【鬼玄蕃】佐久間盛政{総合スレ}©2ch.net

1松葉浩弘 転載ダメ©2ch.net2016/08/09(火) 17:37:54.09ID:U/Are+JA
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鬼玄蕃こと佐久間盛政について語ろう。

2松葉浩弘2016/08/09(火) 17:45:51.61ID:U/Are+JA
天文23年(1554年)、 尾張国御器所(現名古屋市昭和区御器所)に生まれた。
「身長六尺」(約182センチメートル)とあり 数値の真偽は別として
かなりの巨漢であったことが窺える。
織田家臣・柴田勝家の甥。
玄蕃允を自称した。
盛政は各地の戦に参加して功績を挙げ、
その勇猛さから鬼玄蕃と呼ばれた。
叔父の柴田勝家が越前の国主になると、
盛政は寄騎として柴田勝家を支えた。
その後は加賀一向一揆や上杉家との戦いで
活躍し、信長から加賀の統治を任された。

3松葉浩弘2016/08/09(火) 17:47:15.53ID:U/Are+JA
出自

織田家臣・佐久間盛次の長男。母は柴田勝家の姉だが、異説もある。
弟に柴田勝政(※勝安)、保田安政、佐々勝之がいる。
妻は佐久間盛重の娘。
佐久間家は相模国の三浦家を祖とする鎌倉以来の名門武家。
尾張の佐久間家は尾張・三河国境周辺に所領を有し、熱田神宮と結びつきを強めて伊勢湾の流通にも関わっていた可能性が指摘されており、その利害関係から織田家に仕えて今川家や三河の国人衆と激しく争った。
また織田信長の尾張統一戦では一貫して信長に味方したので、信長から厚い信頼を寄せられた。
織田家重臣の佐久間信盛(父盛次の従兄弟)や、桶狭間の戦いで玉砕した佐久間盛重(叔父、舅)らを輩出した。

ちなみに柴田家は婚姻や養子縁組を通じて佐久間家との関係を積極的に強化していたようである。
佐久間の名字を持つ武将が多数、柴田家の家臣や寄騎として記録に残っており、また盛政の寄騎や家臣には柴田家の家臣だった人物もいた。
軍事作戦でも両家の将兵は行動を共にすることが多かった。
主君の信頼厚い名門の家に生まれた盛政は、武人としての誇りと、身の丈六尺=180cm以上という巨躯を備えていた。赤ら顔で頬髭豊かな豪傑らしい容貌だったとされる。

※柴田勝政は初め勝安と名乗っていた。ただし別人説もあり、その場合は両者の事跡を区別する必要がある。

4松葉浩弘2016/08/09(火) 17:48:47.42ID:U/Are+JA
初陣〜元亀年間の活動

1568年、織田信長は将軍候補・足利義昭を奉じて上洛作戦を開始。
盛政は父に従い近江箕作城攻めで武功を挙げて初陣を飾った。
1570年4月の越前攻めでは若年ながら兵を率いて手筒山城攻めで活躍。
それ以前に父盛次は死去したか隠居して盛政が跡を継いだと考えられている。
同年6月、織田軍の主力が美濃へ引き揚げた隙に、南近江で六角家が蜂起。
柴田勝家と佐久間信盛は出陣して野州河原で六角軍に決戦を挑んだ。
盛政は、この戦いが初陣となった弟・安政と共に先駆けて敵陣へ攻め込み、大活躍した。
当時の盛政は、近江南部の国人衆を率いた柴田勝家の与力だったとされる。
一方、河内畠山家臣・保田家の養子になっていた安政は同年8月、三好家との合戦にも参加して一番槍の手柄を立てた。
1571年の比叡山攻めでは、盛政の弟で柴田勝家の養子になっていた柴田勝政が初陣で参戦。
1572年4月、織田家から離反した三好義継と松永久秀が河内国で畠山昭高を攻撃。
佐久間信盛は織田軍を率いて救援に向かい、保田安政も参戦した。
佐久間信盛と保田安政は同年11月の三方ヶ原の合戦にも参戦した。
1573年、将軍足利義昭が挙兵して織田家と対決した槇島合戦が始まった。
盛政は柴田勝家に従い参戦して柴田勝政と先陣争いをした。
同じく保田安政は佐久間信盛・信勝父子に従い、真先に川を渡って佐久間勢を先導した。
さらに敗北した足利義昭を匿った三好義継を佐久間信盛が攻撃。
保田安政は佐久間信盛に従い河内国若江城へ攻め込み、三好義継を自害に追い込んだ。
元亀年間は信長が朝倉・浅井・六角・三好・武田・延暦寺・本願寺・将軍家と敵対して存亡の危機に立たされた時期であり、窮地の中で獅子奮迅の働きをした佐久間兄弟を信長は激賞した。

5松葉浩弘2016/08/09(火) 17:58:24.72ID:U/Are+JA
天正元年〜一向一揆との戦い

信長包囲網が消滅した後も、織田家と
佐久間兄弟の苦難は続いた。
1574年1月、越前一向一揆が挙兵。
隣国加賀から援軍を得た一向一揆は
越前の織田軍を駆逐し、5月までには越前のほぼ全域を掌握した。
続いて3月には甲斐の武田勝頼が美濃へ侵攻。織田家は武田軍への対策に追われて越前を奪還できなかった。
同年4月、畿内の反織田勢力と阿波・讃岐の三好党が結集して攝津・和泉・河内で織田方の城を攻撃。
河内では前年、保田安政の主君だった守護の畠山昭高(信長派)が守護代・遊佐信教(将軍派)に謀殺されていた。
保田家は信長に救援を求め、佐久間信盛が派遣された。
保田安政は佐久間勢の先鋒として高屋城攻めに参加。この時は織田方が劣勢のまま決着はつかなかった。
しかし1575年4月に入ると織田軍は反撃して三好軍に勝利し、 三好一門は相次いで信長に降伏した。
5月には長篠の戦いで織田・徳川軍が武田軍を打ち破り、続いて美濃東部を武田家から奪還した。
後顧の憂いを絶った織田軍は同年9月、越前一向一揆を攻撃して完勝。加賀にも攻め込み南部の江沼郡・能美郡を征服した。佐久間盛政も越前攻めに参加した。
戦後、柴田勝家が越前の統治を任されると、盛政は引き続き柴田勝家の寄騎として配属された。
同僚は前田利家・佐々成政・不破光治・金森長近・簗田広正・武藤舜秀たちで、彼らはいずれも信長に重用された武将だった。
1576年5月、盛政は越前で本願寺教団と対立していた浄土真宗高田派の専修寺に対し、門徒の武装を勧める書状を送った。
同月には府中で一揆が織田家に対する反乱を起こしており、盛政たちが挙兵を予測して対策を講じていた可能性がある。
また前年には柴田勝家も専修寺に武装を指示した。他方で徴税の一環として武器を納めるよう劔神社に命令した。
当時の越前は、滅亡した朝倉家を慕う領民たちが反織田家の活動を行うために改宗して一向一揆に参加するなど不穏な情勢が続いていた。
大規模な反乱に備えて柴田勝家や盛政たちは軍備の充実を急いでいたようである。
また朝倉家の残党は加賀一向一揆に合流し、柴田勝家が率いる北陸方面軍と戦い続けることになる。
同月、畿内では保田安政が石山本願寺攻めに参加。苦戦の末に強敵・雑賀衆を敗走させた。
11月、加賀・越前の一向一揆が挙兵。
織田家の梁田広正が守る加賀大聖寺城など
を攻撃した。
梁田は善戦して敵を撃退したが、すぐに
加賀の国中の一揆が挙兵して大軍で押し寄せた。
盛政は柴田勝家の指示で援軍として駆けつけ、一揆に奪われた城砦を奪還。
この戦いでは柴田勝政とその軍勢も奮闘して
敵を多数討ち取った。
戦後、加賀の旗頭だった梁田とその寄騎たちは尾張に呼び戻された。
一方、佐久間盛政は大聖寺城の支城である日谷城に駐留し、次いで大聖寺城に移った。
この異動により盛政は梁田の後任として加賀の旗頭に据えられたとみられる。
※尾張へ戻った梁田は、織田家当主となった織田信忠(信長の嫡男)に仕えた。
 梁田は元々信長の馬廻り衆(親衛隊)だったので、加賀からの退去は左遷ではなかった可能性もある。
 柴田勝家の与力で信長の馬廻り衆だった前田利家や佐々成政たちはその後も畿内の合戦に頻繁に動員された。同じ与力でも加賀攻略に専念した盛政とは違い、前田利家たちは信長の戦に参加するのが主任務だったのだろう。
盛政は馬廻りを経験しなかったことから消去法で梁田の後任に選ばれたのかもしれない。 勿論盛政が信長から期待されたからこその
人事だった。
長から期待されたからこその人事だった。

6松葉浩弘2016/08/09(火) 18:02:48.89ID:U/Are+JA
加賀平定戦

加賀へ移った佐久間盛政は織田方の城砦を改修して守りを固める一方、諸将と協力して一向一揆の城砦を攻略していった。
この頃には旧国主・富樫家の遺臣や寺社、一向一揆から離れた国人衆や僧侶が合流し、能登国を治めた畠山家との同盟交渉も進展するなど織田家が優勢になっていた。

当時の北陸地方では、一向一揆と越後の上杉謙信が抗争を続けていた。
織田軍が快進撃を続けた1575年、将軍足利義昭や武田勝頼、石山本願寺が北陸の一向一揆と上杉家の仲裁を行った。
翌年に一向一揆と上杉家の同盟が成立。上杉謙信は、一向一揆の背後を脅かす越中・能登の親織田派への攻撃を開始した。
上杉軍は加賀にも攻め込み、敵対していた現地の国人衆に力ずくで同盟を認めさせた。
翌1577年、畠山家も上杉軍の攻撃を受け、七尾城に籠城して織田家へ救援を要請した。
しかし加賀北部は一向一揆の勢力圏だったので、織田軍が通行できる状況ではなかった。
同年9月、手取川の戦いが行われた。 規模や戦闘が実際に行われたかどうかも不明な点が多いが、いずれにしても上杉軍の作戦により織田家は越中・能登の協力者を失った。
七尾城も陥落し、畠山家の家中の親織田派は粛清された。

当時の佐久間盛政は、織田軍と一向一揆が奪い合っていた御幸塚砦を確保して大規模な改修を行った。
御幸塚砦は加賀国小松の近くにあり、北国街道を押さえる加賀中部の重要拠点だった。 上杉軍や一揆の軍勢が南下したら必ず襲撃しただろう拠点である。
盛政はこの砦に駐留して、加賀一向一揆の大将格だった若林長門守と対峙した。
その間に織田家の北陸方面軍は加賀南部の完全制圧を目指して行動した。

同1577年冬頃、加賀南部の谷城を柴田勝家の一門衆・柴田義宣が包囲。
柴田義宣が戦死すると、養子の柴田勝安(佐久間盛政の弟)が領地と任務を引き継ぎ、翌年城を攻略した。
柴田勝安は以降2年に渡り現地の一揆と戦い続けて、ついに彼らを屈服させた。その後は善政を敷いたので、現地の情勢は落ち着いた。
勝安は義父を供養するために義宣寺という寺を建てさせた。
柴田勝安と柴田勝政を同一人物とする説によると、柴田勝家は養子の勝政(当時の名前は勝安)を戦死した義宣の養子にして家督を継がせた。

翌1578年、上杉謙信が死去して越後で内乱が勃発。(御館の乱)
濃尾地方の織田軍は越中に攻め込み、上杉軍を撃破して越中に拠点を確保し、北陸の友軍を支援した。
越前と加賀の織田軍は加賀北部への侵攻を開始。佐久間盛政、拝郷家嘉、徳山則秀らが活躍した。

1580年に入る頃には近畿や中国地方でも織田家が優勢になっていた。
同年3月、柴田勝家は加賀北部を制圧するために1万5千人の大軍を編成し、佐久間盛政と柴田勝政が先鋒を務めた。
盛政は畠山家の遺臣・長連龍と協力して、一揆の拠点だった加賀光徳寺などを攻め落とした。
佐久間盛政、柴田勝政、拝郷家嘉、徳山則秀、長連龍が各々兵を率いて北上。各部隊は連携して途上の一揆側の施設を襲撃、焼き討ちした。
この時、佐久間勢は山道を進んだ。加賀の国人衆を加えて、さらに一揆との戦いを通じて山岳戦に慣れていたのだろう。
佐久間勢は能登まで進撃して末森城を攻撃。敗走した敵将を追って加賀へ戻り、加賀の霊峰・白山近くにあった鳥越弘願寺を包囲した。
盛政は寺に織田家への協力を求めたが、拒否された。(敵将の引き渡しを要求したと思われる)
佐久間勢は弘願寺を焼き討ちした。
※鳥越弘願寺は、本願寺教団を黎明期から支えた寺院だった。
 末森城の守備には三河一向一揆の残党が参加していた。
 

7松葉浩弘2016/08/09(火) 18:05:30.82ID:U/Are+JA
弘願寺を焼き払った佐久間勢は南下して他の織田軍と合流し、各地を制圧した。そして加賀一向一揆最大の拠点、金沢御堂(金沢御坊、御山)の攻略に取り掛かった。
佐久間勢は御堂の周辺にあった砦を全て攻め落とし、御堂を孤立させた。
同1580年4月、盛政は調略で現地の領民を味方につけて、籠城を指揮した僧侶たちを降伏させた。
僧侶たちは御堂を佐久間勢に引き渡し、各々の寺へ帰った。
戦が終わると盛政は御堂に留まり、軍事要塞となっていた金沢御堂を金沢城と改名して改修工事を行った。
現在まで続く金沢の城下町と百間堀は、佐久間盛政が治めた時期に基礎が作られた。

加賀平定は畿内の織田軍が行った石山本願寺の包囲戦にも影響を与えた。
本願寺の法主顕如は交渉の末に石山本願寺から退去した。
しかし後継者の教如は石山本願寺で籠城を継続し、織田家に対する徹底抗戦を主張して各地の門徒に檄文を送った。
加賀では白山周辺の一揆が織田軍と戦い続けた。

同1580年6月、佐久間盛政は白山麓の鳥越城を攻略するために出陣した。鳥越城は加賀と能登を結ぶ重要拠点であり、佐久間勢が焼いた鳥越弘願寺の近くにあった。
迎撃した一揆の軍勢と佐久間勢は二度の野戦を行い、佐久間勢は惨敗して多数の死傷者を出してしまい、見かねた柴田勝家は一揆側に和睦を持ち掛けた。
一揆の軍勢の主力だった山内衆は多数の銃兵を抱えていた。山内衆は領内で鉄砲の製造を行っていたという説もある。

鳥越攻めの失敗は盛政にとって大きな痛手となったが、加賀一向一揆は織田軍を加賀から駆逐できるだけの軍事力をすでに失っていた。
翌月には北陸方面軍が能登と越中にも攻め込み、越中の織田軍と合流して順調に勢力を拡大した。

同1580年8月、石山本願寺から教如たち主戦派も退去した。
その直後に、佐久間家の出世頭だった佐久間信盛、信栄父子が織田信長から書状で弾劾されて、出奔した。
佐久間家出身で信盛の与力だった保田安政は、信長の仕打ちに落胆して居城から退去し、紀州根来に引き籠った。安政は後に北陸方面軍に加わった。
佐久間信盛の失脚は遠く加賀にいた佐久間盛政にも衝撃を与えたようで、盛政は自ら進んで屋敷で謹慎した。 だが信長はすぐに盛政を復帰させた。

同年10月、上杉家の内乱を制した上杉景勝が加賀一向一揆への支援を再開した。
このため織田家に従っていた加賀国人衆の一部が挙兵して織田家に敵対した。
現地へ派遣された佐久間盛政と柴田勝政は、勝利して反乱を鎮圧した。

翌11月、白山周辺の一揆は和睦交渉の為に代表者を加賀松任城へ送り出した。
ここで柴田勝家は一揆側の代表者を皆殺しにして、彼らの首を近江安土の信長へ送った。
事件の直後に佐久間盛政は鳥越城を攻撃し、指導者を失った一揆の軍勢を攻め崩して城を奪った。 そして捕まえた一揆勢を磔にして見せしめとした。

8松葉浩弘2016/08/09(火) 18:06:51.56ID:U/Are+JA
同時期、加賀一向一揆の指導者だった若林長門守も織田家によって殺害された。盛政が謀殺したとする史料もある。
盛政は白山周辺の他の城砦も攻め落として、加賀の征服事業を完了させた。

※織田家と石山本願寺の和睦の条件には、加賀国で織田軍と一揆の軍勢が停戦し、織田軍が占領地から撤退するすることも含まれていた。
白山一揆の指導者たちが、「多数の同朋を殺戮した冷酷非道な織田軍」の城に出向いたのは、この和睦も関係していた可能性が考えられる。
代表者たちは、一揆に参加した国人衆の権益を織田家に認め、一揆は上杉家と手を切って織田家に従う、といった落としどころを考えていたのかもしれない。
柴田勝家が一揆の代表者たちをはじめから殺害するつもりで招いたのか、あるいは交渉が決裂したために殺したのかは不明。
ただし柴田勝家はその後も加賀や能登の国人衆を呼び出して殺害することがあった。
生一本な武人だった柴田勝家にも策略家としての冷酷な一面があった。
この時期の謀殺について盛政が実際にどの程度関わっていたかは不明だが、少なくとも上司や同僚は謀略にも長けていた。

鳥越城の攻略後、同城には柴田勝家麾下の吉原次郎兵衛が、隣の二曲城には同じく毛利九郎兵衛と三戸田久次郎が駐留した。
彼らが最前線に配置されたことや佐久間家と柴田家の付き合いを考えると、佐久間盛政との関係は良好だったと思われる。
戦後、加賀平定の一番の功労者だった盛政は、織田信長から加賀北部の石川郡と河北郡に13万石の領地を与えられた。
(同郡に領地を与えられた時期や石高には異説がある)
加賀の諸将は盛政の与力となった。盛政は20代の若さで国持ち大名となり、その軍勢は以後も北陸方面軍の主力を担い続けた。

9松葉浩弘2016/08/09(火) 18:08:32.07ID:U/Are+JA
上杉家との戦い

1581年2月、柴田勝家は北陸平定の経過報告と京都で開催される馬揃えの行事に参加するために、養子の柴田勝豊を連れて上洛した。
他には柴田勝政、前田利家、佐々成政、不破光治、金森長近、原長頼、神保長住らが参加した。
北陸方面軍の主要な武将たちが離れたため、北陸方面は手薄になっていた。

※朝廷に圧力を加えるために行われたともいわれるこの時の馬揃えだが、当時の帝と織田家の関係は良好だった。 さらに後に皇位を継がれたのは、馬揃えの当時、織田家臣団が信奉した親王の御子だった。
馬揃えは威圧よりも政情安定を広く知らせる宣伝を兼ねたお祭りだったようである。
そしてこの晴れがましい催しに、盛政は参加しなかった。前年の佐久間信盛の失脚が影響したのかもしれない。

一方、北陸で織田家と対峙する上杉家は、密かに反撃の準備を進めていた。
翌3月、上杉家重臣の河田長親は越中と加賀の国人衆を扇動し、両国の織田家拠点を同時攻撃させた。
河田の挙兵から僅か三日後、加賀白山では各地から一揆の軍勢が集結して鳥越城と二曲城を包囲した。

佐久間盛政は兵を集めて現地へ急行したが、間に合わず両城は陥落。城将たちは戦死し、守備兵も尽く討ち取られるか捕虜にされてしまった。
盛政は悔んだが、落城の後だったので一旦は撤退の指示を出した。
しかし盛政は悔恨の念が強すぎたのか、引き返して一揆の軍勢と戦い、結果として大勝利を収めた。
この時の佐久間勢の戦いぶりは凄まじく、以後盛政は鬼玄蕃と呼ばれて恐れられた。

翌1582年も白山の一揆勢は挙兵したが、事前に調略を進めていた盛政は一揆を鎮圧した。
さらに徹底的な残党狩りを行い、一揆方の集落を襲撃して焼き払った。
この苛烈な作戦により、遂に加賀一向一揆は解体消滅した。
白山一揆との戦いでは、盛政の末弟で柴田一門の養子になった柴田勝之が初陣で参戦して奮闘し、織田信長から賞賛された。

同1581年には加賀・能登・越中の親上杉派や一向一揆の国人衆が集結して能登国の荒山城に籠城し、荒山合戦が始まった。
能登を治めた前田利家は救援を要請し、柴田勝家は佐久間盛政たちを派遣した。
盛政は諸将と協力して荒山城を猛攻撃したので城はすぐに陥落し、救援に駆けつけた上杉軍は何もできず撤退した。
(『佐久間軍記』に記された合戦だが、本能寺の変後に起きた荒山合戦の年代が間違えて記された可能性あり)

1582年1月、佐久間信盛が死去した。
翌2月、織田信忠が大軍を動員して武田家を滅ぼした。柴田勝之も従軍して戦功を挙げた。

同年5月、本能寺の変で織田信長、信忠父子が死去。
本能寺の変の後、柴田勝之は越中に赴いて佐々成政に仕えた。時期は不明だが成政の娘婿になり佐々の名字を名乗った。
保田安政はすでに柴田勝家に仕えていたので、佐久間兄弟は揃って北陸で再会した。

10松葉浩弘2016/08/09(火) 18:11:37.27ID:U/Are+JA
荒山合戦〜賤ヶ岳の戦い直前

本能寺の変が起きた時、北陸の織田軍は上杉家の魚津城を攻撃中で、主力は越中に展開していた。
佐久間盛政は別働隊を率いて越中松倉城を攻撃し、魚津城の救援に向かう上杉軍を足止めしていた。
魚津城を攻め落とした直後に上方の異変を知った柴田勝家は撤退を決断。盛政も城攻めを止めて従い、加賀へ引き揚げた。
また能登国の情勢が不穏になっていたので、前田利家は舟を使って急いで能登へ戻った。

柴田勝家は速やかに越前へ戻り、明智光秀と戦う準備を進めた。
勝家は柴田勝豊、柴田勝政、保田安政の軍勢を近江へ派遣し、前田利家にも出陣を促した。
しかし前田利家は能登の情勢を理由に挙げて、出陣を断った。
盛政も近江に出陣した形跡が見つかっていない。加賀の織田軍は能登の争乱に備えて待機していたのだろう。
結局北陸方面軍は柴田勝豊たちが近江北東部(羽柴秀吉の領地。明智光秀に味方した京極高次が占領していた)を制圧しただけで、織田信長の弔い合戦には参加できなかった。

山崎の戦いで羽柴秀吉が明智光秀を倒した後、尾張国清須で織田家の今後を決める清須会議が行われた。
柴田勝家は柴田勝政を伴い出席した。
会議の結果、柴田勝家は勝豊たちが明智方から奪還した近江北東部を手に入れた。だが秀吉は京都がある山城国を含めて遥かに多くの地域を治めることになり、その勢力は著しく強大化した。
そのことを危惧した柴田勝政は、秀吉を殺害するようにと柴田勝家に進言したが、勝家は同士討ちをしている場合ではないと答えて却下した。

11松葉浩弘2016/08/09(火) 18:16:50.96ID:U/Are+JA
荒山合戦〜賤ヶ岳の戦い直前

本能寺の変が起きた時、北陸の織田軍は上杉家の魚津城を攻撃中で、主力は越中に展開していた。
佐久間盛政は別働隊を率いて越中松倉城を攻撃し、魚津城の救援に向かう上杉軍を足止めしていた。
魚津城を攻め落とした直後に上方の異変を知った柴田勝家は撤退を決断。盛政も城攻めを止めて従い、加賀へ引き揚げた。
また能登国の情勢が不穏になっていたので、前田利家は舟を使って急いで能登へ戻った。

柴田勝家は速やかに越前へ戻り、明智光秀と戦う準備を進めた。
勝家は柴田勝豊、柴田勝政、保田安政の軍勢を近江へ派遣し、前田利家にも出陣を促した。
しかし前田利家は能登の情勢を理由に挙げて、出陣を断った。
盛政も近江に出陣した形跡が見つかっていない。加賀の織田軍は能登の争乱に備えて待機していたのだろう。
結局北陸方面軍は柴田勝豊たちが近江北東部(羽柴秀吉の領地。明智光秀に
味方した京極高次が占領していた)
を制圧しただけで、織田信長の弔い合戦には参加できなかった。

山崎の戦いで羽柴秀吉が明智光秀を倒した後、尾張国清須で織田家の今後を決める清須会議が行われた。
柴田勝家は柴田勝政を伴い出席した。
会議の結果、柴田勝家は勝豊たちが明智方から奪還した近江北東部を手に入れた。だが秀吉は京都がある山城国を含めて遥かに多くの地域を治めることになり、その勢力は著しく強大化した。
そのことを危惧した柴田勝政は、秀吉を殺害するようにと柴田勝家に進言したが、勝家は同士討ちをしている場合ではないと答えて却下した。

12松葉浩弘2016/08/09(火) 18:26:53.04ID:U/Are+JA
清須会議の後、能登では有力寺院の天平寺
が織田家に敵対し、越後へ亡命していた
国人衆を呼び戻して挙兵した。
天平寺は要害の石動山を本拠地とし能登の国人衆に強い影響力を及ぼした強大な組織であり、北陸で猛威を振るった一向一揆が能登国に浸透しなかったのは、天平寺の存在があったからだった。
織田信長が存命だった頃、
織田家は天平寺の寺領の大半を没収した。
また能登国人衆の温井家や三宅家などは
織田家に降ったが、彼らに恨みを持つ長連龍に攻撃されて逃亡し、故郷へ戻る機会を窺っていた。
上杉景勝は能登へ戻る国人衆に兵を貸し、さらに後詰の軍勢を派遣する準備を進めた。
反織田家の軍勢は、能登と越中の国境にある石動山と荒山に籠り、荒山では既存の砦の改修工事を始めた。
※当時の上杉家は宿敵だった北条家と和睦の交渉を進めて背後を固めていた。
上杉家が越中・能登の反織田勢力を糾合して北陸方面軍と対決するには都合の良い時期だった。
本能寺の変の直後に信長の元馬廻り衆だった前田利家が明智討伐よりも能登に留まることを選んだ事実を考えると、北陸の情勢は深刻で荒山合戦は北陸の勢力図を塗り替える可能性が
あったかもしれない。
天平寺が挙兵すると、前田利家は柴田勝家と
佐久間盛政に応援を要請した。
要請を受けた盛政からも柴田勝家に事態を報告すると共に、情勢が逼迫していたため直ちに出陣した。
盛政と拝郷家嘉は、僅か二日で兵を集めて
荒山の近くの高畠という土地に入った。
この時点で荒山の砦の工事はほとんど
進んでいなかった。
※拝郷家嘉の居城は加賀南部の大聖寺城で、
兵の召集から現地入りまで二日は驚異的な
速さになる。
おそらく盛政たちは天平寺の挙兵に備えて、
予め兵を集めていたのだろう。
盛政と拝郷は現地の人々の協力を取り付け、
荒山の砦改修の情報を知ると、直ちに出陣して荒山へ向かった。盛政は斥候を出して状況を把握すると、反乱軍の主力数千人が籠る荒山を猛攻撃した。佐久間勢の猛攻を受けて敵軍の
指導者は尽く戦死。 指揮官を失った敵軍は敗走して石動山へ向かったが、退路に回り込んだ拝郷勢に捕捉されて壊滅した。
友軍を失い孤立した石動山は前田利家が制圧して反乱を鎮圧。
上杉軍が送った援軍は間に合わず撤退した。
合戦の結果、織田家は能登と越中北部から上杉家の影響力を排除することに成功した。
その後は佐々成政と傘下の越中国人衆が独力で上杉軍を抑え込み、北陸の情勢は安定した。
※荒山合戦における佐久間盛政の働きは、
350年後に日本陸軍の戦史研究チームから
絶賛された。
『第九師団管古戦史』では、参考にした
史料群から佐久間盛政の働きについて、
・事態を想定していた。速やかに出陣した
・現地の住民を味方につけた
・戦機を見逃さなかった
・諸将とよく協力した
・手柄を前田利家に譲った
(佐久間勢が討ち取った敵将たちの首を、
盛政は前田利家に譲った。能登を安定させるためか)
等々を挙げ、盛政の采配と戦術眼を高く評価した。 その頃、中央では羽柴秀吉が清須会議の約束違反の築城を行ったり、織田信雄と滝川一益の対立を煽るなど内紛の火種を作っていた。
柴田勝家は近江長浜を統治する養子の
柴田勝豊を通じて秀吉と交渉の機会を設けて、前田利家、金森長近、不破勝光を派遣した。 一方で柴田勝家は近江と越前を結ぶ兵站基地として国境の柳ヶ瀬という土地(の中尾山)に玄蕃尾城を築かせた。
城の名前に「玄蕃」が入っていることから、
佐久間盛政が築城または
改修を行ったという説がある。
11月、柴田勝家は軍勢を近江へ派遣した。
12月、秀吉は5万の大軍を率いて長浜城を包囲。長浜城主の柴田勝豊は降伏し、
家臣団と軍勢は羽柴軍に組み込まれた。
さらに羽柴軍は江北で砦群の構築を始めた。

13人間七七四年2016/08/09(火) 18:36:37.32ID:U/Are+JA
1583年3月、秀吉の専横を憂慮した
柴田勝家は雪解けを待たず挙兵。
諸将を従えて南下した。
対する秀吉も大軍を揃えて北上した。
近江に集結した柴田軍の兵数は
2万〜4万5千、
羽柴軍は5万〜12万ほどだったとされる。
佐久間兄弟は盛政、勝政、(勝安)、安政
が賤ヶ岳の戦いに参戦した。
佐々勝之は越中に留まった。
※羽柴軍の兵数は複数の史料で10万人以上の人数が記されているが、当時の情勢でそれほどの大軍を1つの戦場に動員できたのかどうかは疑問視されている。

賤ヶ岳の戦い

柴田勝家は清洲会議以後、羽柴秀吉との対立を深め、天正11年(1583年)ついに両者は近江国余呉湖畔で対陣する。当初、両者は持久戦の構えを取っていたが、従兄弟で勝家の養子であったが秀吉側に寝返っていた
柴田勝豊の家臣が密かに盛政の陣に駆けこみ、秀吉が大垣に赴いていて留守であることを伝えた。

これにより盛政は中川清秀の砦を
急襲する作戦を勝家に提案した。
当初はこれに反対した勝家であったが、
盛政の強い要望により妥協し、
「砦を落としたらすぐ戻ること」という条件つきで承諾した。盛政の急襲作戦は見事に成功し、盛政は清秀を大岩山で討ち取り、
賤ヶ岳の戦いの緒戦を勝利に導いた。盛政はこの勝利を足がかりにして戦の勝敗を決しようと、次に羽柴秀長の陣を討つべく準備にとりかかっていた。この後、賤ヶ岳砦を守備する桑山重晴に対して「降伏して砦を明け渡すよう」命令しており、
桑山は「抵抗は致さぬが日没まで待って欲しい」と返答、賤ヶ岳砦の陥落も間近であった。

しかし、琵琶湖を渡って船で上陸した
丹羽長秀が増援として現れ、日没頃より砦から退去する筈だった桑山隊と合流して攻勢に出た為に賤ヶ岳砦の確保に失敗。この機を待っていた秀吉が、かねてから準備
していたとおり強行軍で戦場に戻ってきたため、盛政は敵中に孤立してしまった。この時、前田利家の部隊が動かなかったため、
盛政の部隊と勝家の本陣の連絡が断たれた。

結果的に勝家軍は秀吉軍に大敗し、
盛政は再起を図って加賀国に落ち延びようとした。

14松葉浩弘2016/08/09(火) 18:41:33.20ID:U/Are+JA
【賤ヶ岳の戦いの柴田軍の敗因】
『柴田合戦記』
賤ヶ岳の戦いのすぐ後に成立。著者は大村由己(秀吉の祐筆)
柴田勝豊が秀吉に降ったのは、勝豊が傲慢な佐久間盛政を嫌っていたため。
羽柴軍の砦を襲撃した盛政の活躍と雄姿を絶賛している。
奇襲作戦については、それを柴田軍の敗因
とは記していない。柴田軍が出てきたことを秀吉が喜んだ描写はあるが、あくまで堂々と決戦しようという意気込みである。
秀吉の帰還を知った柴田軍は動揺したが、総大将の柴田勝家は立派な人物だったので将兵は必死に戦い、柴田軍・羽柴軍ともに多数の戦死者が出た。
『太閤記』
成立は江戸時代初期。著者は小瀬甫庵
(前田家の家臣)
秀吉と関係ない、前田家が活躍した北陸の合戦も詳細に記述。そのおかげで荒山合戦での盛政の活躍もしっかり描写されている。
柴田勝豊が秀吉に降った理由は、
『柴田合戦記』のそれに加えて、柴田勝家が問題のある人物だったから。ただし降伏した柴田勝豊を厳しく批判もしている。
奇襲作戦の経緯として、織田信孝を救援する手立てが必要となり、山路正国が奇襲作戦を盛政に提案。盛政は賛成して柴田勝家に進言し、その際に柴田勝家から戦果を挙げたらすぐに引き揚げるよう命じられた。
盛政は大岩山、岩崎山を奪取した後、
勝家に催促されても引き上げなかった。そうしている内に秀吉が近江へ帰還した。
ただし撤退戦では奇襲部隊も柴田勝政の軍勢も奮戦したことが詳しく描写されている。
茂山に前田利家が布陣していることを頼みにして、盛政は羽柴軍に決戦を挑もうとしたが、
続々と集結する羽柴の大軍を見て北国勢の後方にいた部隊が逃げ出した。そこへ羽柴軍が総攻撃を行って勝利した。
羽柴軍に囚われた盛政の発言「勝家様の指示通りに引き上げていれば、こんなことにはならなかった。戦果を敗北で失わず、上方勢を侮らなければ〜〜」
盛政は処刑される際、顔色一つ変えず首を刎ねられた。

『太閤記』では盛政の慢心が敗北を招いたが、撤退戦での活躍や敵前逃亡した部隊の
ことも記されている。
敵前逃亡があったことについて、
『太閤記』と同時期に成立したとみられる史料の記述を並べてみる。

15人間七七四年2016/08/09(火) 18:43:50.86ID:U/Are+JA
【賤ヶ岳の戦いの柴田軍の敗因】2
『渡辺勘兵衛記』
・撤退戦で奇襲部隊は善戦。
・柴田勝政の軍勢は羽柴軍の銃撃を受けて負傷者多数、そこへ羽柴軍が攻めかかったので総崩れに。しかし尾根道の高みに2千ばかりの敵軍が布陣していたので、勝政勢は(友軍を頼みにして)そこで踏みとどまった。
・両軍は二時ほど睨み合っていたが、急に柴田方が動揺して崩れたので、羽柴軍が追撃して勝利した。
・奇襲作戦が柴田軍の敗因とは記されていない。
・『太閤記』には渡辺勘兵衛の活躍も記されており、『渡辺勘兵衛記』の方が先に成立していて小瀬甫庵が参考にしたか、渡辺勘兵衛に取材した可能性が考えられる。

16松葉浩弘2016/08/09(火) 18:45:49.64ID:U/Are+JA
【賤ヶ岳の戦いの柴田軍の敗因】3
『一柳家記』
・秀吉は夜通しで近江へ帰還。羽柴軍は翌日の午前3時頃に大岩山へ攻めかかる。
・盛政はすでに撤退を始めていたが、大軍だったので午前4時頃まで掛かった。奇襲部隊の撤退は速かった。
・北国軍(奇襲部隊か勝政勢)が雨のように矢を放ち羽柴軍を足止め。盛政は諸将の軍勢を集め、殿軍を務める軍勢を待ち、引き返して羽柴軍と戦うことを繰り返しながら撤退。羽柴軍にとって厳しい戦いだった。
・やがて盛政勢(勝政勢?)は敗北し、敵味方入り乱れて凄まじい追撃戦が行われた。
・盛政は敗北した軍勢を収容し、1万5千の軍勢を集結させて辺りで一番高い山に陣取り、決戦の構えを見せた。
・羽柴軍の先鋒部隊は負傷者が出て疲労もしていたので休息。その間に秀吉が旗本部隊を率いて到着。後続も到着して羽柴軍は大軍になった。
・決戦が始まり、まず羽柴軍から攻撃を仕掛けたが、北国軍の弓と鉄砲の射撃により羽柴軍に多数の死傷者が出た。
・藤堂高虎の手勢が北国軍と銃撃戦を行い、さらに(北国軍と羽柴軍が)接近戦をしばらく行っていると、盛政の陣地に何らかの異変があって北国軍は敗北した。
・その異変とは、馬が暴れて諸将の軍勢が驚いた、喧嘩が起きた、あるいは謀反人がいた、のいずれかである。
・羽柴軍は勝ちに乗じて追撃を行った。北国軍は敗走したが、引き返して戦い討死した者も大勢いた。
『江州余吾庄合戦覚書』
・撤退戦における奇襲部隊と勝政勢の善戦振りは、他の史料とほぼ同じ。
・盛政は事前に撤退することも想定していて、退路に部隊を置いていた。そのため撤退は上手く進んだ。
・だが(撤退を支援するために配置された)後方にいた部隊が逃走したため、敗北した。
『佐久間軍記』
・秀吉は柴田軍の陣地を見て、防戦に努めることを決めた。
・柴田勝家は佐久間盛政、中川の砦を攻め落としたらすぐに戻れと命じた。
・大岩山を占拠した後、盛政は羽柴秀長の陣を攻めるために現地に留まった。
・柴田勝政の軍勢が羽柴軍と戦ったとき、何人かが北陸方面へ逃走した。柴田勝家はその様子を見て、盛政に味方の逃走を阻止するよう指示を伝えた。
・前田利家は軍勢を率いて移動し、柴田勝政に対して「貴公の軍勢は苦戦したので、我が軍勢が替わろう」と言ったが、柴田勝政は断った。前田利家と柴田勝政の兵が喧嘩を起こした。
・佐久間七右衛門という人物が兵の逃亡を阻止しようとしたところ、騒動になった。

17松葉浩弘2016/08/09(火) 18:48:39.63ID:U/Are+JA
●賤ヶ岳の戦いにおける柴田軍の敗因は【前田利家・利長父子の撤退】でした。●

各史料で合戦の様子には差異があるものの、奇襲部隊の敗北は羽柴軍の総攻撃を受ける前の自壊から始まり、それは友軍の逃亡により生じた動揺と混乱がもたらしたものであることが分かる。
そこに戦後の事実として、
・秀吉は前田家に加賀北部の2郡を加増した。
ことも考えると、逃走した部隊とは前田利家の軍勢だったことが推測できる。
そしてこの戦線離脱が原因で、奇襲部隊そして柴田軍は敗北した。戦場から離脱しただけの金森長近は十万石も加増されたりはしなかった。
また逃亡したのが別の軍勢だったなら、前田家家臣の小瀬甫庵は『太閤記』で紛らわしい書き方はしなかっただろうし、あるいは 逃走した部隊を率いた武将の名前をはっきり記しただろう。
こうしてみると「柴田勝家が盛政に早く撤退するよう指示した」や「盛政の慢心が敗北を招いた」という記述も疑わしくなってくる。
ただし『太閤記』を読んだ当時の前田家の人々や著者の小瀬甫庵には葛藤があったかもしれない。
『太閤記』の記述だけでも、前田勢が疑われるには十分だからである。
――加賀百万石の繁栄の基礎を築いた偉大な藩祖と二代目の汚点を記すことはできない。敗因は佐久間盛政に負わせるが、盛政の活躍も記す。読者には察してほしい。
なお当時の前田家当主は三代目の前田利常で、当事者だった父と兄は故人で意見を求めることはできなかった。
また賤ヶ岳の戦いは織田家中の内紛であり、合戦当時は前田父子の行動は特に世間から咎められず、江戸時代になってから価値観の変化で問題視されるようになり各史料は曖昧に記述した、という可能性も考えられる。
賤ヶ岳の戦いにおいて、奇襲作戦が成功して秀吉が戻ってくるまでの間、つまり柴田軍が優勢だった時も、山路の他に柴田軍へ戻った武将は結局一人もいなかった。

18松葉浩弘2016/08/09(火) 19:00:16.94ID:U/Are+JA
【最期】

落ち延びる途上、盛政は越前府中付近の
中村の山中で郷民に捕らえられた。
命運の尽きたことを悟った盛政は、
自ら直接秀吉に対面したいので引き渡すよう
言った。引き渡されたとき、浅野長政に
「鬼玄蕃とも言われたあなたが、なぜ敗れて自 害しなかったのか」と愚弄されたが、
「源頼朝公は大庭景親に敗れたとき、木の洞に隠れて逃げ延び、後に大事を成したではないか」と言い返し、周囲をうならせたという。

秀吉は盛政の武勇を買って九州平定後に
肥後一国を与えるので家臣になれと強く誘った。しかし盛政は信長や勝家から受けた大恩を忘れることはできず、秀吉の好意を感謝しながらも、「生を得て秀吉殿を見れば、私はきっと貴方を討ちましょう。
いっそ死罪を申し付けて下さい」と願った。
秀吉は盛政の説得を諦め、その心情を賞賛してせめて武士の名誉である
切腹を命じたが、盛政は敗軍の将として処刑される事を望んだ。そのため、秀吉に
「願わくば、車に乗せ、縄目を受けている様を上下の者に見物させ、一条の辻より下京へ引き回されればありがたい。そうなれば秀吉殿の
威光も天下に響き渡りましょう」と述べた。秀吉はその願いを聞き届けて盛政に小袖二重を贈るが、盛政は紋柄と仕立てが気に入らず、
「死に衣装は戦場での大指物のように、思い切り目立ったほうがいい。あれこそ盛政ぞと言われて死にたい」
と大紋を染め抜いた紅色の広袖に裏は
紅梅をあしらった小袖を所望し、秀吉は
「最後まで武辺の心を忘れぬ者よ。よしよし」と語って希望通りの新小袖2組を与えた。

盛政は秀吉により京市中を車に乗せられて
引き回されたが、
その際に「年は三十、世に聞こえたる鬼玄蕃を見んと、貴賤上下馬車道によこたわり、男女ちまたに立ち並びこれを見る。
盛政睨み廻し行く」とある。
その後、宇治・槙島に連行されて同地で斬首された。享年30。
秀吉は盛政の武辺を最後まで惜しみ、
せめて武士らしく切腹させようと連行中に
密かに短刀を渡す手配もしたが、
盛政は拒否して従容と死に臨んだという。
盛政は処刑される際、顔色一つ変えず首を刎ねられた。

【辞世の句】

「世の中を廻りも果てぬ小車は
火宅の門を出づるなりけり」

19人間七七四年2016/08/09(火) 19:01:41.97ID:U/Are+JA
【後世の評価
敵からは憎まれ恐れられた盛政だが、
●優れた武将だったことは、多くの史料に記されている。
●戦場の働きだけでなく、各地の城砦の改修でも活躍
●織田家最大の敵だった本願寺教団の牙城加賀国を平定した功績
●後の天下人秀吉からも認められた力量。
と名将だったことは間違いない。
織田信長や柴田勝家からの信頼は厚く、同僚や部下とよく協力し、死後も娘や弟たちが御家再興に尽力した。 等々、人望もあったようである。】

20松葉浩弘2016/08/12(金) 13:57:58.48ID:b3yg+WMF
佐久間盛政wiki http://prt.nu/0/wiki_onigenba

21人間七七四年2016/08/12(金) 15:13:38.11ID:7ld/ZGNq
サイコパス野郎 板汚すな死ね

22人間七七四年2016/08/12(金) 15:15:27.18ID:7A9LPmnR
我を張らないで秀吉の家来になればよかったのに…とも思ったが、佐々成政と同じ命運を辿ったかもしれない

23人間七七四年2016/08/12(金) 16:25:16.87ID:8iyELpb/
>>22
我じゃなくて意地は張ってないだろ。
どうしても秀吉を赦せなかったんだろ。
織田家をないがしろにする秀吉を。

24人間七七四年2016/08/12(金) 18:03:21.29ID:8iyELpb/
荒山合戦wiki http://prt.nu/0/arayama

25人間七七四年2016/08/12(金) 21:41:33.63ID:sateqEHA
大尻ドラマ・痛快!佐久間盛政が逝く


最終回「さらば遠き日」
柴田勝家の命令を無視して羽柴方中川清秀の軍勢と戦端を開いた盛政は清秀軍を一蹴。
早速、捕らえた清秀の尻を味わっていた。
盛政「覚悟は出来たな?いくぞ!!」
清秀「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
盛政「ふんっ!ふんふんっ!!」
清秀「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
盛政「嘘を言うな!こんなに股の竿を硬くしおって!!」
盛政は己が果てると同時に清秀の首を切り落とすと
次なる獲物を求め高山右近の守る岩崎山を攻め、これも落とした。
部下「右近は城を脱出し逃走した模様です」
盛政「ええい!男色ご法度のキリシタンと犯るのを楽しみにしておったのに!!逃がすな!全軍で追撃し高山右近を捕らえるのじゃ!!」
尻狩りに夢中になっている盛政は秀吉率いる大軍が迫っていることに気付かなかった。

捕らえられた盛政は、戦後、兄とも慕った前田利家と対面した。
利家「お主が男色から足を洗い羽柴殿に忠誠を誓うなら命だけは助ける」
盛政「嫌じゃ!わしは男の尻が好きじゃ!!」
利家「お主のような猛将をこんなことで死なすのは忍びない、たのむ男色を捨ててくれ!?」
盛政「嫌じゃ!わしは男の尻が好きじゃ!!」
利家の言に耳を貸さず、秀吉への臣従を拒否した佐久間盛政は、天正11年(1583)5月京六条河原で処刑された。
享年30歳であった。

26人間七七四年2016/08/13(土) 00:12:21.83ID:2IJYML7/
>>25
変態スレないですww

27松葉浩弘2016/08/13(土) 11:57:34.76ID:RTOMV38F

28松葉浩弘2016/08/17(水) 02:18:46.44ID:6dUrJTE8

29人間七七四年2016/08/19(金) 00:05:04.23ID:6UX0jQMp

30人間七七四年2016/08/20(土) 15:15:08.47ID:a12AJShg
まあ佐久間盛政と柴田勝家は、本能寺の変で運命暗転させた面々だよな。
信長が生きていたら大大名として天寿を全うできたろうに。

31人間七七四年2016/08/21(日) 00:21:27.37ID:NxfW1L8T
>>30
一理ある。

32松葉浩弘2016/08/26(金) 20:41:10.72ID:7NZ5h+gk

33人間七七四年2016/09/07(水) 19:01:07.54ID:EDW0JKWT
>>30
佐久間盛政は叔父が柴田勝家だからな
しかも信長にも気に入られてるからな

34人間七七四年2016/09/09(金) 02:48:57.61ID:X2Cixuft
>>33
確かにな。

35人間七七四年2016/10/06(木) 20:04:19.47ID:zaf4RsO6
最近妙に佐久間某のスレ多いがスレ主は同一人物だよな。
自称子孫か何かかな?

36人間七七四年2016/10/06(木) 20:41:43.49ID:tR75Q02/
>>35
俺はこのスレしか立ててないよ。

37人間七七四年2016/10/16(日) 07:37:52.33ID:T134ue06
三戦板 戦国板 大河ドラマ板 なんJにも立ってた

38人間七七四年2017/02/07(火) 18:26:33.40ID:/MxRMniQ
>>33
同意

39人間七七四年2017/02/07(火) 19:15:14.57ID:0co7f1X9
盛政・・・・
名前からすると信盛の分家か?

40人間七七四年2017/02/08(水) 15:35:45.47ID:JMSJpdA8
>>39
盛政のほうが嫡流

41人間七七四年2017/03/07(火) 20:46:33.43ID:57WGuVTG
鬼玄蕃

42人間七七四年2017/03/16(木) 23:55:43.60ID:zVK3AdNd
佐久間玄蕃は有能中の有能

43人間七七四年2017/03/18(土) 20:53:14.38ID:RJ5jH3xb
前田利家は柴田勝家と佐久間盛政に応援を
要請した。要請を受けた盛政からも柴田勝家に事態を報告すると共に、情勢が逼迫していたため直ちに出陣した。 盛政と拝郷家嘉は、僅か二日で兵を集めて荒山の近くの高畠という土地に入った。
この時点で荒山の砦の工事はほとんど進んでいなかった。
拝郷家嘉の居城は加賀南部の大聖寺城で、兵の召集から現地入りまで二日は驚異的な速さになる。おそらく盛政たちは天平寺の挙兵に備えて、予め兵を集めていたのだろう。
盛政と拝郷は現地の人々の協力を取り付け、荒山の砦改修の情報を知ると、直ちに出陣して荒山へ向かった。盛政は斥候を出して状況を把握すると、反乱軍の主力数千人が籠る荒山を猛攻撃した。佐久間勢の猛攻を受けて敵軍の指導者は尽く戦死。 指揮官を失った敵軍は敗走した。
荒山合戦における佐久間盛政の働きは、350年後に日本陸軍の戦史研究チームから絶賛された。 『第九師団管古戦史』では、参考にした史料群から佐久間盛政の働きについて、
・事態を想定していた。
・速やかに出陣した。
・現地の住民を味方につけた。
・戦機を見逃さなかった。
・諸将とよく協力した。
・手柄を前田利家に譲った(佐久間勢が討ち取った敵将たちの首を、盛政は前田利家に譲った。能登を安定させるためか) 等々を挙げ、盛政の采配と戦術眼を高く評価した。

上記のように佐久間盛政は有能な軍略家だな。

44人間七七四年2017/03/19(日) 13:47:36.99ID:6EXAfbUp
佐久間一族は優秀なのばっかだな
信長も明智や羽柴じゃなくて佐久間一族をもっと取り立てていれば、
織田幕府を開けたと思う

45人間七七四年2017/03/19(日) 16:47:21.61ID:3KHcKPHe
>>44
それはあるな。

46人間七七四年2017/03/20(月) 20:57:09.92ID:Z+mxyE0v
鬼玄蕃

47人間七七四年2017/03/24(金) 15:10:42.50ID:AaTT77w0
玄蕃は本当に凄い

48人間七七四年2017/03/29(水) 20:29:11.03ID:Kw6R4DC4
>>47
同意

49人間七七四年2017/04/03(月) 18:30:47.10ID:BzTWeqp5
鬼玄蕃

50人間七七四年2017/04/10(月) 18:54:10.03ID:IhpOvAqO
稀代の軍略家やぞ

51人間七七四年2017/05/05(金) 21:15:30.29ID:r6psm0yV
鬼玄蕃好きw

52人間七七四年2017/05/14(日) 07:08:29.29ID:DQavsPEZ
>>51
同感や

53人間七七四年2017/05/21(日) 19:34:39.19ID:fa0n64ve
あげ

54人間七七四年2017/06/04(日) 19:28:17.23ID:oLFyVXZg
歴史学(特に戦国時代)を勉強してるから佐久間玄蕃は興味深いんだけど議論されてなくて…悲しい

55人間七七四年2017/06/04(日) 22:03:08.82ID:5sQeFJ+H
こんな負け犬無視しろ!

56人間七七四年2017/06/05(月) 01:38:32.33ID:iQ5moIcs
富田長繁知った後だとつまんない武将にしか見えないよな

57人間七七四年2017/06/05(月) 20:43:14.02ID:qlPkWPYa
あんなん人生の最後にちょっと派手に光った燃えカスみたいなもんだろ
まぁ、人生の最後に大戦犯かました誰かさんよりは余程素晴らしい人生だろうなw

58人間七七四年2017/06/05(月) 22:34:02.11ID:EaJl9mlX
>>56
富田は無能すぎやろwあの情勢で越前とるとか無理杉内

59人間七七四年2017/06/05(月) 23:34:19.67ID:CNIaeCwo
あの狂人ならやるかもしれんと思わせる、狂いっぷりがいいんやろ

60人間七七四年2017/06/06(火) 21:16:29.10ID:nm0SIW6C
ここ数か月不自然な佐久間盛政上げしてる人いるけど
金沢市が利家に続く二匹目のどじょうでも狙ってる?

61人間七七四年2017/06/06(火) 23:03:56.70ID:ROY3OZai
>>60
利家より有能だから当然

62人間七七四年2017/06/07(水) 04:11:31.90ID:sbIM+Pg+
牟田口廉也は有能!って言ってるのと変わらんな!
まぁぶっちゃけ牟田口の方が有能だけどなw

63人間七七四年2017/06/07(水) 20:12:38.86ID:oI7oL6AC
盛政が西軍や豊臣にいれば関ヶ原や大坂も勝てた?

64人間七七四年2017/06/07(水) 20:19:46.54ID:ZuxHOYkQ
>>63
それぐらい有能やぞ ぶっちゃけ真田信繁より采配卓越してる。

65人間七七四年2017/06/08(木) 00:40:11.88ID:btHZAVOU
>>63
勝手に突出して敗因作ることに関しては戦国武将トップといっても過言じゃないぞ盛政は

彼がいたら間違いなく決着が早まっただろうね

66人間七七四年2017/06/08(木) 23:57:22.12ID:kSVTW0ya
>>65
だが、しかし賤ヶ岳の戦いの敗因を作ったのは利敵行為の戦線離脱した前田利家公である。

67人間七七四年2017/06/09(金) 01:41:12.90ID:GP3PQQon
利家が悪いっていっても糞玄蕃の罪が消える訳じゃないぞw

68人間七七四年2017/06/09(金) 14:41:19.28ID:zoTHR4Re
ゴミ玄蕃が勝手に突っ込むんだからやってられないでしょ
利家は被害者側だわかわいそうに

ソースは利家とまつ

69人間七七四年2017/06/10(土) 16:09:53.16ID:DFXpHWSB
>>68
>>67
だが、しかし大河ドラマをソースにしてる無能に説得力なしw

70人間七七四年2017/06/10(土) 16:52:08.29ID:hR65nGFA
あの信長の野望にも武将説明欄で「賤ヶ岳の敗因を作った」と明記されているんだから
それでいて責任を利家公に擦り付けるとは見苦しいw

71人間七七四年2017/06/10(土) 16:52:44.16ID:hR65nGFA
見苦しいのは晒された首だけにしておきたまえ

72人間七七四年2017/06/10(土) 16:56:29.96ID:DFXpHWSB
>>71
>>70
だが、しかしゲームをソースにしてる無能に説得力なし

73人間七七四年2017/06/10(土) 18:09:02.91ID:UNpKAtac
突出して先遣部隊と戦ったのは確かだろ
長秀の援軍がきて奇襲失敗した時点で退けばまだ優勢に戦えたかもしれん

数で勝る羽柴軍引き連れてきて混戦になれば、話が違うと思いたくもなる

74人間七七四年2017/06/10(土) 18:46:13.29ID:hR65nGFA
>>63
盛政が東軍にいれば西軍は勝てただろうね
鬼玄蕃は福島も井伊直政も抜いて一番に槍を付けにいくだろう

75人間七七四年2017/06/10(土) 22:40:27.55ID:QmemD0zi
>>73
奇襲は成功してるんだよな…中川清秀討ち取ってるし

76人間七七四年2017/06/10(土) 22:41:27.93ID:QmemD0zi
>>74
なんか回りくどい…

77人間七七四年2017/06/10(土) 23:30:15.22ID:hR65nGFA
>>75
無事帰るまでが奇襲だからな
あるいは完全に制圧するか

結果からすると中川とかいう小物に釣られて逆に秀吉にボコされるというオマヌケな話だわ

78人間七七四年2017/06/11(日) 02:16:28.98ID:v4zop1Ak
>>77
あれがなければ利家の敵前逃亡は無かったのかな

79人間七七四年2017/06/11(日) 13:40:30.39ID:wUBr2qfo
柴田軍は羽柴軍より数が少ないから、信孝や一益を使って戦力を分散させた後、撃破するしかない。
上手くいけば、両軍同数程度の合戦に持ち込めるのだからこの判断は当然だろう。

状況優勢になったので、玄蕃に急襲させる。この判断は間違いじゃない。
しかし、撤退せずに留まったのは完全に戦犯行為。

もはや急襲にも奇襲にもならない部隊が、戦線に突起部をかってに作り、挙句逆襲されて敗走。
これで勝家側の戦略構想は完全に破綻し、数的劣勢を抱えたままなし崩し的に開戦する事となった。

まぁこうなったら利家じゃなくてもやる気なくなるでしょ

80人間七七四年2017/06/11(日) 14:03:32.87ID:FwcfbK+K
>>75
中川なんて討っただけで大勢に影響ないレベルだろ、砦を潰してからすぐに言い付け通りに戻ればたとえ後に負けたとしても人事を尽くしたといえるが、突出したまま孤立した事で悪い意味で山を動かした事になりあえなく総崩れの 敗走とか最大のミスだろ

81人間七七四年2017/06/11(日) 15:05:23.40ID:izWZ2C5u
中央を押さえられた上に自国は雪国、兵数、調略面でも劣勢となれば一発逆転を狙うのは間違ってはない
滝川、信孝らと包囲を強めたとして、どこかで大勝しないと信長包囲網の二の舞で各個撃破されるのがオチ
ただ、丹羽が援軍に来た時点で無理を悟って一旦引くべきだったな

82松葉浩弘2017/06/11(日) 19:41:01.44ID:nwLvLdEu
一発逆転するには乾坤一擲の攻撃は必要だった。しかも前田利家の敵前逃亡は盛政が撤退した後だから盛政は前田利家が後詰めをして支えてくれたら勝てると思ったんだろうな…結果、羽柴軍の逆襲で形勢逆転して裏崩れで敗北したけど。

83人間七七四年2017/06/11(日) 21:14:59.46ID:AqW2xI3r
一撃加える必要はあるだろうが、それを決めるのは玄蕃じゃないよな?
決めるのは総司令官の勝家だ。
その勝家の命令を無視して、挙句ピンチになったら利家の援護があればなんて、都合のいい事言ってんじゃねーよ。

84人間七七四年2017/06/11(日) 22:51:34.30ID:bHHVW7Bd
中川を討っただけでは大勢に影響がない故に更なる戦果が必要だと判断したんだろうが
丹羽長秀が救援を敢行したのと、秀吉が揖斐川の氾濫のために早く賤ヶ岳に戻ってこれたのが災いして、利家らの撤退もあり大敗を喫したんだろう

まぁ盛政の判断の是非に関わらず、命令違反で戦線の膠着を破り結果として敗北をもたらしたんだから戦犯扱いされるのも仕方がない

85人間七七四年2017/06/14(水) 15:49:42.23ID:B8YVswgb
>>83
都合の良いこと言ってるのは前田信者なんだよな…

86人間七七四年2017/06/17(土) 17:25:25.65ID:gSxJRL3S
尾張が生んだ随一の武将 佐久間玄蕃
尾張武人物語
「尾張が生んだ猛将猛卒のうち、強い武将を以ってその人を求めるなら佐久間盛政如きは、その随一に推されるべき人である。」

このように評価されてる盛政は英傑だ。

87人間七七四年2017/06/24(土) 17:15:47.08ID:qLXUf+Td
>>86
尾張武人物語か…

88人間七七四年2017/06/25(日) 17:23:50.94ID:TFX3bvv6
あげ

89人間七七四年2017/06/25(日) 18:14:45.47ID:5EyMCaYV
上げんな糞玄蕃

90人間七七四年2017/06/26(月) 00:52:52.74ID:kARyLqcD
晒し首がお似合いじゃ笑

91人間七七四年2017/06/26(月) 17:06:30.35ID:1LM3Jhni
>>90
ワロタw佐久間玄蕃が有能なのには変わりないのにw

92人間七七四年2017/06/26(月) 20:57:42.60ID:kARyLqcD
佐久間の小汚ない首

93人間七七四年2017/06/26(月) 21:10:46.79ID:1LM3Jhni
>>92
荒山の急襲神がかってるだよな…

94人間七七四年2017/06/26(月) 23:38:06.90ID:kARyLqcD
>>93
賤ヶ岳の鮮やかな突出からの敗走も負けてない

95人間七七四年2017/06/27(火) 00:35:17.68ID:WDPTqhxh
正に匹夫の勇

96人間七七四年2017/06/27(火) 13:11:33.94ID:pZuWPO8F
こいつが内藤昌豊みたいに真の副将しとけば秀吉に勝てたのに

97人間七七四年2017/06/27(火) 13:40:46.36ID:8MBaFYV0
内藤のように屍を戦場に晒すのがオチ
まぁでも農民に捕縛され切腹することすらできず斬首のち獄門になるよりはマシな末路だな

98人間七七四年2017/06/27(火) 14:27:22.02ID:qS+5b6LH
あげ

99人間七七四年2017/06/29(木) 14:16:54.45ID:NEHaJhPL
玄蕃って信長の重臣中の重臣じゃん信長からも気に入られてたし

100人間七七四年2017/06/29(木) 17:55:56.10ID:CKdflh6v
脳内乙www

101人間七七四年2017/07/19(水) 19:14:46.35ID:O5TNyFNt
>>100
え!?

102人間七七四年2017/07/19(水) 20:59:43.14ID:AhQh6CJY
お気に入りなら信忠付なんだよなぁ

103人間七七四年2017/07/20(木) 15:30:39.33ID:3r7gjSMZ
>>102
佐久間・佐々「そんなわけないんだよなwwwww」

104人間七七四年2017/07/20(木) 21:26:43.55ID:F8a5RdtK
(佐々の甥兼娘婿は信忠付だったのは黙っておいた方がいい流れ…?)

105人間七七四年2017/07/21(金) 21:07:43.10ID:/pCKEp8J
>>104
成政のことを言ってるのは黙っておいた方が良い流れ?

106人間七七四年2017/07/21(金) 21:57:13.47ID:lrDepK8t
佐々成政の後継ぎは信忠付になっていましたってハッキリ書いてあげた方がよかったみたいね
別に佐久間が劣ってたとは思わないけど総領の地位を確保したのって信盛追放以降からだろうしその手の派閥形成は少し立ち後れてたのかもしれんね

107人間七七四年2017/07/22(土) 00:07:03.19ID:twEyZhYd
信忠直営が一番お気に入りなんだよなぁ
それか信長の派遣予備戦力やな
北陸軍の一武将とか微妙すぎ

108人間七七四年2017/07/23(日) 19:35:30.07ID:hWwFbqW+
>>107
一武将なのに国持大名って笑わせるよなw

109人間七七四年2017/07/23(日) 20:25:15.22ID:ETHCMuIH
えぇ!?ほんとうかい!?

110人間七七四年2017/07/23(日) 20:33:55.14ID:fx74lNk+
>>109
1580年に盛政は加賀の支配者になってる。

111人間七七四年2017/08/16(水) 19:45:01.45ID:A7TY7gsu
あげ

112人間七七四年2017/08/16(水) 21:11:52.48ID:hcD67vqB
盛政は加賀北半国二郡のみ
南半国は村上頼勝や拝郷家嘉など勝家与力大名の領地。盛政や利家や成政も与力だけど

113人間七七四年2017/08/18(金) 21:22:56.36ID:XF4h7Bbw
>>112
でも実際、盛政が加賀衆を統轄してた。

114人間七七四年2017/08/20(日) 23:45:19.76ID:FAWWvn+0
>>113
確かに旗頭だよな

115人間七七四年2017/08/28(月) 16:09:23.77ID:lF2uAZld
あげ

116人間七七四年2017/08/29(火) 16:37:36.96ID:4pTOXyd7
速さこそ最強を地でいく名将こと佐久間玄蕃
荒山の急襲(約2日で現地入りする脅威的な速さで上杉軍を急襲、三人の指揮官全員討ち取り大圧勝する。)・賤ヶ岳の奇襲(約10kmの山岳地帯を行軍して約四時間で砦を陥落させ摂津の大名中川清秀を討ち取る。)

やっぱり鬼玄蕃ナンバーワン

117人間七七四年2017/09/05(火) 18:14:12.32ID:wPMphot3
迅将あげ

118人間七七四年2017/09/05(火) 20:18:30.23ID:na1A/imZ
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

119人間七七四年2017/09/11(月) 22:09:00.85ID:Avk1R9ey
尾張随一の武将だよね〜この人。
尾山御坊落として加賀を普通に治めてたのが凄いよな

120人間七七四年2017/09/15(金) 20:47:55.72ID:vleJC3ji
>>119
さては尾張武人物語読んだか

121人間七七四年2017/10/03(火) 18:04:31.06ID:qI0PhE51
あげ

122人間七七四年2017/10/03(火) 19:01:00.59ID:C2VYM+8H
しね

123人間七七四年2017/11/06(月) 21:39:31.54ID:1KfTsUCU

124人間七七四年2018/04/05(木) 17:49:54.76ID:mRNhufbm
佐久間玄蕃は好き

125人間七七四年2018/04/07(土) 17:25:13.47ID:cmHWSj3S

126稲本浩弘2018/04/30(月) 22:18:38.95ID:TD9ik29x

127人間七七四年2018/06/04(月) 22:40:04.33ID:CODC+qO+
あげ

128クバの化身2018/06/06(水) 05:18:02.23ID:+TI379md
最近のまことを見ていると、オレ様にハッキングを
暴露されていることを怖がっている

129人間七七四年2018/06/06(水) 12:48:09.32ID:aL777hoa
>>128

130人間七七四年2018/07/25(水) 21:27:08.09ID:iNhT5ryo
今奉孝

131人間七七四年2018/07/30(月) 14:44:38.61ID:QCw23IUN
age

132人間七七四年2018/08/29(水) 12:47:04.67ID:fuliQeFo
あげ

133人間七七四年2018/09/11(火) 10:29:01.64ID:79zLqIo0

134人間七七四年2018/10/09(火) 03:17:04.09ID:yDlBQ2Zy

135人間七七四年2018/10/09(火) 03:47:28.10ID:c0RiBwDa
こんなゴミ屑誰も興味ないからw
二度と上げんなよ

136人間七七四年2018/11/20(火) 11:51:56.04ID:ab/TTcuk
>>135
なんで自分のこと棚に上げてゴミ屑とか言えんの?

137人間七七四年2018/12/15(土) 04:38:21.22ID:CrpD3SJB
佐久間盛政好き

138人間七七四年2018/12/15(土) 22:44:52.79ID:C4rBhMK9
あげ

139人間七七四年2018/12/18(火) 08:42:25.90ID:ybJyyV4o
鬼玄蕃と言えば酒井了恒

140人間七七四年2018/12/18(火) 11:44:10.35ID:Ma6ZIJr1
>>139
は?元祖は佐久間盛政

141人間七七四年2018/12/19(水) 15:11:26.64ID:wba/Khif
利家を粛清してれば・・

142人間七七四年2018/12/20(木) 09:15:13.91ID:iQTKkZHX
>>141
勝家が粛清すると思う?

143人間七七四年2018/12/20(木) 09:27:20.89ID:8MzuHBCH
両川を押し込む秀吉相手は勝家じゃ無理や
天下人秀吉にまともに損害与えたのは武田と長年戦った家康だけやし

144人間七七四年2018/12/21(金) 06:54:38.90ID:JTzoak/J
>>143
は?

145人間七七四年2018/12/21(金) 06:57:45.41ID:sIGJki3C
>>144
は?

146人間七七四年2018/12/21(金) 08:33:37.43ID:JTzoak/J
>>145
勝家は頭良いと思うぞ 勝家をバカ扱いしてる物言いをするな

147人間七七四年2018/12/21(金) 09:13:24.32ID:sIGJki3C
>>146
ガイジか?
誰も勝家を馬鹿になんてしてないぞ
秀吉の相手にならないだけで

148人間七七四年2018/12/21(金) 09:22:51.51ID:B0vhSwy4
>>147
言い訳するなアホ

149人間七七四年2018/12/21(金) 09:39:29.75ID:sIGJki3C
>>148
あガガイのガイwww

150人間七七四年2018/12/21(金) 13:26:58.90ID:JTzoak/J
>>148
これ

151人間七七四年2018/12/21(金) 15:18:15.46ID:SOAdVQ3r
>>150
自演楽しい?

152人間七七四年2018/12/21(金) 15:56:57.26ID:JTzoak/J
>>151
自演のソースは?

153人間七七四年2018/12/21(金) 16:56:13.54ID:Nr8eN8tZ
見てくださいこの佐久間厨の頭の悪さw

154人間七七四年2018/12/21(金) 16:59:35.36ID:JTzoak/J
>>153
見え透いた煽りで草

155人間七七四年2018/12/21(金) 17:12:26.65ID:B0vhSwy4
単発で自演しかできんとかほんま情けないやっちゃチワワみたいな小心者か(笑)

156人間七七四年2018/12/21(金) 17:13:32.09ID:SOAdVQ3r
>>154
秀吉は毛利両川を相手にしながら毛利の本拠地に隣接する備中まで進撃してるんだけど、その間勝家は何してたの?
秀吉は5年で播磨から備中、伯耆まで進撃してるんだけど
勝家は内乱の上杉が動けない間に何してるの?
いや勝家は良将だよ、他の戦国武将を見ればね
でも秀吉は日本史上有数の名将なの
秀吉に負けても仕方ないよ、相手が悪かった
勝家が中国方面軍率いても両川に勝てる図は浮かばないけどね

157人間七七四年2018/12/21(金) 17:27:45.96ID:VonpBB4H
いちいちくそマイナーなスレageんな

158人間七七四年2018/12/21(金) 18:38:00.73ID:JTzoak/J
>>156
それ結果論

159人間七七四年2018/12/21(金) 18:50:41.60ID:SOAdVQ3r
>>158
お前自分の意見はないのな
煽るだけの低能か
勝家が信孝を失い秀吉に瞬殺されたのも結果論か
所詮勝家だもんな、長秀よりはマシ程度の
勝家が北陸で遊んでいる間に森長可は妙高市関山を越えて春日山城のある上越市まで到達してるぞ

160人間七七四年2018/12/21(金) 18:59:12.74ID:JTzoak/J
>>159
遊んでる?

161人間七七四年2018/12/21(金) 19:02:26.66ID:SOAdVQ3r
>>160
てめえsageろやクソガイジ

162人間七七四年2018/12/21(金) 19:11:26.11ID:JTzoak/J
>>161
は?

163人間七七四年2018/12/21(金) 19:15:35.70ID:SOAdVQ3r
俺はずっとsageてるのにてめえがずっとageてんだよ
まさかsage方知らないガキか?

164人間七七四年2018/12/21(金) 21:15:38.39ID:VonpBB4H
クソみたいに佐久間スレ乱立させてるし玄蕃が玄蕃なら信者もカス揃い

165人間七七四年2018/12/21(金) 23:15:51.41ID:JTzoak/J
>>164

166人間七七四年2018/12/21(金) 23:22:23.48ID:SOAdVQ3r
>>165
勝家が糞なら信者も糞だな
あと下げろガイジ

167人間七七四年2018/12/21(金) 23:52:40.18ID:JTzoak/J
>>166
は?

168人間七七四年2018/12/21(金) 23:54:39.66ID:SOAdVQ3r
>>167
sageることを覚えるまで来んなクソガキ

169人間七七四年2018/12/22(土) 03:32:46.37ID:eXaGXR3N
>>168
え?

170人間七七四年2018/12/22(土) 07:38:00.51ID:5xAdfUwo
>>169
お?

171人間七七四年2018/12/22(土) 12:16:20.00ID:eXaGXR3N
>>170
どうだろうな勝家は強いからな

172人間七七四年2018/12/22(土) 17:05:40.82ID:eXaGXR3N

173人間七七四年2018/12/22(土) 19:06:28.23ID:dfib7JPW
うむ

174人間七七四年2018/12/25(火) 10:15:37.69ID:zU3EsDqz
なにげに佐久間盛政ってサラブレッドだよな〜父方が桓武平氏、母方が清和源氏だし

175人間七七四年2018/12/29(土) 19:18:16.02ID:/V5u3wuz
ワイの創造の盛政
統率78武勇88知略45政治26

176人間七七四年2018/12/30(日) 16:03:22.42ID:BQ+SZoYp
>>175
使える

177人間七七四年2018/12/30(日) 16:13:09.60ID:0w2HZBqN
>>176
おまえには無理だアホだし

178人間七七四年2018/12/30(日) 17:06:08.23ID:BQ+SZoYp
>>177
え?

179人間七七四年2019/01/01(火) 10:58:15.06ID:0N5y+57H
佐久間盛政ファンの皆様あけましておめでとうございます

180人間七七四年2019/01/02(水) 03:37:37.97ID:qL9ESzex
お前だけだろw

181人間七七四年2019/01/02(水) 18:27:53.37ID:gPOXsRc9
おいら鬼玄蕃盛政けっこうすき でも槍の又左はもっと好きだから困る

182人間七七四年2019/01/02(水) 23:34:20.03ID:ROF9n0re
>>181
利家は裏切り者ってイメージが世間的にないからな

183人間七七四年2019/02/02(土) 15:15:12.55ID:NFyL29Ig
鬼玄蕃

184人間七七四年2019/02/02(土) 15:29:28.62ID:wlt11Gpa
>>182
おまえみたいなバカニートは狭い世間しかしらないからなアホ

185人間七七四年2019/02/02(土) 15:45:01.50ID:NFyL29Ig
>>184
草生える

186人間七七四年2019/02/07(木) 06:25:42.47ID:hh5CKT0Y
>>174
佐久間盛政が天皇家の末裔なのは事実だけど、母方の家系は清和源氏かは確定してないと思う

187人間七七四年2019/02/07(木) 09:20:10.30ID:bFQ/9J40
歴史の流れによっては前田利家、佐々成政、佐久間盛政が三銃士として
仲良く同格に活躍した歴史もあっただろうに 差がついたなあ〜〜

188人間七七四年2019/02/07(木) 10:24:24.95ID:hh5CKT0Y
>>187
それな

189人間七七四年2019/02/07(木) 15:05:32.20ID:fTQyob1h
おお偉大なハルトマン おお偉大なハルトマン 永遠に果て無く栄えよ おお我らがハルトマン おお我らがハルトマン 銀河に名立たる王者よ 星々を手折り束ねて全て捧げてしまえば皆を約束の地へと導く銀河の父よ 
おお輝けハルトマン おお輝けハルトマン 過去に未来に現在に おお讃えよハルトマン おお讃えよハルトマン 讃え願えば叶う 宇宙を舞う青き翼も夢歌う桃色の花も 心その身さえ捧げよ我らが父へ 
おお崇めよハルトマン おお崇めよハルトマン 主への絶対の忠誠 おお願えよハルトマン おお願えよハルトマン 黄金の化身を信じて 手に入れし野望儚く彼方へと消えゆくは記憶 時を巡る歯車疑視めて願うは父よ

190人間七七四年2019/02/12(火) 03:12:28.50ID:EYYM/z8n
>>187
全て本能寺の変でつぶれたな

191人間七七四年2019/02/12(火) 11:26:38.23ID:a4OZodDn

192人間七七四年2019/02/16(土) 15:44:21.46ID:CesGr/fp
>>174
そんなのこの時代にいっぱい居る

193人間七七四年2019/02/16(土) 17:46:00.25ID:1Hcf/UQH

194人間七七四年2019/02/18(月) 12:27:54.40ID:wlbUMr5u
>>192
それな!

195人間七七四年2019/02/27(水) 21:55:43.10ID:H3E3Twrs
鬼玄蕃という渾名カッコいい

196人間七七四年2019/02/28(木) 01:39:25.45ID:wsHMcMK4
はい、次のガイジ⬇︎

197人間七七四年2019/02/28(木) 15:37:56.39ID:kUKf71LC

198人間七七四年2019/03/06(水) 23:53:52.08ID:vb529sRK

199人間七七四年2019/03/16(土) 00:52:34.47ID:JQha+dPl
>>198
カッコいい

200人間七七四年2019/03/24(日) 23:28:32.15ID:F9HO/xCO
北国衆で1番好きだわ鬼玄蕃

201人間七七四年2019/03/25(月) 02:52:08.03ID:KisfIjXH
諦めたら?

202人間七七四年2019/03/27(水) 20:09:17.78ID:C8jyUab+
>>201
??

203人間七七四年2019/04/08(月) 21:59:06.65ID:ZrS76j46
佐久間盛政ってどんな人物?鬼玄蕃には柴田勝家もドン引き! https://r-ijin.com/sakuma-morimasa/

204人間七七四年2019/04/13(土) 16:43:31.41ID:rPafWgu6
何で秀吉は盛政の娘に嫌がらせしたんだろ?
討ち取った相手の家族のとこに嫁に行かせるとか

205人間七七四年2019/04/23(火) 01:40:28.43ID:a0k5hkVL
>>204
確か秀吉が盛政を処刑する前に中川の息子に会わせて盛政が中川の息子になんと立派殿御かと言ってこのような男になら娘を託せると言って秀吉に娘の行く末を頼んだら秀吉が中川の息子と結婚させたんだろ

206人間七七四年2019/04/24(水) 15:51:53.48ID:pf41R9RM
こいつ賤ヶ岳の時に突然出てくるくせに加賀一国もらってたんだろ?
若干20代で。えこひいきだろ。

207人間七七四年2019/04/24(水) 16:04:39.97ID:k0IQDtvq
貰ってないぞ

208人間七七四年2019/04/24(水) 19:49:15.11ID:jMIq4il9
>>206
ちゃんと調べてから書き込もうね

209人間七七四年2019/04/24(水) 19:53:00.13ID:jMIq4il9
>>206
賤ヶ岳の時に突然出てくるとか馬鹿すぎて草

210人間七七四年2019/04/24(水) 20:07:35.71ID:fyRmb7kN
一般的な認識なんてそんなもんだって話。

211人間七七四年2019/04/27(土) 01:04:17.57ID:5ev/mz+z
>>210
それな、でもこれから知名度上がってくれば良い

212人間七七四年2019/04/27(土) 01:33:53.89ID:+Mi+Ly0R
前田と同じく敗戦を招いた間抜けな将帥の一人って評価しかつけようがない

213人間七七四年2019/05/05(日) 01:22:11.70ID:LMmKbnGu
>>212
無知晒してて草
http://s.kota2.net/temp/image

214人間七七四年2019/05/05(日) 08:12:40.61ID:Hr2X/u3/
>>213
狂信者乙
今の実績じゃどう頑張っても牟田口扱いやぞ
頑張っていいとこ探しでもするんやなw

215人間七七四年2019/05/05(日) 08:51:16.70ID:tg7xVonR
盛政は有能だよ
頭が悪くなければ

216人間七七四年2019/05/05(日) 17:03:54.64ID:vCPnWspn
>>215
バカだったら浅野長政論破できないだろw

217人間七七四年2019/05/05(日) 17:04:58.83ID:vCPnWspn
>>214
ググるだけでも良いから調べようね(ニッコリ)

218人間七七四年2019/05/05(日) 18:01:49.66ID:Hr2X/u3/
>>217
っで?今の評価変わるような実績あるの?w

219人間七七四年2019/05/05(日) 21:52:27.84ID:vCPnWspn
>>218
そのうちわかるさ

220人間七七四年2019/05/05(日) 23:52:10.70ID:Hr2X/u3/
ない訳ねwこれにて終了

221人間七七四年2019/05/07(火) 00:16:57.38ID:/VtlZ5m4
>>220
今年は佐久間盛政の人気や評価が一変するぞw

222人間七七四年2019/05/07(火) 00:17:54.38ID:/VtlZ5m4
>>220
お前にも佐久間盛政の良さがわかる日が来るだろいずれ

223人間七七四年2019/05/07(火) 04:43:56.37ID:cvK/y/qu
>>221
寝言は寝てから言おう

224人間七七四年2019/06/23(日) 01:02:43.55ID:o9ttIbTw
>>223
は?

225人間七七四年2019/06/23(日) 09:48:01.03ID:AmqDqrN0
佐久間猪政

226人間七七四年2019/06/23(日) 14:31:50.82ID:QxH9qj8L
佐久間遼太、賤ヶ岳で突出し死亡
菅沼盛政、賤ヶ岳で突出し死亡

227人間七七四年2019/06/23(日) 23:27:09.24ID:tsTYkHyM
新暦7月1日は佐久間盛政の命日です。ご冥福を祈りましょう!

228人間七七四年2019/06/24(月) 16:52:22.13ID:FIDk1tAF
前はどうでも良かったけど
1、2年前にファンらしき基地が歴ゲー板で暴れまくって嫌いになった

229稲本浩弘2019/06/25(火) 00:01:11.36ID:v5Zk5Kcn
>>228
嫌いなら嫌いでいいんじゃないかな?あなたに見る目がないってことだから

230人間七七四年2019/06/25(火) 01:38:15.42ID:TOW2zaLt
だったらいちいち上げんなよ
ゴキブリみたいなやつしか居ないなw

231人間七七四年2019/06/25(火) 09:00:40.90ID:A8m5dATF
>>229
顔真っ赤w批判許さないマンかよ
悪いの>>228じゃなくて荒らしてたアホだろ

232人間七七四年2019/07/01(月) 17:40:41.39ID:vTRrt+wr
今日7月1日は佐久間盛政の命日です!ご冥福を祈りましょう!https://bushoojapan.com/scandal/2019/06/30/127047

233人間七七四年2019/07/04(木) 15:29:14.43ID:jkUI2UCu
ナムナム(~人~)

234人間七七四年2019/07/28(日) 01:12:58.33ID:7FNuP+Yo
忠臣だよなぁ

235人間七七四年2019/07/28(日) 01:28:46.57ID:pgtXZSgj
忠臣www

236人間七七四年2019/07/28(日) 01:54:34.40ID:OaRFAkfT
>>234
どうしたんですかあ?またいつものように捏造ですかあ?

237人間七七四年2019/08/02(金) 23:38:55.32ID:p26Bz/hq

238人間七七四年2019/09/06(金) 21:52:07.89ID:Oq0zWvBo

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