【黒衣の宰相】政僧について考えてみる【師匠・外交僧】 [無断転載禁止]©2ch.net

1人間七七四年2016/12/11(日) 10:10:05.87ID:ztZoVdUQ
徳川の天海や崇伝、毛利の恵心や恵瓊、織田の沢彦や日乗、
伊達の宗乙、今川の雪斎など大名に関わった僧は多数いますが
それら僧について色々と考察してみましょう

2人間七七四年2016/12/11(日) 16:27:13.98ID:7Y1I5KKE
神龍院 梵舜

3人間七七四年2016/12/12(月) 03:47:56.69ID:msssbrfl
安国寺恵瓊って、秀吉を「さりとてはの者」っていう評価する一方、日乗を「太公望」と評価してたらしいな
全然慧眼じゃないじゃん

4人間七七四年2016/12/13(火) 21:47:17.96ID:oKXshnbh
神龍院梵舜って豊国神社再建を断られて家康呪詛したとか言う僧か

5人間七七四年2016/12/13(火) 23:33:00.93ID:UcI9muwD
なんとかショウタイって僧がいなかったっけ?

6人間七七四年2016/12/14(水) 23:55:44.43ID:qY8giK4N
西笑承兌か?居たよ。
確か冬の陣の頃豊臣と徳川の間の使僧だったりした人。

7人間七七四年2016/12/15(木) 01:21:39.74ID:77RSOK9/
筥崎座主の安武方清は、立花ギン千代の異父兄で立花家に色々協力してたらしいが
大僧正になった後で、筥崎を出て柳川に行って立花家臣になったんだったかな

8人間七七四年2016/12/16(金) 08:56:00.09ID:jOi43H8j
家康の政僧だが天海や崇伝に比べ
三要元佶がいまいち影が薄いのは何故だろう

9人間七七四年2016/12/20(火) 23:11:51.64ID:liaHT95k
>>8
やっていることが朱印状の発行とかいまいち地味だし
なにより大坂の陣前に無くなっているから
見せ場が無いからじゃないかな

10人間七七四年2016/12/22(木) 01:45:01.19ID:/LZbeoMq
元僧、前田玄以

11人間七七四年2016/12/25(日) 22:18:33.63ID:78gDcP/Z
寿桂尼とか北政所、慶ァ尼、常高院など夫の死後出家して
色々と政治に影響を残した尼さんも一種の政僧なのかな

12人間七七四年2016/12/26(月) 11:53:46.40ID:4O7EKnkG
>>3
自分に好意的に接してくれた相手を持ち上げただけでしょう
関ヶ原での行動を見ても、その人物はしれているだろう

13人間七七四年2016/12/27(火) 22:08:24.02ID:qtSBTehn
天海は蘆名氏、崇伝は一色氏、恵瓊は武田氏、
雪斎は氏親の息子説があるし、政僧言われる人は
血筋がいい人が多いのかな?

14人間七七四年2016/12/27(火) 22:19:47.64ID:FVvolBsz
今年名を売った田中さん
今までは信玄と信廉の区別がつかなかった人に過ぎなかったのに

15人間七七四年2016/12/28(水) 21:38:31.32ID:7Q22Aj62
沢彦とか信長の師匠とか言われているけど
岐阜の命名くらいであまり有名な逸話が無いな
快川紹喜と兄弟の契りを結んだとかも言われているけど
実際どうなんだろう

16人間七七四年2016/12/29(木) 10:59:35.25ID:F31cUL4i
>>13
比叡山のトップは天皇の弟だったし

17人間七七四年2016/12/29(木) 12:49:20.32ID:7zNpBGAq
>>11
彼女達は大名の妻や身内という特別な「御家の女主人」というべき人だった上に才覚もあったから
政治に采配を振るえたので、ただの縁も無い尼僧ならあんな事は不可能に近いし実例もない。
これは彼女達の立場が為せる業。己の才覚と影響力で大名に関わった政僧達とはちょっと違うような。

18人間七七四年2017/01/01(日) 21:46:09.62ID:ubRKYdKn
政僧とは違うかも知れないが方広寺の鐘銘を書いた文英清韓、
加藤清正の祐筆だったらしいが、加藤家を豊臣家につなぎ止める為に
選んだのかなぁ、やぶ蛇になったけど
ただ大坂の陣のあと拘束されたけど、家康の死後羅山らの取りなしによって
許されているんだよな

19人間七七四年2017/01/02(月) 22:25:17.56ID:FTNfBFz4
幼少時僧に教育を受けた戦国大名って
結構いそうだし、影響力が大きいのも
仕方ないかなって感じだな

20人間七七四年2017/01/03(火) 16:24:56.62ID:+kO9W3L+
いいとこの寺社は貴種がトップだしね

21人間七七四年2017/01/03(火) 17:44:05.17ID:zfJ+o63K
>>19
今川義元、徳川家康と雪斎の関係もあるな。
僧侶は読み書きがができるから、教育者でもあった。これは、ヨーロッパでも同じで修道院が大学の元になってる。

22人間七七四年2017/01/05(木) 23:35:56.98ID:6F/yLEN+
若い頃の家康に影響を与えた僧侶だと登誉天室ってのもいるみたいだけど
いまいち事跡が分からないな

23人間七七四年2017/01/06(金) 00:12:05.85ID:iCMBunmr
大樹寺の僧か。厭離穢土欣求浄土

24人間七七四年2017/01/06(金) 04:32:07.43ID:D/Iz7Z4w
>>23
家康、一生かけてその目標を達成して戦乱を終わらせたからな。

25人間七七四年2017/01/06(金) 14:36:52.16ID:bUjlM6Ak
>>20
それこそ松平家は超誉存牛とか輩出してるからな
豊臣政権以降家康は京での貴族や文化人とのコネクションを強めて結果的に天下人に近づいていくけど、こういう下地になった可能性は間違いなくあるだろうね

26人間七七四年2017/01/06(金) 17:21:46.23ID:jr1wekrP
大樹寺は、征夷大将軍寺の意味で、ご先祖は子孫から将軍が出ることを祈願して建立したとか。
将軍家菩提寺を領内に持った藩主も大変だったろう。

27人間七七四年2017/01/07(土) 01:14:18.43ID:ii6W3FFL
登誉は桶狭間後に大樹寺が織田軍に囲まれた時に家康と共に戦ったんじゃなかったっけ?

28人間七七四年2017/01/07(土) 21:49:47.54ID:2No/p2u5
>>27
>登誉は桶狭間後に大樹寺が織田軍に囲まれた時に家康と共に戦った

これってなんて史料に出てくるの?

29人間七七四年2017/01/09(月) 22:07:01.02ID:X20EdWzt
こんど始まった大河だと南渓瑞聞あたりが活躍しそうな感じだね

30人間七七四年2017/01/13(金) 22:25:34.56ID:I6oYXeKq
沢庵宗彭とか創作もので結構持ち上げられている僧だと思う

31人間七七四年2017/01/15(日) 19:53:24.96ID:7tVVz8jd
バカボンド

32人間七七四年2017/01/22(日) 22:12:35.24ID:m3+62r28
戦国大名の中で早雲や信玄、謙信みたいに出家する人と
氏康や元就みたいに出家しない人の違いは何なんだろう

33人間七七四年2017/01/22(日) 23:47:17.63ID:4Kc809oj
自らの所業に何か自責や後悔がある人は出家するっていう何の根拠もない物凄いざっくりしたイメージ

34人間七七四年2017/01/24(火) 21:46:44.17ID:Liw29FpC
氏綱みたいに弟の幻庵とかを出家させて
当主である自分は俗人のままでいるとかは

35人間七七四年2017/02/04(土) 21:41:23.16ID:ADii1Oc5
毛利家の政僧と言えば安国寺恵瓊が有名だけど
その師匠で骭ウが深く帰依していたと言われる
竺雲恵心は毛利家にどの程度政治的影響力があたんだろう

36人間七七四年2017/03/07(火) 08:26:53.44ID:vP/G0xQS
>>21
創作物だと家康は雪斎の薫陶を受けたことになっている物があるけど
実際はどうだろう
研究者では受けた派と受けなかった派だとどちらが多いんだろうか

37人間七七四年2017/03/07(火) 09:26:28.94ID:zpMKLTX7
家康再建の臨済寺に竹千代手習いの間が有るんだよな。
家康としては雪斎の思い出が有った感じだ。

38人間七七四年2017/03/07(火) 17:43:06.45ID:Xb4SdJmg
>>37
片岡愛之助の番組で見たな。絶対ウソだと思ってるw

39人間七七四年2017/05/14(日) 12:59:20.26ID:mF103uob
板部岡江雪斎さん

姪は徳川頼宣 徳川頼房を生んだお万の方

40人間七七四年2018/05/01(火) 01:05:36.79ID:LxTY1v9N
満済准后

41人間七七四年2019/05/19(日) 00:06:05.78ID:D1CAnkNy
こんばんは

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