実は創作だった通説・俗説3【コピペ・レッテル貼禁止】 [無断転載禁止]©2ch.net

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
1人間七七四年2016/08/31(水) 18:38:03.52ID:Itx90Hyt
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ

2人間七七四年2016/08/31(水) 18:40:40.91ID:Itx90Hyt
>>1
前スレそのままだった

正しい前スレ
実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】(c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1457874321/

3人間七七四年2016/08/31(水) 18:47:18.16ID:4LGUqGSJ
>>1乙です

4人間七七四年2016/08/31(水) 19:06:09.65ID:3QhQ5DUx

5人間七七四年2016/09/01(木) 08:29:58.16ID:2MO1Cuwc
作家から研究家気取りになったといえば井沢元彦か

6人間七七四年2016/09/01(木) 08:32:07.62ID:szwZYy7K
井沢は司馬遼太郎症候群をこじらせたタイプだな

7人間七七四年2016/09/01(木) 15:20:42.06ID:BEgVC1/E
徳富蘇峰や旧参謀本部が創作した逸話も結構あるよね
七将襲撃事件の時、三成が家康の屋敷に逃げ込んだ話しや
冬の陣で家康が騙して、外堀だけではなく惣堀を埋めた話しを
創作したのって徳富だっけ

8人間七七四年2016/09/01(木) 15:59:13.53ID:va0JUz84
>>7
お前が一番大嘘つきの捏造野郎だよ

9人間七七四年2016/09/01(木) 16:25:50.12ID:BEgVC1/E
>>7
どの部分が嘘で捏造か指摘してくれないと分からないんですが

10人間七七四年2016/09/01(木) 17:03:21.81ID:qmFIySbc
>>9
三成が徳川屋敷に逃げ込んだ話は
天元実記とやらを出典にした徳川実記での記述が有るんだ
広めたのは蘇峰翁と彼から孫引きした司馬遼太郎だが
その辺は過去スレで過去最低2回は指摘されてるぞい

惣堀の件については寡聞にして知らんけど
過去スレで複数回否定されてるネタを持ち出したので
>>8さんがキレた理由は多分その辺

11人間七七四年2016/09/01(木) 18:05:42.90ID:MJc18Yv1
>>10
徳川実紀に書いてあるということは幕府の公式見解ということでいいのか?

12人間七七四年2016/09/02(金) 00:44:49.45ID:cclF/GuO
なんで一人芝居に反応するかなぁ

13人間七七四年2016/09/02(金) 04:24:16.42ID:8gb7fWyh
次からワッチョイ導入すれば自作自演も減るんじゃね

14人間七七四年2016/09/02(金) 12:06:00.12ID:FEIQnL9a
方広寺鐘銘事件で家康は且元には面会も許さずに側近らに厳しく詮議させる一方で
大蔵卿局に対しては上機嫌で応対して安心させて
両者の報告を食い違わせることで豊臣家の内部分裂を狙ったと言われてるけど
秀頼の家老で方広寺再建の責任者である且元と
奥向きの実力者とはいえ淀の側近でしかない大蔵卿局とじゃ
対応が違うのってむしろ当然のような気がするけどどうなんですかね?

15人間七七四年2016/09/02(金) 12:09:11.61ID:klIQoB1Y
マイ トレーヤが民意を裏切った為政者は自殺すると予告している

株式市場大暴落のあとマイ トレーヤとUFOが現れたら安倍が精神的に持ちこたえられるかわからんな

16人間七七四年2016/09/02(金) 12:42:28.68ID:Vo7KKWBm
>>14
スレ違い

17人間七七四年2016/09/02(金) 15:19:30.18ID:NKgCUG3u
この板ワッチョイできないんじゃね
以前ワッチョイありで立てようとしたらできんかったわ

18人間七七四年2016/09/02(金) 20:59:45.94ID:FEIQnL9a
実は創作だった通説・俗説でスレ違いと指摘されてたのでこっちで質問させてもらいます

方広寺鐘銘事件で家康は且元には面会も許さずに側近らに厳しく詮議させる一方で
大蔵卿局に対しては上機嫌で応対して安心させて
両者の報告を食い違わせることで豊臣家の内部分裂を狙ったと言われてるけど
豊臣家の家老で方広寺再建の責任者である且元と
奥向きの実力者とはいえ淀の側近でしかない大蔵卿局とじゃ
対応が違うのって当たり前じゃないですかね?
この件で大蔵卿局を詮議しても何の回答も引き出せないでしょうし

19人間七七四年2016/09/02(金) 21:00:37.54ID:FEIQnL9a
すみませんミスりました

20人間七七四年2016/09/02(金) 22:02:31.12ID:ftxWEGGq
>>5
井沢や童門、堺屋あたりが目立つだけで、随筆とかで
研究家気取りの文章書いてる作家なんて珍しくないんじゃないかな

21人間七七四年2016/09/02(金) 23:49:42.87ID:NcgEVwnd
研究家気取ってるだけなら良いよ
テレビに出てさもその手の大家の如く語るのが悪いわけで
その先駆者が司馬

22人間七七四年2016/09/03(土) 20:49:09.58ID:0EXSfmNa
海音寺とか松本清張とかも史論とか書いたりテレビで語ったりしてたはずだけど
あまり叩かれないね
まあ清張の方は古代史や近代史がメインで戦国ものは少ないけど

23人間七七四年2016/09/03(土) 21:14:25.80ID:UGL49qNJ
小説家を叩くのは阿呆
水戸黄門をやってた講談師も叩くのか?

24人間七七四年2016/09/04(日) 00:00:13.79ID:G6W9lDHj
俺より小説家を信じる一般人が憎い

25人間七七四年2016/09/04(日) 06:01:00.44ID:bKZCYK/l
海音寺の時代はまだテレビの影響は小さいし、晩年はマスコミと縁切ってるからな
清張の近代史は万能受けはしなかったな、時代が近いというのもあるが
昭和史発掘読んでもモロ共産寄りだよね

26人間七七四年2016/09/04(日) 06:34:34.25ID:ZVCWTPBO
作家は左巻きが多いからな

27人間七七四年2016/09/04(日) 15:04:37.27ID:yq0hXn0G
石原とかな

28人間七七四年2016/09/04(日) 21:43:29.13ID:vpNYMmY0
NHKの日本史探訪とかで司馬遼太郎や海音寺潮五郎、
松本清張や南條範夫あたりが色々語ってなかったっけ?

29人間七七四年2016/09/05(月) 09:25:48.73ID:I81fH8Qp
歴史学者だって江戸時代の2次資料を鵜呑みにしてるじゃん

30人間七七四年2016/09/09(金) 02:15:17.66ID:pdgwX0hN
信長が光秀を折檻したとか、領地を取り上げたなどの話も創作なんだろ?

31人間七七四年2016/09/09(金) 07:49:58.46ID:tLFMiF+p
天下国家の為、織田、信長の首をトオルことこそ!天の道い〜!

32人間七七四年2016/09/09(金) 15:48:55.45ID:FxmGZWdl
島津の宝暦治水事件ってどこまで実話なのかな、
幕府の役人が嫌がらせして妨害したとかほんまかいな?

33人間七七四年2016/09/09(金) 16:14:54.14ID:tEujRKgy
岐阜の人が感謝の念から盛りすぎただけ。まぁ板違いやし

34人間七七四年2016/09/10(土) 00:10:32.90ID:YXjkbJvm
本多平八が姉川の戦いの時、朝倉軍一万勢の中に
単騎突撃した話の元ネタって何が出典?

35人間七七四年2016/09/10(土) 08:35:25.55ID:zqjN9fmo
あれはマジだったよ
あん時の平八はヤバかったもん、みんな鬼かよアイツつって少し引いてたわ
んで戻ってきたら傷一つ無いから普段何食ってたらお前みたいなバケモンになれんだ?って殿も笑ってた

36人間七七四年2016/09/10(土) 09:35:41.62ID:aPfKmMag
長久手の戦いのとき秀吉軍の進軍を遅らせるために反対側の河岸に単騎姿を表したのも事実ですか?

37人間七七四年2016/09/10(土) 13:50:28.91ID:THWYU0B9
500騎だろ

38人間七七四年2016/09/10(土) 14:35:15.24ID:WmsebY7m
>>36
あれは嘘
司馬史観に毒されとるな

39人間七七四年2016/09/11(日) 12:28:13.76ID:Wx6RNrkO
>>34
「本多家武功聞書」じゃなかったっけ?
姉川で忠勝と言えば真柄との一騎討ちの逸話もあるけど
実際討ち取ったのは別人みたいだし

40人間七七四年2016/09/11(日) 12:51:58.68ID:fB/q0sca
真柄を討ち取ったのは匂坂吉政の部隊だね

41人間七七四年2016/09/11(日) 15:12:59.92ID:fB/q0sca
まあ「一騎討ちをした」と「討ち取った」は別問題だしな

42人間七七四年2016/09/11(日) 16:37:29.96ID:Efv898Hy
「兵法なんてすんな。あんなもんは小物がやるもんだ」って息子に言っておきながら、
前線駆けまわって大名にのし上がった忠勝の言動が一致しない問題

43人間七七四年2016/09/11(日) 17:16:01.83ID:1YrOuMb5
傷一つ無かった
要は前線に出なかったってことだろう
実際に目立った武功も無し

44人間七七四年2016/09/11(日) 18:10:38.78ID:gDWgiaTv
>>43
目立つ武功が無いというより多くの戦闘を無難に勝ち続けている

45人間七七四年2016/09/11(日) 18:14:12.16ID:XpEoQpom
>>44
無難に勝つ、ってのは実は凄く大変な事だしな。

46人間七七四年2016/09/11(日) 18:31:24.68ID:cCF45gy+
部隊長の忠勝が自ら最前線に出なくても戦が回るように配下を日頃から鍛練しているってのは、立派なことじゃないですか

47人間七七四年2016/09/11(日) 20:29:10.79ID:5m22HkpC
前線で蜻蛉切を振るう猛将では無かったってことか
イメージと全く違ってくるわけだ
武功だと新参の直政の方が多いぐらい

48人間七七四年2016/09/11(日) 20:51:25.95ID:fB/q0sca
忠勝は結構最前線に出てたぞ
怪我をしないように注意を払っていただろうけど

後輩の直政は真似をして最前線に出たがったが、
おかげで怪我だらけだ

49人間七七四年2016/09/11(日) 21:15:01.73ID:r9qhbwfH
弱小のころからずっと先陣に名前があるのに前線に出なかったとはこれいかに

50人間七七四年2016/09/11(日) 21:18:45.67ID:Zr0Wo4wc
軍監もやってるし、平八郎もそれなりの器量はあったってことだろ?

51人間七七四年2016/09/11(日) 21:29:04.93ID:nvFPa8wu
忠勝に関する良質な史料で前線に出て戦ってたことが記述されてる物ってあるの?

52人間七七四年2016/09/11(日) 21:38:19.00ID:cCF45gy+
だからお前は何も判っていないというのだよ

53人間七七四年2016/09/11(日) 22:18:40.36ID:1YrOuMb5
>>52
出典読みたいから詳しくよろしく!

54人間七七四年2016/09/11(日) 23:19:27.48ID:r9qhbwfH
松平記

55人間七七四年2016/09/11(日) 23:20:41.82ID:r9qhbwfH
一次史料に近いものなら高天神城や関ヶ原の首帳とか

56人間七七四年2016/09/12(月) 03:50:05.12ID:Rljo8vi7
一向衆が貧しい農民たちの蜂起であるという説。
武功夜話の記述から流布した。
ルイスフロイスの日本史によると日本で一番の大金持ち。
その実態は金貸しとそれに雇用された傭兵部隊。雑賀衆も傭兵部隊。

57人間七七四年2016/09/12(月) 03:51:42.57ID:sf7aGS7e
>>50
器量なしが徳川家臣団で最上位の石高もらえねーよ・・

58人間七七四年2016/09/14(水) 14:51:27.28ID:WTMvoAZi
武功夜話って昭和中期に書かれた偽書だっけ?

59人間七七四年2016/09/18(日) 21:24:37.06ID:Oy/pR4h7
源氏じゃないと将軍になれないなんて話は誰が創ったんだろう
やっぱり林羅山あたりか

60人間七七四年2016/09/18(日) 21:40:15.66ID:zDBM/YL1
徳川より前の時代だろ

61人間七七四年2016/09/18(日) 21:45:25.31ID:ezdCRMo0
「源氏じゃないと将軍になれない」は江戸時代以降
「将軍は出来る限り源氏の方がいいよね」は鎌倉時代からあった

62人間七七四年2016/09/18(日) 22:23:51.34ID:HYVj3OHZ
>>61
> 「源氏じゃないと将軍になれない」は江戸時代以降
違う。「将軍は源氏の家職」という意識ができたのは室町時代。

63人間七七四年2016/09/19(月) 01:40:12.80ID:t21t9ssH
関ケ原の戦いで徳川家康が松尾山にいる小早川秀秋の陣に向けて鉄砲を放って裏切りを促した
問鉄砲の話は有名だが、当時、家康の陣と松尾山は距離が離れていて鉄砲玉の届かない位置に
あったため、本当にあったのか疑問視する説が出てきている

これについて関ケ原に関連した著作をいくつか調べてみたら、松尾山との距離の問題について
複数の仮説が出てきた

@通常より大きい大鉄砲を松尾山に向けた
A家康の配下の鉄砲隊はわざわざ松尾山の麓まで行って発砲した
B別に弾丸が届かなくても発砲音だけで威嚇の効果はあった

果たして問鉄砲の逸話はあったのかどうか気になるところである

64人間七七四年2016/09/19(月) 01:50:28.78ID:DzjVDZ49
問鉄砲は福島に同行してた徳川家臣が撃ったとされるので本陣との距離は関係ありません。
問鉄砲の存在が疑われてるのは同時代史料に無くかなり後世の書物で初めて出てくるからです

65人間七七四年2016/09/19(月) 09:56:24.79ID:fNSqAbO4
黒田家譜とか備前老人物語だっけ?

66人間七七四年2016/09/19(月) 10:32:10.58ID:hxM7u4jx
徳富蘇峰は俺の出身大学の黒歴史だなぁ

67人間七七四年2016/09/19(月) 13:08:01.91ID:HeVxSOk/
鎌倉幕府
源氏将軍3人
藤原氏将軍2人
親王将軍4人

68人間七七四年2016/09/19(月) 14:07:22.11ID:zzTuZ5XS
>>67
親王将軍は一時期源氏を名乗った

69人間七七四年2016/09/19(月) 19:34:13.75ID:zv/UgUz4
江戸時代でさえ、酒井忠清とか、まじめに親王将軍にしようとしたからな。
源氏、それも清和源氏の河内源氏で「武家の棟梁」たる源義家の子孫でないと
征夷大将軍になれない、なんて明治維新以降に出てきた妄説では?

70人間七七四年2016/09/19(月) 21:24:25.74ID:jxD1SSzA
秀吉が将軍になりたくて足利義昭の養子になろうとしたが
断られたって話創ったのが林羅山って説読んだ事があったから
てっきり羅山が創ったものと思ってたけど、違うみたいなのか

71人間七七四年2016/09/19(月) 21:34:28.45ID:BO6gLvov
>>69
> 江戸時代でさえ、酒井忠清とか、まじめに親王将軍にしようとしたからな。

お前そんな俗説未だに信じているのか…。何十年前の知識で止まっているんだよ…

72人間七七四年2016/09/19(月) 21:58:21.84ID:7KcH1hOy
>>71
酒井忠清の親王将軍擁立は、「徳川実紀」等にも出て来るが。
それを俗説と一蹴されては、何でも俗説、信ぴょう性皆無と言えるようになるぞ。

73人間七七四年2016/09/19(月) 22:09:14.33ID:BO6gLvov
>>72
お前昨今の近世史研究を欠片も勉強してないな。

74人間七七四年2016/09/19(月) 22:43:39.52ID:VuGty8n6
徳川実紀は幕府の公式記録だろう。それに出てくるんなら史実はどうあれ
幕府の見解ではあったということだ。

75人間七七四年2016/09/19(月) 22:47:03.38ID:7KcH1hOy
公式記録を否定して、単に最近の研究では、って言われては。
その最近の研究が、公式記録を否定できた根拠は何なの?

76人間七七四年2016/09/20(火) 05:55:20.55ID:ExdUgziz
徳川実紀が公式記録なのは日記をベースに記載してる部分だけだな。
古い部分はただの逸話集だ。

77人間七七四年2016/09/20(火) 10:24:33.40ID:q5x2MVlI
家康は鎌倉幕府の先例を重視していたから親王将軍もありだね
執権に乗っ取られるのもありだね

78人間七七四年2016/09/20(火) 11:08:08.05ID:VuK48Or8
大河はあっさり小山軍議採用したが、ほんとはあったか怪しい

79人間七七四年2016/09/20(火) 11:26:41.00ID:Kh4/PZHQ
なんか上田合戦は小規模説取り上げたり小山評定は定説通りだったりチグハグだなぁ

80人間七七四年2016/09/20(火) 11:33:46.91ID:Rrd64361
小山軍議はあっとと見るべき当時の史料が、白峰氏が小山軍議無かった説をぶち上げた後に出てきて
白峰氏が頭を抱えているのが現状

81人間七七四年2016/09/20(火) 11:34:32.56ID:VuK48Or8
浅野書状のこといってるんなら、なんも明確にかいてないし

82人間七七四年2016/09/20(火) 11:35:24.04ID:VuK48Or8
いつ、だれとだれが、どこで、なにを
のひとつも明確に書いてない

83人間七七四年2016/09/20(火) 11:36:49.98ID:Kh4/PZHQ
小山評定あったのなら福島のあの末路は流石にないと思うが

84人間七七四年2016/09/20(火) 12:17:05.45ID:ZrQBeXMH
関係ないだろ

85人間七七四年2016/09/20(火) 12:23:59.43ID:khk/a5wJ
小山評定なしにあの大軍を統率できるか家康ぱねえな

86人間七七四年2016/09/20(火) 12:37:50.38ID:iQqX1jAE
そもそも小山評定が無かったってのは本多隆成氏の指摘で崩されてますがな。

87人間七七四年2016/09/20(火) 13:20:11.98ID:b/22oOZi
◯「小山で」評定がなかった
×「評定が」無かった

88人間七七四年2016/09/20(火) 13:39:30.37ID:LgRZ9+wO
>>87
軍記もので語られる内容そのまんまの【評定】は無かった
という事だよな
【東軍】としつ意見統一の為の会議はあったのだろう

89人間七七四年2016/09/20(火) 13:40:44.74ID:LgRZ9+wO
すまぬ
【東軍】として
だわ

90人間七七四年2016/09/20(火) 13:52:41.25ID:5W0SHohK
・敵は三成
・秀頼には忠義を尽くす

と意見を統一しておかないと、まとまりようがないもんな
書状のやりとりだけでは無理だ

91人間七七四年2016/09/20(火) 16:31:46.04ID:r7h05Bzq
評定があったとしても、どこであったかも、いつあったかも、誰が参加したのかも、どんな話をしたのかも、わからない状態

92人間七七四年2016/09/20(火) 16:48:34.03ID:Rrd64361
>>91
そういう難癖を白峰氏がしているけど、小山で評定がありそこで会津征伐中止と上洛が決定したのなら、
それでもう小山軍議があったでいいじゃないのが現状の認識

93人間七七四年2016/09/20(火) 16:50:47.50ID:ZrQBeXMH
白峰説は編纂物の記述を否定するには弱すぎるで終わった話やね

94人間七七四年2016/09/20(火) 17:24:57.86ID:r7h05Bzq
だから小山で評定があったとも書いてないってw

95人間七七四年2016/09/20(火) 17:30:37.42ID:Rrd64361
>>94
「なお23日付の書状を受け取りましたが、その時は小山に行っていましたので、返事できませんでした」とある

96人間七七四年2016/09/20(火) 17:37:05.67ID:b/22oOZi
小山でなくても、小山周辺で何らかの協議が開かれたことは確実

97人間七七四年2016/09/20(火) 18:01:50.27ID:EvLojYEr
当事者たちは小山評定とは呼んでいなかっただろうね
だからと言って、軍議が無かったという結論にはならない

天正壬午の乱なんて用語も近代に出来たけど、
織田信長・信忠横死後に武田遺領で錯乱する事件が無かったことにはならん

98人間七七四年2016/09/20(火) 18:07:33.19ID:ZrQBeXMH
浅野書状「小山に行ってた。談合で決めた。」
これを小山評定と無関係と証明するのは骨が折れるで、
慶長記などの比較的信憑性の高い編纂物の否定もろくに出来てないのにご苦労なことだ

99人間七七四年2016/09/20(火) 18:31:46.52ID:Rrd64361
白峰氏の論文はネットで公開されているから、あれだけを見てああだこうだと主張すると痛い目を見ると言うやつ
しっかりとその論文に書かれている他者の論文も、図書館通いして目を通さないといかんのよ

100人間七七四年2016/09/20(火) 18:59:43.15ID:ZrQBeXMH
ここで今更小山評定無かったちゅう人はたぶん公開されている白峰氏の論文もちゃんと読んでないと思うよ

101人間七七四年2016/09/20(火) 19:37:47.99ID:Q3NaBmZU
そうなんだよな。

ちゃんと論拠に当たって主張するのが当然のことなのに。
通説を否定したがる人ほど、通説の論拠を見ずに否定したがることが多いのは、なぜだろう。
雑誌やネットで否定されている、と言い張って、その論拠は?と尋ねられたら、雑誌やネットを持ち出す。
こんなの絶対負けない、いわゆる無敵君の主張じゃないか。

自分の主張の論拠を、客観的な証拠に求めずに、主観で言うのだから、絶対に勝てるwww

102人間七七四年2016/09/20(火) 20:18:52.02ID:L6gvLBCe
ここで一番多いパターンはどっちも論拠なしで論争するやつw

103人間七七四年2016/09/20(火) 20:55:03.53ID:iQqX1jAE
>>102
それはかまってちゃんの一人芝居じゃないかな?

104人間七七四年2016/09/20(火) 22:23:30.80ID:BhWdIUNa
東海道筋の大名の持ち城が徳川の大名に明け渡されているけど
例えば駿府城は中村一忠から菅沼定定仍に掛川城は山内一豊から松平康重に
浜松城は堀尾忠氏から保科正光に吉田城は池田輝政から松平家乗に
岡崎城は田中吉政から松平忠頼になってるけど何の打ち合わせもなく
こんな事が出来るかな

105人間七七四年2016/09/21(水) 09:24:31.47ID:bOolAKy+
以下を読んで小山で評定あったと読めるやつは相当のバイアスがかかってる


「(慶長5年)7月29日付大関資増宛浅野幸長書状」(「大関家文書」)

尚々、去廿三日之御状畏入候、其刻小山へ罷越、御返事不申入候、
以上急度以飛脚申入候、就其上方之儀、各被申談仕置ニ付、会津表御働、御延引ニ候、
上辺之儀、弥被聞召届上、様子可被仰出旨、内府様被仰候、
我等儀、此間宇都宮ニ在之候へ共、結城辺迄罷越候、
駿州上之御人数ハ、何も国々へ御返しニ候、猶珍敷儀候ハヽ可申入候、恐々謹言

浅左京
七月廿九日 幸長(花押)

大関左衛門督殿
御宿所


幸長が小山に行ったとは書いてあるが、談合があったのが小山とも書いてないし、誰が集まったのかも書いてない
家康が命じたとは書いてあるがどこでどうやって命じたかも書いてない

106人間七七四年2016/09/21(水) 09:29:47.92ID:VvvTmJjP
一次史料で東軍の評定があったことが裏付けられ、後世の編纂物にも小山以外での評定を伝えるものはない
これで「小山で評定があったとは限らない!」と言い張る方はちょっとご退場願えますかね

107人間七七四年2016/09/21(水) 09:32:58.83ID:bOolAKy+
裏付けられてないでしょ

108人間七七四年2016/09/21(水) 09:54:47.87ID:x2Xp6iLt
通説を否定する記述は一切無く、むしろ裏付けする記述のみなのだから、
これで通説に問題あると言われても難癖レベル

109人間七七四年2016/09/21(水) 11:20:04.69ID:tHBPXEBD
新資料や矛盾点を指摘され白峰氏も今後の研究を・・と一歩引いてる案件だから
納得させるには白峰氏を超える強力な論説を展開したいといけないけど今のところ欠片も見えないね

110人間七七四年2016/09/21(水) 12:28:18.59ID:lgjtDw1Z
状況証拠からみてもあったとしか思えないし、白峰氏が根拠としていた諸将の居場所についての指摘も崩された。
もう少しマシな根拠が無いと小山評定を否定するのは無理だな。

111人間七七四年2016/09/21(水) 13:07:15.09ID:EJ42z7IE
小山で評定があったか別の場所で評定があったかというのは
そんなに騒ぐような問題なのか?

112人間七七四年2016/09/21(水) 17:10:51.09ID:EF+gvl41
騒いでるのは「なかった」と言ってる人だね

113人間七七四年2016/09/21(水) 17:19:25.80ID:6lzmbr5F
真田の「犬伏の別れ」だって、本当は犬伏宿ではなく天明宿だったらしいが、「犬伏の別れは無かった」なんて言うやつは
一人も居ないのにね

114人間七七四年2016/09/21(水) 21:20:56.84ID:lgjtDw1Z
話題のすり替えに必死すぎだろ

115人間七七四年2016/09/21(水) 21:24:23.47ID:l4EgUmjt
犬伏の別れもなんか家の生き残りの為の昌幸の策略みたいな通説が根強いけど、実際は信幸が昌幸達に追っ手を出して
鉄砲を打ちかけたり、信繁が信幸の事浮木と罵ったり大笹の町に火を放ったり、その在所の百姓を三人ほど斬り捨てた説が
あって、喧嘩別れが事実なんじゃないかって話もあるね

116人間七七四年2016/09/22(木) 00:09:46.00ID:KPCsnvMi
その喧嘩別れも両陣営に疑われないためのパフォーマンスと言えなくもない。もちろん確証はないがw
史実として戦後に信幸は助命嘆願してるし、配流された昌幸に生活保護ちゃんとしてるからなぁ

117人間七七四年2016/09/22(木) 00:29:57.87ID:KQkVO2I6
信之は大坂で信繁に味方した人も処刑したようだしやる時は殺る人っぽい

118人間七七四年2016/09/22(木) 13:25:31.54ID:nb6oikB/
真田オタ、安定のうざさ

119人間七七四年2016/09/23(金) 09:21:58.32ID:ledeF6kK
ここまで読んで、小山がなかったとかじゃなくて、あったかなかったかわからない、ってことでしょ?
あった根拠も薄いし、なかったと言い切ることもむずかしそう。

120人間七七四年2016/09/23(金) 09:56:49.73ID:MpOzDxyp
通説を明確に否定する史料がなければ、あると見るべき
疑古派は本場中国ではバクハツシサンなのにねぇ

121人間七七四年2016/09/23(金) 11:47:25.44ID:uEYRr9rz
いや、否定する史料もないけど裏付ける史料もない場合はあると見るのは危険
小山評定に関しては浅野書状があるからだし

122人間七七四年2016/09/23(金) 12:41:37.55ID:MpOzDxyp
まぁ、そうだけど
自説を維持したいがために、通説を自説レベルに貶めようとする動きには嫌悪しか沸かなくて

123人間七七四年2016/09/23(金) 12:41:58.95ID:F/fGQu+Z
通説つってもピンキリだからな。主にベースになった編纂物の信頼度によるし

124人間七七四年2016/09/23(金) 18:04:44.98ID:uEYRr9rz
>>122
知らんがな

125人間七七四年2016/09/23(金) 18:06:52.63ID:uEYRr9rz
まあ通説を支持するなら、ただ通説だからという理由で支持するんじゃなく
何故それが通説になったのかという過程を理解してから支持するべきだな

126人間七七四年2016/09/24(土) 01:02:41.59ID:vZ3Kawti
あったかどうかわかりません
これ以上議論しても無駄
新史料の登場を待ちましょう

ということか

127人間七七四年2016/09/24(土) 08:45:28.04ID:nE6aYRd6
このスレ、リセット君にいつまでかまうだろうか

128人間七七四年2016/09/24(土) 18:36:05.12ID:sYHtrD41
そうだよ
たいした裏付けないのにあったと強弁するのもなかったと強弁するのも見苦しい

129人間七七四年2016/09/24(土) 18:36:50.07ID:sYHtrD41
>>127
ここってそういうスレでしょw

130人間七七四年2016/09/24(土) 19:49:13.82ID:nE6aYRd6
>>129
つまんなくなるだけだから居なくなってくれ

131人間七七四年2016/09/24(土) 20:42:45.91ID:H2ehgN3Z
俺もたいした種付けしないのに駅弁してる

132人間七七四年2016/09/24(土) 22:03:49.08ID:InraK0pT
確かに飽きたな

133人間七七四年2016/09/25(日) 06:35:27.17ID:s7R1Sdx4
小山評定は専用スレがあるから、そっちでやってくれとは思う

134人間七七四年2016/09/25(日) 09:13:18.19ID:7DTjFcCE
>>34
完全な作り話

135人間七七四年2016/09/25(日) 19:15:56.14ID:P0wlbGPB
ところで、その頃、小山氏は何してたんだ?
小山氏、宇都宮氏、那須氏、佐野氏とか小山近くの大名は?

136人間七七四年2016/09/25(日) 19:49:32.80ID:8M80CsJS
スレ違い

137人間七七四年2016/09/25(日) 20:23:31.80ID:i27EhkZi
こっちであとはやってね

小山評定について考える
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1474546137/

138人間七七四年2016/09/25(日) 21:59:58.89ID:UuCJGLn/
>>135
小山氏は北条の配下として秀吉によって改易。
宇都宮国綱は慶長2年に改易され宇喜多秀家にお預けの身。
佐野氏は慶長19年改易。
那須氏は小田原征伐に参陣しなかったので改易されたが5000石で復活。
関ヶ原では東軍に参加して300石を加増される。

139人間七七四年2016/09/26(月) 08:23:14.66ID:5fkjrxTb
お預けの身で、その預けられた家が滅んだらどうなんの?

140人間七七四年2016/09/26(月) 09:18:28.83ID:qT3MYQ39
いちいち反応するから悪い

141人間七七四年2016/09/26(月) 20:50:10.86ID:DVal1Icg
他に話題ないしな
反応する→それに突っ込む
ここまでテンプレでしょ?同じ穴の狢

142人間七七四年2016/09/26(月) 21:17:24.65ID:M5lLMCPQ
>>139
実は宇都宮国綱は朝鮮で武功をあげればお家再興の約束で慶長の役に出陣したが
肝心の秀吉が死んで白紙になった。その後は牢人として諸国を流浪した。

143人間七七四年2016/09/27(火) 08:46:28.47ID:mSxjWhB4
那須宗家も没落はしていたけど宇都宮に参陣していたね
他にも那須七騎(那須、大関、大田原、福原、伊王野、蘆野、千本)と言われる那須家中の有力家の六家は生き残って独立していた
中でも大関家と大田原家は大名となっている
彼らの領地は対上杉、対佐竹の前線に位置するので石川、内藤、皆川、服部といった徳川家臣の支援のもと城を拡張し備えた
更に蒲生や成田など周辺の大名も兵を駐屯させている
逆に六家も宇都宮城に人員(人質)を出している
そして白河に最も近い伊王野、蘆野らは関ヶ原の戦いの同日に白河の関の一つである関山と言う要所に進出し
南下してきた上杉軍の一部と衝突し勝利を収めたと言われている
資料に乏しく真偽のほどは不明だが伊王野資重が戦傷死している事から何かしら小競り合いはあったのだろう

144人間七七四年2016/09/28(水) 07:42:26.38ID:pyubkTiC
軍師として有名な黒田官兵衛は宣教師について秀吉に便宜を図ってもらおうとお願いしたところ、
秀吉は機嫌を損ねて「お前は性懲りもなくバテレンのことを口にするのか。お前がキリシタンであり、
バテレンどもに肩入れしすぎるから、最初に与えようと思っていたものよりも低い地位にしたことを
お前は心得ぬのか」と叱る逸話が宣教師の書いた手紙で紹介されている

黒田官兵衛は秀吉にその才能を恐れられて低い石高の領地しか与えられなかったというのが通説だが、
他にも理由があったのではないかと思わせる逸話である

145人間七七四年2016/09/28(水) 10:09:04.78ID:BqUa1Kdf
ほら小山の話がないとまったく盛り上がらないスレ

146人間七七四年2016/09/28(水) 11:05:13.27ID:Dh8GBl9g
おやまあ

147人間七七四年2016/09/28(水) 13:23:55.10ID:Vi/JZUJR
>>144
宣教師は宣教師で、物事の因果関係を自己視点でしか捉えてないな

148人間七七四年2016/09/28(水) 13:33:07.69ID:f1YNZMuo
キリスト教で支配的な考え方はあくまで運命論であって因果論は仏教的価値観の産物でしかないよ

149人間七七四年2016/09/28(水) 16:01:14.06ID:po3YGVpo
>>144
そっちのほうがありそうだな、太閤時代の秀吉が黒田を恐れるとは思えない。

150人間七七四年2016/09/29(木) 07:49:06.06ID:BxGNRCgZ
確かに恐れて領地を与えないなんて事はないだろう
でも、宣教師も宣教師で自分達に都合の悪いものは必ずキリスト教を絡めて批判するから全く当てにならない
そもそも黒田みたいなポジションって禄が低いのが普通だし、何もおかしくはない
黒田以上の功臣である蜂須賀や宮部の禄はもっと少ないし

151人間七七四年2016/09/29(木) 09:29:53.82ID:xu+4jpZG
秀吉が領地に関して気前良いなんてそれこそ創作だと思う
基本大封なのは親族縁戚か、徳川とか毛利みたいに元々自前で
大領主だった連中だろう

152人間七七四年2016/09/29(木) 09:30:43.04ID:xu+4jpZG
それと子飼いも一応入るか

153人間七七四年2016/09/29(木) 10:28:25.66ID:9TxmgvL5
>>35
幾十度戦場に出て傷を負わなかったって逸話なら、他に武田の馬場美濃とか
同じ徳川家中の大久保治右とかもいるのに、何で本多平八ばかり言われるのかなぁ

154人間七七四年2016/09/29(木) 13:57:22.13ID:lQaYUmyR
>>151
むしろその条件に当てはまるのって大和大納言家、毛利家ぐらいしかいないような
徳川家は豊臣政権で最も加増を受けた家でしょう

155人間七七四年2016/09/29(木) 18:43:44.47ID:RIAQ4JYl
石直ししてないから実高はもうちょっとあったろうし周りを見れば黒田領って適正じゃねとしか。

156人間七七四年2016/09/30(金) 02:01:56.11ID:E+iqbECk
この時代では珍しく側室をもたなかった
別に珍しくない気がする

157人間七七四年2016/09/30(金) 08:24:29.12ID:E0MSMC7D
側室はいなかったけど、侍女とかに子供を産ませているというパターンが多いよな

158人間七七四年2016/09/30(金) 09:10:56.73ID:XJVheY0f
時代は下るが
正室がいなかった徳川頼房
でも父に似て子だくさん

159人間七七四年2016/10/01(土) 09:28:11.66ID:JXXTffnu
>>152
蜂須賀とか前野みたいな秀吉の出世に合わせて
徐々に加増されていった寄子連中に比べてに
正則や清正ら子飼い連中は一気に加増されてるだけで
石高的にはそう多くの差はないだろう

160人間七七四年2016/10/01(土) 11:16:51.93ID:xWvRcvKp
豊臣大名に限定すれば九州国割の時点では黒田12万石〈石直しで17万石〉は
蜂須賀17万石、福島11万石と並んでトップでほかの豊臣譜代はおおむね6万石以下
豊臣一門や元から大身の織田旧臣や毛利一族等の戦国大名系と並べると目立たなくなるだけで
これ以上どうしろとというくらいには十分評価されてる。

161人間七七四年2016/10/01(土) 11:52:14.14ID:SKlaA5Ro
問題の発端は長政が筑前を石直しで31万石から52万石に設定し直した事だろう

162人間七七四年2016/10/01(土) 11:57:30.81ID:iPHVJ9ap
30万石超えるような大名は元々大大名だったか、元は格上の同僚だった織田系大名だからな
最古参の森勝信や前野、中老の三家、功績多く秀吉の信任厚い蜂須賀や宮部といった家と同程度かそれ以上の禄を受けている
黒田はかなり優遇されていたよ

163人間七七四年2016/10/02(日) 21:28:26.13ID:FrhMlrF+
>>153
馬場信春は兎も角大久保忠佐が無傷だなんて逸話あるの?

164人間七七四年2016/10/04(火) 09:10:00.43ID:Af7GbfVk
話題ないならまた小山の話でもするか?w

165人間七七四年2016/10/04(火) 09:12:07.91ID:3cb0wvWd
もうネタがないだろ

166人間七七四年2016/10/04(火) 19:35:14.26ID:xObPVbP+
>>163
あります

過去にもしばしば「そういえば徳川軍の武将で、本多忠勝ともう一人、戦で生涯無傷だったのは誰だっけ?」
と、記憶の片隅に引っ掛かっても名前が出てこない流れがあり、その知名度が劣る方(?)が大久保忠佐です

167人間七七四年2016/10/04(火) 22:07:51.92ID:OwWF5Qyd
北政所が秀吉子飼いの将に絶対的影響力を持っていたという通説が
根強かったけど、実際のところはどうだったんだろう
北政所は東軍派だったと言う逸話と同レベル程度くらい?

168人間七七四年2016/10/05(水) 12:47:39.24ID:og8FA13N
子飼いの定義にもよるが
子飼いの将からして東西に割れてるじゃない
北政所が東西どちらよりだったとしても”絶対的”影響力なんてない

169人間七七四年2016/10/05(水) 18:19:38.45ID:IHZVyoAb
黒田長政が小早川秀秋口説く時に、「北政所さまにもよしなに云々」って書状が残ってるんだっけ?勘違いかな?

170人間七七四年2016/10/06(木) 02:50:35.70ID:Z/caiBxZ
桶狭間当時の織田と今川の圧倒的勢力差
ある資料だと尾張58万石で三河駿河遠江三カ国でもせいぜい70万石程度らしい
たしかに尾張は平野で農業生産力高そう。
これだと信長はMAX2万程度の兵は動員できそう。
ただ専門の志願制の軍事組織だから数が絞られてただけでは?
一方70万石だと背伸びして兵力25000くらいで史実と一致。

171人間七七四年2016/10/06(木) 07:15:36.30ID:vCkvK6MI
この時の信長は尾張一国を支配していないだろ
臨時に兵集めても手元に五千位じゃね
今川側の兵力は石高から逆算した数字とも取れるし国内空っぽにするほど北条と武田を信用してはいないだろう

172人間七七四年2016/10/06(木) 07:28:56.86ID:NH+NVtY8
専門の志願制の軍事組織w
なんでこのスレにいるんだw

173人間七七四年2016/10/06(木) 09:26:46.18ID:bE3J91Wn
>>169
長政が秀秋を説得するのに北政所の名前利用しただけじゃ無いの

174人間七七四年2016/10/06(木) 16:04:45.49ID:n3dmHwmb
>尾張58万石
これ笑わせたいところ?

175人間七七四年2016/10/06(木) 16:50:22.89ID:0Izjm4uM
今川さん当時尾張にも勢力圏あるしな
信長は尾張半分くらいだよ

176人間七七四年2016/10/06(木) 17:20:50.82ID:5/l41REj
20万石あれば1万は動員できるな
諸城に守備兵を配置して、荷駄や人夫らも置いていくとすると2000〜3000は妥当なところだな

177人間七七四年2016/10/06(木) 18:24:23.92ID:O/qXAR0L
知多半島はほぼ今川方
斎藤とは険悪化
南西部(蟹江や弥冨)は親今川派
このころから桑名・長島とは仲が悪い(津島の商圏の問題)

現在の名古屋の港区〜南区あたりは海だったから面積的にもアレだし国境の防衛の兵を考えるとそんなに多く集めれん
見れば見るほど良く勝てたわこれって思う

178人間七七四年2016/10/06(木) 18:27:10.12ID:vFHck1yq
運が良かった
その要素以外に勝った理由は一切無い

179人間七七四年2016/10/07(金) 14:53:02.58ID:Kmikjdg9
ナノ津大湊、百万石有シ

・・・これ近衛関白?の書状だけど博多の事かいの。

筑前博多の町だけで百万石。

180人間七七四年2016/10/07(金) 18:20:33.15ID:/6wDVjPS
>>178
各砦に救援送らずに手持ちの全兵力を今川本陣にぶつける事が出来たのが大きかったと思う

181人間七七四年2016/10/07(金) 19:38:12.90ID:6MjCQ16a
今川本陣の把握なんてできてないし単なる信長の誤認攻撃でしかないし

182人間七七四年2016/10/08(土) 03:42:57.89ID:jeOIbups
博多商人は石見銀山みっけた人いたり(実際博多は輸出要ハブ港)タイベトナム(シャム王国)と貿易してる人いたり超多国籍。
秀吉が堺商人と競わせる為に復興させたり最後は堺商人の10倍くらい繁栄を謳歌してたのだ。
石高に換算したらってこと。

183人間七七四年2016/10/08(土) 11:40:10.83ID:TjwjY7UE
信長が今川の本陣を把握した証拠はない、だが把握してない証拠もない
反論したくて同じ穴に落ちてる典型だな

184人間七七四年2016/10/08(土) 13:01:29.60ID:56HIV7+8
信長公記読もう
信長は義元本体を別の部隊と勘違いしてる
要するに義元本体の把握ができてない

185人間七七四年2016/10/08(土) 13:35:54.93ID:+hvwbx+s
菅沼は壊れたスピーカーやな

186人間七七四年2016/10/09(日) 00:26:44.84ID:IFTpFhCT
信長公記はアテにならないとか言ってなかったっけ、菅沼遼太くんが

187人間七七四年2016/10/09(日) 21:57:51.05ID:xLjuW5Wc
今山の戦いとかってどのくらいまでが俗説なのかな

188人間七七四年2016/10/11(火) 01:46:08.17ID:01UKTQKs
>>184
信長公記も首巻に書かれていることは信頼度は落ちるわな
それを裏付ける一次史料見つけな
そもそも合戦中の出来事なんて桶狭間に限らずわかりにくい

189人間七七四年2016/10/11(火) 07:11:02.64ID:KX4DA6E6
じゃあ稲生の戦いの信長の活躍も信憑性が落ちるよね
桶狭間もダメ、天王寺の戦いの活躍も一次史料どころか他の史料にも無くて疑問視されてるし信長の活躍した戦いって眉唾ばっかw

190人間七七四年2016/10/11(火) 07:51:23.58ID:x7lCPLaQ
謙信の活躍も信玄の活躍も元就の活躍も氏康の活躍も一次資料に記載がないですよね
戦国時代に活躍した人なんて存在しないのかもしれません

191人間七七四年2016/10/11(火) 08:26:27.54ID:e9Vlc4Df
一次史料にちゃんと残ってる記述もたくさんある

192人間七七四年2016/10/11(火) 10:59:56.59ID:DnDv65A0
すくなくとも信長公記は1次資料やろ
信長が活躍してないとかいいすぎやで

193人間七七四年2016/10/11(火) 11:01:41.80ID:UPJag8bS
さすがに一次史料じゃないよ。一級資料だけど

194人間七七四年2016/10/11(火) 11:05:57.31ID:DnDv65A0
資料作成者がリアルタイムで見聞きしたことを書き留めたのが1次資料だぞ
信長公記が1次資料じゃないとかどういう了見だ?

195人間七七四年2016/10/11(火) 11:08:16.50ID:OdIT9Tyc
逆やろ
信長公記は一次史料に分類される
一級の史料なのかどうかは知らんけど

196人間七七四年2016/10/11(火) 11:10:23.75ID:UPJag8bS
お、おう

197人間七七四年2016/10/11(火) 11:42:38.07ID:+cjGZ8/Z
>>195
えーっと、信長公記はあくまで後世に書かれた軍記なんだけど…

198人間七七四年2016/10/11(火) 11:58:29.06ID:6fyi8Ucl
おどれは何をトンチンカンな事を言うてるんじゃ
ヒロポンでもやっとるんかい

199人間七七四年2016/10/11(火) 13:50:54.75ID:EQ/WRv55
信長公記の名を出すと大概荒れだすんで扱いは慎重に

200人間七七四年2016/10/11(火) 18:26:46.18ID:8ymo+lV/
牛が書いたのは一次
その写本は二次
でも牛さん自身もメモを元に再構成したから二次?
なんとか遺文とかも二次になるんだろうか

201人間七七四年2016/10/11(火) 19:27:51.10ID:3F4YGXw2
信長公記はそもそも「日記や公文書的なものと違い、すぐに書かれたものではないから」二次史料では
当人が昔を思い出して書いたものも、昔の人から聞いて書いたものも形式的には二次のはず

202人間七七四年2016/10/11(火) 19:32:10.15ID:kIvZ3wgR
大坂の陣で惣堀の埋め立ては両者の合意事項だったらしいけど、
そうすると抗議に来た豊臣の侍女を徳川家臣の成瀬が突っぱねたって逸話は
いつ頃出来たのかな

203人間七七四年2016/10/11(火) 19:45:32.91ID:4VH9k/R8
桶狭間で今川を奇襲したのは北海道の蠣崎氏

204人間七七四年2016/10/11(火) 20:46:35.40ID:4VH9k/R8
関ヶ原の東軍の大将教えてやろうか?
大将ルイスフロイス
軍師 家康
信長の犬だった家康が重宝されてたルイスに意見できるすべもない
おまえら歴史知らなすぎ
与えられた文献だけを丸暗記してうろおぼえで披露してもだめですよ笑

205人間七七四年2016/10/11(火) 20:52:33.17ID:01UKTQKs
>>189
少なくとも首巻に書かれているだけの出来事はそうだよ。
今更草生やすなんてどこまで知らなかったんだよお前

206人間七七四年2016/10/12(水) 04:08:58.06ID:bF3azojz
いま信長公記の桶狭間のくだり読んだけど、
これどう読んでも密行による奇襲じゃね
佐々・千秋300が突っ込んで敗退してるっていうことから、ある程度の陣地はすでに構築されてるのが分かるじゃん
でも信長本隊は、「山際まで御人数寄せられ」って、簡単に桶狭間山まで進軍できてるじゃんなんなのこれ

207人間七七四年2016/10/12(水) 10:14:35.54ID:g2N7q+iK
そうやね。
信長公記の記述にそのまま沿えば雨に紛れた浸透奇襲やね

208人間七七四年2016/10/12(水) 10:23:33.35ID:Maux7h3l
本人の記憶を思い出して書いたら2次とか珍説w
そんなことどこに書いてんだよw

209人間七七四年2016/10/12(水) 10:27:47.16ID:qDjcFmFV
記憶を使ったらアウトなら一次資料なんてほとんどなくなるだろ

210人間七七四年2016/10/12(水) 10:47:34.21ID:g2N7q+iK
IDころころやね

211人間七七四年2016/10/12(水) 11:43:39.52ID:Maux7h3l
ID:g2N7q+iKはあちこちで同じこと言ってまわってる池沼w

関ヶ原合戦の真実 Part5 [無断転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1474112000/691

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/12(水) 09:40:19.94 ID:g2N7q+iK
IDころころしながらアホなこと言ってるの菅沼だろ。今でもよく見るよ

212人間七七四年2016/10/12(水) 11:50:54.05ID:g2N7q+iK
おやおや図星ですか

213人間七七四年2016/10/12(水) 13:51:36.51ID:JF8/82b1
>>160
徳川幕府の彦根が例外中の例外に大封かな。
黒田如水を子飼や普代に分類するのもそれはそれでアレだけど。

214人間七七四年2016/10/12(水) 16:21:09.36ID:QVXYVIbA
よくある逸話で、大名が暗愚のフリして放蕩して、幕府の警戒心を逸らした
てあるけどホントかね?
暗愚ならむしろ組み易しと見られて減封や改易リストラ候補になっちゃうんじゃないか?

前田とかそういう逸話あるでしょ

215人間七七四年2016/10/12(水) 16:46:12.03ID:Ml1Xcr10
>>214
「相手に警戒されないようにする」を思いっきりディフォルメすると「暗愚のフリ」となる。そういうことだ

216人間七七四年2016/10/12(水) 17:21:21.33ID:J+y9WF2t
>>214
それを更に膨らませると秀頼アゲアゲ

217人間七七四年2016/10/12(水) 21:08:09.52ID:ktSFSVBB
『戦国史の俗説を覆す』

渡邊 大門 編

川中島の戦い、本能寺の変、中国大返し、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、
大坂の陣…時代小説や大河ドラマでは絶対にわからない史実の根拠を徹底的に問う!

<<目次>>
はじめに
第1章 本当の鉄砲伝来はいつだったのか  長屋隆幸 
第2章 川中島の戦いは何回行われたのか  千葉篤志
第3章 信長の「天下」は日本全国を指すのか  古野 貢
第4章 明智光秀の出自は土岐氏なのか  中脇 聖 
第5章 本能寺の変の黒幕説(朝廷・足利義昭)は成り立つのか  木下昌規
第6章 「神君伊賀越え」の真相  平野明夫 
第7章 中国大返し再考  渡邊大門
特論1  城郭研究を揺るがした「杉山城問題」とは!?  竹井英文
第8章 老いた秀吉の誇大妄想が、朝鮮出兵を引き起こしたのか  佐島顕子
第9章 石田三成襲撃事件の真相とは  水野伍貴
第10章 毛利輝元、吉川広家、安国寺恵瓊の関係と関ヶ原の戦い  光成準治
第11章 徳川家康の「問鉄炮」は真実なのか  白峰 旬
第12章 家康は豊臣氏を、どのように追い詰めたのか  曽根勇二
第13章 大坂冬の陣後、大坂城の堀は無理やり埋められたのか  片山正彦
特論2  忍者とは実在するのか  荒垣恒明 
あとがき 

http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b244530.html

どんなもんかねぇ

218人間七七四年2016/10/12(水) 21:26:54.61ID:GZueYssu
>>217
面白そう

219人間七七四年2016/10/12(水) 22:04:07.72ID:bF3azojz
渡邊大門編かこの人も決して信頼できる研究者じゃないんだよな

220人間七七四年2016/10/12(水) 22:44:13.52ID:EnFICbvI
渡邊大門は一般書では手を広げ過ぎてるきらいはあるけど、比較的まともな研究者だろ。

221人間七七四年2016/10/13(木) 00:19:07.49ID:oZ4ZxUNd
手を広げ過ぎて内容が薄い本も出すけどまともな部類だわな

222人間七七四年2016/10/13(木) 01:30:00.67ID:070eOFzv
・5時間で52キロ走ったとされる美濃大返しは創作だよ
・だって、1時間で10キロ走るなんて無理だから
・現代の部隊の行軍速度は1時間12キロだけど、でもきっと無理だったよ
・あ、でももしかしたら馬に乗った少数部隊で先に先行してたらたどり着けるかも
・まぁでも美濃大返しを盲目的に信じることは危険

この章のタイトル「不可能であった美濃大返し」

「不可能」って言いたいのか、「鵜呑みは危険」って言いたいのか。
反論があったときには、「いや、盲目的に信じてはダメっていうことを言いたかったので」で逃げれる。ズルい。自分の考え浸透させたくて姑息過ぎる
文脈読めない何人かのバカな読者騙して、「美濃大返しはウソだった」ってのが世間に浸透したときに自分の手柄にしたいのが見えすぎてる現代の研究者の典型的なやり口

223人間七七四年2016/10/13(木) 02:00:37.79ID:070eOFzv
× この章のタイトル「不可能であった美濃大返し」
○ この章の最後の見出し「不可能であった美濃大返し」

正確に書けと主張しておきながら正確さを欠いたことに関してはごめんなさい平謝り

あと、渡邊大門「秀吉の出自と出世伝説」の話です

224人間七七四年2016/10/13(木) 09:31:37.16ID:YGRkRwHq
>>217
こっちが売れたから味をしめたな

家康伝説の嘘
渡邊大門/編
出版社名 : 柏書房
出版年月 : 2015年11月
ISBNコード : 978-4-7601-4645-1
税込価格 : 2,052円
頁数・縦 :307p・19cm

【目次】
第1部 権力確立期の家康
 「徳川四天王」の実像……小川雄
 松平信康事件は、なぜ起きたのか?……柴裕之
 家康の領国支配は、どのように行なわれたか?……鈴木将典
 本能寺の変前後における家康の動きとは?……中脇聖

第2部 豊臣政権下の家康
 小牧・長久手の戦いで家康は負けたのか?……長屋隆幸
 なぜ家康は江戸に入ったのか?……竹井英文
 豊臣五大老としての家康……堀越祐一
 最初から家康は石田三成と仲が悪かったのか?……光成準治

第3部 関ヶ原の戦い・大坂の陣における家康
 小山評定は本当にあったのか?……白峰旬
 「直江状」は本物なのか?……水野伍貴
 家康と秀頼との関係―「二重公儀体制」を巡って……渡邊大門
 方広寺鐘銘事件の真相とは?……渡邊大門

第4部 家康の戦略
 家康は戦さ巧者だったのか?……千葉篤志
 家康はどのように大名統制を進めたか?……藤尾隆志
 家康と天皇・公家衆……神田裕理
 徳川氏は清和源氏の流れを汲むのか?……中脇聖

225人間七七四年2016/10/13(木) 09:33:43.06ID:YGRkRwHq
渡邊は白峰を取り上げるのに積極的だなw

226人間七七四年2016/10/13(木) 10:25:16.32ID:oZ4ZxUNd
渡邊は基本的に白峰説否定派なのに白峰好きだよな
つか渡邊にはこんな本出すよりニッチな西国大名研究に戻ってほしい

227人間七七四年2016/10/13(木) 20:41:29.31ID:F4JWwxFY
関ヶ原と言えばまず笠谷だろうけど
笠谷は白峰やその論の事、どう評価しているのかな

228人間七七四年2016/10/13(木) 21:36:53.92ID:DvOvvDOU
関ヶ原を含む2か月間の対立時期だけに関して言えば笠谷さんは専門外のような

229人間七七四年2016/10/13(木) 21:47:27.99ID:oZ4ZxUNd
笠谷さんの本の関ヶ原本戦は編纂物丸写しだったからなぁ

230人間七七四年2016/10/14(金) 11:43:44.43ID:UWov3bql
小山評定があったということが揺るがないとか言うやつがいる割には
新刊でも小山疑問説が取り上げられるんだよな
やっぱ揺らいでるんじゃね?w

231人間七七四年2016/10/14(金) 11:57:08.05ID:1OUUeZvp
新刊って?

232人間七七四年2016/10/14(金) 12:00:07.42ID:UWov3bql
>>231
224のこと、まだ1年以内の本でしょ?

233人間七七四年2016/10/14(金) 13:16:35.20ID:1OUUeZvp
新刊ねぇ

234人間七七四年2016/10/14(金) 14:49:10.67ID:CgzlsKdb
>>230
白峰が自身の間違いを認められずにいるだけ

235人間七七四年2016/10/14(金) 22:23:45.61ID:LnhHkoEz
白峰氏の新説は一年も持たずに撃沈され続けてるからなぁ
ぶっちゃけ新刊とか意味ないんじゃないかな

236人間七七四年2016/10/14(金) 23:21:16.91ID:W1gtfudS
しつこいのもなんだかな

237人間七七四年2016/10/15(土) 11:21:33.98ID:yboilMGS
新刊に取り上げられるのは撃沈とかしてない証拠

238人間七七四年2016/10/15(土) 17:08:32.49ID:BUIaPNRN
>>201
ああ、信長公記は二次史料だろうよ。良質な部類の

編纂に取り組んだ当時の牛一の手元には、
織田の各軍団からの戦況報告や発布文書などの一次史料があった
中には互いに矛盾する情報もあり、なるべく整合性がとれるよう、
牛一は苦心しながら再構成した

一次史料を引用して作ったから二次史料だな
ただ、食い違う情報から合っていそうな方を採択したつもりでも、
実は採択した方が間違った情報だった可能性もある
信長公記だから何から何まで信用できると思い込むのは危険

239人間七七四年2016/10/15(土) 17:53:59.89ID:+5bfSY1b
例えば荒木村重の出自に関する話は明らかに間違ってるからな >信長公記

240人間七七四年2016/10/15(土) 18:20:27.78ID:RLaFeyDO
裏付けがとれるかどうかが重要であって
何の書物だから正しいとか間違いとか一次資料だから正しいとか間違いとかそう言うものではないわ
書状だって間違いはある訳だし

241人間七七四年2016/10/16(日) 00:14:50.60ID:Qv9MY8al
最近じゃ入門とか概説では教えてないのか?
一次と二次を分けるのは
扱うテーマにとって同時代性が有るか無いかぐらいだろ

242人間七七四年2016/10/16(日) 22:30:25.67ID:qQ+3V2gN
どんな史料でも1つで史実と確定してはいけないわけでね。
信長公記の多くは裏付けも取れてるからな。1人の人物をこれだけ長い期間追った記録にして良質なのは間違いはない。
でも、完璧じゃない。
で、その裏付けの取れないのが多い首巻は信頼度が落ちるというわけ。

243人間七七四年2016/10/17(月) 18:09:24.81ID:F5jRORKz
信長礼賛の軍記物だから当然誇張はあるわけでその活躍については差っ引いて見たほうが良い

244人間七七四年2016/10/17(月) 22:02:59.79ID:2KFbeORA
書状類は一次史料だけど誇張が入る事が多いから
書かれた意図を推測して用いなければならないのは
常識だし、特に何処何処の城を落としたとか誰々が降伏したとか
何千人討ち取ったとか戦果関係は特に多いからね

245人間七七四年2016/10/17(月) 23:15:56.68ID:7xAWY7t8
まぁ一次史料だって数字の誇張は基本疑わないといかんしな

246人間七七四年2016/10/17(月) 23:19:29.55ID:vaO0akI2
日記も伝聞や噂話の誤報あるしなあ

247人間七七四年2016/10/18(火) 07:49:32.15ID:KmedhJCV
日記でも自分で見聞きした情報と又聞きした情報では雲泥の差だからな
著者の意図的な改変も有り得るし、同じ日記の中でも信頼性には大きな差がある
だから書状とか書物単位で信頼性云々を言うのはおかしい
その中の事象の一つずつを検証しないと正否は語れない
逆に言えば後世の編纂物でも新し発見で裏付けが取れる可能性もあり、安易に切り捨てる事は出来ない

248人間七七四年2016/10/18(火) 14:32:56.38ID:Ydq0Atsg
名古屋城普請で愚痴った正則を清正が窘めた逸話って
信憑性はどうなの

249人間七七四年2016/10/18(火) 16:19:59.10ID:YDrACWrC
>>248
皆無

250人間七七四年2016/10/18(火) 23:10:49.37ID:la6htq2W
宮本武蔵

明治時代に編纂された『宮本武蔵顕彰会本』は、素材にした材料が劣悪で
史料価値はない。二次史料ですらない

これが吉川英治が執筆するにあたって柱にしたのだが、
吉川個人はこれを史料と誤解していた節がある

そんなことも知らずに噛みつきまくってるのか。恥ずかしい奴
スルー推奨とされたけど、馬鹿はいつまでも暴れるしなあ

ああ、そういえば『常山紀談』を史料呼ばわりするのがいてびっくりしたことがあるけど、
『異説まちまち』やら『渡辺幸庵対話』まで史料と言うのがいて絶句したわ
この程度の阿呆は珍しくないのかもなあ

251人間七七四年2016/10/19(水) 09:11:30.56ID:Zkhh2gzL
>>244-245
1次資料も複数の記述を突き合せないと信頼性はまったくないからな
そして小山評定は...

252人間七七四年2016/10/19(水) 15:55:50.29ID:BLqmDoqc
>>247
後世の編纂物の場合は元となる史料を探すことが大事。

史実には遠い事柄でも日記には当時の情勢が読み取れて面白い。あぁこんな噂出ていたんだなと。
成否は語れなくてもやっぱり当時の史料は大事。

253人間七七四年2016/10/19(水) 21:00:28.27ID:0V4bLQVg
>>248
そもそもこの逸話、出典はなんなの?

254人間七七四年2016/10/19(水) 21:17:01.49ID:4CvLQBSP

255人間七七四年2016/10/19(水) 21:37:17.94ID:hkGRC0zK
正則は広島じゃけん岡山と関係ないだろ。

256人間七七四年2016/10/20(木) 08:53:11.30ID:VwoYvG7Z
>>255
池田輝政に関連した逸話なので

257人間七七四年2016/10/20(木) 12:05:13.01ID:mlQSVwUs
180年くらい後に載った話か

258人間七七四年2016/10/20(木) 12:38:51.39ID:W2CSsC3A
正則のリアクションも大笑いしてるのと
ぐぬぬってなってるのと2タイプあるな
確か大笑いしてるバージョンの方が古い

259人間七七四年2016/10/20(木) 16:44:14.64ID:czXJp68N
沼尻合戦で…
とかローカルな事を聞いても分かる人なんていないか

260人間七七四年2016/10/20(木) 19:10:21.75ID:AQCmg3AN
「信長公記」を一切省いた一次史料からだけで探る信長って研究したらどうなるか興味ある

261人間七七四年2016/10/20(木) 19:33:48.96ID:MUMEpSqF
またアンチがバカなこと言ってんのか
信長公記は一次史料だよマヌケ

262人間七七四年2016/10/20(木) 20:19:57.88ID:WxaVImwf
>>260
一次史料だけじゃ大まかな流れがまったくわからないから逆にすごいあやふやになる
貶められすぎてる感がある編纂物だがやっぱ偉大だわ

263人間七七四年2016/10/20(木) 20:43:54.64ID:IEPK9HtP
太田牛一が信長公記を編纂したときの史料も、残してくれれば良かったのにな。

264人間七七四年2016/10/20(木) 21:05:49.50ID:guuQbXm8
信長レベルなら物凄い数の関連文書があるんじゃないの?
うちの方みたいな田舎の大名ですら結構たくさん残っているし

265人間七七四年2016/10/20(木) 21:11:41.22ID:CZj+BNHd
>>259
沼尻合戦と言えば、後北条と佐竹・宇都宮で行われた合戦で鉄砲八千挺とか
阿呆みたいな話のある合戦のはずだけど

266人間七七四年2016/10/20(木) 21:19:13.79ID:MdW3IFWi
>>265
沼尻合戦の時点で両軍合わせて鉄砲八千丁くらい持ってても不思議じゃないだろ。
問題は弾丸火薬よ

267人間七七四年2016/10/20(木) 21:22:11.76ID:VwoYvG7Z
>>266
遭遇戦だと一発撃っただけで相手が突撃してくるとか

268人間七七四年2016/10/20(木) 21:39:26.54ID:XctRxf6y
>>264
上洛前の書状はあまり無いよな

269人間七七四年2016/10/20(木) 21:48:12.67ID:VwoYvG7Z
上洛以前の信長の書状というと、「上総守」名乗りという恥ずかしいのが有名

270人間七七四年2016/10/20(木) 22:02:58.12ID:WxaVImwf
>>264
多い方ではあるが一次史料でだいたい分かるほどは多くはないね、残存書状ゼロの年もあったりする程度
当時の通信は使者の口上がメインだから書かれてる内容が断片的だし年次もなかったりして
書状自体の情報量の少なさの問題も大きいし編纂物抜きで歴史を構築するのはまず無理
情報量が格段に多くなる関白就任以降の秀吉になるとまた別の話になるけど

271人間七七四年2016/10/21(金) 13:07:54.81ID:BLWio0+7
>>265
沼尻合戦では梶原と真壁が反北条方から北条方へ一時離反した事が知られているけど
自分はてっきり小田や真壁にいて翻意したのかと思っていたが先日読んだ本には真壁勢が沼尻に出陣していて北条方の陣にも居たという逸話が記載されていた
とすると真壁勢は反北条方の陣にいて、途中で寝返り北条方の陣に駆け込み、更に寝返って反北条方の陣に戻ってきた事になる
果たしてそんな行動が本当に出来たのかと

272人間七七四年2016/10/21(金) 15:41:16.99ID:HKwPEMHz
信長で無理なら元就とか謙信とか信玄なんかはもっと無理か
ちゃんとした研究でもやっぱだいぶ後世の編纂物に頼ってるんかね?

273人間七七四年2016/10/21(金) 16:31:44.82ID:7NMSdfe0
何度か指摘があるけど
当事者なんてバイアスの塊で正しく事態を認識してることの方が少ないので
編纂されたから史料として価値が落ちる、というものでもない

274人間七七四年2016/10/21(金) 17:52:07.17ID:3NtctB8C
武田、上杉は普通に史料多く残ってるよ
信長のほうが少ないんじゃない

275人間七七四年2016/10/21(金) 18:24:12.42ID:EdsGRopz
そこそこ有名な村上義清なんて残存発給文書たった3通で一次史料云々なんて完全にお手上げ

276人間七七四年2016/10/22(土) 05:10:34.86ID:tfLIZ4Jl
武田(信玄)上杉(謙信)関連の史料は多い
しかしこの2人語るに必ず出てくる通称第4次川中島合戦の詳細はほとんどわからない

277人間七七四年2016/10/22(土) 06:57:45.23ID:fs6Hpase
文書って当時も貴重品で家宝として保存していたけど、戦で滅びた大名は当然ながら焼失したり離散する事が多かった訳だが
その点、武田なんかは誰が持っていたのだろう
まあ多いと言ってもどんな史料か知らんけど

278人間七七四年2016/10/22(土) 07:06:34.83ID:TnAArF2l
戦国遺文武田氏編見ればいいよ
とんでもない量だから

279人間七七四年2016/10/22(土) 07:14:16.35ID:c0zuZCJa
>>277
滅んだ大名家の文書は離散しやすいけど、発給を受けた側には残るからね。

多く残ってるのは宛行状や安堵状などの権利書や感状の類。
以前から自分が受けてた権利だよって事で、支配者が変わろうとも発給を受けた側が大事に保存するからね。

書状も発給を受けた相手の大名や国衆が生き残ってれば残存状況は良くなる。
逆に滅んだ大名宛の文書は送った側が案文や写しを置いてないと厳しい。

280人間七七四年2016/10/22(土) 08:15:46.80ID:lxmLbGpi
今武田家臣で書状が一番残っているのは山本菅助家だっけ

281人間七七四年2016/10/22(土) 14:15:14.50ID:sqDeREX4
>>277
江戸時代人気だったから専門家が頭抱えるほど偽書多いらしいぞw

282人間七七四年2016/10/22(土) 14:26:00.26ID:W81m7nrD
第四次川中島の武田氏感状数十点点検したらすべて偽書でしたは圧巻やね

283人間七七四年2016/10/22(土) 16:48:31.50ID:obx02sma
>>281
そういや江戸時代は偽書が流行ったんだよな
どこの大名も暇になったから御家自慢の為に大袈裟な文書を書かせて功績をでっちあげた
御丁寧に偽の書状まで沿えて

284人間七七四年2016/10/23(日) 07:04:09.90ID:BFMrYvQr
>>282
信玄の感状が偽文書なのはその通りだが数十点などと嘘をつくのはやめようね
川中島での信玄の偽文書は4点だよ

285人間七七四年2016/10/23(日) 09:34:59.18ID:dTiMG/bm
>>282
嘘つきくん

286人間七七四年2016/10/23(日) 16:49:01.94ID:MkzY3x1l
菅沼がどうこう言うけど信長狂信者も信玄辱めのためにサラッと大嘘吐くんだから同レベルなんだよね実際

287人間七七四年2016/10/23(日) 18:03:51.36ID:uRu6lEQp
有名な話なのに知らんのね。つか菅沼の自演か

288人間七七四年2016/10/24(月) 12:24:37.38ID:u03oi5Md
都合の悪いことは人のせいにします

289人間七七四年2016/10/24(月) 13:51:19.72ID:Q9Pm1BRY
豊臣秀頼のガタイが良くて、家康がガクブルしたって話は史実ですか?

290人間七七四年2016/10/24(月) 13:58:39.89ID:Y82k/YxO
そんな話は逸話にもありません

291人間七七四年2016/10/24(月) 20:53:15.44ID:1re/Gaw4
>>289
真田の大坂城入城に震えたって言う話ですら真田家の記録にしか無い
怪しい話なのに、歴戦の家康が図体がでかいだけの奴を恐れるわけ無いだろう
もしかしてへうげものの二条城の対面が元ネタか?

292人間七七四年2016/10/24(月) 22:19:18.80ID:fl8/HJI/
その逸話で言いたいことはそんな物理的なモンじゃないだろ

293人間七七四年2016/10/25(火) 03:49:27.20ID:mhENLhFN
>>291
「直接会見したときに秀頼がしっかりした若者だったから家康が恐れた」
っていう司馬遼太郎らも使ったエピソードをそういう書き方しただけじゃねーの

294人間七七四年2016/10/25(火) 14:12:08.49ID:fDmKp2m5
戦国の美談は三成と大谷の茶会話や島津が豊臣に同情して大坂の陣で遅陣したとか
怪しいのが多いが響野原の戦いで相良義陽が甲斐宗運との友情のためわざと敗死し
宗運が落涙した話とか何が目的で創られたのか

295人間七七四年2016/10/26(水) 11:30:23.90ID:OE04XE6+
何って相良氏の自家上げ逸話でしょう。利家夜話で前田家が自家上げしているのと同じようなもの

296人間七七四年2016/10/26(水) 16:44:15.23ID:XGMMTqkr
島津に事大したあげく盟友攻めたら返り討ちで敗死なんてそのまんま書けないよ・・・てとこだろ

297人間七七四年2016/10/26(水) 20:10:27.59ID:9bEvyjpW
宗運がやり手だというのは認知されてるけど
裏を返したら相当あくどいオッサンだという所もあんまり考慮されないな

298人間七七四年2016/10/27(木) 21:08:57.63ID:Vj4lUFwp
死んだのは関ヶ原から二年後なのに、いまだにその時の鉄砲傷が死因だって言われる井伊直政や
死んだのは天ぷらで食あたりをおこした三ヶ月後なのに、食い意地が張って死んだみたいに言われる
徳川家康みたいに下げ逸話が蔓延している人物も多いのに

299人間七七四年2016/10/28(金) 07:56:31.75ID:F/eI/sPn
戦傷が元で回復する事なく数年後に死亡する事はあるし
年寄りがちょっとした事で体調を崩し、そのまま弱って数ヵ月後に死亡するという事は極めて良くある事だ
期間が空いているからといって死因ではないという根拠にはならない

300人間七七四年2016/10/28(金) 08:22:19.09ID:rvvJ+jrL
島津にとって大敗北だった関ヶ原を武功に変えちゃうんだもんなあ

301人間七七四年2016/10/28(金) 10:36:59.25ID:p1FMXC6l
ものは言い様

302人間七七四年2016/10/28(金) 12:20:24.27ID:DwYm0DUd
言い様というレベルではないでしょ
すり替えが正しい

303人間七七四年2016/10/28(金) 16:27:55.13ID:OpjKwTeY
井伊直政死因の俗説:破傷風
破傷風の潜伏期間は一ヶ月以内
現代医学の見地からすると不成立
当時は潜伏期間に関する知識が不足していた可能性

徳川家康の死因の俗説:食中毒
鯛の素揚げを食べた直後に苦しみ出した
食中毒にしては症状が出るのが早すぎ、
また、死亡に至るまでの期間が長すぎる
従って素揚げを食べたことは死因とは無関係
その時刻付近で食事を摂らなければ症状が出なかったことを証明できない

>>299が言う「根拠にならない」論法は誤り
他の人物についていくら一般論を広げたところで、
>>298が具体的に述べている井伊直政と徳川家康については適用できない

304人間七七四年2016/10/28(金) 16:55:46.31ID:p1FMXC6l
>>303
銃創や天婦羅で体調を崩したとあるだけで破傷風や食中毒だなんて記録はないよ

305人間七七四年2016/10/28(金) 17:34:23.18ID:hT+bzspg
>>304
> 銃創や天婦羅で体調を崩したとあるだけ

そんな記録も一切存在しない

306人間七七四年2016/10/28(金) 18:22:28.49ID:OpjKwTeY
>>304
「俗説」に対する否定根拠の話であって、
信頼し得る記録についての話ではないのだが

的外れすぎて開いた口が塞がらないレベルの糞レス

307人間七七四年2016/10/28(金) 20:46:52.80ID:J3EwPm+H
まあしかし話盛って、自分とこの藩士を洗脳して、ヘンな全能感を覚えさせていけば戦で使える人間を造ることもできる
島津(薩摩藩)が幕末に戦える兵を出せたのも、
先祖の武功を盛って、すり替えて、藩士に俺たちはスゲえんだという全能感を持たせたおかげとも言えるし

全能感持たせすぎたせいで西南戦争で爆死したが

308人間七七四年2016/10/29(土) 07:15:24.88ID:eyV+6dLO
>>306
自分が言い出したのに馬鹿じゃないの

309人間七七四年2016/10/29(土) 20:47:06.16ID:7FWogxBl
>>308
全然関係ない
お前は馬鹿か

310人間七七四年2016/10/29(土) 20:53:52.46ID:+XOz+nvK
>>298
家康の死因が胃癌と言うのは結構浸透してきた気がするけど
直政の鉄砲傷についてはいまだに根強い感じがするね

311人間七七四年2016/10/29(土) 21:36:42.50ID:QpO0vgEC
これら話題の流れのどこに、
誰が言い出したかが論点にされている要素が隠されているのか、
サッパリだけどね

本当に意味不明だから、
どこがどう関係しているか
>>308に説明してほしいわ

312人間七七四年2016/10/29(土) 22:45:39.37ID:T9yL+Cl0
>>311
そもそも>>303の時点で完全に意味不明だと言う事
それを指摘したら意味不明だという意味不明さ
元々が意味のない仮定の意味に対する答えに意味を求める意味も不明

313人間七七四年2016/10/29(土) 23:11:17.53ID:7Q6t092n
もうちゃんと説明してくれればうれしいな

314人間七七四年2016/10/31(月) 11:15:00.46ID:CMkj3O79
前田利益や水野勝成、本多正重と政重、岩見重太郎と同一視される薄田兼相など
放浪譚持っている武将は結構いるけど、驍ェ一番有名だけど他にも海音寺や村上、
南條、大佛など多数の作家が創作者書いてる前田利益と比べて、他の武将の創作ものが
すくないのは何故だろう

315人間七七四年2016/10/31(月) 16:43:10.92ID:aOh3VUKZ
>>312

298の要点
井伊直政や徳川家康の死因についての俗説が出回っていた事実についての言及
(最後に、対象者を貶める意図を持って俗説が創られたのではないかとの疑義を、
 発言者自身が抱いているかのような言及もある)
【俗説否定】

299の要点
298に対する反論として一般論を適用し、
井伊直政と徳川家康の死因についての俗説否定根拠が、
「期間が空いている」事実しか無いかのように誤誘導
【俗説否定の否定】(または【俗説の肯定】)

303の要点
299の論法の過誤を指摘
【俗説否定】(または【俗説否定の否定の否定】)

とまあ、そこまでは議論が真っ向からぶつかっていたわけだが、
その後の>>303に対する>>304が噛み合っていない
「破傷風や食中毒だなんて記録はないよ」
記録が無いのに後世の俚説でそうしている=俗説
俗説の否定を裏付ける以外に使い途が無い内容を、
俗説を否定する相手にぶつけて反論したかのように装う駄文

306の要点
304の駄文っぷりに呆れ果てた旨を述べた感想

308では突然、
「誰が言い出したか」の問題に摩り替えるという、錯乱を発症
しかも態度が悪く、丁寧に対応する価値は無いことを自ら実証
304のどこに問題があったか、まるで理解できていない

316人間七七四年2016/10/31(月) 18:08:20.99ID:4e8Ez6ja
短い文章で要点だけをスパッと言えない奴は大抵頭が悪い

317人間七七四年2016/10/31(月) 18:47:24.07ID:w+06mpxp
秀吉が佐々成政と肥後国人の共倒れを狙って成政を領主ににんじたって逸話はいつ頃出来たのかな
当時からそう言う噂はあったんだろうか

318人間七七四年2016/10/31(月) 19:32:50.72ID:u4xw5isA
たんに遠国の肥後が空いたんで追いやっただけでは?

319人間七七四年2016/11/01(火) 20:34:40.07ID:3movnKsf
両成敗狙ってたかどうかは分からないけど
一揆に参加した国人は仕方ないにしても
中立を保っていた国人まで処罰しているんだよなぁ
52人いた肥後国人の中で48人が戦死あるいは処刑されたというし

320人間七七四年2016/11/02(水) 10:26:05.67ID:rs6dL3wn
中立とか有り得んだろ
佐々に協力しなければ敵対しているのと同じだし

321人間七七四年2016/11/02(水) 12:39:47.80ID:f4Ce1xqH
>>316
そうは言っても、
>>312のように頭が悪くて要点を把握する能力を欠いていると、
いちいち順を追って説明しなきゃ理解できないだろ?

322人間七七四年2016/11/02(水) 14:25:03.86ID:MQW8umES
順を追って説明する事と無駄な言葉をだらだら垂れ流す事は全く別
後者はただのバカ

323人間七七四年2016/11/02(水) 20:52:17.71ID:foQH8X9O
>>320
協力しない=敵対しているってなるのが分からない
自分の身を守る、もしくは状況の見通しが付くまで
どちらにも味方しないって選択はあり得るだろう

324人間七七四年2016/11/02(水) 21:11:28.46ID:ZrpT5bgn
無いでしょ

325人間七七四年2016/11/02(水) 21:52:17.43ID:Ih9U6azj
中立なんてよっぽど強力な勢力でもないと無理でしょ
簡単にできるなら大名に挟まれた小国があんな右往左往しないわ

元就でさえ若いころはそれで苦労して死にかけてるし

326人間七七四年2016/11/02(水) 23:32:49.32ID:kQklQgVM
中立≒豊臣政権の命令に従わない

近代で言えば赤紙来て出頭しないようなものでしょ

327人間七七四年2016/11/03(木) 04:41:14.87ID:elbF1f2O
中立=傍観
なまじ敵対した方がマシ

328人間七七四年2016/11/03(木) 07:52:19.30ID:pH32On2P
>>323
佐々は公的に任命されて赴任した国主であり、国人はその支配下に組み込まれているのに協力しない事が許されると思う方が分からん
例えるなら県警本部がテロリストとドンパチやって苦戦しているのに、地元の署の署員らが出動命令を無視して知らん顔で眺めているようなもので
警察庁にしてみれば「あいつら何やっているんだよ!頭がおかしいのか!?」と思うレベルの不可解な行動だし処分を受けるのは当たり前

329人間七七四年2016/11/03(木) 09:11:15.66ID:txOwJFfx
たんに秀吉の軍閥を公的存在と見做していないだけでしょ

330人間七七四年2016/11/03(木) 16:28:04.42ID:Nugbrwm3
見做さないのは自由だがその結果に伴う責任は取らされるわな。

331人間七七四年2016/11/04(金) 20:23:28.79ID:8GTlDw96
肥後に限らず九州に着任した豊臣政権側大名による国人層への攻撃例がかなり多いのをみても
近現代の公共意識でものを語るのは実態の把握に適さない

332人間七七四年2016/11/04(金) 23:33:19.50ID:GP2K6Ukz
黒田も黒人呼び出して騙し討ちしてるが
そもそも九州の大名や国人同士の間で騙し討ちが盛んに行われていた。
中央から来た大名が九州の国人を軽く扱って騙し打ったというより、彼の地の流儀で裁断したということかも知れないよ
協力的な国人が「兵を出すまでもありませんぜ」と。

333人間七七四年2016/11/05(土) 06:44:50.85ID:03/enpP6
佐々が隈部に負けなければ問題にもならなかったしあんな大事にもならなかった

334人間七七四年2016/11/05(土) 20:29:47.28ID:EuSkJKR9
伊達政宗と直江兼続が対等の身分みたいな設定
だったら上杉景勝はどんだけ偉いねん

335人間七七四年2016/11/05(土) 20:32:06.07ID:45AYqkrO
何言ってるんだろう

336人間七七四年2016/11/06(日) 05:35:54.16ID:/D28r6R3
>>334
あれはむしろ直江の方が景勝より偉そうにしているという問題

337人間七七四年2016/11/06(日) 07:59:14.63ID:iZkL693j
直江は大名格なんだからクソ政宗と対等なのは問題ないだろ

338人間七七四年2016/11/06(日) 14:11:08.65ID:dVzV+lGg
>>322
その私見は適用不可

>>306の時点で既に簡潔に
レスが間違っていることが指摘されたにもかかわらず、
その後つべこべと抵抗したことから、
簡潔な指摘でも理解できる知能が無いことが明らか

339人間七七四年2016/11/06(日) 15:39:18.78ID:P1QNKjs7
>>334
景勝は五大老なんだからまーくん如きじゃカウンターパートにならないだろw

340人間七七四年2016/11/06(日) 17:38:28.57ID:e1ajrhtV
かねやんは上杉家の家格をいいことに調子コイてた

341人間七七四年2016/11/06(日) 20:41:38.25ID:nN6JPYdh
>>314
橙さんが持ち上げられてたのは戦前くらいだろう
あと他の三人とちがい利益がよく取り上げられるのは
最終的に敗者側に付いたからじゃないのかな

342人間七七四年2016/11/07(月) 17:54:41.88ID:/rlIRBrL
>>338
なにトンチンカンな事ばかりほざいているんだゴミカス
キチガイは病院に帰れや

343人間七七四年2016/11/07(月) 18:07:16.44ID:RngDk14K
弁解不可能な間違いを指摘されて、
筋違いの攻撃に切り替えたか

344人間七七四年2016/11/09(水) 03:09:38.12ID:pvubbtlV
黒田官兵衛が好きなワイ
従来のイメージでは官兵衛は有能すぎて
秀吉から才能を恐れられ、あまり優遇されなかったって説を信じてたのだが
やる夫関ケ原のスレで
官兵衛は石高の自己申告を認められてただけで(実際は少なくとも20万石以上だった所12万石と報告していた)
実際の俸禄は最大級の恩賞を与えていたという解釈だった。
実際そうっぽいな〜と感じるんだが、これはやる夫の解釈が正しいと思っていいのけ?

345人間七七四年2016/11/09(水) 03:24:54.87ID:fqU10Mp0
>>344
大河便乗で出た官兵衛の新書4つ5つぐらい読んだけどその説は初めて知ったわスレのURLクレメンザ

「最大級の恩賞」っていうのは当たってるんじゃない。従来の家臣で官兵衛より石高多いの蜂須賀小六ぐらいだし
ただ、「才能を恐れられ」とか、政策や戦略を立案するようないわゆる「軍師」のイメージは後世の創作のようだ

346人間七七四年2016/11/09(水) 04:13:27.69ID:pvubbtlV
ホイ
ttp://snudge.blog38.fc2.com/blog-entry-1497.html

347人間七七四年2016/11/09(水) 08:14:00.59ID:Oxevhthg
>>344
それもフィクションだけどね。

石高ってのは政治的に積み上げられる数字なので、棹入れをするような検地ではなく指し出しで
緩く済ませると低い数字になりやすい。黒田の豊前6郡はこのケースですな。

そして再検地でガンガン打ち出しが発生するのもお約束。

348人間七七四年2016/11/09(水) 08:20:33.42ID:+B8YMO9X
>>343
いつまでちまちま言い分けしてんだ
目障りだから消えろゴミカス

349人間七七四年2016/11/09(水) 09:02:18.48ID:pvubbtlV
フィクションの部分がちょいわからんのだが

指し出し検地だから低い数字がでただけで
官兵衛が意図的に低い数字を申告したわけではない
ってこと?

350人間七七四年2016/11/09(水) 09:52:23.05ID:x3dmQvOX
一次史料に石高はない編纂物は12万石13万石17万石18万石とばらばら
秀吉の宛行状は6郡としか検地前なので書いてなく入部後にすぐ検地初めてた書状があっておそらくすぐ終わったので
指出しでさっくり12万石出してその後の再検地で18万石打ち出したとみるのが妥当かな
佐々に秀吉が検地は最初は優しくやれやと言った逸話にも合致するよなとかも思う
18万石相当なら与力子飼いの中では蜂須賀と肥後半国を断った宮部に次ぎ、その次の福島を大きく引き離す
当時としては最大級の恩賞ということになる

351人間七七四年2016/11/09(水) 13:39:15.33ID:z8GtQR23
>>348
レスを付ける相手が間違っている
間違ったことを言った者が、間違いを認めずに弁解することを言い訳と言う

もしお前が>>304本人なら、
間違ってました、ごめんなさいと、さっさと謝ってしまえ
それで済む話だから

352人間七七四年2016/11/09(水) 13:48:23.30ID:DWjkabdS
キモい奴だな
死ねばいいのに

353人間七七四年2016/11/09(水) 18:45:14.72ID:fqU10Mp0
ちょっと調べ直したけど、「官兵衛は能力が高すぎて秀吉に疎まれて石高落とされた」説の初出って、
名将言行録あたりかと思ってたんだけど黒田家譜から出てるんだな
黒田家譜が書いてるんならちょっと信じても良い気がしてきたわw

354人間七七四年2016/11/09(水) 18:50:22.34ID:pI0eaB2l
黒田側が言い出してるからこそ信じられないんだよ・・

355人間七七四年2016/11/09(水) 20:41:24.29ID:R0AJPUgN
筑前を52万石とフカシ入れ過ぎた事が問題の発端だ

356人間七七四年2016/11/09(水) 21:19:51.15ID:x3dmQvOX
黒田家譜は普通に信じられない。盛りすぎや

357人間七七四年2016/11/10(木) 00:28:50.74ID:KY8dRUpi
>>349
そもそも官兵衛に限らず誰もが普通に自己申告なので
その時点でフィクションになってる。

358人間七七四年2016/11/10(木) 21:08:18.24ID:vbAGribS
>>356
利家夜話の中で蒲生氏郷が次の天下人が家康ではなく利家と言ったとか
左衛門佐君伝記稿の中で真田が大坂城に入ったのを聞いた家康が震えたみたいな
自家を持ち上げる為の自作自慢話なんて多々あるしなぁ

359人間七七四年2016/11/11(金) 00:08:44.81ID:eUZOWJlv
家康が前田利長に帰国を勧めた(その後謀反と言って前田討伐を言い出した)って話も前田家発だっけ

360人間七七四年2016/11/11(金) 00:40:20.39ID:asWFLgK0
上杉家譜や綿考輯録も基本、直接婉曲織り交ぜた自慢話だからな
滅んで何も言い返せない大名をdisったり何かと都合良くまとめてる

361人間七七四年2016/11/11(金) 01:14:06.97ID:caFLy22Q
自慢話も明らかに誇張くさいのは判別できるからいいけど、
黒田家譜みたいになまじ文才があると良く取り上げられて通説化してしまうのがまた

362人間七七四年2016/11/11(金) 06:42:57.84ID:Jsp+i3v2
島津もそうだけどね
第三者による目撃情報の無い自己申告武勇伝ばかり
関ヶ原みたいに目撃者がいる戦では戦わずして敗走とか、情けない話しか残ってない

363人間七七四年2016/11/11(金) 12:25:54.32ID:donKB55g
小早川秀秋のやる夫関ケ原は従来のイメージを変えたいというコンセプトが伝わってくるから
AAのノリが嫌いじゃない人にはお勧めだわ

364人間七七四年2016/11/11(金) 13:19:11.92ID:caFLy22Q
あれ逆の方向に創作してるだけやん

365人間七七四年2016/11/11(金) 21:27:15.65ID:nOIHdsg7
立花宗茂とかも関ヶ原後の牢人暮らしの苦しさとか
名将としての逸話とか大名復帰後の評判の良さとか
立斎旧聞記や立花家文書が元ネタなんだっけか

366人間七七四年2016/11/11(金) 22:06:30.07ID:Tk7iwejz
太閤検地の時代は思ったよりきっちりとは測ってないって聞いたけど、
後になって順次検地をやり直して表高を定めなおしたりしたのかな

367人間七七四年2016/11/12(土) 05:57:45.20ID:b/eUj/pZ
軍記で面白おかしく語る

家譜・系図で祖先の評判を捏造・誇張する

軍記にじゃんじゃん採用される

正のスパイラルw

368人間七七四年2016/11/12(土) 07:06:56.65ID:pJKD4En8
>>366
検地には全国的な統一基準とかないからキッチリなんてものは存在していない。
結果も等級や石盛でいくらでも操作できるからさ。

369人間七七四年2016/11/12(土) 07:37:07.45ID:iZUtVpE1
じゃあ逆に言うといくらでも難癖つけられると言うことだな
検地こえぇわ

370人間七七四年2016/11/12(土) 09:33:34.63ID:nnlgDTQw
>>366
そやね検地は繰り返し何度もやるもの

371人間七七四年2016/11/12(土) 11:26:19.92ID:EahFoBFd
>>358
氏郷も家が断絶した割には結構持ち上げられている武将だよな
秀吉からの評価は猪武者扱いだったり、徳川、伊達の押さえになる武将だったり
天下を狙える男で暗殺されたりだったりと逸話によって様々だが

372人間七七四年2016/11/12(土) 11:46:29.56ID:9FCcvD2z
武蔵は関ヶ原では西軍、大坂のの陣では豊臣方に属してたって俗説が長年根強かったな
実際はどちらも逆だったみたいだけど

373人間七七四年2016/11/12(土) 12:06:32.69ID:BPKSSzao
>>371
前田家と親戚(氏郷娘が利家次男の正室)だから前田系史料からの出典があるな
これは宇喜多秀家にも言える

374人間七七四年2016/11/13(日) 20:39:33.18ID:YM+SKMbr
>>372
大坂の陣では水野勝成の軍陣にいたんだっけ
水野勝成がこれまた創作されたと思われる逸話たっぷりの人物だが

375人間七七四年2016/11/14(月) 21:10:28.46ID:vfbUXgC/
>>360
武田家みたいに父親の信虎や息子の勝頼をdisって信玄ageるような場合もあるしね

376人間七七四年2016/11/15(火) 21:23:57.88ID:JwQzd9ty
名将言行録や常山紀談、藩翰譜とかに逸話が盛られてる武将は
やっぱり色々な創作話のイメージが浸透しているよね

377人間七七四年2016/11/18(金) 21:36:58.91ID:b/1QhSyr
>>376
それは昔の歴史小説や講談の元ネタ集みたいなものだからね

378人間七七四年2016/11/19(土) 02:24:57.47ID:yU1LQAy1
>>365
立花宗茂は主に秀吉の書状とかで活躍が確認できるものが多いし
碧蹄館の戦いに関しては安国寺恵瓊、島津義弘、長曾我部元親等からも祝状を送られて賞賛されてるな
慶長の役は記録が少ないから怪しい面も多いけど
隈部家、京極家、島津家なんかの敵方の文献でも評価が高いのと
大名復帰後は秀忠や家光から側近として重用されてた記録も多いから
能力的には実際有能だったと思われるよ

379人間七七四年2016/11/20(日) 10:34:45.92ID:AU6/EMqB
宗茂が大軍に勝てないことは鍋島と戦って証明されちゃったけどね

380人間七七四年2016/11/20(日) 15:36:19.56ID:4U0tSoe/
宗茂は大坂から引き上げるときに家臣の薦野半左衛門残してて徳川との和睦交渉をさせて、
柳川に戻った後も清正と和睦交渉しつつ支城の城島城や酒見城から兵を引かせて
柳川城に戦力を集結させて和睦成立まで防衛戦をするって方針をとってたんだけど
なぜか蒲池城主の小野和泉が手勢の千二、三百人で江上・八院に討って出て戦闘が発生したんだよな
理由が加藤や黒田が来る前に夜襲を仕掛けて鍋島軍を引かせたかったからとか、
戦わずに降るのを嫌ったためとか、鍋島が許せなかったとか諸説あってはっきりしないけど

381人間七七四年2016/11/21(月) 15:24:33.50ID:moQtfThE
宗茂が大軍に勝てないことは鍋島と戦って証明されちゃったけどね(キリッ

www

382人間七七四年2016/11/21(月) 16:11:38.74ID:ybt1JckQ
どこに笑う要素が?
負けたのは事実だろうに

383人間七七四年2016/11/21(月) 19:51:16.48ID:ySb6XVP4
宗茂って実際のところ強い敵と戦ってないし
大きく活躍した相手が一揆と格下の明軍ではなぁ

384人間七七四年2016/11/21(月) 22:17:33.01ID:YY1VYvAm
戦も政治もこれといった実績はないからな

385人間七七四年2016/11/21(月) 23:47:13.22ID:KQwGUOJJ
信頼性の高い史料だけで見ると殆どの大名がそんなものだけどな

386人間七七四年2016/11/22(火) 00:21:12.41ID:NdfiqGo+
>>383
碧蹄館の戦いで宗茂たちが撃破したのは明軍の中でも東李西麻とか遼東鉄騎と言われてた
李家軍で、率いてたのは李家九虎将の李如松だと知ってて言ってるんだろうか?

>>384
美濃の刀工を招いて柳川に鍛冶町を作ったり、越前の紙漉き職人を呼ばせて九州の紙漉き産業の
発展に貢献した実績はあるかな

387人間七七四年2016/11/22(火) 00:57:32.88ID:dYLOCiai
朝鮮なんか誰でも活躍してるからな

388人間七七四年2016/11/22(火) 05:37:52.46ID:+iLlRm4h
負けた武将探すほうが難しいくらいだもんね
明らかに弱い明軍

389人間七七四年2016/11/22(火) 07:05:50.39ID:NdfiqGo+
小西行長と加藤光泰と前野長康が碧蹄館の前に負けてるけどな

390人間七七四年2016/11/22(火) 15:18:17.31ID:GGKLJ4je
最近の朝鮮出兵負けてない論はどうもな
面目が潰れない程度の敗退ができたと言うなら分かるが

391人間七七四年2016/11/22(火) 16:35:10.79ID:nueiriN4
中国側でさえ勝ち目が無かったと言っているのに、日本の負けとか主張するのは朝鮮人ぐらいだろう

392人間七七四年2016/11/22(火) 20:17:20.29ID:dYLOCiai
出た

393人間七七四年2016/11/22(火) 23:37:08.36ID:EugDOnD4
李家九虎将とか初耳だったし、当然のように正史にも記載されて無いけど
渾名だけは立派なんだな

394人間七七四年2016/11/23(水) 04:28:06.74ID:ZG29+in8
なんかよく分からん創作の影響受けてる輩が多いな

395人間七七四年2016/11/23(水) 14:30:28.85ID:QcyBkaX7
李成梁の九人の子は皆精強であり、全員が参将以上の地位を与えられていたので
時の人は李家九虎将と呼んだ
って李成梁や李如松について調べると結構出てくる記述だけどな

いずれにせよ明軍との戦いの中でも
碧蹄館の戦い、清正の蔚山城防衛戦全般、泗川の戦い、露梁海戦
の4つは評価できる点が多いと思うよ

396人間七七四年2016/11/23(水) 15:49:29.82ID:S1B9tqGn
じゃあ強い敵と戦ってきた武将って誰だよ

397人間七七四年2016/11/23(水) 16:19:01.62ID:QQSkdOYd
李氏譜系
なんだ出所は家譜かよ
そりゃ盛るだけ盛るし、明史にも採用されん罠

398人間七七四年2016/11/23(水) 18:28:53.86ID:14aZu323
明軍そのものが日本軍より弱いことは明白だし
国内の合戦のほうがレベル高い

399人間七七四年2016/11/23(水) 18:55:17.29ID:65H/hZsK
>>398
それなら、なぜ、日本軍は朝鮮半島から撤退のやむなきに至ったのだろう?
明軍は弱い、弱いというが、それなら、北京は楽勝で日本軍の手に落ちていたろうに。

400人間七七四年2016/11/23(水) 18:57:27.29ID:65H/hZsK
それは、国力的に勝てないというのはナシだよ。
本当に強い軍なら、国力差をくつがえして勝つ。
アレクサンドロス大王とか、小国のマケドニア軍を率いて、ペルシャ帝国を征服しているからね。

401人間七七四年2016/11/23(水) 19:27:02.83ID:fRWdHM4A
また変なの来たな

402人間七七四年2016/11/23(水) 19:35:37.80ID:OjATuu+D
>>399
何度も言われてる事だが朝鮮半島が貧しすぎて補給基地に出来なかったから。
列島から補給しても中国本土は遠すぎて無理。

403人間七七四年2016/11/23(水) 19:41:30.58ID:65H/hZsK
>>402
海上補給すればいいじゃない。
現地調達で何とかなるなんて、愚の骨頂でしょう。
そんな超おバカな補給軽視の発想で、朝鮮半島に侵攻したとか、日本を馬鹿にしている。

404人間七七四年2016/11/23(水) 20:07:05.67ID:OjATuu+D
>>403
現地調達は基本だよ。だからそのつもりで初めの侵攻で半島のかなりの部分を抑えたんだけど
現地調達は無理と判って海岸線まで引いて、それからは列島から補給しながら再度侵攻した。
そんな状態で半島の先の中国本土なんて目指しても勝てる訳がない。
中国本土まで海上補給?バカか?

405人間七七四年2016/11/23(水) 20:44:34.70ID:QcyBkaX7
文禄の役は秀吉への連絡と指示が渡航でどうしても遅れるから現場の判断との食い違いが出た
当初目標の漢城を早く制圧しすぎて、秀吉の次の指示が来る前に宇喜多秀家等が漢城で
八道国割を決めて戦力を分散してしまい、遅れて秀吉から南部より明軍に備えて北部の制圧を
重視するように指示が来るけど、すでに各軍が展開してたんで、全羅道の6番隊だけしか南部から戻らなかった
その分散したところに明軍の援軍がきて平城が奪還され、碧蹄館で6番隊が明軍を撃退したけど
分散した各地で物資不足になり、戦略の見直しもあって講和に流れてしまった

406人間七七四年2016/11/24(木) 10:43:11.46ID:tVSikIeX
明は主要都市が城塞化されている
都市を20も落とせば降伏させられる可能性が出てくると思うが、

一つも落とせていない事実

これで負けじゃないというのは、
脳味噌の仕組みが朝鮮人並だろ

407人間七七四年2016/11/24(木) 15:13:14.42ID:+9OIdago
戦略目標を達成できなかった時点で日本側の勝ちとはいえないが
それは明・朝鮮軍が戦術レベルで日本側より強かったことの証明とはならない

実戦指揮官でしかない立花宗茂の話をしてるんだから
大戦略で勝った負けたはどうでもいいこと

408人間七七四年2016/11/24(木) 17:32:26.86ID:tVSikIeX
何か勘違いしているようだが、
勝ち目の有無の認識と現実の勝敗の区別がつかない
>>391の論点がズレている点に対する否定であって、
立花宗茂の話は関係ない

そもそも無知な>>391が口出しをしなければ脱線することも無いわけで、
今後そういった事態の再発を回避するために啓蒙してやっただけのこと

409人間七七四年2016/11/24(木) 19:11:11.03ID:2Iawx4Bo
>>408
お前が無知でトンチンカンな事を一人で喚いているだけだろ

410人間七七四年2016/11/24(木) 20:22:57.93ID:tVSikIeX
>>409
全然違う
読解力が無いなら、黙ってろよ

411人間七七四年2016/11/24(木) 20:28:24.87ID:BTBZezo9
もともとは戦闘での勝ち負けの話だったように見えるが

412人間七七四年2016/11/24(木) 20:49:18.94ID:UclJ2su0
立花宗茂の戦績の話←わかる

朝鮮征伐での個々の戦いに話が移る←まあわかる

突然、明の都市が城塞化だの戦争全体の勝敗だの言い出す←???

413人間七七四年2016/11/24(木) 21:30:09.16ID:3Q6YGxsT
まぁ話はだんだん逸れていくもの、どこかで打ち切らないとな

414人間七七四年2016/11/24(木) 22:09:51.00ID:+9OIdago
本来の宗茂の話を流しちゃうしね

415人間七七四年2016/11/24(木) 22:33:43.38ID:Vde9M+xO
話の流れを変える為に村正が徳川家に祟る刀だって
家康が忌み嫌ったって話は何処まで信憑性があるんだろう
幕末くらいまでにはもう世間には浸透していたのかな

416人間七七四年2016/11/24(木) 22:51:48.79ID:YgLNzg6B
尾張徳川家に、家康の形見として、村正の刀が伝わっていることからして、
私としては信憑性は0に近い、と判断しているが。
そんなものは、尾張徳川家の伝承の誤りで、村正が徳川家に祟る刀なのは間違いない、とかいう人がいるからな。
その証拠に、尾張徳川家は断絶していて、事実上、紀州徳川家に乗っ取られているではないか、と言われると、
確かに間違ってはいないし。

417人間七七四年2016/11/24(木) 23:28:18.51ID:sorsmlwI
まあ島津義弘よりは碧蹄館の野戦で寡兵で先陣を支えた宗茂のほうが評価されるべき
島津義弘は木崎原とか朝鮮での活躍とか胡散臭いものが多い

418人間七七四年2016/11/24(木) 23:45:40.08ID:BmDeLCOl
>>416
「村正が徳川家に祟る」は肯定出来ても「家康が村正を忌み嫌っていた」は証明できてないなそいつ

419人間七七四年2016/11/25(金) 12:27:04.04ID:R7hHYini
そもそも家康が村正を嫌ってたなんて逸話あったっけ?
周囲が気を遣って村正を表立って用いなくなったというような話はよく見掛けたけど

420人間七七四年2016/11/25(金) 17:18:34.02ID:XD6DLuky
>>419
徳川実紀の東照宮御実紀附録に「村正は当家にささわるようだから差料の中に村正があったら捨てるように」という話がある

421人間七七四年2016/11/26(土) 07:16:19.68ID:r2gLMXl5
じゃあもうそれでいいじゃん
幕府の公式見解なのだから

422人間七七四年2016/11/26(土) 11:11:22.56ID:rl9HrknM
公式見解というか単なる逸話の紹介じゃないの?附録なら。

423人間七七四年2016/11/26(土) 11:41:16.01ID:ZIi+L3UX
そやね。本編に採用されてるのもあるけど

424人間七七四年2016/11/26(土) 21:40:20.40ID:V9FapxTd
村正が徳川に祟る刀の逸話って清康の殺害、広忠の暗殺、築山殿の殺害
信康の切腹に使われ、家康自身を何度か負傷させた内容だったと思うけど
東照宮御実紀附録に採用されているものってあるの?

425人間七七四年2016/11/26(土) 21:54:53.28ID:GLUrWbhk
三カ殿二股にて御生害ありし時。検使として渡邊半藏守綱。天方山城守通興を遣はさる。
二人歸りきて。三カ殿終に臨み御遺托有し事共なくなく言上しければ。
  君何と宣ふ旨もなく。御前伺公の輩はいづれも涙流して居し内に。
本多忠勝榊原康政の兩人は。こらへかねて聲を上て泣き出たせしとぞ。
其後山城守へ。今度二股にて御介錯申せし脇差はたれが作なりと尋給へば。千子村正と申す。
  君聞し召し。さてあやしき事あもるもの哉。其かみ尾州森山にて。安部彌七が  C康君を害し奉りし刀も村正が作なり。
われ幼年の比駿河宮が崎にて小刄もて手に疵付しも村正なり。こたび山城が差添も同作といふ。
いかにして此作の 當家 にさゝはる事かな。此後は御差料の内に村正の作あらば。みな取捨よと仰付られしとぞ。

426人間七七四年2016/11/27(日) 00:47:22.58ID:4umU3H2V
村正って三河ローカルでは
実用性が高い高評価の一般的な銘刀
じゃなかった?
つまり出来る武士なら普通に所持とか。

427人間七七四年2016/11/27(日) 01:24:36.19ID:TK0HdOO+
三河に一番近い名工が船行けばすぐの桑名の村正
当然徳川家中は蜻蛉切りをはじめ村正だらけ、当然悪い出来事にも出てきやすい。
そんなことは知らない徳川の歴史をまとめていた新井白石が不吉の例多いなぁといったのに尾ひれついて定着
こんな流れやろうな

428人間七七四年2016/11/27(日) 01:45:16.95ID:4umU3H2V
>>427

どうせなら本多忠勝が指先怪我した小刀
まで「村正」なら判るけど。白石・・・。

それとも何かしら政治的な理由や配慮で
「村正」以外の刀工の評価を相対的に高める
必要があったとか?褒章の価値とか。

429人間七七四年2016/11/27(日) 01:53:21.07ID:4umU3H2V
>>428
連投すまん。
確か「村正」所蔵がバレて処罰された幕臣が
居たような。
と言うことは,もうその時点で「村正」は
ご法度だったと言う事か。

幕末浪士でも反幕府方は敢えて村正使った
とかとも。

430人間七七四年2016/11/27(日) 02:24:04.64ID:GCnuivUS
家康、村正コレクターなんですが…

431人間七七四年2016/11/27(日) 18:52:04.34ID:ftS6sHAg
>>294
その大谷と石田の茶会話だが、実は大谷から「早く茶をよこせ!喉が渇いて
たまらんわい。」と言って取り上げたのは太閤。
大半の武将は百姓上がりの卑しさよと心の中で嘲笑したが、心あるものは
太閤の優しさと思いやりと機転に感心し、刑部は茶会の後治部少に会い、
「あのお方(太閤)の為なら命は要らぬ。」と号泣したと言う。

432人間七七四年2016/11/27(日) 18:52:36.92ID:ftS6sHAg
>>294
その大谷と石田の茶会話だが、実は大谷から「早く茶をよこせ!喉が渇いて
たまらんわい。」と言って取り上げたのは太閤。
大半の武将は百姓上がりの卑しさよと心の中で嘲笑したが、心あるものは
太閤の優しさと思いやりと機転に感心し、刑部は茶会の後治部少に会い、
「あのお方(太閤)の為なら命は要らぬ。」と号泣したと言う。

433人間七七四年2016/11/27(日) 21:28:52.50ID:6ZiIEpgX
秀吉と刑部が同席するなら秀吉が正客か主人なので順番がおかしい事になる。
嘘くさい。

434人間七七四年2016/11/27(日) 21:57:58.65ID:Yp2goJaU
吉継が癩病だっって話がそもそも創作みたいだからね
結果を知っているから吉継が西軍に付いた事が不思議に見えるんで
その理由付の為に創られた逸話の一つじゃ無いかな

435人間七七四年2016/11/28(月) 07:56:40.62ID:LdYWz2+g
>>432
「実は」っていうか、それも江戸末期に初めて登場した逸話。

436人間七七四年2016/11/30(水) 21:03:09.23ID:ahG+lg9s
吉継は義将扱いされたり秀吉に大軍を指揮させてみたいと評価されたとか
持ち上げられる逸話が多い反面、辻斬りの噂とかあるし
実際当時の諸大名の間ではどの程度の評価だったのか

437人間七七四年2016/12/03(土) 22:08:49.44ID:4dMBfn2A
信孝の辞世の句
〜むくいを待てや 羽柴筑前
すげー好きなんだけど
創作らしいね(´・ω・`)

438人間七七四年2016/12/03(土) 22:57:35.78ID:dWqmYq6J
仮にも大名の子があんな下手くそな辞世の句を詠んでいたとしたら引くわ

439人間七七四年2016/12/04(日) 00:20:27.74ID:OTdgFK5D
報い(同族の織田有楽斎を通じて大阪の陣で豊臣を滅ぼす)

440人間七七四年2016/12/04(日) 00:35:22.67ID:URmL3rU2
実際報いは受けたしな

441人間七七四年2016/12/04(日) 02:23:55.32ID:IBpODt0B
秀吉は受けてないだろw

442人間七七四年2016/12/04(日) 07:24:51.26ID:7a92yDS2
滅んだのは織田の血を引く秀頼だしな
まあ、信孝を殺したのは信雄だから織田一族を呪ったのかもしれないが
いやそれだと張本人の信雄がピンピンしてるのがおかしいか…
信雄が悠々と人生を謳歌している時点で何もないと言うことだな

443人間七七四年2016/12/08(木) 03:53:42.76ID:uAqUYo4R
信長直系の子孫がスケートの織田信成を「知らなかった」とかdisりまくってた
記事が結構衝撃やった。正直騙されてたワー(;´∀`)

サッカーの丹羽さんとか、爆笑問題太田の奥さん太田光代(松永久秀の子孫を自称)
辺りの自称子孫は胡散臭い

444人間七七四年2016/12/08(木) 07:26:41.22ID:9swusa1+
芸能関係は特に出自の怪しいのが多いからな
曾祖父の代ですら不確かな者が多い

445人間七七四年2016/12/08(木) 10:10:29.95ID:4Id9jUOt
武田信玄の子孫ってモデル?が出てきた時も子孫会のような団体が、こんな奴知らねえよ、て怒ってたな。

446人間七七四年2016/12/08(木) 10:40:18.95ID:Cr2gmd/Z
https://goo.gl/eH1eR4
これ嘘でしょ。本当なの。。?

447人間七七四年2016/12/08(木) 15:00:17.89ID:jeDJrnfs
秀吉は、史上、類を絶した悪党

司馬遼太郎が自分の小説のために創った設定だった

448人間七七四年2016/12/08(木) 15:45:23.40ID:9vHG1hJC
>>445
脇坂のところも逮捕された女医が子孫と言っていたけど
直系子孫にうちとは一切関係ありませんと言われてたなw

あと誰々の子孫名乗りをしている人というと仁科明子とか
(仁科盛信)甘利議員(まんま甘利)とか名前忘れたけど戦国大戦の
イラスト書いた人(池田恒興)あたりがいるかな
清春が森家(清春は本名が森姓)の同族という噂も昔からある

449人間七七四年2016/12/08(木) 16:11:52.15ID:gT6x6HuO
自称子孫さんの信憑性が怪しいのは鎌倉時代には既に多くいた
戦国〜江戸時代にかけて増殖
今見限ったことじゃない、日本人の癖さ

450人間七七四年2016/12/08(木) 16:21:34.25ID:8MBLMhVq
神様の子孫連中からの由緒正しき伝統てか

451人間七七四年2016/12/09(金) 10:43:19.17ID:wOAua+ZM
>>447
”史上、類を絶した「大」悪党” だったような

実際には、石虎とか蕭宝巻とか、
比肩するような外道は枚挙にいとまがない
類を絶した、というような事実は無いな

452人間七七四年2016/12/09(金) 12:13:13.65ID:ieQKGrYx
>>449
家系の捏造は世界中どこもそうだろ
日本はかなりマシな方
数千年殆ど外からの流入がなかった為に同一性が高いから実際に何かしらの血縁がある可能性が高いし
地域共有の記憶が多いので嘘を吐いてもすぐにバレる

453人間七七四年2016/12/09(金) 14:04:57.24ID:2GrNLb6u
韓国人のほぼ全てが、王侯貴族の家系()というのは
有名だな。

454人間七七四年2016/12/09(金) 14:10:45.47ID:K6XtOV7R
逆に血統ガチガチのヨーロッパは王家がみんな親戚

455人間七七四年2016/12/09(金) 15:20:04.48ID:2GrNLb6u
そういや、王様同士が親戚だと、戦争してもそうそう大事に
ならんね。
それが民主主義やら共産主義やら思想がらみだったり、
ナポレオンやヒトラーみたいな成り上がりがトップに立つと
とんでもないことになるけど。
 
戊辰戦争も本州西端から北海道までの大戦だった割に、
動いた兵力も少ないし、民衆への被害も知れてたのは
諸侯皆親戚みたいなこともあったのかね。

456人間七七四年2016/12/09(金) 15:34:13.67ID:zLdr8tj+
>>451
日本史上という意味かもしれないのにいちいち考え方も民族も国も違う
中国史上の人物を出す必要ってあるの?

457人間七七四年2016/12/09(金) 19:15:53.43ID:8v13rt2x
>>455
人間って思想、階層が絡むとえらい残忍になるよね
マリー・アントワネットの側近中の側近だったポリニャック夫人は革命時にまっさきに逃げ出したけど、ポリニャック夫人の前に寵愛されていたランバル夫人は王妃と運命をともにして散ったよね
最期は切り刻まれた上に性器はオルレアン公のテーブルに放り込まれたらしいし

458人間七七四年2016/12/09(金) 23:01:19.65ID:wPy6V85G
板違いの雑言を繰り返す馬鹿

459人間七七四年2016/12/10(土) 00:01:42.41ID:MtjcZ9kH
>>447
韓国史観かな?

460人間七七四年2016/12/10(土) 15:38:09.97ID:GD9uD2ba
>>459
司馬遼太郎は小説の構想を練るにあたっては、かなりの量の史料を調べるからな
史料に基づき、小説の方向性によっては、秀吉が真正の悪人であることを
擁護不可能な事実として進めなければならないこともある

郷土愛を履き違えた一部の大阪史観とは一線を画すのだよ
病的なまでに秀吉を妄信する大阪人には申し訳ないが、
司馬遼太郎は客観的に史実を見ることもできる作家だった

461人間七七四年2016/12/10(土) 15:55:49.96ID:Ff9okyua
>>460
ぶっちゃけ近世日本国民史ぐらいしか調べてねえぞ司馬遼

462人間七七四年2016/12/10(土) 17:10:02.29ID:5srQfKi7
そもそもアクセスして取捨できる情報が古くて少ない

463人間七七四年2016/12/10(土) 17:11:14.11ID:LEf6QSsj
司馬遼はそれなりに取材魔だろ。
自分の作品に都合がいいように誘導質問するから関係者の一部にはかなり嫌われてたらしいが

464人間七七四年2016/12/11(日) 08:46:01.17ID:FVdkiTL9
亡くなってから20年も経つ小説家に文句たれてもなぁ
なんの意味も無いだろうに

465人間七七四年2016/12/12(月) 08:30:48.99ID:xnnz17Bg
この板は亡くなってから400年以上経ってる武将に文句たれてるとこですぜ
ここには来ない方があなたのためだ

466人間七七四年2016/12/12(月) 23:44:46.52ID:Voh61cYt
芸能スポーツ板で井伊直虎のスレ見てこの板に来ました

467人間七七四年2016/12/13(火) 01:31:04.66ID:5Rt2jg1x
>>466
斎藤道三も今では親子2代説が主流なんでしょう
国盗り物語の時は、まだわかってなかったのかな

468人間七七四年2016/12/13(火) 07:05:35.56ID:8/PSApkF
国盗り物語は1963年8月から1966年6月まで連載
岐阜県史は1964年編纂開始で六角承禎条書写が収録された「史料編 古代・中世4」は1973年発刊

そりゃ無理ですな

469人間七七四年2016/12/13(火) 14:47:22.44ID:YaQhtiYg
小笠原長忠と小笠原信興が混同されたようなものか?

470人間七七四年2016/12/16(金) 23:24:54.35ID:U07mMq1V
斎藤道三、親子二代説何て、戦国時代からあったのだが。
司馬遼太郎が分かっていなかった、なんて、あり得ないwww
司馬遼太郎擁護も、ここまで来ると、笑うしかない、というレベルだな。

471人間七七四年2016/12/16(金) 23:40:08.83ID:9Sd47Pl3
>>470
ちょっと興味があるんだが、斎藤道三親子二代説を述べていた戦国時代の人って誰?

472人間七七四年2016/12/17(土) 14:02:08.48ID:ekJm3xnN
親子二代って当時の美濃周辺の人は当然知ってたよな

でも早ければ寛永期には失伝して>>468の時期まで一般には流布していなかった
司馬が国取物語書いたのは一般には知られてなった時期

にも関わらず司馬が知ってなければおかしいとする>>470
司馬エスパー説orタイムトリッパー説だな

473人間七七四年2016/12/17(土) 21:16:15.02ID:mw3dLe7D
>>472
「江濃記」を始めとする昔の文書に、親子二代説は載っていたが。
一般に知られていなかったというが、この時代を研究していた学者なら、当然、その頃から知られていたレベルの話。
司馬が、本気で書くつもりなら、それくらいは調べて当然だろう。

司馬は、自分の都合のいい資料しか読まないからな。
例えば、日露戦争の公刊戦史を、無価値極まりない、と酷評している。
「機密日露戦史」を主な種本にして、「坂の上の雲」の旅順要塞攻防戦を描いたが、
この本、日本工兵の第一人者、上原勇作元帥に、間違いが多いと指摘された著作。
それを主な種本にするのだから、司馬の話は、かなり割り引いておかないと危険。

474人間七七四年2016/12/17(土) 21:25:51.28ID:ztP9Jnpj
そもそも司馬に戦国当時の一次資料なんか読めなくて
膨大な資料って明治以降の歴史小説や研究書じゃないっけ?

475人間七七四年2016/12/17(土) 21:53:54.04ID:FgX/RKrK
いちおう確かに司馬遼太郎は大変な取材魔なのは事実。ただ、調査対象が海図だったりとか、歴史とは直接関係のないものも多かった。
あれは小説を書くための材料を収集していたのであって、別に歴史の研究をしていたわけじゃないから、そこは割り引いて考えないと。

476人間七七四年2016/12/17(土) 23:35:44.39ID:HU8RLxit
司馬遼太郎に当時の学者でさえまったく信じてなかった説に関するものを読んで小説に採用するべきだーとか
一体どんだけ無茶振りするんだよw

477人間七七四年2016/12/18(日) 00:04:53.16ID:dZWaeOqU
司馬遼太郎大好きだからあえて書くけど物語として面白い方を選択してるだけだよ
小説>史実
子母澤寛が史実に自分の自説ねじ込んでるのを見てるから当然自分もやります
司馬遼太郎を攻めるんなら子母澤寛も攻めるべき

478人間七七四年2016/12/18(日) 01:57:02.21ID:0NHqJIl+
別に斎藤道三親子二代説を採用した方が話が面白くなると思うならそうするのが作家というものだと思うが、そうしなかったことをどうこう言う筋合いなんて、後世の部外者たる我々にはないんじゃないか?

479人間七七四年2016/12/18(日) 08:03:12.00ID:tI2qVqn5
まあ、小説だから道三が五人でも十人でも別に構わないわな
小説に対して史実云々言うのはあまりにも間抜け
ハリー・ポッターの小説に対して、こんな事できる訳ない!科学的に証明しろ!と絡むのと同じ

480人間七七四年2016/12/18(日) 09:01:48.99ID:pKvkZBXo
司馬遼の場合、書いてあることをそのまま史実だと思い込んでしまう人も多いからな。
叩かれるのは、それだけ現在でも影響力の大きい作家だったという証明だと思う。

481人間七七四年2016/12/18(日) 13:19:57.06ID:VRjFcBPz
講釈たれてるような文体なんでしょ
物語の構造の中の説明なら、読者は思い込まされたりしなくね

482人間七七四年2016/12/18(日) 14:04:29.00ID:XjEkqkAI
司馬って知ったかぶりもするよな。
明治時代が舞台の作品で〜とは
今日の職業野球のようなものであると書いていたけど
マンションのお隣さんの野村克也を知らなかったり
ナンバーの中日新聞のお偉いさんの手記で司馬は
プロ野球に無関心みたいなこと書いてあったな。

483人間七七四年2016/12/18(日) 14:33:13.35ID:VMN640HP
>>482
今のプロ野球のような、と書いた人がプロ野球詳しくないと知ったかぶりになる理屈が分からない。
見ているかどうかはともかくいまの日本人にプロ野球の仕組を知らない人なんていないだろ。

484人間七七四年2016/12/18(日) 14:41:45.37ID:c2PKooDR
司馬氏への批評が支離滅裂になってるんだが自覚ないんかね?
それともかまってちゃんだからツッコミ待ちなのか?

485人間七七四年2016/12/18(日) 15:35:05.49ID:VRjFcBPz
>>484
複数の暇人が適当なレスすんだから支離滅裂なの当たり前じゃね
お前の批評は荒唐無稽になってるんだが自覚あるか?

486人間七七四年2016/12/18(日) 20:30:01.15ID:ye1QMZ/j
また話が逸れてる気がするけど

司馬遼太郎が『国盗物語』を書いたときには
「道三一代」説と「道三二代説」どちらも決定的でなかった、という理解でいいのかい?

487人間七七四年2016/12/18(日) 21:03:06.66ID:OqdxRrdZ
斉藤道三のことなんか戦国マニア以外誰も知らなかったし興味も無かった
国盗物語のおかげで国民一般に知られるようになった
やっぱり司馬がbP

488人間七七四年2016/12/18(日) 22:29:15.67ID:W6xCROjn
道三も竜馬もわしが育てた的な?

489人間七七四年2016/12/25(日) 06:41:04.11ID:so4TOx16
龍馬は確かに司馬が育てたな。
爆笑太田なんて、明治維新は全て龍馬の頭の中で作られたことが実現したものだと本気で信じてるからな。
何かの番組で「全部龍馬っ!」と力説してたわ。
しかし、上の過去レスで見たが、太田の妻の光代は自分は松永久秀の末裔だと公言してるのか・・・
渋い所に目を着けたものだな。

490人間七七四年2016/12/25(日) 13:20:56.37ID:cDDfdlU9
苗字が同じってだけで自称〜の末裔って名乗るのクソ程いるけどな

491人間七七四年2016/12/25(日) 13:23:53.18ID:cDDfdlU9
ちなみに太田妻の松永末裔説は本人の項目からも松永久秀の項目からも消されてる
wiki

492人間七七四年2016/12/26(月) 00:48:46.81ID:O3A8MsYu
武田鉄矢はまだ司馬の龍馬感のままなんだろうか?
鉄也は40年以上龍馬オタクだから実際の龍馬の事績を知っているはずだろ

493人間七七四年2016/12/26(月) 01:01:43.18ID:viagbH/r
つか坂本龍馬ってフツーに人物としては『面白い』からな
「坂本龍馬は過大評価」って言って歴史通を気取りたい連中て、
「織田信長の兵農分離」「騎馬隊は無かった」「メインウェポンは石」とかいう説に飛びつく層と一緒

494人間七七四年2016/12/26(月) 01:14:58.03ID:23Dbopk4
フツーに過大評価だろ。夢枕云々で再評価されるまで
同世代人からもキッパリ忘れられてた御仁だし。

495人間七七四年2016/12/26(月) 01:18:20.35ID:YiZ+MmHE
月形洗蔵の功績も龍馬に内包されているだろ
龍馬オタクで筑前の鉄也が福岡藩士月形早川を知らないはずがない
早川は中岡みたいに庄屋だったかもしれんが

496人間七七四年2016/12/26(月) 01:23:24.96ID:ZFyoG4z0
陸奥宗光の回想
西郷「坂本さん、あんたは何するの?」
坂本「世界の海援隊でもやりますかいの」

これは陸奥の作り話だろうな。
どうも時間的に無理がある。
武力討幕の思惑が外れそうで、
西郷は慌てて国許に帰っているからな。
新政府での論功行賞話などしてる場合ではないし。
ま、ここは戦国板だからスレチすまん。

497人間七七四年2016/12/26(月) 01:47:23.61ID:ZFyoG4z0
>> 496の補足
よもやの大政奉還実現で武力討幕が、ということね。

498人間七七四年2016/12/26(月) 10:38:26.82ID:12ibNA1+
丹羽長重の不正蓄財疑惑を長束正家が論破した話のソース知ってますか?
それともこれも俗説なんでしょうか?

499人間七七四年2016/12/26(月) 20:33:19.45ID:nieuncED
漫画センゴクで出た話か
ちょっと前のヤンマガ読めばいいんじゃね

500人間七七四年2016/12/27(火) 00:05:34.63ID:wI3/e6kU
信長の兵農分離、って嘘だったのか
すっかり信じて感心してたのにー

501人間七七四年2016/12/27(火) 00:49:55.67ID:uePbq52q
陣借してる傭兵や純粋な武士という職業軍人はどこの大名にもいる。
軍役のない農民もいるだろう。
織田家は比率が高いなら事実だろう。
一気に進めたのは秀吉だな。

502人間七七四年2016/12/27(火) 07:25:18.25ID:j+NgyXCq
>499 漫画で見たのでソースが知りたいのです

503人間七七四年2016/12/27(火) 13:16:01.23ID:1OD2WGt7
兵農分離と言えば、武士と農民の区別が無かったとかトンチンカンな事を言っている無知が割りといて呆れるな
畠耕してる武士と武器もっている農民が同じだと思っているらしい

504人間七七四年2016/12/27(火) 13:25:18.07ID:vg6mAgeR
>>502
ソース(っぽい)があればセンゴクはでかでかと軍記出典など解説で入れてくる
それがないという事はお察し

505人間七七四年2016/12/27(火) 21:27:43.56ID:4xE7I4a+
未だに武田軍は農兵だから農繁期に帰らないといけないだもんな

506人間七七四年2016/12/27(火) 21:45:28.00ID:j+NgyXCq
豊臣秀次が、秀吉の命令に逆らって蒲生秀行減封の朱印状作成を拒否したというのは俗説ですか?出典があれば知りたいです。

507人間七七四年2016/12/28(水) 01:07:54.37ID:QNxZGEN7
>>503
当時は農民でも武装は当たり前、問題になるのは軍役がある農民や納税の代わりに軍役してる農民。
>>506
それは史実

508人間七七四年2016/12/28(水) 02:13:38.77ID:yvXYHBTe
「兵農分離」の概念や過渡の流れって研究者の間でも混乱とイメージの不一致を感じるわ
まだちゃんと研究出来てない気がする

509人間七七四年2016/12/28(水) 04:35:48.55ID:FyY9A5wq
武士
半農武士
農民兵
野武士
僧兵
水軍
海賊
都市部の浪人からゴロツキまで

信長の時代までは特に、実際に戦場に出て戦う人種は色々いただろうしな。
思惑や戦意も色々。
商人兵や漁民兵もあまり聞かないだけでいたかも?

510人間七七四年2016/12/28(水) 12:08:49.70ID:XR2gwwP7
水軍と海賊は一緒だろう。

511人間七七四年2016/12/28(水) 14:13:56.26ID:pwIlmGyg
河と海では違うのではないかなと。
実際河にも流通を支配している連中がいるし、彼らは賊みたいなもんだ。

512人間七七四年2016/12/28(水) 14:42:54.10ID:XR2gwwP7
確かに川で海賊とは言わないけどそういうのも含めて水軍でしょう。

513人間七七四年2016/12/28(水) 15:11:59.68ID:HUeLettz
堅田水軍も敵対する勢力にとっては湖族
呼び方が違うだけで実態は一緒でしょ

514人間七七四年2016/12/28(水) 16:01:50.59ID:iud7oCCq
甘寧は川賊

515人間七七四年2016/12/29(木) 08:34:31.06ID:taGmsSpV
質問スレと迷ったのですが。
織田信長は下戸だった という情報をネットや文庫本などで目にするのですが
ということは、明智光秀に対し「俺の酒が飲めないのか!」といじめた という逸話? はかなり怪しいのでしょうか?

516人間七七四年2016/12/29(木) 08:39:20.89ID:wyg9yeUy
そんな逸話あったっけ?

517人間七七四年2016/12/29(木) 08:50:33.92ID:Da6uWxeo
光秀が下戸だった、という説ならあるね

信長は ドクロ盃の逸話もあるし、南蛮渡来のワインを飲んだ話しもあるから、お酒飲めたと思う

518人間七七四年2016/12/29(木) 12:56:16.65ID:wiFOOTs2
干し柿とか甘いものが好きだったって逸話はある。
大酒のみだったって逸話はない。
特に酒に弱いという話は知らない。

519人間七七四年2016/12/29(木) 17:49:34.12ID:2Co8OFDS
フロイスの信長は酒を飲まず早寝早起きだったという記述がソースだろうけど
晩酌深酒の習慣がなく規則正しい生活してたちゅう意味であって下戸とまでは分からないよね

520人間七七四年2016/12/30(金) 00:05:53.71ID:lvM1zNHK
勧められれば飲むけど自分からはあまり飲まない人だったのかもなあ

521人間七七四年2016/12/30(金) 16:25:54.53ID:JE2215YH
というか他の連中があの時期はことあるごとに朝晩酒飲んでたから
そいつらに比べれば「飲んでなかった」ってだけかと思う。
あまり飲まないという意味で飲めないわけじゃなかったとは思う

522人間七七四年2016/12/30(金) 17:37:35.46ID:Ty/tI/oK
一般的に甘党の人は酒好きじゃない人が多いといわれるが、信長もそうだったのかもね。

523人間七七四年2016/12/30(金) 17:51:46.06ID:ukjGLB00
信長は両刀使いだからね

524人間七七四年2017/01/01(日) 03:28:24.45ID:iK7N2EfS
ケーキを肴に飲める人いるからね、例えば俺w

525人間七七四年2017/01/01(日) 14:58:38.15ID:ibLHLZqu
家康も飲酒習慣が無い=下戸 とされてしまった様子
稀に羽目を外して飲酒した程度のことはしていて
(↑こういう逸話はあまり普及しない)、
酒を飲めない体質ではなかったことは判っている

戦国武将について下戸と断じる根拠は、おかしなものが多い
下戸である根拠にならない記録をもって下戸とするから

526人間七七四年2017/01/01(日) 15:15:02.26ID:Im9ghpkL
元就も自己申告では下戸だけど
体質的にダメだったのか、節制を取り繕ってるのか
その辺は調べようが無いからなぁ

527人間七七四年2017/01/01(日) 15:56:48.80ID:ibLHLZqu
元就は、体質的には飲めると高確率で推定できるけど、
節制のため、酒を飲まないように心掛けていた

基本的に「飲まない」と「飲めない」とは同一ではない

528人間七七四年2017/01/01(日) 18:25:25.88ID:R2Kt+bdA
家康は肥前名護屋から帰国が中々許されず
ようやく許可されたらあまりの嬉しさで帰国途中の馬上で飲んで
酒飲みの家来を探して走り回ったって話はあるな
あと駿府に隠居後に秀忠と飲むために急に江戸に押しかけたり
本当かどうかは知らんが

529人間七七四年2017/01/02(月) 08:38:30.82ID:wVQJxPkt
秀吉は指が六本あった

530人間七七四年2017/01/02(月) 09:12:40.43ID:KUJN40Uo
豊臣秀吉の朝鮮出兵はスペインへの対策だった

531人間七七四年2017/01/03(火) 15:49:03.70ID:cNzm1cmr
焼酎などは昔のやつは別物で、臭くて飲めたものではなかったと言われる
日本酒も、技術の進んだ現代のものとは違い、マズかった可能性が高い
下戸かどうか以前に、好まない層は相当数いたと思われる

532人間七七四年2017/01/03(火) 16:21:26.35ID:F7R5WkWk
ワロタ

533人間七七四年2017/01/03(火) 16:25:52.48ID:a2oX3ufn
昔の酒って白く濁ってるもんな
どんな味がしたんだろう

534人間七七四年2017/01/03(火) 16:50:15.52ID:F7R5WkWk
うちの地元で神社に奉納するための特例で酒法適用外のほんとうの昔ながらのどぶろく作ってるけど結構アルコールきつい
元々酒嫌いだから味つわれてもよくわからんが不味くはないな

535人間七七四年2017/01/03(火) 17:20:11.20ID:cGB1/vxH
>>534
昔の酒は薄めてたんじゃなかったかな

536人間七七四年2017/01/03(火) 17:23:32.37ID:nzMITYhr
蒸留酒じゃないと悪酔いしちゃうから俺も当時の酒なんか飲めんだろな

537人間七七四年2017/01/03(火) 21:28:46.88ID:ye/F0WxR
>>530
それ、小名木善行という、
作家ですらない妄言の巣から発信された電波
あまりのお粗末さに、知識人から全く相手にされてない

538人間七七四年2017/01/03(火) 21:49:15.81ID:wdh0rLyF
知識人が畑違いだからと本腰を入れて否定せずスルーしてると妄言でも広がってしまう現実

539人間七七四年2017/01/04(水) 01:55:44.50ID:EB6zGA+i
>>533
古くからでいうと甘酒やみりんが主流だからどちらかというと
甘かったんじゃないかな
今でも新嘗祭などで供える酒は甘酒ベースだし正式な屠蘇はみりんで作るよ

540人間七七四年2017/01/04(水) 08:11:07.97ID:qOrv//A8
古代では、巫女が米を口の中で咀嚼したあと器に戻し、しばらく置いて香りが出てきたものを酒と称して飲んでいた

541人間七七四年2017/01/04(水) 12:40:45.76ID:IdWUeffs
えらい語弊のある言い方だな

542人間七七四年2017/01/04(水) 12:40:49.74ID:pYcYdhZo
中南米とかで玉蜀黍を噛んでから発酵ってのは聞いたことあるけど、日本もそうだったんか?

543人間七七四年2017/01/04(水) 19:01:37.85ID:05mcS+gW
日本は麹

544人間七七四年2017/01/05(木) 13:59:22.80ID:YPEqywhD
>>539
甘酒なのははコノハナサクヤビメが子供達を育てる時に三つ子だったから
母乳が足りなくて作ったのがはじまりとされているからなんだよね

545人間七七四年2017/01/06(金) 12:56:36.96ID:vZGDoHJC
甘酒がそんな由緒正しい話もあるような飲み物だったとはw

546人間七七四年2017/01/08(日) 22:13:24.10ID:FXSGHdSp
関ヶ原での伏見城での鳥居元忠との別れで家康が涙を流したって逸話があるけど
駿府時代人質の家康に仕えていた家臣は他にもいるわけだし、そこまで元忠と家康が
深い繋がりがあったか疑問があるんだが

547人間七七四年2017/01/08(日) 22:33:35.80ID:Ly3i02bg
伏見落城の報を受けて泣いたのが実際の所

548人間七七四年2017/01/09(月) 00:35:32.11ID:D8vXaIxM
子孫はあっさり改易なのが徳川さんらしくてほっこり

549人間七七四年2017/01/09(月) 00:49:59.87ID:KFeFHZCQ
旧豊臣恩顧を言いがかりつけて改易したとよく創作されてるが外様譜代関係なく厳粛だっただけという良い見本でもあるな

550人間七七四年2017/01/09(月) 02:20:09.57ID:ITZCyuBc
子孫は色々やらかしてるからしょうがない。元忠の次男忠政は山形藩主(22万石)になった。
そのあとは長男忠恒が継いだが病弱だったので三弟忠春の生母内藤氏が藩主の座を譲れと迫った。
それで忠恒と忠春の仲が悪くなって忠恒が嗣子がいないまま死ぬ時には養子に出されていた
次弟戸沢定盛に譲ると遺言した。これは幕府の定めに違反してるので山形藩は改易となったが
元忠の功績を考慮して新たに忠春を高遠藩主(3万2000石)として取り立てた。

高遠藩主となった元春は悪政の挙句侍医に切りつけられて、のちに死んだ。長男忠則が後を継いだ。
忠則も暗君で家中不取締で閉門となっている間に急死した。そんな状態だから改易処分となったが
元忠の功績で忠則の次男忠英を能登下村藩主(1万石)として取り立てた。忠英は名君で最終的には
下野壬生藩主として3万石もらった。

2度改易されてもその度に元忠の功績で復活している。

551人間七七四年2017/01/09(月) 07:03:07.74ID:T0qzV74Y
先祖の功績で改易されなかったのって、井伊家以外にいる?

552人間七七四年2017/01/09(月) 07:34:12.52ID:ITZCyuBc
結城秀康の長男松平忠直かな。色々やらかして秀忠とも仲が悪かったけど改易されずに隠居で済んだ。
後で豊後に配流されたけど。越前福井藩主は弟で越後高田藩主の忠昌が継ぎ、忠直の長男光長には
越後高田藩が与えられた。

越後高田藩は光長の後継をめぐってお家騒動となり改易された。越前福井藩は幕末まで続き松平春嶽が
活躍する。

553人間七七四年2017/01/09(月) 08:47:59.86ID:CQDWRxjE
本多や榊原も似たような話で減封や転封で済んでいる

554人間七七四年2017/01/09(月) 10:14:16.58ID:jTTmZB0o
俺的メモ
織田信長→武畳
豊臣秀吉→日吉丸
徳川家康→(存在しない)

555人間七七四年2017/01/09(月) 13:49:29.04ID:ADlfLyZf
黒田騒動で減封も無かったのはやっぱ関が原の黒田長政の活躍に感謝してたからだろかね

556人間七七四年2017/01/09(月) 13:58:56.89ID:NnMbvd3i
>>555
単純に一回で騒動が収まったからだな。
あの当時、お家騒動で取り潰されるのは延々と揉め続けて収拾がつかなくなったパターンだし。

557人間七七四年2017/01/09(月) 14:00:32.24ID:KFeFHZCQ
基本的にどこの家でも一回はお家騒動勃発してる。その中でどうしようもないのだけ取り潰し

558人間七七四年2017/01/09(月) 15:00:07.29ID:EYJ9CXq3
>>555
九州担当の御噺衆だからか立花宗茂が幕府から黒田騒動の調査を依頼をされてて
色々調べてた記録があるんだよな

559人間七七四年2017/01/09(月) 17:51:32.94ID:HAAYF8MQ
>>557
大身外様の岡山池田は不思議とお家騒動が気配すらなかったんだよね
同じ池田でも鳥取はらしきもんがあったけど…

560人間七七四年2017/01/09(月) 22:04:29.75ID:bGwAztAX
幕府は結構我慢したり、説得を試みてるんだよね。改易というと傲慢な権力の使用例に聞こえるけど。
これも明治維新政府による徳川幕府sage政策の影響だろうな。

561人間七七四年2017/01/09(月) 23:27:29.46ID:jj3LzHrr
それはないわw
幕府は普通に外様でヘマしたやつを嬉々として改易しているよw
アリバイ的に一門からも潰しているけどそいつらみんな面倒くさい連中だしw

562人間七七四年2017/01/09(月) 23:49:06.65ID:KFeFHZCQ
これはもう触らんでいいな

563人間七七四年2017/01/10(火) 00:03:50.32ID:qegb48KL
触れちゃアカン奴が来ちゃったもんな

564人間七七四年2017/01/10(火) 08:28:37.87ID:ypsoMlwY
説でも歴史事項でもないが「政宗は大河のおかげで知名度あるだけ、こいつだって大河化すれば…」って人がちらほらいること
山内以降は記憶にも新しいから置いといて柳生、道三、元就、春日局あたりは全然言われないのに
自分の押し武将が本来は政宗と同等以上の人物だと本気で思ってんのかな

565人間七七四年2017/01/10(火) 23:09:30.37ID:n/VraUYo
>>558
凄いな宗茂は幕閣からも信頼されていたのかよ
将軍お気に入り外様だったら譜代が嫉妬しそうなのに

566人間七七四年2017/01/10(火) 23:17:59.71ID:zncKYt90
彦左衛門が何か言いたそうです

567人間七七四年2017/01/12(木) 02:33:54.26ID:NaiEX517
>>566
そういえば彦左衛門一代記って本だと、彦左衛門が浪人してた立花宗茂を天晴な武士だからって
家康に大名に復帰するように取りはからう話があるんだよな
立花家関連の本だとだいたい本多忠勝がやってる話だけど

568人間七七四年2017/01/14(土) 04:01:50.64ID:oHAeOqQT
浅井ブランドの順序が子→親から親→子と段々逆になってきてること

569人間七七四年2017/01/14(土) 12:35:37.03ID:3Egxo0Lw
>>567
三河物語の立花を大名にするくらいなら古参の俺を大名にしろってのと真逆やなw

570人間七七四年2017/01/16(月) 22:36:38.31ID:BIa4LiCe
彦佐、兄の忠佐の養子になって大名になるの断ったって話があるけど
どれだけ当てになるのかな

571人間七七四年2017/01/17(火) 05:47:46.93ID:pJJo7hSJ
>>560
ないわあ。
福島とか難癖そのもの。わざと許可を取り次がなかったし。

572人間七七四年2017/01/17(火) 07:23:33.03ID:/3OBSLpx
正則は幕府が譲歩してるやん?

573人間七七四年2017/01/17(火) 07:39:06.24ID:VvIewJSe
福島太夫殿御事の読み過ぎだな。

物語では正則が修理を届け出たのが元和4年5月で修理を始めたのが元和5年1月となっている。
しかし史料では元和4年10月には問題となった修築を始めている。

さらに正則は元和4年4月には石垣普請など別の工事もやってたりする。
ようするに無断修築の後で事後承諾的に届け出たというのが真相だな。

574人間七七四年2017/01/17(火) 12:47:37.72ID:OB9xljYM
彦爺の話は大久保家に関することは基本的に眉唾か、倍くらいに盛っている

逆に無関係なのは信憑性あり

特に幕府に都合の悪いやつで他の史料と食い違うのはだいたい合ってる

徳川300年の歴史改竄を潜り抜けてきた貴重な史料。

575人間七七四年2017/01/17(火) 13:43:29.26ID:XGPD2KXC
福島正則の改易な、本多正純失脚の巻き添えだとか

事後承諾だろうが末期養子だろうが、実際にはコネ次第で、
幕府重鎮が結構融通を利かせてくれた
福島の幕府とのパイプが正純ではな、
正純が失脚したら誰も庇ってくれんどころか、
むしろ正純派閥の一翼として睨まれる

576人間七七四年2017/01/17(火) 15:17:54.94ID:VbJ12EaP
順番が逆では?
先に福島が改易

577人間七七四年2017/01/17(火) 16:40:35.55ID:XGPD2KXC
失礼、派閥抗争と失脚を取り違えたようだ

578人間七七四年2017/01/17(火) 23:07:04.40ID:nXLCKs6a
白峰旬氏や高橋陽介氏による最新の説だと、小早川は開戦と同時に裏切って、
関が原はすぐ終わったらしいね。
すると宇喜多や大谷の奮戦も、吉川の空弁当も、全部江戸時代の創作???

579人間七七四年2017/01/18(水) 02:00:26.02ID:NE8xZlf/
>>574
孕石の話とかはどうも嘘らしい

580人間七七四年2017/01/18(水) 06:57:06.90ID:/k+PZ98Y
>>578
開戦と同時に攻めかかろうとしたが、霧が深くて山を下りられなかった、って小早川側の文書もある。
関ヶ原の何が本当で何が創作かは今後の研究を待たないとわからんよ。

581人間七七四年2017/01/18(水) 08:36:24.41ID:bwSol0LU
強い敵に勝ったと宣伝するのは常道だけど
福島みたいに戦下手の三成に大苦戦した扱いにされてる奴は
流石に否定してないとおかしいよね?
陣形考えても小早川が裏切らない限り関が原抜けるのは無理だし
はっきりしてるのは小早川が裏切ったから西軍負けたという事実だけだな
まぁ福島は秀忠時代に改易されたようなもんだし>>578の可能性もありえるね

582人間七七四年2017/01/18(水) 13:11:46.02ID:47njCvOD
三成が戦下手ってのがそもそも否定されてる

583人間七七四年2017/01/18(水) 14:30:09.58ID:nXbEcDUf
関ヶ原で福島が苦戦したのは宇喜多だろう。
石田隊と戦ったのは黒田長政と細川忠興だ。

584人間七七四年2017/01/18(水) 14:53:50.26ID:tXASdy4L
宇喜多と福島じゃ兵力違いすぎるんだが
むしろ苦戦したのは宇喜多なんだよ、そしてその理由も説明しやすい

585人間七七四年2017/01/18(水) 18:03:03.94ID:gJCbaCB8
さりげなく三成が戦下手という前提で流されてるけど、
戦下手の根拠なんてあるのかいな

586人間七七四年2017/01/18(水) 18:29:23.48ID:nXbEcDUf
忍城を落とせなかったというだけ。それも秀吉が水攻めを支持したのが悪いらしい。
仮に三成が戦下手でも配下には有名な島左近の他にも横山喜内、蒲生郷舎などの
蒲生氏郷の元で活躍した人材が何人もいた。

587人間七七四年2017/01/18(水) 18:40:12.86ID:j9CjrXl9
有名どころが名を連ねているからといって部隊が優秀とは限らんのでは?

588人間七七四年2017/01/18(水) 20:03:24.49ID:Y5eIqlxA
確かにそうだけど、石田三成の戦下手の論拠って、忍城の一件くらいしかなくて、
それ以外を持ち出す人を見た覚えがない。
関ヶ原にしても、石田三成隊がすぐに無惨に崩れたとか、いう記述を見た覚えがないしな。
黒田長政や細川忠興と、それなりに戦っていたことからしても、関ヶ原の石田三成隊はそれなりに優秀な部隊だろう。

忍城の一件だけど、秀吉の書状が遺っていて、石田三成はその指示に従っていただけ。
石田三成が本当に戦下手だったら、忍城の戦いの際の石田三成指揮下の武将の多くが
西軍に参加していない気がするな。

589人間七七四年2017/01/18(水) 20:31:14.80ID:fsfwTDMt
だからといって有能な証拠もない
良くて普通の武将並みだったとするのがせいぜいかと

590人間七七四年2017/01/18(水) 20:40:11.63ID:w2I1kRyj
>>589
何で、そんなに貶めたいの?
関ヶ原の一件からしても優秀だと思うが。
それとも、関ヶ原で石田三成と戦った黒田長政や細川忠興って、ボンクラだから、有能じゃないってこと?

591人間七七四年2017/01/18(水) 21:01:42.35ID:gJCbaCB8
あ?
蒲生氏郷旧臣の目立った武将なら、その多くは蒲生家大減封の際に
石田三成に召し抱えられて、石田家臣になっている
領主の三成が西軍の重鎮なら、家臣として西軍参加するのは当然

忍城の戦いの際の石田三成指揮下の武将の多くという分類が
蒲生旧臣を指しているなら、三成が戦下手ではない根拠にはならない

俺は三成が戦下手だと信じているわけではないが、
蒲生旧臣が従ったことを戦下手ではない根拠にするなら、
それは事例の用法が間違っていると主張するよ

592人間七七四年2017/01/18(水) 21:04:40.48ID:nXbEcDUf
そうなんだよ。三成が凡将ならそれに手こずった黒田と細川がボンクラになってしまう。
特に黒田は使える兵をほとんど連れてきて、九州に残った官兵衛は金で兵をかき集めて
る有様なのに長政はどんだけボンクラなんだという事になる。

593人間七七四年2017/01/18(水) 21:07:43.03ID:nXbEcDUf
>>591
横レスだが三成の指揮下にあった真田昌幸とか大谷刑部のことだろう。

594人間七七四年2017/01/18(水) 21:18:34.79ID:eb8nQGak
>>592
ああ、それウソ
関ケ原合戦に参加した畿内以西の東軍大名の実兵数は、
細川忠興2000人
藤堂高虎1500人(編合)
黒田長政1300人(編合)
筒井定次1000人(編合)
という塩梅

595人間七七四年2017/01/18(水) 21:23:37.25ID:nXbEcDUf
>>587
いや仮に三成が凡将だった場合は、そういった有名どころが訓練して指揮も執るから大丈夫という話。

596人間七七四年2017/01/18(水) 21:32:51.64ID:w2I1kRyj
具体的な数字を挙げておられますが、その根拠は?
まさか、自分の想像ですか?
Wikiだと黒田、細川だけで1万400、石田6900という数字が挙がっていますが?
1.5倍以上の大軍を率いていながら、無能な石田に苦戦するなんて、
黒田、細川はもっと無能な武将ですね。
朝鮮で勝てないわけだ

597人間七七四年2017/01/18(水) 21:46:46.20ID:nXbEcDUf
>>594
藤堂高虎は大谷隊と戦ってた筈だが?

598人間七七四年2017/01/18(水) 22:35:58.63ID:tXASdy4L
忍城のときの石田軍と関ヶ原のときの石田軍は部隊指揮官がだいぶ違うから参考にはならないかと
俺は宇喜多は凡戦で、それは騒動で宇喜多重臣が離れたせいだと思ってるから
島や蒲生らが優秀なら石田軍自体は強かったんじゃないかな
基本的には東軍が高所に配した西軍を攻める構図、アホでもなければ西軍優勢でしょ

599人間七七四年2017/01/18(水) 22:41:45.70ID:eb8nQGak
>>596
岐阜城の戦い前に福島正則が作成した兵数覚
>>597
畿内以西の大名という括りなので

600人間七七四年2017/01/18(水) 22:49:23.88ID:nXbEcDUf
>>598
宇喜多隊が活躍できてなかったら明石狩りの必要もなかったろう。

601人間七七四年2017/01/18(水) 22:55:40.15ID:BuE3ZV9v
明石と宇喜田はよく逃げ延びられたな

602人間七七四年2017/01/18(水) 23:31:26.79ID:DHr4EnUL
宇喜多麾下で明石隊は強かったんじゃないの?

603人間七七四年2017/01/18(水) 23:54:26.17ID:BuE3ZV9v
家宰だから、明石隊イコール宇喜多本隊かもね

604人間七七四年2017/01/18(水) 23:59:40.37ID:BuE3ZV9v
大谷吉継は、実は秀吉の隠し子
だから負け戦と分かっていても西軍についた
吉継という名前は、「秀吉を継ぐ」という意味

605人間七七四年2017/01/19(木) 00:38:18.15ID:dPNZUQNK
明石狩りも、明石しかロクなのいなかった・・証とも言える

606人間七七四年2017/01/19(木) 00:54:10.08ID:08Pg05AL
>>604
何でそんな胡散臭い事を書くかなぁ。大谷は三成に負けるからやめておけと言ってるのに。

607人間七七四年2017/01/19(木) 00:57:12.03ID:YzMplrtP
>>606
スレタイを読み返してもらえる?

608人間七七四年2017/01/19(木) 13:24:08.47ID:jsKpfeh1
主将が必ずしもオールマイティーである必要もないし
配下や指揮部隊が活躍してるなら、その軍が弱いとは言えない
そいつらを従えているのも指揮能力のうちなんだから

忍城の件は三成主導ではなく、秀吉の命。
浅野長政も三成も水攻めは士気が上がらないと秀吉に意見してるが
秀吉が強行させた書状が残ってる

609人間七七四年2017/01/19(木) 17:10:14.80ID:0VOKBVoP
過去に水攻めの成功例があったからといって
派遣部隊の将の分析を無視して
過去の栄光にしがみついたなら、

秀吉は偏執病ということだぞ

610人間七七四年2017/01/19(木) 21:07:23.55ID:UfjuXb7M
政治的な意味あいがあるからやっているんだよ。
中国でも伊勢でも紀州でも最後に水攻めしてるだろ?中国はたまたまであるが、
忍城も最後に水攻めしている。
自分と戦ったらこうなるぞという見せしめでやってるだけ。
城内には女子供ばかりなので、力押しすれば簡単に落ちただろうけど、
関東や東北の連中に見せつける為にやっただけ。

ただ水攻めが始まる前に小田原が降伏してしまった。
>>608
実は浅野文書には秀吉が水攻めを指示した記録はない。

611人間七七四年2017/01/20(金) 07:52:14.69ID:ZIkoDsMk
>>606
大谷は乗り気じゃなかった、ってのも俗説じゃないの?
いざ動き出したらめちゃくちゃ積極的に動いてるし。

612人間七七四年2017/01/20(金) 08:06:01.09ID:lufV5Gor
乗り気でなくても、いざやるとなったら腹を決めて本気で動くだろ、そりゃ。

613人間七七四年2017/01/20(金) 08:43:34.26ID:KRZFFnTt
本気で動かなかったやつがいっぱいいたから西軍負けたんだろう

614人間七七四年2017/01/20(金) 08:45:07.19ID:lufV5Gor
大谷の話だろ

615人間七七四年2017/01/20(金) 18:29:28.50ID:VDeB0uEN
>>611
乗り気でなくてもやるとなったからには、負ければ死ぬんだからなんとか勝つ方向で頑張るだろう、普通は。

616人間七七四年2017/01/21(土) 08:43:19.07ID:wSeAycA4
積極的に動かなかったことを
勝利陣営である東軍に訴えることで
生き残りを図る選択肢もある

617人間七七四年2017/01/21(土) 09:48:07.29ID:FcJk3ltU
そうするくらいなら当初の予定通り東軍についてる。

618人間七七四年2017/01/21(土) 21:30:58.27ID:9UxyqIvh
当初の予定通りって誰のこと?

619人間七七四年2017/01/21(土) 23:32:16.08ID:Exbc2unF
いや、大谷は三成が決起する前から家康を闇討ちにしろって進めてる記録もあってだな、後戻りできなくなる前から
やる気に満ちてるんだよ。

620人間七七四年2017/01/22(日) 00:35:13.35ID:YBXPBnlA
しかし大谷は利家VS家康の時、家康邸参集組なんだよな。
反対に意外にも武断派両加藤は利家邸に。
よくコンビで語られる福島と清正が反目してる。
あの一、二年の間に俺らには分からない事情が色々とあったんだろうね。

621人間七七四年2017/01/22(日) 01:17:34.96ID:+f3V/kgB
その利家VS家康も大分軍記で盛られてるらしいからなあ

622人間七七四年2017/01/22(日) 01:37:31.30ID:/AxF5Ntx
清正は確か細川家譜とかだと家康邸だったはず

623人間七七四年2017/01/22(日) 01:42:24.71ID:YBXPBnlA
資料によって別なんだな。
ということはあの争いも軍紀で盛られてること多しということか。

624人間七七四年2017/01/22(日) 08:11:05.04ID:eGF4+tOK
そもそも関が原前の家康が豊臣政権の簒奪を狙ってるなんてのは
後世の俺達が知ってるだけの話で利家と家康の対立が起きた時も
当時の豊臣恩顧武将にとっては豊臣VS徳川ではないからなぁ
この時家康邸に参集した武将はただ単に老い先短い100万石の利家より
250万石の家康に付いたほうが豊臣政権内でも安泰だと思っただけでしょ

625人間七七四年2017/01/22(日) 08:14:20.05ID:rjoNBz20
利家vs家康なら利家側につくけど、
三成vs家康なら家康につく

と判断した武将も多いだろう
逆パターンは無さそう

626人間七七四年2017/01/22(日) 09:29:29.32ID:G5OUugyI
>>625
大谷がいるだろ
あと真田昌幸とか

627人間七七四年2017/01/22(日) 09:47:50.36ID:LpnQpkOV
第一回集合。糾弾状提出時に親戚の細川などは前田邸メンバーで武功派も分かれる
第二回集合。会談時に三成による家康襲撃の噂が立つ。武功派はみな家康邸

628人間七七四年2017/01/22(日) 10:03:40.48ID:eGF4+tOK
結局三成が秀吉死んだ時点で引けばよかっただけの話なんだよな
まぁ普通ならここで中央官僚も秀吉から秀次に体制が変わって
三成とか大谷は自領に引きこもる流れだったんだろうけど
秀吉が秀次ぶっ殺したから秀頼は幼子だし統制効かなくなったんだよな

629人間七七四年2017/01/22(日) 11:56:52.05ID:/4gE84n6
政権変わったから身を引きますなんて言うは易いが、実際は無理だろう
三成の経過を見てても本多正純はそうしなかった

630人間七七四年2017/01/22(日) 12:33:37.37ID:udFfv5iE
范雎、張良、范蠡のように地位を捨てて引退できるような大物ではなかったってだけの話やね
結果として失脚して奸臣扱いされることになる

631人間七七四年2017/01/22(日) 12:34:16.81ID:rjoNBz20
前政権の寵臣は憎まれがちだからね
身の引きかたは難しい
うまくやらないと、権力を手放したとたんに抹殺される

632人間七七四年2017/01/22(日) 12:40:34.60ID:GvKg6E7n
三成の立場じゃ家康に対抗できないから、
対抗できる名声を持つ大物として利家を担ぎ出しただけやん

633人間七七四年2017/01/22(日) 16:35:40.96ID:agYZhe00
神輿の毛利が家中をまとめられない2流

634人間七七四年2017/01/22(日) 22:07:13.32ID:EhyvsCC0
関ヶ原でもし西軍が勝ってても結局毛利、上杉、宇喜多が上手くやれると思えないのがなぁ

635人間七七四年2017/01/23(月) 00:15:32.38ID:BPPmDYOC
毛利vs上杉で、第二次関ヶ原の合戦か

636人間七七四年2017/01/23(月) 07:02:04.73ID:gvKl01Jv
そうなると石田三成たちとツーカーな上杉有利だな

637人間七七四年2017/01/23(月) 08:14:54.29ID:BPPmDYOC
石田は西軍の主力だが、まさかの寝返り
宇喜多は「おのれ治部、人面獣心なり」と叫んで(中略)八丈島へ

638人間七七四年2017/01/23(月) 21:02:26.66ID:MFjQRsQY
>>636
上杉は関ヶ原合戦への過程で三成の期待を裏切って最上攻めしてるからどうだろうな
大坂抑えてたままの毛利に付くだろ

639人間七七四年2017/01/24(火) 19:24:22.75ID:Uf4J9IDv
三好3兄弟の一人は長生きして大坂夏の陣に参戦した

640人間七七四年2017/01/24(火) 20:01:37.79ID:3q40bg7A
三兄弟?

三人衆?
四兄弟?

641人間七七四年2017/01/24(火) 21:51:18.94ID:Liw29FpC
秀吉が秀秋を毛利家の養子にしようとしたのを
隆景が自分の小早川家を犠牲にして救った話って
事実なのかな?
毛利と小早川、あるいは吉川からも恨み買いそうな話だけど

642人間七七四年2017/01/25(水) 18:59:41.24ID:MIdtuCRR
なんで?
毛利家が乗っ取られるところを回避できて、
毛利からは感謝されるんじゃね?

643人間七七四年2017/01/25(水) 21:12:50.14ID:wixrrCa5
「秀吉が」ってことじゃね?

俺の個人的な解釈だけど
秀吉は明らかに小早川を優遇してた
最初から実子のいない小早川に養子を入れて取り込もうとした、と考えるのが普通じゃね
伊予が毛利の影響下のままだと、万一の時には瀬戸内航路を扼される

小早川をことさら取り立てたのもなんらかの楔の策なんだろう
島津でも義弘を優遇して、義久が微妙な感じになってたし、大友からは立花を独立させたし

644人間七七四年2017/01/25(水) 21:32:01.94ID:xXPM497Y
黒田家譜だと、秀吉が直接毛利を指名した節はない
官兵衛と生駒が
「毛利には実子がいないからどうよ?」
「それいいんじゃね?」
ってなって小早川に相談、以後はご存知の通り

6456432017/01/25(水) 21:43:17.60ID:wixrrCa5
養子の話って九州に移った後だったか、すまん

646人間七七四年2017/01/27(金) 22:57:17.69ID:1wM49D/u
毛利とつながりの深い伊予河野の当主を秀吉が暗殺したんじゃないかって話もあったなそういや
推論レベルだけど

647人間七七四年2017/01/29(日) 21:59:02.92ID:w6yQCU0w
秀吉や家康が恐れた男とか秀吉や家康に天下を獲らせた男とか
色々いるけど最上義光が家康に天下を獲らせたというのは
流石にどうだろう
よほど三成や兼続の方が当てはまると思うが

648人間七七四年2017/01/29(日) 22:07:12.58ID:eOvJQz/9
聞いたことがない

649人間七七四年2017/01/29(日) 22:38:05.58ID:T+NEIk39
俺も聞いたことが無いが無理やり考察すると
・駒姫の件で秀吉の暴虐を世に知らしめた
・上杉を拘束して関ヶ原東軍勝利の遠因となった
くらいか

650人間七七四年2017/01/29(日) 22:57:44.05ID:DZVIIW6X
そういう本が出版されてる
著者は山形大学の教授みたい
理由は、上杉の南下を防いだことみたい

まあ地元愛ということで

651人間七七四年2017/01/29(日) 22:58:28.09ID:Q8YYOPrI

652人間七七四年2017/01/29(日) 23:02:39.70ID:T+NEIk39
上杉の南下を防いだというより上杉が火事場泥棒に失敗しただけだよなw
まさか1日で勝負決まるなんて思ってなかったわけで

653人間七七四年2017/01/29(日) 23:13:20.66ID:DZVIIW6X
上杉にとっては飛び地領である庄内地方を守ることが戦略的に重要
緒戦で最上を叩くことが必須で、そのために朝日軍道まで開設したのに、苦戦した

654人間七七四年2017/01/29(日) 23:23:34.92ID:DZVIIW6X
天下を獲らせてくれた最上もあっさり改易
さすが徳川さん、ほっこりしますな

655人間七七四年2017/01/30(月) 00:46:39.91ID:WbMf/2XV
最上は秀忠と老中がさんざん世話焼いたのに内紛収まらずだから仕方がない

656人間七七四年2017/01/30(月) 13:59:48.88ID:m9f0Zb0O
あっさり改易されたのは最上じゃなくて、その後処理に赴いたときに左遷通告受けた本多正純だろ
外様より譜代の方がえげつないで、派閥抗争あるからな

657人間七七四年2017/01/30(月) 15:22:29.97ID:U+4XVunh
徳川幕府による改易には、外様も譜代も関係ない
理由があれば改易する
大抵は無嗣断絶が理由

不行跡が理由の場合は、
譜代の方が若干不利かもしれん
幕政参画の負担で失政があると追及される

658人間七七四年2017/01/30(月) 15:31:09.93ID:NukVTeAq
無嗣断絶も幕府への工作が効いていればある程度融通が利いたらしいね

659人間七七四年2017/01/30(月) 21:25:34.95ID:PpupW6zo
肥後熊本藩主細川宗孝は人違いで背後から斬りつけられて絶命した。まだ31歳と若かったので
養子を立てていなかった。無嗣断絶の危機だったが仙台藩主伊達宗村が機転をきかせて
「越中守殿にはまだ息がある、早く屋敷に運んで手当てせよ」と細川家の家臣に命じた。
おかげでまだ息があるうちに弟を養子として幕府に申請した後で息を引き取ったという形で丸く収まった。

660人間七七四年2017/02/02(木) 16:34:01.10ID:MnFFZ2vZ
>>659
その末期養子は幕府も知っていたけど、
斬られた側に落ち度が無いから
見て見ぬ振りをした事例だね

661人間七七四年2017/02/02(木) 20:46:08.26ID:XZsuf9ZS
騒動起こして改易免れた外様大名だと黒田と伊達あたりか
戦国は減封されたし前田はそもそも騒動自体あったか怪しいらしいが

662人間七七四年2017/02/02(木) 21:00:35.37ID:VVlWoBW2
島津もかな

663人間七七四年2017/02/02(木) 21:37:26.78ID:VVlWoBW2
>>659
実はその事件は人違いではなかった
はじめから宗孝を狙った犯行だった
という説

664人間七七四年2017/02/02(木) 22:22:18.61ID:9ObDhl+l
>>661
鍋島池田真田とかも

665人間七七四年2017/02/03(金) 05:05:19.20ID:2BwKScW1
騒動は至る所で起きてるよね
改易される側を見ると、だいたい当事者はさじ投げてる
伊達も黒田も、大大名ってのもあるが家臣や縁戚の大名に諦めずに運動してるのがいる
その差は至極真っ当なことばかりだよ

666人間七七四年2017/02/03(金) 16:30:00.85ID:Gjqm2/hC
徳川の治世って意外と公平だよね
まあそうでなきゃ250年も平和保てないか

667人間七七四年2017/02/03(金) 20:56:01.27ID:2BwKScW1
今の日本人の風俗や習慣も元は江戸時代(中期以降)ってのが1番多いからな
明治以降、太平洋戦争で負けても消えなかった江戸時代軽視は最近ようやく再評価されてきた

668人間七七四年2017/02/04(土) 01:08:14.23ID:V5EmdzRe
じゃあもし自民党政権が行き詰まったら、幕府を復活させよう
将軍制復古の大号令

669人間七七四年2017/02/04(土) 01:20:32.44ID:HEjRJMCB
戊辰戦争起こした薩長はもう完全にカス認定されてるもんな最近w

670人間七七四年2017/02/04(土) 04:11:25.60ID:z1iE4MqL
関ヶ原島津敵中強行突破→なんて勇ましいんだろう
関ヶ原島津戦線離脱逃走劇→なんてアホなんだろう


薩摩軍に関して、後者での評価が高まってるのは感じますな。
長州軍というか毛利に関しては、以前と変わらずですが。

671人間七七四年2017/02/04(土) 14:28:45.29ID:Y6NOMjnl
大名は譜代か外様かを気にするよりも、
石高による序列を気にしていた様子

旗本に至っては、
譜代か外様かといった出自は一切関係なく、
出世は本人の才覚次第だったとさ

672人間七七四年2017/02/04(土) 15:20:20.58ID:xf5JYxCg
黒田騒動の時に永井尚政が外様は大目に見られていいな譜代だったらこうはいきませんわーつってたという細川忠興書状思い出した。
黒田の悪口は速攻広める三歳様は相変わらずでほほえましい

673人間七七四年2017/02/04(土) 17:24:35.98ID:OxMwVO67
>>671
>出世は本人の才覚次第だったとさ
ユートピアじゃねーかw

674人間七七四年2017/02/04(土) 18:44:30.70ID:S8bqx8sT
ところが出世すると費用ばっかかさんで入りがそれに見合っただけ増えないから経済的に苦労するそうな

675人間七七四年2017/02/04(土) 21:52:07.18ID:ADii1Oc5
>>670
毛利というか輝元は昔は周りに担ぎ出されて
状況に流されていただけみたいな評価から
西国の領地拡大を狙ったり、連絡を受けたら
準備しておいた船とかで早々に大坂に乗り込むなど
自分から積極的に動いていたって評価に変わってなかったかな
失敗したから別の意味で悪い評価になってるけど

676人間七七四年2017/02/04(土) 23:13:07.65ID:nFUZBNfn
>>675
そう。やるならやるで吉川の背信行為に気がつけ。

677人間七七四年2017/02/04(土) 23:23:47.79ID:5MePCLra
>>676
背信してねーっつーのアホが

678人間七七四年2017/02/05(日) 01:35:22.33ID:FtH5B6OY
毛利の行動があまりにもマヌケだったので、家康がつい安心して警戒感を解いてしまったのかも
おかげで改易されずに済んだ

679人間七七四年2017/02/05(日) 11:33:29.42ID:eSCqvFw8
>>664
池田って誰の時?

680人間七七四年2017/02/05(日) 12:21:37.61ID:KJifTGTt
池田騒動なら改易されてるな。

681人間七七四年2017/02/05(日) 12:34:48.64ID:FtH5B6OY
学会のほうかな

682人間七七四年2017/02/20(月) 14:23:17.25ID:vQb86ufX
名将言行録って何と言うか、かなり玉石混交なところがあるな

幕末に逸話を蒐集するまでの二百数十年間流布する間に、
伝言ゲームのように歪んでいった痕跡があるような話でも、
一緒くたになっている様子

683人間七七四年2017/03/03(金) 22:32:09.03ID:l4csmyHO
名将言行録とか常山紀談、徳富蘇峰とか昭和期の
歴史物創作物に与えた影響って大きいよな

684人間七七四年2017/03/04(土) 00:50:45.20ID:i9h6FDnr
>>683
蘇峰は名文家で、思想的には真逆の松本清張も手本にする位だからな。

読んでいるうちに影響されてしまうのも有るのかもしれない。

685人間七七四年2017/03/04(土) 01:47:13.16ID:5P6ZfP9W
>>683
大きいだうろね

あとこの板にあるいい話悪い話スレとそのまとめで
取り上げられることで史実のごとく拡散して
それがいつのまにか説にまで昇格している悪循環

686人間七七四年2017/03/04(土) 02:12:19.13ID:7cJuE4Qs
片倉景綱が福島正則に「ちんちくりんのりんりん」と言った話とかアレ大河以前に遡れるのかな

687人間七七四年2017/03/04(土) 15:00:07.30ID:508g38De
政宗と義姫との不仲説が怪しいのはよく言われるけど、信長と土田御前の不仲も怪しいんだっけ?
逆に賢母と言われる伝通院あたりは岡崎城で築山殿に対しての扱いとか結構横暴な振る舞いがあったみたいだし

688人間七七四年2017/03/04(土) 16:40:23.58ID:Tq6BImkY
政宗と義姫に関しては、義姫が出奔する直前まで手紙の交流がある。政宗正室の田村氏との交流もある。
政宗は筆まめだからそういう証拠はたくさんあるんだけど・・
義姫は後世の捏造で随分悪くされてる可哀相な人だよ、つか最上家関連の人物の扱いは総じて酷い。
上杉・伊達という有名大名2家によって言われ放題なんだよな

689人間七七四年2017/03/04(土) 19:14:11.92ID:qY2hJ9Hx
昭和のあの人の影響もあるんじゃないの?

690人間七七四年2017/03/04(土) 19:20:04.98ID:Wgd937Q/
し何とかさん?

691人間七七四年2017/03/04(土) 19:57:14.92ID:7cJuE4Qs
>>687
伝通院と築山御前の云々は史料は存在せず研究者の推測どまりの話だけどな

692人間七七四年2017/03/04(土) 20:53:49.13ID:qY2hJ9Hx
>>690
天皇さん

693人間七七四年2017/03/04(土) 21:08:20.15ID:PPmmD0Hb
>>687
土田御前は信勝謀殺後も信長と一緒に暮らしていて信長の子供達の面倒を見てたって
話もあるみたいだし、安土城にも共に移ったって話もあるね
ミネルヴァで笠谷氏が出した徳川家康には築山殿を嫌った於大が
岡崎城に築山殿が入ることを許さず、岡崎城の外れの尼寺で
幽閉同然の生活を強いられたって書いてるな

694人間七七四年2017/03/05(日) 14:50:20.26ID:E0ySjln9
立花宗茂って「あの徳川四天王の本多忠勝と同格」みたいになってるけど
精々秀吉が「臣従させた家康の家臣の忠勝と同格」と言っただけじゃない?
しかも忠勝自体もいつの間にか四天王筆頭の徳川家臣No.1扱いされてる

695人間七七四年2017/03/05(日) 18:05:47.45ID:T331M0hH
四天王ってのは三河時代東西旗頭の酒井石川と関東時代三家老の本多榊原井伊を足して
そこから裏切者石川を引いただけの後世に作られた特に意味のない枠組みだから別にいいんじゃね
戦国徳川の最盛期の関東移封時に筆頭重臣だったのも本多だから四天王筆頭でも別にいいんじゃね

696人間七七四年2017/03/05(日) 18:07:56.63ID:T331M0hH
宗茂はその通り言うほどたいしたことはないがネタとして楽しめばいいんじゃね。ロマンよ

697人間七七四年2017/03/05(日) 18:16:01.16ID:/mZM2cHz
秀吉からの宗茂への書状でもだいたい賞賛された内容のが多いし
評価が高かったのは事実だろうけどな

698人間七七四年2017/03/05(日) 19:42:35.23ID:VKytfTOW
四天王というには酒井だけが立場が違いすぎるんだよな。「四天王」好きが無理に合わせた感は否めない。
家康の子飼いなら残りの三人、本多榊原井伊で纏めるべきで、徳川三傑とかの方がいい。
関東転封時の石高はこの三人だけ10万石以上だし、最近の研究ではそこには秀吉の指示があると言う。

秀吉は東の忠勝西の宗茂と評したが、そこから縁ができたのか宗茂の徳川家仕官運動は忠勝をツテにしてるんだよな

699人間七七四年2017/03/05(日) 21:00:19.65ID:/mZM2cHz
>>698
浅川聞書だと東西一双の話は載ってないけど、
江戸に来た宗茂を忠勝が米とかを送って支援してくれたり
秀忠に対して「敵として強い者は味方にしても強い」って言って
仕官させるように勧めたって話はあるから、
関ケ原以前になんらかの親交が実際あったんだろうな

700人間七七四年2017/03/06(月) 01:38:36.30ID:fKEkBDaF
>>696
いやあ凄い凄い言いまくってる人らがネタってことはないでしょ
他武将のディス入れることもあるし

701人間七七四年2017/03/08(水) 22:24:49.03ID:Pjqu7USJ
>>694
おまえには忠勝がいるが俺には宗茂がいるぞ・・・という
秀吉お得意の家臣取り込み戦略と宣伝戦の意味合いしかないだろうと思う

702人間七七四年2017/03/09(木) 00:16:00.07ID:uTuKtqKy
宗茂評に関しては秀吉だけじゃないからなあ
あの忠興が息子へ数寄のことは宗茂を真似ろというくらい
武芸以外にも秀でていたようだし
中々の人物であることは確かだよ

703人間七七四年2017/03/10(金) 04:26:43.63ID:DiADrThM
秀忠も家光も宗茂大好きだもんなぁ

704人間七七四年2017/03/10(金) 07:52:01.91ID:hA/aCk6V
1609年に秀忠に随行してた大番頭の戸田勝興が刃傷沙汰で殺された事件が起きた後
宗茂に秀忠が護衛を依頼していたようだし、頼りになるというか信用性の高い人物だったんだろうな

705人間七七四年2017/03/10(金) 09:07:29.16ID:Smadwe5M
13万石の大名にしてはビッグネームから一目置かれ過ぎ
秀吉は大幅加増の奥羽転封を考えていたみたいだし
幕府(家光?)は出羽一国を宗茂に打診したそうな
日本七槍だと宗茂ではなく家臣の小野鎮幸が入っている
小野も凄い奴だが他は又兵衛兼続忠勝広家ら秀吉が頼りにした大名の重臣で不釣り合い
秀吉は陪臣を有名にしてまで宗茂を重用したかったんだろうか
大友と合わせたら結構な石高になるから分断したかったにしては厚遇し過ぎ

706人間七七四年2017/03/12(日) 09:59:08.16ID:XjpwaKS+
むしろ厚遇されたから十三万石の大名に押し上げてもらった形なんだろ

707人間七七四年2017/03/12(日) 11:12:41.01ID:o/h0clGf
浅川聞書だと慶長の役の時、秀吉から成功したら保留になってた文禄の役の時の功績も合わせて
筑後、肥前、肥後の三国を与えて九州の旗頭を任せたいっていう話も載ってるけどどうなんだろうな
実際、慶長の役の当初は総大将の小早川秀秋の補佐役として釜山で実務を任されてたみたいだけど、
宇喜多秀家等から「立花左近殿は実力はある人物だけど若いから」って理由で交替要請を出されて
2、3か月くらいで固城在番に替えられてるんだよな

708人間七七四年2017/03/12(日) 12:04:35.79ID:Qq7w4daV
その手のはどこも盛り盛りだからなんとも

709人間七七四年2017/03/12(日) 13:41:36.00ID:o/h0clGf
浅川聞書は宗茂が死んだ翌年に近臣だった浅川安和が宗茂に関連する話を
まとめたもので、人から聞いた話を書いてる部分も多いから嘘っぽいところもあるけど
武功を主張する意図のものではなく証言性のある二次資料で結構合点がいく話もあるのが特徴かな

例えば戸次道雪は大友宗麟に再三にわたって立花姓を名乗る許可を申請したけど
2度まで却下されて3度目でようやく許可が下りたんだけど、無理を言ったけじめとして
統虎等には立花を名乗らせながら、自分自身は名乗るのを憚ったって話も載ってるんだよな

710人間七七四年2017/03/12(日) 14:31:30.16ID:4ardqAiL
>>707
そうなると鍋島加藤小西どうすんのってなるから国を与えるんじゃなく統括するような地位を与えるとかの方がまだ現実的ではないですか?
それならば秀吉がもう少し長生きしてたら結構あり得そうな気はします

711人間七七四年2017/03/12(日) 18:00:34.12ID:o/h0clGf
>>710
保留にされてたようだから、少なくとも朝鮮南部が日本領にできたらって話だろうし
朝鮮出兵の先鋒に配されてた肥前肥後の諸大名には朝鮮で優先的に領地を与えるつもりだったんじゃないかな

712人間七七四年2017/03/12(日) 20:48:26.70ID:4ardqAiL
だがそうなると現地を見てる鍋島加藤小西あたりは征服した暁にはこの僻地に左s…転封とか勝つ気力失うんじゃないかという疑問が…
まあ大陸本土なら栄転かもしれないけど半島占領で終わったら罰ゲームじゃないですか…

713人間七七四年2017/03/12(日) 23:14:05.24ID:YYCp5N7D
加藤や小西みたいな何も無い農民商人あがりは喜ぶかも知れんが
鍋島とか代々の領地を持つ国人は半島の100万石より九州の1万石の方が絶対ありがたいよw

714人間七七四年2017/03/12(日) 23:29:58.11ID:XjpwaKS+
直茂はむしろノリノリよ
龍造寺に政を帰して自分の家を興せるだろうしな

715人間七七四年2017/03/13(月) 04:05:47.71ID:XAAGQKEg
朝鮮の大地を見て誰が喜んだのだろう・・・

716人間七七四年2017/03/14(火) 20:09:16.12ID:V1f9EIJ/
>>705
しかし何人のビッグネームから注目されても自身がビッグネームにはなれないんだよな
知名度の問題じゃなくて

717人間七七四年2017/03/14(火) 22:19:40.43ID:SE53F4Vd
大河の題材としては信長と接点が無い事が惜しいぐらいで後は文句無いのになんでだせないんですかね(棒

718人間七七四年2017/03/19(日) 10:47:56.85ID:DwYkuCNa
義弘、直茂よりは忠恒、勝茂に近い

719人間七七四年2017/04/01(土) 20:47:59.91ID:pPoj32wc
お前凄いと言わせて箔をつける武将は腐るほどいる
お前凄いと箔をつけてやる側になれる武将はほんの一握り

720人間七七四年2017/04/18(火) 09:11:31.25ID:ziwIDTIf
>>717
山本一豊クラスの武将でも司馬あたりが小説に取り上げれば
大河になったんだし、有名どころが小説でも書いてくれれば違うかな
童門や上田、葉室あたりではまだ弱いか
ただ女性主人公だとここ最近知名度が低いのが続いているから
宗茂よりァ千代の方がまだ可能性はあるか

721人間七七四年2017/04/18(火) 16:17:04.37ID:v9qeEWns
宗茂だけ大河にしてもいまの直虎みたいなゴリ押し創作家族ドラマにしかならないから
大友・島津・龍造寺(鍋島)の九州三国志にすればおまいらの好きな武将てんこ盛りできるぞ

722人間七七四年2017/04/18(火) 17:09:31.26ID:vgwMjicp
ァ千代との不仲は今のスウィート大河ではだいぶマイナスやでなぁ
唯一大きな合戦で活躍したのが朝鮮てのも

723人間七七四年2017/04/18(火) 18:37:08.84ID:C1SBW1nR
実際には不仲ってことはなかったんだろ?

724人間七七四年2017/04/18(火) 20:33:13.99ID:068AEO5e
>>720
「山本一豊クラスの武将でも」って・・・宗茂はその一豊より下の武将だろ

>>721
宗茂が九州でダントツの武将だと思ってる人からしたらそれは有り得ない選択肢なんだろうな

725人間七七四年2017/04/18(火) 20:57:59.87ID:KzlORZVh
山本一豊

726人間七七四年2017/04/18(火) 21:34:34.32ID:yX4jaC7i
妄想大河の影響かは知らないけど、正直よく聞く九州三国志をやるとか言うのには同意できないわ
視点がころころ変わって感情移入も視聴者の理解も追いつかずぐちゃぐちゃになるだけだと思う

727人間七七四年2017/04/18(火) 22:56:06.64ID:9Y0xUmg/
本郷和人と加来耕三にテレビで何度も宗茂を宣伝して貰い
次は浅田次郎や北方謙三に道雪立花城督から島原の乱まで文庫本で五冊以上書いて貰い
更に和田竜や北沢秋に島津秋月追撃戦、大津城攻城戦や江上八院合戦を文庫本各一冊でも書いて貰わんと
司馬遼太郎には敵わない
山本一豊が大河になるんだから司馬は凄いよ
戦前教科書に山本一豊の妻が載っていたとしても昭和40年代の人はそんなこと知らんかったでしょ
司馬の後継者と言われているらしい磯田の性格からするとァ千代は押しても宗茂は推さなそう

728人間七七四年2017/04/18(火) 23:22:59.15ID:DqpPCOjb
山本一豊ってだれ?

729人間七七四年2017/04/19(水) 00:25:37.35ID:64trTfZz
まあ、明治から昭和初期の教科書になら宗茂も肖像画付きで載ってたってんだけどな

730人間七七四年2017/04/19(水) 00:35:19.31ID:ji/dZJtQ
カープの4番だろ

731人間七七四年2017/04/19(水) 03:13:32.09ID:12hFlzN/
山内が10年も経てば「大河化されたことのある人物の一人」でしかなくなったように
どんなに宗茂をごり押ししたって厨が望んでる「戦国時代を代表する人物」にはなりやしねえよ
そんな功績を残したわけでもなきゃキャラクターとして面白くもねえんだからそれが当たり前

732人間七七四年2017/04/19(水) 03:59:14.64ID:3qTNjS3+
みんな忘れているかも知れないが、大河の主人公になったのは山内一豊ではなくその嫁だ

733人間七七四年2017/04/20(木) 14:00:16.00ID:wMnH9L9S
だから九州三国志を

734人間七七四年2017/04/23(日) 10:14:23.35ID:AuncKrj+
主役の数増やしたら歴ヲタは良くても一般視聴者は把握できなくなるだろ

735人間七七四年2017/04/24(月) 13:12:51.34ID:hTaFv5T6
なんでおまえらそんなスレチいつまで引っ張るの?と思ってたら昨日Twitterで福岡が立花夫婦で本格的に大河誘致開始って知ってタイミング的にちょっとびっくりしたw

736人間七七四年2017/04/28(金) 02:42:47.91ID:eV4BZEwd
立花がアレなのは万単位を指揮する大津軍の総大将みたいになってるとこだな
有名武将と比べて地味扱いされてると文句垂れながら周りの武将を蔑ろにしてちゃあかんわ

737人間七七四年2017/04/28(金) 06:02:41.76ID:4zybM4nf
大津の大将は毛利元康だよなぁ

738人間七七四年2017/04/28(金) 20:08:23.61ID:pdqhkHwZ
京極家の史料では立花軍だけが強敵で
元康は空気扱いだけどな

739人間七七四年2017/05/03(水) 03:21:54.64ID:FD82FvXg
家康より若死にした豊臣恩顧はバリバリの秀頼派だった。だから暗殺された。

740人間七七四年2017/05/03(水) 10:40:42.28ID:mQKyUtx2
毛利元康は何かと評価微妙つか地味だよなあ
京極家のその資料っていつ頃編纂された資料なんすかね

立花宗茂は有名武将と比べて地味ってよりマイナーだけど派手(目立つ)って方がしっくりくる

741人間七七四年2017/05/03(水) 11:14:38.25ID:o03mUDtT
寄り合い所帯とはいえ5倍の兵力差がある
相手は敵中に孤立した四面楚歌状態
敵将は女の尻で成り上がった弱将

これで攻略に1週間も費やしてしまい肝心の本戦に間に合わなかった・・・
総大将の力量が疑われても仕方ない
むしろ無能者扱いされないだけマシだと思う

742人間七七四年2017/05/03(水) 11:21:13.23ID:hGjGdRsn
京極高次が弱将って評価もどうかと
籠城で兵力差5倍なら守れるだろ普通

743人間七七四年2017/05/04(木) 09:21:58.26ID:JYKvIZj8
西軍が短期決戦方針になったのは本戦前日だろうから
各地に分派されていた軍の指揮官が本戦に間に合わなかったから〜は後世の後知恵なんだよなぁ

744人間七七四年2017/05/04(木) 19:05:28.25ID:WgB4b7A4
琵琶湖に浮かぶ水城で攻略準備に時間がかかるのと
茶々やねねから使者が送られてきて、初や京極竜子を助けるために
なるべく降伏開城させるように口を入れられてたのとかを考慮すると
伏見城や田辺城とかと違って早く攻略してる方なんだよな

745人間七七四年2017/05/04(木) 19:10:12.31ID:PaBQvAtU
力攻め始めたら1日で陥落だでな

746人間七七四年2017/05/04(木) 19:54:13.58ID:d7jVDK1q
大津城側の忍者が毛利の旗を盗んで旗たてて煽ろうとしたら先越されたと勘違いした立花が力攻めして城兵涙目になる逸話すこ

747人間七七四年2017/05/11(木) 12:52:25.08ID:Z0mdND22
島津立花鍋島だとどれもそんなに悪い終わり方にならないのはいいよね

悪久…? …えー…

748人間七七四年2017/05/30(火) 14:06:06.56ID:0RIZiuGI
大友、龍造寺はあれだけどね

749人間七七四年2017/05/31(水) 09:24:09.32ID:SzAM1n+d
だから全部まとめて九州三国志で大河おねがい

750人間七七四年2017/05/31(水) 13:08:40.05ID:fzwEQb4O
三傑謙信玄政宗大奥に関わらないと視聴率が出ないのでだめです。

751人間七七四年2017/05/31(水) 20:11:36.18ID:/4kHFuWn
九州三国志の最後は大友宗麟の要請で秀吉が乗り出して全てを持っていく。
関わってるじゃん。

752人間七七四年2017/05/31(水) 20:13:50.07ID:fzwEQb4O
終わってんじゃん

753人間七七四年2017/05/31(水) 20:42:43.83ID:/4kHFuWn
あ、ほんとだ。気がつかなかった。

754人間七七四年2017/05/31(水) 20:52:46.15ID:154oaKux
本家三国志だって蜀が滅びても魏が乗っ取られても続くから・・・

755人間七七四年2017/06/01(木) 00:17:37.06ID:n8Usbg8E
九州三国志は島津が後の方しか出てこないから話を作るのが難しい気がする
むしろ中国地方から大内と毛利を引っ張ってきたほうが話作りやすそう

756人間七七四年2017/06/01(木) 07:45:47.60ID:OcHEGUAg
ポジション的には
魏=大友、蜀=龍蔵寺、呉=島津かな。
鍋島=孔明

757人間七七四年2017/06/01(木) 09:27:44.80ID:EWskPAvj
あーでもないこーでもないって話が出ること自体が
九州三国志なら1年大河無理なく続けられるボリュームがある証拠

758人間七七四年2017/06/01(木) 09:28:31.53ID:EWskPAvj
いまの直虎とか99%は直虎使ったホームドラマだもんな

759人間七七四年2017/06/01(木) 11:04:40.74ID:b9X+uXK3
いまはどの時代、どの人物を扱ってもトレンディドラマにしかならないでしょ
中国大河までトレンディ化するとは思わんかったわ

760人間七七四年2017/06/03(土) 02:23:45.04ID:oc476RFH
隆信直茂で一年やれる

761人間七七四年2017/06/03(土) 03:57:21.30ID:FDheEmiG
>>758
アレは大河じゃなくて朝ドラ枠でいいと思うんだ。(´・ω・`)

762人間七七四年2017/06/06(火) 19:20:40.64ID:CMZYklOQ
籾の木は残ったのような戦国終わった後の大河はもうできないのかね
維新と戦国はもうあきた

763人間七七四年2017/06/07(水) 08:06:30.01ID:wCmZr3b8
田村麿あたりで

764人間七七四年2017/06/07(水) 14:51:51.00ID:99lBaASd
まあなんだ気持ちはわからなくはないが
ここ戦国板やぞ

765人間七七四年2017/06/07(水) 21:27:19.06ID:bW/pQn53
戦国はもうあきたとか言われても加藤清正、小西行長、島津義弘といった有名どころが
大河ではガン無視されてるんですが。

まぁ、理由はお察しなんだけどね。

766人間七七四年2017/06/07(水) 22:57:46.59ID:JK9BuUoV
朝鮮がどうこうより、今のスタッフに作らせても
ここの人間が喜ぶようなものは生まれてこないだろう

九州三国志というタイトルでも、どうせぎん千代や慶ぎん尼なんかがでしゃばって
男どもを一喝する糞以下のスイーツ大河しか出来ないよ

767人間七七四年2017/06/08(木) 08:57:49.57ID:MUG1cD4L
>>766
主役じゃなければ多少は我慢

768人間七七四年2017/06/09(金) 17:05:04.22ID:GxyIBQJs
歴史ヲタの為にドラマ作っても視聴率稼げないからな
そこそこ折り合いつけつつ、あまり歴史詳しくないファミリー層や主婦に向けて
ホームドラマ的なのとか、笑える演出入れないと誰も見ない

そういう意味でテレ東正月長編時代劇がなくなったのは痛い
あれはたぶんもの好きしか見ないし、作る方もそれとわかって作ってた

769人間七七四年2017/06/09(金) 18:38:06.65ID:Hu9jHZl3
まぁだから無くなったわけだ

770人間七七四年2017/06/10(土) 07:15:49.37ID:3Ya7yIm2
テレ東は常にニッチ路線で攻めて欲しい

771人間七七四年2017/07/11(火) 21:17:03.43ID:IAzgwql7
宮城谷の風は山河よりあたり映像化して欲しいんだけど無理かな

772人間七七四年2017/11/16(木) 22:00:46.33ID:1mQwPt/b
>>721
宗茂大河にするなら原作は葉室麟の『無双の花』あたりか

773人間七七四年2017/11/17(金) 07:48:51.18ID:7GFAlrNQ
>>772
無双の花は関ヶ原が終わった後からなので尺が足りないし
朝鮮の無双話がNGなんで道雪紹運の活躍も入れないと
真田丸の九度山蟄居みたいな退屈話が何話も続く
ジェームス三木が死ぬ前に立花の脚本書いて欲しい

774人間七七四年2017/11/20(月) 00:23:12.05ID:ghJqJv0d
あっちの連中は日本を攻撃するドラマ作ってるんだからこっちも負けずに作ればいいのに

775人間七七四年2017/12/10(日) 13:17:39.64ID:zdSjZrjD
>>773
無双の花は関ヶ原後だけど確か時系列遡って振り返るからそこの部分を加筆してもらえたらいけそうじゃね
ジェームス三木よる立花或いは九州三国志書いてもらえたら最高だけど健康状態とか大丈夫なのかな

個人的には七八月に道雪紹運が死を向かえ子供が夏休みの頃、出来ればお盆あたりに家族で岩屋城の戦い観て泣けるのが理想だなあ
スレチになってきたので一つ
なんかで見た紹運が女子供負傷者だけじゃなくまだ跡継ぎが居ない者も決戦前に岩屋城から退かせたって俗説?は本当なんやろか?
自身が高橋立花の次代の為に玉砕覚悟するので自分ちだけじゃなく家臣達にも跡継ぎを残させたってのが紹運の人柄が出てて好きなんで仮に創作だったにしてもやって欲しい
俺はそこで確実に泣くw
てゆか既に妄想して涙目ww

776人間七七四年2017/12/12(火) 23:51:15.23ID:IseETeDh
岩屋城って実際は攻め手はどれだけの規模だったんだろ
忠長忠棟の軍と従属国衆の連合で、しかも直前に筑紫攻めで消耗してるでしょ

777人間七七四年2017/12/14(木) 22:51:20.41ID:IhJsKFGR
島津軍に加えて
肥後:宇土、大津山、城、詫麿、赤星、出田、山鹿、川尻、合志、小代、有藤、隈部、相良
筑後:問注所、蒲池、三池、草野、星野、黒木、田尻、江島、江上
肥前:高木、本庄、神代、馬場、大田、龍造寺、有馬、松浦、並原野
筑前;秋月、原田
豊前:高橋、城井、長野、千手、上原
が参加してたから、5,6万人くらいって続筑前国風土記だとなってたけど
どこがどれだけ兵を出してるかなんて分からないから実際の数は算出できないんじゃね?

778人間七七四年2017/12/16(土) 22:08:53.84ID:UFSrU1Hu
朝鮮出兵時、東国大名は名護屋残留がほとんどだった事を考えると
渡海に関しての家康と本多正信との会話も創作なのかな
家康と正信との三成処遇の会話も三成が逃げ込んだ場所が
そもそも家康の屋敷じゃない時点で創作だろうし
結構二人の会話は怪しいのが多いな

779人間七七四年2017/12/17(日) 13:51:02.64ID:+vlo7LBJ
>>777
著者の貝原益軒は結構いい加減だけど貴重な口伝などを記録しているからね
島津は短期間で国人領主をを糾合したんだね

780人間七七四年2017/12/17(日) 18:20:44.35ID:gCvyxCYh
>>778
家康の逸話はまず疑ってかかったほうがいいな
他の武将でも持ち上げる逸話はたいがい眉唾もの

781人間七七四年2017/12/17(日) 18:29:51.95ID:gmQy8HQc
家康のその類の話を信じるなんて家康ヲタだけ

782人間七七四年2017/12/20(水) 11:49:20.06ID:+Rai38JS
>>781
めんどくさいのは家康ヲタよりも多い「秀吉サゲのためだけの家康アゲ」なんだよな
日本人じゃないのがかなりいる(確信

783人間七七四年2017/12/21(木) 00:09:48.29ID:jpnk8KGM
>>781>>782
秀吉アゲは信じて秀吉サゲには聞く耳持たない秀吉ヲタには何も言わないのかよ
家康サゲのための豊臣アゲ石田アゲ真田アゲをするのは日本人なのかよ
そもそも秀吉サゲのための家康アゲが日本人じゃなかったらなんなんだよ
そいつの言うことは全部間違いでお前は国からそいつを殺す権利でも与えられるのかよ

784人間七七四年2017/12/21(木) 02:24:31.94ID:ez0FtS/k
必死じゃないか、どこのクソガキだ

785人間七七四年2017/12/21(木) 19:33:11.54ID:cxhTZKhy
家康ヲタが一本釣りされててワロタ

786人間七七四年2017/12/21(木) 20:20:47.40ID:3iRrBFv8
めんどくさいというか気色悪いのは
「秀吉が死ななければ、朝鮮出兵は成功してた!」とか言う根拠の無い妄想と
妄想を否定されると「秀吉サゲだ」とかぬかす低能

787人間七七四年2017/12/21(木) 21:08:09.39ID:b5WDAj1c
秀吉の目的は明征伐であり朝鮮半島を補給基地にするつもりだったが
半島が貧しくて補給基地にならない事が判った時点で成功しようがない。
あとはどう幕を引くのかという戦いでしかない。

788人間七七四年2017/12/22(金) 06:40:36.99ID:5BcMMjkp
>>787
当時の朝鮮は豊かだったぞ。
諸大名の書状でもそれは明白だ。

ただ戦慣れしてないから農民が逃散したままになって
一気に荒廃したというのが実情だわな。

789人間七七四年2017/12/22(金) 10:20:32.80ID:ma19cKhZ
李朝に豊かな時代なんてあったのかよ。

790人間七七四年2017/12/22(金) 10:39:23.07ID:Pt36/ISG
日本と同じように米が獲れる南岸周辺はだけ豊かだったちゅうだけやな

791人間七七四年2017/12/22(金) 11:41:16.65ID:jU/YKNUt
>788は朝鮮名物の春窮を全く知らんのだなw

792人間七七四年2017/12/23(土) 04:24:56.82ID:A2oSNfaB
>>791
少なくとも征伐開始当初、平壌まで攻め込めるだけの物資を調達できたのは確かだろ。
数十万の軍勢の物資を収奪できる地域を貧しいとは言わんだろ。

793人間七七四年2017/12/23(土) 11:59:06.95ID:b/bc2V8B
朝鮮が嫌いだからと言って歴史的事実まで捻じ曲げてたら
あの連中と同類に成り下がっちゃうぞ

794人間七七四年2017/12/23(土) 14:45:00.56ID:IDskwck1
鍋島直茂が朝鮮とかに所領を与えられることを希望してたらしいし
それなりに開発できる目算はあったんじゃね?

795人間七七四年2017/12/23(土) 16:48:01.28ID:vt8gXoJl
渡海軍12万が半年あまりで餓死を者出すようになる土地が豊かなわけないだろ。
明軍も兵站は李朝持ちだったはずが自前で補給せざるを得なくなってるし。

796人間七七四年2017/12/23(土) 16:49:05.03ID:vt8gXoJl
おっと ×餓死を者 ○餓死者を

797人間七七四年2017/12/23(土) 18:14:00.70ID:A2oSNfaB
>>795
いや、普通無理だろ。占領軍が農地を荒らしまくった結果、当初備蓄されてた食糧以外再生産されなくなったんだから、食い尽くしたら、なくなるわ。

798人間七七四年2017/12/23(土) 18:14:46.69ID:b/bc2V8B
>>795
何を寝ぼけた事を言ってるんだ。
明軍も現地で掠奪して調達してるぞ

799人間七七四年2017/12/23(土) 18:34:50.92ID:vt8gXoJl
>>798
明朝間のシステムとしての兵站の取り決めと略奪とを区別できない
阿呆が偉そうな口叩いてんじゃないぞw

800人間七七四年2017/12/23(土) 19:58:14.25ID:A2oSNfaB
>>799
お前がアホだ。
朝鮮政府からの供給以外に略奪を繰り返して問題になっとる。

801人間七七四年2017/12/23(土) 21:44:13.03ID:b/bc2V8B
つーか明軍の略奪も知らない奴がなんで文禄・慶長の役について能書き垂れてんの?

802人間七七四年2017/12/23(土) 22:00:06.32ID:vt8gXoJl
>>800
李朝が取り決め通り兵站の責を果たしていれば、明兵は食料まで朝鮮民衆から略奪する必要はそもそもないわけで
朝鮮が豊かだったという主張と完全に自己矛盾してるだろw 


>>801
朝鮮役に関する知識がまるで無いというのは>793の時点でバレバレだからオマエはもういいよ。

803人間七七四年2017/12/24(日) 00:41:14.01ID:/Kt92u4L
「当国之事、第一兵粮沢山之儀、不可言竭候、ーー一城ニ白米四五千石、黒米籾
大豆麦以下雑穀等之蔵之事者、更以不知数候ーーー、城々ニて兵粮下行候間、
高麗着以来ハ、日本之兵粮少も不入候、我等兵粮之事、名護屋のこともと申所、
対馬の豊崎又釜山浦所々残置候、如此候間、此方への気遣、少も不可有之候」
文禄元年の六月八日安国寺恵瓊書状の内容だと、
開戦当初の南部は結構豊かだった感じはあるけどな
北部は今も昔も貧しそう

804人間七七四年2017/12/24(日) 01:51:55.90ID:a4+yVblr
占領した南岸の城の蔵に米いっぱいあって、なーんだ楽勝じゃん日本からの補給いらんわで北進したら
中部北部は米取れなくて米もってこいつったら麦しかねぇ穀物庫開けてもアワしかねぇで飢餓

805人間七七四年2017/12/24(日) 11:51:18.58ID:JYFGVmD+
>>802
妄想は良いから史料だせよ

806人間七七四年2017/12/24(日) 12:21:09.95ID:Agyz/rNA
>>804
アワアワしたんだな

807人間七七四年2017/12/24(日) 13:05:19.41ID:YFilra9Z
多少は自弁分があるとはいえ日本と明あわせて総勢二十万人以上の外国の軍隊を受け入れて
十分な糧食を拠出できる国なんてこの時代存在しないのでは

808人間七七四年2017/12/24(日) 13:48:04.37ID:PMnoJ8Yt
>>807
日本側の見積もりで当時の朝鮮の石高が1200万石弱で、これは多めの見積もりになるんだろうが
1000万石以上もあれば本来なら20万人ぐらいの糧食は賄えるだろう。しかも、日明ともに本国から
兵糧が送られてきているしな。

道路網が未整備で河川と沿岸の細々とした水運のみで、日明のような内陸物流網が欠如してる
当時の朝鮮では、物資があるところにはあっても半島内で前線に送りようがないという話に
帰結するんじゃないの。

809人間七七四年2017/12/24(日) 14:20:56.68ID:PMnoJ8Yt
>>803
『近世日本国民史/朝鮮役 中巻』に、その書簡文面の紹介に続けて、

「然れども沢山の兵粮も沢山の兵士が日々之を用ふれば、其の欠乏を来すは、已むを得ぬ次第だ。
天正二十年の下半期に於ては、朝鮮北部の首府として、特に朝鮮政府の食粮を蓄積したる平壌に於てさえも、
小西軍は、兵粮の欠乏に感じて居た。[吉野日記] 況やその他に於いてをやだ。」

とあるね。

810人間七七四年2017/12/24(日) 23:39:37.74ID:JYFGVmD+
どこが史料なんだかw

811人間七七四年2017/12/29(金) 08:35:08.75ID:vyrauVVA
>>772
作者が亡くなられてるからなぁ
六十六歳は今の時代まだ若いだろうに

812人間七七四年2017/12/30(土) 14:48:01.81ID:2o0curf3
>>811
葉室さんには島津忠長を主役に一作書いて欲しかった

813人間七七四年2018/03/10(土) 08:19:25.18ID:MJBw3CNq
>>808

ガダルカナル島のような有様ですか。

814人間七七四年2018/05/17(木) 21:56:41.00ID:drWLg9s2
利休は切腹させられてなかったとかマジかよw

815人間七七四年2018/05/18(金) 10:53:58.35ID:Rz/iIsDs
関ヶ原の戦いは幕府による捏造でそれを元に陸軍参謀本部が作った布陣図が流布した結果みたいね
実際は西軍を裏切って(元々西軍ですらない説もある)松尾山を占領した小早川秀秋を
石田と大谷が排除しようと攻撃したところに福島達が横やり入れて石田と大谷が壊滅しただけらしい

816人間七七四年2018/05/18(金) 11:04:14.37ID:Rz/iIsDs
>>808
実際朝鮮半島に渡ると現地徴発も上手く行かない不毛の地だったりするわけだが
結局秀吉が唐入りすると言った以上それを可能にする見積もりが必要になるわけで
そこで最近流行の忖度的な見積もりの水増しが行われたんだろうな
結果として最前線がその代償を払うのは今も一緒

817人間七七四年2018/05/18(金) 12:47:44.61ID:M4/zX3Ed
>>815
幕府関係ない
あちこちがそれぞれ話を盛って、それを集めたらこうなったという感じ

818人間七七四年2018/05/18(金) 15:01:00.48ID:XgdJGW5s
各家が自分のところはこんなに健闘した、自分のところは見てただけだから責任がない、と言い合って、
とっくに廃藩になってた小早川は反論できずにどんどん扱いが悪くなり、通説の形になんとなく落ち着いた。
誰かがこうしようと音頭を取ったわけではない。

819人間七七四年2018/05/18(金) 15:04:06.70ID:XgdJGW5s
>>816
上手くいかないも何も、占領統治に失敗して民衆が逃散しまくった結果、二年目から兵糧が無くなった。
侵攻した初期は兵糧がしっかり確保できた結果、平壌まで占領できてる。

民衆が逃散して食糧生産がされない状況に、民政を頑張れ、という指示を各大名が出してる。

820人間七七四年2018/05/18(金) 22:33:49.02ID:8d2XKqF7
朝鮮半島の緯度が日本の東北地方と被ってる時点で豊かもなにもないとおもうけどな

821人間七七四年2018/05/19(土) 07:41:48.62ID:Bvt/uzkt
近代に品種改良されるまで米が安定して穫れる北限は新潟

822人間七七四年2018/05/19(土) 16:55:50.38ID:y9wwL2AQ
あたりまえやん。朝鮮北部とか満州とかの主食は麦だろ。

823人間七七四年2018/05/19(土) 17:12:35.93ID:93UCiWh9
粟や黍やろ

824人間七七四年2018/05/19(土) 21:58:40.85ID:uXLvaBob
高粱とかじゃないの

825人間七七四年2018/05/20(日) 08:08:08.04ID:cbsqut6X
黒田家臣が左近のかかれでトラウマになった話は嘘なのか?

826人間七七四年2018/05/20(日) 14:57:39.15ID:wjgupwfO
結局すげえ奴を討った俺たちもっとすげえってだけの逸話だからな
オチが左近だと思ってたやつみんな違う人だったってのがなんとも

827人間七七四年2018/07/13(金) 16:45:36.80ID:WherNiCC
筑前が鷹狩り途中に立ち寄った寺で茶を所望し、タップリのぬるいお茶、中くらいの温かいお茶、少ない熱いお茶とやり方を変えて、都合3回お茶を運んだ寺男の機転に感心し、
長浜に連れていって家臣に加え、それがのちの石治少だったというのも創作だとか

828人間七七四年2018/07/13(金) 17:13:53.31ID:0+ggUnVM
所詮は出典が『武将感状記』とかやでな

829人間七七四年2018/07/14(土) 04:33:16.61ID:q2Jizoll
というのも、というか割合有名な創作だわな 三献茶なんて

830人間七七四年2018/07/14(土) 17:50:44.14ID:H+llCMCc
>>827
僕はあまり詳しくないんで
史実だと思ってました

結構有名なエピソードでも
創作あるんですね

831人間七七四年2018/07/14(土) 17:52:57.29ID:BHCGShpJ
むしろ有名な逸話程、創作の可能性が高い

832人間七七四年2018/07/15(日) 01:18:21.43ID:bbBw1Oqb
そんな気が付く人だったらもっと雰囲気察することできたはず

833人間七七四年2018/07/16(月) 21:24:46.87ID:J0pXmXC4
>>827
>>830
創作というか「長闇堂記」という茶人の回想記に収録されてた利休と弟子の話を流用したもの。
元ネタ自体どこまで本当なのか不明。

834人間七七四年2018/07/17(火) 18:53:18.54ID:wceEAiFN
そういう元ネタがあって
いろんな人に当てはめられてるケースってあるよね
竹中半兵衛絡みなんかほとんどそう
三顧の礼で迎えたとか十面埋伏の計がどうとか
全部三国志やんけ!と

835人間七七四年2018/07/17(火) 18:54:24.34ID:wceEAiFN
あと加藤清正の朝鮮での虎退治とか
虎狩りブームみたいのでみんな(鉄砲で)やってたんだけど
清正だけが1人槍で狩ったみたいな話になってるよね

836人間七七四年2018/07/17(火) 19:11:26.84ID:vQ+wWvca
島左近を採用する際に禄高半分を与えたとか、土地を貰う代わりに、河川敷の草を伐採する権利を願ったとか、それも創作なのかな

837人間七七四年2018/07/17(火) 19:49:59.87ID:HiVtsjdg
>>835
立花家臣の立花鎮久が親子の虎を2丁の鉄砲で撃って
鉄砲に大虎、小虎と銘を付けたって話があるんだけど、
今年の2月くらいに立花家史料館で銃の実物が虎の歯といっしょに展示されてたな

838人間七七四年2018/07/17(火) 21:17:12.42ID:ANNhQAZA
>>836
三成がまだ500石の小姓だった時に渡辺勘兵衛を500石でスカウトして自分は勘兵衛の居候になった
という逸話を元に作られた話らしい。

839人間七七四年2018/07/18(水) 01:04:00.40ID:tuz1i6s4
>>838
元ネタのが面白いやん

840人間七七四年2018/07/18(水) 08:13:54.79ID:fCiQs+Tb
そうかナベカンのエピだったわけか。

841人間七七四年2018/07/18(水) 09:47:51.98ID:hGSQDFDc
ナベカンと言っても「槍の勘兵衛」として有名な渡辺了じゃないほうね。

842人間七七四年2018/07/18(水) 22:03:10.89ID:RrMRytsP
五百石の勘兵衛さんを検索してみたけど義理堅い人だったんだな

843人間七七四年2018/07/26(木) 20:24:07.92ID:LTfEf5ZT
昔は、忍びの者が座の下に忍びこみ、畳の縁や敷居の隙間から漏れる光で相手の所在を確かめ、タイミングを見はからって刃を刺すこともありました。
こうして命を落とすことは武士として大変恥ずべきことだったため、それを避けるための戒めが、和室のマナーになりました。
https://allabout.co.jp/gm/gc/220676/3/

忍者は実在した
暗殺もしていた
しかし暗殺の手口はバレバレで皆対策していた

844人間七七四年2018/07/26(木) 22:14:37.84ID:KMJK8B3b
忍者が実在してなくても暗殺はあるわけで
それに対処するのは当たり前

845オウム真理教は、無実です2018/07/26(木) 22:21:32.61ID:f7yKrkhK
これからも創作をどしどし暴いていきます

846人間七七四年2018/07/27(金) 03:24:34.32ID:zH06kt7B
対処するのは当たり前だけどそれが畳の縁を踏んではいけない理由というのは後付っぽいなぁ。

847人間七七四年2018/07/27(金) 04:36:27.10ID:fqS8gzo1
畳の縁や敷居を踏むと傷むからじゃないの?

848人間七七四年2018/07/27(金) 07:55:16.74ID:zH06kt7B
普通はそれが第一の理由だと考えるよね。それが4番目って。

849人間七七四年2018/07/27(金) 08:58:15.34ID:DCF9ykbB
夜口笛を吹くと泥棒が入る
畳のへりを踏むと忍者に暗殺される

850人間七七四年2018/07/27(金) 15:25:11.54ID:wfryb9PV
家光はじつは家康の子供だったのか?
これに近いのが崇徳天皇は誰の子だったのか?

851人間七七四年2018/07/27(金) 21:44:46.04ID:0eydyRm6
中世の武家屋敷って板敷きなんじゃないの
近世畳敷き詰めるようになっても畳の下は板張りだし

852人間七七四年2018/07/28(土) 00:30:57.10ID:6TLg8NIm
>>816
ヤンマガの連載漫画「センゴク」に出てくる秀吉が最近の話では
「何が何でもできることを前提で動け」と側近に指示しているシーンが出てくるが

その忖度的な見積もりの水増し(朝鮮国内の石高)も朝鮮出兵を命ずるための数字改ざんなのだろう。
太平洋戦争前の海軍首脳による日米戦机上演習みたいな

853人間七七四年2018/07/28(土) 07:51:37.58ID:JhiyDPpF
家康を参考にしてはならないw

854人間七七四年2018/07/28(土) 08:41:02.44ID:nLt0vO9a
>>851
そうだよね。平安時代頃の寝殿造では畳は座布団みたいに座る場所にだけ敷いていた。
足利義政が慈照寺(銀閣寺)の東求堂に作った書斎「同仁斎」から発展して書院造にだんだんなっていく。

855人間七七四年2018/07/28(土) 09:31:59.78ID:T6aN2ZrG
江戸時代のはたごなんてほとんどが板敷
布団なんてない、自分の服が布団代わり  TVの時代劇はあれは別世界

856人間七七四年2018/07/28(土) 09:53:34.53ID:JhiyDPpF
旅籠にも階級があったからね

857人間七七四年2018/07/30(月) 00:14:46.64ID:l4EHJ0vN
別に忍者じゃなくても刺客を潜ませ
板敷を一部外してそこに案内して・・・という事もあったろうから
警戒はしたんじゃない
それがヘリを踏むなって話につながるかどうかは知らんけど

858人間七七四年2018/07/31(火) 16:54:57.47ID:kM8yFAHn
忍者の定義て何なんだろ?
資格試験みたいのとかあったのかなw

859人間七七四年2018/07/31(火) 21:19:11.08ID:WYCpGST1
家康のしかみ像も嘘らしいね
元々は長久手の際に描かれたと伝わっていたものだが
よくよく調べるとそれも嘘で家康ですらないとか

860人間七七四年2018/07/31(火) 21:33:02.64ID:LPsU9aLL
しかみは紀州から尾張に輿入れするときに持っていったやつだよね

861人間七七四年2018/07/31(火) 21:34:26.76ID:zURdb+6m
そもそも論として忍術とか忍びという言葉はあるけど忍者は無いんだよ。地方や集団によってバラバラ。
「素破」「乱波」「軒猿」「草」などなど。代々の家業としてやるもんであって外部の人間が関わることは無い。
だから資格試験とかも無い。

862人間七七四年2018/07/31(火) 22:07:11.88ID:tVjPcP/y
>>859
マジですか
初めて知りました

863人間七七四年2018/07/31(火) 23:03:34.69ID:uEhBGdB3
しかみ像を安易に引用するかどうかで信頼できる目安にもなってる

864人間七七四年2018/08/01(水) 10:03:08.63ID:Vb4gfkkg
鳴かぬなら鳴かしてみようほととぎす  信長じゃなく家康だった

865人間七七四年2018/08/01(水) 13:04:32.03ID:Iq0bF4T4
無茶苦茶でワロタ

866人間七七四年2018/08/01(水) 16:13:58.10ID:CxzXLRIe
しかみ像の否定の本質は
旧幕大名系美術館の筆頭的な位置づけとされてきた徳川美術館の
信頼性そのものが問われてるってこと
単なる一枚の絵の話では済まない

867人間七七四年2018/08/01(水) 18:46:34.91ID:hmZk6z2w

868人間七七四年2018/08/02(木) 08:41:08.17ID:zjw0Z8/I
>>867
わかってるよ
だから絵だけじゃなく収蔵品全部の話だってこと
徳美は村正の話でも妖刀説否定してるんだが台帳と現物とで矛盾してる

869人間七七四年2018/08/02(木) 10:46:06.46ID:PzbG1TPn
>>867
論文を読んだ。礼拝用に理想化された、忿怒尊としての家康像か。なるほど。

>>866
検証を批判してるように読めたんで違和感を感じたがもっとやれって事ね。

870人間七七四年2018/08/02(木) 11:06:35.19ID:PzbG1TPn
ミロのビーナスやアテネのパルテノン神殿など古代ギリシャは白の文明というイメージが一般的にある。
しかしそれはヴィンケルマンという男が作ったイメージだ。本来の古代ギリシャはあれもこれも大概彩色していた。
ヴィンケルマンは18世紀の美術史家で古代ギリシャの芸術を賛美してヨーロッパ中で古代ギリシャ熱が高まった。
ヴィンケルマンが「古代ギリシャは純白の文化」と論じて一般人がそれを信じた結果、大英博物館が収蔵品の
エルギンマーブルなどのギリシャ彫刻を「洗浄」して彩色の痕跡を落としてしまうという事件にまでなった。

871人間七七四年2018/08/02(木) 19:36:41.33ID:zjw0Z8/I
>>869
>検証を批判してるように読めたんで違和感を感じたがもっとやれって事ね。

そうだね
見ようによっちゃしかみ像の否定はおもらし逸話の否定
村正妖刀説否定も家康の了見の狭さの否定とも見れてしまう

でも厳然とそういう逸話は伝わってきたわけで
今になって急に自分の祖先に不利な逸話だけ否定するのはどうかっていう視線を
浴びる覚悟がなきゃいけないと思う
もっといえば家康の神格化(=自館の権威化)に不利な史料も公開して研究を行うべき

872人間七七四年2018/08/02(木) 20:53:29.51ID:3ajT7cpU
礼拝用の忿怒相が糞を漏らす前の激おこ顔にされてしまうのだからもの凄い風評被害だな
それが何百年とは…なんと恐ろしい

873人間七七四年2018/08/02(木) 21:22:53.47ID:iHtsZtbW
戦後のリップサービスで三方原後の自戒像に変化したって何年か前に美術館で見解を出してなかったっけ?

874人間七七四年2018/08/02(木) 21:29:24.40ID:PzbG1TPn
>>871
>今になって急に自分の祖先に不利な逸話だけ否定するのはどうかっていう視線を
>浴びる覚悟がなきゃいけないと思う
いやぁ、論文では脱糞も小豆餅も否定してる上に問題の絵を敗戦の恐怖に慄える家康にしたのは
徳川美術館を設立した尾張家19代当主徳川義親だと書いてるぞ。美術館開設の新聞記事を根拠に。

875人間七七四年2018/08/03(金) 06:58:17.75ID:cqPqmHRs
徳川義親が提唱者というのは、何となく納得できてしまう

876人間七七四年2018/08/03(金) 12:50:15.97ID:e1280WHV
>>874
だから論文はとっくの昔に読んでるって
その上で先祖崇拝のための主張にしか見えないって話
そういう見方を打ち消すためにも公平かつ網羅的に全収蔵品をチェックしろっていうこと
大胆に家産整理をやった義親は春嶽の息子から養子に入った人物だし
それも影響してるんじゃないか

877人間七七四年2018/08/03(金) 17:43:09.84ID:2+Mgzq6t
>>876
それはお前の心が歪みきっているだけ

878人間七七四年2018/08/04(土) 09:24:36.68ID:9p958A0X
むしろ普通の学問的な立場

879人間七七四年2018/08/04(土) 12:42:05.82ID:t68Euha2
徳川美術館なんて所蔵品が膨大だから、なかなか手が回らない
と言いたいが、どうも上の頭がコチコチな感はある

880人間七七四年2018/08/04(土) 14:40:18.20ID:pNQkgHqP
セクハラ訴えた人を逆告訴して辞めさせたってニュースになったけど、
直後に刀剣乱舞が流行って誰も話題にしなくなったね

881人間七七四年2018/08/04(土) 19:17:35.17ID:Owan6kYC
>>876
テコ朴並感

882人間七七四年2018/08/04(土) 21:57:47.03ID:kFUybZMh
家康関連の創作話と言えば、今川に人質に送られる途中
戸田家に騙され、織田家に売られた話、最近の研究だと
実は違うって事になっているんだっけ

883人間七七四年2018/08/05(日) 08:46:23.40ID:UJLyC0eh
>>876
《徳川》美術館なんだし先祖顕彰みたいのがあってもいいんじゃね
むしろ他の大名家の子孫でこういう事業してるとこがもっとあったら史学研究も捗りそう

884人間七七四年2018/08/05(日) 09:22:21.60ID:FNSj5L9f
こんなスレでも東照神君の話題は未だにタブーってことだね
素晴らしい世界だね

885人間七七四年2018/08/05(日) 09:45:40.65ID:WCQztU1R
>>884
勝手にタブーにして「そんなタブーに左右されない俺かっこいい」ごっこは楽しいですか?

886人間七七四年2018/08/05(日) 13:11:19.72ID:xR7rpigf
>>882
村岡教授が「信秀が岡崎城を攻略した時に広忠から竹千代を差し出させた」と唱えてるけど、
ぶっちゃけ推測のみで史料的裏付けは一切ない

887人間七七四年2018/08/07(火) 22:33:31.42ID:702JhVEd
>>882
平凡社で出た柴裕之の徳川家康では採用されてたけど、研究者内では
どの程度指示されているのかな

888人間七七四年2018/08/08(水) 16:39:29.75ID:D9ifO9MH
史料がないものはすべてウソってのもな・・

889人間七七四年2018/08/08(水) 16:43:21.07ID:D9ifO9MH
本能寺に攻め込んだある雑兵が後世になって、家康を撃を討つもと思っていたという日記を
拡大解釈して、明智軍はみんなそう思ってたなんて解釈するのもな

890人間七七四年2018/08/16(木) 04:47:35.42ID:LYZAKnZ1
島津惟新・豊久の伏見城加勢を家康から依頼されていたというのがかつての説だったが、
近年、家康が島津に伏見警備の加勢を頼んだ話は、元からなかったとされる、
しからば、誰がどういう意図で加勢うんぬんの話を作ったかが気になる

891人間七七四年2018/08/16(木) 15:38:48.60ID:g4RhOpcX
島津側が西軍に着いたのは不可抗力だって喧伝するためじゃね?
伏見城籠城を頼まれたというのも、ことが起こったら助けになります程度の話を誇張してるのかなと

892人間七七四年2018/08/16(木) 18:48:32.47ID:OCGgi/Zx
>>888
資料をもとにAだいやBだって説はどっちもわかるけど
資料がない憶測だけの話を「説」と言われても
嘘とはいわないけど「確証がない」ってなるでしょ

893人間七七四年2018/08/16(木) 21:57:32.96ID:1AJ9KYhH
墨俣の一夜城、敵を防いでる間に上流から伐採し
後は組み立てるだけに加工した材料を流して
一夜で城を造ったって逸話だけど、墨俣の上流って
敵領でいくら周辺の川並衆味方に付けたところで
そんなところで材料調達する方がよっぽど難しいと思うが
逸話考えた人その辺の事どう思っていたんだろう

894人間七七四年2018/08/20(月) 23:39:31.08ID:9BFJgKzg
>>893
信長が領する前の美濃の支配状況ってよくわからんからな、木曽三川が墨俣からムンクの叫びの絵の背景みたいにのたうち回り、統治に適した土地が結構な内陸部になっていたりして、
織田信秀が道三との戦いで大垣城傘下に置いたとか、可能なの?と思える史実あるし

895人間七七四年2018/08/21(火) 19:30:46.49ID:tj8nnv6Q
材料流して一夜城作ったなんてのは伝説で
元々あった斎藤方の城(砦)を奪って補修改修したって話じゃなかったっけ?

896人間七七四年2018/08/23(木) 09:48:39.77ID:cy5wOXEq
そうわよ

897人間七七四年2018/08/23(木) 12:30:07.02ID:LXud/pe/
小田原攻めもそうだが、あっという間に敵の度胆を抜くのは秀吉の得意業。
ただし、墨俣の跡地に桃山風城郭なんかわざわざ立てる自治体のやり口には興醒めする

898人間七七四年2018/10/06(土) 21:25:42.74ID:kc/yObwP
>>889
大河が始まったr得意気に自分の中での妄想創作をさぞ実話のようにして
本を出したりブログやtwitterに書き込んだりするんだろうな
自称子孫兼自称歴史研究家さんは

899人間七七四年2018/10/06(土) 21:46:51.67ID:foXww1Ol
金子拓の「鳥居強右衛門」甫庵信長記と三河物語の記事から時代を経るに連れ、どのように強右衛門伝説が成立、変容していったかの考察が面白かったな

900人間七七四年2018/10/10(水) 22:07:15.95ID:J4cuwOZe
甫庵信長記と三河物語が常山紀談並の信憑性に欠けるだしな
強右衛門の家系が初代と二代目の功績のおかげで
奥平松平家の重職を務めているらしいから全くの根拠のない逸話では無いんだろうけど

901人間七七四年2018/10/17(水) 22:49:49.96ID:Q5rXdhh2
全部うそではないと思うけどだいぶ盛ってる気はするよね

902人間七七四年2018/10/22(月) 13:15:55.54ID:RSteftTt
仮に磔にされていなかったとしたと、落合左平次の旗指物は何なんだってことになるな

903人間七七四年2018/10/24(水) 23:03:46.69ID:r+oBm0Vb
義姫の政宗毒殺未遂もデタラメだったのか!NHKの大河はウソばっかりだな

904人間七七四年2018/10/24(水) 23:30:45.68ID:r8PSNP/c
毒殺未遂事件は江戸時代に編纂された伊達家の公式記録にあるから通説だったんで
NHKの責任ではない。

905人間七七四年2018/10/25(木) 21:26:11.22ID:xf3EyGP+
>>902
逆磔じゃなくて普通の磔ってことでしょ

906人間七七四年2018/10/27(土) 22:04:38.80ID:N7ov20LQ
>>903
弟の小次郎も殺されたんじゃ無くて大悲願寺の住職になって秀雄と名乗り
寛永19年まで生きていたって説もあるんだっけ
花の慶次ではこの説を採用したのかな?

907人間七七四年2018/10/27(土) 22:35:14.46ID:ymBGf9Ik
政宗には撫で斬りもしてない説もあるよね

908人間七七四年2018/10/28(日) 02:30:38.38ID:MHbluiMZ
前に歴史番組の政宗特集で政宗が江戸を訪れる際に必ず立ち寄ってたお寺の住職の素性は政宗の舎弟と記録されてるとか言ってたなー。
もし政宗が切腹させられ伊達家が滅んだとき、後に再興できるよう小次郎を死んだことにして逃したのではないかとも言ってた

909人間七七四年2018/11/19(月) 20:38:58.94ID:KbWaGpf7
弟への連座防ぐために死んだことにしたのなら暗殺事件自体が狂言なわけになるんだろうけど
その場合後世その事件の首謀者にされた義姫、伊達家からどれだけ反感かっていたんだ

910人間七七四年2018/11/20(火) 06:39:15.30ID:/32vpPHK
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1541930367/
上杉謙信女性説を唱えるバカの巣窟です

911人間七七四年2018/11/21(水) 04:36:57.79ID:H0fB6dgA
乃至先生に見せてやれよw

912人間七七四年2018/11/21(水) 04:58:14.03ID:Oq6VyS/l
トロイの木馬じゃないけど
長らく創作だと思われていたのが、実は本当だったというのはあるのかな

913人間七七四年2018/11/21(水) 12:51:23.00ID:H0fB6dgA
甲陽軍鑑の信憑性の話とかはあるよね
自分はまだ怪しいと思ってしまうけど

914人間七七四年2018/11/21(水) 15:52:22.85ID:nxe4f4Ma
山本菅助が実在していて、子孫のその後も分かったとか

915人間七七四年2018/11/21(水) 16:39:20.63ID:aRshQ3Zn
政宗が伊達成実の出奔後妻子を討ったというのは後世の歴史研究家による史料誤読説

916人間七七四年2018/11/21(水) 17:09:25.23ID:3yhaXeL+
なんかあったはずと思ったのは甲陽軍鑑だったか。学の無い高坂弾正が語る昔話をそのまま
記録したから間違いだらけという話は説得力があると思う。

917人間七七四年2018/11/21(水) 17:12:52.02ID:3yhaXeL+
「間違いだらけ」って書いたけど「記憶違いだらけ」に訂正。

918人間七七四年2018/12/23(日) 19:21:46.62ID:OXjgIo1C
勘助以外にも架空の人物の子孫普通にいるからなあ

919人間七七四年2018/12/24(月) 12:44:35.11ID:xL/yVIIf
モデルがいるキャラは子孫もいるだろ

920人間七七四年2018/12/24(月) 17:39:07.92ID:XYUpRLql
史料に同時代性があっても
そこに書かれてる事が正しいか、信頼できるかどうかはまた別の話なんで
『甲陽軍鑑』はまさにそれなんだけど
やはり分かりづらいのか再評価による見直しも0か100で語られることが多いよね

921人間七七四年2018/12/24(月) 17:43:56.92ID:/Jky83bv
甲陽軍鑑は小説であり資料でもあるという面倒くささ

922人間七七四年2018/12/24(月) 19:05:55.64ID:xL/yVIIf
編纂物はすべてそうだろ

923人間七七四年2018/12/24(月) 19:07:54.53ID:slo+c7Xk
信長公記も基本的には「割と信用できる小説」

924人間七七四年2018/12/27(木) 22:20:16.19ID:OMG3Hn1W
司馬遼太郎みたいなもんか

925人間七七四年2018/12/28(金) 00:47:22.39ID:Le0KQL6p
司馬のは史実っぽく書かれていても全てを疑ってかからないとやばい小説だぞw

926人間七七四年2019/05/01(水) 00:24:10.01ID:oBh+vNrm
頑張ろう

927人間七七四年2019/05/09(木) 07:28:49.94ID:Ac4L8UOy
千明が春は永遠にないでござろう

春が先 上上深紅 ことなかれ やぶきじょーにて あふさかの冬

928人間七七四年2019/05/09(木) 11:16:29.19ID:7IFZuiT9
>>923
桶狭間合戦とか初期の事績を語る首巻だけ直筆本がないってのがまた面倒くさい小説だな
信長家臣の筆記だから信じられている面があるのに初期のところだけ他の著者が書いたパートが混入された恐れがあるってことだから

929人間七七四年2019/05/09(木) 20:31:35.50ID:Uk7GCc+K
最近あちこちで信長公記を貶めようとしてるやついるな

明らかに一人がやってるくさいけど何かあったんか?

930人間七七四年2019/05/09(木) 20:36:36.97ID:fz55kaSk
信長公記は首巻以外は史料として割と信頼できる。首巻は小説と言われても仕方がない。

931人間七七四年2019/05/10(金) 00:51:11.83ID:3riTcgqk
>>929
それを信長公記全体の問題とか勘違いしているあたり
君は何が問題にされているのかわかってないみたい

932人間七七四年2019/09/11(水) 04:08:15.36ID:2NkhzCfu
薩藩旧記の島津忠恒の真田(信繁)日本一の兵評は明治以降の写本のみ記載されてるらしい

933人間七七四年2019/09/11(水) 14:30:18.74ID:AOL9rq9D
>>932
江戸時代でもなく明治ってつい最近追加されたのかよw

934人間七七四年2019/09/11(水) 15:49:22.84ID:HklVf1Z/
遅参して参加してねーしな。
なんでそんなところに数少ない記録残ってんだよw的な

935人間七七四年2019/09/11(水) 16:29:27.09ID:23xpHWtJ
史料批判、史実第一が進みすぎて戦国史の肉どころか骨を断つ勢いだなこれ

936人間七七四年2019/09/11(水) 16:47:17.16ID:BZGDY7dC
むしろ今までが進んでなさすぎた

937人間七七四年2019/09/11(水) 19:43:48.11ID:s0t9M6vA
関ヶ原とか大坂の陣とか創作が浸透しすぎているしな

938人間七七四年2019/09/11(水) 21:34:32.57ID:q2ZnQkMe
甲陽軍鑑のポジションって「おじいちゃんが書いたどこまで合ってるかわかんない回顧録」でいいんかな

939人間七七四年2019/09/11(水) 23:11:05.46ID:23xpHWtJ
>>932
ttps://twitter.com/tabenomuraji/status/1171752607150272513

怒られてるぞ
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

940人間七七四年2019/09/11(水) 23:26:53.40ID:R2iMZdhj
正確には爺さんの昔語りを検証せずそのまま記録したもの、かな。
だから同じ出来事でも他の資料と1〜2年食い違うなんてザラだし、
信玄以来の宿老として勝頼時代からの家臣には批判的なのも差し引いて見る必要がある。
張本がダルビッシュに喝!とかやってもそれがそのままダルビッシュの評価には繋がらない、みたいな。

941人間七七四年2019/09/12(木) 01:01:42.41ID:LQScO6C/
「おじいちゃんが書いたどこまで合ってるかわかんない回顧録」を軍学の教科書に都合がいいようにさらに再編集した物。かな

942人間七七四年2019/09/12(木) 20:42:28.39ID:z9q72emD
福島、加藤家の改易も今だと幕府の陰謀じゃなくて自業自得なんだっけ
特に加藤家は、細川忠興は切腹断絶なになると思っていたら
改易ですんで意外みたいな感想を残しているとか

943人間七七四年2019/09/12(木) 20:49:48.44ID:LQScO6C/
そやね

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