) 17:59:08.27ID:hwuOfhC7
【江戸期】木製「蛸」の前立(極美品)!
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e252769029

最下部の画像の巨大な物と異なり 
此れは実戦使用を想定している可能性も有るのかだが

pin.it/dvmqtpn36hjri4
この髭の位置は意図的な物であり 
唇がめくれているから 
この下に髭を配置していると言う事なのかだが 
戦国期にこうした物は有るのかだが

439某研究者2017/12/07(木) 13:57:31.70ID:VgYnOxsn
<異種武道大会>なぎなた女子、剣道男子を降す 香川
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171207-00000017-mai-soci
戦場では会場と異なり後ろに逃げるスペースが必ずしも無いから 
梶原長門が塚原卜伝にやられた様な事が頻発し得る可能性も有るのかだが
とは言え刀を持つ側も一撃離脱しないと 
後列の予備兵力に迎撃される可能性も有るのかだが

440某研究者2017/12/07(木) 17:35:32.62ID:VgYnOxsn
槍を持ち後退する前列の一部が後列に当たって 
後退出来なく成った場合 
後列も後退するのかだろうし 
そんな事をすれば陣形に穴が開く危険も有るだろうから 
踏み込まれたら前列は無限に後退等せず 
後列の者も迎撃に当たると言う事なのかだが

https://pbs.twimg.com/media/DQbGWvGVQAAMggc.jpg
上の絵の緑色の兵の様な刀を持つ者が 
槍兵に斬り込んだ場合は 
槍兵は陣形が崩れるのを防ぐ為に後退せず 
後列の予備兵が前に出て迎撃すると言う事なのかだが

https://pbs.twimg.com/media/DQbIIRKVoAAe4aS.jpg
大阪夏の陣図の上の場面では 
長物の列の後列から槍を出している騎馬武者(赤で囲んだ者)も居るし 
後列で長物を構えて待機している様な兵も居るから 
此れは二列目の予備兵と言う事なのかだが

441某研究者2017/12/07(木) 18:17:36.41ID:VgYnOxsn
兜を被らないで白兵戦をする事は敗走時以外は無いと言う意見も有るが 
https://pbs.twimg.com/media/DQbLCVFUEAAVopl.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DQbLC-zVwAA9ojt.jpg
上の大阪夏の陣図では烏帽子を被った上の騎馬武者らしき物と 
下の脛当の無い足軽らしき者は兜や陣笠を装備せずに 
槍で戦っている様に見えるし 
此れは別段敗走している状態では無いと言う事なのかだが

442某研究者2017/12/07(木) 19:30:00.62ID:VgYnOxsn
pinterest.jp/pin/343610646562246025/
大阪夏の陣図では薙刀はそれなりに使われるが 
槍とまともに打ち合えば有利なのかだろし 
敵の槍・薙刀の柄を切断するのに利用されていた可能性も有るのかだが

443某研究者2017/12/08(金) 13:20:26.94ID:T/1ycyj0
ec.shokokai.or.jp/cmsdb/cm06010/SintyakuAll/?ken=15&block=57&uid=1558110001
>三潴佐左衛門着装の鎧兜 内胴には天文4年(1535年)2月、吉久作と記載されている。 

1535年にこんな桶側胴的な物が有るのかだが 
1635年以降作も有り得る様な物なのかだが
古い最上胴を改造した可能性も 
或いは有るのかも知れぬが 
1535年時点では素懸縅の最上胴さえ無いかも知れぬし 
革・錦包の最上胴的な金胴を打ち直して
桶側胴に仕立てたと言う可能性も有るのかどうかだが

http://www.city.takahashi.okayama.jp/bunkazai/map/0011.htm
上の具足は板倉勝重(1545〜1624)所用と言うが 
関ヶ原合戦や大阪陣で使われた可能性も有るのかだが

赤黒片身替白糸威二枚胴具足
https://pin.it/ytujk2ffradlh6
此れは板倉重宗(1586〜1656)所用の具足と言うが 
大阪陣や島原で使われた可能性は有るのかだが

444某研究者2017/12/09(土) 18:06:11.81ID:RiK2BRAO
https://pin.it/oztv33hr3phplu
斧と槍が複合した物は斧素槍なのかだが 
戦国期には武田軍が使用した様な木槌を装備する槍の方が
多用されたと言う事なのかどうかだが

pinterest.jp/pin/343610646562836373/
上の中央の物も16世紀の斧素槍と言うが 
果たして何処迄使われたのかだが 
太平記の大鉞には槍状の物は無いと言う事なのかだが

hampel-auctions.com/a/Sehr-seltene-Streitaxt-Ono-su-yari-oder-Hellebarde.html?a=76&s=172&id=71912&acl=7320524
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562836634/
上が斧素槍の現物だろうが 
長さは無いとすると大太刀や金砕棒・長巻の様な扱いなのかだが

445某研究者2017/12/09(土) 21:34:23.61ID:RiK2BRAO
https://pin.it/oztv33hr3phplu
pinterest.jp/pin/343610646562836373/
hampel-auctions.com/a/Sehr-seltene-Streitaxt-Ono-su-yari-oder-Hellebarde.html?a=76&s=172&id=71912&acl=7320524
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562836634/

斧素槍も槍部分が長いから
ハルバード程斧は使わないかも知れぬし
通常は長い槍部分で間合いを取って戦い 
敵に隙が出来たら踏み込んで
斧の一撃を加えると言う様な運用なのかどうかだが
此れは斧を余り振り回す訳にも行かぬだろうから
合理的な設計なのかだが
斧素槍と言う事は斧鈎槍や斧十文字槍等も
有る可能性も有るのかだが

446某研究者2017/12/10(日) 11:50:48.91ID:1iZC9tqv
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562565812/
上の原本は足利尊氏の生前に書かれた可能性も有ると言うが
喉輪が書かれている絵では最古の物の可能性も有るのかだが
此れ以後では15世紀末成立の結城合戦絵詞迄無いと言う事なのかだが

447某研究者2017/12/12(火) 23:26:12.48ID:/ATapI8v
https://pin.it/c4dzod34e2yik7
馬鎧札の籠手も有るが 
強度的には鎖籠手や格子鎖の籠手と大差は無いなら 
実戦用でも有り得るのかだが 
革の亀甲金の籠手も同様なのかだが

448某研究者2017/12/14(木) 21:54:38.50ID:rmJ8XVI7
pin.it/5iwboa5r7xkfzm
此のシコロは一枚シコロにしては巨大だが 
鉄製なのかどうかだが

pin.it/i47zsv7esndh2w
この水野勝成の具足の佩楯には 
緑色の漆(青漆)が有るのかだが

pin.it/z2gthf4t6mgpbe
上の小笠原秀政の具足の草摺下端部の毛は青い様にも見えるが 
縅毛同様の緑色の可能性も有るのかだが 
大阪夏の陣で戦死した時に使用した甲冑では無いと言う事なのかだが

449某研究者2017/12/16(土) 16:34:21.21ID:rhO6Vyqq
pin.it/4tnucwgxctyn7x
上の様な巨大な指物も 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562925377/
上の様な形で腰帯に差されているのかだが 
この位置に銃や弓も使用する騎馬武者の 
槍や薙刀が差される例は有ったのかだが

上の津軽屏風の指物とほぼ同様の位置に 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562925521/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562925561/
上の十二類合戦絵巻では斧やピックが差されて居るが 
槍や薙刀が差された例迄は有るのかだが

pinterest.jp/pin/343610646562925618/
上の後三年合戦絵詞でも 
斧が同様の位置に差されているが 
攻城用の斧なのかどうかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562925424/
上の場合指物を2本帯に差しているのかだが 
短い鎖鎌や十手等の武器が此処に2本差される様な例は有るのかだが

450某研究者2018/01/10(水) 17:04:07.66ID:FS83wUN5
塚原卜伝にやられた梶原長門の小薙刀の刃長は1尺4−5寸と言うから 
最大でも45cm程度なのかだが 
戦国期でも45cmよりは刃長の有る薙刀が主流だったと言う事なのかだが 
果たしてどの程度の刃長なのかだが 
 
>二尺にも満たない刃しか持たない薙刀など長刀の敵ではない」と豪語し  

塚原卜伝がこう言う発言をしているなら
戦国期の薙刀の刃長は2尺は有ったと言う事なのかだが 
恐らく2尺3寸の当時の刀と同程度で3尺の物は余り無いと言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561135120/
大阪夏の陣図の薙刀も刃長70cmは有るのかどうかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/243177977
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561198183/
大阪冬の陣図の薙刀の方が刃長はやや長い様に見えるが

twitter.com/boukenkyuu/status/864369290270482433
津軽屏風の薙刀の刃は余り長く無い様にも見えるが 
ばらつきも有るし現実を果たして反映しているのかだが

tsuruginoya.com/mn1_3/f00124.html
江戸期でも2尺2寸7分の長い刃の薙刀は有るから 
戦国期だと此れとほぼ同じ2尺3寸の当時の刀と同寸の物が利用されていた可能性も有るのかだが
刃長69cm・全長2.7m等の薙刀で殴られれば板金鎧の装甲の薄い部分は 危ういと言う事なのかだが 

日本も15世紀に槍が大量に装備される迄はこうした薙刀が一番多く
15世紀ー16世紀前期の絵を見ると槍は歩兵が多く
騎馬武者はほぼ薙刀で後は小数の大太刀・極小数の槍しか装備は無いが

451某研究者2018/01/10(水) 23:14:29.78ID:FS83wUN5
>>450
http://yaplog.jp/tougoku/archive/38
>長刀持ツ時は二尺四五寸ほどの大長刀を持申候。然ば長刀も長きに利あるべしと被在候。  

2尺4・5寸(72−75cm)が当時の標準的薙刀の刃長の可能性も有るのかだが 
当時の2尺3寸の刀よりはやや長いのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%BE%84%E5%85%83#/media/File:Hosokawa_Sumimoto.jpg
上の細川澄元の肖像画の薙刀の刃長は
72−75cm有るのかだが 
刀と同程度の可能性も有るのかだが
全長は270cmは無いと言う事なのかだが

http://yaplog.jp/tougoku/archive/38
>二尺より内の長刀は柄の短き鑓と同然たるべし。九尺壱丈の鑓にて突抜れても。
当の太刀はうたるる物なり。況や長刀にてつかれたりとても。当の太刀をうたで死ぬる事はよも有まじと申。

九尺ー1丈(2.72−3.03m)と言うのは
当時の騎馬武者等の持槍の標準サイズと言う事なのかだが
此れには卜伝の刀でも対抗は出来るが有利では無いと言う事なのかだが

452人間七七四年2018/01/12(金) 17:20:51.22ID:Mx9B6OmV
某研究者さんに質問
さすがに研究されてるだけあってお詳しいので質問です。
現代の木曽馬は駄馬(農耕馬)の末裔であって
戦国時代の軍馬とは別物
日本馬の特徴としては山岳丘陵地(傾斜地)での機動性と
持久力が外国産馬に比べて非常に優れてると馬の専門家の
方が言ってるのを聞いたことがありますが
そのような文献は残っておりますか?
自分で調べずにすいませんが知っていれば教えてください。

453人間七七四年2018/01/12(金) 22:01:11.15ID:HGvYP1r9
   /: : : : : : : : :.\〜  |:::::::/ ̄ ̄ ̄         ̄ ̄ ̄|:::::::| ~ /,. ― 、, -―- 、
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.|: : : :/              .\ ∵∴\__l_l__/∵∴ |/  {: : : ///-‐'  `ー-ヾ.\: : : : :',
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| : =ロ   -=・=-  |,   | ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓∨‐ヘ._ ノ  ヽ_ ノ    Y¨ヾ!
| : :/ヽ      /ノ .ヽ┃                        ┃.{j     (, ,)、      }}5リ
| :/  `───  /    ┃  ジ ャ ム リ ン  愛 し て る    .┃.,′    `    `       }ゞ'ュ
| ノ          .(●_.●┃                        ┃{     (⌒          lヘ:::ュ
|:|           l l ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ム      ( ̄        ノ ヾ
|:|       __-- ̄`´ ̄--__  /::,/ノ;ノ);;);;/~);;;ハ;ノ;;ノ;;人:\ rテ _ゝ、     ー      イ
|:|        -二二二二- ./::::::l | ,=・= ンー―-t=・=、j l:::::ヽ\    `` ‐ `ー一'¨´フ´
|.:\               /;::::::::j `ー-ノ ● ● ヽ一'   |::::::::ヽ\ー- ..,, _\  / __,、-'´
、: : :\     _- ̄ ̄ ̄//:::::r'rノ       U       ``‐、::::ヽ\   \三三三/
..|Ξ|~ \       / /::::::レ'       ゙Y⌒'ー─'⌒Y      i::::::ヽ \   ;ゞ○;=く
/: : :ヽ/|\____./ ノ::::::/        l 、___,,ノ │     l:::::::::}~ \/三∧三:\
|: : : : |  \   /   l::::::l          ノゝ、____,,ハ     l:::::::::l  ~  \/  \三 ヽ

454ちゃちゃ2018/01/14(日) 21:10:17.81ID:AsAqMvOj
>>452
外国産馬=サラブレッド ですか?
サラブレッドは平地競走用に改良された品種だから、その他の用途には向いていなくて当然(初心者の練習用には十分だが)。
山岳丘陵地(傾斜地)では徐行しなければ脚が折れる。

「持久力」という言葉は、評価基準が問題。質問した側とされた側では、脳内定義が異なる可能性が高い。
騎馬フルマラソンとかをすればサラブレッドが勝つ。単純にタイムで比較すればサラブレッドのほうが持久力がある。
だけど、サイズの比ほどタイムに差がなければ、「日本馬のほうが持久力がある」と評価する人も多い。

※こんなちゃちゃは無視しておいた方がよいでしょう

455人間七七四年2018/01/15(月) 02:06:41.96ID:O4nou12T
エンデュランスでサラブレッドに軍配あがるかな?

456人間七七四年2018/01/15(月) 16:26:16.70ID:nOYwVCLa
452です。
外国産馬(サラブレッド含む)との比較が知りたいのではなく
戦国期の日本馬の能力を記述されてる資料
輸送馬としてでなく軍馬として能力が優れていたことが
分かる資料があれば知りたいと思いまして
よろしくお願いします!

457某研究者2018/01/16(火) 16:37:40.14ID:KA6xJ+KW
>>452

>>391に有るが

http://niccorin.com/lite/archives/47922562/comments/6184346/?p=5
>なんかデストリア挙がってるがデストリアは普通の軍馬の7倍から酷きゃ700倍も価格の幅がある超高級馬だぞw
中世ヨーロッパでもデストリアは馬上試合に用いるのが主で、戦争での主力は小型の馬。
体高の高さと戦闘能力はイコールではないし、六割山間で平地は湿地の日本で運用考えると粗食に耐えれず傾斜に弱い大陸馬は不適格だろ。

日本の在来馬もオランダ人からアラブ馬に匹敵すると評され、国王が入手を切望していた記録があるくらいなんだがなぁ。
またオランダから献上されたアラブ馬と遠乗りさせたところ、日本在来馬の方が早くアラブ馬を二、三里引き離して到着した記録など残ってる。


衝撃騎兵としては体重650kg等の西欧の馬が
木曽馬・南部馬より上かも知れぬが  
日本の騎兵も室町期迄は少なく共衝撃騎兵的な役割だけは
弓を多用していたから無い訳だろうし
長距離を逃げる時には軽馬の方が使え
此れを追撃する際も同様と言う事なのかだが

458某研究者2018/01/16(火) 16:48:08.89ID:KA6xJ+KW
http://ncode.syosetu.com/n1685bu/3/
>最後に騎士の馬についてです。
 斤量のところでもお話しましたとおり、騎士の馬は中世ペルシュロン種、シュバル・ド・オーヴェルニュ種、リモージュ種、アルデンヌ種、ホルシュタイナー種などです。
 これらの馬は軽い重馬種か重い軽馬種で、当時の体高はどれも150センチ前後、体重は軽馬種で500kgから550kg、重馬種で600kgから650kgです。
 ちなみに一番人気だったのはシュバル・ド・オーヴェルニュ種で、オーヴェルニュの馬といえば最高の贈り物のひとつとして数えられました。
 そんなシュバル・ド・オーヴェルニュ種は、現代でも平均体高が145センチで平均重量が630kgであり、写真で見ると驚くほどガッシリとした馬です。
 体高でみれば大き目の木曽馬と同じようなサイズですが、体重はサラブレッドより100kg以上重いのです。こんなに重いポニーが居てたまるか、といった重量ですね。
 またシュバル・ド・オーヴェルニュ種の産地であるオーヴェルニュはフランス中央山塊に位置しており、彼らはどちらかといえば跳ねる馬です。
 600kgを超える体重でありながら足首は太く柔らかで、戦列に何度突っ込んでも無事に帰ってこれる馬でした。
 以上のことから、中世騎士の馬はとにかくガチムチでマッチョな馬が求められていたことがわかります。
 西アジアや中央アジアと違ってたくさんの替馬を用意するような余裕がありませんから、当たりが強く頑健で怪我をしにくい馬ほど良い馬だったわけで、スピードは二の次三の次でした。

騎士の馬はこうだろうが
シュバル・ド・オーヴェルニュの場合山岳対応も幾らかは有るのかだが


>西アジアや中央アジアと違ってたくさんの替馬を用意するような余裕がありませんから、当たりが強く頑健で怪我をしにくい馬ほど良い馬だったわけで、スピードは二の次三の次でした。

実際は消耗は避けられないから
小さい馬を数揃えて戦ったと言う記述も何処かに有ったかも知れぬし
ナポレオン時代末期の仏騎兵の馬等は消耗で相当に小型化していたから
100年戦争末期等は同様に成っていた可能性は無いのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

459某研究者2018/01/16(火) 16:57:55.31ID:KA6xJ+KW
>>362-366
上に有る様に西欧の騎士の馬は基本的に
日本馬同様に去勢は無いが
密集突撃には支障は無かったと言う事なのかだが

アルスフではリンゴを投げても落ちない程と言われる様な
密集突撃迄十字軍は去勢されていない馬でしたのかだが
イスラム勢力が主力とする牝馬を奪い利用した可能性は無いのかだが

460人間七七四年2018/01/17(水) 16:52:31.08ID:lXpHME5+
和種の特徴として
足の動かし方が独特で上下動が少なく
山岳地や傾斜地で有利とされています。
現代でも乗馬し易いので木曽馬などの和種は
初心者でもいきなり外乗できるほどです。
戦国期に好まれた軍馬は猛獣のような荒馬だった
といいますからまた事情はことなるのでしょうけど

鈴木説のお陰で日本馬への誤解が蔓延してしまい
歴史が逆に歪められてしまっているのが残念です。。。

461某研究者2018/01/17(水) 22:00:46.18ID:OdglBQMc
>>460
>戦国期に好まれた軍馬は猛獣のような荒馬だった
といいますからまた事情はことなるのでしょうけど

こうした攻撃性の追求と言うのも
敵の馬或いは敵自身を攻撃する事を狙っていたと言う意見も有ったかも知れぬが
現実に攻撃はしていたのかだが

462人間七七四年2018/01/18(木) 09:25:02.41ID:yDONhfaz
馬の攻撃性
古来日本の馬術の神髄は馬を馭すること
荒馬を馭してこそ武士(もののふ)とされていました。
武田の騎馬武者が敵に恐れられていたのは
大きな要因の一つが『当馬』という戦法です。
敵の騎士(上級士官)を戦場で見出すと、敵の馬に自らの馬を
体当たりさせ落馬させます。
落馬した相手を槍で突いたり、
落馬して戦闘能力が著しく落ちた相手に
自らも下馬して馬乗りになり首を掻く
戦場での手柄は兜首の数で決まります。誤解がないようにいえば
雑兵の首の数も手柄にはなりますが、持ち帰れる首数も限定されます
のでより身分の高い首が評価されました。
狙い撃ちされる馬上士官はたまったものではないですよね。

463人間七七四年2018/01/18(木) 23:57:48.18ID:lAlLm/Mk
>>456
九戸政実とかかな。九戸の乱で豊臣軍相手に馬を用いた朝駆けで奇襲したり
和賀、小野寺、大崎連合軍相手に九戸騎馬隊で寡兵ながらも
万を超える相手に勝利したりしていた

464人間七七四年2018/01/19(金) 16:00:13.62ID:oZO6iww7
>>463
九戸の乱ですか
調べてみます。
小田原から関ヶ原までは
朝鮮の役くらいしか扱われない
本当の天下統一は九戸討伐時ですよね。

465某研究者2018/01/19(金) 16:26:04.57ID:v6HcX1q6
暴れ馬と言うのも敵の馬自体や騎兵自身への攻撃だけでは無く
歩者への突撃や倒れた者を踏み潰す際にも
攻撃性は生かされていたと言う事なのかだが

特定の者しか乗りこなせない暴れ馬等と言うのも良く出て来るが
http://www.minnano-jouba.com/blog/knowledge/%E9%A6%AC%E3%81%AF%E4%BA%BA%E3%82%92%E8%AD%98%E5%88%A5%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%EF%BC%9F.html
馬は個人を嗅覚で識別出来ると言う事なのかだが
http://www.green-grass138.com/qa2.php
餌をやった者を記憶していると言うなら
暴れ馬も騎馬武者自身が餌をやれば乗りこなせる様に成るのかだが
重症を手当する者等と言う事は馬は認識出来るのかだが
消毒等で下手に苦痛を与えれば敵として認識される危険も有るから
そうした手当は騎馬武者自身がやるべきでは無いと言う事なのかだが

466某研究者2018/01/19(金) 22:52:14.67ID:v6HcX1q6
https://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E9%9F%83%E4%BA%8B%E7%95%A5-499609
>南宋の彭大雅(ほうたいが)はそのモンゴル見聞記《黒韃事略(こくたつじりやく)》(1237)中で,モンゴル人はひづめが損耗して薄くなり砂磧地帯の走行に向かない馬には,
鉄もしくは板でこしらえた〈脚渋〉を装着すると報告しており,モンゴルの大半の馬が装蹄していなかったことをうかがわせる

日本の馬も大陸の砂漠で戦闘していたら
蹄鉄が必要と成った可能性も有るのかどうかだが

467人間七七四年2018/01/21(日) 15:22:46.34ID:45IXUc2z
ビジターが 時間一杯馬を走らせて馬をへとへとにさせて その辺の草を喰わしただけで馬を世話をする係の人に返してしまい そのまま帰ってしまうくらいのことは常識でしかない。
世話係が別にいれば、自分で世話をする必要はない。

468某研究者2018/01/21(日) 18:27:26.67ID:wSfnRT1E
暴れ馬の場合世話をする人間以外
敵と見なす危険も有るだろうが
敵と見做されない最小限の世話をして
後は世話人に任せると言う方向も有るのかだが

469某研究者2018/01/21(日) 21:39:53.60ID:wSfnRT1E
>>468
とは言え戦闘直前には暴れ馬に
騎馬武者自身が入念に世話をして
戦闘時に増幅される闘争本能が
自分に確実に向かない様にすると言う様な所迄は
していたのかどうかだが

470人間七七四年2018/01/23(火) 10:42:43.14ID:902kVTei
俺の股間の暴れ馬を見れば世界がひれ伏すぜ

471人間七七四年2018/01/28(日) 23:39:24.02ID:Aw235Ozn
兵器と戦術の日本史読んでたら、
戦国期は騎歩チームになって突撃を行ったとか何度か書いてあるんだが、
この場合、どう突撃するんだ?
弓兵槍兵の速度に合わせて騎馬も突っ込むのか?
それとも弓兵が支援しつつ、騎兵、槍兵の順序で突っ込むのか?

472人間七七四年2018/01/29(月) 00:12:14.81ID:xv7X2JJW
馬術伝書なんかだと
正面を歩兵で拘束して、騎兵は側撃してそのまま駆け抜け
敵勢を分断するのが基本みたいなこと書いてあったね。
とにかく敵の集団を分断・分散させることばっか書いてある印象。

どうもこの「一個にまとまってる軍を騎兵で切り分ける」ってのが
非常に有効なものらしい。
よく分からんけど。

473人間七七四年2018/01/30(火) 22:55:26.32ID:O6oL3ypp
>>471
機動力に優れた弓騎兵隊が敵を分断出来そうな箇所を見つけ
側面射撃で敵を怯ませそこに従者の槍隊と供に突撃と何かの資料で読んだ

474人間七七四年2018/01/31(水) 00:38:27.10ID:lXXjQWN0
鈴木どうこういうけど鈴木を無視しても1000もの騎馬隊とかは不可能
まず例えでサラブレッドの馬だと地面が整備されてないと使えない。
まーこれは戦国時代の馬がポニーみたいな感じだとするのなら無視してもいいが
一番の問題は、馬は高級品ってこと。馬一頭維持するのに広大な敷地がいる。
平時は放牧してやらないといけない。馬を一ヶ所に集めて飼育するにしても一頭につき広大な土地がいる。
つまり、馬を所有するには旗木クラスじゃないと維持できないのね。
こんな高級品の馬を何も考えずに突撃させることと、
戦場になる整備されていない地面の状態を考慮すると騎馬隊の使用はかなり限定的だった

475人間七七四年2018/01/31(水) 02:34:25.97ID:R1MdvA+1
>>474
戦国時代いなかったサラブレッドを例えに出す意味がわからん
戦国時代の馬がポニーみたいな感じだとするならじゃなくて事実としてポニー
そしてポニーであるかどうかは戦闘に使えるか使えないかにはほとんど関係ない
旗本クラスじゃないと維持できないというが実際にそういう後の旗本レベルの国衆が家単位で馬を持ち寄ってきてるわけでだから何だという話
1000もの騎馬隊と言うがおそらくほとんどの人間はそんな大規模な騎馬隊は存在したとは思ってない
つまりそんな今更なことを何をドヤ顔で言い出してるんだってこと

476人間七七四年2018/01/31(水) 06:57:42.31ID:lXXjQWN0
だから、こんな当たり前なことを無視している連中ばっかだから書いたんだよw
鈴木を否定している時点で、こういう当たり前のことも理解してないだろ

馬の運用がどんなもんか少し考えたらわかるだろ
使用する場合、餌や糞の処理にも金が掛かるわけ
このスレ見て、この当たり前のことを考えて意見してるとは到底思えないね

477人間七七四年2018/01/31(水) 12:42:46.42ID:9r7L39Vv
未だに騎乗=身分由来だと思ってるのかこいつ。平山優の著作くらい読めよ。
着到状や定書からは一騎合衆や在郷被官といった、多くの身分が低い騎士がいたことが立証されてる。
大身じゃなければ馬が養えないなどということはない。

478人間七七四年2018/01/31(水) 23:17:01.11ID:lXXjQWN0
だから、別に難しいことを言っていない。当たり前なことを言っているだけ。
まず、馬はバイクじゃないわけ。産まれた馬がすべて騎馬にはならない。
性格もあるし馬体にも問題がある。馬の調教をしてやっと使える。
そして一番の問題は騎乗する武者。まず乗馬スキルが必要。そしてただ乗るだけじゃなくて
槍や弓や鉄砲を持って使用しないといけない。
流鏑馬を見てみろ、それこそ職人クラスにまともに戦えないのね。
よく考えてみろ、バイクや自転車に乗って槍をもってまともに戦えますか?
しかも当時は整備されていない悪路が当たり前。しかも馬は騎乗は楽なもんじゃない。
こういう条件で騎馬武者が、おまえらが妄想するような活躍ができたと思っているのなら、ゲーム脳よ

大切に金と時間を掛けて育成した馬や人材を安易に危険な戦場に晒しますか?
まず、こういう当たり前なことを、よく考えてから発言した方がいいよw
ここを無視して騎馬武者が〜とかアホみたいw

479人間七七四年2018/01/31(水) 23:19:45.08ID:bfMGCY/E
ごめんね。そんなんじゃ釣られないわ。

480人間七七四年2018/01/31(水) 23:34:46.19ID:lXXjQWN0
あと日本の戦争は野戦が少ない、それこそ有名な戦いが大半
日本は狭いから、砦の取り合いか攻城戦が基本になる。
あと武田なんて土地がら騎馬武者を運用できる場所が殆どない


重い鎧を着用して片手で槍を持って突撃
花の慶次みたいな化け物じゃないんだからw
あくまでフィクションだよ

481人間七七四年2018/01/31(水) 23:54:01.23ID:gVpdezjR
乗り崩しとは嘘か

482人間七七四年2018/02/01(木) 10:42:08.16ID:7/jt18NV
ここは「ぼくのかんがえたせんごくかっせん」を語るスレじゃねえぞ

483某研究者2018/02/01(木) 19:18:47.28ID:pQEdop9g
雑兵物語の関東の武者の乗馬突撃も30名と
1備単位程度の物だろうが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA#%E6%AD%A6%E7%95%A5
>続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、

長尾懸かりは1備の騎馬武者の30名でしか行わなかった共思えないが
300名等で行ったのかだが

古い乗馬突撃戦と言うと
https://stat.ameba.jp/user_images/20140717/10/karate246/ff/69/j/o0800029513005541921.jpg?caw=800
上の蒙古襲来絵詞や
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349.html
http://db.nichibun.ac.jp/ja/category/heijiemaki.html
平治物語絵巻・六波羅合戦巻にも有るが
14 15辺りでも双方30名も居ないかも知れぬが
何処迄の集団同時突撃が有り得たのかだが
騎馬での逃走や追撃は可成り大規模同時に行われていたのかだが

484某研究者2018/02/01(木) 20:56:47.78ID:pQEdop9g
南北朝期の騎馬武者なら
大鎧の下に板金鎧的な金胴を下に装備し
面頬・喉輪・佩楯・大立挙脛当の有る
30kg超等の鎧を着て
10kg超の大太刀や大薙刀等を振るい
乗馬突撃した様な者も居たのかどうかだが

485某研究者2018/02/01(木) 21:26:07.16ID:pQEdop9g
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E3%80%85%E8%89%AF%E6%B5%9C%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3)
多々良浜の戦いの大友軍の兵力は4万で有るから
騎馬武者は多くて4000程度だろうが
騎馬武者の全兵力が長尾懸かりで同時に乗馬突撃等したのかだろうし
最大でも立花道雪の物だけかも知れぬが
1000程度は居たのかどうかだが

486某研究者2018/02/01(木) 23:47:33.24ID:pQEdop9g
>>483
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349.html
http://db.nichibun.ac.jp/ja/category/heijiemaki.html
>平治物語絵巻・六波羅合戦巻にも有るが
>14 15辺りでも双方30名も居ないかも知れぬが

この場面では極小数歩兵も居るし
騎馬武者が下馬戦闘している場面も他に有るが
騎馬武者主体の戦闘をしているとは言えると言う事なのかだが

487人間七七四年2018/02/02(金) 03:18:24.27ID:EposCIOV
源平合戦は当時の日本の人口を考えたら、両軍合わせて5千〜1万程度の規模
そこから騎馬武者の数を予測したら、小規模だったのが現状でしょう
平安時代の最大の合戦でこの規模
当時は30騎程度の騎馬武者とお付きが護衛が一つのチームで
名乗り合いしてから、まず弓の撃ち合いをして、そのあと槍を持ってトドメを刺しに行く感じでしょう
絵巻物をみても、当時の騎馬武者は弓と槍を持っている
あと騎馬武者が着ていた大鎧は、槍や刀を防御するものではなくて、弓矢から身を守る防具だった。
こういうのを考えると、当時の戦争にはルールがあってそれを守って戦っていた
それを無視したのが源義経

488人間七七四年2018/02/02(金) 11:39:16.39ID:Urc9Z37c
平安時代に槍ってw

489某研究者2018/02/02(金) 12:51:35.07ID:6z2p8his
>>487
鎌倉期の馬上での槍使用は無いだろうが
源平盛衰記に有る140cm程度迄の大太刀の使用なら有るかも知れぬが
下馬してなら薙刀を平教経の様に使用しているかも知れぬし
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562371670/
蒙古襲来絵詞でも騎馬武者らしき者が船上で薙刀を使用しているが
槍は源平期には無いだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562372380/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562372381/
直線的な薙刀なら平治物語絵巻に有るだろうが
こうした物を騎馬武者が下馬時に使用したのかだが

490某研究者2018/02/02(金) 13:09:41.80ID:6z2p8his
乗馬しての逃走は30人でと言う事も無いかも知れぬし
これの乗馬しての追撃も30人では無く更に同時多数が行った可能性も有るのかだが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287476?tocOpened=1
通常の戦闘でも上の平治物語絵巻・
三条殿焼討巻で出て来る藤原信頼勢の全兵力程度での
同時乗馬突撃は有り得たのかだが

491某研究者2018/02/02(金) 13:30:38.18ID:6z2p8his
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0009.jpg
平治物語絵巻・六波羅合戦巻の上の場面では騎馬武者は名乗り等上げず
いきなり同時多数の騎射戦をしている様にも見えるが
果たしてどうなのかだが
上の場面の
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0008.jpg
後に居る騎馬武者も名乗り等せず
一部は援護射撃の構えを見せているだろうか
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0007.jpg
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_06349/chi04_06349_p0006.jpg
こんな位置から態々名乗って敵騎馬武者の矢を
破壊している共思えぬ訳だろうし
此れは鏑矢だから初弾なのかだが

492人間七七四年2018/02/02(金) 14:15:34.65ID:EposCIOV
槍じゃなくて薙刀だな
薙刀は一対一専用の武器
つまり当時の戦争は一騎討ちが基本だった

493人間七七四年2018/02/02(金) 14:19:51.14ID:EposCIOV
薙刀は縦横斜め八方に振る武器のため集団戦で隣に味方がいると当たってしまうため使えない

494某研究者2018/02/02(金) 19:26:44.90ID:6z2p8his
http://livedoor.blogimg.jp/netamichelin/imgs/c/c/ccfa70e8.jpg
槍は縦に振って殴るのが基本だろうし
短い騎馬武者用等の持槍でさえ
木槌が付いた物を武田軍が使用しているが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646560922302/
大阪夏の陣図では下馬戦闘する
騎馬武者主体の集団に薙刀を持つ騎馬武者も交じるが
足軽が使わないのはリーチを5m等は取れない故だろうし
騎馬武者で減ったのも管槍や大身槍等の高威力の槍も有る故なのかだが
鈎を先端付近に置いた物も鈎薙刀には無い訳だろうか

495某研究者2018/02/02(金) 19:36:23.94ID:6z2p8his
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%99%E5%88%80#%E5%A4%A7%E8%96%99%E5%88%80
大友興廃記には恐らく戦国期の
全長4.8mもの薙刀も出て来るが
此れは現実に存在したのかだが
全長6.4mの本多忠勝の大身槍・蜻蛉切等と異なり
長柄槍程度の長さの物は無いと言う事なのかだが
(刀身が蜻蛉切同様の40cm程度と小薙刀程度の物なら或いは有るのかだが)
重くコストも高いので足軽の運用は無いと言う事だろうか

496人間七七四年2018/02/03(土) 14:09:07.77ID:ILH3Wiyi
>>480
山梨と長野に行ってみな
両県内を徒歩で旅してみな
馬に乗りたくなるから

日本馬は山岳地や丘陵地帯こそ
本領発揮するんだよ
しかもエサはそこら中に生えてる
から持ってく必要なし
雑草を食べて、逞しく働く馬
更に軍馬の能力の高さは農耕馬とは
違うよ

明治に初期、南部馬の盛号が
競馬でアラブ馬を千切ったこと知らない
んだろうね

497某研究者2018/02/03(土) 17:17:19.03ID:auu0Wfdr
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563603464/
秋夜長絵巻でも槍と薙刀は混在している様に見えるが
槍の数はこれが書かれた時点では余り無いのかだが

498人間七七四年2018/02/03(土) 21:16:25.43ID:xkjhsaze
サラブレッドやその他大型馬は(西洋の馬は大抵)餌に穀物を要求するが…おやつの草を食べたがるのもまた事実ではあるが…、
日本馬・モンゴル馬 等は草だけで飼う事が出来るのが特徴。ある意味便利ではあるが、
馬に乗るにはそれなりの技術が必要だし、
普通の騎馬トレッキングコースは人馬の疲労が限界に達する前にゴールにつくようになっているから欠点が目立たないだけであって、
馬は揺れが大きく疲れる乗物…モンゴルでも馬よりオートバイのほうが人気…
思ったほどは持久力がなくすぐ疲れてしまう点も問題…現代人はオートバイと比較するからこんな評価になる…
思ったほどは良いものではないという事にすぐ気が付くと思う。

499人間七七四年2018/02/03(土) 22:01:38.08ID:o0YsX5z2
オートバイのほうが人気かあ
なら当時は徒歩と騎乗とどちらのほうが楽だったんだろうね
てか、現在のサラとかと昔とでは騎乗方法も違うやん?

500人間七七四年2018/02/03(土) 22:44:35.73ID:nrc7hUJt
>>496
適当すぎて笑ったw

501某研究者2018/02/04(日) 11:11:55.71ID:VNGwR4lj
>>498
>日本馬・モンゴル馬 等は草だけで飼う事が出来るのが特徴。

日本の場合軍用馬には
大豆も与えていた様な記述も有るかも知れぬが
果たしてどうなのかだが
草だけでも軍用に耐えぬ程の体力低下は有るのかだが

502人間七七四年2018/02/04(日) 16:44:03.66ID:dbTST5qL
もともと草食動物なんだから、草だけで飼えるんじゃないの?
その辺に生えてる草だけだと食い尽くしちゃうから、飼料を運搬しなくてはならなくて、
だけども干し草だと嵩張るから、カロリーの高い大豆を使うんだと思う。

503人間七七四年2018/02/04(日) 18:34:19.94ID:8K/oStAq
お前はカロリー低いものだけ食って人並みの肉体労働できるのか

504人間七七四年2018/02/04(日) 20:32:18.49ID:uzvEmUp9
馬はエネルギーを得るために基本的に暇があれば食っては寝てを一日中繰り返している動物なわけでしょう
豆類や穀類はあくまでも人間が効率よく馬を行使するために使っているだけ
というか近代以前では飼い葉以外にはどんな飼料を与えていたんだろうか?

505某研究者2018/02/04(日) 20:51:08.26ID:VNGwR4lj
http://farmhist.com/category4/entry80.html
>厩作附飼方次第
『放牧している馬(野生)は草木の根や葉を食い、粗末な食べもので生きているが、人を乗せるわけではないので、体力の消耗も少なく、病気にかかりにくい。乗用馬は責馬(調教)などで体力を消耗するので、飼料に注意しなければいけない』

新鮮な豆の葉を飼料として与えている以上、豊富なタンパク質を含んでいる豆の実自体も、また昔から貴重な飼料の1つでした。ただ、生豆としてではなく、「煮豆」に作り変えられて、馬に給餌されていました。本書内でも『豆は新しいものをよく煮て与えること。
(中略)馬は豆を食べて体力を増進させるので、必ず品質を調べて与えること』と、品質の良い煮豆を給餌する様に述べています。

『刈った豆の葉は馬の気力を増すものであるから、いつも与える事。例えば、刈った豆の葉は人間のごはん、煮大豆は人間のおかず、ぬかは人間の汁にあたるものである。人間の食事は、ごはんを主とし、汁、おかずの順にするとよい。もし、ごはんを副食とし、
他の栄養ある食物を主食として食べると、却って脾臓を傷めるようなものであるから、刈った豆の葉を主とし、煮豆とぬかを副食と心得て飼養すること。』


等と有るから
軍用馬では無く乗用馬にも大豆は体力強化の為に
使用されていると言う事なのかだが

506人間七七四年2018/02/04(日) 21:04:56.80ID:8K/oStAq
だから大豆や穀物だろ

507某研究者2018/02/04(日) 22:19:04.50ID:VNGwR4lj
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9005754.html
>当時の馬の兵糧は大豆と糠だったようで。その辺の草というのはあくまで補助的なものだったんじゃないですかね。
当時の標準的な一日あたりの消費量は大豆2升、糠2升で約6kg程度とされています。ちなみに人間は米6合、塩0.1合、味噌0.2合で約1kgだったとのこと。10倍まではいかなかったみたいですね。

草の量は果たしてどうなのかだが

508人間七七四年2018/02/07(水) 15:11:48.90ID:hAEkGugm
牧草を食べてる牛馬は栄養失調w?
質の高い乳や肉の為に栄養の豊富な穀類をプラスするんでしょ

勿論、武士のたしなみとして愛馬を養う必要があり、
戦場で思う存分の騎乗働きしたい者は、豆や穀類を与えていた
だろうが、それは平時の場合でしょうね。
戦時は、野草と現地調達のもみ殻等が主になる。

509人間七七四年2018/02/07(水) 22:23:21.50ID:MVBciRZH
戦時に大豆や穀物を与えてた。わざわざ輸送や購入して。

510人間七七四年2018/02/07(水) 23:42:23.53ID:/LbdXvCd
計100キロ近くある騎馬武者を背負って走らないといけない当時の馬は
さぞええもん食って鍛えられていたんだろうね
馬は高級品だったのは間違いないね

511人間七七四年2018/02/08(木) 00:02:40.73ID:x2lfoHYk
>>510
馬一般が高価だってのは間違いだよ。
大半の馬は農耕馬であり、駄馬である。
戦闘用の馬だって騎馬足軽の馬もいるし。
現代で言えば、ジープやハーフトラック。

重い鎧来た武者が乗る馬だけが特別な高級品。
主力戦車。

512某研究者2018/02/08(木) 14:28:53.74ID:ePz5iXFj
騎馬武者の馬には馬鎧迄装備される例も有るが
南北朝期の30kg等の大鎧に10kg等の馬鎧が追加される例は有るのかだが

https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E9%8E%A7-35134
1391年頃成立の明徳記には鎖の馬鎧が有るから 
この辺りから少なく共乗馬に長ける関東の騎馬武者の馬は
馬鎧はそれなりに装備されていたのかだが
太平記では鎖の馬兜しか無いが 
馬鎧も使用されていた可能性も有るのかだが

西欧の馬鎧の大量使用は何時頃なのかだが
乗馬戦闘重視のイタリア式鎧を装備する騎士の馬も 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD#/media/File:Paolo_Uccello_031.jpg
15世紀中期のサンロマーノの戦いの絵でも馬鎧は皆無だろうし 
http://www.luminarium.org/encyclopedia/barnet-gent.jpg
15世紀では頭部や首にのみ装甲が有る馬が 
僅かに書かれる程度に見えるが
https://www.wga.hu/html_m/d/durer/2/12/8triumph/11triump.html
1515−17年成立のTriumphal Archには馬鎧が大量に書かれるし 
遅く共1515年のラヴェンナの戦いでは 
馬鎧は既に大量使用されていたのかだが
1540年頃には騎兵銃で馬を攻撃される事が増えて
馬鎧は廃れたと言う事だろうか

15世紀なら乗馬に長ける関東の騎馬武者の馬の方が 
弓対策用の革製主体かも知れぬが
西欧より馬鎧の装備率は高いと言う事は無いのかだが

513某研究者2018/02/08(木) 15:06:09.98ID:ePz5iXFj
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hitosugi/hojoukasin.htm
1581年の北条家では馬鎧装備は義務付けられていたと言う事かも知れぬが
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/45/17038252d5e384886696410ab7bd4a54.jpg
銃が多いこの時点では上の様な重そうな物が主体だったのかどうかだが
https://i.pinimg.com/originals/80/1d/61/801d61d3aab9e5a0048ff93259997edd.jpg
二人武者絵の小型の物や
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/187730238?size=1024#content
上の大阪冬の陣図の物の様な厚総を併用した軽い物が
使われていた可能性も有るのかだが

514某研究者2018/02/08(木) 15:24:07.13ID:ePz5iXFj
http://kitakan-navi.jp/archives/11984
>戦国時代に使用されていたとされる馬鎧(よろい)の展示が27日、中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」で始まり、来館者の関心を集めている。
馬鎧は、馬に装着させていた鎧で、乾燥させた革に漆を塗るなどして作られている。重さは10キロ程度。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-57-32/nihonzairaiba08/folder/40206/67/2896167/img_0
此れで10kg程度なら
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/187730238?size=1024#content
面も無く更に軽装な大阪冬の陣図の物は
厚総込みでも更に軽いと言う事なのかだが

515某研究者2018/02/08(木) 23:38:34.17ID:ePz5iXFj
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561990702/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561990698/
首上部や胴正面等の要所が
革の上からカルタ金で補強される様な馬鎧も有るが
弓に対抗する為の装甲追加では無いと言う事なのかだが

516人間七七四年2018/02/10(土) 10:34:03.04ID:eZSS3rhk
馬のことは馬の専門家
日本古来の馬術は、系統者の話に耳を傾ける。
例えば、
西郷派大東流馬術検索してみて

勝手な想像で話しても意味はない

訓練された軍馬(日本馬)の実力は相当なものだし
馬の素人が遊びで乗馬してるのとは訳が違う

517人間七七四年2018/02/10(土) 11:10:51.73ID:VLAfUseu
西郷派って界隈では有名な捏造流派だぞ
ソースにできるようなもんじゃない

518某研究者2018/02/10(土) 15:58:04.86ID:M4R5FFgR
武陰叢話に小田原攻めで使用された
秀吉の金の瓔珞の馬鎧が出て来るが 
此れは現実に有るとすればどう言う物なのかだが  
http://www.geocities.jp/barakabin/orini-a.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~fusenji/kenkyu/03shumon/note08.jpg
https://www.pinterest.jp/pin/115193702950137607/
上の鎌倉期等の唐鞍の装飾に似た様な物が 
通常の馬鎧に追加された物の可能性も有るのかだが
http://artscape.jp/study/art-achive/10107722_1982.html
上の普賢菩薩像の象には 
唐鞍の馬具の様な杏葉に加え瓔珞が有るし 
こうした構造に似た馬具が
秀吉の馬鎧に付加されていた可能性も有るのかだが

http://avantdoublier.blogspot.jp/2013/04/blog-post_30.html
上の普賢菩薩の象は杏葉は無しで 
瓔珞だけが付いているし 
こうしたタイプの物の可能性も有るのかだが 
戦国期の飾馬には杏葉が有るなら 
此れも装備される可能性も高いのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/635218722414718165/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561159219/
上の様な明軍の馬具には瓔珞の様な物も有るが 
此れと同様の物が有った可能性も有るのかだが

519人間七七四年2018/02/18(日) 16:07:19.55ID:v1pYLWHM
>>517
では、甲州和式馬術探究会
の動画みてくれ

和種もバカにはできんぞ!!

520人間七七四年2018/02/18(日) 19:56:19.38ID:1EnGaA/6
ナポレオン時代でさえも胸甲騎兵と鎧と剣や槍と白兵武装の騎兵が騎兵の主力だったんだよな

521人間七七四年2018/02/18(日) 23:39:18.83ID:bPHfPYDJ
>>520
胸甲騎兵じゃない騎兵って何? 近代騎兵? それならピストルやカービンを使うと思うが。

522人間七七四年2018/02/19(月) 03:16:56.79ID:SCdpZP+P
サーベル騎兵や槍騎兵だろ

523某研究者2018/02/19(月) 12:36:42.69ID:SE1IOgqw
gachi-kaccyu-kassen.com/article/442222424.html
>この頭蓋骨とともに体高160〜170cmの巨大な馬の骨も発掘された。これは日本在来種ではなくアラブ馬であるとのことだ。  

西欧の体重600kg等の重馬種の可能性と言うのは 
無いと言う事なのかだが
ncode.syosetu.com/n1685bu/3/  
西欧のシュバル・ド・オーヴェルニュ等の重馬種の体高は150cmだから 
違う可能性も有るのかだが 
高級品のデストリアは160cm超の例も有ったかも知れぬが 
こちらの可能性は骨格の差を見れば分かるから
無いと言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

524人間七七四年2018/02/19(月) 13:51:01.11ID:hCLQuZgj
江戸時代、
150cm超えの南部の巨馬を自慢していた
大名がいた。
馬の大きさは4尺何寸か
つまり120cmよりいくら大きいかで表記して
いたこと
また4尺は省略することが多いことから
それなりの大きさのものを武士は騎乗していたことが
わかる。

525某研究者2018/02/19(月) 18:12:52.77ID:SE1IOgqw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC#%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E7%B5%8C%E7%B7%AF
>前近代、軍馬として用いられた在来馬は、「相手の馬に噛みつき、歩兵を蹴りつけ、踏み殺し、時に乗り手の命令に従わぬ荒々しい馬が求められた」とされるが、そうした荒い気質の馬が求められたのは、一騎討ちが盛んであった南北朝時代までである。
室町時代から戦国時代に移行する時期では、集団騎馬戦が重要視されてきた為、従順で調教の行き届いた統率の取れる馬に改良が求められた。

集団戦が求められたと言うより
下馬戦闘多用で荒い馬を乗りこなせる技術の有る者が減ったから
そうした技術が無くなったと言う可能性も有るのかだが
荒い馬でさえ平治物語絵巻や蒙古襲来絵詞の集団騎射戦を出来る程度に
コントロールが必要なら出来る技術が
南北朝期迄なら少なく共一部には存在したと言う事なのかだが

526某研究者2018/02/19(月) 18:59:40.35ID:SE1IOgqw
http://www.equinst.go.jp/JP/hidume/hsn1-2.html
>また明治28年、青森、岩手、秋田3県の馬産地で南部馬244頭の体高を測定したところ、平均は 4尺7寸※2(142.4cm)でした。

とは言え明治28年では
アラブ系統の馬の血がそれなりに入ると言う事なのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%94%BF%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%A8%88%E7%94%BB
1906年からの馬政第一次計画以前にはそうした西欧馬の血は
入らない可能性も有るのかだが

527某研究者2018/02/19(月) 19:06:04.51ID:SE1IOgqw
>>526
平均142cmと言うのが事実なら
アラブ馬と同程度の体重の馬は南部馬では割に手に入るのかだが
体高150cm程度の馬も偉い人間用なら
確保出来ると言う事なのかだが

528某研究者2018/02/19(月) 20:01:32.73ID:SE1IOgqw
そうした大型馬も衝撃騎兵としては有用だろうが 
敵からの逃走やこの追撃には速度の高速な馬の方が 
有用と言う事なのかだが 
https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%96/
盛号を見る限り大型の南部馬が木曽馬より遅いとは 
限らぬと言う事なのかだが
長距離ではどうなのかだが
アラブ馬も長距離の走力は
此れより小型の木曽馬には劣ると言う事だっただろうか

529某研究者2018/02/19(月) 20:58:24.55ID:SE1IOgqw
http://www.jahou.net/ebisuzaki/index.cgi?no=151
>ウマは、最大gallop速度7.8 m/sを持ち、10km走ではヒトより速い。しかし、10-15分以上ではgallop速度は劇的に減少する。
長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。したがって、人間の持久走能力は極めて印象的である。

人を乗せれば更に速度や移動可能な距離は低下するだろうし
10kmより遠くに逃げる際は
装甲を外して下馬した方が良いと言う可能性も有るのかだが
人より高速と言うモンゴル軍の乗馬移動の場合は
道中に別の馬が大量に置かれているのかどうかだが

530某研究者2018/02/19(月) 21:39:45.16ID:SE1IOgqw
http://netouyonews.net/archives/9567514.html
>Yamっていう駅舎制度があって大体40kmごとに設置されてた
これによって平均200km/日の伝達速度をモンゴルは持ってた
同じような高度な制度を持っていたローマ帝国が90km/日、唐が50km/日
これだけで優位性がわかるはず

持久力の高いモンゴル馬なら40kmはそれなりの速度で走れると言う事なのかだが
モンゴル軍が一日に70km移動したと言う説も有るが
替え馬に乗り換えればその程度を走れる走力が蒙古馬には有ると言う事なのかだが

531人間七七四年2018/02/20(火) 06:02:51.90ID:P1kYsf8h
だから戦国時代の馬はポニーだったんだろ

532人間七七四年2018/02/20(火) 07:44:22.68ID:kt8e/gQD
>>531
蒙古馬=ポニー だから

533人間七七四年2018/02/20(火) 13:44:17.31ID:zvr4z3eO
モンゴル人とかいう
ポニーでユーラシアを征した騎馬民族がいるらしい

534人間七七四年2018/02/20(火) 16:36:46.18ID:FSzv0a1a
中世騎士が乗ってたのもポニー

535某研究者2018/02/20(火) 18:20:16.40ID:Exh+P4t1
西欧のシュバル・ド・オーヴェルニュ等の重馬種の体高は150cmだが
ポニーの大型の物とほぼ同様なのかだが
体重はモンゴル馬の倍程度の600kg以上有るが
体高160cm以上等の
高級品のデストリアは此れより100kg以上重いのかだが

536人間七七四年2018/02/20(火) 22:24:35.12ID:kt8e/gQD
>>535
ポニーの大型のものと同様、って表現はおかしいだろ。
150cmしかないなら、体重が何百キロだろうがポニーだ。

537人間七七四年2018/02/21(水) 00:33:00.65ID:8iAowbgI
>>536
150ならポニーじゃない
それは置いといて正しさを求めるなら「平均的な固体はポニーである種のポニーじゃない大型の固体」と言うべきか

538某研究者2018/02/21(水) 21:29:30.41ID:RMBnYWJy
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%83%BC
147cm以下がポニーと有るから
最大級のポニーとほぼ同程度のサイズと言う事だろうか

539某研究者2018/02/22(木) 14:50:11.73ID:jWymyz60
http://www.gachi-kaccyu-kassen.com/article/448073682.html
>ただ敵味方が双方ともに組討や短刀操作のレベルが向上するので、先に懐に飛び込んだ方が勝つという保証はなくなってきた。 
要するに懐に飛び込まれたり槍の柄をつかまれた側は、いつでも槍に執着せずに短刀を抜いて組討ったほうが反撃しやすい。

組討が得意な者は先に組討に持ち込むと言う方向も有るだろうが 
居合が得意な者は 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563871335/
上のイタリア武術の様な形で敵の槍に自分の槍を乗せてから 
居合で敵を倒す方向も有るのかだが

相手が槍の柄で居合で抜かれた刀を防御する可能性も有るだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563870894/
上の様に柄毎斬られる可能性は有るのかだが

長物に対し短刀で組討に持ち込もうとして 
刀の居合でアウトレンジされ返り討ちに有った例は有るのかだが 
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563874562/
上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻では 
短刀を持つ者が刀でやられているが 
刀は両手持ちだから居合でやられた訳では無いと言う事なのかだが

長物で勝負していた居合が得意な者が 
長物を持つ居合が更に得意な者に 
長物を捨て居合を仕掛けたら 
逆に居合で迎撃された例は有るのかだが 
先に此れを仕掛けて抜刀すれば多少居合抜きの速度が劣っていても 
先に斬り付けられたり
敵の刀を受けられる可能性は有るのかだが

相手が居合向けの肥後拵を装備していたら 
居合が上手い事は警戒するかも知れぬが 
自身も肥後拵が有り先に仕掛けて抜けば勝てると見る可能性も 
居合に相当に自信が有る者なら有り得るのかだが 
先に仕掛けても相手が脇差しや短刀を先に抜いて刀を受ける可能性等は有るのかどうかだが

片手持ちの脇差でも居合で抜かれる片手持ちの刀なら受けられる可能性は有るだろうが 
短刀ではどうなのかだが 
居合で抜かれた刀を両手持ちにされれば次は受けられるのかだろうし 
組討に持ち込む等する必要は有るのかだが
小太刀術が得意な者なら 
脇差で両手持ちの刀と互角以上に戦える者も居るだろうが 
果たして何処迄居るのかだが 
短刀では流石にどうなのかだが

540某研究者2018/02/22(木) 15:07:31.09ID:jWymyz60
pinterest.jp/pin/343610646563871335/
上の様に槍を自分の槍の上に乗せられ居合を仕掛けられようとしている状況でも 
敵に槍を投げ付けて前進を遅らせている間に 
自らも刀を抜いて対抗と言う様な方向は有るのかどうかだが 
絵のカウンターの様に槍を引く例の方が多いのかだが

リーチが150cm程度の持槍では 
槍を引いてもその侭居合で斬られる危険は有るのかだが
そうした距離で居合を先に仕掛けられれば 
居合では対応する時間は果たして何処迄有るのかだが 
槍の柄での防御や組討に持ち込める可能性の方が高いのかどうかだが

https://youtu.be/2HAmvm4jCSk?t=50
抜刀直後に両手斬りをする居合も有るだろうが 
両手持ちしてからは更に高速には出来るだろうが 
片手斬りより高速には困難かも知れぬが 
先に抜かれたら片手持ちの居合ではやられる危険も有るのかだが

両手持ちの居合なら槍を即座に斬る事や板金鎧を打ち砕く事も可能かも知れぬが 
試した例は有るのかどうかだが
太刀や打刀の天神差しなら 
下から片手で抜刀した後両手で構えて即座に切り下ろすと言うのが 
両手持ちの居合の基本なのかだが 
此れを先にやられれば脇差の居合でさえ受けるのは困難と言う事なのかだが

541某研究者2018/02/22(木) 21:04:52.72ID:jWymyz60
大薙刀は塚原卜伝が言う様に柄が切断出来ないなら 
自らの長物を乗せてから居合の両手斬りで倒すのは 
難しいと言う事なのかだが 
槍よりは反応性は悪いと言う事なのかだが

542人間七七四年2018/02/23(金) 17:30:04.92ID:jqeg5cKY
>>531
ポニーエクスプレス
調べてみなよ

ポニーって皆が抱いてるイメージの
愛玩用の超小型馬とは違うよ

当時は
現代の中型馬クラス以下の馬
の総称であり
宣教師もけっしてポニー程度の馬に乗ってると
いう意味でディスったのではない

543某研究者2018/02/23(金) 23:41:49.72ID:o681C3+0
モンゴル軍の様な一日70kmの行軍等は
替え馬を用意してさえ体重600kgの欧の重馬には無理だろうし
騎士も逃げる際は
軽馬に乗っていたと言う様な記述も有ったかも知れぬが

544人間七七四年2018/02/24(土) 00:37:14.89ID:YtyNKooA
>>543
モンゴル騎兵は最低でも三頭、理想は五頭とかだったらしいしね。
追撃する時は、ドンドン乗り換えその場に疲労した馬放棄だったらしい、勿論後から回収部隊来るけど。

545某研究者2018/02/24(土) 13:20:26.39ID:CMCBsF0r
騎士の重馬もモンゴルの軽騎兵の射撃には何の意味も持たず
モンゴルの重騎兵は重馬が弓で弱った後に突撃して来るので
重さも生かせないと言う事だろうが
体重600kgの馬の密集突撃は
障害物で守られない歩兵には脅威である訳だろうし
アルスフではイスラム騎兵もやられていたという事なのかだが

546某研究者2018/02/26(月) 22:44:35.91ID:tVqTfZkP
https://youtu.be/d_S5VmaUHv4?t=52
互いに馬の速度を利用しようとしても 
相対速度はこうした物なのかだが 
大鎧装備なら更に速度は低下し得るのかどうかだが

547某研究者2018/03/01(木) 18:24:24.07ID:fO/crXwP
長く持ちツヴァイハンダーでも切断出来ぬ可能性の有る4mのランスの槍衾と 
6mのパイクの槍衾に切り込むのは何れが楽なのかだが 
アルベドではスイス兵は前者には失敗したと言う事なのかだが
アルベドのスイス兵もツヴァイハンダーが有る訳では無いだろうが 
バスタードソードやハルバードでは無理だったと言う事なのかだが
ハルバードやバスタードソードでは無理で 
室町前期の大薙刀や大太刀で斬り込めると言う保証は有るのかだが 
雑兵物語に有る様な弓の至近距離射撃の援護が有ればどうなのかだが

548某研究者2018/03/01(木) 18:49:07.82ID:fO/crXwP
15世紀後期の板金鎧なら脚部にギャンベゾンや鎖は無いかも知れぬし
正面からでもこの部分を貫ければだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563348349/
張力20kgの弓で10mから15世紀の板金鎧の足よりやや厚い
1.4mmの鉄板をこの程度貫けるだろうし
足軽用でも20kgは有るかも知れぬし
騎馬武者用なら50kg超も有り得ると言う事だろうが
脚では滑って弾かれる例も多いだろうか
15世紀前期ではギャンベゾン・鎖は恐らく有るだろうが
長い草摺の板金を貫いて動きを鈍らせて
白兵戦を優位に進める事は出来るかも知れぬし
他の場所も矢が浅く刺さっても動き難く成る場所は有るだろうか

549某研究者2018/03/01(木) 18:49:08.35ID:fO/crXwP
15世紀後期の板金鎧なら脚部にギャンベゾンや鎖は無いかも知れぬし
正面からでもこの部分を貫ければだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563348349/
張力20kgの弓で10mから15世紀の板金鎧の足よりやや厚い
1.4mmの鉄板をこの程度貫けるだろうし
足軽用でも20kgは有るかも知れぬし
騎馬武者用なら50kg超も有り得ると言う事だろうが
脚では滑って弾かれる例も多いだろうか
15世紀前期ではギャンベゾン・鎖は恐らく有るだろうが
長い草摺の板金を貫いて動きを鈍らせて
白兵戦を優位に進める事は出来るかも知れぬし
他の場所も矢が浅く刺さっても動き難く成る場所は有るだろうか

550某研究者2018/03/01(木) 18:51:31.16ID:fO/crXwP
14世紀のコートオブプレートでは矢が浅く刺さっても
動きを阻害出来る部分は何処迄有るのかだが
とは言え至近距離なら鎖・ギャンベゾンの上からでも
それなりの衝撃は与えられるかも知れぬが

551人間七七四年2018/03/02(金) 12:24:59.19ID:rXCt26Dz
>>550
日本だと蒸れて暑そう

552某研究者2018/03/02(金) 14:06:12.52ID:zaK9xJKD
>>551
日本より暑いかも知れぬ
https://en.wikipedia.org/wiki/Seminara
イタリア半島南端のセミナラの戦い(1495年6月28日)や北アフリカでも
仏・スペインやポルトガル等が完全板金鎧を利用しているだろうが
アーメットのバイザーは開けないと可成り影響を受けると言う意見も有るが
サレットはどうなのかだが
暑さで疲労が早いなら兵を分けて早期に入れ替えれば
狭い場所であれば十分対抗出来るかも知れぬし
セミナラの仏兵は乗馬戦闘していただろうか

1480年の5−8月・1522年の6−12月にトルコに善戦したロドス島等
セミナラより更に南に有るだろうし
騎士は恐らく城内で下馬戦闘しているだろうが
包囲されない状況で早期に兵を入れ替えれば
暑い状況で完全鎧装備でも長期戦闘は出来たと言う事なのかだが
600名も居ない騎士が10万のトルコ兵に
対抗出来ると言うなら
同様に籠城すれば10万の日本軍に勝てるのかどうかだが

553某研究者2018/03/02(金) 14:40:07.36ID:zaK9xJKD
1480年や95年ならサレットも多いだろうが
1522年では騎士はアーメット装備かも知れぬが
此れはロドスではバイザーを開放して戦っていた可能性も有るのかだが
脚部のギャンベゾン・鎖は15世紀中期以降は恐らく無いなら
この部分は前よりは熱が溜まり難いだろうか

https://ja.weatherspark.com/y/78473/
%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AA%E3
%82%A2%E3%80%81%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B9%B4%E9%96%93%E3%81
%AE%E5%B9%B3%E5%9D%87%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%B0%97%E5%80%99
セミナラに近いレッジョ・ディ・カラブリアの
6月28日は30度近いが
湿度は50%程度とそう高くは無いだろうか

http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/kion/Greece/Rhodes.htm
ロドス島の8月の気温は30度
湿度は56%と意外と高くは無いだろうか

日本の8月の様に気温30度超・湿度80%等では
アーメットのバイザーは閉じられない可能性も有るのかだが

554某研究者2018/03/02(金) 16:20:11.26ID:zaK9xJKD
>>550
弓の援護に加え石も放らせ 
騎馬武者が手裏剣を放ってから突入と言う方向も有るだろうが 
大型の手裏剣なら板金鎧の薄い部分や鎖も一定のダメージは与えられるだろうが 
細い手裏剣は存在するがそれで板金鎧の眼部の隙間を狙ったり 
鎖を貫通すると言う技法は無いと言う事だろうか
騎馬武者が現実的に手裏剣を何処迄投げられるのかだが 
小柄や脇差・短刀なら割合投げられる者も居るなら 
そうした者が手裏剣を投げるのは可能と言う事なのかだが
投げられる者は小数でも 
その者が投げ込んだ場所へ 
投げられない者が順次薙刀・大太刀等で斬り込む方向も有るだろうか
棒手裏剣も板金の上に命中しても衝撃力に欠けるだろうし 
ランスを構え半身に成っている状態の足裏を斜め前から狙うか 
或いは開放型兜を装備している者や頬当ての無い者の顔を狙って放る方向も有るだろうが 
こうした者はそう多いのかだが

https://youtu.be/O4sNcozOrkU?t=471
上の様な鎖とギャンベゾンを同時に貫けるクロスボウのニードルボドキン的な矢も 
標準サイズの棒手裏剣より太いかも知れぬが 
棒手裏剣にギャンベゾン迄貫く威力は有るのかだが
http://kamakura-sankaido.jp/katori%20shinto%20ryu%20boushuriken.htm
上の15世紀成立の香取神道流の棒手裏剣は 
古くから有る物なのかだが 
これならクロスボウのニードルボドキン的な鏃より鋭く細いだろうが 
ギャンベゾンは何処迄貫けるのかだが

555某研究者2018/03/02(金) 17:58:43.37ID:zaK9xJKD
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Siege_of_Rhodes.jpg
15世紀のロドス島攻防戦の絵も有るが
聖ヨハネ騎士団の兜は一様にバイザーの無いサレットなら
此れは熱対策の可能性も有るのか
或いは絵の形式でこれしか書かれていない可能性も有るのかどうかだが

556某研究者2018/03/02(金) 20:58:49.28ID:zaK9xJKD
>>554
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563929527/
上は江戸期の手裏剣と言うが
一部はクロスボウのニードルボドキン的矢より尖っているし
鎖・ギャンベゾンも幾らかは貫けるのかだが
江戸期以前には果たしてこうした形状の物は有るのかだが
両端が尖る物が有るが
http://seiryukan.syuriken.jp/hard/tekunik/tekunikupage.html
此れは上の手裏剣の持ち方を見る様に
抜き打ちで直打法及び回転打法・半回転打法全てが出来る様な工夫なのかだが
こうした物が有ると言う事は抜き打ちが確実に成されていた故と言う事なのかだが
全てがそう言う形式では無い訳だろうか

>津川流の手裏剣や、あるいは白上一空軒氏考案の手裏剣も、このように剣体の両端に剣先があるタイプで、これらのものは、直打でも反転打でも、どちらの打法でも使えるようにとの工夫のために、このような形状になっている。

矢張り直打・回転及び半回転打法全ての
抜き打ちに対応する為の両端が尖ると言う事なのかだが

>しかし、そもそも直打で6〜7間を通すことのできる手裏剣術者であれば、別段、反転打で打つ必要はないので、このような細工は不要であろう。

とは言え威力や精度は回転打法の方が上と言う事だっただろうか

557人間七七四年2018/03/02(金) 20:59:37.43ID:lfGG4CRN
Jリーグ無理

558某研究者2018/03/02(金) 21:00:50.25ID:zaK9xJKD
>>556
http://www.mumyouan.com/k/?M1082
>●実は、私は直打法には欠点があるとずっと前から思っていました。
確かに、直打法は、反転打法よりも距離変化に強い。
また、逆に、とっさの時に、その手の内の持ち替えによって、
反転打法は時間のロスを生ずる、という欠点があります。

●いっぽうで、ずっと以前にやりましたが、反転打法の利点は次の通りです。

1−剣の回転姿勢が直打法よりも安定する。

2−剣の威力が回転によって増すので超軽量剣などにおいては便利。

そして、これ以外に、私が前述の剣の飛行中の姿勢変化と併せて思うのは、
近距離や中距離でも、反転打法の方が、剣の姿勢変化は一定である
という推論です。


と有るから両端が尖る手裏剣なら
持ち替える必要も無く
回転が合う距離の場合は半回転打法が使える訳だろうか

559人間七七四年2018/03/02(金) 21:01:18.39ID:lfGG4CRN
oh誤爆

560某研究者2018/03/02(金) 21:11:56.48ID:zaK9xJKD
http://www.mumyouan.com/k/?M1082
>実際、反転打法というのは、50gを下回るような超軽量剣に対して
行うと、その軽量さをかなり補う強さを得ることが出来ます。

重い手裏剣を回転させれば鎖・ギャンベゾンを
割に貫く可能性は有るのかだが
鎖相手に回転させれば鎖の間に滑り込まない危険と言うのは
無いのかどうかだが
https://youtu.be/zgHPy9XKj6M?t=43
上を見る限り角度が上向きに刺されば弾かれる可能性も有るのかだが

561某研究者2018/03/03(土) 15:56:52.44ID:NQ9xR3b9
甲冑を装備した宮本武蔵と 
装備していない宮本武蔵が刀で戦えば 
後者が勝つかも知れぬが 
戦場では飛び道具の射撃が雑兵物語を見る限り白兵戦中にも有り 
塚原卜伝でさえ矢は受けているから 
此れを防げる防具が無いと命取りと成り得る訳だろうか

雑魚相手なら重装甲で動きが鈍っていても達人なら対応可能だろうし 
相手が雑魚しか居ないなら対応困難な矢を防ぐ為に重装甲装備と言うのも有り得るのかだが 
銃の時代なら胸甲と兜程度しか此れを防げないから 
胸甲騎兵程度の装備で問題は無いのかだが
日本の場合は1615年時点でも弓は相当数有っただろうが
草摺や佩楯は何処迄矢を防げたのかだが

とは言え強そうな者が居たら早期に装甲を外す等
有り得たのかだが
https://ameblo.jp/to-to2016/entry-12305947686.html
小野成幸が袖を切り落として戦った等と言う様な記述も有るが 
此れは強い相手が出て来たからでは無く 
損傷した故と言う事なのかだが

562人間七七四年2018/03/22(木) 09:16:25.89ID:vxdmzKS5
>>529
最大gallop速度7.8 m/s=時速30キロ弱。普通の競馬なら時速60`、ジョッキーベイビーズのポニーでも時速40`では走っているのでいかにも遅い。
小さいポニー(乗り手の足がポニーのおなかの下に大きく出る。が、地面までは届かない)に体格のある肥満メタボの成人男性が乗った図か?

それに、長距離にわたる繰り返し走とは何だ?
この種の実験をするのなら、大抵の人は騎乗か馬車にしてウマを休ませずに走らせせ続けるに決まっております。
繰り返し走になるのは、スタート地点でカラ馬を追って走らせ、しばらく走るとカラ馬は飽きて止まってしまい、そこまで行って追い直して続きを走らせる・・・という実験方法か?
これだと馬のモチベーションが上がらない。重くても騎手が乗っているほうがポニーも頑張って走ろうという意欲が沸く

563人間七七四年2018/03/24(土) 02:31:12.62ID:aZ7j2nv1
そもそも馬って長距離を走らせるもんじゃないだろ。
短距離の突撃と、長距離を歩かせて移動するために使うもので。

モンゴルの長距離競馬は1回で馬を使いつぶすイベント。
終わると馬は死ぬ。

564人間七七四年2018/03/24(土) 08:03:48.30ID:Uvw5N+xj
いやいや、ナーダムの競馬は馬を殺すためにやってるわけじゃないでしょ

どちらにしろ全力疾走で長距離を移動させることは現実的じゃない
それは人間でも同じ

565人間七七四年2018/03/24(土) 09:41:44.59ID:l2XadpAf
>どちらにしろ全力疾走で長距離を移動させることは現実的じゃない
今はクルマとかがあるからこんなことを言っていられるが、他に交通手段がなければこんなことは言っていられない
フルマラソン位の距離なら途中休まず走って手紙を届ける
体力的に一日で移動できる距離は決まっていて、フルマラソンほどの距離を休みなしに走りつづけたらそれで疲労困憊してしまってその日はそれでお仕舞。これでは歩いて旅をする二と変わらない
…なのは事実であるが、それだけのこと。別に損をしているわけではない

566人間七七四年2018/03/24(土) 11:54:48.74ID:Uvw5N+xj
情報伝達なら、発達したところにはたいてい伝馬があるんじゃないかな
行軍において全行程を全力疾走はないでしょ?
戦場で戦えないじゃない

567人間七七四年2018/03/24(土) 22:02:08.01ID:aZ7j2nv1
>>565
伝馬が使えないなら、人間が走る方が長距離なら早い。
だから飛脚って商売が成り立つ。

繰り返すが、馬は長距離を全力で走る生き物じゃない。
これは日本馬でも蒙古馬でも西洋馬でも同じこと。
長距離を全力疾走する能力は軍馬に求められていない。

568人間七七四年2018/03/25(日) 13:08:24.41ID:D31zS5W6
伝令は、手紙でなく人が直接行かなければならないことが多いであろう。
普段から鍛えてある飛脚や忍者でなく凡人なら、小さいポニー(子供のポニーを親が取り上げたみたいな図)でも乗っておくほうが速い。乗って行けば自分は楽/下ですごく息が上がっているのを蹴るのは爽快だし、小さいポニーでもあるのなら乗っていく。
戦場用の馬と伝令用の馬が分けてあるはずはなく、軍馬は何かの際にある程度の距離の全力疾走を強いられてしまうのは当然

動物は 自然界で動けなくなる=肉食動物に喰われてしまう という意味だから体力限界を無視して完全にへたばるまで走りつづけるという機能を持っている。
が、本当に切迫した状況でない限り、精神的持久力が持たない。最初は走ってもたちまち飽きて走るのをやめる。
精神的持久力を持たすためには騎手/御者が追い続けることが必要。騎手が乗れないほど小さいミニチュアホースなら馬車にして御者が乗ることが必要。

569人間七七四年2018/03/25(日) 13:53:17.21ID:TchsIA6D
ミニチュアホースw

570人間七七四年2018/03/25(日) 16:05:51.57ID:7Cg43Wnf
>>568
だからな、伝令が馬に乗っていくのって全力疾走を求めてるんじゃないんだよ。
自分が歩くより、馬を歩かせる方が楽だから馬に乗ってるだけなんだよ。
人間が歩くよりは馬が歩く方が速いからな。

571某研究者2018/04/06(金) 18:53:11.38ID:VUuX+xtM
https://kotobank.jp/word/%E7%95%B3%E7%9B%BE-1361585
竹を貼ったひしぎ盾と言うのが 
中距離の鉄砲の防護に利用された例は有るのかだが 
厚みを増した木盾が使われる例が多かったのかだが

572人間七七四年2018/04/06(金) 21:09:24.09ID:2L/Bj4o0
>>571
源平合戦以来の置き盾では火縄銃に対抗できないから
竹束が一般化したんだろ?
当然、鉄砲相手では役に立たないだろ

573某研究者2018/04/07(土) 16:58:59.83ID:/MHbVkID
>>572
鉄砲出現後の戦国期では厚みが5cm程度と増した木盾が使われていたと言うし
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562823701/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561347188/
上の絵はそれを使用している場面なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646564496386/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646564496387/
大阪冬の陣図の竹束の端にも一部木の板が有るが
これ等は六匁筒なら100m程度迄は止まった可能性は有るのかだが

574某研究者2018/04/07(土) 17:06:38.18ID:/MHbVkID
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA#%E5%8C%97%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%90%84%E5%9C%B0%E3%81%AE%E8%BB%A2%E6%88%A6
>多々良浜の戦いに自分で馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける、  

道雪の兵が騎馬武者のみで突撃を行ったと言う多々良浜の戦いでは
道雪自身も乗馬突撃していたなら 
1500名程度の本陣備の
150名程度の騎馬武者の同時突撃は最低でも有ったと言う事なのかだが 
本陣が動けば基本的に他の備の騎馬武者も連動して 
乗馬突撃はした可能性も有るのかだが


www1.bbiq.jp/hukobekki/tataragawa/tataragawa.html
>戸次丹後守鑑連は逞兵(ちょうへい・たくましい)五千余人を引率し、
案内者を先立て隆景の左備え長尾と云所の陣に押懸り鉄砲八百挺一度に放ちかけたり。  

この早合使用と言う800の銃の射撃の後
最大500程度の騎馬武者が 
同時乗馬突撃した可能性は有るのかだが

575某研究者2018/04/07(土) 17:59:40.46ID:/MHbVkID
関東なら本陣備の150名の騎馬武者と 
本陣を護衛する周囲の備の騎馬武者の 
同時突撃は割に有り得たのかどうかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99#/media/File:%E8%BB%8D%E5%9B%A3.JPG
上の家康の軍の恐らく本陣備の護衛の為に配置される
前・左右・後の備は
他の軍にも有るかも知れぬし
関東では本陣備の騎馬武者の突撃と連動して
この部分の備の騎馬武者も同時に突撃した可能性も有るのかだが
此れを合わせた総兵力は3000以上は有るかも知れぬし
騎馬武者300以上が同時に突撃していた可能性も有るのかだが
北条軍等では護衛の備も多いなら更に多数の騎馬武者が
同時に乗馬突撃した例も有るのかだが
飽く迄大将本人を含む本陣の騎馬武者が
士気の鼓舞等で突撃した場合のみと言う事なのかだが
此れも雑兵物語の記述を見る限り
関東でも騎馬武者単独の突撃は敵が崩れた際のみかも知れぬし
敵が崩れた所に本陣備が勢いでの勝利を狙い
500等で同時乗馬突撃した例も有ると言う事なのかだが
長尾懸かりも800の銃撃で敵が崩れた所に
本陣を先頭に全騎馬武者が
乗馬突撃を掛けると言う様な物だったのかだが

576某研究者2018/04/07(土) 21:16:33.72ID:/MHbVkID
関東でも通常は1備単位・
30−80名程度での騎馬武者の同時乗馬突撃が多いのかだが
敵の一つの備が崩れ其処に1つの備の騎馬武者が乗馬突撃し
敵の備が敗走して連鎖的に周囲の備の士気も低下し此れが崩れ
其処に断続的に30−80名単位での騎馬武者の突撃が続いて
結果ほぼ同時に1000名等の大量の騎馬武者の乗馬突撃が起きると言う事も有り得るのかだが

敵の備を味方の複数の備が包囲し此れを崩せば
味方の複数の備の騎馬武者が同時に乗馬突撃と言う事も
起こり得ると言う事なのかだが

577某研究者2018/04/11(水) 22:32:43.46ID:YX78ru0m
http://www.pinterest.jp/pin/343610646564555006/
1612年迄に成立の津軽屏風の上の場面には鍵槍が有るのかだが 
戦闘で鍵槍を利用する者は見ないが

578人間七七四年2018/05/31(木) 05:34:17.57ID:Kqik+AvL
火縄スレ・軍船スレ・騎馬隊スレ

全て「某研究者」の落書きメモスレと化し、過疎っちまった
もう某研究者はそんだけグダグダ既出情報書きたいなら
ブログでもはじめろよ ウゼーな

579人間七七四年2018/06/01(金) 00:54:46.26ID:fxgHEzyH
本物の頭のびょーきだからどうしようもない

580人間七七四年2018/06/09(土) 13:49:05.52ID:8nKDTn21
Twitter始めてるよやつはw

581人間七七四年2018/07/19(木) 04:03:03.76ID:HU7MF7Nx
結局、戦国時代に有効に活用される騎馬武者っておったということでおkなん?
ポロ見てるとあんな感じかなって気はするけど、槍もってるおっさんと騎馬って
どっちが有利か気になる

582人間七七四年2018/07/19(木) 09:39:57.72ID:xNzFtqGG
騎馬武者はいただろうな
指揮取るのに高い位置で指示出せるし
移動も楽だし
戦術的に使える「騎馬隊」がいたかは知らんけど

583人間七七四年2018/09/08(土) 01:14:46.14ID:rmC8OmZl
・寒冷地で厚い甲冑に包まれてそういう奴を追い落とすために互いにランサー突撃していた西洋の騎士と違い
そんなことしてたら暑さで死ぬ日本、山ばっかりで高低差の多い日本は基本馬上槍とかは使わない
・フロイス曰く日本の武士は馬から降りて戦う西洋の騎士は馬に乗って戦う
・しかし、東国では騎乗して戦う奴はいた
・訓練すれば短い槍をくるくる回しながら馬上槍を振るって相手を馬から叩き落として徒士に殺させるとか
突進しながら馬の突進にあわせてばらけた相手を刺すとかは可能
・雑兵物語曰く西は馬に乗っての戦いかたは知らない
東ではやっていた
・基本密集して槍でどつきあっているところでは馬から降りないと戦えないがばらけて逃げている相手を馬上から倒すのは訓練すれば可能
・信長公記でも桶狭間とかあんな山の中、信長も馬は移動に使い戦う時は下馬して槍を取って戦っているが馬に乗って戦っている奴もいるから訓練と戦況次第
・基本は密集しての槍での殴りあい、後には鉄砲の一斉射撃が勝負を決めるのであって騎馬武者や騎兵突撃は主戦兵器じゃなく補助にすぎない
あるいは弓槍騎兵は互いに補完しあうものその一つで片がつくものじゃない

584人間七七四年2018/09/08(土) 01:33:23.16ID:rmC8OmZl
洋の東西を問わず兵を集めて密集させて槍を揃えてのどつきあい我慢比べが戦争の本質で
その前後で馬で槍や刀を振るう奴はいたことはいたろう、趣味の範囲で
移動や指揮や伝令に指揮官達には馬は必要だった
但し日本では西洋やモンゴルみたいな騎馬集団の突撃はなかった
あったなら集団による運用が残って伝わるはずでそんなの聞いたことないし日本の傾斜のきつい山河で騎馬集団突撃は無駄だし必要ない
流鏑馬はあっても槍を馬の上から揃えての突撃は日本ではない
長篠とかあんな狭い所で馬で戦うのは嫌だわ

585人間七七四年2018/09/08(土) 02:08:54.22ID:rmC8OmZl
涼しい西洋だから甲冑に身を固めてなまじの弓や刀の歯が立たない騎士同士が槍を持って突撃しあうとかできるが
日本でそんなことやったら単純に熱射病と湿度と傾斜と密集林で死ぬから

あるいは馬に乗って生まれたモンゴルとかならともかく
モンゴルだって基本は騎射だ

古今東西兵士軍人たるもの本分は略奪強姦焼き討ちで
穀物を刈っちゃうとか火を放って弱らせるという嫌がらせで敵を降参させることで
降伏してくれない相手を嫌々ながら石礫を投げる弓矢を放って根を上げるのを待つが
それでも引き下がらない相手に速見宮川で洗脳した雑兵どもの密集歩兵でどつきあいで勝ち負けをつける
騎馬武者の出番は勝負がついた後

586人間七七四年2018/09/09(日) 22:37:26.43ID:JEFsM1tR
1周遅れだな

587人間七七四年2018/09/22(土) 22:28:29.32ID:B/SsNTzn
それな

588人間七七四年2018/10/19(金) 17:42:10.16ID:bmGBh2EX
おまえらは、
20kgのリュック背負って
片道40kmを2日間で移動した
翌日
400m 20本
歩くか、ママチャリどっち選ぶ?

おれならママチャリ乗るよw
ロードバイクなんて贅沢言いません

589人間七七四年2018/10/20(土) 00:27:36.71ID:bUTdU2rr
車輪は悪路と上り坂にクソ弱いから当時の日本の道路事情じゃママチャリより徒歩だなぁ

590人間七七四年2018/10/20(土) 16:27:30.63ID:Qy7F5fRf
>>589
戦国時代に戦場に行くのに
徒歩か騎乗かを例えるのに

現代で徒歩かママチャリかの
選択を出したまで
馬は悪路と上り坂に弱いと思ってる
なら馬(和種)の実力知らなすぎ

駄馬が鎧武者を乗せてへばってる実験見て
信じ切ってるんだろうけど

591人間七七四年2018/10/20(土) 16:45:24.51ID:2Cn1R3Se
まず588の意味がわかんねえ日本語使えよ
400m20本ってなんだよ

592人間七七四年2018/11/25(日) 19:02:32.80ID:2uNoE2DA
騎馬像 https://bronze.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_d0f/bronze/bronze-77295.jpg
これでは、人間が標準的な体型なら、馬は小さい。
90cm150kg程度の子供専用ポニーに体格ある成人男性が乗っている図。
鐙なしで脚の力を抜いて跨るとつま先が地面すれすれ所に来て傍目にはいかにも足が着きそうに見えるし、
多少凸凹のある道で馬が駈ければ本当につま先が地面に接触してつま先をけがしてもおかしくない…
そんなことにならない様に、鐙で足(つま先)を持ち上げて駈けられるようにしている図。

馬が小さくても乗り物としてはそれなりに使える。
馬は自分の体重+斤量で走っているのだから、150kgのポニーに百数十キロの騎馬武者が乗ってもまだ半分以上のスピードは出る。配下の足軽とスピードを合わせなければならないので馬ばかりが速くても意味がなく、これで十分であろう。
だけど、突撃力=速さの2乗×全体の重さだから、突撃力は全然全ダメ。戦う時は馬を降りなければならない。

593人間七七四年2018/11/26(月) 11:31:20.12ID:6n/D6ETx
遺骸とかから推定されるのは110cmくらいからじゃなかったっけか?

594人間七七四年2018/11/28(水) 07:08:49.95ID:VRaxZufJ
>>590
馬は、現代人の直観を基準にすればパワーなさすぎ持久力なさすぎ。
鎧武者が重いというよりマズ自重が重い。そのくせ原付バイクより非力な一馬力しかない。馬力荷重が物を言う登坂力が劣るのは当たり前。
動物は酸素負債によって瞬間最大出力だけは大きい。だから、瞬間的に走ったり障碍を飛んだりできる。だけど続かない。カラ馬でも、長い坂道をずーっと走り続けるのは無理。たちまちばてる。
大きな馬は小さい馬を束にしただけにすぎない。600`の大きな馬も90p150sのポニー4頭を束にしただけの力しかない。パワーは大きくなるが自重も4倍。思ったほどはスピードが出ない。

595人間七七四年2018/12/04(火) 12:45:36.70ID:c5El1wbz
騎馬の運用方法が残ってないのは単純に失伝したんじゃねーかなって気もしなくもない
西洋やらモンゴルはあくまでも騎乗戦闘がWW1あたりまで連綿と続いてるけど
日本は江戸時代の間大規模紛争はほぼなかったし

他にも弓矢の曲射による面制圧の運用とか長巻での戦闘方法とかも
自分が知らないだけかもしれないけど、失伝してる感じがする

596人間七七四年2018/12/08(土) 08:53:39.99ID:1r4J+T7J
泰平の世の江戸時代が長かったから失われた武芸も多いんだろうな
特に馬術は騎乗が許された家の特権だから門外不出の技術とか伝承されずに廃れてしまったのかも

597人間七七四年2018/12/08(土) 18:24:37.40ID:KOSzd/1+
江戸時代の間じゃなくて、維新の時に中腰で乗る日本式騎乗方、鞍は効率が悪い、ってことで西洋式に全面的に改められ、
和馬も西洋馬と掛け合わせて品種改良された結果、ほぼ消滅してしまい、弥生時代〜江戸時代に日本人が本当はどんな
馬に乗っていたか、辺境に残った在来種から想像するしかなくなってる。
今、在来馬と呼ばれてるものが、当時の平均的な馬と同レベルかどうかすらわからん。

598人間七七四年2018/12/09(日) 20:04:43.94ID:+zx4m1/Y
解らなくなってしまっているから 凡人はこれを見て
馬の販売について http://grand-ponyclub.com/sale
「日本ポニー」を押して 日本の馬はこんなに小さかったのだと納得しておく。体高1m以下。
巷の騎馬像の騎手と馬のバランスもこの程度に出来ている物が多いので、こんな物なのかと納得。
馬は小さくても、突撃力はダメだが、乗物としてならそれなりに役に立つ。
二乗三乗の法則により、160センチの馬が半分の80pに小さくなっても、スピードは6乗根でしか効いてこないので1割遅くなるだけに過ぎない…という理屈は当たらずとも遠からず。

599人間七七四年2018/12/10(月) 07:00:56.25ID:R/6d+8PV
長い江戸時代の間に 
馬術は 今の並の乗馬ファンン並(駈歩が出来ればそれでよい。それ以上の高度な馬術は不要)に低迷
馬は 段々小型化 太平の世では突撃力なんか不要。小さい目の馬/必要最小限のサイズの馬が好まれやすい
護送船団方式で 大きい馬も小さい馬に合わせて速力を抑えて騎乗しなければならないのなら、
自分ならサラブレッドを減速騎乗するより、
乗り降りが楽な90センチ弱のポニーを全速力で走らせたいように思う。
誰でも考えることは一緒。馬はだんだん小型化

600人間七七四年2018/12/10(月) 17:11:34.94ID:kKE1OQ6w
日本の馬って90センチなの?

601人間七七四年2018/12/10(月) 17:37:55.53ID:HD0RRXfD
在来馬は平均130〜140ぐらいかな
90センチ云々のそのポ二−はどうみても西洋馬の血統だし
日本で生まれ育ったから日本ポニーとか勝手に言ってるんじゃね?

602人間七七四年2018/12/10(月) 20:05:07.10ID:uN+fHudR
ポニーってのは体高147cm以下の馬の総称で日本在来場もモンゴルの馬もみんなポニーだ

603人間七七四年2018/12/10(月) 20:14:00.01ID:CnwyCLp9
そう
だから戦国時代の日本馬がいまでいうポニーというのは間違いではない
ただ、一般的にポニーというとミニチュアホースとかのペットを思い浮かべるからややこしくなる
まあ、ミスリードを狙っていたからなんだろうけど

604人間七七四年2018/12/10(月) 20:48:48.65ID:HD0RRXfD
ミニホースが思い浮かぶ一般人ってあんまりいないだろ…
馬好きとかでもない限り
一般人が思い浮かべるポニーは子供が乗っても大丈夫な
小さくておとなしい体験乗馬でよく見る馬って感じだろ
だからポニーというと草生やす人が多い

605人間七七四年2018/12/10(月) 22:25:22.28ID:/s1oXRuG
ぽこぽこぽわぽわしてて、人参あげるとよろこんで、子供が乗ってぽっくりぽっくり歩くイメージ。<ポニー
そんなもんで戦争できるかwwwって思うよな。

606人間七七四年2018/12/10(月) 22:48:40.20ID:yStctJ4m
そもそも普通に考えてサラブレットみたいな馬が今みたいに整備されていない道で運用できないよ
維持費が大変
サラブレットなんて引退したら600キロとか余裕で越える。これ食わすのにどれだけ食わさないといけないのか

607人間七七四年2018/12/11(火) 07:06:35.28ID:xyZYG3Y0
90p150sのポニーを相似形に160センチに大きくすると800キロを超える計算。つまり、500`そこそこが標準的なサラブレッドはひ弱にできすぎている。
あくまでも競馬用に改良された品種で、競馬以外の用途には、「初心者の練習にならなんとか使える」レベルなのは当たり前。

馬は、小さいやつなら(最大モンゴル馬まで)草だけで飼える。
それ以上に大きくなってくると草だけでは飼えず穀物も要求するようになる。だから明治維新以降の軍馬養成所には騎手・牧童とかだけでなく耕手(穀物畑を耕す人)まで必要だった。
維持費は段違い/人間の食料だけ運んで馬はその辺の草を食わせればよいのと馬の餌まで運ばねばならばいのでは兵站が段違い

608人間七七四年2018/12/11(火) 15:57:34.11ID:1ionGIJx
戦国時代の馬でもいいやつは大豆たらふく食わせてましたやん

609人間七七四年2018/12/11(火) 15:57:51.40ID:JObAFdyH
江戸時代も豆とか糠とかを食わせていたけどな
戦国時代も加藤清正が半島で食糧難になり困っていた時に
背に腹はと馬のごはんの「煮豆」を人用にとしよう味噌袋に入れて
分けておいたらそれが納豆になって助かったなんて話もあるでよ

610人間七七四年2018/12/11(火) 17:00:17.21ID:1ionGIJx
粗食でも生きていけるというのと戦場や荷馬としてちゃんと動けるかは別問題だからな

611人間七七四年2018/12/14(金) 12:30:43.20ID:9w/B4qNM
戦時だけでなく平時でも維持費は変わらないからねえ
戦車のエンジンをずっとかけっぱなしみたいなものだ

612人間七七四年2018/12/14(金) 13:33:59.40ID:FhVIpWk/
近世近代騎兵合同誌という本で西洋における騎兵の突撃について言及されてたんですが
騎兵突撃においても馬は基本ぶつかるのを嫌がるので、対象の隣をすり抜けていくという旨の記述があったと記憶しています
記憶違いだと申し訳ないんですが、その通りなら日本での馬も敵兵の隣をすれ違おうとするんじゃないでしょうか
衝突力という言葉に騙されがちですが、馬体をぶつけるのではなく通り過ぎざまに切る、あるいは目前で突くという運用であればアラブ種より小さい馬でも充分可能な運用かと

613人間七七四年2018/12/14(金) 20:43:29.15ID:UQ/ERN0b
日本の馬は西洋のと違って去勢しておとなしくさせることをしてなかったから
そのへんがどこまで戦うときの行動に影響するかかもね

614人間七七四年2018/12/14(金) 21:48:52.55ID:5e97TvQl
>>611
この観点からは、小さい目の馬が有利
90cm150kgのポニーなら、死んでしまったときは二人がかりでリアカーに積んで捨てに行けるが、500kgとかだとクレーンが要る。このような観点からも小さい目が有利

615人間七七四年2018/12/14(金) 23:03:58.42ID:d0P/WW56
>>612
騎兵の突撃は板金技術が発展してたヨーロッパだけの戦術。当時の日本というかヨーロッパ以外は
板金の鎧みたいな物を作れるほど防御手段が発展してないため弓騎兵が主流

616人間七七四年2018/12/14(金) 23:10:48.95ID:UQ/ERN0b
戦国時代の馬は体高110から140cmだと発掘調査からわかるという話を馬の博物館の方がされてたぞ
歴史科学捜査班で

617人間七七四年2018/12/15(土) 02:36:51.11ID:+0+dkhkQ
板金技術がないから騎兵突撃はないってのはかなり無理あると考えますね
鐙の存在すら怪しい三国時代ですら騎兵突撃やってるし
例に挙がってる近世近代でも板金鎧での突撃なんてほぼないし、いわゆる軍服で騎兵突撃してる

騎兵の防御力において板金は優れた能力を発揮するけど、ないならないで突撃してる

618人間七七四年2018/12/15(土) 07:28:46.89ID:+mIEj28m
>>616
110センチだとほぼ与那国馬。馬体重200kgほど。
どこかにあった鵯越の逆さ落としの銅像の担ぎ方は200kgなら可能かも?

619人間七七四年2018/12/15(土) 22:03:52.62ID:HRzMj1wd
槍抱えて突撃よりも、馬を乗り回して弓を射ってるイメージがあるけど、弓騎馬は鎌倉あたりまで?

620人間七七四年2018/12/15(土) 22:48:14.54ID:+0+dkhkQ
と、いうか鎌倉時代のあれもジョストの槍を弓矢に変えたみたいな頭おかしい戦い方してるイメージあるけど
和弓の威力的にそれを受け止められる日本の鎧が、西洋の板金鎧に防御力が劣るとは全く思えない

621人間七七四年2018/12/17(月) 06:44:55.32ID:+qjaz55X
馬場馬術
https://youtu.be/d16WiLGBZWY

馬は、本当はこれくらいのサイズが一番乗りやすいのです

622人間七七四年2018/12/17(月) 14:26:40.57ID:q93+35K5
>>619
南北朝の頃の兵術本に騎射は実用的じゃないとされていたような…

623人間七七四年2018/12/20(木) 00:37:10.30ID:fj8+QIZo
固まった長槍相手に騎馬突撃なんて意味ない
そもそも騎馬突撃なんかより長槍の突撃の方が効果的
武田も長槍隊が有名だし、武田の馬は騎馬隊より荷駄隊の輸送手段に大量に馬を使ったと
これが効果的で、武田領内は軍用道が整備されていて軍の移動が速かった
要は軍の移動か早いと、戦争で先手が取れて、さらに軍費も抑えられる

624人間七七四年2018/12/20(木) 15:15:53.52ID:cjA8GeWf
そもそも馬が人とぶつかって落馬したらただじゃ済まないし

625人間七七四年2018/12/20(木) 20:02:10.54ID:rUC1c9iV
背の低い人が多かったから在来馬は丁度良かったんだろうね

626人間七七四年2018/12/20(木) 23:58:37.26ID:TXzImYPe
なんでわざわざ長槍そろえて完璧に対騎馬体制整えてるところに馬鹿正直に正面から突っ込ませる前提で騎馬突撃がなかったなんて語ってるの?
対戦車兵器いっぱいあるから戦車はなかったレベルの極論でしょそれ

騎馬は決戦兵器、崩れかけて陣形の乱れてるところに突っ込ませて敵の崩壊を決定づけるなりの役割でしょ

627人間七七四年2018/12/21(金) 00:02:47.85ID:CVXXeC8g
そうやね

628人間七七四年2018/12/28(金) 11:26:54.62ID:ETz8M6gQ
>>623
軍役状等の史料ではかなりの量確認できるけど「有名」だったっけ?
たとえば具体的にどんな史料で武田の長槍隊が有名だったとわかるの?

629人間七七四年2018/12/28(金) 11:33:05.18ID:ETz8M6gQ
>>615
西洋では板金鎧なんかなかったバイユーのタペストリーの時代から
槍による騎乗突撃が見られるんですが

630人間七七四年2018/12/28(金) 11:48:13.53ID:lMl4j7Y0
つか、騎馬突撃なんて古代ローマの頃からあるんだが。
中国でも春秋戦国時代には存在してるな。

631人間七七四年2018/12/28(金) 18:25:13.59ID:Hlmvoqgv
スコットランド独立の英雄のウィリアム・ウォレスはスターリング・ブリッジの戦いでは
イングランド騎兵の突進に対して数多くの長い槍を突き立てて阻止させたらしいな。

632人間七七四年2018/12/29(土) 01:14:38.33ID:qtZnsDTW
>>630
>中国でも春秋戦国時代には存在してるな。

戦車や胡服騎射だけじゃなくて春秋戦国時代に騎馬突撃やってたのか
特にどこの国がやってたんだろ?

633人間七七四年2018/12/29(土) 02:29:06.05ID:1CMfoT2B
>>632
それくらい自分で調べろや馬鹿ゆとり

634人間七七四年2018/12/29(土) 07:59:36.11ID:/NjaQKv7
ゆとり教育の弊害

635人間七七四年2018/12/30(日) 18:56:07.89ID:fQmnzhlo
>>633
得意げに知識ひけらかすのかと思ったら即逃亡かよw
ソースもなしに適当なこと書いちゃったら仕方ないよね

636人間七七四年2018/12/31(月) 01:41:27.29ID:UxaVwBq4
普通に考えて平野が少ない山ばっかの日本で騎馬突撃なんてあるわけないだろw
どこでやるねん
野戦なんて数えるほどしかないわ
日本の戦争は基本、砦の潰しいあいと攻城戦なわけ
実際、どんな突撃やってたのか説明しろや

日本の馬は気性が荒くて集団戦じゃまず使えない
この馬を品種改良して集団でも使えるようにしたのが明治の日清戦争の後のこと
日本で騎兵が導入されたのは明治になってから

馬の性格種類、それを扱う乗り手の技術、その用法。まず戦国時代じゃ騎馬隊は無理
明治政府が騎兵を組織するのに、根本的に馬から作り変えたのを見たらわかるでしょうに

637人間七七四年2018/12/31(月) 02:20:08.75ID:+ywxsulk
乗り崩しとかの馬での集団での戦法が記述されてるわけやが
知らんのか?

638人間七七四年2018/12/31(月) 02:30:52.63ID:wgX7J7Nc
そこで出典を書かないからいつまでも反論されるんやで
どうせ自分で調べろって言ってお逃げになるんだろうけど

639人間七七四年2018/12/31(月) 02:42:59.65ID:+ywxsulk
ちょこっとキーワードで調べるだけでも出るんだから他人に突っかかる前に調べなよ
島津家文書にも乗り崩しの記述は出てくるし
黒田基樹先生も北条の軍役帳を基に兵科として騎馬隊を作って運用してる旨に言及してる

ていうか源平合戦やらの絵巻ですら騎馬を集中運用してる様すら描写されてるのに何を基に否定してるんかね

640人間七七四年2018/12/31(月) 04:46:25.04ID:UxaVwBq4
だからさぁ
おまえらがいう騎馬隊は明治になってからなの
まずおまえら想像する騎馬隊なんて戦国時代の馬と武士じゃ無理
つーか源平時代なんて槍じゃなく薙刀なんよ
これでどうやって突撃するんだって話w
騎馬武者同士が止まって隣り合って薙刀で斬り合うわけ
一応、義経だけが騎馬で戦術をやったんだけど、そのあとは廃れて消えたわけ
調べろって、あったかどうかじゃなくて、騎馬隊がゲームみたいに機能してたかを知りたいわけ
まずない
戦国でいう騎馬隊は、旗本の騎馬武者がいて御供の槍兵2名と弓兵と荷物持ちの数人がチームで動いていた
解説本でも騎馬は戦場までの移動手段で、実際の戦闘では馬から降りて戦うと書かれている
今の時代、ゲームや大河ドラマみたいな騎馬武者の突撃があったっていう方が難しいわけw
おまえらは、なにをムキになっているのか?

641人間七七四年2018/12/31(月) 05:15:54.41ID:UxaVwBq4
確かに騎馬の比率が高い騎馬隊があった
これは武田の赤備えが有名で
赤備えは武具にもお金が掛かっていて超豪華なエリート軍団だった
この赤備えの仕事は、勝敗が決したあと、敗走する敵兵を追いかけること
そして赤備えに追いかけ回された敵兵の生き残りは自国に戻って武田の強さと赤備えの恐ろしさを伝える
これが武田軍の宣伝になり、武田軍は強い戦国最強と言われるようになる
つまり、武田の騎馬隊っては武田の広告塔の宣伝部隊で、武田最強の象徴だったわけね
ただ実際の戦闘での活躍は限定的である。そら金が掛かっている隊だから攻撃されるのは不味い。

642人間七七四年2018/12/31(月) 10:40:20.65ID:6nkSFUE7
>>641
出典は?

643人間七七四年2018/12/31(月) 11:38:16.51ID:+ywxsulk
信長公記とか一度でも読んだことあればそんな寝言でないんやけどね
騎馬の密集訓練の仕方も、騎乗戦闘によって敵を倒してる記述も全部載ってる
ないない言ってるけどたぶん一度もそういった記述があるまともな史料読んでないだけでしょ

ついでにいえば絵巻で思いっきり太刀振り回してる絵もあるけど、それすら見たことがないらしい

644人間七七四年2018/12/31(月) 11:45:30.51ID:wgX7J7Nc
信長公記がどんな扱いをされてる史料だかご存じないのかしら

645人間七七四年2018/12/31(月) 11:55:07.70ID:+ywxsulk
マジのあたまパーなの?
信長公記は個々の起きた事象を追うという面では確かに史料としちゃ主観によってる部分がある
けれど騎乗での戦闘や訓練においては当時の情報を知れる重要な史料だよ

それともなにかね、太田牛一は織田信長を持ち上げるために騎馬の戦闘方法すらないものをあるとして書いたとでも思ってるんかい?

使える史料と使えない史料ってオールオアナッシングで考えるもんちゃうぞ

646人間七七四年2018/12/31(月) 12:18:25.37ID:wgX7J7Nc
史料に書いてある内容の扱い方に慎重さが足りませんなあw
誰もゼロヒャクの話はしてないですよ
そもそもゼロヒャクで扱えたら楽すぎるだろ

647人間七七四年2018/12/31(月) 12:22:31.85ID:MmYm4baD
ゼロヒャクw

648人間七七四年2018/12/31(月) 12:29:38.15ID:+ywxsulk
へぇ、それじゃあ慎重に取り扱った上で
太田牛一が直に見て書いたとされる長島一揆での馬上から敵を数多切り捨てりといった記述や長篠でわざわざ馬防ぎのための柵を立てられといった記述などなど、腐るほどある馬上戦闘の記述はぜーんぶあり得ないことを記述したと、そういいたいんかい?

さかしらぶってないでごめんなさい信長公記読んでませんくらい言いなよ

649人間七七四年2018/12/31(月) 12:31:01.68ID:wgX7J7Nc
あったことを全く書かないという情報の扱い方をする人だから逆もどうかねえ

650人間七七四年2018/12/31(月) 12:37:50.24ID:+ywxsulk
あったことをなかったと書く場合、信長のメンツにかかわるから書かないor見てないから書けないなどなどだけど
騎乗戦闘の描写を書く理由に信長のメンツがかかわると思ってるんか?
当時の常識にそって記述してるんだから戦場一度でも見ればわかるレベルの騎乗戦闘の有無で嘘書くわけないだろ

真面目に一回ろくな本読めよ

651人間七七四年2018/12/31(月) 12:52:37.81ID:wgX7J7Nc
「ろくな」はそういう時に使う言葉ではありません
人に本を読めという前に辞書を引いたらどうか

他の史料も様々確認した結果まあ信長公記の内容も間違いではないわなってことでしょ?
信長公記だからどうとか著者が太田だから信頼に値するとかそんなとらえ方できるわけない

652人間七七四年2018/12/31(月) 12:55:04.25ID:MmYm4baD
屁理屈で相手されなくなったら俺の勝ちですか

653人間七七四年2018/12/31(月) 13:01:24.44ID:wgX7J7Nc
>>652
あんた横から要らんことしか言わんなw

654人間七七四年2018/12/31(月) 13:11:43.28ID:+ywxsulk
ああそうだね、他史料からも多角的に見ないといけないね
君は雑兵物語は読んだ?甲陽軍鑑を読んだことは?龍城神社文書は?上にあげた島津家文書は?

これらに騎乗戦闘の記述があるけど、騎馬戦闘について語る癖に
太田牛一の信長公記「すら」読んだことないからバカにされてるんやで

655人間七七四年2018/12/31(月) 13:17:00.25ID:wgX7J7Nc
読んだことないというのは君の決めつけw

雑兵物語はおれの愛読書
甲陽軍鑑()も最近評価が変わってきたようだからもう一回読んだよ
残り二つは曖昧だな勉強しますよ

656人間七七四年2018/12/31(月) 13:20:49.83ID:+ywxsulk
それら読んでなお太田牛一の騎乗戦闘についての記述が嘘かもしれないっていうならおそらく国語力に問題があるから国語の勉強からした方がいいね

657人間七七四年2018/12/31(月) 13:24:55.49ID:wgX7J7Nc
「ろくな本を読め」さんに日本語について突っ込まれるいわれはない

658人間七七四年2018/12/31(月) 13:30:33.16ID:+ywxsulk
言葉尻をとらえて文句しか言えなくなってる時点で論外でしょ
まさしく君が「ろくでなし」ってことがよくわかるよ

659人間七七四年2018/12/31(月) 13:32:14.14ID:wgX7J7Nc
本人は間違いを認めるべきでしょ
細かいこと気にして論点ずらすなみたいなことは外部に言ってもらわないと

660人間七七四年2018/12/31(月) 13:39:36.38ID:+ywxsulk
へぇ、ろくなものの誤用にあくまでもつっかかるだけなのね
まぁええわ、じゃあろくという言葉の使い方間違えましたー、ごめんなさいー これでいいね

で、多角的に見たうえで騎乗戦闘の記述が腐るほどあるけど、君はその上で騎乗戦闘の有無について間違いを認める気はないの?

661人間七七四年2018/12/31(月) 13:42:09.85ID:wgX7J7Nc
ないです

662人間七七四年2018/12/31(月) 13:44:44.81ID:+ywxsulk
あっそ
じゃあ君は感情だけで否定をしてるヒステリックなやつか、史料を読んでも理解する脳みそが伴ってない人間ってわけだ

663人間七七四年2018/12/31(月) 13:48:20.21ID:wgX7J7Nc
こんな短い実のない会話の中で誰かの考え方が変わると思うほうがおかしい
修正するなら何年もかけて自分でするわ

664人間七七四年2018/12/31(月) 13:53:06.41ID:+ywxsulk
考えが変わるどうこうの話じゃないよね
君が主張した騎乗戦闘の存在否定に対して、騎乗戦闘の記述こんなにあるよとわざわざ証明してあげたんだから
ありがとうございます、今後はヒステリックに否定するんじゃなく最低限史料読んで理解できる脳みそ伴ってから主張をします、程度のことを言わなきゃいかんのやで

665人間七七四年2018/12/31(月) 13:56:02.55ID:wgX7J7Nc
あんたの論じ方では誰も説得されないよ
テレビでやってる都市伝説番組のプレゼンよりひどい

バカな俺を論破したつもりだったんだろうけどごめんね

666人間七七四年2018/12/31(月) 13:59:49.63ID:+ywxsulk
負けを認めなきゃ負けじゃない論法出してる時点で君がいかに討論したことすらないのかがわかるよ

君を説得したいわけですらない、君の論は穴だらけで論とも呼べないものだと主張してるだけだよ
そこを認められる度量があるかどうかは君の問題だからそこまでエスコートしろと言われても甘ったれるなとしか言いようがない

667人間七七四年2018/12/31(月) 14:02:10.78ID:wgX7J7Nc
「ごめんなさいー」の段階でもう終わってるんだよ君はw

668人間七七四年2018/12/31(月) 14:04:11.33ID:wgX7J7Nc
ありがとうございますって言わせたかったんでしょ?
説得したいわけじゃないとか言ってるけどさあ
俺が君の言い分を認めなきゃ感謝は出ないもんねえ

669人間七七四年2018/12/31(月) 14:06:24.08ID:+ywxsulk
何が?
お前さんろくなものの使用が違うって点で謝らせたんでしょ?
まさか君どの部分に対して謝ってるのかすらわからないオツムの人間なの?
あるいは一つの事について謝ったらすべての主張が間違ってたことになると思い込んでるの?

そりゃあいくら史料読んでも内容理解できてないはずだわ
完全に国語がわかってないんだもの

670人間七七四年2018/12/31(月) 14:09:07.81ID:wgX7J7Nc
君は最初から最後まで物事の決めつけが凄いね
さすがだよねw

671人間七七四年2018/12/31(月) 14:16:18.94ID:+ywxsulk
まぁこれ以上言ってもそもそも理解できる知性も知恵もないようだからこれで切り上げるけど
君のちっぽけなプライドか何かが邪魔をして負け惜しみを続けてるけど、とてつもなくみじめなものを第三者が見られるネットに垂れ流してるんだからやめた方がいいよ
素直にありがとうって言っとけば度量の大きさも見せつけられたろうに

672人間七七四年2018/12/31(月) 14:18:25.99ID:wgX7J7Nc
自分自身は度量が大きいおつもりなんでしょうけど
そういう方が絶対に言わないことを書き続けてたんだよ今日君はずっと

ばいばい
良いお年を

673人間七七四年2018/12/31(月) 14:34:23.47ID:MmYm4baD
根負けしたなお前の勝ちだ

674人間七七四年2019/01/01(火) 15:34:42.17ID:nKctVrQY
新年あけましておめでとうございます

675人間七七四年2019/06/11(火) 20:50:47.39ID:XBzj8SWe
風雲!大歴史実験 木曽馬登場
https://blog.goo.ne.jp/fukurou/e/eb341dce649b2f975b79e7108f278a92

駈歩では1kmにも満たない距離で馬がストライキを起こしてしまう…が結論みたい

676人間七七四年2019/06/12(水) 05:04:14.45ID:zdeJXNaP
根性ねえな。モンゴルの馬なら死ぬまで走るぞ。
つか、死ぬまで走らせたうえで実験結果にしろよ。
中止した実験の結果なんてなんの役にも立たん。

677人間七七四年2019/06/13(木) 12:14:27.23ID:Ic8c37xC
>>676
今は動物愛護団体という国人衆がいるから

678人間七七四年2019/06/14(金) 06:36:27.46ID:3GNMUCSD
馬は、瞬発力系の実験なら 無理なら動けない=競馬なら負ける だけなのだが
持久走系の実験をすると ストライキを起こさず何時までも走りつづけて体力を使い果たすと 倒れたまま二度と起き上がらずそのまま死んでしまう という悪癖があり
怖くて実験できない
馬が激しく首を振っている所を 愛馬心で止めずに ロボット三原則を準用して意地でも止めずに蹴り続けると 馬は死んでしまう
※蹴っても動かなければバシバシ…という騎乗を普段からしておけば 馬はどんなに疲れてきてもストライキを起こさないようになる。日頃の調教が大切
こうなったら大変だから…安全策を取って 限界が来た『事にして』止める という実験にならざるを得ない

679人間七七四年2019/06/17(月) 17:38:16.62ID:FCLwG9Ty
ムツゴロウさんがそれで大失敗したんだよな

680人間七七四年2019/08/01(木) 13:48:19.00ID:2SYa7MO2
著名な騎馬像=伊達政宗の騎馬像とか島津義弘公の騎馬像とか は 人間が身長170cm程度の常識的体格とすれば馬の方は体高1m以下のポニーというサイズバランスにできている。
騎馬像を作るとき、実物通りのサイズバランスに作ると馬ばかり大きくて人間はまるで小人で格好がつかない。
だから、あえて馬は小さく人間は大きい目に作って格好がつくようにしてある…のだと思いたい。
が、日本の馬は東日本では大きく(木曽馬程度)西日本では小さい(与那国馬だと思えば丁度良いくらい。が、もっと小さいやつも当然混ざっている)のも公知。
伊達政宗の騎馬像 のほうはともかく 島津義弘公の騎馬像 はこれが真実だったのかもしれない。馬体重の半分くらいの斤量を背負うことになる。

自分的には 大きな馬と島津義弘公の馬が並んでいれば島津義弘公の馬の方を選んでしまいたいような気分になる。
小さい馬は、遊園地の子供用ゴーカートに大人が乗るようなもの。窮屈は否めないが乗ること自体に支障はない。
※普通の乗馬だと騎手は前脚と後脚の真ん中よりだいぶ前にお尻を降ろす。が、子供用ポニーサイズの馬に無理に大人が乗ると寸足らずだから前脚と後脚の丁度真ん中とか若干後ろ目の位置にお尻を降ろすことになる。
大人が乗って重い分だけアクセルを強く踏めばよい。馬はゴーカートと違って生き物だからそんな精神では可哀そう…と思う人も多いが、その反対語のような考え方をする人も少なくない。

が、そんな考えではよくない。 
馬がどの程度までの斤量を背負う事が出来るかの研究は良く行われている。駄載(荷物を積んで常歩)なら馬体重の半分くらいまで。が、駈歩外乗みたいな運動状態なら馬体重の4分の1くらいまでが無理のない限界・・・程度に落ち着くみたい。
木曽馬(300kg以上)だと普通の体重の人の駈歩外乗には支障がないが、甲冑武者が乗るのは限界近い。
与那国馬(200kg程度)では、普通の体重の人の駈歩外乗ですら無理がある。甲冑武者なんて無理々。

681人間七七四年2019/08/01(木) 20:46:13.59ID:1nnJoiyc
騎馬像はどっちも木曽馬(130cm)以上のサイズはありそうだけどなぁ
島津のほうは推測しづらいポーズだから微妙だけど少なくとも伊達の方はしっかり当時の普通の馬サイズな気がする
https://yaplog.jp/cv/sendai_kaze/img/506/z-59_p.jpg

682人間七七四年2019/08/02(金) 11:49:24.54ID:vQ0BpI0o
島津は洋種(アラブ?)との交配で小さい方にばかり出て失敗、改良を諦めたとか昔ネットで書かれていたけど本当なのかな

683人間七七四年2019/08/02(金) 21:23:11.29ID:FK50FDJM
島津義弘公の騎馬像とか
皇居外苑にある楠木正成の騎馬像とかは
椅子座りみたいに膝をほぼ直角に曲げて乗っている(普通の乗馬はどちらかというと立ち乗りに近い姿勢で乗っている)にも拘らず足が馬のお腹の下に出ている
よほど小さい馬でなければこうはならない。与那国馬サイズなら 立ち乗りに近いような乗り方なら大人が乗れば足が馬のお腹の下に出るが、さすがに椅子座り姿勢では出ない。ということは、この馬は与那国馬未満…
これ(この騎馬像)が実話だっらら怖い・・・という事みたいですな

伊達政宗の騎馬像も紙一重であることは否めないが…

684人間七七四年2019/08/14(水) 20:53:05.72ID:+s2tzgJC
逃げ弾正が書いた武具要説には騎馬戦術に関する記載があるしな。
紛れも無い当時の史料といえるだろう。

685人間七七四年2019/10/14(月) 13:14:23.11ID:Ic5ERAwG
>木曽馬(300kg以上)だと普通の体重の人の駈歩外乗には支障がないが、甲冑武者が乗るのは限界近い。

じゃあ同サイズの蒙古馬も重騎兵運用は無理なわけか

686人間七七四年2019/10/14(月) 15:51:19.74ID:dkZU7GP7
なんかツイッターで大鎧着て木曽馬で騎射してる動画あったなぁ
30キロ出てたと
むしろ普段着の場合は木曽馬くん手を抜いて遅いとも

687人間七七四年2019/10/14(月) 23:49:39.09ID:Px02AmXd
朝青龍とか現役の時もモンゴル帰った時はしょっちゅう馬乗ってた気がする

688人間七七四年2019/10/15(火) 00:21:29.12ID:yLGF6TdE
>>687
朝青龍がモンゴル馬に乗ってる画像、ほんと雑コラかってくらいアンバランスで凄いよね
あれでも楽々走るし馬はすげぇわ

689人間七七四年2019/10/15(火) 18:19:28.91ID:AIb78EBb
そもそも日本には騎馬突撃なんてやる盆地が殆どない定期
モンゴルの騎馬はなんもない広大な平野を生かすためのもんで
日本とは真逆

690人間七七四年2019/10/15(火) 18:53:30.26ID:yLGF6TdE
歩兵が突撃できる広さがあれば馬も走れるくね

何が定期なんだか知らんけど

691人間七七四年2019/10/15(火) 18:54:13.52ID:yqN5noZI
なん十キロ騎馬突撃させる気なのかと

692人間七七四年2019/10/15(火) 22:58:25.41ID:AIb78EBb
そもそも戦国時代の野戦は数えるほどしかない定期
歩兵が突撃できる広さがあれば〜とかおめでたい頭してるなw
例えば、武田の騎馬隊が最強なら、相手はワザワザ騎馬を展開できる平野を選ぶと思う?

戦国時代の戦争なんて、城攻めと砦の潰し合いなんだよ
なんでかって言っていったら、野戦するほど敵地が離れていなくて兵タンも必要なかった
野戦っていうのは兵タンを確保するためのもんでもあるんだよ
つまりここを絶てば戦争にならんわけね
残念ながら日本は狭くて兵タンを潰すとかという戦略が殆ど必要なかった

693人間七七四年2019/10/15(火) 23:01:21.87ID:yqN5noZI
何が定期なんだろう

694人間七七四年2019/10/15(火) 23:08:40.75ID:yLGF6TdE
それこそ城の構造の名称の一つにまんま馬出ってあるしなぁ

695人間七七四年2019/10/15(火) 23:10:16.01ID:yLGF6TdE
なぜ城側が相手追い散らすを想定しないで
平野で決戦って認識しかしてないんだろう

あと普通に口悪くて不愉快

696人間七七四年2019/10/15(火) 23:22:30.54ID:AIb78EBb
あとアフィブログのネタで話すの嫌だけど
野戦で死んだのは龍造寺のデブと今川義元だけという
つまり野戦自体が特別で珍しいビッグイベントだったと
戦国大名は野戦を重点的に強化する必要性がなかった

697人間七七四年2019/10/15(火) 23:38:17.91ID:yLGF6TdE
城側が打って出る・後詰が到着する・渡河中攻撃などなど
別段野戦と攻城って必ずはっきり分かれるもんでもなく
攻城中に打って出れば野戦のようになるし、逆に出てきた相手殴り倒せばそのまま攻城になるし

698人間七七四年2019/10/15(火) 23:55:27.07ID:jlSGeFey
野戦で死ぬ総大将が少ない=野戦が少ないを証明できるもんでもなく
野戦でやられたら普通は比較的安全な後方にいることの多い大将は城に逃げて再起をはかるとかの話で

というか閉所での殴り合いしか想定しないなら長槍も生まれないし

699人間七七四年2019/10/16(水) 00:04:17.07ID:voFVsIG7
>>696
さすがにこれは荒らしにくるにしてももう少し知識を入れてからきてくれ

700人間七七四年2019/10/16(水) 02:07:47.17ID:1xwnjIoN
そもそも知識つけろとか、おまえ何者なんだよw
戦国の騎馬を否定してる歴史家に対抗できる知識があるのかと?w

日本で騎馬の実用性が乏しいとか、別におかしな話じゃないだろに
野戦が少ないのとか見れば明白なのに、なんで認めようとしないのやら
中国やらモンゴルやら欧州と同じように考えているよね
日本の写真地図みてみ?殆ど山やで

701人間七七四年2019/10/16(水) 02:36:25.39ID:7RV0wwLx
馬出の事を知らないで騎馬の突撃を中国やモンゴルのような広大な平原でしかできないと思ってるのが一点
野戦と攻城は必ず別個になるものだと考えて、かつ野戦の事例も長槍や備の存在も調べれば出てくるのに無視してるのが一点

知らないのは恥ずかしいことでもないし意見が分かれるってのも恥ずかしいことでもない
だけど指摘を聞かない、意見が違う他人をバカにし続けるってのは恥ずかしい態度だよ

もしちゃんと論じたいと思うのなら、それに相応しい態度をしてください
いまの態度のままで何を言われても不愉快だし応答したくない

702人間七七四年2019/10/16(水) 02:57:16.51ID:1xwnjIoN
日本の山地で騎馬突撃できると思いこいでいる漫画脳なのが一点

槍を持った騎馬武者がモンゴルみたいに突撃できると思っているのが一点

城にも騎馬突撃かまそうしているので一点

野戦が多いと思い込んでいるいるのが一点

野戦が0だと主張していると思い込んでいるで一点

信長の野望や大河の騎馬武者で想定しているのが一点

これが騎馬武者の実像と思いこんでいるのが一点

せめて信長の野望や大河の騎馬を肯定できる材料を揃えてきてから反論してね

703人間七七四年2019/10/16(水) 03:02:23.35ID:7RV0wwLx
話も聞く事もできない、他人をバカにし続ける最低な人間であることを選ぶのですね
非常に残念です 二度と関わり合いにならない事を心より祈ります

704人間七七四年2019/10/16(水) 03:03:38.58ID:1xwnjIoN
この人って単純に騎馬は集めるのに苦労するから足軽や長槍隊より強いって思い込んでいるよねw
中国やモンゴルは、その立地の条件で騎馬が有効だから発展したんだよね
日本も同じように騎馬武者が運用できると思い込んでいるのが笑える

705人間七七四年2019/10/16(水) 03:25:25.51ID:5Rki3WUI
馬出の話からしても想定される騎兵突撃はノブヤボや大河みたいな大規模の突撃じゃなく
町なかでのデモ隊鎮圧なんかで見られる小規模騎馬突撃やろ
っていうか城に騎兵突撃する話じゃなく城側が寄せ手に騎兵突撃する話やし

まさしくノブヤボや大河の突撃勝手に想定してんのお前やん
知識も理解も足りてないから余計に恥上塗りしとるで

706人間七七四年2019/10/16(水) 03:40:18.16ID:1xwnjIoN
>>705
いやw
どう見てもノブヤボや大河の騎馬武者を否定されて発狂してるよね
なんで嘘つくの?
あんたら武田の騎馬突撃を信じているんでしょ?
いまさらこれはないは卑怯だぞ

あと城側が寄手を騎馬で追撃するのは普通っていうか当たり前
むしろ戦国の騎馬武者の実像運用は宣伝部隊
つまり勝敗が決した後、勝者が勝利の宣伝もかねて敗走する敵軍に追い討ちを掛けるのが騎馬武者の仕事でしょう
こうやって敗走した敵が地元に戻って敵の恐ろしさを宣伝する
高価な騎馬を使い捨てのような運用じゃなくて限定的だったと

てかなんでID変えるの?

707人間七七四年2019/10/16(水) 07:33:32.39ID:7RV0wwLx
関わり合いになりたくもないと思っていたが、人をバカにするのも大概にしろ
私は最初から馬出の話やなぜあなたが城側が相手追い散らすを想定しないのかと疑問をなげかけるなど、城側から騎馬突撃をかける話をしているだろ、どこに城めがけて騎馬突撃かけるなんて記述したよ
盆地が殆どないだとか言い出して騎馬突撃自体を否定しておいて、それこそ今更何を言い出すんだ卑怯者と言いたいですわ
そのあとに別口で戦国時代に野戦を重視していないだとか数えるほどしかないだとか輪をかけておかしなこと言い出したから、別の人が長槍をそして私は備の話をだしてるんでしょうが
ご自身の読解力のなさと思い込みの激しさをこっちのせいにするな、指摘を一切聞けてないあなたが唯々おかしいだけだろ、どこに私が大河や野望みたいな突撃してたなんて書いた箇所がある?

ましてや追撃を勝敗が決したあとだと?
勿論勝敗が決した後も騎馬は有用だろうが、騎馬に損害の出にくい相手の弱い所や弱った所へ騎馬突撃をかけて勝敗を決定づけるのが古今東西騎馬突撃の本分
真正面から整列した歩兵に突撃かけることのできる騎馬なんて世界見渡してもフサリア程度しかいないわ
相手の弱点をつくために数箇所馬出を設けて一か所に攻め寄せられれば敵の別口をつけるようにしてるんだろ
あなたの言う高価な騎馬を貴重な合戦用の費用から割いて宣伝にしか使わないほど戦国期の大将は道楽じゃないし、本当に威力がないものにおびえ倒すほど兵士だってバカじゃないわ
徳川の長篠前の書状に武田が馬一筋に入ってくるから柵を用意しろなんて記述も、まさしく騎馬の突撃が脅威だから注意してるんでしょうに

そして自分と意見の違う人間をみんなIDを変えてる同一人物だと思い込むな、あなたがおかしなこと言ってるから数人から指摘うけてるんでしょ
最低限度相手の話を理解してから物を書け、それすらできないのに人に迷惑をかけるな 論以前の問題だわ

708人間七七四年2019/10/16(水) 10:33:30.75ID:s1uhxygT
騎馬武者の突撃はあっただろ
ただ下人が回りを囲んでるだけで

709人間七七四年2019/10/17(木) 23:58:53.07ID:Fasg79oz
>>707
まあ鈴木真哉の本読んで信じてるだけの子と話してもどうしようもないよ
思考停止して信仰してる本の内容を復唱してるだけの人と議論はできない

710人間七七四年2019/10/18(金) 09:27:43.61ID:xCrWTacO
狭い切り通し周辺の合戦でだって馬を入れて乗り崩すこともあると史料を見れば書いてありますね

『野口豊前守戦功覚書写』
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、

711人間七七四年2019/10/18(金) 09:29:40.99ID:xCrWTacO
多賀谷家臣野口豊前守が戦功覚書で申告する騎乗戦闘

『野口豊前守戦功覚書写』
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事

・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、

・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、

・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、

712人間七七四年2019/10/18(金) 11:22:56.72ID:O9VS1i2X
ヨーロッパでも歩兵戦が主流で騎馬戦は中央アジアがメインだったしな。
貴重品すぎて馬を主力戦力として使おうという発想に中々ならない。

713人間七七四年2019/10/18(金) 11:37:20.85ID:5Asm6LDT
どこのヨーロッパかな

714人間七七四年2019/10/18(金) 11:43:20.31ID:cbWDvl+e
元亀年間生まれの柳生宗矩の伝書から
騎乗で使う槍は自分は槍をしっかり持ち馬を走らせる勢いで突くのが重要であるとしている

『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。

・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。

・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。

・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。

・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、
馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。

・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、
みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらを
すかし、すみのくらにてきりたるよし。

715人間七七四年2019/10/18(金) 11:45:54.67ID:cbWDvl+e
桶狭間合戦の真相を探る際に鈴木眞哉氏も最重要視する史料である「信長公記」から

「信長公記」
・西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、
一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。

・三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。

716人間七七四年2019/10/18(金) 11:53:35.60ID:j4FqhdLy
太刀、というか日本刀という反りの入った刀なんてまんま馬上戦闘用に生まれたもの
その後徒歩戦闘時に使いやすいよう反りが緩くなるだけで

むしろ騎馬戦闘国家だった日本が徒歩戦闘主体になっていく過程が戦国時代で、衰退期ではあるけどないと言い張るのは極論

717人間七七四年2019/10/18(金) 12:54:24.36ID:WUPBTX12
日本に山間部が多いとは言ったって別にそこでばかり戦う必要もないしな
実際に○○原の合戦や○○河原の合戦は多い

718人間七七四年2019/10/18(金) 15:00:53.83ID:MIKK7+3H
律令時代含め騎射が上級兵士の表芸だった時代が長いことすら知らないんだろうな

719人間七七四年2019/10/18(金) 23:43:07.10ID:K0sKSNUj
>>718
それ、一騎討ちの時代の話
大鎧とかみてみ、弓を引く方の腕はなにも着けないんだよ
つまり弓の撃ち合いの為の防具なんだよ

ほんでこの時代の戦争は少数精鋭。源平でも多くて数千の規模なんだよね
つまり1軍は100もいなくて、せいぜい30の騎馬武者とお供が護衛した
そして、まず両軍睨み合ってお互いに弓を撃つ、そして薙刀を持ってトドメを刺しに行く
あと薙刀は正面の攻撃に不向き。つまり横から凪ぎ払う武器なわけで
集団戦で使えないわけね。横にいる味方に当たって使い物にならん
つまりこの時代を見て騎馬隊がーとかアホ。少しは勉強してから来てね

720人間七七四年2019/10/18(金) 23:53:14.09ID:K0sKSNUj
個人戦から足軽主体の集団戦に変化して槍が主流になっていくのに
ここの人たちは何を妄想しているんでしょうw
騎馬を捨てたから戦国時代に発展したんだよ
そもそも鎧の変化でわかるでしょうに
集団戦には騎馬武者は邪魔なんだよ

721人間七七四年2019/10/18(金) 23:59:21.92ID:j4FqhdLy
結局衰退の理由にはなれど途絶したや存在しないの説明に一切なってないよね

というか戦功覚書なんかの記述意図的に無視してるし かなり悪質やわ

722人間七七四年2019/10/19(土) 00:01:13.99ID:4FygV4TR
答えられる指摘だけ居丈高に答えて、他の指摘一切無視して他人煽ってる時点でお察しの人すぎる

723人間七七四年2019/10/19(土) 00:49:45.31ID:kmCBbiJq
>>719
律令時代も含めって書いてあるのに見えない人か?
律令時代って一騎打ちなんかやってたの?
だいたい武士の時代の一騎打ちにしても実のところ例外的だから
逸話として記録されていた程度のことなんですけど

724人間七七四年2019/10/19(土) 00:50:51.48ID:kmCBbiJq
それで一騎打ちというのはこの右端から駆けてくる武士団みたいな戦闘方法のことですか?
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm

725人間七七四年2019/10/19(土) 02:33:41.35ID:V4eyuwTu
だから、じゃなんで大鎧がああいう弓防御の鎧だったのか?
もうねこうやって証拠として残っているの
大鎧で集団戦なんてやってたとかアホだぞ

叩ける場所で批判して他は無視とか話ならんわ
偉そうに意見するなボケ

726人間七七四年2019/10/19(土) 03:03:54.75ID:V4eyuwTu
あとね
鎌倉時代で日本の人口700万人なのね
これを明治人口と軍の最大動員から計算しても
当時の戦争の規模は源平でも両軍合わせて5000〜1万程度
つまり当時の戦争の規模は数百人単位、さらに近畿周辺と限られる
こんな小規模の戦争で騎馬隊がーとかアホなんだよ
当時の主力の武器の弓と薙刀と大鎧で当時、どういう戦いをしていたか大体分かるわけ

727人間七七四年2019/10/19(土) 04:10:04.99ID:V4eyuwTu
戦国を代表する騎馬隊を持っていたと言われる武田信玄の合戦を見ると
攻城戦が56で野戦が16
川中島も野戦みたいに見えるが城攻めで、軍の移動で小競り合いが起きた程度
4次は偶発的に起きた事故の可能性がある
この武田の野戦は対陣だけもあって、実際の野戦はさらにすくなくなる
結局、上にある戦国時代の戦争は城攻めが殆どで野戦が少ないって言うのは確かでしょう

728人間七七四年2019/10/19(土) 08:11:04.30ID:epWWKUUV
>>725
その真上に馬を走らせながら集団騎射している武士たちの姿が出ているのに
なんとも滑稽なレスだな

大鎧は騎射用であって一騎打ち()用ではないと当時の人が未来のバカに伝えているかのようだね
それとも騎射=一騎打ち戦闘ってこと?
だったらモンゴル騎兵も一騎打ちやってたってことになるな

729人間七七四年2019/10/19(土) 09:16:04.22ID:W+n/fTl+
野戦と城攻めはシームレスで行われてるし城側が迎撃を行う場所を馬出というという話も出てるのにね

櫓の上から弓や鉄砲打ってるだけが籠城じゃないって事も認識できてないみたいだし、一つ批判できたら一つ忘れる都合の宜しいオツムらしいわ

730人間七七四年2019/10/19(土) 11:53:06.69ID:7BEY6/KK
単なる物知らずではなく何度も何度も都合の悪い史料を見ないフリする時点で何がやりたいかバレバレになっちゃったね

731人間七七四年2019/10/19(土) 12:28:44.03ID:V4eyuwTu
日本の弓の構造でモンゴルみたいな騎射ができると思うのかね
だから何度も書くけど、当時の主力は弓なんだよ。これはさすがに理解できるよな
ほんで当時は槍じゃなくて個人戦で活躍する薙刀なの。薙刀で集団戦なんてできないの。
当時の戦争はお互いに弓を撃ち合って、相手が怯んだら乱戦に持ち込んで薙刀で戦う
ここの人は槍と薙刀と同じものだと思っているのかな?
薙刀は一騎討ちも有効だから、当時の武士は弓薙刀大鎧で武装したんだろ。
あと数もそうだけど、こんな鎧着て馬上で弓を撃ち合う。お前ら実際にどこまでやれるか試してみろw
結局ね、モンゴルみたいた騎射じゃなくて止まってお互い撃ち合っていた
そして相手が怯んだ突撃して薙刀で乱戦に持ち込む

>>729
頼むからちゃんと調べてから書いてね
馬出がなんなのかまったく理解していないw

732人間七七四年2019/10/19(土) 12:36:35.71ID:xU9iNC/p
めちゃくちゃだな

733人間七七四年2019/10/19(土) 12:54:27.98ID:4FygV4TR
太刀の存在完全無視おじさん

ついでに馬出を本当に理解できてるのかかなり怪しいわね、他人バカにできるほどの知識量があるのか怪しい限り

734人間七七四年2019/10/19(土) 12:58:08.32ID:V4eyuwTu
いやだから馬出の説明書けよw
ネットでググれば出てくるよ
都合の悪い説明があるから書けない?

735人間七七四年2019/10/19(土) 13:03:41.48ID:4FygV4TR
ああ、結局知らないんだ
それこそググっただけでもそれこそ出てくるのに知らないなんて恥ずかしい知識量なようで
防御拠点として用いられる場合、奪われてからキルゾーンになる場合、出撃時に無防備な味方を守りながら出撃させられる防御機構なのに

なんで馬出が東国で発達したのかもどうせ調べてないんだろうなぁ

736人間七七四年2019/10/19(土) 13:06:12.40ID:qNZc8Bjs
>>731
だからその一騎打ちというのは>>724みたいな騎馬武者集団の戦い方なんですか?
無視しないでレスしてね

737人間七七四年2019/10/19(土) 13:06:53.65ID:V4eyuwTu
はいはい頑張ってw
戦国時代の馬出の説明を全部書いてねw
都合のいい部分だけ書くなボケ

738人間七七四年2019/10/19(土) 13:07:24.59ID:4FygV4TR
ついでに戦功覚書や柳生の記述も完全無視してるのも気になりますね
都合の悪い説明があるから書けない?

739人間七七四年2019/10/19(土) 13:07:57.55ID:V4eyuwTu
>>736
無視しないで薙刀についてレスしてね

740人間七七四年2019/10/19(土) 13:09:28.68ID:4FygV4TR
あらまぁ、今度は説明が足りてないぞーで押し通す気ですか、恥ずかしい
ぜひともおたくの馬出の説明をご教授願いたいわね
それとも都合が悪いから書けないって煽ったら書いてくれるんですか?

741人間七七四年2019/10/19(土) 13:11:19.14ID:V4eyuwTu
>>724
つーかこれでなにが言いたいの?
言葉も通じない外人相手に

742人間七七四年2019/10/19(土) 13:14:02.71ID:4FygV4TR
まさしく求められてる説明が一切書けてないのに
でも他人に説明を求め続ける、書いたら説明足りてないだろー、と

小学生でももうちょいまともな言い返ししますわ

今、求められてる説明を全部出してもらってから要求してほしいもんですわ、恥知らずこれに極まれりというか

743人間七七四年2019/10/19(土) 13:14:11.29ID:V4eyuwTu
>>740
あんたも、適当に馬出持ち出してすべて説明出来ませんとかアホですか?

744人間七七四年2019/10/19(土) 13:15:25.35ID:4FygV4TR
まさしく騎馬が出撃する拠点だから馬出
さっさとオタクも責任果たしな、他人煽るしか能がないんですか?

745人間七七四年2019/10/19(土) 13:17:14.70ID:V4eyuwTu
だから、グダグダ言わずに馬出説明すべて書けよ
都合のいい部分しか書かずに、馬出がーとかアホか
過去がーとか逃げずに戦国時代の話をしてるんだとうが

746人間七七四年2019/10/19(土) 13:18:56.51ID:V4eyuwTu
>>744
だから、グダグダ言わずにここまで言うなら戦国時代の馬出の画像すべてせよw
画像見て話しましょうねw

747人間七七四年2019/10/19(土) 13:20:57.92ID:pSHLSZZr
>>731
そちらのいう「モンゴルみたいな騎射」って具体的にどういうことですか?
その場合日本の騎射との違いを教えてほしい

748人間七七四年2019/10/19(土) 13:21:23.60ID:4FygV4TR
馬出について知らなくてもお前説明が足りてないから都合のいい所だけ書いてるーって主張したら無敵論法だもんねー
自分は最後まで一切説明しない、できなくてもそれだけ言ってれば勝てるんだもんねー
ついでに、どこに過去がーって書いてあるのかな?馬出が発達するようになったのはまさしく戦国時代の話なんだけどなー

749人間七七四年2019/10/19(土) 13:23:20.37ID:V4eyuwTu
>>747
まず自分がどういうのを妄想しているか書きなさい
批判したいなら、まずどういう戦い方をしてたのか書けと

750人間七七四年2019/10/19(土) 13:24:09.67ID:V4eyuwTu
>>748
長文いらんから画像だせボケ

751人間七七四年2019/10/19(土) 13:25:15.81ID:pSHLSZZr
>>731
>当時の戦争はお互いに弓を撃ち合って、相手が怯んだら乱戦に持ち込んで薙刀で戦う

鎌倉時代後期の春日権現験記絵なんか見ても馬上で弓を使う騎馬武者が
次に接近戦に持ち込もうというときに使うのは太刀だろ
脇に弓をはさんで抜刀しようとする騎馬武者がはっきり描かれているよ

一方で薙刀や熊手みたいな長物は弓との組み合わせではなく最初からそれ専用で戦うしかない

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287490/12

752人間七七四年2019/10/19(土) 13:25:40.81ID:V4eyuwTu
まず14時までな
はよ画像出して話しようや

753人間七七四年2019/10/19(土) 13:27:10.03ID:pSHLSZZr
>>749
批判も何も>>724の蒙古襲来絵詞の集団騎射についてそちらにコメントしてもらわないと
なんとも言えないんだけど
>>724はそちらにとって「一騎打ち」に見えるんですか?
モンゴルの騎射とどう違うんですか?

754人間七七四年2019/10/19(土) 13:27:10.74ID:4FygV4TR
少なくとも証明責任は
主張した側が出すのが鉄板だよね
で、馬出に関しては説明したけど、なぜか説明が足りないと言い出した以上
足りてないとされる説明は君がせんといかんわな

755人間七七四年2019/10/19(土) 13:28:34.11ID:V4eyuwTu
>>751
あのさ太刀を使っている時点で集団戦なんてしていないのw
だから薙刀という凄く便利な武器があるのになぜ無視する

756人間七七四年2019/10/19(土) 13:29:26.36ID:V4eyuwTu
>>754
馬出なんて持ち出したのお前だろw
小学生かよw

757人間七七四年2019/10/19(土) 13:31:19.59ID:4FygV4TR
まさか証明責任も知らないで論語ろうとしてるんですか?
まさしくお前みたいな一方的に証明を相手にさせるだけで自分は何一つ証明しない小学生並のオツムのやつが無敵論法しださないように作られたルールなんですわ

758人間七七四年2019/10/19(土) 13:31:28.48ID:V4eyuwTu
>>753
だからこの画像が一騎討ちなの?
騎馬武者は一人しかいないけどw
モンゴルも日本も弓の一騎討ちあるよ

759人間七七四年2019/10/19(土) 13:34:36.71ID:V4eyuwTu
>>757
一方的とかw
なんで俺がお前のためにすべてやってあげなきゃいけないw

760人間七七四年2019/10/19(土) 13:36:31.80ID:4FygV4TR
求めたものを説明したら足りないとか言い出したからだろ
今更何都合のいいこと言い出してんだお前

お前が吐いた唾をお前が処理しろって言われてるだけの話

761人間七七四年2019/10/19(土) 13:37:50.68ID:4FygV4TR
ねぇ、そんでなんで戦功覚書には一切言及しないの?
都合悪いから無視しとこって魂胆なの?

762人間七七四年2019/10/19(土) 13:40:35.03ID:4FygV4TR
ついでに太刀の長さはせいぜい90cm未満
これは騎兵が突撃に使用してたサーベルなんかと殆ど長さ変わらない

どこで集団戦に向かないんですか?

763人間七七四年2019/10/19(土) 13:45:52.41ID:V4eyuwTu
おいおい馬出でダメだから今度は論功ですか?
先に説明責任があるとか言ってなかったけ?w

764人間七七四年2019/10/19(土) 13:47:49.76ID:4FygV4TR
だから早く説明をしてよ
お前が足りないと言い出した説明をお前が画像を用いて説明するんだよ

そして、戦功覚書も誰かが騎馬戦闘での証拠としてあげてくれたものだろ
お前が一番最初に書き始めた騎馬突撃なんてなかったやら、盆地がない定期とかいう恥ずかしいのから全部始まってるんじゃん

765人間七七四年2019/10/19(土) 13:50:05.75ID:4FygV4TR
お前が決めた刻限の14時まで時間がないんだけど

766人間七七四年2019/10/19(土) 13:53:23.47ID:V4eyuwTu
>>751
だから当時の騎馬武者は高貴な身分
薙刀やらの武器はお付きが持っている

薙刀自体を使っている時点で集団戦なんてやっていないわけね
薙刀は横から凪ぎ払うから集団戦には向かない

そもそもモンゴル画像みても相手が歩兵弓の槍なのに馬上太刀でどうやって戦う?

767人間七七四年2019/10/19(土) 13:55:23.36ID:V4eyuwTu
>>756
まともに馬出の説明もできない
画像も出さない
30分の時間与えたのにグダグダ言い訳して逃げる

おまえにいったになにができるんだ?w

768人間七七四年2019/10/19(土) 13:57:12.73ID:4FygV4TR
槍衾組んでる訳でもない槍持ち相手に騎馬突撃が成功しないと思ってるんか
そりゃあ世のすべての世界の騎兵の突撃は全部成功しないわな

769人間七七四年2019/10/19(土) 13:58:59.98ID:4FygV4TR
そっくりそのままお返しできることいってほんとにオツム足りてないのね
馬出の説明が足りてないと主張した以上、足りない分の補強説明をしないといけないのはあなた
じゃないと自分の説の弱いのを苦し紛れに相手の説明足りてないですーと言い訳しただけかもしれないからね
ま、この調子だとまさにその通りなんだろうね

770人間七七四年2019/10/19(土) 14:00:44.77ID:4FygV4TR
ましてや勝手に刻限決めておいてこっちが言い逃げもへったくれもないわな
刻限勝手に決めた方が言い逃げしたいんだろうなーって感じ

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