長篠・設楽原合戦の真実 [無断転載禁止]©2ch.net

1人間七七四年2016/11/12(土) 21:14:34.87ID:F2oYAzgO
1575年6月29日(天正3年5月21日)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、織田信長・徳川家康連合軍3万8千と武田勝頼軍1万5千との合戦。
武田方の戦死者は山県昌景、土屋昌次、馬場信房などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。
これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。

2人間七七四年2016/11/13(日) 03:07:35.09ID:6wnR8y6D
鉄砲の三段撃ちって本当はどういう方法だったのですか?

3人間七七四年2016/11/14(月) 17:30:56.07ID:qKHhBKnu
鉄砲の三段撃ちは狙撃手と弾を込める人と渡す人に役割が分担されていた

4人間七七四年2016/11/14(月) 22:32:15.48ID:MN+JquFY
渡す人楽すぎだろ

5人間七七四年2016/11/14(月) 23:20:54.32ID:hvlzefMQ
鉄砲の三段撃ちは無かったんだよ

6人間七七四年2016/11/15(火) 00:28:45.75ID:YeXG8l4V
渡す人は弾を込める人から狙撃手に、狙撃手から弾を込める人にと往復するから意外と大変と見た。
特に両方から同時に渡された場合はどっちを先に取るか、そしてどっちに先に渡すか迷う。

7人間七七四年2016/11/15(火) 01:10:56.30ID:2up2FY+w
寒狭川渡ったのが謎
しかも長篠城も落ちてないのに

8人間七七四年2016/11/15(火) 06:04:19.05ID:20U5pbPu
三段撃ちと後の立花宗茂隊の早合はどっちが速いのだろう

9人間七七四年2016/11/15(火) 06:43:43.96ID:7gU/4cZ4
だから三段撃ちは無かったってのが最近の見解

10人間七七四年2016/11/15(火) 14:51:17.67ID:/l5Qb0mg
三段撃ち=大斉射が三回
こんな気がしてきた。
仮に弾篭めが終わった1000丁×3回の発射間隔の短い斉射が有ったら
当時だと大混乱すると思うぞ。

11人間七七四年2016/11/16(水) 05:18:15.38ID:YMxRHDHV
どうしてそこまでして通説を曲げようとするのか

12人間七七四年2016/11/16(水) 11:49:55.48ID:lK0hIMbv
昨日スカパーで信長対勝頼やってたけど、そもそも騎馬隊すら無かったのではないか?って説もある

大量の鉄砲で打ち掛けられたら、馬は錯乱して逃げ惑い、白兵戦になってたと

それに信長公記にも鉄砲五百丁の記述しかなく、本当に三百丁あったかも疑問

13人間七七四年2016/11/16(水) 11:50:27.25ID:lK0hIMbv
あっ、三千ね

14人間七七四年2016/11/16(水) 12:58:45.50ID:BBi3lBhA
武田にもそれなりに鉄砲があったから大混乱を起こしたとは考えにくい。
多少はあったとは思うけど。
再三言われている様に、数に劣る武田が防御陣地で守る多数の連合軍に突っ込んで、攻め崩せず敗走。
更に追撃を受けて多数の死傷者を出したってのが現実的。

長篠で武田の取れる選択肢は、長篠城を強引に落すか、包囲される前に逃げるかだとは思う。
そもそも決戦するには遅すぎるて速すぎる。

15人間七七四年2016/11/17(木) 21:16:44.69ID:t52YiZng
三段撃ちの三段とは「柵」「堀」「土塁」のことです

16人間七七四年2016/11/18(金) 00:13:50.92ID:8xWXpGXe
なるほど、上手いな

17人間七七四年2016/11/19(土) 23:16:51.57ID:kyIXRPD+
鉄砲隊を三隊に分けて全員が順番というよりも、特に狙撃手のエキスパートは大切なので「狙撃手」「渡す人」「弾を込める人」の三隊に役割分担されていたと思う。
むしろそう考えるほうが自然だと思う。

18人間七七四年2016/11/20(日) 08:02:02.39ID:W+naGWap
戦国時代の鉄砲に狙撃できるほどの命中精度はない
だから数撃ちゃ当たる集団運用

19人間七七四年2016/11/20(日) 09:51:21.24ID:oniIHhFK
火薬量も適当、弾丸も円形
まぁ当たらんな

20人間七七四年2016/11/20(日) 21:31:52.56ID:I84t+AzN
長篠・設楽原の戦いで討ち死にした武田軍の主な武将。
山県昌景、内藤昌豊、馬場信春、真田信綱、真田昌輝、原昌胤、原盛胤、土屋昌続、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉丹後守。
武田軍まぬけ過ぎる。

21人間七七四年2016/11/21(月) 16:57:49.30ID:N05GWt+f
>>18
雑賀衆のゲリラ戦術とかもあるし熟練の兵は狙撃してたと思うよ

22人間七七四年2016/11/21(月) 17:57:19.41ID:FGP6kSag
眉唾物

23人間七七四年2016/11/21(月) 23:27:34.99ID:16t1bV10
戦国日本の火縄銃はタイムラグが少なく狙撃に向いている「瞬発式火縄銃」だよ

24人間七七四年2016/11/22(火) 01:07:09.61ID:Hf1XWSnr
そういう問題ではない
ライフリングもない、粗末な工作精度の原始的な滑空砲から
いいかげんな球形の弾丸をテキトーな火薬量で撃ち出すのが火縄銃
その命中精度は推して知るべし

25人間七七四年2016/11/22(火) 18:52:38.85ID:j4rHAahI
>>23
頭大丈夫?

26人間七七四年2016/11/22(火) 21:19:57.39ID:NzRrdnq7
日本の火縄銃は命中率重視だったはず
少なくとも欧州ほど数撃ちゃ当たるではなかったはず

27人間七七四年2016/11/22(火) 21:32:19.39ID:NzRrdnq7
島津の場合は3発中1発以上あてないと切腹だったらしいから島津の名手はそれなりの命中精度だったと思われる

28人間七七四年2016/11/23(水) 06:37:33.46ID:IZvUZXSP
ヒント距離
狙撃というのは一般に遠距離射撃を指すが
字的な意味は「狙い撃つ」で距離は関係ない
五メートル程度の近接射撃で狙い撃っても当たれば狙撃成功

29人間七七四年2016/11/23(水) 06:48:21.24ID:lrMWz9ru
勝負の決め手は別に鉄砲でもないし

30人間七七四年2016/11/23(水) 12:21:01.30ID:PqE6A6yN
たんなる柵じゃなくて、けっこう本格的な砦をつくったんだよね
ふつーに攻城戦になった そうなりゃ守るほうが有利だし、
使用武器は飛び道具中心になる 明らかに不利なのに攻めた勝頼が悪い

31人間七七四年2016/11/23(水) 14:31:51.06ID:htarP4up
火縄銃は敵の突撃の勢いを削ぐのに使われた
また1発を弾込めしている間に敵はだいたい100mぐらい進む
そう考えると野戦の場合は引きつけて狙い撃つが基本だったと思うけどな
あと籠城戦でも物資に限りがあるからやはり狙い撃つというのが基本だと思う

32人間七七四年2016/11/23(水) 18:21:54.03ID:0bDCj9ym
>>27
ブラック大名だな
切腹させずに槍隊かなんかに配置転換すればいいだろ
そんな了見だから秀吉に楯突いたりバカな事を起こすんだよ

33人間七七四年2016/11/23(水) 19:44:02.74ID:Itwwgjhw
罰といってもアナルに大根突っ込まれる程度だろ

34人間七七四年2016/11/24(木) 01:21:37.68ID:67gvRJ3N
敵が万全の防御態勢で鉄砲構えて待ってるのに騎馬隊で突撃する武田軍アホだよな

35人間七七四年2016/11/24(木) 01:35:39.70ID:6Ar8SgZ6
数が少ないと思ったって言い訳はやばすぎる

36人間七七四年2016/11/24(木) 03:41:54.96ID:G2WcBDHD
歴史とは勝者が書き換えるもの
実際はどうだったか分からない件

37人間七七四年2016/11/24(木) 03:45:32.59ID:xCVHXXs0
>>34
武田騎馬隊なんてものは創作

38人間七七四年2016/11/24(木) 11:45:49.15ID:O+i0JT58
勝頼さんはちゃんと孫子お勉強しなかったのかな?

39人間七七四年2016/11/24(木) 15:47:11.09ID:c+f2h8NU
圧倒的大勢力が小勢力相手に策謀の限りを尽くして勝利した戦い

40人間七七四年2016/11/24(木) 19:10:03.47ID:/pQWXQpY
1万5千で城に籠る3万5千を攻めて負けた戦い

41人間七七四年2016/11/24(木) 19:14:42.43ID:6Ar8SgZ6
長篠城落として篭城したらどうなるの?

42人間七七四年2016/11/24(木) 19:36:00.30ID:/pQWXQpY
長篠城に1万5千は入らん 定員オーバー

43人間七七四年2016/11/25(金) 02:38:25.96ID:MlkqZo3I
>>37
なぜお前はそう考えたほうが普通の一般的通説を曲げようとするのか。
相当な捻くれ者だな。

44人間七七四年2016/11/26(土) 19:51:59.54ID:tbMyb1Gh
>>43
お前は右向いてなさいって言われたらずっと右向いてるタイプやね?w

最近の研究では武田の騎馬隊は無かったってなってるんだけどw

45人間七七四年2016/11/27(日) 01:04:24.94ID:4umU3H2V
実際は,武田方武将の多くは戦死地点から
追撃戦で討たれたらしい,て説もあるけど。

46人間七七四年2016/11/27(日) 02:48:16.44ID:6btTAbKJ
ほとんどは殿として撤退中に討たれたらしいね
勝頼さん重鎮を軽んじ過ぎ

47人間七七四年2016/11/27(日) 03:27:33.03ID:pQ7bszGF
>これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。

領土は拡張してんだけど

48人間七七四年2016/11/27(日) 04:04:48.03ID:WORLixD5
戦線を拡大し過ぎると補給が続かない。
朝鮮出兵、太平洋戦争も同じ。
これは伝統的な日本人の癖で同じ過ちを繰り返す。

49人間七七四年2016/11/27(日) 09:57:08.47ID:NxQqWsbo
結局、甲斐信濃は貧しい土地だと言うのが原点だよね?
尾張美濃や相模武蔵だと、ある程度戦線は拡大できるんだから

50人間七七四年2016/11/27(日) 10:56:58.37ID:WiM9HlS0
配られたカードで勝負するしかない

51人間七七四年2016/11/30(水) 23:24:28.74ID:DZj0vNSE
設楽が原の真実は、穴山梅雪などが動かなかったから
勝頼と梅雪の主導権争いにより、実際半分くらいの軍勢で戦った、いわば関ヶ原の戦いみたいなものだったからだよ

52人間七七四年2016/12/03(土) 16:27:43.83ID:Wp3Ddm/k
>>7
元々武田側が織田軍叩きたかったからでそ
その前どこだったか家康の城落とした時は、落とすの早かったから救援きた織田軍が帰っちゃったから
今度は引っ張りこもうと攻城遅らせたし織田との合戦も進んで出ていった
実際長篠城攻防みるとあっという間に押し込んでるのにそこから手が緩んでる
後詰怖ければ被害が少々出ようがむしろピッチ上げて落とすところをのんびり織田軍がつくまで待ってた
ぐらいだから戦えば勝つと信じてたんだろな
まあ直接戦う機会作れず織田の膨張を隔靴掻痒で見てたろうからもうここしかないって感じは良く分かる

53人間七七四年2016/12/03(土) 18:44:25.33ID:T+YJaZVS
国人衆の集まりの組織なのにその重鎮達を軽んじてる時点で負け
勝頼さんの元では人は城になれない

54人間七七四年2016/12/03(土) 19:29:54.29ID:Hkr8nGw8
戦の時期がダメ
織田の戦力分散させれない

55人間七七四年2016/12/04(日) 06:29:03.23ID:psGpeUSn
>>53
其れは信玄の責任

56人間七七四年2016/12/10(土) 14:02:26.14ID:24r2BXGs
永禄10年(1567年)の武田の軍法で
騎馬武者の装備について言及があるんだけど、その中で
それまで騎馬武者の装備で面頬とか兜とかの装備がまちまち
(装備してなかったり、兜を笠で代用したりとか)で
見た目が悪いから兜や面頬の装備を徹底しろって信玄が言ってんだけど
「弓や鉄砲を馬上で使うものに関しては面頬の装備は随意とする」ってわざわざ書いてて
少なからず武田の騎馬武者には槍だけじゃなく
馬上で弓や鉄砲を使う者がいたのかもしれない・・・
大坂の陣における騎馬鉄砲隊がもしかすると規模は小さいがいたのかも・・・って
平山優の本に書いてあった

57人間七七四年2016/12/10(土) 14:17:23.33ID:24r2BXGs
>>44
>武田の騎馬隊はなかった

・武田の軍役帳による騎馬の割合は北条より少ないが上杉よりは遥かに多い
・馬の運用は西低東高であり、鉄砲中心の敵と戦い続けてきた織田軍は
本格的な馬の運用を有する東国大名との決戦は初であり
十分に「騎馬」を危険視していたからこそ、ただの柵でなく「馬防柵」を作った。
・時代劇のように戦の緒戦でワーッと集団隊形で突っ込むような騎馬隊はなかったが
足軽や鉄砲衆との連携上、騎馬武者が敵の乱れに乗じて敵を混乱させるべく
「ここぞ」という時に乗り込む事は多々あった。
(基本、序盤は騎馬衆は控えていて、勝負どころで運用された。馬が疲れるから)
撤退や追撃などの限られた運用しかされなかったわけではない。
・騎馬は指揮官クラスのみが乗っていたので、それを集団として運用することはない
そんなことしたら指揮官いなくなっちゃうだろという否定説があるが
士官クラスだけでなく牢人衆や下っ端も結構馬乗ってた事は軍役帳からわかっている。

だってさ。同じく平山優の著書より

58人間七七四年2016/12/10(土) 16:32:47.36ID:24r2BXGs
あとフロイスが「日本人は下馬して戦う」って書いてるけど
フロイスが主に見た合戦は中央や西国大名の合戦であって
東国ではまた騎馬の運用も違っただろうし
実際騎馬武者が東国では状況に応じて下馬しないまま
(当然、徒歩武者などを引き連れてだけど)
とっこんだ記録はたくさんあるってさ

59人間七七四年2016/12/10(土) 16:45:17.34ID:24r2BXGs
つまり
鉄砲戦術(新兵器・革新)と騎馬戦術(旧兵器・保守)の単純な勝負という話ではなく
このあとの時代の合戦でも、織田軍の戦いでも
(柵などを設けて待ち構える)鉄砲に対する突撃という戦法は
ごく当たり前に正攻法として存在し、まま突撃部隊が鉄砲隊を打ち破る事もあった事などから
特に愚策というわけではない。
(信長も少数精鋭部隊で本願寺の鉄砲衆を撃破したりとか結構よくやってる)
はじめから武田と織田徳川連合軍に兵力差があったのと
武田の足並みが揃ってなかった事が原因かと思われる。
信長が周到にこの戦にかけて準備してたってのもあるね。
局地戦での勝敗でいえば武田側が勝つ目もないわけではなかった

60人間七七四年2016/12/13(火) 17:14:30.13ID:ZJuc4JSO
馬に乗ったまま鉄砲をぶっ放したら、馬が驚いてしまうよ。
馬に乗ったままヤリが精一杯だな。馬上から弓を使う武者もいるが、技量がいる。

61人間七七四年2016/12/13(火) 19:24:31.81ID:9gyfr88+
部隊としては運用できないだろうけど
個人でそういう後先考えないで鉄砲もつ奴がいたんでしょ。
じゃなきゃわざわざ弓鉄砲を使う者は面頬つけなくてもよし、と書かないだろうし

62人間七七四年2016/12/14(水) 04:45:27.86ID:CRFkic2y
>>59
勝頼と穴山梅雪の主導権争いもあり、実際戦った兵も少なかったからね

63人間七七四年2016/12/14(水) 12:36:40.24ID:c7mObSgS
武田は過信しすぎだよな
あれ柵に正面から向かわないで、南から迂回して西の背後から回り込むように仕掛ければ
防壁のはずの柵が退路断って織田徳川壊滅させられたと思うわ
護ってくれるはずの柵が後ろにある事を認識したら織田軍が踏ん張れるとはとても思えない
瓦解して負い討ちに大損害食らいそう
徳川が少しは踏ん張るかもしれないけど、所詮領内荒らす武田相手に逃げ回ってた軍だし
とても支えられるとは思えない、もし踏ん張ればそれだけ損害増しちゃうって有様で全滅の
憂き目もありそう

64人間七七四年2016/12/14(水) 13:14:33.38ID:RmdAtMJX
梅雪はそんなに勝頼が気にくわないのにクーデターでも起こさなかったんやな
勝頼は基盤盤石とは言えなかったし仲が悪い一味もいたようだからその気になれば行けたやろ

65人間七七四年2016/12/14(水) 19:39:05.06ID:omp5mEbk
信長が酒井隊に大量の鉄砲を持たせて迂回させたのを啄木鳥戦法だと思ったんじゃない?
上杉は武田を抜けなかったけど、武田なら織田を抜けると考えたとか

66人間七七四年2016/12/15(木) 02:06:07.26ID:LkgNuSNY
あと決戦前に羽柴・丹羽隊が先遣として武田を挑発してて
これを見た武田軍は「織田の援軍は大軍って聞いてたけど意外と少なくね?」と油断したらしい。
んで有利な地形を捨てて、織田の待ち構える場所へ誘い出され
そこでもさらに窪地などに兵を潜めて少なく見せていた織田を侮り
「これはいけるかも」と思って周辺国衆に今回の合戦は大勝利!的な書状を撒いてるので
織田と武田の諜報能力の差ってのもあるかもしれない。
織田は武田を恐過ぎるくらい恐れて万端の準備をしいて挑んだのに対し
武田は甘い見積もりで「勝てるかも」くらいの意気込みでたいした準備なく決戦に挑んだ感ある

67人間七七四年2016/12/15(木) 19:16:13.84ID:1y/L3cwp
織田側も今回はことごとく討ち果たす予定www
って宣言してるしそんなもんやろ

68人間七七四年2017/01/10(火) 09:50:45.18ID:z8soNdBH
勝頼は「敵は手立てに困って引きこもってるからこちらから攻めて殲滅するつもりだよ」
信長「敵はわざわざ前進してきて包囲殲滅し易くなったから大勝利間違いなし」

勝頼の方が普通に状況判断が甘い

69人間七七四年2017/03/10(金) 15:25:23.70ID:1DpuDJck
織田は柵作って大軍の利点の一気の押し出しが出来なくなってるんだから、武田は柵無い南に回って横から攻撃掛けりゃいいんじゃないの
なんでわざわざ策壊してまで正面攻撃にこだわったんだか謎だ

70人間七七四年2017/03/11(土) 19:17:08.89ID:9A1sXcTw
半包囲されてたから

71人間七七四年2017/03/14(火) 12:31:41.58ID:l54comFd
迂回したら一気に押し出しで終わるからだろ

72人間七七四年2017/03/14(火) 22:33:32.62ID:ZRXcYvCJ
地図みろや

73人間七七四年2017/03/21(火) 21:00:21.45ID:EzUPzu8x
織田が出てこないから武田から攻めてるのに織田が出てきて終わるとか凄いなw

74人間七七四年2017/04/30(日) 20:56:08.27ID:XB7Eg3SB
織田の勝因は、馬防柵と相手より3倍近い兵力を集めたこと。
馬防柵については、甲陽軍鑑に戦というよりも城攻めのようだったという記述が残っている。

それでも、武田軍は果敢にせめ、徳川の記録では馬防柵三段のうち二段まで破られたとある。
しかし、結局は織田・徳川軍の数的優位に圧倒された。

武田の猛将のうち、馬防柵近辺で打ち取られたのは内藤修理だけで、あとは追撃戦途上のもの。
ともあれ、鉄砲が主役の戦いではなかった。

75人間七七四年2017/05/01(月) 02:58:32.89ID:s7fp1BSq
なんか甲陽軍鑑じゃ重臣連中は反対したのに勝頼が連戦連勝で驕って攻撃させた事になってるけど
実際は重臣連中もやる気満々だったんだろうな
ここで織田徳川連合軍撃破すればもう徳川方の豪族は離反しまくるだろうし新しい知行地ゲットのチャンスだもんなぁ

76人間七七四年2017/05/01(月) 04:59:36.72ID:TKNqCd9A
やる気まんまんっというかやらんとまずい。

朝倉浅井滅亡
本願寺半包囲、長島壊滅
越前の反織田派は内部分裂を起こして機能しない

信玄の上洛詐欺も大概やったし、この状況下で戦わないで帰るとどうなるか予想してみ?
武田の威信は地に落ちるで(σω≡)ホジホジ

まぁ実際戦わないで帰ってれば、後に上杉や毛利が参戦してきて、もっと良い状況で決戦出来たけど、それを言うのは酷だな。

しかし戦うにしても長島が生きてる間にしないと戦力差が大きすぎる。

77人間七七四年2017/05/01(月) 11:17:34.23ID:Rvs0ErTv
陣城作っておびき寄せて発砲するを繰り返して勝ったんでしょ

78人間七七四年2017/05/01(月) 14:53:53.50ID:A4otXSsp
>>74
小幡も馬防柵付近で死んでね

79人間七七四年2017/05/01(月) 16:17:33.59ID:rY9gwRao
長島が信長に攻められてる時に
のんびり高天神城攻撃してたんだっけか?

80人間七七四年2017/05/02(火) 02:28:13.66ID:Q0ERLPPV
地理的にも長島は尾張に近いし、ここで反織田勢力が抗戦する意義はでかい。
長島一向一揆の規模は質はともかくとし、数は多いため、武田が東から圧迫すれば、
もっといい条件で織田と戦えたし、或いは長島を戦略的に救うことも出来たかもしれない。

長篠の戦いは、長篠城を落とせず、長篠城の囲みは破られ、しかも武田軍より多い援軍が来援した時点で余程の事がない限り勝てんやろ。

っか、攻城軍より多い援軍かきて攻城側が勝った事例てどらくらいあんの?
逆なら

郡山城の戦い
毛利約1万援軍大内1万 対 尼子約3万
末森城の戦い
城約3千援軍約3千 対 佐々勢約1万5千

とか挙げたら数多あるけど、その上攻城軍を上回る援軍がきたら絶望的じゃん。

81人間七七四年2017/05/02(火) 02:52:11.27ID:1X83yg1G
設楽が原で武田軍の前面に配備されてた兵力って2万程度らしい
残りの1万以上は丘の後ろで待機
1.5倍程度ならなんとかなると思っても不思議ではないな

82人間七七四年2017/05/02(火) 02:59:28.04ID:Q0ERLPPV
前後挟まれてる時点で武田も全軍が正面と対峙出来るとはとても思えないのですが…

83人間七七四年2017/05/02(火) 04:37:59.62ID:661kNDKG
信長、敵に見えないように3万を上手く埋伏させる( 敵がたへ見えざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる)
勝頼「思ったより少なくね?さては度重なる軍役で愛想つかされたな?チャンス!(←まちがい)」有海原に出ていってしまう
信長、鳶ヶ巣山を強襲して後方を抑える
勝頼「おいおいやべぇ! 突撃しかない!」→悲劇

84人間七七四年2017/05/02(火) 11:50:43.86ID:pqNClP0p
結局この時の勝頼の取るべき方法って
1 退却する
2 長篠城を一刻も早く落とす

の二択だよね?
後詰めにきた武田の倍の大軍が何も出来ずに丘に柵作って出てこず
長篠城は落ちましたなんてことになったら戦で負けるのと同じくらい徳川はダメージ被る

85人間七七四年2017/05/02(火) 18:01:10.77ID:Q0ERLPPV
2は無理と思われる。
まず、援軍が到着した時点で長篠城を落とす事は不可能に近い。
犠牲を省みない総攻撃を行えば落とせるかもしれんが、それじゃ今度は援軍の織田と戦えない。
長篠城落としても、それに見合うメリットが殆どない。
収容不能な小城・敵中孤立・戦略的に有利にならない等。

とにかく落とせなかった時点で直ぐに退くしかないよ。
武田の威信も地位も名誉も吹っ飛ぶかもしれんけど。

86人間七七四年2017/05/02(火) 19:11:08.36ID:xn1ykq4U
徳川は遠江や駿河で城攻めしてる時
武田の後詰めが来るとすぐに逃げてたよね?
別に徳川の維新用いも名誉も吹っ飛ばなかったけど

87人間七七四年2017/05/02(火) 19:15:38.14ID:xn1ykq4U
そもそも1万5000しか動員しなかった時点で武田は織田の来援を想定していない
徳川相手ならこれで十分という判断
織田が来た時点で退却だよなぁ

88人間七七四年2017/05/02(火) 19:24:06.74ID:L92wBa7H
信長公記の後知恵論の鳶ヶ巣山に本陣を置いて睨み合いしながら長篠落とすが正解だろうな

89人間七七四年2017/05/02(火) 19:55:01.49ID:661kNDKG
「長篠城攻囲に攻め手を七首残して、別途1万5千であるみ原に向かった」って書いてあるから、
少なくとももっと多く動員してただろう。「七首」がいくらかが問題なんだが、
「七首」は別働隊酒井軍4千+長篠城の兵士に挟まれてあっさり敗走したようだから、4000よりは少ないと見ていいんかな
ちなみに研究者の谷口克広は2000ほどとしてる。どっからきた数字なんだろう

90人間七七四年2017/05/02(火) 20:37:14.63ID:Q0ERLPPV
>>86
徳川は別に戦略的な背景がないから、敗走しても別に問題ないやろ。

武田は反織田勢力として活動してるのに、中央の戦いに全く寄与してない。
寄与してないばかりか、信玄の中央圧迫は完全に失敗した。

その上、戦わず逃げたらそりゃ織田軍は中央で宣伝工作するやろうなぁ。
ここで戦わないで逃げるのは長島に続き、越前一向一揆も見捨てたと言われかねないし。

まぁ、それを覚悟しても逃げなんけど。

91人間七七四年2017/05/02(火) 23:07:10.75ID:v/dPVzZt
>>86
そら武田の方が格上だもの徳川(当時)よりは
弱い方が逃げたって地位も名誉も糞もないだろ

92人間七七四年2017/07/09(日) 17:54:24.98ID:3jyRN7T7
織田って戦略的に動いていたんですかね?

トップの信長は戦略を部下に示したことが一度でもあるんでしょうか?
宣伝もなにも、信長様は何を考えておられるんだろ?レベルで最後まで終始していたのではないか。

身分不相応に人々が国家天下を語り始めるのは江戸幕府成立以後じゃねえか?

93人間七七四年2017/07/09(日) 18:17:05.57ID:mLN36yMp
第二次織田包囲網を耐えきった後は戦略的に天下統一事業進めてる気がするけどな

94人間七七四年2017/07/09(日) 19:33:25.60ID:3jyRN7T7
信長が戦国時代の次の世界を具体的に描いていたかどうか、皆目判らない。子供が右往左往しているぐらいだから、赤の他人に至っては何聞いていないのだろう。
金閣を建てた義満と同じぐらいの、一時的な覇者止まりの器である可能性も否定できない。

だから、信長を中世社会の中の近代的な人物の代表であるかのように扱うのは飛躍だと思う。

95人間七七四年2017/07/12(水) 00:31:16.22ID:CBo4MGBQ
戦略とか大層なものではなく、並外れたバイタリティと部下の酷使が強さの秘訣

96人間七七四年2017/07/12(水) 08:56:53.06ID:5hzl6uPe
やっぱ経済力じゃね? 首都圏押えてたし
じゃあ三好はなんですぐ追い出されたんだってことになるけど

97人間七七四年2017/07/12(水) 10:34:45.27ID:58k7IWgg
三好の基盤は四国方面(阿波)だから
もともと忠誠の薄い連中も多いし(丹波方面など)
信長が上洛狙った頃には内部抗争でボロボロだったし

98人間七七四年2017/07/13(木) 10:52:35.28ID:qxJqH4C/
信長は従わない一族とか国人領主とか滅ぼして
子飼いの部下が多いってのはあるね

99人間七七四年2017/07/13(木) 16:25:54.58ID:HNGJ4OMR
>>98
別に多くないと思う

100人間七七四年2017/07/13(木) 16:35:58.82ID:lP7TVQMi
なぁなぁで勢力拡大した訳じゃないから、新規に採用した武将は多いのは確か

101人間七七四年2017/07/13(木) 17:18:48.98ID:0RyU5hvH
なぁなぁで勢力拡大してるけど、そのなぁなぁ勢を強引に家臣扱いする(美濃三人衆も信長の直属軍団、ゆうたら旗本にされた)
だからトラブルも多い

102人間七七四年2017/07/13(木) 17:23:07.56ID:HNGJ4OMR
>>100
武田と比べて多いかというと全然そうは思わない

103人間七七四年2017/07/13(木) 20:07:59.71ID:xplPD4A+

104人間七七四年2017/07/14(金) 07:54:59.06ID:Bp6/vLBa
信長並みの面積を制覇した毛利とか武田と部下の配置や出場を比べると明らかだと思う。
武田の軍制は、小隊とか中隊の概念の一歩手前まで来ていたと言う。変化というか、進歩の具合が色々だ。

105人間七七四年2017/07/14(金) 08:40:41.64ID:60nCSKjF
武田は長篠で部隊指揮官レベルが軒並み戦死して
軍隊としてのレベルが大幅低下
仕方なく勝頼は鉄砲の装備比率を上げて射撃戦重視へ
それで北条相手に有利に戦進めてたんだから成果はあったんだろう

106人間七七四年2017/07/14(金) 18:37:04.03ID:NtW2F3Pv
長篠古戦場をゆっくり散歩したが古いお地蔵さんや石の卒塔婆が乱立してるな特に柳田や竹広辺りに

やはりあの当時のものなのかね?地形も細い道沿いに田んぼや段差があったりあの場所はかなり戦国当時のままなんだろうな

107人間七七四年2017/07/14(金) 18:41:27.46ID:A2DHwSoJ
なんか今でも鉄砲玉が出るらしいからなー
すげー話だわ

108人間七七四年2017/07/14(金) 18:47:48.50ID:AM1nweTB
>>107
マジで?ちょっと行ってくるわ

109人間七七四年2017/07/24(月) 17:33:09.96ID:sovFu3g2
これまで長篠城址と設楽原合わせて60個程度しか見つかってないから
鉄砲の大量使用の事実に疑問もついてるくらいだけどね
それ以上のまとまった量が出たら大発見だよ

110人間七七四年2017/07/24(月) 19:34:20.14ID:E3zvDDzg
ちょい前まで15個とか言ってたのにずいぶん増えたな

111人間七七四年2017/07/24(月) 20:08:30.58ID:JRV714XF
じゃあ今から鉄砲弾埋めて掘り返したら歴史に名が残るな!

112人間七七四年2017/07/24(月) 21:25:02.26ID:mLm1FfSA
見つかってないのは拾ってたからだら

鉛は溶かせばまた使えるんでーよ侍さんの体に埋まっとる鉛もえぐりだしたぐらいだにゃ

113人間七七四年2017/07/24(月) 21:46:46.38ID:oN9vPKIC
西南戦争の田原坂でも薩摩軍が弾丸拾って溶かして再利用してた話は有名だな

114人間七七四年2017/07/24(月) 22:35:15.29ID:E3zvDDzg
柔らかい鉛玉は使用されると基本形残らないからな。その上錆びて白い石のようになるからまず気が付かない
長篠じゃなくても合戦場じゃそう出土するもんじゃない

115人間七七四年2017/10/04(水) 01:36:58.86ID:G5cHTRRu
武田の幹部級死にすぎだろ
なんであんなに討ち死にしたんだ

116人間七七四年2017/10/04(水) 05:42:47.92ID:nCg/p3dQ
退却路が険しく橋はあるわ長篠城の横を通らにゃならんわでがっつり追撃受けたから

117人間七七四年2017/10/13(金) 14:40:02.69ID:G5C2PbSd
武田は裏切った奥平の征伐が目的だったのだから、織田徳川連合軍が7キロも離れた設楽原で陣地構築してる時にさっさと長篠城落として奥平の首取って意気揚々と引き上げれば、大軍動員して長篠城救援を果たせなかった織田徳川の面目は丸潰れで、武田の面子は立ったのにね。
織田徳川連合軍が寄せてきたら、寒狭川を防衛ラインに対峙すれば渡河する危険を冒すのは織田徳川連合軍で十分防衛出来たと思うのに何でわざわざ長篠城残して寒狭川渡って陣地構築した設楽原に行っちゃったんだろうね?

118人間七七四年2017/10/13(金) 21:25:47.44ID:oseRpgmw
織田に大打撃与えないと差が開く一方だから

119人間七七四年2017/10/13(金) 23:10:06.35ID:hxaav+8k
引き上げる→奪いかえされ逃げ出した扱い
対峙→おそらく補給に不安
戦う→敵のが大軍
詰んでるな

120名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:41:59.19ID:3ekJSNrF
>>117
城を落とすまで黙って織田徳川が見ているとは思えない(後詰に来てるんだし相手の方が兵多いんだし)
力攻めで落としたら落としたでそれなりに被害は出るわけで、その後追撃されたり奪還しに来られた場合不利
だったら兵がいるうちに決戦
持久戦やるほど兵站や兵糧に余裕がない
こんな感じ

121人間七七四年2017/12/06(水) 22:05:21.84ID:lapVU5RC
例の三段打ちって桃山の頃はポピュラーな戦術になったのかな?

122人間七七四年2018/01/16(火) 02:18:59.80ID:iV2cRMTq
何で4万の織田徳川に1万2千程度の兵力で攻撃したんだ?
奇襲が失敗したとかそういうことじゃないの?

123人間七七四年2018/01/16(火) 04:37:56.52ID:s1HkaEkt
簡単な砦つくって立てこもってたら攻めてきたんで鉄砲で追い返しただけ
勝手に全滅した

124人間七七四年2018/01/19(金) 20:31:59.40ID:N/qqGj7d
>>122
ようわからんが退路ふさがれたから一か八かで突撃するしか選択肢なかったみたな説はある
あと戦国時代に敵の実数なんて分かりようがないからねえ
現代みたいにどこそこに敵がどんだけいるとかリアルタイムで分かるわけじゃないから

125人間七七四年2018/01/23(火) 10:33:09.49ID:YWO76GUI
>>124
岐阜から行軍してくる信長軍の行動は異常に遅く
勝頼陣営は十分その部隊を把握できる余裕があったはず
実際信玄時代から乱波を多く使用していた武田軍であるから
信長軍の兵力を把握できなかった説は信憑性が薄いな

126人間七七四年2018/01/28(日) 23:22:56.18ID:+tMNt9St
確か小勢の羽柴・丹羽隊とかが挑発して引き寄せたとか
主力を織田が潜めていたので前面に出ていた一部を全軍と勘違いして兵力を読み違えたとか
逃走路の砦を奇襲で落とされ決戦せざるを得なかったとか
ほぼ全軍を率いてきているのに一戦も交えず引き返しては指揮が保てなかったとか
いろいろ武田側の都合説がある

127人間七七四年2018/01/30(火) 21:44:58.89ID:SnBK1QdZ
勝頼の最大のミスは、信長の全軍集中を許したことだろう。
信玄が三方ヶ原で勝った時は、複数の反信長勢力を煽り、信長の兵力を
分散させ、自軍への集中を巧みに避けた。

石山本願寺、越前本願寺勢力を暴れまわらせることが出来ないなら、
信長と戦うべきではなかった。

128人間七七四年2018/01/30(火) 21:48:17.75ID:SnBK1QdZ
>>47
長篠で武田勝頼がゾンビ大名になった。
しかし、それがばれたら舐められる。
だから、必死で攻勢に出て、劣勢を誤魔化そうとした。

しかし、ごまかしは効かず、長篠以降織田は論外、徳川相手もずっと
劣勢だった。(長篠前は少なくとも徳川相手には劣勢ではなかった。)

129人間七七四年2018/02/02(金) 21:48:46.97ID:Z8EhlW2J
まあ長篠から滅亡までは7年は間あるし
その間、北条相手には勝ったりしてたしそこまで死に体でもなかったけどね
致命的だったのは御館の後に組んだ景勝がクソの役にも立たんかったこと

130人間七七四年2018/02/02(金) 23:16:21.15ID:O6Gz6jj6
上杉も御館の乱の論功行賞でしくじって内乱起こさなければ少しは役に立ったかなぁ

131人間七七四年2018/02/03(土) 01:47:21.74ID:aZU+Ne86
>>129
7年ある理由は、織田と徳川に生かされたから。
武田は両者の力をもってすれば瞬殺可能だったが、武田滅亡後旧武田領に
列強が雪崩れ込み騒乱状態になることを織田も徳川も恐れた。特に、織田は
当時石山本願寺と全面戦争をしており、生産力が低い上に列強に囲まれて
守りに向かない武田領を構っている余裕はどこにもなかった。

実際に、信長死後この地域は騒乱状態になっている。
(平山優「天正壬午の乱」に詳しい。)

それならば武田勝頼をゾンビ大名のまま生かした方がマシだと戦略的判断が
織田と徳川によりなされた。

出兵は言い訳にならない。>>128で述べたが、武田勝頼がゾンビ大名である
ことを隠し、周囲に舐められないために出兵しなければならないという悪循環に
陥っただけ。

132人間七七四年2018/02/03(土) 05:11:16.18ID:o0YsX5z2
当時の織田・徳川には甲信を治めるだけの実力が無かったってことか

133人間七七四年2018/02/03(土) 09:10:18.97ID:aZU+Ne86
>>132
一面だけ見ればね。
とは言え、近畿を攻略中に、生産性の低く、かつ周囲に北条、上杉と
いう列強がいる甲信にマンパワーを裂くことは、賢明ではなかっただろう。
逆に言えば、近畿を平定すると、すぐさま電撃的に武田を滅ぼしている。
そのころまでには、北条とは一定の関係が築けたし、上杉は滅亡寸前に
追いやっていたし、加賀本願寺は滅亡したし。

ついでに忘れていた。
>>130
上杉景勝は、精強な織田軍団によって滅亡寸前まで追い詰められていた。
とてもじゃないが、武田を構っている余裕はなかった。
最も、その時期になると織田も武田を滅ぼしたけどね。

134人間七七四年2018/02/03(土) 09:12:54.49ID:aZU+Ne86
>>133 に書いた通り、全ては織田・徳川連合軍の事情であって、
武田勝頼の事情はどうでもいい。つまり、武田勝頼はその程度の
存在に長篠の惨敗によって落ちた、ということだ。

135人間七七四年2018/02/06(火) 22:19:21.77ID:Fq8CqWd5
単に信長に余裕がなかっただけって話でしょ
毛利・本願寺・上杉に囲まれた77年あたりはわりときつかったし
離反も相次いだしねえ
天王寺のときに信長が流れ矢で逝ってたら勝頼もワンチャンあったかもね

136人間七七四年2018/02/08(木) 23:00:43.07ID:niyyrO/F
>>135
畿内に比べて、生産性が低いくせに交通の要地である(=周囲から
狙われる)甲信をわざわざ取る必要がどこにあるのか。優先順位から
して信長は当然のことをしたまで。

あと、1577年なんて、1570-73年に比べれば大したことないよ。
あの頃の信長はマジでヤバかったからな。
毛利、本願寺は確かに抵抗したが、常にあちら側の方が守勢だった。

上杉謙信を過大評価する人も絶えないが、あれは上杉謙信が豪雨で
襲撃するという、鉄砲隊が強力な信長に対し「この方法でしか勝てない」
方法で勝ったまで。もちろん、それ自体は謙信の軍神の名を辱めない
業績だが、言い換えれば劣勢なのは謙信の方だった。

確かに天王寺は信長は勝負に賭けたが、信長とはそういう人物で、
果断な点が魅力だしね。(逆を言うと、隙は多い。多くの暗殺者にそれを
突かれているし、明智光秀にも隙を見せてやられた。)

137人間七七四年2018/02/14(水) 10:19:23.18ID:5XmhZdWY
織田はともかく徳川は長篠後でも単体で武田を滅ぼせる程、兵力差なかったろ
織田が多方面戦略やってて、かつ北条らも絡めた同時侵攻を画策していたからこそ
7年あったわけで。徳川の意向がどうこうとか関係なく
織田-武田の事情だろ

138人間七七四年2018/02/14(水) 10:49:51.75ID:88M4juNt
徳川は織田っていう強力なスポンサーが居るから農繁期とか関係なく嫌がらせの出兵を繰り返す事が出来る
武田はこれに付き合うほど国力を消耗する
この差

139人間七七四年2018/02/14(水) 11:16:06.68ID:g57B2Ety
>>137
量だけならね。質は長篠で目を覆いたくなるほど下がっているよ。

長篠の戦いで1万5千の兵の1万以上失い、重臣の殆どを失い、確かに
一だけは新たな補充をかけたが、将兵の質の低下は目を覆うばかり。
しかも、無理に動員をかけて重税を引いて領民に恨まれ、滅亡時に
織田に悉く内応される原因となった。

徳川も織田に慎重な対処を求め、大きな戦線の展開は禁じられていた。
だから、持ったように見えただけ。御館の乱で、北条との信頼関係の
破壊を見計らって絶好のタイミングで徳川が武田を攻めたのがその象徴。

内容的にはゾンビ企業ならぬゾンビ大名の典型だわな。

>織田-武田の事情だろ
誰も武田の事情なんて考慮していない。ゾンビ代表の悲哀というやつだ。
すべては織田一人の事情。

140人間七七四年2018/02/16(金) 00:21:44.17ID:LJ10BERv
>>133 に書いた通り、全ては織田・徳川連合軍の事情であって

んじゃあ徳川は関係ないよな コロコロ言う事帰るな雑魚が

141人間七七四年2018/03/20(火) 23:27:32.02ID:G36ajVa1
長篠行ってみた
感想は・・・
ここは死地だということ
山に囲まれ起伏の間に強固な柵と
鉄砲
狭い盆地に小さい川
ここで戦って命があるとは
とても思えなかった・・・
なぜ武田勝よりは戦い挑んだのか?

142人間七七四年2018/03/27(火) 05:08:13.55ID:4okMOQrT
>>139
長篠で1万以上を失うとは??

143人間七七四年2018/03/29(木) 22:07:15.34ID:TE98hsuf
>>142
本当の意味で武田は長篠で壊滅したからね。
世界史的にはこういった壊滅した勢力は殆ど例外なくそのまま滅んでいる。
武田勝頼みたいに、7年近くもゾンビとして存続する(厳密には信長の都合に
よって存続させられる)例は殆どない。

144人間七七四年2018/03/31(土) 11:02:19.30ID:khPpzdGV
人的損失や疲弊による軍役拒否などで
「事実上」死に体だったっていうのはわかるけど
長篠以降も領土拡大はやってんだし
武田戦死1万は信長公記の盛り話じゃないのか
壊滅という程、兵が死に絶える前に普通は撤退するだろ

145人間七七四年2018/03/31(土) 11:05:03.16ID:khPpzdGV
今川だって桶狭間で事実上壊滅と言えるような人的損害を受けているけど
氏真が徳川武田相手に9年も生き残ってるんですけど

ほとんど無い?の

146人間七七四年2018/03/31(土) 11:06:04.55ID:khPpzdGV
ゾンビゾンビ言ってるアホは主張がコロコロ変わるから
わけわからん

147人間七七四年2018/03/31(土) 12:09:16.46ID:YR1MJGu4
氏真って勝頼のように拡大させていたっけか?
よくも持たせたものだとは感心するけど

148人間七七四年2018/03/31(土) 15:31:13.75ID:z3uoQTu5
ゾンビくんはただの荒らしだろ

149人間七七四年2018/03/31(土) 19:35:50.88ID:L2JLSndD
菅原に始まりゾンビ君やらねえやら、武田関係は何故か変な奴を引き寄せてしまうな

150人間七七四年2018/05/25(金) 19:11:39.10ID:6/K4K2tE
行って見て分かった、
設楽原は野原のイメージあるけど、実際は全然違う。
崖ばかりの山と谷しかない。
200メール先の相手陣地奥なんて、全く見えない。
とてもとても、騎馬武者が縦横無尽に走れる場所ではない。

織田、徳川は、長城という城を築き長期戦に備え、
武田は、短期決着の合戦をしようとしたが、実は城攻めをさせられてしまったようなもの。
鉄砲とか、騎馬とか無関係に、
戦いに対する認識が武田軍は、時代遅れ。

あと武田の武将の戦死場所をみると、攻撃中に戦死したより、
退却中、しんがり中に死んだ武将ばかりだ。
あの山県昌景も、退却中だろみたいな崖の登り坂にある。

実際の戦闘時間は短かったんじゃなかろうか?
すぐに退却戦に移って、予想外にそこから損害が大きくなっている。
つまり、山と谷ばかりで、退却中にも道に迷うような地形の影響が大きいと思われる。

151クバの化身2018/05/26(土) 07:09:36.28ID:+YcolTLn
自演を注意してくれる親切な者もおらず、みな
まことの前から、去って逝った

152人間七七四年2018/05/27(日) 03:39:49.51ID:PqLftQ6y
そら戦中より退却中の方が負傷者・死亡者多いのは当たり前の話じゃろが

153人間七七四年2018/05/27(日) 23:33:34.10ID:4PkmjDyd
戦死者の大半は追撃戦で出るものだからねえ

154人間七七四年2018/05/28(月) 01:13:05.81ID:tKleg34p
>>144
残念だが盛ってはいないと思う。武田の将が二度と再起不能の言える
壊滅状態に陥っているんだから、兵の被害も甚大と見るのが自然。
将だけ壊滅して、兵が壊滅していないとは、かなり考えにくい。

武田が撤退できなかったのは、周囲悉く包囲され袋叩きにあったから。
包囲殲滅戦こそが長篠の本質であり、武田は再起不能の状態となり
事実上滅亡し、ゾンビ大名として以後7年間周囲に腐臭を放った。

155人間七七四年2018/05/28(月) 07:45:44.24ID:homQuwcC
となると新兵と敗残兵の寄せ集めに周りの大名はやられていたって、情けないことになるんだが
そんなん、侵入を許さずに撃退せいと

156人間七七四年2018/05/28(月) 11:51:08.73ID:zUX6KUPo
地形からすると、確かに3方向からの包囲戦が展開された可能性がある。
さらに、現在でも分かりにくい地形は、昔はもっと森林だらけで、東西南北さえ迷うはず。
攻撃される方向から逃げるしかなく、ただただ田峯城、武節城の難所へ逃げるしかなかったのではないか?
田峯城の謀反で入城拒否にあい、それがまた損害を大きくした可能性もある。

では、なぜ豊川を渡り、設楽原にノコノコ出てきたのか?それが一番の問題。
もっと後方の豊川の崖を防衛ラインに出来なかったのだろうか、という疑問だけが残る。
@挑発されて出てきた?
A信玄の命日の関係で、虚勢を張った?
B織田、徳川軍の実数を見誤った?
C鳶ヶ巣山砦が落ち、一発勝負に出た?(でも落城前に豊川を渡っている)

配陣し突撃を順番に繰り返している時点で、それなりの戦術を有していたと思うが、
後世の人間からすると、豊川を渡るという、その戦法、戦術がまったく理解できない。

157人間七七四年2018/05/28(月) 12:42:16.20ID:aVuayXd8
>>156
素直に考えれば、織田・徳川方の実数を見誤った可能性が高いだろう。
例え猪武者の愚将でも、倍以上の相手に正面攻撃はしない。
複数の内通予定者や、地元民からガセ情報をつかまされたのと、伊勢・長島の後で、中核部隊は消耗していると思い込みがあったのか。
どちらにせよ、長篠に出陣した重臣の過半数は、彼我の戦力比を誤認したと思う。
そうでなければ、長篠後に、勝頼体制が揺らぐ罵倒合戦と粛清の嵐があったはず。
それが無かったということは、死んだ宿将も逃げた一門も、自分の失態を自覚していたということかな。

158人間七七四年2018/05/28(月) 14:33:47.67ID:zUX6KUPo
>>157
確かに武田軍は、物見斥候の能力が弱い印象がある。

武田は、過去信玄の時代から、コツコツ地道に勝ちを拾って積み重ねては、
ドカーンと大負けする戦をたまにする。

そういう軍の組織でもあるが、もう少し敵軍の情報を正確に得ていれば、
大敗、また大損害を出さずに済んだのではないか?と思える戦がある。

例えば、川中島、上田原、設楽原も含めて、負けるときは、大物武将が戦死するほど、なぜか大損害。

159人間七七四年2018/05/28(月) 15:29:48.67ID:nVE2dplM
>>158
武田の忍軍団は優秀ではなく、ポンコツだったのか

160人間七七四年2018/05/28(月) 19:39:35.92ID:CjO8kngX
>>158
検証長篠合戦だかで平山優先生が言及してたと思うんだけど
武田家は軍功の評価点の3番目だかに大きいポイントとして
劣勢でもその場に留まり戦うこと、があったはず

多少押し込まれてもこの軍功のおかげで諸将が粘ってくれるってメリットもあるんだろうけど
デメリットとして粘りすぎて死にやすいってのがあったのかもしれない

161人間七七四年2018/05/28(月) 19:54:49.38ID:PkxW1R01
甲斐の武士はスーパー脳筋だからすぐ死ぬ
人国誌にもあそこにおかしいと書いてあるな

162人間七七四年2018/05/28(月) 20:01:39.23ID:iCu95XX5
ちょうど今NHK「ファミリーヒストリー」で、長篠合戦図屏風で山県昌景の首抱えてる兵士が
志村けんのご先祖らしいということをやってた
元々志村という苗字は山梨に多い苗字だけど

163人間七七四年2018/05/28(月) 20:10:49.59ID:nVE2dplM
志村と言えば最上家の重臣 志村光安がいたからあの辺かと思ってた

164人間七七四年2018/05/28(月) 20:50:50.38ID:Kziune8M
映画「影武者」のように短時間で終わったわけではない

165人間七七四年2018/05/29(火) 10:36:49.90ID:FJ5sD2jo
>>150
設楽原はそこそこ拓けてたでしょ
今行くと第二東名やらで様変わりしているけど

長篠城周辺は崖と林と山口で本当に狭いけど

166人間七七四年2018/05/29(火) 15:21:29.96ID:EMHYwOzg
まーたゾンビゾンビ言うアホがわいてるわ

167人間七七四年2018/05/29(火) 15:49:38.75ID:rKrknDv9
甲斐では日本住血吸虫症が蔓延していて、誰が何時死んでもおかしくないんで
刹那的な気風だったというね。

168人間七七四年2018/05/29(火) 17:45:06.93ID:dnikFmTZ
一応念のため言えば、日本住吸血虫の生息地域は甲府だけじゃなく
利根川下流域とか広島片山地区、筑後川中下流域などわりとあって
その中で最大なのが甲府盆地ってことだからね?

169人間七七四年2018/05/29(火) 18:48:33.69ID:ciLYC9Um
>>168
利根川下流ってどこだろうと思ったら相馬(守谷)や対岸の印旛のあたりか
もっと下流のうちら辺では聞いたことなかったからずっと不思議だった

170人間七七四年2018/05/29(火) 21:38:16.84ID:0A0HUm2c
地方病は韮崎市あたりがメッカなんだろ?
田畑耕したらしぬんだから気性に影響するわな

171人間七七四年2018/05/29(火) 22:23:10.35ID:FJ5sD2jo
http://i.imgur.com/zpJvSvK.jpg
宇利川、豊川下流は断崖絶壁
設楽原と有海原の間は小さい丘と坂だったな
薄緑の所はほぼ拓けていた
今は第二東名のせいで見通しが悪くなっちゃってるけど

172人間七七四年2018/05/30(水) 09:28:42.23ID:+Ao99Frv
>>171
絵じゃ分らんだろがw

実際に行けば分かる、行きもしないで講釈ばかり垂れられても、何の意味もないんだよ。

先の見通しの悪い場所だし、
たとえ君の言う通り拓けていたとしても、武田軍がノコノコ豊川を渡る意味をさがしているんだよ。

人の上げ足だけをとるだけの愚問を繰り返し、ゾンビゾンビ言ってるのは、もしかして君か?

173人間七七四年2018/05/30(水) 10:32:31.61ID:nznBBMT7
まあ、実際に行ったとことろで
当時にワープでもしない限り
実際に陣を構えた場所だとか動員人数だとか
合戦の推移だのはわかんないけどね
定説通りに動いていたかなんて誰もわかんないんだから

174人間七七四年2018/05/30(水) 11:10:36.91ID:pMV6a0YX
>>172
俺は行ったぞ
第二東名が出来る前と出来た後に二回ね
設楽原は拓けていた
設楽原と有海原の間の小高い丘から見通せるはずなんだよな

175人間七七四年2018/05/30(水) 12:59:32.66ID:klr8VM7g
>>174
年季が入っているな。
しかし地形が分かっても、武田勢が渡河した理由は解らん、というか解せん。

176人間七七四年2018/05/30(水) 13:31:24.48ID:pMV6a0YX
>>175
佐久間内通云々を信じてしまったか
織田徳川連合がこちらに攻めて来ずに野戦築城してるの見て
精強な部隊では無く、雑兵などで水増ししてる烏合の衆だと勘違いしたか

177人間七七四年2018/05/30(水) 18:26:50.82ID:d5HGaS1R
一万五千で防衛側三万を相手にするって無謀だよな

178人間七七四年2018/05/31(木) 00:13:00.43ID:esSn8yr8
長篠城で狭所による鉄砲隊の鉄壁さを味わってるから
長篠城周辺の狭い場所より騎馬を上手く使いこなせて
回り込める設楽原での戦のが有利と見たんじゃない?

179人間七七四年2018/05/31(木) 12:48:11.55ID:QsLz+sKe
>>178
それな。
東美濃の明知城他攻略の際に、山県が五千くらいの手勢で五倍以上の織田勢を、追い散らした経験があった。
自領の城の後詰めでさえその様なら、三河の山城の後詰めも、やる気無しという思い込みもあったかもな。

あと、本願寺が焚きつけた可能性も。
長島では信長の庶兄他、一門に死人が出るほど打撃を受けた。信長を討つのは今だ、とかね。
実際は織田勢が本願寺に向かないようにするのが、顕如の狙いだろうが、時間が経てば織田勢は今より大きくなるのは確実だから、勝頼がこれに乗ったかもしれない。

180人間七七四年2018/05/31(木) 13:16:15.06ID:esSn8yr8
>>179
それは信長公記では存在してなかったんじゃなかったっけ
ただ単に城が落ちたから引き返しただけで
高天神城も落ちたから織田の援軍は引き返した

181人間七七四年2018/05/31(木) 17:06:23.46ID:QaW0rZvH
援軍が間に合わず帰る→大勝したぜ!と宣伝する
いつものパターン

182人間七七四年2018/05/31(木) 17:42:54.94ID:4S2sB8Lc
>>175
渡河しないと長篠城包囲が崩れるからじゃ

183人間七七四年2018/06/02(土) 21:51:13.50ID:dzYA0M8v
武田が長篠城落として、山岳戦に持ち込んでも、
関ケ原時の本戦の山中の戦いで短時間で東軍が圧勝したように、
武田勢は大敗し、一気に古府中まで攻められる可能性もある。

184人間七七四年2018/06/02(土) 23:46:38.91ID:05yp2WFJ
1万5千で3万以上相手にしたから仕方がないじゃなくて
こういう状況にされた時点で武田の完敗なわけよ
父信玄は常に相手より有利な状況で戦おうとした
戦争ってのは実際に戦う前から始まっている
いかに相手より有利な状況を作りだせるか?
出来なかった時点で武田の大敗北なわけで、この状況でこうしたら勝てたってのは無意味

185人間七七四年2018/06/03(日) 16:44:12.78ID:twRggm2t
桶狭間もあるし、
真田なんて大軍を相手に翻弄してるし、
ゲリラ戦もある。夜討・朝駈けetc。
でも、真田領内ならともかく、そもそも穴山の領内でやることになるから、
山岳戦なんて器用なこと、できないと思うけどね。

186人間七七四年2018/06/03(日) 18:08:52.47ID:3mbJqYrr
>>184
じゃあ指くわえて滅ぶのを座して待つしかないな
圧倒的な兵力差・物量差はどうにもならんもの

187人間七七四年2018/06/03(日) 19:52:31.10ID:y+siCsvQ
>>183
長篠城が落ちてれば織田は明知城や高天神城みたいに引き返すだけでしょ
長篠城が落ちたらという仮定より
長篠城が落ちなかったら退却すべきだった

188人間七七四年2018/06/03(日) 23:17:44.33ID:okNUqqUC
>>186
家康さん見習いなさい

189人間七七四年2018/06/03(日) 23:24:29.21ID:twRggm2t
>>187
3万以上の大群を擁して、城が落ちたからといって
引き返すかなぁ〜

190人間七七四年2018/06/03(日) 23:39:40.03ID:GLiF5dFj
>>186
信長は勢力がまだ弱小のころ武田相手には徹底して下手に出て
献上品を送りまくって武田のご機嫌を取っていた
そして立場が逆転すると徹底して武田に圧力をかけ続けたと
じっさいに戦うだけが戦争じゃないんだよ
そもそも戦争とは外交の延長といわれる
まず経済戦争をして他国と外交交渉をしてここで相手が従わなかったら最終手段として戦争で
色黒をつけると

つまり、長篠はこういう状況な時点で戦う前から武田の敗北は決していた

191人間七七四年2018/06/03(日) 23:47:00.09ID:y+siCsvQ
>>189
明知城も高天神城も2〜3万の軍で援軍に行ったが
城が落ちたから引き返したのも知らないのか

手取川の戦いも援軍に行く城が落ちたのを知って柴田軍4万は撤退したんやで

192人間七七四年2018/06/04(月) 13:23:59.91ID:3Gm17oP/
>>188
家康だって本能寺がなければどうなっていたことやら
>>190
じゃあ信玄が同盟破棄した時点でどうにもならないんだから
勝頼はどうにもし難いわな

193人間七七四年2018/06/04(月) 15:43:20.41ID:by89lk+q
>>192
確かに信玄が織田のケツ蹴り上げて怒り狂ったタイミングで勝頼に後継回ってきたのが最大にきついわ
織田揺るがすなら確かにあのタイミングで織田攻めるしかなかったとは言え、信玄の死ぬタイミングが悪すぎるよね
しかも浅井朝倉には信玄の死バレてなかったけど肝心の織田徳川にバレてたっぽいのもかなりつらい

194人間七七四年2018/06/04(月) 17:00:50.54ID:QkC2EVz1
>>191
確かにそうなんだけど、高天神に続き、今回も間に合わなかったら徳川はキレる可能性がある。
信長自らも来てるし、城が落ち、引き返す時の撤退戦になったら徳川が殿を受け持つことになるだろうから、織田・徳川の信頼関係は悪化すると思う。
それを回避するために、長篠城が落ちても武田攻めを続行したと思う。

195人間七七四年2018/06/04(月) 18:19:04.31ID:Jb9LjW+2
>>194
援軍に来て貰う立場の徳川がキレるのか

大体援軍に来る場合は遠征軍みたいに装備や兵糧などを十分に持ち合わせてない
援軍に間に合わずに城を落とされると士気が落ちるし
作戦的に不利で長期戦ができないから帰るんだよ
長篠で武田をフルボッコにした後の信長は敗走した勝頼を追い武田領まで追わずに帰っている
それに撤退戦が起きるってことは信長は設楽原に到着してるってことか?
野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕で退却できるでしょ
信長は長篠城が落ちる気配が無かったから悠々と野戦築城しだしたんだろうけどね

196人間七七四年2018/06/04(月) 20:10:42.20ID:QkC2EVz1
>>195
冷静過ぎるご意見ありがとうございます。
姉川で、家康は信長に加勢してガチで戦ってる。
高天神で援軍が間に合わなかった時点で、
徳川内では武田と組んだ方がいいんじゃないかくらいの
意見も少なくなかったようだ。
さすがに家康はそこまでは、考えなかっただろうけどね。
ただ、長篠城が落ちたら、周辺豪族は一気に武田になびくので、
その前に武田をある程度、叩かないと徳川は一気に不利になる。
それと、野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕って、甘すぎ。
長篠前の武田は武田最強。家康はまた三方ヶ原みたいなめにあいかねない。
長篠城が落ちることは、徳川にとっては、死活問題。
家康は信長軍の撤退には強く反対するだろうね。

197人間七七四年2018/06/04(月) 20:16:12.43ID:Jb9LjW+2
>>196
>それと、野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕って、甘すぎ。
>長篠前の武田は武田最強。

長篠でフルボッコにあった武田軍でそれを言われてもなぁ
むしろ織田を甘く見ているのでは?
実際、武田軍は長篠城を落とせなかったのだから

198人間七七四年2018/06/04(月) 20:27:45.00ID:jNIxcErl
武田は最悪のタイミングで裏切ったって言われてるけど最悪って程でもないでしょ
むかつくタイミングではあるけど

199人間七七四年2018/06/04(月) 20:30:32.42ID:QkC2EVz1
>>197
よく読めよ。
殿は徳川。

200人間七七四年2018/06/04(月) 20:47:33.19ID:Jb9LjW+2
>>199
長篠城も徳川軍だけど信長から鉄砲貸し与えられてたし
鳥居の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね

長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせずになかった武田軍が長篠城を落とすって話が絵空事だよね
織田の大軍が来たら作戦失敗で武田は退却するべきってのが>>187なわけで

201人間七七四年2018/06/04(月) 23:10:01.31ID:Jb9LjW+2
訂正
>鳥居の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
>長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせずになかった武田軍

酒井の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせなかった武田軍

長篠の後の武田軍は格下だと思ってた徳川相手にさえ総力決戦を避けるようになってたからね

202人間七七四年2018/06/06(水) 00:01:18.92ID:PPzMzQKx
長篠城はもう2,3日もあれば落とせただろうから惜しいんだよね。絵空事でもないよ。
もし落とせたらという仮定の話。

織田勢が退却するならそのまま野戦築城の所に徳川の殿軍を布陣しても
徳川勢だけなら8000(武田の約半分)くらいしかいないので武田にはかなわないだろう。
信長がどれくらい兵を残してくれるかにもよるし、馬房柵が十分かにもよる。
織田勢の全軍が退却し、馬房柵も史実の半分くらいしか出来てなかったら、
家康はまた、三方ヶ原のようなめにあってもおかしくないということ。

203人間七七四年2018/06/06(水) 00:13:34.13ID:qpTv2I9B
>>202
>長篠城はもう2,3日もあれば落とせただろうから惜しいんだよね。


長篠城が全く落ちる気配が無かったから勝頼は鳥居強右衛門に
織田の援軍は来ないと伝え開城させようとして失敗して
逆に士気を上げてしまったんだけどね
そんなすぐ落ちるなら鳥居強右衛門と下手な交渉もせず、長篠城包囲軍に3000も残し設楽原まで進軍しないわな
信長だって長篠城が落ちないと見て悠々と野戦築城しだす始末だし

204人間七七四年2018/06/06(水) 00:24:53.94ID:PPzMzQKx
>>203
鳥居強右衛門などシカトして城攻めに専念すれば案外、城は落とせたという説もあるからな〜。

205人間七七四年2018/06/06(水) 00:25:34.08ID:eHkQBW96
>>203
落ちないからやらせたというより、被害は少しでも出ない方がいいんだから強右衛門にやらせたともとれるけどな

206人間七七四年2018/06/06(水) 00:32:47.93ID:qpTv2I9B
>>204-205
二、三日で本当に長篠城を落とせたなら
長篠城落としてから3000の包囲軍とに分ける戦力分散もせずに
総力戦するのが普通だよね

重臣どころか家臣でもない鳥居強右衛門と直接交渉してなんとか開城させようとしてるし
すぐ落ちるなら信長も野戦築城せずにすぐに長篠城救援に向かうだろうし
悠々と野戦築城してる時点で二、三日で落とせたというのは矛盾だらけ

207人間七七四年2018/06/06(水) 00:44:53.48ID:eHkQBW96
>>206
あと2、3日で落ちる状況でもそうでなくても強右衛門には同じことやらせるんだから貴方の言うことには根拠がない
何故なら一人でも無駄な犠牲は出さない方がいいから降伏勧めるのは当然のことだから

208人間七七四年2018/06/06(水) 00:48:46.08ID:PPzMzQKx
>>206
そこが武田の未熟なところなんですよ。
総力を挙げて長篠城を落とし、
連合軍の出方を見ればよかったものを、
あせっちゃったのかな〜。
勝頼はまだ、若かったんだろうな〜。

209人間七七四年2018/06/06(水) 00:49:59.85ID:qpTv2I9B
>>207
俺は>>206で根拠は言ったが、二、三日で落ちると言ってる奴の根拠が全くないんだけどね

210人間七七四年2018/06/06(水) 00:51:35.18ID:PPzMzQKx
むしろ、強右衛門を捕らえてそのままにしておいたら、場内の士気もそのままだし、
早く落とせたと思う。

211人間七七四年2018/06/06(水) 00:52:47.98ID:qpTv2I9B
>>208
信玄時代からの宿将がたくさんいるのにそれらの意見を勝頼が無視しているなら
長篠城も落とせるわけがなく、織田徳川連合には何をやっても100%勝てないわな

212人間七七四年2018/06/06(水) 01:01:39.98ID:PPzMzQKx
城が、もう2,3日で落ちる根拠ね。
長篠城は残るは本丸だけ。
城兵は多くても500名以下。
対し武田軍は1万5千以上。

213人間七七四年2018/06/06(水) 01:06:35.76ID:eHkQBW96
勝頼が長篠城1つなんかより信長との決戦を志向してたのは明らか
更に、勝頼は信長は戦意がなく、高天神城の時みたく長篠城落としたら撤退してしまうと考えてた可能性はある
実際長篠城落として信長に撤退されたら勝頼は困る、城を1つ1つ落としていくのは楽ではないから

214人間七七四年2018/06/06(水) 01:11:36.70ID:qpTv2I9B
>>212
長篠城は最初から500くらい入れない小城
行ったことないのか?
本丸は断崖絶壁と堀に囲まれた鉄壁
信玄時代にも長篠城を力攻めしたが、力攻めで落とせずに当時の長篠城主の主筋から開城せよと言われ開城した堅城
最初から500の籠城兵で一万五千の武田軍を足止めしてたんだぜ?
ちなみに信玄時代の力攻めで落ちなかった長篠城を徳川家康が水堀のある城へと改修し
信長が200丁の鉄砲を貸し与えてるんだぜ?

215人間七七四年2018/06/06(水) 01:20:02.93ID:qpTv2I9B
>>213
>実際長篠城落として信長に撤退されたら勝頼は困る

鳥居強右衛門に直接交渉して開城させようとしてた時点で矛盾してますぜ
しかも3000の長篠城包囲軍を残してる時点で
長篠城を無力化もできずに奥平らも最後追撃に加わってるしw
普通な長篠城側を無力化させて包囲軍3000という戦力分散もせずに設楽原決戦に回せるようにするんだけどね
根拠もない矛盾だらけ

216人間七七四年2018/06/06(水) 01:26:51.43ID:PPzMzQKx
>>214
実際は500もいなかったってことですね。
なら、短期決戦で360度、あらゆる方角から総攻めすれば被害は増えるけど落ちるはず。
むしろ、短期決戦の総攻めじゃないと落ちない。

217人間七七四年2018/06/06(水) 01:32:48.51ID:qpTv2I9B
>>216
信玄時代にも力攻めで落ちなかったのが長篠城

そこから徳川家康が水堀のある城へと改修し、鉄砲隊を完備したのが長篠の戦い時の長篠城

>なら、短期決戦で360度、あらゆる方角から総攻めすれば被害は増えるけど落ちるはず。

周囲は断崖絶壁と水堀に囲われてたのが本丸
長篠城見に行ったことがないのが丸分かりですな

218人間七七四年2018/06/06(水) 02:18:31.91ID:PPzMzQKx
行ったことないけどね。
長篠城は1万5千で落とすには余りにも小さい城と言われていた。
長篠城は、援軍が無ければ落ちていた。だからこそ援軍を呼んだ。
残すは本丸のみで残るは2,3百の残兵程度なら、もう2,3日で落ちると考えるのが妥当。
確かに長篠城は天然の要害で改修済の城だが、例えば、深夜に川に多くの梯子を立てて兵に支えさせて
登らすことくらいできるだろ。
武田にも鉄砲隊はいたし、援護射撃くらいはできるだろ。
あるいは弓矢で援護くらいはできるだろう。
残るは、本丸のみで、たった2、3百の兵に1万5千以上の大軍
で攻めれば、もう2,3日で落ちるレベル。

219人間七七四年2018/06/06(水) 03:31:22.36ID:qpTv2I9B
>>218
>深夜に川に多くの梯子を立てて兵に支えさせて
>登らすことくらいできるだろ

断崖絶壁でもかなりの高さの断崖絶壁を降りる → 川を泳ぐ → 断崖絶壁を昇るっていう手順が必要な難所


>武田にも鉄砲隊はいたし、援護射撃くらいはできるだろ。

鉄砲はあっても関東は火薬の材料が手に入りにくい
そして命中率が非常に悪かったから近距離で使ってた
しかも籠城で城の防御があるから尚更当てにくい

>1万5千以上の大軍で攻めれば

小さい城だからこそ攻撃側も少ない兵でしか攻撃できない
しかも断崖絶壁
1万5千以上の兵が全員同時に攻撃できるとかアホな事を言ってないよね?w

220人間七七四年2018/06/06(水) 11:42:26.37ID:xoVxtTd+
まあ城攻めのセオリー無視して
後詰めきても攻め続けてれば
長篠城落とせたし野戦で大敗することも無かったかもな。

221人間七七四年2018/06/06(水) 11:50:18.38ID:vq4UmJS0
本丸に火矢打ちまくるとかどうだろう?

ま、長篠城がどういう状態だろうと勝頼は馬鹿って結論にしかならないな

222人間七七四年2018/06/06(水) 14:20:51.42ID:qpTv2I9B
5月14日夜、鳥居強右衛門は長篠城を抜け出す
5月15日午後、鳥居が岡崎城に到着
5月16日の早朝、鳥居は長篠城目前で捕縛される
※鳥居は数日で援軍が来ると長篠城側に伝え処刑される
5月18日に織田徳川連合が設楽原に到着

捕縛した鳥居の情報から数日で援軍が来ることは確実に分かってたのに
織田徳川連合の兵力を調べる物見偵察を全くしなかったなら勝頼は既にセオリーから外れた暗愚なんだよな
逆に物見偵察して兵力が倍以上なのを知りつつ、長篠城包囲軍に3000を残す兵力分散して
総力戦を挑んだ暗愚なら武田が滅ぶのも必然

どっちにしろ暗愚の評価は避けられない

223人間七七四年2018/06/06(水) 17:41:25.05ID:4Uf2YoUO
>>222
勝頼が暗愚でも、さすがに物見は出したろうし、少なくとも自軍が劣勢なのも分かっていたんじゃないか?
山県、内藤、馬場等は健在なんだから
勝頼、というか武田がおかしいのは、優勢な相手に決戦を挑んだこと
ゲーム脳でもおかしいと思う状況なんだがな

224人間七七四年2018/06/06(水) 19:30:38.91ID:xoVxtTd+
決戦の場求めてた説は信憑性高いのかな?

225人間七七四年2018/06/06(水) 19:54:43.28ID:qpTv2I9B
>>223-224
一番可能性高いのは佐久間か誰かの内応説だな
勝頼が当主になってからの対織田徳川の明知城の戦いや高天神城の戦いも内応で落としてるし

二回連続で内応で城を落とせたんだから
長篠での戦いも調子こいて内応の約束を信じてしまったのかもしれない

内応の約束があれば多少劣勢でも総力戦はするだろうし
野戦築城も背後から突かれたら無意味になるし

226人間七七四年2018/06/06(水) 21:36:30.23ID:P7omz3/b
>>225
その説は有名だけど、それが事実なら武田を嵌めたご本人が大手柄を吹聴しているんじゃないか?
元々、徳川との後詰め決戦を志向していたと思う
織田の援軍も三方ヶ原並みの規模と皮算用
しかし、援軍の規模が予想外
撤退するか、当初の作戦?通りにするかで、悪手を選択した
誰も撤退を言い出したくないのだが、ホントに誰も言い出さなくて、勝頼・重臣とも当惑したまま運命の設楽原へ…

227人間七七四年2018/06/06(水) 21:52:06.88ID:qpTv2I9B
>>226
野戦は兵力がダイレクトに響く上に
二倍以上の織田徳川連合が野戦築城している所に無策に突っ込むのは
当時でも態々殺されにいくようなもんで馬鹿すぎるでしょ

兵力数は内応で大混乱にして挟み撃ちにすれば兵力数が劣っていても戦えるし
内応があれば野戦築城も無力化できるから勝算は出てくる

信玄時代の宿将がいるのに兵力も敵が二倍以上&野戦築城している所に
無策で突っ込むのはどう考えても有り得ない

228人間七七四年2018/06/06(水) 21:59:23.62ID:PPzMzQKx
>>219
30倍以上の兵力差なんだから、戦い方なんて沢山ある。
その他にも、例えば、日夜、休む隙を与えず昼夜を問わず多方面から攻めまくる。
城内の兵に一切の休みを与えないようにする。
一方、武田方は、徳川方の30倍以上の兵力があれば、休憩もできるし、
仮眠をとらせてもいいだろう。
城内の兵を絶えず生死の関わる緊迫した状態で戦い続けさせるわけだから、
体力的にも精神的にも弱るだろう。
もって3日。弱ったところを見て総攻めをしてもいい。

229人間七七四年2018/06/06(水) 22:03:17.19ID:qpTv2I9B
>>228
5月8日辺りから攻城してそれでも実際は落とせなかったんだけどね
21日には長篠城から奥平らが城から出撃して武田軍を追撃するくらい元気だったというw

230人間七七四年2018/06/07(木) 01:31:34.84ID:548WpVUn
残るは、本丸だけになってからの話

231人間七七四年2018/06/07(木) 03:23:11.36ID:548WpVUn
>>228
武田は秀吉と違ってそんな器用な戦はできないよ

232人間七七四年2018/06/07(木) 06:14:38.23ID:szh+gnfw
武田みたいな貧乏国が被害省みない人海戦術なんて出来るわけないだろ
織田でも無理だったし、小牧長久手以降の秀吉位の力でようやくゴリ押しが可能になったんやぞ

233人間七七四年2018/06/07(木) 12:18:10.27ID:zMvGgci8
>>232
例外が一つ。
高遠城攻めで無茶した若造がいた。
あれで三万の軍勢率いた総大将。
猪勝頼を笑えねー

234人間七七四年2018/06/07(木) 13:47:10.26ID:s+rVs/KG
まぁ力攻めすれば〜とか簡単に言うのは間違ってるわな

235人間七七四年2018/06/07(木) 14:17:50.35ID:ia82W5J8
>>233
信忠の力攻めの速攻はいい例でしょ
逆にあれでもたついてた方が印象悪いは

236人間七七四年2018/06/07(木) 14:19:59.67ID:kgUhiMZ6
流れ弾に当たって死んでたら

237人間七七四年2018/06/07(木) 16:12:10.34ID:r5hpvXdq
信玄も無茶して砥石崩れ起こしてるな

238人間七七四年2018/06/07(木) 16:42:44.39ID:Knsequww
ほんとの大喬見たことある?
https://goo.gl/4bVuJH

239人間七七四年2018/06/07(木) 18:17:06.63ID:zMvGgci8
>>236
信忠がこの時流れ弾に当たって死んだら、ドラ息子と評され、勝頼未満の扱いに
実際は、フロイスだったかな?
信忠は英雄ではなかったが、英雄の息子として申し分ない最期
父に殉じたからこそ、実績の割に高く評価されている

240人間七七四年2018/06/07(木) 19:22:26.80ID:+tRdlN+K
いやあそこは殉じてはいかんでしょ
擁護できない馬鹿息子
ちゃんと逃げ延びて親父の仇討たんと
親父に殉じて自分も死んだせいで猿に乗っ取りくらったんじゃないですか

241人間七七四年2018/06/07(木) 19:26:03.60ID:uNDN0ySB
結局、信長が貴公子に育てちゃったんじゃないの

242人間七七四年2018/06/07(木) 20:06:53.11ID:r5hpvXdq
>>233
3万の織田軍に対して3千の武田軍が高遠城籠城し
包囲から二日で落城させた信忠と
1万5千の武田軍に対して5百の徳川軍が長篠城籠城し
包囲から二週間経っても落城できなかった勝頼とを比べちゃうのかー

243人間七七四年2018/06/07(木) 20:32:52.62ID:NkeyvQiB
武田攻めは一方的な狩みたいなもんやしなぁ
武田が終わったらいよいよ手柄をたてる場所が限定されてくるから織田側もある意味必死
援軍も期待出来ない、ただ死ぬのみの武田と持ちこたえればなんとかなるかもしれない奥平を比べるなのもどうかな?

っと擁護してみる

244人間七七四年2018/06/07(木) 20:53:22.89ID:+tRdlN+K
>>242
自軍の損害無視で突撃かけたからねえ
高遠城のときの織田勢は
台所事情の差よ

245人間七七四年2018/06/07(木) 21:02:35.59ID:r5hpvXdq
>>243
勝頼は人質となってた奥平氏の妻子含め三人処刑して奥平氏と完全決裂させてるからな
交渉材料に使うために残しておけば良かったのに

>>244
損害無視と言っても武田籠城側の約半分に損害抑えてるんだけどね
それで中規模の城を二日で落城なら上出来でしょう
同じ兵数3千前後の中規模の城で伏見城や長谷堂城も二週間掛かってるし
長谷堂城は二週間経っても落城しなかったけど

246人間七七四年2018/06/07(木) 23:31:21.89ID:548WpVUn
秀吉・官兵衛のペアなら長篠城をどうやって落とすだろうか?
時間が限られてるから、さすがに兵糧攻めはしないだろうな。

247人間七七四年2018/06/07(木) 23:48:09.54ID:+tRdlN+K
>>245
ランチェスターの交換則的には10倍のレートの被害だけどね

248人間七七四年2018/06/08(金) 00:27:58.71ID:t/9gOsnE
>>247
勝頼は高遠城がしばらく持ちこたえるだろうと予測していたが、城は包囲から二日で落ち、
高遠城落城の報を受け、新府城の勝頼や一門、家老衆は慌てふためき、
迎撃準備も整ってないことから新府城放棄して逃げ出してしまったんだけどね
新府城籠城が間に合ったらもっと損害出てたろうなぁ

249人間七七四年2018/06/08(金) 00:37:35.07ID:t/9gOsnE
>>246
奥平氏の妻子三人を返し、城兵と奥平氏の徳川方の無事帰還を許す代わりに長篠城から退去
飲めなければ妻子を鳥居みたいに目前で処刑すると交渉

徳川の嫁を貰い武田への人質の妻子は離縁されてるから
奥平氏には知らぬ存ぜぬされる可能性が高いが

250人間七七四年2018/06/08(金) 13:02:54.73ID:SgtKMnZG
鳥居強右衛門の件は明らかに逆効果だよな〜。
しない方がよかった。

251人間七七四年2018/06/08(金) 13:03:59.16ID:ALIjWdBQ
どこまで実話か分からんし

252人間七七四年2018/06/08(金) 13:59:51.52ID:SgtKMnZG
>>251
何のために作り話を作ったんですかね?
どちら側になんの得がありますかね?

253人間七七四年2018/06/08(金) 14:25:22.30ID:24TkiIdN
徳川史観的には作り話を事実にしたかったんだろ。

254人間七七四年2018/06/08(金) 14:43:19.98ID:SgtKMnZG
徳川がその作り話を事実にすり替えるメリットは?

255人間七七四年2018/06/08(金) 14:50:35.47ID:SgtKMnZG
美談として褒めたたえることで家臣の忠誠心を高めようとする目的だよね。
かといって、作り話となる証拠もないから、
作り話とすることも、作り話。

256人間七七四年2018/06/08(金) 14:56:30.94ID:ALIjWdBQ
信長記にはなく、三河物語に書かれてる話
処刑されたところまでは事実だろうけど

257人間七七四年2018/06/08(金) 15:02:45.83ID:d4nbsP4D
どっちにしても勝頼ダメだな〜じゃなくて強右衛門スゲーちゅう逸話なだけやな

258人間七七四年2018/06/08(金) 15:32:04.83ID:t/9gOsnE
鳥居強右衛門の記述は甫庵信長記の次に三河物語でしょ
後、落合左平次道次背旗から実在してるのを否定する学者はいなかった

むしろ実在してるのを前提で落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された状況から学者間で論争起きてたよ

259人間七七四年2018/06/08(金) 18:57:12.04ID:FAh0HJB0
三河物語って彦左衛門の愚痴日記じゃん
他の資料と整合する部分はそれなりだけど
整合しない部分は眉唾という単体じゃろくに価値のないシロモノや

260人間七七四年2018/06/08(金) 23:53:16.40ID:t/9gOsnE
鳥居強右衛門は
甫庵信長記
三河物語
落合左平次道次背旗
から実在し功績も学者にも認められてるけどね

261人間七七四年2018/06/09(土) 00:01:39.66ID:u5epfAxp
甫庵信長記はあれだし、実在してたことと逸話が事実だということはイコールではない

262人間七七四年2018/06/09(土) 00:13:23.59ID:bxW4XH0F
単体のみで否定しても複数の記述が現存してるし
そもそも功績がないなら甫庵信長記も三河物語にも書かれてないし
落合左平次道次背旗を作られてないでしょ

学者間でも落合左平次道次背の絵の向きが逆さかどうかを処刑される時の磔の状況から論争され
学者でさえ鳥居強右衛門の功績は否定してないからな

263人間七七四年2018/06/09(土) 09:22:07.87ID:CseoMvDj
まあ問題は脚色の程度がどのぐらいかようわからんことだが
実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし
昔の人間、現実とフィクションの区別つけられる情報リテラシーないからなあ

264人間七七四年2018/06/09(土) 10:13:02.77ID:bxW4XH0F
>実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし

大名や城主、城代とか有名な大名の息子や侍大将は実績がなくとも名前は出ることはあるが
そこまで有名でもない地方領主だった奥平氏の直臣でもない陪臣の鳥居強右衛門レベルなんて
普通は名前すら歴史に出てこないからな
それが甫庵信長記や三河物語に名前が出て落合左平次道次背旗にまで描かれて賞賛される功績があったのは間違いない

265人間七七四年2018/06/09(土) 10:20:08.30ID:u5epfAxp
>>264
単に軍使として功績はあったが、捕まって斬られただけかもしれない

266人間七七四年2018/06/09(土) 10:39:29.71ID:CseoMvDj
それこそ真田十勇士とか尼子十勇士とか実在と架空の境界あやふやな奴は腐るほどおるし
山本勘介みたいに実在はしたっぽいけど実情がようわからんやつもおるし
なんかモデルになった奴はいたっぽいぐらいの認識でええんでないの

267人間七七四年2018/06/09(土) 11:00:38.30ID:bxW4XH0F
>>265
奥平氏みたいな地方の領主の陪臣の伝令が捕まって切り殺されて
甫庵信長記や三河物語に名前が残り
落合左平次道次背旗にまで描かれるのかって話な

268人間七七四年2018/06/09(土) 20:32:01.64ID:y2GhyexJ
そんなレベルの創作英雄なんぞゴロゴロしとるやろ

269人間七七四年2018/06/09(土) 21:14:02.89ID:bxW4XH0F
名ある学者たちが鳥居強右衛門の存在と功績も認め、落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された現状から論争してたのに
根拠も無しに創作だと喚かれてもねぇ…

270人間七七四年2018/06/09(土) 21:20:03.84ID:y2GhyexJ
同じことしか言えないオウムかなにかかな?

271人間七七四年2018/06/09(土) 21:23:13.88ID:bxW4XH0F
こんな数人しかいないの分かってる過疎スレで
IDチェンジしまくってるアホに言われたくないわ

272人間七七四年2018/06/10(日) 04:11:23.77ID:joSERVgU
全く横からで申し訳ないんやけど
落合左平次道次背旗の人物が鳥居強右衛門であると断定した学者と、その断定根拠ってなんでしたん?
私的にも鳥居強右衛門の逸話にはちょっと懐疑的だからその辺り気になりまして

ほら、史学でも再研究が進んだのってほんと最近で、今までは創作逸話なんかで織田信長の評価すらかさ増しされてましたやん?ましてや奥平氏のさらに下の身分の人間の研究が進んでないんじゃないのかという疑問があるんで、その辺りスッキリさせたいんですよね

273人間七七四年2018/06/10(日) 07:31:49.26ID:98fva/k2
資料を大きな図書館なり見に行ったりしたらいいんでない

274人間七七四年2018/06/10(日) 19:18:51.93ID:joSERVgU
結局誰もあの絵が鳥居強右衛門だというのはみんながそう言ってるからで
どう断定されてとか知らないんかな

275人間七七四年2018/06/10(日) 19:27:58.73ID:2ORWeAuO
当代記にこの話はないのかな?
あれは奥平の松平忠明が纏めたものだから、長篠関連はそれなりに信憑性があると思われるが。

276人間七七四年2018/06/10(日) 22:58:51.79ID:98fva/k2
当代記は信長公記の二次史料で江戸時代に書かれた物
松平忠明が纏めたかも不明

277人間七七四年2018/06/11(月) 01:06:11.49ID:r7KW5omB
だってお前、裸のおっさんのデフォルメされた絵が誰を描いてるかなんて、どうやって確認するんだよ
遺されてる旗も書き直したもの、と伝わってるんだし、年代比定すら意味がない

強右衛門の功績が嘘だとすると、それまでなんの業績も家柄も伝わっていない人間の一族が、いきなり
奥平家・徳川家で重用される理由がどこにもない。
嘘だと言いたいんなら、まず鳥居家が重用された理由が他に何かあるか調べてみた方がいいんじゃね?

278人間七七四年2018/06/11(月) 01:15:56.13ID:vdbGjff0
桶狭間も沖田畷も圧倒的劣勢が大逆転してんだから
結果論でしかないわなー
むしろあそこまで死に体だったのによくやったって話だよ
どう足掻いたって信玄が同盟破棄してポックリいったとこから
逆転できるわけねーんだから
あの時点で「詰み」だろもう

279人間七七四年2018/06/11(月) 03:01:28.29ID:he/24idT
>>277
重用言うたかて確か100石でっしゃろ?で、それまでの石高も不詳
んでそんな強烈なエピソードがあれば太田牛一が書きそうなのにそれがない
逆に史記だかに登場人物と最後磔にされた人間の生死だけ入れ替えたほぼ同じの話があって
強右衛門の話を書いた尾瀬甫庵は儒教大好きで逸話盛る部分も多い
三河物語も割と盛る

となるとまぁ仮説立てても悪くないんちゃう?
もちろん上の人みたいに仮説でごり押しするのもどうかとは思うけど

280人間七七四年2018/06/11(月) 04:53:59.36ID:oVX+gjjH
>>278
桶狭間も沖田畷も劣勢側が自分達の見知った土地を上手く使って
奇襲や伏兵をしてるからな
勝頼は逆に見知った土地ではないから別動隊に奇襲されるという
もう逆転の余地もない詰み状態なのに決戦を挑んだという

281クバの化身2018/06/11(月) 11:47:28.61ID:x/hO+8b0
それは、法律資格によく表れている
まことは、問題集しかしない
いや、問題集も、オロサカにしているかもしれない

282人間七七四年2018/06/11(月) 21:55:09.92ID:vdbGjff0
>>280
今川も尾張の一部を侵略してたし
龍造寺も長らく有馬を下に置いてたし
全く土地勘がなかったわけではなかろう
島津が島原の土地勘あったとも思えない

283人間七七四年2018/06/11(月) 22:52:58.31ID:a+Zu2gxN
>>280
極端すぎないか?
桶狭間、沖田畷に厳島は戦国三大奇跡だわ
有能な総大将が優勢な軍勢を率いて、よりによって戦場で討ち取られた
劣勢な側が惨敗した刀根坂の義景、長篠の勝頼、山崎の光秀も、戦場からは離脱している
地の利の事例なら、第一次上田合戦、第一次天正伊賀の乱あたりじゃないか

284人間七七四年2018/06/11(月) 23:07:46.63ID:oVX+gjjH
>>282
地の利を知ってるなら奇襲や伏兵ポイントは理解してるはずだけどね
今川は知ってそうな奴は前線の砦に釘付けになってたし
後方待機してた今川義元が知ってるはずがない
三河方面攻めは雪斎に任せっ放しだったし、
尾張方面まで総大将として義元が大軍率いて来たのは桶狭間が初めてだろう

285人間七七四年2018/06/11(月) 23:23:29.45ID:i6zSwoTJ
何か、最近戦国板に見えない敵と闘う人湧く様に成ったね。
統失は怖い。

286人間七七四年2018/06/11(月) 23:29:32.34ID:oVX+gjjH
>>283
刀根坂の義景は籠城した浅井長政救援のための防衛戦
山崎の光秀も秀吉の進軍に対する防衛戦
防衛戦は少数でも戦わざるを得ない

長篠の戦いの勝頼だけは侵攻側で別に戦わなくてもいいのに少数で戦いを挑んだんだよな
普通は侵攻側は敵兵力より勝る大軍でないと戦いは避けるんだけどね

287人間七七四年2018/06/12(火) 02:43:10.94ID:UYycmCwd
来るの分かってないと大掛かりな陣城作らないと思うんだけど、織田はなんで武田が設楽が原に出張ってくると認識してたん?
聞いてる話武田が大多数の織田勢に対して攻めるのは愚策な訳で、その選択をする可能性低いはずなのに織田は堅固な陣城作ってるよね

それともあの大掛かりさで実は来るとは思ってなかったけど保険の為に作ってましてんって代物なの?

288人間七七四年2018/06/12(火) 03:58:19.40ID:fzBCLRC6
>>287
信長としては城が落ちたら撤退すればいいだけだから基本的にはやる気がない

289人間七七四年2018/06/12(火) 05:38:30.04ID:R+WhUPnh
基本的には長篠城包囲戦の後詰めで来てるから長期戦も視野に入れての陣城を構築するのはおかしなことではないけど

290人間七七四年2018/06/12(火) 06:50:52.20ID:LXAbQACM
城兵と援兵との挟み撃ち、領内での決戦という圧倒的な有利な要素しかないのに織田にやる気無いわけないだろ
ほぼ必勝やぞ

291人間七七四年2018/06/12(火) 06:59:34.19ID:BuFlEp02
>>288
は?

292人間七七四年2018/06/12(火) 12:08:15.92ID:UYycmCwd
短期決戦用の陣城だったのか、長陣用の防御拠点だったのかってのが気になりますね

293人間七七四年2018/06/12(火) 12:44:03.57ID:6nMk31lJ
>>292
そこにあまり違いはないと思うけど
長期で滞在すれば簡易的な櫓や小屋ができ始めるけどそれは長陣した結果であって最初から計画してやるもんでもない

294人間七七四年2018/06/12(火) 13:11:34.52ID:K60AdFRr
自領だから現地調達できる織田徳川連合と
遠征軍なために兵站を構築しないといけない武田軍じゃ
やっぱ焦りに差が出るわな

295人間七七四年2018/06/12(火) 13:50:52.48ID:l99ZR8ro
>>294
織田は一応兵站管理はしていたんじゃないか?
三河で織田の万を超える軍兵の現地調達なんて無理だよ。

296人間七七四年2018/06/12(火) 15:39:16.57ID:K60AdFRr
>>295
高天神城の援軍に間に合わなかった時に家康に兵糧の金をドッサリ渡したって話あった

297人間七七四年2018/06/12(火) 16:53:07.87ID:UYycmCwd
>>293
なるほど、信長的には別にどっちでもいけるようにとりあえず陣地構築しただけって感じなんすね

なんとなく気になったんですけど、長篠の陣城って他の陣城と違って特殊なように言われることが多い気がするんですけれど
あの陣城って特殊だったんですか?また、もし特殊ならその特殊さはどこからのノウハウなんですかね

298人間七七四年2018/06/12(火) 19:46:33.41ID:LXAbQACM
そもそも只の一回の戦闘(野戦)で大規模な土木作業を行える人員と金を用意できるのは織田家だけ

299人間七七四年2018/06/12(火) 21:15:16.32ID:Ee96WTzT
織田軍が遠征する時点で馬防柵の木材やら
大量の鉄砲やら調達してるのはちゃんと裏付けがあるのだから
「はじめから用意していったわけではない」というのは無理があるでしょ
長期戦も踏まえて準備を周到にしていたのは明白。
毎回毎回、長篠レベルの鉄砲の数を徴発しているわけではないのだから

300人間七七四年2018/06/12(火) 21:44:18.67ID:ExDK572Z
>>297
ノウハウは織田家がこつこつ積み上げたものとしか言いようがない。
今川と戦ってる頃から、敵の城を陣城で包囲して持久戦に持ち込むのは
織田家の基本戦術。
戦国時代に年単位の攻城戦をやったのって、織田家以外には
第二次月山戸田城の時の毛利しか知らん。

301人間七七四年2018/06/12(火) 22:16:14.88ID:K60AdFRr
信長は高天神城の援軍に間に合わなかったから家康に兵糧等の支度金を大量に置いて行った
家康が事前に米を買い付け、信長援軍の荷が少ないことにより
通常より高速移動が可能になったお陰で長篠は余裕で間に合ったからね

302人間七七四年2018/06/13(水) 00:48:31.42ID:1MINvrmU
>>297
三河物語より
長篠城籠城戦
長篠城の鉄砲隊に手を焼いていた一方で武田軍は、牛枠に竹束を立て掛け、井楼を組み上げようとしたが、
それに気づいた長篠城方は、これが完成すれば敵の攻撃にさらされ不利になると思い、
大鉄炮を放ち竹束を粉砕した。
このため、武田軍は井楼の構築を諦めざるを得なかった。


>>297
信長公記より
天正6年11月6日「大船に大鉄砲余多これあり」「大将軍の舟と覚しきを、大鉄砲を以って打ち崩し」

天正6年(1578年)時点で大鉄砲を大量に保有してたから
三河物語通りに三年前の長篠でも大鉄砲使ってたんじゃないか?
火縄銃は竹束で防御できるが、その竹束は大鉄砲で粉砕されてしまう
大鉄砲の防ぎ方は長篠当時の武田軍はできたんだろうか?

303人間七七四年2018/06/13(水) 01:22:42.03ID:GEHU1yVy
お話聞く限り別段陣城の作りに長篠の戦いオンリーの特異なものもなかった感じなんですかね?

304人間七七四年2018/06/13(水) 02:13:01.86ID:r03YfC0n
なんでや
戦場での素早い土木工事に予算をつける意義が見いだせたやろ

305人間七七四年2018/06/13(水) 02:46:25.09ID:o/nfE7bC
武田は何を考えて突撃したんだろうか?
仮に織田・徳川連合が陣城を築いていなくても、3万5000対1万5000の野戦。数に差がありすぎるし、勝てても被害が甚大になる可能性は十分にある。

となれば、いったん撤退してまたやり直すのが一番ではないのか、と思うのだが。

306人間七七四年2018/06/13(水) 08:06:34.24ID:r92WkffX
長篠城抑えられたから挟まれて突撃するしかなかったとか言うけどさ、敗戦撤退の時ちゃんと後退できてるじゃんっていうね

307人間七七四年2018/06/13(水) 10:30:45.95ID:F9AGS/SD
>>306
長篠城抑えられる前に想定される退路と、実際の退路が違う

308人間七七四年2018/06/13(水) 11:45:29.50ID:IS4lGbew
ちゃんと後退出来てないから追撃で大損害出てんだろ・・・

309人間七七四年2018/06/13(水) 12:01:56.28ID:1MINvrmU
織田徳川軍は陣城から出てこないから設楽原に行かずに長篠城攻囲してる時なら退却は間に合うでしょ
長篠城周辺から長野県側の道は狭くて険しいから織田徳川軍が陣城から出てきて追撃に来ても
突出してきた部隊叩けばいいだけだし
むしろ兵力が圧倒的に劣る場合は狭い場所で戦えば不利にならないからね
籠城戦がそもそもその理論だし

310人間七七四年2018/06/13(水) 21:59:56.20ID:ocfPisMf
>>309
織田徳川は陣城から出て挑発して誘い込んでるんで陣地にこもって何もしてなかったわけではない
あと武田側はここまで無傷で全く損耗していないことが判断を誤らせた
3万の軍勢に1万ちょっとで当たったというのも結果論であって戦場での敵の数はおおよそでしか分からない上に長篠城の救援に織田徳川は相当の援軍を割いたと判断して相手は敵前で兵を割く愚策をおかしたと判断してしまったのかも

いずれにせよ全く損耗してない軍を保持したまま撤退命令出せるか否かが決め手だったんじゃないかな
簡単そうでなかなかできないことではある

311人間七七四年2018/06/13(水) 23:27:11.88ID:1MINvrmU
>>310
いや退却できるかどうかの話ね
武田軍が退却開始すれば織田徳川は陣城から出るかどうかの判断になるから
追撃しても狭い道なら殿軍も陣城や待ち伏せとかで有利に戦えるし

312人間七七四年2018/06/14(木) 00:29:36.62ID:UKABstLv
>>311
織田徳川はわざわざ地形を選んで陣城を構築し敵を誘っているのであの場所を離れて野戦するつもりはないし無傷の武田側に対して追撃する意味もないので武田側は簡単に退却できる
そもそも長篠城の救援成功で織田徳川に戦いの主導権は移っているので自分たちに不利な場所にあえて向かわない

313人間七七四年2018/06/14(木) 07:44:52.96ID:2Ns3u1K7
用意周到に準備して計画的に撤退するのであれば逆撃も有り得るが、
織田の大軍が到着しました逃げましょうじゃ話にならないよ

撤退中に地形利用して大軍と有利に戦う?机上の空論だよ
武田は中入してるし奥平勢が地形に詳しいし

織田主力が出陣したのが確認された時点から退路と各所地形の調査と逆撃の準備はじめないととても被害軽微じゃすまない公算大

314人間七七四年2018/06/14(木) 07:48:14.33ID:Prfo0COM
そもそもあの辺りの地形に詳しい菅沼正貞を武田は拘禁してるんだから、お話にならない。ああいう場所こそ、地元の人間が役立つのに。

315人間七七四年2018/06/14(木) 08:54:07.26ID:q7aw9AGv
>>312は織田徳川は陣城から出てこないから退却できる

>>313は陣城から出て追撃してもくるから被害が出る

どっちの論が正しいんだ

316人間七七四年2018/06/14(木) 10:29:32.67ID:bUtt6kDA
>>315
少なくとも野戦で負けて逃げるより、無傷で逃げ始めたなら、あそこまで将兵が死ぬことは無いと思う。

というか、馬場信春が献策した策なら、あるいははあったのかな?

317人間七七四年2018/06/14(木) 12:42:27.89ID:kZdANcbK
武田としては、無傷で撤退するのが最善策なんだろうが、そうすると山家衆の動向は史実と同じになるような気がする
そうすると後詰めが来た時点で、武田方は勝つ以外の打開策が無いと状況判断したのかもな
現地に逃げの弾正が居れば違った判断が・・・とはならないかw

318人間七七四年2018/06/14(木) 12:51:39.42ID:wSsayRNs
>>315
どっちも武田には大きな被害が出る
でも最初から逃げの方がまだましぐらいにはなるってことじゃ

319人間七七四年2018/06/14(木) 13:08:27.59ID:FcRR6e7f
追撃大好きで追撃で大戦果上げてきた信長相手だからなぁ

320人間七七四年2018/06/14(木) 15:34:36.87ID:7DlZFKYp
>>315
戦で大量の戦死者を出すのは追撃戦
ましてや敵中から逃げるとなると被害軽微など至難の業
地形の有利不利以前の問題、圧倒的織田の状況有利

織田主力が長篠に到着した時点でまだ勝頼が居たら当然追撃に移るだろう
勝頼が居なかったらどうなるかはわからん

321人間七七四年2018/06/14(木) 16:56:32.84ID:M3DzsXMx
>>320
ただ無傷の相手の追撃戦というのはほとんど聞かない
織田にとって不気味なのは武田側が全く損耗していないことと隘路での戦いになることで織田徳川は躊躇するだろうね
長篠城を救援して逆包囲の状態に持っていった織田徳川は長期戦にも持ち込める
そこまで見越してか山県と馬場は勝頼に早期の撤退を進言している

322人間七七四年2018/06/14(木) 18:56:25.78ID:FcRR6e7f
刀根坂や長島とか

323人間七七四年2018/06/14(木) 20:17:56.39ID:q7aw9AGv
>>320
>>171の地図見ると設楽ケ原で決戦したら織田との
距離が近く逃げられないから被害が出る

史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて
北になったんじゃなかった?

設楽原に行かずに織田との距離があって
織田が陣城築いてるうちに夜から撤退準備始めて
最初から東に退路を取って殿を置いてれば
被害はかなり抑えられるんじゃない?

324人間七七四年2018/06/15(金) 00:39:29.83ID:Osli/GS4
設楽原行く前、川を越えなきゃ普通に撤退出来ただろうな

325人間七七四年2018/06/15(金) 02:30:39.25ID:CV2kM4dy
長篠城の援軍に軍勢を相当数分けたから敵本陣は手薄と勝頼が誤って判断したとしか考えられない

326人間七七四年2018/06/15(金) 02:34:37.96ID:YePh23MD
酒井忠次分遣隊による奇襲も川渡ってなければ防げたかな?
酒井隊って武田勝頼の渡河見越しての行動だったんかな?

327人間七七四年2018/06/15(金) 08:46:45.98ID:X2pC4Q6I
乱破だったり様子の違いで看破されたんじゃね?

328人間七七四年2018/06/15(金) 09:34:03.37ID:N89095+6
時系列はこうだぞ

武田軍は20日までに滝沢川(寒狭川)を渡り設楽原に進軍
織田徳川連合軍と約2.2kmの距離で対陣
 ↓
20日の20時前後に酒井忠次が別動隊で出陣
 ↓
21日の日ノ出から設楽原で本戦が始まる
 ↓
21日の8時前後に酒井忠次の別動隊が鳶の巣山へ急襲
 ↓
21日の14時前後まで設楽原本戦は続く

329人間七七四年2018/06/15(金) 09:56:24.07ID:N89095+6
武田本隊が設楽原まで来ているのを確認してからその日の夜に酒井が別動隊で行った
武田本隊が来なかったら別動隊も編成しないだろ
信長公記見ろよお前ら

330人間七七四年2018/06/15(金) 13:45:08.56ID:yvmaiiy/
>>305

コヒマの佐藤師団長の心情思えば有る程度はな。

331人間七七四年2018/06/15(金) 13:45:41.36ID:93EOYJ5t
鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前
開戦前には別働隊の情報は入っていた武田勝頼の不可解な動きに対して別働隊情報は先に掴んでいた等の憶測が出てきた
事前情報は記録がないのであったともないとも言えない

332人間七七四年2018/06/15(金) 14:45:45.57ID:pkVQLKGa
なんちゅーか、野戦築城された地に渡河してまで出ていってることと言い、軍の動き読まれて別働隊に奇襲決められてることと言い、あまりにもキレイに死地に飛び込んで行ってますなあ

333人間七七四年2018/06/15(金) 14:49:09.04ID:3fLlYkZO
信長に何か敵を誘う策略があったとしか思えない。
しかしそれは何なのか?
平山氏などによると「信長が故意に兵力を少なく見せて武田軍を誤魔化した」としているが、信長が直々に来て少なくとも1万なんてことは考えにくい。少なくとも2万。
徳川と合わせたら2万5000。
1万の差なら勝てると誤解したのでしょうか? 織田は弱兵だと思って。

334人間七七四年2018/06/15(金) 15:16:57.62ID:N89095+6
>>331
>鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前

信長公記にはっきり日ノ出から設楽原本戦
辰刻に鳶の巣へ攻め上がったと書いてあるから

335人間七七四年2018/06/15(金) 15:38:05.32ID:aBTE9/cN
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

336人間七七四年2018/06/15(金) 15:49:13.73ID:aBTE9/cN
>>333
信長公記を読むと、信長は軍勢を
段々に配置〜要するに分散配置したとある。
これによって、武田側が織田勢の数を
見誤った可能性が高い。
20付の勝頼書状が偉く強気
なのはこのせいじゃないかと思う。
信長公記でも勝頼が長篠城を包囲
したまま動かなければ、
どうしようもなかったと
言う内容があったかと思う。

337人間七七四年2018/06/16(土) 00:24:57.39ID:ctDJP76B
だから突撃は武田本体を退却させるために退路を作るためにやったんだろ
退却するのに織田徳川の目の前を通過しないといけない
つまり織田徳川軍が前に出て着ないように押し込むのが山県や内藤や真田兄弟の役目
そして馬場は殿と

338人間七七四年2018/06/16(土) 00:41:47.27ID:Jq/HzceL
>>336
信長公記にあるのは川を前にして長篠城を包囲したままだったら
あそこまで酷い大敗にはならなかっただろうみたいなニュアンス

339人間七七四年2018/06/16(土) 01:13:58.65ID:GE+5JIyG
攻城中に自軍より多い援軍がきて攻城側が勝った例ってあんの?

340人間七七四年2018/06/16(土) 02:32:31.87ID:HpqUlybX
>>339
聞いたことがないよ。
むしろ武田は砥石崩れで自軍より遥かに少ない村上軍に手痛い大敗を喫したことがある。
砥石崩れには老臣連中にはまだ経験者もいるはずだから、こんなバカな真似するだろうか。

341人間七七四年2018/06/16(土) 03:35:33.81ID:Jq/HzceL
>>339
秀吉の中国攻めとかかな、毛利の方がだいたい兵力多かったはず
敵の増援に対しては陣地群で守り固めて、城に対しては付け城築いて包囲して時間かけて落とす

342人間七七四年2018/06/16(土) 05:41:53.63ID:vb1KMUwl
>>334
信長公記と同じく信頼性の高い大須賀記には「五月二十一日の九ツの始めから八ツ時分まで」 と書いてある

つまり戦闘は午前11時から午後2時頃まででこれと信長公記の記述を合わせて設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い→武田の本格的な攻撃開始は午前11時開始が通説になっている
このことから武田の総攻撃は鳶ケ巣砦を落とされたことが影響しているとされている

343人間七七四年2018/06/16(土) 06:19:34.71ID:GHDnRjxL
>>342
>>323-329>>332-336で言われてるように多くの人の疑問点は
なぜ武田軍は寒狭川を渡って設楽原に向かってしまったという武田勝頼の不可解な動きについての謎じゃね?

設楽原布陣後の突撃と良く混同されるよね

344人間七七四年2018/06/16(土) 08:22:23.02ID:6HIb8pNT
>>342
違う
砦への攻撃前から総攻撃は決まってた
攻撃する気がないならあそこに陣を敷かないし、合戦前の勝頼の書状も自分から突撃する気満々である

345人間七七四年2018/06/16(土) 08:46:36.52ID:vb1KMUwl
>>344
違うと言われてもねぇ
そこまで断定するなら論文書いて発表しなよ

346人間七七四年2018/06/16(土) 08:58:33.24ID:LBJvVNRi
>>343
長篠城の包囲にちゃんと兵を残して移動してるので相手の後詰めがやってきたと知ったら後詰めを叩きに兵を動かすのは定石通りというか特に不自然とは思わないけど
後詰めと戦うか対峙したまま動かないかは別として一定の距離を保って布陣はすると思う

347人間七七四年2018/06/16(土) 08:59:51.74ID:LBJvVNRi
でも何故あえてその場所かというのは疑問が残るね
信長公記でも勝頼が布陣にヘマしたようなことが書いてあるし

348人間七七四年2018/06/16(土) 09:04:23.97ID:GHDnRjxL
>>346
敵軍の兵力が二倍以上なのに野戦を挑むというのは定石じゃないけどね
遠征軍だと特に小荷駄や雑兵の比率が高くなるから特に侵攻側は兵力が勝ってないと勝負にならない

349人間七七四年2018/06/16(土) 09:09:19.10ID:6HIb8pNT
>>345
貴方が通説と書いてることは通説じゃないから

350人間七七四年2018/06/16(土) 10:07:08.66ID:H5Co0COw
>>348
よく織田の兵は弱くて、武田の兵は強いと聞くんだが。

何かの小説では「武田兵ひとりで織田兵3人を相手にできる」なんてあった。

長篠当時は、本当に両軍兵士の戦闘力はそんなに差があったのかな? また、両軍首脳にこういう認識、特に武田側が甘く見て、兵力差くらい強さで跳ね返せると思ったのかな?

351人間七七四年2018/06/16(土) 10:08:51.51ID:vb1KMUwl
>>349
はいはい

352人間七七四年2018/06/16(土) 10:11:48.92ID:QK+v4eVj
>>348
兵力が2倍というのは結果でしか分からないことで開戦前は敵兵力の見積もりは大雑把にしか分からない
織田徳川もあえて隠れた場所に複数の陣を置いたとも書いてあるんで武田はうまく騙されたのかも

353人間七七四年2018/06/16(土) 10:22:03.54ID:z0T/rcLF
>>352
でも徳川は最低5000はいるだろうし、織田軍は信長が直々に来たことは察知していただろうから、信長直々で1万以下なんて考えられない。

少なくとも1万以上、2万以下は見積もれると思いますが(3万は流石に考えてないかもしれませんが)。

仮に織田を2万、徳川5000と考え、長篠は敵地で地の利が徳川にあるとするなら、やはり無謀すぎませんか? それとも1万の差なら野戦でも勝てると考えたのでしょうか?

354人間七七四年2018/06/16(土) 10:28:58.04ID:GHDnRjxL
>>350
三方ヶ原の戦いでも武田の兵力は上回ってたし、織田徳川相手に武田側が兵力少数で野戦したのは長篠の戦いが初だよね
明知城の戦いで山県昌景が6000の兵で3万の織田軍を野戦で撃退したって嘘を勝頼が信じたのなら山県の罪深きことよ

355人間七七四年2018/06/16(土) 10:33:50.77ID:GHDnRjxL
>>352
織田徳川軍が岡崎城から長篠まで何日後に到着しそうだとか
何万の兵力なのかの偵察・情報収集を全くしなかったのなんて有り得るかね
岡崎城から来る途中なんて隠れようがないし

356人間七七四年2018/06/16(土) 10:40:25.32ID:6XIjx9+Q
>>351
はいはいじゃなくて砦への攻撃前から総攻撃は決まってたのが通説だから
そこのとこ訂正するように

357人間七七四年2018/06/16(土) 11:17:09.80ID:GE+5JIyG
>>340
逆に少ない援軍が大軍を蹴散らす例なら多数あるよね(勿論失敗した例も多数あるが)
あの前田利家すら佐々成政を末森城の戦いで破ってるし

やっぱ前後の挟み撃ちは強すぎる

>>341
毛利は名前出ると思ってたけど、毛利は水軍内部で混乱(毛利派織田派)がはじまると、
物質か前線に行き渡らなくなってたからなぁー

358人間七七四年2018/06/16(土) 12:42:33.42ID:Jq/HzceL
>>356
20日付けの勝頼の書状からそこはほぼ確実なんだよな
後方への書状だから多少盛ること考慮しても攻撃する予定だったのはほぼ確実

359人間七七四年2018/06/16(土) 14:09:24.80ID:ctDJP76B
武田の砦が落とされようがまだ落とされてなかろうが
織田徳川軍の大軍が出現したら川を渡って設楽原で織田徳川軍を抑えないといけない
織田徳川軍が前に出てきたら武田本体、勝頼自体の退路が失われるわけ

そもそも織田徳川軍が出現した時点で長篠城の攻略は失敗なんだよ
2倍の兵力差があって長篠城を攻撃し続けるのとかありえないわけ
砦どうこうより、この時点で武田軍は織田徳川と長篠城とで挟み撃ちにされている状態
そして武田本体の退却には退路が必要。この退路を作るための織田徳川軍への無謀な突撃だったと

360人間七七四年2018/06/16(土) 14:33:49.61ID:6XIjx9+Q
>>359
勝頼の合戦前の書状や信長記読んでどうしてそういう解釈なるのか全く意味不明

361人間七七四年2018/06/16(土) 14:37:53.86ID:Jq/HzceL
長篠城の対岸寒狭川越えた有海原は抑えないと長篠城救援されるだろうけど
設楽原まで出る必要性はないだろ

362人間七七四年2018/06/16(土) 14:41:08.35ID:3Hi9UxNA
>>359
援軍が来た時点で失敗は同意。
だが挟み撃ちにされた、退路の確保はどうかなと思う。
あのあたりは道が狭くて険しい。だから一部隊丸ごと2000くらいは失う覚悟なら信濃に逃げられないこともないと思う。

363人間七七四年2018/06/16(土) 15:26:58.29ID:GHDnRjxL
>>359
たぶん勘違いしてるんだろうけど元々の退路は長篠城の東だぞ
設楽原まで進軍してしまったために酒井の別動隊に東の退路を塞がれて
仕方なく有海原の北に退路を取っただけ
北は険しい起伏のある山道で甲冑来た1万5千の大軍が殺到してスムーズに通れる退路ではない

364クバの化身2018/06/17(日) 04:35:21.39ID:51w7GS5s
人の自演がわかるということは、自身の自演もバレている
こんな簡単なことを、まことは、統合失調症のためわからない

365人間七七四年2018/06/17(日) 07:18:49.95ID:v8vZT8OY
やっぱり戦闘は投石で始まったの?

366人間七七四年2018/06/17(日) 10:51:37.44ID:BS8cHWfu
>>319-324で言われてたように戦死者が多く大損害が出るのは撤退開始して敵に追撃された時
撤退開始位置が敵軍との距離が近ければ近いほど大損害が出る

>>342が言ってるように
>設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い

20日では双方2.2kmあった距離が明け方には小競り合いが起こる距離まで詰めてしまっている
この状態ではもう退却しても追撃で大損害になる
どうせ同じ大損害が出るなら信長の首を討ち取って勝つ方に勝頼は賭けたってことでしょ

鳶ヶ巣砦が落ちたから突撃したのではなく、退却すると大損害が出る距離まで詰めてしまっているから突撃するしかない
つまり、最初から突撃する気でいたという>>344が正解

367人間七七四年2018/06/17(日) 12:09:25.16ID:LUu97AZH
>>366
徳川方が柵から出て戦ったとあるから必ずしも武田方が主体的に間合いを詰めていったとも言えない
挑発に乗ってしまったことも考えられる

一般的な誤解として織田徳川は柵から一歩も出なかったというのがあるが結構柵から出て戦っていたりする
野戦で有利な地形で戦うための挑発行為はこの場合不自然ではない

368人間七七四年2018/06/17(日) 12:37:11.46ID:BS8cHWfu
>>367
撤退すると追撃されて大損害が出る距離に詰めた時点でもう突撃するしかなかったんで

それで織田徳川軍が武田軍を後ろには退けない距離まで誘き寄せたら
狼煙を上げて酒井に急襲指令
砦の襲撃の報を聞いた勝頼は
勝頼「織田徳川は戦力分散した
 そして、設楽原の織田徳川軍を実際に見ると少ないではないか。今こそ好機!」←織田徳川は実際は窪地等に隠して配置して少なく見せていた

武田勝頼が砦が襲撃されて退路がなくなるから突撃したんじゃなく、
砦襲撃による織田徳川の戦力分散(兵を隠してたことによる見た目の兵の少なさ)に騙されて
織田本隊が手薄だと勘違いして好機と見て突撃したのが妥当

369人間七七四年2018/06/17(日) 12:53:43.79ID:ns/Ec0Mh
歴戦の老臣たちは流石に鳶ノ巣攻撃で、はめられた、あるいは、おかしい、とは思わなかったのだろうか。いくらなんでも、この時点で違和感くらいは感じてそうだが。

370人間七七四年2018/06/17(日) 13:03:59.27ID:BS8cHWfu
結局の所、撤退すると敵に追撃されて大損害になる距離まで詰めてしまったらどうしようもないでしょ
逆に織田徳川の砦の襲撃はむしろ戦力分散の好機と捉えてたんでしょ
実際武田サイドからは織田徳川軍は少なく見えていたはずだし

信長さえ討ち取ってしまえば後は楽になるという淡い期待をさせるように信長本隊をわざと手薄に見せる

371人間七七四年2018/06/17(日) 16:01:26.00ID:0w6aILbA
酒井忠次が武田の背後を強襲するにはまた豊川を越えていかないといけないので長篠城の支援はできても主戦場に戻るのは難しい
渡河しても逆に長篠城を奪われかねないリスクが発生する
酒井忠次が奪った鳶ヶ巣砦は長篠城の支援と街道を封鎖する絶好の位置にあるが主戦場から見たら死に駒

372人間七七四年2018/06/17(日) 16:21:09.15ID:ns/Ec0Mh
>>371
幾ら何でもそれは無理でしょ。
別に酒井は武田の背後を突く必要はない。
武田の退路に待ち伏せしたらいい。奥平というあのあたりの地理に精通したのがいるからできる。

長篠城を奪い返す。元々、1万5000の武田軍が攻めても容易に落とせなかったのに、酒井や奥平がなんの備えも無く城を空にするとか考えにくい。

373人間七七四年2018/06/17(日) 17:55:04.79ID:md1/6Lrg
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

374人間七七四年2018/06/17(日) 19:43:40.22ID:md1/6Lrg
>>371
信長公記を読むと、
前後から挟撃したことが
はっきり書いてあるけど。

375人間七七四年2018/06/17(日) 23:39:30.80ID:98SAl7fp
戦争で一番難しいのは退却戦なんだよ
だから殿という生け贄も必要になる

この辺、無視して話してるよね

376人間七七四年2018/06/17(日) 23:50:58.84ID:CgLARe2V
敵の総兵力がどれくらいかとか
それがどこにどれだけ分散・集中しているかなんて
当時の人間に事細かにわかるわけねーだろ

377人間七七四年2018/06/18(月) 03:02:47.37ID:T0NRqLKn
>>374
信長公記にそんな記述あるかね?

378人間七七四年2018/06/18(月) 08:29:44.97ID:cCx6YLq5
>>377
前後より攻め立てという
記述がある。

379人間七七四年2018/06/18(月) 12:02:25.66ID:RgYGN7hZ
>>376
正確にわかれとは言わないが、ある程度は把握しないといけないのでは?

380人間七七四年2018/06/18(月) 12:11:44.35ID:sOvJr5hp
>>374
牛一さんがどこまで正確に書いたかは分からないが、元来た経路で敗走する隊もあっただろうし、当然挟撃の形になったのは確かだろうな

381人間七七四年2018/06/18(月) 13:29:32.84ID:C6FnFYCa
柵を破らないと陣城に到達できない訳だけど、その場合ってただ突撃する以外にどんな攻め方すればいいのに?

382人間七七四年2018/06/18(月) 13:32:54.40ID:bVM60UgA
>>381
攻めないのが一番。
というか撤退が上策かと。
兵力は敵の方が上。また、城攻めしていて武田軍には疲労がなかったかな、と思うので。

383人間七七四年2018/06/18(月) 13:50:31.97ID:n6S3shN/
>>378
挟撃の形になったとは思うけど

信長公記にそんな記述ある?
「前後の勢衆を乱し」のこと?

384人間七七四年2018/06/18(月) 14:00:50.13ID:Fo/9ShBr
>>100
なぁなぁで勢力拡大ってのが意味不明

385人間七七四年2018/06/18(月) 14:41:13.43ID:swDMuN06
>>381
>>309とか?

386人間七七四年2018/06/18(月) 18:24:40.62ID:YZi1kWT/
>>385
敵地に突入しながら大軍を率いて山中を退却とか夢でもみてんの?

387人間七七四年2018/06/18(月) 18:30:16.69ID:TqpthVNc
>>386
武田軍には長篠近辺の地理に詳しい武将もいないし、無理だよな。

388人間七七四年2018/06/18(月) 18:38:39.71ID:YZi1kWT/
>>387
万単位の軍勢が山中に突入して狭い地形を利用して応戦は流石に(笑)
山中をノロノロ逃げてたら被害拡大する可能性もあ

389人間七七四年2018/06/18(月) 20:16:02.08ID:swDMuN06
>>386
http://i.imgur.com/zpJvSvK.jpg
敵地?設楽原に進んで戦った退路は北だけど
設楽原行く前の退路は長篠城の東で来た道だぞ?

390人間七七四年2018/06/18(月) 21:18:45.47ID:BxK0AZCt
>>389
奥平がいるからあの辺りは間違いなく敵地だよ。来た道を戻るにしても、地理に明るい奥平がいたら危ない。

391人間七七四年2018/06/18(月) 21:38:28.61ID:swDMuN06
>>390
奥平氏は三河国作手の豪族だから実際に長篠敗戦後に退路を取った先の北の山道方向のが詳しいよ
東が武田の大軍が来た道なんだから北の山道より圧倒的に退却しやすいんだけどね

実際に来た道と長篠敗戦後の退路が全く違うのを知らないんだろうけど

392人間七七四年2018/06/18(月) 22:57:30.12ID:lyVzAh69
>>389
これ地理見たら勝頼設楽原に攻め込んだらダメじゃん
速やかに捨て石の後詰め長篠城あたりに置いて
全力撤退しかないだろうに。

まあ日本軍のガ島みたいな状況かな。
攻めきれないのに攻めきって大敗したね

393人間七七四年2018/06/20(水) 19:09:32.89ID:DHqnMICd
>>383
勝頼が動いた契機の部分に、
前後より攻められ と書かれいる。
戦闘開始時間を日の出とも書いて
いるので、矛盾点あり。
尚、小山田信茂の書状の写し
には本格的な戦闘開始は
正午頃とある。
当時の一次史料から見るに、
武田の本格的攻勢は
背後を取られた事に気づいてから
と見て良いと思う。

394人間七七四年2018/06/20(水) 21:08:22.88ID:WQRRLRXY
長篠城は勝頼の代になってから家康が僅か2千の兵で5,6日で落としたんだってね。
いくら、補強済の城とはいえ、2万5千で落とせないとはな〜。
勝頼も家康が火攻めにして落としたように勝頼も本丸のみになってからは、
同じ手を使えばよかったと思うんだけど。

395人間七七四年2018/06/20(水) 21:34:05.00ID:wT56aUFx
>>393
背後とられてから陣城に正面突撃とか、勝頼や幹部は正気なの? 普通は犠牲覚悟で逃げるべきでは? 何ならあのあたり一帯に火をかけて撤退するとか。

どうせ犠牲が出るのは避けられない。まだ陣城に正面突撃せずに逃げていたなら、犠牲は史実よりはマシだったのでは?

396人間七七四年2018/06/20(水) 21:52:19.07ID:C4naBiHi
敵前で逃げたら武田から離れる勢力増えるだけ。
信長と戦うしかない

397人間七七四年2018/06/20(水) 21:57:31.34ID:wT56aUFx
>>396
信長は金ケ崎でそれをやったけど、巻き返したよ。

398人間七七四年2018/06/20(水) 22:10:26.83ID:DRs+kWLp
>>395
後世の第三者から見ると逃げの一手なんだが、戦わずに逃げる断を下して、従わせるには信用かカリスマが必要
戦わずに退くことは、家臣達は大出費して出陣して褒美が無い
勝頼に出世払いの信用が無ければわ、勝って凱旋するか、負けて敗走するかの二者択一
戦国乱世は厳しい
つくづく現代日本はイージーモードだと思う
もしもいるなら、神に感謝

399人間七七四年2018/06/20(水) 22:38:37.95ID:C4naBiHi
>>397
織田のそれは浅井裏切りからの撤退だから
戦略の外の状況になったから逃げるしかない
その後は辛うじで勝ち残れたけどさ。

勝頼は決戦の場を長篠城周辺と決めてきたから
戦うしかないの。それで逃げたら武田内部から隠居勧告されるだけ。

400人間七七四年2018/06/20(水) 23:54:08.50ID:azAIVPjk
馬場信春の献策はダメなのかな?信長記にも馬場の献策の方が良かったことを感じさせる記述があるが

401人間七七四年2018/06/21(木) 00:14:32.64ID:iu5wG77C
武田は信玄時代から国人の自立性が強く組織が脆弱なんだよ
だから信虎は追放されるし信玄もクーデターを起こされた
信玄は家臣を信頼しておらず政務は便所に籠ってやっていた
信玄はこういうややこしい家臣団をまとめるために常に戦争に勝利して家臣団を信用を得ていた
信玄でも負ければ家臣に裏切られる
勝頼も父と同じように常勝を義務付けられていた

402人間七七四年2018/06/21(木) 00:17:30.66ID:Ijz4iAkN
>>401
中世は皆そうだよ
信長さんなんてあの死に様だし

403人間七七四年2018/06/21(木) 00:28:00.29ID:9uXWXpR8
>>394
違うぞ
長篠城主の菅沼正貞は元々、親家康派で信玄時代にも長篠城攻められても落ちなかった
武田に菅沼の本家が従属してたから本家の説得でやっと開城

今度は家康が長篠城を攻めると正貞は親家康派だったからあっさり開城
あっさり開城したために武田から家康との内通を疑われて拘束
そのまま正貞は武田に疑われ続けて獄中死した

武田の人質になっていた正貞の子は武田滅亡後に家康と面会し帰参を許される
長篠以後にも武田に従属していた三河武士は帰参を許されなかったのに

404人間七七四年2018/06/21(木) 00:31:46.82ID:iu5wG77C
だから信玄の領国経営が安定していたわけじゃないのね
勝頼は結果失敗したけど、そう無能扱いするほどでもない
武田24将は有名で、組織は磐石だったと勘違いする奴が多い

信玄の強さは恩賞にあったと言われる
戦最中にも良質な砂金を恩賞として与えていた
この恩賞のために兵は死に物狂いで戦う
金山銀山をもっている大名はこれができたから強かった

405人間七七四年2018/06/21(木) 03:33:51.44ID:uDdGnwCt
簡単に撤退というけど撤退を決断するのはなかなか勇気がいること
ましてや一戦もせずほぼ無傷の軍勢を抱えていて敵とその総大将は目の前
この場合結果的には撤退が最も不利益のない合理的判断なんだけど現場の武将にすれば撤退することによる不利益が非常に大きく見えてしまう

406人間七七四年2018/06/21(木) 11:35:49.09ID:PnRx4146
当時織田家と武田家の国力差は日に日に開いていた
故に多少不利でも勝頼は決戦を急がざるを得なかった
戦えるうちに打撃を与えておかないと彼我の戦力差は開くばかり
こうした背景からわざと長篠城を落とさず織田を待ったと言う説もあるね

407人間七七四年2018/06/21(木) 12:34:01.83ID:XWRtZ8Hw
>>406
日に日に開いていた、って。
織田との国力差を考えるなら、まずは徳川家康を潰すことに全力を挙げるべきなのに、上杉謙信とは和睦しないし、東美濃には侵攻するしと、二兎どころか三兎も追ってるんだが。

信長は勢力拡大の意思が明らかなのに、勝頼は何がしたいのかよくわからない。

408人間七七四年2018/06/21(木) 12:47:37.60ID:w017WM/A
>>406
謙信の七尾城、手取川の戦いのように、長篠城を陥して、織田方に悟らせず、なんてことできなかったからなぁ
つまるところ、武田の新領地政策が拙くて、前線の地元民を味方にすることができなかった
結果、良質な情報も少なく、国衆の調略も上手くいかなかった

409人間七七四年2018/06/21(木) 13:34:19.46ID:9uXWXpR8
>>406
謙信の手取川みたいにすれば良かっただけだし
敵のが戦力二倍な上に、城囲うのに3000の兵を残して決戦とかアホすぎる
明知城や高天神城が内応で落ちたから長篠でも同じく
二度あることは三度あるで佐久間とかの内通約束を信じた説のがまだ信じられる

410人間七七四年2018/06/21(木) 13:44:35.63ID:egBc3VSt
>>409
仮に佐久間が寝返っても、そこまで影響あるのかな? 佐久間隊がどれくらいの兵力かは知らないが、5000以上なんてことはないでしょ。

武田の決戦兵力が少なすぎる。せめてあと1万いれば。

411人間七七四年2018/06/21(木) 13:49:41.01ID:Pj+TGVRc
手取川のようにすればいい( ー`дー´)キリッ

412人間七七四年2018/06/21(木) 14:07:48.06ID:9uXWXpR8
>>410
大混乱に陥るし陣城の裏から挟撃されるから陣城無効化できる
と普通は考える

何の策も無しに陣城してるところまで行って決戦挑むとか普通はしないわな
信玄時代の宿将もいるのに

413人間七七四年2018/06/21(木) 14:13:28.64ID:ZQZg4nxQ
>>409
ここで何度も言われているように敵兵力が倍だったというのは結果論であって敵兵力についての流言飛語が飛び交う中で最終的には目視で判断するしかなかった
信長も兵力を巧みに隠してるし
倍の兵力に決戦を挑んだからアホだと後世の人にしか分からない情報で決めつけてはいけない

414人間七七四年2018/06/21(木) 14:17:24.22ID:egBc3VSt
武田兵と織田兵との実際の戦闘能力の差はあったのかな?武田兵は強くて、織田兵は弱いという。

415人間七七四年2018/06/21(木) 14:23:13.57ID:9uXWXpR8
>>413
岡崎城から援軍が来るときは隠せないし
それまで偵察、物見などの情報収集しない設定は無理がありすぎる

416人間七七四年2018/06/21(木) 14:53:11.36ID:tQbioC5i
手取川は上杉側についた一向宗の領土での戦い
長篠は織田側の徳川領での戦いで状況が全く逆
地の利ある側が情報を制しただけだな

417人間七七四年2018/06/21(木) 14:58:36.85ID:ZQZg4nxQ
>>415
だからこそ攻めを急いだともいえる
岡崎に数万いたとしても、織田が構築した陣城に現在いくら集まってるかは分からない
織田も敵を油断させるために兵力を隠している
ゆえに敵が続々と集まってくる前に敵本陣を叩くと考えるのは不自然ではない
いずれにせよ戦場に敵兵力がどのくらいいるかの判断は目視しかない

418人間七七四年2018/06/21(木) 15:04:48.32ID:9uXWXpR8
>>416
何か時代を勘違いしてないか?

>>417
集まる前?
だったら信長が18日に到着して陣城築かれる前に総攻撃するだろう
極めて不自然

419人間七七四年2018/06/21(木) 15:14:42.60ID:57S7zaEl
手取川の戦いなんて織田が戦略目標を失って退却しただけ
実際に織田側の戦死者は下級士卒の1名だけだ

この戦いでもし教訓にすべき点があるとするなら当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ

まぁ長篠の戦いで勝頼が早期に退却したら上杉が宣伝したように織田も鬼の首取ったかのように勝利を宣伝するだろけどな

420人間七七四年2018/06/21(木) 15:28:43.82ID:9uXWXpR8
>>419
明知城の戦いでも山県昌景が6000の兵で織田2〜3万の援軍と野戦して追い払ったという誇大広告はしてたからな
実際は織田は城が落ちたから帰っただけなのに
それも周辺国に対する武田の武名を上げる効果はあるからな
ただ長篠城が落ちなかったからこんな悲惨な目に遭うという
長篠城をわざと落とさなかった説を言ってたのは現代の小説家の伊藤某だからな
歴史学者ですらない

421人間七七四年2018/06/21(木) 15:35:17.63ID:tQbioC5i
>>418
何か間違ってた?
まあ手取川も誇大広告だろうけど

422人間七七四年2018/06/21(木) 15:58:50.58ID:9uXWXpR8
>>421
416:人間七七四年 2018/06/21(木) 14:53:11.38 ID:tQbioC5i
手取川は上杉側についた一向宗の領土での戦い
長篠は織田側の徳川領での戦いで状況が全く逆
地の利ある側が情報を制しただけだな



能登畠山家が謙信の介入を嫌い徹底抗戦した
上杉の領土ではない
謙信は一回は攻めたが北条の圧力で謙信は一回撤兵
その間に長続連が城を取り戻す
その後が手取川を言われる二回目の侵攻


能登畠山家=徳川に置き換えても状況は同じ

423人間七七四年2018/06/21(木) 16:05:39.93ID:tQbioC5i
単に会話が噛み合ってなかっただけか
城じゃなくて戦場の話ね

424人間七七四年2018/06/21(木) 16:23:33.53ID:9uXWXpR8
戦場も同じだろ
上杉軍=侵攻側
能登畠山家=防衛側
織田軍=防衛側の援軍
七尾城での籠城戦からの織田援軍派遣

長篠の戦い
武田軍=侵攻側
徳川家康配下の奥平氏=防衛側
織田軍=防衛側の援軍
長篠城での籠城戦からの織田援軍派遣


手取川は織田援軍が来る前に七尾城が落ちた
七尾城陥落により織田援軍は戦略目標を失い帰ったから上杉軍勝利

長篠では織田援軍到着までに長篠城が落ちなかった
このために設楽原で総力戦し武田軍は歴史上でも稀な大惨敗した

援軍到着前に城を落とせたのと落とせなかっただけの違いよ

425人間七七四年2018/06/21(木) 16:46:41.51ID:KOpvRZfJ
>>424
その違いが大きすぎた、としか言えないかと。

426人間七七四年2018/06/21(木) 20:50:16.58ID:9uXWXpR8
長篠城を落とせなかったのが全ての敗因だね
長篠城を落とせたけどわざと落とさなかったという小説家の戯言を説とするくらいなら
三河物語を根拠にしたほうが100倍マシ

427人間七七四年2018/06/21(木) 21:03:37.23ID:+NDdvcj0
>>426
仮に馬場が進言した、とされている、長篠城を多少の犠牲者が出るのを覚悟の上で無理押しして落とす。

勝頼本隊は長篠城に留まり、馬場、山縣、内藤ら精鋭が織田、徳川軍と対峙し、長篠城一帯の山間の地形を利用しながら長期戦に持ち込む。

これなら勝てたのかな?

428人間七七四年2018/06/21(木) 21:34:39.44ID:9uXWXpR8
>>427
信玄時代にも力攻めしても長篠城落ちなかったし
砥石崩れを知っている宿将たちが本当に進言して実行するかは怪しい
明知城も高天神城も無理矢理力攻めで落としたわけ内応で落としてるからね
長篠から撤退案を進言したとされてるのが馬場だからな

429人間七七四年2018/06/21(木) 23:40:02.83ID:iu5wG77C
>>420
どこも戦争の結果を誇大宣伝するよ
織田とかも酷いだろう
当時の情報伝達手段は商人や僧侶の伝聞を記録したもの
実際の正確な情報なんて、勝てば官軍で勝者のやりたい放題なんだよ
つまり戦争をしたという事実させあれば、あとは情報戦で勝利することも可能
織田が有利なのは、堺を押さえていたこと。堺から全国に織田の力を宣伝することができる

現代でさえ、湾岸戦争やイラク戦争の正確な情報は分からない
日本や世界に伝わる情報はアメリカが流したもの
このアメリカの情報を信じることができるのか?
果たしてアメリカは本当の情報を世界に発信しているのか?

430人間七七四年2018/06/21(木) 23:52:43.35ID:cUK4yz/E
>>429
勝てば官軍でやりたい放題なら、織田やアメリカが勝者であることは間違いようがない
情報にリアリティを持たせるのは実績だからなぁ

431人間七七四年2018/06/22(金) 00:04:08.24ID:VEyvlhfb
例えば山県の赤備えは、実際は武田軍の広告塔で宣伝部隊
勝敗が決したあとに敗走する兵に追い討ち掛けるのが仕事
こうして逃げた敵の兵は自国に戻り赤備えの恐怖を伝え
武田はヤバイ強いと宣伝してくれる

そもそも赤備えは鎧や騎馬の割合からして金が掛かっていた
こういう部隊をいきなり戦に投入するとかないわけね

432人間七七四年2018/06/22(金) 01:11:34.90ID:bIcyQYHT
>>419
>当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ
その辺の割り切りのよさは
金ヶ崎の退陣、明智城救援、高天神城救援の時も同じように発揮されたな

武田は上田原の敗戦後、暫く現地に留まって負けてないと言い張るだの
村上が留守している隙に戸石城攻めて落とせずぐだぐだし続け、戻ってきた村上相手に戸石崩れ
第一次駿河攻めで北条相手に戦い続け最終的に退却だの
損切り苦手だな

433人間七七四年2018/06/22(金) 03:17:40.01ID:MwpnbRu5
>>426
落とせなくても最初の本陣である鳶ヶ巣砦から動かなければ負けることはなかった
太田牛一は川を渡ったことが敗因と指摘している
長篠城陥落は理想だけどそれを言うなら武田は5万動員すれば勝てたと言ってるようなもの

434人間七七四年2018/06/22(金) 10:16:56.14ID:LZ2foYJF
>>433
武田が5万も動員できた時期なんて一度もないはずだが。

435人間七七四年2018/06/22(金) 10:49:11.19ID:peahxGn/
>>432
諦めるとは損切り出来ること
織田はともかく武田程度の国が遠征を発令して「得られる物が何もありませんでした」で済むだろうか?

436人間七七四年2018/06/22(金) 11:04:56.41ID:LZ2foYJF
>>435
徳川家康も毛利元就も織田信長も勢力が小さい頃にそんなこと何回も経験しているけど。

437人間七七四年2018/06/22(金) 11:51:45.79ID:MwpnbRu5
>>434
いやそう言う意味じゃなくて理想を言うなら何でも言えるという意味

438人間七七四年2018/06/22(金) 13:33:43.87ID:1vLxlCbc
>>433
話の流れから>>406に言ってるんでしょ
二行目以降も読めよ

439人間七七四年2018/06/22(金) 13:45:34.53ID:xnx4bJbI
日に日に開いているからって、焦ったら負けでしょうに。

織田家中で内紛が起きるのを、あるいは織田信長が何かの病気で急死するのを待ち、それまではひたすら守りに徹して内政に力を注ぐ、というのは選択肢にないのかな?

440人間七七四年2018/06/22(金) 13:51:12.02ID:VApFwzJY
それただ差が開くだけじゃん

441人間七七四年2018/06/22(金) 14:09:09.04ID:1vLxlCbc
攻めるなら信玄の時みたいに信長包囲網で信長が動けない時に攻めろって話だな
包囲網作らずに単独で攻めても国力が既に違うからすぐに軍勢整えて来る

442人間七七四年2018/06/22(金) 14:11:37.39ID:cQAaoykV
>>439
信長が急死(急と言えるほど若くはないけれど)しても、すでに後継者の信忠が長じてる万全の体制だしなぁ
本能寺かてあれ親子と官僚団が軒並み消し飛んだからあそこまでの大事になったわけで、そのレベルのラッキーが起きるの待つってのは無理があると思う

443人間七七四年2018/06/22(金) 14:13:52.60ID:rvLU11nq
よく信忠が生きてたら安泰という人いるけど、いくらお膳立てしても本人の能力伴わなければ内紛勃発とか中世には腐るほどある話
少なくとも家臣の権力争いは始まるよ

444人間七七四年2018/06/22(金) 14:13:55.95ID:bIcyQYHT
>>435
信長は大勢力になる前から、損切りの決断早かったと思う
道三救援時の道三死亡後の反応、東美濃攻めや、河野島の撤退とか

445人間七七四年2018/06/22(金) 14:53:22.02ID:p3MxQeji
>>441
だからこそ敵本陣に信長がいると分かって我慢できなかったんじゃないの?

446人間七七四年2018/06/22(金) 18:02:29.03ID:1vLxlCbc
>>445
話が通じてないみたいだな

447人間七七四年2018/06/22(金) 21:36:59.66ID:mLD4+F9U
当初から武田の戦略としては、織田と戦う予定だったと思う。
ただし長篠城を落とすと織田は引いてしまうので、
織田をできるだけ引き付けておいて引くに引けない状況を作ってから
落とすつもりだったのでは?
一気に攻めれば落とせるはずなのに、落とすタイミングを狙いすぎて
落とせないまま織田と戦うことになってしまったのかも知れない。

448人間七七四年2018/06/22(金) 22:50:41.22ID:1vLxlCbc
>>447
なに、そのゲーム脳

449人間七七四年2018/06/22(金) 23:00:30.55ID:A0yS/Qgd
信長には陣城におびき寄せる餌があったとしか思えない。3万の兵士に鉄砲弾薬、陣城の資材とかなりの資金をかけてるし。引いたりしたらこれらが全部無駄になる。

450人間七七四年2018/06/22(金) 23:06:24.03ID:mLD4+F9U
>>448
アナタハバカデスカ

451人間七七四年2018/06/22(金) 23:51:31.55ID:mLD4+F9U
>>448
武田の立場に立って想定を考えれば十分あり得る。

長篠城を攻めれば織田が援軍に来ること→想定内
長篠城を落とせば織田が引くこと→想定内
長篠城が落とせなかったこと=織田の援軍が間に合ったことを意味する。
それ以外の理由で長篠城が落とせないことは想定外
史実→武田は打って出て大敗
理由:織田の兵力が想定外だったこと

つまり武田の長篠城攻略の本当の目的は織田と戦うことだったことも考えられる。

452人間七七四年2018/06/23(土) 00:13:21.31ID:JKcia7LN
>>451
兵力が想定外なあ。
織田信長が自ら出陣してて2万以下なんてあり得ないと思うんだが。
情報収集以前に、そのくらいの予測は普通はしないか?
仮に織田が2万でも、徳川と合わせたら3万弱。
これで野戦(ほとんど攻城戦)で1万5000の武田が勝つつもりなら、余程自らの強さを過信していたとしか思えない。

453人間七七四年2018/06/23(土) 00:19:39.95ID:h12r6wX7
>>451
・この時代、城を取ることは最優先
・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である
・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である
・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、その後に家康が改修済み
・長篠城を落とさずに信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは
歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>302の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ

・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然
陣城完成した後に佐久間が誰かが内通約定を持ちかけた説のがまだ自然である

454人間七七四年2018/06/23(土) 00:50:06.86ID:AF6dlGNu
>>453
>>信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは

そうではない。織田との戦いを狙っていたとしても優先順位は長篠城を落とすことが大前提だったと思う。
早く落とすと織田軍は引いてしまうので、タイミングを計っていたのではないかということ。
長篠城は一気に攻めれば落ちてた。
勝頼としても信玄が落とせなかった城を落としたとなれば武田内の発言力も増すだろう。
にもかかわらず、時間を要したのは織田との決戦のためで鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば
予想外に長引いてしまったので武田側のあせりからだろう。

455人間七七四年2018/06/23(土) 00:59:22.45ID:h12r6wX7
>>454
明知城も高天神城も信長の援軍が来る前に落としてるのに長篠城だけは違うと言っても説得力はないよ

456人間七七四年2018/06/23(土) 01:04:33.01ID:etSefuj+
>>455
その二つを落としても勢力図に影響与えるには不足だったからこそ今回は決戦を志向したとも言えるじゃん

457人間七七四年2018/06/23(土) 01:09:01.72ID:h12r6wX7
>鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば

鳥居の話は疑うくせに歴史学者でもない小説家の戯言は真実と思ってんのか?

458人間七七四年2018/06/23(土) 01:12:51.50ID:etSefuj+
>>457
鳥居の話は個人的には創作だと思ってる
そもそも射程距離外から声出して聞こえるのか?wって読んだ時思ったわ

459人間七七四年2018/06/23(土) 01:22:03.60ID:etSefuj+
>>453
>>451
>・この時代、城を取ることは最優先

遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
勝頼の頭の中は決戦決戦

>・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
>そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である

信長記の記述ガン無視?

>・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である

小田原攻め〜三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ

>・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、

無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる

>歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>302の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ

所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
被害出せば落とせたかどうかまではわからん

>・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然

長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た

460人間七七四年2018/06/23(土) 02:04:38.28ID:jnWw3P1V
>>458
磔されたという場所から長篠城の端まで距離にして50メートルちょい城の中心までも100メートルちょいだから川の音が多少煩くても
普通が声ぐらい届くんじゃないか?
山彦とか考えるとキロ単位で声が届いてるんだし

>>459
東三河吉田城攻め75年説採るなら、それなりに遠征していると思う
関東攻めに比べればマシだけど

461人間七七四年2018/06/23(土) 02:07:02.32ID:h12r6wX7
>>459
>遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
>勝頼の頭の中は決戦決戦

明知城や高天神城も信長の援軍が来る前に内応で落としてるので、長篠も佐久間の内応で勝てると思ってる進軍したって方が自然


>信長記の記述ガン無視?

>>368の戦力分散で手薄に見せるために隠したって方が妥当
岡崎から兵を隠すのは不可能、そして後何日で到着するのかの偵察しない設定は無理がある
佐久間の内応の約束があれば兵力が劣っていても勝てる勝算が出るので自然である


>小田原攻め〜三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ
>無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる

長篠城は信玄期でも力攻めで落とせたことは無く、その後に家康が改修し>>302で鉄砲隊と大鉄砲に阻まれたり、
長篠城は武田の攻撃による損傷が激しく長篠後に廃城になったんだけど?

>所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
>鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
>被害出せば落とせたかどうかまではわからん


その伊藤某は長篠城は土豪の城だから堅城ではなく、信玄がかつて落としてるから落とせないわけがないと間違った認識してるからな
城は深い水堀と鉄砲隊による防御力は伏見城や大坂城ですぐ落とすのは困難だと証明されてる
そして信玄は力攻めで長篠城は落としてなく説得で開城させている

>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た

長篠城周辺は道が狭いから決戦はできないのに
勝頼は長篠城周辺で待っていたのは矛盾が生じるが?

462人間七七四年2018/06/23(土) 02:18:56.09ID:jnWw3P1V
佐久間の内応は不自然すぎるだろ
後の佐久間の追放からの創作だろ

当時の佐久間は織田家トップで信長からの信頼も厚いし、
仮に裏切っても領地が織田領国に分散しているから、
この一戦で織田家崩壊レベルにまでならないと
徳川が武田に併合される間に周りから攻められて領地失うだけで先が無い

>>459
>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
織田本隊は後方にいたけど、徳川羽柴丹羽滝川は長篠城近くまで進出して馬防柵築いて陣を敷いてる

463人間七七四年2018/06/23(土) 02:28:58.90ID:h12r6wX7
>>462
勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
明知城や高天神城も内応で落ちたために偽の内応約定を信じてしまった
二度あることは三度あるとね

464人間七七四年2018/06/23(土) 02:34:16.67ID:jnWw3P1V
>>463
>勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
それを理解した上でのレスだったんだが……

明地城や高天神城の時とは裏切る人間の状況が違い過ぎる
佐久間でなく東濃辺りの人間とか徳川家臣が内応なら可能性としてはあり得るので
武田も信じるだろうけど
佐久間じゃ荒唐無稽で武田が信じるとは思えない

465人間七七四年2018/06/23(土) 02:51:08.05ID:h12r6wX7
>>464
佐久間は三河まで兵糧持ってきたり
現地調査したりして信長に報告してるし
対浅井朝倉の時に信長を激怒させてるのは信長公記にも書かれてるからな
織田の三河&対武田担当だから逆に武田との接点が一番ある

466人間七七四年2018/06/23(土) 03:58:25.16ID:qQhLkrvw
>>455
高天神は何のこと言ってるのか意味不明。
明知は内応で落としたようなものだから、長篠城とは違うよ。

467人間七七四年2018/06/23(土) 04:14:44.39ID:h12r6wX7
>>466
高天神城は小笠原の内応で落ちた
明知城も内応
長篠城は信玄時代にも力攻めで落ちてはいない
そして長篠の戦い時の長篠城は家康が改修をしたのに加え
鉄砲隊がおり、城は勝頼に妻子を処刑された奥平が守っている

468人間七七四年2018/06/23(土) 11:07:05.55ID:fBRrFwVt
岡崎に数万いたとしても一瞬で戦場に集まれないよね
戦国期の街道は東海道でも道幅が狭くてくねくねとした道
東山道も同様だったので信長は安土城下に軍用道路をわざわざ作ったほどだし北条も武蔵攻略のために中原街道を一直線に整備して軍用道路にした
現代や江戸時代の東海道と一緒にすべきではない
武田からしたら長篠城の何キロも手前で進軍を止めた
後詰の救援としてはありえないほど不自然
織田に何らかの問題が起こったとみて隙をつこうとしたことは十分に考えられる
信長は作戦通りだったのかもしれないが

469人間七七四年2018/06/23(土) 11:46:01.96ID:HghPXaiM
長篠の戦いで陣城に突入したのは阿呆というが擁護出来る点はある
大規模かつ短期にこんな備えを用意した例が過去にない事

第一次大戦すら初期は機関銃を前に正面突撃を命じられた
(これは日露戦争の日本軍の人海白兵突撃で要塞を落とした事を参考にしているが…)

470人間七七四年2018/06/23(土) 12:54:38.66ID:h12r6wX7
隙を突こうと考えるなら陣城が完成する前に総攻撃するでしょ
陣城がほとんど出来上がった後に隙を付けるわけがない
隙を突くのが目的なら偵察を派遣して陣城出来上がってる報告を受けたら設楽原に向かう途中で引き返すわ

471人間七七四年2018/06/23(土) 14:34:11.11ID:sc16gBnk
織田の総数を過小評価。で、
陣城から織田をおびき出すのに、
ある程度接近して挑発。
そしたら後ろに回られ退路を
断たれる。ヤバイ、取り敢えず
前の敵を打撃した上で後退すべく
攻撃。三増峠の戦いの再現を
目指したが、火力に粉砕されて
壊滅…というのが実態じゃないかと。

472人間七七四年2018/06/23(土) 14:36:06.84ID:sc16gBnk
https://www.youtube..../watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

473人間七七四年2018/06/23(土) 15:28:45.25ID:RloY0GYy
ガタルの一木支隊か旅順の第一次総攻撃やらかしたんだろ。こっちの都合だけで敵さんの言い分は考えずに。

474人間七七四年2018/06/23(土) 17:00:16.85ID:qrM+d/jx
>>470
長篠城から何キロも西に陣城構築されても脅威と思わないだろ
長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ

475人間七七四年2018/06/23(土) 17:51:13.84ID:y6BnnDFT
>>469
司馬史観乙

乃木軍は第一次総攻撃で正面突撃が機関銃陣地に対して無力と判断し、以降は砲撃とともに塹壕を掘り進める
正攻法に変更した。
大本営は乃木軍に対して時間がかかりすぎると総攻撃を支持したが、乃木はこれを無視。
児玉も同意して、正攻法を続けた結果、攻城砲や空爆が無いことを考えると非常に少ない犠牲で攻略に成功し、
各国とも数年は耐えられるはずのはずの要塞が数か月で陥落したことに驚愕した。

乃木軍への評価が非常に高まった結果、奉天開戦において乃木軍を警戒したクロパトキンは、過剰な戦力をふりむけ
つづけることとなり、日本軍勝利の原因の一つとなった。

日露戦争の観戦武官達は欧州に帰って、歩兵の横隊突撃や騎兵突撃は機関銃に対して無力だと報告したが、
諸国の上層部は辺境の特殊事例だとしてドクトリンを変更しなかった。
その結果、第一次世界大戦において、一日で旅順を上回る被害を各国は蒙ることになった。

476人間七七四年2018/06/23(土) 18:11:05.33ID:h12r6wX7
>>474
隙を突くならって言ってるだろ
陣城できあがってたなら相手の準備は万端で隙を突けないだろって話な

477人間七七四年2018/06/23(土) 22:21:40.92ID:jnWw3P1V
>>465
接点があるって言っても領地の問題から佐久間が裏切ってもメリットがほとんどない
一応佐久間の領地は尾張南東だけども武田の間に徳川領あるし
南近江や畿内の利権もある
他の内応した連中みたいに領地の安堵や替え地の用意は不可能に近い
それどころか長篠で武田が勝っても佐久間は領地ほぼ失うような状況
こんなやつが内応言っても信じないだろうって話


前波みたいな例もあるが武田と織田じゃ織田の方がはるかに上だからなー

>>469
有海原の陣城は多分普通に落とせたからその感覚で設楽ヶ原まで出ちゃったとか

>>474
>長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ
実際陣地構築されて壊したんじゃ、でそのまま追い込んで行ったら設楽ヶ原まで行ったと

478人間七七四年2018/06/23(土) 23:03:19.92ID:h12r6wX7
>>477
長篠の戦いの前年に足利義昭より水野信元と徳川家康に
武田勝頼と協力して信長を討伐せよと言う書状が来ているから逆に利用したんだろう
水野はその後に佐久間に武田との内通を報告され処刑されてるからいくらか武田との繋がりは持ってたろうし
佐久間も対浅井朝倉で信長に口答えして激怒させてるからそのことを水野が旨く書けば信用したんじゃないか
明知城も高天神城も内応で落ちたから勝頼も調子に乗ってたろうし
長篠の戦いでも左翼と右翼が同時に動かずに左翼は徳川家康を攻撃したが
佐久間と水野がいる右翼は同時に動いてないし

479人間七七四年2018/06/25(月) 00:15:15.93ID:n010Jec3
武田は軍議で結論を出すというある意味、当時最も民主的な軍隊だったのかもな。
しかしそれだと時間もかかるし、皆、完璧な情報を持っているわけでもないし、
それぞれの国人領主の都合もあるから混乱しがちでまとまりにくい。
当時はむしろ、信長や謙信のように強い仕切り力のある人間がそのカリスマ力で、
機敏に動いた方が有利だったのかも知れないな。
長篠当時は勝頼にある程度の発言力はあったけど、カリスマとまではいかなくて、
陣城ができる前に攻める策を軍議の雰囲気を押し切ることまではできなかったようだったからね。
信玄でも軍議の大勢を押し切ることができたかどうかは微妙だったと思う。
信玄・勝頼ともに、鶴の一声。とはならなかった。
長篠だけに限らず最終的には、そのことが武田が滅びた原因だと思う。

480人間七七四年2018/06/25(月) 00:22:48.31ID:dZbiYUZC
>>479
その軍議の様子をなぜおまいが知ってる?

481人間七七四年2018/06/25(月) 00:31:31.89ID:/jZQN67R
謙信・信長もそんなカリスマないよ
しょっちゅう国人衆だの譜代家臣だの寝返ってたり謀反したりしてんじゃん
大勢力になればなるほど、離反したところで利がないから減ってくるってだけで
1地方の領主レベル(毛利・武田・上杉クラスでも)じゃ
常に国人の機嫌伺いながら軍議するしかないわけで

482人間七七四年2018/06/25(月) 00:52:34.81ID:n010Jec3
信長や謙信はいちいち軍議やったんでしょうか?
時には、やっただろうけど、特に信長はワンマン社長のイメージがある。

483人間七七四年2018/06/25(月) 03:27:19.52ID:/jZQN67R
割とマメに国人衆にお手紙出したりしてるよ信長は
それでも松永だの荒木だの別所だの離反されてるわけで

484人間七七四年2018/06/25(月) 07:36:20.07ID:70iU/iX/
決戦

485人間七七四年2018/06/25(月) 07:40:44.76ID:70iU/iX/
>>226では勝頼や重臣は撤退したかったが言い出せなかった

>>321では山県や馬場は撤退を進言した

>>398では国衆は褒美貰いたさに交戦を望んだ

>>399では勝頼は決戦を決め、武田内部から撤退したら引退勧告されるくらい決戦を求められた

>>479では軍議で家臣たちは決戦否定してたから行動が遅れた


いい加減、勝頼と武田重臣たちの立ち位置を決めとけよw

486人間七七四年2018/06/25(月) 08:15:16.50ID:SBpqCVc1
>>485
軍議の様子は後年の編纂物ばかりで、
実際にどの様なやりとりがあったのかは、
推測の世界に過ぎない。

当時の一次史料からはっきり
わかるのは、勝頼自身が非常に
強気であったという事だけだよ。

487人間七七四年2018/06/25(月) 11:48:38.54ID:sRwFXB/R
>>479
仮に陣城ができる前に攻撃しても、武田軍15000以下で織田、徳川連合は3万8000。こんな絶望的な兵力差でどうやって勝つというの? 作戦もない正面突撃で。

2万3000も兵力差があって、作戦もなくまともにやって勝てるわけないよ。勝頼は戦勝続きで自惚れていたとしか思えない。

488人間七七四年2018/06/25(月) 11:50:34.87ID:70iU/iX/
>>486
勝頼無能説は有力だろうな

489人間七七四年2018/06/25(月) 14:55:45.74ID:hzJmhsh+
織田は腐った建物のようなものだ。引戸を一蹴りすれば崩壊する。

490人間七七四年2018/06/25(月) 17:13:35.18ID:/jZQN67R
>>487
自軍より多いだろうなってのはわかっても
そこまで戦力差があるとか、その率いてきた敵軍がどれだけどこに集まっているかなんて
当時の人間に完璧に把握できるわけない
何も遮蔽物のないだだっぴろい平野に両軍ズラーっと並んで対峙してたとでも思うのか
今川義元だって自称3万という軍を率いてきたが軍を分散して攻略中に本陣正面から急襲されてやられただろ
不利だとしても何の戦果も出さずに撤退するってのは難しいだろ
みんな軍費かけて出陣してきてんだから
ある程度博打になるのは仕方ない
大軍率いていて何の戦果も上げずにリスク考えて引き返すなんて
肥大化した織田家クラスの金銭収入がないと無理

491人間七七四年2018/06/25(月) 22:10:13.22ID:xWhJEwXU
川中島の戦いだってさ何も得ないで帰ってきたときもあるだろうに、
その時は碁石金で部下を黙らせたのかな?

492人間七七四年2018/06/25(月) 22:39:06.69ID:n010Jec3
>>490
何の戦果も出さずに撤退するリスクと
実際に戦いを挑んで負けるリスクと、どちらが負担大でしょうか?
例えば案外、三方ヶ原時の家康は負けてでも打って出ないと更に損失が拡大したように
考えられる。

493人間七七四年2018/06/26(火) 00:43:39.01ID:XDP4PhTL
実際、信玄も信虎追放で担がれただけだった
クーデターで主導したのは武田一族の国人の板垣甘利飯富
当初の信玄はお飾り主君
上田原で板垣甘利が死んでやっと大名として動けるようになった
飯富が義信の側近になったのを見ても武田の組織がどういうものかよくわかるだろう

こういう武田で勝頼はどの程度、発言力があって政治をできたのか?
軍義は勝頼どうこうじゃなくて決戦派と撤退派で揉めていたと思われる
要は戦争の最中でも派閥争いをしていた
これはよく話されている内容でしょう

494人間七七四年2018/06/26(火) 01:33:05.78ID:EArGTvzo
>>493
その話でいくと勝頼の頃には板垣飯富は粛清して、甘利は代替わりで弱体化してるから武田家当主の力は強かったということにならないか?
そう考えると軍議について跡部、長坂対その他で意見が分かれて、勝頼の意向が強いから決戦に行ったというのはそれほど違和感がない

495人間七七四年2018/06/26(火) 01:52:22.99ID:PGLt+g+n
>>492
当時の勝頼は特にそこまで追い詰められていなかったので、
普通に古府中に撤退していれば問題なかった。

496人間七七四年2018/06/26(火) 03:07:17.78ID:PGLt+g+n
>>492
三方ヶ原時の家康は戦わなければ崩壊していたと思う。
長篠時の武田はそこまでではなかった。むしろ信玄時代より勢いはあったということだが、
負けたあとの落差が酷過ぎなんだよな。
もう、ほとんど完敗で命からがら古府中に逃げ込んだようだからな。

497人間七七四年2018/06/26(火) 06:42:01.72ID:rhzhm77Y
勝頼は信玄が落とせなかった高天神城を落として調子乗ってたって話もあったな
書状にも突撃する気満々だったし
討って出ないと崩壊するとか考えずに勝頼はただの猪武者なだけだったでしょう

498人間七七四年2018/06/26(火) 07:37:52.72ID:VdiHP5QZ
>>497
高天神城を落として調子に乗った、は甲陽軍鑑の記録です。この際に高坂昌信が「これは滅亡の兆し」と述べたとも書かれています。

これが事実なら、勝頼がイケイケだった甲陽軍鑑の記録は信頼性があることになります。

499人間七七四年2018/06/26(火) 07:56:40.62ID:rhzhm77Y
>>498
一次史料の書状で勝頼がイケイケだったのは事実なんだよなぁ

500人間七七四年2018/06/26(火) 08:50:29.18ID:Xg44fbbI
>>499
5月20日の書状ですね。
確かにあれはどちらかといえばイケイケ。
ただ気になるのは、勝頼がイケイケなら、家臣が反対してもそれを押さえられるくらい当主として権力が強かった、と理解していいのでしょうか?

501人間七七四年2018/06/26(火) 08:54:02.22ID:K8J11rZI
>>492
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。

502人間七七四年2018/06/26(火) 09:00:58.38ID:85or7Ssd
家康の場合は、家臣も武田になびいても冷や飯食い間違いないしむしろ尖兵として織田と戦わさせられた今川時代に戻るの間違いないし、家臣は家康支えるのに必死だよ

503人間七七四年2018/06/26(火) 09:12:40.39ID:K8J11rZI
>>492
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。

504人間七七四年2018/06/26(火) 19:42:22.72ID:PGLt+g+n
織田の援軍が間に合って長篠城を落とせなかったが、
それで、もし武田が退却していたら、
武田、或いは勝頼にどのくらいのマイナスがあっただろうか?

505人間七七四年2018/06/26(火) 20:26:34.73ID:rhzhm77Y
北条や徳川との戦いも決戦は避け、お互いに対峙しては兵を引くの繰り返ししてるからな
武田軍は退くと崩壊するみたいに妄想してる人がいるだけ

506人間七七四年2018/06/26(火) 20:39:00.94ID:85or7Ssd
武田は、勝頼は置物ですから。

507人間七七四年2018/06/26(火) 20:41:48.80ID:rhzhm77Y
>>506
勝頼が長篠の戦いにイケイケだったのは書状から確定してますから

508人間七七四年2018/06/26(火) 21:26:19.84ID:exvSi4QL
>>504
1540年に尼子晴久が吉田郡山城の戦いで吉田郡山城を落とせず、大内義隆の後詰のために敗れた時くらいの被害じゃないかな?

509人間七七四年2018/06/26(火) 21:41:05.32ID:PGLt+g+n
>>505
対峙してるだけで両軍引き上げるのは引き分け。
城落とせなくて、援軍が来たから引くのは逃げたも同然。
影響は逃げたけど負けではない。くらいのマイナスなのか、
それとも1万5千で城を落とせなかったから事実上の負けくらいのマイナスなのか。

510人間七七四年2018/06/26(火) 22:04:55.55ID:rhzhm77Y
>>509
長篠直後に城を徳川に何個も落とされてるけど崩壊しなかったけどな
それなのに退くだけで崩壊するとか滑稽すぎるw

511人間七七四年2018/06/26(火) 22:14:43.48ID:8C/ailRv
信長「勝頼は俺を見ただけで逃げ出したクソ雑魚www」
公家衆「まじかよ!日記に書いとこ、武田はクソ雑魚wwっと、地方大名にも武田はクソ雑魚って手紙書いとくか」

後世の俺ら「武田(勝頼)はクソ雑魚」

ってなりそうだけどな

512人間七七四年2018/06/26(火) 22:17:58.39ID:rhzhm77Y
>>511
長篠の大敗での当時の武田の糞雑魚っぷりより評価下がることはないと思うよw

513人間七七四年2018/06/26(火) 23:19:06.18ID:n9Ugkyt5
>>508
たしかに天文9年の吉田郡山城の戦いは参考になるかもね
吉田郡山城を囲んで小競り合いしながら後詰めに出てくる大内との決戦を狙っていたようだし
この前NHKでやってた千田さんと資料館の人が陣地を探索してたけど尼子が想像以上に大規模だった可能性が指摘されてた
尼子大内間の戦争が各地で繰り広げられてたのと同様に足助や美濃方面でも攻防があったから織田武田両軍が主力の割り振り方によっては決戦が起きなかったかもしれない
でも実際は両軍とも主力をぶつけて決戦する気満々だったし実際に決戦になった
漫画だけどセンゴクの長篠編で信長と勝頼が決戦を望んでる書状を並べて紹介してたのは素晴らしいと思った

514人間七七四年2018/06/27(水) 00:06:51.21ID:DHgF8s9b
http://i.imgur.com/zpJvSvK.jpg
設楽原まで行ったから織田徳川軍との距離が近く逃げられないから被害が出た
そして史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて北になったからさらに被害が出た
設楽原に行かずに織田との距離があって織田が陣城築いてるうちに
武田は夜から撤退準備始めて最初から東に退路を取って来た道を帰っていれば余裕で退却できた

515人間七七四年2018/06/27(水) 00:22:24.99ID:tgPN0qTT
第4次川中島も実際は上杉軍が退却を開始したが霧のせいで方向を間違えて下山して
武田軍と偶然遭遇しの大事故の可能性もある
両軍大混乱に陥ったから信玄と謙信の一騎討ちは本当にあった可能性が高い

長篠・設楽原も両軍、実際は戦う気がなかった可能性もあるよ
川中島も実際は不慮の事故だったのを、創作して戦国随一の名勝負になった

長篠も織田は戦闘を避け威嚇程度で終わらせるはずだったとか
武田軍も実際、戦う意思があったのか?

日本に限らす中世の戦争は一つのミスの大事故のせいで起きたものが多い

516人間七七四年2018/06/27(水) 00:25:33.82ID:tgPN0qTT
退路は北だろう
だから武田軍は勝頼本体を安全に退却させるために
織田徳川が前進してこないように押し込む必要があった

要は退路を作るための突撃の可能性も高い

517人間七七四年2018/06/27(水) 00:27:43.32ID:rNwMGtTU
いいや、長篠は信長も勝頼も書状で戦う気あるの明らかだよ
具体的には信長は酒井別働隊により包囲殲滅することを書状で書いているし、勝頼はこちらから決戦挑むと書いていて実際そうなった

518人間七七四年2018/06/27(水) 00:34:03.94ID:rNwMGtTU
>>516
すぐ撤退するなら東からさっさと撤退出来る
追撃があるというなら長篠城の辺りにある砦に殿を置けば何の問題もない
そうしなかったのは言うまでもなく勝頼が決戦を志向したからだ

519人間七七四年2018/06/27(水) 00:48:06.78ID:DHgF8s9b
>>516
退路は東だぞ
北の退路は険しい山道で大軍が殺到して退却できる道ではない

520人間七七四年2018/06/27(水) 06:53:43.92ID:CGNA+xSi
>>510
文章をよく読めよ。
>>509は引いたら崩壊するなんていってない。
退却した場合の影響はどうかを言ってる。
例えば、退却したら、織田・徳川・ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
こないとも限らない。
追撃戦で武田にある程度の被害がでたら、武田は負けたと風評される可能性もある。
信長のことだから手取川の時よりも過大に風評されるかもしれない。

521人間七七四年2018/06/27(水) 06:56:50.27ID:CGNA+xSi
それと勝頼の求心力がどれくらい低下するのか。
城も落とせず逃げてしまったわけだからね。

522人間七七四年2018/06/27(水) 10:50:34.52ID:w+WMrPnT
>>521
尼子晴久が吉田郡山城攻めに失敗して出雲に逃げ帰った結果。

安芸武田氏は尼子晴久の支援を受けられなくなり、大内義隆と毛利元就に攻められて滅亡。
しんがりを務めた尼子久幸が戦死。
安芸、石見、備後の国衆の大半が大内義隆に寝返る。

ということになっている。

これを一列にするなら、

三河の国衆が徳川家に寝返る。
東美濃の国衆も動揺し、寝返る可能性大。
遠州方面は不明。寝返りも多少はあるか?
長篠から撤退する際、しんがりを犠牲にする必要がある。つまり幹部武将数名と、2000から3000の死傷者が出るのは覚悟しないといけない。

これくらいかな?

523人間七七四年2018/06/27(水) 13:10:21.06ID:DHgF8s9b
>>522
>>514をよく読みなさい
・設楽原で被害が出たのは織田徳川軍との距離が近かったため
・本来の東の退路を塞がれ、挟撃される形となり退路が北の険しい山道になったため

織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上に長篠周辺は道が狭いので守りやすい
信長公記にも設楽原に来なければ信長はどうしようもできなかったと言われる
距離は十分にある

一応言っておくが吉田郡山城の戦いは両軍お互いを攻撃しあって距離を詰めていたからな
そして雪に退路を阻まれてたのもある
設楽原と同じ状況な

524人間七七四年2018/06/27(水) 13:25:35.94ID:w+WMrPnT
>>523
いくら夜でも、1万5000の大人数が隠密裏に撤退なんかできますか?

そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?

しんがりを置かずに撤退できますか?

距離があるとはいえ、無傷で撤退ができるとは思えません。

525人間七七四年2018/06/27(水) 13:30:52.88ID:+7oaapb7
>>524
織田は設楽が原から動こうとしてなかったし、山で大軍の移動は無理
追撃するかも怪しいし、砦に殿置けば撤退は余裕でしょう

526人間七七四年2018/06/27(水) 13:42:54.65ID:DHgF8s9b
>>524
長篠城周辺は狭く大軍で戦えないから設楽原という拓けた場所に信長が陣城築いたのももう忘れたのか
そして勝頼が設楽原にこなければ信長はどうしようもできなかったと信長公記にも言われてたのも忘れたのか?

527人間七七四年2018/06/27(水) 13:55:23.20ID:DHgF8s9b
>ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
>こないとも限らない。
>そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?


長谷堂城の戦いでは撤退する上杉軍を籠城側の最上軍が追撃したら返り討ちにあった話を知らないのかな?
数百しかない奥平の兵が追撃したら返り討ちだろう
むしろ追撃してきた奥平をそれで戦死させれば長篠城を落とせる可能性すらある

528人間七七四年2018/06/27(水) 15:03:55.43ID:JVJttnpV
明らかに劣勢だからこそ目の前に敵の総大将が戦場に出てきて陣を築き始めたら主戦派の強行意見が通るものだよ

529人間七七四年2018/06/27(水) 16:44:54.48ID:CGNA+xSi
>>527
奥平が単独で追撃できるわけないだろ。
織田・徳川に加わってと書いてあるだろう。
申し訳程度で50〜100人くらいかもしれないしれないけどな

530人間七七四年2018/06/27(水) 17:34:27.43ID:+7yht7Vl
>>523
>織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上
何度か書かれてるけど信長公記によるなら織田徳川は距離詰めてきてる。
織田徳川全軍が設楽原でずっと待ってたわけじゃないぞ

531人間七七四年2018/06/27(水) 19:44:19.37ID:DHgF8s9b
>>529
>>とりあえず>>514見ろ
長篠城周辺は狭く織田徳川の大軍がいきなりワープはできないだろ?

>>530
誘き寄せるために行ったのか河を渡らず交戦記録も無いけどな
信長公記をいうなら河を渡らず設楽原に行かなければ
信長はどうすることもできなかったと言うのも考えなさい
大軍を活かせるのが設楽原しかなかったんだから

532人間七七四年2018/06/27(水) 19:58:24.43ID:tnYZl+Pd
信長って刀根坂で朝倉を自ら追撃して壊滅させたノウハウがあるけど。

刀根坂もそんなに広くないけどあのざまだし。
そもそも、長篠周辺は敵地。それに大軍の利を生かせられないのは武田側も同じ。
織田、徳川が追撃してきたら、武田側はやはりしんがり部隊と他の部隊との連絡がとれるのかなあ。
攻める方と守る方の違いもあるし。

533人間七七四年2018/06/27(水) 20:12:57.76ID:/7P6piwE
そもそも援軍と城兵に挟まれた時点で武田が有利な戦場を選ぶ事は殆ど不可能
古今東西敗北必至の負けフラグ
救援軍が攻城軍の兵的劣勢を覆す例なら数多くあるが、
攻城軍の2倍の援軍が到着して攻城軍が勝利した例があったら教えてくれ

備中高松城水攻めはなしね
あれは城側が打って出れないから

534人間七七四年2018/06/27(水) 20:20:20.36ID:DHgF8s9b
>>532
刀根坂の戦死者数は誇大だけどね
しかも最初から風雨に紛れて信長自らが追撃することを目的に進軍して距離を詰めてるから
長篠の時の信長は陣城築いてそこから動かなかったから長篠とは全く違うんだけどな

535人間七七四年2018/06/27(水) 20:21:13.07ID:/7P6piwE
>>532
逃げるって事は兵卒は壊走するから士卒が踏みとどまって指揮して戦う
そうなると踏みとどまる士卒はどうしても戦死率が跳ね上がる

つまり武士階級の損耗が著しく増える
長篠の戦いは士卒の戦死率が尋常じゃない
例えば山縣戦死とみれば山縣を護衛していた武士階級も壊滅したと見るべきでその損耗は尋常ではない

536人間七七四年2018/06/27(水) 20:21:34.50ID:tnYZl+Pd
>>533
武田軍ってそもそも、砥石城で自軍の3分の1の村上軍に手痛い敗北しているんだよね。城側と後詰に挟まれた形になると兵力に関係なく、精神的な圧力が大きいのかなあ。

537人間七七四年2018/06/27(水) 21:05:25.73ID:+7yht7Vl
>>531
勝頼の書状と信長公記の記述から単純に考えるなら
対岸の有海原に布陣していた織田徳川軍を設楽原まで押し詰めていった、になるから
普通に戦いはあったんじゃないか?

538人間七七四年2018/06/27(水) 21:30:28.69ID:DHgF8s9b
>>537
たぶん勘違いしてるんだろうが
信長公記にも先陣は徳川家康が務め、ころみつ坂上の弾正山に陣を取った
ころみつ坂は設楽原と有海原の間な
対岸ですらない

539人間七七四年2018/06/27(水) 21:33:04.45ID:nynTRyq6
有海原をどことするかだな、狭い意味なら長篠城対岸だけど、有海原周辺とするともう少し後方も含む

540人間七七四年2018/06/27(水) 21:36:31.63ID:+7yht7Vl
>>539
有海原に打ち上げって書くぐらいだし
設楽原からは抜けてるんじゃ?

541人間七七四年2018/06/27(水) 21:37:26.51ID:DHgF8s9b
>>539
ころみつ坂は現存するからその上の山だからもう場所は限られてる

542人間七七四年2018/06/27(水) 21:43:29.07ID:wrcUFA/g
>>527
長谷堂って全然返り討ちになってないぞ。上杉は兵隊溶かしまくって、なんとか逃げただけ。
義光が撃たれたのは流れ弾に近い。
で、その後、上杉が何もできずに逃げ出した庄内地方を丸々最上が占領したわけだ。

543人間七七四年2018/06/27(水) 21:45:42.41ID:nynTRyq6
>>540
まあ勝頼に打ち向かいだから設楽が原よりは長篠城近くまで行っていたと考える方が自然だとは思うが

544人間七七四年2018/06/27(水) 21:46:29.40ID:JnCLIWgn
>>542
敵中で敗走してる相手に譜代にろくにダメージ与えれない時点で朝倉義景並の無能追撃だぞ

545人間七七四年2018/06/27(水) 21:54:56.29ID:DHgF8s9b
>>542
追撃したが最上にも損害が出て最終的には籠城戦が帳消しになる失態だぞ
殿軍の直江が称賛されるぐらいに

546人間七七四年2018/06/27(水) 22:02:34.66ID:tnYZl+Pd
>>544
兵力差を考えよう。
上杉は2万。最上は6000。
これで追撃してるんだから、敵の首脳は逃げれるだろう。
しかも会津にはまだ無傷の数万もいたし。

547人間七七四年2018/06/27(水) 22:05:19.19ID:h6byMNMK
じゃあ勝頼はどこで織田徳川有利な状況で戦えたのかな?
せっかく織田本人が出張ってきたこの時こそ、乾坤一擲の勝負だったはず。

548人間七七四年2018/06/27(水) 22:13:16.84ID:d1I1kFgO
長篠の戦いを決断した勝頼を批判するなら、
織田徳川連合(北条も含む)と、どこで決断出来たか
ご提示くださいませ。

549人間七七四年2018/06/27(水) 22:25:33.99ID:rNwMGtTU
小牧長久手の戦いの家康みたいに基本守りを固める

550人間七七四年2018/06/28(木) 00:11:21.00ID:rTpM5HjD
三増峠の戦いは一応は武田軍による小田原城攻城失敗からの甲斐への撤退
北条の後詰軍による追撃戦だからそれを参考にするのが良いんじゃね?
山県とか当時の重臣が生きてるなら可能

551人間七七四年2018/06/28(木) 02:35:20.38ID:oj5or28S
>>481
しかし、織田軍・上杉軍で、もし設楽原での穴山のような行動は絶対に許されないでしょ。
徳川でも許されない。
その他にも勝手に戦線離脱した隊もあった。
実は勝頼は武田内でも舐められていたのかもしれない。
仕切り力・カリスマ力は信長・謙信・家康に遠く及ばなかったのかもな。

552人間七七四年2018/06/28(木) 16:11:15.43ID:ryN4v0TX
だからこそ劣勢でも決戦に傾くものだよ人間というものは

553人間七七四年2018/06/28(木) 20:45:45.23ID:mljD4Ny6
>>548 決戦を徹底的に避けて、精強な武田軍という抑止力を維持するのも戦略。

554人間七七四年2018/06/28(木) 21:13:39.76ID:j0ve3VDX
そもそも長篠城を攻める必要があったのか?
平地の多い遠江方面から攻勢をかけるべきだった。
確かに長篠城奥平は武田から徳川に寝返ったが、武田方の国衆を守るなら国衆の城に援軍を置いておけば良かっただけ。
遠江方面で戦えば徳川も奥三河に兵を出せないし。

555人間七七四年2018/06/28(木) 21:24:05.42ID:XaJfgrwx
>>546
しかも籠城戦に至るまでの間、各地で小競り合いをしてじわじわ痛めつけられた後の6000だからな。
関ヶ原でけりがついたといっても、兵力を背景に和平交渉してから帰ればいいのに、
ビビっちまって庄内地方を投げ出した直江さん、さすがパネェっすwww

556人間七七四年2018/06/28(木) 21:24:33.99ID:oxDt6yP+
長篠は一応遠江北三河に通じる交通の要所

557人間七七四年2018/06/28(木) 21:57:17.05ID:rTpM5HjD
>>555
さっさと兵を退いたのはむしろナイス判断じゃね?
兵をいつまでも残して圧力掛けてると
結城秀康と最上の心証が悪くなって潰されてたかもしれない
速攻で秀康に謝罪し、家康に許しを得るためにはごねては心証が悪くなる

558人間七七四年2018/06/29(金) 00:19:49.19ID:Sr2B/zQE
織田兵が武田兵より弱いというのはあるのかな?

559人間七七四年2018/06/29(金) 16:43:19.88ID:aPSLQ9cr
>>558
あるのは貧富の差から生じる意識の差
勝たなきゃ明日から苦しい思いする甲信兵と日本屈指の豊かな土地を持つ濃尾兵では当然意識の違いはでる

当然気候の違いに対しては強弱でるだろうな

560人間七七四年2018/06/29(金) 19:42:20.75ID:qPzay8O/
だからって、15000が38000に野戦を挑むとか、あまりに相手を見くびっているとしか思えんな。

それと今日は長篠合戦の日だな。

561人間七七四年2018/06/29(金) 19:45:21.78ID:IriLwqe/
おまえらの人生の長篠の戦いは勝利出来そうか?

562人間七七四年2018/06/29(金) 19:52:28.97ID:2vCbKkwU
雨が降っていたから設楽原に進軍したけど
設楽原に着いたら雨が止んだという晴れ男勝頼

563人間七七四年2018/06/29(金) 20:09:41.06ID:Ui7PcWtL
>>551
勝頼は武田の後をついで、まだ2年くらいしか経ってない。
ベテラン社長の信長・家康・謙信と比べるのは可哀そう。

564人間七七四年2018/06/29(金) 20:20:38.90ID:gO+JJxwI
もし雨が降ってたら武田は勝てた?

565人間七七四年2018/06/29(金) 20:53:42.80ID:2vCbKkwU
>>564
兵数が違うので…
むしろ設楽原は田んぼとかあったらしいんで
むしろ雨が降ってぬかるんでいたのも敗因の説も

566人間七七四年2018/06/29(金) 21:38:05.91ID:JdKslDW3
>>531
>>537
今は決戦の日より前に有海原で織田先陣と武田で戦いが起こったが通説では?

567人間七七四年2018/06/29(金) 21:50:53.68ID:6lChl/uO
秀吉が負けたから信長公記には有海原まで進出したことは書かれても、そこからどう撤退したかは書かれてないとか読んだ記憶あるな。

568人間七七四年2018/06/30(土) 00:13:05.70ID:sqh8wSky
>>566
どこの通説だよ
ころみつ坂の上の山に陣取って長篠城籠城兵に援軍が来たことを知らせたのが通説でしょ
深入りして交戦して退却したなら追撃されて死傷者多数どころか名ある武将が討ち取られても仕方ない

信長公記には長篠の戦いよって織田徳川軍は大利を得て、
味方の損害を出すことなくしてこれほどまでに完璧に強敵を打ち砕いた例はかつてなく、
その武勇は冥加の至りと書いてあるだけ

569人間七七四年2018/06/30(土) 10:36:57.84ID:MLyr3zth
>>568
20世紀かよ

570人間七七四年2018/06/30(土) 14:11:32.01ID:CgKoprbQ
>>568
信長公記には有海原に布陣してることが書かれてるから一度読んでみ

571人間七七四年2018/06/30(土) 14:25:41.41ID:sqh8wSky
>>568-569
先陣はコロミツ坂の上の山に家康が陣を取るって書かれて
コロミツ坂は一応有海原な
当時は有海原をどこまでの範囲で呼んだか分からんが
コロミツ坂の上の山に「先陣は」家康って確定してるんだよ

572人間七七四年2018/06/30(土) 15:09:14.28ID:BiXFZQ/8
上でも書いたが有海原はあの辺一帯も含むことある

573人間七七四年2018/06/30(土) 15:10:50.71ID:j9nHac6t
>>571
その後に滝川らが有海原に押し出しって書いてるだろが

574人間七七四年2018/06/30(土) 15:16:49.79ID:sqh8wSky
>>573
有海原の位置を根本的に間違ってるんだろうな
現地の地図が乗ってるサイトちょっと探してくるから待ってろ

575人間七七四年2018/06/30(土) 15:24:28.32ID:sqh8wSky
>>573
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/nagasinositara/nagasinositara.html
これな
設楽原と思ってる下一帯まで有海原だ
有海原に討ち出てと言っても有海原は設楽原決戦場に近い

576人間七七四年2018/06/30(土) 15:42:42.71ID:sqh8wSky
有海原に押し出し=設楽原から有海原の入り口に差し掛かる

先陣は家康なんだから先陣の意味を知ってるなら家康の前に出ると思うわけないよね

577人間七七四年2018/06/30(土) 16:20:55.58ID:czaQgkHu
長篠の敗戦でもし、内藤、馬場、山縣の大幹部が生きていたなら、武田家は立て直しができて穴山や信豊ごときが幅をきかすことも無かったのだろうか?

578人間七七四年2018/06/30(土) 16:36:08.81ID:iBX8YXxD
少なくとも山縣が生きてれば、穴山が後釜ではなくなるならなぁ
馬場はすぐ寿命を迎えそうだが

579人間七七四年2018/06/30(土) 16:46:38.18ID:6R/pFG6V
>>575
コロミツ坂が有海原に含まれるなら、わざわざ有海原に押し出すとは書かないんじゃないか?

580人間七七四年2018/06/30(土) 16:47:14.22ID:/IoZ6zOJ
馬場さんは嫡男とその子も含めて3代みな討死したという説あるのよね
山縣も嫡男(三枝からの養子)が討死

ほんとどうしようもない敗戦

581人間七七四年2018/06/30(土) 16:51:23.36ID:sqh8wSky
>>579
>>576読んで
先陣の意味を調べなさい

582人間七七四年2018/06/30(土) 17:07:43.81ID:o7wxqQs/
>>575
この地図だと家康が布陣したコロミツ坂が長篠城対岸だけど、コロミツ坂も現在とは名前違うんだっけ?

583人間七七四年2018/06/30(土) 17:33:23.40ID:sqh8wSky
>>582
君が現地に行ってないから分からないかもしれないが
信長公記にも書いてあるように有海原は、左手は鳳来寺山から西に太山が連なり、また右手は鳶の巣山から西に続く深山

と書いてあるように有海原は山が連なっている所で
山と山の間の低い丘みたいなところがころみつ坂だ
現地に行ってみれば武田軍から見えない理由がよく分かる
ボイントになってるころみつ坂の場所が坂下な
普通に考えて坂がそんなポイントの範囲なわけないのも分からんか?

584人間七七四年2018/06/30(土) 18:07:32.98ID:8rIHutlR
重臣の一族郎党が踏みとどまって戦わないとどうしようもない敗戦敗走なのに○○が生きてたらとか虚しいだけやろ
主君のために殿努めて死ぬのも名誉だったしな

山縣や馬場、内藤等が帰ってきても割と虚しいだけやろ
穴山や小山田みたいにならない保証なんてどこにもないぞ

585人間七七四年2018/06/30(土) 18:27:01.55ID:es3ziRZ8
誰か参加する人いるか?
ttp://second-academy.com/lecture/WSD43040.html

586人間七七四年2018/06/30(土) 18:56:38.66ID:es3ziRZ8
>>566
それ今どうなってるんだろ?
90年代後半から10年ぐらいはよく見かけたが
数年前に出た平山氏の長篠本は長篠に到るまでのことは一切言及しないで
決戦当日に絞った本だったが(武田が弾薬や弾の確保に苦労していたとか書かれてる本)

>>575
最低でも設楽原の陣地群から誰かが出撃ぐらいはしてるはず
出ないと武田側の記録の陣地に追い詰めたとはならないだろうから

>>582
原文は○○山のたつみつ坂だったと思う
決戦時その山に信長が移動しているから
当時同じ名前の山が近所に二つあったとかでもない限り
現在のコロミツ坂とは別

587人間七七四年2018/06/30(土) 19:00:44.14ID:es3ziRZ8
>>577
>>578
大幹部が大量に死んで、しかも徳川織田はすぐさま反撃に出ているという状況で
後釜を悠長に選んだり育てたりするような時間なかったろうし
直轄領増やすとかよりも、多少のデメリットがあろうと
さっさと後釜用意して備えないとって感じだったかもしれないしな

588人間七七四年2018/06/30(土) 19:23:15.72ID:YRttNN+F
>>585
上の説明と講義1回分使ってるからいわゆる鳥居強右衛門の磔像はどっちが上かって最近議論になってたからその話をするんだろうな
史料編纂所の人でもあるし信長公記の定本を刊行しようとしてる金子さんだからおすすめ

589人間七七四年2018/06/30(土) 19:36:55.31ID:sqh8wSky
>>586
いや、ころみつ坂で合ってるよ
交戦記録がないのに交戦したはもっと有り得ないけどね
しかも交戦するくらいの距離を詰めて武田軍が追撃したならかなり死傷者が出てるはずなのに記録がない
長篠城側籠城兵に援軍が来たことを知らせるためコロミツ坂の上に家康が陣を取り知らせたってのが通説ね


>追い詰めたとはならないだろうから

勝頼の書状
然らば長篠の地取詰候のところ、信長・家康後詰として出張候といえども、さし指たる儀もなく対陣に及び候。
敵手立ての術を失い、一段逼迫の体に候の条、無二に彼の陣へ乗り懸り、信長・家康両敵共、この度本意を達すべき儀、案の内に候。

↓訳

しからば、家康の長篠城を包囲したところ、信長と家康が後詰としてやってきたが、これというほどの事もなく対陣している。
しかし敵は手段に窮して縮こまっている有様であるから、一気に彼の陣へ突撃し、信長・家康の討ち取ることもたやすかろう。


追い詰めた?対陣して織田徳川が手段に窮して縮こまっているように見えるからこっちから攻撃したるわ!
って話だろ?
どこに敵を撃破して追撃したって書いてあるんだ?

590人間七七四年2018/06/30(土) 20:23:46.85ID:o7wxqQs/
>>586

> >>566
> それ今どうなってるんだろ?
> 90年代後半から10年ぐらいはよく見かけたが
細川宛の手紙の解釈で解釈間違いがあったとかの時のか?

この間、と言っても五年以上前だと思うが
歴史群像では織田の先陣が攻撃しに行った
ことになっていたが
論文ではそもそもその辺に言及したのがまずないような

591人間七七四年2018/07/01(日) 00:30:05.54ID:gQgDQcPw
その辺ってアレだろ
信長公記や書状などの資料無視して織田徳川連合軍に戦死者6000人出て
織田徳川連合軍は辛勝だったというとんでも論が出てた頃だな
どこで織田徳川連合に戦死者がそんなに出たんだよって話になったら
設楽原決戦前に野戦して織田徳川連合軍が6000人討ち取られたっていう長篠日記だったか
武田軍も退却するときに前が詰まり、後続の者が長刀で前を行く味方の首を処ね倒していって被害が拡大したとか
例の荒らしの菅沼だかがゴリ押ししてきた怪しい出典ソース
武田で1万、織田徳川連合6000人の計1万6000人の屍が設楽原を埋め尽くしてたのかと
内容をほとんどの人に笑われて相手にされてなかったな
それを今でも断片的に拾ってくる奴がまだいるってことかw

592人間七七四年2018/07/01(日) 01:04:09.39ID:p4I3fFjl
>>591
っか、信長勢6000人死んで士卒の戦死0は流石にやばい
どんな戦い方したらそうなるんや
指揮官が余程臆病で兵卒が脳筋突撃なのか?

593人間七七四年2018/07/01(日) 06:51:41.73ID:4xihXSc1
>>592
織田、徳川がそんなに戦死したなら、あり得るのは陣城から出てきた時だと思うが、そんなに戦死するものかな?

594人間七七四年2018/07/01(日) 08:37:10.39ID:G4k2+wyN
>>591
18日に小競り合いだかそれなりに戦闘があっただかは
もっと前じゃなかった?
菅沼はここ十年ぐらいのことだし。

595人間七七四年2018/07/01(日) 13:08:06.98ID:gQgDQcPw
>>594
その菅沼が長篠日記で6000人の戦死者があったという野戦を証明しようとしても見付からず
決戦当日の突撃前の日の出からの小競り合いを
その決戦日の前の野戦のことと捏造しようとして叩かれて
今に至る、と

596人間七七四年2018/07/01(日) 14:00:00.01ID:CUw+VVsp
>>594
菅沼なら、【信玄】武田氏総合スレッド【勝頼】にいるけど? あそこで暴れてるぞ相変わらず。

597人間七七四年2018/07/01(日) 21:10:14.20ID:gQgDQcPw
長篠の戦いは織田徳川連合が辛勝説(織田徳川連合6000人討ち死)
設楽原決戦は無かった説
武田騎馬隊は無かった説
長篠城をわざと落とさなかった説
etc…

どれも戦国ブームに乗じて本を売るためにろくに調べないで出鱈目吹いて回ってた時代だから
黒歴史として無かったことにしても良い

598人間七七四年2018/07/01(日) 21:20:01.34ID:JqRkpr55
長篠で死んだ織田・徳川方の指揮官クラスの武将って1人もいないの?

599人間七七四年2018/07/01(日) 21:33:14.71ID:VFgBti4z
>>598
松平伊忠(松平家忠の父親)が酒井忠次の別働隊に参加して、逆に討ち死にしている。それくらいじゃなかったかな?

600人間七七四年2018/07/02(月) 05:16:36.93ID:ihVFVV3J
じゃあ織田・徳川で砦奇襲部隊だった酒井隊くらいなのか激戦と呼べるような戦いをしていたのは
あとは楽勝&一方的だった、と

601人間七七四年2018/07/02(月) 07:07:27.47ID:3djvfyqW
山家三方衆の家譜では奇襲攻撃を受けた武田方は、それでも善戦し、
鳶ヶ巣山砦では武田信実らと酒井軍が砦を奪い合い、
武田信実らは砦を三度奪い返したが四度目の防衛戦で討死
武田信実討死で長篠城包囲軍は瓦解し、乗本から久間方面に逃げようとした兵たちは
樋田、伊原で待ち伏せていた設楽貞通の軍勢に討ち取られた
長篠城から突出した奥平信昌の城兵数百は、松平景忠らとともに敗残兵を追撃して内金で戦い、大野まで追った
松平伊忠は退却する武田軍を追ったが深入りしすぎ、小山田昌行から猛反撃を受けて戦死

602人間七七四年2018/07/02(月) 18:24:31.37ID:wztIioSB
>>601
硫黄島の戦いで摺鉢山を奪い合いしてるやつみたいだな
有名なアメリカが旗立ててる写真のやつ

603人間七七四年2018/07/02(月) 23:40:02.80ID:xVvHb5hl
長篠日記とか信じてるのか…
6000人の死者とか信じてるのか…

604人間七七四年2018/07/02(月) 23:42:19.40ID:xVvHb5hl
『参州長篠戦記』
『長篠日記』
『改正三河後風土記』
どれも信憑性に欠ける軍記物だよね

605人間七七四年2018/07/03(火) 12:33:17.84ID:QFBYTuzN
>>586
武田の記録ではなく細川あての鉄砲放手の間違いのやつじゃないのか?

606人間七七四年2018/07/03(火) 23:31:29.81ID:qop0klfi
>>566
資料がないから通説で通そうとしても通説にはならないんだよな

607人間七七四年2018/07/31(火) 13:40:15.76ID:xOGEBbHS
実際、何人死んだんだろうね。

608人間七七四年2018/08/08(水) 22:46:06.84ID:F6XUufGV
>>607
織田、徳川連合軍は7千、武田軍は15000ぐらいと言われている。
武田軍はこの戦いで事実上滅亡している。

609人間七七四年2018/08/08(水) 23:30:12.92ID:vaH/t3Z+
武田軍15000人と言われてるのに15000人死んじゃったのか

610人間七七四年2018/08/08(水) 23:45:15.91ID:5uqwKD0p
武田軍の死者は1000人で退却戦の時に集中しているという

611人間七七四年2018/08/09(木) 13:38:59.25ID:qai5NBjr
>>609
ワロタ

612人間七七四年2018/08/09(木) 19:08:14.22ID:TkwMRqC4
全軍の一割程度やろ
問題は武士階級が大量に戦死したことやろ

613人間七七四年2018/08/10(金) 11:28:20.67ID:CQFeS8vJ
我先にと逃げ出すのは末端の兵士で
現場に踏みとどまってなんとかしようとするのが指揮官だからな

614人間七七四年2018/08/10(金) 12:16:39.89ID:0jNqMaTi
関ヶ原では、指揮官クラスの武将の大半を秀忠軍につけ、家康自らは旗本ばかりひきつれてきたため指揮をとる武将が不足していて困っていた。
このように、兵がたくさんいても総大将の下に指揮官がいないと戦の遂行が困難になる
武田軍は、兵卒の戦死が1000人で済んでも、指揮官の大半が戦死してしまっては、今後武田軍をどう動かすかという難題にぶつかるのである

615人間七七四年2018/08/11(土) 10:17:59.82ID:DZ3iUKEC
困っていた。って根拠あるの?

616人間七七四年2018/08/11(土) 16:13:19.76ID:iqvZcdzF
>>608
事実上滅亡しているとか
自分の印象だけでさも事実かのように言ってないで、ちゃんと学識のある研究者の本とか読んでから判断しなよ
貴方は無知を晒してるだけだからさ

617人間七七四年2018/08/18(土) 22:44:56.99ID:VLUoJWeO
>>616
事実上滅亡したではないか。
武田がゾンビと化したことで、信長は東部戦線を殆ど省みる必要が
なくなったからな。そして、武田勝頼は二度と信長を脅かすことは
なかった。長篠以前は家康に優勢だったが、その後は家康相手にも
劣勢→撤退を繰り返し、やがて高天神城が孤立し包囲されることになる。
それにも、満足に援兵を送れなかった。

ゾンビ大名そのものではないか。武田が事実上長いので滅亡したと
言ってどこが間違っているんだ?
言っておくが、北条相手に上野を荒らした、などという恥ずかしいことは
言わないように。北条氏政は父も認めた愚将で、ゾンビ武田家にも劣る
カスだったからだ。

618人間七七四年2018/08/18(土) 22:54:49.21ID:VLUoJWeO
もう一つ、大賀(大岡)弥四郎と言えば外国(武田勝頼)と通謀して武力を
行使させた例として、日本の刑法で外患誘致罪の判例に今でも使われ、
刑法を習ったもので知らなければ潜りと言われる程の有名人だが、
この外患誘致罪の共犯、築山が処分される機会を待っていた。

信長は家康に築山の処罰を命じたのも、武田が衰えきっており、徳川家の
武田派を粛清して、徳川家が混乱しても、東部戦線で何ら影響がないと
判断したからだ。つまり、武田家は信長にそこまで「舐められて」いたのだ。
その証拠としての信康事件が発生している。

余談だが、信康が処分されたのは、外患誘致という刑法の最高犯罪を行った
母親を知っていながら処分できなかった、いわゆる「マキャベリズムの欠如」
が理由だ。

619人間七七四年2018/08/18(土) 23:47:07.63ID:yRPtpvrE
出たなゾンビくん
菅沼に次いで二番目くらいに有名人

「武田氏滅亡」平山優
くらいは読んでるんだよね

関東派兵以外でも御館の乱でキーパーソンになっていたり軍事力としては相当な規模を残してるんだけどね
敗戦で失ったものとしては経済的な損失の方が大きい

620人間七七四年2018/08/19(日) 00:11:04.76ID:qYbn2N5C
>>619
残念だが長篠の戦いで、武田家は将兵ともにほぼ壊滅しているよ。
で、長篠後、ゾンビと化した武田勝頼が何をしたかというと、将については
代替わりをさせ、経験値の低い若造に後を継がせ、兵については無理な
徴兵をおこなった。
しかし、上手くいくはずがなく、量で見繕っても質では目を覆わんばかりの
酷いものだった。二度と長篠前の勢いを取り戻すことはなかったし、二度と
信長を脅かすこともなかった。
更にこの無理が領内の怨嗟を招き、1582年には信長の協力者が後を
絶たなかった。

内容はボロボロだったんだよ。
結論として、強豪大名としての武田家は長篠で終わったんだよ。
武田家が7年間も持ったのは、畿内平定を果たしていない信長にとって、
生産性の低い武田領の戦略的価値は畿内より低く、優先順位が低かった、
それだけ。

武田勝頼は信長の都合によって7年間生かされていたに過ぎなかったんだよ。

621人間七七四年2018/08/19(日) 00:20:23.56ID:qYbn2N5C
信長がゾンビ大名と化した武田勝頼を生かした理由はもう一つある。
長篠後の武田勝頼を滅ぼすことは可能だったが(信長はもちろんのこと、
家康独力でも多分可能だった)、あえてしなかった理由は、武田勝頼を
滅ぼした隙に北条や上杉が乱入し、旧武田領がカオスになることを信長は
予見し、それならゾンビでも武田勝頼を存続させて、周辺勢力を牽制させ
時間稼ぎをした方が、畿内をまだ鎮めていない信長にとっては好都合だ、
という判断だ。

武田勝頼は信長の予想通り、恐らくは信長が全く期待していなかったほど
までに北条と上杉相手に善戦した。
畿内で苦戦していた信長にとって、信長に操られたマリオネットであることも
自覚しない哀れな武田勝頼の善戦は、物凄くうれしい誤算だっただろう。

622人間七七四年2018/08/19(日) 12:40:36.79ID:SbdMb23Z
信長に力がなかったってことでしょ

623人間七七四年2018/08/19(日) 19:50:05.47ID:6MObZTYK
>>622
戦略的理由と言って欲しいな。
信長が武田を滅ぼさなかったのは、戦略的に下策だったからで、
「武田を滅ぼす力」単体で検証すると、長篠以降は余裕であったからね。

624人間七七四年2018/08/19(日) 19:53:06.71ID:1QSlno3y
ゾンビくんキター

625人間七七四年2018/08/21(火) 19:41:31.62ID:tj8nnv6Q
何処までも続くループ 終わらない稚拙なループ
いつでも武田はゾンビ 終わらない武田ゾンビ

626人間七七四年2018/08/21(火) 23:15:14.55ID:IqW2a4uA
>>180
信長が武田と戦いたくなくて城落ち期待してあり得ないほどゆっくり行軍してたんでしょ?
で、行きはのんびりだったのに落ちたと聞いたら速攻で引き返したとかだったはずw
長篠城も、織田と戦いたい武田が落とすと帰っちゃうから伸ばしたって話も有力らしいし
初期にかなりの所に追い詰めていながらその後の攻略は相当遅いらしいよね

627人間七七四年2018/08/22(水) 00:49:33.72ID:Nhg8OVvM
武田が生かされた理由は流石にゾンビ君が的を得てるぞ…残念ながらな
信長が後年手紙に書いてるけど関東地方なんて「つまらない土地」なんだよ
中央への影響力も皆無、その上徳川相手に一進一退となれば武田なんぞに出兵する意味がない

628人間七七四年2018/08/22(水) 06:40:15.64ID:VkUTI/Lj
>>626
>長篠城も、織田と戦いたい武田が落とすと帰っちゃうから伸ばしたって話も有力らしいし

ゾンビ君のがまだ正解なんだよな
>>453あたりから読みなおして

629人間七七四年2018/08/24(金) 18:48:27.52ID:oID/sfD6
>>621
言い方変えれば信長は武田を攻める余裕がなかっただけ。素直に解釈しろよ。

630人間七七四年2018/08/24(金) 18:50:17.21ID:oID/sfD6
>>620
単に平山さんの本程度でこんなくだらない決めつけはつまらないな。若造って言うけどいい歳だぞ(笑)

631人間七七四年2018/08/25(土) 17:39:24.57ID:b5emLdyn
首脳陣がもう老将といっていい年代ばかりで
次世代が継いだだけだからな

>>629
散々多方面戦略やっといて武田だけ後回しでいいやって
都合のいい解釈だな。
過去の戦略を見ても、最晩年までは
敵を絞るために和睦・停戦なんでもありで
一部の敵を後回しにして、その間に弱いとこから各個撃破なんて
何度も信長やってるだろ
弱体化したとはいえ、ほっとけば多少は盛り返すんだから
武田を追い込む余力があったらやってるよ
それをするにはまだ他に敵もいるし時期尚早と思ったから
万全を期したんだろ。ああ見えて信長慎重派だから

632人間七七四年2018/08/25(土) 18:46:26.20ID:9+yG7zOY
織田が本気で武田攻めればもっとはやく滅ぼせただろうけど
畿内の方が重要だからな

633人間七七四年2018/08/25(土) 22:24:11.30ID:7NFqqNrH
>>631
>散々多方面戦略やっといて武田だけ後回しでいいやって
>都合のいい解釈だな。

武田は長篠で壊滅した。主要な将と連れてきた万の兵が90%以上
屍となり、信濃に戻ったのは数えるほどしかいなかった。
ここまで徹底的に壊滅すると、もう反抗する力はなく、家康単独で
十分と判断したんだろ。その判断は間違えていないし。
ご都合守護どころか、実に合理的な判断だ。

>弱体化したとはいえ、ほっとけば多少は盛り返すんだから
>武田を追い込む余力があったらやってるよ

盛り返さなかったけどね。長篠で華麗に壊滅して、再起不能となり、
二度と信長と刃を向けることが出来なかった。
家康の相手が精一杯(それも劣勢)。
そんな時に北条を敵に回すなどの「多方面作戦」を愚かにもやって
しまったのが武田勝頼の方だ。

634人間七七四年2018/08/25(土) 22:25:33.14ID:7NFqqNrH
何度も言うが、武田勝頼は長篠で事実上滅亡し、ゾンビ大名と
なったという事実を抜きにして、何も語ることは出来ない。

635人間七七四年2018/08/25(土) 22:26:48.31ID:lH7umDtV
ゾンビ大名ってなに

636人間七七四年2018/08/25(土) 22:31:13.71ID:7NFqqNrH
>>635
[ゾンビ企業]
経営が破綻しているにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって
存続している企業・会社のことである。(Wikipedia)

[ゾンビ大名]
既に壊滅して存続できない状態なのに、周辺の地政学的事情により
生かされている大名のこと。長篠以降の武田勝頼が典型。

637人間七七四年2018/08/25(土) 22:49:51.29ID:lH7umDtV
ふーん。つまんない造語だね

638人間七七四年2018/08/26(日) 02:04:09.73ID:ubDmRqbA
頭の弱いのが必死に頑張ったのにそれは気の毒すぎる

639人間七七四年2018/08/26(日) 15:13:04.99ID:a4Qr6AhX
>>633
その90%以上というのは具体的にはどういった史料に基づいた情報なのですか?
根拠はありますか?

640人間七七四年2018/08/26(日) 15:20:39.74ID:kc4RYPft
【24マラソン、2000万】 障害者はタダ働き <世界教師マiトレーヤ「偽善暴く」> 芸能人はボロ儲け
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535249407/l50


24時間TVのチャリティーはイカサマ! ハルマゲドンは福音派のデマ! マ@トレーヤはオウムと思ってるバカ!

641人間七七四年2018/08/26(日) 15:47:38.01ID:3I8nYXxe
>>639
一応軍鑑に優秀な武士の内99パーセントだか98パーセント死んだってのはあるな

642人間七七四年2018/08/26(日) 20:12:51.40ID:dkzYOdBm
>>641
わかりやすい嘘をつくなよ

643人間七七四年2018/08/26(日) 20:19:34.32ID:dkzYOdBm
>>636
それ説明になってないよ
壊滅してないし存続できているから前提条件からして間違っている

644人間七七四年2018/08/26(日) 20:52:25.80ID:ejgaxCJz
>>641
長篠の合戦が載っている甲陽軍鑑品第五十三を見ても該当する箇所がわからなかった
すまないが原文引いてもらっていいかな?
まさか大形とか悉くってところを98だか99%なんて自分基準で読み替えているなんてことはないよね?

645人間七七四年2018/08/26(日) 22:54:20.64ID:f0iCavqu
>>644
菅沼かよw

646人間七七四年2018/08/26(日) 23:39:44.63ID:dkzYOdBm
>>644
98だか99%を表現する言葉がないのにそんなこと言ってるからふざけてるのは一目瞭然
真面目に相手するだけ無駄だよ

647人間七七四年2018/08/27(月) 07:29:50.08ID:PYMCsEbb
総兵力500の小城なんか1週間で落とせよ
そして裏切り者奥平一族の首を獄門台にならべてさっさと帰国すりゃよかったんだ

648人間七七四年2018/08/27(月) 08:00:43.53ID:TUX9I4hD
1600年になっても鉄砲配置して徹底抗戦されると小城小兵力でも容易に落とせない
勿論勝頼には被害覚悟で力攻めする覚悟も国力もない

それこそある程度天下の定まった秀吉時代から被害覚悟の力攻めが多様される様になった

649人間七七四年2018/08/27(月) 08:01:29.29ID:GydnMjnC
この流れなら言える
積翠寺

650人間七七四年2018/08/27(月) 12:46:08.87ID:ztByvmAq
>>648
被害覚悟の力攻めした伏見城の戦いは死傷者2〜3000人程出て2週間近く掛かって大損害だった上に
4万の軍勢も2週間足止めされたんだけどね

651人間七七四年2018/08/27(月) 13:57:24.45ID:doG41TDA
>>407
だから徳川に絞って攻め立てたじゃん
徳川は単独で武田と当たるつもりなかったから織田を呼んだわけで
和睦も相手あってのことだし、色々と情勢無視してるな

652人間七七四年2018/08/27(月) 14:06:44.43ID:doG41TDA
>>617
このゾンビくんは北条の汁かけ飯の逸話とか、信康事件のこととか昔からの俗説をいまだに事実と勘違いしているようなレベルだからゾンビの件も含めて説得力ゼロだな
てかゾンビって言いたいだけだろ

653人間七七四年2018/08/27(月) 19:16:54.12ID:SKOKM3+2
>>648
信州上田城を落とせず足止めを食らって関が原に遅参したアホもいたね

654人間七七四年2018/08/27(月) 20:59:36.23ID:TUX9I4hD
あれは別に上田城関係なく間に合わないよね

655人間七七四年2018/08/27(月) 23:31:28.28ID:+NV0Q0S5
>>653
あいつは馬鹿息子だからな

656人間七七四年2018/08/28(火) 06:44:24.91ID:Eu2YndcG
大坂の陣にダッシュで駆けつけたのはしょーもない阿呆だけど関ヶ原の遅参は運が無かっただけでしょ
流石にあれは誰がやっても遅参する

657人間七七四年2018/08/28(火) 11:11:57.68ID:aqk6CT4y
素通りしてりゃ間に合うじゃん
真田に背後襲われるのが怖いなら応分の人数残せばいいだけの話
1/10も残せばお釣り来るんじゃないの

658人間七七四年2018/08/28(火) 16:31:20.60ID:Fuqvup5I
おいおい遅参しまくりの島津さんを貶すのはやめてさしあげろ

659人間七七四年2018/08/28(火) 18:25:08.15ID:5YGZfylO
家臣がゆうこと聞かないからしょーがねーじゃん?

660人間七七四年2018/08/29(水) 08:41:53.41ID:8C31Ewun
それじゃあ島津ダメ大名じゃん

661人間七七四年2018/08/29(水) 18:40:40.47ID:EWJ4T+8q
>>633
>万の兵が90%以上屍となり

ここで読むのやめてもよかったんだが…ツッコミどころ多過ぎなので

>ここまで徹底的に壊滅すると、もう反抗する力はなく、家康単独で十分と判断したんだろ
9割壊滅して立ち直れない武田に長篠後も武田を滅ぼすどころか
ちょいちょい城落とされてる徳川はどんだけ雑魚なの?

>盛り返さなかったけどね
信長と真正面から決戦するような体力はないが
徳川単体ならやれてるやんけ
9割壊滅して徳川とどっこいの戦いできるなら徳川はどれだけ(以下略

>北条を敵に回すなどの「多方面作戦」を
結果論であって、上杉が北条より同盟者として期待できると踏んだのは仕方がない
敵対してる織田徳川と友好関係にある北条なんて当てにできないだろ
どっちみち織田徳川が存命な限り、北条とは遅かれ早かれ敵対しとるわ

662人間七七四年2018/08/29(水) 23:40:38.25ID:UrwhShYc
>>661
横からで悪いが

1578年8月19日、勝頼と景勝は起請文を交わす
・北条勢の信濃通過をさせない
・景勝と縁組を行う
・景勝・景虎の和平が理由なく破綻したら和睦破棄する
※景虎自害後もなぜか勝頼は景勝支援



1578年9月下旬、景勝は上杉領の妻有城を武田氏に譲渡
妻有城は坂戸城と信濃を結ぶ位置にあり、
妻有城を廻り武田勢と北条勢を交戦させることを画策
8月19日の起請文に北条勢を通過させないことを約束させたために
北条勢は坂戸城を落としてから入越せざるを得なくなり、
上杉側も坂戸城に兵を集結するだけで良くなった



上杉憲政が景虎の嫡男・道満丸を連れて和議を申し出て御館から出てきた所を切られ死亡
景勝「急に出てきたから敵かと思って切っちゃったわ、ごめんごめん」



1579年3月24日 景虎が自害し御館の乱が景勝の勝利で終結
景勝は勝頼に上野(沼田・厩橋等)と北信濃の旧上杉領を譲る
※沼田城は後北条氏に制圧されてます
後北条氏に取られてるのに武田に譲るというミラクルな話術で
武田と北条を交戦させることに成功し、甲相同盟を決裂させる



むしろ内乱でボロボロの上杉なんて敵にして放って置いても攻めて来れないし
勝頼は景勝に上手いように使われただけでしょ

663人間七七四年2018/08/29(水) 23:49:49.23ID:UrwhShYc
>>661
>敵対してる織田徳川と友好関係にある北条なんて当てにできないだろ

あとこれも間違ってる
1572年の信玄の西上作戦に北条は2000〜3000の兵を送っている
織田徳川とは友好関係ではなかった
御館の乱後の甲相同盟破綻してから武田に攻められたから織田徳川を頼った

664人間七七四年2018/08/30(木) 04:56:54.83ID:ChkDDv1y
>>662
横からすまんが内乱で国力は低下したがこの時点ではまだ景勝には期待できたのでは…
問題は景勝のくそみたいな戦後処理に問題があると思うけど…
新発田とかわざと反乱起こさせたような処遇してるし

665人間七七四年2018/08/30(木) 07:36:04.45ID:f6yHy6WL
>>664
いや内乱で二つに割れてんのに期待できるわけない
むしろ領地を勝頼に餌としてやったらスゲー食い付いただけって話だな

666人間七七四年2018/08/31(金) 22:25:51.91ID:uJl+TPKf
>>644
品40石水寺物語の方だろう、
剛の武士百の内九十八ってやつ。

667人間七七四年2018/09/01(土) 07:30:50.90ID:8epK8Dxw
>>661
>9割壊滅して立ち直れない武田に長篠後も武田を滅ぼすどころか
>ちょいちょい城落とされてる徳川はどんだけ雑魚なの?

日本もレイテ沖海戦でほぼ終わったが、その後も単独の戦闘で
稀にアメリカに勝っている。そういう例外を過大に着目するのは
感心せん。

>信長と真正面から決戦するような体力はないが
>徳川単体ならやれてるやんけ
>9割壊滅して徳川とどっこいの戦いできるなら徳川はどれだけ(以下略

やれてないけどね。徳川がやれているように見えたのは、徳川が手抜き
していただけ。それも信長の、戦線を動かしてはならないという意向によりね。
(だから、武田勝頼は信長のマリオネットだと言っているのだ)

御館の乱で武田をわざと絶妙のタイミングで撤退に追い込んだり、駿河に
徳川軍が侵攻しても全く抵抗できなかったり(それも高天神城健在の時に)、
そういう例も数え切れない。

>結果論であって、上杉が北条より同盟者として期待できると踏んだのは仕方がない

ここまで頭が悪いとは思わなかった。いいか、上杉景虎が越後を継いだら、
信長以外の隣接国は盤石となる。信長相手に専念できる。どうせできるのは
ゲリラ戦ぐらいだろうがね。それでも、北条を敵に回すより何倍もマシ。

668人間七七四年2018/09/01(土) 07:37:06.56ID:8epK8Dxw
どうせ信康事件の話も出るだろうから言っておく。

信康事件は信康と築山が武田と内通し、信長の圧力によりこの両名が
除かれた事件として有名だが、築山が武田と内通したのは大賀弥四郎
事件の時だ。これは、今でも外患誘致罪の凡例として使用されており、
大賀弥四郎が武田勝頼の軍隊を招き入れ、東三河が大混乱に陥り
信長の介入→長篠の戦いに直結している。

信長はこれを忘れなかった。築山が大賀弥四郎事件に関わっていたことを
立証し、信康事件に関わっていた、又は知っていて放置したことを立証し、
両名を死に追いやった。決して長篠後のゾンビ化した武田勝頼と内通して
いたわけではない。

669人間七七四年2018/09/01(土) 07:39:43.15ID:8epK8Dxw
誤)信康事件に関わっていた、又は知っていて放置した
正)信康が事件に関わっていた、又は知っていて放置した

670人間七七四年2018/09/01(土) 10:54:47.39ID:yDMb871A
言いたいことは分かるがそこまで信長が万能とは思えないのだが…
説としては面白いのだが

671人間七七四年2018/09/02(日) 06:18:23.47ID:Si67d6Jt
家康「お前の娘婿腹切らせるけどいいかな」
信長「お前んちの問題だし、好きにしなよ」
みたいな手紙あるって聞いたことあるけど勘違いだったかな
まあ岡崎派と浜松派の対立に武田が介入してくる心配が
無くなったから、と考えれば矛盾ともいえないか

672人間七七四年2018/09/03(月) 18:32:29.78ID:xIahe1Is
日本の戦国期の戦いで9割死ぬのはありえないでしょ、実際は3~5割位じゃないかな。9割なら勝頼も討死してるはず。3~5割でもかなりエグい負け方だよ。 
私見だけど武田家滅亡はやはり長篠の敗戦に
よる国人支配の弱体化だと思いますよ。
詳しくはながくなるから省略で。

673人間七七四年2018/09/04(火) 05:54:15.98ID:D7UqDEVp
第二次世界大戦みたいに機関銃や爆弾がありゃ別だけどな
わーって逃げられたら全員捕まえて殺すなんて無理難題だよな 

674人間七七四年2018/09/05(水) 00:33:09.96ID:6hC5pxcN
戦国期は1割戦死したらほぼ壊滅だよ
負傷者は数倍いるわけだし

675人間七七四年2018/09/05(水) 16:42:27.86ID:qsTvXdae
戦する度にそんなに死亡者がいたら国力が持たない

676人間七七四年2018/09/07(金) 22:47:25.21ID:8S+pxGkT
前は外交で織田方に様々な勢力を造反させていろいろな奴をけしかけたがその時は織田は出てこないで
武田も織田方に深く進攻できる余裕がなかった
信玄が途中で死んだりで
決戦を強いられなかった
織田の方からわざわざ出てきたら多少数が不利でも決戦を選択は十二分にありえることだな
まだやれると思っていたから決戦になった
織田は長篠の前はここで万が一決戦に負けたら後がなくなるからとにかく避けていた
十分に包囲網を破って始めて武田との決戦をを覚悟して望んだのが長篠
それでも慎重に陣地構築して攻めて来るのを待った
全てを読みきれている神はいないからこそ
全面決戦が成り立つのであって後知恵言ってる奴が馬鹿
織田徳川が三万率いて自分達の境界線に乗り込んで来たのだから
決戦をしたくなるのは普通で決戦の前には長篠城や砦の攻防は些事
主戦場で押しきれば全て終わり、勝ち

互いが噛み合うから決戦になるだけでそうでないなら距離を取って逃げるだけ

大軍率いてにらみあったが何事もないでどっちか撤退とかよくある話

数が不利だから戦うのが愚かなら桶狭間はじめ信長の人生さえ全否定

主力を動員して退却の効きにくい狭い所で武田に決戦をさせ、
武田の猛攻をしのぎきった織田がうまくやったというだけ

677人間七七四年2018/09/07(金) 23:48:33.33ID:MU4fqe6A
>>676
>織田は長篠の前はここで万が一決戦に負けたら後がなくなるからとにかく避けていた


明知城や高天神城が内応で想定より早く落ちたから引き返しただけだよ
長篠城は絶対に徳川を裏切らない奥平を入れたし
高天神城の援軍に間に合わなかったのを信長が学習して
佐久間に事前に三河に兵糧を大量に運ばせて現地調査もさせてたから
岐阜から想定より信長が早く来て長篠の戦いに至る

678人間七七四年2018/09/10(月) 14:08:22.90ID:9/pNElqR
ゾンビくんは長篠で武田の9割が壊滅とか言ってる時点で
何を言おうが「都合の良いように話を盛るやつなんだな」って感想しかない

679人間七七四年2018/09/10(月) 15:06:52.91ID:Z/j9u6eS
武田軍を1万5千と過程して9割戦死は1万3千5百人
5月20日夜〜21日野戦で大敗して追撃されたり山狩りされたりもしたろうが、織田軍が機関銃でも使わない限り有り得ない

刀槍弓火縄銃でそんなに殺害できるわけが無い
武田軍が全員栄養失調のゴミなら話は別だが

680人間七七四年2018/09/19(水) 15:45:37.24ID:S/lupTnW
>>34
佐久間信盛の偽りの裏切りを信じてしまった説あるで

681小早川秀秋2018/09/22(土) 22:26:58.83ID:B/SsNTzn
1武将の裏切りで圧倒的兵力差がひっくり返るなんて事を想定して
戦をはじめるのがアホなんだよ 

682人間七七四年2018/09/24(月) 08:30:09.95ID:nICerYkQ
無敵幻想に酔ってたんやなあ ド素人みたいな大失敗やで

683人間七七四年2018/11/05(月) 15:28:12.21ID:2TYG60Vq
近日中に米墨国境付近にて長篠の合戦が再現される模様

684くすの木ロード2018/11/20(火) 19:15:36.55ID:vAd4f7TJ
そもそも織田徳川連合軍が4万人〜7万人はいたという説が濃厚だと思うぞ
だから2万人集めるのがやっとだった武田軍がまけたんじゃないかな?

685人間七七四年2018/11/20(火) 19:35:38.21ID:/32vpPHK
普通に武田の記述にも「物量の差」「大軍に挑んだのが失策」って書いてあるからな

686人間七七四年2018/11/20(火) 20:08:44.48ID:LAaGV5ML
>>684
織田も武田ももっと少ないが有力だよ
設楽原にそんな大軍展開できないのが理由

687人間七七四年2018/11/20(火) 20:16:10.78ID:ZjcBQhdj
それ本気で言ってるのか

688人間七七四年2018/11/20(火) 20:29:54.59ID:LAaGV5ML
現地行ったことあるか?
北の山から南の川までクッソ狭い
4万どころか1万人でさえ入るかどうか

689人間七七四年2018/11/21(水) 02:40:05.00ID:w9oWvx5F
何も全軍が設楽原に展開する訳じゃないだろ

690人間七七四年2018/11/21(水) 09:39:10.63ID:SIkBfGyV
大軍が来ると分かったので集結する前に叩こうと思ったら予想以上に集結してたんだろ

691人間七七四年2018/11/21(水) 18:51:15.91ID:TLin2nqr
設楽原の戦いの時期は6月下旬のために雨が降っていたために
織田徳川連合軍が鉄砲隊3000丁のうち3分の1しか使えない
と踏んでいたのに合戦開始直後に雨がやんで武田軍は引くにも
引けない状態だったらしいです。

692人間七七四年2018/11/21(水) 23:52:27.11ID:3rqpB7+3
>>688
こいつ武田軍の兵士だろ

693人間七七四年2018/11/22(木) 10:49:24.06ID:764Npbh3
ワラタw

694人間七七四年2018/11/22(木) 23:24:43.93ID:KJKUqyXs
>>692
長坂釣閑斎かもしれん

695人間七七四年2018/11/23(金) 11:55:48.19ID:qVgA4h4a
武田重臣老害説。勝頼逃がすという大義名分を得て
信玄公を追って滅びの美学を求めた気がする。
戦場で散るのが本懐。武士道は散り方に拘るからね

696人間七七四年2018/12/09(日) 15:02:32.60ID:Ml/W0umc
織田の甲州征伐のときの寝返り祭を思えば、
武田家臣にそんな上等な美学はない

697人間七七四年2018/12/09(日) 20:55:18.93ID:McFXCQvy
長篠生き残り勢にはそういう美学が無かったか、あってもその美学を貫けない理由があっただけなのでは?
信玄を追って滅びの美学を求める必要がなかった、だから生き残ったのでは?

698人間七七四年2019/01/30(水) 00:29:39.02ID:UBNpWzRW

699人間七七四年2019/02/17(日) 21:11:07.99ID:yoDFKPMA
この戦いで佐久間が6000〜7000、滝川が3000、
水野が3000、柴田が5000とか率いてたってよく見るけど
丹羽や羽柴ってどのくらい率いてたんだろうか?
信忠や信雄、信長自身もある程度率いてるはずだけど、各部隊が何人率いてたんだろ

700人間七七四年2019/02/18(月) 12:06:09.83ID:7bod0SZm
石高から考えるなら秀吉は3000〜5000
長秀は2000〜3000
信雄は3000〜5000ってとこか?

701人間七七四年2019/02/18(月) 12:25:22.69ID:kN04tIz1
奥平、菅沼(笑)ら奥三河の豪族衆にとっては、武田にも徳川にも顔色窺わねばならず、合戦の際は犠牲の多い先鋒を引き受けねばならず、一族が敵味方に別れて戦うことになったから、早々に決着を付けてもらうのは重要な関心事だったと存じます。

702人間七七四年2019/02/19(火) 10:32:07.15ID:V6E99mkn
>>700
丹羽と羽柴は小勢だったって説もあるので3千以下かもしれませんね
羽柴隊は山に布陣してる説と前線で滝川や佐久間の隣だったりとよくわからない
更に不明なのは柴田勝家の名があったり無かったりで参戦してたのかどうかすら不明

織田家総勢3万で酒井隊に2千付けてるので残り2万8千
佐久間が6千、水野信元が3千、滝川も3千として、鉄砲奉行5人が少なくとも1千
これで残り1万5千
丹羽と羽柴が2千ずつでも残り1万1千
柴田が5千も率いてたら信長、信忠、信雄で合わせて6千か

もしかしてこの頃の退き佐久間って最盛期?

703人間七七四年2019/02/19(火) 11:14:25.81ID:jcN/lRoi
しかしながら我らほど立派な家臣をお持ちになることもありますまい

704人間七七四年2019/02/25(月) 20:02:27.25ID:fqgctanx
相変わらず馬鹿しかいないんだな、人気の武田関連のスレなのに
織田による武田征伐(1582)の頃の武田はすでに死に体であり崩壊寸前だっただけ、だから10万以上の軍で攻められても対応する力もその気もなかっただけ

705人間七七四年2019/02/25(月) 21:23:36.70ID:q3B7Qtkn
なぜ武田成敗?
長篠の戦いのスレなのに

706人間七七四年2019/02/26(火) 00:01:23.32ID:qJ0fUvzt
>>704
スレチのバカの代表がきたぞw

707人間七七四年2019/07/15(月) 09:49:45.07ID:DWiCMEm8
よーするにガダルカナル島の一木支隊かサイバンあたりのバンザイ突撃を想像したらええんかの。たけだのたたかいかたは。

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